2 第二章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 まえがき
  一 第二章の一  
  二 第二章の二  
  三 第二章の三   
  補 説   ◀
   1 歎異抄の時代
   2 歎異抄の構成
   3 歎異抄と観無量寿経
   4 歎異抄と教行信証
   5 第一章について
   6 第二章について
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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補説 歎異抄の諸問題


  2 歎異抄の構成

     a 歎異抄の構成

 歎異抄は、わずか一万字余りの文字で書かれた、きわめて短篇の聖典ですが、その構成を、どのように理解すればいいのか、先輩たちの了解もさまざまです。その一々を、ここに紹介することはできませんが、大多数の人びとは、大きく分ければ「前後二篇」になるという説をとっておられます。そして、細分すれば、四段(あるいは五段)と、さらに附録および奥書とから成ると考えられます。すなわち、
 一 前序(ぜんじょ) この抄を書く動機を、漢文体で書き記したところ。(本書第一巻では、のべ書きに改めてあります)
 二、第一篇 親鸞のことばを綴った第二章から第十章まで。これを師訓(しくん)十章とよぶ。
 三、別序(べつじょ) 第十章の後半「そもそも、かの御在生(ざいしょう)のむかし」とのべて、前半から後半にうつるところ。
 四、第二篇 筆者が異義を批判する第十二章から第十八章まで。これを異義(いぎ)八章とよぶ。
 五、後序(ごじょ) 「右の条々は」と書き出して「外見(げけん)あるべからず云々」と結ばれるところ。
以上が、歎異抄の本文です。ところが、今日一般に用いられる本には、このあとに、いわゆる承元(じょうげん)法難(ほうなん)について記した附録
 「後鳥羽院(ごとばのいん)御宇(ぎょう)、法然聖人、他力本願念仏宗を興行(こうぎょう)す。干時(ときに)興福寺僧侶(こうふくじのそうりょ)敵奏之上(てきそうのうえ)御弟子(おんでし)(うち)狼籍(ろうぜき)子細あるよし、無実風聞(ふうぶん)によりて、罪科に処せらるる人数事(にんずうのこと)。……乃至 親鸞、改僧儀(そうのぎをあらためて)賜俗名(ぞくみょうをたもう)(よって)非僧(そうにあらず)非俗(ぞくにあらず)然間(しかるあいだ)以禿字(とくのじをもって)為姓(しょうとなし)被経奏聞了(そうもんをへられおわんぬ)彼御申状(かのおんもよおしじょう)干今(いまに)、外記庁(きちょう)(おさまる)と云々。流罪以後、愚禿(ぐとく)親鸞(しんらんと)令書給也(かかしめたもうなり)」。
および、蓮如の奥書(おくがき)
 「右(この)聖教者(しょうぎょうは)為当流大事聖教也(とうりゅうだいじのしょうぎょうとなすなり)。 於無宿善機(むしゅくぜんのきにおいては)無左右(さうなく)不可許之(これをゆるすべからざる)者也(ものなり)」。
                                            釈蓮如(花押)
が付加されています。
 この前半を師訓篇、後半を異義篇とよぶことができるわけですが、内容的にみて、この前後は照応の関係にあるということは、すでに早くから先輩の注意するところであります。ことに近角常観氏は「前後照応の歎異抄」ということを説かれて、別記のように、第一篇・第二篇を対比しておられます。たしかに、第一章・第二章・第三章、および第九章の対応は疑いのないところですが、近角氏もいわれるとおり、第四章・第五章・第六章などの照応関係は、かならずしも明瞭であるとはいえません。ともかく、従来、多くは、第十章の前半「おおせそうらいき」までを師訓として、前後二篇に分けて読まれております。
 梅原真隆先生も、その点に特に注意して

  序 ―― 第十章
 第一章――第十一章
 第二章――第十二章
 第三章――第十三章
 第四章――第十四章
 第五章――第十五章
 第六章――第十六章
 第七章――第十七章
 第八章――第十八章
 第九章――第十九章

 「前十条は、親鸞聖人のおおせをあげたもので、編述者の解釈や、意見が付加されてありません。そこで『と、おおせそうらいき』が、結びのことばでありまして、第十条は、聖人のおおせだけで打ちきるべきであります」(歎異抄-その正しい味わい方)
といっておられます。
 ところが、金子大栄先生は、歎異抄を「三部に分けて見ることができる」といわれます。すなわち
 第一部 師訓篇 第一章から第九章まで。
 第二部 歎異篇 第十章から第十八章まで。
 第三部 述懐篇 「右の条々は」から終りまで。
と分けられるのであります。そして、第十章のはじめに「念仏には無義をもて義とす……とおおせそうらいき」とありますが、これは、
 「祖師(親鸞)の言葉でありますから、これも師訓篇の中へ編入すべきであると考えられて来ました。けれども、あの言葉は、真宗の教えは義なきを義とするということである、にも拘らず、同じこころざしで関東から、はるばる京都へたずねて来て、聖人の教えを聞いた人々の中に、義のないところへ義をつけておる人々がおられるということですから、あの一句もまた、歎異篇に属すると見るのが自然でないかと思うのであります」(親鸞教学第九号)
と、まことに留意すべき見解を発表しておられます。このように解すれば、さきの、序と第十章との照応は、きわめてはっきりすることになるわけであります。
 たしかに、古写・古刊本のすべてが「そもそも……条々の子細のこと」を第十章に含めておりますが、それは写伝上の問題でありましょう。この一段は前後の関係、内容などからみて、やはり「おおせそうらいき」で段落のあるものと解するのが自然であると思われます。

     b 大切の証文

 ところで、歎異抄の構成を考える場合、つねに問題となるのは、後序(第十九章)に
 「おおよそ聖教(しょうぎょう)には、真実権仮(ごんけ)ともにあいまじわりそうろうなり。(ごん)権をすてて実をとり、仮をさしおいて真をもちいるこそ、聖人の御本意(ごほんい)にてそうらえ。かまえてかまえて聖教を見みだらせたもうまじくそうろう。大切の証文ども少々ぬきいだしまいらせそうらいて、目安にして、この書にそえまいらせそうろうなり」
とあるところの「大切の証文」とはなにかということであります。
 これについても諸説がありますが、その一は、前半の師訓とする説であります。古くは、真宗大谷派の学匠、香月院(こうがついん)深励(じんれい)師、近くは近角常観氏などのとった見解であります。この場合、後半の異義を書くときに、前半は、すでに証文として存在していなければなりませんが、これについて小野清一郎氏は、「このような見解にも疑問はある」としながら
 「私は、前半十章の語録は、抄者が、かねて書きとめておいた多くの語録のうちから、この書をつくるについて『少々ぬきいで』て『大切の証文ども』として、これを歎異抄一部に編み込んだものであると推定」(歎異抄講話)
しておられます。増谷文雄氏もまた「前半十か条の語録をそれであるとするのが適当であろう」(歎異抄)といい、姫野誠二氏も、この説をとって
 「聖教の真仮判別の、異義批判の根拠として、本抄に、それ以上の大切の証文があろうとも思えない。……これをしても大切の証文といわないならば、抄者が何ゆえに、この十か条を特記したかの意味がわからなくなる」(歎異抄の語学的解釈)
とまでいっておられます。
 ところが、妙音院(みょうおんいん)了祥師は、『歎異抄聞記』によりますと、『教行信証』や『御消息』(親鸞の書簡集)からぬき出し、「流罪のところの一章は私にそえて」大切の証文といったのであって、やはり「紙に書いた聖教類の文証に違いない」と断定しています。
 そして、梅原真隆先生は、この説をうけて「添附された別冊、すなわち大切の証文の抄録が、いつのまにか散佚」したといい、巻尾に附記されてある流罪の一文は、「附録の別冊の断簡であろう」と推測されるのであります。
 上記の説にたいして、多屋頼俊先生は、「大切の証文ども少々ぬき出し……この書に添え」てとある点に注意して、それは「終の方に『少々』あるべきものである」といわれます。そして「この卑見にも一の難関がある」としながら、大切の証文とは、後序の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」と、及び「善悪の二、総じてもて存知せざるなり……ただ念仏のみ、まことにておわします」の二文であろうといっておられます。(歎異抄新註)
 このように、古来より近時にいたるまで、諸説さまざまであって、いまだに決定しませんが、明治末から大正時代以来、広く一般に用いられるのは、第一説であります。これによれば流罪のことを述べた附録の一文を、どのように解すればいいのかという問題を残すことになります。しかし、おそらく唯円は、序に
 「先師(せんし)口伝(くでん)真信(しんしん)に異ることを歎き、後学(こうがく)相続の疑惑あらんことを思うに……」
と、悲喜交る感情をもって、古今を憶いつつ、
 「故親鸞聖人御物語(おんものがたり)(おもむき)耳底(みみぞこ)にとどまるところ、いささかこれをしるす」
と述べたことからも知られるように、その身に刻み込んで忘れることのなかった師訓の光りをもって、現実におこなわれつつある異義の誤りを照破して、この歎異抄を書きしるしたのでありましょう。

     c 了祥の着眼

 さて、前半の師訓篇について、妙音院了祥師は、第三章と第十章にのみ「と、おおせそうらいき」ということばがあることに着眼して、次のようにいいます。
 「初めに、師訓を出す十章が二になって、初めは安心(あんじん)訓(ことに信心について教えることば)、これが 第一、第二、第三章。次が起行訓(ことに念仏について教えることば)、これが第四章より第十章までなり」。
 そして、了祥師は、これに章目を設けて、
 第一 弘願(ぐがん)信心章 アミダの本願に由来する信心を総説するもの。
 第二 唯信念仏章 「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人のおおせをこうむりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なき」ことを説くもの。
 第三 悪人正機章 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と、機の信心を説くもの。
というのであります。
 この、前三章の概要は、まず第二章には、アミダの本願の救済が自覚されるとき(即ち)、ただちに現生不退の心境が開かれると説き、第二章には、「よきひと」との邂逅(かいこう)は、すなわち念仏の法との出会いであり、念仏の教えは、この身のある現実に生きるところの、独立者を誕生せしめることを説く、そして第三章には、人間であることの自性は悪人であるとめざましめて、悪人成仏の道理を明らかにする、と、このように了解することができましょう。
 さらに、了祥師は、第四章から第十章までの七章は、表に親鸞のこころをあげ、裏には異義を払うものとして、それぞれ
 第四 慈悲差別章
 第五 念仏不廻向(ふえこう)
 第六 誡諍(かいじょう)弟子章
 第七 念仏無㝵(むげ)
 第八 非行非善章
 第九 不善不快章
 第十 無義為義章
と名づけております。
 このように、第一篇の師訓十章を通観して気づくことは、第二章をうけて展開する第二章と、第十章に帰入する直前の第九章とが、ともに問答形式で述べられている点であります。おそらく、これは、構成上、偶然のことではありますまい。広瀬(あきら)氏は、すでに「歎異抄における二つの問答」(真宗研究第六(しゅう))として注意しておられますが、ここには、対話をとおしてでなければ明らかにしがたいような、求道生活における問題点が、念仏の教え(第二章)を聞きつつ、念仏の世界(第十章)に還帰(げんき)する二点にとらえて示されたものだと思います。とすれば、師訓十章は、唯円によって、たくみに構成され編成されたものということができるのであります。
 この師訓にてらして批判される第二篇の異義を、了祥は、
 (一)誓名別信計(せいみょうべっしんのけい)    (二)専修賢善計(せんじゅべっしんのけい)
 第十一 誓名別信計(せいみょうべっしんのけい)   第十三 怖畏罪悪計(ふいざいあくのけい)
 第十二 不学難生計(ふがくなんしょうのけい)    第十四 念仏滅罪計(ねんぶつめつざいのけい)
 第十五 即身成仏計(そくしんじょうぶつのけい)   第十六 自然廻心計(じねんえしんのけい)
 第十七 辺地堕獄計(へんぢだごくのけい)    第十八 施量別報計(せりょうべっぽうのけい)

と整理しております。
 これは、「本願を信ずること」に(しゅう)する誓名別信計(せいみょうべっしんけい)に属するものと、「念仏もうすこと」に執する専修賢善計(せんじゅべっしんけい)に属するものとに大別されます。前者は、一念義のあやまりをおかすもので、概念派・観念派とでもいうべきもの、そして後者は、多念義のあやまりをおかすもので、律法派・実践派とでもいうべきものとみられます。
 以上、歎異抄の構成をとおして明らかなように、唯円のなすべきこと、なそうとしたことは、なによりもまず自己自身に「先師口伝の真信」を正しく受けつぐとともに、それを「一室の行者」に伝えて、信の疑惑をはらすことでありました。そのために、唯円は、当時の社会(教団)におこなわれている異義の中から
 「聖人のおおせにあらざる異義ども」
として、代表的なもの、八か条を選びとって、歎異批判するとともに、「耳底(みみぞこ)にとどまるところ」の師訓十か条を整理編集して「大切の証文」としたのであります。


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