一、「志」の字義


 
●レファレンス
 私の題は「志」という題です。皆さんはお勉強する時に辞書をひきますか。お勉強する時には辞書をひく習慣をつけましょう。これは大事なことです。辞書をひく時に大事なことは、索引を見ることです。このことを高校生にいつも申しておりました。これはレファレンス、探索をするということです。例えば高杉晋作をレファレンスしてくださいと言ったら、色々なものからこれを調べていくわけです。私は一時、図書館の館長をしていたことがありますが、その時にある大学生が私の所へ参りました。そして、館長さん、何々の資料がありませんね、と言うのです。「どれを調べるのですか」と聞くと、これこれですと言う。「どうやって調べられたのですか」と聞くと、案外調べ方ができていない。そのものズバリで調べようとするから文献が少なくなるのです。高杉晋作を調べようと思ったら、高杉晋作について書かれているものがいっぱいある。その中から欲しい部分を抽出していかなくてはいけないのです。それが探索ということです。いいですか皆さん、そのものズバリを見るのではないのですよ。それも必要だが、色々なものからひっぱり出さなくてはならないのですよ。それを一つの立場に立ってまとめなくてはならない。そういうことができないと、本当のものではありません。私はその大学生に、「そうですかなあ、ありませんかなあ」と言いました。大学生は、「ありません」と言います。「そんなことはありません、ちょっとお待ちください」、私はすぐレファレンスの係の人に頼みました。そうすると係の人は慣れていますから、これはどこどこにあります、どこどこにもあります、とたちどころに二十数冊の本が揃いました。これをコピーしてまとめると立派なものになりました。「あなた、これで論文が書けますよ」と言うと、その大学生は、はあ、と言う。ですから皆さんはレファレンスに慣れなくてはいけません。
 それからその人の言葉を抽出した場合に、その言葉だけでその人を批判してはいけません。そうでしょう、朝起きて夜寝るまでを考えてみましょう。ある時は腹が立っている時もあり、ある時はおいしいものをいただいて気分がゆったりしていることもあります。全部集めてその人を批判しないと、ある一部分だけをとって、「彼は極めて気の短い癇癪持ちである」ということになってしまうことがあります。こうなることが、案外多いのです。

●奈良本辰也氏の説
 さて志という字は、士(さむらい)という字の下に心という字がついています。志について何か本がないかなあと思って本屋さんに行くと、『志とは』という奈良本辰也氏の書いたものがありました。これをこちらへ来る船の中で読みました。その中でこの人は、志というのは士(さむらい)の心であるといっています。
 ところでまず士という字ですが、これは十と一との合字であります。この十と一を合わすということは、一を聞いて十を知る才能を有する人の義であるとあります。これは面白いですね。
 士と言えば、例えば「士は己れを知る者のために死す」というような言葉があります。自分を本当に知ってくれている人のためには、生命を捧げてもよろしいということです。学校でも、先生が本当に僕のことを知ってくれているなあと思うと、安心がいくでしょう。友達でも、本当に僕のことを知ってくれているなあと思うと、安心がいきます。それ程人間は、自分のことを知ってもらいたいのです。受験校なんかでは勉強が競争ですから、本当に話をする機会なんかが少ないですね。そういう中で人間は、利害、打算を離れて遊ぶ中で、一緒に話をしたことが大変印象に残るのです。今までこの人はこんなことを考えていたのか、こういう家庭の人だったのかとわかり合えて、そこで生涯の友達を持つことになるのです。だから皆さん、お互いよくお話をしなければなりません。

●志の字義
 ところが志というのは辞書でひくと、士はさむらいではないのですよ。志は「之」と「心」の合字であるというのです。私は士、さむらいの下に心があるのが志と思っていたのですが、そうではなくて、「之」と「心」の合字が字源として正しいというのです。それでは「之」は何かというと、「之」はいくということです。又、草が大地から成長していく、のびるという意味があります。一週間放っておくと、草はびっくりする位大きくなりますね。草は生長していく、のびる。志は士と之が発音が同じですから、之の代わりに士を持ってきたのですね。ですから志というのは成長していく心、のびていくことであります。
 志というのは、それぞれの思いでもありましょう。私はこれから何々を目指します、何々になりたいと思います、こういうのも一応の志でありましょう。しかしその思いは成長していくもの、のびていくものを含んでいる。止まることではない。それを不退転という。後へ退かないことです。昔の人も今の人も、一番怖いのは後へ退くことです。今までうまくいっていたのに、彼は後へ退いてしまった、こういうことが怖いのです。時計の針が少しずつ前へ動くように、我々は前進し続けなければならない。こういう思いが志ということの中に入っているのです。
 「志、千里に在り」という言葉があります。これは、志が遠大であるということです。
 ところで、人間には必ず弱いところがあります。強いところばかりの人間なんてくだらない。弱いところがあるから人間なんです。強いところがあると、必ず弱いところがあります。その弱いところをちゃんと見つめるように心掛けましょう。そして、その弱さと対決しなければなりません。
 新学期を前にして、大きな志を持ちましょう。


もくじに戻る
 / 次に進む