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15.物語
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 そこで今、医学界では物語と言うことが言われだしたのです。今までは客観的なデータに基づいて医療と言う形で、EBM(evidence based medicine、客観的に事実に基づいた医療)ということが推し進められて、全国のデータバンクを創って、このような、エビデンスを集めて医療に利用しようとなってきています。しかしこのエビデンスと言うのも、先ほど云いました、「スルメを見てイカがわかるか」と言う形で、一断面でしか過ぎない可能性があるわけです。例えば、一人の患者さんが、この人はどんな人生観を持って、どういう価値観を持って、リビング・ウィルをどのように意思表示しているかとか、そういうようなその人の物語、その人の人生観が物語なのです。患者さんが持っている物語、私たち医療関係者が持っている物語を対話を通しながら、整合性をあわせていくのです。
 このあいだ私の所に来られた患者さんが、糖尿病の治療を中々まじめに受けようとしないわけです。「あなたは糖尿病の治療を積極的にしなようだけど、うちの病院に来ている以上は私にも責任があるから、少し治療に協力してくださいよ」と言ったのです、そしたら、「先生!、私は、いつ死んでもよいから」と言うわけです。「いつ死んでもいいといっても、治療をしないとあなたの希望通りにころっと死ぬとは限らんよ」とつい、云ってしまったわけです。この人は「いつ死んでも良い」という物語を持っているわけです。どうしてその物語を持っているのかが分かれば、なお良いわけですが、この人の物語と私が医師として考えている医療の物語をあわせながら、この人にとって一番良い選択、患者の考える人生を支えていくということが、私たちの医療の仕事です。
 種々の研究会で治療成績のよい報告をされる都会の先生は、優等生の患者さんばかっりを集めて、成績が良いのですよといっているのかもしれないとふと思ったのです。田舎にいますと言うこと聞かない患者さんがいますから、その人たちと対話しながらどうなだめて、理解してもらって協力してもらうか。このお互いの物語を合わせながらこの人にとって一番いい医療を私たちが支えるという共同作業ですよ。そう意味では、単なるエビデンスに基いた医療、客観的な事実に基いた医療ではないのです。エビデンス、客観的な事実に基いた医療と言うのは意外と、一断面・一切口であって、その人の全体の人間の生き様が見えていない可能性があります。そこにその人の価値観・人生観と言うような物語に基いて私たち医療関係者が持っているところの、医療観、病気観・価値観と言うものを対話をしながら、この人の自己実現といいますか、この人の本当の望みをかなえてあげるという形の共同作業が今求められているのです。そう言う意味で、物語と言うものをもつということが今大切になって来ています。

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16.死後の世界はあるのかに進む
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