4 第六・七章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 まえがき  
  一 第六章の一  
  二 第六章の二  
  三 第七章の一   
  四 第七章の二  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  補 説  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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四 第七章の二 「さわりなき道」


     講 話 「さわりなき道」

現代は神さま繁盛の時代である
 今回は、引き続いて第七章を拝読しますのに、「さわりなき道」という題を出したのでありますが、これにさきだって、先月は「現代の神がみ」という問題について考えてみたわけであります。
 ちょっと考えますと、昔とちがって、現代は、神さまとは疎遠な時代のように思われます。わたしたちの日常生活と神さまとは、それほど親しい関係にあるとは思われない。むしろ、現代は神さま不在の時代である、と、このようにもいわれるのであります。しかし、よく考えてみますというと、そうではない。現代には、現代が要求している神さま――といいますか、新しい神さまがたくさん出てきている。現代の神さまが、思いがけないところに、すがたかたちを変えて、あらわれている、と。そういう問題について、身近な例を出して考えてみたわけであります。
 科学というものが進むことによって、古い時代の、迷信の対象であったような神さまは、だんだんすがたをかくしたかにみえます。けれども、たとえば、交通神社の神さま、試験神社の神さま、就職神社の神さまなど、昔にはなかった神さまが出現してきて、お(ふだ)など、ずいぶん売れ行きがいいそうであります。つまり、古い神さまも(ころも)がえをしたり、ご利益のなかみを変更したりして、新しい神さまのなかま入りをしておられる。そういう意味では、古い神さまと新しい神さまが同居して、現代は、神さま繁盛の時代である。また、現代は、神さま復活の時代である、といえるようであります。

厄除(やくよ)けの祇園(ぎおん)祭り
 ご承知のように、毎年、七月になりますと京都では、祇園祭りを盛大に行います。実は、今日、二十四日は「あとの祭」だったのですが、かんじんの十六日の宵山(よいやま)から十七日にかけて雨が降りました。山鉾(やまぼこ)など、あいにくの雨をついて巡行したのですが、それでも人出の方は、戦後最高だったといいます。いうまでもなく祇園祭りは「神事(じんじ)」なんですが、大多数の人びとにとっては、神さま不在のお祭りになって、まったく観光化してしまっています。それで、ラジオが「日本三大祭りの一つである祇園祭りが行われて……」と報道しているのを聞きまして、わたしは、「日本三大観光祭り」といった方が適当だな、と思ったようなことです。
 けれども、ズーッと昔から、お祭りだからといって、必ず神さまがおられるとはかぎらなかった、といってもいいのじゃないでしょうか。もちろん、お祭りは神さまを祭る行事ですから、語弊(ごへい)があるかも知れませんが、しかし、いつの頃からか、そのことが忘れられて、多くの人たちにとっては、神さま不在――、これがいいすぎなら、神さまを忘れたお祭り。だから、「みこし」をかついだり、かつぐのを見たり、きれいな着物を着飾って、ごちそうを食べるというと、それでお祭り気分になる、お祭りをしたことになる。たくさんの人がワーッと集まるから、自分もそこへ出かけて行って、何ということもなく帰ってくる。とくに、はっきりと自覚して神さまを拝んでくるわけではない。ですから、一般に人びとが神さまだ、信仰だといっているものの中には、案外、この程度のものが多いようであります。
 実は、いま京都では、安居(あんご)という行事が行われています。これは、インドのお釈迦さまの昔から続いている行事で、坊さんたちの勉強会――、まあ、いまようにいえば、仏教夏期研修会というようなものですが、わたしも、本講(ほんこう)次講(じこう)のお手伝いをする都講(とこう)として、その安居に出ております。ところが、その研修会に来ている一人の人が、「昨夜は、祇園祭りの宵山に行って、ちまきを買ってきた」といって、講師の控室で、みんなに一本ずつくださった。効能書きのようなものがついているので、見ますと、このちまきには、体が丈夫になる、頭が良くなるというご利益がある、と書いてあります。
 すぐそのあと、友だちと二人になったものですから、「いまごろ、ちまきとは珍しい。せっかくだから、きっそくいただこう」と、皮をはいでみましたら、どこまではいでいっても中味が出てこない。これは、包み忘れたのじゃないか、と、友だちのをはいでみましたが、やはり中味がない。これはインチキじゃないかと思いまして、たくさん束にして机の上に置いてあるのを、一本一本抜いて調べましたが、どれもこれも中味がない。
 ところが、あとで、そのことを別の先生に話しましたら、「それは君、食べるちまきじゃないんだ」というのです。ちまきというから、これは、五月の子供の日に食べるちまき――、あの「ちまきたべたべ、兄さんと――」と歌にあるちまきだと思いこんでいたのですが、祇園祭りのちまきは厄除(やくよ)けで、玄関にぶらさげておくのだそうです。
 ちまきだけでありません。あの立派な山鉾が、もともと厄除けの意味をもっている。いや、お祭りそのものが、病気がなおるように、病気にならぬように、というところからはじまったものである。ですから、集まってくる人たちが自覚しているかどうかは別として、多くの時間や経費を使って、厄除けのために集まる。さきほどから申しますように、集まる人たちの動機は観光にあるにしても、そういう人たちが周辺をうろつき廻っているのは、厄除けの鉾である。幾十万という人が、山鉾にさそわれて、現に集まっている。これが事実というものである、ということを忘れてはならぬ、と思います。

草履(ぞうり)の裏を三回なめた話
 では、どうして、この科学隆盛の時代に、厄除けの神さまがハヤるのだろうか。どうして、科学とは相容れない迷信がなくならぬのだろうか。これについては先回も申したのですが、繰り返していいますと、まず第一に考えられることは、人間には、生まれてきたからは、どこまでも生きていたい、生きのびたいという本能がある。本能とでもいうべきような、強い欲求がある。そして、第二には、生きのびたいという欲求を満足させるためには、手段を選ばない。息災(そくさい)延命(えんめい)のためには、手段を選ばない。だから、ここに、迷信邪教の温床というものがある、神さま多忙の原因がある、と、このように考えることができる、と思うのであります。
 話が雑談ばかりになりますけれども、先日、久しぶりに会ったイトコが、大安(だいあん)がどうとかこうとか、縁起がいいとか悪いとか、と、あまり迷信深いものですから、ちょっと批判をしましたところが、「実は、わたしは、小さいときから非常に迷信深いんだ」と自認して、「昔、こんなことがあった」というのです。そのイトコは、肉親の縁に恵まれない、家庭的にずいぶん薄幸に育った子なんですが、その弟の葬式に行った帰り、山道でころんだ、と。
 わたしたちのところは、いまでも山まで行って葬式をするのですが、火葬場でころぶと縁起(えんぎ)が悪い、山でころぶと縁起が悪い。死んだ人が呼びに来る、引っぱりにくる。が、草履の裏を三度なめると、その厄からのがれられる、というのだそうです。この地方でも、そんなことをいうのでしょうか。ともかく、イトコは、そういうことを聞いて、おそろしくなって、自分のはいていた草履(ぞうり)の裏をなめた、というのです。まったく、バカバカしい話なんですが、本人にしてみれば夢中なんですから、これは、喜劇にちがいないが笑えない。笑ってすますことのできない喜劇である、といわねばなりません。
 イトコにしてみれば、別れたくない弟と死に別れて、死の悲しみに沈んでいる。その年相応に死の別れを体験して、精神的にも、異常に緊張している。死の事実にさからって、「行ってくれるな、死んでくれるな」という思いが、いまなお続いている。そういう状態のところへ、ころんで、死んだ弟が呼びにくる、引っぱりにくる、と聞けば、「イヤだ」「おそろしい」といった感情が一緒になって、もう夢中にならざるをえない。
 ですから、そういうことを、興奮のさめた心で考えてみますと、バカバカしい迷信にちがいない。が、このことから、わたしたちは、死の前に立たされたとき、人間というものは、どんなことでもやるものだ、ということを教えられるわけであります。そして、そういうことは迷信でありますから、「そのときは、やむをえなかったろう」というような妥協や、「かわいそうに」という涙でゴマ化してしまってはいけない、と思います。

どんなバカげたことでもやりかねぬ
 実は、先月と今月の二回、大阪の難波別院の仏教青年会に招かれて行きまして、座談会の席で、この草履の話をしたのです。そうしましたら、ある青年がこういうのです。「それは、死んだ人が呼びにくる」と、だれかが教えたから、おそろしくなったのであって、そんなことを知らなければ、教える人がなければ、そんなバカげたことをするはずがないではないか、と。なるほど、そういう問題もありますね。もし、迷信を信じている人がなければ、その影響をうけて迷信を信じるようになるということもないはずである。そういう意味で、わたしたちの社会から、身辺から、迷信をなくするように努力するということは、大切だと思います。
 ところが、そこには、それだけではすまされない問題があります。というのは、そんなバカげたことを聞いて、どうしておそろしくなったのか、ということです。バカげた話は外の縁ですがそれを、バカげていると一笑できないようなものが、わたしたち人間の内側にある。いざとなれば、草履を三度もなめるようなものを、心にもっている、ということです。つまり、バカげた結果になるような、原因が、この心の内になければ、バカげた話に耳をかすはずはないのであります。
 もののけをおそれる、たたりをおそれる、というような因がなければ、たといどんなことばを聞いても、恐怖になるはずがありません。ですから、平常は、かくされているけれども、無いとはいえない心、いわば死をおそれる不安な心が、縁にふれて、あらわになってくる。縁によって表面化するわけであります。たとえば、手を叩けば鳴る。当り前のことですが、鳴るについては手と叩くということが一つにならねばならない。手は叩かねば鳴らない。叩けば手は鳴る。これを、因縁(いんねん)道理(どうり)といいます。
 ここで「バカげた話さえ聞かねば」というのは、縁がなければということですが、草履をなめたという結果からいえば、嫁がなければというのは、グチにしかすぎない、ということになります。それよりも大切なことは、草履の裏をなめた話を聞いて、われわれも、いざとなれば草履の裏でもなめかねないものを持っているということに気づかねばならない。因縁の道理というものを、正しく知って、迷信の根をたち切らねばならない。わたしたちは、迷信だとわかれば、それをスパーッとたち切ってしまうような、覚めた智慧がほしい。そうでありませんと、迷信は、次の時代に送りつがれていく。迷信は、次の迷信をよびおこすのであります。

生と死は表裏の関係にある
 それで、生きのびるためには手段を選ばぬ、草履の裏でもなめる、というような人間の心をおしつめていきますと、そこには隠されてはいるが、死をおそれる心がある、と思います。それで今回の案内状には、わざと意識して死の問題をとりあげて「神も悪魔も、また善も悪も、この死と生に深いかかわりをもつ」といったのであります。
 しかし、わたしは、こういう会合の案内状に、正面きって死の問題を書くのは、あまり感心したことではない、という批評があるのを知っております。そうでなくても、仏教といえば、葬式とか法事とか、すぐ死の問題を連想する。そこに、今日、仏教がハヤらなくなった一つの原因がある。それを何とかせねばならぬ。たとえば、キリスト教ではキリストの誕生を祝う、というようなことから、人生ということ、人間に生まれたということを教える。だから、仏教でも、花祭りをもっと盛大に行なうようにして、死の問題ではなくて、生の問題を表面に掲げて、伝道教化しなければダメではないか。現代は、死などといえば、人びとがイヤがる時代なんだから――と。わたしは、子供の頃から、こういう声をしばしば耳にして知っています。たしかに、こういう声があるということは、伝道教化の方法を考えるについては、十分に配慮しなければならぬことだと思います。が、死の問題は、それに触れるのがイヤな問題であるというだけに、かえって、わたしたち人間にとっては、大切な、重大な問題である、と、こういわねばなりません。
 もちろん宗教というものは、ほんとうに生きるとはどういうことか、ほんとうに生きるにはどうすべきか、ということを教えるものであります。宗教は、人生に行きづまって困っている人間に、新しく生きる道を開いてくれるものであります。だから、宗教は、人生の生に関する問題を解決するものでありますが、この生と死は、一枚の紙の表裏のようなものであります。裏面にかくされた死は、人生の否定面でありますが、この、かくされた面を明らかにすることによって、人生の意義をはっきりさせよう。ほんとうに生きるということを明らかにするために、死の問題を考えようというのが仏教であります。だから、「このままじゃ死ねない」とか「死んでも死にきれない」などというけれども、それは、いいかえれば、「生きられない」ということである、生きていながら、「生きている」といいきれないでいることである、と。

生死にさわりなき道
 そして、ふつう死といえば、心臓がとまってしまうこと、肉体がほろびることを考えますが、なにも死は、肉体の死だけではないわけであります。「生ける(しかばね)」ということばがありますように、精神の死ということもある。肉体の機能は、止まらずにはたらいている、という意味では、生きているのだけれども、生きながら死んでいる、というか、死んだのと変わらないような状態にある。としますと、このような生は、死の影におおわれた生である、死の中の生である、と、このようにいわねばなりません。
 それで、第七章におきましては、天神・地祇(ちぎ)、魔界・外道(げどう)、罪悪・諸善、というものをあげて、これによって人生の問題をつくしているわけであります。これらは、いうまでもなく人生の生に関係するものでありますが、同時に、また、これらは、死とも深いかかわりをもつのであります。つまり、仏教では、この人生を、ただ生のみで捉えないで、肯定面の生と否定面の死を一体のもの、表裏一体のもの、としておさえて「生死(しょうじ)」といいますが、こういうものにわずらわせられないで、一筋に人生を生きぬく遠はどこにあるのだろうか、そういう道はいったい何であろうか、というと、それは、念仏である。念仏もうすことである。だから、親鸞は、それを、
  「念仏(ねんぶつ)者は、無碍(むげ)一道(いちどう)なり」
というのであります。
 それで、この無碍ということ、さわりがないということは、いまあげた天神とか地祇とか、善とか悪などというものに、さわりがないということですが、これらは、そのまま生死の人生問題でありますから、念仏は生死(しょうじ)に無碍の道である、ということになるわけであります。

困ったときの神だのみ
 ところで、まず、わたしたちと神さまとの関係でありますが、ふだん特別に問題のおこらないときには、わたしたちは神さまの必要を感じない。まあ、世間のつき合い程度でなら、つながりをもっているけれども、特に深いつながりの必要を感じない。だから、平常は「さわらぬ神にたたりなし」ですませている。が、いったんことがおこるというと「何とかしたい」「何とかしてほしい」。それで「困ったときの神だのみ」ということになる。親鸞は、
  かなしきかなや道俗(どうぞく)
  良時(りょうじ)吉日(きちじつ)えらばしめ
  天神地祇をあがめつつ
  卜占(ぼくせん)祭祀(さいし)つとめなす
といっております。また
  かなしきかなやこのごろの
  和国の道俗みなともに
  仏教の威儀をもととして
  天地の鬼神(きじん)尊敬(そんぎょう)
ともいっております。「困ったときの神だのみ」などとは、まったく悲しいことである。占いだお祭りだ、お札だ、厄除けだなどとは――。あるいは、外形だけは仏教を信じるようにみせかけながら、実際には神だのみをしている。これはもう、なんともいってみようのないほど、悲しいことである、と。

二一世紀の宗教と親鸞の宗教
 先日、朝日新聞だったと思いますが、現在の社会にあるものが二一世紀にはどうなるだろうか、ということで、たとえば医学とか、スポーツとか、たくさん項目をあげて、世論調査をした結果と、それについての知名人の代表的な意見が報道されておりました。その中で、宗教、ことに仏教は、どうなるだろうか、ということについて、ある人は、「おそらく仏教は、もっともっと葬式とか法事ということに徹底していくだろう」といっておりました。が、また、「魅力のある住職がいる寺院は、伝道教化など、寺院としての機能を十分に果して、いまよりもっと存在の意味を強くしていくだろう。そして、教化を行わぬような寺院は、淘汰されてなくなるだろう」という意見もありました。そして、仏教にたいする肯定と否定は、ほぼ半数ずつですが、将来性ということについて、仏教を認める人は、約四〇パーセントとなっておりました。
 それから、これに関連して目についたことですが、葬儀屋という職業は、人間のいるかぎり仕事がなくなることはない。だから、二一世紀に向って上昇線をたどっていく業種である、という人が多かったこと。それに、運勢判断などというものも、ますます繁盛するだろう、というのです。科学的な生活が、隅ずみまで行きわたるのに反比例して、運勢判断も広がっていくだろう、だから、筮竹(ぜいちく)などガチャガチャとやる商売に、食いはぐれはないだろう、と。これは、現代のすがたから未来を推測したものですが、人類の将来に、こんなことがまっている、二一世紀になって、いまより人間が進歩するといってみても、依然として解決されないままの人間の謎がある、ということは、ほんとうに残念なことであります。
 しかも、こういう問題は、もう親鸞の時代に問題になっていたことであります。もっと歴史をさかのぼっていえば、すでに釈尊の時代、お釈迦さまの時代に問題になっていたことであります。いや、問題になったばかりか、その解決も見出されていた。ですから、それを現代のわたしたちが、心して聞きあてて、現代の智慧にしませんというと、さきほどのアンケートのように、すでに解決ずみの謎を二一世紀にまで持ち越してしまうことになる。とすれば、これは、まったく残念なことであります。

神も仏もあるものか
 それで、親鸞は「天神地祇をあがめつつ、卜占祭祀つとめなす」といっています。それは、一応は神さまを「あがめている」、いや「あがめているつもり」かも知れない。が、よく考えてみると、それは「困ったときの神だのみ」と同じことになっているのじゃなかろうか。ほんとうに「あがめる」ということは、どういうことか。それが明らかになっていないのが悲しい。だから、神さまをあがめながら、占いだとか、お祭りだとかをやっているのだが、それは、あがめるというけれども、実は、神さまを利用しているのであろう、と。
 ところが、このように利用するかたちで神さまをたのむ人は、いつか、きっと神さまに裏切られるにちがいない、と思います。利用の関係というものは、利用価値のある間はいいけれども、いつかは利用価値がなくなるものであります。神さまが、願いを満たしてくださることもあるけれども、また願いが裏切られることもある。ですから、神さまから裏切られ、裏切られ、してきたなかから生まれてきたのが「神も仏もあるものか」という、怨みのことばであります。人間は、神さ王を尊敬し、神さまに祈り、神さまにすがった。それで満たされて人生を終っていった人もありたけれども、満たされぬままに残った執念のような思いが、積み重なって、「神も仏もあるものか」となった。

親鸞の自信あることば
 この神さまの問題、悪魔の問題は、いまから、約七世紀も前の鎌倉時代に生きた親鸞が問題にしていることですが、二一世紀になっても、運勢判断はますます繁盛するし、また、葬儀屋さんもなくならない、ということから、わたしたちは、いつどこで、どのように生きても、人生というものは障害ばかり、困難ばかり、と知らされます。それで、第七章には、神がみとか悪魔とか、善とか悪とかということがとりあげられるのでありますが、何といっても、生にとって最後的な最大の障害は、生の否定、すなわち、死であります。
 ところが、親鸞は、この生死の人生の、まっただ中に立って、そうして「念仏者は、無碍の一道なり」といいます。念仏は、生死にさわりのない、ただ一筋の白道(びゃくどう)である、といいます。まったく、これは、力強い自信にあふれたことば、すばらしいことばであります。ですから、こういうことばは、あれこれ解説することなど不必要なのでしょう。ただ、このことばのままに、口に出して読む。
 「念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり。」
と、口に出して、自分のことばとして読む。すると、このことばには、力強い響きが感じられる。あらゆる障碍が、とけてなくなるような、力強さが感じられる。つまり、これは、人生の困難にぶつかり、その困難をのりこえていった親鸞の自信というものが、このことばをとおして、わたしたちに響いてくるのであります。
 だから、この「無碍の一道なり」ということばは、人生に、障害を感じないような人には、何も響いてこないと思います。ところが、道にまどい、困惑し、行きづまり、どうすればいいかわからなくなる、というように、人生には障害ばかり多い。だから、念仏は、さわりのない道である、無碍の一道である、ということばに感動する。このことばをとおして伝わってくる親鸞の心と、わたしたちの心とが、響き合う、感応し合う、と、このように思います。

神が帰依し神に尊敬される
 「念仏は、さわりのない一筋の道である。それは、どうしてかというならば、念仏を信ずる人にたいしては、天の神も地の神も、深い敬意をよせる」と。ここでは、考え方が、わたしたちの常識とアベコベになっています。人間は神をあがめるものである、神をたのむものである。ところが、念仏を信ずる人には、逆に、神さまの方が深い敬意をよせる、といいます。
 親鸞には、「現世(げんぜ)利益(りやく)」をうたった十五首の「和讃」がありますが、その中に
  南無阿弥陀仏をとなうれば
  梵王(ぼんのう)帝釈(たいしゃく)帰敬(ききょう)
  諸天善神ことごとく
  よるひるつねにまもるなり
というのがあります。大梵天王(だいぼんてんんおう)帝釈天(たいしゃくてん)をはじめ、あらゆる神さまたちが、念仏をとなえる人に帰敬する、帰依し尊敬する、と。あるいは、
  天神地祇はことごとく
  善鬼神となづけたり
  これらの善人みなともに
  念仏のひとをまもるなり
ともいってあります。
 この『現世利益和讃』も、やはり第七章と同じように、念仏は、何ものにもさわりのない無碍の一道である、ということをあらわすものですが、この念仏という一筋の光りかがやく道を取り巻くものは、神さまばかりでなくて、悪魔だとか外道だとか、罪悪・諸善といったものである。これらによって人生の現実があらわされているのでありますが、こういう問題をじっと凝視してその正体を見きわめますというと、一筋の白道を取り巻く現実は、実にすさまじい。が、念仏はそのすさまじい現実にさわりがない、と教えられるのであります。

すさまじいばかりの現実
 親鸞の生きた鎌倉時代のことにつきましては、先回もちょっとふれましたし、また親鸞については、先刻、みなさんもご承知ですが、いまここで、もう一度、それを想い起していただくために、ごく簡単に申しますと、あの親鸞の生きた一二世紀後半から一三世紀にかけての九〇年間というものは、長い日本の歴史の中でも、まれに見る大きな時代の転換期であった、ということができます。近くは、明治維新以来の一〇〇年が、政治や社会の問題、精神の問題などから考えて、歴史の大きな転換期であるわけですが、親鸞の生きたあの時代は、これに比べることのできるような時期であった、といえるのであります。
 あの時代は、藤原氏を中心とする貴族階級が没落しまして、新しく武士階級が抬頭してきます。そういう新旧勢力が交代するなかで、平氏と源氏が対立して争う、あの有名な屋島の合戦、壇の浦の合戦などがあったのは、親鸞が一三歳のとき、一一八五年のことであります。
 だいたい平氏が政治権力をにぎったのは、一一五九年の「平治の乱」ですが、親鸞は、それから一四年後の、承安(じょうあん)三年に生まれております。そして、親鸞が九歳で得度して比叡山に登る前の年つまり八歳のときには、以仁王(もちひとおう)(みなもと)頼政(よりまさ)らが敗れた宇治川の戦いがありましたし、源頼朝や木曾義仲もそれぞれ兵を挙げて、アンチ平家の旗あげをしています。そして翌年になると、もう清盛が死ぬ、親鸞は山に登る。二〇歳になったときには、頼朝が、征夷大将軍になっていますし一方では、熊谷直実が頭をまるめて出家します。しかも、この短い間に、義仲は範頼(のりより)・義経に敗れて死ぬ。義経は兄頼朝のおぼえ悪く、奥州に落ちのびて、そこで藤原泰衡(やすひら)の手にかかって殺される。そして泰衡は頼朝に亡ぼされる。というようなことで、政権争奪のためには、肉親の情けも無用である。同族の間でも、いつ裏切りがあるかも知れない、という状態でありました。
 それに加えて、その頃の歴史年表を開いてみますと、親鸞が三歳のとき京都大風、四歳大地震、五歳京都大火、七歳大地震、一〇歳京都飢疫(きえき)死者多数、というように書かれております。風水害による飢饉(ききん)のために、餓死する人がある、あるいは疫病にかかる人がある。昔から、こわいもののことを「地震、雷、火事、おやじ」といいますが、おやじはともかく、こわいものがみなある。地震によって家がこわれる。火事によって焼け出される。一方では、戦乱があい次いでおこりますから、お互いに人間だというけれども、百鬼夜行のありさまである。まるで野獣が歩いているのとかわらない。その現実そのままが地獄である。そこには餓鬼道がある。そこには畜生がいる。阿修羅が戦っている。
 そういう状況をえがいてみますというと、いまから約二十年前の、あの第二次世界大戦のことが想い起されてきます。みなさんの中には、あの戦争を直接的には知らない方が多いわけですがわたしたちの体験をとおして考えてみますというと、親鸞の生きた当時のことがよくわかるのであります。そして、戦後二十年もたった今日は、平和であるといわれます。たしかに一応は平和であるかにみえますけれども、この平和は、冷たい戦争なんだともいわれています。そして現に、ベトナムの人たちは、戦火の中で暮らしているのですし、現代という時代は、ベトナムをはじめ世界中が、一つの共同体として結ばれている時代であります。これが生きているということの事実であることを思いますと、ベトナムは戦争だが、日本は平和であるなどとはいっておれない、ということがわかるはずであります。

教えにあうということ
 話が少し横にそれましたが、百鬼夜行の現実は、愛欲の渦巻くところである。いかりの炎の燃え立つところである。そして、そこに生きて、生きのびようとするところに、神さまや悪魔や外道があらわれてくる。善とか悪が問題になってくる。そういう人生の現実を貫いている一筋の白道――、それが念仏である。つまり、その一筋の白道を取り巻く現実は、すさまじいものであるわけですが、しかし、念仏は、何ものにもさまたげられない、というのであります。
 この「念仏者は、無碍の一道なり」ということばは、比叡山から降りて、法然をたずねたときもう親鸞のものになっていたのでしょう。が、その法然に出会ったところにはじまった道を行く親鸞は、それから、幾多の誘惑にも負けなかった。さまざまな困難にも負けなかった。そして、それが、ほんとうに確かな事実であるということを、九十年の生涯をかけて身証した、身をもって証明したのであります。
 それで、そのことから教えられますのは、教えにあうということであります。親鸞は、二十九歳のとき、法然の教えにしたがって生きようと決心して、念仏の道を選んで進んでいったのですが、親鸞の伝記をみればわかりますように、長い生涯には、沢山の障害がありました。が、親鸞は、そういう障害に負けなかった。ということから、教えにあうということは、障害というならばその障害をこえていける、困難というならばその困難と戦っていける、そういう人間が誕生することである。つまり妥協するとか、負けてしまうとか、誘惑されるということでなくて、障害と戦っていける人間になる。それを苦しむというならば、苦しまされるのでなくて、苦しんでいけるような人間になるのである、と、このように思うのであります。

親鸞の伝記の謎
 親鸞は、二十九歳のとき、それまで二十年も修行に明け暮れした比叡山を降ります。青春の二十年を()けて求めた求道に、見切りをつけて捨てて、そうして法然にあったのですが、法然の膝下におれたのも、わずかに六年ばかりのことでした。いまでいえば、中学と高校を合せたくらいの期間、自分の一生を托したほどの先生と一緒におれただけでそれから後は、もう二度と顔を見ることもできなかった。二度と生きてあうことはなかったのであります。
 つまり、あの「承元の法難」で法然と別れた親鸞は、越後へ流されますが、そこでは、罪人として生きねばならない。そして、そこで妻をめとる。子が生まれる。やがて罪をゆるされますと、親鸞は、妻子の手を引いて、越後から関東へ移住します。だいたい親鸞の伝記を考える場合、いくつかの謎があるわけですが、いまの問題もその一つであります。つまり、なぜ親鸞は、罪をゆるされたのに京都へ帰らなかったのか、なぜ当時の都に帰らずに、開拓農民が移住する未開の関東へ行ったのか、ということであります。
 いま一つの問題があります。それは、そんな困難にうちかって移住した関東、それから、ほぼ二十年も住みなれた関東を、六十歳をこえてから後にして、生まれ故郷の京都に向った、ということであります。六十歳といえば、現在では、もう定年退職のとき、これからは恩給をあてにして隠居ぐらしを考えはじめるときであります。歴史学者の笠原一男氏は、当時すでに関東や奥州に約十万人もの信者がいたであろう、と推定しておりますが、親鸞の生活は、そういう人びとの布施によって支えられていました。今日では、親鸞のことを高僧だといいますが、親鸞は沙弥(しゃみ)の生活をしていたのでありますから、いわゆる出家の高僧のように、ひとり者ではなくて、親鸞には家族がある。つまり、妻がある、子がある、孫も生まれる。したがって、生活問題があるはずである。にもかかわらず、親鸞は、生活が安定していたと思われる関東、二十年も苦労をした関東、たくさんの知己にかこまれて暮らすことのできる関東を後にして、どうして離れていったのであろうか。

下類の悪人は自分である
 こういう問題点については、これまでにも、わたしの考えを申したこともありますし、また、これからも折にふれて話したいと思うことですが、いま、第七章を読むについて考えられますことは、たとえば越後に流罪になって、そこで見た人びとの生きるすがたであります。関東に移ってからも、いよいよはっきりしてくるところの、入びとの生きる現実であります。
 『唯信鈔(しゅいしんしょう)文意(もんい)』をみますと、親鸞は、「具縛(ぐばく)の凡夫・屠沽(とこ)下類(げるい)」ということばについて、このように解釈しています。
 「具縛というは、よろずの煩悩にしばられたる我等なり。煩は身をわずらわす、悩は心をなやますという。屠はよろずの生きたるものを殺しはふるもの、これは猟師というものなり。沽はよろずのものを売り買うものなり、これは商人なり。これらを下類というなり」
と。つまり、猟師とか商人とか百姓などというものは、当時の知識人たち、身分の高い人たちからは、下類とされていた。が、そういう下類と呼ばれる人びとが、親鸞にとっては他人ではない。いや、親鸞の同類である。それで親鸞は
 「斯様の、あしき人、猟師、さまざまの者は、みな石・瓦・(つぶて)の如くなる我等なり」
というのであります。「あしき人」は、「われら」であると呼んで、そういう下類の悪人の中に親鸞は、自分の現実のすがたをみているのでありますが、これは、きわめて大切な点であります。
 社会的には、このように差別されて、下類の悪人として生きねばならない。しかも、時代は、弱肉強食する戦乱の世である。加えて、自然は荒れ狂って恵みを与えてくれない。というような悪条件と戦って生きのびよう、いのちをついでいこうとする人びとに与えられた最後の手段は、ただ生きのびられることを「祈る」ほかなかったでありましょう。

祈りの純化された念仏
 障害ばかりの人生に行きづまったとき、人びとは、ただ「祈る」ことのほかになす術を知らない。もちろん、そこでは、あれやこれやと生きる方策を考えるのでしょうが、しかし、そういう方法が何もかもダメになる、通用しなくなることを、「行きづまる」というのでありますから、そのときには、もう、障害がなくなることを「祈る」ほかにはない、という状態であります。
 ところが、そういう「祈り」というものが、神や仏をあがめ、神や仏にすがるという形をとりながら、実は、自分がすくわれるために神や仏を利用する、ということになりかねない。しかし「祈り」が、そういうところへ流れてしまったのではダメである。それは、現実をゴマ化したにすぎなくなる。だから「祈り」も、そういう不純な「祈り」ではいけない。「祈り」というものが、ほんとうの「祈り」にまで純化されていかねばならない。それで、親鸞は、ただ祈るよりほかにない現実に身をおいて、その祈りの純化され切ったところの念仏を実験した。身をもって、念仏を実験して、その結果、同じ状態におかれた同類の人びとに語りかけた。「念仏者は、無碍の一道なり」と語りかけていった。
 そういう現実に生きる人びとにとって、「祈る」ということは、なんといっても現世の利益を祈るのであります。このいまを何とかしてほしい、このいまを生きのびる道を教えてほしい、と。ですから、現世利益を説く宗教はニセものだと、どれだけいってみても、そういう宗教はなくなりません。なぜなら、それは、今日を生きるための切実な要求でありますから――、しかし、親鸞は、そういう現世の利益を求める要求に、ほんとうに答えるものが念仏である、「祈り」の純化されきったものが念仏である、と、このように教えます。だから、「念仏をとなえれば、現にこんな利益がある」というので、わざわざ『現世利益和讃』というものを作っているわけであります。
  一切の功徳にすぐれたる
  南無阿弥陀仏をとなうれば
  三世(さんぜ)重障(じゅうしょう)みなながら
  かならず転じて軽微(きょうみ)なり
念仏は、もっともすぐれた功徳をもっている。だから、念仏をとなえれば、過去・現在・未来の三世にわたるどんな重い障害も、かならず転化してごく軽微(けいび)なものとなる、と。それから
  南無阿弥陀仏をとなうれば
  この世の利益(りやく)きわもなし
  流転輪廻(りんね)のつみきえて
  定業(じょうごう)中夭(ちゅうよう)のぞこりぬ
「人生はむなしい」といわねばならぬような生き方、生きても生きても、それが生きたことにならぬような生き方――、そういう流転輪廻の罪がきえる。そうして、定業中夭――、運命的な人生、志なかばにして倒れるような人生が、ほんとうに生きがいのある人生に転じられる、と。

念仏の現世利益
 十五首の『現世(げんぜ)利益(りやく)和讃』を、ていねいにみていきますというと、そこに書かれていることがらは、非常に具体的であります。梵天・帝釈天・四天大王などという神さまが、よるもひるも守っていて、よろずの悪鬼をちかづけないとか、閻魔(えんま)大王――、あの地獄にいるというおそろしい閻魔さんも、念仏する人を尊敬するとか、天地の神さまばかりでなく、観音さまや勢至さま、もろもろの仏たちまでが、念仏する人を守ってくださる、と、このように説いてあるのであります。
 つまりここには、人びとが祈る「祈り」の対象を、いろいろあげてあります。この願いを満たしていただくには観音さまにたのめばいいのだろうか、あるいは、この病気をなおしていただくには薬師さまにお願いすればいいのだろうか、と、一人ひとりが勝手なことを願っているわけですが、その違ったままの願いを徹底させていくと、そこに念仏の世界が開かれてくる。みなが一つの願いに結ばれる南無阿弥陀仏の世界が開かれる。だから、その念仏をとなえるとき、一人ひとりの「違った祈り、違った願いが、それぞれそのまま満たされる」、と。
 このように、人びとが祈る「祈り」の対象というものを具体的におさえて、その一つ一つにこたえるものが念仏である、と教えていくところには、大衆の生きる苦難、生きる苦悩というものを、身をもって知っている親鸞の生き方と、そして、そこから生まれてきた親の考え方というものが語られている、と思います。だから、親鸞は、ここでは難しいリクツはいいません。ただ祈るよりはかない人びとに、「念仏せよ」と教えている、念仏して祈れとすすめているのであります。

いまも生きている地獄の閻魔さん
 考えてみますと、現代には現代の神がみがあることからもわかりますように現代には現代の「祈り」の対象があるわけであります。なにも天神・地祇は七百年昔にだけいたのではない。大魔王も現代にはいないといってはしまえない。やはり、地獄には、いまでも閻魔さんがガンバっている、といわねばならぬようです。
 これは『阿弥陀経に聞く』という本に書いたことですが、京都のある仏教青年会に行って、こういう話を聞いたことがあります。交通事故で、しばらく意識不明になっていた青年が、医者から「意識を失っている間にどんな体験をしたか」とたずねられた。「いま、気がつくまで、どこに行ってましたか」と聞かれた。それで、よく考えてみると、事故にあってから、まっくらな闇のなかをスーッと落ちていったが、どれほどかたつと、闇の中に光りがみえた。それで、光りをめざして進んでいくと、そこに、だれかがいる。「あなたは、だれですか」と、おそるおそるたずねると「わしは閻魔大王だ――」と。
 これは、話として聞けば、まったくバカげた話ですが、そういう経験をした本人にしてみればウソでもバカでもない。ほんとうなんだといいます。そこで会ったのが閻魔さんだということはそういう話をどこかで聞いて知っていたからでしょうが、ともかく何かおそろしいものに出会った。その「何か」が、青年にとっては閻魔さんに思われた。ですから、そういうものの正体をはっきり見ぬいておきませんと、それが大魔王ともなるし、また神さまともなる。現代人には現代人にふさわしい対象となってあらわれる、ということになるのであります。

エゴの火が燃えつきたところ
 人びとが祈らずにおれないこと、願わずにおれないことの具体的な内容は、人によって、それぞれ違うのでしょうが、その違ったものの共通点は、いつまでも健康で、幸せでありたいということでしょうか。どこまでも生きのびて、無事でありたいということでしょうか。人びとの心の奥底にある願いを、端的に一言にいえば、それは、みんなが一つでありたい、一つになりたいということである、といえないでしょうか。
 身近なたとえでいえば、なんだかんだというけれども、家中のものが一つになることができればいい。みなが一つであるといえるような、そういう場所がみつかればいい、ということでありましょう。これを、ことばをかえていえば、万人が斉しく皆、平等に救われていくような世界がほしい、ということでありますが、そういう世界を、親鸞は、アミダの浄土と呼ぶ、と教えているのであります。
 浄土というのは、(きよ)められた世界、浄らかな世界――、つまり、人生のさわりが除かれたところであります。これを仏教では、平和の国という意味で涅槃界(ねはんがい)、平等の世界という意味で一如(いちにょ)、ほんとうの自由のあるところという意味で自在無碍の世界などといいます。つまり、これは、人間のエゴというものが完全に燃焼し尽くしてしまったところ、そういう意味で、ほんとうに「(さち)あるところ」であります。
 もっとも、わたしたち人間が生きているということが、とりもなおさずエゴがあるということであります。が、このエゴがあるからこそ、人生のあらゆる障害も起ってくるわけであります。浄土とは、そのエゴの火が燃え尽きたところであります。したがって、わたしたちが、人生の障害のなくなることを願うということは、すなわち浄土を願っていることにほかならぬのであります。
 ところが、アミダの浄土は、いま申しますように、自在無碍の世界でありますが、したがってその浄土に到る道、すなわち念仏が自在無碍である、「念仏者は、無碍の一道なり」と、このように親鸞は教えております。人生は障害ばかりである。それは、エゴによってなされる生のいとなみだからである。浄土は無碍の世界である。したがって、浄土の道、つまり念仏は無碍の一道である、と。

人生と宗教を語る「二河の譬喩(ひゆ)
 このような人生と宗教の問題、人間と念仏の信心の問題を、譬喩(ひゆ)――、つまりたとえでもって表わしたのが、善導大師の「二河(にが)の譬喩」であります。これについては、この会でも、幾度かふれたわけですが、だいたい仏教には譬喩というものが多い。それだから、どうも仏教の話はもう一つピンとこない。隔靴(かくか)掻痒(そうよう)――靴をへだてて、かゆいところをかいているような感がする、と思われやすい。実際に、そういう意見をよく耳にするのであります。
 しかし、人生には、譬喩でなければ表現できないような問題がある。譬喩は、象徴でありますが、いわば人生そのものが、もう象徴的であります。そのような人生を譬喩のかたちであらわすのでありますから、この譬喩は、噛みしめれば噛みしめるほど味わい深い、読めば読むほど、人生の深い意味が明らかになってくるのであります。
 「二河のノ譬喩」には、善導大師の求道の歴程が語られています。といいましても、善導の、いわゆる自叔伝が書かれているわけではありません。人生と宗教の中心問題が、水と火の二つの河と、その中間を走る一筋の白道とでもって、譬喩のかたちで、象徴的に、巧みに表現されています。ですから、ちょうど梵鐘(ぼんしょう)のようなもので、小さくつけば小さくなる、大きくつけば大きくなる。そのように、譬喩を深く読めば読むほど、深い意味を、聞き出すことができる。だから、これは、たんなる「たとえ話」ではないのであります。

愛憎と孤独と死
 それで、その譬喩は、こういうことばではじまっております。
  「一切の往生人(おうじょうにん)(とう)(もう)さく」
つまり、アミダの世界へ生まれようとする一切の人たちに申しあげます、と。「いま、さらに行者のために、一つの譬喩を説きて、信心を守護し、もって外部異見の難を防がん」。悪魔の声、外道の声などの誘惑から守ろう、間違った考えにおちこむことのないようにしよう、と。
 「(たと)えば、人有りて、西に向って行かんと欲するに、百千の里ならん。忽然(こつねん)として、小路に見れば、二の河有り。一には、これ火の河、南に在り。二には、これ水の河、北に在り」。
 この水というのは愛情をあらわす、愛欲を水にたとえたものである。そして、火は瞋恚(しんに)をあらわす、怒りの心を火にたとえたものである。つまり、求道ということ、「西に向って行こうとすること」の障害は、水と火の二河である、ということをあらわしています。しかも、この愛と憎しみの二河は、人生の続くかぎりなくならない。深くて底がなく、広くてはてしがない。ところが、
 「(まさ)しく水火の中間に、一の白道(びゃくどう)有り。(ひろ)さ、四五寸(しごすん)ばかりなるべし」。
その中間に、一筋の白道があるのだが、それは、わずかに四五寸ばかりの極めて狭く小さい道にすぎない。しかも、その白道は、水の(なみ)にあらわれるかと思えば、また火の(ほのお)に焼かれて、危険きわまりない。とても渡って行けそうにない、とあります。
 ここで四五寸の白道というのは、この「わたし」のことを譬喩的にあらわしたものであります。つまり、愛と憎しみの人生、愛欲と瞋恚の人生を渡る「わたし」は、ひとたび人生問題に行きあたるというと、まことに危なっかしい、たよりない存在である。それで、この道は狭く小さいというのであります。
 そして、ひとたび人生問題に行きあたるというと、この人生には、ほんとうの友などいない、まったくの孤独である。だから「この人」つまり旅人が「既に空曠(くうこう)(はる)かなる処に至るに、更らに人物(にんもつ)無し」。ただあるのは、旅人を誘惑し殺害しようとする群賊や悪獣ばかりである。それで西に向って走ったのであるが、そこで発見したのが、水と火の二河である。狭くて小さい白道である。さあ、旅人は、絶体絶命のところに立たされた。「ときにあたりて惶怖(こうふ)すること、また言うべからず」。そのおそろしさは言語に絶するものである。そこで
 「(みずか)ら思念すらく。我、今、(かえ)らば(また)、死せん、(とど)まらば亦、死せん、()かば亦、死せん」
という。足がすくむ。もと来た道を引きかえすこともできない。足がすくむ。前に向って進むこともできない。かといって、ここにとどまることもできない。死の危険が迫ってくる。ここでいう死とは、肉体の死ではありません。生きながら死ぬに等しい。生ける(しかばね)同様である。このままでは犬死である、と。こういうのを極限の状況、限界状況というのでありましょう。
 ところが、そこまで追い込まれた旅人は、そこで一大決心をします。
 「一種として死を(まぬ)かれざれば、我、(やす)く、此の道を尋ねて、前に向うて去かん。既に此の道有り、必ず(わた)るべし。」

決断が自己自身を橋とする
 ここで旅人は、「あれか、これか」、「生か死か」と選択するのではありません。そうではなくて、「死か、もしくは死か」と、死を選ぶことを迫られているわけです。だから、そこに「一種として死を免かれざれば」、たとえ狭く小さく見えようとも、比の道を前に進もう。前面の死を選んで進もう、と決意します。
 すると、その決断と同時に、「そうだ、きみ、その道を尋ねて行きなさい。きっと死ぬことはない。むしろ決断がにぶれば死ぬであろう」という声が聞こえます。
 「仁者(きみ)(ただ)決定(けつじょう)して此の道を尋ねて行け、必ず死の難無けん。もし(とど)まらば、即ち死せん」
と。これは、釈尊が道に勧めることばであります。すなわち、これが釈迦の発遣であります。そして、また、次いで、
 「汝、一心正念にして直ちに来れ、我、能く汝を護らん、(すべ)て水火の難に堕することを(おそ)れざれ」
という声が聞こえます。これが弥陀のよびかけ、すなわち招喚であります。
 ここで、わたしたちは、旅人が決断するとき、そこに一つの大きな転換がおこなわれていることに注意せねばなりません。旅人は、「死か、もしくは死か」という状況におかれて、前面に向って死を選んだわけですが、その死を選んだ力は、実は、アミダのはたらきによるのであった。だから、「既に此の道有り」という決断は、願いの道におけるできごとであったのであります。そして、釈迦が、「その道に死の難はない」ということは、「我、能く汝を護らん」というアミダの願いは必ず実現する、ということを証明するものであります。それが、教えというものであります。
 だから、決断のあとは、四五寸の白道、あの狭くて小さかった白道が、アミダの世界に直結する大道に転じている、何ものにもさわりのない無碍の一道に転じている。すなわち旅人は、自己自身を道として二河を渡っていく、自己自身を橋として二河を渡っていくのであります。これについて、善導大師は、
 「中間の白道四五寸というは、即ち衆生の貪瞋煩悩の中、能く清浄願往生の心を生ぜしむるに(たと)うるなり」
と解釈しております。たいへん難しいことばですが、これは、この人生のただなかに、アミダの世界に生実れる心、つまり、真実の信心がおこることである、というのであります。

善意にたじろがぬ道
 ここで、みなさん、歎異抄、第一章のことばを想い起していただきたいと思います。これまでにも、人生の善とか悪とかについては、たびたび問題にして考えてきましたが、すでに第二章の終りのところに
 「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」
とありました。
 ここに「念仏以外の、いかなる善も必要ではない」とありますが、これは、いまここに与えられてある人生以外の、何ものも必要でない、ということであります。この人生のただなかに、アミダの本願がはたらきかけてくださるのであります。この人生があるからこそ、念仏もうす身となることができるのであります。
 それから「悪をもおそるべからず」ということは、いまここに与えられてある人生を、おそれる必要のない世界がある、ということであります。それは「衆て水火の難に()することを(おそ)れざれ」という、アミダのよびかけ、つまり「弥陀の本願」が聞こえるからであります。だから、「弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」と。
 もちろん、長い人生にあっては、念仏を信ずる、この道に決断するといいましても、それから後にも、いろいろと誘惑が多いのであります。だから「二河の譬喩」をみますと、群賊悪獣が、ときには猫なで声でやさしく、ときには獣さながらのおそろしい声で
 「仁者(きみ)、回り来れ、此の道瞼悪(けんあく)にして過ぐることを得じ、必ず死せんこと疑わず、我等(われら)(すべ)て悪心ありて相向(あいむか)うことなし」
と誘惑します。が、旅人は、その声を耳にしても、たじろがない、かえりみない。そして「一心に、直ちに進んで」道を行く、無碍の一道を行く、とあります。

念仏は無碍の一道である
 さて、時間もだいぶたってまいりました。それで、話も終りにせねばなりませんが、第七章には、まず結論的に「念仏者は、無碍の一道なり」とあります。そして「それは、どうしてかというならば、念仏を信ずる人には、天の神・地の神も敬伏する」と。そこで、神さまについて、いろいろ考えたのですが、水火の人生、生死の人生をおそれるあまり、神さまにすがる、神さまをたよるかに見えて、その実、神さまを利用するという、人間の心の正体が明らかになるならば、人間は、神がみと共に生まれ、神がみと共存する、という事実がはっきりする。人間と神さまの間には、切っても切れない深い関係がある、ということがはっきりするはずであります。
 そして、念仏は神がみのすがたを開明し、神がみにとらわれぬような人間を育てて「真人(しんじん)」にまでするはたら汗であります。念仏は、ほんとうに人間を成就する力であります。念仏は、人間成就の、ただ一つの道であります。だから、念仏を信ずるところの真に主体性のある人間は、この人生の(あるじ)であります。したがって、この人生の主にたいしては、神がみも敬伏するのである、と、このように親鸞は教えているのであります。
 しかも、念仏を信ずる人には、「魔界も外道も、さまたげとはならない。いかなる罪悪も、その当然の結果をもたらすことがない」。すなわち、これが「悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに」であります。そして、「いかなる善行(ぜんぎょう)も、念仏には、はるかに及ばない」。すなわち、これが「しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに」であります。「ゆえに」念仏は「無碍の一道なり」。これが、第七章に語られるところの、親鸞の信念であります。          (昭和四〇・七・二四)


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