十二、業報を感ずる

『歎異抄講読(第七章について)』細川巌師述 より

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 すべてのものは因(もと)、縁(条件)、業(行動)、果(結果)、報(影響)と進む。原因があっても条件が整わないと行動にはならない。行動は結果を生んであとに影響が残る。これを因縁業果報という。業報とは、その業と報をとって業果報を表わす。
 何が因かというと、私の間違った考えが因である。人もやっている、こんなことは大したことではないという考えがもともと自分にあった。それに誰も見ていないというような条件が整って、会社の物を持出すという行動になる。それが思わぬ人に見つけられて会社を首になったというように、次々と色々なことが起る。我々の罪業(行動)の起る元が私の間違った考えである。そこに条件が整って行動化した。そしてあとに苦しみ、不安、後悔、恐怖が残ったのを「業報を感ずる」という。因縁業果報を感じとって悩むのである。
 亀井勝一郎氏の『わが精神の遍歴』に、昭和十一年頃この人が東大の学生であった時に、新人会という左翼運動の一員となって、非常に厳しい訓練を経て、当時禁じられていた労働運動の中に飛び込んだことが記されている。とうとう捕えられて未決監に入れられた。同志も一緒に投獄された。自分ではそれで悪い事とは全く思っていないのだが、そのうちに、「もうこんな左翼運動は致しません」という誓約書を書いてそこから出る。同志はまだ牢獄の中にいるのに自分は健康を害した為とはいえ、転向を約束して出してもらった。このことがこの人に深い苦しみをもたらす。も少し頑張らねばならなかったのではなかろうかという後悔、同志から何か仕返しを受けるのではなかろうかという不安と恐怖をもって悶々として過ごす。これを業報を感ずるという。
 『涅槃経』の梵行品に阿闍世の問題が説かれている。阿闍世は父の頻婆娑羅王を殺す。食物を与えず干乾(ひぼし)にして殺し、王位を奪う。殺された父を中心に説かれている経によると、息子に殺されるのも私の業であると、頻婆娑羅王は静かに死んでいく。この王の死を助けようとした韋提希のことは、『観無量寿経』に詳しい。
 『涅槃経』の中に阿闍世の苦しみが出ている。はじめは父を殺しながら、悪いことをやったと思わなかった。それは父親の方に責任があり、自分は当然のことをやったのだ、父を殺しても当然だと思った。それがどうして悪かったと思うようになったかというと、自分が殺した父親の愛情を知らされた時からである。幼い時に、父はこの子が大きくなって自分を殺すことを知りながら、腫物の膿を吸って助けてくれたその愛情を知らされて苦しみ始める。身に腫物ができ高熱を発して、夜も眠れぬぐらい苦しむ。これを業報を感ずるという。
 業報を感じて苦しみ悩み不安に駆られる。それはなぜか。その根本は何か。一つは顛倒(てんどう)である。疑惑である。顛倒とは虚妄顛倒、因果顛倒といい、ひっくり返っているという。虚はむなしい、妄は間違っているものを正しいと考え、正しいものを間違っていると考えるのを虚妄顛倒という。阿闍世の父に対する思いが間違っていたのである。阿闍世は提婆のそそのかしを信じ込んで、父が無道な王であると思っていた。父は本当に無道なのかと考えもしないでそう思い込んでしまった。相手が悪いというようなことはすぐ信ずるが、一番大事なものは信じようとしない。仏様はこうおっしゃっている、我々の上に深い深い本願がかけられているのだというようなことは全く信じない。本当に信じなければならないものは信じないで、信じてはならないものはすぐに飛びついて、そうだと思い込む。こういうのを顛倒という。
 私の所に友人が金儲けの話を持ってくることがある。これだけ出せばいくらいくらになって返ってくるという。が、私は相手にしない。そんなうまい話はおかしいと思う。この世にそんなボロ儲けなどある筈がない。しかしそんな話にパッと飛びつく人が少なくない。金儲けの話や人の悪口などにはガブリとかぶりつくが、如来の本願のことになると全然相手にしない人が大部分である。
 因果顛倒というのは因と果を忘れる。一番もとを忘れてしまうことである。例えば、今、家を建てようという時一番大事なものは、昔は砥石だったそうである。『法隆寺を支えた木』という書物にある。NHKブックスにある。題名が面白いから読んでみた。京都とか奈良とか、昔日本で都の出来たところは全部、その附近に立派な砥石の山があった。そのおかげで都が出来たのだと書いてある。なぜかというと、木を切って御殿を建てるのには、切れ味のいい刃物がなくてはならない。木の表面がなめらかでないといけない。そうでないと表面から水が入って木がいたむそうである。表面をなめらかにするためには鋭利な刃物がいる。研ぐためには荒砥と仕上げと二種類の砥石がいるが、それが次々に消耗する。従って砥石の山がないと立派な御殿は出来ないそうである。なる程と思って感心した。御殿は果であるが、因は砥石である。立派な宮殿を建てるには砥石がもとなのである。我々は木さえあれば建つと思うがそうではない。我々の考え方は因よりも果の方を先に考える。
 果と因とをとり違えて本当の深い根本を忘れる。これを因果顛倒という。それはつまるところ自己の主観中心である。自分の考え、私の思いを中心にして、道理を考える力がない。我々の考えは非常に浅いものであって、結果を中心にしてはならないのに、そこに中心をおいて考える。そのもとを如来無視という。ここから因果顛倒して罪を犯し、後悔がおこり恐怖し不安が起り、業報を感ずるということが生ずる。
 私共は小さな殻に閉じこもって小さな世界を論じている。その根本を虚妄顛倒、因果顛倒、如来無視、疑いという。殻に閉じこもっているという。しかるにこの私を包む大きなものがあるのである。それを如、一如、法性、絶対という。小さな私を相対という。絶対相対は誰しも認めざるを得ないものである。絶対なるもの無限なるものは必ず小さなものに働きかける。それを本願という。小さなものを痛み悲しんで、働きかけてやまない。それを大悲本願という。
 大悲とは悲しみである。大いなるものにとって人間が小さい殻に閉じこもって右往左往し、因縁業果報と自分の罪によって業報を感じて、苦しみ後悔し不安を感じていることが悲しみの種である。これを大悲という。
 大慈悲という。大慈(カルナ)とは原語では、深い友情をあらわす言葉である。大悲とはマイトリー、(うめ)き、悲しみ、歎き、痛みである。絶対なるもの如なるものは、小さな殼の中の私に大悲し働きかけ、自己を届けようとする。如なるものは来って如来となり、私にどうか小さな殻を破って広い世界に出てくれよと働きかけずにはいられない。私の苦しみが大悲の根源である。大悲は南無と私に呼びかけて、帰れ、出でよ、汝大きな世界に出でよと呼びかける。我々の苦悩には意味がある。仏法がわからないとこの事がわからない。人は苦悩に出遇うと右往左往しながら後悔と不安と恐怖に陥るほかない。しかしこれが大悲を引きおこした。苦悩あるが故に大悲がある。全ての苦悩が意義あるものである。
 亀井氏の『わが精神の遍歴』に、三十才を超えた時に親鸞の教に遇うて、大和古寺の仏像の巡礼を縁として仏の心に触れた。「すべては許されてある」「摂取して捨て給わず」と知ったとある。私の全てが如来大悲の眼の中で受けとられ痛まれているのである。「何も恐れるものはないとめざめた」と書かれている。
 私の苦しみは私の考え違い、私の失敗、私のお粗末な姿が生み出したものである。そしてその全体が大いなる悲しみ、大いなる痛み、如来の大悲の源であった。それあるが故に大悲し給うて私に南無と呼びかけて下さるのである。それがわかるのを信心の行者という。それがわからないのを殼に入っているという。


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