歎異抄 第十六章
第三回目 平成2年3月28日講義
「歎異抄講読 異義篇3(巌松会)細川巌講述」より

一、信心定まる 二、断絶の宗教 三、信心定まるとは 四、信心とは 五、往生 六、往生とは

 第十六章には二つの異義がある。始めは廻心ということ。もう一つは後の方の自然ということである。
 出だしは、「信心の信者自然」とあるが、この自然については後回しにして「信心の行者腹をも立て、悪しざまなることをもをかし、同朋同侶にもあいて口論をしては、自然に必ず廻心すべしということ」この「自然」ということばの使い方が間違っている。それが一つ、如来の働きによることを自然にということ、また、わが計わざることを自然と申すのである。口論をして自然ということではない。
 主題はもう一つある。廻心ということである。悪いことをする度に廻心懺悔するという事は自力の計いであって、本当の信心ではない。

一、信心定まる
「信心定まりなば、往生は弥陀に計らわれまいらせてすることなれば、わが計いなるべからず」
 信心定まる時、その初めを廻心というのである。信心定まるということを信心決定というが、蓮如上人が、五重の義に言われている。
「一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号」(29−25)
 信心定まるということを、いつも申す鯉のぼりのたとえでいうと、風が吹いているとである。この風が鯉のぼりの中を吹き抜けていくと、屋根の上でしょげ返っていた鯉のぼりが、大空を泳ぎ躍動する。これが信心である。風が鯉のぼりの腹の中に届くということか大事である。これを聞という。聞其名号という。法を聞くということが大切である。それには善知識、よき師、よき友の教えを、あるいは勧め励ましを聞くということが大切である。それが風が入るということである。それには、説いてくれる善知識に遇うということ、その前に宿善ということがある。
 宿善開発(かいほつ)して善知識に遇う。教えを説いてくれる、教えを聞くことを勧めてくれる、しっかりしなさいと勧めてくれる人、それを善知識という、そういう人に遇うということが大切である。それには宿善というものがいる。
 宿善は長い長い間に積まれている善根である。一つには、先祖の血。仏法を聞く人には先祖、父母に仏法を喜んだ人が必ずある。そういうものを血筋という。もう一つは土徳、その人が育った、あるいは生まれた所の風土、土地がある。そこによい気風が残っていて、仏法を大事にし、あるいはそこから聞法の人が出た。そういうものを宿善という。宿善開発して善知識に遇うという。
 現在の日本で一番悲しいことは、この宿善というのが、だんだんなくなっているという事である。自分の家で朝晩、家族揃ってお勤めをして、お礼をするのが普通であった。しかし、現在は仏壇がないという家もある。全体の四割は無いのではないだろうか。田舎では、報恩講とかその他お寺で必ずお参りをし、いろんな物を持ち寄って聞法していた。いまはそんな習慣がだんだん薄れてきている。
 宿善がなければ善知識に遇うということもなく、如来の光明に遇うということもない。従って信心の人もなくなった。土徳や血筋があると、どういうことになるかというと、考える力を持っている。「私はこれでよいのか」と考える力。また、いろんな教えを聞いて、それが正しい教えであるかどうかと、考える力を持っている。そして、疑う力を持っている。本当にそうだろうかと疑う力を持っている。この疑う力が本当に大事である。新興宗教などに誘われても、パクッと簡単に食いつくようなことはしない。これは本当にそうだろうかと、疑う力をもっている。そして、「かくあれかし」と願う一念を持っている。すなわち、どうしても本当のことがわかりたい、信心を得たい、深まりたいという「かくあれかし」と願う一念を持っている。そういう所を宿善という。こういう人がやがて信心の人になる。たからみんな始めは宿善である。そこに出遇いがある。
 出遇いの前段に、人を求めている。自分を指導してくれる人はいないか、私を本当に指導してくれる人はいないか、人との出遇いを求め、探している。そういう人を宿善の人という。
 今日の若い人は仏法を聞かなくなって来た。私は若い人の会を方々に持っているのでよく分かる。若い人が非常に減りました。いないことはない。何人か新しい人が来ます。仏法を聞く人に共通なことは何かというと、決まっている。「自分は小さい時、おじいさん、おばあさんに連れられてお寺に参っていた」。また、「昔、家族で勤行していた」。そういう人でないとなかなか聞かない。そこで、先に言うように、血筋とか土徳ということか大事だということが分かる。これしかない。善知識に遇うということが、この人の宿善である。
 聞いて信ずるのでなく、その教えに遇うて聞法するが、この聞法の妨げになるものを持っている。それを突き破って来るところに、光明無量がある。光に照らされて本当に自己を知るのである。そこに心の闇が照らし破られるのである。それを照育・照破というのである。その風が入ってきた所を信心という。その風が出ていく所を名号、南無阿弥陀仏という。念仏である。弥陀の本願の名号である。その南無阿弥陀仏の働きが、善知識によって伝えられ、教えられ、説き明かされて私の心の闇を破っていく。それを一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、光明に被られて信心、名号。名号は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏が届いて南無阿弥陀仏が出て行く。従ってこれを五重の義というのである。そういう順番になっている。信心定まるというのは、もう一つ言うと五重の義というのである。

二、断絶の宗教
 断絶の宗教において、始めて信心定まるということが言える。断絶のない宗教の信心は始めから信じているのであるから、信心定まるとは言わない。求道の出発は教・信・行・証の宗教である。教えを信じてそれを実行して行く。教行信証の反対で教信行証である。理想主義、聖道門、自力である。その宗教には幾つかの立札が立っている。一番始めは退凡という立札か立っている。凡人は退け、帰れということ。
 凡よ帰れ、どういう意味かというと、それは継続一貫ということ。継続一貫ということが大事。これが教信行証の立札である。
 途中にもう一つ、立札が立っている。下乗とある。下乗とは乗り物を降りよという事である。これは自分の物差しを捨てよという。それは積極的聞法ということである。
 特に禅宗では「退凡下乗」という。その話によると、昔釈尊が『大経』の説法をなされたインドの耆闍崛山(ぎしゃくっせん)という所に道場があった。そこの登り口にこういう立札があったとこういわれている。一つは退凡、一つは下乗、どんな人も乗り物を降りて歩きなさい。後者の意味は、自分の物差しを捨てよと言うことであろう。
 断絶の宗教というのは、それを登っていくと、そこに如来の世界がある。その如来の世界を浄土という。最後にもう一つ立札がある。この立札がなかなか超えられない。どういう立札かと言うと、三種類ある。
 一つは、大無量寿経で「唯除五逆誹謗正法」という。これは第十八願だけに出ているもので、唯除、ただ除くという。五逆とは、父を殺し、母を殺す、反逆するもの、恩知らずのことである。親殺しの大罪人である。誹謗正法は、仏法を誹る、それは如来無視という、疑うという事で如来を無視している。それを逆という。これだけが十八願の世界に入れない。そこが問題で、始めは人の話と思うている。自分のことではない。自分は「親に孝行とまではいかないけれども、親不孝な事はあまりしていないと思う。「如来を無視したこともない」と、人のことだと思っている間はまだ分かっていない。『大経』ではそうである。『大経』では「唯除五逆誹諦正法」が断絶である。
 『観経』では、この立札を何というかいうと、「至誠心、深心、廻向発願心(略して願心)」という。『観経』は非常に分かりやすい。至誠心、まごころはあるか、今までいろんな事をしてきたが真心こめてやって来たか、この立札が『観経』の立札である。この立札が私にものすごくひびいて、私はとうとう谷底に落ちこんでしまう。真心ということを言われると、今までやって来たことは、真心ということでなしに、何とかして人より先に信心を得たいとか、何とかして腹が座るようになりたいとか、立派な人になりたいとか、一生懸命やって来たが、真心はと問われたら全く違うのである。それが断絶である。
 『阿弥陀経』ではどうか、「不可以少善根 福徳因縁 得生彼国」と言って、少善根福徳因縁をもって彼の国に生まれることを得ずと、つまり「あなたがやってきたような、少善根の因縁では、如来の国に生まれることはできない」という立札が立っている。
 これら三部経共に教えているのは、断絶の立札である。要するに本願の宗教は断絶の宗教である。
 信心定まるとは、どんどん行ったら信心が定まるのではない。必ずぶつかるものである。そのぶつかる所が断絶の旗印である。十八願とは「唯除五逆誹謗正法」でぶつかる。恩知らずと如来無視は除くと言われたら立ち止まらざるを得ない。『観経』はもっと分かりやすく、真心はあるか、深い心はあるか、願心はあるかと問うている。

三、信心定まるとは
 とうとう私にまごころ無しと、転落した谷底に、如来の方から届いて下さるものを、如来の廻向というのである。如来廻向の南無阿弥陀仏である。そこまで降りて下さる。これを「助けんとおぼしめし立ちける本願」という。断絶の宗教は「こういうていたらくの私」と自覚し、頭を下げた所に届く。それを『歎異抄』後序では「そくばくの業をもちける身」という。そくばくとは底莫といって底無しという。底知れない深い深い悪業を持っている、抱えている。こういうていたらくの私だが、唯除五逆誹謗正法、唯除という所に如来の大悲の心がこもっている。真心はあるかと問われて、真心はあると言い切れない。そういうていたらくの私、浅い少善根福徳の因縁しかない私、そういう私に到り届くのが南無阿弥陀仏である。
 南無阿弥陀仏とは光明無量、寿命無量の働き。即ち、アミターバ、アミタユースを阿弥陀というのである。阿弥陀というところに限り無く私を照らして下さるのである。照らされて照らされて、照らし切られて生まれて来る私、こういうていたらくの愚か者、寿命無量はその愚か者を御命の中に摂めとって下さるのである。寿命無量は「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり、南無阿弥陀仏」となることである。これを寿命無量の働きというのである。そこを信心定まるというのである。信心定まるところに照らされて照らされた自己を知るのである。これを廻心という。

四、信心とは
 一つは信知である。信ずるのではない。自己自身が何ものであるかということが、徹底的に分かることである。本当に分かることを信知という。それを信心という。もう一つは、仰ぎ見る世界が本当に分かること、認識ということである。
 また、信受という、信受というのは受け止める。何を、教えを受け止める。現実を受け止めることである。現実とは私が直面するいろいろな事件である。病気、苦労その他自己の現前の事実を、これは私が受け止めるべき現実と受け止ることである。信心は必ず受け止める力を持っている。信心は南無阿弥陀仏が来たって、私に届いて下さった如来のお心である。それは必ず信知であり、信受である。教えが本当によく分かり、現実を受け止める。現実とは現前の事実である。仏教用語では宿業という。また、業という。「南無阿弥陀仏、これが私の受けとめるべき宿業」こういうことが出来るのを信心といい、信受という。
 そして信順、教えの如くしたがって生きる。「汝一心正念にして直ちに来たれ」と言われる教えを心から受けとめて、教えの通りに順じて行こうとする。
 具体的な教えはたくさんある。その中の一つは『蓮如上人御一代記聞書』で、全体で三百十四条ある。私はある小さな月刊雑誌に十五年ぐらい毎月解説を出していた。五十歳過ぎた頃から書き始めて、百八十条ぐらいだから約半分になった。まだ若かったのであまり内容的に熟していないのではないかと思っていたが、東本願寺の人が見てくれていまして、「これはいい、早く本にしたい」と申込みがあった。まだ、全部終わっていないし、それだけの内容もないからと思っていたが、向こうの方から、少し圧縮して『蓮如上人御一代記聞書讃仰』として出してくれました。後何年かすると、蓮如上人の五百回忌があるそうで、それに間に会うように出版された。お寺の聞法会のテキストとして使うためかもしれない。まだたくさん残っているが、私は全部書こうとは思っていない。大事な所だけは頂いておこうと思っている。その中に教えの如くというのは、三十の八の四十六条にある。
一、赤尾の道宗申され候、「一日の嗜みには朝つとめにかかさじと嗜むべし、一月の嗜みには近き処御開山様の御座候ふところへ参るべしと嗜め、一年の嗜みには御本寺へ参るべしと嗜むべし」と云々。これを円如様きこしめし及ばれ、「能く申したる」と仰せられ候。
 嗜むとは努力する、心がけるということでしょう。一日の嗜みには朝の勤行を欠かさないようにし、一月の嗜みには、近きところ御開山様の御絵像を安置してある処に行ってお参りせよ、一年の嗜みには、一度は御本山へ参るようにと。毎日の目標、そして一か月の目標、一年の目標を立てよと申されている。われわれは朝と夕のお勤めをしているが、夕はともかく朝は忙しい、お勤めとは勤行である。御挨拶をし、それを通して教えを実行し、教えの如く生きることが大切である。
 それには善導大師の教えがある。五種正行である。これがお勤めにあたる。五種正行とは読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養で、これ全体が勤行ということになる。勤行をするということは、お経を読みながら、考えるところがある。礼拝し、称名し、供養し、感謝して、お香をたき、お花をあげ、水をかえて供養していく。これが五種正行になる。善導はこれを一日に六回やったのである。午前八時、十二時、午後四時、午後八時、午後十二時、午前四時と四時間毎にやった。
 蓮如上人がそれを改められて、庶民大衆のために朝夕二回のお勤めとされた。内容としては、正信偈と和讃、御文章または御一代記聞書を頂くわけである。これを実行することを、教えの如く生きるという。それを信心という。

五、往生
「信心定まりなば往生は弥陀に計らわれまいらすべし」
 往生とは何か、往生とは教行信証、これが他力の教え、本願の教えで、その特徴は教・行・信・証である。本願の教え以外は教・信・行・証である。本願の教えは、『大経』、『観経』、『阿弥陀経』に説かれている。この中で『大経』が一番大事である。その大無量寿経を説いてくれる人を善知識という。この経の中に説かれているもの、生きているものは何か、教えの中身は南無阿弥陀仏である。それを教行という。教えを聞き開くとは、南無阿弥陀仏を聞き開くのである。教えを聞き開くところに、教行到り届いて信証を生ずるのである。
 教行いたり届いて信証を生ずとは、教えを聞き開くことである。それは南無阿弥陀仏の働きが私に到り届くのである。南無阿弥陀仏の働きとは、光明無量と私を照らして止まないのである。その如来のお照らしが届いていて、お粗末な私と自己に目覚めるのである。自己への目覚めを機の深信という。
 寿命無量は、如来のおん命の中に摂めとられて、南無阿弥陀仏と、私が仰ぎ見る世界を開くのである。これを法の深信という。南無阿弥陀仏が到り届いたところを信という。信と共に離れないものを証という。今は、教行、教えの中にこもる南無阿弥陀仏の働きが届いた所に信証を生ずるのである。
 例えば火、火は燃えている。火は何かの上で燃えるのであって、独自では有りえない。木の上で、油の上で燃えているのである。教えの中身が火、その火が私に到り届いたら火傷をする。私の上に火の働きとして火傷する。その火傷が現生正定聚、言いかえると卵かひよこになって正定聚である。とうとう焼け死んだ。それを当生滅土という。これがだんだん進んで間もなく死ぬわけだが、それを必至滅度という。火が私に燃えついた時を信心という。信心と共に火傷がおこるわけだから、それを信証という。信と証とは離れない。それを往生定まるという。信心定まるならば往生定まるわけである。それを信証という。それを如来廻向の信証という。これを他力という。教行到り届くという。教行到り届く、これも他力、信も証も他力。信と証がいっしょになって、信は火がついた時、私の自覚であってそれを信心という。同時に火傷をおって、その火傷が教行いたり届いた所、やがて死ぬ。それを必至滅度という。当生滅度は如来となること。そこにすべての人を救う力を与えられる。それを信証という。往生は必至滅度である。

六、往生とはどういう事であろう
 二河白道の譬え、十二の六十三を見てみよう。一人の人があった。西に向かって出発した。彼は求道を始めたのである。すると、後から群賊悪獣が追いかけて来る。一生懸命走って逃げると、大きな河に出会う。二河である。片方は火の河、もう一方は水の河である。火の河は怒り腹立ち妬みであり、水の河は貪欲である。貪瞋二河、その中間に白道がある。こちらが東岸、河の向こうが西岸、そこが浄土である。そこに如来まします。中間に小さな道がある。追いつめられて、行き詰まって、この白道を渡ろうとすると、東岸から「仁者(きみ)但決定して此の道を尋ねてゆけ」という声がする。釈迦の発遣である。と同時に、西岸より「汝一心正念にして直ちに来たれ」という声が聞こえて来る。弥陀の招喚である。
 東岸より西岸へと渡り切ったところに、往生の始めがある。渡り切った所を往生浄土という。このような譬えを善導大師は出された。この図(二河譬)を九十度回すと、如来は私の立っている下の方にあって、来たれと喚ぶ。そこが如来浄土である。私は上の方にいる。これがわが人生である。
 往生浄土とはどういうことか、火の河、水の河とは何か。二河は私の内心、私の内なる煩悩、貪欲・瞋恚・愚痴、理性という。本能というものの上で、そういうものを問題にしないで生きている。それをわが人生というのである。その人生をうろうろしながら、名聞、利養、勝他、人によく思われたいとか、儲けた・損をした、元気で生きているとか、そういう事を考えて生きているのである。
 往生とはどういうことなのか、宗教とは何なのか、仏教とは何なのか。私自身が二河の中で右往左往している。これを水平思考というのである。水平思考というのは、自分の理性とか本能は問題にしないという考え方で、幸福、若さ、金、健康、その他を求めて生きているのである。そこに人生があるのではなく、そこに宗教があるのでもない。そこには迷いだけである。人生流転である。
 宗教、仏教、往生浄土というのは何なのか、それは私自身の内面に深く目覚めて行って、だんだんと、この貪瞋二河を渡っていくこと、深めていくこと、探求していくこと、そこに往生があり、浄土がある。ここに往生の道がある。これを往相廻向というのである。往生というのは水平思考でなく、垂直思考である。私が南無阿弥陀仏に照らされて、私自身に立ち返って、火の河、水の河というものを本当に知らされて、歩いていく。垂直思考、そこに往生浄土というのがある。
 善導のこの二河譬の教えを九十度回転させるという考えは、私が考えたように思うが、往生浄土ということはこういう事であったと分かったのがよかったと思う。人生のいろいろなことに引きずり回されているのが現実であるが、私の現実、私の内面、私自身の名聞、利養、勝他そういう心を本当に教えられながら、深まっていくこと。死ぬことではない。往生は死ぬことではない。この道を頂いたことを信という。若さも健康もいらないことはないが、そういうものは私の問題ではなくなって、貪欲、瞋恚、愚痴のまっただ中にある道を与えられた。これを信という。信心である。如来の所まで歩いていく。それを「教行到り届いて信証を生ず」という。往生ということは死ぬことではなくて、歩いて行くこと、私の内面に深まっていくこと、そして如来を相手にして、垂直に生きていくこと、そこに往生の始まりがある。
 私の旅は、この貪欲・瞋恚・愚痴の続く限り、二河白道の上を歩いていく、それを往生という。それが終わる所はどこか、貪欲・瞑恚・愚痴がなくなるところ、この二河がなくなるところまで、私は、如来の所まで到達しなければならない。しかし、この道そのものが、浄土の出張所というか、浄土の権限内というか、そういうものを与えられているわけである。即ち往生は信心に始まり、私自身の二河を歩いて行くのである。そこに生まれてくるものを正定聚というのである。正定聚不退転という所に往生の具体的な姿がある。その正定聚というのはどういう姿かというと、今、聖人が挙げてあるのは、十二の一一九である。
『浄土論』に曰く、荘厳妙声功徳成就とは、偈に、『梵声悟深遠 微妙聞十方』と言えるが故に、此れ如何ぞ不思議なるや、経に言(のたま)はく、若し人但彼の国土の清浄安楽を聞きて、剋念して、生まれんと願ぜんものと、亦往生を得るものとは、即ち正定聚に入ると。此れは是れ国土の名字仏事を為す、安んぞ思議すべけんや
 まず、正定聚というのは、一番始めに妙声功徳という。妙声とは教えである。正定聚というのは如来の声、教えが耳に入るようになるのである。教えが妙なる声として聞こえて来る。誠に有難う御座いますと、感謝して教えが聞こえる人を正定聚というのである。今までは、せっかくの人生を、富と若さと健康と幸せだけを求め、そういう声だけしか聞こえなかったのが、人生のいかなる所にいても、教えを聞く耳を持ち、南無阿弥陀仏と呼んで下さる声が聞こえるようになるのである。
 次に、荘厳主功徳成就というのがある。主功徳とは、主を持っている。主人をもっているとは、私の主人公、私が仕えるべき主人、その人のために尽くすべきもの、私がその人の為に御恩報謝すべき相手を持って生活できるのを主功徳という。
 人間は常に自由であって、だれにも仕える必要はない。特に煩悩に仕える必要はまったくない。しかし、本当は自分が御恩を感じ、本当に生き甲斐を感じ、本当にその人のために尽くすような相手を持っているということが、大事なことである。人間は主を持っている、法の主を持ち、私がその法の臣となる、尽くすべき相手を持っているということは大事なことである。次ぎに眷属功徳成就というのがある。
 最後に清浄功徳成就があげてある。清浄功徳とは浄化する働きを持っているということである。浄化とは、転悪成徳と言って、どんな悪いこともそれが念仏に成っていく。どんな悪い人でも、その人がそれをもって聞法の因縁にしていくような働きを持っている。汚れたものが解決分解して、その人を助ける栄養分になる。念仏はそういう力をもっている。妙声功徳、主功徳、眷属功徳、清浄功徳はどのような激動の時代にも生き抜く力となって下さる。
 激動というのは、ソ連の崩壊が激動の始めとして、十二月にはルーマニアの大統領夫妻が銃殺されるという事があり、それまでにべルリンの壁が破れ、ソ連は大きく後退して、共産主義だけでなく、他の政党もあってしかるべきだとなってしまった。もうたいへんな激動である。これから日本もアメリカでも激動が始まりつつある。そういう激動の中をどうしたら生きて行けるか。どんな中においても教えを聞く耳を持ち、主を持ち、友を持つことである。友とはよき師、よき友である。何が起こっても念仏に転ずる働きを与えられているのが正定聚の人である。
 この二十五日に、私の方の幼育園の卒園式をやりました。今年は十四名の卒園児で十五回目になるが、現在までに百十一名卒園した。一番上が大学三年生になる。一回生は二名であった。私が保育園で思うのは、この子らが大きくなって社会に出た時、ものすごい時代が来るのではないか、今は○歳から五歳までいるが、社会に出て働くのは二、三十年後である。その頃はたいへんな時代になっている。
一つは食料難である。今は食料はあるが、地球の砂漠化が進んでくる。あのアメリカの大きな大陸の地下水は減ってきて、農業はいつまでできるか分からない。食べ物がない。空気は汚染される、これは間違い無い。大気汚染、自動車が悪い。だからといって自動車をなくするわけにはいかない。
 そして、環境汚染、農薬の散布などでどんどん汚染されている。この宗像も川の水はまだきれいであるが、どんなに見ても魚がいない。メダカの一匹もいないというていたらくである。これはものすごく汚染されているという事である。
 第四は食べ物の汚染である。食べているものにたくさんの農薬が入っている。また防腐剤が入っている。豆腐が一週間以上保てるという。こういうのは信じられない。昔は豆腐は朝作ったら夕方にはすっぱくなるのが普通であった。あれはよほど防腐剤を入れているのである。牛乳もそうである。こういうのを長く食べたり、飲んだりしていては、体が弱るのである。
 今は体が弱った証拠に、薬を飲んでアレルギーを起こす人がたくさんいる。皮膚がかさんでくるとか、心臓がショックを受けたとか聞く。あれは何故かというと、色素がはいっているから、血液中のカルシウムが減っているのと、ビタミンが減っているという。日本人の二、三十年前の体質とずいぶん変わっているのである。薬でショックを受ける。今の薬は強いのである。だからその他の副作用もひどいという。
 非常な時代を生きなければならないわけだから、まず、子どもたちの足腰を強くしておくことである。二歳半で高さ三六九メートルの城山という山に登るのである。三歳にならない子が登るのである。かねて鍛えているから四十分で帰って来る。それから新鮮な野菜を食べさせる。野菜はぼくが作る。青い野菜、かぼちゃ、芋類など何でも食べるようにする。
 それから三歳までに、衣服の脱着、排便、食事が自分でできるようにする。四歳以上は、考えて本を読む。みんなと一緒に遊べる。みんなで話し合えるようになる。発表会をする。こどもたちが自分で考える。いつも本を読んでいるから、その中から何をするか考える。みんなで話し合って原案を決め、配役を自分たちで考えて決める。最後はくじ引きで決める。せりふなども自分たちで短くしたり、長くしたりしてどこでも言えるようにしておく。練習のときも本番のときもだれでも交代できるようにしておく。本番の時忘れたら他の人が教えて上げる。こういうていたらくである。
 そして最後は南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏の教えを聞く力をつけておきたいというのが最後の願いである。そこで勤行をする。「光顔巍々威神無極」と讃仏偈をあげる。恩徳讃を三歳、四歳の子が唱和する。それがみんな信心になるとは決して思わない。けれども、さまざまな激動の中を仏法に近づく人間、ひょっとしたら宿善を頂く子がいてほしいというのが、私の願いである。彼らが本当に社会に出て聞法してくれる事を願っているが、もう三十年も生きていることはないので、保母さんに頼んでいる、「どうか君達が長生きして、この子どもたちがどういう生き方をするか、見届けてくれるように」と。
 正定聚が往生の始め、「それは弥陀にはからわれまいらせてすることなれば」悉く如来の働きであって、南無阿弥陀仏が私に到り届いて「信」となり「証」となる。その働きで正定聚になっていくのであるから、「わが計いなるべからず」、即ち自分で計らって「これではいけない、もう一つ」でもなく、「これでよし」でもない。そういう自己肯定でも自己否定でもない。如来のみ教えを聞き、主をもって、よき師、よき友に従って、ただ念仏の一道を歩いていく。我が計いにあらず、何が起きても、「こういうていたらくの私、他力の悲願はかくの如きのわれらがためなけり、南無阿弥陀仏」と念仏一つで生き抜いていく。それを計い無しというのである。
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