今よみがえる観無量寿経 第3回 「経題」
 

るいれつの会(2011年6月20日)講義録

講師 岡本 英夫 先生

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(一)経題『仏説観無量寿経』について


 さて、今日が第三回ということで、講義録もまだ第二号までしか作っていないわけですが、しかしなかなか面白いですね。面白いというのは、校正をしていて、これまでにない雰囲気を感じます。これが十号、二十号、五十号と進んでいくと、何かが生まれてきそうな、そういう予感もします。いずれにせよ、みんなで頑張っていきたいですね。

 どういうことにせよ、仏法の歩みもまた、決して末徹らない慈悲しか持たない人間が集まって営んでいくわけです。それでもなおもし末徹るとすれば、なぜ、どうすればそうなるのか。それは人間の慈悲を超えて包む、如来の真実の慈悲が末徹らせるのですね。これだけでしょう。ですからそこは単純明快で、如来ましますがゆえに我らの僧伽は末徹る、われらの営みは末徹るということでしょう。
 中身はいろいろなのです。人が一人いてもいろんなことがあるのに、何人も集まればもっと多くのことがある。でも本当に如来真実ましますが故に末徹る。そういうたいへん有難い世界であって、そういう有難い事実にお互いに目を覚めさせられながら、それゆえに歩んでいけるのだと思います。

『仏説観無量寿経』
 さて前回は序分の概略を見ましたので、今回から改めて最初から少しじっくり見ていきたいと思っています。序分が終わるまでどのくらいかかるでしょうか。一年、あるいは二年くらいでしょうか。
 まず最初にこの経の題名、経題について見てみましょう。『仏説観無量寿経』というのがこの経典の名前です。この題名そのものはご覧になって、そんなに難しいものではないと思います。しかし、なんと言っても題名というのは本体の全体を簡略に表わすわけですから、わかりやすい名前だからといって侮れない。題名を見て、いつも本体全体の要旨が一挙にそこに開かれるということでなければならないのでしょうね。ですからある意味で、全体を読み終わった時にゆっくり考えるべきものかもしれません。

 そういう課題を持ちながら、今の時点で全体の網羅(もうら)はできませんが、若干考えて見たいと思います。まず、素直に見てみましょう。「仏説」「観」「無量寿」「経」と分かれるでしょうね。「無量寿」というのが阿弥陀仏のことです。「仏」が「無量寿」を「観」ずることを「説」いた「経」ということですね。「観・無量寿」すなわち「無量寿を観ずる」これが説く内容の本体を表しています。
 「仏説」の「仏」というのは具体的にはお釈迦様を指しています。ではその仏とは何か。お釈迦様とはどのようなお方か。当然そういう問いがおこるわけで、だんだんと問題が広がり、深まっていきます。「無量寿」とは阿弥陀仏。阿弥陀仏というのはアミタブッダAmita buddhaの音訳です。インドの言葉を中国の言葉に翻訳する際に、厳密を期したのでしょうね。インドで起こった仏教、お釈迦様のお悟りによって開かれた仏教ですから、当然中国にはなかったものです。ものがなければそれを表す言葉もありません。中国にないものを翻訳するというのは、ある意味で不可能なことでしょう。それを強引に推し進めてしまうと、誤解も生じやすいわけです。 
 そこで、アミダブッダをまず音訳して、何であるかはまた十分に考えてもらうことにしようと。これはとても客観的でまた良心的な訳し方であったと思います。人間を救うものが、その最初の翻訳のところから間違っては困りますからね。

 では阿弥陀仏とは何か。それはしかし、単に辞書的な意味だけでは十分ではない。それをこれからじっくりと時間をかけていただいてみようというわけです。今はその意味の一つとして「無量寿」というところで見ておきたいと思います。
 量ることのできないいのち。もっと言えば、量るというあり方をまったく超越したものということです。私達は数や量という形あるところを生きている。そういう形を示されなければ理解の仕様がないわけです。その私たちを救い真に生かすものはしかし、数や量とは無関係の、それらをまったく超えた真実なるものです。そういうわけで真実を表わすときに「無量」という表現が使われるのでしょう。「無」は「有る・無い」の「無」すなわち相対的な無ではなく、数量とは無関係のそれを超絶した絶対の無という意味合いです。

 では何を量ろうとし、量れないというのか。智慧と慈悲なのです。智慧と慈悲が阿弥陀仏の具体的な内容です。智慧と慈悲のはたらきを仏様というのです。慈悲はあらゆるものを救おうという願い。智慧はあらゆるものの闇を照らし破るはたらきです。闇を照らし破って、その者を救う。そのはたらきを無量に、量の次元を超絶して、その意味で無量に有しているもの、それが阿弥陀仏です。
 智慧を光明で、慈悲を寿命で表わし、闇を照らす。照らして照らし破る。自らに覚め、救われて、有難う御座いますと本当のいのちを生きていく。真実のいのちを生きることが、一番大事なことです。真実のいのちを生きる者たらしめようとはたらくもの、それが無量寿・阿弥陀仏ですね。

 私達の無明の闇を照らし破り、それによって真のいのちを生きる者たらしめる。その無量寿のはたらきを観ずる。出遇い、はたらきを受けていく。誰が観ずるのか。それは私たちが観ずるのです。私たちが無量寿を観ずる、そのことを説いた経なのです。無量寿の阿弥陀仏を観る、すなわち阿弥陀仏に出遇っていく。そしてついに阿弥陀と共に毎日を生きていく、そのような私になっていく。その教えを説いた経典だというわけです。
 ごく簡単に言えば、このようになるでしょう。私たちが最も出遇うべき無量寿の仏様を観じ、ついに出遇っていく。そのことを仏が説いた経典であるということです。それが一応基本的なところです。

善導の命名
 さて、『観経』を正しく解釈なさった善導大師は、経題についてどのように述べられたのでしょうか。じつは驚くような独特な指摘をされました。次のように言われます。
 「次に名を釈せば、『経』に云く、仏説無量寿観経一巻」と。
 善導大師はこの経典の題名は『仏説無量寿観経一巻』であると言われます。これはどういうことでしょうか。実際の名前とは違います。違う点が二つありますね。「仏説」までは同じですがその次は本来は「観無量寿」なのですが、「無量寿観」となっています。「観」と「無量寿」が上下逆転しています。もう一箇所違うところがあります。善導は「一巻」をも経題に入れるのです。「一巻」の記述の位置がどこであろうが、どちらでもいいような感じもしますが、これはじつは大問題なのです。

 じつはもう一箇所、これは直接経題についてではありませんが、善導大師の独特な押さえ方があります。それは「『経』に云く」ということです。これはどういうことでしょうか。「『経』に云く、仏説無量寿観経一巻」です。経題についての普通の考えは、まず題名があって、それから経の本文が始まる、ということでしょう。ということは、題名は経の本文とは切り離されて別のものとして独立しているということです。ところが「『経』に云く」というのですから、「仏説無量寿観経一巻」の題名もまた経の中で言われているということになります。善導はこのように認識したのです。
 「名は体をあらわす」と言います。文章に題名をつける時には、題名を見れば一挙に本体がわかるようなものがいい題名だと言われますね。ですから題名のつけ方をよく考えるわけです。経題もまた経文の内容を要約して、そこからもたらされたものということになります。従って経題は経文とは別のところに屹立するように存在しているのではなくて、経文の中に経文を代表するものとしてあるというわけですね。こういうことで、「『経』に云く」と位置付けられたのでしょう。
 ということであれば、「仏説無量寿観経一巻」という題名は、この経典の本文と確かな関係を持っているということになる。経文の内容を要約すれば、この題名になるしかないのだという、善導大師の強い命名の見識がはたらいているようにも思えます。「この経典をよく読んで御覧なさい。『仏説無量寿観経一巻』というほかありませんから」というわけですね。

わずか二箇所の「経に云わく」
 『観経』を解釈した『観経疏』という書物の中で、「『経』に云く」という表現を善導は何回くらい使ったか。経典にこう言ってある、という意味ですから、この表現は何箇所も出てきそうな感じがします。しかし、実際は二箇所しかありません。わずか二箇所です。
 ということになれば、「『経』に云く」という表現は、単に「『観経』にはこう言っています」という普通の意味ではないのではないのか。なにか特別な意味を持たせて使っているのではないかと思われます。
 その意味を確認することが大切です。しかし、それらは今すぐにということは難しいかもしれない。ただ概略言えることは、「この経の全体を挙げて」という意味合いはあるように思います。ここでは、この経の内容の全体をよく押さえて見れば、題名はこう命名するのが一番ふさわしいのだ、といったニュアンスです。

 もう一箇所「経に云わく」が使われるのは、本文のずっと後半のほうの「三心(さんしん)」の教えが説かれるところです。「『経』に云わく一者(いっしゃ)至誠心(しじょうしん)と」というように述べられています。ここも、『観経』の教え全体を挙げてその中心部分は三心の教えの中、「至誠心」を起こすことである、といったニュアンスが基本にあるように思えます。
 「三心」についてはその時が来ればゆっくり見ることにしますが、仏教は目覚めの教えであり、目覚めの道をこの経典は説いている。人を目覚めさす原理の中心にあるもの、それが「一者至誠心」の教えである。これが『観経』の教えの中心なのだという意味合いです。
 私たちに対して、自分の心の一番奥底に、至誠心と名づけらる心、言い換えれば真実の心をおこして人生を力いっぱい生きていけと、これがあなたの仏道なのだと、『観経』が挙げて説いている。経典が、即ち仏様がそのように説かれた教えをしっかりと受け止め、わが仏道はこれ以上のものではなく、これ以下ではいけないのだと、至誠心をおこして歩んでいく。これが私たちが自己に目覚める歩み方なのです。
 その目覚めの道を仏教が見い出した。『観経』を挙げてこの目覚めの歩みが説かれているのです。そういうところが「『経』に云く」ということです。この二箇所だけこの表現が出ます。

 というわけで、このように『観経』全体を挙げ全体を踏まえて何かを表わそうという時、テーマがいくつも沢山あるというものではないでしょう。絞らなければならない。善導は絞って二つをあげたのです。それが「経題」と「三心」です。その経題は『仏説無量寿観経一巻』、まさにこう名づけるべきでしょうと。この題名で、『観経』全体がわかる。一番言わんとするところが、この題名のところに表れ出ている。そういう意味合いがあるわけですね。
 ですから当然、「経題」と「三心」の教えの内容は重なり合うものがあります。「三心」のところに「観」の意味が正しく決定されるということです。このことについてはお話が進んでいくに従って理解できてくると思います。
 善導大師が経題を出される時、いかに経典の内容の正しい理解が大切であるか、と言うよりも、この経はいかに大切なことを説いているか、それを見よ、ということがあるように思います。その大切な一点を踏まえて経題が生まれていると言うべきでしょう。『観経』の説く内容をどうか正しく受けとめてほしいという、善導の切なる願いがここに表れているように思います。

二つの経題
 さて、善導大師が名づけられた経題について見ていくのに、やはり「観無量寿」を「無量寿観」と変えているところが一番問題になると思います。そこを少し尋ねてみましょう。
 この経典の最後の流通分のところで、阿難がお釈迦様にこの経の題名をどのように名づければいいかをお尋ねする場面があります。阿難としてはお聞きした教えを未来の人々に伝えていく役割があります。聞いた教えは記憶にあっても、そのテーマは何なのか、それは説かれたお釈迦様によって明らかにして頂かなくてはならない。そしてその経題のもとに具体的な教えを皆さんにお伝えしようというわけです。経題をお尋ねするところに、仏教伝持の役を担う者の、そのあり方の最前線があると言うべきでしょう。

 これに対してお釈迦様は次のように経題を述べられます。「此の経をば、『観極楽国土 無量寿仏 観世音菩薩 大勢至菩薩』と名づけ、(また)『浄除業障 生諸仏前』と名づく」と。即ち二つの経題を挙げられました。二つの経題は、この経を説かれたお釈迦様御自身が名づけられたのです。これは厳格なことですね。ですから当然、この二つの経題を踏まえて一つの経題『仏説観無量寿経』が誕生したと見るべきでしょう。お釈迦様が名づけられたテーマ以外のものをもって経題が決まったということは考えにくいですから。

 そうしますと、この二つの経題と『仏説観無量寿経』とはどういう関係にあるのか。さらに、それを『仏説無量寿観経』と表わした善導のお考えはどういうことなのか。このようなことが問われなくてはなりません。
 まず、二つの経題の意味するところを見てみましょう。『観極楽国土 無量寿仏 観世音菩薩 大勢至菩薩』長い名前ですね。しかし内容は長さに反して煩雑ではありません。初めの「観」が後のすべてにかかります。極楽国土すなわち阿弥陀の浄土ですね。さらに無量寿仏と観音菩薩と勢至菩薩、これらを観ずるという意味です。観音菩薩は無量寿仏(阿弥陀仏)の慈悲のはたらきを表わし、勢至菩薩は智慧のはたらきを表わします。ですから要約すれば、「観浄土・無量寿仏」、もっと縮めれば「観無量寿」となるでしょう。
 これはまさしくそのとおりで、本論の正宗分の教えは第一観から第六観までは浄土を観る教え、第七観以降は無量寿仏と観音勢至菩薩を観ずる教えが説かれます。これらの観法を因にして阿弥陀に出遇うことができるのです。

 二番目の経題は『浄除業障 生諸仏前』。人間の業障が本願のはたらきによって除かれ、仏様の前に生まれる身となるということです。これはこの経がもたらす「果」の世界を表していると言えるでしょう。業障というのはなかなかの言葉で、人間からは出て来ず仏教の智慧からしか出て来ないような言葉です。私たちが生きる行為のすべてを業と押さえ、その業が私が真実に向かって歩むことの障りとなっているということです。私は私であるがゆえに真実に向けて進めないのだということです。自らを善なるものと考える浅薄な人間観が吹っ飛んでしまうような、仏教の深い地軸に徹した智慧の教えと言うべきでしょう。
 その人間の深い闇がついに唯一つ、如来本願のはたらきを受けることによって破られていく。そのことをこの経は説くのだと。ということは「観浄土・無量寿仏」とでも言うべき因の歩みの中に、闇を照らし破る智慧のはたらきに出遇うということがある。表現は浄土と無量寿仏を観るということですが、「観る」という観法は、ただ物理的に観るということではない。精神の大きな変化がそこに巻き起こるのです。

 「観」の文字を見て、物理的に観る意味だと誰が教えたか。誰も教えません。それは自分で思っているだけのことなのです。そして、人は皆自分でそう思っているのです。経典に出る「観」の持つ意味は経典が教えているはずです。「観」は仏語なのです。それを、以前から知っているいわば人間語の意味のままで受け止めてはいけない。それでは教え全体が仏教になりません。仏の教えにならず人間の教えでとどまってしまいます。「観」の意味をこそ経典から教えて頂かねばならないのです。「観」はじつに、人間の上に根本的な変化を生み出す方法であったのです。

二つを一つにして名づける
 流通分のところでお釈迦様御自身によってこの二つの経題が出されました。それを踏まえて実際に名づけられたのは『仏説観無量寿経』です。この名前と出された二つの経題の関係はどうなのでしょうか。簡単に見れば、一番目の経題のほうを採用したと取れるでしょう。「観極楽国土…」のほうです。しかし、二つ出されているのに片方だけで名をつけていいものでしょうか。二番目の経題を無視してもいいのでしょうか。
 私は、この二つの経題を一つにしたのが『仏説観無量寿経』という名ではないかと思っています。「観」の文字が持つ意味合いは大きな幅があるのです。自分が自分の思いと力で見る観から始まり、如来本願のはたらきを受けてわが存在と行為の底に如来無視という深い罪があることを知らせる観まで、大変な幅がある。後のほうの観は、自分が見る観ではなくて、如来が私に向けてはたらく動きを押さえて観と呼んでいる。そのような意味の幅のある「観」に出遇わなくてはならないのです。この「観」の世界を歩まねばならないのです。ここにこそ仏教の意味がある。『観経』の存在意味があると言うべきでしょう。

 ここには、真実に向けての正しい歩み方である「観」と、その歩みをするゆえに真実のほうからのはたらきを受ける「観」と、大きく二つの「観」があります。即ち方便としての観と真実としての観があるのです。両者は異なる観、根っこから違う異質の観のように思えますが、そうではありません。異なっているのは現れ方でありはたらき方であって、ものそのものは同じものなのです。
 浄土や仏を観てゆけよというはじめの段階の観の教えは、如来真実の観が方便の姿をとって現れたのです。だからこそ確実に歩むことができる。「観」は真実の如来の行為です。それが方便と真実の二つの側面を持ち、まず人間の転回を成し遂げさせ、それによって真実の世界を生きる者たらしめるというように、連続してはたらいていくのです。
 この「観」の世界こそ人を目覚めさせ如来真実の世界を生きさす方法なのです。仏教は遂にこのようにして人を救っていく行為「観」を見出した。「観」のところに如来の本願があり、人間の救いの歩みと救いそのものがあり、仏教の勝利がある。私はそう言いたい気持ちに駆られます。そこでこの経を、その幅全体をおもてに現して、「観無量寿」と名づけたのではないか。そのように思えます。

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(二)善導の『仏説無量寿観経一巻』について

無量寿観

 さてそこで、善導大師の命名を見てみたいと思います。「仏説無量寿観経一巻」。本来の経題である「観無量寿」を善導は「無量寿観」、「無量寿が観ずる」と表現したわけです。「観」は私たちの歩みにそった観法として始まり、私たちを転回させ、如来のはたらきを表わすものとなっていく、その求道の始まりから成就までの大きな幅がある語だということを先ほど申しました。しかし、そのような意味内容を持った「観」は、じつは人間においてはなかなか理解できないものなのです。そこが問題の焦点でもあるわけですね。
 では人はどう理解してしまうのか。私が私の思いと力で無量寿を観ようとするのが「観」なのだということになってしまうのです。そのように自分をよしとするのを大前提として、その自分が何かをして万事やっていくというのが人間の考え方の基本でしょう。自己をよしとしている。何をするにしても、その「よき自己」をもってやっていく。「よき自己」を発動させて何でもやっていこうとするのです。
 目の前に仏道が現れれば、これもまた「よき自己」を発動させていく。仏道は大変な道だということになれば、従来に輪をかけるようにして「よき自己」を発動させていく。「よき自己」の全開ですね。これが人間というものでしょう。そこでは、自己は善人となり、仏は対象化され、善人が対象化された仏を掴み取ろうと善の行為を積み重ねていく。それだけが道となり、それが仏教なのだと自己論を肯定するのです。

 しかし、当然それは大いなる誤りです。自己は善人ではない。仏もまた対象化されるものではない。対象化というのは、仏を動かずにじっとしているものとして、こちらから仏とは何だろうと理性で判断していく。そのようなものとして仏を位置づけるということです。
 自己はもし真実の光に照らされてみれば、煩悩ゆえの悪業と如来真実を誹謗するという意味での罪の存在、底知れない闇の存在。一方仏は真実の心をもって私たちを大悲してくださり、必ず救うぞと自己の全体をもってはたらきかけて来られる者。自己が何であるかがわからないから仏がこのようなお方であることがわからない。従って、その仏に出遇う道も、仏からのはたらきを受けてそれによって出遇いの道を歩んでいけるという、その道にはならないのです。仏ははたらきかけて来ず、自己は歩んでいけない。

 「観無量寿」という表現を見た時に、人間の人間的な心は喜ぶのです。「無量寿」を「観」ることができる教えがあるのだと。あるはずだと思っていますから、それに適うように見える教えが現れれば、直ちに自分の思いに即して()じ曲げてでもそう見てしまうのです。その喜びはいかにも人間的。泡沫のごとき思い違いで実体のない、煩悩に踊らされた喜びなのです。「うまい話」なのです。
 そこには、自己をよしとするあり方を変えずに、これを否定されずに、このままで「無量寿」を手にすることができるぞという舌なめずりするような貪欲の思いがまことに不気味に虚しく沸き起こっている。ああ、しかしなんと懐かしい心の動きでしょうか。何度この「うまい話」にだまされて、真実を遠いものにしてきたことでしょうか。真実を否定し、煩悩を勝たそうとする狂おしい心。まさしく迷いそのものと言うべきですね。

 たとえ経典における「観無量寿」の表現が正しくとも、これが直ちに人々に正しく受け止められる可能性はまことに低い。悲しいことです。むしろその逆に、誤解して受け止め、いいものがあったぞと高く掲げて振り回す人がほとんどであろう。その現状の中にあって、「観無量寿」の表現を的確に焦点化して表わす必要がある。善導大師のお心にこのようなお考えがはたらいたのかもしれません。
 そこで、「観」が道の出発からゴールまでの全歴程をカバーするのならば、その道の最も大事な一点を「観」の語を用いて表わしてはどうであろうか。それはもちろん表わせるわけです。「観」はその内にその大事な一点を含んでいるのですから。それが「無量寿観」。こう表わせば、「観」とは「無量寿」が私たちを「観」ずることであることがはっきりとする。
 その時の「観」は、私たちが主語である場合は「みる」となるが、仏が主語の場合は「照らす」という意味で受け止めると正確であろう。如来真実の光によって照らされること。それが如来に出遇っていく姿。人間の理性で見るのではない。如来のお照らしで、如来の真実真心がこの世界全体を、私自身を照らし、それによってはじめて自己がわかり、如来に出遇える。
 賜った信心によってこのお照らしを生涯にわたって受け、自己を知らされて歩むところに、人間の救い即ち往生の歩みがなされていくのだ。このようにして善導は、「観無量寿」を「無量寿観」と表現を変えたのではないか。今私にはそのように思えます。

善導の担った課題
 では、善導大師が「観無量寿」を「無量寿観」と言い換えなければならない具体的な状況はどのようなものがあったのでしょうか。それは一言すれば、人間であることがその状況ということになるでしょう。では人間の状況とは具体的にどのようなものか。
 善導大師は中国の七世紀、唐の初期の時代の人です。その頃の時代背景として、人間の救いとして求めていたもの、その一つに不老不死がありました。道教の思想です。中国人を支配していた土着の思想です。仙術を操って不老不死の仙人となることが願われたのです。
 かなり前の人ですが秦の始皇帝は不老不死を願い、徐福にその薬の調達を命じましたがかなわず、結局水銀で作った薬を飲んで亡くなるということがあったようです。硫化水銀を()って作る煉丹術という、ずいぶんと怪しい薬が作られたのですね。目指すは不老不死、即ち「無量寿」なのです。命懸けで求めたのですね。結局始皇帝は五十歳でなくなります。自然にやっておけばもっと長命であったかもしれません。

 私たちがよく知っているのは曇鸞大師です。曇鸞は龍樹の空観を中心とした四論宗の学者でした。『大集経』という大部の経典の注釈をしようとしたところ、途中で病気にかかるのです。この時に、大事業をするためには長生の法を計らねばと思い、陶弘景という人を訪ねて不老長生の仙術を得ます。陶弘景という人は道教のある一派の開祖となった人で、医学や博物学などに通じた人です。
 この人から仙経を受けて喜び、帰途洛陽で菩提流支に出遇い、「仏法の中に長生不死を説くこと、この仙経に勝れたるものあるか」と問い、逆に菩提流支から叱られ、浄土の教え『観無量寿経』を授けられ、翻然とその非を悟り、仙経を焼き捨て浄土の教えに帰したと言われます。正信偈の「焚焼仙経帰楽邦」は見事な表現ですね。

 始皇帝も曇鸞大師も、目指したのは不老不死の教えです。即ち「無量寿」なのです。菩提流師が叱ったように、それは本当の「無量寿」ではありません。しかし、道教的な発想からすれば、不老不死の無量寿は大いに人の心を動かしたのですね。それは今日もそれほど変わらないでしょう。
 土着の思想というのは、土が世界中つながっているように、人間の長寿を求める発想は時代と場所を越えて不変不滅のように思えます。そこには真の長寿・無量寿とは何かを問う余裕すらなく、息急く思いで長寿を求めるのでしょう。早くしないと命がなくなるのですから。

 「長生きの遺伝子」なるものが見つかっているようですね。ただしこの遺伝子は眠っている。どうすれば目を覚ますか。それは飢餓状態になれば覚めるのだと。具体的には摂取カロリーを三割減にすればいいと。しかし、毎日生涯三割減は厳しい。うまいものを食べずに長生きだけしたって何の意味があるかというわけです。欲が何重にも重なっているわけですね。
 うまいことに、ある葡萄から同じはたらきをする成分が見つかった。それをサプリメントとして飲めば、カロリーカットせずに肉など御馳走を腹一杯食べてしかも長生きできそうだと。これが今日のアメリカ人の考え方のようです。秦の始皇帝にならねばいいですが。長生不死の欲望は不滅ですね。

「観無量寿」は、まずそのような道教的な人間の発想に流されず、これを照らし出すものとならねばならなかったのです。この経典の理解をしっかりとしたものにしなければ、うかうかしていると道教の仙経の一つになりかねないというわけです。迷信の領域に引き摺り下ろされる可能性もあったわけでしょう。しかし、「無量寿観」と、無量寿が私たちの生き方考え方の全体を観ずる、即ち如来真実のいのちである無量寿が私の全体を照らし出すのだとなれば、一挙に道教思想の人の脚下を痛烈に照らすことになるでしょう。これはいわゆる外道への対応です。

聖道門的考え方に対して
 もう一つは仏教の中の人たちへの対応です。いわゆる聖道門ですね。この人たちも大いに観を大事にされます。しかし、この人たちの「観」と、『観経』が説く「観」には決定的な違いがある。それを明らかにしなければならない。この課題を善導大師が担われ、結論として、経題を変えるわけです。本来の「観無量寿」の名は当然これでいいのですが、聖道の人たちには大いに誤解をされる。誤解のないように、さらには誤解を打ち砕くように経題を表わしたい。そして『観経』を本当にわかってもらいたいと。
 そういうわけで『観経』の教えの一番奥にあるポイントを顕した。その表現が『仏説無量寿観経』だったのです。「無量寿観」ということで表わした。「無量寿」という仏様が私たちを観ずるのです。仏が私を観ずる。仏が私に「観」という内容ではたらきかける。その「観」を中心にしたのが『観経』なのだと。観は観でも、単に私が自分の人間的力をもって仏を観ようとする、その観ではなくて、仏が私を観る観なのだと。こういうことは誰も考えないですよ。
 仏が私を観るという場合、その観は「照」なのだと善導は言います。照らす。仏の真実の智慧が私の闇を照らすのです。それによって私は初めて浄土に立ち仏に出遇うことができる。その照らすという行為が観なのです。仏のそのお照らしに出遇っていく道を歩むのが、『観無量寿経』のテーマなのです。

 照らされるということは、先ほど申した「『経』に云く」の「一者至誠心」の歩みなのです。この歩みにおいて、仏によって自己とは何かを照らし出されていくのです。だから、仏が私を観ずる、仏が私を照らす、というのは、その歩みの全体を一言で表わしたのです。その具体的な中身が、「一者至誠心」の教えです。
 真実の心を起こして毎日を歩んでいくことによって、私は真実の心がない存在だということが初めてわかってくる。これが仏が私を照らしているということです。この歩みをやっていけというのです。これが『観経』全体を挙げての教えになる、中心の教えというわけで、「『経』に云く」「一者至誠心と」となっていくのです。経題と至誠心の教えの重なりがここにあります。

 無量寿は阿弥陀のことだというのが分からない時は、長寿の意になってしまう。『観無量寿経』という題名を見て「おお、不老長寿をさせてくれる教えがあるのだ」と見てしまう。その人間的な深い思いが何時までも抜けない。その思いに立って、経典を自分の思いに叶うように編集し直したり、趣旨を変えたりして受け止めるのです。これが私達が経典を読む時の、間違いの最たる例でしょうね。これは何処でも誰の上にもあります。昨日も今日も明日も何時もあります。本当に経典を読むというのは難しいことですね。
 その時、真面目に読んだから正しく読めたのだという保障はどこにもありません。真面目であること自体は結構なことですが、しかし、真面目であることは人間を救うための何の根本的な根拠にもならないのです。真面目さは、人間的な理性、言い換えれば人間的な煩悩が装っている姿です。
 真面目であるのはいいことです。しかし、どの程度いいことなのか。そこは大きな問題です。真剣な顔して真面目にやったから万事いいんだと、許してやろうということになりやすい。世間のことはそうかもしれません。しかし、仏法にはそんなことはないんですよ。真面目が全てでは無いのです。

 「一者至誠心」についての善導の領解に次のような文章があります。「たとい身心を苦励して、日夜十二時、急に(もと)め急に作して頭燃をはらうがごとくする者も、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して彼の仏の浄土に求生せんと欲する者は、これ必ず不可なり」
 たとえどんなに身も心をも鞭打って一日中頭に燃える火をもみ消すような猛然とした勢いで頑張る者も、表面は猛烈に真面目な姿だけれども、内は煩悩を基にして行為しているわけで、善とは言っても、煩悩をもとにした雑毒の善としか言いようのないものである。この雑毒の善なる行為をいくら真剣に山ほど積み上げたからといって、それで浄土に生まれようと願っても、まったくそれは不可能である。こういうことですね。
 私たちは真面目にやったからそれでいいと思うけれども、その有様を見て内なる煩悩は高笑いしているでしょうね。「また煩悩にだまされて、真実を忘れて、真面目さを真実だと勘違いしておるわ、ワッハッハ」と。

 私達は自分の思いで無量寿をみてしまう。その在り方を最後まで変えようとしないのです。その私達に対して「そうでは無いんですよ」と。この経典が『観無量寿経』という題名で説いているのは、言わんとするところは「無量寿観」なんですよと。無量寿が観ずることを説いているのですよと。そうしますとね、「無量寿観」という題名が付けば、もうこれは「無量寿が観る」しか読めないですね。我々が観るのではない。実に明快な題名に変えたわけです。『観無量寿経』の奥にあって一番言いたい教えの核心を引き出して題名にしたということでしょう。
 
自性唯心と定散の自心
 二番目の聖道門も同じことですが、これについて『教行信証』信巻の別序のところを少し見てみましょう。
 「夫れ以れば、信楽を獲得することは如来選択の願心自り発起す。真心を開闡することは大聖矜哀の善巧従り顕彰せり。然るに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈んで浄土の真証を(へん)じ、定散の自心に迷うて金剛の真信に(くら)し」と。
 このように親鸞聖人は言われています。信心の問題が端的に挙げられていると思います。信心は「如来選択の願心」と「大聖矜哀の善巧」の二つのものによって私達の上に成立するのだと。いわゆる二尊教ですね。「如来」は阿弥陀。「大聖」は釈尊。阿弥陀が選択なさった、具体的に言えば法蔵菩薩の選択ですが、私達を救う為の選択の歩みが確認されている。もう一つは大聖、お釈迦様が私達を哀れみ悲しんで、様々な方法で善巧方便の教えを説いて下さった。その教えを聞いていく。『観経』がまさしくその教えでしょう。
 この二尊の教え、二尊のはたらきを受けて、はじめて私達の上に信心が成立するのだと。これが本来の在り方ですね。真実信心成就の道理を最初に出されまして、それであるのに聖道門の人達の歩み方はどのようになっているのかと。「自性唯心に沈む」「定散の自心に迷う」これが現実だというわけですね。

「自性唯心」これが聖道門の人達の在り方なのですね。自性の阿弥陀、唯心の浄土。人間各自の自己の本性というのは仏性である。その仏性に阿弥陀はそなわっている。この自性以外に阿弥陀はないのだ。阿弥陀は仏性を悟って阿弥陀となった。人間も阿弥陀と同じ一つの体である仏性を悟って仏となる。これが「自性の阿弥陀」という考えです。
 また、人間の心は迷いを離れて悟りを得れば、悟りを得た心のところが浄土である。その心以外のところに浄土はないのだ。だから、浄土教の経典が説く西方阿弥陀仏の浄土もその荘厳も、すべて方便の仮の教えとして説かれているのであって、実際のそのような浄土というのはないのだということで、「浄土の真証を貶して」しまう。これが「唯心の浄土」の考え方です。これが「自性唯心に沈む」姿ですね。

 さらに「定散の自心に迷う」。定散は定散心。定心と散心。定善を求める心と散善を求める心。定善の心とは、自分の心を静かに安定集中させることができると思い、それによって浄土や仏を観ていこうとする心。散善の心とは、心の集中はあまりできないが、善の行為であればできると思って、世間・小乗の善はおろか、大乗の善までやっていけ、それによって仏になろうと思う心。心の善と行動の善が共にできると思っているその「心」。これが定散心です。
 定善・散善共にできもしないのにできると思って、これに執着し、如来の本願によって賜る信心など何のことかわからない。これが「定散の自心に迷うて金剛の信心に昏し」ということです。
 「自性唯心」と「定散の自心」、いずれも自己肯定の心。この心への執着が、結局自らを信心成就から遠い者たらしめるのです。
 
私の奥に何がある
 仏様はどこにおられますかと問われた時、時々、「私の心の中におられます」と答える方があります。この表現で直ちに云々はできませんが、なぜそうなのかを本人もよく説明できないとしても、「自性唯心」の可能性はあるでしょう。浄土にしても、この世界は私の目には浄土に思えますと言われて、はたしてそれは真実の如来本願の浄土でしょうか。
 先師がよく話しておられました。教えを聞いてどんどん歩んで行き、自分の心をずっと見て行って、その奥に清浄なまばゆいばかり光り輝く自分がいると思ってずっと尋ねて行ったけれども、全くそうでは無かったと。そういう思いでしょうね。自分は今はパッとしないけれども、どんどんと奥に尋ねていけば、一番奥に真実清浄ひかり輝く心があるんだと。これが本当の自分なんだと思っている。
 ですから、「私に会おうと思われれば、その光り輝く心に出会って下さい」と言いたい気持ちです。今のこの私は仮の姿なのですよと。いつまで仮の姿なのですかと言いたいわけですが、そういう思いが自分の心の底にどっかとある。私たちが自分のことをこのように思えば、もう私のところへはたらき来ようとする如来など要らないことになります。一番の真実清浄の心が自分の中にあるわけですから。間に合っています。もうこれ以上何の必要もありませんと。それが自性清浄心、自性唯心、定散心ですね。

 このように、自分の思いと力で真実なるものを見ていこうとする無数の歩みは結局どうであったか。歴史は何を証明しているのか。親鸞聖人の場合は、このことの事実を比叡山ではっきりと体験なさったのでしょう。菩薩進展の五十二段の歩み、煩悩を超えて遂に自性清浄なる自分自身が開けて来るのだと。本当に開けて来たのか。
 親鸞聖人も矛盾の現実を目の当たりになさって、本当に人間を救う道はここには無いと思われて、山を降りられたのではないでしょうか。結局、聖道の人達は、自らの考え方に沈むしかなかった。「もうどうにもならん」ということでしょうか。しかしだからといって白旗を揚げるわけにもいかない。どうしようも無い。沈んでしまうしか無いのです。

比叡山とは何か
 比叡山の雰囲気は、大変なものだったでしょうね。皆が命懸けで頑張っているということは勿論あった。比叡山は自然環境が劣悪なところです。冬は寒い。夏は湿度が高く暑い。掃除地獄、経典を読む看経地獄、回峰行という地獄、学問は厳しく、食べるものは貧しいわけです。多くの脱落者を出しながら営みは続けられていく。しかし、聖道の営みです。果たして末徹るのか。自性唯心に沈む者が次々に現れたのでしょう。なぜ私はこの道では救われないとなぜ言わないのか。真剣な歩みと共に、底のない虚偽が蔓延していたのではないのか。驚くべき異様な雰囲気です。しかし、それを正当化していこうとする。
 親鸞聖人は精神的にも身体的にもタフだったのですね。この環境の中をやり抜いたのです。それもいわゆる「自己および人生に忠実に歩まれた」のです。自分に嘘をつかなかった。誤魔化さなかった。十代二十代の二十年間を歩みぬかれたのです。この力は驚嘆に値するでしょうね。

 この信巻別序の聖人は、そのような歩みをする聖道の人たちを批判してはいますけれども、当然それだけではなく、深く願いがかけられているのでしょう。人は皆そのように迷うものなのです。自分のことがわからない。自分の中に仏になる力があるように思うのが人間なのです。
 その思いに光を当てて自ら更に進み得るとなれば、よほど宿善のある人と言えるかもしれません。しかし、その宿善も自ら勝ち取っていかねばならない場合もある。自分に騙され、自分に迷い、自分と戦っていくのがまた人間。虚偽に沈まねばならない、じつは悲しい存在なのです。その人間存在に向けて如来選択の願心がかけられている。大聖矜哀の善巧方便の教えが説かれている。どうか皆さん、この本願の教えに耳を傾けて頂きたいと、聖人の必死の願いと呼びかけがあるように思います。

 『教行信証』の最後のいわゆる後序のところですが、「(ひそ)かに以れば、聖道の諸教は行証久しく(すた)れ、浄土の真宗は証道今(さかん)なり」。聖道門の教えは「行証久しく廃れ」、その歩みも、歩みによってもたらされる筈の救いもどこにもない。何時頃から廃れたのか。じつは初めから廃れているのです。本当に行があり、証が盛んに巻き起こっているのは「浄土の真宗、証道今盛なり」なのだと。
 これは聖道と浄土の現状を単に対比したのではないでしょう。浄土の真宗のところに、ここに真実があるのだ。聖道の皆さんは自己をよしとして自己に真実ありとして歩んでこられたが、どうか、ここに南無阿弥陀仏として在ます真実に出会ってほしいと。聖人の切なる願いがあると思います。

聖道門と浄土門
 今、善導大師の場合は、少し前の随の時代に、この時代を代表する法師が三人いました。善導は諸師と呼ばれるこの方たちの『観経』理解の根本の趣旨の(あやま)りを正す「古今楷定」という大事業を成し遂げたのです。
 諸師の代表が浄影寺の慧遠です。さらに天台の智顗、嘉祥寺の吉蔵の三人です。六世紀の隋の三大法師と呼ばれています。この人達もまた自分の力を信じた聖道の人なのです。仏教に対する認識が浄土教の念仏の人とは随分異なります。『観経』は浄土教の教えです。これを聖道の人がどう読むのか。大きく二通り考えられると思います。
 一つは、聖道門に立ってこれを読む。『観経』を聖道の教えとして読んでしまうわけです。どこまでも聖道門に立てばそうなるでしょう。もう一つは、いかに聖道の立場に立っていても、浄土教の『観経』を読んで、自分の根本的な間違いに気づくという読み方です。こうなると(すさ)まじい読み方になるでしょうね。

 深励という人は「これらの諸師は仏法門中に竜象と仰がるる人なり。千歳の末に至るまで、釈義の模範たる英哲故、誤るべからざるなり。」このように言われます。この三人の諸師は、聖道門の世界においては「竜」や「象」にたとえられた英哲である。この人たちの釈義は千年の末に至るまで誤るということはないのだと。
 これは面白い解釈ですね。なるほど隋の三大法師と言われることはあります。しかし、ではなぜ『観経』を間違ったのか。それについて深励は「いわく、海に帆かける者は山を知らず、山に(かけはし)する者は水を知らざるかな。これらの師も聖道の経論を釈するに及んでは、誰も肩を並ぶることをえんや。今浄土の『観経』を釈するに至りては、謬り無きに非ず。聖道自力の教格をもって浄土の『観経』を釈する故に、大に相違することあり。」
 諸師たちは聖道門の大学者だから、聖道の経典の解釈においては誤ることはない。しかし、海の者が山を知らないように、浄土の経典である『観経』の解釈を聖道自力の考え方で解釈したものだから、それで大いに間違いが起こったのだ。このように深励は言うわけです。
 なるほど。これは面白いですね。人それぞれ専門領域がある。その分野では秀でていても、違う分野ではそうは行かない。似た分野だからといって自分の分野のやり方でやるととんだ間違いをしてしまうわけです。それはよくわかりますね。

 しかし、それでも一つ気になるのは、聖道門・浄土門というのは、仏教の受け止め方の基本であり、そもそも仏教は人間の生き方の基本を問題にしたものでしょう。人間の生き方にいわゆる専門領域があるというのも何かおかしい。個性の面では異なっても、人として生きる生き方の最も根本は一つでなければなならないはずです。それを明らかにするのが仏教のはず。聖道でも浄土でもいいというわけにはいかないのではないのか。
 いかに聖道の専門家であるといっても、浄土の経典は浄土の経典として読まねばならないのではないのか。というよりも、本当の人間の生き方を、その経典の教えを頂くことによって知らされていくという柔軟な求道姿勢があって当然ではないのか。経典解釈を学問と位置づけ、自らの聖道門を学問の方法論としてこれに臨み、解釈していったのではないのか。そこにはやはり自らの「聖道自力」のあり方そのものが問われてくるべきではないのか。ちょっときついようですが、そのようにも思えます。
 しかし、そのように諸師たちができなかったということは、聖道自力の仏教理解と人生の生き方が徹底していたということでしょうか。また徹底させるものを人間は本来持っているということでしょうか。強烈で盲目的な我執ですね。
 従って、今後経典の本文を見ていく中で諸師と善導の受け止めの相違が出てくると思いますが、諸師たち個人の見解というよりも、聖道門の見方ではこのようになるのだという点は学んでいくことができると思います。

『観経』の要義
 諸師の『観経』の読み謬りの最大の問題は、この経の最も大事な点、それは「要義」と言われますが、この点が誤解されるところにあります。善導は言います。「(それがし)今この『観経』の要義を出だして古今を楷定せんと(おも)う」。古今を楷定するということが、諸師の解釈の謬りを正すことではありますが、それは必ずしも一々の文についてというのではない。一番の問題は、そもそも『観経』は何を説く経典であるかという、その全体を挙げて最も大事な『要義』が誤解されることです。即ち南無阿弥陀仏という念仏によってあらゆる人が救われるというこの要義が誤解されるということです。
 念仏に対する誤解は、それこそこの経典の誤解の中心になるもので、全編にわたって誤解の姿が明かされていきます。それをもまた折に触れて少しずつ見ていくことになりますが、一つ問題は、その誤解と正解の場面を前にして、私たちは自分を正解の側に置きやすいということがあるかもしれません。即ち善導の側に置くのです。そうすればいつも正しく、いつも相手を批判できますから、気持ちはいいはずです。

 しかし、謬りを指摘される諸師たちは聖道門の英哲です。自信を持って聖道門としての立場に立ち、そこから解釈をしているのです。私たちはどうなのか。英哲とはいかなくとも、自己をよしとし如来を否定する聖道自力の心を持った者ではないでしょうか。善導の教えによらなければ、遂に『観経』は読めなくなるに違いない者なのです。ですから、諸師の立場と理解の仕方を通して、自己を知るということも大切な読み方になるのではないかと思います。諸師を批判する善導の側に立って喜ぶのもいいでしょうが、善導の教えに照らされて諸師と共に謬りを知らされていくのも有り難いと思います。

経題は「南無阿弥陀仏」
 さて、善導は『観経』の要義を出だすことの大切さを述べましたが、その要義とは南無阿弥陀仏ですね。諸師の聖道門的な読み方では、『観経』そのものが聖道門の経典になってしまって。念仏は経典にあるから登場はしても、この経典の一大中心部分である『要義』にはならないわけです。片端に追いやられる。善導は、中心は念仏だと押さえる。念仏が中心でありますから、これは必ず経題に登場するのです。『仏説無量寿観経一巻』この中にじつは南無阿弥陀仏が登場している。
 はじめに申しました『流通分』のところで、阿難は経題を何にすべきかをお釈迦様に尋ねましたが、もう一つ、「この法の要、まさに云何が受持すべき」と尋ねます。『観経』全体は要するに何を説いているのか。それを一つのものに摂めるとどうなるのか。これに対してお釈迦様は、
 「汝まさに受持し忘失せしむること無かるべし。・・・・・汝()く是の語を(たも)て。是の語を持てとは即ち是れ無量寿仏の(みな)を持てとなり。」
 このように説かれます。「無量寿仏の名を持つ」すなわち念仏を申し、念仏を伝える。『観経』はここに帰結するのだと。

 このことは当然経題に登場するのです。『仏説無量寿観経一巻』という経題について善導は、その「無量寿」について次のように述べます。
 「無量寿と言うは、乃ち是れ此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言うは、又是れ西国の正音なり。」
 「無量寿」というのは中国の言葉である。その無量寿の西国の言葉は「南無阿弥陀仏」であるということです。実際はもう少し述べているのですがそれは略して、要するに、「無量寿」とは「南無阿弥陀仏」のことであると。単に阿弥陀仏ではなく南無阿弥陀仏なのです。勿論「単に阿弥陀仏」というのはありません。阿弥陀仏と言っても南無阿弥陀仏と言っても同じです。動いてはたらく仏です。このように経題は『観経』の要義である南無阿弥陀仏を明確に出しているということですね。
 経題については広範な問題がある感じがします。それこそ本文全体を経題が代表しているのですから。そういうわけで、ここまでのところは今はこの位にしておいて、又折を見てということにしましょう。

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(三)『一巻』について

王宮会とその前後

 さて最後に『一巻』についてです。なぜ「一巻」を経題に入れるのか。これについて善導は次のように述べます。  
 「一巻と言うは、此の観経一部、両会の正説なりと言うと(いえど)も、(すべ)て斯の一を成ず。故に一巻と名づく。故に『仏説無量寿観経一巻』と言う。此れ即ち其の名義を釈すること(おわ)んぬ。」
 『観経』の説かれ方は少し複雑です。普通であれば、お釈迦様がある場所であるお話しをされた、それが一つの経典であるということでしょう。この経典は少し違うのです。

 まず、お釈迦様が王宮で韋提希に説く前に、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にましまして教えを説いておられた。そこへ王宮の牢獄に閉じ込められた韋提希から救いの声がかかったのです。
 お釈迦様は目連と阿難を連れて王宮へ行かれ、韋提希に阿弥陀の本願の教えを説き、耆闍崛山に帰られます。帰って今度は阿難に、今王宮で自らが説いた教えを、待っていた人たちに向けて説かせるのです。阿難が説くこの会座を耆闍会と言います。この耆闍会のことが簡単な叙述ですが、この経典の最後に出てきます。
 そういうわけで、『観経』は、その中身は、王宮会と耆闍会の二つの会座で構成されています。「一巻」というのは、二つの会座が成立することによって始めて経典一巻が成立するのだという意味でしょう。王宮会は成立しても耆闍会が成立しないというのであれば、そもそもこの経典は成立しないということになります。これはどういうことでしょうか。

 『観経』という一つの経典の中に会座が二つある。二つの会座の成立をもって一つの経典が成り立つ。言い換えれば、『観経』という経典が成立するためには、会座が二つないといけないのです。経典の成立ということが仏教の成立ということでしょう。仏教が成り立つためには会座が二ついる。常に二ついる。面白い考えですね。
 その二つの会座をもう少し丁寧に見てみましょう。第一は王宮会ですね。韋提希は既に幽閉されていた主人の王を助けるために密かに食べ物を運びます。しかしそれが阿闍世の知るところとなり、捕らえられ殺されそうになりますが、命は助けられて牢に閉じ込められます。韋提希は愁憂し、お釈迦様に救いを求めるのです。
 その求め方にいろいろ問題はあるのですが、お釈迦様は韋提希の心の深い願いに応えようと耆闍崛山からやって来られる。その時、耆闍崛山ではある会座が開かれており、お釈迦様はそれを中断し、皆を待たせておいて王宮に行かれるのです。そこにまず、耆闍崛山と王宮との関わりがあります。
 王宮でお釈迦様は、じつに丁寧な教えを説かれます。仏を謗る韋提希に対してそれにふさわしい教えを説き、遂に阿弥陀の本願の教えを説いて南無阿弥陀仏と念仏に生きる韋提希を生み出すのです。この韋提希への教化が王宮会ですが、傍にいた阿難や目連、そして侍女たちも皆大いに歓喜して王宮会は終わります。
 王宮会を終えたお釈迦様は目連と阿難と共に耆闍崛山に帰られますが、ただ帰るのではありません。帰って、耆闍崛山で、待っていた人たちに向けて今王宮で自ら説いた教えを自分に代わって阿難に説かせるのです。これが耆闍会です。じつは待っていた人たちの中に、いつの間にか新たな人たちが加わっているようです。天人・龍・夜叉と表現されています。何者でしょうか。未来の衆生ではないかと思われます。

 想像してみてください。耆闍崛山で、未来の衆生が含まれた聴衆を相手に、お釈迦様ではなくお弟子の阿難が、しかもお釈迦様が王宮で説かれた教えをそのまま説いている。この光景はどうでしょうか。しかも、聴衆は聞き終わって、仏法をお聞きすることができましたとお釈迦様に対してお礼を申し上げて、大いに歓喜して帰っていったのです。

 この二つの会座が成り立つことによって経典一巻が成立するということは、次の二つのことが内容となっているように思われます。一つは中止した耆闍崛山の会座での教えの内容と王宮で説かれる教えの内容との関わりです。もう一つは、王宮会と、王宮でお釈迦様が説かれた教えを別の場所で別の人が説くという耆闍会との関わりです。
 第一のところから見てみます。お釈迦様は各地で教えを説かれましたが、その中心が耆闍崛山で、お釈迦様御一代の教えがここで説かれたというように象徴的に言われるのが耆闍崛山です。釈迦の一代教とは何でしょうか。お釈迦様は何を説くために仏陀となられ、何を説くために御一生の時間を費やされたのでしょうか。そのことが耆闍崛山での会座を中断して王宮の韋提希のところへ行かれた、という表現で語られているのです。このことのためであるということですね。

 説きたいことは一点でしょう。しかし、それを説くためには環境を整えたり準備が必要です。そのための教えをまず説かねばなりません。それが耆闍崛山で説かれていたわけです。そこへ悲劇の中で愁苦する者が現れ、お釈迦様に救いを求めた。その者を真に救おうとお釈迦様は王宮に行かれます。
 じつはその人間悲劇の中で愁苦する者を救うのがお釈迦様の願いだったのです。救う道理は既にこれも耆闍崛山において大無量寿経を説き、阿弥陀の本願・南無阿弥陀仏を明らかにされています。南無阿弥陀仏によって愁苦の者を救おう、これこそが自分が仏陀になった目的である。ここにお釈迦様の存在意味が現れているのです。
 もし韋提希からの救いの要請があっても、お釈迦様は耆闍崛山で知らぬふりをして更に比丘たちに向けて教えを説き続けたとしたら、いったい仏教は何のための教えかと疑問視されるでしょう。そうではない。人間は悲劇的な苦悩の存在、悲劇的な現実の中でどう生きていいかわからない存在なのです。その者の上に如来真実の本願である南無阿弥陀仏を届け成就させて、念仏申して生きる人たらしめたい。そこに、じつに真実に生きる人が生まれるのです。
 人間業苦の悲劇の中にありつつも、なお真実に生きることが可能である。この道がある、この道を歩ませる教えがある。自分はそれを説くのだ。これが仏陀としての使命なのだ。このように思い実行するお釈迦様がそこにおられるのでしょう。
 こういうわけで、釈尊一代の教えは、悲劇的人間を真に救う如来本願の教えを説くためのものであった、ということが、一代教を『観経』の内に含めた形で言うことができるのです。一代教を含んで立つ『観経』、ここに『観経一巻』が成立する。このように言えるのではないかと思います。

一経両会
 第二の問題はもっと劇的と言えるかもしれません。これが直接善導が問題にした「両会の正説なりと雖も、(すべ)て斯の一を成ず」ということです。今、王宮会はお釈迦様によって説かれ、聴衆は皆大いに歓喜をして念仏の人となったわけです。王宮会は既に成立している。
 問題は耆闍会です。お釈迦様が王宮会を終えて耆闍崛山にお帰りになる時のお気持ちはどのようなものだったでしょうか。私は、或いはお釈迦様のご生涯の中で最もうきうきして嬉しい時ではなかったかと思っています。なぜなら、悲劇愁苦の人間を真に救う教えを未来永劫にわたって説くことができる、このことを今から証明しようという時だったからです。そしてその証明はやってみなければわからないというのではなく、必ずできるという確信がお釈迦様にはあったのです。私でしたら気は焦るところですが、お釈迦様はどうだったでしょう。

 お釈迦様は阿難に説かせます。阿難は仏教伝持の役を担っている仏弟子です。王宮会でお釈迦様のお傍にいて、お釈迦様が説かれる教えを覚えているわけですね。ここでなんと言っても大事なことは、仏法を仏陀であるお釈迦様以外の者が説くということです。ここはしっかりと銘記すべきところです。
 そして説いてみて、結果はどうであったか。お釈迦様が説かれたと同じ結果、即ち王宮会で「皆大歓喜」とあった、その通りのことがここでも起こったのです。つまり、阿難はお釈迦様と同じように説くことができたということですね。お釈迦様はじつはこのことを大衆の中で確認なさりたかったのではないでしょうか。仏法は誰もが説くことができるものなのだと。

 これについては正宗分の華座観の前文のところで同じような場面が出てきます。お釈迦様がいよいよ今から除苦悩法、即ち阿弥陀の本願を説こうと言われる時、阿難と韋提希に向けて、この教えを聞いてお前たちはそれぞれこれを後に説いていくのだぞと告げられます。これを聞いて阿難はともかく、韋提希は驚いたのではないでしょうか。自分は自分の苦しみだけが取り除かれればいいと思って聞いてきたのに、その教えを皆に伝えていかねばならないのかと。真実の教えは人をこのように転回させるものということですね。

 では、阿難とは誰か。耆闍会とはどの会座か。私は阿難とは私たちであり、耆闍会とは私たちが今開いているその会座のことではないかと思います。かつて王宮で如来本願・南無阿弥陀仏が説かれた。この教えはその後のどの会座においても説かれていかねばならない。南無阿弥陀仏が説かれ説かれて、念仏申す人が一人また一人と誕生するのです。今日の会座が、いかにそれがささやかなものであろうとも、聞いた者が、本当によかった、毎日念仏申して頑張ろうといって帰ることができる会座にならねばならない。それが会座の成立なのです。
 どの会座も今日の会座が成立しなければならない。それが耆闍会の成立でしょう。今日の会座が耆闍会として成立することによって、既に成立している王宮会と相俟って、それで始めて如来本願・南無阿弥陀仏を説く『観無量寿経』が成立するのです。

経典は生きている
 ということは、『観経』という経典は今日もまた私たちのところへやってきて、耆闍会としての成立を待っている。といっても、『観経』が私たちにはたらきかけて今日の会座が成立するのですが、『観経』はその成立を待っている。成立することによって『観経』もまた力を与えられ、また次の会座へ行って、そこではたらきかけ耆闍会としての成立を待つ。経典が私たちにはたらき、それによってよみがえった私たちが経典を更によみがえらせることになる。よみがえった経典はいよいよ力を得て次なる会座の人々をよみがえらせるべくはたらきかけていく。
 即ち、経典は生きているのです。私たちとの間で、私たちの開く会座との間でいのちを通い合わせて経典は生きてはたらいている。経典は大昔の骨董品ではないのです。骨董品を眺めるように経典に向かうのではないのです。私たちを生かすいのちの大いなる塊なのです。

 こういうわけで、王宮会と耆闍会、二つの会座で『観経』はできており、二つの会座が成立するところに『観経』は成立する。私はこの「一巻」と「耆闍会」の教えを受けて、経典とは何であるかが、初めてわかった思いがいたします。経典は生きている。私たちのいのちと救いと、そして具体的な聞法のあり方と深い関わりを持って経典は生きているのです。

翻訳者について
 最後に、『観経』を翻訳した人について一言申しておきます。『宋 元嘉中畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)』と記述されています。「畺良耶舎」という人について、慧皎の『高僧伝』の中に書かれているものを見てみます。
 「宋の京師の道林寺の畺良耶舎 
 畺良耶舎、中国名は時称(じしょう)は西域の人である。性格は剛直で寡欲、みごとに阿毘曇(あびどん)を諷誦し、律部の経典を広く渉猟し、その他さまざまな経典をおおむねわがものとし、三蔵すべてに明るかったが、禅門をとりわけ専門とした。いったん禅観に入ると、時には七日も覚めることがなく、いつも三昧でもって諸国に布教した。元嘉(四二四~四五三)の初め、はるばる流砂の危険を冒して都(建康)を目指し、太祖文皇帝はとても感激した。
 最初、鍾山の道林精舎に住し、沙門の宝誌はその禅法を崇め、沙門の僧含は『薬王薬上観経』ならびに『無量寿観経』の翻訳を要請し、僧含が筆受した。この二つの経典は煩悩を転じて開悟させるための秘術、浄土に至るための偉大な基であるので、沈思し吟味してじっくりとかみしめ、宋国に流通させたのである。平昌の孟顗は評判を耳にして敬服し、手厚く資金を提供した。孟顗は会稽太守として赴任する際、同行するように固く要請したが赴かず、その後、移って江陵に落ち着いた。元嘉十九年(四四二)、西のかた岷蜀の地に旅をしてあちこちで布教し、禅学の徒が群れをなした。その後、江陵に戻って卒した。享年は六十。」
 このように記されています。「畺良耶舎」の原語は Kalayasas カーラヤシャス のようです。 
 都の建康へ来た四二四年以降の時点で、『観経』を翻訳したことになります。

 廬山の慧遠という人がいました。中国の念仏の始まりですね。それは観想念仏で自分の想いで仏様を思って念仏する。仏様からの称名念仏ではなくて自分が念仏するものだったわけです。三七九年ころ廬山に入り、やがて白蓮社という念仏結社を同志百人余と共に作るわけです。
 慧遠は四一六年に亡くなります。この人がもう少し、あと二十年くらいでも長生きをしていたら、中国の浄土教、念仏の教えの出発点はずいぶん変わっていたかもしれないと思います。観想念仏ではなくて称名念仏が本当だったんだとなるに違いなかったんですけどね。そうすると出発点から中国は本格的な本当の称名念仏で出発出来たんですけれども。まあそれはそれとして。
 これが四二四年。五世紀前半。これから百年経った六世紀に先ほどの隋の三大法師たちが出た。それから百年後、七世紀に善導が出た。なかなか忙しい。『観経』が世に出てから善導がこれを見るまでに、二百年ほどしかたっていないことになります。

 今回は、『仏説観無量寿経』という経題を中心にしていただいてきました。次回は序分に入りましょう。

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