2 第二章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 まえがき
  一 第二章の一  
  二 第二章の二  
  三 第二章の三   
  補 説   ◀
   1 歎異抄の時代
   2 歎異抄の構成
   3 歎異抄と観無量寿経
   4 歎異抄と教行信証
   5 第一章について
   6 第二章について
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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補説 歎異抄の諸問題


  4 歎異抄と教行信証

     a 1つの臆測

 今日、歎異抄は、広く多くの人びとに読まれておりますが、その読み方に、一つの傾向とでもいうべきものがあるのではないでしょうか。すなわち、読まれるのは、主として前半の師訓篇であって、後半の歎異篇は、かえりみられぬことが多いのではないかということです。また、第一篇の親鸞のことばにしても、語録として、こころのおもむくまま悪意に取捨して読まれることが多いのではありますまいか。
 もし、そうだとすれば、それは、唯円の
 「全く、自見(じけん)の覚悟をもって(自分かってに解釈して)他力の宗旨を乱ることなかれ(浄土真宗の根本精神をとりちがえてはならない)」。
といういましめに反することになりはしないかと思われます。
 すでに明らかなとおり、歎異抄は、唯円が、親鸞のことばを考えもなく随意に編集したものではありません。この親鸞と唯円の関係について、倉田百三氏は、
 「親鸞と唯円とは、かなり年令にひらきがあって、親鸞在世のころは、まだ若い門弟であったが、心の底から親鸞に私淑し、給仕し、その融契(ゆうけい)理会(りえ)の程度は、理想的なものであったらしい。それでなくては、歎異抄の前半の親鸞の語録と、後半の唯円の歎異とが、かくまで合調し融会するはずはない」(法然と親鸞の信仰)
と述べております。
 そのような、同法に結ばれて生きる親鸞と唯円の、うるわしい同朋としての関係を念頭におきながら、歎異抄をみますと、まず形式的にみても、教行信証と相似するものがあるのに気づきます。
 たとえば、歎異抄の前序と中序と後序は、それぞれ、教行信証の「総序」・「別序」・「後序」になぞらえたものという見方は、両者の会通(えつう)をはかるに性急なあやまりというべきでしょうか。また、歎異抄の序が
 「(ひそ)かに愚案を(めぐら)らして、ほぼ古今(ここん)(かんが)うるに」
と、純粋な敬虔(けいけん)感情をもって書き出されるとき、教行信証の総序の
 「竊かに(おもん)みれば、難思(なんし)弘誓(ぐぜい)(人間の思いをこえたアミダの本願)は難度(なんど)の海(この度り難い海にも似た人生)を()する大船(アミダの本願は、たとえばこの海を度す大船のようなもの)」
ということばが憶われていたのではないかと推測することは、あやまりでしょうか。
 たしかに歎異抄は、親鸞の教えから生まれ出たものですが、いわゆる教行信証についての解説書の類ではありません。その意味において、両者の関係は、一見してただちにそれと認めうるようなものではないのでしょう。ところが、これについて、倉田百三氏は、前文に続いて、次のようにいっております。
 「教行信証といえども、その全体を貫ぬく信仰は、歎異抄以外に出ないのであって、その総序の文と、歎異抄の第一章とを対照すれば、いかにその帰宗(きしゅう)するところがひとつであるかがわかるであろう」
と。ここに指摘される総序と第一章の関係は、倉田氏のみならず、近角常観氏をはじめ、多くの先輩たちも注意したところですが、このように、すでに早くから歎異抄と教行信証の関係に着眼して、それを明らかにしようとする努力がなされているわけであります。
 この両者の関係について、小野清一郎氏は、まことに興味深い「一つの臆測」を発表しておられます。すなわち、歎異抄の、
 「第一章は、概説または総論である、といったが、それは親鸞の『教』ではないだろうか。それはまさに親鸞の宗教におけるエッセンスである」
といい、「つぎに第二章から第五章までは、親鸞の教える『行』である」。「さらに第六章から第九章までは、その念仏を行ずる者の精神的態度、心境を語っている。それは真実の『信』を明らかにしている」。そして第十章は「すでに単なる信の境地を超えて『証』すなわちさとりの境地」をあらわすものではないかと述べ、
 「つまり歎異抄の第一部、親鸞の語録は、教・行・信・証という構造をもっている、という一つの臆測が成り立つ」
といわれるのであります。(歎異抄講話)
 この、小野氏の了解にもとづいて、歎異抄の構成をみれば、第二章の対話は、それをとおして教行の伝承を明証するものであるといえましょうか。そうして、第九章の対話は、求道の歩みにおける信の疑惑を超断(ちょうだん)して、流転の人生に涅槃の門を開くもの、と、解することができましょうか。いずれにもせよ、師訓篇十章を、教・行・信・証に配してみられた着眼に啓蒙されるところ、まことに大なるものがあります。

     b 往還二廻向と念仏生活

 この歎異抄の第一篇、師訓の十章と、教行信証の関係について、いま一つ、示唆に富む了解があります。
 それは、最近、曾我量深先生から伺った説ですが、それによれば、まず第一章は「教」をあらわすものであるといいます。そして、第二章は「行」、第三章は「信」、第四章は「証」を明らかに説くものであり、ついで第五章は「還相廻向(げんそうえこう)」であります。このように、前五章をもって、次第のごとく教行信証ならびに還相廻向を述べ、さらに第六章以下には、念仏ということ、念仏者の心得ということが示される、という了解であります。
 これに私見を加えて、表示すれば、次のようになります。

 第一章―真実教┐
        |
 第二章―真実行|
        |
 第三章―真実信├往相廻向┐
        |    |
 第四章―真実証┘    ├浄土真宗
             |
 第五章―――――還相廻向┘

これによってみれば、歎異抄の前半五章において、浄土真宗の大綱がつくされていることが知られます。そして、後五章には
 第六章 「専修念仏(せんじゅねんぶつ)のともがらの」
 第七章 「念仏者は無㝵(むげ)の一道なり」
 第八章 「念仏は行者のために」
 第九章 「念仏もうしそうらえども」
 第十章 「念仏には無義をもて義とす」
と、それぞれに、念仏の生活が語られていると解されるのであります。
 もちろん、唯円が、最初から、このような意図をもって師訓を編集し構成した、と断定することはできますまい。しかしながら、教行信証との関係が、このように示されてみると、やはり歎異抄は、親鸞の教える浄土真宗の世界を、組織的に明らかにするものといわねばなりません。
 教行信証の「(きょう)(まき)」をみますと、まず冒頭に 

        真実之教(しんじつのきょう)
 大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)  
        浄土真宗(じょうどしんしゅう)

標挙(ひょうこ)し、そして
 「謹んで、浄土真宗を按ずるに、二種の廻向あり。一には往相、二には還相なり。往相の廻向について、真実の教・行・信・証あり」
と述べてありますが、いま歎異抄は、この大綱に即しつつ、五章の師訓をもって、真宗の要旨をいいつくすわけであります。
 廻向とは、金子大栄先生の『口語訳教行信証』には、「心をめぐらして願いの方向へと思いをはこぶ。めぐみ(廻施)。仏の願いによりて、我らのものとなる仏徳(ぶつとく)。宗教生活の根源力」と註釈してありますが、これは、すなわち、アミダのこころの表現であり、アミダのはたらきにほかなりません。
 そして、往相とは、アミダの世界へ往くすがた、それが教・行・信・証であり、還相とは、アミダの世界から還るすがた、それは、衆生(あらゆる人びと)を教育・教化して救済するはたらきであります。それを金子先生は
 「動乱の現世を超えて、静寂の浄土に向う。これを往相という。浄土のざとりを身につけて、煩悩の人生に順応する。これを還相というのである」
と領解しておられます。
 これによって、アミダの世界(浄土)に往き還りする道は、単に一方的な「――への道」(marga マールガ)ではなくて、それへの道(往相)が、同時に、それからの道(還相)という意味をもつところの大道(すなわちbodhi ボーディ)であることを示すのであります。
 このように「教」は、アミダの世界へ往還する道を示すとともに、その道に生かされて生きる念仏者の生活を明らかにするものでありますが、いま歎異抄は、その往相(教行信証)と還相の二廻向について師訓の十章をもって、つぶさに説くのだと領解されるのであります。


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