はじめに

『歎異抄講読(前序について)』細川巌師述 より

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一、参考書

 まず、最初に全体を通じて申し上げたい事は、『歎異抄』を読むための参考書です。大谷大学の研究会から、明治以来の『歎異抄』に関する書物のリストとして、百冊以上の書物が掲げられています。現在、書店で見るのでも、『私の歎異抄』とか『歎異抄入門』とか、色々な人が色々な角度から、『歎異抄』について書かれております。しかし、私の『歎異抄』というだけでは参考書にならない所があります。と申しますのは、『歎異抄』という書物の中心は、親鸞というお方の信仰にあるからです。前序には「先師口伝の真信」という言葉があります。この真信が明らかになる事が、『歎異抄』を読む上での眼目であります。では、「先師口伝の真信」とは何かというと、第一章に出てきます、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐるなり」とあります。これが親鸞聖人の信心なのであります。したがって、その参考書というものは、私の感想というようなものに止どまらずに、親鸞聖人の真実の信心、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらす」ということが、少しでも明らかになる書物でなければならないということです。そういうことになりますと、たくさんの書物の中にもそのような本はそう数多くは無いのです。
 一応、大事な書物、またがお話するときの参考にしております書物を掲げます。まず、了祥というお方の『歎異抄聞記』、法蔵館から出版されております。このお方は徳川時代の人で、三河の国、現在の愛知県の寺で住職をされた方で、『歎異抄』に生涯を捧げられたというようなお方であります。何回もされました『歎異抄』の講義を、その門弟の人が筆録して、『歎異抄聞記』として発刊されたのであります。これは非常に手に入れにくい書物でした。大体、続真宗大系という講録を集めたシリーズの一巻にのせられ、その他には殆んど公刊されなかったようです。しかし、最近になって法蔵館から単行本として出版されましたので、手に入り易くなりました。これは講義の筆記の形で書かれております。この書物は『歎異抄』を語る者は、少くとも一度は読まねばならんという大変基本的な書物であります。
 第二は、先般亡くなられました曾我量深という先生の『歎異抄聴記』、これは東本願寺出版部から出されました。これは先生が昭和十七年頃ですか、東本願寺の本山の夏の安居で、専門の僧侶の方々を前に、約一カ月にわたって講義をなされた、その内容をまとめたものです。この書は非常に骨格がはっきりした、すなわち、後に申します『教行信証』の骨格にうらづけられた書物です。内容はかなり難しい書物ですが、第一の了祥師のものと並び称せられるもので、恐らく後世に残るものでしょう。
 第三番目には、最近の本で高原覚正という人の『歎異鈔集記』上中というのがあります。名古屋の時証会という会で『歎異抄』の講義をされておりました。その講義の第一章から第三章までを上巻に、第四章から第十章までを中巻に、そしてまだ発売されておりませんが、十一章から終りまでを下巻にされる予定だそうです。したがって、非常に克明広範なものになっております。永田文昌堂の発刊です。
 それから最後にもう一つ。前の三つは、専門的な仏教の知識を必要とする所もあります。それに対して、伊東慧明という方の『歎異抄の世界』という五巻の書物が、文庫本の形式で文栄堂という所から出ております。伊東先生というお方はまだ若い方で、先般まで大谷大学に勤めておられましたが、その御在職中に書かれたものです。三重県の山奥の小さな青年会のため毎月一回講義に行かれたその内容が、一章から十章まで五巻に分かれて書かれてあります。特色としましては、前の書物に比べて現代的な所が多いということです。非常にはっきり『歎異抄』の内容が描かれており、さらに加えて現代的な考え方というのがよく出ています。特に、講義の後の座談会というのが、およそそのままに記録されておって、自転車屋のおやじさんだとか、学校の先生だとか、あるいは会社員だとか、そういう若い人達が色々質問したり、話し合ったりしている内容がのせられています。始めの方では先生の講義とは全然関係のない話題の座談会でありますが、だんだん後になると、先生の講義にマッチした話もあり、その内容も深く掘り下げられてきています。非常に読み易い、また手に入れ易い書物です。
 以上、大体これらが、『歎異抄』を読む上で大事な書物であり、おそらくはその大部分がながく後の世に残るものだと思います。勿論、先に申しましたように、百冊以上というたくさんの書物がありますから、立派な書物がこれ以外にもあると思います。私も多少読んでみました。読んだ範囲ではこれらの書物が一番すぐれていると思います。それは、これらには親鸞というお方の本当の心が非常によく出ている。それに対して他の書物では、自分の感想、経験といったものが中心になっていて、『歎異抄』を読むようになった縁だとか、親鸞という人の時代的背景だとかいうような所を右往左往しているというような感じが強いのです。ですから一応、親鸞その人の信仰を知るには以上掲げた書物を参考にして勉強されたらよいと思います。

二、『歎異抄』を読むときの注意

 次に、『歎異抄』を読んでいきます上での注意点といったものを述べたいと思います。まず大切な事は、暗誦するということです。出来るだけ暗誦しておくということです。昔は、と申しましても私共の小中学校頃は、国語、漢文といったような文章や詩などは暗記させられたものでございまして、『太平記』だとか『日本外史』だとかいう書物の或る部分は、毎時間指名されて暗誦しておったものです。それでは、暗誦するということにどんな意味があるかというと、読書百遍意自ら通ずという言葉もあるように、何遍も何遍も読んでいるうちに、その心がだんだんとわかってくるという一面があるのです。『歎異抄』は日本文としましては非常にすぐれたものであります。しかし、何分七百年の昔の文章でありますから、私達の力では必ずしも理解しやすいものではないのであります。そこで、出来るだけ暗記して何遍も繰り返しておるということが、内容を理解する上で非常に大事な方法であろうかと思います。このことは確か金子大栄先生も指摘されておったと思います。そこで、第十章までが非常に重要なので、まあここまでは出来るだけ暗記していただきたいと思います。
 この暗記ということに関して思い出しますのは西元宗助という方がおられる。このお方は元京都府立医大の先生だったと思いますが、戦争の終り頃に当時の満州国で建国大学の教授をしておられた。この人の書かれたものを読んでみますと、その時に終戦になりシベリアに抑留されたんですね。そして捕虜収容所で強制労働をさせられておった。その時一緒におりました人々が『歎異抄』を読みたい、『歎異抄』の講義が聞きたいと言ったんですね。ところがもとより着のみ着のままで、『歎異抄』といった書物のあるわけがない。そこで、学生時代『歎異抄』の講義を聞かれておった西元先生が、文章を思い出し思い出し新たに『歎異抄』を書き綴って、それを皆で戴いたということです。私はよくこの話を思い出します。勿論そのような状態、収容所というような状態は稀なものでありましょう。しかし、やはりそこに憶えておったことが、自分自身のプラスになる、さらには他人にもプラスになる、そういったことがあったのでございます。まあ一つの極限状態でありますが、やはり暗記していたことが大きな役に立ったという一つの例です。暗記することですね。そしてバスを待ったり、暇な時間、そういう時に頭の中に思い浮べていると、だんだんその意味が明らかになることが多いようですね。
 第二には、これは『歎異抄』だけではありませんが、何事にも継続一貫ということが要求されるわけでごさいます。特に信仰という問題、或いは宗教という問題は、聞きかじりというのが一番いけないのです。たとえば、正宗白鳥という人。この人は内村鑑三という先生のお弟子でその教を聞かれた方のようですが、ある時期に内村鑑三から離れて行かれた。そして自分の聞いた感想でもって内村鑑三氏をまあいろいろ批判されるわけです。しかしそういう聞きかじりではいけないと思います。それは聞き抜いて、内村鑑三先生という人がどんな事を言おうとしておられるのか、そのことを聞き抜いた上で言われないと、読む者は大変読み辛いと感じました。まあそれはそれといたしまして、信仰のことというのは最後までやらないとわからないのです。
 最後までと申しますが、一応五年間がひとくぎりだと思います。五年間しっかりやっていただければ、大体アウトラインはわかっていただけると思うのでございます。それは単に理解ということでなしに、もう一つ内に食い入って親鸞御自身の信心というものを深くわかっていただけると思うのです。それは私自身のまあ言わば体験もございます。
 体験と申しますのは、一つには私のいわゆる学生時代から今日までの体験でございます。私自身がいろいろ聞法していきます上で、大体やはり五年というのが一つの区切りだなと思います。もう一つは、私自身学生と接する機会が多く、現在九州の方で仏教研究会の寮を持っており、約二十名の学生がおります。彼らは大体一年生から入りまして四年までいますが、そのいわば西も東もわからない高校を出たばかりの学生が、だんだんと転回し進展していっている。やはりそれにはそれだけの年限が必要なのです。しかしながら一応五年と言いましたが、本当は継続一貫いわば一生を貫くことが必要であります。そういうようなわけですから、私としては是非皆さんに続けていただきたいと願っているのです。
 最後にもう一つ申し上げたいのは、『歎異抄』は『教行信証』の骨格というものをバックに持って読まないと誤りが多いということでございます。現在、先に申しましたように百冊にものぼる研究書がありますが、それらの大部分の誤りは、『歎異抄』をそれだけで読んでいるからだと思います。即ち『歎異抄』は親鸞聖人の直接書かれたものでなく、その晩年において言われたこと、為されたことを、お側におりました方が書き記したものでございます。したがって浴衣がけで、或いは帯ひもといて、つまり普通の会話の中で言われたことなのですね。でありますからそこにその人の本当の内容を伝えている一面があり、また本音が出ていると言えます。しかし、本当にその人の言いたいことは、常日頃自分の側の者にいう言葉と共に、もう一つは本当に心血を注いで書いたその大論文そのものを読まなければわからないと言えると思うのです。その人を表からよく知っていると共に、裏からもよく知っていて始めてその人の全体がわかるわけです。その点から言えば『歎異抄』は裏の方ですね。裏口でございます。それですからどうしても表口がはっきりしなければなりません。それが『教行信証』であって、『教行信証』の骨格というものを理解しなければ、『歎異抄』は必ずしも理解されないと私は思うのであります。これは私の心掛けとして注意すべき点でありますが、いわゆる『教行信証』の骨格を大事に戴いていき、それをバックに持って歩んでいこうと思うのであります。そこで今から申しますことは、『歎異抄』の文章の表面だけに執われず、そのバックにあるところのもの、特に『教行信証』に言われますものを踏まえ戴いていきたいと思います。

三、著者について

 さて次に著者という問題です。『歎異抄』の著者は名前が記されていないわけですが、この著者につきまして従来三つの説があります。第一の説は覚如説であります。覚如上人という人は本願寺の第三代の門跡でございまして、この説をとなえたのは月筌という人です。この人はいわば学者でありまして、その著わしました『聖教目録』という書物に、『歎異抄』は覚如上人の作として書いてあるそうです。
 それに対して第二の説は如信説であります。覚如上人は第三代の本願寺の門跡であるのに対し、如信というお方は第二代の本願寺の門跡で、親鸞聖人の孫にあたる人です。この説は香月院深励という人の書物の中に書かれています。その理由として三証一理というものをあげております。三証とは三つの証拠があるということでして、その三つの証拠とは、まとめて申しますと覚如上人が書かれた『口伝抄』という書物があり、その最後の奥書の中に「先師聖人釈如信面授口決」とありまして、要するにこの如信というお方が親鸞聖人の孫に当られるわけですが、この如信というお方が親鸞聖人からいろいろ聞かれたことを覚如上人に話され、それを上人が書き記して『口伝抄』を作ったのだとなっています。その『口伝抄』の中に三個所にわたってこの『歎異抄』と大体同じ内容のものが出てくるのであります。したがって如信が『歎異抄』を書かれたのだというのですね。これが三証です。
 一理と申しますのは、大体この『歎異抄』全体を見ると親鸞聖人のそばにいて、親鸞聖人が口すがら言われたことを書きとめたものである。しかしこれは覚如上人ではない。なぜかというと覚如というお方は、親鸞聖人が亡くなられてから九年後に生まれた人である。したがって一理というのは、前説即ち第一説月筌の覚如説を打ち破るその道理です。このように三証一理という内容を連ねて、覚如でなしに如信だと言ったのが深励という人です。この人は香月院深励という勧学で有名な学者でございます。それで覚如説でなしに如信上人だというのがほぼ定説になっていたわけであります。
 これに対して第三の説を称えた人は了祥というお方で、この人が唯円説を出すわけです。了祥というお方は先に申しますように、現在の愛知県、当時の三河の国というところの一住職であります。もともと京都で修行した時は深励に師事した人です。それが深励の説は間違っていると言ったのです。それについて五つの理由をあげてあります。
 これは『歎異抄』を何回も何回も読んでその結果わかるのですが、「おのおの十余箇国の境を越えて身命を顧みずして尋ね来らしめたまふ御こころざし・・・」というふうに、この『歎異抄』の著者がその親鸞聖人の御在世の時に対話をした、そういう話合いがあった所に列席しておらなければ書けない。そしてただ列席しているというだけでなく、その対話を理解するだけの年令と信仰がなければ書けない。したがって如信ではない。如信は親鸞の孫であってその時の年令は幼少であり如信ではない。そういうことが一つと、また第九章には「親鸞もこの不審ありつるに唯円房おなじ心にてありけり……」で唯円という人が出てくるわけですね。これらはやはりその文体からみまして、直接にその問答をいたしましたその人でなければ、書けない文章であり、もし如信が書いたとしましたらこのような文体は書けないということをあげています。
 次の二つは略しまして最後に、如信の説であるならば存覚上人の書かれた『浄典目録』に載っていなければいけないのに載っていない。存覚という人は覚如上人の子供さんですが、この中に記載されていないということがあげてあります。
 以上から現在では大体第三の唯円説が定説となっているわけです。なぜここで著者について特に申したかといいますと、このことは非常におもしろい。おもしろいと申しますのは興味があるというのでなしに、我々は考えなければならないところがあると思うのです。それは一つは了祥という人であります。先に申すように了祥という人は三河の国の一住職にすぎなかった。その人が時の本願寺の勧学と申しますが、一番偉い学者である深励の説に楯突いて反対を出した。そして遂にその反対が正しかったということです。これは昔のことで今と比較してもよくわかりませんが、たとえて言えば、深励という人は東大の教授というようなものである。現在では東大の教授と申しましても昔と大分違いましょうし、一概に言えないかも知れませんが、そういう専門の人に対して了祥という人は中学の先生位である。これはたとえが当りませんが、要するに地方にいるという意味ですね。日本人我々は権威主義というものに、非常に執われやすいわけでございます。香月院深励といういわゆる当代随一の学者が言ったことと、地方の一住職である了祥という人が言ったこととどちらが正しいかといえば、我々は前者の方が正しいのではないかという気がするのですね。なぜかというと肩書が違う。肩書というのが権威ですね。そして何を言っているかというと、片一方は本願寺の親鸞の孫が書いたのだという説ですね。何だかその方がよさそうな気がしますね。けれども了祥はそうではないのだと言った。著者はただ品もなき一人の求道者、常陸の国の田舎の一人の百姓にすぎない唯円が書いたのであると彼は主張した。そこから我々は了祥という人が実に偉大な人だ、実に大変な人だということがわかる。(如信ではなしに唯円だ)と堂々と言う。しかも深励の反対側に立ってそういうことを言うところはなかなか骨がある人だと思うのです。また『歎異抄』というものは偉い人が書いたものではないのだ、また権威主義的なものではないというところに非常に意味がある。
 唯円という人はこれが二人ありまして、一人はとりばみ(鳥喰)の唯円といい、一人は河和田の唯円で、ともに現在の茨城県の人でございます。その中の河和田の唯円、これは現在の水戸市にあたりますが、そこにおりました一人の百姓のこの人が遂に親鸞の教を聞きぬいて、そこで泣く泣く筆を染めてこれをしるすということですね。そして後世我々の胸を潤してくれるようなそういう書物を書いた。そこに考えさせられるものがある。その人の経歴、その人の学歴、その人の地位、そういうふうなもので立派な書物が書かれるわけではなしに、本当に打ちこんで親鸞という人を理解した。そして本当に親鸞の信心というものを受け継いでいったんですね。そういう人が書いたものが名もなき人の書物でありましたけれども今日残っているのである。こういうことを申したかったのでございます。

四、親鸞という人

 さて著者は唯円でありますが、書かれていますものは親鸞についてである。それでは親鸞という人はどんな人であるかということでございます。これを簡単に申します。親鸞自身は自己について語らなかった。特に自分の経歴というものを自分では語らなかった。今日に残っております書物の中で親鸞自身が自分の経歴を書いたものはありません。したがってその伝記については全く不明のところが多いようです。特に家庭につきましては殆んどわからない。
 丹羽文雄さんやら吉川英治とか、いろいろな人が親鸞について書いているけれども、現代の親鸞小説についてはことごとく全て作者自らが描いたイメージ、像でございます。これらには何も根拠がないのですね。
 親鸞が自己について書きましたのは、『教行信証』の終りに次のような文章ではじまる所からである。それは化土巻というところで「建仁辛酉暦、雑行を棄てて本願に帰す」。これが親鸞が自分自身について書いた一番初めの文章でございます。この時に彼は二十九才であった。これ以前のものについては彼自身の口伝の中には一つもありません。奥さんの恵信尼公という人が書かれた手紙の中に残っているだけでございます。建仁辛酉暦というのはいわゆる年号でございまして、この年に親鸞が法然の門をたたいて、そこで雑行を棄てて本願に帰す。ここが親鸞の第一歩でございます。

五、帰依

 帰すということはどういうことかというと、帰依といいます。帰依とは何かといいますと、何かに依りすがるとかそういうふうに思うわけですが、帰すというのはそういうことではない。
 帰すとはどういうことかというと、たとえて申しますと、ここに水車があるとします。この水車が人間我々とします。水車というものにはどういうことが必要なのかといいますと、まわるということ、回転するということが必要です。
 さてこの水車の回転に必要なことが二つある。一つは水が流れるということ。水が流れなければ水車の廻りようがない。その水の問題が一つですね。水がはるか彼方の下の方を流れるときは水車は廻りようがないわけでありまして、そこでだんだんと水が多くならないと駄目である。しかし水に全部つかるとまた廻らない。もう一つ大事な問題は、たとえ水が来ましても廻るとは限らない。なぜかというと、もう一つ問題がある。それは心棒がさびついていては廻らないということである。そこにどんなに強力な水が流れてきましても廻らないということがある。このように二つの問題がある。

 水の流れ、これを本願という。その心棒のさび、これを雑行というのであります。水車が廻るということはですね。この心棒のさびがおちると同時に廻りはじめるのである。この心棒のさびがおちるということを雑行を棄てる、そしてこの水の流れに廻りはじめることを本願に帰すといいます。その心棒のさびを何というかというと、一言でいえば自力という。雑行、雑修、自力の心をふりすてるといいます。自力の心、自力とは何かというと人間の持つ自己肯定というものである。あるいは自己中心という。普通には何もかも自分で努カすることを自力と申しますが、全くでたらめな用語です。自力とは仏教用語で、自己中心のことを申します。そこでこの水の流れ、これを法流といいます。具体的には本願でございますが仏法の流れ、その流れの中に自分がひたりきって生きていく。その流れの中に入りその流れを受けていきますと、ついにその心棒のさびがおちると同時に水車が廻りはじめる。この心棒のさびを仏教ではまた見惑という。浄土真宗或いは浄土門で申される自力の心は、仏教のもとの言葉では見惑という。見惑とは何かというと、我見と申すのが中心であります。我見とはどういうことかというと、おれがおれがと考える、わしがわしがと思う。また我所見という。これは自分のもの、これは私のものというように、自分の所有物に執われる心を我所見という。帰依とは何かというと、水車が本当に水を受けて廻りはじめることを帰依という。そのためには自分自身の中の我見、我所の心というもの、このさびが打ち砕かれることが必要である。これを雑行を棄てるという。そこから親鸞という人がはじまったわけである。

 親鸞という人は自分を語らなかった。自分を語ったのは建仁辛酉暦、雑行を棄てて本願に帰す、その水車の廻りはじめた時から自己を語ったのである。これは非常に考えさせられることであります。人はおれがおれがという考え、わしのものという考えに執われているかぎり、それは一つの動かない水車の存在にすぎない。それが本当に廻りはじめて、始めて水車として活動を開始する。そこに人間としての出発がある。いみじくも親鸞という人はこの出発を自分の生活の始めとしているわけである。帰依から人間としての出発がはじまる。大きな流れの中に立って自分がその流れによって廻りはじめるところに人生のス夕ートがあるわけであります。

六、古今をかんがえる

 「ひそかに愚案をめぐらしてほぼ古今を勘ふるに先師の口伝の真信に異ることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思うに幸に有縁の知識に依らずばいかでか易行の一門に入ることを得ん哉」。前序というのはこういう文章にはじまるのであります。
 「ひそかに愚案をめぐらして粗古今をかんがふるに」古今というのは今ここに唯円という方がおられる、古はいにしえであります。いわゆる過去であります。「先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに」そこでいにしえを思い未来を思う。
 我々はどういうことを考えるかというと、現在のことをいろいろ考えまた将来のことも考える。が、あまり過去というものは考えない。いや過去のことを考えることもありますけれども、大体先師口伝の真信などというのは考えない。また未来のことを考えても後学相続の疑惑などは考えないわけでございます。今先師口伝の真信を考え、後学相続の疑惑有ることを思う。そういうふうに考える力を信と申すのであります。或いは信心という。
 信心というものはどういうふうな特徴があるかというと、先師口伝の真信を考える、先師口伝の真信に異なることを考える。私と共なる多くの人達、その人達の心が先師口伝の真信と異なるということを歎く。そして未来、いわゆる後学相続の疑惑有ることを思う。一つはいにしえに対し、一つは未来に対し、深い思いを持つ、それを信心というのである。
 信心というと人は何かを信ずることと思う。あるいは信じこむと申します。思いこむとこう言う。現在の私の苦しみを解決してくれ、将来の私を築きあげてくれるような、そういうものを信心と思うのである。これは間違いである。それは間違いですね。この信心ということがはっきりしなくてはいけない。

 龍樹という人の『十住論』によると、龍樹という人は第二の釈迦といわれる人で、大乗仏教の中興の祖でございますが、信というものは憶念という意味であるといわれる。憶念とは何かというと思うということです。それは仰ぎ見る世界を持つということである。仰ぎ見る世界とは何かというと、私が思わざるをえない私が念ぜざるを得ない世界である。こういう世界を持つということでございます。
 今ここに卵があるとする。これは親鶏から産み出されたその姿が卵という姿であります。卵はかたい殻の中にいわゆる黄味と白味と胚というものを持っているが、この卵というものは思う世界をもたない。仰ぎ見る世界というものをもたない。それはなぜかというと、かたい殻の中に閉じこめられているからである。あるのは自分という世界だけである。したがって大きな世界は何だといわれてもわからない。憶いたいといったってわからない。
 人間もまた生まれた第一の段階、すなわち人間としての形はとっていても、そのままでは殻の中に入っている。その殻をいわゆる自己中心という。自己中心とは何かというと名聞、利養、勝他という。名聞というのは現代の言葉でいうと名誉心。名誉心というのは人から悪く思われたくない、人に対してかっこいいところを見せたいというようなものである。それが殻ですね。これがみんなあなたも私も生まれながらに持っているもの。それが私を守る殻になっている。それがなければやっていけないのでございます。利養、これはいわゆる打算といいまして、損をしないように得をするように、それもみんなが持っているものである。また勝他というのは競争心というもので、他を凌ぐということ、負けちゃならぬということで、従ってこの三つの心はみな持っていて、それらを自己中心という。
 これが教育の出発点で、いつも申しますように子供に勉強せよというのはここを刺激することなのです。勉強せんと人から笑われるよ。笑われる位で勉強するかどうかわかりませんが、それは一つ大事なことです。結局あなたの損ですよ。隣のサブローチャンを見てごらん良い成績を取って、あんた負けとるじゃないか。ここんとこをうまく刺激する。幼稚園も小学校も中学校も高校も、全部ここを刺激する。特に高校の受験教育は負けちゃならぬという、結局良い大学に入らなくちゃ損じゃないか。うちの学校の名誉をあげようというようになりましてね。
 大体仏法を熱心に聞く人に老人ホームの人達があります。もっとも老人ホームと申しましても、無料の老人ホームの人はあまり聞かない。人もあんまり無料でやると、だんだん生活の刺激が無くなるとみえまして、向上心がなくなってくる。ボケてくると申しますか。有料老人ホームというのがありまして、それは自分で金を払って入るわけですね。そういう所の人は非常に熱心に仏法を聞きなさるという。どうして聞きなさるかというと、「先生、私はどこが誤っていたのだろう。自分は若い時から考えて、子供の教育というものを考え、自分の家を建てることを考え、そうして老後の金も考え、この三つを考えてやってきました。子供はみんな大学を出ました。家も建てましたし金も持っておる。が、その結果としてこういう老人ホームに入っているのです」。これだけは計画になかったそうでございます。「子供は大学を出したけれど、みんな手元を離れていって一人もそばにいない。大きな家を建てたけれども、夫婦二人きりでは広すぎて掃除にも困るので人に貸している。ただ金を持っていても行くところがなくなったから、その金でホ-ムに入っているが、どこが誤っているだろう。仏教ではどこが誤っているというのだろう。」とこういう質問です。

 仏教はこの殻を破らなければならんと欲しておる。殻があなたを守っていわゆる人間の自己保持・自己保存ということを可能にしているが、遂に最後はあなたを殻の中に閉じこめてしまう。小さな世界しか持たぬ。この殻が破れて広い世界に出るということが大事な問題である。殻が破れなければならない。それには親鶏がこれをあたためて、そうして目玉がつき、くちばしがつき、足が生え、毛並が揃ってヒヨコになる。ヒヨコになることによって、自己中心の殻が破れるのである。そのことが出来なかった。したがってあなたの殻がそのままあなたを閉じこめることになった。即ち小さな世界に閉じこもることになる。で、今仰ぎ見る世界にですね、彼がはじめて殻を破って出たとします。即ち卵がヒヨコになった時、サンサンとして輝く太陽、颯颯としてなるところの風、広い世界、そういうふうなものを仰ぐことができるのです。それを大いなる世界を持つと申します。大きな世界に生きている。それがヒヨコとして生きていることで、それを憶念と申します。さらに称名というのはいわゆる称えるという、称讃ということです。名を称えると申します。御名を称えると申します。それを念仏と申します。南無阿弥陀仏と仏の御名を称えずにはおれない。その称えるべき御名を持っておる。それを称名と申します。憶念、称名、礼敬。礼敬というのは合掌し礼し奉るという。手を合わせて拝むという世界をもつ。
 信心とは何かというと、何か信じこむものと違います。そうでなしにこのようにあなた自身が、いわゆる小さな殻の中に閉じこもっているあなた自身が、育てられてそしてその殻を破られて広い世界に出るということであって、したがってめざめである。或いは真の人間形成といわれる。真の人間形成、それは卵が本当の意味で卵になる、卵が本当に自己形成を遂げてゆく。その内容を憶念、称名、礼敬と申します。そこにはじめて合掌するものを持つと共に懺悔(さんげ)する。「ざんげ」という人がありますが、間違いでございます。なぜかといいますと、懺というのはいわゆるサンスクリット、インドの古い言葉でございまして、それは「さん」といいます。そういう漢字が無いからこういう文字を作ってこれをさんと読ましたそうです。悔は昔からある漢字で、これは「け」と申します。サンスクリットのインドの文字とこの漢字を一緒にして、懺悔であると言いますが、懺悔とは何かといいますと、深い自己反省、あるいは自己自身に対する深い目覚めというのを懺悔と申します。これをお詫びすると申します。何に対して詫びるのか、それは大いなる世界に立たされた者が、その大いなるものに向かって自らを懺悔するということです。松影の黒きは月の光かなという歌がある。大きな世界、即ち今はお月様の光ですね。このお月様の光というものが照ってきますと明らかになってくる。何が見えてくるかというと、松の影が黒々として見えてくる。大きな世界に立ちますと、自己の影が黒黒と見えてきて、それがいわゆる懺悔ということでございます。お詫びするという内容になる。即ち大きな世界に出た者の自己に対するめざめですね。
 次に勧請というもの、仏に向かって、どうか私に教をたれたまえと願うことを勧請と申します。随喜、仏の徳を喜び仏の世界を生きる人。更に廻向と申します。これで七つですね。これは『十住論』の中に言われています。
 たいへん難しい事になりましたが、この廻向というのは何かというと、他への働きかけということができます。他の人のために、仏法に、大きな世界に、立ってくれるようにと願っておる,念じている、働きかけている。そういった意味を廻向といいます。憶念、称名、礼敬、懺悔、勧請、随喜、廻向、この七つ、それがいわゆる今という時に立って、広い大きな世界に対して「ほぼ古今をかんがうる」という心なのです。
 信心というのは、必ず遠い世界に向かって仰ぎ見、それに向かって合掌し讃え、そして自分自身をお詫びし、自分自身が鍛えられてゆくことを祈ることが一つ、もう一つは未来に向かって、あるいは私の周囲の人に向かって、そこに願わずにはいられないという、いわゆる働きかけというものが、「後学相続の疑惑あることを思うに」となってくるわけです。従って最初に出てくる「ひそかに愚案を廻らしてほぼ古今をかんがうるに」というところに、深い唯円の信心というものが明らかになっていると思うのです。

七、先師口伝の真信

 さて「先師口伝の真信」とは何か。先師というのはもとより、亡くなられた先生ということ、だから唯円にとっての先師は親鸞聖人ということになります。けれども増谷先生の書を読んでみますと、先師というのは親鸞の更に先生である法然上人のことである。法然上人から口伝えに受け継がれた親鸞聖人の信心を「先師口伝の真信」だと言ってあります。それをさらに申すなら親鸞に伝えられた長い歴史的相承、それは遠く釈尊から端を発して続いてきた先師口伝の真信、即ち歴史、流れ、文化的連鎖といいます。
 先に述べました水車のこと、それが廻るには水がいるわけです。その流れを「先師口伝の真信」といいます。それは一人の人が考えていたことではなしに、ずっと長い伝統を持った歴史的伝承であります。仏教では仏、法、僧の三宝といいます。仏宝、法宝、僧宝、これは何を言っているのかといいますと、仏法というものの一番中心をなすものを法といいます。法というのは法則です。その法を南無阿弥陀仏といい本願の名号といいます。法というのはその一番奥にある法則を言うわけです大きな大きな世界の中に、われらの小さな世界がある。その大きな世界を何と呼ぼう。それを「真如」あるいは「一如」と言おう。或いはそれを大いなるもの、または絶対のものと言おう。その絶対の中に相対があるわけである。その一如なるものが、いとも小さな有限相対なるわれらを包んでいる。そこに必ず働きかけるものがある。そこに法則として小さなものに注がれるものがあるわけです。
 例えば今ここに一女性がいるとする。その人が単なる女性であれば一個の人間にすぎないけれども、もし子供ができたとすると、そこに子供に強く働きかける思いというものが生まれてくる。その思いを「南無」という。
 「南無」というのはサンスクリットという古い印度の言葉で、日本語に訳せば「我と共にあれ」である。「阿弥陀仏」は「永遠なるもの、無限なるもの」ということです。即ち一如なるものである。そこに一つの法則として我々の上に流れてくるものを南無阿弥陀仏というわけであります。
 昨年私は両親の墓をたて、そこに一緒に私の墓もたてました。墓碑を何と書こう。「南無阿弥陀仏」と書くのが普通なのだけど、あるいは「細川家の墓」と書いてもいいなと思いましたが、他の人が入ってもよいように、現代的に南無阿弥陀仏という意味で「大いなるものと共に」と書きました。大いなるものと共に、大なるものと共にあれという願いを法といいます。それを本願の名号という。本願というのは大いなるものの願い、名号というのはその名告りということです。その大いなるもの名告りを南無阿弥陀仏といいます。大いなるものと共にあれです。
 それを説く人、法を説く人、それを仏といい、その一番初めを釈尊といいます。僧というのは仏法に生きる人、それを僧というのです。南無阿弥陀仏、あるいは仏法という教は具体的にはどこにあるかというと、それは僧の上にあるのです。僧というのはお坊さんという意味でなしに、サンガ(僧伽)といいます。それは仏法を本当に生きてゆく人の上にある。仏法はどこにあるのかというと、それはサンガの中にあるのです。
 例えば今は春になりましたが、春というものがどこにあるのか、探しても探しても見当らない。しかしながらそれは、そよ吹く風の中に、麦畑の中から舞い上がって鳴くひばりの上にある。咲いている花、青葉、伸びてゆく麦のその成長、菜種の花の中に春がある。では仏法というのはどこにあるか、それは仏法を生きている人にある。それをサンガといいます。遠い遠い、大きな大きな世界はどこにあるのか、それは歴史として、あるいは一人一人、いわゆる釈尊から始まって龍樹、天親と続く人々の、そしてわが前に立つところの一人の人の上に生きている。それをサンガと申します。そのサンガを明らかにする、あるいは本当にそれを知ることが仏法を知るということであります。現在仏法というのは決して衰えているわけではありません。仏教学界で発表されている人や数を見ますとたいへんなものであります。そして微に入り細にわたった研究がなされています。世界に誇るに足るものがあると思います。
 けれども、仏教学が盛んになって仏教が盛んかというとそうではない。学問的対象として向こう側に仏教を置いて、こちら側から顕微鏡でしらべるような、そういう研究が盛んである。けれども仏法を本当に生きていると言い切れる人が少ない。今こういう人が必要なのです。こういう人に逢わねば仏法は実はわからない。親鸞は法然という人に逢って初めて仏教がわかった。法然は善導という人を通して初めてそれがわかった。善導は道綽という人に逢ってわかった。曇鸞は龍樹、天親という人に逢ってわかった。そういうものを先師口伝の真信というのです。
 真信は同時に仰ぎ見る世界を持つのである。ただ仰ぎ見るというだけでなく、讃えずにはおれない、合掌せずにはおれない。懺悔、勧請、随喜、廻向となるものです。
 信はまた未来、即ち後学相続の疑惑があるということを思うことができる。そこに未来に対する深いよびかけ、どうか本当のところをなんとしても未来の人々に伝えておかなければならないというものが生まれてくる。そういうような方向を持ってくる。即ち一つは古を考え、一つは未来を考える。こういうものを信心と申します。

八、信はどうして生まれるか

 それでは大体「信」というものはどうしたらできるものなのか、そのことにちょっとふれてみます。信心というものは初めからできるものではない。信心は必ず教育というものによらなければなりません。即ち教によって育てられるということなしに、仏教における信というのはできないのです。
 一番初めを資糧位という。資はもとであり、資本である。糧は食糧であり「かて」である。一番初めはもとでになりかてになるものを取り入れていくということである。それは聞くということである。聞法ということ、法を聞き思索する。それを略して聞思といいます。初めは聞いて考えるということです。しかし普通の宗教は「信」ということを初めに言う。まず信ぜよという。そういうのは、初めの段階ではいらないと同時に無益である。むしろ私は非常に有害だと思う。
 なぜかというと、信というのはいわゆる目覚めである。あるいは真の自己形成である。それは初めからできるものではなく、それは必ず育つことによってできるものである。初めに信ずることを要求するもの、それは盲信だと思う。狂信かも知れない。そういうものはいらない。有害である。そうではなしに初めに聞くということが出発点である。
 聞いて考える。普通は聞くことはするけれども考えるということはあまりしない。こういうのを聞いて聞きっぱなしという。この聞いて聞きっぱなしではいけない。聞いて考えるというのである。考えたならばわからないところを質問するということ、それを尋求という。質問をする、この質問ということはなかなか難しい。わからんところを尋ねる。最初はどこがわからないのか、わからない所がわからない。尋ねることがないのです。尋ねることがあるというのは大したものであります。聞いて考えて、わかったところとわからないところをはっきりする。そしてわからないところをたずねるということが、進展の速い行き方である。
 次を加行位(けぎょうい)という。加は「け」と読む。実行という。修という。合わせて聞、思、修という。実行するということは資糧位に対して高い段階にあります。なぜかというと実行というのはなかなか出来ないからです。何を実行するのかというと、勤行です。仏壇におまいりをする。仏様におまいりしてお香をたいて、いわゆるお勤めをするということ。一番簡略には手を合わせて念仏するということである。そういう行はなかなかできない。非常に出来にくい。
 もう一つは念仏を申すということ、合掌して「南無阿弥陀仏」と念仏を申すということ、それを修といい、今は加行という。私は先程申しますように、沢山の学生に接する機会がありますので、学生で初めて仏教の話を聞きにきた人にはかなり注意しています。我々はお勤めというものをやりますが、そういう時初めて来た人というのは大体十人のうち八人は手を合わせないですね。じっとこうしておる。まして念仏申すなんて殆んどいない。それがだんだん話を聞くようになって少しずつわかってくると、手を合わせるけれども合わせるのにひざのところで少しですね。しかし念仏を申すというのは非常な決心を要する。なぜかというと、或る学生が言うには、初めて念仏を申した時、「とうとう私もこれ程までに落ちぶれたか、わけのわからん南無阿弥陀仏と言わんならんようになった」と。こういうようになかなか難しい。それが第二の段階です。
 それから通達位というのは通じ達すること、それを信という。めざめという。従って信心というのは出発点にあるのではなしに、資糧位、加行位と教を聞いて、考えて、実行する。そうしていく、いわばその果てに生まれてくるものである。
 めざめというのは目が覚めるということ。何に目が覚めるのかというと、私自身に目が覚めるということである。私自身が何であるかがわかってくるということである。もう一つ大きな世界、仏様がおいでになるということがわかってくるということである。南無阿弥陀仏ということがわかってくる。
 初めはわからない。誰もわからない。私もあなたもわからない。私自身は一番初めは大学の二年生の時で、これは西も東もわからんというよりも全然仏教というものに関心を持っていなかった。本当に仏教を求めようという気もなかった。私はやむを得ず仏教を聞くようになったのであります。

 もうかなり前になりますが、私がその寺で大学の寮の世話をしなければならなかった。その寮で朝晩浄土真宗のお勤めがあって、お話がある。それに誰も出ないものですから、私は寮の監督上、責任上やむを得ず、一人位は出ておかないとお世話になっている関係上エチケットに反するのではないかと座っていた。そして聞くともなしに聞いていた。それに関心があったのでもなんでもないのであります。しかしそれでも聞いている。そしてとうとう深い世界に導いてゆかれたのであります。私はそういう経歴でございまして、家が浄土真宗でもなければ浄土宗でもない。私の親は真言宗であります。また私自身は化学者であります。だから別に仏教学を専攻したわけでもなんでもない。家はお寺でもなく小さな商売をしていました。そこで私が言いたいことは、聞いてゆきさえすれば必ずわかってもらえるということでございます。それは私自身の経験によるからであります。私のように何の関心もない、そして素養のないものが、また専門家でもないものが、しかしながら聞いているうちにだんだんと本願がわかってくる。そして自分自身がわかってくる。遂に仏、法、僧というもの、大いなるものにめざめてくる。私はこのことについては非常に自信を持っております。必ずわかってもらえるという自信を持っております。ただ続けてもらわんといかん。途中でやめてもらっては具合がわるい。
 「おれは五年続けたけれどもわからなかったぞ」という人があるかも知れませんが、そういう人にはちょっと言っておかなくてはならん。例えばここに花の種を播きまして、ポットに入れ水をやり陽の当る所に出す。これが続くと必ず発芽するわけです。けれどもそれを冷蔵庫に入れておきまして一ヶ月に一度だけ、この第二土曜の六時半から九時半まで陽に当てて、あとは冷蔵庫にしまっていたんでは、いかに五年間といってもこれではよろしくない。
 妙な話になりましたが、通達位、修習位、そこから始めて本格的な、いわゆる生活がはじまるのであります。本格的生活というのは、仏法が生活の中に生きてくる、即ち仏法的生活をするようになる。仏法的生活とは何か、いわば仏の前なる生活である。はじめて仏の前なる生活というのが生まれてくるのであります。ある先生はそれを公的人間と言われた。公的人間とはプライベートなことを持たん人間ということであります。プライベートとは何かというと、人に言えないような、蔭でこそこそやるようなことで、そういうものを持たん人間であります。我々は私的人間、プライベートな人間という。いわば個室を持っている。鍵のかかる部屋を待っている。引出しを持っていてその中に人に見せられないようなものを入れている。一つの個室を持っていて、その中では実にしたい放題なことをしているわけである。そういうプライベートなものを持たないこと、それを仏の前なる生活という。仏の前に立っているわけである。それを信仰生活というのである。
 そして遂に究竟位で涅槃にいたるという。仏の位という。仏の世界に立つ、仏道に立つとは信の成立であって、その信の成立はこの通達位に始まり更に修習位となり、遂に究寛位に出る。そこに必ず「先師口伝の真信に異ることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思う」ということが出てくる。

 皆様の中には、仏法を長い間お聞きになられた方もありましょうし、初めての方もございましょう。資糧位から通達位までどの位かかるか、まあ時間ではあまりよくわからないですけれども、二、三年しっかりがんばるということが大切です。そうすると必ず進展していくと思います。五年を目標にした方がよい。人間はたとえていえば、山の頂にある池の水のようなものである。こちらは海である。海は広く大きい。いわゆる大海である。山の頂の池は小さい。人はその中に閉じこめられた水みたいなものである。山に名前がありましてこれを憍慢山といいます。俺は偉い、俺は偉いと思っているけれども狭いところに閉じこもっている。しかしその山頂の水は一つの願いを持っている。広い世界に出たい、広い大きな世界はないか、そういう願いを持っている。それを妨げているのはこの山の上の高い岩壁であります。この岩を何というかというと自己中心という。この自己中心の岩によって水として保たれているけれども、同時に広い世界に出るということを妨げられている。その自己中心の砕かれたところそれを通達位、それをめざめといいます。この自己中心を我見といい我執といいます。これが打ち砕かれた所、ここから水が流れ出てくるのであります。流れ出てきてそこで海に向かって進んでいくのである。通達位、修習位、究竟位という、遂に海に至る。その時にこの水は山を下りながらそこに働きをすることができる。水力電気の夕-ビンを廻したり、或いはいかだを浮かしたり、田んぼに注がれて稲を育てたり、或いは洗濯の洗い水となって汚れを流すというように、いろいろの働きを展開しながら進むことができる。そこに宗教の働きというものが出てくるわけである。自分は進んでいく。小さな世界から大きな世界に出されていく。そこに今は「後学相続の疑惑有ることを思う」て「泣く泣く筆を染めてこれを記す」という『歎異抄』がつくられる。
 信が単なる個人的な心境におわらないで、公的な意味、社会的な働きとなって展開する。このことを申しておきます。


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