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17.大乗の願い
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 その願いは経典の中で、はっきりと述べられています。ある経典では、主人公がお釈迦様から教えを聞いていって、そして遂に自分自身に目覚め、仏様に目覚めてゆく。信心が生まれる。そうするとその人は、信心成就した直後に何を言うかという問題があるんですね。これは面白い問題です。私ならどう言いますかね。信心成就した、ああよかった、これで楽になったと言うかもしれませんね。もしそうであれば、自分の個人的な安らぎのようなものを私は求めていたということになります。
 ところが、仏教は、個人的な安らぎを求めるのが仏教だとは決して言いません。経典の中に登場し、教えによって遂に信心成就した直後の人達の第一声は、じつに他の人々に対する願いです。私はこのようにしてお釈迦様から教えを聞く事ができました。しかし、これから生まれてくる他の人達は一体どうすればいいんでしょうかと。こういう関心、問いがおこってくるんですね。そこに大乗があります。
 大乗、大きな乗り物ですね。人の道というのは自分一人だけが救われて、それでよしとするものでは決してなくて、皆が一緒に歩んでいく。お互い声をかけ合ってやっていこうという、そういう願いがおこる。大乗の願いですね。また、誰でもいつでも何処でも、南無阿弥陀仏の教えを聞いていくことができなければ本当の道ではない。その普遍の教えは何かを問うのです。皆が生きることのできる教え、道を問う。それが大乗の願いです。
 もちろん、この道は真実であると先ず自分が証明しなくてはいけません。この教えを聞いて歩んでよかったと。そうすると、次ぎなる人に声をかけていくわけです。そして自分も更に歩むんです。自分も歩みつつ次ぎなる人に声をかけていくんですね。そのような願いというものがその人の中におこってくる。これが信心が持っている必然のはたらきなんです。目覚めるということは、願いに展開していく。

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18.主体性に進む
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