5 第八・九・十章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
 まえがき  
  一 第八章  
  二 第九章の一 ? 
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   講  話  
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二 第九章の一 「求道のあゆみ」


   講 話 「求道のあゆみ」

問答して明らかにすること
 この「歎異抄に聞く会」も、今日で、十七回目――、発会のときから数えますと十八か月になりますが、途中で一回休みましたから、ちょうど十七回目になるわけであります。
 実は、いま、みなさんにお約束しましたように、この会の講話や座談会の録音を、松井君が整理してくれておりまして、できるだけ早い機会に活字にしたいということで、出版の準備を進めております。その整理された原稿を、八月の末から九月にかけて読ませてもらっておりますが、文字になってみると、また面白いものですね。
 座談会で、みなさんが話し合っておられることばなど、そのときには聞きのがして、さほどに感じなかったことでも、文字になってみますと、なかなかいいことばがあります。一人で、机に向って坐っていたのでは、とても気がつかないような問題や、どれだけ一人で頭をひねってみても、とても出てきそうにない表現などがあって、なかなか面白い。そういうことで、この会は月に一回ですが、前の記録を読むものですから、何回も何回も、ここで話し合っている様子を反復しているようなことです。
 さて、今日は、第九章であります。意訳したものをプリントして、みなさんのお手元にお届けしてありますが、それをみればわかりますように、第九章は、比較的長い。歎異抄前半の、師訓十章のなかでは、第二章とほぼ同じくらいで、めずらしく長い文章であります。
 これは、読めばすぐわかりますように、この歎異抄を書いた唯円と、親鸞との対話であります。前半の十章には、ご承知のように、対話問答のかたちで書かれたものが、二か所あります。その一つは、第二章――、京都の親鸞聖人に会って疑いをはらしたいというので、はるばる関東から、いのちがけでたずねてきた同朋(どうほう)たちと、親鸞との対話。ですが、この第二章は、問答といいましても、問いのことばは略されておりまして、親鸞の教えだけが記録されてあります。
 そして、いま一つが、この第九章であります。また、後半にまいりますと、第十三章も、やはり親鸞と、唯円との対話形式でもって書かれてあります。つまり、歎異抄には、みなで三つの問答がある。ということは、そこには、対話・問答の形式によるのでなければ、明らかにできないようなことが書かれてある、ということでありましょう。そういう意味で、この三つの問答は、非常に大切なものだ、といわねばなりません。

師訓十章における二つの問答
 それで、まず第一章ですが、そこには、真実の教えというものが説かれてありますが、第二章では、それを承けて、その教えとの出会いが語られる。教えに出会って、教えを実践する、ということが、関東の同朋と親鸞との対話という歴史的な出来事をとおして明らかにされる。そこで語られているのは、親鸞と法然との出会いについてでありますが、しかし、親鸞は、そのことを、単なる昔の物語りとして、想い出として話しているのではない。その昔を今として生きつつある、ということを述べて、教えに生きるとはどういうことか、教えを実践するとはどういうことか、ということを、関東の同朋たちに教えております。
 そのように、まず第一章には、真実の教えを掲げてあります。これは、歎異抄の総説という意味をもっているのですが、それを承けて、第二章に問答がある。そして、念仏の教えを実践するということ、念仏の教えを信ずるということ、念仏の教えを(あかし)するということなどが、次第に明らかにされる。念仏の生活が説かれる。そうして、その帰結が、第十章に「念仏には、無義をもって義とす」「念仏においては、われわれ人間のはからいがない、ということをもって、本義とする」と述べて、自然法爾(じねんほうに)の生活に帰着する、というのでありますが、その第十章の直前に、一つの問答がある。それが、この第九番であります。
 すなわち、前半の師訓十章では、念仏の教えと、その教えに開かれる道、および、その道を行く生活などが述べられるのでありますが、そういう念仏生活がアミダの大自然界に帰着するに先きだって、どうしても通らなければならない関所がある。道をあゆんで行くについて、どうしても解決しなければならないような大きな問題がある。そのことを、いま、第九章では、唯円と親鸞の対話をとおして、明らかにする。それで、わたしは、この第九章を、二回に分けて、まず今日は「求道のあゆみ」という題目で拝読したい、と、このように思うのであります。

野間宏の「歎異抄について」から
 さて、この、「求道」ということですが、これを、わたしたちは「道を求めること」と解しております。そのとおりにちがいありませんが、この求道ということには、同時に、求めるということそのことが道となる、という意味もあるにちがいない。なにかを求めてやまないという行為そのものが道となり、そういう行為そのものに道が開ける、と。したがって、求道ということは、たたかいであります。道には、つねに誘惑がある、さまたげがある、だから、求めて行こうとする心は、誘惑する心とたたかう。道心は、さまたげにくじけそうになる心とたたかう。
 あの、作家の野間宏氏――。東京にいます頃、わたしの勤めていた研究所が主催して、月に一回、現代思潮講座と称して、宗教講演会を開いた。そのとき、お呼びして話を聞いたことがありますが、この人は、思想的政治的には左翼の立場をとっていて、そして、親鸞にも深い関心を寄せておられる。だから、「親鸞」をテーマに小説を書きたい、ということをいっておられるそうですが、その野間氏が、いま、東本願寺の『同朋』という雑誌に、「歎異抄について」という文章を連載しておられる。それで、その第九章のところをみますと、はじめの書き出しに、こう書いておられます。
 「私は、親鸞は人間の心の深い探究者であったと考えている。私は、そのことを親鸞の文章を読みながら、よく考える」
と。もう少しご紹介しましょう。
 「親鸞は見つめている。しかし親鸞は、遠くはなれて、人間の心をじっと観察しているのではない。その心の動きのなかに自分自身がはいって、その嫉妬の苦しさを感じながら、その憎しみのあつさを感じながら、その悲しみの深さのなかにくぐり入りながら、人間の心をじっと見つめているのである。歎異抄は、そのことを私に感じとらせる。……思い、欲し、感じる心。煩悩にたえず動いている心。また、その裏側で、聖なるものを求めつづける心。この人間の心をきわめなければ、念仏する心そのものを明らかにすることはできないのである」。
 わたしなんかとちがいまして、作家というものは、なかなか表現力が豊かでありますから、歎異抄の解説も楽しく読ませてくれます。それから、その後のところに、こうあります。
 「いかにして、信じる心を、人間の動きつづける欲望からきりはなして保つか、また、他のさまざまな感情のくもりからぬぐい去るかが、親鸞の一つの大きな問題だったと思う。……第九章は、この親鸞の自分の心とのたたかいの一つの姿をよく伝えている。心とたたかい、如何にして念仏によってそのたたかいを収めて行くか。また心とたたかい、如何にして他力信心のなかに自分をおいて行くか。そのすぐれた方法がみられるのである」。

決めたことは決ったのではない
 ここで、すこし第九章を読んでみましょう。まず
 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)の心おろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたき心のそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」
とある。これが唯円のことば、唯円の問いなんです。
 つまり「念仏を称えても、おどりあがるような歓(喜)びが、さほど感じられず、また、いそいでアミダの浄土へ行きたいという心にもなれないのは、いったい、どうしたことでしょうか」と、たずねているわけです。ここに、求道における極めて大切な問題が語られている。つまり、「念仏もうしそうらえども――」とありますように、念仏の道にありながら、その道と、ピタッと一つになれない、という問題がある。
 すでに第一章には「アミダの誓願の不思議な力にたすけていただいて、かならず浄土に生まれるのである、と信じて、念仏をとなえようとおもいたつ心のおこるとき、まさにそのとき、すくいは実現する。すなわち、あらゆるものを摂取して捨てないアミダの心が、人生のただなかにあらわれて、わたしたちは、この、かぎりのない智慧ある愛のはたらきに、生かされて生きるものとなるのである」とありました。
 そこで親鸞は、「弥陀(みだ)の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益(りやく)にあずけしめたもうなり」と、いい切っているのです。
 そしてまた、第二章においては、同朋たちの問いにたいして、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをこうむりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と、答えております。だから、親鸞の道は、もう二十九才のとき、法然上人に出会ったそのときに、決定したのだ、というのです。
 ところが、その後の親鸞のあゆみをみればわかりますように、道は、もうそのときに決ったのだから、それからはなにも問題にならなかったのか、といいますと、決してそうではない。道をあゆむ、そのあゆみのなかに、次から次へと障害がたちあらわれる。問題が出てくる。なにもかも「ただ念仏」と決ったはずなのに、ほんとうに決ったとはいえないもの、なにか決らないものが、残っている。
 そういう意味で、第二章の問題は、「道は念仏の教えである」と、決まるか、決まらぬか、というところにある。ところが、その道をあゆむなかから、決ったはずの念仏の道に、決らぬものがあるのに気づいてくる。これが、第九章の問題、「念仏もうしそうらえども」という問題であります。だから、教えに出会ったとき、なにもかも決ったというけれども、それは、ほんとうに決ったことだったのか、あるいは、自分が決めたのではなかったのか。
 もし、決めたのだとすれば、そこには無理がある。その無理が、決ったはずだったのに――、と顔を出して、「念仏を(とな)えても――」という問題をひきおこしてくる。だから、このことは、道をあゆむものにとっては、実に大切な問題なのであります。

スランプということ
 まあ、道をあゆんでいくについては、いろんな問題が出てきます。今日も、ここへ着きまして、松井君の顔を見るなり、すぐ聞いたのです。「いまは養蚕(よおざん)の最中じゃないのか」と。仕事が忙しくて、手が離せない――、これも、やはり障害になります。それから、今日の「案内のことば」にも書きましたように、倦怠(けんたい)という問題もあります。座談会でも「倦怠について」ということで話合ったことがありますが、今日のテーマも、それとちょっと似たような「スランプについて」。これも、やはり問題です。
 この「スランプ」ということで、わたしには、一つ忘れられない想い出があるのです。というのは、もう二十年も昔、中学から高校の頃の話なんです。あの終戦の昭和二十年に、わたしは、旧制中学の三年生だったのですが、あの頃には、言論の自由だとか、武器を放棄した日本人の武器は弁論であるとか、といいまして、中学生の間では、だんだんと弁論が盛んになったものでした。わたしも、戦後の中学校弁論というものの草分けだというので、ひと頃は、大いに熱をあげてやったものです。
 シーズンになるというと、あちこちで大会がある。学校主催の大会だけではなくて、いろんな種類の、地区大会、県大会、そして全国大会というものが催されたものですが、出場すると、いつも成績がいいものですから、いつの間にか有頂天になってしまって、そのうちに、聞いてほしいことがあるから大会に出るのか、優勝旗がほしくて出るのか、わからないようになってしまった。弁論大会の案内状が来ると、なにを話すかということより先きに、まず優勝カップがチラツクというような状態になってしまった。
 そうして、中学五年、いまの高校二年ですが、その後半になりますと、そういうことに気がつきはじめた。自分は心にもないことをしゃべっている。これは虚偽である。ウソである。イツワリである。というわけで、すっかり懐疑的になった。まったくのスランプで、どうしても壇に立てなくなってきた。そうして、半年もすると、完全に弁論恐怖症のようなものにかかりまして、とうとうやめてしまった。そういう意味で、このスランプということばは、わたしには親しみのあることはなんです。
 その後、大学に進みまして、仏教を学んだ。そうして、そこで、話すということは聞くことなんだ、と教えられた。つまり、ただ聞き手として聞くだけが「聞くこと」ではない。話すということは、語り手に廻って聞くのである。自分に聞いた了解をことばに表現することによって、さらに了解を深めるのである、と。そう気づきましてから、また再び、この会のように機会があれば、人の前に立って話をすることができるようになった。そして、いつか中村君の「案内のことば」にありましたように、へタでむつかしい話を聞いてもらっている。
 ところが、最近、中村君から「伊東先生、話がだんだん上手(うま)くなってきましたね」とひやかされているのです。それを聞いて、わたしは「危険信号の赤ランプかな、語ることは聞くことでなければならぬのに」と、このように、改めて思っているようなわけです。

意識のカベが破れる
 それから、道をあゆんでいきますと、壁にぶつかる、ということもあります。すると、わたしたちは、まずその壁をぶち破って、前へ進むことを考える。ところが、その壁が厚いというと、その前にたたずむか、坐り込んでしまうか。あるいは、壁を背にして、もと来た道を引きかえすことを考えるか。
 しかし、壁の前にたたずんだり、来た道をもどろうなどというのは、負けですね。道をあゆむその「あゆみ」に負けたことになる。だから、そこでは、どんな障害でも乗り越えて行くんだ、どんな厚い壁でも突き破って進むんだ、というような勇気がほしい。また、それくらいの心がまえがなければ、人生の困難に打ちかって、自分のやりたいこと、やるべきことをやり通すことはできない。
 ところが、壁というものは、行く手をさえぎる障害ということで、譬喩(ひゆ)的表現なんですね。つまり、それは、左官さんの塗った土の壁、コンクリートの壁じゃない。それは意識のカベなんです。そして、それは、破って破れるものなら「壁」とはいわない。破ろうとしても破れないから「壁」というわけです。
 あるいは、越えようとして越えることのできるような、小さな壁もあるでしょう。破ろうとして破ることのできるような、薄い壁もあるでしょう。が、結果からみれば、それは、ほんとうの障害ではなかった。一応は、さまたげになったけれども、自分の力は、それに打ち勝った。してみれば、それは、絶対的な壁ではなかった。
 だが、前途に壁があらわれたということは、破ろうとしても破れないようなものに出くわしたということなんです。それで、「壁」ということが、たいへんな問題になる。しかし、それでもなお、その破れないものに挑戦して、壁を破ろうとしたら、いったいどうなるか。やはり、たたかって、たたかって、たたかいぬいて敗れるのにちがいない。破れないのが壁ですから、壁は負けない。そして、そのとき、挑戦しようというような心が、あるいは勝てるかも知れないという「おもい」が、敗れる。意識の壁が破れる。

退一歩の智慧
 そこで思いますのは、「退一歩」ということであります。退一歩というと、なにか非常に消極的なことのようですが、はたしてそうか。わたしは、かって病気で一年あまり入院生活を送った経験がありますが、そのときのことです。日常生活から遮断されてベッドに寝たっきりでいますと、ふだんあまり気がつかないことに気づいたり、目にしていてもそれほどに思わないことに注意の眼を向けたりするものです。
 これも、よく見かけることなんですが、部屋の中へ舞いこんできたトンポが、ガラス窓に頭をぶつけるようにして、トントンとやっている。そのときのトンボの気持ちはよくわかりませんが、その動作からみると、おそらく外へ出たいというのでしょう。それで、障子紙すら破れないのに窓ガラスにぶつかって行く。側から見ていると、それが、なにかイタイタしい。
 ところが、部屋をずっと見わたすと、窓ガラスのあいたところがある。トンボは、実はそこから舞いこんできたのですが、トンボにはそのことがわからぬらしい。入口は、また出口でもあるということに気づかぬらしい。ところが幸い、わたしにはわかる。人間だから、それがわかる。ということ、このことを退一歩というのじゃないでしょうか。退一歩するということは、敗北だと思われやすい。壁を破って進むのが勝ちで、退くのは負けだという。ところが、退一歩する智慧からみるとき、はじめて勝つとか負けるということの正体が、はっきりとわかる。
 退一歩することのできない心の中には、自力をたのむということがあります。退一歩できない思いが、自力をたのむ。そして、負けるに決まっている壁に、負けることは知らないものだから、ガムシャラにいどんで行く。これを、自力の妄想、妄念というのです。ところが、退一歩してみれば、壁の正体がわかる。正体がわかれば壁は消える。つまり、壁といっても、それは意識の壁なんですから――。
 わたしたちは、ふつうスランプになればなったで、なんとか調子を元にもどそうとあせる。穴にでも陥ち込むと、なんとか這い上って元の生活を続けたいと(もが)く。けれども、這い上れるくらいなら、落ちたといっても、さほど障害になっているわけではない。それが、もう這い上れない元にはもどれない、ということだから、それを障害という、壁という。だから、飛行機ならば、エア・ボケットに陥ち込むと、その陥ちたところから飛びつづけていく。ちょうどそのように、落ちれば落ちたところが道になり、踏みはずせば踏みはずしたところから道が開かれる。わたしたちは、そういうような生き方を見つけたい。
 実は、落ちるとか這い上るとか、といいますけれども、人生の道にあっては、下った上ったと意識が思うのであって、落ちれば落ちるのも道の続きであり、上ることができれば上るのも道の続きであります。人生には、たしかに落ちたり上ったり、いろんな変化があるでしょうけれども落ちるまま上るままが、一つの道の連続であります。
 肝腎なことは、そういうような一筋の道を発見すること、ひとたび発見したならば、つねに憶うて忘れないということ。それさえはっきりしておれば、たとえ落ちても、落ちることを縁として、落ちたなかに開かれる道をあゆむことができるにちがいない。

ジャマモノは自分のなかに住んでいる
 とはいいますますものの、人生の道が、坦坦たる道ではないということは大変なことであります。デコボコ道では足にマメもできましょう。穴に陥ちれば手足を折るかも知れません。生きるということの、すがたかたちは実に、さまざまいろいろであります。
 そういう障害の原因についても、いろいろ考えることができるのでありましょう。たとえば、穴に陥ちたというならば、そこに穴があったからだ、電柱にぶつかってケガをしたというならばそこに電柱があったからだ、と。そうすれば、わたしたちが行きづまる原因は、外にあるように思われます。が、はたして原因は、そこにあるのか。ただ外にだけ障害はあるのか。
 たとえば、窓辺においた机に向って、一心に本を読んでいる。なにげなく、フト眼をあげたところを、きれいなメッチェンが通る、少女が通る。と、煩悩が、フッとおこる。それまでは、全く夢想もしなかったような夢想がおこってくる。そして、本が読めなくなる。こんな場合、前を通った少女にツミがあるというのか。それとも、自分の内側の煩悩がいけないというのか。
 あるいは、夜の街を歩いている。すると、「お酒」とか「バアー○○」というようなネオンが目にとまる。「飲みたいなあ」という煩悩がおこってくる。こういうときにも、お酒に縁のない人は、飲みたいなどという気持ちにはならない。外にお酒がまっていても、内に求めるものがないのだから、酒が酒としてはたらかない。
 だから、なにかが障害となるのには、外の縁と内にもつ原因とが一つになる、ということがある。内の煩悩が、外の縁に誘われて、ある一つの結果を生み出す。ところが、ここで、一応は内と外と区別しますけれども、そこに生じたある結果に出くわしているのは、ほかならぬ自分である。とすれば、内だけが自分で、外は自分ではない、といっているわけにはいかない。内と外とを包んで自分である。その証拠に、そこに生じた結果については、自分が責任をもたずにはおれない。と、こう考えますと、内外ともに自分である、したがって、障害は、一応は外にあるかのようであるけれども、実は、自分の内にある。そして、この自分の内にある障害が、求道生活においては、非常にやっかいな問題なのであります。

求道における信と願の問題
 思えば求道のあゆみには、いろんな障害があるわけですが、その中で、もっとも根深い問題はなにか。それを、いま唯円は「念仏もうしそうらえども――」というように、親鸞に問うているわけであります。それにたいして、親鸞は、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり」
と答えている。「親鸞も、そういう疑問をもっていたが、唯円房よ、そなたも、やはり同じ心であったのか」と。
 そうして、
 「よくよく案じみれば――」
これは、なにを案ずるのか、なにを考えるのか、といいますと「後序」には「弥陀の五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とあります。だから、ここも、やはり「アミダの本願を、よくよく案じみれば――」ということ。
 「天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたもうべきなり。よろこぶべき心をおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為(しょい)なり」。ここに「煩悩の所為」つまり「煩悩のしわざ」である、とあります。求道のあゆみにおける障害、唯円の問題でいいますと、念仏にたいする惑い疑いの原因をおさえて、煩悩のなせるわざ、「煩悩の所為なり」と断定します。
 つまり、唯円の提出した問いにたいして、親鸞は、念仏を称えても、「この道だ」と、ほんとうに決定しないのも、それから、このあとに、
 「また浄土へいそざまいりたき心のなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと、心ぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり」
とありますように、「アミダの浄土へ行くんだ」と、意欲がおこってこないのも、ともに「煩悩がさまたげている」というのです。
 ここで唯円は、「念仏もうしそうらえども」といって、まず「踊躍歓喜の心おろそかにそうろうこと」、つまり「心が念仏に決定しない」といいますが、この決定しないということが、とりももおさず疑い惑いであります。それにたいして、念仏に決定するということが、疑いがはれ惑いのとけた状態、つまり「信」であります。
 そして、信心の決定したところから、いよいよ道を進んでいこうという意欲がおこってくる。道に向う志願というものが湧きおこってくる。ところが、唯円は、信心が決定しないものだからそれで、次に「いそぎ浄土へまいりたき心のそうらわぬ」、つまり「いそいでアミダの浄土へ行きたいという心にもなれぬ」と歎いているのであります。
 「アミダの浄土へ行きたいという心」、すなわちアミダに向う意欲は、親鸞の教えるところによれば、アミダのうながしである。アミダの本願のはたらきである。アミダの本願が、念仏を信ずる人の意欲となって、アミダの浄土へ向わせる。ところが、われわれにあっては、煩悩によって、決定したはずの信心がゆらぐ、あったはずの意欲が失われる。
 そういう問題をおさえて、唯円は、念仏してブッダとなる、「念仏成仏する」というこの道を行くについて、まず第一に信心の決定したという歓びがない、したがって、次いで第二にアミダを求める意欲もおこらぬ、というのです。つまり、求道における極めて大切な「信」の問題と、そして意欲、すなわち「願」の問題を、問いとして提出して、「いったい、どうしたことでしょうか」というのでありますが、そこには、「いったい、どうすればいいのでしょうか」という意味を含めて問うているのでしょう。

愛欲に沈み名利に迷う
 この第九章について、思い合わされますのは、親鸞が『教行信証』の「信の(まき)」で、こういっていることばです。これは、ほんとうのブッダの弟子、「真の仏弟子」というのは、信心の決定した人のことである。真実の信心を獲得(ぎゃくとく)した人を、真の仏弟子というのである。が、それでは「親鸞よ、お前はどうだ」と、自分で自分に問うてみる。そして、
 「誠に知んぬ、悲しき(かな)愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海(こうかい)沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚(じょうじゅ)(かず)に入ることを喜ばず、真証の証に近くことを快まず。恥ずべし、傷むべし」
というのです。
 「お前はどうだ」と、自分をかえりみるというと「悲しき哉、愚禿鸞」――。この愚禿鸞というのは、親鸞自分のことですが、ここで注意しなければならぬのは、愚禿釈親鸞とはいわない。「釈」の字をおとして愚禿鸞といっていることです。
 「釈」という字は、釈尊の釈、釈迦の釈であって、ブッダの弟子であることをあらわす。だから、「総序」をみますと、念仏の教えに遇うことができた、遇うて信ずるものとなることができた、というよろこびを、こう述べております。
 「ここに愚禿釈の親鸞、(よろこ)ばしき(かな)や、西蕃(さいばん)月氏(げっし)の聖典(インド・西域の聖典)、東夏・日域(じちいき)の師釈に(中国・日本の祖師たちの解釈に)、()い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして(せで)に聞くことを得たり」
と。それなのに、いまは「釈」の字をおとして「悲しき哉」、ブッダの弟子という資格のない「愚禿鸞よ」というのです。
 これは、むつかしい『教行信証』のなかでも、比較的よく知られたことばで、相当多くの人が、親鸞は人間を肯定したんだ、人間の愛欲・名利(みょうり)を肯定したんだ、ということの証明に、これを引用しております。けれども、その人間肯定とは、どういう意味なんでしょうか。親鸞は、ただ頭から愛欲・名利を肯定しているのではなくて、その前に「悲しき哉」といっている。だからその点を見逃すと、人間肯定ということの意味が全く違ってくる、ということになります。

唯円の問いと親鸞の悲歎
 ともかく、ここに親鸞は、愛欲と名利でもって、自分の迷いを代表させております。つまり、愛欲というのは、自分のいのちにたいする執着(しゅうじゃく)をあらわすのでしょう。だから、これは、いのちの長さ、いのちの歴史にかかわるはたらき。そして名利は、名誉とか利益でありますから、横のひろがり、社会的なひろがりにかかわる煩悩である、といえましょう。このように、タテからヨコから、自分の迷い惑いというものをおさえてきて「悲しき哉、愚禿鸞」と表白しておるのであります。
 この二つでもって、道のさまたげとなる煩悩を代表するわけですが、これを、今日の問題としていえば、どうなるのでしょうか。男性の立場からは、酒と女というようなものかもわかりませんね。先日、週刊誌をみていましたら、出世するということと酒の効用、というようなことが書かれてありました。どのように上手に酒を飲むかということが、どのように出世するかということに関係する、と。これが女性なら、虚栄心と子供というようなことになるのかも知れません。が、みなさん、どういうふうにお考えになりますか。
 話をもとにもどしますと、親鸞は、この愛欲と名利によって「喜ばない」、また「(たの)しまない」という。なにを喜ばないのかといえば、「定聚(じょうじゅ)(かず)」つまり「すくわれた人びとのなかま」に入ることを喜ばない。定聚とは、定まった人たち、なにが定まったのかというと、信心が決定し、そうして、ブッダとなる身に定まったということ。だから、信心を得て、すくわれた人のなかまに入ることが喜べない。それから「真証の証」は「ほんとうのさとり」ということ。ほんとうのさとりに近づくことを快しまない。「恥ずかしいことである。痛ましいことである」と。
 こういうことばでもって、親鸞は、煩悩の身であるということを表白するのでありますが、これは、第九章の問題と全く同一のことをいったものである、と、このように従来、先輩たちによって注意されておるのであります。
 それで、これを、もうすこし立ち入って比べてみますと、唯円の第一の問いは「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜の心おろそかにそうろうこと」、すなわち、信心の決定したという喜びが湧いてこない、ということ。この、信心が決定した人びとを「定聚」というわけでありますから、それは親鸞のことばでいえば「定聚の数に入ることを喜ばず」となる。これが、信心における「信決定か不決定か」の問題。
 そして、唯円の第二の問いは「また、いそぎ浄土へまいりたき心のそうらわぬは――」ということで、いそいでアミダの浄土へ行きたいという心になれない。ここに、アミダの浄土へ行くというのは、アミダのほんとうのさとりに近づくこと。ですから、それを親鸞は「真証の(しょう)に近づくことを(たのし)まず」という。これが、「信心決定して意欲がおこるか、信不定のために意欲もわかぬか」という問題。だから、親鸞は、唯円の問いをそのまま受けとめて「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり」と答えるのである、と。

親鸞の自信ある答え
 ところで、この親鸞の答えでありますが、これは、まったく親鸞独特の境地をあらわすことばだと思います。しかし、まあ、この、ことばズラだけを読みますとこれじゃ答えになっていないのでしょう。すくなくとも師匠の資格はない。
 だれでしたか、名前を忘れましたが、ここのところを解説して、こんなことをいっておりました。というのは、これが忍術――、いまハヤリの忍者の先生と弟子の問答だったらどうなるか。「お師匠さま、あなたの教えてくださったように、ナベブタを足につけて川の上を歩いてみましたが、おっしゃるようには歩けません。一歩二歩、歩いたかと思うと、もうブクブクと沈んでしまいます。これは、いったいどうしたことでしょうか。わたしは、どんな修行をしたらよろしいのでしょうか」。「わしも、かねがねそう思っていたのだが、お前もやっぱりそうだったか」と。これじゃ忍者はつとまらぬ、ましてや先生の資格などはない。
 けれども、第九章は、忍者の問答ではありません。それに、師匠の資格がないといっても、「親鸞は、弟子一人ももたず」で、親鸞その人が師匠の立場からものをいっているのではない。それでは、親鸞は、唯円といっしょに迷っているのか、というと、そうなんです。唯円と迷いを同じくしている。つまり、唯円の悩みに同感して、いっしょに悩んでいる。それが「親鸞」ということばに、よくあらわれています。
 しかし、その「親鸞も――」というところには、ただ同感して悩んでいるのではなくて、同感することのできるもの、いっしょになって悩むことのできるものが、親鸞にはある、ということが語られております。ですから、一見(いっけん)、答えにならないような答え、常識的には答えといえないような答えが、実は、りっぱな答えになっているのです。
 それで、もう一度、親鸞の答えを注意して読んでみますと、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり」とある。これを、わたしは、「親鸞も、そういう疑問をもっていたが唯門房」よ、そなたも、やはり同じ心であったのか」と現代語訳してみました。ところが、ここのところを、「親鸞――自分も、かってそういう疑問をもったことがあるが、いま唯円房は、その問題を悩んでいる」という意味に解釈している人もあります。が、そうではないと思います。
 なるほど、「この不審ありつるに」は、「不審をもっていたが」という意味ですから、唯円に先だって、すでに経験ずみであることをあらわしますが、そのような信仰体験というものは、過去の想い出として語られるようなものではない。

永遠に「いま」の問題
 だから、さきほどお話した「総序」では、「()い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして(すで)に聞くことを得たり」といっています。すでに遇い、すでに聞いたことではあるが、それは過去の出来事になってしまっているのではない。そのことに、いま遇うているのである、そのことを、現に聞きつつあるのである。これが生きた信仰体験、宗教体験というものでありましょう。
 『教行信証』の「化身土(けしんど)(まき)」をみますと、そこに親鸞は、自分の求道の歴程(れきてい)を表白しております。ちょっとむつかしい文章ですが、読んでみましょう。
 「ここをもって、愚禿釈の鸞、論主(天親菩薩)の解義(げぎ)を仰ぎ、宗師(善導大師)の勧化(かんけ)によりて、久しく万行(まんぎょう)・諸善の仮門を出でて、永く雙樹林下(そうじゅりんげ)の往生を離れ――」、つまり、幸いにも親鸞は、講師の教えによって、自力の修行をして、自力のさとりを求める、というようなことについては「久しく――出でて」「永く――離れ」、そうして、
 「善本(ぜんぽん)・徳本の真門に廻入(えにゅう)して、(ひとえ)に難思往生の心を(おこ)しき――」。
念仏の教えを信じて、アミダの浄土に生まれたいという心をおこしたのである。ところが――
 「しかるに、今、特に方便の真門を出でて、選択(せんじゃく)の願海に転入し、(すみや)かに難思(なんし)往生の心を離れて、難思議(なんしぎ)往生を遂げんと欲す。果遂(かすい)(ちかい)、まことに(ゆえ)ある(かな)」。
 ここに「今、特に――出でて」、「速かに――離れて」とあります。
 つまり、念仏の教えを信じて、念仏を称えるようになってみると、「久しく――出でて」「永く――離れ」といったように、もうとっくに棄てさったはずの自力をたのむ心が、ここにも顔を出してくる。自力をたのむ根性がすたらないで、念仏を称えている。だから、そういう問題を克服しなければならない。
 それで「今、特に」という。いま「方便の真門を」――、自力でもかまわぬから、とにかく念仏しなさいという教えを「出でて、選択の願海に転入し」――、「ただ念仏」というアミダ他力の本願に帰入して、アミダ真実の世界に生まれるものとなる。「果逐の誓」、はたしとげずにはおかぬというアミダの誓い、「まことに由ある哉」と。

虚心のことばが虚心にみちびく
 このようにお話してきますと、もうお気づきでありましょう。この表白で述べられることが、実は、いまの第九章の問題とかかわりがある、ということなんです。「念仏もうしそうらえども――」という問題――、信心が決定しない、意欲がわかない、ということを、親鸞は、「煩悩の所為(しわざ)だ」といいましたが、この煩悩がクセモノです。これが、念仏までを自分の手柄のようにしてしまう。自分のものにしてしまう。
 このような、求道のあゆみにおける根深い問題は、つねに「いま」の問題であります。それで親鸞は、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じこころにてありけり」と、まったく、あけっぴろげで表白する。これは、もちろん唯円にたいして語っているのですが、親鸞にしてみれば、その唯円の背後にアミダが見えるのでしょう。そのアミダの前で、親鸞は、つつみかくさず素はだかになって、告白する。
 そして、唯円は、そのような親鸞のことばのなかに、アミダのはたらきを聞いている。かくしだてのない親鸞の虚心なことばに、虚心になること、虚心になれることを教えられている。ですから、歎異抄の「後序」をみますと、唯円は、
 「されば、かたじけなく、わが御身(おんみ)にひきかけて、われらが、身の罪悪の深きほどをも知らず、如来の御恩の高さことをも知らずして迷えるを、おもい知らせんがためにてそうらいけり」
といっております。
 第九章だけをみていると、あたかも親鸞は、唯円の迷いと同じ状態にあるかのようでありますけれども、それを聞く唯円には「されば、かたじけなく、わが御身にひきかけて」、このように答えてくださるのだ。自分がおたずねしているような疑い(まど)いは、もうとっくに超えて解決なさっているのだが、いまだに「念仏もうしそうらえども」と、迷っているのを「おもい知らせんがために」、このようにおっしゃるのだ、と。

同感することのできる親鸞の心境
 だから「親鸞もこの不審ありつるに」というのは、親鸞にあっては、深い悲しみ歎きの表白でありますが、それがそのまま、迷い惑う唯円にたいする大悲の同感である。それで、唯円は、「かたじけなく、わが御身(おんみ)にひきかけて」教えてくださるのである、と聞いているわけであります。ここに、わたしは、教えに教えられつつある人の生きたことば、生きた対話がある、と思います。そして、教えられつつある人のことばこそが、よく人に教えるのであると、いまさらのように教えられるわけであります。
 このように、唯円の問いを「親鸞もこの不審ありつるに」と受けとめて、そうして「唯円房よそなたも、同じ心であったのか」と大悲同感する。これは、不審が同じ、疑問が同じということでありますが、さきほどから申しますように、これによって、同感することのできる親鸞の自信が、かえって積極的にあらわされている、と読むことができると思います。
 ということは、疑い惑いが同じであると教えることによって、そのように気づかせるはたらきのあることにめざめざせる。妄念妄想が同一であると知らせることによって、親鸞と同じ一つの信念が得られると、気づかせる。つまり、親鸞は、唯円が歎かずにおれないような歎異の現実と自分も同じだといいながら、その歎異の同一によって、かえって同一の信心が明らかになるのだと教えるものである、と解されるのであります。

迷いがあるからすくわれる
 さて、今日は、もう時間もだいぶん経過して、おそくなりました。第九章の途中でありますが、これまでの話でおわかりのように、わたしたちが道を求めてあゆむときには、きっと迷うであろう。けれども、この、迷うということがあるからこそ、すくわれるのである。もし迷うということがなければ、すくわれるということもない。ことばをかえていえば、あゆみのないところには、障害もない。したがって、障害があるということは、道をあゆんでいるということにほかならない。
 仏教では「(くう)に沈む」ということをいいます。菩薩が修行をして、ある点まで到達すると、もう「求むべき菩提(さとり)もなく、救うべき衆生もない」というので、修行ができなくなる、ということがある。これが、きわめて危険な難所である。それで、これを「七地(しちぢ)沈空(ちんぐう)の難」といっております。
 もうこれでいいんだ、と、自分をゆるす心、これほど厄介なものはない。これほどすくい難いものはない。だから、こういう難関を突破させるものは、諸仏の勧め、諸仏の励ましだけであるつまり、教えを聞くということ、師に遇い友に会うということがなければ、とてもこの難所を越えて道をあゆむことなどできるものではない、ということであります。
 教えは、もし障害があるとするならば、その障害をおそれずに進め、と励ますであろう。もし壁が前途をさえぎるならば、退一歩して、その壁の正体を見きわめよ、と語りかけるであろう。そうして、行きづまっているという事実を、正しく確認するならば、その障害そのままが道となるような、そういう道が開けるであろう。前とか後とか、あるいは、落ちるとか這い上るとか、このようにいいますのも、求道の生活にあたっては、みんな思いであります。意識が右往左往するのであります。
 しかし、たとえ意識がどうあろうとも、難所にさしかかったときに大切なことは、教えに道を問うということ、初めの一念にたちかえるということ、であります。そこで教えは、前進も退一歩も、共にみな一筋の道である、というでありましょう。だから、そのような意味での一筋の道を「迷わずに行け」と。そして、そのような教えを聞くなかに「この道を直ちに、まっすぐに来い」という、アミダのよびかけが聞えるでありましょう。
 さて、それでは、第九章の途中でありますが、次回にもう一度「個人のこころ・歴史のこころ」という題目で、これを拝読することにいたしまして、今日のお話は、これで終ることにいたします。                              (昭和四〇・九・二三)


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