2 第二章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 2 第二章  
 まえがき
  一 第二章の一
  二 第二章の二  ◀  
   案内・講師のことば
   講  話  
   座談会  
  三 第二章の三   
  補 説  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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一 第二章の二 「地獄一定」


     案内のことば

 ただ一度の恋のあきらめから、たちまち用心深くなってしまった女に似て、すぎきっていく青春への哀切に、身を細らせて生きている二十代の老人がいます。「ああ、あの頃は、よかったのに」。疲れると、老人は思い出にひたります。
 わたしたちが、現在に充実しているとき、思い出は、未来に向って思い出されます。おそらく、それは、あきらめが、いつも粘っこく甦って、あきらめきれない湿気の世界であるのにくらべて、現在の充実が過去との訣別であり、別れが、その悲しみをのりこえてさわやかなのも、なにかに会えたからであり、すくなくとも、なにかに会える予感に訣別できるからではないでしょうか。
 チュホフの戯曲『三人姉妹』の末娘、イリーナが、醜男だが誠実なトーゼンバフ男爵と婚約したのも帝制ロシヤの懶惰(らいだ)な田舎町の生活と、彼女の娘らしい夢――モスクワへ行ったら、きっとすばらしい人に会えるってね。わたし、その人のことを空想して恋していたの――ということへの訣別だったのでした。しかし、結婚をまぢかに男爵は、決闘で殺されます。涙をぬぐって彼女はいいます。「やがて、ときがくれば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ、……あした、わたしは一人で立つわ。学校で子供たちを教えて、自分の一生を、もしかしてわたしでも役に立てるかも知れない人のために捧げるわ。いまは秋ね。もうじき冬がきて、雪がつもるだろうけれど、わたし働くわ、働くわ。」
 前講の伊東先生のお話にあったように、イリーナの悲しみは「昨日のわたしに別れて、今日のわたしに会っていく」という、彼女の強い生命力のゆえに、美しく輝いています。

  昭和三十九年九月十五日                       飯南仏教青年会


     講師のことば

 浄土真宗における、もっとも大切な経典(つまり大無量寿経)に、「人間は、世間愛欲のなかに、ひとり生まれ、ひとり死に、ひとり去り、ひとり来る」ものであるという言葉があります。このような人間のことを、単独者とか、個別者(デル・アインツェルネ)といいあらわしている哲学者もあります。われわれは日頃、平隠無事で、なにごともないときには「人間は孤独である」などとは考えてもみないのかも知れません。しかし、たとえば、愛を求めてえられないときとか、信頼する友に裏切られたときとか、あるいは、地位や財産を失って思わぬ苦労をすることになったときなど、「ひとりぼっち」の自分を、いやというほど思い知らされます。
 孤独は、いつの時代にも変らぬ、人間の、いつわらぬすがたです。だから、わたしたちのすくいは、この孤独をゴマ化したり、ここから逃げ出したりするところにあるのではなく、かえって、孤独に徹するところに開かれると教えるのが、第二章の第三節であります。
 今回は、こういう問題を念頭におきながら、孤独のどん底に立って、「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」といい切ることのできた親鸞の、自信ある生き方を考えてみたいと思います。


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