住岡夜晃略年譜

明治二八年(一八九五) 広島県山県郡原村(現在豊平町)に生まれる。郁三と命名される。両親は法義に篤く、幼少より聞法する。
明治四二年(一九〇九) 広島師範学校入学。十四才。
大正 三年(一九一四) 広島師範学校卒業。十九才。同県山県郡吉坂尋常高等小学校に赴任。
大正 五年(一九一六) 安佐郡飯室尋常高等小学校に赴任。薬王寺、広沢蓮城師より歎異抄を贈られる。養専寺所蔵の大蔵経をひもとき求道精進がつづく。
大正 七年(一九一八) 夏「信の火が点ぜられ」、十一月、住岡狂風の筆名で「親しい若い皆様よ」と題する檄文を発表。
大正 八年(一九一九) 光明団発足。「光明」第一号を刊行。二十四才。
大正一二年(一九二三) 仏教済世軍真田増丸師を講師として団創立五周年記念大会が開催される。大会直後から村当局より教職をとるか光明団をとるかの選択を迫られ、教壇を去る決意をする。九月光明団を「大日本真宗光明団」と改称し、本部を広島市に移す。二十八才。
昭和 六年(一九三一) これまで活動目標が大衆宣布におかれていたが、この年より以後「外より内へ」と急角度に変わってゆく。夏季講習会において『歎異抄』を講ずる。
昭和 七年(一九三二) 『正信念仏偈』を講じ、四年に及ぶ。
昭和 九年(一九三四) 「証巻の大乗的地位」を講ずる。『大乗起信論』を講じ、三年に及ぶ。「光明」に「如来本願の真意」を連載、以後四年に及ぶ。
昭和 十年(一九三五) 一月に第一回教育部会を開催し、「教育の成立と宗教」を講ずる。(この会は、遺弟によって、現在も続けられている。)
昭和十一年(一九三六) 夜晃と号する。春、夏、報恩講の各一週間の三大講習会を定例化する。四十一才。(遺弟により、現在も継承。)
昭和十二年(一九三七) 「往生論註恩徳記」を講じ、以後十二年に及ぶ。
昭和十三年(一九三八) 春期講習会において『観無量寿経』を講じ、以後十一年に及ぶ。
昭和十八年(一九四三) 広島文理科大学と広島師範学校の依頼により、健民修練所(通称、清明寮)を本部に開設。寮生を中心として土曜講座を開き、『歎異抄』を講ずる。
昭和二十年(一九四五) 一月、御正忌において『御本典教巻』を講ず。夏季講習会中、原子爆弾投下により、本館七割破損する。五十才。
昭和二一年(一九四六) 病床にて「御本典教巻――出世の一大事」を語る。
昭和二三年(一九四八) 「難思録」を著す。
昭和二四年(一九四九) 一月、教育部会で「親鸞の仏性及び仏身観」を講ずる。御正忌『御本典行巻』を講ずる。二月、冬期講習会『御本典真仏土巻』を講ずる。三月、山口県右田支部十五周年記念講習会に『自然法爾章』を語る。三月、春季講習会に「二河白道」を講ずる。七月、広島県支部連合講習会に『自然法爾章』を講ずる。十月十一日逝去。五十四才。