3 第三・四・五章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 まえがき
  一 第三章の一 ◀ 
   原文・意訳・注  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  二 第三章の二  
  三 第四章   
  四 第五章   
  補 説  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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一 第三章の一 「人間であるということ」


     講話「人間であるということ」


人間には人間がわからない
 だいぶ寒くなってきましたので、夜の会には、だんだん出席しにくくなるのでしょうが、寒さの方は、いろいろ工夫をして、しのぐことにしたいと思います。さて、これから、第三章を二回にわけて拝読したいと予定しておりますが、まず、今夜は「人間であるということ」というテーマでお話させていただきます。
 ところで、さっそくですが、われわれは、お互いに人間であるといっております。けれども、あらたまって、では、いったい人間とはなにか、と、問うてみますと、これがなかなかの難問題であります。「人とは?」ということは、実にわかりきったことのようですが、また、これほどわからぬ問題はない、といってもいいんじゃないかと思います。
 たとえば、人間の歴史は、いつ始まったのか、ということについて、歴史の教科書をみますと二千年、三千年、五千年と、だんだんさかのぼっていって、ずいぶん昔の人間のすがたを教えてくれますが、それにしても「人間」の歴史は、いつ始まったといえばいいのか。この「わたし」のいのちは、どこに始まりがあるのか。猿から、やがてはアメーバにまでさかのぼるんだと聞けば、そういう説明で、一応はわかるように思えるけれども、なにか落ち着かぬものが残ります。つまり、人間であるわたしたちには、人間の歴史が、ほんとうにいつ始まったのか、よくわからないんだといわねばならぬのでしょう。
 考えてみますと、人間は、ずいぶん久しい間、「人間とはなにか」ということを問い続けてきましたが、結局のところ、人間には人間がわからないという問題が残っているようです。昔とちがって、今日では科学が発達した、技術が進歩したわけですが、そういう科学の力をもってしても解くことのできない謎がある、秘密がある。たびたびもうしますように、そのことは、この科学時代が、同時に迷信時代であるということからも、はっきり知ることができるのであります。

科学時代の迷信
 科学のおかげで、生活が豊かになったということ、便利になったということはたしかにありますが、しかも、もう千年も二千年も、とっくの昔に、人類が、卒業したはずの迷信邪教というものが、いっこうになくならない。これは、まったくもって不思議というほかありません。科学は、われわれの科学的無知というものを、少しずつ明らかにしてわからなかった世界のことを、いろいろとはっきりさせてくれます。それは、科学の力のおかげでありますが、しかし、その科学的な智慧だけでは、世界のこと、人生のことのすべてがわかるわけではありません。
 これまでに、幾度も話したことですが、「わたしの眼は、わたしの眼を見たことがない」。「見ることができない」。つまり、わたしたちは、鏡に映った顔しか知らない。けれども、よく考えてみますと、それは、鏡に映った顔であって、自分の顔そのものではない。これは、あたりまえのことですが、どうして、こんなことを問題にするかといいますと、そこには、鏡の中の顔と、それを見ている自分とが別々なんだ、ということに注意したいからであります。
 このように人間の外形ですら、ほんとうに知ることは、なかなか困難であります。だから、人間の正体といいますか、人間とはなにか、ということがわからぬのは、当然のことでもありましょう。そして、こういうところに、占いだとか、迷信だとか、そういうものが、いまなお、人びとの心をとらえてはなさない原因があるわけであります。

電子頭脳による教育相談
 もう三年ほど、前のことですが、『阿弥陀(あみだ)(きょう)()く』という書物を書いておりますと、京都の街頭に「電子頭脳による運勢判断器」という器械があらわれた。それで、そのことをとりあげて書いたのですが、二、三日前(昭和三十九年二月のこと)の新聞をみておりますと、今度は、「電子頭脳による教育相談器」が、東京のあるデパートに現われた、と書いてありました。そして、初日の利用者が三千人ほどあった、と。
 わたしは、現物をみていませんから、どういう仕組みになっているのか、よくわかりませんが教育相談に必要なことをカードに書き込んで、電子頭脳にいいつけると、それらを綜合判断して答えを出してくるんだと紹介してありました。どの程度、本気で利用するのか知りませんが、ともかくも自分の子供の教育をどうするか、それを電子頭脳と称する器械に相談する人が現にあるわけであります。
 さきの、運勢判断器の方は、電子頭脳などといっておりますけれども、これは、たった二十円で占ってくれる。そして、ただし書きがついていて、「二度占っても、必ず同じ占いが出るとはかぎりません」と。教育相談器の方は、おそらく、そんなチャチなものではないだろうと思いますが、ともかく人間の教育問題を、教育者に聞かないで、器械の判断を聞くという時代――。これは、どこかおかしいといわねばなりません。
 この、現代は、人間不在の時代だといわれます。自己疎外だとか、人間喪失などということをわたしたちは、耳にタコができるほど聞いています。この時代に人間がいない、などということは、あるはずがありません。人間はいる、こんなにたくさん人間はいる。にもかかわらず、人間不在ということが強く叫ばれねばならぬところに、現代の大きな問題があるわけであります。
 それは、さきほどからもうしますように、せっかく発達した科学というものを、原始人がやるのとちっとも変らぬような占いや祈祷の道具に利用しようとする。たとえば、そういう態度のなかに、人間のほんとうの主体性というものを失ったすがたとしてみることができる、と、このように思うのであります。

第三章は親鸞の人間観を語る
 さて、このような、人間とはなにかという謎の問題が、まだ未解決のままに残されている。そういう状態にある人間は、ちょうど、謎の深淵に漂うているようなものである。ある哲学者は「無底の深淵(しんえん)をみる」といいますが、その底の無いということが、生きることの無気味さを、あらわしている、解決のない不安をあらわしている。そして、このような謎のなかに、ほんとうの善とはなにか、ほんとうの悪とはなになのかという、もっとも大切な問題が包まれているわけであります。
 なにが善で、なにが悪か。この善悪の問題は、邪教を迷信するだけでなしに、科学をも迷信するような問題に、深い関係があります。つまり、善悪問題は、人生をどうみるか、人間をどうみるかということにかかわるところの、いわば人間問題の中心テーマであるといえましょう。
 ところで、いま拝読しようとする歎異抄の第三章には、この善悪の問題をとおして、人間とはなにかということが明らかにされているのであります。そういう意味で、第三章は、親鸞の人間観を語るものだといえましょう。もっとも、歎異抄の全体が、仏教、つまり人間とはなにかといぅことにめざめたブッダ(仏陀)の教えを、親鸞がどのように受けとったか、教えをどのように聞きあてたかということを説くものでありますから、この全体が、人間を明らかにするものにちがいありません。が、なかでもことに第三章には、親鸞の見抜いた人間の、いつわりのないすがた、人間の正体というものが、みごとに明らかにされていると領解されるわけであります。

難解で疑問の多い親鸞主義
 さて、第三章は、「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばからはじまっていますが、これはみなさん、だれもが聞いて知っておられるほど有名なことばでありまして、これは、まあ、親鸞の独自な思想と信仰をあらわすことばである、と、こういうことが世間一般ではいわれております。
 以前にお話した小説の『鮫』について、林房雄という人が、その当時の朝日新聞に紹介を書いておりました。
  小説の『鮫』は「善人なおもって救われる、いわんや悪人をや」という難解で疑問の多い親鸞主義を証明するための小説ではない。
と、こういうような意味のことばで『鮫』を紹介しておりました。つまり、林さんにいわせれば第三章は「難解で疑問の多い親鸞主義」を語るものだということになるようです。が、このことは「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばは、非常に広く人口(じんこう)膾炙(かいしゃ)されてはいるけれども、その意味が正しく理解されるということは、極めて困難だという実態を語るものでありましょう。
 すこし余談になりますが、あの『鮫』を書いた真継伸彦さんを、先日、(昭和三十九年の秋)大谷大学の学園祭に、学生諸君が招待して講演をお願いしました。ぼくも、機会があれば是非一度会ってみたいと思っておりましたので、講演も聞きましたし、あとの座談会にも出席しました。その席へ、大学の教師で出ていたのは、ぼく一人だったものですから、その時のテーマについていろいろ発言させられたり、また『鮫』に関して、日頃思っていたことを少しばかり聞いていただいたりしました。その時の話の内容は、また機会があれば話すことにしますが、真継さんという人は、ずいぶん謙虚な、感じのいい人で、もの静かだけれども、なかなかの意欲をもった人だという印象を受けました。そして、あの『鮫』を出発点として、「これから、宗教的なものをモティーフにしたいい作品を、どんどん書いてくださるように期待しています」といってお別れしたことです。
 話が脱線しましたが、ともかく、この第三章のことばは、林さんが難解で疑問だというように、いわゆるインテリといいますか、識者の中の多くの人には、なかなか納得できぬようです。

長井真琴の歎異抄批判
 真宗高田派の寺院出身の学者で、東洋大学の教授をしている長井真琴という人があります。この人が、いまから数年前『大法輪』という雑誌に「歎異抄の厳正批判」という文章を発表して、たいへん論議されたことがあります。そのサブ・タイトルには、少し長いことばですが、
 「愚老は真宗高田派の寺の生まれだが、歎異抄の悪人礼賛は見て居れん。何かを忘れ、何かを曲げているのだ」
とありますし、また「序」には
 「歎異抄は明治時代になって、清沢満之や近角常観などによって、やかましく唱導されてから釈迦の教法の全貌を知らない、又親鸞の真宗教義をも究めない、言わば素人たちが、これぞ仏教の真髄であり、親鸞、真宗の醍醐味(だいごみ)であると早合点して、これをもて(はや)す連中が、急速に多くなってくると、それに乗じて、いわゆる宗乗学者などが、歎異抄に関しての研究や註釈などを公刊し、今日は、それらを枚挙するに暇ないほどに多くなってきている」
と、なかなかシンラツなことをいっております。そうして、この第三章に関しましては、こういっております。
 「第三章に、善人なほもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや、善人だに往生す、まして悪人は、とあるが、浄土の三部経(さんぶきょう)を読んで見ても、親鸞の全撰述を究めて見ても、ましてや釈尊の教説を大観して見ても、第三章のような信念がどうして起ってくるものか、全く理解に苦しむのである」
と。これ、全く、生きた宗教というものを知らない人、単なる宗教についての文献しかわからぬ学者の悲劇といわねばなりません。
 わたしは、この『大法輪』を大谷大学の図書館のものでみたわけですが、だれが書いたものかそこにエンピツで、こんなことが書いてあります。「八十の老境に入って、この人は始めて迷い出した。これこそ、この人の真の姿である。だまっていればよいものを、もう死にぎわになって自分の恥のあるだけさらして」と。これもまた、なかなかシンラツですね。
 これほどに、第三章のことばは理解しにくい。「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」――こういう考え方は反対じゃないか、と。だから、次いで
 「しかるを、世の人つねにいわく、悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや、と」
 この「しかるを、世の人つねにいわく」というのは、いわゆる常識、普通の考え方ですね。悪人でも救われるのなら、まして善人が救われるのは当然である、と。だから、この第三章のことばは、歎異抄ばかりでなくて、親鸞の特異な思想信仰を代表するもののように考えられることになってきたのでしょう。

われわれは人びとと共に誕生した
 第一章の講話(第一巻の第四講)でも話しましたように、最近の高等学校の倫理社会の教科書、十六冊のうち、十五冊までが第三章を引用している、といいます。それから、第十三章にふれたのが五冊、第二章は四冊、そして、第一章・第五章・第六章・第十六章がそれぞれ二冊、となっています。こんな数など、どうでもいいことのようですけれども、ここでもうしたいことは、いま、わたしたちが読もうとする第三章はどの教科書にも、歎異抄を代表するもの、親鸞の思想信仰を代表するものとして引用されているということなんです。
 次いで、第十三章が多いということは、第三章に記録してある親鸞のことばをうけて、筆者唯円(ゆいえん)の領解を述べたのが第十三章ですから、その問題に共通性があるという意味で、これは当然のことだといえるわけです。
 そして、この、教科書にみられる引用の数というものは、世間の人びとが、どこに歎異抄の名所があると理解しているか、そういうことを知るための、一つの手がかりにもなるといえましょう。
 ところで、この、善とか悪とかということを聞きますと、わたしたちは、法律に違反するとか違反しないとか、ということ。倫理や道徳でいう善悪ということが、すぐ頭に浮んできます。つまり人の道、人のふむべき道においては、「かくかくのこと、なすべし」とか、あるいは「かくかくのこと、なすべからず」と定められています。手近かな例でいいますと、「ごみ捨てるべからず」というような禁止のかたちと、そして「老人には親切にすべし」「隣人を愛せよ」というような命令のかたちで、人の道が示されます。そして、それに従うものは善、そむくものは悪だといわれます。
 いうまでもないことですが、人は、一人で生きているわけではないので、人倫(じんりん)などといわれるように、人は、人びとと共に生まれ、人びとと共に生きております。なるほど、わたしたちが、この世へオギャーと誕生したということは、人びとの中へ生まれたんだといいますが、わたしが生まれたとき、そのとき同時に、わたしにとっての人びとの世界がはじまったのです。だから、わたしたちは、人びとと共に誕生し、人びとと共に生きつつあるといってもいいのでしょう。
 このように考えますと、わたしたちが人間に生まれ、人間として生きるということそのことがもうすでに倫理的なんです。共同生活をしていく上で「これは善」「これは悪」と決めて、その約束にしたがって生きていく。そういう意味で、人間に生まれ、人間として生きるということにとって、善悪問題は非常に大切なことであります。

いのちの問題としての善悪
 しかし、この善悪の問題は、人間の歩むべき道として、人間が見出したもの、相互に約束して確認しあったものということで、いわゆる倫理的な善悪にのみ尽きるのでしょうか。こういう疑問を出して考えてみますと、ふつう、わたしたちが善悪といっているものは、「人間として生きる」ということに関する問題である、と、このようにいえるのでしょう。お互い同志の約束を守って、善いことを行い、悪いことは行わぬようにしよう、と。
 けれども、そういうことに先立って、もう「人間に生まれた」というところに問題がある。人間に生まれて、そして、生まれてきたこの生命(いのち)を、どこまでもどこまでも延ばしていきたいという、その、生命そのものが持っているような問題があるにちがいない。その、生命そのものと深くかかわるような善悪問題があるにちがいない。
 ですから、善とか悪とかということは、いわゆる倫理的な善悪だけに尽きないのでありまして、さきほどからもうしますように、どこまでも生き延びたいというような生命そのものが持っている問題、生きるためには手段を選ばぬ、と、このように、ただ一途な、それだけにまた痛々しいそして、きびしい問題であります。
 話が抽象的で、わたしのいおうとすることが、おわかりになりにくいかと思いますが、要するに、第三章でいうところの善悪は、まず人間があって、そして、人間は「このようにあるべきだ」と考えているような問題ではないということです。つまり、善悪は、わたしたちにとってはそのような、そらぞらしい問題ではなくて、もっともっと身近な、ナマナマしい問題であります。そういうような人間のすがたを、どうか、ひとつはっきりさせてください、と、このように第三章は語りかけているのだと思います。

善人・悪人は徹底的な自覚である
 それで、わたしたちは、「人びとと共に生まれ、人びとと共に生きていく」ということから、すでに人間は倫理的存在である、と、こういうことができるわけでありますが、同時にまた、わたしたちは、「人間に生まれ、人間として生きていく」ものである。その、生まれて生きるということには、どこまでもどこまでも延命(えんめい)したい――、という願いがあるわけですが、わたしは、それを「光を求めて生きるすがた」、「宗教的に生きるすがた」といいたいのです。
 といっても、ここでは、まだ、ほんとうの宗教ということが自覚されているわけではありません。それで、ことさら「宗教的に」といったのですが、こういう意味でいうならば、なにも人間だけが宗教的存在ではないのでありまして、いきとしいけるもの、つまり動物にも植物にも、この「光に向う」宗教性というものを認めることができるのであります。そして、このような「光を求めて生きる」という生き方にめざめるときに、はじめて、宗教的に生きているものが、はっきりと「宗教に生かされて生きる」「宗教者」となるわけであります。
 ところで、倫理は人としてふむべき道であるとはいいますけれども、これは、時代や社会によって違ってきます。つまり相対的なものです。たとえば、わかりよい例をあげてみますと、同じ日本でも、いまから僅か一〇〇年もさかのぼると徳川幕府の江戸時代ですが、当時の武士の社会では、親の仇討ちをすることが美徳とされたといいます。仇討ちとはいうけれども、殺人なんですが、それができないようでは意気地なし、弱虫だとされました。これは、ほんの一例ですが、このことからもわかりますように、たとい「人の道」だからといっても、人間のとり決めたことがらは、相対的なもので、いつまでも変らぬ絶対のものということはできません。
 もちろん、この、倫理ということについては、倫理学という学問もありまして、いま、わたしのいうようなことでは片付けられない深い問題が探究されてもおります。だから、こんな荒っぽい話をしていては、倫理学の先生からお叱りをうけるかも知れませんが、それにしても、人間の生き方とか、あるいは、人生の価値規準についての考え方とか、そういうものは、時代社会の違い、民族や国家の違いによって異るということはたしかでしょう。
 ところが、人間には、そういう時代や社会によって区別されないような問題がある、と、こうも考えられます。いつ、どこで、どのように生きようとも、生きていることそのことが持っているような、絶対的な問題がある。さきほど、人間は、倫理的存在であると共に、宗教的存在であるといいましたが、そういうことと深いかかわりを持つところの、善悪の問題があるわけであります。
 それで、いま第三章が語るところの、善とか悪とかの問題は、世の中には善人もいる、また悪人もいる、と、そういうようなことではないのであります。つまり、善人・悪人というのは、他人の話、第三者の話ではないのでありまして、それは、この自分と深い関係をもつものである。この第三章は、親鸞の人間観を語るものですが、それは、ことばをかえていえば、親鸞の自覚であります。人間の、徹底的な自覚、これを離れては、第三章の、善人もなければ悪人もない、ということを、まず強調しておきたいのであります。

末川博の「私の人生観の基盤」
 ところで、京都に、この松井君たちが発起してつくった「京都学生はちす会」という仏教青年会があります。京大、立命、京女、光華、府大、龍谷、そして大谷など、各大学の学生諸君が集まる会ですが、先日、その「はちす会」の学生諸君が主催して、創立五周年記念の講演会を催しました。まずはじめに、大谷大学の名誉教授の金子大栄先生が「絶望の中の生」という題で話されました。続いて、立命館大学の総長であります末川博先生の「私の人生観の基盤」という題のお話があり、それから、元東京外語大学の教授だった増谷文雄先生が「友情の宗教的意味」という話をされました。そのなかで、いまご紹介したいのは、末川先生のお話であります。つまり、先生の人生観の基盤というか、根底というか、そういうことについて話されたものであります。
 末川先生の郷里は山口県だそうですが、いまでは、もう七〇歳を幾つこされたのでしょうか。もう五〇年も昔の話なんでしょうが、先生は、旧制の三高に入られた。まあ、向学の精神に胸ふくらませて京都へ出てこられたわけですね。ところが、その当時の高等学校の学生は、学校へ入るとすぐ「人生とはなにか」とか「人間いかに生くべきか」とか、そういうことをみなで考えたものだというのです。そういうことを考えるグループに自分も入ったところが、二、三か月も経つと、なんだかわけがわからなくなってきた。
 そして、やがて、「人生とは」とか「いかに生きるか」などと考えることに、ついていけなくなった。それで、一度考え直そうということで、退学届を出して、故郷の山口へ帰ってしまった。家は、たしか農家だったと聞きましたが、郷里で、野良仕事を手伝ったり、手当り次第に本を読んだり、いろいろ自分一人で悩んだそうです。
 その頃の先生のモットーは「清く正しく」ということだった。少年から青年に移るころには、間違ったことがイヤで、だれしも一度はそういうことを考えるのでしょうが、末川先生は、それを徹底しようとされたわけです。そうして、徹夜で、庭の石の上に坐って、物思いにふけっていたというのです。親は、自殺するのでなかろうかと心配したというのですから、先生も、相当徹底して悩まれたのでしょう。
 ところが、その「清く正しく」ですが、農村に帰ってみると、汽車の窓から田園風景をみて、ああ美しい景色だなあ、と眺めているようなわけにはいかない。見ているのと、実際に住んでいるのとでは違う。そこに住んでみると「清く正しく」というわけにはいかない。そして、その頃先生は、歎異抄を読まれた。そして、特に第三章の「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということばに感銘した、と。

人間は人間である
 「清く正しく」ということが理想とするのは、善人である。つまり、善人というのは理想のすがたであるが、はじめは、それが、都へ行けばなんとかなると思っていた。しかし、行ってみて、そこには、学問沙汰(ざた)というか、非常にみにくいものがあると直観して、田舎へ引き揚げた。けれども、そういう眼で、もう一度、自分の境遇というものを見直してみると、農村だから純朴である、農夫だから純情であるとはいえない、と、そういうことがわかってきたというのです。
 そして、歎異抄の全体から、とくに第三章から、末川先生が教えられたのは「人間は、人間である」ということだった。人間は、人間以上のものではない、人間は人間である、と、こう決着したときに、もう一度京都へ出て勉強をやり直そうという気持ちになった。それで、京都に出てみると、当時の担任の先生が、退学届を休学届にかえていてくださったので、そのまま復学して学校を続けることができた、と。
 講演では、このあと、いろいろお話があったのですが、ともかく、「人間は、人間である」ということに気づいたとき、それが一つの大きな転機となったわけです。以前は、学校に入学しても、素直に勉強できなかったけれども、しかし「学生は学生である」と気付いてみて、はじめて「学生らしく」学ぶことができるようになった。与えられたこと、選びとったことを素直に引き受けて、学生らしく、そしてまた、人間らしく生きようということになった。
 これは、まったく簡単なことばですが、しかし、人間というものを鋭くいいあてております。なかなか含蓄のあることばであります。ですから、この簡単明瞭なことばの中に、先生の七〇年の生活が包まれている。このことばを発見したときからはじまったところの、そういう生き方というものが、先生の一生を貫いていて、いまも変らない。そういうことに、わたしは、非常に感銘したのであります。
 立命館大学が、今日のような大学になったのは、末川先生がおられたからだということは、だれもが認めるところですが、あの話を聞いて、先生は単なる法律学者ではないと思いました。お話のなかでは「わたしは宗教家ではない」と、たびたびいっておられましたが、そのとおりでしょう。けれども、先生は、単なる学者ではない、非常に人間味ゆたかな人格者である。わたしは先生に直接お会いしたことはありませんし、その時も講壇から遠く距たっておりましたが、末川先生の人柄が、こちらにジカに伝ってくるのを感じました。

人間が人間となる
 この、お話から思うのですが、たしかに先生のいわれるとおり「人間は、人間である」。が、そのためには、それに先立って、もう一つ大事なことがある。つまり、人間が人間であることを証明するために、われわれは、人間とならねばならない。そういう問題があると思うのであります。「人間である」ということを明らかにするためには、「人間となる」ということがなければならない。
 考えてみますと、わたしたちは、お互い同志を「人間」と呼んでおります。ところが、では、人間とはなにか、と問うてみると返答ができない。なにかわからぬものなのに、お互いに人間だといっている。つまり、わたしたちは、生まれたときから、お前は人間だと呼ばれているわけですが、この人間と名づけられた存在が、人間らしく生き、ほんとうの人間になることによって、はじめて人間であるということを証明するのである。これが人生というものでありましょう。そして、この「人間となる」というところに、宗教の問題があるのであります。
 もちろん、わたしたちが人間として生きていく上には、宗教ばかりでなく、政治や経済の問題教育とか倫理道徳という問題など、人生の諸問題があります。が、それらは、みな、それぞれが人間らしく生きて、そうして、ほんとうの人間になっていくということを離れてはないのでありますから、人生の諸問題は、やがては、ただ一つの根本の問題に帰着する。あるいは、諸問題というものは、その一つの根本問題から派生するものである、と、こういってもいいのでしょう。

地獄とガキと畜生
 では、仏教では、この人間というものを、どのように考えているのでしょうか。西洋のキリスト教にも、また東洋の儒教にも、その他さまざまの教えには、それぞれの人間観があるわけですが、いま、ここで、仏教の人間観を考える手がかりとして「十界(じゅっかい)」ということをご紹介しましょう。
 十界というのは、十種の世界のことです。ご承知のように、仏教では、生存するものの生き方あり方というものを、たとえば地獄(じごく)とか畜生(ちくしょう)といい、そして、それが生存する世界のことを、地獄界・畜生界などといいあらわします。それで、十界は、迷っているものも、悟っているものも含めた十種の境地、境遇のことですが、そのうち地獄・餓鬼・畜生を三悪道(さんまくどう)といいます。
 それで、まず地獄というのは、このごろでは交通地獄、受験地獄、就職地獄などというように使われておりますが、地獄は、地下にある牢獄で、もっとも苦しみの激しいところということです。あの、芝居の舞台下のことを「ならく」といいますが、それはインドのことばで地獄のことを「ナラカ」(naraka)というところから、そうよばれるようになったわけです。
 この地獄のことについては、源信が書いた『往生要集』という聖典に非常にくわしく出ております。つまり、地獄を八つに分けて、叫喚だとか、焦熱だとか、苦をうけるに間がないという意味で無間だとか、と、地獄の分析をおこなっていますが、要するに、地獄というのは、身を引き裂いて生きるといいますか、身をコナゴナにして生きるといいますか、そういう状態なんです。手足がバラバラ、骨や肉もバラバラになる状態で生きているようなものだ、と。これで、最大の苦痛、極苦(ごっく)の状態をいうわけです。
 次の餓鬼は、たべものが得られないので、苦しみのなくなるときがないもの、ということですが、これは、欲望に限界がないという生き方、あり方のことでしょう。『往生要集』には、いろんな餓鬼がいると書いてありますが、たとえば、ある餓鬼は、飢えと渇きで身体が衰弱しているそれが、たまたま清流を発見して、走っていって飲もうとすると、とたんに水が火に変ったり、水が涸れてなくなってしまう、とあります。水が火に変わるなんて、まったくバカげた話だと思われるかも知れませんが、この譬喩(ひゆ)は、とどまることを知らぬ欲望に動かされ、翻弄(ほんろう)されて生きるすがたをあらわすわけです。
 それで、餓鬼はガツガツしているから、無財のものばかりかといいますと、そうでなくて、有財餓鬼というのがあります。現代には、欲望の着ぶくれ現象がある。生産過程が短縮され、流通機構が改革されて、品物がどんどん豊富に出回るようになるにつれて、消費生活もゼイタクになる。欲望が着ぶくれして、不必要と思われるものまで、どんどん買いこむ。今日買って、明日は捨てるようなものでも、隣の人が買ったから、と、自分もほしくなる。こういうところに、餓鬼のすがたをみることができるといってもいいのでありましょう。
 それから、畜生です。昨日の新聞に、お相撲さんの「ちゃんこ鍋」の作り方が紹介してありました。そして、この、明治時代のお相撲(すもう)さんは、縁起をかついで、四つ足は鍋に入れなかった、二本足の鶏を入れたものだ、という話が書いてありました。土俵で四つん()いになるというので縁起をかつぐのですね。
 ここで畜生というのは、弱肉強食するもの。まあ、相手が人間でも、「このガキ」といったりまた「コンチクショウ」という。そういう畜生もありますが、わたしたちは、ふつう動物のことを畜生といいます。けれども、動物だけが畜生ではないので、これは互いに餌食とし合って生きているもののことをいいます。それはまた、欲望の(とりこ)になっているというか、欲望に繋がれているというか。わたしたちが、家畜を扱っているように、わたしたちもまた、欲望の鎖で手足を繋がれて、離れられないでいる、そういうような状態です。

六道からブッダまで
 そして、この三悪道に、修羅(しゅら)・人・天の三つを加えて、これを六道といいますが修羅は、今日の案内状に書いてあった悪神のアスラ(asura)のこと。修羅の(ちまた)とか、修羅場などといいますが、それは、この悪神のアスラは、争いが好きで、いつもインドラ神(帝釈天)と戦った、それから出たことばなんです。つまり、これによって、いつもなにかと争うている、戦争をしている、そういう生き方をあらわしております。
 そして、次に人ですが、『往生要集』をみますと、「人道(にんどう)には三の(すがた)あり」といってあります。いうまでもなく、人生は無常であります。現代のわたしたちは、交通戦争だとか、飛行機事故だとか、そういうことによって、無常が身近に迫ってきているのを強く感じさせられますが、善導の『往生礼讃』には「無常、念念に至る、(つね)に死王と()す」とありますし、また『涅槃経(ねはんぎょう)』には「人の命の(とどま)らざること、山の水よりも過ぎたり。今日は存りといえども、明日はまた保ちがたし」といってあります。
 それから、人間には、いのちのはじまった時から、苦というものがある。そしてまた、人間というものは不浄なものである。この、苦しみと、はかなさと、けがれを知るもの、これが人間であります。ということを反対にいえば、こういう不浄と苦と無常を感じないようなものは、人間ではないということなんです。
 こう考えてきますと、さきほど末川先生が、「清く正しく」ということを理想にしながら、清くありたいと思うために、かえって、世の中が不浄であるという現実にぶつかった。そして、それが「人間は、人間である」と決着する転機になった、といわれた。つまり、不浄のすがたを見出したとき、はじめて人間が、もともとの人間にかえったということなんです。
 この人間というものは、大地に立って生きているわけですが、立っている足元を離れて天に向う。まあ、天というものは、いわば神さまのようなものとでもいいましょうか。天は、上の方向にある。それで、天上界は大地を離れたものだともいえますが、また、それは、足下の大地を忘れた状態だといってもいいのでしょう。この天にも、いろいろありますが、なかでも一番己れを失ったすがたを有頂天(うちょうてん)といいます。
 そして、こういう六道の迷いのなかにいてはならぬ、こうしてはおれぬと、さとりの道を求める。その求道のすがたを、声聞(しょうもん)とか縁覚(えんがく)とか、あるいは菩薩といいます。声聞は、教えを聞いてさとるもの。縁覚は、因縁(いんねん)の法によって独りさとりを楽しむもの。菩薩は、一切の人びとのさとりに自分のさとりを賭けるというか、人びとのすくわれる道によって、自分もすくわれていくんだと修行をしているもの。要するに、これらは、みな求道者、修行者のあり方を語ることばです。それから、最後には、仏、ブッダ、つまり自らにめざめたもの、他をめざませつつあるものであります。
 さて、十界の解説が長くなりましたが、要するに仏教では、人間はただ人間であるばかりではなくて、衆生である、衆多の生、あまたの生をうけるものである、と、こういいます。これまでわたしは、衆生というべきところを、人間に代表させて話を進めてきておりますが、いまの十界に生存するものは、みな衆生であります。広い意味では、さとった仏も衆生であります。
 それで、天台宗では、十界互具(じっかいごぐ)、つまり、十種の世界それぞれに、十種の世界をもっている。だから、合せて百界になるといいますが、これは、現在はどんな生き方をしているにしても、十界をみんなもっている、ということです。だから、われわれは人間であるといって簡単にすませることはできない。可能性としては、なんでももっている。地獄も、餓鬼も、畜生も――。そして、さとりを開く仏性(ぶっしょう)も、可能性として与えられている。ここまでお話してきますと、わかりますね。やっぱり、腹が減ったときには、盗みをしてでも生きのびようとする。そういう肉体をもっているかぎり、いつでも「善をなし悪をさける」と、このようにとりすましておることはできません。

むさぼりといかりとグチ
 こういうふうに生存者のあり方、生き方を十種あげることができますが、なかでも一番迷い苦しみのひどいのは、地獄と餓鬼と畜生です。これは、こういうあり方を与える心理、迷いのもとになる心理として、貪欲(とんよく)、つまり、むさぼりと、瞋恚(しんに)、つまり、いかりはらだちと、愚痴(ぐち)、つまり智慧のないおろかさ、この三つがありますが、なかでも、むさぼりの貪欲は畜生にあたるといえるのでしょう。そして、欲望が火のように燃えあがるのが瞋恚ですが、これは餓鬼。ここに、わたしたちは、善と悪を考えることができると思います。善因は善果をまねくからというので、善には執着しますが、悪因は悪果につながるから、それをさけよう、火で焼いてなくしてしまおう、と。
 そして、もう一つ愚痴、つまり無知、無明というものがあります。これは、ほんとうのことがわからない。人間は、どんなすがたで生きておるのか、人間がなにかということがわからない。智慧がないのを無明といいますが、これが実は、地獄というあり方とかかわりがあるのだと思います。ですから、地獄、餓鬼、畜生といいますけれども、ちょうど貪欲と瞋恚が、無明の愚痴によって成り立っているように、これらは三つ並んであるのではない、つまり、地獄は、餓鬼や畜生というようなあり方の一番底にあって、その全体をささえているのだ、と、こう領解することができると思うのであります。

神の宗教と開神の宗教
 さて、それで、もう少し仏教の人間観について、話を展開するために、親鸞が、この人間というものを、どのように考えていたか、ということですね。それは、いろいろの角度から考えてみることができるのですが、たとえば『教行信証』(化身土巻)に、こういうことをいっております。というのは、あの有名な孔子の『論語』を引用しているのですが、それによると、あるとき、弟子の季路(きろ)という人が、孔子に「あなたは、神さまにおつかえになりますか」(鬼神に(つか)えんか)と尋ねたところ、「いや、まだ人にもつかえることができないのに、どうして能く神さまにつかえることなどできようか((いま)だ人に事うること能わず、(いずく)んぞ能く鬼神(きじん)に事えんや)」と答えた。
 これを漢文で書きますと、
 「未能事人、焉能事鬼神」
となるのですが、この「未能」という字を、親鸞は「不能」と書きかえ、読み方を変えて
 「不能事、人焉能事鬼神」
と読んでおります。「つかえることはできません。人間が、どうして神につかえるなどということができましょうか」と。これで、この文章の意味は一変したわけです。孔子の人間観と親鸞の人間観は全く違う、ということを、同じ文章の読み方を変えることによって、見事にいいあらわしたわけであります。
 孔子は、「まだ人間にも事えることができないのに、どうして神に()く事えることなどできようか」という。こういう考え方も、一応わかりますね。ところが、親鸞は、「事うること能わず人、いずくんぞ鬼神に事えんや」という。人間は、神から束縛されたり、神の奴隷になったりするものではない。人間は、人間である、と。さきほどは十界互具について話しましたが、それによれば、人間は、ほんとうの人間になるべきものである。この、ほんとうの人間を真人(しんじん)といいますが、人間は、真人すなわちブッダ(仏陀)になるべきものである、と。
 だから、そういう意味では、ブッダ(仏陀)の宗教は、いわゆる「神の宗教」にたいしていえば「開神(かいじん)の宗教」である、というべきものでしょう。この「神」という字は、「こころ」とか「たましい」と読みますが、閉された心には衆生ということ、十界互具ということの現実がわからない。だから、その閉された「こころ」を開いて、衆生の実相を知らしめる、人間とはなにかということを明らかにする。
 たしかに、いまの鬼神(きじん)と、キリスト教の神さまと、その他の神がみを一緒にしてしまうのは、ずいぶん荒っぽい話だとは思いますけれども、しかし、わたしには、ゴッド(God)も神も、結局は同じものに思えるのです。それから、電子頭脳を信頼するという、あの科学という名の迷信これもやっぱり現代の装いをこらした神がみのすがたの一つでしょう。そこに、一方では、科学というものを発見しながら、他面、神から離れられない人間というものが、浮きぼりにされているわけです。
 それから、ずいぶん昔から、神さまが人間を創ったのだ、人間は天地創造の神によってつくられたんだ、と、こういわれています。ところが、それにたいして、そうではない、それは神話というもので、実は、人間が神をつくったのだ、ともいわれます。けれども、わたしは、神が人をつくったとか、人が神をつくったとか、それは、やっぱり一つの解釈であって、どちらにもいい分というものがある。が、要するに事実は、人間は神と共に誕生した、人間は神と共に生まれて神と同居している、と、こういうべきだと思います。そういう事実にめざめてはしいという、この「めざめ」すなわち「覚」が、ブッダ(仏陀)であります。
 今日では、仏教もキリスト教も、その他いろいろな宗教も、みな、ひとまとめにして「宗教」だといいますが、いまもうしますように「開神」という点に着眼して、これをずっと掘り下げていきますと、仏教というものが新しく見直されてくるのではないか、仏教の現代的意義というものも明らかになるのではなかろうか、と、こういうことも思われるのであります。
 それで、親鸞の考えに話をもどしますと、人間というものは、神の奴隷であってはならない、人間は、神の束縛から独立しなければならない。でなければ、人間は、ほんとうに人間になることができない。これが、仏教によって見開いた親鸞の人間観である、と、こういってもいいのだと思います。

フランクルの超越的無意識
 で、このように、われわれ人間の、閉された「(こころ・たましい)」の底には、実は無意識の世界がある。いわゆる考えというものでは、とらえることができないけれども、だからといって、ないというわけにはいかない、無意識界がある。そして、人間の深い根強い迷いというもの、地獄や餓鬼や畜生というようなあり方は、その無意識の世界をよりどころとしている。それが、われわれの意識の足下にあるために、われわれは、いつもそれに脅かされて生きている、と。
 しかも、人間は、つまり衆生は、ただそれだけではなしに、その無意識の底には、さらに超越的な無意識とでもいうべきような世界がある。衆生の、意識・無意識のさらに底に、超越的無意識が内在する。これは、フランクルという精神分析学者――、ご承知かと思いますが、精神分析のなかでも、とくに実存分析ということを考えたフランクルという人のことばをかりていったのですが、これを図示しますと、このようになります。話が、すこし難しくて、めんどうになってきましたが、ちょっと、しんぼうしてお聞きください。

 それで、いま、意識とよぶもの、これを仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意の六識といいますが、この、いわゆる意識が自力有効の世界でありましょう。自力でいかなきゃ駄目だとか、自力を過信してはいけないとか、いろいろいっている、この自力――。たしかに、わたしが、いま、こうして立っているのも、手でチョークをとりあげるのも、自力といえば自力である。
 ところが、こうして立っているままに、というか、この底に、というか、自力の及ばぬところがある。自力無効の世界がある。これも事実でしょう。煩悩というものは、見たり聞いたりすることが縁になっておこるにちがいない。けれども、それは、見たり聞いたりする意識では自由にならぬという性質をもっています。たとえば、美しい女の人が通るのが、ふと眼にとまる。と、「なんじ、色情をいだいて異性をみてはならぬ」ということを、いくら知っていても、それは役に立たぬ。煩悩がおこってくる。つまり、根深い煩悩というものには、自力の手がとどかぬ、自力は無効である、と、こういわねばなりません。この、無意識の意識を、仏教ではマナ織(思量織)といいます。
 そして、さらに、その底に考えられている超越的無意識――、フランクルの、こういうことばをかりていいあらわしたいものを、仏教では、アラヤ識といいます。つまり、自力無効ということは、他力のはたらきの上に成り立っている。この他力、すなわち本願力であります。

  意    識  (前 六 識)  自  力
  無  意  識  (第七マナ識)  自力無効
  超越的無意識 (第八アラヤ識) 他  力

 考えてみますと、この地上に人生があるのにたいして、地下には地獄があるといいましたが、自力無効の、地獄のその底に、アミダの本願他力のはたらきがある。煩悩におおわれ、閉ざされて見えないけれども、そこに他力が内在する、と、こういわねばなりません。
 ですから、地上にあらわれたかぎりでは、これは差別の世界である。だから、わたしとあなたとは違う。けれども、この、いのちの根元に帰れば、いのちそのものに差別はない。いのちそのものは、万人平等の世界からはじまっている。それを他力というのであります。
 それで、いつも、わたしは、生きているということは、生かされて生きているのだ、と、このようにいうているのですが、この他力を、因縁所生(いんねんしょしょう)、因縁の法によって生ずるところのもの、と領解することもできます。このわたしは、あらゆるもの、一切のものが寄り合って成り立っているその全体が他力である、と。
 手近かなところでいえば、今日、わたしは、松阪から電車に乗った、そして、大石からはバスに乗りついでここまで来たんだが、その間、半分以上も眠っていました。だから、一生懸命に運転してくれる運転手がいないというと、わたしは、ここへ来れなかった。まあ、これだけを考えてみれば十分なんでしょう。この事実、これが因縁所生というものであります。

善をたのみ悪をおそれる罪福信
 そして、こういう他力の世界にまで自覚が徹底しないで、中途半端なところにいますと、無意識のうちにも、地獄のおそろしさというようなものに脅かされねばならない。おそろしい地獄が、意識の世界に顔を出す。なにか、わけのわからぬ、おそろしいものが、天の神さまや地の神さま、つまり天神地祇になってあらわれたり、あるいは、いろいろな悪魔とか異教のかたちをとったりする。そして、占いや祈祷というものに頼ろうということになる。このように、自覚が徹底しないために、わたしたちの生命が脅かされるということで、善をたのみ悪をにくむ、そういう信仰が、いっこうになくならない。
 親鸞は、そういう信仰、善をたのみ悪をおそれるような信仰を、罪福信(ざいふくしん)といっております。これは、なにも迷信邪教だけが罪福信ではないのでありまして、念仏する心の中にも、この罪福信仰がひそんでいる。だから、罪福を信ずるような心で念仏するならば、われわれは、その念仏によってすくわれるのでなしに、かえって、念仏によって束縛されるだろう、と。
 ブッダ(仏陀)は、人間をほんとうに解放しよう、あらゆる束縛から解脱(げだつ)させよう、と、そういう道を説いたのですが、もし、念仏に縛られるなら、それは、ほんとうに仏教を信ずるとはいえない、と。でありますから、仏教は、閉された神、束縛の神から、人間を解放するもの、独立させるものだといいましたが、神から解放されるということは、罪福信から解放されることだ、といってもいいと思います。

鎌倉時代の善人と悪人
 さて、話を歎異抄の方にもどしますと、「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」とある、この善人悪人というのは、いまから、ざっと七百年前のことであります。歎異抄が書かれた鎌倉時代に、どんな人が善人で、どんな人が悪人といわれていたのか。たしかに親鸞が、みずから同朋(どうぼう)よ、同行(どうぎょう)よ、と呼んだ人たちは、ご承知のように、農民であり漁民であり猟師であり商人であった。あるいは当時の下級武士であった。それが悪人といわれた人びとであった。それにたいして、善人といわれているのは、そういう人たちにたいする指導的位置にある人びとであった。領家・地頭・名主などの、いわゆる支配階級に属する人びとであった。
 それで、また、話が横道しますが、親鸞は、諸神を軽ろしめたわけではありませんけれども、神がみにとらわれないという教えを説いた。歎異抄の第七章をみますと、
 「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、天神・地祇(ちぎ)敬伏(きゅうぶく)し、魔界・外道も障碍(しょうげ)することなし」
と、こういうことばがありますが、こういう親鸞の考えは、当時の宗教的慣習というものを打ち破るものである。つまり、鎮護国家のために祈祷をする、諸神をまつる、と、そういう慣習に反するものである。そういうことが、保守的な指導者たちにとっては、だまっておれないということになる。それで、なかには、鎌倉幕府にたいして「念仏者は悪人だから糺弾(きゅうだん)するように」と抗弁した人もあったといいます。つまり、当時では「念仏は亡国の声だ」という人があった。念仏者は、国家の――、といっても、その当時考えられていた国家ですが、その秩序を乱すものである、だから糺弾すべきものである、と、このようにもいわれておりました。
 すでにご承知のように、法然も親鸞も、念仏禁止ということで弾圧をうけて、それぞれ流罪にあったわけですが、それは承元(じょうげん)元年(一二〇七)親鸞が三十五歳のときのこと。で、それから後もずっと、弾圧は続きます。それが、もっともひどかったのは、承元の法難に匹敵するといわれるほどのもので、嘉禄(かろく)の法難とよばれておるもの。これは、貞応元年(一二二二)に次いで、さらに元仁元年(一二二四)にも念仏の禁止令が出たわけですけれども、それが不徹底だというので、叡山の連中は不満で、とうとう嘉禄三年(一二二七)には、法然の墓をあばいたり『選択集(せんじゃくしゅう)』を焼いてしまったりした。それで政府も、張本人とされていた隆寛、幸西、空阿弥陀仏の三人をとらえて流罪にした、と、このような事件が起っておりますが、その頃、親鸞は、五十歳から五十五歳で、まだ関東に住んでおりました。そして、親鸞が京都に移ってからも、たとえば八十三歳(建長七・一二五五)から八十五歳(正嘉一・一二五七)の頃、関東の同朋たちは、いろいろ弾圧をうけております。このように、歴史をふりかえってみますと、まあ、いわば、親鸞の生涯は、念仏禁止の弾圧と闘い続けた一生だった、と、こういってもいいすぎではないわけであります。
 このように弾圧されながら、それでも念仏ですくわれるのだ、と、親鸞を中心に集まった人びとがある。しかし、その、今日のことばをかりていうならば、社会の底辺に生きた人びとが、いろいろな苦難にもめげずに生きようとする、生きのびようと努力する、その生のいとなみが悪とよばれた、そういう人が悪人だとされた、というような現実が、当時にはあったわけであります。
 岩倉政治氏の書かれたもの(親鸞-歎異抄の人生論)をみますと、この第三章は親鸞の人間観を最も端的にあらわしているといい、そして「親鸞は、当時の社会を支配していた道徳から割り出された善人と悪人というものの本質を深く見ぬいていた」「こうして、当時の道徳は、人間として当然の要求と権利を充たそうとすることを悪とし、これをあきらめ捨てることを善とした」といってあります。また、金子大栄先生は「悪人ということは庶民をさすものである。こういうような意味において、親鸞の説くものは庶民の宗教である」そして「善人というものは庶民でないもの、指導者というものと一応考えてもいいのでありましょう」(現代人の古典歎異抄)といっておられます。親鸞の在世した鎌倉時代にさかのぼって考えますというと、このように、善人と悪人を相対してみることができます。当時の道徳観、倫理観というものから、善人・悪人を社会的に位置づけることができるわけでありますが、それは同時に、親鸞によって見ぬかれた人間観をあらわすことばであります。よく「善人ぶる」などといいますが、要するに善人とは、自己凝視の不徹底なもの、人間の表面だけしか知らぬもの。そして、悪人とは、人間の、徹底した自覚をあらわすもの、といえましょう。
 つまり、ここでいう善悪は、歴史的・社会的に位置づけるにしても、この自己自身をはなれては考えられないようなものであって、このお話のはじめにもうしましたように、これは、善人・悪人ということを口にする人の、一人ひとりの自覚であります。第十三章には
 「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
とありますが、ほんとうに、ことと次第によっては、なにをしでかすか見当のつかぬもの、と、こういう自覚に立って善人二悪人が語られているわけであります。

放逸無慚と造悪無碍
 もっとも、親鸞の教えは「善人なおもって、往生をとぐ、いわんや悪人をや」というのでありますから、悪人を救うのがアミダの本願であるならば、悪いことをするほどいいんだ、と、こういうような誤解、曲解もでてきます。つまり、放逸無慚(ほういつむざん)造悪無碍(ぞうあくむげ)というような、悪いことは仕放題という間違った考えもでてきます。
 これにたいしては、親鸞も「薬があるからといって、毒を好め、などということは、あってはならぬことではないか」と手紙に書いて、同朋たちをいましめております。
 「なお(無明の)酔もさめやらぬに重ねて酔いをすすめ、毒(三毒)も消えやらぬに、なお毒を勧められ(そうろう)らんこそ、あさましく(覚え)候え。……薬あり、毒を好め、と候らんことは、あるべくも候わずとこそ覚え候」
と。そして、こういう考えの間違った人の中には、善乗(ぜんじょう)とか、信見(しんけん)という名の人がいた。そしてこの造悪無碍の連中の振舞いが、領家とか地頭・名主たちに、念仏を禁止しようとする口実を与えるようになったといいます。
 なにぶんにも、親鸞を中心にできあがった教団は若い教団であった。庶民を中心とする、エネルギッシュな新興の教団であった。だから、なかにはハメをはずすもの、教えを曲解するものなど、いろいろあったにちがいないと思われます。そこにまた、法然の吉水教団とちがった、親鸞の関東教団の面目というものもあったのでしょう。
 法然は、念仏というものを大衆の手にわたすための先がけとなった。だから、吉水には、庶民も集まったにちがいないけれども、法然の教えを受けた中心は、やはり、当時では、身分の高い貴族であるとか、学問教義のある僧侶であるとか、武士であるとか、そういう人びとであった。ところが、親鸞の周辺には、社会的な知名人もいなくはなかったけれども、しかし、群生(ぐんじょう)とか群萠(ぐんもう)などと呼ばれるような生き方をするもの、つまり大衆の方に、教えを聞くものの主体が移っていく。そういう相違があったと思います。そして、それだけにまた、法然の吉水教団とはちがった混乱や、教えの聞き誤りというものもおこった、と、こう考えられます。

第三章の概説
 それで、歎異抄の本文にしたがって、ずっと読んでいきますと、まだ、いろいろもうしあげねばなりませんが、今日のテーマにかえっていいますと、まず、末川先生のいわれるように「人間は、人間である」。しかし、人間であることを証明するために、「人間は、人間とならねばならない」。この、人となるということは、換言すれば、人に帰るともいうことができると思います。なにが人をして人たらしめているか、という、その一番根元に帰る。
 そういう意味で、われわれは、自力の世界に生きておるのである。けれども、その全体が他力に支えられて生きている。他力に生かされて、自力をつくして生きている。つまり、他力において、自力の世界が成り立っている。第三章の、このあとに「自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば」というのは、このように人が人となるために、人であることの根元に帰るというこということをいうのでありましょう。
 でありますから、世間では、悪人がすくわれるならば、善人はもちろんのことだ、と。「しかるを、世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」という。これは、一応もっともなことのようだけれども、これは「本願他力の意趣にそむけり」。この人生にあらわれたアミダの、真実の精神に反するものといわねばならない。
 というのは、「自力作善(じりきさぜん)の人」つまり、自分の力を信じて善行を積み、それによってさとりを開こうとする人。これは、まあ、この地上に、かたちにあらわれた生活だけが人生だと思うている人のことでしょう。こういう自力作善の人は、ひとすじに他力をたのむ心が欠けている。だから、アミダの本願に反するといわねばならない。「弥陀の本願にあらず」。
 けれども、もし、自力を過信するような、思いあがりをひるがえして、他力すなわちアミダの力を信ずれば、真実の世界に生まれることができる。「しかれども、自力の心をひるがえして」。この「ひるがえして」ということは「廻心(えしん)して」ということ。ひるがえして――、ここに、根元に帰るものとなろうとする、ということがあるわけであります。すべての人間は平等である。その他力の世界へ帰るものとなろうという。つまり、それを「自力の心をひるがえして、他力をたのむ」という。
 で、それをうけて、 
  「煩悩具足(ぐそく)のわれらは、いずれの行にても、生死(しょうじ)を離るることあるべからざるを哀みたまいて願をおこしたもう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」
とあります。あらゆる煩悩をそなえもつわたしたちは、念仏のほかの、どんな修行によっても、このはてしのない迷いの生活から技け出ることができない。それを哀れに思われて、本願をおこされたアミダの本心は、悪人がブッダとなる、悪人がさとれるものとなるためであるから、他力を信ずる悪人こそ、まさにアミダの世界に生まれるべき因位(いんに)の人といわねばならない、と。
 この、第三章については、来月、もう一度、改めて考えることにしたいと思いますが、この「人間であるということ」について――。わたしたちは、よく「人らしい人になりたい」という人に出あいます。人間は人間らしく、青年は青年らしく、学生は学生らしく――。
 つまり、わたしたちは、この世に生まれてきて、そして「人」と呼ばれている。というか、なにかよくはわからぬのだけれども「人」と呼ばれるようなものとして生まれてきた。が、いろいろ教えられて考えてみますというと、この人生には、地獄もあれば、また畜生のような生き方もあります。また、人生は無常である、不浄である、苦であると感じて、こういう生き方、あり方をこえていきたい、ほんとうに人らしい人といわれるようなものになっていきたい、と、こういう願いももっておるわけであります。
 したがって、わたしは、この人生というものは、「人」とよばれる存在が、「ほんとうの人」つまり「真人」(ブッダ・仏陀)となる生のいとなみである、と、こう考えるのですが、この、人が人となる過程において、善人とか悪人とかということの自覚が問題となるわけであります。
 第三章について、まだ十分いいつくしませんが、時間がまいりましたから、あとは来月のこととして、今日のお話は、これで一応終ることにいたします。  (昭和三九・一一・二一)


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