Ⅲ.職場に生きる


常識の世界

 いかに高遠な理想が説かれても、もし普通常識的なことが生きてこなければ、生活の根本をくつがえすことがある。そこで心づいた二三をあげる。
 公明正大  秘密の多い人、何でも秘密にするくせの人、こんな種類の人には社会的な大きな役割は与えられない。何でも公明正大で、自分の素裸をいつもさらけ出して歩々堂々と歩む人は、必ず大人物になる。前から見られても、横から見られても、両手を上にあげて誰にでも見せられる人になりたい。金銭や、行動や、その他に秘密の多い人は、必ず人が信用せず相手にしなくなる。
 終始一貫  いかに出会い頭には、大人物に見えても、終始一貫しない人は、決して何も成就することはできない。移り気な人、変り気な人を相手にしても、末がとげないから人から見捨てられる。その事業が、たとえ一時は不利であっても、続けてゆくこと。時に花火のように親切でも、その間に氷のような冷たさや、不親切があると、人はこの人を尊重しない。
 終始一貫は平凡であるが、平凡な道によってのみ、非凡がきづかれる。何時も一足飛びに非凡な空想ばかり描いていたり、そういうことにのみ手を出そうとする人を香具師(やし)というのである。いかに厚い書物でも一頁一行一字ずつ読んでゆくよりほかに道はない。
 職務精励  一時に六十九名の死者を出した屋島丸沈没の海事審判が新聞に出ている。大体の様子を伺うと、船員が職務に怠慢であったようである。問題さえ起きない時は、職務に忠実なのも怠慢なのも、あまり変りはないようである。しかし、平素の忠実か、不忠実かが、一朝事ある時に現われてきて大変なことになる。死んだ人は勿論、生き残った人も、人生の方向が暗黒へと変るであろう。平素職務に忠実だと、たとえ、悲惨事がおきたとしても、何かの形で光るであろう。艇が沈んでも、佐久間艇長は軍神と仰がれる。
 明朗  いつ見ても会っても朗らかである人は、誰にでも喜ばれる。人生の解釈の仕方がねじれていると、じめじめと憂うつになる。明朗な妻は、必ず主人を社会に生かす。明朗な男は、必ず社会に迎えられる。はじめはつとめてでもいい、明朗になれ。
 度胸  針は針に、棒は棒に見えて、針を軽せず、棒を恐れぬ処に度胸がある。大きな声で泣くから何事かと聞けば、国がひっくり返ったのでもなく、親が死んだのでもない。言葉一つ二つの行き違いだ。度胸のない男は、折角よい道が見つかっても、周囲から一寸おどされるとやめてしまう。言いたいことが一ぱいあっても、愚痴にして腹の中へおさめておく。大西郷がいつまでも尊ばれるのは、あの腹であろう。正しくても度胸がないと正しい道が失われる。罪悪の半分、人形の大部分は度胸がないために生れる。小さいことで大きく躍り、大きなことで小さく縮むのが、感情しか持っていない種類の女の仕草だ。
 馬鹿になれ。馬鹿になる工夫が必要だ。もっともっと馬鹿になれと、いつも心掛けると、精神力の始末になる。大概は賢すぎる。
 馬鹿の馬鹿、大馬鹿にのみ大きな仕事も出来る。
 世界には大馬鹿はごく少いものだ。



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