3 第三・四・五章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 まえがき
  一 第三章の一  
  二 第三章の二  
  三 第四章   
  四 第五章   
   原文・意訳・注  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  補 説  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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四 第五章 「いのちの歴史」


     案内のことば

 共通のことばが、共通なままに、無限に多様なひびきを持つのも、背負った歴史と、歩もうとする道とが、人それぞれであるからでしょう。
 聖道(しょうどう)の慈悲との訣別が書かれてある第四章も、人それぞれに語られてきました。聖道の慈悲に「訣別した」という人もいます。その人たちは、労働者や農民の、さしせまった生活の問題や、ベトナムの情勢には、われ関知せずといった姿勢です。「社会的実践に参加している人たちは、自分自身のことがわかっているのか。人間が持っている暗黒の世界を知っているのか」と、いわれれば、口をつぐむよりほかありません。そして、口をつぐんだところより「出発」するのです。
 前講の最後に、伊東先生は、いわれました。「わたしの課題として、浄土の慈悲のみという聖道の慈悲との断絶のあとで、それならば、聖道の慈悲はどうでもいいのか、という問題が残る。聖道の慈悲は、現実に人間がなしている美しい行為であることも事実だ。そういう問題を「転生」とでもいえばいいのか。これから考えてみたい」と。
 話を聞きながら、人の持つ、生きる姿勢のきびしさに、こころが痛むのでした。背負った荷物は、小麦であったり、真水であったりしましょう。歩んでいる道は、曲りくねったぬかるみか、舗装された並木路か。それは、さまざまです。仏の道も、また、無限にあるのでなければなりますまい。
  昭和四十年三月十日                             飯南仏教青年会


     講師のことば

 「仏教=葬式と法事。だから、仏教は生活から離れていくのだ。すくなくとも働く青年や、壮年には縁遠い」と、多くの人たちから批判されています。
 たしかに、明治以前の寺院は、その地域の文化センターであり、学校であり、娯楽と(いこい)の場であり、ときには、医院も兼ねていました。そればかりか、寺院には戸籍もありました。ところが、役場や学校や公民館ができるにつれて、寺院の果す役割は次第に少なくなって、とうとう、どこも引き受け手のない葬式と法事だけが残ったというのが、今日の現状です。そして、多くの人びとは、祖先の霊を(まつ)るところとしてのみ、寺院につながっているわけです。そして、念仏も、いつの間にか、わが父わが母の、追善供養(ついぜんくよう)のためのものになってしまっているといわねばなりません。
 ところが、七〇〇余年前、親鸞は「なき父母への追善供養として念仏をとなえたことは、まだ一度もありません」といっています。このような、世間の常識を破る驚くべき言葉は、いったい、なにをよりどころにしていわれるのでしょうか。それについて、親鸞は「生あるものは、すべてみな、世々生々(せせしょうじょう)父母(ぶも)兄弟である」といいます。
 そこで、今回は、第五章を読みながら、この父母から与えられた「いのちの歴史」の秘義について考えてみたいと思います。


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