2 第二章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 まえがき
  一 第二章の一
  二 第二章の二  ?  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  三 第二章の三   
  補 説  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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一 第二章の二 「地獄一定」


   講 話 「地 獄 一 定」

孤独と愛と死
 この会も、今回で第六回日になります。それで、今日は、案内状にも書きましたように、先回に引き続いて第二章でありますが、これを、はじめは「孤独のすくい」という題目にしようと思っていたのでありますが、考えなおしまして、「地獄一定」ということにして、お話しようと思います。第二章は、全体を五節に分けて読むことができるわけですが、その第一節と第二節については、先回お話したわけで、今日、「地獄一定」というテーマで考えようとするのは、第三節にあたるのであります。
 実は、最近、多くの新聞に、宗教欄がもうけられるようになってきましたが、先日、京都新聞の宗教欄に、同志社大学の宗教主事という仕事をやっておられる笠原という人が「現代にかくされた死」というテーマの文章を発表された。それについて、京都新聞の方から、仏教徒としてはどう考えるか、現代における死の問題について、なにか書くようにと、今月末までという期限つきで原稿をたのまれました。たまたま、この第二章についても、死とか孤独ということが思いあわされることですし、そういう要求もあったものですから、最近出版された著書など、いろいろあさり読みをしておりました。
 そんなことを松井君に話しましたところ、粥見の若い人たちが読んでおられるということで、最近ベストセラーの『愛と死をみつめて』と、それから、マリーナ・セレーニという人、これはイタリア共産党の党員なんですが、この人の手記『喜びは死を超えて』という書物を、大西喜久子さんから借りて、京都にとどけてくれました。若い魂の純愛の記録といって売り出している『愛と死をみつめて』は、新聞の広告によれば、百万部を突破した、と。そして、『喜びは死を超えて』の方は、これは国際的な市場をもっておりますから、数百万部も売れているといいます。また、松井君から、石原慎太郎の『行為と死』という小説を借りたり、また最近、芥川賞を受賞した柴田翔という人の『されどわれらが日々―』を買ってきたりして、この夏休みの終りから九月にかけて読んでみました。
 こういうふうに、孤独とか愛とか死とか、そういうことに関心をもって、新聞や雑誌の広告をみたり、新刊書の書店をていねいにみて歩きますと、孤独とか愛とか死という文字が、やたらと目につきます、それは、小説もあれば、エッセイ集もあり、人生論や、書簡集のようなものもある。筆をとっているのも、若い人から年寄りにいたるまで、ずいぶん巾広く、いろんな人があります。ということは、今日、ことにこういう言葉で語られるような人生の問題が、いかに多くの人びとにとって問題になっているか、ということのあらわれなんだろうと思います。
 しかし、考えてみますと、この孤独と愛と死ということは、人間の歴史の始ったときからの問題だったわけで、しかも、これは、人間のあるかぎり、いつまでも続いていくような問題という意味で、この孤独と愛と死は、人間にとっては永遠のテーマであるともいうべきものであります。ですから、こういう名前のついた小説など、いま、ちょっと思いつくものをひろってみても、たとえば、ロマン・ロランの『愛と死のたわむれ』だとか、ヘルマン・ヘッセの『孤独な魂』。それから、リルケの『愛と死の歌』、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』などと、こんな調子で書物をひろっていけば、全く際限がありません。

永遠にいまのテーマ
 あるいは、表には特にこういう言葉を出していないけれども、そういう問題を扱ったものも、これまた沢山あるわけで、たとえば、カフカの『変身』だとか、『審判』。それに、サルトルの『嘔吐』といったように、いろいろあげることができます。つまり、これは、人間にとっては、永遠にして、しかも、つねに、いまの課題であるということであります。文芸作品にかぎらず、哲学も宗教も、すべて、みな、この問題に深いかかわりをもっております。
 案内状には、『大無量寿経』という、わたしどもにとって最も大切な経典の中に、こういう人間の姿について「人、世間愛欲の中にありて、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」といってあるのを紹介しましたが、なにか、経典の中にこういうことが書いてあるということを、最初に聞きますと、それは、経典の中だけの特殊なことのようで、耳を傾けないということになりがちかと思います。しかし、孤独と愛と死は、洋の東西を問わず、今も昔も変りのない、永遠のテーマである、だから、それは今日では、マス・コミだとか、読書界などの動きというものによく表われている、と、このように現実をおさえておいて、そうして『大無量寿経』を読みますと「独生・独死、独去・独来」というような言葉が、ジーンと胸にこたえてくる。なるほど、これは二千余年も前の、ブッダの言葉ですけれども、やはり、ここには人間の真相がいいあてられてありますから、その言葉の意味が、あらためて新しく甦ってくるわけです。
 さきほど、会のはじまるまで、松井君の読んでいた三木清の『人生論ノート』を、見るともなくパラパラ見ておりますと、「人間というものは、孤独を、ただ一人では感じないものだ」という意味のことが書いてありました。人間は、つねに間的存在、関係的存在であります。これは、以前にももうしましたが、人は一人いても人-間と書くように、間的存在である。その間において、人間は孤独を感ずるのだ、と、そういう意味のことを三木清がいっております。やはり「世間愛欲の中にありて」というのも、そういうことなんでしょう。
 われわれ人間は、沢山のものが共同で生活しております。が、この沢山のものが寄り合って生活しているというところに、愛というものも成り立っておる。けれども、われわれ人間は、愛すれば愛するほど、かえって自分が孤独であるということに気づく。そういうことがあるわけであります。

宗教心の発動
 また、この人と、いつまでも一緒にということができない。だからこそ、ひとしお人生をいとおしむという愛と、そして、この生死(しょうじ)の人生を超えていこうという願いとを、おこさずにはおれない。こうして、人として生きる中に、深く孤独を味わい、愛することを知るという人生にあって、十代は十代として、二十代は二十代として、また、五十代は五十代として、それぞれの悩みとか問題というものを持って生きている。そういう人たちには、それぞれの自身にかえる道というものを、自分も聞いていこうというようなものがある。それで、さきほどからいうような書物を、ベストセラーにしていくのでしょう。
 実は、こういうものに、われわれが心ひかれる、われわれの心が動くということそのことが、とりもなおさず宗教心のはたらきなんだ、と、このように、ぼくは考えたいのです。これは、イタリヤから、はるばる海を越えてやってきた、イタリヤの、あるベッドの上で、癌で死んでいった一女性の手紙である、といえば、非常にプライベートな個人の手紙なんですね。もちろん、そこには政治的な問題も絡んでいますが、ある母親が癌にかかって、そうして、その心境というものを、夫と三人の子供に書き残していく手紙であるといいますと、非常にプライベートなものです。しかも、それは海を越えてやってきた遠いところの話である。ところが、そういうものが、世界中の人びとに伝わっていく。つまり、それにたいして、わたしたちの心が動く。そういう動きを、ぼくは宗教心の発動というように了解したいわけなんです。
 そういう意味で、宗教心というものが、人生の真実を求めるならば、それは、孤独と愛と死という言葉に要約されるような人生問題に、きっとぶつかるにちがいない。まあ、いまは文学の例を出したのですが、どういう生き方をした人でも、真剣に生きた人は、みな孤独とか死という問題にぶつかっているわけであります。

キエルケゴールとニーチェ
 ご承知のように、ゼーレン・キエルケゴールという哲学者は、こういう人間のことを、単独者とか、あるいは、個別者だといっていますね。キエルケゴールは、そういう問題を、どこまでも追求していったわけですが、その課程というか、求めた跡が、今日、キエルケゴールの哲学として残されております。では、このデンマークの、憂愁の哲学者、キエルケゴールに、そういう気持ちをおこさせた動機は、なにだったか。
 ずっと若い頃、キエルケゴールは、レギイネ・オルゼンという娘さんと婚約していた。ところが、あることから、その許婚のレギイネ・オルゼンとの婚約を、とりやめにしなければならないような事件がおきた。それが動機なんですね。つまり、ひとつの愛欲問題なんです。愛情問題の破綻というようなものが、キエルケゴールに哲学させる。そうして、彼を、いわゆる実存の哲学者に育てていくわけです。
 あの、ニヒリストで、やはり孤独の哲学者だったニーチェ。キリストの神への反抗から、「神は死んだ」という有名な言葉を残したニーチェという人も、後には、いろいろな形で哲学を展開していくわけですが、そのもとには、ワグネルとかオルゼンというような、先生や友人との愛情生活がうまくいかなくなるということがありました。そういう人たちと訣別しなければならんような問題があって、それが一生涯を貫いておったといわれています。
 こういうように、わたしたちが、どういう考えでもって、どのように生きていくか、そして、どういう人間になっていくかということは、どんな境遇に生まれて、そして、どんな出来事にぶつかるかということによって決定されるのです。なにか、こういう哲学とか文学というものは、われわれの現実生活からは、ほど遠いように思うかも知れませんけれども、洋の東西を問わず、こういう人たちが問題にした孤独というようなことを、わたしたちの身近なところに求めれば、沢山例をあげることができるでしょう。

原子化された人間の要求
 たとえば、新興宗教がハヤる原因を考えてみても、やはり現代における孤独と愛と死の問題が、実に根深いものだからだと思います。新興宗教がなぜハヤるのか。そういうことについて、原因は、いろいろ考えることができる。が、一口にいえば、それほど現代社会の病根というものが根深いんだということです。
 数年前に日本に来たポール・ティーリッヒという人が、そういう問題について、こういっております。これは、日本での講演を集めた『文化と宗教』という書物の中の言葉ですが
 「原子化された個人が、そのなかで(グループのなかで)自分の求めが、真撃に受けとられるような交りを見出しているということが、多分、これら諸宗派(新興宗教)の急速な発達を説明する最も重要な鍵であります」。
つまり、現代の孤独な人間が集まってグループを作る。そうして、その中で、自分の悩みや苦しみというものを語るというと、その自分の問題を真剣に聞いてくれる人がいる。また、それにたいして真剣に答えてくれる人がいる。そういうことが原因で、この集団は、だんだんと大きくなっていく、と、こういっております。
 創価学会は、自分たちの宗教のことを「第三文明の宗教」と呼んでおりますが、高瀬広居という人が『第三文明』という書物に次いで、今度は、『人間復興』という名の書物を出しました。これは、「まえがき」にありますように
 「生と死の境界をさまよう極限状況の人間の戦いの姿や、極悪非道なヤクザが更生していく過程、あるいは、科学者や教育者の苦闘の記録、そして、夫婦の家庭づくり、親子の愛のドキュメント」
(つづ)ったものです。
 これを読んでみますと、ある一つの意図でもって構成してあることははっきりしているんですが、どれもこれもが、みな体験の記録なんだということを前面におし出して書いたあるので、ちょっと手にしてみた人にも、なにかを感じさせる。というか、こんな体験もあるんですよ、こういうこともありますよ、という調子で、これでもか、これでもかと押してくる。まあ、問題をかかえて弱りきっている人、なにかにすがりたいという思いで、どうすればいいのか迷っている人あるいは、気の弱い心臓の弱い人なら、あの押しに負けるとしても無理はないと思いますね。この本の内容を、ここでくわしく話すことはできませんが、みなさんも関心があったら一度読んでみてください。そうして、そこに語られていることについて、どういうところに感心するか、また、どういうことに反撥を感じるか。

ほんとうのご利益とは
 ともかく、孤独な人間、死の不安におびえる人間というものが、そういうグループの中では、なかまを発見して安堵することができる。そして、ストレスが解消するというようなことが契機になって、派生的にいろいろの問題まで片がついていく。そういうご利益は、たしかにあるわけです。が、ご利益というならば、ほんとうの利益というものは、そういうものかどうか。
 人生にとっては、遇縁ということが、決定的な意味をもっているわけでありますから、創価学会の折伏(しゃくぶく)をうけるか、あるいは立正佼成会から入信をすすめられるか、それはまったく偶然のことでしょうが、そういう状態にあって、たまたま病気がなおる、不幸からすくわれるというのもわたしたち自分の思いをこえてやってくることです。ですから、あの宗教は正しい、あれは邪教だと、外から一概に批判してしまうこともできませんし、また、批判しただけで問題が片づくわけでもありません。
 けれども、ぼくは、たとえば、信仰で病気がなおったという人に出あいますと、「病気がなおっただけで満足しているのは、欲が小さすぎはしませんか」ということにしています。たしかに難病で苦しんでいる人にとっては、病気がなおるくらい、ありがたいことはない。もう、それだけで十分だという気持ちです。それは、ぼくにも経験がありますから、よくわかる。しかし、病気がなおるということは、角度をかえて考えてみると、また再び、いつ病気になるかわからぬような状態になったということ。
 それで、人間は、一生の間に、幾回病気をしますか。それをかりに百回としますと、実は、九十九回までの病気は、なおるべき縁があってなおった病気なんです。ところが、第百回目の病気――、つまり、死という病だけは簡単になおらない。だから、ほんとうのご利益というならば、この死の問題が解決してこそ、はじめてご利益があるといえるのでしょう。信仰を求めるというならば、そこまで徹底しなければならない。そうでないと、途中でやめてしまったのでは、これまで求めたことまで無駄になってしまう。そういう意味で、ぼくは大欲をもって、それが満足するところまで徹底すべきだと思うわけであります。
 それで、ティーリッヒは、原子化された人間といいますが、また、現代は人間不在の時代だともいわれております。人間は、沢山おるようだけれども、はたしてほんとうの人間がいるのかどうか。ほんとうに人間らしく生きているのかどうか。そういうことから、原子化された状態、人間不在の問題をどのように克服していくのかということが、新しい問題になってきます。さきほどからもうしますように、人生において過疎ということは、厳粛な意味をもっているわけですがこの人生の孤独と愛と死を、どのように解決していけばいいのか。そういうことを念頭におきながら、第二章を拝読しているわけであります。

念仏は浄土のたねか地獄の業か
 さて、第二節には「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人のおおせをこうむりて信ずるほかに、別の子細なきなり」と表白されましたが、そのあと、第三節をみますと、
 「念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり」
とあります。いま「念仏するほかにない」といいながら、「ただ念仏してアミダにすくわれよ、といわれる先生の教えを信ずるほかにはなにもない」といいながら、しかも、「念仏は、浄土のたねか、地獄の業かわたしは知りません」という。いったい、これは、どうしたことなんでしょうか。考えてみますと、これは「よくも、まあ、こんなことがいえたものだ」というような、まったくおそろしい言葉であります。
 先回もお話しましたように、この対話は、親鸞のいなくなった関東に、信仰問題がおこって混乱している、それで同朋の代表たちが、京都の親鸞を、はるばるいのちがけでたずねて、信仰の中心問題について問うた。ところが、それにたいして答える親鸞の言葉は、二十九才のとき、法然上人に出会って聞いた教え、もうそのときから九十年の生涯を一貫して変らぬ教えを、あらためてくりかえしたにすぎなかったわけです。でありますから、「念仏してすくわれるんだ」ということは、関東にいた頃の親鸞から、もう、なんどもなんども、耳の痛くなるほど聞かされていたにちがいありません。そんなことなら、なにも、わざわざ、いのちがけで尋ねてこなくても、ある意味では、もうわかりきったことだったのです。
 けれども、同朋にしてみれば、それを、親鸞以外のだれから聞いても満足できない。親鸞その人から聞くのでなければ落ち着けない。だからこそ、その親鸞のところへ、いのちがけでやってきたわけですが、また、その親鸞から「念仏してすくわれるんだ」という、つねに変らぬ言葉を聞くのでなければ満足できないものがあったにちがいない。念仏に決着がつかずに迷うたといたしましても、やっぱり内心には、長い年月をかけて親鸞から教えてもらったのと、まるでちがったことを聞くのでは困る、そういう気持ちがあったろうと思われます。
 ですから、「親鸞におきては、ただ念仏して……」と聞いた同朋は、「ああ、やっぱり、そうであったか」と、なによりも安堵したにちがいありません。「関東にいると、いろいろのことが聞こえてきて思い惑うた。善鸞さまは、聖人がお前たちにいわれたのは、本心のことではなくて、ほんとうのところは、この善鸞だけが、聖人から、こっそり聞いて知っているんだとおっしゃる。それに、念仏なんかしておれば、無間地獄へ堕ちるぞと、おどかす人もある。しかし、やっぱり親鸞聖人は、つねに変らず、念仏してすくわれるんだとおっしゃる」。同朋たちは、こうして安堵したといいますか、安心したのであろうと思うのであります。
 だれがなんといおうと、親鸞が、そういっている。これまで、なんどもなんども聞いたことを改めて確認できた。やはり、いのちがけで尋ねてきた甲斐があったというものでしょう。しかし親鸞からみますと、その同朋の安堵のなかに、非常に危険なものがひそんでいる。安堵するということは、ややもすると、腰を落ち着けるあまり、そこに坐りこまぬともかぎらない。それが危い。それで「念仏は浄土のたねか、地獄の(ごう)か、まったく知らぬ」といわれるのでしょう。

存知せずということ
 わたしたちは、安心の境地を求めて求道するわけでありますけれども、ほんとうに安心(あんじん)があるということと、安堵のあまり、腰を落ち着けて坐りこんでしまうこととはちがう。落ち着いたあまり腰ぬけになって、その人は前に進まなくなってしまう。その人は、自分の足で立って、自分で道を歩まなくなってしまう。そういうことが、求道の生活にとっては、いかに危険なことか、致命的なことか、だれよりも親鸞は、そのことを一番よく知っているのでしょう。
 こういうことがあって、親鸞は
 「念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもって存知(ぞんち)せざるなり」
という。なるほど、前には「念仏よりほかにない」といったけれども、それは、念仏すれば極楽へ行ける、ほんとうに幸せになれるというような、打算的な、功利的な考えで念仏するんではない。つまり、念仏は、幸福をうるための手段ではない。念仏は浄土行きを保証するキップではない。だから、地獄へは行きたくないと思っているとすれば、そういう思いを裏切って、ひょっとすると、念仏してかえって、地獄へ行くというようなことになるのかも知れない。そういうことは「総じてもって存知せず」。
 ここに「存知せず」といわれるのは、理知をもって考えても、一向にわからぬということですね。もしかりに、考えてわかる、考えできまるとしましても、人間の考えというものは、刻々に変っていくのですから、きめたこともやがて変っていくことになる。とすれば、「存知せず」ということには、「わからぬ」ということもありましょうけれども、また 「わかってみてもしかたがない」というか、「わかる必要もない」という意味もあるのでしょう。
 この前のところにも「念仏よりほかに往生の道(アミダの世界へ往き、アミダの世界に生きるものとなる道)をも存知し」とありましたが、第四章にも「今生に、いかにいとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ」といってある。ですから、これは、歎異抄を理解するのに見逃してはならぬ大切な言葉の一つだと思います。

感知と信知
 このことを考える手懸りとして、さきほどの『愛と死をみつめて』の序文に、堀秀彦氏が、
 「じっとみつめておれないものが二つある。――太陽と死と」
というフランス人の箴言(しんげん)を引いております。ここで太陽というのは、愛とか生をあらわすものでしょうが、とすると、愛と生と、そして死は、じっとみつめておれない。もし太陽をまともに凝視しますと、われわれの眼はつぶれてしまう。太陽を見たいという気持ちがあっても、見るはたらきが失われてしまう。
 そういうことから思うのですが、この見るということのなかに、知性をもって見るということがあるのでしょう。だから、みつめることができないというのは、知性をもってしては見きわめることのできないものがある。考える、知るというはたらきでは、とらえることのできないものがあるということでしょう。
 たとえば、死ということにしましても、われわれは、人間は死ぬんだということを知っている。だから、われわれは、死ということを考えないわけにはいきません。けれども、人間は、考えているようには死なない。人間は死ぬんだということを考えたり、知ったりすることと、この自分が死ぬということには、まったくちがうなにかがある。つまり、死について考えたり、知ったりするということと、死を体験するということは、まったくちがうといわねばなりません。
 では、そういう体験として知るような死は、死を体験しなければわからぬかといいますと、わからぬとはいい切れない。そういう死を、わたしたちは、生きていくなかで、この身に感知するのでしょう。この身が、死を感知する。考えでとらえた死と、死の事実とはちがう。だから、われわれは、死について考えながら、また、死を感知しながら、生きているということができる。しかも、この死について考える考えというものは、いろいろに変っていくわけでありますが、いつも生の裏面にあって、この身に感知されるような死の事実には変りがありません。こういうことをとおして、われわれは、存知という知り方以外の、もう一つの、たしかな知り方、事実を知るというような知り方があることに気づくわけであります。
 いま、わたしは、感知するというような知り方といいましたが、存知と別の知り方について、信知するということがある。これは、中国の善導という人が、『観無量寿経』のなかの「深心(じんしん)」つまり、深い心について、「この深心というのは、深く信ずる心である」といわれた。また「深心というのは、真実の信心のことであって、この身を信知し、アミダの本願を信知することである」というように解釈をしておられます。こういうことから、曾我量深先生は「親鸞におきては……、と、よき人のおおせをこうむりて信ずる」という信は、信知のことである。つまり、念仏は、いったいなになのか、存知はしないけれども、念仏を信知するんだと、注意してくださっております。
 ですから、親鸞にとっては、浄土はあるかないかというようなことは問題にならない。そういうことは、一向に存知しない。また、念仏は浄土のたねか、地獄の業か、存知しない。それがわかれば念仏するとか、それがはっきりしないなら念仏をやめようとか、そんなところに親鸞の問題があるわけではない。親鸞にとって、浄土は信知の世界、感知の世界として実在するんだ、とこういうことが明らかにされておるのであります。

法然にだまされても後悔しない
 このように、親鸞は、念仏にたいするとらわれというものを否定しながら、さらに
 「たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」
といいます。ここで、はじめて法然という名前が出てきます。この前に「よき人」というたのは法然にちがいないのに、それを「よき人」といってありました。「よき人」のおおせを聞いて信ずるほかになにもない。しかし、法然にだまされても後悔しない。ここに、一つ大きな心境の展開が語られているわけであります。
 つまり、こういうことによって、親鸞が語ろうとしているのは、同朋にたいして、「みなさんは、いのちがけでたずねてきて、真剣に問答してはいるけれども、実は、みな、ほんとうの孤独ということがわからぬのでしょう」ということをはっきりさせたかった。同朋には、孤独の人生ということがよくわかっていない。だから、孤独に徹底できないで、孤独から逃げ出してやってきた。「そういうことに気づいてください」という語りかけでありましょう。
 この場合、孤独ということでありますが、これは、自愛ということと深い関係があります。自分が自分を愛するという深い執着、これが広くあらゆる人びとを愛し、愛されるという豊かな世界から、自分ひとりを疎外する原因になっている。根深い自己関心や自己主張というものによって、かえって自分を人びとに受けいれられないようにしていく。この、自愛を、我愛とか我執とかいうこともできるわけですが、仏教では、この我執に、人我執と法我執があるといいます。そういうことを手懸りにして、わたしたちは、この第二章に語られる言葉の内面を考えてみることにしたいのです。
 というのは、われわれが道を求める場合、なによりもまず、信頼できる人をたずねます。宗教を求めるということは、とりもなおきず、それを教えてくれる人の門を叩くということでありましょう。それが、親鸞にとっては、法然であり、関東の同朋にとっては、親鸞であります。と同時に、人にあうということは、その人が説く教え(法)を聞いて、そして信ずるということであります。それが、いまの場合、念仏です。つまり、法然から念仏の教えを聞くということ。ここに、求道にはなくてはならない人と法があるわけです。
 ところが、親鸞は、いま、念仏を信知するけれども、その念仏がいったいなにかということは存知しないといって、念仏の法にたいする執着(しゅうじゃく)を離れる。また、法然にだまされても後悔しないということによって、人間法然にたいする執着を離れる。そういう信心の世界を語っている。すなわち、これによって自愛というか、我愛というか、そういう()を離れた、もっともっと広く大きい我の世界を明らかにしているのだと思います。

依頼心は奴隷心である
 でありますから、同朋が、親鸞に会うて、そうして「ただ念仏だ」と聞いて、もし安堵するとするなら、かえってそれが危険なんだともうしましたが、「ああ、やっぱり念仏だったんだ」とか「やっぱり念仏でよかったんだ」というような思いには、知らず知らずの間に、念仏の法に執着するということがはたらいているといわねばなりません。そしてまた、同朋は、その念仏のことを、ほかの人ではなくて、親鸞から聞かねば承知できないものがあったわけですが、ともすれば、そこには親鸞という人にたいする執着がないとはいえません。そこに、念仏を信ずるというときには「よき人」の教えを聞いてといい、そして「存知しない」というところに「法然上人にだまされても」と、法然の名を出していわねばならぬ問題があるように思うのであります。
 もし、親鸞のおっしゃることだから信ずる、親鸞が念仏といわれるのだから信ずる、というならば、そこには、親鸞とか念仏にたいする依頼心がはたらいている。しかし、この依頼心は奴隷心でしょう。宗教とは、絶対の奴隷になりきることであるという考えもあるようですが、はたして、そういうのが、ほんとうの宗教なのかどうか、問題がありますね。ですから、なにか、ほんとうに解放されることを願って法を聞こうとし、道を求めるにもかかわらず、かえって、聞いた教えや、それを説く先生の奴隷になる、とすれば、やはり、どこかに大きな誤りがあるといわねばならぬと思います。いま、親鸞は、そういうことを指摘しているのです。
 われわれにとって、たとえばお金は大切でありますが、しかし、かりにお金を絶対視して信頼するとしますと、お金の方が主人公になってしまって、われわれは、それにこき使われることになる。われわれは、一万円札の奴隷になってしまう。あるいは、神さまを絶対視しますと、われわれは、神の(しもべ)だということになる。ある特定のイズムを絶対のものだとすれば、われわれは、そのイズムの命ずるままに従わねばならぬ。だから、ときには、自分の自主性、主体性というものに眼をつむって、やがて人間不在ということにもなりかねない、と、こういうような問題ですね。

柴田翔の『されどわれらが日々―』
 それで、さきほどの『されどわれらが日々―』ですが、新聞の原稿を書かねばならんというので、読んでみたわけですが、わたしには、小説に関する素養がまったくないので、この小説が芥川賞を受ける資格がどういうところにあるのか、よくわかりません。この題からして、よくわからぬのですが、広告をみますと、「政治的人間の挫折、参加していない人間の空虚さ――傷ついた青春の群像を描く」とあります。ともかく、これは、さきほどからの孤独と愛と死というテーマを扱った小説であることに間違いはありません。
 それで、ストーリーもなかなか入りくんでいて複雑ですから、一口にはいえませんが、「私」という主人公と、彼とは婚約者の間柄の「節子」という女性を中心に、いろいろな人間関係が描かれているのですが、その中の、佐野という男に焦点をあてて紹介しますと、彼は、すでに高校生の頃から共産党員で、大学に入ってからは、さらに活発な学生運動をやります。それが、党の命令で地下にもぐることになりますが、いわゆる六全協の政策転換で、再び大学生活にもどる、と同時に、彼は党を離れるわけです。
 ところが、彼には、一つの秘密があった。というのは、高校三年のころ、メーデーのときに、宮城前広場でデモをやって、そこで警官隊と衝突した。そのときのこと、警官と向いあっている自分が、突然、こわいと思い、次の瞬間、「あっ、おれは、こわがっている」と思った。その自分の恐怖というものに、一度気づいてしまってからは、もうどうしようもなくなった。つまり、なかまが、勇敢に警官隊と戦っているのに、彼はプラカードをほうり出し、スクラムをふりほどいて、下宿へ逃げて帰ったというのです。この裏切り、これが地下にもぐっている時も、ずっと忘れられない。
 それから、大学にもどって党を離れ、やがて学校を出て、S電鉄に就職をする。そこでは、会社のおぼえよろしく、副社長のおめがねに叶ったというのか、親戚の娘と結婚させようというようなこともあるわけですが、その副社長が、突然、庭の片隅にしゃがみ込んで、うつむいていた。そのとき、娘の亜弥子が「胃癌よ、きっと」というと、副社長の顔には、ぞっとするような、沈んだ、暗い表情が浮んだ、というようなことがあった。そして「自分の死を想ったとき、あれほど暗い表情をしなければならないとしたら、人間の生きて持っている幸福とは、いったいなんだろう」と考える。
 「自らの死を想ったとき、あれほど苦しげに淋しげな表情を浮べなければならないとすれば、地位や報酬や仕事とは、人間にとって、いったいなになのだろうか」と。そういう過程を経て、やがて生きることが面倒くさくなる、そうして、自分の心に「死ねば楽になるぞ、もう、だるさもないぞ」という(ささや)きを聞くようになる。そして、睡眠薬を飲んで、自殺をするわけです。
 『されどわれらが日々―』という小説で、柴田という人がいおうとすることとは離れていくかも知れませんが、この、佐野という青年が、どうして自殺せねばならなくなるのか。そういうことを考えてみますと、党の命ずるままに行動し、それに破れた。そのときに、もう彼の生きた人生は、一応は終ったんだといえると思います。イズムというか、それを実現する党というか、それにたいする信願が、政策変更を契機として失われた。そのとき、実は、自分もいなくなった。そういう問題です。そして、その究極には自殺がまっている。
 あるときは、スターリンの額をかかげるけれども、フルシチョフが出てくると、スターリンの額をおろして、フルシチョフの額をかかげる。こういう事例をとりあげて、それでマルキシズムとか、共産党のすべてを批判するなどということはできませんし、また、そんなことをしようとは思いません。おそらく、今日の青年で、マルキシズムなんかには全く心が動かぬ、全く関心がないというか、そういう問題にふれないですませられるという人は、おそらくないと思います。すくなくとも、世界は、大きく二つにわかれているのです。第三の世界というようなことも、いわれてはおりますけれども、それは、なかなか具体的な力を発揮できない。それでは、二つというならば、それにたいして第三とでもいうべきような、そういう中道はないのであろうか。そういうことが問われてもおるわけです。

いつまでも声聞であってはならぬ
 ところで、いまの問題は、自分のすべてを托することのできるような指導者があった、思想があった。それが、指導者が変わるというと、自分の生きる場もなくなるということなんです。指導者というかぎり人間ですから、百年も二百年も生きるはずはない。思想も、時代とともに変わるというなら、これまた永遠不変ということはできない。それなら、われわれは、そういう、ときとともに移り変っていくものに、ほんとうに安んじて身を捧げることができるのかどうか。もし、身を捧げるものがないとすれば、やはり安心があるはずもありません。わたしは、第二章の親鸞の言葉のなかに、そういう問題が提起されていると思うのです。
 それで、親鸞は、念仏について存知しないといい、法然にだまされても後悔しないといいますが、こういえるようになるためには、ずいぶん苦難の道がながかったにちがいない。やはり、大変な苦闘をくぐって、そういうことのいえるような親鸞になってきたのである。つまり、法然に会うて明らかになった信が、求道の歩みをとおして、完全に親鸞のものになった。いわゆる依頼心だとか、奴隷心というものが、あとかたもとどめないようになっている。信が、親鸞そのものになった。そういうことをあらわす言葉であります。
 仏教では、求道者の一つのタイプを声聞(しょうもん)といいます。声を聞くというのは、師匠の声を直接聞いて求道修行をする。つまり、直弟子でありますが、ここで思われるのは、われわれが、なにか道を求めようとするとき、特別の場合を除いて、必ず声間から出発するということです。仏道を修行するには、まず仏の声の聞けるところ、仏の教えの聞こえるところで修行をはじめなければ仏道がなにかわからない。
 こういうことを、もっと身近に考えますと、たとえば、お茶を習うには、お茶に通じた先生の声聞となるにかぎる。お弟子入りして、お茶を習うにかぎる。あるいは、お華でもそうでしょう。習字だってそうでしょう。道を求めようとするときには、あらゆる場合に、まず、われわれは声聞というところに身をおく、けれども、そういう場合、お師匠さんが中心で、われわれは生徒ということになる。お師匠さんのいいなりになって道を学ぶ。お師匠さんが「ああしなさい、こうしさない」というのに従って、自分の手を出したり、ひっこめたりする。主体はむこうにあって、その命ずるままに、こちらは動く。もし、弟子になるということが、それだけに終るならそこには一つの問題が残ります。というのは、そのお師匠さんがなくなったときにはどうなるか。これが問題です。
 前にももうしましたように、親鸞は、法然とムリヤリひき離された。「この人のところならば地獄へ一緒に行ってもいい」とまで思って、絶対に信頼していた。ところが、流人となって越後に行ってみると、そこには、都人には想像もつかないような生活が待っていた。第十三章には
 「海川に、あみをひき、つりをして、世をわたるもの」
 「野山にししをかり、鳥を取りて、いのちをつぐともがら」
とありますが、そういう人びとは、すくいから見離なされている。しかし、親鸞は、そういう人びとと共に暮らすことになるわけで、これらの人びとと共にすくわれる道は、はたして「ただ念仏」だけなのであろうか。念仏の教え一つでいいのであろうか。こんな疑問が出てきたろうと想像されます。
 ところが、罪がゆるされて、公然と法然に会える身になったときには、法然は死んでしまった。あの法然に出会ったときの生き別れが、いやおうなしに死に別れになってしまった。そういう状態におかれたとき、親鸞には、声聞(しょうもん)の位置にある自分というものが、はっきりとみえたにちがいない。なるほど、求道は、声聞となるところに始ったのだけれども、いつまでも声聞の位置にとどまっていたのでは、ほんとうの求道者ではないという問題がある。そういうものが、親鸞の大きな課題としておこってきた。ですから、法然にだまされても後悔しないということは、声聞から脱脚して、ほんとうの求道者になっている親鸞を語る言葉だとわたしは思うのです。

親鸞の妻が語る法然との出会い
 これを考える手懸りとして、親鸞の妻、恵信尼の手紙について――。実は、先回、親鸞とその妻の恵信尼との出会いについて、お話しするつもりだったのですが、時間がなくて省略しました。今日も、それについて、くわしく語ろうとしますと、話しが脱線しますから、また別の機会にと思いますけれども、その恵信尼が書いた手紙が十通ばかり残っています。そのなかの二通に、親鸞が法然に出会われたときの様子にふれたものがあります。それは、弘長(こうちょう)二年(一二六二)十一月二十八日、親鸞は、京都の善法院でなくなりますが、その側につきそって、最後のみとりをした末娘の覚信尼から、越後におられる母親の恵信尼に、そのことを知らせる手紙を書いた。それは、十二月一日付の手紙だったのですが、それにたいする返事をみますと
 「こぞ(去歳)の十二月一日の御ふみ(お手紙)、同はつか(二十日)あまりに、たしかにみ(見)候ぬ。なによりも殿(親鸞のこと)の御おうじょう(往生)、中々はじめて(もうす)におよばず候」。
と書き出されております。恵信尼と親鸞は九つちがいますから、これを書いているときは、もう八十二才になっている。だから、これは、いまから七百年も昔の、八十二にもなったおばあさんが書いた手紙。なかなかしっかりした文章ですね。こういうことからも、親鸞と恵信尼のことをいろいろ想像することもできるわけですが、くわしいことは、またの機会にいたしましょう。
 そして、そのあとに、親鸞が法然をたずねたときの様子にふれているわけですが、それによりますと、親鸞は、法然をたずねようか、たずねまいかと、ずいぶん迷われた。悩まれた。それで六角堂に百か日の参籠(さんろう)をされるわけですが、その九十五日の(あかつき)に、聖徳太子の勧めを夢に聞いて法然をたずねる決心がついた。そして、法然をたずねたあとも、ちょうど六角堂に百か日参籠したのと同じように、また百か日、降る日も照る日も、どんなことがあっても通いつづけた。そうして、法然上人が、善人とか悪人の差別なく、まったく平等に、真実についてお説きになる。ただ一筋に説かれるのをお聞きして、それで
 「しょうにん(上人)の、わたらせ給わんところには、人は、いかにも申せ、たとい、あくどう(悪道)に、わたらせ給べしと申とも」
と、決着したとあります。つまり、法然は、善い人とか悪い人とか、富めるもの、貧しいものというような差別をせずに、ただ一筋に、念仏の教えをお説きになる。それを、くる日もくる日もじっと聞いて、そうして、この身にうなづくまで、たしかめた。そこで、この法然上人が行かれるところなら、人がどのようにいおうとも、たとい地獄へ行くことがあっても、かまわない。この人の行かれるところなら、たとい地獄であっても自分はついて行こうと決心がついた、と、こう書いてあります。これが、二十九才の邂逅です。

いずれの行もおよびがたき身
 いま、歎異抄の第二章に記録されている対話、これがなされているとき、恵信尼は、いったいどこにおられたか。その対話の席におられたか、あるいは、もう越後に行っておられたのか。よくわかりません。それを知る決定的な史料は残っておりません。が、この二つの文章を、ていねいに読みくらべてみますと、ちょっとちがいます。もちろん、表現はちがっていても、親鸞の信そのものにかわりがあるはずはありませんけれども、文章にあらわれたかぎりでの相異というものは、やはりあるわけです。
 おそらく、恵信尼は、親鸞と半世紀以上もつれそっていたのですから、その間には、法然との出会いのことを、なんども聞いていたにちがいありません。そして、その出会いの心境というものは、一口にいってしまえば「法然上人の行かれるところなら、どこにだってついて行くんだ」というようなものだったにちがいありません。ところが、歎異抄の方をみますと、それが同朋たちとの対話から生まれた表現であるためか、なにか特に一つのことを明らかにしたいということがあってなのか、「たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちても後悔はしません」といってある。たとい火の中、水の中といいますが、法然上人の行かれるところなら、地獄へでも行くというのでなしに、だまされて地獄へ行くということであっても後悔しないといい切ってあります。
 やがて、このあとに、そういい切れる心境というものを
 「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
といってありますが、これによって知られますように、たしかに念仏の教えは法然から聞いた、法然から「ただ念仏せよ」と教えられたのであるけれども、しかし、いまなお、そういう法然(人)の教え(法)に固執しているのではない。もはや、そういう執着を離れて、ほんとうに自分に一人立ちできるような親鸞が誕生している。そういうことを、この歎異抄は語っているのです。

地獄は一定のすみか
 それで、念仏は浄土のたねか、地獄の業か、存知しないといい、法然にだまされても後悔しないという心境の内面について、次いで「そのゆえは」といわれる。「そのゆえは」と理由をのべられるわけであります。
 「というのは、念仏以外の、さまざまの行をはげむことによって、ブッダとなるはずの身が、念仏して地獄におちたというのならば、法然上人にだまされたという後悔があるかも知れない。けれども、(念仏以外の)どのような行にも及第しないこの身なんだから、しょせん地獄は決定的な住居である」。
 この「いずれの行もおよびがたき身」というのは、第二章でいいますと「そのゆえは、罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」とある。あの、罪悪深重、煩悩熾盛と同じなんでしょう。こういう「いずれの行もおよびがたき身」ということを、善導大師は「出離(しゅつり)の縁あることなし」つまり、たすかる縁のまったくないものといわれる。地獄のような現実から出て、地獄を離れるという望みのたえたもの。出離(つまり、たすかるということ)について、自分には、なんの手だても方法もない。万策つきて、出離には、まったく無縁である。縁は、まったく無い。地獄からこえ出る縁は、まったく無い。
 この縁というものは、条件であるともいうことができましょうが、また、それを「かかわり」と解することもできましょう。この身が、やることなすこと、みな地獄に直結するようなことばかり。だから、この身は、すくわれる条件などというものには、まったくかかわりがない、と。このように、いい加減なすくいへの期待は皆無である、しょせん地獄は一定すみかである、という。つまり、自分のなかに、すくいの可能性を期待するというような、そういう執着の無いすがたを、地獄一定というのでありましょう。
 ですから、アミダの智慧ある愛のことを、無縁の慈悲といいますのも、自分とのかかわりを、まったく離れて愛するような愛。つまり、特になにかを愛する、だれかを愛するというような、かかわりを超えてはたらく愛ということをあらわすのだと思います。このアミダの慈悲は、特定のかかわりをもたずにはたらくのでありますから、言葉をかえていえば、すべて縁ならざるはない。だれかにははたらきかけるが、だれかにははたらかぬとか、なにかは愛するが、なにかは愛しないというようなものではない。それで、われわれ人間が考えるような、いわゆる縁の無い状態ではたらく。つまり、かかわり無くはたらく。

この身のある現実
 でありますから、そのアミダ無縁の慈悲というものは、この身が、すくいに無縁であるということにめざめたものによって知られる。「いずれの行もおよびがたき身」、これ、絶対孤独であります。孤独に徹底したすがたをいいあらわす言葉であります。もし、さきほどからいうような執着があるとするなら、それは、孤独の不徹底でしょう。人間は独生独死独去独来だというのも、孤独という問題を徹底して、そうして、無縁ということの正体を明らかにした言葉である。三木清は、人間は間的(あいだてき)存在であるといい、また、人間は人間関係のなかで孤独を感ずるものだといっているということをご紹介しましたが、そういう孤独の問題がいわゆるかかわりを離れた無縁の、絶対孤独にまで徹底されていく。その心境を、親鸞は「地獄一定」といい切ったのでしょう。
 それから、この前のところにも、地獄という言葉が出ております。そこでは、念仏は、ひょっとすると地獄におちる業かも知れない、けれども、そんなことは存知しないといってありました。念仏すれば、その行く先が地獄なのか、あるいは、極楽なのか、そんなことは一向にわからんという。そういうような地獄は、ここにおって考えられている地獄ですね。ところが、いま、ここで地獄一定というのは、言葉は同じだけれども、意味がちがう。親鸞は「いずれの行もおよびがたき身なれば」と、この身のある現実をおさえて、そうして「地獄一定」といっております。そういう点も注意して読んでいきたいと思います。

独立者・親鸞の心境
 このように、第三節には、「親鸞におきては」という第二節の表白をうけて、親鸞の求道というものを語るなかに、ほんとうの信心、たじろがぬ信心の心境が「地獄一定すみかぞかし」といえるようなものなんだということが明らかにされておるわけであります。そして、この「地獄一定」にめざめるということは、とりもなおさず孤独の徹底にほかならぬわけですが、こういうように「親鸞にすくいはない」といい切れるような親鸞に、かえって、すくわれていく親鸞のすがたがみえる。そこに、アミダ他力の信というものの不思議があるわけであります。
 ふつう、人間は、だれしも、地獄なんかイヤだといいます。地獄からは逃げ出したい。地獄なんかマッピラだ、これが人間です。ところが、親鸞は、この身が地獄に直結していると見ぬいて「地獄は一定すみかぞかし」。だからといって、これを開いて、わたしたちは、「ああ、やっぱり親鸞は、地獄で苦しみもがいている」とは思いません。なにか地獄の底を両足でしっかり踏まえて、すっくりと立ちあがる力強いすがた。ほがらかな明るいすがたを見るおもいがいたします。
 たしかに、孤独にはすくいがない。つまり、孤独とは、すくいに無縁の自己を発見することである、と、そういう孤独の徹底に、わたしたちは、なにか、大きな力強いものがはたらきかけているのを感じるのです。ですから「すくいがない」と、ほんとうに心からいうことのできる親鸞は、ヤケになったり、自暴自棄におちたり、自殺をくわだてるなどというような人間ではない。清沢先生は、「このこと(つまり如来を信ずるということ)がわからねば、とっくに自殺をとげたでしょうが、いまは自殺の必要を感じません」という意味のことをいっておられますが、ここに「すくいのなさ」に徹底したすがたがあるわけであります。
 「信の世界は、一人いても(にぎ)やかなものだ」という先輩の言葉がありますが、まことに賑やかだといえるような一人の世界。そういう一人は、さきほどの依頼心を離れ、奴隷心から解放されて、孤独にめざめた人なんでしょう。言葉をかえていえば、絶対孤独のすくいのなさに立つ人、すくいのなさがすくいであるような人、そういう人間の(すがた)を、独立者という。したがって、この第三節は、独立者親鸞の心境を、くわしく明らかにしたものだと了解することができると思うのであります。
 では、そういう独立者の生きる世界というか、あるいは、社会といってもいいかと思いますがそれは、いったいどういうものであるか。独立者が生まれ出る歴史的背景と独立者の生きる世界というものについて述べられるのが、第二章の、このあとの部分、第四節第五節であるといっていいかと思います。それで、次回は「ひとりに生きる」というテーマで、残るところを拝読することにしたいと思います。
                                             (昭三九・九・一九)


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