5 第八・九・十章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
 まえがき  
  一 第八章  
   原文・意訳・注  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  二 第九章の一  
  三 第九章の二   
  四 第十章   
  補 説  
  あとがき  
  謝  辞  
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一 第八章 「はだかの生活」


     案内のことば

 保守政党が分裂して、お互いの利害で牽制(けんせい)したり、入り乱れたりしていた頃のことです。緒方竹虎氏が、鳩山一郎氏の目前で「出たり入ったり、また出たり」とヒニクったところ鳩山氏の顔色がサッと変わったと報道されていたことを記憶しています。二人とも故人になってしまいましたが、生きている後輩たちも相変わらず派閥抗争にいそがしいようです。保守政党の派閥とは意味がちがいますが、マルクス主義の政治思想にも、マルクスの死後実に多くの分派が盛衷しましたし、現在も激しく論争されています。
 越後流刑以後、関東へ、そして関東の数万の同朋を後にして、いまは全く未知といっていい京都へと歩んだ親鸞における教団とは、いかなる意味をもっていたのでしょうか。「われ」の中に「石瓦つぶてのごときわれら」をみた親鸞に、わたしたちは、教団といわれるものの本来の姿を問われているのではないでしょうか。
 「お山の大将、おれ一人」。なかなか痛快なセリフです。しかし、その前に、わたしの内なる教団に、しっかり根を張ったわたしたちでありたいと思います。

  昭和四十年八月十三日                         飯南仏教青年会


     講師のことば

 夏になると、人はみな、軽い服装になります。人に見えないところでは、はだかになります。暑さをしのぐには、はだかが一番です。しかし、どれだけはだかになっても、恥部だけは、ちゃんとかくしている、これが人間です。
 このことからもわかるように、人間相互の間には、はだかの生活は、ないといってもいいのでしょう。ウラオモテなく、自分のすべてをさらけ出して生きられたら、どんなにスバラしいことか。そのように願いながら、人は、恥部をかくしもったままで行動します。まるで、善人であるかのように、ふるまっています。
 今回は、第八章を拝読しながら、人生における、はだかの善行とはなにか、「はだかの生活」とはどんなものか、ということを考えたいと思います。



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