1 序・第一章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 まえがき
  一 序  
  二 第一章の一  
  三 第一章の二  ◀  
   案内・講師のことば
   講  話 
   座談会 
  四 第一章の三  
  補 説  
  あとがき  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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三 第一章の二 「め ざ め」


   
講 話 「め ざ め」

むつかしくてヘタな話
 今日は、六月の農繁期の中でも最も忙しい日で、この地方は、田植えのさいちゅうだそうでありますが、よくお集まりくださいました。
 先月、この会の終りに、来月はどうしようかという話が出ましたときに、「忙しいから休むのでなくて、忙しいから会を開くというのが面白いじゃないか。それで、どれだけ人が集まるものか、やってみようじゃないか」という発言がありました。わたしも、そういう熱意にはげまされて出てきたのでありますが、来てみれば例月に変わらぬ集まりです。そして、集まってこられたみなさんが、それぞれ、「よく、これだけ集まったなあ」と感心しておられる。こうして、お互いに啓発されながら、今日も、この会を始めるわけであります。
 実は、わたしのところにも会がありまして、もう八年ほど続いておりますが、春と秋の農繁期の二回は、休会しておったのです。ところが、ここから帰った次の日「昨日、粥見で青年会があったのだが、来月は忙しいからやめるのでなくて、忙しくてもやろうじゃないかということだった」といいましたら、「では、こちらも、これからは農繁期だからといって休まないことにしょう」ということになりました。
 わたしのところの会は、老壮年層の集まりなんですが、そういう人が、みなさんから逆にハッパをかけられるというようなことであります。今日は少し時間も遅れておりますけれども、予定どおり一時間ほど、はじめにお話を聞いていただこうと思います。
 みなさんは、案内状をごらんになってこられたことだと思いますが、京都では、「講師のことば」よりも、はじめの「案内のことば」の方がいいという評判です。
 それで、今度の案内状をみますと「伊東先生の話は、むつかしくて、しかも、へタだ」とあります。わたしの話がむつかしいというのは、これまでにも、たびたび聞かされていることですがヘタだというのはあまり聞かない。まあ、はじめてでしたが、そういわれて考えてみるとやっぱりヘタで、そしてむつかしい話のようです。
 しかし、この案内状を書かれた人の気持ちは、おそらく、「だから、安心してしゃべりなさい」という思いやりなんでしょう。「へタでも、むつかしくても、われわれは聞く気でいるから、安心してしゃべれ」という思いやりにちがいない。案内状を最後まで読んでいくと、そういう気持ちがよくわかるのです。しかし、わたしとしましては、そういう思いやりに甘えておってはだめなんで、精一杯お話をさせていただきます。

念仏は仏にたいする挨拶か
 さて、先回は、第一節を、「すくい」という題でお話したのでありますが、それを、わたしは
 「アミダの誓願の不思議な力――人智をこえたアミダのはたらきにたすけていただいて、かならず浄土に生まれるのである、と信じて、念仏をとなえようとおもいたつ心のおこるとき、まさにそのとき、すくいは実現する。すなわち、あらゆるものを摂取(せっしゅ)して捨てないアミダの心が、人生のただなかにあらわれて、わたしたちは、このかぎりのない智慧ある愛のはたらきに生かされるものとなるのである」
と意訳してみました。
 それについて、いろいろお話もうしたのですが、この長い言葉を一言でいってしまえば、どういうことになるかというと、ただ「ナムアミダ仏」。つまり、ナムアミダ仏とは、いったいどういうことなのかということを教えている言葉であり、したがって、またナムアミダ仏とはどういうことなのかということにめざめた言葉であります。
 それについて思い出すのですが、昨年の夏、ここによせていただいて、座談会をしたときのことです。ある人が、「念仏とは、いったいどういうことなのか、自分はよくわからない。なにか深い意味があるにちがいないけれども、そういうことはわからない。それで自分は、仏檀の前に坐ったときに、なにもいわずに坐るわけにはいかないから挨拶をする。ナムアミダ仏は、仏檀の前に坐ったときの挨拶というように考えている」という意見を述べられました。「おもしろい考え方だな」と思ったものですから、いまでもよく覚えております。

ナムアミダ仏は万国語
 京都の大谷大学に三重県人会というのがありますが、その会でも歎異抄を読んでおります。つい先日のことですが、その会のあとで雑談をしておりますと、ある三回生の学生がこういうのです。
 「どうして仏を拝むのにナムアミダ仏といわねばならないのか。もっとほかの言葉でもいいじゃないか。ナムアミダ仏というのは、もともとインドの言葉なんだから、われわれは日本人の生活に親しい言葉、よくわかる身近な言葉でいってもいいのじゃないか」
というのです。それで、わたしは、
 「君はインドの言葉だというけれども、ナムアミダ仏は、インドの国の言葉だと決めてしまうことはできない。それは、インドの言葉であり、中国の言葉であり、日本の言葉でもある。つまり、ナムアミダ仏は、万国語なんだ。つまり仏の世界の言葉なんだ。
 が、その問題は、一応さておくとして、君はどんな言葉でもいいという。では、君は、いつでも、どこにいても、どういう状況におかれていても、この言葉さえあれば自分は心が安らかになる、この言葉さえあれば自信を失いそうになるときに、勇気をとりもどすことができるというような、そういう言葉がなにかあるか」
といったところが、別にそういう言葉があって述べた意見ではありませんでした。
 わたしも、どうしてナムアミダ仏であって他の言葉ではだめなんだろうと疑問に思ったこともありました。ここで注意しておかねばならないのは、われわれが問題としているのは、ナムアミダ仏という文字や、あるいは、それを読んだときに出る(おと)ではないということです。問題は、この言葉のもっている響きというか、この言葉が語りかける意味なんです。ナムアミダ仏ととなえるところに感ずるものなんです。だから、ナ・ム・ア・ミ・ダ・仏という音にとらわれると変になってしまう。親鸞は「帰命(きみょう)尽十方(じんじっぽう)無㝵光(むげこう)如来(にょらい)」とか「南無(なむ)不可思議光(ふかしぎこう)如来(にょらい)」というようないい方もしているということを知っておらねばなりません。

「お母さん」というよびかけ
 そういうことを考えてみるのに、こういう例を出してみましょう。子供が学校から帰ったときとか、遊びから帰ったとき、「ただいま」というのと同時に「お母さん」といいます。子供だけではありません。大きくなってからも、病気のときとか困ったときに「お母さん」という言葉が自然に出てくる。
 では、子供はどうして「お母さん」と呼ぶんだろうか。「お母さん」と呼ぶことにはどんな意味があるんだろうか。そういうことを詮索しても、「お母さん」と呼ぶものの気持ちはわかりません。それは理屈ではない。ただ、「お母さん」と呼ぶことが子供の安心感をあらわしている。そう呼ぶことが、子供にとっては、すくいなんでしょう。家は自分の帰るべきところ、その家には母がいる、それで、そこに帰りました「お母さん」と、こういうわけであります。
 もっとも、子供は外でけんかをして負けそうになると、力のつよいお父さんをもち出す。「家に帰ってお父さんにいいつけるぞ」と、そういうときにお父さんがでてきます。家には、お父さんとお母さんがいるけれども、家に帰ったというときには、やはり「お母さん」と呼びかける。このように考えてくると、わたしたちのいのちと、そして母とは、非常に深い関係をもっているといえるようです。
 子供にとっての母は、一応は肉親の母でしょう。自分を生んでくれたり育ててくれたりした母なんでしょう。けれども「お母さん」と呼ぶ子供の心の底には、単なる肉親の母ではなくて、その母をとおして永遠の母を求める気持ちがあるのではないか。「お母さん」というのは、実は、永遠の母を呼んでいる言葉ではないでしょうか。
 ですから、わたしたちは成長して少年になり青年になるにしたがって、わたしたちの関心は母から異性へと移っていく。意識の前面には異性が出てきて、母は、その蔭にかくれるようになるのでしょうが、しかし、母を求める気持ちがなくなったのではない。わたしたちの日常生活の関心の中から、母は遠ざかっていくということはあります。けれども「お母さん」という言葉は残って生きております。わたしたちは、いつかは必ず肉親の母を失う、しかし、たとえ母はいなくなっても、母を呼ぶ言葉は残ります。

サトウハチローと暁烏敏の母の歌
 最近、サトウハチローの『お母さん』という詩集がベストセラーになっているそうですが、わたしたちのよく知っている暁烏(あけがらす)(はや)という人にも、母をうたった歌が沢山あります。
 この暁烏という人は、清沢門下の三羽烏といわれた人で、宗教家で、しかも歌人だった人ですが、この人は早くお父さんをなくしたので、母親の手一つで育てられました。その「母を憶う歌」のなかに、こういうのがあります。
  楽しみにも苦しみにもあらず独りいて
  お母さんと呼び泣き暮すかな
それから、また
  十億の人に十億の母あらむも
  我が母にまさる母ありなむや
 十億の人には、みなそれぞれ母親がある。けれども、わが母にまさる母があるであろうか。母というのは、一応、このわたしを生んで育ててくれた母でありましょうが、その母の名において呼んでいるのは永遠の母でありましょう。
 あるいは、人びとの中には、自分は母を愛さないという人があるかも知れません。「わたしは母から裏切られた、母から捨てられた、だから、わたしは母を愛するどころか、むしろ憎んでいる」という人もあるでしょう。
 しかし、なぜ母が憎いのかと考えてみますと、やはりそれはほんとうの母、母らしい母を愛しているからでしょう。わたしの母は母らしくないといって憎む。けれども、その裏には、ほんとうの母であってほしいと求めているものがあるわけです。つまり、母を憎む人も、母そのものを否定してはいないのでしょう。

知るゆえに愛し知るゆえに憎む
 そういうふうに、いのちと母との関係は非常に深いのだろうと思うのでありますが、しかし、わたしたちのいのちは、母からのみ始まったものではない。わたしたちは、父母を縁として生まれたのであります。
 ですから、わたしたちは「お母さん」と呼ぶけれども、ただ、その言葉だけでは、自分のいのちをほんとうにいいあてることはできない。それは、わたしたちのいのちは、父と母を縁としてはじまっているからです。つまり、わたしの中に、母なるものと父なるものとがあるからです。
 わたしの中に母なるものと父なるものとがあって、その二つが、ある意味ではいつも戦っている。その二つが、矛盾して戦っている。父なるものと母なるものが、いつも一つになろう、ほんとうに一つであろうとしながら、しかも相互に矛盾するために悩んだり苦しんだりしている。そういうふうに考えることができるのではないでしょうか。
 この場合、母なるものと父なるものとを、愛と知というふうに考えることができないでしょうか。母なるものとは愛であり、父なるものは知である。その愛と知は、わたしたち人間の世界にあっては、一応、矛盾する関係にあるといわねばならない。それについては、先回、摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)という言葉を手がかりに、いろいろ考えてみました。愛と知がなければ、わたしたち人間は生きられない。にもかかわらず、その二つは矛盾するのです。
 知るゆえに愛し、愛するゆえにいよいよ知ろうとする。けれども、また、知るゆえに憎み、憎むゆえに忘れようとする。二つは矛盾しながら一つであろうとしている。一つになろうとしながら相い矛盾する。知と愛は、一応、こういう関係にあるものだということができましょう。
 ところが、よく考えてみますと、知と愛は互いに矛盾するようですけれども、事実としては一つなんだといわねばなりません。一つだから、こうして知と愛について考えることもできるのでしょう。
 話が飛躍しているように思われるかも知れませんが、それは、いま、ここにいるわたしは、父母を縁として生まれて来たのですが、わたしは一者である。わたし自身がここにあるという事実としては、父なるものと母なるものが一つであって、矛盾も対立もないということです。
 つまり、事実は一つなんですが、それを、いったん分別(ふんべつ)するというか、この自分のことを考えでとらえようとすると、そこに父があり母があるということになるわけです。自分をぬきにして自分以外の人間として考えると、そこには、父があり母があるということになります。知と愛というものを考えますと、考えでとらえたところには矛盾が出てきます。
 それで、その二つが矛盾するというならば、父母は、矛盾するままに、わたしとして一つである。これが、わたしが生きている事実というものです。こういうことを仏教では「このままが即ち一である」とか「二即一」というようにとらえるのだと思います。

父なる神と親たるアミダ
 このような、このままが一であるような、わたしのいのちの根源を、わたしたちの先祖は、「(おや)」という言葉であらわしてきました。親というのは、いのちの根源という意味です。
 それで、いま、ふと思い出したんですが、鈴木大拙先生が「日本では、父とか母とかいわないで、それをひっくるめて親ということにしてしまう。親といえば父と母を合わせての親である。西洋の言葉では、ファーザー(father)とかマザー(mother)というけれども、親という字は複数にする」といっておられます。
 みなさん、ご承知のように、あのP・T・AのPは、英語の親という意味の言葉でペアレンツ(parents)といいます。あれを略したものですが、鈴木先生は、「日本語の親というものをあらわす言葉は、英語にはないように思う」といっておられます。
 わたしは、外国語のことはよくわかりませんが、辞書にはペアレント(parent)は「根源」とか「親」という意味だとしてあって、そこにファーザー・オア・マザー(father or mother)とあります。父または母、それがペアレントで、両親をさすときには、ボス・ベアレンツ(both parents)というように語尾にsをつけて複数にするわけです。
 けれども、日本でも、両親とか、ふた親といって、それで父と母と両方をあらわすということもあるわけですし、西洋と東洋の言葉のちがいということになると、もうひとつはっきりしないものがあるようです。ただ、その「ペアレント」には根源という意味がある、また、「親」というのは、いのちの根源である、そういう共通点があるのは面白いと思います。
 ところが、キリスト教では、父ということで神さまをあらわします。聖母マリヤというように母もでてきますが、たとえば『バイブル』の「マタイによる福音書」には、「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである」とあって、神にたいする祈り方を教えております。「祈るときには、自分のへやに入って、戸を閉じて、隠れたところにおいでになるあなたの父に祈りなさい」と、こういってあります。
 この父なる神は、また愛の神なのですから、わたしのように父は知、母は愛とみるのとは、ちょっとちがって比較することはできませんが、とにかく西洋では、父とか母とかでもって神さまをあらわそうとします。そして、神さまのことを親であらわすということはないといっていいようです。
 これにたいして、仏教の、とくに真宗では、昔から、アミダさま、親さまというようにいってきました。わたしも、子供の頃から、よくアミダ如来のことを親さまというのを聞いて、なにか抵抗を感じておりました。親といえば自分の親のことをすぐ思うわけですが、それと救主(きゅうしゅ)とを一緒にするような説き方は誤解を生じる、と、子供心にも反発を感じておりました。
 が、その親ということであらわそうとするものは、いのちの根源なんだと気づいてみますと、そこには父と母との別があるのではない、父なるものと母なるものが、親として、一つである。つまり、親はこの身を生み出したもの、だから、この身として、父母は一つであると知られるわけです。
 そして、その親ということで、知と愛とが一つであるところのアミダ、つまり、いのちの根源をあらわそうとするわけです。だから、そこに帰れば、父と母との矛盾はなくなる。争いはやむ。そのような、いのちの親をナムアミダ仏といい、そのアミダの智慧を、とくに勢至(せいし)菩薩(ぼさつ)があらわし、そして、慈悲のはたらきを観音(かんのん)菩薩があらわす。観音と勢至を統一してアミダ如来がある、と、このように了解されるわけです。

帰命はよびかけにめざめた言葉
 すでに、お話しましたように、アミダは、無量光(むりょうこう)であり無量寿(むりょうじゅ)です。というのは、かぎりのない愛と智慧とが矛盾なく一体であるものがアミダだということです。ということによって、わたしたちは、父母を縁として生まれてきたものであるけれども、いつまでも父母にたよって、父母の世界にとどまっていたのでは駄目である、そこにいたのでは、ほんとうにすくわれることはないということを教えられます。つまり、父母を縁として生まれてみれば、一人ひとりにいのちの親が与えられている、その親、つまり永遠のアミダに帰ることこそ、ほんとうのすくいなんだということであります。
 ところで、このナムというのは帰命(きみょう)という意味で、親鸞のつくった「正信偈(しょうしんげ)」には、いちばんはじめに
  帰命無量寿如来  無量寿の如来に帰命し
  南無不可思議光  不可思議光に南無したてまつる
とあります。つまり、帰命も、ナムも、ともに「(いのち)の根源(アミダ)に帰る」ということです。それは「なんじのいのちの故郷に帰れ」という、願いのよびかけと、「わがいのちの故郷に帰ろう」とする、願いにめざめた心とが、呼応(こおう)する言葉であります。
 「帰れ」というよびかけと、それにめざめて「帰ろう」とする願いが一つになった言葉。それが「命に帰る」ということ、帰命ということであります。

アミダの名前ははたらいている
 ですから、ナムアミダ仏というのは、単なる仏さまのよび名ではありません。名称ではありません。たとえば、わたしのことを伊東という。あるいは、中村君とか松井君とか、そういう名前によって、自他を区別する。また、このわたしの前に、書物や時計をのせるためにあるものは、テーブルという名の道具である。わたしに時間を教えてくれるのは、時計という名の機械である。しかし、ナムアミダ仏というのは、そういうようなものの名称、人の名称と同じような意味の名前ではありません。ナムアミダ仏は動いている言葉、はたらく言葉です。
 といっても、人の名前にしても、ものの名前にしても、よく考えてみれば、名前がちゃんとはたらいているのでしょう。ここで、鈴木大拙氏がこういわれた、曾我先生がこういわれたというと、みなさん、ほとんどの人は、あの先生方を知らんけれども、「ああそうか」とわかってしまう。鈴木先生や曾我先生と一つになってしまう。ちゃんと名前がはたらいていますね。
 それから、こういうことも考えられます。いまから三十幾年か前に生まれた人間に慧明という名前をつけた。これがわたしなんですが、ところが、わたしは、伊東という姓の家に生まれてきた。慧明は自分だからわかるが、伊東は、いつから伊東になったのか、とにかく先祖代々、伊東である。ということは、もうとっくの昔に死んでなくなったはずの先祖が、伊東という名のなかに、ちゃんと生きてはたらいている。この慧明には伊東という歴史がある。これを仏教では宿業(しゅくごう)といいますが、とにかく、これによってもわかりますように、人の名前も、ただの名称というか区別するのに便利なようにといってつけただけのものではない。
 だから人の名前もはたらいているわけですが、このナムアミダ仏という言葉は、それと同じということはできません。いまの例でいいますと、この慧明にまでなった伊東のいのちには、いのちの故郷がある。もっとも、わたしは松阪に生まれたんだから「お前の故郷は三重県の松阪じゃないか」といわれるかも知れません。なるほど、この慧明は松阪に生まれたけれども、松阪は伊東の故郷だということはできない。
 伊東の歴史をずっとずっとさかのぼっていくと、こんな顔をしているのですから、もともとの日本人じゃなくて、どこかから海をわたってきたのかも知れません。そんなことをいい出すと、もとはアメーバだろうということになってしまうかもわかりませんが、アメーバだと説明しても「そうかなあ」というだけで、もうひとつピンとこないものが残ります。つまり、考えてもわからんという問題がある。まあ、それはそれとしても、たとえアメーバであるにしても、アメーバにはアメーバの故郷があるでしょう。それはどこか、われわれの考えではとらえようがない。そのとらえようのない故郷が、「ここですよ」と、この身をとおしてよびかけている。それがナムアミダ仏だと歎異抄は教えているわけです。
 ですから、ナムアミダ仏は、ここに帰れというよびかけと、帰ろうとするめざめとが相い呼応する言葉である。つまり、ナムアミダ仏は、この世を動かしているところの非常にダイナミックなはたらきである、こういうことを第一節に述べてあるわけです。

生そのものには差別がない
 ところで、この会場には四十人も五十人もの人がいる、けれども、みんな顔がちがうように、わたしたちの人生は、一人ひとりちがいます。なるほど、わたしたちが、いまここに生きているということを考えてみると、生きている状況とか環境というものは、よく似ております。わたしたちは、犬でもないし猫でもない。お互いに人間である。しかも、日本に生まれ、日本に暮し、日本語をしゃべる。また、米を主食として食べている。そういうような共通点をもっているから、わたしたちはお互いに日本人である、と、こういいます。
 けれども、厳密に考えるならば、それは似ているのであって、決して同じなのではない。猿よりも人間どうしの方が顔が似ている。けれども似ているということと同じこととはちがう。結局は一人ひとりみなちがう。これを、仏教では業がちがうといいます。
 われわれ人間相互を比べてみると、多くの類似性がある。人間としての業ということになれば共通するものがある。そういう意味で共業(ぐうごう)というけれども、それも、おしつづめていけば、最後には一人ひとり業がちがう。それを不共業(ふぐうごう)とよんでおります。このように、人として生きているということには、多くの共通点があるけれども、一人ひとりはちがうといわなければなりません。
 ところが、再びおして考えてみると、どんなにちがった形で生きておっても、生きておるということそのことはわからない。いのちそのものにかわりがあるわけではない、とこういわなければならない。なるほど、すがた形はちがう。男性と女性とは容貌も考えも、いろいろの点でちがう。しかし、男性として生きているということ。女性として生きているということ、あるいは、青年として生きている、老人として生きているという、その生そのものにかわ年があるはずはないのであります。

宿業本能に生きる人・曾我量深
 このようにもうしますと、わたしには忘れられないことが一つあります。というのは、いまから、ちょうど五年前のことであります。そのころ、わたしは、東京の研究所に勤務しておりましたが、曾我量深先生をお迎えして、親鸞聖人にゆかりの深い関東地方の聖跡を回ったことがあります。
 曾我先生は、わたしどもの心から尊敬している先生でありまして、現在、九十才の高齢で大谷大学の学長の職に就いておられます。ですから、当時は八十五才になっておられたわけですが、観光バスで浅草を朝早く発って、夕方までに帰る予定で出発した。ところが、ちょうど台風だったか豪雨だったかで路がいたんでいたので、迂回をしたり、また、雨でやわらかくなった田圃道(たんぼみち)にバスの後輪がめりこんで、あやうく小川に落ちそうになるというようなことがあって、予定がすっかり狂ってしまいました。夕方には浅草にもどるはずだったのに、土浦までひきかえしたころには、もうすっかり日がくれていました。それで、わたしたちは、土浦のうなぎ弁当を買って車中で食べたのですが、曾我先生は食べられない。「宿の長谷川さんが夕食の準備をして待っておられるでしょうから」といって食べられない。
 そのうちに、同行している早稲田大学の西田君という学生が、先生の隣の席に行って、「マルキシズムと仏教」というようなことを、いろいろ質問しはじめた。二三列、前の席にいるわたしのところまで聞こえるような大きな声で、土浦あたりから束京が近くなるころまで、なにか話合っておりました。
 みんなは、弁当を食べてしまったあと、疲れと眠さでぐったりしている。ところが、西田君は先生を休ませない。先生は、なにか一生懸命に答えておられる。わたしは、はらはらしながら、いいかげんで質問をきりあげればいいのに、と思っておりました。
 浅草から西巣鴨の宿まで、わたしがお送りしたのですが、宿について長谷川さんの顔をみるなり、バスの中の続きの話が始まりました。先生は、なにか感ずるところがあって話しはじめられると、一段落するまでに三十分や一時間はかかる。
 最近は、学長になられたので、腕時計をもっておられて、時間に注意されるようになりましたけれども、話に興がのると、二時間の講話が三時間になり、ときには四時間になるということもありました。先生は時間を忘れて話されておりますので、それを途中でとめようと思っても、なかなかとめることができないのです。
 そのときも、やはりそういう調子で、やっと話の隙間をみつけて「もう、時間も大分遅いようですから」と口をはさんだときは、十一時ごろだったでしょうか。「お食事になさいますか、お風呂になさいますか」とおたずねすると「風呂を先にいただく」ということで立とうとされるのですが、テーブルに両手をついて立とうとしても、すぐに立てない。肩で息をするといいますが全く疲れきっておられるわけです。それで、わたしは、「先生も大変お疲れのようですから、早くお休みになってください」とつけくわえた。
 すると先生は、わたしに向って、
 「わたしは疲れてません――」。
そうして、こういわれました。
 「先生は老人だからお疲れになるでしょうという人がありますが、生きているのは、老人でも青年でも、みな同じです。疲れるのは、意識が疲れるのでしょう」。
 その先生の言葉を聞いたとき、わたしには、自分の顔がみえた。疲れはてている自分の顔がはっきりみえたのです。そして、先生の言葉どおりに「たしかに先生は疲れておられない」と感じました。先生にもしものことがあっては大変だという気持ちで、わたしの方が疲れはてていたのです。
 そのとき、その疲れた意識をつき破るように「先生は疲れておられない」と感じた直後、「ああ、そうだ。先生のいわれる宿業(しゅくごう)本能(ほんのう)とはこれだな」と思いました。それは、もう全くの突然で感ずるのも思うのも一緒のようなことなんですが、そのとき、わたしは「宿業とは本能である」という先生の難解な言葉が、眼の前でピチビチ生きてはたらくのを感じました。
 だいたい先生の話はむずかしくて、どうして宿業が本能なのか、それまで考えても考えてもわかりませんでした。また、そのとき、どうしてわたしの頭にその宿業本能という言葉が浮んできたのか、見当もつきませんが、その言葉が生きてはたらいているのを身をもって感じたのです。それから、わたしは、先生の教えが、わかるようになったといえば語弊がありますが、なにか非常に身近な言葉として聞けるようになりました。
 話が横道にそれたようでありますが、つまり曾我先生は、「生きておるということは、年寄りでも青年でも、かわりがあるはずはない」と教えてくださる。生そのものに差別があるはずはない。生きるすがたかたちは、老若男女貴賤貧富とちがっても、生そのものは平等であり絶対である。実は、歎異抄の第二節は、そういうことを語っているのであります。

ただ「めざめ」を肝要とする
 ですから
「アミダの本願には、老人であるとか青年であるとか、あるいは、善人だ悪人だというような差別はない」。
 なるほど、人生には老少あり善悪がある、だから身体的、生理的な面から老人あり青少年ありといいます。また、精神的にいえば、善人あり悪人ありということができるのでしょう。けれども、そのような老少善悪という差別の成り立っている生そのものは、絶対のもの、平等のものである。だから
 「ただ、信心ひとつを肝要とすると知らねばならない」。
 肝要の要は「かなめ」、つまり、扇のかなめであります。どんなに立派な材料がととのっていても、どんなにきれいに作られたものでも、その扇にかなめがなければ、風を送るはたらきをなさない。扇のかなめ、これがなくては扇の役目をなさないというようなもの。ちょうど、そのように、人生にあって最も肝要なことは、生の事実にめざめるということだと教えられます。
 古歌に
  月影の、いたらぬ里はなけれども、
  ながむる人の、心にぞ住む
というのがあります。月の光は、すべてをくまなく照らしているのだけれども、月とともにあるということ、月に照らされているんだなということは、ながむる人の心にぞ住む。月の光にめざめ、月を仰ぐ人のみが、月とともにあるということを知って生きるのである。ここで「月をながむる心」というのが、つまり「めざめ」であります。このように、めざめということ、信心為本(しんじんいほん)ということ、つまり信心を根本とするということを明らかにするのが、第二節であります。
 では、めざめとは、なににめざめるのか、めざめの内容というものはどんなものであるか。そして、そのめざめのはたらきのもとはどこにあるのか。つまり、どうして、めざめが肝要だというのか、そういうことについて第三節に
 「というのは、罪ふかく悪重きことにめざめたもの、わずらい悩むことに気づいたもの、このような人たちをたすけるのが、アミダの本願だからである」
と述べるのであります。

自業自得は罪の罰
 ここに罪悪深重(ざいあくじんじゅう)という言葉がありますが、わたしたちお互いに、自分は罪人だとか自分は悪人だというようなことは考えないのかも知れません。なるほど、法律にひっかかるような悪いことさえしなければ「あいつは悪人だ」というレッテルを貼られるということはないわけであります。けれども、よく考えてみますと、「法律によって罰せられない、警察のお世話になったことがない、だから自分は悪人ではない」といえるかどうか。
 『バイブル』には「(なんじ)姦淫(かんいん)することなかれ」という有名な言葉があります。姦淫といっても、肉体的な行為にかぎったことではない。「心に色情をいだいて女をみたものは、すでに姦淫したのと同じである」。こうなると、もう凡夫なら、みな悪人だということになります。
 心に色情をいだいて女をみたからといって、法律によって罰せられるということはない。しかし、『バイブル』によれば、女を犯すということにおいては同罪である。つまり、われわれの行為というものは、身体でなすことにかぎったものではない。
 たとえば、だれかとけんかをして相手をなぐるとします。実際に手をふりあげてなぐれば身の行ない、身業(しんごう)というものになる。ところが、口論にとどまれば、口業(くごう)とか語業(ごごう)というものになる。言葉が相手を殺すということもありうるわけです。
 このように、身体や言語の暴力にうったえて相手を害すれば、あいつは悪人だということになるけれども、心の中で思っているのは罪にならぬかというと、そうではありません。心に思うことも立派な行為、これ意業というものであります。これは、あるいは法律によって罰せられるということはないかもしれない。では、罪ではないかというと罪がないのではない。それを仏教では自業自得(じごうじとく)といいます。
 たとえば、いつも下品な考えにとりつかれている人、助平なことばかり考えている人があるとしますと、その人は、やがてきっと、そういうような顔つきになる。思っていることにふさわしい顔ができあがる。そして人から軽蔑される。軽蔑されて自分自身、面白くない日を送ることになる。これ自業自得である。
 だから、人間というものは、身口意(しんくい)の三業、すべての行為の責任は、みんな自分に負うていく。生きてなすことの責任は、みんな自分が負うていく。これが人生というものであります。

いかなるふるまいにてもなすべし
 あるいは、また、罪の可能性ということを考えますならば、どうしても、われわれは、自分が善人だというわけにはいかない。たとえば、これは一つの仮定でありますが、空腹をかかえて、しかも、なにも食物がないという状況におかれたとします。
 つい先ごろ、新潟には、大きな地震がおこって、あの地方の人びとは、いまも大変困っておられますが、そういうような天災とか人災というものに出会って、飢餓状態にあるとします。そのとき、たまたまだれのものかわからないが食物が見つかったとします。わたしたちは、はたしてそれを盗って食べないであろうか。空腹をがまんして餓死するかもしれない運命に、じっと耐えられるであろうか。
 ふと、いま思い出す話があります。それは、ある新聞社が、いまもうしたような天災かなにかがおこって、みなが飢えているとき、わずかばかりの粥が配給されたとする。「そのとき、あなたはどうしますか」と、三人の宗教家にアンケートを求めた。Aは、「自分は箸をつけずに、隣人に与える」という。Bは、「半分は自分が食べるかもしれないが、半分は特に弱っている人に与えるだろう。少なくも、そうしたいものだ」という。ところが、Cは、「おそらく、みな自分が食ってしまうだろう。ひとのことなど考えている余裕はない」と答えたといいます。
 さあ、みなさんならば、どうされますか。この答えを聞いて、どう思われますか。「宗教家としてはAのようでなければならぬ。けれども、一番人間らしいのはCだ」。人びとは、このように考えるかもしれません。
 では、親鸞ならば、どのように答えるであろうか。「さるべき業縁(ごうえん)のもよおさば、いかなるふるまいにてもなすべし」。これが親鸞の答えであります。つまり、そういうことは、予定概念をもって答えるわけにはいかない。Aであるか、Bであるか、あるいはCであるか。あらかじめ答えを決めることはできない。「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいにてもなすべし」。可能性としては、なにをしでかすかわからぬもの――それが、わたしである、人間である、と、このようにいいます。これは、一点のごまかしもなく、人間というもの、自分というものを、じっとみつめている言葉であります。人間のありのままをいいあてた人間観であります。

愛と憎しみのもとには無知がある
 それでは、人間の行為が、すべて罪悪深重といういろどりをもってくるのはどうしてでしょうか。それが、次の「煩悩(ぼんのう)熾盛(しじょう)」という言葉によって示されております。煩悩というのは、身をわずらわせ心を悩ますような心理。身と口と心とのあらゆる行為を起させるような心理。それを煩悩といいあらわします。
 ですから、われわれは、生きているかぎり次から次へと行為する、生きているということは、なにか行為しているということでありますから、したがって、煩悩も無数である、熾盛であるといわねばならない。愛したり憎んだり、喜怒哀楽、さまざまな心理がある。
 だから煩悩は無数であり、熾盛であるというべきものでありますが、数にあらわせば、たとえば、煩悩は一〇八あるといいます、ご承知のように、除夜の鐘は一〇八たたくということになっている。あれは、一〇八の煩悩を一つずつ鐘の音とともに消していくのだといわれております。その一〇八を、もっとも簡単に整理したものを、貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)の三大煩悩といいます。
 まず、愛執する心(貪欲)と怒り憎む心(瞋恚)。愛と憎しみ、憎しみの心がもっとも極端になったものが(いか)り。この愛は水に喩えられます。いつまでも自分のものにしておきたいと愛執し愛着する心は、ひたひたと地にしみこみ地を流れる水のように、静かであるけれどもなかなか強い。「点滴(てんてき)、石を穿(うが)つ」といいますが、水は決して弱くはない。暴風にでもなれば、ど(とう)となり津波となり、雨となる。平常時の水は、そういうような強さ激しさを内に秘めて静かなものです。
 それにたいして、(いか)りは火に喩えられる。火は破壊の心、否定の心をあらわす。憎しみがこうじると、やがて、いっそうのこと相手がなくなればいいということになる。どんなに長い歴史を誇る建物でも、火にあえばひとたまりもない。長い友情も、お互いの我を主張してぶつかりあえば、もとも子もなくします。
 このように、人生というものは、愛と憎しみとの二大煩悩によっておりなされる唐草模様だといえましょう。善導(ぜんどう)大師(だいし)の「二河(にが)譬喩(ひゆ)」というのは、こういう水火(すいか)二河の人生と真実の宗教との関係を深くとらえているものですが、この歎異抄の第二章を、さらに徹底して了解するためには、ぜひあわせ読むべきものであります。
 さて、いま述べたように、人生には愛と憎しみとがある。愛執し肯定する心と、瞋憎(しんぞう)し否定する心とがありますが、では、この人生の愛憎違順(いじゅん)は、いったいどこからくるのであろうか。それは無知による。愚かであることによる。つまり、真理に明らかでない、これを愚痴といいます。
 貪欲と瞋恚の人生のもとには、愚痴があります。すなわち、人生は無明からはじまっている。ですから、この愚痴という心理は、愛と憎しみと同じ次元にあるような心理でなくて、愛と憎しみを成立させているような心理であります。
 ふつう、人生問題を考えるにしても、ただ、愛と憎しみだけしか考えないのでしょう。また、そこまでは人間の知恵でもって考えることができるわけです。ところが、仏教は愛と憎しみの人生がどうしておこってくるのであるか、と、その根本原因をさぐりあてて、無明ということを明らかにします。

人間は生ける(しかばね)であってはならぬ
 実は、人間観、人生観といいましても、ここまで徹底しなければ、ほんとうのものではない。そうでないと、人生の問題が解決されるようにみえても、人生そのものの問題がはっきりしなければ、結局は、人生とはなになのか、ということもわからなくなってきます。平常は、わたしたちは、お互いに人間であるということを疑ってみないのでしょうが、「人間とは、どういうものか」「人はなんのために生きるのか」とか「人間はどこから来て、どこへ行くのか」というような疑問がおこると「さて」ということになります。
 弘法大師の言葉に
 「生きて生きて生きて生きて、生の始めにくらく、死して死して死して死して、生の終りにくらし」
とありますが、生も死もかわらないような人生は愚痴の人生、無明の人生だといわねばなりません。
 というのは、どれだけ努力をしても、努力が実らないというか、結局、虚しく終わっていくということでしょう。それは、ちょうど生ける屍のようなものである。生きているのだけれども、生きていること全体が屍のようなものである。人間は、これでいいはずはない。人生は、そのような生ける屍であっていいわけはない。その証拠に、わたしたちは、この愚痴をいわずにおれないような人生に不満を感ずるではありませんか。ということは、つまり、わたしたちの生が無明から始まっているということにめざめよ、と、わたしたちのめざめをまっているものがあるということです。自覚をうながしているものがあるということです。
 そのような、めざめをまっているもの、自覚をうながしているものを、わたしたちは、アミダの本願とよびます。そのアミダの本願は、めざめをまって、そうして、すくいを実現しようとするものですが、したがって、アミダは、人びとが、そのことに気づくまで人びとと運命を共にしようとする、人びとが無明のなかで迷うていくならば、共に迷って、そして、みずから覚めるときをまとうと誓われている。そういう意味で、アミダの願いは、単なる願いではない。誓約といったような内容をもった願いである。それで「アミダの誓願」というのであります。

清沢満之の「わが信念」
 この「アミダの誓願」とか「アミダの救済」とか、あるいは「救済と自覚」というような問題を考えるとき、わたしは清沢満之先生の「わが信念」という文章を忘れることができません。特に歎異抄の第二章は、内面的に「わが信念」と深い関係をもっていると思います。
 清沢先生のことについては、第一回のときに簡単にご紹介しましたが、「わが信念」は、四十一才でその生涯を閉じられた先生が、なくなる一週間前に書かれたもの、そういう意味で、先生の求道生活の到達点を表白した文章です。で、ここでは、その全部をお話する時間もありませんから、今日は、ごく一部分だけを読みながら感じたままをもうすことにしましょう。
 「わが信念」のはじめの方をみますと、まず
 「わたしの信念とはどんなことであるか、如来を信ずることである。わたしのいうところの如来とはどんなものであるか、わたしの信ずるところの本体である」
と述べて、それから「わたしが信ずるとはどんなことか、なぜそんなことをするのであるか、それにはどんな効能があるか」と三つの問題を出しておられます。
 それで、第一に信の効能はといえば、如来を信ずれば救われるからだというほかはない。「如来は、わたしにとって無限の慈悲である。」そして、なぜ信ずるのかというならば、それは、わたしの知恵の究極だからである。つまり、「如来は、わたしにたいする無限の知恵である。」
 したがって、このような信念は、如来を信ずることなのであるが、「その如来は、わたしの信ずることのできる、また信ぜざるをえざるところの本体である」。この信の根本本体、つまり「如来は、わたしにたいする無限の能力である」と、このようにいわれます。
 信の効能はといえば、それは無限の慈悲である、なぜ信ずるかといえば、それは如来はわたしにとって無限の知恵だからである。信ずるとはどんなことかといえば、それは如来の無限の能力が、わたしの上に、わたしの力となってはたらいてくださることである。だから、「わたしの信念は、無限の慈悲と無限の知恵と無限の能力との実在を信ずる」ことであると述べておられます。
 これについては、また改めてよく考えてみたいと思いますが、第二の、なぜ如来を信ずるかということについて述べられるところに、次のような注意すべき言葉があります。
 「人生の事に真面目でなかりし間は、()いていわず、少しく真面目になり来りてからは、どうも人生の意義について研究せずにはおられないことになり、その研究がついに人生の意義は不可解であるというところに到達して、ここに如来を信ずるということを惹起(じゃっき)したのであります。」
 人生の意義を探究せずにはおられないというところに、まず真面目さというものがある。言葉をかえていえば、真面目さが不真面目な人生態度を見出してくるわけです。

努めてやまないものはすくわれる
 このように、人生の意義について研究するということは、自己満足におちいらないということでしょう。この自己満足こそ精神の敵である。だから、若い心、探究する精神は大いに迷うにちがいない。
 ゲーテの『ファウスト』という書物の最初の方には「人間は努力しているかぎり迷うに決まっているものだ」という意味の言葉があります。努力すれば迷うに決まっている。迷っているということは努めているということである。だから、迷うということは、疑問をもつということですが、その疑いを徹底し、探究を徹底する。いい加減なところで妥協しないで、徹底するということが大切である。それが真面目さというものでありましょう。
 たとえば「ナムアミダ仏とは、いったいどういうことだろうか」という疑問がおこってくるとします。それについて、さきほどもいいましたように、ナムアミダ仏というのは、一応、仏檀の前での挨拶だと考える。「では、仏檀とはなんだろうか」と考えを進めてみる。
 仏檀は一般には、われわれの先祖がおさまっているところというふうに考えられている。たしかに、先祖は仏檀の中におさまっているのにちがいない。けれども、先祖は仏性の真中にあるだろうかというと、そうではない。真中にはアミダがある。もっとも、このごろでは、仏檀の真中に先祖をまつる人もあるようですけれども、それは間違っている。やはり、中心にあるのは、ナムアミダ仏の名号であるとか、あるいは、絵像、木像でなければならない。
 それからまた「先祖とはなんだろうか」と考えてみる。すると、わたしは先祖を縁として生まれてきたものである。だから、先祖は、わたしのいのちの歴史であり、いのちの深さである。その先祖の真中にアミダがあるということは、わたしのいのちの中心にアミダがあるということである。つまり、わたしのいのちの中心にアミダがあるということを形にあらわしたもの、それが仏檀である。
 だから、ナムアミダ仏は、仏檀に坐ったときの単なる挨拶ではない。もし挨拶という言葉を用いていうなら、わたしのいのちと、いのちの根源とが出会ったときの挨拶である。こういうように、疑問を解いていくことによって、わたしの道は開かれ、わたしの世界は広くなっていきます。
 ですから、疑いが生じたならば、それを徹底していく、ということが大切で、そうして努力をすれば迷う、けれども、努力する迷いというのは、ただ迷うだけのものではない。だから、ゲーテは『ファウスト』のあとの方では「努めてやまないものはすくわれる」といっております。
 こう考えてきますというと、努めて迷うということは、すくわれるべく迷うのである、いや、迷いは、すでに救いの始まりであるということすらできるのではないか、と、こういえると思います。
 この会でも、こんな難しい歎異抄なら聞かなければよかった、仏教の話など聞かなければよかったというようなことを耳にしますが、しかし、もう後に退くことはできない。たしかに、困難がある、後ずさりしたいという気持ちもありますけれども、後退するということは人間失格の途である。どんな困難にも負けないで前に向っていく、どこまでもどこまでも探究していく。これが、われわれの道だと思います。

人間はなぜ自殺するのか
 さて、清沢先生の「わが信念」に話をもどしますと、人生の意義を求めて、その結果、先生は、ついに「不可解」というところへ到達したといわれます。
 この「人生の意義は、ついに不可解である」。こういう言葉を聞いて思い出しますのは、ちょうどそのころ、華厳の滝に飛び込んで自殺した藤村操という人のことです。清沢先生は、不可能と知って如来を信ずる、そこから無限の能力に生かされる人生が始まるといわれる。藤村操は、不可解だからと自殺をする。この違いは、いったいどこから来るのでしょうか。
 ここで、わたしは「めざめ」(自覚)といっても、哲学的自覚と宗教的自覚とは本質的にちがうということを教えられます。おそらく、哲学することによって自殺した藤村操という人は、人間的には非常に真面目な人だったのでしょう。
 清沢先生も「わが信念」のあとの方で、
 「もし、このような不可能のことのために、どこまでも苦しまねばならぬならば、わたしは、とっくに自殺をとげたでありましょう。しかるに、わたしは、宗教によって、この苦しみを脱し、今に自殺の必要を感じませぬ」
といっておられます。自殺を考えるということは、それほど真面目だということでありますが、しかし、徹底していえば、自殺する必要のない世界に出るほどには真面目でなかったということができるかと思います。
 もっとも自殺ということを考えますと、いろいろの問題があると思います。現代では、青年と老人の自殺の多いのが社会問題にもなっていますが、病苦あり、失敗あり、絶望あり、原因はいろいろあるのでありましょう。さきほども、ちょっともうしましたように、その根本には無知とか無明というものが考えられます。愛と憎しみの底に無知がありますが、その無知のなかで自分を愛する、自分が可愛そうになる、もうこれ以上生きて苦しんだり悩んだりするのがたまらなくなる。それが自殺もさせるのでしょう。
 いまの場合、藤村操は、哲学によって、人生の意義を究明しようというのですから、そこには理知といいますか、われわれの考える能力にたいする信頼があります。だから、行きづまるということは、人生を考える能力が限界にきているわけですが、藤村操は、人生を疑ってはみたけれども、人生を疑う理知を疑わなかった。つまり、理知を絶対のものとしたために、ついに自殺をしなければならなかったのです。
 さきほどもいいますように、歎異抄はわからぬという、たしかに、わからないとしかいってみようのないような問題もありますけれども、それではやめるかといいますと、やっぱりやめられない。この、やめられないのが大事なんだと思います。実は、わからぬといっておりますが、わからぬというかぎり、なにかわかっているものが前提になってある。わかっているものがなければ、わからぬというはずもありません。
 ところが、そのわかっているものを、わからぬようにしているものがあるわけです。その正体をはっきりさせるまで、われわれは歎異抄を読むのをやめるわけにはいかない。もし、わからないからといってやめてしまえば、藤村操になってしまう。たとえ自殺をしなくても、生ける屍になる。つまり、自殺行為にひとしいことになるわけであります。
 人生に真面目であるということは、どこまでも探究することをやめないということでしょう。探究をやめないで続けられるのは、人間の考える力、理知というものを絶対視しないということであります。わたしたちの知ろうとする生は、わたしたちが、ものを考えるに先だってすでに始まっている。生は、考える能力以上のところから起っている。それを理知のはたらきだけで解明しつくそうとするのは無謀というものでしょう。
 ちょうど、それは、わたしの体を、わたしの力で、この大地から、天に向って引きあげようと企てるようなものです。それは無謀である、不可能であるといわねばなりません。このような人生のすがたにめざめた心を、われわれの先輩は「自力無効」といいあらわしております。

他力は自力のつくせる道
 「知らざるを知らずとする、これ知れるなり」ともうしますが、不可解を知ることは、可、不可を超えた大きな知恵であります。理知が理知の分限を知る、これが自力無効の自覚でありますが、理知は分限を知るからこそ、理知は持てる全力を発揮するということができます。
 すなわち、絶対他力とは、虚心平気に生きていくことのできる道である。他力は、自力のつくせる道である。もし、この人生に、自力をつくしていける他力がなければ、わたしたちは、きっと途中で挫折してしまうでしょう。自分で自分を殺さねばなりません。自分に与えられた力を発揮できないで、途中で死んでしまうにちがいありません。
 この自力の限りをつくして生きるということを、生かされて生きる人生といいます。それは、どこまで生きても、どんなに生きても、すべては、なにか大きなはたらきの中に生かされてあるような人生である。そこには、自力の限界に向って進む生き方が、自力の限界の自覚から出発する生き方に転ぜられるということがある。その生の方向の転回を、清沢先生の言葉をかりていえば、不可解の自覚といいます。これは自力無効にめざめるということであります。
 ここで、第一章の第二節、第三節については、まだいい残したことが沢山ありますが、時間も来ましたので、それはまた次回にもうすことにします。要するに、いま、生かされて生きるといいましたが、それが、ナムアミダ仏の人生であり、アミダの本願にすくわれていく人生である。そのような、人生の展開されてくるところに、「めざめ」という大切な問題があるわけであります。
                                 (昭三九・六・二一) 


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