1 序・第一章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 まえがき
  一 序  
  二 第一章の一  ◀ 
   原文・意訳・注 
   案内・講師のことば
   講  話 
   座談会 
  三 第一章の二   
  四 第一章の三  
  補 説  
  あとがき  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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二 第一章の一 「す く い」


     案内のことば

 いまから四十年ほど前、中国の作家、魯迅(ろじん)が、北京女子高等師範学校でおこなった講演、『ノラは家出してからどうなったか』のなかで「自由は金で買えるものではありません。しかし、金のために売ることはできるのです」といっています。
 工場や土方に出てはたらいている人も、工場主や農民や商人も、自分の魂まで売って生活しているということはないでしょうか。「恋の売りこみ」というポピュラーソングがありますが、男女の愛でさえ、物や金でしばられています。「なんである、アイデアル、常識」というテレビのコマーシャルではありませんが「なんである、金だけである、常識」といったことが、それこそ常識になっています。
 こんなすがたは、人間のほんとうの生活でないような気がします。
 わたしたちは、さきの第一講で、忘れてならないものは、お金ではなく、ほんとうの自分であり、そして、その自分に気づかせる真実の言葉であることを学びました。
 第一回の会合は、はじめてのことなので、いろいろ不備な点もあったかと思いますが、この会は、自分を明らかにし、大切にしようとして集まる人びとによって形成し、改善していく会です。第一回の会合に出席された友人、忙しくて出席できなかった友人、きたる二十五日の第二回の会合には、是非お集りください。

   昭和三十九年五月二十日                        飯南仏教青年会

   なお賛助金として、三十円程度、賛助箱にお入れくだされば幸甚です。


     講師のことば

 人生を正しく豊かにくらすために、なくてはならぬ大切な二つの要素。それは、いつも変らぬほんとうの愛(慈悲)と、あやまりなく真実を見きわめる智慧の眼です。しかし、残念ながら、人間の知と愛は矛盾して、一つにはならぬもののようです。
 わたしたちは、愛するものをあたたかく内に包み、愛するもののふところにいだかれて、安らかに生きたいとねがっています。が、それも、自分にとって必要がなくなれば、案外、捨ててかえりみなくなるのではないでしょうか。かりにもし、そうだとしても、わたしたちは、そんなエゴイスティックな自分に、どうして落ち着いておれましょうか。そんな自分が、どうしてほんとうの自分だといえましょうか。
 みんなになければならぬもの、みんなにはたらきかけているのに気づかないでいるもの、それを智慧ある愛、すなわちアミダといいます。アミダは、知のない盲愛ではありません。また、アミダは、慈愛をともなわぬ裁きの智慧でもありません。
 いま、第一章の第一節は、このようなアミダのはたらきにたすけられて、ほんとうのわたしに出会い、いのちの故郷に帰るものとなること、ここに「すくい」があると語りかけております。


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