十、往覲偈(東方偈)

『歎異抄講読(第六章について)』細川巌師述 より

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 『大経』下巻のはじめに、衆生がよき師よき友(諸仏)の教を本当に聞きひらいて念仏申す身となった、その姿が述べられている。本当に殻を破って発芽した人が生まれてきた。(これを即得往生、住不退転という)このことを述べられて、次に三輩往生というのがあり、その次に往覲偈というのが出てくる。
 往覲とは、往はゆくという、出発する。現在の地点から出発していくのを往という。(ごん)は、普通は「きん」と読む。参覲交代という。これは徳川幕府のとった巧妙な政策で、諾国の諸侯が一年間は江戸に詰めておらねばならぬ、そして将軍にお目見えをする。次の一年は国に帰って国の方の治めをする。一年たったらまた江戸というように、当時の殿様は半分は江戸におったといわれる。参はおまいりする、参上する。覲は、国々の殿様が王にお目見して御挨拶にあがることをいう。覲は漢音で発音するとキンであり、呉音で発音するとゴンである。
 往覲とは、自分の居り場所を出て王にお目見えに出発することをいう。諸仏は衆生(菩薩)に勤めて弥陀にまみえしめるという。これを往覲という。古い異訳の『大経』では「菩薩」でなく「この人」になっており、聖人はこれを『教行信証』行巻に引用されている。
 諸仏は自分が育てた菩薩を自分の手元においておかないで、如来の世界にこれを往覲させる。これを説いた歌を往覲偈という。東方仏国で(東方だけでなく南西北、四維もまた同じ)弥陀の浄土を衆生に説いた諸仏は、とうとう衆生に弥陀のまごころを伝えて、小さな殻を脱せしめ、大きな世界に信心歓喜する人を誕生せしめた。この諸仏は、この人を勧めて弥陀如来の世界にお目見えさせるのである。出発させるのである。

(1)諸仏(よき師よき友)は人々を弥陀にまみえしめる

 自分の所にとどめ、ここから出てはいけないという諸仏は一人もいない。弥陀の世界へ行けよと、すべての諸仏が勧める。阿弥陀仏にまみえて弥陀によって菩薩の位を授けられ、必ず仏となるという受記を受け、弥陀の説法を聞いて再び自分の世界に帰ってくる。そして諸仏に供養する。これが菩薩往覲である。私はそこに非常に大事なことがあると思う。
 このことをはっきり表わした人は善導大師であった。善導は二河譬をひいている。火の河、水の河という二河を出して現実のわれらの姿を表わす。求道していくその彼方に現われてくるものが、私の心の中の火の河、水の河である。一方は怒りの河、一方は欲の河、それが私の前進を阻む。
 どうしたらこの河を渡ることが出来るか。二河の間に小さな白道がある。この道を遂に彼が意を決して渡ろうとする時、東岸に人あって「汝行け」という。「汝来い」ではない。「汝行け」である。これを東岸発遣の声という。それは釈迦の教が此の世に残って「この道を行け」と勧め励まし、出発せしめることだと善導はいう。この発遣が諸仏の働きである。諸仏は衆生を弥陀へと出発せしめる。そこに往覲がはじまる。
 その時同時に、西岸に人あって呼んでいわく「汝一心正念にして直ちに来たれ」と。そこで彼は白道を進み、この河を越えていくのである。こういう物語になっている。二河譬は『大経』の東方偈の心を善導大師があらわされたのではなかろうかと思う。

(2)この人々(菩薩)は諸仏から生まれたもの

 この菩薩はよき師よき友なくしては誕生しなかった。けれども諸仏はこの人々を私有しない。自分の弟子として自分の所にとどめておくのでなしに、弥陀の浄土に往覲せしめる。それを大乗仏教という。
 弟子を私有化しようとすると、そこに「わが弟子ひとの弟子」という問題が起る。このような私有化でなしにこの人を「ひとえに弥陀の御催しにあずかりて念仏申し候う人」と如来にお返しする。そこに諸仏の働きが全うじられてくる。これを往覲偈(東方偈)にあらはされている。
 私の先生は申された。「自己の教の中から生まれてきた者を自由の天地に放って飛翔せしめる。自由の天地に放たれたその人が、自らの意志によって帰るところを持つ。これが真実宗教である」と。まさに「汝行け」である。この発遣の人を釈尊といい、十方の諸仏といい、よき師よき友という。
 これらのことから考えると、本当に仏法を頂くとは、自分が往く所を持つ、自分が進んで行く場所を持ってそこに行ってまみえる。そこに行って御挨拶し、教を本当に聞くべき本仏を持つことである。本仏とは本国の仏である。本国を持つのである。そこに大事な大事な問題がある。
 道宗という人は越中の国富山の人と聞いているが、その道宗が申されるには(『蓮如上人御一代記聞書』)「一日の嗜には朝つとめにかかさじと嗜むべし、一月の嗜には近き処御開山様の御座候うところへ参るべしと嗜め」。朝のおつとめを嗜むといわれる。もつともこの当時は自分の家で勤行するのでなく、どこかに集って朝づとめをしたともいわれています。また月に一度はその附近の御開山聖人の御影があるお寺におまいりする。「一年の嗜には御本寺へ参るべしと嗜むべし」。御本寺とは京都の御本山でしょう。このように一年に一度は御本山へ、一カ月に一度は近くの御絵像のまつられている所にお参りすると道宗は言っておられる。往覲ということである。真の仏教というのはこういうものではないだろうか。ただお参りするのではない。往覲である。まみえて仏法を聴聞する場所を持っている。私の帰るべき場所、いや私の進むべき場所、その本国を持っている。諸仏の国にとどまれというのではない。本国は諸仏の出たところ、諸仏の生まれたところである。『大経』上巻に示すように「一々の華の中より三十六百千億の光を出す、一々の光の中より三十六百千億の仏を出す」即ちすべての諸仏は如来浄土から生まれて来た。諸仏がその本国に菩薩をかえすというところに、諸仏の働きが全うじられている。本願成就の事実である。
 私自身は広島で学生時代を過した。そして縁あって住岡夜晃という先生にお遇いした。昭和十八年に私は文理大学生課から依頼されて、体の弱い者を入れる修錬所を作るためにあちこち場所を物色した。最後に行ったのが夜晃先生の道場であった。私共の考えでは、その道場で何の行事が行われようがかまわない。要するに私達の寮としての広さがあって、日当りがよく空気がよければいい、そのような場所をさがしていた。ところがそこをさがしあてたらそこに先生がおられたのである。従ってお遇いしたというのもはばかりあることである。しかしそれが発端で聞法するようになった。そこは東本願寺にも西本願寺にも関係がない、一つの求道会館でした。私はここで育ちましたのでほかの所はあまり知らない。で或る時期までは本願寺に対し敵対観念というものを長い間持っていた。小さい所で育った者には何か一種の被害者意識というものがあり、また反抗精神を持ちやすい。私もそうであった。京都へ行って本願寺の前を通ると、何とこの建物は形ばかりは大きくて広いが中味はなっとらんじゃないかというて、お参りしたことはついぞありませんでした。私はいつも既成教団というものは本当に困ったものだと言って歎いていた。そういうのを傲慢というのですね。しかしながらそれから二十年近くたって、ある時遂に自分の誤りというものがわかりました。自分の傲慢な姿がわかってきて、あの大きな建物の瓦の一枚一枚が、全国の多くの信心の人達がまごころこめて捧げられた殿堂であり、その大きな殿堂は聖人のお徳の象徴であるということがわかった。で、ある時本願寺へお参りして聖人の御像の前で「本当に申しわけないことでありました」とお詫びをして、涙と共に懺悔した。実に頭が上げられなかった。そういうことがありました。本願寺を本国と言えるかどうかはよくわからないが、小さな自分の世界にとどまっているのでなく、弥陀の浄土へかえらなければならぬということをその時身にしみて感じました。往覲偈をいただいて、よき師よき友、諸仏は「汝行け」といわれているのだ、それを人間的なことに執われて小さい処にしがみついてとどまっているのは、諸仏の本意でなく、また本当の仏道でない。諸仏から生まれたものは弥陀の国へ帰っていくべきものである。よき師は「行け」というのである。よき師においては既に私有化を離れている。私の弟子というものではない。弥陀の弟子である。私とあなたは師弟でなく御同朋・御同行、共に如来によってこの世に生み出された同じ道の行者である。こういう関係が生まれてくるのである。
 お経というものは象徴的な一般的な表現を借りながら、あるべき姿、本当の姿というものを表わされているのである。まことに謙虚に読ませてもらわねばならない。この往覲偈の中に師弟の姿というものがよく出ていると思う。師は弟子を如来に返していく、弟子は如来に帰って再び師の弟子として仕える。ここに真の師弟がある。

(3)この菩薩は再び諸仏の国に帰って諸仏に恭敬供養する

 恭敬とは頭を下げて教を聞く、供養とは自分の全生涯を捧げてその人の為につくすことである。菩薩は諸仏に恭敬供養する。師自身にはわが弟子という思いはない。けれども弟子はそのよき人を一生の師として仰いでいくようになっている。
 「汝行け」というところに弟子は往覲の世界に旅だって行く。それが同時に私の尽すべき、報いるべき諸仏の場の発見である。行くべき場所をもつそのままが帰る所を持つのである。師は自らの所へ集まってくる人達をお返しする場所をもつ。弟子は師の「この道を行け」というおことばに従って彼岸への白道を進みながら、同時にこの師に仕えてつくすのである。
 第六章には師弟という問題が出ているが、この師弟関係をもう少し広げて考えるとどうなるだろうか。会社員とか主婦という立場の人には、教える弟子という人は普通の場合いない。だから師弟というと、自分は弟子になるばかりで師の立場の話は遠い話のように思う。しかし、師弟ということをもう少し広げて考えると自分の問題になる。
 師弟とは本当の人間関係を示すのではなかろうか。人間関係といえば家庭においては親子であり、夫婦であり、職場においては同僚であり上司であり部下である。
 これらの人間関係は私的なものになりやすく、私有化されやすい。親子というも私の親であり私の子であって、「私の」というものがついている。夫婦も私の夫、私の妻であり、プライベートなものである。「私の」ということが人間関係のはじめである。私有化によってはじめて親密な関係が生まれるということがある。赤の他人といえば血のつながらない無関係のものをいう。最も親密な近い関係は私的つながりだと我々は思っている。が、そうではない。本当の人間関係とは、それは師弟で代表されるものである。親子の場合、子は親から生まれ、親の子であるけども、親の子という所にとどまっている限り、それは私的なものである。
 本当の人間関係はそれを自己において私有化せず、その人を出発せしめる処から始まる。諸仏が弟子を本国に出発せしめる時に本当の師弟関係が生まれる。そしてそのつながりは御同朋・御同行となる。親が手を親の本国に出発させる時、たとい親子であっても兄弟となり友となる。ここに真のむすびつきが生まれる。
 「法敬とわれとは兄弟よ」という言葉がある。蓮如上人のお言葉である。蓮如上人は本願寺八代の法主であり、法敬(法敬坊順誓)は上人の第一のお弟子である。彼は蓮如上人のお庭の掃除をしたり使い走りしたり、上人が遠方へお出かけの時はその籠をかついだ籠かきの一人であったという。いわば召使いであった。が、信心が進んでそれを一のお弟子にたてられた。その法敬に対して仰せられた。「法敬とわれとは兄弟よ」。そこにはわが弟子ということはない。本当の関係というものが出ている。師弟は本当は兄弟になる。「法敬申され候『是は冥加もなき御事』と申され候」。(これはとんでもないことでございます)その時上人は「信を獲つれば先に生るる者は兄、後に生るるものは弟よ、法敬とは兄弟よ」と言われた。兄弟というところに本当の人間の結びつきがある。師弟というものは本当は兄弟である。上にいるものが「私の弟子よ」というところには本当の結びつきはなく、「兄弟よ」というところに真の結びつきがある。しかるに弟子からいうとこの人なしに私はなかった。瀕死の病人にとってのすぐれた医者であり、その人なしには私の命はなかったというような感謝の対象である。親から見て子供が私の産んだ子、私の子供という限り、本当の人間の結びつきにはならない。私の所を離れてはいけないではなしに「この道を行けよ」「どうか本国に行ってくれよ」という願いを持つところに本当の結びつきがある。第六章は師弟を論じているけれども、実は真の人間関係について論じられている。親が「私の所を離れないで一生私を見てくれよ」でなしに、「友よ行け」とわが子を往覲せしめるところを持つ。そこに、はじめ私有化であったものが遂に「汝行け、本国へ」となって、はじめて本当の人間関係、親子のつながりが成立する。夫が妻に対して「お前は私の妻だ」という所にとどまっていたものが、遂に友となり兄妹よとなる。そこに私有化を離れて本当の結びつきが生まれる。同僚、先輩後輩が道に立つことにおいて遂に友となる。我々は教を聞き開くというところで、本当の人間関係を持つことができる。
 現代という時代は弧独の時代である。一人一人がひとりぼっちである。たとえ親子でもばらばらであり、孤立している。まして一人でいるものはいよいよひとりぼっちである。言いかえれば淋しい孤独の時代である。みんな淋しさを抱えて、しかもどうしようもない時代ということができる。
 最近よく売れている本がある、『不確実性の時代』というアメリカの経済学者が出した本である。十九世紀は経済学の立場で言えば自由競争という、アダム・スミスという人の説いた説がみんなの指導論理となった。一つ一つの企業が各々の自己の立場に立って自由競争でやっていくならば、健全な発展が遂げられるであろう。こういうものがその時代の指導論理となっていたと申します。ところがそういうことをやっていると、資本家と労働者との格差が激しくなって摩擦がおきる。富む者はいよいよ富み、貧しい者はいよいよ貧しい。そういうところからマルクス、レーニンの社会主義が出て、資本主義に対する深い批判が生まれた。それが二十世紀をある程度導いた。しかし今は社会主義だけではどうにもならぬ。社会主義でやってもうまくゆかぬ国があちこち出来た。今や現代という時代の中では「これだけは確かだ、こういうふうにやってゆけば間違いない」という確実なものはなくなってしまっている。それを,『不確実性の時代』と題して出している。それが大変売れているということがある。この題目がこの時代を象徴しているかも知れぬ。現代は孤独の時代であると共に、皆を引っ張っていく思想も論理もなくなった。そういう時代であると言える。
 こういう中に一つのものがある。それは独断的なものでなしに、三千年の歴史を経てその中に、われらの尊敬おくあたわざる人をたくさん産み出して今日に到っているものである。それをわが身に頂いて本当の人間関係が生まれ、深い深い人間連帯が生まれてくる。それが仏道である。今や世界に残っているものはこの道一つである。師弟という問題を弟子と先生に限る必要はない。親子においても夫婦においても共通である。この教によって親子、夫婦の間に、本当に結びついた関係が生まれる。そして孤独な時代を超え、不確実性の時代を超えて、本当にしっかりしたものを持って生きぬく。そこに人間回復というものが出てくるのである。
 会社員であっても、主婦であっても、師となり弟となるのである。第六章は単に先生と弟子との関係だけにとどまらない。広く人間の本当の連帯を教えている。

 「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離る」。ここに大事な人間関係についてのお考えが出ている。これは聖人のお考えであるだけでなしに、いわば仏教の深い智慧と申しますか、そういうものが出ているのである。


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