1 序・第一章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 まえがき
  一 序  
  二 第一章の一  
  三 第一章の二  ◀  
   案内・講師のことば
   講  話 
   座談会 
  四 第一章の三  
  補 説  
  あとがき  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
  ※ Web版註: 本サイトは、著者および出版社のお許しを得て、管理者の責任で公開するものです。
           内容に関する連絡および問い合わせ等は管理者に行って下さい。
三 第一章の二 「め ざ め」


     案内のことば

 伊東先生の話は「むつかしい」とか「へタだ」という声が、わたしたちの耳にとどいています。たしかに、先生の話は、むつかしく、選挙演説や、ひびきのいい笑話になれているわたしたちの耳には、へタに聞こえます。
 「ウソをいうなら、小さなウソではだめだ、大きなウソをくりかえせ、そうすれば大衆は信じる」といったのは、ヒットラーです。あの悲惨な第二次大戦は、彼の、でっかいウソに熱狂した人びとによって、ひきおこされたものです。わたしたちは、過去のニガい経験をくりかえさないためにも、表面的な話術のたくみさに隠されたウソをみぬかねばなりません。
 考えてみますと、たくみに語らなければ通用しないのがウソではないでしょうか。しかしどのように、たくみに語られても、ウソはウソであって、それが真実に変わるはずはありません。むしろ、真実は、たくみに語る必要のないものではないでしょうか。
 若さは、ウソやお世辞の世界で、真実を求めつづける歩みのなかにあると思います。この会が、真実を求める場となり、真実を明らかにする集いとなるために、みなさんのご意見によって、自己満足の域を脱し、ほんとうに(おおやけ)の会になることを願っております。

  昭和三十九年六月十七日                  飯南仏教青年会

  なお、先回の録音をお聞きになりたい方は、これから会の当夜、午後六時半におこしください。


     講師のことば

 わたしたちは、つねにこの生が永遠であることをねがい、理想の実現を求めて生きています。ところが、先回拝読した第一章には、その永遠が、智慧ある愛のはたらきとして、この人生にあらわれたすがた――それを念仏というとありました。ナムアミダ仏は、このかぎりある相対の人生にあらわれた絶対無限です。
 しかし、たとえば、空中には電波が流れていて、美しい音楽やすばらしい話が運ばれてくるといってみても、受信機がなければさっぱりです。また、たとい機械があっても、スイッチが入っていなければ、電波のはたらきは、あってもないのと同じです。
  月かげのいたらぬ里はなけれども、ながむる人の心にぞすむ
 わたしたちが、アミダのはたらきにすくわれるには、まず、ブッダの教えを正しく聞くことが大切です。聞いて、教えのなかにみつかってくる自分自身のすがたを、正しく知ることが肝要です。だから、第一章の第二節、第三節は、わたしたちに、この身のある現実にめざめよとよびかけています。「めざめ」すなわち信の自覚なくしては、すくいは実現しないと語りかけています。


目次に戻る /ページ先頭/ 次に進む