4 第六・七章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 まえがき  
  一 第六章の一 ? 
   原文・意訳・注  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  二 第六章の二  
  三 第七章の一   
  四 第七章の二   
  補 説  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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一 第六章の一 「みな友である世界」


     
講 話 「みな友である世界」

発会満一年を迎えて
 今日は四月の二十四日でありますから、この会が始まりましてから、今月でちょうど満一か年になるわけであります。座敷には、この会のことを記録しておくノートがありますが、それを繰ってみておりますと、去年は、四月二十六日に第一回の会をおこなったと書いてありました。それで、座敷にこられた人たちと、「あれから、もう一年になるのですね」と話し合っていたことであります。みなさん、それぞれ、この一年間をふり返ってみて、いったい、どういう感想をもたれますことか。過ぎ去ってみれば、短かったようでもあり、また長かったようでもありますが、この会の印象としては、なにか「むつかしかったなあ」ということですか。座敷では、そんな話も出ていたのであります。
 この間に、わたしは、一度だけ休みましたので、今日は第十二回目――。こうして歎異抄の方は、やっと第五章を読み終えまして、これから第六章に読み進むことになったわけであります。
 まあ、毎月一度、あらかじめ決めた日がやって来て、「さあ粥見(かゆみ)へ出かけるのだ」と思いますと、ふだん歎異抄を読まないわけではありませんが、改めて一つのテーマを出しまして、それでもってその一章を拝読してゆこうということで、それまで自分なりに読んできたところを、「さあ、これでいいのか」と考えなおしてみる。そういうことを繰り返しながら、一年たったわけで、あります。
 そして、この会の日は、一か月前に自分が決めるのでありますから、これは自分が選んだ機会だともいえるわけですが、一度決めてしまいますと、その予定日は、いやおうなしに向うからやって来る。「この時」が、向うから自分を迎えにやって来る。そういう感じであります。そしてわたしは、「この時」のために、精イッパイの努力をするのであります。
 その結果の出来、不出来はともかくとしまして、この一年間をかえりみますと、「一番トクをしたのはだれでもない、このわたしだ」と、痛感します。まことに申し訳のないことですが――。ですから、わたしは、この会のために毎月一度ずつ、わざわざ京都から出かけてくる、汽車とバスに往復十一回も乗ったわけですが、それが(むく)われるところは十分にあった、と思っております。それで、この一年間は、わたしにとっては非常にありがたかったということを、自信をもっていえるのであります。
 そして、今月からは第二年目でありますから、一つの年輪から次の年輪へと移っていくわけで今日は、その第一歩であります。だから、あらためて初心にかえって、新しく出発するんだという気持ちで、お話し申しあげようと思うのであります。

友について考える
 さて、それでは、本論に入りまして、第六章ですが、今月から初めて来られた人の顔もみえるようであります。だから、そういう人たちのために、これまで読み終ったところの要点を反覆できるといいのでありますが、時間の都合でそれもできかねます。それで、各章にテーマを出して、一回一回が、話として一応区切りになるように――、そうして全体が、歎異抄に関してまとまりをもつように――。なかなかうまくはいきませんが、そういう配慮だけは忘れないようにしたいと思うことであります。
 で、まず第六章は
 「専修(せんじゅ)念仏(ねんぶつ)のともがらの、(わが)弟子、人の弟子という相論(そうろん)のそうろうらんこと、もってのほかの子細(しさい)なり」
ということばから始っております。つまり「念仏ひとすじに生きる人びとのなかに、これは自分の弟子だ、かれは他人の弟子だといういい争いがあるとは、全く、とんでもないことである」と。
 ここに弟子とありますから、弟子には師匠があるはずである。だから、これは師と弟子の問題――。まあ、先生と学生の問題といってもいいのでしょうが、それは学校を卒業してしまえば縁の切れるような、そういう関係ではなくて、長い人生を送っていく間、一貫して心から先生と呼び、弟子であるということのできるような間柄であります。そういう意味において、第六章には人生における師と弟子の問題が明らかにされてあるのでありますが、このすぐあとに
 「親鸞は、弟子一人(いちにん)ももたずそうろう」
とあります。「親鸞は、弟子とよぶべきものを一人ももっていない」と。このことばが、第六章のなかで、ピカッと光っている。それで、これに注意しながら、まず人生における「友」について考えてみたい、「親鸞は、弟子一人ももたず」といわれることばを手がかりに、人びとはすべてみな友であるということを明らかにしたい。そこで、わたしは、この第六章を拝読するのに、まず「みな友である世界」という題目を出したわけであります。

宗教界にも縄張り争いがある
 それで、原文をみますと、「専修念仏のともがらの」とあります。三重県の一身田(いっしんでん)というところに、真宗高田派の本山の、専修寺(せんじゅじ)というお寺があります。この専修は、専ら修める、ただ念仏のみに専念するという意味であります。つまり、あれもこれもという雑修(ざっしゅ)、念仏も称えるけれども、その他のいろんな宗教行というものも行うような雑行(ぞうぎょう)雑修(ざっしゅ)にたいして、専修(せんじゅ)といいます。あれも行う、これも行うというように浮気っぽいのでなくて、ただ念仏ひとすじに生きる、これが専修であります。
 ここでは「専修念仏のともがら」というのですから、これは親鸞の教えを聞いた人たち、そして、その流れを汲む人たちであります。そういう人びとの中に「わが弟子、ひとの弟子」という争いがあるのは、もってのほかである、とんでもないことである。「相論(そうろん)」というのは、いい争い、いさかいということですが、他の宗教の信者の中に争いがあるというのならいざ知らず、こともあろうに親鸞の教えを聞いていながら「わが弟子、ひとの弟子」などといういさかいを起すなどとは全くけしからんことである、と。つまり、これは勢力争い、縄張り争いのようなことがあるというわけですね。
 最近、大野伴睦氏がなくなってからというものは、全国各地で暴力追放の動きが、とくに表面化してきまして、あちこちの組織的な暴力団が解散するということが目につきます。が縄張り争いは、なにも暴力団だけに限ったことではなくて、政界にも、財界にも、また学者なかまの間にも、派閥というものがあって、お互いに勢力争いをやっています。これは、大学の間でさえ東大系だとか京大系だとか、といわれるような系列がありますし、一つの大学の中に入ってみても、学閥というようなものがあるところもあります。
 それで、こういうような問題がおこる原因は、いったいどこにあるのだろうか。これについてわたしは、案内状にも書きましたように、人間には、なんらかのかたちで人の上に立ちたいというような、指導者意識があるのではなかろうか、と、こう思います。どこで、どんな暮らし方をしていても、人間というものはみな、心のどこかに、リーダーになりたがっているような根性をもっている、それが人間である、ということはできないだろうか、と。
 それで、もし、そうなれないというと、なりたい気持ちを「なれない」とおさえるものですから内向して、コンプレックスになる、劣等感をもつようになる。ところが、たまたま機会があってリーダーにでもなると「オレは――」という調子で、たかあがりをしてしまう。そして、この自分の底辺を、少しでも広くしようというわけで、「わが弟子、ひとの弟子」という争いがおこってくる。
 このことから思うのですが、人間というものは、正しく自分を知って、そうして、自分の力を尽くすということは、なかなかできないものだといわねばなりませんね。ちょっと調子がいいと高慢な思い上った優越感を抱く。ところが、ちょっとうまくいかぬと劣等感をもって卑下するというわけです。人間は、こういう慢心――高慢になったり卑下慢(ひげまん)になったりするような心をもっている。ここに「わが弟子、ひとの弟子」という争いの(もと)があると思うのであります。
 この縄張り争い、勢力争いというものは、ふつうは世間の中にある。そして、そういう争いに気づいた人が、「これじゃダメだ」ということで、宗教にめざめる、宗教に解決を求める。ところが、その宗教の世界にまで、世間の勢力争い、縄張り争いが入り込んできている。とくに、親鸞の教えを受けている念仏者(ねんぶつしゃ)の間ですら、そんないさかいがある。これは、とんでもないことである。それで、「親鸞は、弟子一人ももたず」と、こういうのであります。

歎異抄のなかのキラッと光ることば
 すでにお話しましたように、歎異抄の第四章には「生きものを殺してはならない」、「慈心(じしん)をもって殺生してはならない」ということばをよりどころとして、愛情の問題が説かれてありました。慈悲(じひ)、すなわち「愛の真実」について述べてありました。
 それから、第五章には「親鸞は、なき父母にたいする追善(ついぜん)供養のためにといって、念仏したことは一度もない」といってありました。われわれのいのちの親である父母にたいして、孝養する孝行するということは大切である。が、だからといって、自分の親の供養になるようにと念仏するなどということは、親鸞にはないことである、と説いてありました。
 このように「慈心不殺(ふせつ)」(慈心をもって殺生してはならない)「父母孝養(こうよう)」(父母には孝養すべきものである)ということが『観無量寿経』に書いてある。それから、また「奉事(ぶじ)師長(しちょう)」ということつまり「師にたいしては、心から尊敬の念をもってつかえるべきものである」と説いてある。それで、いま第六章には、それをうけて師と弟子のことが問題にされるわけでありますが、この「師長(しちょう)には、つかえるべきものである」ということばを(たて)にしてガンバる人間が出てくる。
 わたしの教えを受けたからには、わたしのいうことを尊重し、わたしの輩下としてよく従わねばならぬ、と、こういうふうに教えを(たて)にして、そうして「わが弟子、ひとの弟子」という争いをひきおこす。これは、もってのほかだ、「親鸞は、弟子一人ももたず」と(いまし)めているわけであります。
 歎異抄を読みますと、どれもこれもみな深い意味をもったことばではありますが、なかでもことにわたしたちの心をひきつけるスバラシイことばが、キラッキラッと光っているのに気づきます。いまの「弟子一人ももたず」というのは、そういうことばの一つなんですね。

人間と人間の基本的な関係
 わたしは、この「親鸞は弟子一人ももたず」というのは、人間と人間の最も基本的な関係を、的確にいいあらわしたことばである、と思います。周知のように、親鸞は、同じ道につながる人びとのことを、同朋(どうほう)とか同行(どうぎょう)とか、あるいは同法(どうぼう)と呼んでおります。同じブッダ(仏陀)の法において明らかにされている道を、手をとりあって同じく行くものたち――、そこに、ほんとうの意味での「友」という関係が成り立つのである。われわれ同朋は、同じ法において結ばれておるのである、と、そういうことをよりどころとして「親鸞は、弟子一人ももたず」というのであります。
 だから、親鸞のもとに集まるとか、親鸞の流れを汲むといいますけれども、それにたいして親鸞は、親鸞を人びとの集まりの中心にするような考えは誤りであるといいます。親鸞のいるここに向って集まるのではなくて、人びとはそれぞれみな、念仏の教えが指し示している方向に進むべきものである。わたしも、そこに向って行くのだし、みなさんも、そこに向って行かねばならぬ、と、このように、「人間を中心とする誤りをただして、ブッダの法の前に謙虚にぬかずこうではありませんか」と語っている。そういう呼びかけを「親鸞は、弟子一人ももたず」というのであります。それで、この「弟子一人ももたず」というところには、親鸞の鋭い自己凝視、深い自己反省が語られている、と思います。こういう「和讃」があります。
  是非(ぜひ)知らず邪正(じゃしょう)もわかぬこの身なり
  小慈小悲もなけれども
  名利に人師(にんし)をこのむなり
 「是非知らず」。なにが()と肯定されるものやら、なにが()と否定されるものやら、わからない。そして「邪正もわかぬこの身なり」。なにがよこしまでなにが正しいのか、これまたわからない、と。まあ、親鸞ほどの人が、知らない、わからないといわれたのでは困りますが、しかしなにがほんとうの是非か、なにがほんとうの邪正かということになると、親鸞の智慧をもってしては決定できない、決着がつかぬ、と。
 そして、よくよく考えてみるというと、小慈小悲すらもち合せていない。あるのは、我慢・我愛のような、わが身をたてていこうという思いばかりで、他にたいする思いとなると、小慈小悲すらあるとはいえない。ところが、そういう自分であるにもかかわらず、名利のために、名誉や利欲のためには、好んで人の師となろうとする、と。
 名利を求める心は、名誉欲とか権勢欲というものでありましょうが、これによって人びとは、縄張り争い、勢力争いをする。それで、「人師(にんし)を好む」というのは、人から先生と呼ばれて、たてまつられる、したわれる、ということを好む心がある、そういうことを待ちのぞんでいるような心をもっている、ということでしょう。
 このように親鸞は、全くエゴイスティックな、どうしようもないような自分の本性を、「和讃」に托して、表白しておられますが、つまりこれは、そういう自分であるということを正しく知っている、自覚しているということであります。それで親鸞は、「名利に人師をこのむなり」という深いサンゲから、「弟子一人ももたずそうろう」という事実にめざめて、そうして、人間と人間の基本的な関係は師と弟子というものではない、お互いに共に弟子同志なんだ、ブッダ(仏陀)の弟子として同朋なんだ、といわれるのであります。

お互いを尊重しあうために
 そうして、それを承けて
 「そのゆえは、(わが)はからいにて、人に念仏をもうさせそうらわばこそ、弟子にてもそうらわめ、ひとえに弥陀の(おん)もよおしにあずかりて、念仏もうしそうろう人を、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼(こうりょう)のことなり」
とあります。「というのは、自分の力量で、ひとに念仏を(とな)えさせるのであれば、弟子ともいえるのであろう。しかし、まったくアミダの力にうながされて、念仏を称えている人を、自分の弟子であるなどというのは、驚きいった乱暴さである」と。
 これについて親鸞の「正信念仏偈」をみますと、その最後のところに
  唯可(ゆいか)信斯(しんし)高僧説(こうそうせつ) (ただ、この高僧の説を信ずべし)
とあるのを憶うのであります。なるほど、これは親鸞が書いたものですから、もし親鸞がいなければ「正信偈(しょうしんげ)」があるはずはない。けれども、この「正信偈」を作っていおうとしたことは「ただ、この高僧の説を信ずべし」ということである。この説のほかに、つけ加えるべきことは何もない、と。
 「正信偈」には、まずはじめにアミダについて述べられます。そして、そのアミダのことを教えてくださったのは、インドにあらわれたもうたブッダ(仏陀)つまり、お釈迦さまであるが、そのブッダ(仏陀)の教えをわれわれに伝えてくださったのは、インド・中国・日本の七人の高僧たちである。それで「かの三国(さんごく)の祖師、おのおのこの一宗を興行(こうぎょう)す。ゆえに、愚禿(ぐとく)(親鸞)(すす)むるところ、さらに(わたくし)なし」といわねばならない、と。
 まあ、今日では、真宗といいますと、日本の仏教には禅宗あり日蓮宗がある、真宗は、そのなかの一宗であるということでありますが、しかし、いま「おのおのこの一宗を興行す」といわれるところの「宗」は、セクト化した宗派の宗ではありません。宗は「ムネ」とも読みますが、これは、生活の中心がみつかったということである、人生のよりどころが明らかになったということである。だから、そういう意味での「(しゅう・むね)」というものは、おのおの一人ひとりがはっきりさせねばならない。わたしは、わたし自身のほんとうのよりどころ、すなわち(しん)(しゅう)にめざめねばならない、ということであります。
 わたしたちは、人格尊重、人間尊重ということを問題にしますが、お互いに、ほんとうに尊重しあうためには、おのおの一宗が明確になっていなければならない、と。その上に立って、親鸞は「弟子をもたない」というのでありましょう。だから、わたしは、「弟子をもたぬ」ということばのなかに、「みなさん、あなたがたは、あなたがた自身の一宗にめざめてください」という語りかけを聞く思いがするのであります。

「親鸞一人」の世界に生きる
 すでに拝読しました第二章に「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人のおおせをこうむりて、信ずるほかに別の子細なきなり」とありました。そして、その対話を結ぶ最後のところに、
 「このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、めんめんのおんはからいなり」
といってありました。この「めんめんのおんはからいなり」ということ。これは、ことばズラだけを聞くと、「あなたがたの勝手になさい」ということのようですけれども、ただ「勝手にしろ」ということではない。一人ひとりの責任で選ばなければならない。親鸞がおしつけたってダメなんで、おのおの自主的に、主体的に、決断して選択しなければ、ほんものにはなれないんだ、ということを教えているのでありましょう。
 また、この歎異抄の第十九章、つまり「後序(ごじょ)」には
 「弥陀の五劫(ごこう)思惟(しゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」
とあります。「アミダが、五劫という長いときをかけた結果、念仏を選んでくださった本願を、よくよく考えてみるというと、それはただ、この親鸞一人のための本願であった」と。そこでは「親鸞一人がためなりけり」と、すべての人びとを一身に背負って「一人」といわれる。そういう二人」の世界に生きている親鸞だから、それを、いまここには「弟子一人ももたず」といわれるのであります。
 これについて、小野清一郎氏の『歎異抄講話』をみますと、「この章において親鸞は、関東における弟子たちの行動を批判している。それは倫理的な教誡(きょうかい)(教えいましめ)であるといえよう。しかし、その倫理的教誡のあいだに、親鸞晩年の心境を語っている」といい、そうして
 「親鸞は、ついに一人の弟子をももたぬという孤独感と、その孤独感の上に、いよいよ本願念仏の信に生きる他力の信そのものを告白しているのである」
といっておられます。
 たしかに、この「一人」は、孤独感といえば孤独感なんでしょう。徹底した絶対の孤独感をあらわすことばである。だから、この孤独は、淋しいとか、不安だとか、と、そういうような孤独ではない。つまり「弟子一人ももたず」ということばの裏には、「みんな同朋じゃないですか」、「みんなブッダ(仏陀)の弟子なんですよ」という気持ちがはたらいているのが感じられる。で、これは「わが弟子、ひとの弟子」というような争いから解放された、非常にのびのびと明るく自由な心境を語ることばである、と、このようにいうことができるのでしょう。そして、ここに「弟子をもたない」といって、人と人との、あるべき基本的な関係を明らかにされるわけであります。

ゲーテのことばから
 こういう人間関係について、話がちょっと横にそれますが、ゲーテがこういっています。これはエッカーマンの『ゲーテとの対話』という本のことばですが、
 「人びとが自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。わたしは、そんな望みを抱いたことはない。わたしは、人を、おのおの独立した一個人として見、その人を研究し、その持ち前のままで知り合おうとつとめはしたが、その人から、それ以上の同情など、全く求めなかった。こうして、わたしは、いまでは、どんな人とでも交われるようになった」
と。まず、ここでゲーテは、人びとを、それぞれ一個の独立した人間として認めて、そうして交際するといっていますが、考えてみますと、友人関係というものは、そういうところからはじまってくるのですね。
 ごくふつうの友人というものは、たとえば、学校へ行く途中が同じだとか、いつも電車で顔を合せるとか、なんとなく気が合うとか――、そもそもの縁が、そういうところにある場合が多いわけです。けれども、それだけの友人なら、そういう縁がなくなれば、もう「ハイ、さようなら」ということになってしまいやすい。電車で会わなくなれば、もうそれっきりになってしまうということもある。はじめは気が合っていたはずなのに、一年二年とたつうちに、気の合わぬところが出てくるようになって、友人関係もそれまでになってしまう、ということもある。ですから、友人というものは、自分と合うところ、調和するところがあったから友人になったのであるけれども、ただそれだけをみていたのでは、その友人関係は大きく育っていかない、といわねばなりません。
 それで、友人と交際する、つき合うということは、実は、それがそのまま人間研究の機会なんだということを知らねばならぬ、と思います。いろいろな共通点があって、それでお互いに友人となったのだけれども、また人間はそれぞれ違ったものをもっている。だからおのおの独立して違っているんだが、その違ったものを、そのまま大きく内に包んで調和しているような、そういう世界がみつかってこないというと、人間の成長はない。友人関係は育たない。

ほんとうに深い友情
 ほんとうに深い友情で結ばれている間柄は、思いきってケンカができるものだ、といいますね。それは、個性と個性がぶつかり合って錬磨する、お互いに磨き合うということでありましょう。だから、個性が違えばときには衝突もする、考えが異ればときには論議もする、しかし妥協はしない。妥協はしないけれども友人として交際ができる。これが、ほんとうの友情というものでありましょう。たとえ違ったものがあっても、そのままが大きく融け合って、一つになっているような世界がなければならない、そういう一人と一人が強く結ばれているような何かがなければならない、と、そのように思います。
 だから、親鸞は、人間を中心に集まるのは間違いだ、といいます。「親鸞は、弟子一人ももたず」。人と人とを結んでいるのは、人間の権威などではない、人間の智慧や才覚ではない、と。それで人びとを同朋(どうほう)である、同法(どうぼう)であるというのであります。
 それから、ほんとうの友情があるならば、イヤなこと、いいにくいことをズバリといってくれるものである、ともいいますね。「叱ってくれるような友をもったものは、幸せだ」と。まあ、たいていの友人関係というものは、ほどほどにつき合っていて、見かけは友人のように振舞っていますけれども、ひどいのになると、裏に廻って悪口をいったり、あるいは、勢力争いをしたり――。
 そういう意味では、わたしは、いい友人に恵まれていて、ずいぶん幸せだと思います。まあ、教えにあうということの功徳(くどく)というか、利益(りやく)というか、そういうものを数えあげれば、いろいろあるわけですが、師が与えられ友が得られるということほどありがたいことはありません。
 年中会っているわけではない、一年に一度か二度しか顔を合わさないでいるんだけれども、わたしの方に問題があるというと、ちゃんとそれを見抜いて、ビシリと指摘してくれる。年令の上下をこえて、ときには兄ともなり、ときには弟ともなって、励ましたり叱ったりしてくれる。そういう友人関係というものは、いわゆる「なかま意識」で、なれ合っているような関係ではない。そこにはたらく友情は、きびしいけれども、やさしいものだ、といわねばなりません。

独尊子の誕生
 しかも、そういう関係は、くりかえして申しますが、お互いの「一人」というものを、はっきり見定めた上に成り立つものである、ということを忘れてはならぬと思います。つまり、そういう友情は、独立者として「一人」と「一人」の間にあるものなんだと、こういわねばなりません。
 この独立者ということで思い出しますのは、お釈迦ざまが誕生されたときの話であります。お釈迦さまは、インドのルンビニ園でお生まれになったのですが、誕生と同時に七歩あるいて、そして
  「天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我(ゆいが)独尊(どくそん)
といわれた、と伝えられております。「この世界にあって、ただ、われひとり尊し」と。このことばによって、清沢満之先生は、独立者のことを独尊子(どくそんし)といっておられます。だから、この「(ただ)(われ)(ひとり)(とおとし)」というのは「オレは偉いんだ」ということではありませんね。そうではなくて、これは「わたしひとり」に生まれたということの、ほんとうに尊い意味に気づくことができました、と。したがって、「唯我独尊(ゆいがどくそん)」と「唯我独尊(ゆいがどくそん)」と、この地上には、無数の独尊子(どくそんし)が生きている、そういう世界を知らねばならぬと思います。
 このように考えてきますと、「わが弟子、ひとの弟子」などという争いがあるのは、全くとんでもないことだ、といわれる意味もはっきりしてきますね。たとえ一日の長があって、先輩と後輩の別があるにしても、人と人とを結び合うのは友情である、しかも、それは単なる友情ではなくて、ブッダ(仏陀)の教えに(はぐ)くまれた友情である、と。

すぐれた教師は学生を友とする
 ちょうど一年前、歎異抄の序から読みはじめたわけですが、そこに「(さいわ)いに有縁(うえん)知識(ちしき)によらずば」ということばがでてきた。そのとき「知識というのは、どういう意味ですか」という質問があったのをおぼえていますが、あれは「善知識(ぜんちしき)」を略したもので、つまり先生とか師匠ということであります。
 ところが、もともとインドのサンスクリット語では、これをカルヤーナミトラ(kalyanamitra)といって、善友とか親友と訳される。それが後になってから、とくに師のことを指すようになった、とお話したわけであります。善友には一日の長がある、そこから先輩という意味が出てくるし、先輩からは教えを受けるということが出てくる。そこで、教えを受けるものからみれば、善友には、教えてくださる先生のはたらきがある、ということになる。けれども、善友の方にしてみれば「オレは教えてやっているんだ」ということはないわけですね。
 ですから、「すぐれた先生は、学生を友だちとする」といいます。「オレは先生だぞ」と思っていたのでは、ほんとうの教育はできないのでしょう。それで、立派な先生は、学生を友だちのように扱う、と。そういえるということによって、かえって教育にたいする自信があらわされているのであります。つまり、そこにあるのは深い友情なんですが、一日の長というものが、おのずから後輩を導いて、先生としての役割を果たしていくわけであります。
 かつて金子大栄先生から、こういう話をお聞きしたことがあります。それは、先生が大学の教壇に立たれるようになってから、五年目のことだった、というのですが、どうしたことか学生を前にして全く講義ができなくなった。スランプというか、壁というか、さっぱり話ができなくなった。そのとき、ふと気づいたことがある。というのは、自分はいま、たまたま教師だというけれども、話を聞いてくれる学生諸君は、わたしの友だちなんだ、学問研究の友だちなんだ、と。
 だから、自分の研究したことを教授するのではない、学生諸君に報告をして、聞いてもらって共に研究をしていくのである。そうして、「話すことは、聞くことである」と。そう気づいてみるというと、話せないという行き詰りも解決して、また話しができるようになった。それは、大ゲサなようだけれども、わたしの長い教壇生活における「廻心(えしん)」である、といってもいいと思うと。
 あの毛沢東のことを、中国の偉大な指導者であるといいますが、当の毛沢東は「大衆を師とし大衆に学べ」といっているといいます。そういえるところに、実は、立派な先達(せんだつ)として、人びとから尊敬されるものがあるわけであります。

人びとはみなブッダの弟子である
 それで、師と弟子の間にあるものも、また指導者と大衆を結び合うのも、それは友情であると考えられるのですが、そういうことは、夫婦や、親子や、兄弟の間にもいえることではないでしょうか。前に「友情について」というテーマで座談会をしたときだったと思いますが、そのとき、若い男女の間に友情というものがあるんだろうか、それは情ではあっても純粋に友情とはいえないのじゃないだろうか、と、そういうことが話題になったのを覚えておられると思います。
 「あの夫婦は友だちのようだ」とか、「あの親子は友だちのようだ」というようなものがあっていいわけですし、もしあれば、ほんとうにスバらしいことでしょうね。「オレはオヤジだ」「お前はムスコだ」といって威張りますと、つい反抗して「なにがオヤジだ」ということになる。がそうでなくて、親は親、子は子として違うのだけれども、そのままが友だちである。先生と生徒は違うけれども、そのままが「一人」と「一人」である、と。
 お互いに、立場は違うのだが、共通することは、人生の真実を明らかにされたブッダ(仏陀)の弟子である。一応は、この世において、自分は人の親となった、わたしは人の子として生まれたとか、あるいは、師である弟子である、と、身分の違い、境遇の違いというものはあるけれどもしかしそのままが友である。
 でありますから、そういう友だちのような夫婦、友だちのような親子――、そういうスバラしい人間関係の成立する世界があるということを、いま第六章では「弟子一人ももたず」と教えているのであります。つまり、親鸞は弟子をもたないといいますが、それは、人びとはみな、ブッダ(仏陀)の弟子なんだということ、お互いに仏弟子となるべきものであるということであります。

「善き親友である」というよびかけ
 これを逆にいいますと、「専修(せんじゅ)念仏のともがら」は、すなわち、念仏ひとすじに生きる人びとは、ブッダ(仏陀)の方から「友よ」と呼びかけられるのだ、ということであります。「正信偈」をみますと、親鸞は、こういっております。「アミダ(阿弥陀)の本願を聞いて信ずる人にたいして、ブッダ(仏陀)は、スバラしい人よといわれる。そうして、この人のことを白蓮華(びゃくれんげ)と名づける」と。
  一切善悪(ぜんまく)凡夫人(ぼんぶにん) (一切善悪の凡夫人)
  聞信如来弘誓願(ぐぜいがん) (如来の弘誓願を聞信すれば)
  仏言広大(こうだい)勝解者(しょうげしゃ) (仏は広大勝解の者と言い)
  是人名(ぜにんみょう)分陀利華(ふんだりけ) (是の人を分陀利華と名づく)
 ここでは、念仏を信ずる人のことを「広大勝解(しょうげ)(ひと)」、つまり「広く大きく勝れた理解ある人」と最大級のことばでもって讃えられておりますし、また「分陀利華(ふんだりけ)」、これをサンスクリット語で、プンダリーカ(Pundarika)といいますが、つまり白蓮華にたとえて、「さとれる人」と名づけられるというのであります。
 それから『大無量寿経』(東方偈)には
 「法を聞きて()く忘れず、見て敬い得て大いに(よろこ)ばば(よろこべば)、(すなわ)ち我が()親友(しんぬ)なり」
とあります。ここでは、はっきりと「善き親友」といわれる。善友(ぜんゆう)親友(しんゆう)を一つにして、善親友(ぜんしんゆう)――と。
 だから、「わが弟子、ひとの弟子」という勢力争いは、自我の主張からはじまるのだが、そこには何か大切なものが忘れられている。つまり、まずもって「法を聞く」ということを忘れている。同じ法に結ばれているのだということを知らない。そこでは「オレが――」という個人の力を主張するわけでありますけれども、それは、ほんとうに個人を個人として生かしている大きな歴史の力というものを知らない、ということであります。

四海の内みな兄弟
 しかし、個人の力というものは、あるかにみえるけれども、それはみせかけだけでうつろなもの、いつわりのものである。そして、歴史の力こそが「真実」を明らかにするものであるといわねばならない。そうして、この歴史の力、すなわち念仏を信ずるからこそ、親鸞は、「弟子をもたぬ」といい切ることができたのであります。
 もし、個人の力しか信頼できないならば、それはやはり弟子の数をたのみにしなければならない。弟子の数が多ければ多いほど、力が強いのだとしか思えない。けれども、何か看板でも掲げて人集めをしたような力というものは、自分より立派な看板を掲げる人でも出てくると、そちらの方に力をとられてしまう。そんな世界では、人に勝ったと思う日が、もう負ける日のはじまりで、力が大きいといってみても、まことにむなしいものだといわねばなりません。
 が、親鸞のいうように、歴史の力、念仏のはたらきの中の自分がみつかってきますというと、自我のガンバりを捨てて、人びとは「みな友である」と、この世界に安んじて生きることができるようになるわけであります。このことを、中国の曇鸞という人は
 「同一に念仏して、別の道なきがゆえに、遠く通ずるに、それ四海(しかい)の内、みな兄弟となすなり」
といっております。
 このことからわかりますように、われわれ、一人ひとりのいのちの底を流れる歴史の力を信ずるというと、その信の眼が、「四海の内、みな兄弟」という世界を見開いてくる。

つくべき縁と離るべき縁
 そこで、親鸞は、「弟子、一人ももたずそうろう」といったあと
 「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば、離るることのあるをも、師をそむきて、人につれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどということ、不可説なり」
と語るのであります。「結ばれるべき縁があれば連れとなり、離れるべき縁があれば離れる、ということもあるのに、この師にそむいて、他の人にしたがって念仏したのでは、アミダの世界に生まれることはできないはずだ、などというのは、もってのほかである」と。
 この「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離る」ということばは、ちょっと聞くと非常に冷淡なことばのようですね。わたしは、歎異抄を読みかけた頃、こういうことばに出あいますと、何か心()かれるものがあるにもかかわらず、かけ足で通ってしまいたい、というか、素通りしたい、というか。こういうことばを正視しないで、目をつぶってしまいたいような気持ちになったものです。
 しかし、このことばのとおり「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離る」ということは、ほんとうのことにちがいない。そして、縁があれば連れとなり、縁がなくなれば別れていく、と、このようにいえる背景には、さきほどから申しますように、「四海の内、みな兄弟」という世界がみつかっているからである。つまり、実は別れても離れても兄弟なんだ、という歴史の事実にたいする信頼があるからこそ「離れるべき縁があれば離れる、ともなうべき縁があればともなう」と、この人生に起ってくるできごとをサラリと受けていけるのでしょう。離れても別れても兄弟である、だからこそ、離れるときには離れるのだ、といい切れるのでしょう。

去来の事実を知る心
 諸行は無常である、ともいいますが、これは、来るものがあれば去るものあり、去るものがあれば来るものあり、ということ。ですから、たとえば、湯のみにイッパイ入っていた水をこぼしたとします。すると「覆水(ふくすい)、ボンにかえらず」で、水はもうもどらないのですが、その水のあとには空気がイッパイ充満しているはずですね。ちょっと理クツをいっているようですが、来るものがあれば去るものがある、とみるか、去るものがあれば来るものがある、とみるか、どちらも同じことのようですけれども、去るといえば、さみしい感じがする。が、来るものがあるといえば、にぎやかです。
 「独生独死独去(どっこ)独来――、独り生まれ、独り死に、独り去り、独り来る」ということばがありますが、これをさみしい孤独だと思うのは、去来の事実をみない、自我のはからいである、といえましょう。そして、この自我の主張が、孤独をまぎらそうとして衆の力をたのむ、そのために弟子を作ろうとするのでしょうし、またときには主体性を失って何かの奴レイになってしまう、ということだと思います。それにたいして、念仏の心、南無阿弥陀仏の心は、去来の事実を正しく知って、一切のものと感応する。それはもう、いきとしいけるもののすべて――虫けらに至るまでと感応道交するような心であります。

縁は人間の運命を決定する
 それで、親鸞が「つくべき縁、離るべき縁」というところの縁は、実に冷厳なものである、と思います。この縁は、ものの成り立つ条件であると解することもできますが、また、これを譬喩的にいいあらわしますと、業縁(ごうえん)ということばもありますように、関係の網の目のようなもの、ともいえましょう。人間は、業縁の存在であります。業縁の愛の(きずな)で、しっかりと縛ばれたもの、それが人間であります。ということは、業縁というものでつながりあったところの、この世の中に人間がいる、ということではない。そうではなくて、業縁の関係によって結ばれているもの、そのものが、人間である、と、こういうべきでありましょう。
 そうして、この縁というものは、われわれ人間の運命を決定づけるようなものであります。もともと人間は、無限の可能性をもつものであります。この世にオギャーと生まれてくるまでは――といっても、母親の胎内に宿ったということが、もう縁の限定をうけているわけですが、いのちの根源においては、無限の可能性をもっている。その可能性が、そのときそのときの縁によって限定されて、そうして、いまのこのわたしにまでなってきたのである。つまり、いまのこのわたしに決定したもの――、それは、もともとわたしのもっている(いん)と、その因の可能性を現実に転じたところの縁である。そういう意味で、縁は冷厳なものである、といわねばなりません。
 さきほど、去来ということを申しましたが、とかくわたしたちは、イヤなものとは一日でも、一刻でも早く別れてしまいたいと思いますし、愛する人とはいつまでも一緒にいたいと思うものです。そういう愛着、執着の色メガネをもって、ものごとをみるのですが、しかし、愛別離苦(あいべつりくく)(愛するものと別離する苦しみ)も、怨憎会苦(おんぞうえく)(怨みにおもい憎いとおもうものと会わねばならぬ苦しみ)も、みな縁が決定することであります。
 といいましても、この「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離る」ということは、ことばにすれば何か当り前のことのようでありますけれども、このことを、ほんとうにうなずくということは、なかなか容易ではないと思います。これが事実なんだということを、わたしたちは、会うてみて、つくべき縁のあったことを知り、別離して、離れるべき縁のあったことを知るそういう体験をくりかえすうちに、この身をとおして、やっとうなずいていく。これが凡夫(ぼんぶ)といい、愚身(おろかなみ)といわれるところの、われわれ人間であります。
 しかし、親鸞が、人生というものはこうなんだ、「つくべき縁、はなるべき縁」が決定するのだ、と、このようにいえるのは、くりかえすことになりますが、やはり「四海の内、みな兄弟」という世界に生きているからである、そういう自信をもっているからである、ということを忘れてはならぬと思います。

「去るものは追わず」ということ
 実は、このことばを聞きますと、わたしは、いつも想い出すことが、一つあるのです。それは、まだ学生時代のことですが、大学院の博士課程に籍をおいて半年たつかたたぬかという頃、東京の教学研究所に行かないかという話がありました。そのとき、いろいろ考えたのですが、結局、学校に籍をおいたまま東京に行くことに決めた。それで、日頃、相応学舎(そうおうがくしゃ)でお世話になっている安田理深先生のところへ報告に行ったのです。
 ちょうど先生は、大垣のあるお寺へ講義に行っておられたものですから、京都から出かけて、ご挨拶した。「どうしようかと、いろいろ考えましたが、やはり東京へ行くことにしました」と申しあげましたところ、それにたいして先生はこういわれた。非常に印象が強かったものですから、そのときの状況をいまもよく覚えているのです。わたしにたいして、先生は、やや斜め向きに坐っておられましたが、そのままの姿勢で「うん、そうですか」といったあと、すぐことばをついで「去るものは追わず、これが相応学舎の精神だ」と。しかし、まあ、そうにちがいないがそれにしても、もっとほかのいい方はないものか、同じことをいうにしても、もっとちがった表現の仕方もあるだろうに、と強く思ったものですから、そのときのことをよく覚えているわけです。
 けれども、「来るものは拒まず、去るものは追わず」という精神は、一見、非常に冷たいことのようですが、実はこれがほんとうなのでしょう。ですから、東京に行きましてからも、このことばを、なんどもなんども想い出して、心の中であたためたものであります。

まず自分がトクをとる
 それから、やはり東京にいてよく想い出した。とばですが、安田先生は、わたしにたいして、よくこのようにいわれました。「伊東君、君は、他人のことは考えなくてもいい。ほんとうに自分がトクをとることを考えなさい」と。はじめてこれを聞いたときにも、やはり何か極めてエゴイスティックな考え方だとしか思えませんでした。まあ、たいていの人は、こんなことはいわないでしょう。他人のことなど考えなくてもいい――などと。
 わたしは、東京の大谷会館というところに寝泊りして、その会館の中の研究所に勤めていたわけですが、はじめの間、わたしは、ずいぶん気負っていた。東京の研究所は、浄土真宗が現代にたいしてのばしたところの触覚の先端のようなものである。そこで仕事をするんだからということで、二十四時間勤務のつもりでガンバっていた。そこでは、松原祐善先生と一緒だったのですが先生からいつも「東京を背負ってガンバろう」と教えられていた。それで、ちょっと大ゲサないい方かも知れませんが、わたしは自分にたいして、「研究所のために身を捧げよう」とか「わたしを殺して仕事をするんだ」とか、と、いい聞かせていたのです。
 ところが、そういうガンバりというものは、いつまでも続くはずがありません。だんだん日がたつにつれて、自分のように郷里を離れて勤めるものと、東京の友人たちのように自分の住み家から出かけてくるものと――というような、境遇のちがい、条件のちがいを、知らず識らずの間に比べて、そうして精神的に疲れるようになってしまった。
 わたくしのない「無私」なら、疲れるはずはありません。ところが、いつの間にか、自己犠牲のガンバりのために、ほんとうに自分自身が犠牲になってしまっていた。そのことに気づいたとき、「自分は、いったい、ほんとうに何がやりたいんだ」ということが問題になってきた。「他人のことではない、自分がトクをとることを考えよ」といわれた安田先生のことばが、あらためて想い出されてきた。つまり、二年もの間、フーフーいってガンバってみて、自分に得るところのないような生活が、他人のためになるはずはない、と、そういうことがやっとわかってきたわけです。

去ることも新しい縁を結ぶ
 話が脱線しましたが、「去るものは追わず」と聞いたときには、何か非常に冷たいものを感じたのですが、実はそうではない。「来るものは拒まず」というのも「去るものは追わず」というのも、共に「縁」の事実をあらわすことばである。
 「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離る」というのも、これこそ人生の事実である
といわれはならない、と。
 ですから、「つく」とか「離れる」とか、というのも、わたしたちの目で見てわかる、頭で考えてわかるという範囲のことにすぎないのであって、事実としての世界は、広く大きくいのちを共同しているのである。そういう世界におけるいのちの歴史を「一切の有情(うじょう)は、みなもって世々(せせ)生々(しょうじょう)父母(ぶも)兄弟(きょうだい)なり」といってあった。そして、そういう世界のひろがりを「遠く通ずるに、四海の内、みな兄弟となすなり」といわれる。
 それで親鸞は、この事実というものをグッとおさえていて、そうして「来るすがただけが縁ではない」といいます。すなわち「去っていくことも縁である」、「去っていくことも結縁(けつえん)である」と。こういう考え方は、ちょっとわかりにくい。しかし「来る」ということが縁であるのと同じように、また「去る」ということ、「離れる」ということも縁であります。
 「去る」という縁がきますと、いままで一のかたちをとっていたものが二のかたちをとる。その「去る」ということが縁でありますが、また、その「去る」ということが新しく結ばれる縁となる。五年も前に死んだ子供に教えられて、やっとほんとうのことに気づくということがありますね。だから、去っていくことも、やっぱり縁なんです。去っていくことも縁であるが、その去っていくことが新しい縁を結んでいくのです。ですから、別れるということにも、会うということにも、みんな意味がある。生きているいのちそのものに意味がある。その意味というものが、わたしを育てていくのである、と、このように思うわけであります。

信楽房をみつめる親鸞の法眼
 これについて一つ例を出しますと、親鸞は、自分の法友にたいして、「帰命尽十方無碍光如来」、つまり「南無阿弥陀仏」という本尊を書いてわたしました。また、念仏の教えを書いた聖典もわたしました。ところが、常陸国(ひたちのくに)新堤(にいづつみ)信楽房(しんぎょうぼう)という名の同行がいましたが、あるとき、この人が、突然、「親鸞とは縁を切りたい」と申し入れてきた。どれだけの期間か、親鸞と行をともにしたのだけれども、どういうことか、「親鸞と別れたい」といってきた。
 すると、親鸞のそばにいた蓮位房(れんにぼう)という人が
 「信楽房は、同朋のなかまからはずれていくというのですから、おわたしになっている本尊(ほんぞん)聖教(しょうぎょう)を、とりかえされてはいかがですか。
 ことに聖教には、釈親鸞とサインをされたものも多いことですが、同行でなくなれば、きっと大切に敬うなどということはしないでしょうから」
といったところ、それにたいして親鸞は
 「本尊・聖教を取り返すこと、はなはだ然るべからざることなり。そのゆえは、親鸞は弟子一人ももたず、なにごとを教えて弟子というべきぞや。みな如来の(おん)弟子なれば、みな共に同行なり」
と答えております。
 ここにも「親鸞は、弟子一人ももたず」とありますね。そうして「みな、アミダ(如来)の弟子である、だから、みな親鸞の同行である、同朋である」と。本尊も聖教も、親鸞がやったものではない。もし、自分の弟子になったしるしとしてやったものなら、取りかえすということもあるだろうけれども、「親鸞は、弟子一人ももたず」、「みな如来の御弟子」、「みな共に同行なり」と、このようにいいます。
 第六章をみますと、さきほどからお話しているあとのところに
 「如来よりたまわりたる信心を、わがものがおに、とりかえさんともうすにや。返々(かえすがえす)もあるべからざることなり」
とありますが、親鸞は、本尊も聖教も如来よりたまわったものである、というのです。
 あるいは、あの本尊や聖教が、どこかに捨てられるかも知れない。捨てられることを思えば「もったいない」というふうにも考えられる。が、しかし、そこに捨てられたものが、また新しい縁を結ばないとどうしていえようか。「取りかえすということは、わたしにはできないし、またそうする必要もない」と。それについて、親鸞は、
 「たとい、かの聖教を山野に棄つというとも、その(ところ)有情(うじょう)群類(ぐんるい)(生きとし生けるもの)、かの聖教に救われて、ことごとくその(やく)(利益)を()べし」
とまでいっております。

無縁の世界のひろがりを見る
 これによってわかりますように、親鸞のもとに集まってくるものだけがアミダと縁を結ぶのではない。生死も去来もー邂逅も別離も、みな真実に出あうための縁とならぬものはないのです。したがって、親鸞の生きた念仏の世界では、ただ「つくべき縁」だけが縁ではないのであって、「離るべき縁」もまた、積極的な意味をもった縁である、といわねばなりません。
 このことを考えますとき、わたしは、こういう情景を心にえがいて憶ってみるのです。というのは、一つは、あの第二章に語られていました関東の同朋と親鸞との対話――、あの対話が終って、心はれやかに再び関東に向って旅立つ同朋を、背後から見送っている親鸞のすがたであります。関東の同朋と親鸞は、いま別れを告げて離れていくのでありますが、しかし、その別れは、念仏の教えによってしっかりと結ばれています。
 そうして、いま一つはさきほどから話しております信楽房と親鸞の別れであります。これは、第二章の場合とちがって、念仏の教えを捨てて去っていく信楽房を、背後から見送っているわけですが、しかし、ここでも親鸞は、そのうしろすがたに向って合掌しながら、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えております。
 ご承知のとおり、アミダとは、無縁であります。関東の同朋も、信楽房も、共に、うしろから見送りますと、やがてそのすがたは見えなくなっていく。が、親鸞は、その視界から去っていくうしろすがたの中に、無根の世界のひろがりを見ているのである、と、このように領解するのであります。

みな友である世界
 さて、それで、これまでお話したことを重ねて申すことになりますが、「つくべき縁あればともない、離るべき縁あれば離る」というのを、宿業(しゅくごう)の人生、業縁(ごうえん)の人生とよびます。この、縁によって決定されていく厳しい人生を、親鸞は、サラリと受けて生きていく。それは、会うても別れても念仏の道にあっては、みな兄弟なんだ、といい切れるような信念があるからであります。
 そして、その信念にもとづいて、「親鸞は、弟子一人ももたずそうろう」といいます。つまり一人と一人とを結び合うのは、ブッダ(仏陀)の法である。だから、親鸞は、ブッダ(仏陀)の弟子として、あらゆる人びとと共に同行である、と。
 このような信念について、第六章では、さらに、「如来よりたまわりたる信心」といってあります。すなわち、親鸞の自信の(みなもと)は、アミダの心にあるというのであります。絶対孤独の「一人」を、自信をもって生ききる力は、アミダから与えられるのである。有縁ばかりではなく、無縁の世界にも、友を発見することのできるような智慧は、アミダの心であります。
 でありますから、わたしは、親鸞が教えているような、念仏の信心こそ、実は人生における真実の友を成り立たせるものである、と思うのであります。いわゆる友人ばかりでなく、親子も兄弟も夫婦も、人間と人間の基本的な関係は、互いに「みな友である」ということですが、この「みな友である世界」は、アミダの心によって見開かれるのであります。
 しかしながら、親鸞が、人間は「みな友である」ということができたのは、はっきりとそういえるような、たしかな教師に出あったからだ、ということを忘れてはならぬと思います。つまり親鸞は、生涯をとおして師と呼ぶことのできた人に出会いしたからこそ、自分は弟子をもたないということができたわけであります。
 そこで、今日はまず第六章を「みな友である世界」という題を出して拝読したのでありますが次回は、われわれに、そういう世界を教えてくださる教師について、「人生の教師」というテーマで考えることにいたしたいと思います。              (昭和四〇・四・二四)


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