4 第六・七章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 まえがき  
  一 第六章の一  
  二 第六章の二  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  三 第七章の一   
  四 第七章の二   
  補 説  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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二 第六章の二 「人生の教師」


     座談会 「倦怠について」

                                            司会 西 山 英 夫(農業)

 司会 今晩の司会は、ぼくにやれということです。時間は、もう十時十分すぎになっておりますので、なるべく要領よく、話を進めていただきたいと思います。

     「なんぞ面白いことないか」

 司会 それで、ぼくはテーマを決めるときに休んでいたのですが、倦怠にしようか、それとも退屈としようか、ということが話し合われたそうです。そうして、倦怠ということになったわけですが、これは、なかなか含蓄のあるテーマだと思います。はじめに、中村君――、どうですか。
 中村常 いや、最近は、あまり退屈することもないので――。まあ、みなの意見を聞かせてもらおうと思っています。
 だいたい、退屈、退屈という人があるが、どういうことだろう、と思うのです。
 司会 「人生に退屈する」などといいますが、これは、どうなんでしょうか。
 伊東 そういうことを、最初から持ち出すと、話しにくくなりませんか。ずいぶんむつかしい哲学問題になってしまう。
 退屈とか、倦怠とか、あるいは、疲れる、などということばを、つっこんで、くわしく考えると、意味もちがうし、したがって、問題もちがう、ということになってきます。が、もっとザックバランに、身近なところから、話を出し合っていったらどうですか。
 松井 人に出あったとき、よく挨拶がわりに、「なんぞ、面白いことないか」などといいます。これは、やはり退屈しているのでしょうね。
 高田 今日の中日新聞の案内、「村から町から」の欄に、この会のことを間違って、伊東先生の講題が「倦怠について」となっていた。だから、座談会をやめて、続いて先生に話してもらったら――。(笑)
 司会 それは、新聞社へ連絡してくれた大西君の責仕やなあ。
 大西 いや、同じように書いて出したが、朝日新聞の方は、会の案内状と一緒で、間違っていませんでした。(笑)
 中村勉 すると、中日新聞の方は、保健所の講演のような題になっていたわけやナ。

     (けん) (たい) 期

 松井 まあ、どんな会でもそうですが、慣れてくると、はじめに発起したときの意気というものを忘れて、習慣的に、惰性で動く、ということになりやすい。
 伊東 今日、ここへ来る汽車で、偶然、大谷大学の先生――、ぼくと同年輩のクルベという人と一緒になったので、亀山までずっと話をしてきたのです。
 降りるときになって、「今日は、これから松井君ところの会に行く」といったら、「いつからはじまりました」というので、「もう一年あまり」といったら、「それは、一番むつかしいときですなあ」というのです。一年目ということになると、新しく会を作るときとちがった問題が出てくる。そこには、倦怠期というような問題もある、ということですね。
 司会 たしかに、この「歎異抄に聞く会」にも、ちょっと、そういうことが感じられる。
 学校時代に、文芸雑誌を出したとき、せいぜい大きい立派なものにしようというので、みんな好きなことを書いて出したことがあります。その頃、宮前中学に、笹岡という校長先生がおられて、それを読んで「たいていの雑誌は、龍頭蛇尾で消えていくんだから、まあ、はじめからじっくりやれ」といわれた。いわれたとおりに、もう四号ぐらいで、消えてしまいました。
 伊東 「三号雑誌」ということばがありますね。雑誌は、三号が危機だというのです。三号を乗り切って、四号五号が出れば、あとは十号ぐらいまでは続く。そして、十号ぐらいになると、また一度ピンチが来る。
 そういうわけで、こういう会にも、フシブシがある。エポックがある。それを、どうして切りぬけていくか、というところに苦労があるわけですね。
 司会 この会で出そうという『文集』は、もうゼロ号から、すでに危機状態で――。(笑)
 松井 そういう意味では、倦怠がテーマに選ばれたところに、もう、この会をどのように運営していくか、という、われわれの問題が出てきている、ということでしょう。
 司会 ああ、なるほど、このテーマには、そういう意味があるのですか。
 中村常 うん、もちろん、それはある。
 しかし、ぼく個人の問題としては、ものすごく雑用がある、仕事がある。そのなかで、いろいろのことをやりたい。たとえば、本を読みたいし、なにか書いてみたい。けど、そういう時間が少ない。そんな時間がほしいなあ、ということを感じているので退屈だという人に聞いてみたい気がする。
 司会 けれども、倦怠と退屈とを、すぐ結びつけるのは、問題があるように思います。この青年会の場合は、退屈というより倦怠――、倦み怠る方だ、と。

     教えの聞き方

 司会 ちょっと問題が離れるかも知れませんが、たとえば、今日のお話にもあったように、決断なき教えの聞き方――、というか、教えを聞いても決断がない。それで、教えを教養とか知識にしてしまうということがあります。
 この会で『文集』を出すのに、仏青(仏教青年会)のものは必ず何か書け、ということで、再三、中村君から督促されるけど、倦怠期に入ったというのかなかなか書けない。
 この「歎異抄に聞く会」のはじめ頃なら「そうかではオレも何か書こう」と、書いたかも知れんが、今になってみると、教えを聞いてはいるけれども、決断をともなわない、自分の身になっていない、ということが思われて、書いたものが空虚なものになるような気がする。おそろしくて、ペンが持てないような状態になっているのです。
 中村常 結婚生活には倦怠期がある、といいますが、このなかの十年選手――、どうですか。
 中村勉 夫婦間の倦怠期は、一生に何回か山があって、やってくるものだということは、先輩から聞かされたり、本を読んで知っているが、おのろけをいうわけじゃないけど、まだ、ぼくは、倦怠期らしいものに突き当ったことがない。
 伊東 倦怠期は、どの場合にも、やはりピンチですから、いろいろ工夫をして、それを切りぬけないと、途中で坐折してしまう、夭折(ようせつ)してしまう、ということになりますね。
 松井 はじめ行動をおこすときに、大きな予想を立てる、理想をえがいてみると、結果にたいしては「なんだ、こういうものだったのか」というように悲観することが多い。
 とにかく、教えを聞こう、と、この会ははじまったのですが、その、はじめの心持ちのなかにも「聞けば、すぐわかるだろう」とか、「聞けば、こうなるだろう」というような、予定概念があった。それで、予定どおり進まぬではないか、いっこうに教えがわからぬではないか、というようなことから、疲れて熱意がさめてくる。そういう問題があるのでしょう。
 中村常 たしかに、求めたものと、得たものとは違う、ということはありますね。
 松井 その場合、求めたものがほんとうか、それとも得たものがたしかなのか。その、どちらに力点をおくか、という、力点のおき方で、倦怠が出る出ないの違いが出てくるのじゃないですか。
 中村勉 この会にしても、夫婦の間にしても「むつかしい」ということが、倦怠に関係してくるのではないでしょうか。
 歎異抄の話を聞くということに、興味をもって、一二回やってきたが、話はむつかしいし、聞いても頭に入らん、現実の生活に即しない、というような問題から、二の足を踏む。それが、現在の状態じゃないか。

    熱心さに教えられるということ

 中村勉 昨日、茶つみをしていたら、参議員全国区の選挙のことで、創価学会の人が折伏(しゃくぶく)にやってきた。女の人でしたが、朝晩のお勤めによって、わたしらは、すくわれるのだ、と、いかにも幸せそうに話していました。
 なにもわからんずくに、南無妙法蓮華経ということによってすくわれるんだ、といい、それを選挙と結びつけて、この人を選ぶことによって日本がよくなる、政治がよくなる、といって歩いている。ああいう姿は、狂信か盲信か知らんが、彼女らは彼女らなりに、なにかを掴んでいる、というか、自分自体それで満足している。ナンセンスだとも思うし、気の毒にも思って、聞かしてもらっておったが、ああいう熱心さは、たいしたものだと感心しました。
 司会 そういえば、創価学会の人には、ひねたところ、というか、老人くさいものがない。若さというか、力強いものを持っている。どこで話を聞いても楽しそうだし、ほんとうに話に一生懸命になっております。だから、その話に乗らぬと、おこってくる――。
 仏教には、そういうものがないように思いますがどうでしょうか。
 伊東 創価学会の人は、うちの方が、ほんとうの仏教なんだ、というわけです。
 熱心な姿に感心したのなら、それをもって、熱心になれない自分の鏡にして、教えをうけたらいい。一生懸命ということを学べばいいと思います。
 まあ、いま、ここで、創価学会のことを、くわしく考えることはできませんが、いまいわれているような意味でのエネルギー、力強さというものは、この肉眼でよく見えるので、わかりよい。たしかに、ある種の力である。が、では、そういう力は、どこまで続くのだろうか、そういう力には、疲れるということはないのだろうか、ということを考えてみてもいいと思います。

     会に参加する姿勢

 高田 話がそれたようですが、この「歎異抄に聞く会」には、いま、たしかに一つの倦怠というようなものがある。最初は、集まる人も多かった。人が多ければいいとはかぎらんけれども、ああいうさかんな状態というものは、やはりよいことだ、と思います。
 ああいうように、なんらかの形で、もっと多くの人が集まって会が開けるように、この倦怠を切りぬける、ということで、話を進めてください。
 司会 これは、ぼく自体の問題なんですが、会の通知が来たから行かねばならぬ、という気持ちと、用事があるから一回休もうか、という気持ちと、両方ある。
 それに、最初の頃に比べると、新鮮さというものがなくなってきています。問題をつきつめると同じことになるからでしょうが、話の内容も、同じことを聞くように思えるし、それに比較的むつかしい。だから、カチンとわかった、と思って帰ったのは、わりに少ない。それで、ぼくのようなことが、他の人にも多少あるのでないか、と思うのです。
 それから、座談会のテーマにしても、それについて無理にしゃべらんならんということがある。テーマについて、考えを整理できる人はいいが、ぼくらのように、フラフラの考えを持っていると、指名されても、これという意見が出せないので、座談会のたびに、弱った弱ったと思っています。
 中村常 やはり、それは「歎異抄に聞く会」に参加していくという、姿勢の問題だと思う。たとえば案内状が来たから行く、というのを、もう一つ乗りこえる立場がある。その人の中に「歎異抄に聞く会」を育てていこうという姿勢がある場合は、案内状が来たから行こう、というのでなくて、待つべきものを待つ――と。
 伊東先生の話ではないが、向うからやってくる、という形だけれども、そこには、自分もそれに参加していく、という形もあるはずだと思う。ぼくの場合は、そういう形――。
 司会 みなが、そういう人なら、ここで、倦怠ということが問題にならなかった。しかし、今日の会でも、農繁期ということもあるが、ぼくが分担して案内状を配らしてもらっている部落の人でも、はじめの頃は出席された人の大半が、出席されなくなった、ということもある。
 それで、中村君個人の場合は別として、会の全体の問題として、気分を一新するというか、一人でも多く聞いてもらう、ということで、どうでしょう、ご意見は――。
 中村常 これは、なにかアトラクションでもやって、というような、方法論の問題ではない、と思う。会に出てくるというのも、つきつめると、その人個人の問題だから。
 司会 さっき高川君がいったように、この会全体としていえば、倦怠期に入っている、と、そういうように感じるわけです。
 中村常 もう一つ端的にいえば、それは、司会者自身の問題でもある。
 司会 たしかに、それは、ぼくの問題もある。

     「自分が怠っている」という反省

 中村常 つまり、一人ひとりの問題だと思う。相対的に、あれが寄ってこない、これが寄ってこないというのでなしに、自分自身の問題として出す。
 みんなが寄ってこないから、どうしたらよいか、という発想でなしに、自分自身がほんとうに参加しているかどうか、ということを、もう一ペン、パッとやってもらいたい。こういういい方は、失礼かも知れんが――。
 司会 そういう問題については、ぼくも考えている。恥ずかしい話だけど、まだ自分にカチンとこない。それで、決断ができておらん。聞きたい気持ちはあるんだが、決断なき教え、というところにいる。
 だから、この会の案内状を配りに行っても、会に来てくれとはいうが、「まあ、このぼくを見てくれ」といえるような、生き生きしたものをもって配りに歩けん、という弱味がある。これではいかん、という責任感も感じるし、いつも困っている。
 高田 だから、みんなに来てはしいという気持ちはあるが、案内状を持って行って、それから、会の日に誘いに行っても、自分の中に、相手に訴えるだけのものを持っていないもどかしさがある。
 それは、自分自身の問題でもあるが、ここでみんなと一緒に、はっきりさせたい。
 司会 それを乗り超えられるとよいが――。中村君の場合は、それが、ある程度、乗り超えられている、と思う。一人ひとりが乗り超えられたら、これだけのメンバーでも、もっと多くの人が寄ってこれる雰囲気になると思う。
 松井 ぼくは、人が寄らないということで、すぐ感じることは、なにか自分が怠ってきたんだな、ということです。
 人が寄らないという、この事実から、「なにか自分が怠っている」「なにか自分に、もう一つはっきりしていないものがある」と、自分に感じる。それが、倦怠ということだと思います。
 だから、この、人が寄らない事実を、具体的におさえてみると、たとえば、案内状の文章書きや、座談会のテーマ決定、それに案内状刷りや、それを配る問題、それから時間を正確にはじめるということなど、まず、われわれメンバー自身が、怠ってきたという事実が出てくる。
 会をやり出した気がまえに比べて、現在の事実を反省して、怠っておったということが出てくれは、もう一度出発点に帰る。怠っておったということでぼくらが、はじめに求め、はじめに聞こうとしたのは、いったい何だったのか、ということを考え直す機会が来ておるのだ、と思う。
 だから、はじめに聞こうとした態度そのものが、一つの試練を受けておるというか、態度そのものをもう一度検討しないと、いくら聞いても、聞いたことにならんのでないか、という、大きな問題が、いま、一人ひとりの上にかかってきている。つまり、司会者のいう決断にせまられている。そして、それを乗り超えたいというのだから、自分も、決断を待ちのぞんでいるのだ、といえる。

     「五六人になってもかまわぬ」か

 松井 それから、もう一つ思い出すことは、ぼくが、この会のことで、伊東先生に相談に行ったときに「まあ、五六人になってもかまわぬ、ということではじめる。そういう態度なら、会をやってもいいんじゃないか。それなら、ぼくも行って話せる」といわれたことです。
 そのとき、ぼくは、多くの人に呼びかけて、少しでも気のある人たちと一緒に会を開こう、と、意気込んでいたのに、先生からこんなことをいわれたのだから、そのときはショックだったが、実際にそのとおりになってきて、どうもパッとせん、と思うことがよくあるが、そのたびに「五六人になっても――」ということばによって、反省させられたり、力づけられたりする。
 それは、仏教を聞く場所では、まず、人の数など問題でない、ということ。と同時に、人は来るものだ、ということだと思う。だから、人が来なくなったら、それは、自分で怠ってきたものがあった、ということ。そして、開く態度そのものが問題になってきた、というよりほかないと思う。
 高田 やっぱり、このテーマは、自分に帰ってくる問題だから、自分の問題として、ゆっくり考えることにして、座談会は、これで一応、終ることにしてはどうですか。今日は、時間もおそくなったことですし――。

     ぼくこそトクをした

 中村勉 まあ、高田君や西山君のような心境の人が多いと思うナ。今回の案内状には「この会をやって、先生だけがトクをしているのではない」というようなことが書いてあったから、書いた人の気持ちを聞かしてもらって、先生にしめくくってもらったら――。
 中村常 この前の会で、先生が「ここで、一番トクをしたのはぼくだ」といわれた。その瞬間、ぼくは「そんなことはない。ボクの方がズッとトクしとる」と思った。それで、ああいうふうに書いたわけです。
 ぼくは、この一年以上続いてきた会で、いろんなものを学んだし、これからも学んでいきたいと思う。それは、既に道があったんだ、という問題だと思う。聞いておったら、いよいよ聞いていかんならぬ道がもうあったんだ、ということ。既に道があるから、聞こうという気持ちが生まれてきた、ということ。それがはっきりしただけでも、ぼくはトクをした。
 ぼくは、前の案内状に「仏の道も、また、無限にあるのでなければならない」と書いた。先日、テレビで、イタリアの、ドイツファシズムに抵抗する一人の無神論者を、カトリックの牧師がかくまう、という映画を観た。結局、その無神論者は、ドイツの秘密警察につかまって、拷問を受けるが、そこへ、かくまった牧師も引き出される。
 そこで、役人が牧師に向って「彼は、神を信じない悪人だ」という。それにたいして、牧師は――、くわしいセリフは忘れたが、「真理と、〇〇の道を行くものは、神の通を行くものだ」といい、「神の道は、無限にあるのだ」といった。ぼくは、映画を観ておって、そういうことをいい切れた牧師の自信というものを感じた。
 おそらく、仏教の立場からも、他のいろんな立場の人に向って、そういうことがいえる自信がなければ、ウソだと思う。あんなものはなんだ、という調子で、違う人の立場を批判するのでなしに、その人の道もまた仏の道だ、という自信がないといけないと、そう思って、あの案内状を書いた。
 だから、道は、その人その人にある。いろんな道がある。その、道が無限にあって、同時に、それが一つの道だというようなこと。既に道があるのだ、という問題。「既に此の道あり」という問題。そういうことが、だんだんわかってきたので、ぼくこそトクをした、といいたいわけです。
 司会 なるほど――。それでは、道専寺に松井君がいなくなったら、中村君を住職に雇いに行きますで――。(笑)

     師友の励ましに導かれる

 司会 では、ちょっとおそくなりましたので、まとめを先生にお願いします。
 伊東 「倦怠についてまごころというテーマでしたが、話の内容は、この会の反省ということでしたね。
 それについては、松井君が「自分は怠ってきたんじゃないか」といいました。それで尽きると思います。そのことばを、くりかえしくりかえし反覆して心の中であたためて、よく考えてみたいですね。そういうことについては、いま、ぼくは沈黙して、じっと自分一人で考えたい。口を開けば、なにか自己弁護のようなことにしかならない、というものを感じますから――。
 それで、今日は、みなさんのお話を聞きながら、ぼくは、ぼくなりに、ここまで歩んできた道をふりかえって、思い出しておりました。その間には、いろんなことがありましたね。
 学生時代のことですが、なにもわからないのに、ガムシャラだったこともあります。大学の頃は、相応(そうおう)学舎(がくしゃ)というところで、安田理深先生のお話を聞いていたのですが、かたちからいえば小さな集りで、学生全部が集まって十人くらいのものでした。それで、試験でもはじまると、二人とか三人しか来ないそれだけで、先生から、唯識(ゆいしき)や浄土論註の講義を聞いたのです。
 大学の三年から、四年の頃にかけてのことですが一年先輩にあたる友人の下宿へ一緒に寝泊りして、そこを会場に学舎を開いていたことがありました。六畳と四畳半の二間ですが、学舎のある日には、机を隅に片づけて、掃除をして、小さな黒板と学生用の長机を出すのです。
 ある日、友だちと二人で映画を観に行ったところが、あの頃のことですから、四本立てで、一回に五時間も六時間もたんのうさせてくれる、という映画館がありました。終って出てみると、もうずいぶんおそくなっている。そんな頃になって、「ああ、今晩は、相応学舎の日だった」と気がついて、飛んで帰ってみると、学生はだれも来ていない。敷きっ放しの万年床の上に、先生一人ちょんと座って、本を読んでおられる、というような失敗もありました。学生のこととはいえ、まったくノンキな、申訳のない話です。
 一プクお茶を飲んで、それから「もうおそいから講義はやめて、風呂に行こう」というので、三人で銭湯に出かけて、その日の学舎はおしまい、というような調子でした。
 その、安田先生が、「伊東君、きみは、自分の住いを会場にしているから、無理矢理トクするね」といわれたことがあった。自分の下宿が会場でも忘れてしますような学生なんだから、会場を引きうけていなかったら、いったいどうなっていたことか。
 そういうような思い出が、いろいろありますが、そんなことに引っぱられ導かれて、やっとここまで歩いてきたわけです。それを思いますと、道を行くということにとって、先生と、そして、その周辺に集まる先輩友人たちの恩恵というものをシミジミ感ずるのです。歩むのですから、やはり倦怠というような問題もおこってくる。が、そのとき、叱ったり励ましたりして、その倦怠を克服する力になってくれるもの――、それが師友というものなんですね。

     業ということ

 伊東 こうして、お話していて、いま一つ思い出すことがあります。まあ、体験ばかりですが、ぼくは、大学卒業のときに無理がすぎて、ずいぶん重い肋膜炎にかかりました。卒業式の日に京大病院に入院したのですが、はじめは、ひどいカゼだということだった。ところが、どうもセキの様子がおかしいというので、友人が京大の先生をたのんでくれて診てもらったところ、聴診器を胸にあてるとすぐ「これは肋膜炎です。いま、水がたまるところです」ということで、とりあえず絶対安静三か月といいわたされた。
 そうだときまったとき、絶対安静と聞かされたとき、一番はじめに、ぼくの頭に浮んだのは、ふだん安田先生から聞いていた「(ごう)」ということばでした。業は自分が作ったものだ、与えられた運命は、自分が選んだものだ。しかし、また業は、自分を作っていくものだ、と。そのことばの意味が、そのとき実感としてわかった。身をもってわかった。「ああ、これだったか」とわかった。
 それで、看病をしてくれている友人にたのんで、日誌に、こう書いてもらった。「業とは、自分自らがつくったものである。しかし、業とは、自分自らをつくっていくものであるまごころと。
 倦怠というテーマには、直接つながらないような話になったようですが、ここで、まず申したいのは師や友に励まされる、ということです。われわれは鉄人、超人じゃありませんから、それがなくては、道を歩むということはできません。

     決断について

 伊東 それから、決断ということも問題になっていましたね。それについては、決断する、ということと、決断することを考えている、ということは違う、という点をはっきりさせておかねばなりません。なにか水泳の飛び込み台にでもあがって、飛び込もうか、飛び込むまいか、と迷っているような状態――。そんなことを頭にえがいて、まだ決断がないといっているのでしょうか。
 たしかに、決断には、そういう思い切り、というものがあるわけですが、思い切りは、なにもジャンプ台から水に飛び込むような状態ばかりと決まっているわけじゃない。決断の内容は、選択するということです。なにかを選び取り、なにかを選び捨てる。ぼくたちは、日常、見逃しているけれども、つねに選んで生きているのですね。つねに、なにかを選び捨て、なにかを選び取って生きている。そういう事実に気づくことが大切だと思います。
 そうすれば、日頃、無自覚に、選択して生きていることの重大さに驚くでしょう。ほんとうになにを選び捨て、なにを選び取って生きるべきか、ということが問題になってくる。そうすると、決断ということを、頭の中で、あれこれヒネリ廻して考えているわけにいかない、ということに気づきます。
 それから、また、決断ということは、人生にただ一度のできごとですが、それじゃ、一度決断すればそれで、ことは終りか、といいますと、決してそうじゃありません。決断して道を歩みはじめたはずなのに、歩むということに疲れる、倦怠がある。いやほんとうの意味で、倦怠ということが、真剣な問題になるのは、道を歩む者にのみあるんだ、といってもいいと思います。

     求道心が倦怠を克服する

 伊東 もう一つ、創価学会の人の熱心なことに感心した、ということに関連してですが、さきほどもいいましたように、熱心さに教えられるということは大切ですね。だが、この人生の射程距離というものは、大きな声に力を入れて話ができる、というようなことだけに終るものじゃない、ということを知らねばならぬと思います。
 市川君が、冗談に「金もうけばかり、うまくなりました」といってました。たしかに、われわれは、もうけたとか、損をしたとか、仕事をするとかしないとか、そういう中にいる。そういうことから離れられないような生き方をしているんだけれども、その全体が、なにか、もっともっと大きなはたらきにつながっているにちがいない。
 歩いているのは、一歩一歩だけれども、この一歩は、長い射程距離の一歩である。つまり、五十年のいのちが七十年にのびたというような、ケチくさい人生ではなくて、五十年六十年の人生を生きているんだけれども、これが、このまま、永遠の、無限の流れに参加しつつ生きているんだ、といえるような生き方――。そういうものが、お互いにはしいんですね。
 もし、そういうものが必要でないというのなら、仏法はいらない。仏法を求めることなど、やめたらいい。
 しかし、だれも、そういう生き方が、必要でない人間がいるはずはない、と思います。なぜなら、みんなの中に、求道心、宗教心が与えられてあるからです。この求道心、宗教心にめざめることを、決断とか、選択とか、といいますが、また、この求道心宗教心が、倦怠という問題を克服していく力だと思います。
 師友に励まされ、育てられて、求道心が求道する――。その求道心が、自分をかえりみて「これでいいのか」と反省する。そして、それをエネルギーとして、新しく出発する。
 感話が長くなりましたが、今日は、これで終ることにいたします。
 司会 ありがとうございました。


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