十一、善導-法然

『歎異抄講読(第二章について)』細川巌師述 より

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 善導、法然の特色は何であろう。親鸞聖人は七高僧、即ち遠く釈尊から法然に至る二千年にわたる歴史の中で七人の人をあげられる。その中で今、善導と法然について述べられる。この二人については特に深い意味を仰いでおられるのでございます。
◎浄土真宗を興した人である。
 了祥師によりますと、浄土真実の教を興した人であるというのが、このお二人に捧げられている讃辞である。『正信偈』にはありませんが『浄土文類聚鈔』(略して『略文類』という)に『念仏正信偈』が出ている。その善導大師のところに、
  善導独明仏正意
  深籍本願興真宗

とある。即ち善導大師が釈尊の説かれた教の中で本当の正しいお心を明らかにして、深く本願によって、真宗を興したもうたと、善導大師に対して深く感謝する讃歌が掲げられている。
 法然上人については『正信偈』に
  本師源空明仏教
  憐愍慈善悪凡夫人
  真宗教証興片州

とある。真実宗教の教証、即ち教行信証を片州(日本の国を謙遜して言った言葉)に興したのである。真宗を興すという表現はこのお二人に出ているわけであります。また和讃には、
  善導源信すすむとも
  本師源空ひろめずば
  片州濁世のともがらは
  いかでか真宗をさとらまし

とあります。要するに「真宗」という言葉は善導大師と法然上人のお二人に使われていて他には出てこない。浄土真実の教を開かれたということがこのお二人に特に言われているのです。

◎深い感謝と讃嘆が(ささ)げられている。
 もう一つ共通なことは、善導大師のことを和讃に作られる時に、
  大心海より化してこそ
  善導和尚とおわしけれ
  末代濁世のためにとて
  十方諸仏に証をこう

大心海とは大信海であり一如海である。即ち真如の世界である。その世界からこの世にあらわれたのが善導大師である。このような表現は善導大師に対してだけである。法然上人に対しては
  智慧光のちからより
  本師源空あらわれて
  浄土真宗をひらきつつ
  選択本願のべたもう

とある。大きな仏の世界より生まれてこられたという讃嘆である。並々の人ではない、仏の世界からの人だと仰がれている。大分前に亡くなられた佐藤春夫という人が、朝日新聞に連載して法然上人のことを書かれたことがあります。『浄土から来た』という題だったと思います。仏の世界から来た人という意味です。親鸞聖人のこのような表現からとられたのではないかと思います。
 このように、善導大師と法然上人に対しては深い深い感謝と讃嘆があげられている。了祥師の指摘によると、聖人の見方にこのような特色がある。すぐれた人の教、行き方を拝む時、われらはまことに讃嘆せざるを得ない。その讃嘆の極みは「あの人はただ人ではなかった、仏の使いであった」という表現でしか言い得ない。善導と法然に対してそういう表現であらわされている。親鸞聖人にとって善導大師と法然上人は、このような大きな存在として映っていたのである。今、『歎異抄』の終りに釈尊、善導、法然と三人が出ていますが、それにはこのような深い深いわけがあるといわれます。その意味を少しでも明らかにしたいと思います。
 さて浄土真宗を興すとはどういうことか、「善導ひとり仏の正意を明らかすにする」とはどういうことか、その前に先ず法然という人を考えたい。

1、法然上人

 法然という人は「偏依善導一師」という。ひとえにただ一人、善導を私の師として打ちこんでいく。『選択集』の終りに出ている言葉である。「私は聖道門を捨てて浄土の教(本願の教)に帰する」ということを先ず宣言され、次に「浄土門の師多しといえども三昧発得の人は少なし」。三昧発得とは念仏三昧の人をいう。たくさんたくさんの人が念仏を説いているけれども、全生活をあげて念仏に打ち込んでいる人は少ない。念仏三昧の人をわが師としたい。次に三昧発得の人はあってもその師を師としたい。例えば懐感禅師(三昧発得の人)という人もあるが、彼は善導の弟子である。で、今はその弟子に依らずその師に依りたい。迦才(浄土門の師)という人もあるが生活が念仏になっていない。生活そのものは聖道門であるから師としない。道綽をなぜ師としないかというと、道綽は三昧発得しないからという。「静かにおもんみるに善導の『観経疏』は西方の指南、行者の目足なり」(私の目となり足となり私を指南して下さるのである)といっている。なぜ善導にうちこむのかという理由をこのようにあげている。善導は生活が念仏であり、あらゆる人にすぐれておった。この人を師としたいといって、善導の『観経疏』に打ち込まれたのが法然上人である。その法然の主著を『選択本願念仏集』(『選択集』)という。

2、善導大師

 善導大師は「偏依釈尊一師」である。仏教を学ぶ者はすべて釈尊の教を(いただ)いているわけで、従って釈尊に依るというのはあたりまえのことで、偏依という言葉は異様に感じられる。この意味は、本願を説く釈尊に偏に依るということである。即ち釈尊の本当のお心というものは、本願を説くというところに一番中心の仕事があった。本願を説く釈尊を師とするということである。
 善導大師は二尊教ということを言われる。仏教とは二尊教である。一つは釈尊の教―これを釈迦教という。も一つは弥陀教―本願を説き念仏を述べる。その本願念仏への序論を釈迦教というのである。これが善導の考えです。釈尊の本当の使命は何か。それは本願を説くということである。釈迦の教の全体は本願への序論である。弥陀教を説くためにあるのが釈迦教である。釈迦の本当の心は弥陀教、即ち本願念仏をすすめるにある。こういう善導のお心が『観経疏』の一番始めに、二尊教というお言葉で出ている。
 法然は「偏依善導一師」といい、善導は「偏依釈尊一師」という。このように浄土真宗を興された。浄土真宗を興すというのは何かというと、選択ということ、また廃立ということをいっている。廃立とは選捨選取ということである。たくさんたくさんある経典の中から、捨てて捨てて捨てきることを廃という。その中から、たった一つを取ることを立という。選び選び、捨てて捨てて、たった一つのものを選び取ることを選取という。そこに真実というものが出てくる。
 浄土真宗を興すとは、捨てて捨てて捨てぬいていくのであり、取って取って、取りぬいていくのであり、一言でいえば廃立を究めるということである。それが善導と法然という人のお仕事である。善導は中国において釈尊の教の中から念仏一つをとりなさった。法然は日本において他を全部捨てて、念仏をたった一つとられた。そのようなお仕事は大心海より化生してこそ、智慧光の力からはじめて出来るのであって、余人のできるところにあらず、そこに浄土真宗がはじめて興ったのである。それを善導-法然と申すのであります。
 何を選び取ったかというと念仏であり、何を捨てたかといえばそれ以外のすべて、即ち諸善を捨てたのである。念仏をとって他のすべてを捨てられた。
 その根底になるものは『観無量寿経』(『観経』)である。『観経』の最後の方に三種の人達、上品(じょうぼん)の人、中品(ちゅうぼん)の人、下品(げしょう)の人が出る。これらが更に上生(じょうしょう)中生(ちゅうじょう)下生(げしょう)と三つに分かれているので九品という。この上品の人の特徴は何かというと、大乗の人達即ち菩薩道を歩む人達である。それができない人を中品という。中品上生と中品中生は小乗の人である。人のことまで助ける力はないが、自分自身は戒律を保ち、自分の生活だけは正しく生きていくという人。上品は自利利他の行であり、中品上生と中品中生は自利の行を行ずる。これに対して中品下生は世間善である。親に対し、夫に、妻に、友に、世間に愛情を持つというのが中品下生である。
 念仏が『観無量寿経』に出てくるのは下品である。下品上生、中生、下生というところに念仏が説かれている。これが大きな、そして考えねばならない問題である。
 下品において説かれているものが二つある。一つは念仏申せという教、も一つはその教を説く人(よき師よき友)が説かれている。上品と中品にはよき師よき友は説かれていない。また念仏申せということも説かれていない。菩薩道を歩む人は自分で進む力がある。中品の人もそうである。親に孝、子への愛情、夫へ妻へ友へ世間に友情が持てる者には、まだ、念仏は説かれていない。
 これはどういうことか。また、私は上品・中品・下品の何であろうか。これが明らかになるというところに選択がある。選び取り選び捨てるということは、幾つかある中から自分の都合のいいものを取り、他のはやめるということではない。それは打算でありそろばんである。宗教にはならない。宗教とは似ても似つかぬものである。宗教とは自分の全体をもってぶつかっていかねば開かないもので、自分自身を明らかにしていくほかには開けない。そこに選ぶということがある。
 選ぶということは廻心ということである。普通の言葉で言えば自覚である。また自己否定とでもいうべきもの、即ち自分自身が本当に明らかになるということがないと、選ぶということはあり得ない。
 今、『観経』には九種類の人があるが、あなたはそのうちのどれかと問うている。どれを選ぶか、どれができるか。皆一番下からとる人はいない。一番上からとる。上等の方からとる。値段は高かろうとすぐれたものでなくてはいけない。やる以上は上等でなければいかん。それで皆上等の方から先ず入る。上品上生はなかなか上等であって、菩提心をおこし、一日も休みなく教典を読み、聞き、考え、そしてだんだん深い悟りに入っていくという。頭ではよく理解出来るが、やってみろといわれると「うーん」とうならざるを得ない。でまあ、その次にしようということになる。これは私の手に合わんとなる。次に、自分だけでもしっかりやっていこう。戒律を保ちわが身の行動を慎む、或いは欲の心をおこさない、腹を立てない。これもなかなか大変なことですね。これも見送ろう。すると最後に残るのは中品下生のところである。念仏がだんだん明らかになってくる最後の関門は孝、愛という問題です。
 試みに問うてみる。「あなたは親に孝行ですか」。大ていの人はいいます。「私は親に孝行という程のことは出来なかった。けれども親不孝ということはなかったと思う。大体ほどほどというところではないでしょうか」。「愛情はあるという程でもないが、ないというのでもない。まあこれもほどほどというところでしょうか」と。自分を中間に置いてここで終る。常識的な人ほどそういうことになる。
 親に孝という問題は大変な問題で、これが宗教の一つの入口になるのです。親に対する問題を考える時は、私に対して親はどれだけのことをしてくれたか、それに対して私はどれだけのことをしてあげることが出来たかということを考える。そうすると我々は親からしてもらったことが多くて、してあげたことが少ないということに思い至る。が、この問題は自分に子供ができないとわからない一面があります。自分に子供ができるとその子供が私に対してすることから、だんだん自分自身の親に対する行いがわかってくる。これが念仏に入る一つの関門である。私は親にどれだけのことをしてあげたか。また私は本当に愛情というものを持っているのであろうか。
 愛情とは大体自己愛着である。即ち相手を愛しているような形で、実は自己を愛している。その自己愛着を心理学ではナルシシズムといいます。ギリシャ神話に出てくる美青年ナルシッソス(略してナルシス)は泉の水に自分の影を写して、その自分の姿にだけじっと見惚れている。自分自身しか愛さないのである。それをナルシシズムという。
 私の小さな幼育園に今、七人子供がいますが、毎月一回母親の会を開いて私が三十分ほど話をします。あと一時間ぐらい子供のことについて座談会をしますが、そこで私は母親の心理というものがよくわかるようになった。母親は若い二十代の人です。「主人が子供をやかましく叱ると『私の子供ですよ、勝手に叱らないで下さい』と言ってやりたい」という。夫婦二人の子であって私の子ではない。しかし私の生んだ子であるから、たとい夫であろうと「その子のことを悪く言われると腹が立って腹が立って」ということになる。かわいい子供が叱られると自分が叱られているように思う。子供は私の分身であって、子供を愛するままが自己愛なのです。
 親一人子一人という所に嫁が来ると母親は淋しい思いに沈んでいく。母親だけではない、父親でも自分の一人娘が嫁に行くと非常に淋しい思いをする。昔、『花嫁の父』という小説や映画があった。結婚式の晩に父親はヤケ酒を飲む。娘を可愛がっているのだけれども、結局は自分を可愛がっているんだということになる。ひろい愛ではない。
 念仏を選び取ることができるとすれば、それは自己へのめざめです。深い廻心である。大乗の菩薩道もできない、小乗の阿羅漢道もできない、親孝行も愛もできないという自覚においてこそ念仏が出てくる。これを選捨選取という。廃立という。
 そのような廻心は何によってできるかというと、それは教を聞くこと、本当の意味での教育を受けることによってできるのである。「教は鏡なり」という。これは『観経疏』の始めの方にある善導のお言葉である。教を聞くとは鏡を持たされるということである。鏡を持ってはじめて人間は自分の顔を見、姿形を知ることができる。教を鏡として持たされてみると、大乗善、小乗善を行ずることは、自分にはとても及ばない天地であるということがわかり、更に世間善も同様である。そこに自覚というものがだんだんと深まってくるのである。これを教に育てられるという。
 善導と法然は釈尊の教を鏡として自覚を徹底していった。そこに出てきた自己は大乗善を行ずる自己にも非ず、小乗善を行ずる自己にも非ず、親に孝、世に愛を行ずる自己にも非ず、よいことは何も出来ない自己である。その自己がたった一つ、念仏を申すということをよき師よき友によって教えられて、その道を進むしかないところに転落していったのである。そこに選択ということがある。そこに浄土真宗を興す人となった、まだ誰も浄土真宗を興してないから一つ興してやるというようなものではない。
 廻心、転回を言っているのです。自覚の究み、その最後に、いかなる悪人も念仏を申すことによって救われていくという本願、たったそれだけが私に残されていたのである。それに遇われた、それを立といい、全てを捨てられた、それを捨という。これを選捨・選取と申すのであり、その人として善導と法然をあげられたのであります。

 善導と法然は共に『観無量寿経』を中心にしている。『観無量寿経』は釈尊の説かれたすべての経典の圧縮版ともいうべきものであります。その『観経』の中に仏教のすべてのいき方、即ち大乗のいき方、小乗のいき方、諸善のいき方が全部並べてある。その中のどれが一体あなたに出来ることか、というのが『観経』です。
 ところでこの『観経』の中の下品をも少しはっきり明らかにされたのが『涅槃経』であります。これは今、直接関係はありませんが、親鸞聖人は『御本典』にしばしば『涅槃経』を引いておられる。この『涅槃経』によって、下品という最低の存在の姿をも少しはっきりあげられている。それを「難化の三機」といいます。化とは教育、教化。難化の三機とは、どんなにこれを教えてみようと思っても全然うけつけない、何とか進展させようとしてもどうにもならない、これを教化しがたい人という。
 言い換えると「難治の三病」という。こういう問題が出ているのが『涅槃経』である。難治とは、いくら治そうと思っても絶対に治らない病気をいう。三つ言ってある。一つは「謗法」、法を(そし)る人。仏を無視した生活、仏も法もよき師よき友も眼中におかないで、その日その日の生活を過している人を謗法の人という。これは治そうと思っても治らない、言うて聞かせようとしてもできない。頭ではわかっても、耳では聞いていても実際生活の中では、仏法を無視した生き方しかしない。そういう人を謗法の人という。次は「五逆」という。五つのもの(父母師友仏)に逆らうという。別の言葉でいうと恩知らずである。も一つは「一闡提(いっせんだい)」。これはサンスクリットの言葉ですが訳して「断善根」という。植物の根が腐っていると大豆を火で煎ったように、どうしても芽が出てこない。このように全然よいことをやる気のない人、よいことを考えもしないし受けつけもしない人のことである。これを難治の三病の人という。これが『涅槃経』において問題とされる対機であります。
 『涅槃経』は釈尊の、ごく晩年のお経でございまして、いわゆる入涅槃の直前に説かれたものといわれますが、お経の中に出てくる事件から申しますと、釈尊の亡くなられる五、六年前のことである。釈尊は三十五才で悟りをひらかれ、その後約四十年以上釈迦教団を経営して、たくさんの人を導いてこられたわけですが、その最後になって不幸な大問題がまき起るのであります。
 人はみな思う、「真面目に生きているならば、人生の最後は幸せによって飾られる」と、「本当の生活をした人、立派な人は、その晩年は幸せに一生の幕を閉じるであろう」と。ところが必ずしもそうはいかない。釈尊もそうであった。最後に大問題が起っている。それは釈尊にとって実に大きな大きな問題である。
 それは一人は提婆(だいば)、も一人は阿闍世(あじゃせ)、この二人が組むのです。提婆は釈尊の叔父さんの子供で、阿難尊者の兄である。釈尊の従弟にあたり、なかなか頭のいい人であった。釈尊の出家、得度の時に一緒に釈迦教団の中に入り、五神通を得たといわれた人である。ところが釈尊がだんだん年をとられたのを見て、「釈尊よ、あなたはもうお年ですから隠居なさるのがいいでしょう。あとは引き受けますから私にお任せ下さい」といって、釈迦教団を自分が受け継ごうとした。それを釈尊が非常に叱りなさる。「お前のような者に任せられるか」と。提婆の邪心というか、私心を見抜いて言われた。提婆は面目を失して腹を立てとうとう釈迦教団の中から新しい弟子を引き連れて、別の教団を作ろうとする。ここで必要なのが金である。そこで当時十七才の阿闍世に目をつける。阿闍世は頻婆娑羅(びんばしゃら)王の一人息子であった。頻婆娑羅王というのは釈尊の大檀那、即ち大きな寄附をしてくれる人です。そこで先ずその息子阿闍世に近づいていく。色々な術を使って阿闍世の機嫌をとっておいて言う。「阿闍世皇太子よ、ぼやぼやしているとあなたの国の宝の蔵はカラッポになりますよ。あなたのお父さんの頻婆娑羅は釈尊の所に仏法を聞きに行って、たくさんの寄附をしている。早く手を打たないと、あなたがあとを受け継いだ時には貧乏になっていますぞ」といってそそのかす。阿闍世は心がぐらついてくる。更に言う。「あなたの手の小指を見て下さい。小指が一本無いではありませんか。これはあなたの母韋提希(いだいけ)があなたを生む時、占師が、この子が大きくなったら必ず親を殺すというのを聞いて怖くなり、子を投げ棄てた。その時あなたの小指が一本切れたんです」という。これも半信半疑であったが、雨行大臣を呼んで聞いてみると、その通りであるという。とうとうこの二つの言葉がもととなって、頻婆娑羅王を捕え食を断って殺す。母は座敷牢の中に入れる。こういう事件が起った。頻婆娑羅は死んだ。そのあとを継いだ阿闍世が、国の財産をもって提婆を助けていく。
 釈尊のように一つの道を歩みきって、たくさんたくさんの弟子を育ててきたお方のその晩年は、非常に幸福で波風一つ立たないで一生を終りなさるであろうと皆考える。しかし実際にはなくなられる数年前、七十五才前後にこういう事件が起った。一道を歩みぬいてここまでこられた人に、こういう苦しい問題が起るとは悲痛なことです。大変なことです。こうした悲痛な現実の中からできたお経が『涅槃経』であると思います。
 絶対に許せない存在(提婆、阿闍世)に対して、それを受けとめなさった。その釈尊の記録が『涅槃経』であると私は思う。現実を本当に受けとめなさった。そして答を出された。それが一切衆生悉有仏性(一切の衆件に悉く仏性あり)ということである。提婆、阿闍世のような者にも仏性があって、彼等も必ず助かっていくのだというのが『涅槃経』です。あれは絶対助からないんだといいたいのが我々である。私の平和をかき乱す者は絶対に助からないぞと書きとめておきたいのが私であるが、『涅槃経』は違う。彼等も助かっていくのだと、提婆と阿闍世を許された。そして自分の業としてこの人達を担ってゆかれた。これが『涅槃経』である。
 業として担うということは、この人達が私に仏法を教えているのだということです。私にですよ。私に仏教を教えているのだというのは親鸞聖人の領解です。それを『涅槃経』という。この中には一闡提成仏という問題が何遍も何遍も繰返されている。「一闡提は成仏するや否や」。『涅槃経』は相当長いお経ですが、始めの方は、一闡提は絶対に成仏しないと書いてある。即ち仏法を聞きながら仏法を無視したことを平気でやっている。全くの恩知らずである。本当の道を進む気のない、このような人を代表して一闡提という、それが仏になるかならないかという問題。一闡提は成仏するや否や。絶対に成仏しないというのが始めの方の答です。最後にとうとう一闡提は成仏するということが出される。
 一闡提はどうして成仏するか。一闡提はその罪によって必ず地獄に堕ちる。けれども菩薩あってその地獄の底までついて行って一緒に地獄に堕ち込む。その地獄の底で彼がもし悔いて「私が悪かった」ということがあったならば、それを依り処として言って聞かせよう、助けようという菩薩の願いが一闡提成仏のところに出ている。こうして一闡提もなお助かるというのでございます。
 難治の三病は治らない。しかし治す道がたった一つある。それにはすぐれた医者と良薬とすぐれた看病人が必要である。悪い悪い重い重い病人、誰にも見はなされた病人を治せる医者は、平凡な医者では駄目である。すぐれた天下一の良医でなければならぬ。それが仏、菩薩である。すぐれたすぐれた薬がいる、それが念仏である。念仏は愚かな者、何もできない者、大乗善も小乗善も世間善も行えない者にも届く薬である。仏教の中の仏教、すぐれた薬の中の薬である。それとすぐれた看病人。すぐれた医者とすぐれた薬だけでは足りない。すぐれた看病人が要る。その人が励まし注意し、慰め世話をし薬を飲ませる。そういう人がなければ助からない。すぐれた看病人、これをよき友という。阿闍世の場合は耆婆(ぎば)大臣が「仏様の所に行って教を聞こう」と言って、阿闇世に親切丁寧に勧める。すぐれた医者-仏陀、すぐれた薬-念仏、すぐれた看病人-よき友である。普通の菩薩や二乗、声聞、縁覚では救われない。仏陀の本当の教に遇わねば救われない。これが『涅槃経』の現病品と聖行品に出ている。
 我々は何もできないつまらない人間である。が、つまらない最低の人間であるほど、最上の法が要るのである。つまらないからこそ最もすぐれた仏法が必要なのである。それを、「最下の凡夫のために最善の法を説く」という。その心をとられたのが善導、法然である。そこに浄土真宗の教、本願を聞きぬいて念仏申すという教が確立した。それを善導-法然の流れで明らかにする、これを浄土真宗を興すという。
 『歎異抄』第二章の終りにある善導、法然両聖は、七高僧の中から何となくこの人たちだけを載せておこうというのでなく、これには大きなわけがあるのです。


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