今よみがえる観無量寿経 第9回 「禁父縁(1)」
 

るいれつの会(2012年1月16日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)浄邦の縁熟して

悲劇の事件を生み出したもの

 発起序の六縁の第一、禁父縁に入っています。初めのところを読んでみましょう。
 「爾時、王舎大城に(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し、父の王、頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き、諸の群臣を制して(ひと)りも往くことを得ざらしむ。」(東89 西87 島2-1)
 前回は、第一段落の「爾時、王舎大城に」のところを見ました。今回は、第二段落である「(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し」のところを頂いていこうと思います。

 王舎城の事件が、やがて阿弥陀の本願の教えが説かれるきっかけになるわけですが、では、王舎城の事件そのものは、どのようなことがきっかけで起こったのか。第二段落はこの問題を明らかにします。
 事件が起こるには起こるだけの理由があるはずです。何もなく勃発することはないでしょう。浄土真実の教えが説かれる因縁になるこの事件は、どのようにして発生したのか。事件そのものはこのあとから述べられますが、それに先立ち、事件の背景を明らかにするのです。
 事件には背景という「因」があり、その「果」として事件そのものが起こる。従って、浄土真実の教えが説かれるためには、もとを質せば、この「因」の存在があるからだということになります。「果」である事件そのものも大切ですが、「因」であるその背景もまた、それに劣らず重要な意味を持っているのです。

 「果」として起こった事件そのものは、次の第三段落「父の王頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き、諸の群臣を制して(ひと)りも往くことを得ざらしむ。」のところから描写が始まります。従って、その「因」となる背景を示す経文は、この第二段落「(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し」という文です。この一行の文が、背景を表わしているのです。
 分量は一行ですが、重要度は計り知れなく重いものがあるはずです。このことは親鸞聖人にもその認識が強くあったのではないかと思われます。『教行信証』の「総序」にそのことが伺われる箇所があります。
 初めのほうを見てみましょう。「ⓐ竊かに以んみれば、難思の弘誓は難度の海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。ⓑ然れば則ち、浄邦縁熟して調達闍世をして逆害を興ぜしめ、浄業機彰われて釈迦韋提をして安養を選ばしめたまえり。斯れ乃ち、権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲してなり。」(東149 西131 島12-1)

 初めに『大経』の世界が簡明に説かれます。ⓐの文です。難思の弘誓、即ち阿弥陀の本願が無明の闇ゆえに迷う私たちを救うのであると。その阿弥陀の本願が具体的に凡夫の上に説かれるのが『観経』で、その内容を説くのがⓑの文です。
 これを見ますと、「逆害」が王舎城の事件を表わしており、「調達闍世をして・・・興ぜしめ」の文が、この事件を生み出した背景を表わしています。『観経』の文に即して言えば、「総序」の「逆害」が『観経』の「父の王、頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き」以下を表わし、「総序」の「調達闍世をして・・・興ぜしめ」が『観経』の「(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し」を表わしています。

 では「総序」の「浄邦縁熟して」は『観経』のどこに相当するでしょうか。直接対応する文はないように思えます。とすれば、聖人に何かお考えがあって、この語を加えられたということになります。
 「浄邦縁熟して」とは、浄土の縁が熟してきて、という意味でしょう。化前序で見てきましたように、阿弥陀の本願の浄土が私たちの人生を下から支えてはたらきかけようとしている。その浄土のはたらきが私たちの人生にはたらきかける際の人生への入り口となるところが「縁」ということでしょう。浄土は何を縁とし、何を入り口として、私のところに来たるのか。それは「悲劇の事件」を縁にしてなのだということです。

 浄土にとっての縁である悲劇の事件は、阿闍世の逆害を指しています。では、その縁が「熟す」とはどういうことか。「総序」は非常にフォーマルな、公式的文書という位置づけを持っているのではないかと思います。歴史の状況を振り返れば、法然上人亡き後、その著書『選択集』が誤解をされ、念仏で救われる道が地に引き摺り下ろされそうになった時、親鸞聖人は大いに責任と使命を感じ、『教行信証』という大論文を書き、仏教界に向けて発表したわけです。
 その初めの「総序」は、この書の全体に関わる序分ですから、浄土真実の教えの全体を、どのように簡略にどのような表現をもって表わすか。これは、大いに配慮と吟味を必要とするところだと思います。本願念仏の教えを批判する既成教団の専門家たちに向けて、間違いのない文章でなければなりません。

 そのような位置づけを持つ「総序」の文の中に、「熟す」という表現があることに、私自身は違和感を覚えるのです。公式文書は、きっちりがっちりしたものでなければならない。抽象的感情的で曖昧な表現は避けなければならない。そのように思うのですが、しかし、そこに「熟す」という表現が使われている。これはどういうことなのか。

 私のこの疑問は、『観経』のこの第二段落を解釈する善導のお言葉を見て、氷解しました。いや、氷が溶けて水になっただけでなく、その水が沸騰するほどの新たな認識を与えていただいた思いがします。ここには、とても大事なことが潜んでいたのです。

闍王、怳忽(きょうこつ)の間に
 第二段落の善導の解釈を見てみましょう。経文は僅か一行ですが、善導の文は十頁近くにわたります。これはまたどうしたことでしょうか。何が説かれているのでしょうか。じつはここに、聖人の「浄邦の縁熟す」という確認と相通ずるものがある。もっと言えば、「浄邦の縁熟す」の概念を生み出した文章であると言っていいでしょう。
 善導はまず、全体を押さえます。次に「阿闍世太子」という名が持つ意味。そしてそのように名づけられる由来を詳しく述べます。

 まず、全体の押さえです。「正しく、闍王、怳忽(きょうこつ)の間に悪人の(あや)またるることを信受することを明かす。」(親全53 聖全469 ノート58)
 再度、この箇所の経文をあげますと、「(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し」ですね。太子である阿闍世が、悪友である提婆の教えに従ってしまった、ということです。これを善導は、「正しく、闍王、怳忽(きょうこつ)の間に悪人の(あや)またるることを信受することを明かす。」と受けとめたのです。

 この善導の文は、述べられるすべての言葉がキーワードのようになっています。「闍王」「怳忽の間に」「悪人」「悞またるることを」「信受する」。これを一つずつ見てみましょう。
 まず、「怳忽の間に」というのは、うっかりしているうちに、夢うつつの間に、というようなことです。提婆は阿闍世を(そそのか)せて頻婆娑羅王を殺さそうとします。この唆しを成功させるために、提婆は大変な技巧を弄して阿闍世に迫るのです。
 そこには提婆の悪意があり、巧みな戦略があり、人間として恥ずべき行為があるのですが、阿闍世はそれを見抜くことができず、ついつい夢うつつの間にぼんやりとしたままでこれに対応して、結局、提婆の言を信じてしまったのです。

 阿闍世は無自覚だったのです。もっとしっかり意識を持って、正しいことと間違ったことをしっかり判断してゆけばよかったのですが、それができなかった。いや、じつは、いくらしっかりと意識を持ち、観察眼を持って臨んでも、それはだめだったのです。
 なぜなら、「怳忽」の状態を生み出しているのは、単に意識の持ち方が弱かったからということではなく、意識の奥にある心の根源が無明であったからなのです。
 たとえ意識をしっかり持っても、それは無明がしっかりとするだけであって、無明を晴らすことにはならない。意識は無明の上で踊っているだけのことなのです。ここに人間の根本構造があり、これが根本の問題なのです。
 こういうことではいけないぞ、しっかりしなければいけないぞと、自己へ向けての最大の誡めは、無明のところにまで届かない。無明の手前の領域内に留まって、その領域の中で叫んでいるだけなのです。叫んでいるままが、さらに大きく包まれて無明の支配下にある。ああ、愚かなるかな人間。悲しきかな人間。おまえの救いの道はどこにあるのか。

 人間存在は悲劇的存在であり、それは仏智疑惑を根本にするところから来ると申しました。真実である仏智を疑惑する心こそが無明の心です。従って、人間の悲劇は、この無明から起こってきます。無明が問題にされなければならない。
 悲劇は、その名の如く悲惨なものですが、その悲惨さだけに眼を奪われてはいけない。悲惨さの正体は何か。人間存在の根本に位置する無明の心なのです。悲劇的事件の解決は、この無明の心の解決のところにあり、無明の解決のところに、悲劇的人間そのものの解決がなされるのです。

 次は「悪人」です。提婆のことを指しているのですが、提婆には野心があり、お釈迦様を無き者にして自ら教団を主宰しようと企んでいます。そのために何度もお釈迦様を殺そうとします。また、阿闍世に父王を殺させて、王位を奪わせ、いわば傀儡(かいらい)政権を作ろうとしているのです。お釈迦様に向けられていた膨大な供養のものも自分に向けられることになります。悪意を本心とする提婆がここにいるわけですね。

 『涅槃経』に、「難治の三機、難化の三病」という教えがあります。「世に三人有り、其の病治し難し。一つには謗大乗、二つには五逆罪、三つには一闡提(いっせんだい)なり。是の如きの三病、世の中に極重なり」(東251 西266 島12-93)
 大乗の教えを謗る者と、ご恩のあるものに背く五逆、そして一闡提。これらは世の中で最も病いの重いものであり、声聞や縁覚・菩薩は治すことができず、ただ聞法によって仏だけが治すことができるのであると。

 この中、一闡提の具体的な人として提婆が挙げられることがあります。一闡提は原語はIcchantika。訳語としては、「断善根」「信不具足」などがあります。しかしこの訳語は意訳というべきもので、本来の意味は「欲望ある人」ということです。欲望があって世間の栄華に執着することが仏道の修行の妨げになり、さらに仏法を謗り仏弟子を蔑視するところから「断善根」や「信不具足」の意義が出てきたものと思われます。

 提婆には権力欲があったものと思われます。お釈迦様の従兄弟として、子供の頃から或いは比べられ、或いはライバルとして力を競ってきたのでしょう。そして、提婆も優秀ですが、お釈迦様にはいつも負けていた。その怨みが権力欲を増長させたのかもしれません。
 権力には大きく二つあります。政治の権力と宗教の権力です。この聖俗二つの権力を、提婆はどちらも握ろうとしたのです。政治の権力は、まだ若い阿闍世に王位を継がせて自らが背後で操り、宗教の権力は、お釈迦様を無き者にして自らが教団の主に就こうとした。教団の主といっても、提婆においては世間的な権力の座なのです。

 この権力欲という欲望は、いかに仏弟子になったとはいえ、消えない。提婆にとってはお釈迦様は大変な権力者であり、名聞利養を得ている人です。そのように見えるお釈迦様の近くにあればあるほど、自らのこの欲望はいよいよ昂じていく。
 権力を握ろうという欲望に生きる提婆。いかに教団の中にあっても、仏法に触れても、その仏法は自らの生き方の第一原理とはならず、野心と欲望こそ第一原理となり、仏法はその下に投げ捨てられている。ああ、提婆とは誰のことでしょうか。
 この在り方を一闡提と言うのでしょう。仏法を人生第一のものとできないのです。では一闡提は救われるのか。これには諸説があります。といっても、救われるかどうかが説によって分かれるというものではないでしょう。親鸞聖人は、難治の三病の文の引用の後に、「謗法闡提、回心すれば皆往く」と、善導大師の『法事讃』の御言葉を挙げられます。(東277 西303 島12-116)
 如来に向かって、私が間違っていましたと回心懺悔お詫びをするところに、法を謗る者も一闡提も、どのようなものでも往生を遂げることができるのであると。
 しかし、提婆の欲望は強く、容易に自らの非を認めようとしない。この提婆の強力な悪の力によって、王舎城の悲劇的事件は起こるのです。

 次のキーワードは「悞またるるを」ということです。「悞」は「誤」と同じです。悪友提婆の発する言葉には毒が混じっている。欲望を人生の第一とする心です。従って、その心から発するいかなるものも、この毒に汚染されている。提婆は阿闍世を唆すために、巧みな言動を連ねて目標を達成しようとします。その言動の全てが、自らの欲望を達成しようとする強い信念に貫かれ、微動だにしないものがあります。
 なんという強靭さでしょう。恐ろしいほどのものがあります。仏法を求める強靭さではないのです。自らの欲望を、政治の世界で、また宗教の世界においてさえ貫こうという強靭さなのです。欲望から出る一切の言動がまさしく正義と真実に反しているものであるにかかわらず、それをいかにも正しく真実の道であるかのように阿闍世に説くのです。
 そこには綿密な計算に基づいた戦略があります。悪知恵と言うべき、鋭い視点で人間をよく見た成果が存分に発揮されています。老練の提婆が若い阿闍世を手玉に取るのです。

 提婆の作戦に阿闍世はまんまと騙されます。その言動の中には、怪しむべきものもあったのですが、それを表に出しても直ちに提婆に翻されるのです。これもまた提婆の戦術かもしれません。阿闍世の心の中に、「自分は間違っていると思うことはその通りに提婆に主張したのだ。しかし、再度聞いてみれば、自分のほうが間違っていたと分かった納得した」という心を起こさせようとするのです。
 質疑応答をやり取りしての結果であるということになれば、阿闍世のほうも、ただ頭ごなしに聞いて提婆に屈服したのではなく、議論をするという道理を尽くした上で従う者となったのだという正義が成り立つのです。こうして、誤まるるところを阿闍世は信じてしまうことになります。

 次は「信受する」です。これは提婆の言を阿闍世が受けとめたことをあらわしますが、その受けとめ方が「信受」、即ち信ずるという形でなされたということです。説明を聞いて事実を確認し正確に理解できたという受けとめ方ではありません。ここに一つの問題があるようです。
 提婆が阿闍世に受けとめてもらいたいことは、父の王がかつて阿闍世を殺そうとしたという一点です。このことを信じてもらえば、自分の提案どおりに阿闍世は父を牢に閉じ込め殺そうとすることは目に見えています。
 これを受けとめてもらうための材料は揃っています。方法も自ら十分に考え戦略は出来上がっています。ただ弱点となる問題点は、阿闍世が提婆の言に満足せず、その証拠を直接父に求め、父から「俺はかつてお前を殺そうとしたのだ」という言葉を聞き出すことによって初めて受けとめようとすることです。阿闍世がその方法をとれば、父王は当然感づき、対処に余裕ができ、事態は思うように進まなくなる恐れがあります。そういうわけで、提婆としても、ここは直接当事者に聞き質すのではなく、自分の言葉を「信じて」受けとめてもらわなければならないのです。

 そのための作戦を提婆は考えたのです。欲望に生きることを第一とする者の凄まじき悪智慧の発揮です。その内容については、この後に善導が詳しく述べます。提婆はある意味で智慧の深い人ですが、阿闍世を唆すこの場面は、智慧の次元での接触を封印し、感情面を表に強く打ち出した土俵で阿闍世に向かいます。この行為自体が智慧のなせる業ということでしょう。
 阿闍世は提婆の言を信じるのです。なぜきっちりと事実と論理の上に立って考えなかったのか。そこに「怳忽の間に」ということがあるのです。
 しかし、きっちりと事実と論理の上に立てば大丈夫なのか。じつはそうではない。事実と論理をもってすれば大丈夫と思う考え自体が無明の心の支配下にある人間理性という心なのです。事実を事実として受けとめることがどのようにすればできるのか。正しい論理であることがどうすれば分かるのか。正しい論理の通りに生きることができるのか。理性の美辞麗句に私たちの心は惑わされやすいのです。

阿闍世の名の持つ意味
 さて、キーワードをいくつか見てきましたが、最後に残ったのがこの文章の最初にある主語の言葉です。「闍王」ですね。父を廃して自ら王位に就いたので阿闍世王というわけです。最も時間軸から言えば、この時点ではまだ王になっていませんから、先取りして表現しているということでしょう。
 「闍王」とはその直前にある「ひとりの太子あり。阿闍世と名づく」というのが、詳しい表現です。この「阿闍世太子」という名がどのような意味を持っているのか。善導はここで不思議な解釈をします。

 まず、「太子と言うは、其の位を顕わすなり。」太子は皇太子という位です。王位に次ぐ位です。これほどの高位であることが何を意味するのか。
 一つは、父を殺せという提婆の言葉は、普通の人では従わないはず。それを皇太子ともあろうお方が従うとはどういうことかと。一般の人が王を殺す以上に、皇太子が王を殺すということは、それだけ罪が深いと言うべきでしょう。そのような事件を阿闍世は犯したのだと。
 もう一つは、この事件を起こすことによって、皇太子の位が吹っ飛んでしまうということです。これほど残忍な行為をするとは、太子の位にあるべきではない、じつに恥ずべき行為であると。
 罪深い事件を犯し、皇太子の位を奪われる。「位」が阿闍世の位の持つ意味を大きく決定しているのです。

 人は「位」のところで生きているということがあります。如来真実のもとでは人は皆平等の同朋です。しかし、人間のもとでは「位」がつけられ、これが満ち溢れており、人はこれに執着を深めます。名利心や世間心を色濃く反映します。場合によっては、人間を生きずに位を生きるとさえ言っていいケースもあるでしょう。
 阿闍世がもし皇太子でなかったとしたら、父を殺す話には乗らなかったかもしれません。頻婆娑羅と阿闍世は、父と子という関係とは別に、王と皇太子という関係を持っているわけです。皇太子は、その在り方を生涯持ち続けるのではなく、次には王になる者です。そして、王になることが最終の位置なのです。とすれば、目の前にいる王が邪魔になると思えることもある。これを廃して自分が王に、と思うこともあるでしょう。

 後に、王を幽閉し、これを助けようとした母に刀を向けようとした時、宰相月光は、「劫初よりこのかた諸の悪王有り。国位を貪るが故に其の父を殺害すること一万八千なり。未だ曾て無道に母を害すること有るを聞かず」と諫める場面が出ます。
 このことからすれば、父の王を殺して自分が王位に就くことは、皇太子なる者の心の中にある普遍的な思いなのかもしれません。じつは、位の違いから来るこの思いをもって、およそ父に対する子の根本的な思いを表わしているのではないでしょうか。子が父親を敵と見る思いです。この問題も含めて、次は「阿闍世」の名の意味が問われます。

 「阿闍世と言うは、其の名を顕わすなり。又阿闍世というは、乃ち是れ西国の正音なり。此の地には往翻には未生怨と名づけ、亦折指と名づく。」(親全54 聖全469 ノート58)
 「阿闍世」というのは「名」を顕わします。まず、「名を顕わす」ということ自体が問題なのです。どのように顕わしているのか。「阿闍世」そのものは西国、即ちインドの原語の発音を正しく音写したものです。
 原語は、Ajatasatruです。これをこの中国で「往翻」即ち昔からの訳では「未生怨」と訳し、また「折指」と訳してきたのだと。
 「阿闍世」を「未生怨」と訳し、また「折指」と訳すというのは不思議なことです。ここには、人間とは何かということが「名」あるいは「名づける」というあり方で顕わされるという道理に則って、巧みに問題の本質をつく方法が取られているようです。

 「名」とはじつに面白いものですね。「名」は単なるレッテルではなく、そのものを顕わす。名には、そのものを表わす力があるのです。驚くべき力です。
 普段眼にする花でも、小鳥でも、樹木でも、その名を知っているものは、それを見て名を呼ぶ時に、それと自分とがはっきりと結び合える感じがします。
 一方、名の分からない花を見ている時は、名の分からない人を前にして、その人にもう一歩近づけないもどかしさと同じ気持ちを感じます。目の前を横切った鳥の名が分かるのと分からないのとでは、その時の自分の心の明瞭さがかなり異なります。
 名は、体そのものを顕わすのです。初めは名だけ知っていても、そのものがよりよく分かればわかるほど、名は変わりませんが、名の持つ重量感と明瞭観が変わってきます。
 その人の名を聞くだけで、安心したり、嬉しくなったり、不愉快になったり、恐れを抱いたりします。名は一つの単語に過ぎませんが、これが持つ内容は計り知れなく、そのすべてを名が顕わすのです。偉大なるかな「名」ということですね。

 今、「阿闍世」という彼の名が、「未生怨」や「折指」という意味を顕わしているのだと善導は言うのです。これはまず、人に名がつけられているその名とは、人そのものを顕わすものだということを言っているのでしょう。その人そのものが名となって顕わされている。その名がどのような名であろうとも、その人そのものを顕わしているのだということです。 
 その名が今は「阿闍世」であった。この「阿闍世」という名が顕わすものも、彼そのものを顕わしている。それが「未生怨」と「折指」なのだと。阿闍世は「未生怨」と「折指」という存在なのだということです。しかし、これは阿闍世一人だけのことではない。じつは、あらゆる者が皆「未生怨」と「折指」の存在であって、その意味で、皆が「阿闍世」なのだというわけです。

 名はその人そのものを顕わすという思いから、特に高位にある人の名を呼ぶことは、その人そのものを表に露わにすることになり、失礼なことになるわけです。従ってそれを避けて、本名の名は使わずに、(あざな)を使うことも私たちはやってきました。名が本体を顕わしている現実が強烈に受けとめられたわけですね。
 名にはいろいろな生み出され方があるように思います。
  ① 人によって名づけられた名。
  ② 自ら名のる名
  ③ 人から呼ばれる名
 これらは皆同じ名という場合がほとんどでしょう。しかし、これらを名づける心はそれぞれに異なる場合があります。
 生まれたわが子に親が名をつける。そこには子供に寄せる親の願いがあるでしょう。どうかこのような人になってほしいと。私は「英夫」といいます。父がつけたようです。「英」の字は「美しい花」とか「ひいでる」「すぐれる」という意味があるようです。なるほどなるほど。「智、万人に過ぐる者、これを英という」という言葉もあるようです。
 これで私という人間が何であるかが分かるというものですね。というのは冗談で、これは親の願いであったわけです。そう願ってつけたのだけれども、本人はいつまでたっても「英」らしくならないので、親はやきもきしていたことでしょう。この「人によって名づけられた名」は、本人そのものを顕わしているとは言えない場合が多いわけです。

 「自ら名のる名」はどうでしょうか。自分の名を名のって、自分というものを前に打ち出していくわけです。打ち出すものとは、私の意見であったり、主張であったり、願いであったりします。しかしそれらは概ね、私の「思い」の世界を顕わしているようです。必ずしも、私自身そのものを顕わすという形で自分の名を名のっているわけではないようです。
 自己紹介の場面は、すらすらというわけには行きません。何度自己紹介しても、うまくできないものを感じます。自分で自分の名を名のることの難しさを知らされる思いですね。

 もう一つ、「人から呼ばれる名」。これは面白いですね。
 私の名をその通りに人が呼んでくれるのですが、呼んでいる名は私の名ではあっても、呼ぶ心は違うのです。親が願ったように、私を「すぐれた者よ」という意味合いで呼んでくれる人はまずいないでしょう。私が自分の考えを打ち出すときの主語のように呼ぶということもいないでしょう。
 人はどんな思いをもって私の名を呼んでくださるのか。これはなかなか私自身には分からない。逆に私が人を呼ぶときは、あの人にはこういう思いで、この人にはこういう思いで、というのがかなりはっきりとあります。しかし、その私の思いは、おそらくその人には知られていないでしょうが。

 人は、どういう思いをもって人の名を呼ぶのか。これは面白い問題です。このことが今、人が「阿闍世」と呼ぶ時の、呼ぶ心は何かということで問題にされるのです。人は彼を「阿闍世」と呼ぶが、その心は「折指」であると。国民は「折指太子」と阿闍世太子を呼んでいるということです。
 「折指」は阿闍世が生まれる時に、親はこの子を産み落として殺そうとしたが、指一本折っただけで助かったというところから来ています。指が折れているということが彼の大きな問題点なのです。形の上ではわずか小指が一本のことかもしれない。しかし、これが意味するものは一体何なのか。

 自分の具体的なことが私たちの問題になることがあります。頭が悪い。背が低い。色が黒い。あまり申し上げるのもいけませんが、私たちは子供の頃からこういうことで随分苦しんできたのです。
 なぜ自分はこうなんだろう。なぜ親は自分をもっとよく生んでくれなかったんだろう。何度親を怨んだか知れない。自己自身が受けとめられない。人が信じられない。自己とは何ぞやということがわからず、問うに問いきれず、悶々として暗い時を経てきたのです。受けとめられない自分の一点。それを今「折指」と表わしているのです。
 そのように「折指太子」と呼ばれる阿闍世自身の心の奥深くにあって、闇の中を蠢くもののように解決のつかない問題としてあるのが「未生怨」ということです。

 「未生怨」については、意味のとり方がいろいろ考えられます。「阿闍世」の名が持つ意味について『涅槃経』には次のように説かれます。
 「阿闍世とは、普く一切の五逆を造る者に及ぶなり。(略)阿闍世とは、即ち是れ煩悩等を具足せる者なり。(略)阿闍世とは、即ち是れ一切の未だ阿耨多羅三藐三菩提心を発さざるの者なり。(略)阿闍とは名づけて不生と為す。世とは怨に名づく。仏性を生せざるを以っての故に、則ち煩悩の(あだ)生ず。煩悩の怨生ずるが故に仏性を見ざるなり。煩悩を生ぜざるを以っての故に則ち仏性を見る。仏性を見るを以っての故に、則ち大般涅槃に安住することを得。是れを不生と名づく。」(東259 西277 島12-100)

 まとめて見ますと、阿闍世とは、五逆を造り、煩悩を具足し、菩提心を起こさず、仏性を生せず煩悩の(あだ)を起こす者、という意味になります。最後の部分の解釈が阿闍は「不生」、世は「怨」ですから、阿闍世は「不生怨」という意味になります。これが「未生怨」に近いですね。
 この『涅槃経』の教えで言えば、「未生怨」とは、仏性がいまだ生まれていないために、煩悩によって怨みを生ずることを顕わします。なるほど、阿闍世は煩悩の真っ只中で菩提心を起こすこともなく父を殺すことになってしまった。悲劇の人間が、それゆえに具体的な悲劇的事件を起こしてしまう、まさにその人間像が浮かび上がります。彼の心の底の苦しみは、仏性を生ぜず、即ち如来に会えずに、それゆえに、常に煩悩に沈んで生きるしかないということでしょう。
 他にも「未生怨」の解釈があります。同じ『涅槃経』に次のように説かれます。「汝未だ生ぜざる時(未生時)、一切相師皆是の言を言う。是の児生じ已りて其の父を殺すべし。是の故に外人皆悉く汝を号して未生怨と為す。」
 阿闍世がまだ生まれる前に、仙人が頻婆娑羅王に殺され、王の子となって生まれる時にはこの怨みを返すぞと言い残して死んでいくわけです。怨みはこの時に結ばれたわけで、阿闍世の未生の時に、殺された仕返しをするぞという怨みが結ばれた。このように解釈できます。こちらの解釈がよく用いられます。

 成長していくにつれて阿闍世は、自己の存在の底に得体の知れないものがあることに気づいていく。それが父に対する怨みなのです。しかし、それがはっきりとはわからない。分かりやすいものであれば、なんとかその問題に取り組み戦って解決を図ることもできるでしょう。
 しかし、その問題はどこで発生したものなのか。それは自分が生まれる前に起こったことなのです。生まれてからこの方のことならともかく、生まれる前のことはなんとしてもどうにもならない。遥か手の届かない存在の深遠部分の問題です。それが今ここを生きる人間を迷わせる「怨み」の感情なのです。
 この怨みのために、他を許せず、自己を受けとめられず、世を罵って生きるしかない。なんとか問題のあり場所に手を届かせたいけれど、そこまで行けない。遥か手の届かない生まれる前に起こったことという表現で怨みの問題の深さを表わしているのでしょう。
 阿闍世は、そして我々人間存在のすべての者は「未生怨」の者なのです。本当に救われなければならない者なのですね。そして、この「未生怨」という根源の一点を阿闍世の目の前に一挙に露わにしたのが提婆なのです。


(二)折指太子

いかにして指は折れたか

 さて、ここからが問題のところです。善導は問いを出します。「問うて曰く。何が故ぞ未生怨と名づけ、及び折指となづくるや。」「未生怨」と「折指」を真正面から問います。そして、「答えて曰く。此れ皆昔日(しゃくにち)の因縁を挙ぐ。故に此の名有り。」
 なぜ阿闍世が「未生怨」と名づけられ「折指」と名づけられたのかは、じつは阿闍世がどのように生まれ生きてきたか、それを見ればよく分かることであると、「昔日の因縁」を挙げて答えるのです。

 「昔日の因縁」即ち人の遥か永い過去の歩みです。人が今を生きるには、遥かな過去がそれを支えている。もし今を救われて生きようとすれば、遥かな過去が救われなければならない。過去の全体、即ち自己の全体が俎上に乗せられ、真実の教えによって料理されなければならないのです。
 しかし、その前に、その遥かな過去が、もしこれを受けとめられないとすれば、人は大いに苦しみ迷い、過去を怨み、自己を呪い、他を害しようとするでしょう。悲劇の事件はここから起こるのです。
 しかし、さらにまた、この悲劇の事件を縁にして、如来はこの者の上にやって来る。人間を救いの視点で見たとき、そこには無駄に捨てられるべきものは何もなく、そのように思えるすべてのものが、じつは如来がその本願成就のためにはたらく、まさにその場であることを知らされます。

 これから「未生怨」「折指」と名づけられる理由が説かれるのですが、これが悲劇の事件の始まりで、この事件を生み出すもとになるものなのです。経典では、「調達悪友の教えに随順し」という僅か一行の文ですが、事件を生み出す大きなかけがえのない営みがなされていることを善導は明らかにします。
 内容は一口に言って「悪の行為」と呼ぶにふさわしいものですが、それが事件を起こさせ、事件が愁憂の人を生み出し、愁憂の中から如来への要請がなされ、如来のはたらきによって阿弥陀の世界を選ばせ、ついに、その要請を受けて阿弥陀の本願が説かれることになるのです。
 過去の怨むべき悪業は決して現在の自己を束縛せず、阿弥陀の世界を開く根本の因となる。仏法が明らかにした驚くべき世界の姿がこれから説き始められるのです。

 この「昔日の因縁」は、十頁にもわたる長いものです。ここで一つ深呼吸をして、まずは順に少しずつ見て行きましょう。
 善導の問いは「何が故ぞ未生怨と名づけ、及び折指となづくるや」と、「未生怨」「折指」の順に問いますが、答えは「折指」のほうを先に挙げます。
 「折指」が具体的な身の事実、これを生み出した背景が未生怨として受けとめられる仙人殺しの出来事。提婆が阿闍世を唆して目的を達成しようとする時に、根本的に踏まえておくべきことが「折指」の事実であるという、提婆の論理に沿った表わし方のように思えます。

 先ず「折指」についてですが、全体を仮に六つに分けて見てみます。

①「答えて曰く。此れ皆昔日の因縁を挙ぐ。故に此の名あり。因縁と言うは、もと父の王子息有ること無し。処処に神に求むるに、竟に得ること能わず。忽ちに相師有って王に奏して(もう)さく。臣、知れりや。山の中に一りの仙人有り。久しからずして寿を捨つべし。命終わって已後、必ず(まさ)に王のために子と()るべし。
 王聞きて歓喜す。此の人何れの時にか命を捨つべき。相師、王に答うらく。更に三年を経て始めて命終すべし。」(親全54 聖全469 ノート58 以下この頁以降)

 頻婆娑羅王には子供がいなかった。しかし、じつは阿闍世が生まれる前に、奈女という名の女性との間に一人の男の子があったのです。それが耆婆です。
 耆婆は十歳の頃に阿闍世が生まれたために自ら城を出て他国へ行き、医学を学んで還ってきます。そして教団や王宮の医者として活躍するのです。しかし、奈女は正室ではなかったため、耆婆は正嗣ではない。王は大夫人(王妃の正室)である韋提希の子が欲しかったのです。
 王は神々に子を授かるように祈ったのです。神に祈って子を授かろうとすることはよくあることですが、しかし、そこには何も確たる因縁は生じません。迷信のようなものですが、王はこれを信じた。ここに、頻婆娑羅王が愚痴の愚かさを持つ人間の象徴として描かれ始めます。

 「忽ちに相師有って王に奏して言さく」。相師とは占い師です。王に申し上げました。「王よ、私には見えますぞ。山中に一人の仙人がおって、遠からず命が尽きる。その者が生まれ変わって、王よ、あなたのお子として生まれますぞ」と。
 これはまた大変な予言をしたものですね。これを聞いて王は大変喜んだ。そして尋ねます。「その者はいつ命を終えるのか」と。王の関心は、仙人の今の命よりも、自分の子として生まれることのほうに既に移っているわけです。自分が欲しているのは子供のことなのだと。
 占い師は答えます。「王よ、まだたっぷり三年はありますよ」と。この三年という期間が王の本心を動かします。自分の思うとおりにしたいという心です。仮に三ヶ月であれば、それなら待っておこうかとなって、思い通りにしたいという心に火はつかなかったかもしれない。しかし、三年は、王には許せない長さだったのです。

②「王の言わく。我れ今、年老いて、国に継祀(けいし)無し。更に三年を満つるまで、何に由ってか待つべきや。王即ち使いを遣わして山に入りて往かしめて仙人を請して曰く。大王、子無し。闕けて紹継無し。処処に神に求むれども、(たしな)んで得ること能わず。(いま)し相師有って大仙を見るに、久しからずして命を捨てて、王のために子と作るべしと云えり。
 請い願わくば大仙、恩を垂れて早く赴きたまえ。使人教を受けて山に入りて仙人の所に到って具に王の請ずる因縁を説く。」

 初め頻婆娑羅王はやんわりと自己主張をします。「自分はもう年老いて、しかも跡継ぎがいない。三年か、長いのう。とても待つことはできまい。使いの者に、次のように言って仙人にお願いをさせよ。」こう言って、跡継ぎがおらず、神に祈っても駄目だったという自分のことを使いの者に告げるのです。

 この中、「処処求神、困不能得」の文を、親鸞聖人は「処処に神に求むれども、(たしな)んで得ること能わず」と読まれます。普通は「処処に神に求めて、得ること能わざるに苦しむ」と読むところでしょう。
 「困」の字は「口」の形の枠に木をはめて、出入りをとめる門限を表わします。また「たしなむ(嗜む)」は悪い結果にならないように自分の普段の行いに気をつけ慎むという意味です。「困」を「嗜む」と読む意味は、子を授かろうとあちこちの神様にお祈りをし、当然自分の生活面も、神に向かうその心を持って細心の注意を払って慎み深くやってきたけれど、それでも子は授からない。もう万事休した、というニュアンスでしょうか。
 聖人のこの読み方には、王がいかに自分を正当化しているかということを浮き彫りにしようとする意図があるように思えます。即ち、神々に求めて、これほどまでに正しく慎み深い行為をしてきたことを、仙人に早く死んでもらおうというお願いを正当化する根拠にしているのでしょう。自分の行為に酔っている、ナルシシズム(自己陶酔)の思いです。

 そこでと言って、「大仙よ、相師があなたをご覧になって、遠からずお亡くなりになり、王の子となって生まれるであろうと申しています」と。
 「仙人」がいつの間にか「大仙」に昇格しています。持ち上げているわけですね。持ち上げたところで、「どうかその大きなご恩をもって、三年を待たれずに早く死んでもらえないでしょうか」と。
 そもそも「恩を垂れる」のは王様のほうでしょうけれど、ここは、王様が礼を尽くして仙人にお願いを申し上げ、そのようにして一番上の位置に坐った仙人が、どんなことでもお前たちの為にしよう、自分が早く死ぬのがお前たちの望みならそのようにもしようと、それが、仙人が王に恩を垂れるということです。そのような位置づけで仙人にお願いをしたわけです。人に早く死んでもらうためには、そのくらいのことはしないといけないわけですね。

 これに対して仙人はどう答えるか。

③「仙人、使者に(こた)えて言わく。我れ更に三年を経て始めて命終すべし。王の勅に即ち赴かば、是の事不可なり。使、仙の教えを()けて還りて大王に報ずるに、具さに仙の意を述ぶ。王の曰く。我れは是れ一国の主なり。所有の人物皆我れに帰属す。今(ことさら)に礼を以って相い屈するに、乃ち我が意を承けず。
 王更に使者に勅すらく。(なんじ)往いて重ねて請ぜよ。請わんに若し得ずば、当に即ち之を殺すべし。既に命終し已りなば、我がために子と作らざるべけんや。」

 仙人は答えます。「私はまだたっぷり三年の寿命があり、それが終わってやっと死ぬのだ。王の命令のまま直ちに死ぬなど、ありえない話ではないか。」きっぱりと断ります。
 その断固たる固辞を使者は王に報告するのです。王は怒ります。その第一声が「我れは是れ一国の主なり」です。心の底のマグマが一挙に噴き出したわけです。人間として生きる心の底に、「我れは一国の王である」という、常にこの熱い思いがあるのです。いかに表面はやさしく低姿勢であっても、一旦自分に反する者が現われれば、この本性が噴き出します。
 「王」ということを普遍化してやさしく言えば、「俺が一番なのだ」ということでしょう。これは制度上の王だけではなく、人間だれもが持つ意識です。国王や大統領がテレビに出る。その言動を見て、「なにやっとるんだ、あいつ」と顎で批判するのが私たちという王の姿なのです。

 頻婆娑羅王は豹変します。「自分は一国の王である。従ってこの国の山も川も人も、すべて王である自分のものである。それであるのに今、わざわざ心を尽くし膝を屈し礼をもってお願いを申し上げているのに、我が心に従わないとは何事か!」 
 王の取るべき道は唯一つ。殺そうということです。もう一度お願いしてみて、それでも断るなら「当に即ち之を殺すべし」直ちに殺せと。

④「使人、勅を受けて仙人の所に至って、具さに王の意を()う。仙人、使いの説を聞くと雖も、意亦た受けず。使人、勅を奉じて即ち之を殺さんと欲するに、仙人曰く。(なんじ)当に王に語るべし。我が命未だ尽きざるに、王、心口を以って人を遣わして我れを殺す。我れ若し王のために児と作らば、還って心口を以って人を遣わして王を殺さん。仙人、此の語を噵い已って即ち死を受けつ。」

 使者は再び仙人を訪ね、王の再度の願いを伝えます。しかし、仙人は断る。それならばと使者は、「これが王の命令なのだ」と仙人を殺そうとします。仙人はもう逃げることができない。そこで太刀を浴びる前に、使者に言うのです。
 「帰って王に告げていただきたい。私にはまだ寿命があるのに、王は死ねと言う。いやだと断れば殺すという。なんと勝手で傲慢なことか。その傲慢で自己中心の心が虫けらのように人の命を奪おうとする。しかも、自分の手を汚さず、人に汚させて。なんと浅ましく愚かで理不尽なことか。
 これがこのままで終わると思うな。相師の言うとおりに王の子として生まれ変わったならば、この仕返しは必ずさせてもらうからな。それも王と同じように、心と口だけで、手はかけずにな。俺はこの怨みを忘れないぞ」。
 怨みの炎燃えあがる仙人を前にして、使者は目を閉じて一気に刀を振り下ろしたことでしょう。
 やがて、心と口と人を使って、仙人は王を殺すことになります。その時の心が「未生怨」、口が「なぜ自分を殺そうとしたのか」、そして使った人こそ阿闍世なのです。

⑤「既に死し已って王宮に託して生を受く。その日夜に当たって、夫人即ち有身(はらみぬ)と覚ゆ。王、聞きて歓喜す。
 天明けて即ち相師を喚びて、以って夫人を観せしむ。是れ男や是れ女や。相師観已わって王に報えて言わく。是れ児にして女にあらず。此の児に王に於いて損有らん。
 王曰く。我が国土は皆之を捨属すべし。(たと)い損する所有りとも、吾れ亦畏れ無し。」

 占い師の予言どおりに、その日、韋提希夫人は懐妊します。身の様子が変わったことを夫人から聞いた王は喜びます。待ちに待ったわが子を夫人は身ごもったのです。男の子であろうか、女の子であろうか。王はその夜思い続けたでしょう。男であれば、世継ぎの子だと。
 やっと夜が明けて、早速占い師を呼び夫人を観させます。「是れ男や是れ女や」。関心はこれ一つです。
 ところが占い師は王に答えるのです。「是れ児にして女にあらず。此の児に王に於いて損有らん」。生まれるのは男の子であって、王に損害を与えるであろうと言うのですが、「是れ児にして女にあらず」の原文は「是児非女」です。これに二つの問題がありそうです。第一が、これをどう読むのか。第二が、「男」と言わずに「児」と言っているのはどういうことか。

 読み方の一つは、「是の児、女に非ず」です。この読み方では、おかしな返事の仕方だということになります。問いは「男か女か」ですから、答えは、生まれた児が、男であれば「男なり」、女であれば「女なり」と言えばいい。「是の児、男なり」と言うべきです。それを、なぜ「非ず」のほうを言うのか。なぜ否定のほうを言って肯定のほうを言わないのか。
 ということは、男の子であれば仕返しを必ずするという恐れから、表向きは世継ぎのために男の子が欲しいけれど、内心女の子のほうがいいと王は思っているのではないかと相師が慮って、「王よ、(表向きは)女でなくてよかったですね。これで跡継ぎは大丈夫ですよ。(内心は)女でなくて残念でしたね。これで仕返しをされることは間違いないでしょうね」ということになります。もちろん言葉にはこの前半部分しか出しませんが。相師はよく分かっているのです。かつて仙人が亡くなればという予言をしたあの同じ相師ですから。

 ところが親鸞聖人は、「是れ児にして女にあらず」と読みました。これはどういうことでしょう。この読み方では、「児」は生まれた子供を直接指す言葉ではないようです。先ほどの読みでは「児」は生まれたばかりの子で男も女も含む言葉であったわけです。しかしこの読みでは、「児」は「女」と対極概念に位置する言葉ということになり、要するに「男」を意味することになります。
 深励という人は次のように解説します。「児の字は、小児と云うときは男女ともに幼をいう。今は男子をいう」と。これによれば、前の読みの「児」は、これに言う「小児」の意味となります。男女ともに含むわけです。「小児」をまた「幼」と言うのですね。「人、生まれて十年を幼と曰う」と言われます。ということは「児」を「男子」というのは、この十歳を超えた青年という意味になりそうです。

 このことが、第二の、「男」と言わずになぜ「児」と言うのかの問題でもあります。「男」であれば、幼児も青年も皆含まれます。相師が王に申し上げたいのは、すぐその次に言うように、「此の児に王に於いて損有らん」と、男の子であれば、王に復讐することは間違いないということでしょう。
 そのことを痛切に思う相師は、この男の子がどのくらいの年齢になれば復習するのかを考えているのです。そしてそれが、幼児である十歳を超えた青年期であるのだと。相師にとっては、この子の幼児期はどうでもいい。要するに、王に復習をする子が生まれるわけであって、もっと言えば、その年齢の子が生まれるということに一番の関心があるのです。
 そういうわけで、先ほどの相師の発言を意訳すれば、次のようになるでしょうか。「王よ、正しく十代の青年期にあなたに仕返しをする男の子ですぞ」。実際に阿闍世が逆害を起こしたのは十六歳の頃だと言われています。

 さて、この相師の言葉を聞いて王はどう思ったでしょうか。「王曰く。我が国土は皆之を捨属すべし。たとい損する所有りとも、吾れ亦畏れ無し。」この国のすべては王のものである。たとい一部分に損壊があっても全体から見れば、何も畏れることはないと。
 苦し紛れの発言ですね。自分の命が危ない時、この国の全体などをなぜ問題にするのか。問題は自分一人の命なのです。このことを正視できないために、眼を反らせて、思いを抽象的で安全に見えるものの方へ向け、なんとか畏れる思いを緩和しようとするのでしょう。そのようにして、夫人が懐妊した途端、心配と恐れが本物になったのです。

⑥「王、此の語を聞きて憂喜交わり懐いて、王、夫人に(もう)して(もう)さく。吾れ夫人と共に私かに自ら相師を平章せん。児に吾れに於いて損有るべしと噵えり。夫人、之を生む日を待ちて、高楼の上に在って、天井の中に当たって之を生んで人をして承接(うけとら)しむること勿れ。落ちて地に()かば、豈に死せざるべけんや。吾れ亦憂えうる無く、声亦露われじ。
 夫人即ち王の(はかりごと)を可して、其の生める時に及んで、(もっぱ)ら前の法の如くす。生まれ已わって地に堕ちて命便ち絶えず。唯手の小指を損す。即ち外人同じく唱えて折指太子と言う。」

 王は相師の言葉を聞いて憂いと喜びが交じり合い、自分の気持ちを一つのものに決着させることができません。人を殺して我が子にし、その喜びと恐さに心が散り散りに乱されるという愚かな洞穴に入り込んで、二進も三進も行かなくなったわけです。
 しかし、なんとかしてこの場をやりぬかねばならない。波打つ心の海面に広く蓋をするように、大きく静かに心の動揺を抑えようとします。王は夫人に言います。
 「私はお前となんとかこの場を秘かにやり抜こうと思う。相師はこの子が生まれて大きくなって私に害を加えるというが、その予言も表に出ないように、また、害を加えるという行為も起こらないように、なんとかうまくやっていこう。
 韋提希よ、この子を生む時に高楼に上がり、天井の穴から下へ産み落としてはどうか。誰も下にいないのを確かめてな。そうすれば、間違いなくこの子は死ぬであろう。それで心配もなくなり、事故死ということであれば、誰も疑わないであろう。」
 夫人は王のこの提案を受け入れるのです。「それはいいお考えですね。その通りにいたしましょう」と。このことを、後々の展開のために、ここではっきりと確認しておかねばなりません。阿闍世を殺そうとしたのは、父の王頻婆娑羅であり、母の后韋提希でもあったことを。

 十月十日たち、いよいよ生もうという時、韋提希は頻婆娑羅の計画の通りに、余念をまじえず、ひたすら実行に移したのです。わが子を殺すことにひたすら集中したのです。なんということでしょうか。
 「生まれ已わって地に堕ちて」。韋提希の胎内から出て地に堕ちたのですが、そこにははっきりと、「生まれ已わって」ということがある。ただ地に堕ちたのではないのです。それであれば、阿闍世の人格や主体性は闇の中に包まれた状態で地に堕ち、ただ小指を折っただけということになります。「生まれ已わって」即ち人格と主体性が誕生した命を韋提希は葬ろうとしたのです。
 しかし、阿闍世は死ななかった。ということは、葬ろうとする力に阿闍世の命は勝ったのです。このことがやがて提婆の唆しにあったときに、自己自身を、生きようとする力のある者として肯定し、葬ろうとした勢力を仇と思って否定する、その考えを生み出す土台となるのです。

 阿闍世における「折指」は、どこからどのようにして生まれたのか。この「昔日の因縁」がこのことをよく表わしています。父も母も、自分たちの満足のために、他の命を弄んだのです。仙人の命も、そしてわが子の命も。その自己中心的な悪業が自らの命の元にある。これを許し受けとめることはできない。そのことの象徴を「折指」として、阿闍世は苦悶の内に生涯を生きていくことになります。
 人間の誕生は不思議なものです。気がついたら既に生まれているのです。気がついたら、このような自分なのです。気がつく前に、自分にとって最も大切な、生まれることと、自分であることとがなし終えられている。この事実をどう受けとめるか。どうすれば受けとめることができるのか。この問題が「折指」として提供されているのでしょう。

 阿闍世が「外人」(国民)から「折指太子」と呼ばれたように、私たちもまた、周囲の人々から「折指」と呼ばれている。それは、自己に於いて問われ、克服されなければならない問いなのです。人間必然の問いだから、自分が吐く言葉も、人が自分に寄せる言葉も、皆この問いを指し示しているのです。
 私は、どのような人を親に持とうとも、どのような自分であろうとも、私の意志と願いでこの親のもとに、この自分として生まれてきたのだ。すべてが私の責任であり、すべてが私の願いなのだ。
 そこに懺悔すべきことがあれば懺悔し、そこに感謝すべきことがあれば感謝し、そこに全力を尽くすべきことがあれば全力を尽くし、そのようにして私は生きて生きたい。
 この確信が起こるところに、人は「折指」でありながら、「折指」を超えることができるでしょう。しかし、阿闍世はまだまだ迷わなければなりません。


(三)未生怨

昔日の悪縁を顕発す

 続いて「未生怨」についてです。これも全体を仮に十に分け、「折指」からの続き番号で示します。順に見て行きましょう。

⑦「未生怨と言うは、此れ提婆達多の悪妬の心を起こすに因るが故に、彼の太子に(むか)いて、昔日の悪縁を顕発す。云何ぞ妬心して悪縁を起こす。
 提婆、悪性にして人となり匈猛なり。復た出家せりと雖も、常に仏の名聞利養を(そね)む。然るに父の王は是れ仏の壇越なり。一時の中に多く供養を()って、如来に奉る。謂く金・銀・七宝・名ある衣、(すぐれ)たる(きもの)・百味の菓食等なり。一一色色に皆五百車なり。香・華・伎・楽、百千万の衆にして讃嘆囲繞して、送って仏会に向かえて、仏及び僧に施す。時に調達見已って、妬心更に盛んなり。」

 初めに、「未生怨」ということがどこで「(おこ)」ったか。この問題を示します。「未生怨」は阿闍世における怨みの心です。従って、阿闍世の心の中で、ある時起こるわけですが、それが、いつどのような形で起こったのか。
 これが、単に一人の人の中に起こる心という捉え方でなく、人の心というものは、それもその人を根底から突き動かすような重く大きな心というものも、人との触れ合いの中で起こることを示すのです。それが「間」的存在である「人間」の姿なのだということでしょう。

 今、阿闍世を突き動かして父を殺す五逆の罪を犯させたこの「未生怨」という心は、「提婆達多の悪妬の心を起こすに因るが故に、彼の太子に(むか)いて、昔日の悪縁を顕発す」と、提婆が悪妬の心から阿闍世の前に一挙に顕わし、阿闍世の中に爆発的に起こさせたのであるということです。「顕発」という言葉が、その起こし方をよく表わしています。
 「顕発」とは、顕わに起こすということですから、未生怨の事実はこれまで隠されていたわけです。阿闍世が誕生するということは、誕生の前に、仙人が阿闍世の父によって殺されるということがあった。その時仙人は、三年の寿命を無残にも王の傲慢なエゴのために奪われ、深く地軸に届くほどの怨みを残して死んでいった。これが阿闍世の生前の物語なのです。

 怨みを持った仙人が死んだその時に、「未生怨」(未だ生まれざる時に起こった怨み)は誕生した。韋提希が懐妊したのは、「未生怨」の心の始まりでもあったのです。阿闍世は韋提希の胎内にあって「未生怨」であり続け、誕生してこの日まで成長する間も「未生怨」であり続けた。しかし、阿闍世自身にはその自覚は全く無かったのです。
 本人に自覚はなくても、溢れんばかりにその心は潜在的にあり、ひとたびそのことに気がつくと、狂わんばかりにその怨みを人は晴らそうとするものだということを、提婆はよく知っていたのです。そして、阿闍世を唆すに適齢の頃を見計らって、提婆は自らの欲望の実現への道を踏み出すのです。

 阿闍世は十六歳の頃であったと言われます。十六歳は大人か子供か。この年頃の者に、「お前はまだ子供だなあ。こういうこともできないのか」と蔑んで言えば、「いいえ、私はもう大人です。そのくらいのことはできます」と答えるでしょう。「あなたはもう大人でしょう。このくらいのことはできるでしょうね」と敬意を払って言えば、「いや、僕はまだ子供で、それをするのはちょっと」と答えるかもしれない。
 大人なのか、子供なのか。はっきりしろと言われても、はっきりしようがない。大人でもあり子供でもある、この曖昧な時期を提婆は待っていたのかもしれません。手練手管の提婆が、大人新一年生の阿闍世をうまく利用して、自らの欲望の実現を図る。その生涯を挙げての計画が今からスタートするのです。
 これは提婆の戦いです。お釈迦様に代わって自ら教団の主となり、阿闍世に父王を殺させて王位に就かせ自ら背後で動かす。宗教と政治の、この国の権力のすべてを握ることができる。憎い釈尊を下に見て、最高権力者に輝きたいのです。提婆は必死に戦います。
 この戦いはしかし、いったい何を意味するのか。ひとり提婆だけのものでしょうか。私たちはこの戦いの顛末を、心を潜めて注視しなければならないでしょう。

 「未生怨」を阿闍世に向けて顕発した、その奥にある心、即ち「悪妬の心」とはどのようなものか。「云何ぞ妬心して悪縁を起こす」。まず、「悪妬の心」とは、嫉妬心ゆえに悪事を起こしてしまう心だと示されます。「妬心」とは何か。「悪縁」とは何か。それが具体的に明かされます。

 「提婆、悪性にして人となり匈猛なり。復た出家せりと雖も、常に仏の名聞利養を(そね)む」これが提婆の性格を表わしています。「悪性」にして「匈猛」。「匈」は凶、「悪」は暴。凶暴なのです。お釈迦様と提婆は従兄弟であったと言われます。祖父の師子頬王に四人の子がおり、長男の浄飯王の子がお釈迦様、三男の斛飯王の子が提婆です。提婆は子供の頃から才能豊かで行動力も抜群でした。自信を持ち、人を見下ろすところもあったと言われます。しかし、従兄弟のゴータマ(お釈迦様)にだけは勝てない。
 ある時浄飯王が釈迦族の風習に従って、ヤショーダラ妃の夫を選ぶのに、青年たちに武術を競わせました。提婆も参加したのです。ところがどの競技もゴータマに僅かの差で負ける。それも多くの観客の前においてです。負けた提婆は、勝者ゴータマへの浄飯王からの贈り物である象を見るやいなや、鼻をつかみ眉間に一撃を加えて倒してしまったと言われます。凶暴さの奥には名利心があり、積もり積もった怨念があるのです。

 この提婆も仏弟子となります。「復た出家せりと雖も、常に仏の名聞利養を(そね)む」。お釈迦様が成道なされて三年後に、故郷へ帰られます。父の浄飯王をはじめ、皆大喜びで迎え教えを聞きます。そして出家を願い出る者も沢山でるわけです。提婆もその一人でした。しかしお釈迦様は、提婆の出家を許しません。それは提婆の悪性をよく知っていたからです。出家しても、その教団の場を悪性をはたらかせる場にしてしまうとお釈迦様は思われたのです。
 しかし、最初は断られても、提婆は遂に出家を許されます。聡明広学で山のような経典を読んだと言われます。しかしその知識は、自己主張の強さへと使われていったのです。そして、お釈迦様が多くの財物を供養されていることに強い嫉妬心を持つようになったのです。
 「常に仏の名聞利養を妬む」。出家した提婆の最大の関心事は、この名聞利養だったわけです。自分もあのように高い名を得て大いなる供養を受けたいと。この思いが提婆を根底から突き動かしていきます。

 阿闍世の父である頻婆娑羅王は「仏の壇越」でした。「壇越」はdanapati「布施をする人」という意味です。王はお釈迦様の教団へ、金・銀・七宝・名衣、上服・百味の菓食等、何百台もの車に載せて供養します。その車列を沢山の人が香を焚き華を持ち踊り讃嘆の声をあげながら囲みます。
 なんという華やかで輝き溢れる光景でしょうか。この賑わいの中心にお釈迦様がいる。これを見て「妬心更に盛んなり」。この光景を何度も目撃した提婆の嫉妬心は、いよいよ焼け付くように熱さを増すのです。

 ここで頻婆娑羅王の供養の様子を述べる時に、なぜ「父の王は」と表現したのでしょうか。今はまだ阿闍世は登場していませんし、阿闍世との関わりも表には述べられていません。
 しかし、提婆の心の中には、頻婆娑羅王の供養の様子を見るにつけ、王には阿闍世という子があり、この子を利用して、この現状を打ち破ることはできまいかと、常々考えていたということを、「父の王」という表現は表わしているのではないかと思えます。
 権力欲という世間の欲望を強く持ち、焼けるような名聞と利養の心の持ち主である提婆は、人が、それも子供の頃からのライバルで常にあと一つのところで負けていたお釈迦様が膨大な供養を受けることを、平静に見ることはできなかった。供養ということが提婆を狂わせるのです。
 従って、供養の様子を述べる善導の筆も詳しい。「金・銀・七宝・名衣、上服・百味の菓食等」と、この一つ一つが、提婆の嫉妬心を、より強く燃やしたものなのです。

 私たちはこれを読むときに、「金」を読んで、この金がお釈迦様のところへ行くことに嫉妬の心を燃やした提婆の、その胸の熱さを思い、次の「銀」を読むときに、さらにそれに加えて嫉妬の炎が燃え盛る様子を思い、という風にして読んでいく必要があると思います。ここをさらっと読み流しては、提婆の嫉妬心が的確につかめないかもしれません。一番いいのは、自分自身の嫉妬心のことを思えばいいのですが。

作戦の第一歩
 嫉妬心に狂う提婆は、ここから計画を実行します。提婆には計画を実現成就させるための全体の戦略があります。「聡明広学」の提婆は戦略を考えることにも大いに長けていたことでしょう。戦略の全体像はあとから確認することとして、まず、その一一の展開を見てみましょう。

⑧「即ち舎利弗の所に向かって身通を学せんことを求む。尊者語って言わく。人者(きみ(しば)らく四念処を学せよ。(すべか)らく身通を学ぶべからす。既に請ずれども心を遂げず。更に余の尊者の辺に向かって求む。乃至五百の弟子等、(ことごと)く教うる人無し。皆四念処を(まなば)せしむ。」

 計画の目標は、自ら釈迦教団の主となり、阿闍世を王位に就かせ自らを利しようということです。そのための第一歩が「身通」を学ぶということなのです。なぜこれが第一歩となるのか。
 「身通」は自分の身体を自由自在に変え動かす法のようです。空中に舞い上がったり、大きくなったり小さくなったりと。この法を身につけることが、計画推進の確実な一歩となるのです。
 提婆はまだこの法を身につけていない。そこで、舎利弗のところへ行って教えを請おうとするのです。善導は、教えを請うた相手として舎利弗と余の尊者、五百の弟子等を挙げていますが、じつは、はじめはお釈迦様自身に教えを請うたと言われます。
 (はかりごと)をして倒そうとする相手から、その謀の基になることを教えてもらおうとしたのです。恐るべき行動ですね。もちろんお釈迦様は教えません。

 善導はこのことは記しておらず、初めに教えを請うたのは舎利弗だとしています。そして、次に請うたのは目連です。しかしこれも記さずに、「余の尊者」と表記しています。ということは、舎利弗が大事な意味を持っていることを特に顕わそうとしたのかもしれません。舎利弗は知恵第一の仏弟子です。その「智慧」に提婆は期待したのではないでしょうか。智慧第一の舎利弗であれば、何でも詳しく知っているのだと。
 しかし、舎利弗が第一であったのは「智慧」であり、その「智慧」を提婆は「知識」と見てしまった。世間の欲望を果たそうとする提婆には「智慧」が分からない。「智慧」を「知識」と見て、「身通」をよく教えることができるのは舎利弗だと思った。こういうことではないかと思います。
 しかし、舎利弗は「身通」を教えません。その「智慧」は提婆の野望を見抜いているのです。野心を持ったまま「身通」を学べば、どのような怖いことが起こるか。どのような悪事に利用されるか。舎利弗は提婆の心を直ちに悟り、提婆に「四念処」をこそ学ぶべきことを諭します。「人者」とは「仁者」と同じで「きみ」ですね。

 「四念処」は「我」の執着を断ち切る教えです。人は、この世のものを、浄・楽・我・定であると見なしてこれに執着します。四顛倒(てんどう)と言います。生死海の中に、清浄なるものがあると執着し、楽そのものがあると執着し、自己自身のものがあると執着し、間違いのない不動のものがあると執着する。この四顛倒の迷いを打破する教えが「四念処」です。
  身念処(身体の不浄性を観察する)
  受念処(感覚の苦性を観察する)
  心念処(心の無常性を観察する)
  法念処(法の無我性を観察する)
この四つです。
 提婆が今こそ学ぶべきもの、提婆に致命的に欠けているもの、それが我の執着を超える教えなのです。舎利弗は、先ずこれを学べと提婆に伝え、「身通」を教えようとはしません。

 さらに「余の尊者」のところへ行き、また「五百人の弟子」のところへ行って、「身通」を請います。しかし、誰もが口を揃えて、「四念処」を学ぶべきであると答えるのです。五百人の弟子のところへ行くというのは、五百人が集まっているところへ行ったのではなく、五百人に一人ずつ尋ねたのでしょうね。「悉く教うる人無し」とありますから、一人ずつ「悉く」という意味でしょう。五百人のお弟子を一人ずつ訪ね、「身通」を請うたのです。なんという執念でしょうか。大変な力ですね。五百という数字は誇張でしょうか。実際でしょうか。どういう意味を持つのでしょうか。

 「身通」を得ることができなかった提婆は、弟の阿難のところへ行きます。

⑨「請ずること已むこと得ずして、遂に阿難の辺に向かいて学す。阿難に語って言わく。汝は是れ我が弟なり。我れ通を学せんと欲う。一一次第に我れに教えたまえよ。然るに阿難、初果を得たりと雖も未だ他心を証せず。阿兄の密かに通を学して仏所に於いて悪の計を起こさんと欲することを知らず。阿難遂に即ち喚ばって静処に向かって次第に之を教う。
 跏趺正坐して先ず心を将って身を挙げて動想に似たらしむ。地を去ること一分・一寸と想え。舎に至るに空無碍の想を作せ。直ちに過ぎて空の中に上ると想え。還って心を摂して下りて本の座処に至ると想え。次に身を将って心を挙げ初めの時に地を去ること一分・一寸等、亦前の法の如くすべし。身を以って心を挙げ、心を以って身を挙ぐべし。亦随いて既に空に上り至り、已わりて還って身を摂取して下りて本の坐処に至るべし。次に身心(かん)じて挙ぐと想え。還って前の法に同じく一分・一寸等(おわ)りて(また)始めよ。次に想え。(略)阿難是の如し。次第に教え()わんぬ。」

 いかに舎利弗や五百の弟子に断られても、提婆はさらに「身通」を求め続けます。そして至ったところが弟の阿難なのです。阿難から「身通」の教えを聞く。それはまことに因果なものと言うべき、因縁の縮図のようなものです。「遂に阿難の辺に向かいて学す」と、「遂に」至るべきところに至ったのです。ある意味で、謀を推し進めようとする提婆に「身通」を教えるのは、阿難がぴったりの存在と言えるでしょう。人生の複雑に絡み合う因縁を思わざるを得ません。どのような絡み合いなのか。
 「汝は是れ我が弟なり」。阿難は提婆の弟です。しかし、この二人は性格が随分違うようです。悪性にして匈猛な兄の提婆、素直でやさしい弟の阿難。兄の提婆が出家をなかなか許されなかったと同じく、弟の阿難も許されませんでした。しかし理由は正反対です。兄は前述のように、教団を自己の欲望を果たす場にしてしまいかねないからですが、弟は、あまりのやさしさのため、求道者としての歩みに耐え得ないであろうと判断されたようです。
 そのような大きな性格の違いがありますから、両者の間の人間関係もおのずと想像できるでしょう。兄は弟を歯牙にもかけず威張り、弟は兄の前で何もできないでいる。そういうイメージが浮かびます。その兄の提婆が弟のところへ行き、頭を下げたのです。そして「汝」と呼びます。「汝は是れ我が弟なり」。この一言に弟は面食らったことでしょう。
 或いは、兄の提婆は弟の阿難にこれまで一度も頭を下げたことがないのかもしれません。その提婆が初めて弟に頭を下げるとすれば、提婆にとってこれほど悲痛なこともないでしょう。
 兄としてのプライドも、教団の中における地位の違いも、歴然として差の見える能力の問題も、提婆はすべてをかなぐり捨てて、弟の前に頭を下げたのです。あれほどに名聞の意識の強い提婆が、自らの面子が崩れ落ちることに目をつぶったのです。いや、目をつぶることができたのです。そこには、命をかけての大作戦があったのです。最高の権力者になるという野望が。

 まことに提婆の企みは、壮絶なる自己との戦いでもあります。名聞欲に焼かれる提婆が、最高位の名聞を得るために、次位の名聞を捨てるのです。執着とは対象のすべてに及ぶものでしょうが、同時に、執着の極致は対象の極限の一点にある。その一点を確保するためなら、他の一切の執着を(はずかし)めの中に捨ててもいい。
 仏を倒し自ら仏位に就きたいという執着の極限の一点は、他のすべての執着を捨てさせるほどの力を提婆に与えるのです。こうして、命を懸けた提婆のはかりごとが歩を進めていきます。

 「我れ通を学せんと欲う。一一次第に我れに教えたまえよ。然るに阿難、初果を得たりと雖も未だ他心を証せず。阿兄の密かに通を学して仏所に於いて悪の計を起こさんと欲することを知らず」
 阿難に教えを請うのですが、阿難はこの「身通」を悟ってはいないようです。悟ってはいないけれども「聞法第一」の阿難ですから、お釈迦様からお聞きしてそれをよく覚えている。そのことを提婆は知っていたのかもしれません。だから教え方を「一一次第に」と、提婆自らがガイドしています。「お前が身通を完全に悟っていないのはよく分かる。でも釈尊から聞いたことを一つ一つ順に教えてくれればそれでいいから。あとは私が自分でマスターするから」ということではないでしょうか。
 そのように兄からフォローしてもらえば、阿難としてもやりやすい。悟りきっていないことに阿難は劣等感を持っているわけですから。それならと阿難は提婆に教えます。その時阿難は、兄の提婆が心の中でどのような悪だくみを考えているか、知ることができなかったのです。「身通」も不完全であれば、「他心を証ずる」ことも未完成なのです。未完成の二つの局面を提婆はうまく利用したわけですね。

 提婆と阿難は、出家してもそれなりに教団で問題を起こすであろうからと、当初お釈迦様から出家を許されなかった。結局案の定ということになって、提婆はお釈迦様に背いて害を与えることになります。
 また阿難も、提婆の悪行の手助けを、その企てに気づかずに「身通」を教えるという形で行い、お釈迦様に背く結果になったのです。
 ということが同時に、やがては、ということは如来本願在ますからということですが、この二人がお釈迦様の教えを明らかにする上で、重要な役割を果たすということでもあります。

 阿難の教えを受けた提婆は、この時点で自分は何をすべきかを正確に把握しています。

⑩「時に調達、法を受得し已わって、即ち別に静処に向かって七日七夜、一心専注して即ち身通を得て一切自在にして皆成就することを得。既に通を得已わって即ち太子の殿の前に向かって空の中に在って大神変を現ず。
 身の上より火を出し、身の下より水を出す。或いは左辺に水を出し、右辺に火を出す。或いは大身を現じ、或いは小身を現じ、或いは空中に坐臥し、意に随って自在なり。
 太子見已って左右に問うて曰く。此れは是れ何人ぞや。左右太子に答えて言わく。此れは是れ尊者提婆なり。」

 阿難の教える「身通」は、阿難によっては未だマスターされていない、教えのところだけのものです。教えについて突っ込んだ質問をすることも提婆にはできなかったでしょうし、それは要するにこういうことだと阿難自らの領解を踏まえて分かり易く説くということもできなかったでしょう。そのことは提婆はよく承知していたのです。
 もし舎利弗からであれば、自在に説くのを聞くことができたかもしれない。しかし、それはできなかった。かろうじて、最後の頼みの綱であったのが阿難の「聞法第一」であったのです。よく聞いてよく覚えていた。たとえ本人が理解していなくても、聞いたところさえ説いてもらえば、あとは、自分の力で何とかしようと。仮に説き方がばらばらであっても、全体のイメージから推測できる本来の教えの形に復元しよう。そのくらいのことは提婆は考えていたのでしょう。

 「時に調達、法を受得し已わって、即ち別に静処に向かって七日七夜、一心専注して即ち身通を得て一切自在にして皆成就することを得」。
 教えを聞き終わって提婆は、阿難と別れ、一人別の静処に至って、七日七夜、寝食も切り詰めて、一心専注に、ただ、「身通」をマスターすることに力を注いだのです。能力は優秀なのです。
 かつて遂に出家が許された提婆は経典を読破し、その数は六万匹の象の背中に載せても尚余りあるほどだったと言われます。しかし、まことに残念なことに、その学びが自負心のために使われてしまわったわけですね。

 このマスターに至る過程は少なくとも二つの段階が考えられます。第一は、阿難の説いたことを正規の教えの水準にまで復元することです。ただ聞いたとおりに話せば、本来の姿がそこに現われるかと言えば、そういうものではありません。聞いた者が正しく理解し、その上で話さなければ、教えは正しく伝わらないのです。この部分は応用問題のようなものでしょう。
 しかし提婆は、このあたりをよく心得て、このようになることを前提として阿難に請うたのではないかと思います。そして復元する作業は、これまでの経典学習によって得た能力が力になったものと思われます。

 第二の段階は、言葉として説かれた教えを基にして、その通りのことが身に着くまでの訓練です。打倒釈尊を何度も念じながら、必死の思いで訓練また訓練に励んだのでしょう。この「身通」をマスターすることが、やがての釈尊打倒に向けて確実な道を切り開く。戦略を練り終えている提婆の心中には、この確信が燃えていたことでしょう。 


(四)提婆の戦い

阿闍世を唆す提婆

 遂に「身通」を身につけた提婆は、勇躍、阿闍世のところに向かいます。いよいよ、目標達成の鍵を握っている阿闍世を唆す営みを始めるのです。「身通」を得ることは苦労をしましたが、ここからは阿闍世を相手にする場合は比較的スムーズに行きます。

 「既に通を得已わって即ち太子の殿の前に向かって空の中に在って大神変を現ず。」
 マスターし終えた「身通」を大いに発揮して、提婆は阿闍世の前で大神変を現わしたのです。「身の上より火を出し、身の下より水を出す。或いは左辺に水を出し、右辺に火を出す。或いは大身を現じ、或いは小身を現じ…」以下少し省略しますが、提婆が空に舞って、火を吐き水を出し、大きくなり小さくなり、自在に姿かたちを変えます。思う存分に変化をし、阿闍世を驚かせ、楽しませたのです。

 「太子見已って左右に問うて曰く。此れは是れ何人ぞや。左右、太子に答えて言わく。此れは是れ尊者提婆なり。」
 阿闍世は見已って左右にいる家臣に尋ねます。これは誰なのかと。家臣に尋ねるのは一人の者に尋ねればいいわけですが、一人が答えたくらいでは答えと受けとめられない。右の者に尋ね、また左の者にも尋ねる。
 答えは聞いているのですが、答えとして入ってこない。驚いて落ち着く着地点を見失ってきょろきょろしている様がよく現われています。その姿を提婆はじっと見ているわけです。
 左右の家臣は口を揃えて「此れは是れ尊者提婆なり」と答えます。これは提婆尊者様です、と。奇しくもこの答えが提婆のたくらみを一歩前へ進めさせるのです。
 ここには、提婆と阿闍世と家臣との三者の人間関係があります。特に地位に関する関係です。提婆の神変を見た家臣は、提婆の上に怪しいものを感じているでしょう。彼はまた何をたくらんでいるのだろうかと。しかし、主君である阿闍世太子からの問いに対して、正直にそのことは言えない。

 今この場は、提婆様が阿闍世太子を訪問されている場なのです。家臣としては、両者に、特に提婆様に失礼があってはいけません。太子に向けて、何かたくらんでいそうな提婆ですよと言えば、提婆は怒るし、家臣の失礼は主君の阿闍世の失礼になります。共に避けようとした家臣の言葉は、「此れは是れ尊者提婆なり」しかないのでしょう。皮肉なものですね。世間という処はこういうことがよく起こるのです。
 人事案件は部外者がいるところでしてはいけないのです。この場合は、問う阿闍世と答える家臣の両者だけの場で、提婆について云々しなければ、正解は得られない。提婆がいてはいけないのです。もちろん提婆はそのことを見抜いて、席を外すことなどしません。こうして自分を提婆「尊者」として阿闍世に印象付けることに、先ず成功します。

 こうして一歩阿闍世に近づいた提婆は、さらに作戦を推し進め、遂に決定的場面を獲得するのです。

⑪「太子聞き終わって心大きに歓喜して、遂に即ち手を挙げて喚ばいて言わく。尊者何ぞ下り来たらざる。提婆既に喚ばうを見已わって即ち化して嬰児と作って、直ちに太子の膝の上へ向かう。
 太子、即ち抱いて口を()いて之を弄ぶ。又口中に唾はく。嬰児遂に之を()む。須臾に還って本身に復す。太子既に提婆が種種の神変を見て(うた)た敬重を加う。」

 「そうですか。尊者提婆様だったのですか」と阿闍世は、素晴らしい神変を現わした尊者の偉大な力に会えたことを喜びます。「太子聞き終わって心大きに歓喜して」とあるように、その喜びはとても大きなものだったのです。喜ぶ姿を提婆はじっと見ています。
 「遂に即ち手を挙げて喚ばいて言わく。尊者何ぞ下り来たらざる」。その提婆に阿闍世は手を振って呼びます。尊者よ、どうして降りて来られないのですかと。この行為に「遂に」が付せられています。「遂に目的地に至った」という最終に至る「遂に」ではないのですが、目的地に至るための大事な一里塚に「遂に」至ったというニュアンスでしょうか。
 以前に一度出ましたね。「遂に阿難の辺に向かいて学す」。⑨の文章のところです。大きな鍵である阿難から「身通」の教えを聞く場面ですね。
 ここでは「遂に即ち手を挙げて喚ばいて言わく。尊者何ぞ下り来たらざる」。これまでは提婆のほうから一方的に阿闍世に向けて行動がなされていました。大神変の動きですね。それが今阿闍世のほうから、阿闍世の自主的な思いに立った言動が初めて提婆に向けてなされたのです。
 それも、提婆に問われたから答えるというものではない。阿闍世自身の心の発露によって手を挙げ呼んだのです。人の言動で、仕向けられたから行動するのと、自分自らの心の噴出で行動するのとでは、行動の重みにかなりの違いがあるでしょう。
 教育の場面でも、指名をされたから答えるのと、自主的に進んで話していくのとでは、大きな違いがあります。前者も結構なことですが、後者の反応を導き出そうと、教師は工夫するのです。

 ということは、提婆は優れた教師ということになります。自らは何も語りかけず、神変の姿を見せるだけで、阿闍世を心の底から動かしたのです。「身通」にはそれだけの力があることを提婆は知っていたのですね。
 この時点で、両者の深い人間関係は、ひとり提婆のほうからだけのはたらきかけで成り立つものではなく、阿闍世もそのように行動したことで、双方の意志と責任でもって関係がつくられていくということになりました。
 阿闍世のところで見れば、提婆との関係には自分も責任がある、という思いがここで生じたわけです。また一つ提婆は阿闍世を自分の支配下に置いたのです。

 「尊者何ぞ下り来たらざる」と阿闍世が手を振って呼ぶということは、神変の動きを終えたにもかかわらず、提婆は直ちには降りてこなかったわけです。何をしていたのか。阿闍世にある思いが起こる、その思いが心の中で定着する僅かな時間を待っていたのでしょう。
 そして「提婆既に喚ばうを見已わって即ち化して」と、阿闍世が完全に呼び終わるまで空中にいて、呼び終わったとき、即ちその思いが心の中に定着したと確認できた時、提婆は姿を変えてやっと降りてくるのです。

 その思いとは何か。どのような思いが阿闍世の中に定着するのを提婆は待ったのか。それは「隷従」の思いです。阿闍世が提婆に隷従する思いです。隷従とは、その人の意のままになるということですが、その隷従心を提婆は阿闍世の中に植え込んだのです。
 両者の位置関係は、提婆が空中で上、阿闍世が下です。提婆が驚くべき神変を現わす尊者で、阿闍世はそれを見て驚かされ感心させられ敬いの心を起こさせられている者です。本来ならば、神変を終えれば直ぐに降りるはずでしょう。遅くとも、阿闍世が手を振った瞬間には、その意を察知して降りるべきでしょう。しかし、提婆は降りない。阿闍世が手を振り、降りてきてほしいときちんと言い終わるのを聞いて初めて降りる支度をするわけです。

 その間、時間は僅かなものですが、阿闍世はどのような思いになるか。それが提婆に従う隷従の思いが起こる時なのです。これが世間の姿でもあります。「偉い人」は呼びかけてもなかなか返事をしないのです。もちろんこれは、「偉く見せようとする人」という意味ですが。真に偉い人は、逆に低姿勢でこちらの気持ちを察して言葉をかけてこられます。「和顔愛語して(こころ)に先だちて承問す」(東27 西26 島1-24)とあるように。

 「化して嬰児と作って、直ちに太子の膝の上へ向かう」。提婆は嬰児に姿を変えます。これが「身通」の最後の神変です。赤ん坊の姿になるのです。そして阿闍世の膝の上に乗ります。赤ん坊を膝に抱けば、誰しもいい気持ち、嬉しい気持ちになるでしょう。心がほどけます。そこが、提婆から言えば「隙」なのです。
 「太子、即ち抱いて口を()いて之を弄ぶ」。阿闍世は赤ん坊をあやしながら口を吸って遊びます。ここの原文は「太子即抱鳴口弄之」です。普通の読み方では、「鳴」を「ならす」と読んで、「太子即ち抱き口を鳴らして之を弄び」となるでしょう。
 しかし、実際の場面を思い描けば、自分の口を鳴らしながら赤ん坊の口を吸うわけで、「鳴らす」を「すう」と読んでも事実は同じ、聖人の読みのほうがむしろリアルな感じがしますね。

唾を食らう者
 そして問題は次の場面です。
 「又口中に唾はく。嬰児遂に之を()む」。ここは甚だ重要な場面です。阿闍世が赤ん坊と口を合わせて音を鳴らしながら、唾を赤ん坊の口の中に入れたのです。そして、赤ん坊はそれを飲んだ! ここにもまた「遂に」の語が使われます。これもまた一里塚ですが、もう、到達点が直ぐ向こうに見えるような一里塚です。最後の一里塚と呼んでもいいでしょう。目標到達はこれでまず間違いがない。到達に至る決定的な出来事なのです。

 人と人との出遇いを「交わり」と言います。「交」の字は、人が足を組んで立っている形から来ています。両足をまっすぐ伸ばして立つ「立」と違って、右側に左足が来て、左側に右足が来ているわけです。お互いの足が、逆の側に位置しています。
 この在り方が人と人との交わりを表わします。双方の間に、なんらかの形で、この交わりがなされるのが出遇いの事実です。手紙を交し合うのも、食事に呼び合うのも、この形をとります。

 今、提婆は阿闍世と深い交わりを持とうとします。それは、最終的には自分が述べる信じられない衝撃的なことを信用してもらわなければならないからです。何をかといえば、それが「出生の秘密」のことなのです。
 なぜ指が折れているのか。折指の背後にある父と母の間でなされたこと。このことを阿闍世に言って、それを信用してもらわなければならない。内容からして簡単にはいかないことです。そこで、双方の間に絶対の信頼関係が必要になります。深い交わりが必要なのです。
 その交わりをどのような形で獲得するか。ここに提婆の「悪性」が出ます。上品なフェアな形での交わりを彼は考えない。ある意味で卑しく軽蔑されるような方法を考えたのです。それが阿闍世の唾を飲むという方法です。
 普通で言えば口づけですが、この場合は男同士の、しかも、大人と赤ん坊の間でのこと。しかも、赤ん坊のほうは何も考えずに行動しているのだろうと阿闍世は思います。そこにまた隙がある。気を許して唾を口へ注ぐ。何も考えていないどころか、この一事を成功の鍵として提婆は全計画を練ったのです。

 提婆は阿闍世を自分の(とりこ)にするという目的をこれで達成しました。「須臾に還って本身に復す」。目的を達しましたから、直ちに元の姿に帰ったのです。これを見ても、「唾を()む」という行為が「身通」で神変を現わす最後の目的であったことが分かります。
 「太子既に提婆が種種の神変を見て(うた)た敬重を加う。」これら提婆の種種の神変を見て、提婆に対する阿闍世の尊敬の念はいよいよ強くなっていったのです。それはお釈迦様に対する尊敬を超えていくほどのものがあったのでしょう。

 その「敬重」をこそ、提婆は待っていたのです。

⑫「既に太子の心に敬重するを見已わって、即ち父の王の供養の因縁を説く。色別五百乗の車に載せて仏所に向かって、仏及び僧に奉ることを。太子聞き已わって即ち尊者に語らく。弟子亦能く色各五百車をととのえ具えて尊者に供養し、及び衆僧に施せんこと、彼の如くせざるべけんや。提婆言わく。太子、此の意大いに善し。」

 自らを「敬重」している姿を確認して、その「敬重」の心の上にだけ説くことのできることを提婆は話し始めます。父王の供養のことです。色別に五百乗の車に載せて仏の所に向かって供養していることを。或いは大袈裟に語ったのかもしれません。
 阿闍世はそれを聞き終わって、提婆に告げます。「弟子亦能く色各五百車をととのえ具えて尊者に供養し、及び衆僧に施せんこと、彼の如くせざるべけんや」。
 提婆に向けて自らを「弟子」と言っています。阿闍世自身の名のりですね。提婆を高く尊敬するあまり、阿闍世は自ら自らを弟子と名のったのです。当然提婆は師匠となりました。

 「師よ。あなたの弟子である私は、色各五百の車を具えてあなた様に供養しましょう。ご師匠に対して、頻婆娑羅王がするのと同じような、いやそれに劣らないような供養をしないことがありましょうか」と。
 この言葉を聞き、提婆は「太子、此の意大いに善し」と。「太子よ、よく言われましたぞ。素晴らしいお考えですぞ」と讃え、師提婆に供養しようという阿闍世の心を受け入れたのです。
 供養を得たい利養の心というのは提婆の心の病と言うべきでしょう。当初は、頻婆娑羅王の供養がお釈迦様へ行くのを見て、なんとか自分のほうへ来ないものかと考えたのです。しかし、王の気持ちを変えさせ、自分に向けることは難しい。王はお釈迦様の教えをしっかり聞いていたからです。
 頻婆娑羅王は、はじめ外道の優楼頻螺迦葉の弟子であったと言われます。しかし、お釈迦様が出家なさる時に、成道の暁はどうかご供養をさせてくださいと願い出ていたのです。そのお釈迦様が六年の時を経て成道し、今があるわけですから、頻婆娑羅王の供養は筋金入りと言えるでしょう。

 提婆は阿闍世太子から沢山の供養を受けるようになりました。そのことが提婆の上にどのような変化を及ぼしたか。供養を得て、長年の嫉妬心が解消したかと言えばそうではなく、まさにその逆だったのです。

和合僧を破す
⑬「此れより已後、大きに供養を得て、心転た高慢なり。譬えば杖を以って悪しき狗の鼻を打てば、転た狗の悪しきことを増すが如し。此れ亦是の如し。太子、今利養の杖を将って提婆が貪心の狗の鼻を打つに、悪を()すこと盛りにす。此れに因って僧を破し仏法戒を改めて、教戒不同なり。」

 提婆は供養を得ることによっていよいよ高慢となっていきます。そのことを譬えで表わしています。よく吠えて飛び掛ってくるような凶暴な犬に、それを懲らしめ性格を変えようとするのに、杖を持って鼻を打てばいいと思う。ところが案外、性格の悪い犬というのは、打たれることによっていよいよ凶暴さを増し、手につけられないようになることがある。
 ちょうどこの譬えのように、提婆もまた、「太子、今利養の杖を将って提婆が貪心の狗の鼻を打つに、悪を()すこと盛りにす」。阿闍世太子が供養の杖で何度も提婆の貪欲の鼻を打つことにより、貪欲の心はいよいよ大きなものになった。提婆の悪性はそれほどに深かったのです。

 「此れに因って僧を破し仏法戒を改めて、教戒不同なり」。いや増す欲望の心は、供養を受ければ受けるほど強いものとなり、提婆は「僧を破し」即ち僧伽(教団)を破壊させようとします。新しく教団に入った者たちを中心に五百人の弟子を従えて、新しい教団を作ったのです。
 和合僧(僧伽)を破すということは五逆罪の一つですが、その破し方に二種あると言われます。一つは僧伽の中で別の作法で行動するということ。これは罪ではあるが逆罪ではないとされます。もう一つは僧伽(仏法)の外に出て、別の法を立て教えを説くこと。これは逆罪です。提婆の行動は逆罪に相当するものでした。
 提婆が説いた教えとして「五邪の法」が知られています。八正道の一つに「正命」がありますが、それに対するものが「邪命」で、その教えの一つが「五邪の法」です。
  (一)利養のための故に奇特の相を現ず。
  (二)利養のために自ら己が功徳を詳説す。
  (三)利養のために吉凶を占い人のために説法す。
  (四)利養のために高声をもって威を現じ人をして畏敬せしむ。
  (五)利養のために所得の供養を説き以って人心を動かす。
 これらを受けて、比丘は常に乞食を以って清浄に活命すべきものにして、かくの如き邪命食、或いは虚偽の方法をもって活命すべからざるものなり、と。
 すべて利養のためになしてはならぬことを説いているわけで、自らの利養に狂った提婆ならではの教えという気もします。戒律として立てることを、いわば免罪符として、内心合理化し、自分の行為を正当化しているとも考えられます。

 また「仏法戒を改めて、教戒不同なり」。提婆はお釈迦様とは別に、新しい戒律を定めます。次の五か条が知られています。
  (一)出家者たるものは、生涯森に住み、都・城の近くに住してはならない。
  (二)托鉢のみで生活して、供養招待を受けてはならない。
  (三)終生、糞掃衣(ふんぞうえ)のみを着て、信者から施された衣を用いてはならない。
  (四)樹下にのみ住し座って、屋舎の中に身を横たえて眠ってはいけない。
  (五)魚や鳥獣の肉を食べてはいけない。

 さらに別の伝えでは、
  (一)塩を食してはならない。
  (二)蘇(チーズ)を食べず、牛乳を飲んではいけない。
  (三)魚肉を食べてはいけない。
  (四)専ら乞食のみにより、招待供養を受けてはならない。
  (五)春夏八ヵ月間は草庵に住し、人屋に宿ってはならない。

 これらの戒律は、相当に厳しいもののように思えます。
 どういうことでしょうか。厳しい戒律を立てる心理は、或いは聖道門的理想主義であり、或いは傲慢的自己主張であり、或いは人を近づかせない柵のようなものであり、などと思えるのですが、どうでしょうか。

 五百人の弟子と共に一派を形成し、新たな戒律を掲げた提婆は、攻撃の矛先をお釈迦様ご自身へ向けます。驚きの行動ですね。

⑭「仏、普く凡聖大衆の為に説法の時を待って、即ち会の中に来たって仏に従って徒衆を(もと)め、並びに諸の法蔵を悉く我れに付属せよ。世尊、年(さら)に老邁したまえり。宜しく静内に就いて自ら将に養いたてまつるべし。一切の大衆、提婆が此の語を聞きて愕爾として迭互(たがい)に相い看て甚だ驚怪を生ず。
 爾時世尊、即ち大衆に対して提婆に語って言わく。舎利・目連等の即ち大法将なるにすら我れ尚仏法を将って付属せず。況や汝痴人の唾を食らえる者をや。時に提婆、仏の衆に対して毀辱(きにく)したまえるを聞きて、(なお)毒箭(どくや)の胸に入るが如きにして、更に痴狂(ちおう)の意を発す。」

 提婆は、お釈迦様に退位を迫り、自らが新仏として立とうとします。それであれば、お釈迦様と一対一の直談判をすればいいのですが、これもまた提婆に作戦があるのです。
 お釈迦様が沢山の大衆の中で説法する時を待つのです。即ち、お釈迦様を尊敬する沢山に人たちに、じかに、もうお釈迦様は教団の舵取りは難しい、提婆様に代わってもらうべきだと思わせようとするのです。
 その時が来ました。大衆の中にいるお釈迦様に向かい、自分に多くの弟子をよこせ、また、教えをすべて自分に説かせよと要求します。さらに、世尊はもう御年だから、引退なさって静かなところでご養生なさってはどうか、と述べるのです。
 大衆はこの提婆の発言に愕然として大いに驚き、互いに顔を見合わせて、なんということを言われるのかと驚き怪しみます。

 その時お釈迦様が言われるのです。「爾時世尊、即ち大衆に対して提婆に語って言わく」。不思議な表現です。大衆に対して提婆に語る。提婆に語るべきことを大衆にも語るのです。なぜ大衆にも語るのか。
 その内容は何かといえば、「舎利・目連等の即ち大法将なるにすら我れ尚仏法を将って付属せず。況や汝痴人の唾を食らえる者をや。」ということです。「舎利弗や目連のような聡明大智の弟子にさえ説くことを許していないのだ。まして況や、おまえのような人の唾を食らうような愚かの者にどうして許せるものか」と。

 この内容からすれば、提婆が大衆の中でお釈迦様を引き摺り下ろそうとしたその仕返しをなさっているようにも思えますが、お釈迦様はそのようなことはされません。これは教えなのでしょう。
 提婆のような名聞利養はすべての者の問題である。人はこれを仏法においてどのように受けとめればよいか。それをお釈迦様は、目の前にいる提婆をいわば教材として大衆に教えを説こうとされたのでしょう。しかし、そのような奥深い智慧は提婆には分からない。大衆の中で真っ赤な恥をかかされたと思ったわけです。
 このお釈迦様の発言の中の「況や汝痴人の唾を食らえる者をや」というのが、先の⑪の文章に出た「口中に唾はく。嬰児遂に之を()む」の箇所を受けていることはお分かりのことと思います。卑しい方法で提婆の歓心を買ったわけです。なんという卑劣な者かと、提婆が何度も考えた大満足のやり方であり、また戦略の核心部分である行為をお釈迦様は大衆の中で批判されたのです。

 この批判は提婆にこたえました。大衆の中で、それもお釈迦様を引き摺り下ろすはずだった大衆の中で、逆に大変な辱めを受けた。提婆にはそうとしか思えなかったのです。提婆のお釈迦様観なるものは、尊い真実の教えを説くお方ではなく、大いなる供養を受けている人だったのです。 
 かつてお釈迦様がその出家を断ったように、提婆はやはり教団に身を置くべきではなかった。何十年と身を置いても、結局こうなるしかなかったのです。「悪性」の深さを改めて思わされます。
 大いなる辱めを受けた提婆は、「毒箭(どくや)の胸に入るが如きにして、更に痴狂(ちおう)の意を発す」。来るところまで来た感じです。いよいよ仏を無き者にし、新王にも立ってもらわねばならぬ。行動の時だと。

出生の秘密を明かす
 提婆は阿闍世太子のところへ行き、行動計画を直ちに実践すべく図ります。

⑮「此の因縁に藉って、即ち太子の所に向かって共に悪の(はかりごと)を論ず。太子既に尊者を見て敬心をもって承問す。言わく、尊者、今日顔色憔悴せり。往昔に同じからず。提婆答えて曰く。我れ今憔悴せることは、正しく太子の為なり。太子敬って問わく。尊者我が為に何の意か有るや。
 提婆即ち答えて云わく。太子、知れりやいなや。世尊年老いて堪忍せる所無し。当に之を除いて我れ自ら仏と作るべし。父の王年老いたまえり。亦之を除いて太子自ら正位に坐したもうべし。新王と新仏と治化せん。豈に楽しからざらんや。」

 阿闍世と「共に悪の(はかりごと)を論ず」とは面白い表現ですね。阿闍世も今では立派な悪党の一味です。首領との悪事の相談がなされます。向かい合った尊敬すべき提婆の顔色を伺いながら、不審に思った阿闍世が尋ねます。「顔色憔悴」しておられる。どうしてなのかと問うた時、提婆の目が光ったことに阿闍世は気づかなかったのでしょう。
 提婆は答えます。私が憔悴しきっているのは、太子よ、あなたのためなのだと。それはどういう意味かとの再度の問いに、提婆は、ここで計画の全貌を阿闍世に示すのです。世尊も王も年老いて仕事が十分にできない。共に退いていただいて、私が新仏となり、あなたが新王となる。新仏と新王による教化と政治の始まり。なんと楽しく愉快なことではありませんかと。

 そしていよいよ最後の場面です。ここで、提婆がこれまで秘めてきた「伝家の宝刀」が抜かれるのです。

⑯「太子之を聞きて、極めて大いに瞋怒して、是の説を作すこと勿れと云う。又言わく。太子、(いか)ることなかれ。父の王、太子に於いて全く恩徳無し。初めに太子を生ぜんと欲せし時、父の王即ち夫人を遣わして百尺の楼の上に在って、天井の中に当たって生ぜしめて、即ち地に堕ちて死せしむること望めしかども、正しく太子の福力を以っての故に、命根絶えず、但だ小指のみを損せり。若し信ぜずば自ら小指を看よ。以って(しるし)とするに足れり。
 太子既に此の語を聞きて更に重ねて(あきら)めて言わく。実に爾りやいなや。提婆答えて言わく。此れ若し実ならずば、我れ(ことさら)に来たって慢語を作すべけんや。此の語に因り已わって、遂に即ち提婆が悪見の計を信用す。故に、『調達悪友の教えに随順す』と噵うなり。」

 この新仏新王誕生計画を聞いた阿闍世は、はじめは大いに怒り、このようなことは言ってはいけないと師を諭します。その言葉が引き金になって、提婆は宝刀の(つば)に手をかけるのです。ここに阿闍世の出生の秘密が暴露されます。「昔日の悪縁を顕発す」がここでなされるのです。
 「太子よ、あなたは父の王を尊敬しご恩を感じておられるようだが、王のほうはあなたに対して恩どころかひどいことをなさったのですよ。あなたが生まれる時」と言って、「折指」の⑥に出た高楼から落として殺す話を阿闍世に明かすのです。
 その結果、「正しく太子の福力を以っての故に、命根絶えず、但だ小指のみを損せり」。太子の生きんとする尊い力によって命は助かり、しかし小指は折れたのですと。
 ここで生きようとする自分の力と、それを殺して失わそうとした親の存在とが対比して出されます。なぜ自分をこのような人間に生んだのか、という親への問責は、立派に生きようとする自分がいるにもかかわらず、それを遮るかのように、親によって様々な障害が自分の身を覆うのはなぜなのか、という問いかけでしょう。
 親への責めを立件ならしめるためには、自分に生きる力が確実にあるとことを前提とする必要があります。それが「福力」です。前述の「折指」⑥の「生まれ已わって地に堕ちて命便ち絶えず」の問題です。

 あなたの小指が折れているのがその証拠ですとの提婆の言葉に、阿闍世は最後の疑いを浴びせます。「この指が折れていることが、本当にそういうことからきたことなのか」。
 阿闍世はそうであってほしくないと願ったことでしょう。「子供の頃からあれほどまでに自分を可愛がってくれた父と母。深い愛情の中、仲睦まじく十余年が過ぎた幸せの日々。愛し尊敬しご恩に思っている父と母。その父と母が自分が生まれる時に自分を殺そうとしていたとは! とても信じられない。提婆尊者よ、本当にそうなのか! 」。

 提婆は答えます。最後の一言です。「此れ若し実ならずば、我れ(ことさら)に来たって慢語を作すべけんや」と。「これがもし真実でないならば、私がわざわざ来て敢えてこのような乱れがわしき話をするものですか」。
 この言葉によって阿闍世の不審の心の矢は折れ、「遂に即ち提婆が悪見の計を信用す」となったのです。ここの「遂に」が最後の「遂に」ということですね。

 この箇所は、『涅槃経』では阿闍世が雨行大臣に問いただしたところ、雨行は提婆の言を認めたことを説いています。親鸞聖人はそのことを押さえ、
 「釈迦弥陀方便して
  浄土の機縁熟すれば
  雨行大臣証として
  闍王逆悪興ぜしむ」(東486 西570 島11-19)
など、いくつか雨行について述べておられます。この和讃でも分かるように、提婆の言の最後の証明が大事であったことが知られます。

私の問題
 以上見てきて、全体にわたる提婆の戦略がつかめたことと思います。最終目的から逆に押さえれば、およそ次のようになるでしょうか。

《目的》
⑧自らの権力欲という欲望を満たすために、また長年の怨敵であった釈尊に勝つために、釈尊を廃して自ら教団の仏位に座り、釈尊の壇越であった頻婆娑羅王を阿闍世によって廃させ、阿闍世を王位に就けさせ、自らに供養をなさしめようとする。

〈そのためには〉
⑦頻婆娑羅王を無き者にするために、阿闍世に王を殺そうというほどの怒りを起こさせる。

〈そのためには〉
⑥手の指が折れていることを証拠として、阿闍世を生む時に両親が殺そうとした事実を明らかにする。

〈そのためには〉
⑤「折指」の事実を述べる自分の言葉を信じてもらうようにする。

〈そのためには〉
④阿闍世に自分を尊敬させ、虜にする。

〈そのためには〉
③神変を現わして阿闍世を驚かせ、唾を吐かせ、それを飲む。

〈そのためには〉
②「身通」を学び、マスターする。

〈そのためには〉
①智慧第一の舎利弗に「身通」の教えを請う。
  
 阿弥陀の本願は王舎城の悲劇を縁として説かれました。王舎城の悲劇は阿闍世の父への逆害が中心内容です。その逆害はどうして起こったか。それが今「提婆の戦い」として明かされているのです。
 「提婆の戦い」と私が敢えて呼ぶのは、提婆のこの一連の営みが、表向きは阿闍世を唆せて王を殺させるという悪逆な事件ですが、この営みがあったからこそ王舎城の悲劇は起こった。悲劇が起こったからこそ、そこに阿弥陀の本願が説かれることとなったのです。
 ということは、提婆の営みは、結論から見れば、もちろんそれは如来の眼で言えばということですが、本願の説法をお釈迦様から引き出す営みであったことになります。
 悪逆の行為は単に悪逆だけでは終わらないのです。それだけの意味ではないのです。本願の教えを導き出すための、じつに尊い戦いの意味を持っている。ここに、仏教が明らかにした人間の現実の尊い意味があるのではないかと思います。

 ここに登場するのは、頻婆娑羅王、提婆、阿闍世の三人です。
 仙人を殺せば早くわが我が子となって生まれる。生まれる子を殺せば仕返しは受けない。この愚かな考えによって阿闍世の出生の秘密を作ってしまった頻婆娑羅王は、正しく愚痴の人でしょう。
 権力欲に熱せられ、名聞利養を得ていると思えてならない釈尊を怨み、自分がそれに変わって欲望を満足しようとはかりごとを行う提婆は、正しく貪欲の人でしょう。
 提婆にまんまと唆され、ご恩の深い愛すべき父を怒りに燃えて殺そうとする阿闍世は、正しく瞋恚の人でしょう。

 三人の貪欲・瞋恚・愚痴が王舎城の悲劇を生み出したのです。人間のこの三大煩悩が悲劇を生み出す要因だったのです。『大無量寿経』に於いて釈尊は説かれます、私たちを誡め叱咤する勢いで説かれます。
 「何ぞ(つと)めて善を為し、道の自然なるを念じ、上下無く洞達無辺際なるを著わさざる。宜しく各勤精進し努力して之を求むべし。必ず超絶し去りて安養国に往生することを得よ。」(東57 西53 島1-51)

 釈尊は私たちに、力を尽くして真実の道を求めよと説かれます。あらゆる者が救われていく道をどうして求めようとしないのかと。この道を求めて、闇の生死海を超えていけよと。
 もし、この道を求めることがなければ、人間は貪欲・瞋恚・愚痴を根底にした無数の悪業に狂って、苦しみの中、焼かれるような思いで、しかも生涯を空しく終えていくだけであるぞと。その人間の姿はこのようなものだと、三毒五悪段が説かれるのです。

 そこには、正しく観経のこの三人がいます。この三人が私なのです。私の三毒の煩悩が根底となって、様々な悲劇を繰り返す。この私の迷いが因となって悲劇が起こるのだと『観経』は教えているのです。
 同時に、その悲劇を縁にして、三毒に苦しむ「悲劇的人間」を救うべく、如来本願が悲劇の中、私のところに来たる。その本願に出遇ってみれば、わが貪欲・瞋恚・愚痴が、いかに申し訳ない我が根本の業であるかを知らされるのです。
 釈尊の「三毒の者よ、この真実の道を歩め」と厳しく説かれるのは、三毒を単に悪しきものと否定しているのではない。三毒を包んで救おうとしている如来の熱い願いに気付けとの思し召しなのでしょう。

 翻って、この「提婆の戦い」とは何なのかを考えてみる時、これは私たちの人生の生き方の縮図ではないかと思えます。
 自己の欲望になんら反省を加えることなく、ただその実現に全精力を注ごうとする。そのために何を獲得しなければならないか。それは活発に働く理性であり知恵である。理性と知恵を欲望実現のための奴隷にしていく。その理性を象徴するのが「舎利弗」でしょう。
 理性の力を持って我が欲望を果たそうという歩みが出遇う現実の数々は、どこか人間にそぐわないものを感じる。じつはその現実は皆、私に「我の心が問題だ。我の心に気づけ」と呼びかけている。それに気づかずに突っ走る。現実とそぐわない歩みが進むために、顔色は悪く、社会は明るくならない。その現実の呼びかけの声が「四念処を学べ」ということなのでしょう。

 「四念処を学べ」のところに、如来からの呼びかけがあったのです。人生がうまくいかない。問題のある現実が次々と起こってくる。その現実の訴えるものが「四念処を学べ。我の心に気づけ。問題はそこだぞ」という如来の呼びかけだったのです。
 私が、現実にぶつかってどうしようかと悩み苦しむ時、まさにその時こそ、如来が私に、「あなたの問題は我の心なのだよ」と叫んでくださっている時だったのです。現実の鬱陶しさの正体は、如来の呼び声だったのです。如来に背く者であるが故に、それを呼び声として受けとめることができなかったのです。
 現実はきっちりと私たちに足下を見よと教えているのです。それを無視して歩む私たちのところに、どのような人生と社会が展開するか。
 原子力発電の事故という現実は私たちに何を呼びかけているのか。如来はこの事故を縁として私たちに何を叫んでいるのか。その声を聞かねばならない。事故の現実に対する嵐のような人間的な言動の底に、静かに流れ来たる如来本願の呼びかけを聞かねばならない。
 その声は「四念処を学べ」ではないのか。我に執着する心を照らし出されて、わが真実の大地に立って生きよ、ではないのか。
 一パーセントの者が、なぜ九十九パーセントの富を握らなければならないのか。その濡れ手に粟の富の生活のそこに、「四念処を学べ」という如来の呼びかけが為されていることにどうして気づかないのか。
 未来に起こるであろう王舎城の悲劇は、いや、その悲劇を生み出す因縁は、今われらの世界の中で、世界を挙げて徐々に熟し、事態が進行しているのかもしれない。「四念処を学べ」。舎利弗と五百の仏弟子たちの叫びが三千年の時を超えて聞こえてくるようです。

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