1 序・第一章
 歎異抄の世界 (伊東慧明著)

   
  目  次  
 1 序・第一章  
 まえがき  ◀
  一 序  
  二 第一章の一  
  三 第一章の二   
  四 第一章の三  
  補 説  
  あとがき  
 2 第二章  
 3 第三・四・五章  
 4 第六・七章  
 5 第八・九・十章  
  謝  辞  
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まえがき


【推薦のことば1】

 十万人に唯一つの、百万人に唯一つの歎異抄あれかしと願う。この方向をとっているこの書は、平易にして、しかも、いたり届いている。ことに、この書の面目は、会ごとに青年諸氏の司会になる座談が記録されていることである。ここには、初心の理解を求むるもの、手近かな事実を問題とするものがあり、次第に歎異抄の心に分け入ろうとする熱意が現われている。

              大谷大学名誉教授 金  子  大  栄

【推薦のことば2】

 著者は真宗学の新進気鋭の学者であって、過去の教学の大家の言説を重んじながらも、それに金縛りにならないだけの独創的な見解を持っておられる。そこが青年たちにとって大きな魅力であろうと思う。私が先生の著作を愛読するゆえんもまたそこにある。
 青年諸君の求道ぶりには私も深く感動するが、諸君がもしこのような善知識にめぐりあわなかったならば、精進も、このような実りをもたらさなかったろうと思われる。まことによきめぐりあいだったと思う。そして、そのめぐりあわせが、この本のようなすぐれた著作を生み出したことを、わが真宗のために祝したいと思う。

              武蔵野女子大学教授・英文学者 本 多 顕 彰


     ま え が き

 こんにちでは、本居宣長の「鈴の屋」よりも、むしろ牛肉で有名な三重県の松阪から、櫛田川の清流ぞいに、バスで一時間あまりさかのぼると、山間に、飯南町(いいなんちょう)という名の小さな町があります。
 仰げば、縁の濃い山やまが空高くそびえたち、()してみれば、(あお)く澄みきった水の流れるこの町は、また、空気のあまくおいしいところです。といっても、この町は、現代の文化に疎遠な僻地ではありません。たしかに都会からは遠く距たっていますが、マス・コミが発達し、交通の便のよくなったこのごろでは、残されたよき伝統を失わずに保ちながら、時代社会の問題にも敏感に反応を示す、現代日本の一隅です。
 この町に、歎異抄を読む青年のグループが誕生したのは、いまから五年も前のこと、そして、かれらが、青年会を結成して「歎異抄に聞く会」をはじめたのは、昭和三十九年の春、四月でした。以来、毎月一回の例会は、休みなく続けられて、今日に至っています。
 生きた人びとによって形成される会は、いのちのある生きものです。だから、ちょうど人生に盛衰があるように、会にも、賑やかなとき、淋しいときがありました。しかし、会の中心メンバーである青年たちの職業は、「あとがき」をごらんになればわかりますように、農業、林業、理容師、電気商、公務員、銀行員、教員、学生、僧侶などと、きわめて多彩です。青年たちは、二里三里、あるいは五里もの山道を遠しとせずに集まりました。なかには、案内と護衛を兼ねた青年がオートバイの荷台に、若い女性を乗せて集まるという光景もみられました。
 そのような青年たちの集いに、招かれて、わたくしは、毎月一度、京都から出かけたのですが、それは、こころの故郷に帰るときにも似た楽しさと、安らかさのあるひとときでありました。しかし、また、それは、はたらく青年たちに歎異抄を語るということで、教壇に立って話すのとはちがった意味での、きびしさを覚えるひとときでもありました。
 はじめは、ただ何ということもなく、講話と座談会を録音していたのですが、回を重ねるにしたがって、みなは、自分たちの会のもつ意義の大切さに気づくようになりました。山村ではたらく青年と、学生と、大学の教師が、それぞれちがった生活をしながら、ただひとつ、生きる自信を求めて、歎異抄の世界をたずねた記録――。という意味で、この会の記録は、わたしたち個人のものではなく、みなが共同しておこなった事行の軌跡であります。いつのころからか、この記録を「わたくし」しないで、公のものとするために刊行したい、という希望が語られるようになりました。
 ご承知のように、今日、歎異抄に関する入門書や解説書は、実に数多く出版されております。また、わたしたちの先達が残した立派な書物もあります。いまのわたくしがなすべきことは、それらの書物をとおして、歎異抄を正しく深く理解することにあります。ですから、もし、わたくし個人の了解ならば、いま、それを発表する必要はありません。わたくし自身が、もっともっと歎異抄に学ぶことこそ、より大切なのです。
 そして、また、考えてみますと、この種の会は、全国の各地に、たくさんあるにちがいありません。ことに、歎異抄は、「現代の聖典」として、多くの人びとのこころをとらえております。わたしたちの眼には見えなくても、人知れずおこなわれている地道な会が、地下水の流れのような静かな集いが、あちらにもこちらにも、きっとたくさんあるだろうと思います。
 しかし、それにしても、わたしたち共同の歩みの軌跡が「わたくし」のものではない、ということにかわりはありません。つまり、これは、わたしたちにとっては、かけがえのない、「われわれ」の求道のあしあとです。わたしたちは、これを記録することによって、さらに深く歎異抄の世界にわけ入るための、道標にしたいと思います。そして、これをとおして、全国各地の、未知のみなさんと友だちになることができるならば、わたしたちは、まことに幸せです。
 そこで、ここには、会の模様をなるべく事実に近く再現するために、歎異抄の原文と現代意訳と注釈、および講話と座談会のほかに、毎回の「案内のことば」、「講師のことば」も収録しました。読者のみなさんが、これらのことばをたどってお読みくださるなら、会の展開する様子を知っていただくのに、きっと役立つにちがいないと思います。
 まず「案内のことば」は、主として会員の中村常郎君が書きました。前回の話から、次回への期待を、かれの了解をまじえて書いたものです。「講師のことば」は、毎回のテーマに関係のあることを、即興に綴ったもので、かならずしも話の要点を記したわけではありません。会員は、例会が近づくと、テキストの現代意訳といっしょに、これらをプリントして、青年たちに配布して歩きます。
 講話は、たとい何年かかっても、じっくり歎異抄を読みたいという会員と、はじめて歎異抄に接する人びとの、二つの要求にこたえようとしたものですが、十分に話せなかったもどかしさが残っています。座談会は、青年たちが考えたテーマを中心に話し合われましたが、会場では、のびのびした話し合いが難しく、そのため、一応散会してあとの二次会の、論議に花が咲いて、夜更けにおよぶことも、しばしばありました。この、講話と座談会の筆録は、松井憲一君が担当しました。
 「歎異抄の諸問題」は、講話その他でふれながらも十分ではなかった点、あるいは、全くふれることのできなかった点など、主として教学的な観点からの問題について、補説することにします。さらに、深く専門的に研究されるための参考になればと思います。
 こうして、歎異抄の前半、十章を、十九回の会を重ねて読み終えたのですが、その記録を、ここに『歎異抄の世界』第一部として、五冊にまとめることになったわけであります。
 この書物が刊行されるためには、ずいぶん多くの人たちのお世話になりましたが、特に、この企画にたいする積極的な賛同から、献身的な出版を担当くださる文栄堂主、田中茂夫氏に、心から敬意をささげます。また、この出版にたいして、特に配意くださる中村印刷株式会社専務、中村米作氏にも、厚く感謝いたします。

    一九六六年九月四日                          伊  東  慧  明


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