目 次

 歎異抄に関する故細川巌師の講録を、『歎異抄講読』から順にご紹介します。現実社会との対話を常に配慮された師の息づかいが聞こえるような、みずみずしい内容です。何十年も前の講義とはとても思えません。

 スキャナーによる読みとり結果を修正したものですので、誤字がまだ含まれています。順次校正しておりますが、お気づきの方は西岡までご指摘下さい。
 なお、明らかな誤植や過度の口語表現、不自然な段落区切りなどには、西岡の判断と責任で原文に手を加えさせていただきました。

       
  歎異抄講読(前序について)    
  はじめに 
信とは何か
易行の一門
 

人間知性 
耳底の言葉
 -  刊行のことば

       

歎異抄講読(第一章について)

   
  一、はじめに
二、誓願不思議
三、すくい
四、たすけまいらせて
五、往生をばとぐるなり
六、と信じて
七、念仏
 
 


八、信と念仏

九、摂取不捨
十、信心
十一、罪悪
十二、他の善も要にあらず
 
 編集後記

       
歎異抄講読(第二章について)     
  一、第二章の背景
二、不顧身命(不惜身命)
三、往生極楽の道 
四、親鸞におきては(主体の確立)
五、ただ念仏して
六、信の無功利性
七、就人立身と就行立身
八、弥陀と釈迦
 
  九、真実は伝承となる
十、善導の御釈
十一、善導-法然 
十二、釈尊(仏説)-善導(御釈)-法然(仰せ)の関連
十三、真実(まこと)の表現
十四、独立者の誕生
十五、愚身
 - あとがき
 
       

歎異抄講読(第三章について) 

   
  はじめに 
その一    善人意識
その二  一、二つの世界 
     二、善人と悪人
その三  一、自力作善の人
     二、他力をたのむ 
     三、弥陀の本願にあらず 
  その四  一、自力の心
     二、他力の心
     三、自力の心をひるがえす 
     四、他力をたのみたてまつる 
その五    真実報土
その六    如来と人間の関係
 - あとがき 
       
  歎異抄講読(第四章について)      
  一、慈悲という言葉の意味
二、第一章から第六章までのつながり
三、聖道
四、慈悲(人の愛情)
 
  五、浄土門(往生浄土門)
六、念仏していそぎ仏になりて
七、念仏申す
八、慈悲
 
       
  歎異抄講読(第五章について)     
  一、本願の宗教
二、孝
三、一切の有情は皆もて世々生々の父母兄弟なり(1) 
四、仏道に立つとはどういう事か
五、一切の有情は皆もて世々生々の父母兄弟なり(2)
六、いずれもいずれもこの順次生に仏となりて助け候うべきなり
  七、現実人生と未来 
八、家庭の成就
九、追善供養
十、六道(六趣)四生
十一、神通方便
十二、先ず有縁を度す
 - あとがき(第四・五章) 
       
  歎異抄講読(第六章について)     
  一、師と弟子
二、専修念仏のともがら
三、我執と法執
四、専修念仏(続)
五、わが弟子、ひとの弟子
六、真の師弟関係
七、煩悩障と所知障
八、親鸞は弟子一人も持たず候
九、弥陀の御催し
  十、往覲偈(東方偈) 
十一、縁
十二、自己の方向を持つ 
十三、往覲
十四、私有化を許されないもの
十五、信心
十六、自然の理(じねんのことわり)
十七、自力のはからい
十八、寛容さ

 - あとがき 
       
  歎異抄講読(第七章について)     
  一、念仏者
二、私的人間と公的人間
三、無碍の一道
四、無碍
五、一道
六、信心の行者
七、天神地祇
八、魔
 
  九、障碍することなし
十、仏道と外道
十一、われらの関心
十二、業報を感ずる
十三、罪障功徳の体となる
十四、危険
十五、念仏者の徳
十六、信心即無碍道
       
  歎異抄講読(第八章について)     
  はじめに
一、非行
二、第四章から八章までのつながり
三、第一、二、三章と八章との関係
  四、念仏は大善大功徳
五、わが計らいにて作る善
六、非善 
 - あとがき(第七・八章)
       
  歎異抄講読(第九章について)    
  一、求道における危機
二、念仏申し候えども
三、浄土へ参りたき心
四、「…の心の候わぬはいかにと候うべきことにて候うやらん」
五、個人体験を超える
六、「親鸞も」
七、人間の発想
八、如来の発想(発願)
九、どうしたら如来の発想(発願)が人間の発想(思惟)となるか
十、煩悩の所為なり
十一、「煩悩の所為なり南無阿弥陀仏」
十二、しかるに
  十三、仏かねてしろしめす
十四、煩悩具足の凡夫
十五、わが心の深き底
十六、死なんずるやらんと心細くおぼゆる
十七、かくの如きのわれら
十八、他力の悲願
十九、苦悩の旧里
二十、いそぎ参りたき心なき者
二十一、ことに憫みたもうなり
二十二、行巻のことば、信巻のことば
二十三、煩悩のもつ意義(働き)
二十四、煩悩への対処
 
       
歎異抄講読(第十章について)    
  はじめに
一、「無義」の義と「義とす」の義
二、第十章の位置(第十章の持つ意味)
三、念仏、他力、誓願
  四、はからい
五、念仏 
六、作為の念仏から自然の念仏への道
 - あとがき(第九、十章)
       
歎異抄講読(異義篇について)    
  はじめに
一、異義とは何か
二、異義篇とは何か
三、異義篇の原点
 
四、異義篇を学ぶ意味

五、異義の根
六、異義の例
     
歎異抄講読(第十一章について)     
  一、誓名別計の異義
二、意義の三つの柱
三、異義は資糧位、加行位の段階でおこる
四、自力の心が意義の根である
五、第十一章の意味
六、第十一章の内容
  七、たすけられるということが成り立つためには
八、本願成就(信心成就)の中心点は諸有衆生の誕生にある 
九、教信行証の宗教
十、東向きの宗教、西向きの宗教
十一、行の問題
       
歎異抄講読(第十二章について)     
  一、不学難生の異義
二、学問の段階
三、勉強することの意味
四、往生の要
五、聖教の本意
 

六、聖道門
七、浄土門
八、如来の御本意を知る
九、悲願の広大の旨をも存知して
十、いやしからん身にて往生はいかが

       
歎異抄講読(第十三章について)    
  一、怖畏罪悪の異義
二、宿業はご晩年の聖人のおことばである
三、宿業の意味
四、晩年の親鸞聖人
五、救済の因は信心にある
六、廻心とは何か
七、廻心によって人はどうなるか
八、歎異抄の柱となることば
九、後世者ぶり -外に賢善精進の相をしめす-
  十、聖人の信心
十一、仏法者の陥り易いあやまち
十二、善き事も悪しき事も業報にさしまかせて
十三、本願を誇る心
十四、信心のはじめ
十五、信心決定の過程-二河譬-
十六、往生浄土の人は正定聚
十七、本願を誇ることの意味
 - あとがき(異義篇~第十三章)
       
  歎異抄講読 異義篇2
 第十四章・第十五章の講録は、平成15年1月20日に広島大学仏教青年会から出された『歎異抄講読 異義篇2』に納められています。ここにお許しを得てご紹介します。松田正典先生、寺岡一途先生(福山歎異抄の会)はじめ、ご苦労を賜った各位に心より感謝申し上げます。
 
歎異抄講読 第十四章
第一回講義 平成元年7月
  一、異義  二、異義篇とわれらの関わり  三、第十四章  四、罪を滅ぼす
第二回講義 平成元年8月
  一、弥陀の光明(如来本願の働き)  二、一念発起は信の成立   三、定聚の位   四、無生忍をさとらしめる
   五、どうしたらそうなるのか

第三回講義 平成元年9月
  一、この悲願  二、かかる浅ましき罪人  三、生死を解脱  四、報恩謝徳の念仏
第四回講義 平成元年10月
  一、摂取不捨の願  二、いかなる不思議ありて罪業ををかし  三、たのみたてまつる  四、念仏もうさずしておわるとも
   五、念仏して終わる  六、信心への道
 
歎異抄講読 第十五章
  第一回講義 平成元年11月
   一、異義の背景  二、真実宗教の骨格  三、証果  四、正定聚とは  五、どうしたらこうなれるのか(方法論)
第二回講義 平成元年12月
   一、即身成仏  二、和讃
 - あとがき(第十四・十五章) 
   
 歎異抄講読 異義篇3 
 第十六章から第十八章までのご講義は、平成8年12月に宗教法人巌松会から出された『歎異抄講讃 異義篇3』に納められています。ここにお許しを得てご紹介します。平木正則先生(京都歎異抄の会講義)はじめ、ご苦労を賜った各位に心より感謝申し上げます。
 刊行名称は『歎異抄講讃』でしたが、他との整合から、ここでは『歎異抄講読』として、紹介させていただきます。また、作業を進める過程で過度な口語表現や意味不明瞭な箇所が多数目に付きましたので、西岡の判断と責任で順次修正を加えております。巌松会サイトより原書籍の購入が可能です。
歎異抄講読 第十六章
第一回 平成2年1月24日講義
  一、自力廻向の意義   二、自力の心とは   三、断悪修善
第二回 平成2年2月28日講義
  一、一向専修の人   二、廻心とは
第三回 平成2年3月28日講義
  一、信心定まる   二、断絶の宗教   三、信心定まるとは   四、信心とは   五、往生   六、往生とは
第四回 平成2年4月25日講義
  一、信心は二種深信である   二、帰っていく世界が与えられる
第五回 平成2年5月23日講義
  一、万のことにつけて  二、往生には  三、賢き思いを具せずして  四、ただ ほれぼれと  五、、弥陀の御恩
 
歎異抄講読 第十七章
  第一回 平成2年6月27日講義
  一、第十七章の位置づけ  二、辺地往生  三、報土往生  四、信罪福心が出発点である   五、果遂の誓いが立てられている
   六、成仏は一声の念仏で足りる

第二回 平成2年7月25日講義
   一、信心欠けたる行者  二、信心一異  三、自力とは  四、第十九願-自力の信  五、如来の本願  六、再び十九願について
   七、十九願の失  八、第二十願について  九、他力の信  十、歎異抄第九章の問題  十一、第十八願への転回

第三回 平成2年8月22日講義
   一、信心   二、信心欠けたる人   三、疑いの罪   四、現実に対する姿勢   五、疑いの罪をつぐなう
第四回 平成2年9月26日講義
   一、信心の行者   二、他力の信   三、信心   四、大悲方便の願   五、十九願から二十願へ
第五回 平成2年10月14日講義
   一、西方浄土と大悲方便  二、日想観の教え  三、信の成立  四、五重の義  五、第十九願について  六、第二十願について
   七、二十願の世界  八、人間の本罪を知る  九、二十願から十八願へ
 
   
   歎異抄講読 第十八章
  第一回 平成2年11月28日講義 
  一、はじめに   二、仏となる   三、仏に大小なし   四、仏弟子に大小なし
第二回 平成2年12月19日講義
   一、二つの理由   二、布施の意味   三、知恩報徳   四、布施の心   五、はじめは自力   六、自力から他力へ
 - あとがき(第十六・十七・十八章) 
 
 
歎異抄講読(後序について) 
 原文では後序を六つの「章」に区分して解説していますが、他の章との差異が不明瞭になりますので、ここでは「節」として取り扱います。
第一節
 一、信心一異の諍論
 二、大切の証文
 三、他力には義なきを義とす
第二節
 一、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずる」
 二、「親鸞一人がためなりけり」
 三、そくばくの業
 四、懺悔と後悔
第三節
 一、二種一具
 二、機の深信を先に述べるのはなぜか
第四節
 一、人でない人(欠陥人間)
 二、如来の御恩を知らず
 三、よしあしという

第五節
 一、総じてもて存知せざるなり
 二、善悪
 三、世阿弥(花鏡)
 四、善し悪し
第六節
 一、煩悩具足の凡夫
 二、家宅無常の世界
 三、智慧
 四、まことにてあわします
 五、真実功徳と不実功徳
 六、菩薩道
 七、ただ念仏のみぞまこと

 - あとがき