4 第六・七章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 まえがき  
  一 第六章の一  
  二 第六章の二  
  三 第七章の一
   原文・意訳・注  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  四 第七章の二   
  補 説  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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三 第七章の一 「現代の神がみ」


     講 話 「現代の神がみ」

人間と神との関係
 今回は、第七章を拝読しますのに、「現代の神がみ」というような、ちょっとハデな題を出したのですが、これは、原文をみますと
 「念仏(ねんぶつ)者は、無碍(むげ)の一道なり」
とありまして、そのあとに「天神・地祇(ちぎ)」「魔界・外道(げどう)」、それから「罪悪」とか「諸善」というようなことばがあります。つまり、ここに、天の神とか地の神、悪魔とか異教徒(いきょうと)、あるいは罪悪とか善行などという宗教的な問題を列挙しまして、それらと念仏とを相対させてあるのであります。
 それで、こういう天の神とか地の神などの問題を、今日、われわれの身近なところで考えれば、いったいどういうことになるのだろうか。そういうことを考えてみたいというので「現代の神がみ」というテーマを出したわけであります。
 さて、今日、一般に「神さまを信ずる」という場合――まあ、神も仏も一緒のもの、ということになっているのかも知れませんが――、なにか特別の人が信ずるものである、宗教は、特定の人が信ずるものである、ということになっているようであります。それで、一般の大衆は、特に宗教を信ずるということなどはないのであって、氏神(うじがみ)さまがあるから、習慣にしたがって、おつきあい程度にかかわりをもっている、お寺があるから、葬式や法事でもあるときにだけ思い出すということかも知れません。
 けれども、ここで考えてみたいと思いますのは、年に一回のお祭りのときだけ、われわれと神さまとはかかわりがあるのであって、それ以外は関係がない、というように、人間と神との関係は、そんなそらぞらしいものではない、ということであります。
 それで、神とは、いったいなんだろうということになりますと、ふだん、わたしたちは、わかりきったことにしてはおりますが、ほんとうにわかっているのかどうか、実にアヤしいと思います。信ずる人も、信じない人も、神のことがわかっているはずなんですが、それじゃ、どのように定義をすればいいのか、ということになりますと、非常にむつかしい。神さまの概念は、実にいろいろさまざまで、ちょっと一口ではいえないのです。

さまざまな神がみのすがた
 たとえば、漢字で、「神」と書いて、これをわたしたちは、「かみ」と読みます。が、また、これを「たましい」とか「こころ」というふうにも読むことができるのであります。この「かみ」は、かたちのあるものにたいしては、かたちのないもの。現身(うつしみ)にたいしては、すがたのみえない隠身(かくりみ)であります。すがたかたちは見えないけれども、しかし、ないとはいえない、たしかにあると思われているものであります。そのような、こちらからは見えないけれども、たしかにあると思われている世界のことを「冥土(めいど)」とか「冥界(めいかい)」といいますが、そういう世界におって人間以上の力をもっているもの、人間にはわからないことも、みな、ちゃんとわかっているもの、それが神さまである、と考えられてきたわけであります。
 英語を話す国でも「だれも知らない」ということをあらわすのに、God knows.「神さまは知っている」というのだそうですが、これは、なかなか面白い表現です。「なにもかも知っておられる、それが神さまだ。しかし、だれも知らない、人間であるかぎり――」と。
 キリスト教では、神さまは、ただ一神だと教えられますが、日本には「やおよろずの神」がおられる、というように、神さまは無数におられるのだと考えられてきています。どの地方にいきましても、それぞれ(やしろ)の中に「氏神(うじがみ)さま」がおられますが、神さまは、それだけではありません。杜の中にある御霊(みたま)だけが神さまではないのでありまして、天の神、地の神、それから自然界の鳥とか獣とか草木とか、あるいは、海にも山にも精霊(せいれい)というものがある、と、このように考えられていたのであります。とくに古木には、木の精霊がある、というので、木に「しめなわ」などをはりめぐらしたりします。
 このような、海の神、山の神と考えられるものは、自然神ですが、もっと後になりますというと、それだけでなくて、人間のなかでも、特に力のすぐれた人は、人神(じんしん)として(あが)められるようになります。いまでこそ天皇は日本国の象徴だといいますが、ご承知のとおり、いまから二十年ばかり前までは、現人神(あらひとがみ)である、現神(あきつかみ)である、といいました。また松阪には、本居(もとおり)宣長(のりなが)をまつった本居神社がありますが、全国いたるところに、そういう種類の神社があります。それは、もとをただせば人間なんだけれども、たんなる人間以上の力をもっている、徳をもっている、だから、それは、人神(ひとがみ)である、というのであります。
 あるいは、職能神というようなものまでが考えられております。農業には、農業の神さまがある。商工業には、商工業の神さまがある。そのほか、技芸にも学問にも、それぞれ神さまがある。だんだん職業が分れますというと、一つひとつの職業に神さまがありませぬというと、生活に落ち着きがない、と。
 それで、これは、日本、あるいは東洋だけのことではないのでありまして、西洋においても、歴史は、航海の時代からはじまっております。歴史は、神がみの時代からはじまっているのであります。西洋では、ご承知のように、ギリシャ神話とか、ローマ神話などというのがあります。エロス、つまりキューピットは愛の神さまですし、バッカスは酒の神さまであります。ことに、ギリシャの神さまの長であるゼウスは、人間的な臭いを強く感じさせる神さまです。というのはゼウスは、女の神さまを妻にするだけでは満足ができなかったのか、人間の女を妻にしたといいます。人間の女に近づくときには、身をかくして、白牛になったり、あるいは白鳥になったりしたというのですから、全く面白い話ですね。

科学的な無知と智慧
 ともかく、こういうふうに考えられていたところに、素朴な、原始的な宗教のすがたをみることができるわけですが、未開時代において生きるということは、今日のわれわれが想像するより、はるかに困難なものだったのでしょう。自然とたたかいながら生きていくということは、大変だったにちがいありません。
 子供や若ものが、突然、苦しみ出して、間もなく死んでいく――、これが病気だということがわかりませんから、なにかの「たたり」にちがいないと思って、「おまじない」にたよる、呪術にすがる。ですから、そういう人間の集まりでは、お呪いのできる祈祷師(きとうし)呪術師(じゅじゅつし)が中心になるようになります。つまり、古代社会におきましては、呪術というものがだんだん形をとってきて、祭祀(さいし)とか祈祷(きとう)が、生活の中心を占めるようになる。そして、そういうものにふさわしい神話が生まれてくるわけであります。
 いずれにしても、こういうものを生み出したところには、生きる不安や恐怖というものがあるからであります。生きのびたい、いつまでも生きていたいという本能的な欲求があって、それがただ祈るほかに(すべ)を知らない。お(まじな)いにすがって、そうして、生きる不安をなんとかしてもらおう、と。
 ところが、ずっと時代がくだって、人間の智慧がだんだん発達してきますと、人の死ぬ原因の大部分は、病気によるのだということがわかってきます。子供が死んだ、が、これは病気のせいである。したがって、こういう場合は、これこれの手当てをすれば、助かるのだ、と。そして、科学的な智慧が発達し、医術というものが進みますと、呪術にたよって病気をのりきろうなどとしたのは、迷信である、ということがわかってきます。つまり、科学的無知のために、お呪いを信じたわけですが、科学が発達するにつれて、お呪いの部分がだんだん少なくなっていったわけです。
 今日では、数百年、いや数十年前の人間ですら、考え及ばないほど科学が発達しております。だから、いわゆる呪術的なものなどは、完全になくなっていなくてはならないのです。ところがあの原始人が、呪術に頼って、生きる不安を切りぬけていたのと、そっくりそのままの状態が、現代でもなくならないでいる、ということがあります。迷信であると、頭ではわかっていても、いよいよとなれば、その迷信に頼る。という意味で、迷信がなくならないという問題があります。そこに、人間とは切っても切れない深いかかわりをもった神の問題があるわけでありましょう。

人間をみつめる自覚の宗教
 それについて、いろいろな原因を考えてみることができるのであります。まず第一に、きわめて当り前のことですが、人間というものは、つねに何かを求めて生きている。この、生まれてきた生命(いのち)というものを、どこまでも延ばしていきたい、いつまでも生きのびたいと思うところの、本能とでもいうべきものをもっている。そして、次に生きのびるためには、手段を選ばない。いよいよとなると、なにをやってでも生きのびようとする。が、実は、ここに迷信とか、呪術というものが育つ温床があるのであります。
 生きているということは、つねに何かを求めて生きているのである。ちょうど、草や木が、光を求めて、光の方向に向ってのびていくように、人間は、何かを求めて生きている。この、何かを求めて生きるような生き方を、わたしは、宗教的な生き方であると、このように理解するのであります。
 そして、草木がのびていく方向を――、つまり、光の来るところ、太陽のあるところを、われわれは「(てん)」と呼びます。また、その天を、「(かみ)」といい、「(かみ)」ともいうのであります。われわれ人間も、オギャーと生まれて、自然発生的に、そのまま、ズーッと大きくなっていくということは、つまり、天に向って育っていくことなのでしょう。
 しかし、天に向って、のびていくのだけれども、自然発生的に天に向っているものは、ある時が来れば、のびるエネルギーを費い果して、そうして、またいつかは地に帰る。この地に帰ることを「死」といいますが、地に帰ることがイヤだから、地に帰ることは見たくない、考えたくない。が、しかし、そういうものではないんだというところに、いわゆる原始的な宗教から、人間のあり方をジーッとみつめるような、智慧の宗教というものが明らかになってくるのであります。
 さきほどは、科学が発達したといいましたが、この科学的智慧をもつ人間を、ジーッとみつめるような智慧――、この智慧によって、人間とはこのようなものであるということを教えるもの――、これが、自覚的な宗教である、と、このように思うのであります。つまり、同じように宗教といいましても、その内容において、質において、全く違う点が出てくると思うのであります。

森本哲郎の「神々の時代」から
 ところで、今日は「現代の神がみ」というテーマで、とっくの昔になくなったはずの呪術的なものが、いまなお現代人の生活からなくなったとはいえない、という問題を考えてみたいと思うのでありますが、では神とはいったいどのようなものだろうか。その神の属性というものは、どのようなものであろうか。それについて、森本哲郎という人の『神々の時代』という本に書いてあることを簡単にご紹介いたしましょう。
 まず、神さまは、さきほども申しましたように、人間をこえた力をもっている。それが第一であります。そして次には、それによって、人間が安心できるものでなければならない。それから人間が、無条件に信ずることのできるもの。第四には、人間が、そうなりたいとあこがれているもの。この、あこがれるということの反対には、おそれるということがあります。神さまは、われわれが、そうなりたいと思う気持ちで、(かみ)に置いてたてまつると同時に、また、力をもっているのですから、それをおそれるということがある。そして第五に、その世界から人間が抜け出られないもの。第六に、多くの人びとを動かして、ときには熱狂的にさせるもの、と、このようにいってあります。
 この、森本さんのいう神の属性というものにしたがって、神的(かみてき)なものを考える、これによって現代の社会というものを見てみると、全く思いがけぬところに、現代には、現代の神がみがいるということに気づきます。つまり、かっては呪術に頼っていたものが、科学によって薬におきかえられた。ところが、呪術を「信ずる」というものだけは残って、それが新しく「薬の効能を信ずる」ということになった。つまり、科学的な要素をもったものの中に、呪術を信じたのと同じ信仰が投入している。
 ですから、原子力発電所の開所式に、昔ながらの「しめなわ」を張りめぐらして、神主さんから「ノリト」をあげてもらわぬと、安心できないものがある。そんな状態をテレビかなんかでみると、全くバカバカしい、おかしいじゃないか、と笑う。まったく現代のマンガだね、といって笑う。が、やっているご本人は、大臣か学者か――。そういう自分をみることができたら、いったいどういう顔をすることか。けれども、自分のやっていることがみえないものだから、大マジメな顔で「ノリト」のあがるのを聞いておれる、と。

神さまには茶の間にいても会える
 さきほどの神の属性についていいますと、第一の、人間をこえた力をもっているということについては、機械とか、スクリーンの映像とか、巨大な組織というようなものが考えられます。かっては、超人的な神さまのところに群参(ぐんさん)した大衆は、いまでは、テレビにかじりついて、スターの歌う歌に酔いしいれている。人気歌手のリサイタルに行った女の子が、ステージに向ってテープを投げる。そのテープが、歌手の手にとどこうものなら、もうテープをとおして伝わる感触に酔いしいれて、なんともいえない恍惚の悲鳴をあげる。なにかのきっかけで、たまたま歌手の肌にでも触れようものなら、さっそく、そのところをホータイで巻いて、一週間でも十日でも風呂にも入らない。たとえ風呂に入っても洗おうとしない。
 第二の、安心できるということについては、薬の力を考えてみることができます。いつも高田君が牛乳をもってきてくれるので、それを飲むのですが、今日は、牛乳と一緒に、ちょっと変わビンがおいてありました。インスタントの栄養剤なんです。疲れた顔をしていたので、松井君が気をきかして買ってきてくれたのでしょう。
 ビン入り、アンプル入りの栄養剤など、テレビなんかでも、ずいぶん宣伝をしていますが、あれを造っている人にいわせると、あんなものはきかない、と公然といっています。だから、飲む人も、どこまで効能を信じているのか、わかりませんが、疲れたときには、つい手が出る。そうして、気をまざらすわけです。
 このように、われわれの先祖が、かって造った「神社」は、よほど特殊な事情でもないかぎりふだんはガラあきです。正月だとか、お祭りだとか、というときには、ワーッと集まる。が、そのあとは神さまと無縁かといいますと、そうではない。神さまは、茶の間まで出張してこられる。街頭まで出向いてこられる。そして、われわれは、いつでもどこでも神さまと出会っている。これが現状であります。

薬は悪魔か神さまか
 だいたい薬というものは、もともと奇蹟や「まじない」を信ずるところから生まれてきた、といいます。はじめは「まじない」的な要素をもっていた。その薬にたより「まじない」にたよったのが、次第に科学の産物におきかえられていったわけですが、さきほどもいいましたように、薬や「まじない」にたよる心、信頼する心だけは残りました。この、たよる心があるものですから、いい加減な薬にとって代った科学の産物を、どんどん消化してしまう。市場には、山ほどの薬がハンランして、病人ばかりでなく、健康な人までが薬のお世話になるようになったのであります。
 科学が進んで、新薬がみつかり、難病がなおるようになりましてからというものは、死亡率がズーッと低くなりましたし、平均寿命も年々長くなってきております。そして、その結果、人口が増加してきました。ヨーロッパの場合、一九世紀のはじめ頃、約一億八千万人だったのが、二〇世紀のはじめには、約四億五千万人になった。それまでの一八〇〇年間、自然とたたかいながら、やっと一億八千万人にまでなった人口が、一九世紀からの一〇〇年の間に、その二倍半にもなった。これは、全く薬のお蔭であります。
 たとえば、エジプトでは、一九五一年の頃、千七百万人だったのが、七年後の一九五八年には二千五百万人にもなったといいます。あの、荒れた砂漠に、日本の約三倍という人口密度で、人間が住んでいる。人間をやしなっていく自然の力には、おのずから限度があるわけですが、エジプトでは、人口の増加は、めざましい勢いである。そういうふうな、内に張り切るようになったエネルギーが、いつかは外に向うときがくる。それで、アジア、アフリカ、アラブなどの諸国に民族主義運動をひきおこすようになった原因は「カビ(ペニシリン)とDDTだ」という人もあるほどなんです。
 ともかく、薬の発見によって、人口は著しく増加しました。が、その結果、人口は過剰になって、昔の人たちには想像もつかぬような、いろいろな問題が出てきた。人口が多くなりすぎるというと、経済機構が変わる。それは、社会問題であり、政治問題でもある。限られた領土では、多くの人間が生きていくことはできない。だから、そこには戦争というような事態もおこってくる。
 われわれの身近な、周辺をみましても、幼稚園から大学までズーッと試験地獄が続いています。卒業をしても、就職がたいへんで、失業者の数もバカにならない。住む家も思うようにはなくて、住宅難である。道を歩けば、交通地獄である。老人には老人の問題がある。だから、こんなに生きるのに苦しいのだから、と、もう子供の生まれるときに産児制限ということをして、コントロールする。
 わたしのいとこに、もう三十才ほどになる女性がいますが、彼女は、いつも「生活の見通しがついたら、子供をつくりたい。子供を産むことにしたい」と、口ぐせのようにいうのです。わたしは、そういうことばが気になるのですが、しかし、今日では、自由に「子供をつくる」すき勝手に「子供を産む」というような考え方が、ごくふつうのことになっているのでしょう。そういいながら、女が三十才にもなって、経済的な理由で、子供を産めないんですから、実にきみしそうな暗い顔をしている。子供というものは、産みたいから産めるというものではないのですから、そうしているうちに、いよいよ欲しいと思ったときには、もう産めなくなってしまっている、ということがないとはいえません。このように考えてきますというと、いったい薬は、人間をすくうところの神さまなのか、それとも悪魔なのか。
 特に日本では、貧しい生活の歴史のなかで、薬は、とかく神格化(しんかくか)されてきたようです。神格化して、そこに魔力を感ずるというようなことが強かったわけであります。ですから、娘が親の薬代をつくるために身を売る、ということが、美談とされた。それは、薬が買えないから、貧しいから、身を売ったのであるけれども、娘にしてみれば、親孝行で身を売ったのである。つまり、薬には、自分の身を売ってもいいような力があると信じている。その力が、病気の親をたすけると信じているから、自分の身を売ることができるわけであります。

テレビは昔の神の子孫である
 まあ、こういう話をしておりますと、どんどん時間が過ぎていきますが、ともかく古い時代の神がみは、科学の力でしめ出してしまった。けれども、その代りに、新しい神がみを造り出しました。が、さきほどの原子力発電所の開所式というような情況を思いえがいてみますと、古い神さまは完全にいなくなったのではない。古い神さまも、新しい神がみのなかま入りをして、同居している、といわねばなりません。
 あの、三種の神器(じんき)――、わたしたちが子供の頃、歴史の時間にならった三種の神器は、八咫鏡(やたのかがみ)と、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)と、それから天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)でありました。ところが、現代生活における三種の神器は、電気冷蔵庫とテレビと車ですか、三種の内容は時代とともに変わっていくようですが、今日、このような科学的産物をよぶのに「神器」というような名がつかわれるということは、全く面白いと思うのであります。
 『人間はどこまで機械か』という本を書いたイギリスのヤングという生理学者は、こういっております。「テレビという機械は、むかしの神がみの子孫である」と。超人的な力、ちょっと人間には考え及ばないような不思議な力のことを「神通力(じんつうりき)」といいますが、テレビなどは、ずっと遠くに離れていながら、いろんなことを映像として見ることができるのですから、昔の人なら、「天眼通(てんげんつう)」とはこれだ、というかも知れません。
 この映像というものの歴史は実に古いわけで、人びとは、小高い丘とか山を選んで、そこにホコラを造って中心になる神像を安置した。そして、それをとおしてコミュニケーションをおこなった、意志を伝達しあったといいます。まあ、その頃には、もう像を造ることを知っていたわけですが、そのズーッと昔、一番はじめに人間に映像というものを教えたのは、水の鏡だったといいます。人間は、水に映った自分のすがたを見て、そうして、だんだんと自分というものを知るようになった、未知の世界に気づくということを覚えていった、と。
 わたしは、いま、残念ながら、はじめて自分の顔を見たときのことを悪い出すことができません。みなさんの中に、それを覚えている人があるでしょうか。そのときには、きっと何かを感じたにちがいない、きっと心の中では驚きの声をあげたにちがいないのですが、とっくの昔に忘れてしまっています。いまでは、そういう記憶は、心の底深くに沈みこんでしまっていますから、ちょっとやそっとでは、その記憶がよみがえるということはないのでありましょう。
 それは、イソップ物語に出てくる犬の話のようなものだったのでしょうか。池でしたか、川でしたか、獲物をくわえてやって来た犬が、ふと下をみると、なんと、そこにも口に獲物をくわえた犬がいる。それをみて、こわかったのか、それともその犬の獲物もとってやろうと思ったのか「ワン!」とはえついた。ところが、自分のくわえている獲物を水の中に落してしまった。そうしたら、水の中に映っている犬の獲物もなくなってしまった、と。そういう映像の中には、非常に呪術的な要素があるわけであります。

映像崇拝と映像恐怖
 いまでは、科学が進むことによって、写真の段階からテレビにまでなってきていますが、この映像には、ちょうど偶像崇拝(すうはい)と同じような、映像崇拝、映像信仰というものがはたらく。と同時に、映像にたいする恐怖がある、といいます。だから、今日、テレビにたいする考え方にしても、崇拝の立場をとる人と、恐怖の立場をとる人と、二つある、と。
 だいたい映像というものは「事実の影」であるともいわれておりますが、崇拝の立場をとる人は、テレビというものは事実を映して見せてくれる、といいます。われわれには自分が見えない。この、見えない自分のすがたや形を、写真というものが見せてくれる。見せてくれるばかりでなく、それをいつまでも記憶して忘れない。と、このような点をあげて、崇拝の立場をとる。ところが、写真は写したものであって、事実の世界ではない。それは虚構である。だから、そういうものを繰り返し見ていると、やがて、事実と虚構とがわからなくなってしまう、ということになる。それがおそろしいというのであります。
 いずれの立場をとるにせよ、この十年ばかりの間のテレビの普及はたいしたもので、毎日、どれだけの人がテレビの前にクギづけされていることか。次々にあらわれるスターにあこがれたりスポーツを楽しんだり、あるいは歌を聞いて気ばらしをしたり――。ちょっと皮肉ないい方かも知れませんが、テレビの前の現代人は、汎神教(はんしんきょう)の信者であるようです。が、ともかく、あこがれであれ、気ばらしてあれ、人間には、そういうものに集まらずにはおれないという問題がある。そういうことを忘れてはならぬと思います。
 つまり、映像崇拝というものがなければ、これだけのスピードで、テレビが普及するはずはなかっただろう、ということです。ラジオが百万台になるのに、何十年かかったことか。それに比べて、テレビの普及が早かったのは、ただ経済的に裕福になったからだ、というだけではすまされない。やはり、そこには、何よりもテレビを要求するような原困があるにちがいない。そしてそれは、映像にたいする信仰である、と、このように考えるのであります。

人間の非人間化
 こうして、現代には、現代の神がみがある。つまり、神がみは、人間があるかぎり、ついになくならない。が、これは、いったいどうしたことであろうか、という原因であります。それは、一口にいえば、人間が人間らしく生きることができない。人間らしく、安心して生きることができないということである、ということができましょう。
 原始人の場合なら、生きるために自然とたたかわねばならなかった。それで、ときには祈り、ときには「まじない」にすがって、生き抜こうとした。それは、人間であるということに、落ち着くことのできないものだった。ところが、中世においても、やはり非人間化の問題があった。それは、人間の身分というものが、封建的な身分社会のなかで、しっかりとしぼりつけられていたからであります。それが、現代になりますと、今度は人間は、巨大な組織の中に組み込まれていて、ここでもやはり、非人間化ということが、大きな問題になってきています。そして、現代人も宗教を求めるというけれども、(れい)より(けん)を求める方に走る、と。
 ある宗教学者は、こういっております。宗教というものは、霊験(れいげん)を求めるものなんだが、現代人の特徴は、霊よりも験の方を求める。だから、神の属性というものが、全くインスタントになってくるのだ、と。つまり、人生いかに生くべきか、とか、人間とはなにか、というような霊の問題をまずおさえておって、その上で、それが体験される、経験となるということを求めるはずなのに、それよりも手っとり早く、験の方だけを求める、というのです。そういうところにも、現代の非人間化という問題の根がある、と、このようにいってもいいのでしょう。霊を忘れて験だけ求める、というのは、宗教を求めるようではあるけれども、それは、一種のゴマ化しだといわねばなりません。
 ルソーだったかと思います。「何も知らなかった古代人こそ、理想的な人間だ」といったのは――。さきほどから、いろいろ申しておりますように、現代の人間は、神がみとのかかわりがなくなったのではなくて、むしろ古代人よりも、ある意味では、かかわりが深くなったというべきではないかとさえ思われるのであります。というのは、現代社会における人間不在の問題、非人間化の問題は、まことに深刻なものである、といわねばなりません。と同時に、本来、人間は人間であることにかわりはない、ということであります。つまり、人間は人間である、ということの解決がすでについているということはできない。こういう問題であります。

人間であるということの問題
 たとえば、むかしだけでなくて、いまでも人間は、病気をしますし、病気がコジれると死にます。これほど生活様式や生活程度が変わったのに、人間が死ぬという問題はなくならない。そして、吉凶(きっきょう)とか禍福(かふく)ということが気になる。だから、罪福を信ずるということもなくならない。悪いことをすれば悪い結果がやってくる、善いことをすれば善い結果がやってくるという、そういう結果にとらわれて行為するということもなくならない。それで「現代の神がみ」という問題を、ここでは歎異抄を手がかりにして考えようとしているのですが、第七章には、天の神とか地の神、悪魔や異教、罪悪や諸善などということが出てきております。それで思うのですが、七百年前にもそういう問題があったわけですが、現代には、現代の悪、現代の善というものがある。また、現代における悪魔、現代における異教、現代における神がみがある、とこのように思います。
 つまり、善とか悪とか、悪魔のすがたとか、神がみのかたちとかは、時代と共にどんどん変わっていきます。けれども、人間そのものは、いっこうに変わっていないという問題があります。だいたい、ここにあげたのは、人間に生まれてきたところに自然発生的にくっついている宗教問題ですが、宗教には、そういう宗教と、それから、その宗教をみつめているところの、智慧ある宗教というものがある。すなわち、人間の宗教と、それから、その人間をみつめるところの智慧の世界から、われわれに生きる道を教えてくださる宗教というものの違いがあるのであります。
 そういう意味で、仏教の仏、すなわちブッダ(仏陀)は、めざめたもの、自覚のある人ということですから、仏教には、呪術(じゅじゅつ)だとか、祈祷(きとう)などということはない。これは、きわめて合理的な宗教であります。ところが、インドには、インド古来の宗教が根強くあって、仏教に影響を与える。また、中国をとおって日本へ伝わる間には、その土地の民間信仰というものも混入して、だんだんと外道化(げどうか)していく。異教化していく。つまり、いつも純粋でありたいという願いによって自己否定をしながら、また、そういう思いに反して、いつも外道化していく、ということがあったのであります。

親鸞の生きた時代
 親鸞が生きていた七百余年前はどうだったのか、といいますと、親鸞は、われわれのように飛行機を知っているわけではない、テレビを見たわけではない。というような違いがありますから、二〇世紀後半の現代と、鎌倉時代を、ただちに一緒だということはできません。原爆というような未曾有(みぞう)の殺人兵器を現代人は知っていますし、また、月世界への旅も、たんなる夢ではなくなった、そういうような非常に大きな違いがある、距たりがある。が、しかし、親鸞は、仏教によって、いまもむかしも変わらない人間の正体というものを、はっきりと見きわめた。そういう点においては、鎌倉時代は古くて現代は新しい、というだけでは、ことはすまないのであります。
 親鸞は、平家と源氏が、興亡をかけて争ったあと、武士の勢力が抬頭してきて、やがて戦国時代に入るという、あの戦乱の時代に生きておりますから、非行だとか貧困だとか病気だとか、という中に生涯をすごした。それだけではありません。当時は、日本の歴史においても珍しいほどの、大地震だとか、大風だとか、そういうことが次々におこっています。
 木曾義仲が兵をあげて、京都へ攻め入ったのは一一八一年、養和元年で、これは、ちょうど親鸞が得度した年ですが、鴨長明(かものちょうめい)が書いた『方丈記(ほうじょうき)』をみますと、その頃のことを、こう書いてあります。
 「養和のころとか、……二年があいだ、世中(よのなか)飢渇(かけつ)して、あさましき事(はべ)りき。(あるい)は春、夏ひでり、或は秋、大風(おおかぜ)・洪水など、よからぬ事どもうち続きて、五穀ことごくならず。……これによりて国々の民、或は地を()てて(さかい)()で、或は家を忘れて山に住む。さまざまの御祈(おんいのり)はじまりて、なべてならぬ法ども(なみなみならぬ重い行法など)行わるれど、更にそのしるしなし」
 こういう状態でありましたから、食糧難や疫病にかかって死ぬものがあとをたたない。それで仁和寺(にんなじ)隆暁(りゅうぎょう)法印という坊さんが、いったいどれだけの人が死んだのかと、四・五両月、その数をかぞえてみたところ、京都の一条より南、九条よりは北、京極よりは西、朱雀(すざく)よりは東の、路のほとりの死者は、なんと四万二千三百余りもあった、とあります。
 「いわんや、その前後に死ぬるもの多く、また河原、白河、西の京、もろもろの辺地などを加えていわば、際限もあるべからず。いかにいわんや、七道(しちどう)諸国をや。」

罪福を信ずる祈祷仏教
 あの小説の『(さめ)』、映画の「鮫」にも、そういう状景が書かれていますが、親鸞は、病気や貧困や死に包まれて生きている。貪愛(とんない)や憎悪や裏切りなどの渦巻く中で生きている。そういう中を生きるには、ただ祈るほかにはないというような、歴史的社会的な状況である。そこで親鸞は、その解決を、仏教に求めたのであります。
 ところが、ただ祈らずにはおれないという生き方にたいして、当時の仏教が与えた解決の道は祈祷であった、呪術化した念仏であった。在家の人びとばかりでなく、仏道のために出家した人ですら、罪福信仰から抜け出られないでいた。それで親鸞は、そういう時代すがたを悲しみながら批判して、こういっております。
  五濁増のしるしには
  この世の道俗ことごとく
  外儀は仏教のすがたにて
  内心外道を帰敬せり
と。五濁というのは、時代が悪くなるとか、あるいは、そこに住む人びとの資質が低下する、したがって考え方もいよいよ間違ってくる、というようなことを五つ数えあげたものであります。かつてブッダ(仏陀)がおっしゃったように、時代が下るにつれて五濁が増すということの証拠には、この世の道俗――、つまり在家の人たちばかりでなく、出家したものも含めて、みなことごとく、外のかたちは仏教を信ずるようにみえるけれども、内心は、外道を、異教を信じている、と。それから、また、
  かなしきかなや道俗の
  良時吉日えらばしめ
  天神地祇をあがめつつ
  卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめなす
と、こういう「和讃」もあります。これなどは、もう説明の必要がないほど、よくわかります。これは鎌倉時代のことだといいますけれども、二〇世紀後半に入った日本の、今日の現状そのままであります。
 ですから、われわれは、この身辺のことを思いますと、鎌倉の昔を笑うことはできません。結婚は大安でなければならぬ、友引の日の葬式は時間をおくらせねばならぬとか、あるいは「丙午(ひのえうま)」の年の女性はどうだとかこうだとか、というようなことが、大手をふって通っております。こうして、良時吉日をえらび、天の神・地の神をたのみ、そうして卜占(うらない)だとか祭祀(まつり)などをおこなっているのであります。

九十年の生涯を貫く信念
 さて、それで第七章をみますと、まず最初に「念仏者は、無碍の一道なり」とあります。これは、あの乱世に生まれ、出家して、比叡山で修行をした親鸞が二十九歳のときに到達することのできた心境であります。と同時に、親鸞は、そのときから新しく生まれかわって出発したのでありますから、これは親鸞の九十年の生涯を貫いて変わらぬ信念でありました。わたしたちは、こういうことを念頭において、第七章を読まねばならぬ、と思うのであります。
 つまり、親鸞は、さきほどから申しますような状況の中に身をおきながら、仏教界・思想界の頽廃(たいはい)堕落(だらく)をこえて、そうして「真実」を求め続けたのでありますが、そういう一生というものが、「念仏者は、無碍の一道なり」という、短いことばでもって語られているのであります。ですから、親鸞は、こういうことばに出会うについて、「精神」の問題、「(たましい)」の問題というものと本気で取り組んだ、「心」の問題を深く徹底していった。そうして、人生における問題の根を明らかにするとともに、その問題を解決する道を念仏に見出したのであります。
 しかし、「心」の出題といいましても、そういう歴史的社会的状況に身をおいてのことですから、心は、この生活と離れてあるわけではありません。人間として経験せずにおれないことは、すべてみな経験している、体験すべきことは、すべてみな体験している、その中から迷いをこえる道を求めて真の「精神」を探求した。そこにみつかってきたのが、天神・地祇の問題、悪魔や異教、罪悪とか諸善の問題であります。
 それで、わたしは、この「念仏者は、無碍の一道なり」という結論的なことばからはじまる第七章を拝読するのに、まず「現代の神がみ」というテーマでお話をはじめたのですが、これは、親鸞には、やはり当時における「現代の神がみ」という問題があった。そして、親鸞は、それを克服していったのだ、ということを思うからであります一。だから、われわれも、神がみと同居する、この現実を、しっかりと認識して、そうしてここから新しく出発しなければなりません。

ただ念仏のみ
 考えてみますと、人間の生きる場所というものは、神がみや悪魔や外道の住んでいるところであります。いろいろな善をたのみ、罪悪の報いをおそれずにおれないところであります。このような人生にあって、ほんとうのものは何だろう、真実は何だろう、と求め続けて、そうして、「それは念仏である」という答えを得たわけであります。歎異抄の「後序」には、
 「煩悩具足(ぐそく)の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
とあります。念仏の力によって、この(さわ)りばかりの人生が、そのまま碍りの無い一道に転ずる、と親鸞は教えております。つまり、この人生を離れて、どこかに無碍の一道がみつかるのではない。もし、そんなことなら、われわれは、念仏を信ずるために、この生活から外に出なければならなくなる。が、念仏の教えは、この生活の大地である。大地のように生活を支えてくださるものである。だから、念仏を信ずるならば、天神・地祇の無数にいる人生そのものが、一筋の白道に転ずるのである、このようにいうのであります。
 繰り返して申しますが、親鸞は、天神・地祇にも祈らずにおれないような、このきびしい人生に身をおきながら、いわゆる「まじない」や祈祷などというゴマ化しの宗教にとらわれない道はないものか、と、このように求め続けた。その結果、「ただ念仏のみぞ、まことにておわします」ということのできるような親鸞にまでなったのでありますが、ひとたび念仏に出会うてみたら、悪魔や外道をおそれる心要のない道が明らかになってきた。善をたのみ、悪をおそれるような、罪福信をほんとうに克服することができた、と。
 そして、そういう絶対の道を、親鸞は「ただ念仏」といいあらわしております。第七章をみてもわかりますように、念仏と、天神・地祇とを相対させて、これを比較するのではありません。あれとこれとを並べてみるなら、それは絶対ではなくて、相対である。だから、そういう場合の念仏は、相対的なものに過ぎなくなる。が「ただ」というのですから、絶対であります。
 つまり「ただ念仏」という一道がみつかるということは、人生がこのまま、全く新しいものとして再発見される、再認識されるということであります。人生がこのまま、新しく受けとられてくるということであります。もし、ここにはおれないという心境なら、それは逃避ですが、「ただ念仏」の一道は、人生からの逃避、自己逃避ではありません。「ただ」が見つかるならば、この相対的な、問題ばかり多い人生を、ほんとうに尽くして生きていくことができる。それで、親鸞は「念仏者は、無碍の一道なり」というのであります。
 第七章の現代意訳を読んでみますと
 「念仏は、無碍の一道である。
 それは、どうしてかというならば、念仏を信ずる人には、天の神も地の神も深い敬意をよせ、悪魔や外道(異教)もさまたげることがない。いかなる罪悪も、その当然の結果をもたらさない。いかなる善行も、念仏にははるかに及ばない。
 だから、念仏は、この人生における碍りのない、ただ一筋の道である」
と。「ただ念仏」という道がはっきりすれば、天神・地祇が尊放してくださる。魔界や外道も(さわ)りにはならない。また、罪悪の結果ならおそろしいに達いないが、それすらもおそれなくていい。そして、人間としてなしうるところの、いかなる善も及ばないようなものである。そういう信念をもって、与えられたこの人生を尽くして行くことができるのである、と。
 この「無碍の一道」というもの、碍りのない一筋の白道(びゃくどう)というものは、ことばをかえていえば「願いの道」であります。というについては、いろいろ説明を要するのかも知れませんが、端的に、一口にいってしまえば、道とは願いの道であります。そして、願いは、わたしたち一人ひとりの心中深くにはたらきかけるアミダの願いであります。そのアミダの願いが、人生のただ中にあらわれたのを念仏という、「南無阿弥陀仏」というのであります。

『文集』の発刊にあたって
 実は、みなさんと一緒に『文集』を出すについて、わたしにも原稿を書くようにそれから巻頭言も書くようにということでしたので、先日、こちらへ送ったのですが、とくに巻頭言の方は、ずいぶん難産でした。それは、巻頭言というような種類の文章を、ふだんあまり書いたことがないからでもありますが、それだけではない。みなさんと、こうして、もう十四か月もの間、歎異抄を拝読してきておりますが、その歩みの跡を『文集』にまとめようということですし、それについて何かまとまりのつくようなことを書かねばならないと思うものですから、なかなかペンが動かなかったわけであります。
 机に向って坐っていますと、みなさんのことが、いろいろ思い出されてくる。「いま、自分が考えることは、考えなくてもいい人間に戻りたいということだ」といっていた人があった。それから、非常に大きなテーマを出して、苦しんでいる人もあった。「もう一度、書き直すんだ」といっている人もあった。というようなことが、頭に浮んでくるのですが、では、そういうみなさんと一緒である、一つの道に結ばれているのである、ということは、どこでどうしていうことができるのだろう、と、そんなことまでも問題になってきて、ますますペンが進まなかったわけであります。

願いは必ず実現する
 いずれ、そのうちに『文集』が出れば、読んでいただけるのですが、あらかじめここで、紹介しておきましょう。まず、はじめに、
 「友よ!
 なにを求めて生きてきたのかを知ろうとすれば、この現実をみるがいい。
 この現実は、かつて、自らが求めたものである」
と。みなさんと一緒に考えようという気持ちで、まず「友よ!」というのです。そして、なにを求めて生きてきたのか、ということにたいする答えが、「この現実」である。「この現実は、かつて自らが求めたものである。」なかなか、このようには思えないかも知れませんが、しかし「この現実」として事実である。それから、
 「なにを願って生きつつあるのかを知ろうとすれば、この現実に立つことだ。
 未来は、かぎりのない自己燃焼をエネルギーとして、いまに実現する。
 友よ!
 われわれは、この人生が、自身の願いの象徴であることを知らねばならぬ。
 象徴は表現である。表現は言葉である。言葉は実践である。
 われわれは、この、道となる願いの純化を願って集いする。
 あの、愚禿釈(ぐとくしゃく)――、愚かさに徹して、愚かさを超えた親鸞の人生に自身の道を聞くために集うのである。
 たとい、願いの表現は万別(ばんべつ)でも、願いそのものに変わりはない。
 友よ!
 願いは、必ず実現する」。

歎異抄の会になぜ集まるのか
 ちょっと、むつかしいことばを使っていますが、いおうとすることは、わかっていただけると思います。象徴というのは、かたちのないもののかたちですが、考えてみれば、煩悩によって右往左往させられているような人生は、煩悩の象徴である。われわれは、宿業というものでもって、人生を荘厳(しょうごん)しているのである、かざりあらわしているのである。
 しかし、宿業の人生には、それだけの意味しかないのではない。煩悩に気づくということがあるからこそ、この人生からすくわれていくのである。宿業にめざめるということがあるからこそアミダの本願にすくわれるのである、と。
 それから表現とか言葉とか実践などといいましたのも、説明をすれば、いろいろわたしの領解があるわけですが、まあ、これから『文集』を出そうとすることの意味を述べたのだ、と、こう思っていただいて差支えないのであります。『文集』を書くのは、言葉を綴るのですが、それはただ文字を並べるだけのことではありません。書くのは、生活を書くのである、だから、書くということは、すなわち実践にほかならない。つまり、実践のないものは、書いてみようがないのであります。
 たしかに、ここへ集まってくる動機は、さまざまでありましょう。動機には、必ずしも純粋だとはいえないものがあるのでしょう。けれども、わたしたちは「道となる願いの純化を願って」集まってくるのである。わたしを動かしている願いは、どこまでもどこまでも、純粋なものでありたいと、純化を願っているのであります。
 そうして、わたしたちに共通する目標は、「親鸞」であります。自分の生きるすがたを「愚禿(ぐとく)(しゃく)」と呼んだ親鸞――、愚かさを知り、愚かさに徹することによって、かえって、この愚かな人生を超えていった親鸞――、釈迦の弟子、すなわち「釈」と呼ぶことのできるような自分を発見した親鸞――。「この人」こそ、わたしたちの先達(せんだち)であります。師匠であります。そのような親鸞に、親鸞の生きた道を聞くために、ここに集まるのであります。

人間の願いとアミダの願い
 ですから、願いというものは、さまざまにあらわれるものでありますが、しかしわたしたちを動かしている願いそのものに変わりのあろうはずがありません。考えてみますと、天の神・地の神も、わたしたち人間の願いに応じてあらわれるものだ、ということもできましょう。しかし、そういう願いは、人間の願いであります。欲望とか願望というものと、はっきり区別のつけられないような、願いであります。
 人間というものは、そういう願望にあやつられて、毎日毎日を過しているわけですが、親鸞はそういう生き方を見きわめて、これが流転というものである、と知りました。徹底して、欲望の正体、願望の正体を見きわめて、そうして、その根底には、アミダの願いがはたらいているということにめざめました。このアミダの願いを、いま「願いそのもの」といいあらわしたのであります。
 だから、人間の願望の表現は、天神・地祇だけではありません。魔界も外道も、人間の欲望がかたちをかえたもの。また、善をたのみ悪をおそれるということも、欲望のなせるわざ、煩悩のなせるわざであります。ところが、アミダの願いが「南無阿弥陀仏」という「ことばの仏」となって、この人生に表現されるというと、天神・地祇・魔界・外道の雑居する人生が、このまま一筋の白道に転ぜられる。それを、「念仏者は、無碍の一道なり」というのであります。
 巻頭言のことばにもどりますと、
 「たとい願いの表現は万別でも、願いそのものに変わりはない。
 友よ!
 願いは、必ず実現する」。
 ここで「願いは、必ず実現する」というのも、みなさんには、すでにおわかりのことでありましょう。ところが、これには反論が出るかも知れません。願っていたことが実現していないじゃないか、それが人生の現実というものじゃないか、と。しかし、実現しなかったのは、欲望だったのだ。それは、ほんとうの願いではなくて、煩悩のえがいた妄想だったのだ。つまり、実現しなかったことは、しなくていいことだったのだ。ほんとうの願いならば、実現する。願いは、必ず実現する。
 さて、これで第七章について、一応のお話を終ったわけですが、来月は、「無碍の一道」つまり「さわりなき道」という題目でもって、もう一度、第七章を拝読することにしたい、と、このように思っております。 (昭和四〇・六・一九)


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