案内のことば
共通のことばが、共通なままに、無限に多様なひびきを持つのも、背負った歴史と、歩もうとする道とが、人それぞれであるからでしょう。
聖道の慈悲との訣別が書かれてある第四章も、人それぞれに語られてきました。聖道の慈悲に「訣別した」という人もいます。その人たちは、労働者や農民の、さしせまった生活の問題や、ベトナムの情勢には、われ関知せずといった姿勢です。「社会的実践に参加している人たちは、自分自身のことがわかっているのか。人間が持っている暗黒の世界を知っているのか」と、いわれれば、口をつぐむよりほかありません。そして、口をつぐんだところより「出発」するのです。
前講の最後に、伊東先生は、いわれました。「わたしの課題として、浄土の慈悲のみという聖道の慈悲との断絶のあとで、それならば、聖道の慈悲はどうでもいいのか、という問題が残る。聖道の慈悲は、現実に人間がなしている美しい行為であることも事実だ。そういう問題を「転生」とでもいえばいいのか。これから考えてみたい」と。
話を聞きながら、人の持つ、生きる姿勢のきびしさに、こころが痛むのでした。背負った荷物は、小麦であったり、真水であったりしましょう。歩んでいる道は、曲りくねったぬかるみか、舗装された並木路か。それは、さまざまです。仏の道も、また、無限にあるのでなければなりますまい。
昭和四十年三月十日 飯南仏教青年会
講師のことば
「仏教=葬式と法事。だから、仏教は生活から離れていくのだ。すくなくとも働く青年や、壮年には縁遠い」と、多くの人たちから批判されています。
たしかに、明治以前の寺院は、その地域の文化センターであり、学校であり、娯楽と憩の場であり、ときには、医院も兼ねていました。そればかりか、寺院には戸籍もありました。ところが、役場や学校や公民館ができるにつれて、寺院の果す役割は次第に少なくなって、とうとう、どこも引き受け手のない葬式と法事だけが残ったというのが、今日の現状です。そして、多くの人びとは、祖先の霊を祀るところとしてのみ、寺院につながっているわけです。そして、念仏も、いつの間にか、わが父わが母の、追善供養のためのものになってしまっているといわねばなりません。
ところが、七〇〇余年前、親鸞は「なき父母への追善供養として念仏をとなえたことは、まだ一度もありません」といっています。このような、世間の常識を破る驚くべき言葉は、いったい、なにをよりどころにしていわれるのでしょうか。それについて、親鸞は「生あるものは、すべてみな、世々生々の父母兄弟である」といいます。
そこで、今回は、第五章を読みながら、この父母から与えられた「いのちの歴史」の秘義について考えてみたいと思います。
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