2 第二章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 まえがき
  一 第二章の一  
  二 第二章の二  
  三 第二章の三   ? 
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  補 説  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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三 第二章の三 「ひとりに生きる」


   講 話 「ひとりに生きる」

東京オリンピックのこと
 やっと東京オリンピックが終りましたが、長い間つづいた興奮の余波は、まだ消えません。ぼくの頭の中にも、ついさきほど、テレビでみたオリンピックのフィナーレの情景がチラチラしておりますし、あの別れの歌も、まだ聞こえるような気がします。まあ、この半月の間、オリンピック一色で、毎日のようにテレビをみながら、いろいろのことを考えさせられました。みなさんにも、いろんなご感想がおありのことでしょう。
 そういう感想をお話しておりますと、今日の会が進みませんけれども、たとえば、サッカーチームが予想外の成績をあげたときに、ドイツのコーチですか、技術的には特にすぐれていたわけではないけれども、技術をカバーして勝ったのは「やまと魂」なんだろうといっておりましたね。長い間、聞くこともなくて、忘れていた言葉ですが、オリンピックで、しかもドイツ人から「やまと魂」という言葉を聞きました。ぼくの聞いたかぎりでは、日本の選手や、あるいはコーチの口から勝てぬところを勝ったのは「やまと魂」なんだというようなことはなかったように思います。そういうことで、特に考えさせられるということもありました。とにかく世界中の、いろいろな人びとが集まってきておられるわけですから、競技のあるごとに、いろいろ考えさせられました。
 ふりかえってみますと、このオリンピックは、東南アジアの新興国スポーツ大会に参加した人たちは出られないというようなことから幕をあけました。そういう問題は、ずっとオリンピックを通じてあるわけです。それから、昨夜は、京都で、「この歎異抄の会が今夜でなくてよかった」と思いながら、あの東洋の魔女、日紡貝塚チームとソ連チームのバレーの決勝戦をみておりました。
 とにかく、長い間、オリンピック・ムードが一杯で、それに、これまで四年間というものは、「オリンピックまで」という掛け声でやってきたわけですが、それが、いま終った。さあ、これからはどうなるんでしょう。そんなことが問題になってくるところの、ちょうど今日、この会がおこなわれるのは、いわば偶然ですが、しかしこれは、非常にいいことだったと思いますね。昨日なら、あのバレーの決勝戦に気が散って駄目だったでしょうし、明日になれば、また気分も変わる。だから、今日という日は、実にいい日だったと思います。
 こういうオリンピック・ムードにひたっております間に、よくわかりませんけれども、国際状勢にもいろいろ重大な変化があった。たとえば、ソ連の首相が交代するとか、英国でも政治面で変動があるとか、あるいは、中共の核実験だとか。そういう問題が相次いでおこっている。そういう世界の問題だとか、社会の問題というものは、わたしたちの生活と深いかかわりがありますので、つねに忘れるわけにはいかない。オリンピックが行われているからといって無関心ですますわけにいかないような問題が、次々とおこってきているわけです。それで、そういうことがあるんだということを念頭におきながら、これから歎異抄を読み進んでいきたいと思います。

いのちの歴史
 さて、いま第二章を読みつつあるわけですが、ここに語られている対話の内容というものは、今日のわたしたちが生きていくなかにおこってくるさまざまな問題、生活上の諸問題を解決するのに、すぐ役に立つとは思われないかも知れません。けれども、歴史を貫いて変らぬ人間の本質的な問題にたいしては、立派に答えを出してくれている。だから、その本質的な問題が解決することによって、やがて生活上の諸問題も解けていくということがある。と、そのように、わたしたちが、この世界に、この社会に、人間として生きているということを念頭におきながら、今日は、第四節と第五節を「ひとりに生きる」「独立者」というテーマでもって考えてみたいと思うのであります。
 それで、一般に、仏教はインドのお釈迦さまから始まった宗教だと考えられております。キリスト教はキリストから始まった、回教はマホメットから始まった。同じように、仏教は釈尊を始祖とする、こう考えるのが常識であります。けれども、ちょうどそれは、わたしたちのいのちがこの世にオギャーと生まれたときから始まったという考えと同じことになりますね。オギャーと生まれて、そして死んでいく、そのような生から死にいたる間だけが人生であるという。これは常識なんですが、わたしたちのいのちは、この世に生まれてきて、十年、二十年と生きて、やがて死ぬというけれども、果して、それだけのものなのかどうか。
 常識的には、いまいったようなことですませるのですが、しかし、ちょっと考えてみると、この世にわたしが生まれてくるには、このわたしを生み出した歴史の背景がある。ただ突如として、ポンと飛び出したというようなものではなくて、わたしのいのちには、歴史の背景がある。こういうことにすぐ気づきます。そのように、仏教は、なるほど、いまから二千余年前、インドのヒマーラヤ山麓のシャカ族の王子として生まれたシッダールタがさとりをひらいて、釈尊となった、ブッダとなったというところから始まったものにちがいない。けれども、釈尊には、釈尊を生み出した背景があるわけであります。
 釈尊は、インドにたまたま生まれたかにみえるけれども、シッダールタという一人間に、さとりをひらかせたものがある。ブッダたらしめた背景というものがある。だから、仏教は、ただ歴史というものを外面的にみて、釈尊から始まったんだではすまされない。そういう歴史の伝統ということを、第四節に
 「アミダの本願がまことであるならば、釈尊の説かれる教えが、うそいつわりであるはずはありません。ブッダの説かれるところがまことであるならば、(中国の)善導のご解釈に、うそをいわれるはずはありません。善導のご解釈がまことであるならば、法然のおっしゃることが、どうしてそらごとでありましょう。法然のお言葉がまことであるならば、親鸞がいうことも、まったく根拠のない、むなしいたわごとではあるまい、といえましょうか。」
と、このようにいってあります。

ひとりとひとりぼっち
 先回は、孤独という問題についても考えたわけですが、独生独死(どくしょうどくし)といわれるように、われわれは、一人生まれてきて、また一人死ぬ、そういう存在である。その「ひとり」ということについて「ひとりぼっち」という言葉であらわされるような一人もある。けれども、一人というのは、ただそれだけではないと思います。たしかに、ひとりぼっちの一人もありますが、先回の終りに、ちょっといいましたように、ひとりいても賑やかな一人というものがある。今度の案内状をみますと、「一人いても賑やかだということについては、よく考えねばならぬ」という意味のことがいってあります。が、やはり、わたしは、この一人ということに、二つのすがたがあると思うのです。
 われわれが.ひとりぼっちの一人を感ずるのは、どういうときか。たとえば、われわれ人間は地に立っております。われわれは人間である、ということは、動物のように四つ足で地を()っていない。二本の足で大地に立った、頭を天に挙げて立った。これが、人間の誕生を意味するわけです。人間は、大地に立って、天を仰ぐ。その天を仰ぐということですが、天を仰ぐことばかりに心を奪われているというと、われわれは、ひとりぼっちの一人になる。孤独になる。
 ところが、この一人の立つところに大地がある、と、足下をみれば、この大地には無数の衆生がうごめいている。われわれ人間は、いかに天に頭を挙げたといっても、天に向う頭の支えられるところは大地である。その大地には、無数の衆生がうごめいている。いのちある無数のものがいる。そして、この足下には、無数のいのちあるものと共に、また、山河がある。草木がある。これが、どうして、さみしいひとりぼっちか、孤独か、と、こういわねばなりません。
 このように、われわれの立つ大地には、衆生のいのちがある。それは、ちょうど、地上の樹には地下の根があるように、天に向ういのちの足下に、そのいのちの根があるということを意味するものでしょう。「母なる大地」という言葉もありますが、大地は、いのちのもとをあらわす。このように、われわれには、われわれを生み出した歴史の背景がある。
 この、いのちの歴史的背景というものを、いま「祖先」といいあらわすならば、われわれを生み出したものは祖先であるにちがいない。しかも、その祖先には、言葉にはならないけれども、無数の教えというものがあるのでしょう。無数の無言の教えというものがある。無意識の教えというものがある。そして、われわれは、この、無数の、無意識の教えと共に誕生したのである、と、こういっていいと思います。
 たとえば、身近な一例でいいますと、母親の乳を吸うというようなことは、だれも教えてもらったわけではない。教えてもらったわけではないが、知っておるでしょう。また、子を産むということを習ったわけではないけれども、ちゃんと知っておるでしょう。ですから、教えというものにも、二様ある。教えられて知るということにも二様ある。この世に生まれてから後で、親から聞き、先生から習うということをとおして、教えられて知っていくということと、それから、生と共にもう知っているようなこと。つまり、生と共にあるような無意識の教えと、生が展開するなかで教えられていくような教え、と。
 この教えを書き記したものを経典というわけですが、だから、いわゆるインドの言葉で綴った経典、それを漢文に翻訳した経典とは別に、無言の経典、無意識の経典というものがあると考えるならば、われわれは、そのような経典と共に誕生したのである。というよりも、むしろ、われわれが生まれたということが、その経典の力なのである、といわねばなりません。
 本能などという言葉をつかえば、あるいは、なんだ本能かといって軽蔑するかも知れませんが、その本能の純粋なもの、いのちの根本のはたらきとでもいうべきようなもの、それが、われわれの、いのちそのものなんでしょう。われわれが、生まれるには、そういう無意識の教えの力がある。その、無意識の教えを、意識でとらえ、意識の世界に明らかにして、われわれにわかる言葉で表現して教えてくださった地上最初の人、それが釈尊です。この地上において、最初に、その教えにめざめた人という意味で、ブッダ、つまり覚者といいます。そういう意味で、仏教は、お釈迦さまから始まったのだ、と、こういうわけです。

肉体の体験の経典『大無量寿経』
 わたしの尊敬する曾我量深先生の書物に、こういう言葉があります。実は、さきほどからもうしていることも、その書物のなかに書かれているのですが
 「如来は、その皮を紙とし、その骨を筆とし、その血肉を墨汁として、生きた聖教を創作された。その聖教は、我の肉体である」
と。そして、親鸞が、真実を説く極めて大切な経典としたところの『大無量寿経』、この『大無量寿経』は、「この肉体の体験の経典である」ともいっておられます。これは、『救済と自証』という書物にある言葉ですが、このほかにも曾我先生の思想とか信仰をあらわす書物は沢山あるわけで、みなさんも、そういうものを、しりごみしないで、ひとつ読んでみてほしいと思うのです。
 で、この、肉体の体験の経典などというと、なにか突飛なことのようですが、これは別に、肉体派の文学というような肉体とか、あるいは、快楽をむさぼる器官というような肉体ではないのでありまして、ここでいわれる肉体は、非常に厳粛なもの、わたしが生きておるということを、一点一角もゴマ化さないもの。それあるがゆえに苦悩するのだけれども、しかし、それあるがゆえに「われあり」ということのできるようなもの。そのような肉体の秘密というか、肉体をもって生きておるところのいのちの意味を、ほんとうに明らかにするという精神でもって書かれた経典、それが『大無量寿経』である。したがって、『大無量寿経』は、釈尊の肉体の経験の経典である。肉体の体験の記録である。単なる観念でもって創作したものではない、経験の記録である、と。この肉体というところに、われわれが、この身をもって生きておるという最も具体的なそして、非常に厳粛な、現実の問題があるわけであります。
 前にも注意しましたが、この第二章には、身ということばが三回も出てきます。「仏になるべかりける身」「いずれの行もおよびがたき身」そして「愚身の信心」などとあります。このように、親鸞が自分の信仰を語る時に、この身というのは、つまり、単なる我があるのではなくて、わが身があるのだ、ということです。
 ですから、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と表白されるのは、親鸞が、生きる事実というものを、いかにゴマ化さない人であるかということをあらわすものである。これは、この、生きる事実に立ち、生きる事実の中に見開かれた真実を語ることばである、と、このように思うのであります。

いずれの行もおよびがたき身
 で、ここに「いずれの行もおよびがたき身」ということばで、自力無効の自覚というものがあらわされております。あの、清沢満之先生のことばに「独立者は、常に生死巌頭(しょうじがんとう)に立在すべきものなり」ということばがありますが、この生死というのは、われわれの人生のこと。だから、生死の巌頭というのは、これが人生だ、これが世の中だと思うて生きている思いの果て、人生のきわということでありましょう。われわれは、さまざまな行為行動というものを、自力にたいする期待でもって行い、その行いの結果、いよいよ迷いを深くしていく。そういう人生のきわに立つ。「いずれの行もおよびがたき身」と知る。だから、親鸞は「とても地獄は一定すみかぞかし」といいきるのであります。
 ご承知のように、親鸞は、出家の身でありながら妻をめとった最初の人だということになっております。もっとも、坊さんで事実上の肉食(にくじき)妻帯(さいたい)をしたのは、以前からあったわけですが、ともかく親鸞は、公然と妻帯した。しかし、それは先立って、叡山に登って、そこで、ほんとうの出家になる、僧侶になるという目的をもって、青春の二十年を適します。けれども、その二十年の努力もむなしく山を下りた。それが、聖者の道にあっては、たとえ敗北であるにしても、もう、これ以上、聖の道を求めて行くことには耐えられない。どんな罵詈(ばり)暴言をあびせられても、ゴマ化すことはできない現実がある。それで、やがて肉食し妻帯するという生活に身を沈めていくわけです。それは、どうしてか。どうして親鸞は肉食妻帯をしたか。それは、端的にいうならば、この身があるということでありましょう。あたりまえのことだといえば、あまりにもあたりまえのことなんですが、それでも人間というものは、この身の現実をみないで、天を仰ぐ、どこまでも天にむかいたいと思う生きものなんだということを忘れてはならぬ、と、こう思うわけであります。
 それで、もし、われわれが肉体をもたないのなら、人生のいろいろな問題など起ってくるはずはありません。この問題の原因というものを、仏教では、煩悩(ぼんのう)といいますが、その煩悩というものは、譬喩(ひゆ)的に表現しますと、肉体に寄生するものである。その肉体に寄生する煩悩によって、われわれは右往左往させられている。それが「われ」である、自分である、と、こう思うているわけであります。一応は、そうでありましょう。この肉体があるからこそ、苦しみ悩むのである。それを、わたしたちは、自分だと思うている。
 けれども、よく考えてみますと、それは、自分だと思っている思いであって、もし、それがほんとうの自分なら、わたしたちは人生問題に行き詰まるたびごとに、自分自身もどうかなってしまうにちがいない。思いが壁にぶつかると、自分も、また、ニッチもサッチもいかなくなる。思いが変わると、自分も変らざるをえない。しかし、ほんとうの自分は、はたしてそんなものだろうかと、再度考えてみますと、この身というものは、そんなことにかかわりなく、たんたんと生きている、本能のままに生きています。

法蔵菩薩の願い
 そのようにですね、自分だと思うているのですけれど、思うているというかぎり、そう思われているものがあるはずです。そう思うている意識の底に、そう思われて生きているような、いのちの根がある、いのちそのものがあるわけです。
 それは、煩悩がなにを考えようとも、なにをやらかそうとも、虚心平気で受け入れていくようなものである。どんな差別も、どんな限定も、みな素直に受けて、それから逃げ出そうとしない。自分でタネをまいていながら、困ったことが来ると逃げ出そうとするのが煩悩ですけれども、その煩悩にたいして全く苦情をいわない無心の心がある。それは、煩悩が右を選べば右に行く、左を選べば左に行く。そういう意味で、一見、非常に受動的にみえるけれども、すべて主体的に自己として受けとめていくような、全く積極的な心であります。
 無明(むみょう)の煩悩というものは、わたしたちを、いったいどこへ連れていくのかわからない。わたしの人生に、いったいなにをもってくるのかわからない。けれども、たとえ、どんなになるにしても、それに身を同じくしていくような心、それを受け入れて自己としていく心。でありますから、われわれは苦しめられ、迷わされているんだといいますならば、この心は、苦しめられることを苦しんでいく、迷わされることに迷っていく心とでもいうべきなんでしょう。こういう心を、お釈迦さまは、法蔵菩薩の願いの心だといわれます。

一人ひとりの自身
 この願心というものは、アミダの心なんだといってもいいのでしょうけれども、それを、そういわないで、アミダとなる法蔵菩薩の心、アミダの因位(いんに)の心だといいます。実は、ここに深い意味がありますね。
 「たとい身を、もろもろの苦毒の中にとどむとも、わが行は精進にして、忍んで(つい)()いず」、というようなアミダとなろうとする心、すなわちそれが、法蔵の志願でありますが、お釈迦さまは、このようにして、人間が生きているということの秘義といいましょうか、意識の底に秘めてもつ深層のすがたを明らかにして教えてくださる。でありますから、曾我先生は、これによって「法蔵菩薩は我である」といいきられます。つまり、われわれは煩悩によって迷うている。だから、われわれが、我だと思うているものは、ほんとうの我ではなくて、我執なんだ、我だと(しゅう)しているのであって、我そのものではないんだ。法蔵菩薩こそ我である。
 「法蔵菩薩よ、汝は我である。汝こそは、我の久遠の現実相である。我は、ただ、汝を見ることに依りて、我自らを見る。汝は、救われたる我である。救わるべき、我の姿である」。
曾我先生は、こういいきってですね、そうして、我の出現する歴史的背景として、法蔵菩薩を発見されております。
 だから、われわれは、よく仏教徒は、いったいなにをしておるのか、釈尊に帰らなきゃ駄目じゃないか、真宗教徒は、親鸞に帰るべきである、と、こういうことをいいます。一応、そのとおりでありまして、釈尊に帰る、親鸞に帰るということを真剣に考えなきゃいけないと思います。が、それを、もう一歩、押していいますと、われわれは、ただ釈尊に帰ることを目標にしたのでは駄目である、われわれは、ただたんに親鸞のところに帰るために生きておるのではない、と。
 つまり、釈尊に帰るということは、釈尊のこころに帰るといいますか、釈尊の生きた道が、わが道になるということでなくてはならぬ。親鸞の生きた道が、われわれ一人ひとりの道でなくちゃならぬ。この一人ひとりの背景に、法蔵菩薩がある。これが、一人ひとりのわれ自身なのでしょう。釈尊は、釈尊のわれ自身の道を生き、親鸞は親鸞のわれ自身の道を生きた。その道において、われわれにもまた、一人ひとりのわれ自身に生きる道が開かれるのである、と、こう思うのであります。

教えの伝統
 それで、親鸞聖人は、自分に自信を与える教えというものの、一番の根源にさかのぼって、そうして
 「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもてむなしかるべからずそうろうか。」
といいます。ここには教えの伝統というものが語られている。ですから、ここに名前のあがっている人たちには、その人たちが生きた大地があるわけです。そこには、一切の衆生が生きた歴史があるわけです。
 ところが、その歴史のなかから、いま、とくに、釈尊と善導と法然とが選ばれています。これは、釈尊はインドの人、善導は中国の人、法然は日本の人ということで、三国を代表するとも考えられますが、ただ、それだけの意味ではないと思います。
 親鸞にとって、法然は「よき人」である。もし法然に出会わなかったら、この道は開かれなかった。それで「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人のおおせをこうむりて、信ずるほかに、別の子細なきなり」と。この、よき人は、いうまでもなく法然でありますが、法然は「(ひとえ)に善導一師に依る」(偏依善導一師)といわれる。善導がいなくては、法然の道は開かれなかった。それで、親鸞の作られた「正信偈」(正信念仏偈)をみますと
  善導(ぜんどう)独明仏(どくみょうぶつ)正意(しょうい) (善導ひとり仏の正意を明らかにして)
とある。中国の唐時代、そのころ、善導ひとりが、ブッダのほんとうの心を正しく知っていた。歴史の中で、善導の果した役割は非常に大きい。そういう意味で、特に善導といわれる。
 そして、その善導にとってもよき人であり、この世において、はじめてブッダとなり、アミダの心にめざめたという意味で、釈尊の名が出てくる。釈尊は、人類の教主である。そして、その釈尊の背景に、アミダの因位、法蔵菩薩まします。こういう意味で、アミダ、釈尊、善導、法然、親鸞というように、教えの歴史が語られるわけであります。

アミダとシャカと七人の高僧
 ところが、「正信偈」をみますと、インド、中国、日本へと伝わった仏教の歴史が、さらに詳しく述べてあります。まず、はじめに
  帰命無量寿如来 (無量寿の如来に帰命し)
  南無不可思議光 (不可思議光に南無したてまつる)
とありまして、それから
 「法蔵菩薩、因位(いんに)の時、世自在王仏の(みもと)(ましま)して、諸仏浄土の因、国土人天の善悪を覩見(とけん)して無上殊勝の願を建立(こんりゅう)し、希有の大弘誓を超発(ちょうはつ)せり」。
無上殊勝の願、つまりこの上もなくすぐれた願い。希有の大弘誓、つまり、たぐいまれな大きくて弘い誓い。これは、どちらも法蔵菩薩の願いですね。そして、それから、無意とか無辺とか、あるいは清浄といった十二種の光の名をあげて、アミダのすがたを述べ、そのあとを、釈尊について、
 「如来、世に興出(こうしゅつ)したもう所以(ゆえん)は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」。
お釈迦さまや、諸仏如来が、この世に出られたのは、ただアミダの本願、法蔵の本願を説くためであった、と。
 このあとに、インドには、まず最初に龍樹菩薩(ナーガールジュナ)が出現された。龍樹が出て大乗無上の法を宣べられた。つまり、自分だけがすくわれたらいいんだというような狭い了見をすてて、自分のすくいを万人のすくいと共同するといいますか、みんながすくわれる道をもって自分のすくいとするという、すぐれた教えを説くとともに、自分みずから率先して、それを実践された。
 ついであらわれた天親菩薩(ヴァスバンドゥ)が『浄土論』という書物を造って「無碍光如来に帰命したてまつる」といわれる。自分のいのちはアミダにはじまるということに気づきました、と、こういって『浄土論』を造って、そうして、いのちの秘義というものを明らかにしておいでになる。
 それから、中国の曇鸞大師は、まず龍樹の教えを学ばれたのですが、やがて天親の『浄土論』を註釈して『浄土論註』を書かれた。また道綽禅師は『安楽集』を作って、念仏を説く浄土教は、一切の人びとがすくわれる、ただ一つの道であるということを明らかにされた。
 その道綽の教えの中から、善導大師が出られて、徹底して『観無量寿経』を読まれて、それを解釈し、また「二河(にが)譬喩(ひゆ)」というものをつくって、人生と宗教の意味を明らかにしてくださった。
 このあと、日本にとびますが、伝教大師(でんぎょうだいし)が開かれた比叡山の歴史の中から、源信僧都(そうず)が出られて『往生要集』を書かれたが、それは、また、念仏について明らかにしてくださったものである。
 そして、自分(親鸞)の師匠、つまり法然ですね。この法然こそ、日本に、はじめて浄土真宗を開宗された方である、と。
 この七人の方がたを、七祖(しちそ)とか、七高僧とよびますが、この最後のところに
  道俗時衆共同心(ぐどうしん) (道・俗時衆、共に同心に)
  唯可信斯(ゆいかしんし)高僧説 (唯、()の高僧の説を信ずべし)
とあります。ただ、この高僧たちの説かれるところを信ずべきである。この、「信ずべし」というのは、なにも、お前たちは信じよ、と、そういうことではないのですね。「信ずべし」と親鸞が親鸞自身に聞いている。親鸞が、ほんとうに信ずべきものは、ただ、この高僧の説のほかにはなにもない、と、こういうように教えの伝統の中に、自分も加えられていく。だから、この説を信ずるということは、親鸞にとっては、全く肝要のことだと述べられるわけです。
 いま、この歎異抄には、釈尊、善導、法然というように、三人の名前が出ておりますが、「正信偈」をみますというと、釈尊のあとに、七人出てくる。そして、最後の結びに「ただ、この高僧の説を信ずべし」とありますが、これがつまり「親鸞がもうすむね、またもてむなしかるべからずそうろう」。

教主と救主を混同してはならぬ
 ここで、こういうふうにもうしてきましたから、どうしても一言もうして注意しておきたいと思いますことは、われわれにとって、教主、つまり道を教えてくださる人と、それから教主、すくいの主とを、一緒に混同してはならぬということです。ここで教主というのは、いわゆる歴史上の人物です。歴史上の先覚者といってもいいのですね。
 これは、仏教とか、あるいは宗教の場合だけでなしに、すべて道を求めていく場合、教えてくださる主人公というものが出てくる。わたしたちは、ややもすれば、教主と救主を混同しがちですが、そうなると、たいへんな間違いが起ってくる。たとえば、教主が、「われに来たれ、われは、なんじをすくう」というておるとしたら、これは、ちょっと(まゆ)ツバものですね。眉にツバつけて用心しないといけない。警戒しないといけない。そういうように、仏教からは批判をしますし、警告をします。
 「二河の譬喩」をみますと、道を求めて歩んでいながら、死の恐怖に足がすくんでしまった人つまり求道者が、いろいろ思い惑うたあげく、
 「既に此の道あり、必ず渡るべし」
と決断する、前に向って、水火の中に進んで行こうと決断します。と、同時に、その求道者の背後から、釈尊の声が聞こえる。
 「仁者(きみ)、ただ決定して此の道を尋ねて行け、必ず死の難なし、もし(とど)まらば即ち死せん」
と、その人を励ます。そして求道者が向って行く前面から、アミダの声が聞こえる。
 「汝、一心正念にして直ちに来たれ、我、()く汝を護らん」。
つまり、「直ちに来たれ、我に来たれ」と呼びかけるのは、釈尊ではなくて、アミダである。釈尊は、「その道を自信をもって行け」と教えている。この点によく注意しなければなりません。
 いつの場合でも、「きみは、きみ自身の根源に帰る道を行け」と教えるのが、教主でありますそして、「我に帰れ」と呼びかけているのが、一人ひとりが帰るべきいのちの故郷、すなわちアミダであります。ですから、キリスト中心のキリスト教、釈尊中心の仏教などは、慎重に、それがほんとうかどうか、よく吟味し批判しなければならぬと思います。
 また、こういうことは、既成の宗教といわれているものにだけある問題でなくて、人間がいるところには、どこにもついて廻るような問題です。そういう問題と人間とは、きってもきれないような強い絆で結ばれている。ですから、たとえばマルキシズムにしても、マルクスという人を尊敬するあまり、その人なり思想なりというものに固執して、「マルクスはこういった、ああいった」と、それに金縛(かなしば)りになっているのは、それは、ほんとうのマルキストでなくて、マルクスの奴隷になってしまっているんだともいえるでしょう。
 そうでなくて、釈尊を生み出し、キリストを生み出し、親鸞を生み出し、またマルクスを生み出したところの歴史の背面、世の中のあらゆる先覚者を生み出した背景ですね。われわれは、まずもって、そこに着眼しないといけない。その背面を親鸞は「アミダの願い」と信じているのですが、われわれもまた、尊敬する多くの先覚者を生み出した「願いの世界」に生きるものとならなきゃならない。そうでなければ、われわれは、必ず何かの奴隷になってしまって、いのちを終る。実は、そういう絆から解放されよ、解脱せよと語っているのが仏教であります。
 そういう意味で、われわれは、たとえば、キリストの教え、マホメットの教えに素直にうなずけない、あるいは、日蓮上人の教えに素直に従えないわけです。つまり、日蓮上人の説法を聞いていると「みなのもの、我に来たれ」といっておられるようであります。また、キリスト教は神のすくいを説くのだけれども、なにかキリスト中心という感が強くするのです。

前面にアミダ・背面に先覚者
 これは、その宗教のよび名によっても知られることなんですが、日本の仏教の各宗のなかで、開祖の名をもって宗名(しゅうみょう)とする代表は日蓮宗ですね。まあ、ほとんどが、教えの中心になるものを名にして、真言宗とか、禅宗とか、浄土宗というようにいいます。総じて仏教は、釈迦の教えにちがいないけれども、釈迦教といわないでブッダ(覚者)の教えだといいあらわします。それにたいして、マホメット中心の宗教をマホメット教という、キリスト中心の宗教だからキリスト教という。なんでもないことのようですが、「名は体をあらわす」で、こういう宗教のよび名に、おのずから、その教えの性格というものが出ているともいえましょう。
 それで『バイブル』の「マタイによる福音書」をみますと、あの有名な「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな、反って剣を投ぜんために来たれり」という言葉のあとに
 「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者は、わたしにふさわしくない。自分の(いのち)を得ているものはそれを失い、わたしのために自分の命を失っているものは、それを得るであろう」
とありますね。こういう言葉は、わたしたちを大いに啓発します。大きな宗教的・啓蒙的な役割を果すものなんですが、一点間違えば、わたしたちを奴隷にしてしまいます。
 もっとも、まえにもいいましたように、宗教とは完全な奴隷になりきることだという考え方をする人もあるようですね。「いっそうのこと、奴隷になりきれたらいいのに」なんていう人もあります。しかし、信仰によって罪の奴隷から解放されるとしても、新しく教主の奴隷になるとしたら、それは、ほんとうの宗教といえるかどうか。これは、いうまでもなく自明のことでありましょう。ですから、くりかえして申しますと、教主というものは、われわれの行く手から招くのでなくて、むしろ、われわれの背後にある。そして、行く手にあるものこそ、救主すなわちアミダであるといわねばなりません。

奴隷からの解放
 つまり「二河(にが)譬喩(ひゆ)」によって明らかなように、求道者は、水(すいか)の二河、つまり、この業縁生死の人生を距てながら、しかも、アミダと対面し、アミダに直結している。そういう自覚を、親鸞は「愚身の信心」であるといいます。そして、釈尊をはじめ多くの先覚者や祖先たち、あるいは十方の衆生のすべては、背後にあって、「仁者(きみ)、此の道を尋ねて行け」と発遣(はっけん)するのです。
 これは、なにか特別な状態といったものではないのでありまして、人生のあり方というものの基本的なかたちであるといってもいいかと思うのであります。つまり、家庭においても、学校においても、どういう場合でも、問題がおこるのは、なにかが自分の前に現われる。アミダではないなにかが前に立ちはだかる。そうして、その前に現われたものと自分とを比べて、あれこれ思案したり計算したりする。
 たとえば、それは友人であることもある。ときには、先生である場合もある。つまり、前になにかが現われるということは、とりもなおさず自分と比較することなんですが、比較するかぎり「おれの方が上だぞ」と優越感を抱いたり、「おれは駄目だな」とコンプレックスに悩んだりする。自分は上だと思うにしろ、下だと思うにしろ、いずれにしても慢心であることにかわりはないわけで、この慢心によって行く手がさえぎられるところに人生の諸問題が発生するわけです。
 しかし、生の事実というものは、何度も申しますように、二河の人生を距てながら、一人ひとりが、アミダと対面しアミダに直結しているのでありまして、一切のもの、一切の人びとは、わたしの背面にある。こういう生き方、こういうあり方を発見するところに、ほんとうの奴隷からの解放があるわけです。ここで明らかにしようとする「ひとりに生きる」生き方、「独立者」といわれるような生き方が、ここに、はじめて開かれてくるんだ、と、こう思うのであります。「負うた子に教えられて、浅瀬を渡る」という言葉がありますが、たとえ子供であっても、わが子であっても、その声は、自分の背後から道を教えるものであります。道に発遣する声であります。

ひとりとふたり
 いま、第二章の対話を終るにあたって、親鸞は、
「このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、めんめんのおんはからいなり」
といっておりますが、ここに、「一人ひとりのご自由です」「あなた方一人ひとりの決断にかかっております」と、いやおうなしに「ひとり」に立たせる。一人に立って、そうして、あなたの人生を行きなさい、と、このように教えております。
 ここで、またキリスト教の話を思い出すのですが、キリストは、ご承知のように、異邦人のなかで、非常に困難な状況のなかで伝道しました。それで、「ルカによる福音書」をみますと
(しゅ)は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。そのとき、彼らに言われた。『……さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。』……」
とありますし、また、「マタイによる福音書」には
 「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう」
と、伝道の注意をこまかにいっております。いうまでもなく、イエスは、十字架にかかって処刑された。そのことからわかりますように、伝道には随分苦労されたにちがいありません。そういう体験から「へびのように賢く、はとのように素直であれ」ともいわれるのでしょうし、また「ふたりずつ」用心深く発たされたのでありましょう。
 が、お釈迦さまは、伝道者たち(比丘(びく)たち)が出発するに先立って、こういっておられます。つまり
 「比丘らよ、遍歴せよ。衆人(しゅにん)利益(りやく)のため、衆人の安楽のため、世間にたいする哀れみのために、神々と人間の福祉・利益・安楽のために。一つ(の道)によって二人して行くことのないようにせよ」。(「律蔵・大品工、大犍度11-2」より)
これが、お釈迦さまの「伝道の宣言」といわれるものですが、この「二人して行くことのないようにせよ」、つまり「一人して行け」という言葉のなかに、「ひとりに立て」という教えが聞こえてきますね。これが仏教の精神なんですが、やっぱり、法然も、門弟たちにむかって、「自分のなきあと、一所に集合してはならぬ」と教えたということが、法然の言行録として、親鸞みずからが輯録(しゅうろく)した『西方(さいほう)指南抄(しなんしょう)』という書物に書いてあります。だから、親鸞は、その教えの流れを汲んで、そうして、しかも自分の生きた体験というものをとおして、いま「めんめんの御はからいなり」というのです。つまり、「ふたりして行け」でなくて「ひとりに立て」というわけです。決断は各自の上にある。いずれをとるも自由である。しかし、その決断の結果、たといなにがやって来ても、その責任は一人ひとりが負うのだ、と、こう教えております。

青色青光・赤色赤光
 この、一人ということで思うのですが、哲学の言葉でモナド(monand)ということをいいます。単子つまり「モナドには窓がない」。まあ、ライプニッツという哲学者のモナド説は、いったいどういうものか、わたしにはよくわかりませんがこの「モナドには窓がない」ということを自分勝手に解釈してみる、といいますか、こういう言葉を手掛りに自分の思うところを申しますと、一応、窓がないということは、我執のカラにとじ閉められて、内と外とに交流がない、孤独な、ひとりぼっちの世界を作っている、と、こう思われますね。が、しかし、窓がないということは、窓を必要としないということを意味するのではなかろうか、と考えてみるのです。
 外の世界にたいして内があり、そこに窓が考えられるというのでなしに、窓のない、モナドこそ、ほんとうの世界である。世界の中にモナドがあるのでなしに、世界全体を自己とするようなあり方、そういうあり方をモナドという、と。これは、わたしの勝手な考えですが、親鸞のいう「ひとり」には、そういう意味があると思うのです。
 これは、かって東京に居ます頃、曾我量深先生のお伴をして、関東地方の親鸞の旧蹟を参拝したことがありました。バスで廻ったのですが、あるお寺の前に掲示板が立っている。そこで、先生は、ちょっと立ち止って、それを読まれました。そこには、「一切衆生の苦悩を、わが心の中にみる。そういう人間でありたい」というような意味のことが書いてありました。先生は、じっとそれを読んでおられましたが、ふと「あらゆる人びとを自分とするのが仏の心でしょうね」とだれにいうともなくつぶやかれた。わたしは、たまたま、そのすぐ側にいたので、それを聞きとった。そして、いまもよく覚えております。
 「自分の中に一切をみていく」といっただけでは、十分に仏教をいいあらわすことにはならないので、「一切を自己にみる」ということは、「一切の中に自己を見出し、一切をもって自己とする」ということでなければならない。仏心とは摂取不捨でありますね。他を自己に包み、包むところの他をもって自己とする、といいますか。摂取して、しかも捨てない。そういう心に見開かれた世界を、親鸞は「ひとり」というのでしょう。ですから、信心の世界は、一人いても賑やかなんですね。
 どんな生き方をしているものにも、どんなに苦しんだり悩んだりしているものにも、その上に自己をみる心。一切衆生を自己とする心。そういうような深い心、広い心を仏心という。そのような仏心をいただいて生きていく。そのような生き方にめざめる人、それが自信のある「ひとり」である、と、こう親鸞は教えております。
 『阿弥陀経』というお経をみますと、そこに「青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光、赤色赤光(しゃくしきしゃくこう)白色白光(びゃくしきびゃくこう)」という言葉があります。青には青の光あり、黄には黄の光がある。実は、こういう言葉でもって、それぞれ独立しているんだが、その独立のままが平等であるということをあらわすんですね。青と黄と、赤と白とは、たしかに違った色ではあるけれども、違ったままが一つである。光りとして一つである。その光りとして一体であるような世界をアミダの浄土というわけであります。

めんめんのおんはからいなり
 それで、第二章の第四節には、まず教えの伝統というものの本源が、「弥陀の本願」にあることを明らかにし、そして、釈尊の説教、善導の御釈、法然のおおせ、これみな、まことである。であるならば、「親鸞がもうすむね、またもて、むなしかるべからずそうろうか」といわれる。親鸞のことだけは「か」というように述べて断定しないわけですが、こういう表現のなかに、かえって親鸞の強い自信が響いておりますね。そうして、
 「せんずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし」
といわれる。ここに、この長い対話が、ようやく終ろうとしているわけですが、これまでお話したことで明らかなように、この対話の一句一句には、親鸞の生涯をかけて歩んだ求道のあとが秘められているわけです。その全生涯をうけて、いま「愚身の信心」といわれるのです。まあ、いってみれば「もう、いうべきことは、なにもかもいいつくしました」というような心境でしょうか。「わたしが、いうことのできること、また、いわなきゃならぬことは、みな、いい終えました」。それで
 「このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、めんめんのおんはからいなり」
と結ばれます。
 とにかく、最後になって「めんめんのおんはからいなり」というのですから、これは随分、冷酷な言葉だと思う人があるかも知れません。折角、関東から、いのちがけでたずねて来ているのだから、もう少しなんとか、いいようもあるのでなかろうか、と、そう思うかも知れない。あるいは、また「みなさんのご自由になさい」というのだから、親鸞は自信満々だと思えるかも知れません。
 小野清一郎という人、この人は、東京大学の名誉教授で、法学の先生ですが、親鸞聖人の教えに深く帰依しておられる。この人の書かれた『歎異抄講話』をみますと、第二章の文章を読んでいくと、これは親鸞がやや興奮しながら語ったものであることがはっきりわかる。「興奮という以上に、或る憤りさえも感ぜられる。弟子たちは叱りつけられている、と私は感ずる」といってあります。そういうふうにみれば、最後の言葉など、随分きびしい語気のあらい言葉に聞こえるようですね。「これだけいってもわからぬか、わかってくれないか。もう、いうべきことは、みないった。このうえは、めんめんのお考え次第、勝手になさい」ということになるのでしょうか。

活眼を開く
 しかし、わたしはですね。この最後の一句に、まずなによりも親鸞の非常な自信を感じます。自分をたよって関東からはるばる尋ねてきた同朋たちの心持ちは、よくわかる。師の法然と生き別れ、死に別れて以来の、あの苦難にみちた求道の戦いをかえりみれば.いやというほどよくわかる。しかし、だからこそ親鸞は「めんめんのおんはからいなり」というのである。「ひとり」に立たなければ、ほんとうの道は明らかにならぬのだ、と、こういえるところには自信があるわけです。
 しかも、その自信には、相手を無視した思いあがりなんかじゃなくて、深い愛情が感じられます。自分をたよって来ているんですから、人間の心なら、「ああ、よしよし」と相手をあまえさせてやりたい、自分の身元においてやりたい、と、こう思うのが普通でしょう。しかし、親鸞はそんな間違った小慈悲にとらわれていない。シシは、わが子を一人前にするために険しい崖から突き落すといいますが、「そなたは、そなた自身の道を行け」と、発遣(はっけん)する。たとい、突き離してでも知ってほしい、めざめてほしいというような、大悲同感の深い愛情を感じます。
 それから、また、二十年、三十年と道を一緒に歩んできた人たちなんですから、この間には、いろいろと自分にいえるかぎりのことはいった。けれども、これまで長い時間をかけて、語りつづけてきたこと、わかってほしいことは、この人びとにはわかってもらえないのだろうか、とそういうような自分の力のいたらなさにたいする深い懺悔(さんげ)と痛みもあると思います。
 言葉に出しますと、そのように、いろいろいうことができるわけですが、それらを内に包んで「めんめんのおんはからいなり」といわれる。つまり、強い自信と深い愛情と厳しい自己批判が同朋にたいして「ひとりに生きるものとなれ」と語りかけるのでありましょう。
 ですから、もし、この最後の一句がなかったならば、第二章の長い対話も、結局、死んでしまうと思いますね。「画龍点晴(がりょうてんせい)を欠く」といいますが、どんな立派そうな画を絵いても、目玉一つ入れ方がなっていないと、絵画全体が死んでしまう。そういう意味で、この最後の一句は、われわれに活眼を開く言葉であります。

独立者のことばが独立者を生み出す
 さて、これまで三回にわたって、第二章を読んできましたが、まず親鸞の念仏生活、九十年の生涯を貫いて変らぬ求道生活は、法然との「めぐりあい」に開かれたものである。それが、「地獄一定」というような人生の現実を見きわめて、そうして「ひとりに生きる」ということが、どんなにすばらしいことか、と、このように第二章は語っているわけであります。
 だから、わたしは、この「めんめんのおんはからいなり」という親鸞の言葉は、いわば独立者の宣言とでもいうべき言葉だと了解しております。しかも、この独立者の宣言というものが、これを聞くまでは、「ああでもあろうか、こうでもあろうか」と惑うておった同朋たちを、それぞれ独立者としたということに注意しなければならぬと思います。
 親鸞は「とても地獄は一定すみかぞかし」といいますが、同朋にとって地獄とは、後にして逃げ出してきた関東なんでしょう。関東は温乱している。解決を得ないでは、じっととどまっていることはできない。このままでは死んでも死にきれない。だから、無事に行き着けるかどうかあやしいけれども、そんなことをいってはおれない。「身命(しんみょう)をかえりみず」に野を越え山を越えてはるばる親鸞をたずねた。ところが、いまは、その、死を覚悟してまで逃れ出てきた地獄のような関東、背後にしてきた東国に向って、親鸞を後にして帰っていった。帰っていけるような人になった。
 つまり、そのとき、同朋たちが、関東へ帰って行ったからこそ、今日われわれが、関東の原始教団と呼ぶところの、事実としての如来の教団が誕生したではないか。ということは、独立者の言葉が、地獄のような水火の中にむかって、歩んでいける独立者を誕生せしめたところに、もうすでに、後に原始教団といわれるものの発生をみることができる、と。こう思いますと、最後の一句の意味が、いかに深く大きいものかということを痛感するわけであります。
 こうしてはっきりしてきたことは、同朋たちの問題の発端は、教団(社会)の混乱のなかにあり、その混乱のなかにある不安がじっとしておれなくしたのでしょうが、いろいろ親鸞の話を聞いているうちに、そのような問題の根本原因は、実は、信仰が純粋であるか不純であるかというところにあるということがわかってきた。そういう意味で、第二章の問答は、今日、われわれが生きていく信念というものと、そうして社会の問題、世界の問題との関係を考える上で、非常に大切なことを教えてくれる問答であると思います。

ひとりに生きる力
そろそろ時間もまいりましたし、以上で、だいたい第二章について話したいこと、話すべきことは、ほぼ話し終ったのでありますが、最後にもう一言、申したいと思います。というのは、この第二章の対話がなされている状況や、そこに語られていることの真相、真実というものからわかりますように、大衆というもの、衆生というものは、いつの時代にも、業縁の人生に苦悩し流転するものであります。どこまでもどこまでも流転し続けるもの、苦悩しつづけるもの、これが大衆である、衆生である。しかし、この苦悩の流転を離れては、大行(だいぎょう)の実践ということもありえない、と、このように教えるのが仏教であります。
 もっとも、この共通の人生を離れて道を求めようとするような宗教があります。それは、なにも超俗的な出家だけではないのでありまして、関東を逃れて親鸞をたずねた同朋にもありましたように、念仏を信ずる人のなかにも、現実逃避の心がひそんでおります。そして、それが混乱のなかの不安であったわけですね。
 が、やがて同朋は、一人ひとり、自分自身の足で関東に向う人になった。ということは、この業道の人生に、大行実践の意味が与えられていることに確信をもったからでありましょう。そのような、流転の歴史のなかに、大行の歴史を発見する活眼(かつがん)、それが大信であります。つまり、信というものは、この業苦の人生を引き受けて、そうして、この生を転じて大行というような大きな価値のある生を転開するものである。だから、われわれは、この信を契機として、大行の歴史に参加し、歴史を承けて、新しく歴史をつくるものとなるのである、と。こういうことは、さきほどもお話しましたように「二河の譬喩」などからも、はっきりと知ることができるわけであります。
 この信心について、親鸞は、
 「信は願より生ずれば、念仏成仏自然(じねん)なり」
といっておりますが、これはですね、信心は願いの自己表現である。めざめとか決断とかいわれる信というものは、深い願いに裏づけられているんだということです。
 すでにお話しましたように、願いは、多くの先覚者を生み出したもの、無数の祖先を生み出したものでありますが、それはまた、十方の衆生のささえとなっているものであります。いかにも願いは、永遠でありたい、無㝵(むげ)でありたい、自由でありたい、平等でありたい、平和でありたい真実でありたい、と、さまざまに表現されますけれども、その根っこをおさえれば、ただ一つ。それをアミダの本願というのであります。
 それで、信はアミダの本願から生まれたものであるから、ナムアミダ仏(念仏)は、そのアミダのさとりに直結しているのだ、と、こういう自信、こういう信念が、親鸞のいうところの「ひとりに生きる力」なんだと思うのであります。つまり、ひとりに生きるということは、力強い願いの道を進むものとなることであります。

急ぐべき最大の仕事
 では、そのような願いは、いったいどこにはたらいているのか。それを親鸞は、地獄のただなかにはたらくと感知しております。だから「地獄は一定すみかぞかし」ということができるのです。たしかに、外から見たり考えたりしている地獄には、叫喚(きょうかん)あり焦熱(しょうねつ)あり阿鼻(あび)ありで、随分おそろしいところであります。しかし、親鸞は、そこに自分の決定的なすみかを発見しています。すなわち、地獄とは衆生の生存するところである。衆生とともに生きるところである。そこは、極楽とは対照的な極苦の世界でありますが、親鸞はそこに身を沈めて生きぬくのだというのです。
 ですから、ひとりに生きるということは、ただ、ひとりぼっちに生きるのではありません。ひとりぼっちは、ある意味では静かですけれども、しかし淋しい。この孤独が淋しいのは、エゴイスティックな心でつくった閉ざされた世界にいる証拠なんでしょう。ほんとうは、こんなに無数の衆生とともに生きていて賑やかなのに、それを淋しいといっている。だから、そのような閉された世界を、真実の世界ということはできません。それは化土(けど)だといわねばなりません。つまり、化土とは、ひとりぼっちの世界であります。それにたいして「地獄一定(いちじょう)」の自覚に開ける世界は、一切の衆生を内景とするところの、まことに賑やかな「ひとり」の世界であります。
 ですから、いま、第二章において親鸞は、そういう「ひとりに生きる」自信というものが、自分には、法然にめぐりあい、法然の説く念仏の教えにあうことを機縁として開けてきた、だからみなさんも、どうか、それぞれが自信をもって「ひとりに生きる」ことのできるような人になってくださいと語りかけている。つまり、わたしたちが、それぞれ「ひとり」にめざめること、「ひとりに生きる」ものとなることが、最も急ぐべき最大の仕事である、と。わたしは、このようなことを教えるのが第二章であると、こう了解するのであります。
 話が、あちこちしたり、また、いろいろと面倒なこと、難しいことにまで及びまして、お聞きになりにくかったかと思いますが、一応、これで第二章を終りまして、次回は第三章ですね。あの「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な言葉。歎異抄といえば、だれもがすぐ思い出す、あの第三章を、二回ほどに分けて拝読することにいたしたいと思います。
                                                 (昭三九・一〇二一四)


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