住岡夜晃選集(第三巻) 『不退転の歩み』
   

 


旅 愁 抄




 「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて、仏の御名をきくひとは、ながく不退にかなうなり。」わが旅は、一筋に生き抜いて、自然なる仏の御名告(おんなのり)を聞かんがための旅である。八風吹きすさんで人生行路の波高く五濁の泥濘(でいねい)におぼれて、悲愁の声哀れである。虚仮そらごとしげくして、群賊悪獣の声ちまたに満つるに、ひとすじの道、現前脚下にあらわれてわずかに生きることを得しめたまうのである。
 「野ざらしを心に風のしむ身かな」
 これは芭蕉のいわゆる「野ざらし紀行」の中の一番初めの句である。芭蕉は四十一歳の秋、門人の千里(ちり)を伴って江戸深川の草庵を出て、はじめて、九ケ月にわたる野ざらしの旅についたのであった。東海道から伊勢路に入り、外宮(げぐう)にもうで、やがて、故郷に帰り去年ゆきし母の遺髪を拝して
 「手に取らば消えん涙ぞあつき秋の霜」
と泣いた。それから、大和路を行脚(あんぎゃ)し、吉野に入り、つぎつぎと古い歴史の里を巡って後、木曽路、甲斐を通って江戸に帰ったのである。この旅は芭蕉にとっては自身を野ざらしにする覚悟の旅であって、この野ざらしの旅において芭蕉は、「死にもせぬ旅寝のはてよ秋のくれ」とわびた。「わび人われさえあわれにおぼえける」中にも、だんだん広い世界に出ることができるほど旅をやめようとはしなかった。彼は野ざらしを覚悟の旅において、彼と古人とのつながりを涙の体験において発見した。かくして、彼は最後まで旅人でおわった。私は旅人芭蕉に心をひかれる。旅人であるわれの前にあるものは、自然の山川草木と人とである。であるから、私の旅は自然の山川草木と人への巡礼である。人は時に悪逆を行ない、醜悪なる言で人を傷つけるのに、なぜにかくまでになつかしいのであるか。時には虎狼(ころう)のごとくかみつき、毒蛇よりもおそろしいものであるのに、なぜこれほどまでに私を引きつけるのであるか。大自然の大地を歩みつつ人を求めて旅に生きる。わが心のあわれに悲しくはかなく愁いの深いのはなぜであるか。またこの旅においてはほのかではあるが、底のない喜びと満足を得ることができるのは、なぜであろうか。悲愁と喜悦との一体なる旅心、それはただみ親の招喚のみ声によって開かれる信心の、その信心の感ずる具体的な人生の永遠の今の相である。私にとっては、悲愁と喜悦とは具体的な人生それ自体である。



 天われをあわれみ恵んで、今日御正忌お逮夜(たいや)の十五日、外には雪がちらついている。“雪を見れば祖聖を懐い、故郷を念う”。故郷を離れてお念仏の旅路にあって三十年、来る年も、来る冬も憶いつづけたこの念いである。
 雪の聖者、旅の聖者に、今日雪の散華こそいともふさわしい荘厳(しょうごん)である。
 藤原の家より比叡山に、さらに比叡の山より人生に隠遁したまいて、念仏に帰し、配流を縁として、荒野に悩む群萌の大地に旅路を選びたまいてより、田夫野人の友となり、櫛風沐雨、うきふししげき人生行路の喜怒哀楽を内に転じて、必堕無間、愚禿親鸞と悲泣し、そこに流れたもう大悲本弘誓願にさめて念仏したまうた。
 ああ、五濁悪世の煩悩業苦をそのままに、荷負して生きぬきたまう白道は、白妙の雪よりも清白に、ただ一筋に静かにお浄土に帰りたまうた。その九十年のご生涯、今日はその地上最後の御一夜、涙なくして今日を過ごしうるであろうか。仏天われをあわれみて雪を降らせたまう。
 ああ、聖人ましまさずば憍慢邪見悪逆懈怠なるわれは、ついに地上に一人の師を得ることなく、一人の善知識にあうことなく、あわれ永劫(ようごう)の流転を流転とも知らず、無意義に人生を空過するところであった。一人の善知識なき無人空過の大砂漠に旅する私であった。しかるに幸いなるかな、この流転の旅路において、私は誠にたまたま聖人の化導によって法蔵因位の本誓を聞くことができた。わが生涯は如来聖人の真実教を聞信させていただくための一生であった。ただこの事一つのための一生であった。
 頭をあげて行く手を見れば、見よ、聖人の前に法然上人あり、源信あり、善導あり、道綽あり、曇鸞あり天親あり、竜樹あり、釈尊あり、それをかこんで億々の念仏行者あり、皆永遠の道を歩んでいられるではないか。それらの踏みかため聞きあらわしたまいし大道に、われもまた出されたのであった。たった一つの道、本願の道、念仏すれば、火の中にも水の中にもこの道のみが常に現前したまうではないか。
 今月御正忌、いよいよ私にはおごそかなみ声が聞こえる。行かねばならぬ。歩まねばならぬ。いよいよ純粋にあのみ声を聞いて歩まねばならない。恐ろしいのか、うれしいのか。深い感動が私の胸に満ちわたる。“聖人よありがとうございます。九十年の悲願一道の御旅路は、私一人のためのご苦労でございました。ほのかに私の胸底に光りたまうみ光、それは聖人のご苦労のすべてによってともされたものであります”。
 外には雪が降っている。広間にはお念仏の声が聞える。一人だと泣いた旅路に多くの人を与えられた。だが私はただ一道を、より純粋に歩ましていただかねばならぬ。



 旅は、悲愁に満ちたものである。しかし、この悲愁から救われるすべがある。
 いわく、それは、魂を麻痺させることである。というより、実は、たいがいの人は麻痺しているから笑って生きてゆけるのである。しかし、この魂の麻痺の相が深くなればなるだけ、無明の病はますます重くなってくるのである。この無明の病毒によって、悲愁を悲愁と感じなくなることを求める心、それがまた、同時にほんとうの旅を忘れる心でもある。無明の病がすこしずつうすれて、旅に旅たつ心には、麻痺からさめて、悲愁がありのままに身にしみてくる。この悲愁の旅がさらに麻痺をきますのである。かくして旅は悲愁に満ちている。しかして、私は旅人でありたいと“願”っている。



 今日も毎日、涙の子が私の前に来る。こみいった悲しい身の上を訴えて、人の世の矛盾に泣いて。形の上をどうしてあげようもない私である。
 しかし、お念仏の教えが耳に入ると、昨日まで泣いた人が、今日はほほえんでくる。ほんとうの悲しみではなかったのである。人はみな、正法であらえば消える悲しみを抱いたままで、自己を肯定して立ち止まっているのである。
 深い悲しみを悲しみたい。大いなる悲しみを悲しみたい。深い大いなる悲しみとは何であるか。
 法蔵菩薩の御悲しみである。
 大いなる悲しみにのみ、大いなる喜びがある。
 深い悲しみにのみ、深い喜びがある。



 念仏の心は、今まで人生を楽園にすることができもするように考えた考えを、根底から打ちくだいて、劫初より未来際にわたって無明生死の荒涼たる大砂漠であるごとを自証する。しかるに、この荒涼の旅路にも、清い泉はわき、念仏の浄華(じょうけ)は咲いている。
 しかし、止まってはならない。さようなら感激の花よ。泉よ。大地の果てからしきりによびたまう声が聞える。
 私は新しい旅路にたたねばならない。



 華厳の賢首(げんじゅ)大師は、大乗起信論義記において、大覚、すなわち、仏にあらざる者のすべては、ただ、夢の中の諸相であるとせられた。
 人生は夢である。さめるというも、迷うというも、夢である。物思うというも夢見ることである。旅するというも夢見ることである。旅のうれしさも夢見ることにあり、旅の悲しさも夢にある。
 聖徳太子は夢殿に入って物を思いたまい、西行や芭蕉は旅に出て夢を追い、親鸞上人のご一生の大事は、すべて夢告によって決せられた。
 美しい夢、さびしい夢、夢の中に夢に驚き、夢の中に夢にさめ、夢の中に夢に眠る。明日の夢は雨か風か。果てしなき夢路を旅という。
 「旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる」(芭蕉)



 聡明な男がいた。多くの人をつれだって、無尽の宝の国に行こうとする。途中は、道が険悪であって、人々は疲れおそれて進む気を失った。その時、その聡明な男は、不思議力をもって、忽然として一大城を出現し人々に告げた。
 「落胆せずともよい。この大城に入って思うがままにいこうがよい。城内は安穏である。」と。
 大衆は喜んで城中に入った。そして、心安らかに休息した。しかし、大衆はすでに、目的地に着いたかの思いをなし、もはや立ち去る意志もない。そこで、かの男は、幻作(げんさ)の大城を消し滅して言った。
 「さあ、行こう。宝の国はま近である。」と。(法華経化城喩品)
 旅人よ。化城は安息の宿場である。理想の国、真理の都、涅槃の城はま近である。歓喜の化城がこわれたとて悲しまなくてもいい。旅を急げとのことである。懈慢界の化城をとどめていつまでも眠ることが「道のごとぐ思えたら、心の芯のとまった時だ。願往生心は、水火の中を進む。だが化城の現われるも、化城の消えるも大慈悲の恵みである。大慈悲を体感することが旅のいのちである。



 「ゆきくれて木のしたかげを宿とせば花やこよいのあるじならまし」(平忠度(たいらのただのり)
 旅は悲愁にとんでいる。しかし、その悲愁の中に、あわいよろこびがあり、底なき寂しさがある。黙してゆく旅人には、時に一木一石が宿の(あるじ)である。今日は、ここでいこわしていただき今宵はここで一夜の宿を借る。自ら家の主ではなくて、一夜の宿を、今宵限りの宿を請う心。これがすなわち、永遠の旅人の心である。旅人にとって大事なことは、一夜の宿を借る謙虚な心である。初め来た時は旅人であり、宿人であったものが、後になると、ずうずうしく居ついて自ら主となり旅を忘れる。たとい一つ家に住むとも、旅の心を忘れず、客人たるの心を忘れず。
 “慎終如始”(終りを慎むこと始めのごとくす)に一貫したいものである。
 ただ、永遠の旅人のみが、万世の師表である。



 私は次のような人を見いだした。何も言わず、誰の世話もしないでいるのに、この人が生きているために、その存在だけで多くの人が幸福であり、この人を思うだけで力を得、光を得、喜びを得る。もし、この人にしてもの言えば、それを聞いて多くの人は、道を得る。しかるにこの人をよく見れば永遠を貫くたった一つの乗り物に乗っている。彼は、善悪を知らぬかに、人をさばかず、ただ、この乗物に乗る人の少ないことを悲しむかのごとくである。彼は、この世にこの乗り物からはみ出したもののあることを知らない。
 いかに波風ははげしくとも、この乗り物は、ただ、現在から現在に動いてとどまらない。
 彼は、自らこの乗り物を操縦せず、方角を定めず、全我を託して不安を知らず、ただじっと過ぎゆぐ世相を眺めている。道とは、子のたった一つの乗り物であるらしい。
 親鸞聖人いわく「しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず。」と。



 家にいて暮せば、何とかしのぎやすい。しかし、旅に出るとそうはいかぬ。あれがいる。これがいる。たくさんに足りぬものが出る。
 徳があったり、智慧があったりするように考えるのは、旅立たぬ人の錯覚である。
 永遠の旅、死の旅、未来への旅、彼岸への旅に出発しようとする時、いかなる人も、無一物である自己を見いだすであろう。
 真実教にいう悪人愚者とは、このことである。
 しかし、この無一物の自己を知った時、この一念こそ、この人の大安心の定まった時であり、最もおおらかにされた時である。
 この矛盾の自己同一こそ、聖人の信の(願の)内的風光であった。であるから真の旅人は、無有出離之縁の自証の大地をふまえて、願入弥陀界の帰依合掌礼に生かされるのである。
 最も貧しきがゆえに、最もおおらかなのが、この旅人である。

十一

 「捨」という文字はたいせつなことを表わす文字である。
 長い旅をするときには、荷物を持っては続かない。行軍をするときなど、あれを捨て、これを捨てて、ついには髪の長いのまで荷になるそうである。
 菩薩が道を行ずるのもそうである。大慈大悲大喜大捨の四無量心といって、捨ててしまう一面がないと、他の三も成り立たないのである。
 それは菩薩のことで、われわれ凡夫のことではないと言うてはならない。
 蓮如上人は「もろもろの雑行雑修自力の心をふり捨てて……」教えたまうた。やっぱり捨てるのだ。名利を捨て、偽りを捨て、仮を捨てて、そこに光るのが道である。道を行く者は、すなわち旅人である。
 しかし、電燈が出てこなければ、ランプは捨たらない。
 「すべてを捨てて来い」とさけぶ者は、太陽それ自身である。この真実それ自体こそ、私からすべてを捨てしめる慧日である。しかも、捨てしめることは、与えることである。

十二

 われわれは、過去の経験をふりかえって、なぜあんなことを言ったであろうか、なしたであろうかと思うことがある。それがすなわち、後悔である。
 しかし、一つも後悔のない人はないであろう。いにしえの(ひじり)たちのように、今日の一言が明日の遺言であり、昨日の一句が今日の辞世であった人たちは、尊い足跡を残してゆかれた人たちであるが、彼の人たちにも後悔があったであろうか。人は、後悔なしには生きられぬのではあるまいか。問題は、経験的自我の脱却ということであろう。親鸞聖人が横超の直道といわれたのは、いかなる人でも、経験的自我を脱却して一念に、後悔を廻心懺悔に転成して悔いを喜びにして下さる道があると示されたのであろう。
 この経験的自我の脱却者の一言一言は、たとい、それが一文不知の老婆の言であろうとも、彼自身の道標であるばかりでなく、歴史的意義をもつ真理の名のりである。彼は、いつ死んでも悔いのない今日を生きているであろう。

十三

 ほんとうの登山家たちは、敬けんな心、山を拝むような心で山に登ってゆくのだと、聞いたことがある。
 山をばかにしたり、軽はずみに出かけてゆくと、とんだことになって、時には雪の谷底に葬られてしまったりするということである。自己満足の陶酔にありつつ、実は全く自損そのものである心に憍慢心がある。自分では、高く高く登ったつもりでも、小山の上で肩をいからし、自分でつめだかをしているにすぎない。謙虚な心で、一歩一歩、静かに歩むものは、しらずしらずの間に高い峰にたどりついているのであろう。いかに急に求め急になして頭燃(ずねん)をはらうがごとくしても、憍慢な心を見ることができないならば、この旅人は決して、高きに登ることを許されず、高きをきわめることができないから、視野が狭くておのずから憍慢になるであろう。
 恭敬の心(竜樹菩薩の易行道)とは、恭は謙虚の心であり、敬とは、それゆえに見えてくる高い次元の世界である。
 旅人、なんじよ。今日もまた、憍慢な心を凝視して静かに歩んでゆけ。

十四

 私にとっては、今日一日はたいへん大事なもの、たいせつに生きさせていただかねばならぬものになってしまった。どうもよくよく考えてみると、体が元気で、思うさまに飛びまわっていたころには、何やら人生そのものに大いなるところの意義があって、しかも今日一日はいろいろなものに追われてただ多忙であっただけであった。
 人生には意義があって、しかも今日一日は無意義に暮れていた。
 ところが、今のような身の上になると、朝しみじみ今日一日の命を生きさせていただくことがありがたい。大きく人生の意義というようなことが消えて、今日一日のありがたさが心からいただける。
 先覚者たちが、仏法者に明日はないと言われたこと、わからしていただける気がする。
 過去の哲人たちは心霊の美しさを発揮した人たちである。
 本年はゲーテの二百年だとて、地球上の多くの人が、その詩人の哲人の偉大さをたたえている。真の哲人、詩人は、大政治家よりも、大将軍よりも偉大である。
 悲しきかなや、この時にして、この尊き一日を蝸牛(かぎゅう)角上の小事にほんろうせられて、いたずらにすぎてゆく。大いなる悩みを悩まず、大いなる喜びを喜ばず。
 ただそのどうにもならぬ中にお念仏申させていただくことである。


BACK

   (C)Copyright 2006 Shinshu Komyo-dan. All right reserved.