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6.願いを持つ
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 そういう一つの山、関門というか、そういうものをだんだんと乗り越えていくということが具体的に大事な問題になってくるかと思います。そうしますと、次第に日常のいろんなことを縁にして、自分というものをまた、もう一つ知らされる。本当の正真正銘の自分、飾った自分とかよそ行きの自分とかでなくて、本当の自分というものを知らされていく。知らされてみると、その時はある意味でショックですね、俺はこんな人間か、という強い自己嫌悪です。だけどそれが紛れもない本当の自分であって、私は本当の私を生きるんだ、飾ったものは本当の自分ではないんだと。
 そのようにして自分を受け止めていく歩み、そういうことが私が生きていく上での一番のベースになっている。その場面だけだとかなり暗いような感じがするかもしれませんけれど、決してそんなことはありませんね。本当の自分を知らされるところに、さっきも言いましたように力が出るんです。願いがおこるんですね。
 この人生に対して願いを持って生きることができないとすれば、それはやはり自分自身を受け止められていないところからくるのでしょう。これが本当の私、嫌でもなんでも本当の私、私はこの私を生きる、というところにしっかりと立って生きていく。本当の私が、裸足でやっと大地に立つことができたということでしょう。そこに力が出てくるんです。それができていなければ力は十分には出ないんじゃないでしょうか。
 教えを聞こうという思いは、相乗的にどんどん増えていくというか、もっと聞こう・もっと聞こうという思いが、年をとるにつれて起こってくるのじゃないでしょうか。だから聞き終わるということがないわけです。本当に最後の一日まで教えを聞いていこう 、そして本当の自分を知らされて、願いを持って生きていこうとなる。明日人生を終わるから願いを持つ必要がないんじゃないですよ。私というのは願いを持って生きてゆく存在、そして最後の一日まで願いを持って生きていくんだということですね。そういうような意味合いで、めざめるとは、まず自己自身にめざめるということです。

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