今よみがえる観無量寿経 第2回 「序分概観」 |
るいれつの会(2011年5月16日)講義録
講師 岡本 英夫 先生
(一)観経の分科と三序六縁
三分科の法
前回は第一回目ということで入り口のお話をしました。今回は、序分の全体を概観してみたいと思います。
一つの経典を見ていくのに、いろいろな見方があると思います。私の場合は、と言っても自然にそうなっていくのですが、まず全体はどうなっているのか。そして部分はどうなのか。そしてさらに細かく見て、最後にまた全体を、という感じです。
まず山を見て、次に木を見、そして葉の一枚一枚を見る。さらに葉の葉脈、葉がどうしてこんなに生き生きとしているのかと、因って来たる根源を尋ねて、そしてまた全体を見る。だいたいそういう感じですね。従って、同じところを倍率や角度を変えて何度も読むということにもなります。
前回の最後に、ごく大まかに全体を見ましたので、今回は、序分のおおよその内容を見てみましょう。聖典の二-一から始まって、二-六の終わりから二行目までのところが序分です。
経典は序分・正宗分・流通分と三つに分けられます。といっても、このような分け方がはじめから経典にあるのではなく、後の人が分けたわけです。
次のようなことが伝えられています。四世紀の中国、伝来した沢山の経典を翻訳する作業が盛んに行われたが、それを講ずる者は誰も経典に分節があるのを知らず、ただ大意を述べたり読むだけのことであった。前秦の王である苻堅 が、ある僧に楞伽経 を講ぜさせたところ、やはり分節はない。苻堅は問うて、「経典は奥が深いものである。そこで説かれる問答は必ず次第や分科があるはずだ」と。僧はこれに答えることができなかったと。
このことを聞いた道安は、分節がわからないのは恥ずかしいことであると、二十部ほどの経典を講義するのに、序分・正宗分・流通分の三科に分けて行った、ということです。
道安という人は、仏図澄 の教えを受け、鳩摩羅什 を招聘し、廬山の慧遠 を生み出した中国仏教初期の開拓者と言われる人です。戦乱の打ち続く時代に人々の師と仰がれて数千の弟子を教え、仏典の注釈・編纂・読み方の確立など、仏教史上新しい局面を開拓して仏法を興隆させた人です。
どこで区切るかの問題
このようにして経典を三分科する読み方が定着していくわけです。そこで問題となることは、三分科しかありえないのかということと、三つに分けるにしても、どの位置で区切るかという問題が出ます。
それはどちらも読者に自由に任されているということなのでしょう。しかし、自由であるからこそ、読み方は大切なものになります。安易に区切ると跳ね返される。経典の正意が表わされるかどうかは、全体的視野のところで言えば、この分け方にかかっているからです。
自分はここまでを序分とすると言えば、その人にとってはそうなのです。ですからいろいろな解釈の仕方があり得るわけで、そこのところがおもしろい。けれども、どこまでを序分にするかは、経典全体の内容ときちんと整合性を持っていなければなりません。
たとえば、お釈迦様が登場したから、そこからが序分だとか、教えが説き始められたから、そこからだとか、単にそういうことでは決めつけられないのです。全体との関わり具合は大丈夫か。なんといっても「仏説」が表に現われるように読まねばなりません。区切るべきところはどこか。それが分かっているのは説かれた仏陀だけなのだといってもいい。そういう問題があるのです。
私たちは善導大師の読み方に即して、即ち区切り方に即して『観経』を読んでいこうと思っています。それが浄土真宗の読み方になっているからです。親鸞聖人は善導の『観経』の読み方を押さえて、「善導独 り仏の正意を明らかにせり」と讃えられました。親鸞によって勧められている善導の読み方を、仏の正意を受けとめた読み方として、私たちが『観経』を読む指南とさせていただきたいと思います。
もちろんそれとは違う読み方をしてもいい。但し、それによって浄土真宗の宗旨から外れてはいけない。自分は教えの通りに正しく読んでいるのだといくら主張しても、読んでいる自分自身に何らかの問題があればどうなるでしょう。仏説を人間説或いは私説の教えに引きずり落としてしまうことがよくあるものです。逆に新たな読み方をすることによって真宗がもっと明らかになるというのであれば素晴らしいことだと思います。
善導の分け方
善導大師は『観無量寿経』を読むときに、歴史的な道安の三つの分け方を当然受け入れます。そうしないと皆に通用しないわけですから。しかし、ただこの三つの枠にはめ込んでしまうというのではなく、この分け方を踏まえつつも、それに加えて独自の領解をしたのです。
それについては前回の最後のほうで少し申したと思います。序分と正宗分は同じですが、流通分に移る前に、利益を表す「得益分 」というものを設けました。『観経』の利益は、この経全体の中のどこにどのようなものとして描かれているのか。このことの指摘が正宗分を終えた直後にあるのだと。「得益分」は観経全体の読み方を決定するものとして出されているのです。大変独創的な押さえがされています。
そういうわけで「得益分」はとても大事な一段です。お話しはそのうちそこまで進むと思いますが、しかし、これは全体三〇頁あるうちの二九頁あたりに出てくるものですから、だいたい十年後になります。遠い先ですね。そこまで待てない感じですので、時々先取りして触れていくことになりそうです。
「得益分」の大事さというのは、ここに立てば全体の構造がよく見えるのです。『観経』は複雑な構造を持って説かれています。この複雑さをどうすればすっきり明解に整理できるか。それはこの「得益分」に立てばできる。それが私の印象です。未知数がいっぱいあったはずなのに、ここに立てば、即ち『観経』の利益はこれなのだという地点に立てば、それら未知数がバタバタと消えて、経典が単純明快な装いをもって新たに立ち上がってくる、というようになります。その一点を善導は見つけたのです。『観経』を正しく読んだ人ということでしょう。
もう一つ、これもまた独特のものですが、最後に「耆闍会 」を位置づけたということです。そこに至るまでの教えは王宮での教え「王宮会 」だった。お釈迦様が王宮の牢獄の中にいる韋提希のところに行かれて、教えを説かれた。説き終わって、お釈迦様と阿難・目連が耆闍崛山 に帰られ、そこで今度は、阿難がお釈迦様に代わって、王宮で説かれた教えをその通りに説いた。それが耆闍会です。
『観経』の正式な名前は『仏説無量寿観経一巻』だと善導は言います。王宮での会座と耆闍崛山での会座の二つの会座によって一巻の「一」が成り立っているのだと。二つの会座の成立によってはじめて「観経一巻」が成立する。王宮会だけでは成立しないのだと。
これを「一経両会 」と言います。経典が説かれ、歴史の中を伝え抜くとはどういうことか。王宮会の観経の教えと、今日説かれる教えとはどのような関わりがあるのか。即ち私が今経典に触れるとはどういうことなのか。このことについて目を瞠 るような領解がなされたのです。
このようにして善導大師は、一応三分科法に基づきますが、さらに得益分・耆闍会という独特な分科をなし、全体を五つの部分に分けました。三分科法を作った道安さんも、これは驚いた、というところでしょうか。
三序六縁
さて、今日はその序分のところです。序分を見るときに、いろいろな基本的な問題点というかテーマがあります。これは初めに申し上げるよりも、本文を読んでいく中で感じとっていかれるのがいいわけですが、大まかな見通しとしていくつか挙げてみましょう。
まず一つは、この経典が説かれる状況或いは因縁が説かれます。どのようなことがあってこの経典の教えが説かれるようになったのか。これが当然一番の問題になります。そこにはじつに私たちの存在のあり方が明かされ、仏法との出遇いの必然性が説かれるのです。
次にどのような教えが誰に対して説かれるのかということです。一口に仏教の教えというけれども、それはいったい何なのか。その教えを前にして人間存在の本質は何なのか。両者の厳しい対比が示されます。
さらには、人間存在が如来真実の教えを聞くことは、どのような条件の下ではじめて可能となるのか。また、教えを聞きこの道を求めようという決心と出発はどのようにしてなされるのか。人間と仏法との両者の出遇いが説かれます。
もう一つ挙げれば、如来本願の教えは誰に向けて説かれているものなのか。この経典に登場する韋提希だけに向けての教えなのか。それは即ち、韋提希はこの教えを聞いて自分の救いだけを考えてよしとするのか。
そしてこれらのことがいったいどのような世界の中で繰り広げられているのか。つまり、人を仏法に出遇わそうとする根源の力は何なのか。およそこのような問題が序分の中で問われます。
具体的に見ていきましょう。一々の言葉の意味などについては、また次回ということにして、今日は序分全体を大まかに見ていきます。
一頁から六頁までが序分ですが、この序分は三つの「序」と六つの「縁」で全体が構成されています。これを「三序六縁」と呼んでいます。三つの序というのは、視覚的に図示しますと、まず全体が「証信序」と「発起序」に分かれます。
序 分
六 縁
発
起
序
化前序
証
信
序
発起序の中は二重の構造になっていて、上側に六つの内容が説かれ、これを「六縁」と言います。下側には「化前序」といわれる序があります。下の「化前序」が上の「六縁」を支えるという構造です。
「六縁」のそれぞれの名称は、第一が禁父縁(ごんぶえん・きんぷえん)。阿闍世が父親を牢に禁ずるという内容です。「縁」というのは、そのことが如来本願が人間世界の上に現われる縁となるということでしょう。父を牢に禁ずるという血なまぐさい人間的な行為が、じつは如来本願がそこに現われる縁になる場であるということです。悲劇が人間が如来と出遇う接点であるということで、序分の重要なテーマです。
第二は禁母縁(ごんもえん・きんもえん)。阿闍世の母が韋提希です。獄中の主人を助けようとしますが、逆に阿闍世によって殺されそうになり、結局牢に閉じ込められてしまいます。そのことが縁となって仏法が現われてくるわけです。
三番目が厭苦縁 です。幽閉された韋提希が、憂い苦しみの中からお釈迦様に救いを求める。しかし、その心はどうなのか。お釈迦様は耆闍崛山から来たって韋提希の心の底の願いに応えようとします。
四番目が欣浄縁 です。お釈迦様の配慮に満ちた教えによって韋提希は阿弥陀の浄土を欣 います。愚痴の凡夫の上に、どうして真実の世界である浄土を願うことができたのか。韋提希の聞法の歩みがここから始まります。
五番目が散善顕行縁 です。韋提希は教えを聞き始めようとしますが、じつはその心は如来本願の教えを受けとめる状況にはありません。本願の教えは凡夫の自覚があるところにはじめて受けとめることができるのです。その凡夫の自覚をなさしめる教えをお釈迦様は説かれます。
最後の六番目が定善示観縁 です。序分の結論部分です。阿弥陀の世界は人間の思いで見ることはできない。人間は真実の力があるように思うけれども、じつは何もない。ただ仏力によってのみ阿弥陀の世界に出遇うことができる。この道理が説かれ、これを韋提希は理解し、自他共に救われていく道を歩み始めるのです。
以上が「三序六縁」の「六縁」についての概略です。六縁の内、二縁ずつがセットになっているようです。禁父縁と禁母縁は悲劇を表します。王舎城の悲劇と言います。人間の悲劇性が仏法に出遇う縁となることを説くのです。続く厭苦縁 と欣浄縁が如来と衆生との出遇いの場面です。両者の出遇いのところに何が起こるのか。一言一句も見逃せないような教えが説かれます。
最後の段階が散善顕行縁と定善示観縁です。教えを聞くことができるためにはどのような条件が整わなければならないか。その条件が整った時点で、やっと序分は終わる。終わることができて次の正宗分にバトンタッチできる。私たちもまた、聞法の歩みを行っていく上で、しっかり確認しておく必要のあるところです。
六縁を支える化前序
この六つの縁は、じつはあるものに大きく支えられて展開をしている。このことに気づいたのが善導です。悲劇の受けとめと如来との出遇い、そして教えを聞く歩みの出発、それらを支え推し進め展開させるもの、善導はそれを「化前序」として表しました。お釈迦様が韋提希を教「化」なさる「前」に、耆闍崛山において、ある重大なことが明らかになっていたことを表すのです。
それは「阿弥陀の本願まします」ということです。阿弥陀の本願ましましてあらゆる者を真に救うことを、お釈迦様は明らかになさった。明らかになったその本願の教えを韋提希に説くために、王宮にやって来られたのです。悲劇が仏法に出遇う縁になるとは到底思えない。なぜそうなるのか。それは、仏法のほうに悲劇を縁にしてはたらく願いと力があるからなのです。
人間のあらゆる現実を大地のごとく根底から支え、現実にはたらきかけ、現実を展開させて、真に生きたものたらしめる。この如来本願・南無阿弥陀仏の大いなるはたらきが、あるゆる人間世界の現象の底にある。これがこの世界の真相であり、構造であることを、善導大師は自ら本願に出遇うことによって知らされたのです。「化前序」は如来と人間の関わり合いを示す見事な領解であると思います。
阿弥陀の本願は私達のところにその姿を、現わそう現わそうとしている。けれども私たちはそれに、出遇うまい出遇うまいとしている。これまでは出遇うまいという思いが通用してきたけれども、ついに自分の生き方が破綻して、もはや通用しなくなる時が来るわけです。その破綻が禁父縁・禁母縁で表される悲劇なのです。さらに思いが通用しなくなって、もうどうにもならなくなるのが厭苦縁でのところです。
土台として阿弥陀の本願ましまし、人間における悲劇を縁として本願はその人にはたらきかけ、歩みをなさしめて行く。本願がこの者にはたらいて、ついに本願の教えを聞く者として立ち上がらせ、歩ませ、救いを得させていく。そうなさしめる一番根本のもの、即ち阿弥陀の本願まします。人間の現実よりももっと深いところにまします。このことを表すのです。上のほうが私達の現実生活。その下に阿弥陀の本願まします。これが私達の世界の構造なのだと。
ですから、この世界、私の人生というのは、現実の現象面で展開しているものだけが私の人生ではなくて、それを根本から支えて、その現実の人生を縁にして、そこを出口にしてはたらき出よう、現れ出ようとしている如来の本願があるのだということです。これが人生のもう一つの内容なのです。現実人生と如来の本願、この二つの内容が私の人生なのだと。
「化前序」は善導大師独自の領解です。普通は「序」といえば、「証信序」と「発起序」なのです。「証信序」は、この経典が真実であることを証明する一段です。何をもって証明するのかといえば、信心の成立によってなのです。この教えを聞くことによって信心が成立する。人をして信心を成立せしめることができる経典であるということで、真実の経典だと言えるのです。このことを表わすのが「証信序」です。
もう一つが「発起序」です。先ほど申した、そもそもこの経典が説かれる因縁・状況・背景、これらを表わします。経典が発起する因縁です。この二つの序に善導大師はもう一つ加えられた。それが「化前序」です。
そこで化前序の序分の中での位置をもう一度確認してみましょう。序が三つあるわけですが、三つが同列に並んでいるのかといえば、そうではありません。並んでいるのは証信序と発起序の二つです。そしてその発起序の中に化前序があって、六縁を下から支えている。その全体を発起序というのです。今確認すべき大事なことは、化前序は発起序の中にあるということです。逆に言えば、発起序はその内に化前序を含むということです。
分かりやすく言えば、発起序は経が説かれる因縁、具体的には人間の悲劇がその内容です。化前序は如来本願ましますということです。その両者が上下の構造となっているということは、如来本願は経が説かれる因縁である人間の悲劇の中に、或いは元にあるということを表わします。逆に言えば、人間の悲劇は内に如来本願を抱えているということ。このようになります。即ち、人間の悲劇はただ単独にそれだけでこの世に起こるのではない。必ず如来本願と深い関係を持って起こるのだということです。
これはじつに素晴らしいことと言わざるを得ないでしょう。私たちは、時に悲嘆にくれ、時に絶望的な苦しみに陥るかもしれない。その時は、あるのはただ悲しみや苦しみだけだと思え、世を呪い、運命を怨み希望を失うことになるでしょう。しかし、そうではないのだということです。どのような悲劇的な現実も、その元に如来本願との密接な関わりを持ったものとして存在している。だから、悲劇が起こって、ただそのまま事態が悲劇的に進むのが本来の姿ではなく、その悲劇を縁となして如来本願がその人の上に立ち現れてくる。その本願を内に持って、あらゆる現実が起こっているのだということを表わすのです。
発起序の中に化前序があるということは、序の中にまた序があるという不自然な感じもしますが、如来と人間との関わりをより的確に表わそうとして、このような構造となったのではないかと思えます。
(二)証信序から発起序へ
如是我聞
さてそれでは、もう一度最初から、少し文面を見ながら見てみましょう。最初の証信序は、この経典が真実であることを証明するものです。具体的には信心の成立を表わします。「如是我聞」「是の如く我れ聞きたまいき」。意訳すれば、「私は今から申し上げるように教えをお聞きして、これによって私は信心を得ることができ、救われることができました」ということですね。
具体的な人がこの教えによって救われたという事実が大事なのです。素晴らしい教えがあると言って奉っているだけではいけない。またそれを聞いても、観念的に聞いたり、自分の考えのほうに従わせてはいけない。実際にこの教えを聞き、歩みを踏んでいくことによって、教えの示す通りに救われていくという、その事実が大事なのです。
最初の「如是我聞」がそのことを表わしているのです。「如是」このように私は教えを聞いて信心を得て救いの身となったのだと。信の成就です。「我聞」は真に聞くべきことを聞くことができたということですね。聞の成就です。 「このように私は教えを聞いて信心を得ることができました」と、「我」が言ったのです。この「我」が具体的な人ですね。
「是の如く」と言って示している内容は、自分が聞き得た教えなのです。それも厳密に言えば、説かれた内容と、それを聞いて「なるほど」と聞く者が思った内容とは、比べてみれば全く同じというわけにはいかないかもしれません。人が違うのですから多少の違いはかまわないと思います。もちろん教えの趣旨が違えば問題ですが。ですから、大きく言って、説かれたことがそのまま相手に伝わったと見るべきです。
教えをこのようにお聞きして、それで私が救われた。そこで、「皆さんも私を救ったこの教えを聞いて、どうか救われてください」と、こういうことになりますね。このような姿勢で説き始められ、そして説き示されているのが『観経』だと、経典は大体このようになっているわけです。
ではこの「我」とは一体誰なのか。じつはこの経典によって救われた全ての人を指すのです。何万何千という人の名前がこの「我」のところにある。「我」の文字の所に一人ひとりの名前を書いて貼り付ければ、その箇所だけものすごく分厚くなる。「私はこの教えによって・・・」「いや私もこの教えによって・・・」「私もまた・・・」となって、これまでに救われた人がこの一点に集まっているのです。そのように思ってみられればいかがでしょうか。
ですから、今日の『観経』のこの「我」と、百年後の「我」とは、文字は同じでも厚さが違うはずですね。これからの百年で多くの人が救われるでしょうから。ということは『観経』は生きているということです。人を救って自らも変わっていく。経典は生きている。骨董品では無いのです。
如来本願という真実なるもののはたらきを、私たちにわかりやすく表わしたのが教えです。本願を直接的に受けとめることは難しい。そこに具体的な教えの登場が待たれるのです。それをなすことができたのが釈尊であり、仏教の歴史の中を生きた人々です。ですから、私はこのようにお聞きして救われましたと言えることは、教えを通して本願に出遇ったことを証明することになる。大変重要で責任のある発言ということになります。
証信序の次が発起序です。この証信序と発起序との分かれ目が善導の場合独特なものがあるわけです。普通は六つのことが成就していることをもって証信序とします。これを六事成就と言います。六事とは、信・聞・時(教えの説かれる時)・主(説く人)・処(説かれる場所)・衆(説く相手)の六つです。
しかし、この六事について善導は独特な押さえ方をしました。最初の信と聞の成就の二つだけを切り取り、これをもって証信序とし、それ以降の四つの成就を発起序の中に位置づけ、化前序としたのです。
今このことを簡単に一言だけ申しておきますと、「一時、仏、王舎城耆闍崛山に在し、大比丘衆千二百五十人と倶なりき。菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首とせり」という四成就の内容が表わすものは、耆闍崛山で『大無量寿経』が説かれ、如来本願があらゆる者を救うことが明らかにされたということを表わしているのです。要するに前述のように、「阿弥陀の本願まします」このことが明らかになったことをもって善導は化前序としたのでした。
教化の前に既に本願がある。その本願の大地の上で人間の現実が繰り広げられ、その悲劇性が因縁となって本願が人間のところに現われ出てくる。本願が下、或いは前。人間の営みがその上、或いは後。この上下、前後関係が大切なのです。
私達は「本願まします」世界に生まれ出ているわけです。その私たちがなすことのすべては、本願との具体的な関わり合いをもって初めて人間本来の行為となり得る。いかに人間存在が「本願」的存在であることか。その本願ましますことを悲劇の渦中の者に教えるのがお釈迦様なのです。
王舎城の悲劇
さて、一頁の四行目からが禁父縁です。この禁父縁と禁母縁が具体的な悲劇、いわゆる王舎城の悲劇を表わす内容です。「その時、王舎大城にひとりの太子あり。阿闍世と名づく。」とあるように、舞台となるのは王舎大城、一国の王宮です。そこに王と后と子供が一人住んでいる。頻婆沙羅王と韋提希夫人と阿闍世太子です。悲劇の展開はおよそ次のようなものです。
王と后の間には世継ぎがいない。占っててもらうと、山に仙人がいて三年の寿命の後に死んで、あなた方の子供として生まれ変わってきますよと。
調べたところ仙人はいる。しかし、王も老いて三年の寿命は待てないと。仙人にすぐに死ぬことを要請するが仙人は断る。「俺は王なのだ。我が領地にあるもの住むもの、すべて俺のものなのだ」と王は仙人を殺す。仙人は「預言通りにあなた方の子として生まれ変われば、大きくなって必ずこの仕返しはさせてもらいますぞ」と言い残して死んでいく。とても面白いお話です。
二人は仙人の怨みの言葉が忘れられない。夫人が懐妊する。いよいよ生れる時が来る。どうするか。仙人の言葉を思い出し、残念だけれど子供には死んでもらおうと。高い塔から産み落とし、死産を装おうとする。
ところが赤ん坊は小指を一本折っただけで奇跡的に助かる。小指が折れていることを知る国民は陰で王子を「折指太子」と呼ぶ。そのような思いを皆に持たせて王子は大きくなる。子どもの成長の在り方ですね。阿闍世にはこのような出生の秘密がある。人間の悲劇性の始まりと言うべきでしょうか。
一方、提婆という人がおります。「調達悪友の教え」とあるのが提婆の唆 しです。提婆はお釈迦様のお弟子で、お釈迦様と従兄弟です。二重の眷属 関係にある。堤婆はしかし、完全に悟りを開くことができない。一点克服できないところが残っている。野心ですね。権力欲です。仏弟子になっていても、いよいよの最後の一点は、仏法よりも野心のほうを取る。
お釈迦様とは子どもの頃からのライバルでした。提婆も優秀ですが、お釈迦様のほうがもっと優秀。いつも提婆は負けた。これが怨念となって残り、最後は仏教教団に入ってもお釈迦様を殺そうとする。そして自分が教団の主になるのだと。殺人未遂事件は何回もあります。それだけでは済まず、一国の王を王子に殺させる。背後で自分が政治権力を握ろうと、そこまで考えたのですね。
提婆が阿闍世に近づく。その近づき方には尋常ならざるものがあります。王を殺した阿闍世にも深い苦悩がある。愛する夫と息子をかばう韋提希のけなげな行為。因縁深い王宮の人々の悲劇を悲しむ釈尊の心。禁父縁・禁母縁で構成される王舎城の悲劇の描写には、人間とは何であるかの悲しいほどの姿が描きつくされます。しかし、誰がいったいこの悲劇から逃れることができるでしょうか。
阿闍世は父王を牢に閉じ込め餓死させようとします。しかし、しばらくたって死んだはずだと思って牢番に尋ねたところ、まだ生きていると。なぜか。母の韋提希が食べ物を運んでいたのだと。狂ったように阿闍世は母を捕まえ殺そうとします。しかし、宰相の月光大臣と家臣の耆婆が阿闍世王を誡めてやめさせます。刀を降ろした阿闍世は韋提希をも牢に閉じ込めるのです。
悲劇の人間
「王舎城の悲劇」が『観経』の発端となっているのですが、この「悲劇」ということが問題点の一つです。普通悲劇に対しては喜劇を挙げるでしょう。とすれば、人間には悲劇もあれば喜劇もあることになり、悲劇は人間の一面的なことに過ぎなくなります。しかし、ここで言う悲劇は、「人間の(中の)悲劇」ではなく、「悲劇の人間」という、人間が持っている根本からの悲劇性、或いは人間そのものが悲劇的な存在であることを指しているのです。悲しんでも喜んでも、その全体が「悲劇の人間」のあり方であるのだと。
しかしその悲劇性は、単に人間は悲しい存在であるということだけで終るのではない。人間のあり方を悲劇的だと見たのはいったい何者かということです。人間自身はそれはできない。だから、悲しい時には楽しいことをして「憂さを晴らす」のです。悲しいことは何かをすれば晴れるのだという意識で生きている。
人間の根本的な悲劇性を見たのは如来なのです。如来だけが人間を「悲劇の存在」と見ることができる。それは、悲劇の人間存在を救う責任を如来は荷われたからであり、救いを実際に成し遂げることができるからです。「悲劇」の言葉は、悲劇から逃れようとする人間の心から生まれたのではなく、人間にはたらきかけ救いをなさしめようとする如来の心から生まれた言葉なのです。悲劇の存在が人間の正体であり、それゆえに救うのだと。
その如来が、繰り広げられる現実の人間の悲劇的状況の底にあって、生き方の破綻が起こるのを満を持して待っている。悲劇の人間あり、その下に、それを救わんとする如来あり。上が六縁、下が化前序。これが発起序の構造です。
人間の悲劇性をよく表わすもの、この世で繰り広げられる悲劇的なものの最たる物と言えば、親子の殺し合でしょう。悲劇を通り越して絶句するほどのものです。これは昔からそうなんでしょうが、今日は数が多くなったのかもしれない。
いろいろな親子間の殺人がありますが、高齢化や若い親の成熟度の問題が出てきました。以前はそれほどではなく、現代特有の現象なのかもしれません。今後はどうなっていくのでしょうか。大きな問題です。
いずれにしても、人間の悲劇的現実は、ただそれだけのものとして存しているのではなく、下に如来本願を持っている。本願は悲劇の人間にはたらきかけるのです。そして必ずこの者を救う。
私達は自分の思いで「必ず」ということを要求し、作り上げようとしている。しかし、「必ず」を成就する力は人間自身には無い。それがあるのは如来本願だけなのです。悲劇的な私達にはたらきかける本願があって、必ずあなたを救うぞと力を及ぼしてくる。それは必ず私達に届く。本当の「必ず」がここにはあるのです。「必ず」は人間の言葉では無く、これもまた如来の言葉ですね。如来だけが「必ず」と言える。私たちに向けるこの「必ず」に、お互い是非とも出遇っていきたいですね。
十五聖者
『観経』は、特に序分には韋提希をはじめ多くの人が登場します。その登場人物を親鸞聖人は独特な位置づけをして受けとめられます。聖人は浄土和讃をつくられる中、はじめに讃阿弥陀仏偈和讃をつくられ、次に『大経』『観経』『阿弥陀経』の浄土三部経の和讃をつくられますが、その前に、『観経』に登場する人たちの名を挙げるのです。
そこには合わせて十五人の名があり、四つのグループに分けて挙げられます。第一が阿弥陀如来・観世音菩薩・大勢至菩薩です。これらは正しく仏様のことで、観音・勢至は阿弥陀の慈悲と智慧のはたらきを表わします。その名は直接序分には出ませんが、智慧と慈悲の阿弥陀に出遇ってほしいという願いのもとにお釈迦様は耆闍崛山から来られるわけです。教えが説き進められていって、遂に第七観の華座観の前で空中住立の阿弥陀に出遇うことになります。
第二は釈迦牟尼仏・富楼那 尊者・大目犍連 ・阿難 尊者です。お釈迦様とそのお弟子ですね。幽閉された頻婆沙羅王は親しい目連から戒を授けてもらって心を安んじようとしますが、お釈迦様はそれに加えて説法第一の富楼那尊者を遣わし、王のために法を説かせるのです。そして自らは韋提希の心の底の願いに応えようと、目蓮と阿難を連れ、耆闍崛山から王宮の牢獄の中に至ります。
第三は頻婆沙羅王・韋提夫人・耆婆 大臣・月光大臣です。王宮に住んで阿闍世によって幽閉される二人と、阿闍世が韋提希を殺そうとするのを諌 め止めた二人の大臣です。月光は宰相で政治行政のトップです。聡明利発な彼は阿闍世を止めるのに自分一人で行かず、耆婆を連れて行きます。耆婆は阿闍世の異母兄であり、仏法を聞いている者だからです。月光によって誡められた阿闍世は、どうすればいいかを耆婆に向かって尋ねるのです。
第四は提婆尊者・阿闍世王・行雨大臣・守門者です。王を殺すという逆悪を犯した実行犯と教唆者と協力者たちです。
悪業のもとは提婆ですが、彼に「尊者」の敬称がつけられています。行雨大臣は『観経』には直接登場しませんが、提婆が阿闍世を唆 す際の核心的内容である「親が自分を殺そうとした」という過去の事実を、訝 る阿闍世に向けて証明する者です。この証明がもしなければ事態は変わっていたかもしれません。守門者は入室が厳しく禁じられていた牢へ韋提希を入れます。皇后の権威に負けたのです。彼が皇后を阻止できれば、また事態は変わっていたでしょう。
この十五人によって、人間の悲劇的現実の営みと、これを救う仏法側の陣営の、それらすべてが挙げ尽くされているのでしょう。仏の救いのはたらきは、人が善を行ったからそのご褒美になされるというのではありません。悲劇の人間の避けられない悲劇性ゆえに、真実の如来が大悲の心を起こして救おうとなさるのです。
では、その悲劇性とは何でしょうか。これが三部経が挙げて説く内容なのです。一言で言えば「仏智疑惑」です。如来の私を救おうという真実まごころを信じることができない。その心を疑い受けとめないのです。真実を信じることができない。ここに底なしの悲劇性があります。
もはや支えるものが何もなく、ただ堕ちるしかないのが悲劇的人間のあり方です。この仏智疑惑の人間存在、救われる可能性のない人間存在を救おうとするものこそ真実なる如来なのです。
如来が救いのはたらきをなす時に、重要な役割を果たす者が必要になります。それが諸仏です。悲劇の現実を生きる人間が、その悲劇を生み出す様々な現実の人や事象を諸仏として受けとめることができるときに、如来の願いはその人に伝えられていく。この道理のところに、如来本願ははたらくことができ成就していくのです。
この如来の救いのあり方を三部経で説きます。従って、三部経についての和讃を作られる前に親鸞聖人は、三部経による如来本願成就をならしめる如来側と人間側のすべての者を登場させ、あなた方によって人間の救い、私の救いが可能となりますと、深甚の御礼を申し上げているのではないかと思います。
聖人は観経和讃の中に、「大聖おのおのもろともに 凡愚底下のつみびとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり」とうたわれ、この人たちを「十五聖者」と仰がれるのです。私たちもまた、お互い自らの人生の中で、自己における具体的な十五聖者の輪郭を次第にはっきりさせていく思惟をしていくことが、懺悔と感謝の深い歩みにつながっていくことになるでしょう。
仏と人との出遇い
六縁の三番目から場面が変わります。厭苦縁そして欣浄縁と展開します。韋提希とお釈迦様の出遇いが厭苦縁、阿弥陀の世界に生まれていく歩みを始めるまでが欣浄縁です。ここは大変な場面であり大変な内容のところです。山のようにたくさんのテーマがぎっしりと詰まっています。
それもそのはず、王舎城の悲劇以後、お釈迦様と韋提希が初めて出遇う場面です。大きく言えば、仏と人間との出遇い。救う者と救われる者が出遇うところに何があるのか。両者が出遇い摩擦が起こるその火花の中に、両者のすべてがあるとも言えそうです。
厭苦縁は韋提希の救いの始まりと言ってもいい。韋提希は頻婆娑羅王に従ってお釈迦様の教えを聞いていた。本格的ではなかったようですが、しかしその因縁が生きたわけです。獄中にあって愁憂する中、他のものにではなく、お釈迦様に救いを求めたのですから。
仏法と人との出遇い。考えて見れば不思議なものです。悲劇的なとしか表現のできないものの考え方をする人間が、じつに如来本願を説こうと願うお釈迦様に出遇ったのです。両者が出遇った時に何が起こるのか。経文の一々、善導の解釈の一々は目を外せない宝のような内容です。その詳細は後日ということにしますが、今は、出遇いとはどのようなものか。その周辺を尋ねてみましょう。
出遇いは壮絶なものです。それは私たち自身の場合を考えてもそうだったでしょう。お互い仏法に出遇って、この教えを聞いていこうと前向きになる。しかも自分の責任で聞いて行こうと大きな主体と強い意志が生まれる。そうなるまでには壮絶な心の戦いというか、心の中の嵐というか、そういうものが皆さんにおいても起こったであろうと思います。
韋提希におけるその戦いの始まりが厭苦縁です。私たちもそうだと思いますが、かつての出遇いの頃の具体的なことは、結局は有り難いことになったけれども、やはり言わないでほしい、表に出さないでほしいという面もあると思います。厭苦縁は韋提希におけるまさにそういう場面です。
後から振り返ってみて、お釈迦様、もうおっしゃらないでくださいと言いたいようなことですが、しかし、まぎれもなく、このことがあったからこそ教えに出遇い聞いていこうということになった。そういう意味でとても大事なことだったのです。
韋提希がお釈迦様に出遇ったといっても、そのすべてに真髄の底まで出遇ったということではありません。まだまだ表面的な出遇いです。しかし、いかに表面的であろうとも、お釈迦様はそこにおられる。ここに二つの問題が浮き上がります。
一つは、出遇いは最初は浅くとも、そこから次第に推し進められ深められていく、その未来の展開が輝いて見えるということ。もう一つは、お釈迦様は目の前におられるのに、なぜすぐにすべてがわからなかったのかということ。前者がこれからの歩みを指し示し、後者が仏に対する人間の問題性を指し示しています。
出遇いと言いますが、じつはお釈迦様のほうから韋提希のところへと一方的な動きによって出遇いは生まれたのです。韋提希自身は来てもらいたくなかった。仏に救いは求めたものの、仏自身には来てもらいたくない。依然と強い自らの「我」の心が優っているのです。真実に対して計らい利害を計算する心。人間の愚かさと悲しさがはっきりと顕れています。
韋提希は来てもらいたくないけれど、お釈迦様は韋提希の問題と心の底の願いを知っており、その問題を解決し、願いを満たせるのは自分だけだということはわかっている。当然のことですが、人が人の問題点を見ることができたり、願いを知ることができるのは、こちら側に、それを問題と見ることができる智慧があり、その願いに答えていける慈悲があるからです。
こちらの智慧も慈悲も浅ければ、相手の問題も願いもよくわからない。発する一言の持つ意味がよくわからないことになります。お釈迦様は阿弥陀の本願に出遇われたお方です。真実の智慧と慈悲のはたらきに自らが出遇い救われたお方です。そのお釈迦様が韋提希の前に来られたのです。
一方の韋提希は、お釈迦様の存在意味がよくわからない。その智慧にも慈悲にもまだ出遇っていない。しかし、全くわからないのかといえばそうでもない。では韋提希は自分自身はよくわかっているのか。わかっているつもりでしょうが、よくはわからない。韋提希においてその曖昧 な者同士が出遇いを続け、両者を明らかにしていくのです。その歩みが今から始まる。
出遇いで見えて来た仏と人間の姿
来てほしくない、出遇いたくないと思っていたお釈迦様が目の前に現れます。それによって韋提希の身の上に起こることや内面の変化などは凄まじい内容のものです。お釈迦様、頼みもしないのに何であなたは来たのですか、という感じです。自分たちが可愛がっていた子どもが、父親を殺そうとし、自分までも閉じ込めてしまった。どうしてこんな目に会わねばならないのか。
自分に何か至らないことがあるのかとも思ったが、そういうことでもない。阿闍世はいい子だった。それがあの提婆様の唆 しによって、こうなってしまった。お釈迦様、あなたは教団においては堤婆様の監督者でしょう。従兄弟でもあるのでしょう。そのあなたは何をしていたのですか。それでも仏様なのですかと。このようなことを韋提希はお釈迦様に言ったのです。
先ほども申したように、後に韋提希が教えを聞き続けていって遂に阿弥陀にお遇いをしたとき、仮にお釈迦様から、お前は以前、私にこのようなことを言ったなあ、と振り返られたとすれば、韋提希は顔を真っ赤にして、お釈迦様、あの時のことだけは仰らないでくださいと懇願したかもしれません。それがじつは宝の山の出来事であったわけです。
仏様を前にして、その仏様を信ずる心が大事です。ではその信ずる心はどこから生まれるのか。私たちははじめから信ずることはできない。信じない心から信ずる心は生まれるのです。信じない心や反発する心を除いて、新たに信ずる心を起こすというのではありません。除けば、心そのものがなくなってしまいます。信ずる心など新たに生まれようもありません。仏を信じない心、否定する心が、仏様のはたらきを受けて段々と変わっていくのです。信じないという形を取っている心は、宝物のように大事なものです。
私達は仏法に反発する心を悪い心と思いやすい。仏様を嫌い反発するような心を起こしてはいけません、という感じですね。しかし、仏様の眼から見ればそうではないのだと思います。仏様は、反発するその心をほんとに大事に頂いて下さって、その心でいいから、その心がいいのだから、その心をもって教えを聞いてくれと頭を下げられるのです。これが仏様の私達に向かわれる姿勢ではないでしょうか。仏に反発する心を前にして、仏様のほうが頭を下げられる。私たちの仏に反発する心はそれほどに宝物なのです。
私たちは善悪の価値観に囚われている。仏様は全く次元を異にして善悪は言われないのです。善だからいい、悪だから駄目だというような価値判断はされないのです。どんな者であろうと、その者を救ってゆく。善悪ではなく真実の価値観と言うべきでしょうか。
韋提希がお釈迦様にお遇いをした時、いろいろな思いが噴出します。その内容は、人間とは一体何なのかを明らかにしているのです。またお釈迦様の方から韋提希のところに行かれたわけですが、そのお釈迦様とは一体どういうお方なのか。そもそも人間とは何か、仏とは何か。両者の最初の出遇いというか、ぶつかり合いがここで描かれるのです。
韋提希の次の発言が人間存在の究極の姿を表わしていると言えるでしょう。「時に韋提希、仏世尊を見たてまつり。自ら瓔珞 を絶ち挙身投地して号泣して仏に向い白 して言 さく。『世尊、我宿 何の罪ありてか、この悪子を生ぜる。世尊、復 何等の因縁ありてか、提婆達多と共に眷属たる。』」と。
なぜ自分にこのような悪い子が出来なければいけないのか。それはなぜかと言えば、落ち着いて考えてみれば自分自身に原因があるわけです。「折指」が揺るがぬ証拠です。韋提希は一応は自分に責任はないかと考えるのですが、まったく思い出しもしない。そして、自分に原因があることに気づかないどころか、その原因をお釈迦様の上にもっていくという大変なことをやっていくのです。「世尊、復何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属たる。」と、堂々と論陣を張ってお釈迦様を責め立てます。
提婆が阿闍世を唆してこの事件を起こさせたわけで、事件の張本人である提婆の行為の責任がお釈迦様にあるのだと。これが人間の姿ですね。お釈迦様を否定するのです。否定するというのは、自分を真に救う教えを説かれる一番大切なお方を、逆に一番の悪者にしてしまう。全くひっくり返った逆のことをしてしまう。さかさまになった考え、顚倒 です。真実が真実だと分からない。自分の思いを立てて真実を不実と見てしまう。何という愚かなことでしょうか。なんという悲しいことでしょうか。
苦楽を超えて浄土を欣 う
厭苦縁とは苦を厭 う。どうして自分がこんな苦しい目に合わないといけないのか。その苦を厭う姿が描かれます。そこから次の段階、ではどのようになりたいのか。それが次の欣浄縁です。浄土を願うということです。浄土とは阿弥陀の世界。阿弥陀の世界を生きたいと願う。このように韋提希は進んで行きます。
ここに大きな展開があります。簡単にそのようになったのではなく、いろいろと重要な要素を内に含んで変わっていったのです。先ほど「得益分」について触れましたね。『観経』全巻挙げての利益は、どこでどのようなものとして説かれているのか。それについては結局二つあって、韋提希が阿弥陀の本願の教えを聞いていく道を歩んで行く、その出発を為さしめることです。
そして聞法し歩んで行って、もう一つ利益がある。それはゴールです。遂に真に救われる身と成らしめられた。真実に向かっての出発とゴールという二つのものを与える力を『観経』は持っている。こういう押えですね。
いま、この欣浄縁が出発の時です。欣浄というのはよく見れば面白い名前です。苦を厭うのが前の段階ならば、次の段階は何をどうするのかと言えば、当然次は楽になりたい、楽を願うということになるのではないか。そうすると「願楽縁」或いは「欣楽縁」ということになるでしょう。しかし、実際は「楽」では無くて「浄」なのですね。浄土なのです。
ここに展開がある。苦は嫌なので楽がほしいということであれば、いつまでも世間を超えられない。仮に楽になったようでも、それがまた苦の元ですから。苦は初め楽の姿をしている。楽だと思って掴んだら苦であると。そのような苦楽の全体を厭う。苦を避け楽を願うようなこの世間の在り方を超えようとするわけです。
それが仏道を歩むということ。世間に沈む者から仏道を歩む者となる。願うものは、これまで全く思いつくこともなかった阿弥陀の浄土を願うということ。阿弥陀の浄土を生きる身となりたい。これが欣浄縁です。
さて、お釈迦様に対して愚痴と怨みのありったけを吐いた韋提希は、そばに立ち続けてくださるお釈迦様の前で、次第に愚癡の心の波風が落ち着き、今の状況を超えて何とかしたいというささやかながらも願いを持つようになります。最初の願い、即ち韋提希の思いの根本にあるもの、それは「我がために憂悩なきところを説きたまえ。我まさに往生すべし」ということです。
「世尊よ、私のために憂い悩みのない世界をお説きください。私は悪の満ちた現実世界をこれ以上生きるのはいやでございます。憂悩なきところがあれば、そこを生きたいと思います。」これが韋提希の、即ち人間存在の根本の思いなのです。自己を見失い、自己の責任を忘れて、自分の思い勝手に生きることができる世界を果てしなく求めているのです。
この思いを起こした韋提希に対して、そばにいる釈尊の存在そのものがものを言います。それを受けて、韋提希の願いは少しずつ純化していきます。そして「願わくは仏日、我を教えて清浄業処を観ぜしめたまえ。」このような願いを起こすようになります。仏日、太陽のような仏様よと。仏様に対する思いがずいぶんと変わってきました。私に清浄業處(処)、即ち真実清浄な行為によって出来ている世界を教えてくださいと。
この願いに応えてお釈迦様が、真に清浄な行為によってつくられている世界を説かれるのです。韋提希は本当の意味で清浄さがまだよく分からない。清浄とは真実。そういうものが分からない。言葉は知っていますが、モノそのものは分からない。けれども知っている言葉で自分なりに考えて、何か素晴らしい世界であろうと思い、そこへ行きたいと願う。また自分の力で行けると思っている。初めは厭苦で、苦しみは嫌だという現実逃避だったけれども、清浄な世界を夢見て、そこへ行きたいと願うようになったのです。多くの問題を含みつつ、事態は進んでいきます。
たとえば、若者が「本願に出遇いたい」と言ったとします。それに対して、そうは言っても君は最近聞き始めたばかりで本願についてはほとんど分かっていないはずだ。分かっていない者がいい加減なことを言うな。という見方もあるかもしれません。
しかし仏教はそうは受けとめないのです。よくぞ言ったと。たとえ今はわかっていなくても、これから教えを聞いて本願に出遇っていきたいと言っているのだと。仏教は、その気持ちを本当に高く買って、よし今から一緒にやっていこう。そう言って相手に対してふさわしい関わり方をしていくのです。
そのようにして歩みが進められていけば、わかりたいと思っていた本願が本当にわかってくる。このいわば懐の深さがなければ、何もかもわからない私たちにとって、最初の一歩を踏み出す場はないことになるでしょう。
それを受けてお釈迦様は本当の清浄業処を教えます。ここは一つのポイントです。「清浄業処」を請い、「清浄業処」を教える。言葉は同じでこれで合っているようですが、申しましたように、両者の意味しているものは全く異なる。「清浄」のわかっていない韋提希が「清浄」を請うた。大きなチャンスなのです。「清浄」が説ける。真の「清浄」を韋提希に向けて説くことができるようになったのです。
真実清浄ということを、それがわからずに反発している人に説くことは至難のことでしょう。しかし説きたいし、説かねばならない。説くほうは何等かのチャンスを待ちます。相手がいつまでも娑婆のことばかり関心を持っているようではまだその時は来ない。しかし、お釈迦様の仏陀としての「存在」のお力で、韋提希は「清浄業処」を請うまでに育ったのです。チャンス到来。お釈迦様はこれを見逃されません。全力をもって真の「清浄業処」を説きます。
このことは何か私にもおぼろげながら記憶があるように思います。教えを聞き始めた頃、先生の私に対する態度というか言葉の内容というものが、どこか遠慮気味で躊躇されるような、そのような雰囲気があったような記憶があります。わけのわからない私の上に、その時が来るのを先生は待っておられたのかもしれないと今になって思います。
この頃になって、いろいろな人に語りたいと思っていても私は躊躇 してしまうことがあります。その自分の気持ちの雰囲気を思ってみて、この心の雰囲気を、かつて先生の上に見たような思いがするのです。本当にご苦労をおかけしたことだと思います。
光台現国の教え
こうして説かれるのが「光台現国」の教えです。これもまたとても大切な教えです。厭苦縁もそうですが、この欣浄縁も気を抜くことができません。
お釈迦様は眉間 から光を放たれて、世界を照らし、それらのものが諸仏の世界であることを現します。世界の正体を明かしたということです。その光がお釈迦様の頭の上に帰って光の台が作られまして、その光台において世界の様々な現実の本当の姿、すなわち諸仏であることを韋提希に現わすのです。
世界の姿が明らかになったのは、如来本願を賜ったお釈迦様がご自分の人生を生きてみられた、その経験を踏まえた上でのことなのです。これを韋提希に向けて力の限り説かれます。同時にその説き方は、現わすだけであって、どの諸仏の世界を選べなどという具体的な答えは教えません。材料だけ提示して何を選ぶかはあなたの自由だということです。面々の御計なりですね。
これを受けて韋提希は自分で考えます。自分で一生懸命考える。このことが大事。そしてついに、沢山の諸仏の世界を見せてもらった中で、私は阿弥陀の浄土を生きたいと選び願うこととなります。自分の歩む道は自分で選ぶ。私はこの道を生きますと自分で書いて自分の印鑑を押さないといけないのです。
しかしそれだけを無闇にやってもだめです。そう言えるまでにお釈迦様の教えを聞いて、お育てを受けて、考え選ぶ力が身につかねばなりません。よき人の勧めを十分に頂いて、そして自分で決めるのです。
歩み始めて前に進めないのは、自分がこの道を選んだのだという責任感が不足しているからです。何か安心できる教えだから、どこか頼れる先生だから、みんなが優しいから・・・、それらを根拠にして自分の歩みを立てるのは地盤が脆弱ということになるでしょう。大切なのは、私の責任でこの道を求めるということです。
お釈迦様は光台現国の教えを説いて、韋提希をして浄土を生きたいと願う存在たらしめた。後に親鸞聖人は、このお釈迦様の為されたことの大きさを讃えられて、観経和讃に「恩徳広大釈迦如来 韋提夫人に勅してぞ 光台現国のその中に 安楽世界をえらばしむ」とうたわれました。光台現国という教えを韋提希に説いて、韋提希に浄土を自ら選ばせて、浄土に立って歩む存在たらしめたのです。
それ以前は全くそうでなかったのです。世間の中に埋没していた人でした。お釈迦様のはたらきが、遂に彼女をして浄土に向かって生きていく存在たらしめた。浄土への道の出発を為さしめたのです。お釈迦様がなさったことの恩徳はじつに広大であるのだと。先ほどの観経のもたらす二大利益の一番目に出るのが正しくこの出発なのです。
私達もお互い自分のことを思ってみれば、出発せしめられたということがいかに大きかったことかわかると思います。出発がなければゴールもないのです。ゴールに向かって仏様にお遇いをしていく。その間違いのない道を出発せしめられた。
全くそういう道を歩む者ではなかったのです。その韋提希に対してはたらきかけがどんどんなされて行って、遂に出発する者と為さしめられた。これは自分の力だけでは出来ない。ほんとに大きなこと。自分の人生の中の一部の一時の小さなことというものではない。自分の全体のような感じがします。あの出発があったが故に今の自分がある。自分はこの道を出発した者として生きている。それほどに大きな意味を持っています。
では韋提希はなぜ阿弥陀の世界を選ぶことができたのか。これは大きな問題です。如来として来たったお釈迦様であることがわからず、責任を展開して怨みをぶつけた韋提希、憂悩なきところを求めるという夢を追っていた韋提希。その韋提希がなぜ阿弥陀の世界を選ぶことができたのか。それはお釈迦様の説かれた光台現国の教えによるのです。
しかし、この教え具体的に何が選ばせたのか。善導は、「此れ弥陀の本国四十八願なることを明かす」と述べられます。要するに、お釈迦様の光台現国の教えによって、阿弥陀の本願が韋提希に至り、至った本願が阿弥陀の国を選んだのだと。化前序で明かされた本願がここで具体的にはたらき、顔を出したのです。善導の領解の大いに光るところでしょう。
韋提希は阿弥陀の浄土を選ぶことができたことを身も踊るほどに喜びます。そしてお釈迦様に「思惟と正受を教えたまえ」と願うのです。教えをお聞きしていかに考えていくか、考えの推し進め方と正しい受けとめを尋ねるのです。問題はこの「思惟」です。韋提希は「思惟」を武器にして、これを方法論として浄土までの道を歩いていこうと出発したのです。
「思惟」が問題だというのは、この「思惟」を推し進めるものがじつは相反する二つのものであるということなのです。一つは、前述のように韋提希に至った阿弥陀の本願。もう一つは、教えてもらえば歩んでいける力が自分にあると思っている韋提希の思い。この二つが韋提希を思惟によって歩ませるのです。その歩みをなさしめる教えが正宗分の教えです。韋提希を支え救おうとする如来本願と、その如来を否定し自己を肯定する思い、この両者の戦いがこれから始まるのです。
(三)仏力による歩みの始まり
如来本願を受けとめる者となる
さて、いざ出発ということになります。お釈迦様が説かれる阿弥陀の本願の教えを聞いて行く歩みの出発です。このことが先ほどの二番目のテーマに関わってきまして、序分と正宗分の分かれ目はどこかという問題に関係してきます。今、「思惟と正受を教えたまえ」と要請して韋提希が出発点に立った。とすれば、その次からはそれに応えて正宗分が始まるはずです。普通の感覚から言えばそうでしょう。ところが序分はまだ終りません。あと二つの縁が残っている。どういうことなのでしょうか。
もちろん本人が今から出発しますと宣言するのが一番大事なことです。しかし正宗分は本願の教えをお聞きして受けとめていく歩みです。さらにその教えが段々と自分を変え歩ませていく。これが正宗分の聞法です。ではこのような歩みは自分が出発しますと言ったからできるのか。必ずしもそうはいかないでしょう。ここには解決しなければならない大きな問題があるのです。私の根本にあって永遠の時間をかけて取り組まねばならない問題があるのです。
それは、教えを教えの通りに受けとめず、自己をよしとするところに立って受けとめようとする私の心です。この心に気づくことなくして、教えを教えの通りに受けとめることはできません。一口に教えを聞くといっても、この自己自身の問題を解決しなければ、教えは説かれても私という存在の中には正しく入ってこないのです。
問題はまさしく自分のことです。しかし自分の問題であっても自分にはそれが分かりませんから、自分においては問題はないことになって、真実の道を求めていこうという思い一つにもなれるわけです。もちろん仮の一つに過ぎませんが。このあり方ははなはだ問題でありますが、同時に、これはこれで結構なのです。問題を持ったまま歩みを始める。ここに、根本に問題をもった人間の歩み方が示されていると言えるでしょう。
ではその問題はどうするのか。当然、そこには光が当てられなくてはなりません。歩みをなしつつ、光が当てられていく。光を当てるもの、即ちその問題を指摘し取り上げ批判をするのは仏様の方です。お釈迦様が韋提希に、お前にはまだこういう問題が残っている。この問題を解決してはじめて本願の教えを受けとめることができるのだと。その指摘をお釈迦様がなさるのです。それを説くのが五番目の散善顕行縁です。
残った問題とは何か。教えを聞けば自分で歩むことができる、歩む力は自分にある、ただ方向がわからないだけだという思いです。その思いはじつは嘘なのです。そんなことはありません。いくら教えを聞いたからと言っても自分では歩めない。エンジンは立派なものがあるから、ハンドルの回し方だけ教えてほしいというようなものです。
車はエンジンのほうが主でしょう。「主」のエンジンは大丈夫。「従」のハンドル回しがよくわからないのだと。自己を「主」とし、仏様を「従」としている。人は仏様の世界には、仏様のお力を頂くことによってはじめて歩んで行ける。このことに気づいていないのです。
そこは先ほどの化前序のところで見たように、私たちにとっての大地のようにして阿弥陀の本願ましますということ。私を支える大地の根底から、いつも私にはたらきかけている本願。この本願の力を受けとめてはじめて人は歩めるのです。
そういうわけで序分の最後の段階は、人間とはどんな存在であり、だから何によって浄土に生まれることができるのか。これを明らかにするところです。韋提希は今から阿弥陀の世界に向かって生きて行こうと願った。しかし、その思いよりもっと深いところに隠れている自己の根本の問題がある。その問題を仏様から指摘されなければ、歩みは行われない。そういう問題があるのです。
この問題の何らかの解決を経ずに、そのままにしていてすぐに正宗分を始めるというわけにはいかない。仮に始めても、途中まで行って、分からないようになる。やり直しということになります。それでもまた、何度繰り返しても同じです。
最後の五番目の散善顕行縁、六番目の定善示観縁がこの内容で説かれていきます。「爾時、世尊、韋提希に告げたまわく『汝今知るや不 や。阿弥陀仏此を去ること遠からず。』」韋提希よ、おまえは今分かっているかどうか。阿弥陀仏はここから遥か離れたところにましますのではないのだぞ。お釈迦様はこのようにおっしゃいます。
韋提希の思いを見透かしておられるわけです。韋提希は今から自分が行こうと思っている阿弥陀の浄土世界は遥か彼方にあると思っている。自分が遥か彼方にあると思えば、ほんとに遥か彼方にあるように思えるのです。
物事は自分の思った通りのものとしてあると思い込んでいるわけです。本当は遥か彼方にはない。阿弥陀の浄土は今ここにある。今ここにあって私にはたらきかけている。しかし韋提希にはそれが分かりません。単に分からないのではなくて、ここが大事なところですが、じつは韋提希は阿弥陀の浄土に生まれたいと言いつつ、阿弥陀のはたらきをうけとめまいとしている。拒否し否定しようとしている。その思いが浄土を遠いものとするのです。
と同時にその世界に向かって行きたいという思いも今起こった。矛盾するようですが、これが先の相反する二つの心によって思惟がなされているというところです。韋提希は自分には力があると思っている。自分で思った通りの力が自分にあると思っています。そのあたりのところは何も疑わない。聖域のようなものです。思った通りにあると思っている。
阿弥陀の浄土は遠い。その遠い阿弥陀の浄土に、自分の力で行こう。歩んでいく力は自分にはあると思っている。ほんとはそういう力はありません。それが「心想羸劣の凡夫」と指摘されるところです。このような、なかなか一筋縄ではいかない人間の複雑な問題があります。
韋提希は自分の本当の姿が分かっていないし、受けとめられていない。自分の思いのところを生きている。そういう者に、直ちに阿弥陀の教えを説いても響くはずはない。お釈迦様はこう思われて、一旦はお前がそう言うなら今から説こう、とおっしゃるのですが、再度考えて、お釈迦様のほうが方向転換をされます。
「我今汝が為に広く衆譬を説き」と一旦はおっしゃる。「衆譬」もろもろの譬 えというのが、譬えで表現される正宗分の教えを指します。それを今から説こう。この時点まではお釈迦様もそう思っておられた。ところが思い当たることがあって、いやいやまだこれは説けないぞと。韋提希の心の底には、仏の力を無視し、自分に力があると思っている心がある。このことに気づかれたのです。
そこで韋提希に、そのような力はないのだと、即ち凡夫であるという自覚を持ってもらわなければならない。そうでなければ本願の教えは届かず響かない。凡夫の自覚とは仏の世界まで歩く力がない者という意味です。何が仏の世界なのかもわからず、そこまで歩んでいく力もない。その力のない者であるという自覚を持ってもらわないといけない。こちらのほうが先決問題だということです。
凡夫であることの目覚め
それでお釈迦様はお考えを変えられて、「彼の国に生ぜんと欲する者は當に三福を修すべし。」と三福の行が説かれます。「一つには父母に孝養し師長に奉事し慈心にして殺さず十善業を修す・・・・」そこにはあらゆる善の行為があります。最高のものは大乗仏教の行為です。それから小乗仏教の行為。そして世間の善の行為。価値観の一応のランク付けをして挙げられます。
それらを示して、おまえはこれが出来るかと。これまでの諸仏方も、これからの諸仏方も、この道を歩んで行くことのできた人たちは、皆この三福の行を行ったのだと。お前はどうかと。そこではじめて自分はどうなのかと、仏様の教えのもと、善の行為の前に自分を据えるのです。これによって韋提希ははじめて自己を問うていくのです。
これまでは自己とは何かという問いなど、適当に流していた。恵まれた皇后の位置にあって、問う必要などなかったのです。しかし人が本当に救われて行くためには誰しもこの三福の行をしなければならない。お釈迦様が説かれた行ですから流すわけにはいかない。初めて真正面から自己に向かい、本気になって取り組んでいくのです。
この取り組みによって何が明らかになってくるか。それは善の行為が出来ない自分が知らされてくるということです。これまでこの道を歩んだ人たちは皆これをやった。ということは、皆これが出来ないことに目覚めたわけです。そこから道が始まったのだと。
三福の行の出し方は一番最初が世間善です。その次が小乗善、最後が大乗善です。善のレベルの低いほうから出しています。そしてその世間善は「父母に孝養し師長に奉持し慈心にして殺さず十善業を修す」と。この中「父母に孝養」は一番最初に出されていて、あらゆる人の一番基本的な課題と言えるでしょう。すべての人は親から生まれる。その大恩のある親に孝養を尽くす。これは当然のことであって誰しも出来るし、出来なくてはいけない。
しかしこの一番基本的で簡単そうな善が、本気になって取り組んでみると、果たして出来ないということが分かる。出来ない自分が知らされる。親孝行が真にできない。この発見が自分に大きな衝撃を与えるのです。大乗の善ができないくらいではそれほどの衝撃は受けないでしょう。当然のことだと思っているでしょうから。しかし、基本で誰しものことであるだけに、衝撃は大きい。これが自分をして凡夫であることの自覚をさせるきっかけになるのです。
自分には真実の力がないことに気付き始める。気づく、目覚めるというのは、どこまでも限りなく続き深まっていくものですから、この時点では目覚めが始まったというのが正しいかもしれません。韋提希は初めて自分という存在が分かってきた。真実の力のない者だとわかってきた。
聞法の姿勢を整える
そこで、では人は一体何によって阿弥陀の国に生まれることが出来るのか、という本質的な問題が明かされることになります。それが次の定善示観縁です。「仏、阿難及び韋提希に告げたまわく『諦に聴け諦に聴け、善くこれを思念せよ。』」とおっしゃって、今から正宗分の教え、本願の教えを説くぞと。これをしっかりと聞いてよく思惟思念して明らかにしなさいと。
そして、「如来、今未来世の一切衆生、煩悩賊の害する所となる者の為に清浄業を説かん。」と。韋提希と未来世の一切衆生、それは必ず煩悩によって害せられている者である。その者の為に清浄業を説かんと。清浄業は本願のはたらきでしょうが、ポイントは懺悔というところにあります。煩悩具足の五濁の存在が清浄の身となるのは不可能と言っていいほどのことでしょう。しかし、それをなさしめるところに真実のはたらきがある。その一点を押さえれば懺悔なのです。如来真実に向け、自己の全体を挙げて、仏智疑惑・如来無視の自己であることをお詫びするのです。
この懺悔の法、即ち清浄業をあらゆる者に説こうと。仏が説かれる相手は常にあらゆる者です。あらゆる者に本願の教えを説き、人を根本から展開せしめ、遂に無生法忍という真実信心に生きる者たらしめようと。それが何によってできるか。「仏力」によってなのだというわけです。この教えと歩みと救いの構造を韋提希に教える。このことが韋提希にうなづけるのが凡夫の自覚においてなのです。
お釈迦様は、三福の教えによって凡夫であることに気づき始めた韋提希に対して「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣 にして未だ天眼を得ざれば、遠く見ること能わず」と、凡夫であることを指摘されます。お前は心では自分に力があって阿弥陀の国まで歩んでいけると思っているが、そんな力はお前にはないのだぞと。仏様の側にこそお前を真に歩ませる特別誂 えの教えがあって、それによってはじめて浄土まで歩んで行けるのだぞと。韋提希には返す言葉はなかったでしょう。
この凡夫の自覚、厳密に言えば自覚の始まりが起こったことによって、浄土は仏力によって見ることができるという正しい教えの受けとめ方が、はじめて韋提希にわかったのです。これをもって聞法の姿勢が整ったと言うべきでしょう。ここで序分が終わり、正宗分に移るわけです。定善示観縁は時間の経過はあまりない部分ですが、序分全体のまとめがここに表わされています。説かれる教えと私たちの歩みと両者の出遇いによる救いという、仏道全体の構造がまとめられているのです。
この構造は広く『観経』全体に渡っていますが、顕著に現われるのが、第七観の華座観の前文のところです。自己に目覚めてきた韋提希が、教えを説く釈尊と、今ここに現われる阿弥陀によって救われていく。救いの構造はこの一つのことなのです。
私たちは浄土の教えによって、浄土に生まれ、浄土を生きる。これが出来るのは仏力によってなのだと。これが一番根源ですね。化前序をあえて表わしたゆえんです。浄土は土で譬えられています。土はものが生きる大地。そこに私たちもまた足をつけて、浄土からのはたらきを受け、我が人生を生きていく。毎日毎日浄土からのはたらきを受ける。念仏申して生きるところに浄土のはたらきが顕れている。真実智慧のはたらき。私の迷妄を照らし出す智慧のはたらきが、念仏申すところに顕れてくる。そのように歩ましめられて行く。それが浄土を生きる身になるということでしょう。
誰のための教えか
教えは誰に向かって説かれているのか。これも大切な問題です。先ほどの「如来、今未来世の一切衆生、煩悩賊の害する所となる者の為に清浄業を説かん。」というお言葉を見れば、すべての者に向けて教えは説かれているということがわかります。実際この場では、お釈迦様の前にいるのは韋提希と阿難の二人だけのようです。しかし、二人だけに通用する教えを説いているのではない。すべての者に向けての教えを今二人に説いているというわけです。
この経典の最後のほうに「韋提希、五百の侍女と仏の所説を聞き」ということが出ます。韋提希の侍女たちがじつはそばで聞いていたのだと。この侍女たちが未来の衆生を象徴しているのでしょう。人は個性は異なっても人間であるという点は同じです。そしてその人間であるところに光を照らし回心懺悔させ、大きな如来の世界を生きる者たらしめようというのが仏教なのです。その教えは万人に向けての共通する教えとなる。従って、この経典は韋提希だけのためのもので、自分とは関係がないということではないのです。これは基本のことですね。
最後に韋提希は「若し仏滅後の諸の衆生等は濁悪不善にして五苦に逼められん。云何して當に阿弥陀仏の極楽世界を見たてまつるべき。」とお釈迦様に要請をします。お釈迦さまがお亡くなりになった後の諸の衆生等はどうなるのでしょうかと。この人たちも当然濁悪不善、五苦の世界を生きるしかない衆生。そういう人たちはどのようにすれば阿弥陀の極楽世界を生きることが出来るのか。自分は今こうしてお釈迦様からお聞きすることが出来て、浄土に生まれることができるであろうけれども、未来の衆生はどうなるのかと。
直接は韋提希のこの要請を受けて正宗分の教えは説き始められます。その最初は「仏韋提希に告げたまわく『汝及び衆生、應當 に専心に念を一処に繋 け・・・』」とあって、お釈迦さまが発せられる最初の相手を呼ぶ言葉が「汝及び衆生」なのです。汝は韋提希。衆生は未来の衆生。韋提希と未来の衆生に向けて説かれている。これは初めから最後までです。
このことを確認しておくことは、やがて『観経』の大きな構造の問題に関わってくる時に、意味を持つでしょう。私たちが『観経』のお話を聞くのは正しく未来の衆生の一人ですから。実際に説かれているのは目の前の韋提希に対してですが、韋提希を通してじつは私たちに向かって説かれているわけです。
以上、序分の概略を申しあげました。次回は序分の初めから、善導大師の『観経疏』に経典領解のご指南を受けながら、進めていきたいと思います。