五、わが弟子、ひとの弟子

『歎異抄講読(第六章について)』細川巌師述 より

歎異抄講読HP / 目次に戻る

(1)弟子の事

 さて、この位でアウトラインを終って本文に帰ると、「専修念仏のともがらの『わが弟子ひとの弟手』といふ相論の候ふらんこともてのほかの子細なり」。わが弟子ひとの弟子という争いがあったわけである。それは、一つは『口伝抄』(二五-六)に出ている。この問題の背景が出ている。
 常陸国新堤(にいづつみ)の信楽房、聖人の御前にて法文の義理故に仰を用ひ申さざるによりて突鼻(とっぴ)にあずかりて本国に下向(げこう)のきざみ、御弟子蓮位房申されて曰く、「信楽房の御門弟の儀をはなれて下国の上は預け渡さるるところの本尊、聖教を召し返さるべくや候ふらん」と、「なかんずくに釈親鸞と外題の下に遊ばされたる聖教おほし、御門下を離れたてまつる上は定めて仰崇の儀なからんか」と云々、聖人の仰に曰く「本尊、聖教を取り返すこと甚だ然るべからざることなり、その故は親鸞は弟子一人ももたず、何事を教えて弟子といふべきぞや、みな如来の御弟子なれぱ皆共に同行なり」。
 ここに一つの生々しい具体的な事件がのべられている。これは常陸の国と申しますから今の茨城県の信楽房という名前が出ている。これは京都の時であるのか、まだ稲田におられた頃の事かはっきり致しませんが、『歎異抄』にも出ているのを見ると京都かも知れません。「法門の義理故に仰を用い申さざるによりて」、聖人が解釈されました法門のわけがらに異義を申し立てて仰せを受けつけなかった。そこで突鼻にあずかった。突鼻というのは昔の言葉で破門、いわゆる門弟を放されたわけです。破門を仰せつかって故郷へ帰った。親鸞聖人はなかなか厳しいお方であったということがわかります。師匠の言うことを聞かない者を破門された。その時に、渡されてあった本尊、聖教を取り返しておいてはどうでしょうかと、弟子の蓮位房が言った。そういう所からわが弟子ひとの弟子ということが出ている。これはほかにもありまして、『改邪抄』(二六-四)にも同じ言葉が出ております。共他御文章にもあります。このように方々に出ているということは、大事な問題だということです。
 さて、今申したいことは弟子という問題、わが弟子ひとの弟子ということ、それについて当時の師弟というのはどんなふうであったのか。同じく『改邪抄』(二六-四)に「一、同行を勘発の時或は寒天に冷水を汲みかけ或は炎旱(えんかん)艾灸(かいきゅう)を加ふる等の謂なき事」。自分の弟子を鍛えるのに寒い時に水をかけたり暑い時にお灸をしたりする。いためつけるというか、非常に厳しく色々なことをやっている。更に「わが同行ひとの同行と簡別してこれを相論する謂なき事」。わしの弟子だひとの弟子だといって区別し、或いは奪い合う。また「念一仏する同行知識に相従わずんばその罰を被るべき由の起請文を書かしめて数箇条の篇目を立てて連署と号する謂なき事」「先ず数箇条の内『知識を離るべからざる』由の事」、そういうのを書かせる。第一に、あなたのお弟子となった以上は決してあなたを離れませんという誓約書を書かせる。そういうことが出ている。更にひどいのは「本願寺の聖人の御門弟と号する人々の中に知識を崇むるをもって弥陀如来に擬し、知識所居の当体をもて別願真実の報土とすといふ謂なき事」。
 先生を阿弥陀如来の化身と拝む、先生の居りなさる所を別願真実の浄土とする。そういう色々のことが出ている。弟子に尊敬を強要し、わしを離れてはならんぞ、わしを離れると地獄へ落ちるぞという。こういうことがあったという。これは浄土真宗だけの話ではない。
 最澄と空海、最澄はもとより比叡山延暦寺を開いた天台宗の伝教大師であり、空海は高野山を開いた弘法大師である。この両者の間には深いトラブルがあった。これは有名な話です。泰範という弟子があった。泰範は初め最澄の弟子となってそこですぐれた学問と仕事を残したそうです。後に、どういう理由があったのか高野山に入って空海の弟子になった。そこで最澄は空海に手紙をやって、あなたの所に行っている泰範は私が育てた弟子である。どうぞ返して下さいと言った。空海は、一度はあなたの弟子であったかも知れないが、今は私の弟子である。返しませんという。それはけしからん、と、そうした手紙のやりとりが残っているそうです。こういう人の間にもわが弟子、ひとの弟手という言い争いがあった。こういうことが第六章の発端になっています。しかしながらこれは人のことであろうか。私は人を教えたことがないからそういうことになる気遣いはない、わが弟子ひとの弟子というようなことは他人の話であって、私には関係ないという人もあろうが、そうではない。これらの問題を一言でいうと私有化ということである。弟子を私有化しているということである。先生はなる程人を教えて弟子を持ち、私の弟子、人の弟子というようなことがあるかも知れない。しかし主婦やサラリーマンにはないであろう。教師以外の人にはこの問題は関係のない話だと思っています。けれども私有化ということになると違う。弟子だけの問題ではない。わが子、わが夫、わが妻、広く言えば親子、兄弟、友達。それが人のものになると困るのである。これは私のものよと言いたい。私だけのものであってもらいたい。こうなると、わが弟子ひとの弟子というのは私に密接した問題である。日本の仏教の一方の旗頭といわれる人もそれで争ったのである。これは私に関係ないのでなく、大いに関係がある。自分の奥さんを私有化している人はたくさんある。奥さんが仏法を聞きに出るのを非常にきらう御主人がある。私も家内が夜出て行くのはあまり好きじゃない。これも私有化です。そういう点がある。子供も私の子供なのである。それが嫁に行ったりすると淋しい。その前途を祝ってやるというよりも寂寥感の方が先に立つとすると、本当の友でないのですね。本当の友でなく何か私的な色彩がある。私有化というものを我々は持っているのである。それはまだ公的でない。われらは如来の前に同じく同胞なのである。私有化というのはある点から言えば閉鎖性を持つ。心のどこかに密室を持っている。そこはプライベートな所で誰にも見せない、誰にも公開しない私の個室なのである。そういうものを持っている限り私有化はまぬがれない。鍵のかかった机、人の入ってこられない部屋、こういうものを心の中に持っている。それを裸になれないといいます。それを閉鎖的といいます。人間はどこかに閉鎖的なものを持っている。それがあるとわが弟子、わが友ということになる。
 信心とは何か。それは如来の前に何もかくさない。それでは何でも開放的かというと、そこをとり違えてはいけない。私達は人に絶対言えないことがある。言ってはならんことがある。だんだん責任ある地位に立てば立つ程、また職業によって医師、弁護士、あるいは人の秘密に関することを知らなければ出来ない仕事がある。そういう立場では言ってはならないことがある。言うことによって人が迷惑を蒙る。仏法のことでもそれであります。秘密の相談を受けますから他の人には言えないことがある。そういうことは言わない。これとは違う。如来の前に個室を持たない。閉鎖性を持たないとは、仏の前に私のすべてを投出して告白し懺悔するということである。それが出来ると私有化、閉鎖性を打ち砕かれて公的人間が生まれる。それを底が抜けたといいます。如来の前に何もかくすものを持たない。それを殻が破れた、ドングリが発芽したという。
 わが弟子ひとの弟子という問題は、私の関係のないことではない。私が私有化する傾向を持っている。そのとき第六章の問題は私の問題である。私有化ということがまた親分子分的なつながり、派閥、深い対立、そういうものを生んでくるのである。親しい者だけは仲良く集っているのであるが、他の者とはいつも対立している。
 外国に行きますとよくわかるように日本人と中国人、韓国人、フィリピンの人はあまり区別がつかない。モンゴリアン、蒙古族というのですが、東洋人は顔は平べったくて鼻が割と団子鼻、目と目の間がひらいているという特色があります。日本人ということはなかなか見分けがつかない。昔は大体眼鏡と写真機で日本人を見分けたんだそうです。眼鏡をかけて写真機を持っていれば大抵日本人だったのですが、最近は多くの人が眼鏡をかけて写真機を持っていますから、なかなか見分けがつかない。が、一つ見分けのつく方法がある。大体三人以上集って歩いていれば日本人と思えばいい。それに農協の旗でも立てていれば間違いない。日本人は非常にグループ意識が強い。
 大学に入った一年生と二年生の区別もすぐわかる。一年生はゾロゾロ金魚の糞みたいにつながって歩くのが多い。ははあ、あれは一年生だなとすぐわかる。二年生になるとさっさと一人で行きますからね。これが日本人の特徴です。
 パーティを開くと日本人は日本人だけ集る。そして今日は忙しかったの昨日はどうだったのと言って、外国人と仲良くするためにパーティを開いているのに、何のことはない自分達だけでコソコソ話していてパーティにならない。英語ができるできんの問題じゃないのであって、皆の中に入って行けない。そこに一つの対立感を持っている。これが我々の一番大きな欠点です。外国に行くとこのことがよくわかる。
 私がこれを痛感したのは広島の師範学校で先生をしている時です。広島県は島が多いのです。何々島というのがたくさんあって、その島から学生が来ている。その小さな島に何々の浦、何々の浜というのがありまして皆それぞれグループが違う。何々の浜で盆踊りがあった。そこへ何々の浦の若い者が行くと袋叩きにあう。同じ島でそんなこと言ってもしようがないのに、それ程小さな団結心が強い。島国だなあということがよくわかりました。広い広い所でこちらは地平線しか見えずあちらは水平線しか見えないという所にいると、何々の浜もなければ何々の浦もないのである。これはどう言っても我々の欠点です。しみついた欠点です。
 広い立場から見ればわが弟子もひとの弟子もないわけである。だが理屈はそうであるがなかなかそうはいかん。なぜかというと我々が育った風土だけでなしに、人間そのものの持つ殼、その迷いが私有化という所にある。これを仏法で言えば我見、我所見という。自己中心の思いが我見、私のものという自己の所有欲、私の持ち物という思いに執われるのが我所見。そこで「私の子供」ということに執われて「仏の子供」であることがわからない。仏子ということがわからない。私の教えた人、それは因縁があってそうなったのであって、あとから学んで来てくれる弟なんだということがわからない。どこに行こうと、広い天地の中でしっかり活躍してくれなければならないのであって、わが弟子というところに止まらないのが本当のあり方であるのに、我々は私有化の思いの中に閉鎖されているのである。これを打ち破って大きな天地に出なければならない。そこで初めて人と人とのつながりが生まれる。友よという呼びかけが生まれる。
 今申しましたのは人の話ではないのだということです。第六章は人の話ではない。人間として生きていく上の根本的な生き方を指されているのだ、これがなければ本当の人間関係は生まれないのだということを言われている。悲しいかな現在は政治家も親分子分、大学教授も親分子分、その他親分子分が多い。残念なことである。これは我々の現代の課題である。その解決は「親鸞は弟子一人ももたず候」そこに帰着する。この「弟子一人ももたず」ということ、私の私有しているものは何もございません、私有物は何もありませんと言えるところに第六章の中心点があり、真の人間関係の成立がある。

(2)師のファン化

 師のファンになっている。ファンというのはひいきであり、親分子分であり、好きなのである。ファンでない師弟でなければならない。

(3)声聞化

 弟子が声聞化している。声聞とは「その教に随順して行ずれども智慧を生ぜず」。師の教に随って実行しているのであるが、その人に信心の智慧が生まれない。そういう仏教をE・フロムは権威主義の仏教と言った。権威主義とは、力を持っている偉い師に引きずられているだけで、信心にならぬ。これを今は声聞という。
 本当は南無阿弥陀仏にならなければならぬ。これを就行立信という。権威主義は就人立信という段階であって、これだけでは信心にならない。本当の心根の解決にならない。就行立信にならねばならない。これは如来の行に就くのであり、南無阿弥陀仏に()るのである。如来の智慧によって私自身が知らされて、深い自覚と懺悔が生まれる。そうならないのが誤った師弟関係というものであって、権威主義に陥っている。その人の魅力に陥っている。感情的な段階にとどまっているのである。師弟が私的関係であって、如来の弟子とならない。


ページ頭へ  | 「六、真の師弟関係」に進む |  目次に戻る