七、就人立信と就行立信

『歎異抄講読(第二章について)』細川巌師述 より

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「弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず。」

 「信」とは重ねて申しますように「めざめ」と申します。覚という言葉に当る。覚とは目がさめるということである。今まで眠りこけていたものが目がさめる。今まで固い殻の中にあったものが発芽をして、殻を破って出てくる。長い冬眠生活から春の暖かい陽ざしの中へ芽を出してくる。大きな世界に出てくる。そういうものを覚という。
 また認識という。真の認識が生まれる。認識とは、はっきりわかるということである。自己自身というものがわかる。また大きな世界が明らかになる。これを信という。仏教はこの信というものを中心とし、この信をわが身の上に成就するということを目的としている。これを一般に「悟る」と申します。「悟りを開く」という。今、親鸞の教では「信を得る」と言います。立信という。では、信はいかにしてできるか申しますと、まず「就人立信」という。人に就いて信を立てる。即ちよき師を持って信を確立すると申します。法然上人に就いて親鸞は本当の信を得た。「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよきひとの仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」とある。「よき人」とは法然上人である。関東の人達は親鸞聖人を「よき人」としていただいて、その教を聞きぬいた。しかし動揺をきたした。親鸞は動揺しなかった。
 どうしてこのような違いができたのであろうか。親鸞に三十五才で越後に流された悲劇を持つ。また晩年になって長男である善鸞、彼が親の志に背いて勝手な異義を言い始めた。親鸞は彼を義絶して親子の縁を断った。そういう悲劇にぶち当っても親鸞は動揺しなかった。法然という人に遇うて、それこそいただきぬいたのである。関東の人達は親鸞という人に遇うて、十年、二十年と聞きぬいたのである。したがって就人立信ということは同じであります。よき師を得て求道して、深い境地を得たということは同じであるが、しかしながら関東の人達は動揺した。このように片方では動揺が起り、片方では起らない。なぜであるか、そこが問題点であります。人に就いたというところでは同じであった。これを就人立信という。しかし就人立信で終ると次の言葉が出てこない。「弥陀の本願まことにおはしまさば釈尊の説教虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば善導の御釈虚言したまふべからず、善導の御釈まことならば法然の仰せそらごとならんや」という。これを「就人立信」「就行立信」の問題と申します。行という意味は後で説明したいと思います。

 先ず「就人立信」とは何か。どうしたら自分が一歩前進ということが出来るかといえば、或いは書物を読む、人の話を聞く、或いは自分で考えるなど色々ありますが、しかしやはり自分だけでは足りない。人の意見、人の考えを聞くことが大事であります。よき師を持つ、広くいえばよき師、よき友を持つ、それを就人立信という。蓮如上人は「五重の義」ということを申されました。「五重の義」というのは、五つの条件がめぐまれて信を立てることができる。信を得て往生を遂げるためには五つの条件がある。
 一つには「宿善」。長い(宿)善根で、遠い過去から積み重ね伝わってきた善根が第一です。或いは風土の徳、または血筋というものの中に流れている善根、これを宿善と申します。これは、いわば我々の求道の母体になるものです。
 福岡県で一番仏法の盛んな所は山村部でありまして、殊に県南の八女という所が盛んであります。山の中、深い谷川にそって小さな部落が沢山ある。そこでは朝晩一家揃って勤行をする。お寺を大切にする。お坊さんは各家の人をよく知っているというようなところです。それがずっと続いている。長い長い伝統がある。そういうところで育った子供は、やはり仏法を聞く縁が非常に厚い。それを風土の徳という。また、仏法を尊ぶ血筋が流れている。日本人はその先祖に聖徳太子という人がおられて、この人によって深い仏法への因縁が結ばれている。他の民族に較べて宗教的な情操が随分あるように思います。
 現在、新興宗教がはびこり、盛んになって、ああいうのはいかんとなげいているようでありますが、一面から言えば土壌が肥えているのであります。土壌が肥えていなければ雑草も繁らない。雑草はあまり痩せたところでは繁らない。肥えているから繁る。この日本という土地に雑草を繁らせてはいかん。日本という土地は宗教的に肥えている。宿善という堆肥が入っている。そこに本当のものが種を播かれたならば、必ず育つに違いない素質を持っている。それを日本人の宿善といいます。キリスト教も仏教という土壌があるから日本で育ったのです。
 これは別の話ですが、現在、日本ではキリスト教は伸び悩みであるという。私は思うのですが、キリスト教の人々は仏教のことをボロクソに言いますね。仏教を理解しようとしないし、また理解していない。ああいうことでは日本ではキリスト教は栄えない。内村鑑三氏は非常に深く仏教を尊敬した人で、『代表的日本人』という書物の中に、確か日蓮と法然がでていたと思いますが、その人達を「代表的日本人」だと推薦した。この書物は英語で書かれ、世界の人を相手に出されたのであります。特に法然上人の信心というものを絶賛している。法然上人の信は本当のものだといってほめたたえている。この人は識見がありますね。仏教を理解しない人は、日本人の持つ宿善というものを理解出来ない。また尊敬できない。これではキリスト教はこれ以上伸びないのではないかと思います。要するに肥えた土壌が必要で、第一が「宿善」。
 二つには「善知識」。勧め励まし忠告をしてくれるよき師よき友が必要。よき師よき友が私の進むべき道の模範となり、私の一歩先を歩いて、このように進んで行ったならばこういうふうな結果が生まれてくるのだと模範を示してくれる。そして本当に私を理解してくれ、私を評価してくれる。私を考えてくれ、私に配慮をしてくれる。これをよき師を持つという。これが就人立信です。
 蓮如上人は次に、三つには「光明」といわれた。光明というのは何かというと、光は照らす、照らして私自身が明らかにされていく、これが光明の働きです。光明のお照らしに遇い、そこに四つには「信心」というものが生まれる。そこに念仏、南無阿弥陀仏、「名号」が生まれる。これを五重の義といっている。五重ということは、順番にそれを積み重ねていかないと五重にはならない。一つ欠けてもその上ができない。ちょうど二階を建てないで三階を建てようというようなものである。信心は四階目。これを建てるには一階、二階、三階を建てないで四階に行こうとしても無理な話である。そういうわけにはいかないので、これを「重」という。善知識、私を本当に勧め励ましてくれる人がなくてはならない。これが就人立信、これがなければ信は成立しない。これは是非必要なことです。関東の人達も親鸞という人を得て、そこにこの人をよき師とたのんで一生懸命やった。親鸞聖人も法然上人をよき師として一生懸命聞法された。しかし、関東の人達は信心の動揺をきたして、はるか十余力国の境を越えて尋ねて来ざるを得ないようになった。それに対して親鸞聖人は、九十年の生涯を尽して遂に「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよきひとの仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」という一貫したものがあった。動かないものがあった。それは関東の人達には光明がない。光明に照らされるという第三の条件がみたされなかったから、本当の信心にならなかった。蓮如上人が言われた言葉、一つには「宿善」、二つには「善知識」、ここまではあった。しかし第三の「光明」がなかった。これは大事な問題ですね、これがはっきりしないといけない。
 ここにドングリがある。このドングリが固い殻に包まれている限り、ドングリころころであって転がるしかない。流転するだけである。東から風が吹けば西に転がり、南から水が流れてくると北に流される。確立しないのである。しっかり一本立ちしない。いつも追いまわされている。このドングリに大事なものは一番はじめは水である。水でなくて光ではないかという人があるかも知れないが、光はあとである。先ず水分がないといかん。水をたっぷり吸って水分を持つことが大切である。砂漠の真中に種を置いても発芽しない。乾燥した所では発芽は出来ないのである。日が照っていればいいというのではない。先ず水である。これを善知識という。一つには宿善、二つには善知識と順番がある。
 次に光が要る。水と光が要るわけである。水だけでは水ぶくれになる。光だけでは発芽出来ない。これはたとえでございますが、要するに水と光がいるわけである。水を大いに吸収する。即ち人について大いにその励ましを吸収し、大いに忠告を吸収し、その心遣いを頂いてはじめて伸びて行くことが出来るのである。しかし発芽を促すものは光である。この水を就人立信といい、光を就行立信というのである。関東の人達は一つ宿善、二つ善知識、これだけであった。即ちよき師を得た。が、それを吸収しただけであった。遂に発芽にならなかった。ここが問題点でございます。

 「発芽」とは何か。それは殻を破って出てくるということである。それに必要なのを光明という。光というものは物を育てる力を持つ。光の持つ暖かさ、その持つエネルギーにより物を育てる。水と光が作用しているわけである。どれだけ水があっても光が無ければ物は育たない。花を咲かせるにも日光が当らない所では花は咲かない。照らし育てられて、そして照らし破るというものがなければいかん。照らし育てるというのは、光の持つ熱で暖めていくというようなものであるが、破るとは闇を破るのである。私の本当の姿を照らし出すわけである。それを照破という。これが大事な問題である。これがないと就人立信ということに終って、結局最後は不安動揺を免れない。何が足りないかというと照破が足りないのである。これを仏教の言葉でいうと「廻心」というものが成り立たない。廻心懺悔というものが生まれない。そこに就人立信の限界点があるわけでございます。これが関東の人達であった。けれどもこれは関東の人達だけであろうか。
 法然と親鸞という関係においても、法然のお弟子は大体三百何十人と申します。だが本当に法然の信心を受けついだという人は、わずか数人であったといわれます。あとは就人立信であった。就人立信というのを言いかえると、人間と人間との結びつき、人間関係の成立である。即ち人は孤立してばらばらになっていてはどうしようもないものであって、本当に自分を確立していこうとするならば、そこに正しい人間関係が生まれねばならない。それは師弟である。師弟という言葉は現在はあまりはやらないですね。広く言うと真の友、本当の友情というようなものが生まれなければいかん。友情とか、いうのは男女の性を超え、職業を超え、年令を超え、その他人間的な条件の全てを超えて、道を求める同志が結ばれていくのを真の友情というのである。勧め励まし忠告し模範となり、或いは後になり先になりして引っ張り上げ、真に理解し合ってしっかり人間の確立をやっていこうという友情が成立しなければ、具体的な求道にはならない。これが第一ですね。師弟というと固くなりますが、師弟は本当は友ですね。親鸞という人は法然にうちこんだ。これが人間関係の樹立です。それが就人立信です。関東の人達も同じである。うちこんだのである。正しい人間関係の成立というのはできていたのである。
 正しい人間関係の樹立、即ち就人立信において陥りやすい点が二つある。一つは私的なものになりやすいということである。私的なものとは何かというと、親分子分というようなものである。或いはグループ意識というか、小さなものになりやすい。正しい人間関係が必要でありながら、その陥りやすい点は私的なもの、プライベートなものになりやすい。人間崇拝、ひいき、ファンになりやすい。要するにベタ()めである。その人のやることなら何でも盲従しで、ベタベタになってしまうことである。他に立派な人が沢山あっても、感情的にこの人びいきになっている。ファンである。こういうものになりやすい。「私は親鸞党です。道元も偉いかも知れんが、私は先祖代々親鸞の方じゃ」ということになってしまって、人間感情で結ばれている。単にそれだけに終ってしまっている。それならば巨人ファンと何ら変らない。こういうことになるわけでございます。これが陥りやすい点である。よき人がなければ私は成り立たない、しかしながらそれは水だ。それだけでは私的なものになりやすい。私的なものの欠点は何か「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教虚言なるべからず」というような、仰がねばならない歴史を持たない。ある特定の人間との関係に終る。仏法もそういうものになりやすい。それはなぜか。就人立信で終っているからである。私的なものに終っているからである。
 も一つは何かというと、排他性を持ちやすい。即ちグループ意識というか、派閥意識というか、党を組むことになりやすい。Aという先生のいうことは聞くが、B先生のいうことは聞かない。親鸞という人は法然上人を一生師として仰いたお方です。しかしながら法然の言われたことを、自分が書物を書いた時にほとんど書かれなかった。『教行信証』というのが親鸞聖人の主著であり主論文である。けれどもその中に載せられている師法然のお言葉というのは、たった二個所である。『選択集』の始めにある言葉と、その終りにある言葉と二つしか引いてない。沢山引いてあるのは曇鸞の言葉であり、善導の言葉である。或いは『涅槃経』、『華厳経』というお経から沢山引いてある。しかし法然という人は『涅槃経』とか『華厳経』とかいうものは目もくれなかった。ただ一つ『観無量寿経』というもの一点をおし戴いていった人だった。親鸞聖人が法然上人にうちこんだ人であるならば、法然の言われたことをベタ()めにし、それを引いて引いて引きまくって、『教行信証』を飾らなければならんだろう。けれどもたった二句しか引かれなかった。これによっても、親鸞聖人という人は並々ならぬ人であって、小さな常識的な考えを超えているのだということがわかりますね。排他性を持たない。広く仏教史全体に(わた)って眼をひらいて、法然を法然たらしめたものを探し当てていった人である。そういう一面がある。親分子分でない。
 現在日本を毒しているものはまさしくこの親分子分というものですね。色々の閥があって深い人間関係が成り立っているのであるけれども、これが私有化されて親分子分になって排他性を持っている。それは政治や暴力団は勿論、学問の世界でも大学でもそうなっている、これが陥りやすい点ですね。それは水をたっぷり吸ったんだが発芽をしていない、殻が破れていない。ここが問題である。殻が破れるためには光がいるのである。その光が得られらなかったんだということですね。そこで広い眼がひらかない。正しい人間関係にならない。これが就人立信というものの持つ根本的な問題である。

 自分の子供を本当に教育したいと思うならば、よい先生につけねばならない。それは当然です。それしかない。しかしよい先生につけて親分子分になるというのならつまらん。有名な大学に入れるとその子のためになると考える。そこはいい。正しい人間関係もできるかも知れない。が、結局それが親分子分、排他性を持つグループ意識の養成、私的なものになるならば、かえって小さい人間をつくるに過ぎないということになるでありましょう。そこが問題である。関東の人達が動揺した理由は、こういうところにおったからである。それを破るものを光明というのである。光明に照らされるというのでなくてはならない。それを就行立信というのである。

 「就行」というのは何か。行という言葉は短い言葉でありながら、仏教ではたくさんの意味を持っている。(1)前進 ゴーイング・マイウェイということがある。進むということ、歩み出すことを言っている。(2)実行すること。(3)内心渉境 内心境に渉るという。内なる思いが外の境涯に関係交渉を持ってくる。内なる考えが顔色に出たり態度に出てきたりする。これも行である。北海道へ行こうという心があって準備をしはじめた、切符を買った、というのは、内なる思いが外側に関係を持ってくるわけであるか、こういうのまでひっくるめて行という。これが一番根本の意味です。
 行を歴史という。これは少し飛躍していますね。例えば春というものがある。その春は抽象的なもの、或いはつかまえることの出来ないものですね。しかし春になると、それが外側に具体的に出てくる。すなわち春風がそよそよと吹いてくる。吹く風が暖かくなる。ひばりがピーチク・ピーチクと鳴く。花が咲く、麦は青味を増してくる。というように春は外に現われて具体化している。内なるもの、抽象的なもの、概念的なもの、或いはとらえようのないものが外側に具体的に出てきた。これを行というのである。
 行とは具体的には何か。大いなるものを如と言おう。また一如という。この一如というものが我々の認識する世界、私の世界を包み、われらに接するのである。その如なるもの、仏の心が具体的に顕われる。これを行という。春はどのように具体的になるか。それは鳥や花や風になるように、如なるものは人の上に顕われるのである。如なるものが人の上に具体化してくる。それを行という。
 山奥のまた山奥に発電所がある。そこで水力タービンが回って発電されたとする。電気は目には見えない。が、これが具体的に私の所へ来るにはどのようにして来るかというと、電線の中を流れてくる。電気が電流となって電線の中を流れてくる、それを行という。行とは内心渉境、大いなるものの心が具体的に人間界に現われたもの、これを行という。それを南無阿弥陀仏という。これが大変むずかしい。
 如なるものの心を南無阿弥陀仏という。南無はサンスクリットでナモという。帰れ、共にあれという喚びかけである。如なるものの心が具体的にあらわれる姿を南無阿弥陀仏という。その南無阿弥陀仏が電流である。それはどうやって我々の所に来るかというと、電線の中を流れてくるのである。電線とは人である。人を通してそこに電流が流れてくる。その電流を行といい、その電線を人という。今、人に遇うたというけれども、人に遇うただけでは電線に遇うただけである。これを就人立信という。電線を握っただけで電流に通わなかった。電線には触れたが、これは人間関係だけに終った。人間関係を通してその人間の中を流れている電流に、自分が感電しなかった。それを就人立信で終るという。その中を流れている行、即ち南無阿弥陀仏という弥陀の本願のその流れというものに感電しなかった。それを就人立信という。したがって、どんなに親しく親鸞聖人に接し、生活を共にしようとも、親鸞という人に遇うただけである。これを私的なものに終るという。私は親鸞聖人が好きというだけで、人間的愛情(仏教の言葉では恩愛という。人間の感情的なつながり、結びつき)で結ばれているだけであって、本当にその中に流れているものに触れない。自分はちっとも電流に触れない。その人とつながっているというだけである。ただ一緒にいる、ただ長年聞いているだけであって、廻心もしない、懺悔もしない。親鸞聖人はこう言われた、こうなされたというだけで、それだけで終ってしまう。「弥陀の本願まことにおわします」というものがでてない。そこが関東の人達の問題点である。


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