今よみがえる観無量寿経 第8回 「化前序/禁父縁」
 

るいれつの会(2011年12月12日)講義録

講師 岡本 英夫先生

目次に戻る

  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)大乗菩薩の徳

文殊の智慧と普賢の慈悲

 化前序についていただいているところです。
 「一時、仏、王舎城耆闍崛山に在まし、大比丘衆千二百五十人と倶なりき。菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首とせり。」(東89 西87 島2-1)
 これが化前序を表わす経典の文ですね。王舎城での韋提希に対する教化の前に、耆闍崛山でお釈迦様が一代教を説かれた。これが教化の前の「序」の意味を持つのだと善導は押さえたわけです。

 この化前序の内容が四つの項目で表わされています。
(1)教えが説かれた時。
(2)教えを説いた仏。
(3)教えが説かれた場所。
(4)教えを聞いた人たち。

 これを順に見てまいりまして、前回は(4)の中、大比丘衆について申しましたので、今回は最後の「菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首とせり。」についていただき、そして次の禁父縁に入りたいと思います。

 耆闍崛山での会座に参集した者については、「大比丘衆千二百五十人と倶なりき。菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首とせり。」と述べられているわけです。この文を見ると、集まった者は千二百五十人の比丘たちと三万二千人の菩薩たち、併せて三万三千二百五十人の人たちだと読めそうです。

 しかし、じつはそうではない。集まっていたのは千二百五十人の比丘だけであり、「菩薩三万二千」とは、その比丘たちの内面にあって比丘たちを支える菩薩の徳、菩薩の精神を表わしている。その菩薩の精神をあたかも菩薩という人がそこにいるように表わしています。比丘たちは単に比丘ではなく、大乗の菩薩の徳を身に成就している者たちである。こういうことなのですね。

 では、声聞の内にある大乗の徳とはどのようなものなのか。経文にあるのは「菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首とせり。」これだけの文なのですが、ここにその徳が表わされていると善導は見ます。善導はどのように解釈するのでしょうか。

 善導はこの文を七つの内容で確認します。
  一、標相(相を標す)
  二、標数(数を標す)
  三、標位(位を標す)
  四、標果(果を標す)
  五、標徳(徳を標す)
  六、別して文殊の高徳の位を顕わす
  七、惣結す
          (親全51 聖全468 ノート56)

 一の「相を標す」というのは、「相」は経文の「菩薩」の語を指しています。菩薩というのはその人が何であるかを表わす名前ですが、この名前を名乗る者の上には当然菩薩の内容である自利利他の歩みを貫く姿があります。
 単にそう呼ばれているというだけではない。名前のところには名のように生きている事実があるわけです。それが「相」ですね。
 二の「数を標す」というのは、「三万二千あり」という数です。大変な数であり、この数の大きさが菩薩の大いなる徳を讃えることになります。
 さて次は、三「位を標す」ですが、これに該当する経文はありません。さらに、四の「果を標す」、五の「徳を標す」の文もありません。

 続いて、六の「別して文殊の高徳の位を顕わす」。これは「文殊師利法王子」のことを言っています。文殊は仏の跡を紹ぐ位の者だと言われています。またその徳が非常に高いので「法王子」と言われるのです。法王が仏。法王となるにたえる菩薩を法王子と言います。
 最後に、七の「惣結す」。これは「上首とせり」の語を指しています。

 このように七つの項目で受けとめるのですが、今見ましたように、その中、「位を標す」「果を標す」「徳を標す」の三つの内容は直接経文にはありません。経文にないものをしかも三つも挙げる。これはどういうことでしょうか。
 善導は七項目を挙げた後に、「菩薩」はこのような者なのだということを次のように述べるのです。
 「又此れ等の菩薩、無量の行願を具して一切功徳の法を安住し、十方に遊歩して権方便を行じ、仏法蔵に入りて彼岸を究竟す。無量の世界に於いて化して等覚を成る。・・・」(東51 西468 島56)

 この文はじつは『大経』の文なのです。『大経』の証信序の中、「衆成就」を表わす文で、菩薩の徳を讃嘆しているものです。『大経』において菩薩の徳を讃えている言葉を、今『観経』の菩薩を讃える言葉として用いています。これはいったいどういうことでしょうか。同じ菩薩のことだからいいではないかと簡単に済ませる問題ではないようです。
 『大経』の菩薩を讃える文を『観経』の菩薩を讃える文として使う。なぜ善導はあえてこのような受けとめ方をしたのか。この問題について、しばらく考えてみたいと思います。

 まず、『大経』証信序の「衆成就」について少し見てみましょう。『大経』の会座に列席した者たちはどのような者であるかを明かすのが「衆成就」です。具体的には、「尊者了本際、尊者正願、尊者正語・・・」(東1 西3 島1-1)などの比丘ですが、その比丘たちがじつは、『大経』が説く如来本願の教えを聞くことによって、大乗菩薩の徳を身につける者となるのです。

 大乗の菩薩の表わし方は、普賢菩薩、妙徳菩薩等と挙げていますが、具体的にそのような人がいるということではなく、菩薩が大乗の徳を表わし、多くの菩薩名を挙げることによって様々の大乗菩薩の精神を表わしているのです。
 そして、それら諸の菩薩の徳の全体は普賢菩薩に統一されるというのが『大経』の菩薩を確認するときの特徴です。そういうわけで、『大経』の比丘たちは皆、普賢菩薩の徳が成就した者として表わされています。「皆、普賢大士の徳に遵い」という表現がそれです。

 この徳を表わすについては、工夫された表現方法が使われています。本来ならば、教えを聞き終わったところで、この徳が身につくわけですが、それを、聞く前の証信序のところで既に、この会座に列席した者の徳として表わすのです。
 そして、『大経』という経典は、このような人を誕生させる経典なのですよと、『大経』の教えを聞けば、人はこのようになるのですよと、結果を先取りした形で表わしている。おもしろい表現方法です。
 『大経』はどのようなことを説くのか。それは、聞いた人がどのようになるかを見れば分かる。さらに、聞こうとして集まっている人たちに身についている徳を見ればわかる、ということですね。その徳の記述が、「皆、普賢大士の徳に遵い、諸の菩薩の無量の行願を具し…」以下の文章となっているのです。

 さて、では普賢菩薩の徳とはどのようなものでしょうか。普賢菩薩は法界無碍の理をつかさどると言われます。阿弥陀の本願となって現れる法界の道理そのものを指しているわけです。この道理を悟るところに、私たちの救いがあるわけですね。
 では何をもってこの道理を悟ることができるのか。それができるのは智慧なのです。智慧が道理を悟る。

 智慧の最たるものは文殊の智慧です。この文殊の智慧の徳が『観経』化前序の耆闍崛山の聴衆の徳を代表している。比丘衆たちの内面に生まれた大乗菩薩の徳・精神。それを菩薩三万二千と表わし、無量の徳が比丘たちに具わっていることを表わしています。
 その無量の様々な徳は、文殊菩薩の徳におさまる。智慧におさまるのです。それを、「文殊師利法王子を上首とせり」という表現で表わしています。おさまるその一点が一番上位にある。それを、文殊を上首とするという表現で表わしているのです。

 普賢菩薩が法界無碍の道理をつかさどるのに対して、文殊菩薩は法界無碍の智慧をつかさどると言われます。文殊の智慧をもって普賢の法界の道理を悟る。これが両者の関係で大事なポイントです。智慧(文殊)が阿弥陀の世界の道理(普賢)を明らかにするということです。
 その智慧が『観経』の教えで韋提希の上に成就しようとしているものであり、道理の世界である阿弥陀の本願が『大経』の教えで説こうとしているものです。

 この智慧と道理の関係をしっかり確認することが、なぜ善導が『大経』の菩薩の徳の表現をもって『観経』の菩薩の徳とするのかの問題を解く鍵になるでしょう。
この智慧の力で三万二千の菩薩たちは普賢の徳を悟ることができ、各自が内面に普賢の徳を証明し、ここに、普賢の徳が、文殊の智慧を持つ菩薩衆の内なる徳となります。

 さらに、この菩薩衆が比丘衆の内徳となっているわけで、じつに、『大経』の普賢菩薩の徳と精神を知ることができる智慧を内に持っているのが化前序の耆闍崛山の大比丘衆の姿ということになるのです。

 かつては外道であった者が比丘となり、お釈迦様のおそばで生涯教えを聞いてゆく者となった。声聞となったということです。
この声聞はしかし、ただ師のおそばで教えを聞くだけの者、即ち自利のみの者ではない。声聞であることに矜持しつつも、内なる徳においては、普賢の徳をその智慧で悟る文殊の徳に生きる者なのです。じつに、この比丘は、『大経』の阿弥陀の道理を悟ることができる智慧の徳を内に持つ存在なのです。

 外道から菩薩の徳を持つ声聞へ。ここに人間がある。これが化前序と位置づけられた耆闍崛山での一代教の会座が明らかにする人間像です。仏道の人間像と言っていいでしょう。迷いからさとりへ。しかも、迷うことをもって根本とする者の悟った者としてのあり方、即ち声聞へ。
 この人間の真の転回の道理を持って、お釈迦様は王舎城の韋提希のところへ行かれるのです。「韋提希よ。外道の韋提希よ。仏を無視する韋提希よ。どうか如来本願の教えを聞く者となってくれよ。本願をさとる智慧を得てくれよ」と。
 ここに、先に述べた四項目の内の「衆」においてもまた、耆闍崛山の会座が、いかに王舎城での教化に対する「前の序」の位置を持つかがわかるでしょう。こういうわけで、『大経』の阿弥陀の世界を明らかにする智慧が、『観経』で説かれることになるのです。

菩薩の徳
 では、『観経』の耆闍崛山における菩薩の徳として善導が挙げているもの、即ち『大経』で述べられている菩薩の徳を見てみましょう。かなり長い文章です。便宜上、ⓐⓑⓒの記号を付しておきます。

 「又、ⓐ此れ等の菩薩、ⓑ無量の行願を具して一切功徳の法に安住し、十方に遊歩して権方便を行じ、仏法蔵に入りて彼岸を究竟す。無量の世界に於いて化して等覚を成る。
ⓒ光明顕曜して普く十方の無量の仏土を照らす。六種に震動して、縁に随って開示す。即ち法輪を転じ、法鼓を叩き、法剣を執りて、法の雷を震い、法雨を雨らして、法施を演べて、常に法音を以って、諸の世間を覚らしめ、邪網を摑裂し、諸見を消滅す。
 諸の塵労を散じ諸の欲壍を壊り、青白を顕明して、仏法を光融し、正化を宣流して、衆生を愍傷して、未だ曾て慢恣せず。平等の法を得、無量百千三昧を具足し、一念の頃に於いて周遍せずということ無し。
 群生を荷負して之を愛すること子の如く、一切の善本皆彼岸に度し、悉く諸仏の無量功徳を獲て、智慧開朗にして不可思議なり。」(親全51 聖全468 ノート56)

 この文の元になるものは四頁ほどあります。『大経』の衆成就の文はかなり長いですね。善導はその中から右のものを抜粋しているのです。約五分の一の文章を選んで綴っています。その全体については今は略しますが、ご関心のある方は聖典をご覧になってください。(東2~6 西4~7 島1-2~6)

 善導はこれを三つの内容で押えます。ⓐⓑⓒがそれです。はじめのⓐを付した「此れ等の菩薩」、これが七つに分けた三番目の「位を標す」に当たります。
 次のⓑ「無量の行願を具して・・・化して等覚を成る。」
 これが四番目の「果を標す」を表わします。
 続いてⓒ「光明顕曜して普く十方の無量の仏土を照らす。・・・智慧開朗にして不可思議なり。」これが五番目の「徳を標す」の内容となります。

 まず「位を標す」に当たる箇所です。ⓐ「此れ等の菩薩」という表現が、声聞の位ではなく、正しく菩薩の位を表しているということです。
 普賢の徳の表現である『大経』の菩薩。その普賢の徳を内に持つ『観経』の文殊に統括される三万二千の菩薩。この菩薩衆が比丘衆の徳をあらわしているのですが、徳を表現している菩薩と、その菩薩の徳を内に証して生きる比丘とを、はっきり区別するのです。

 なぜはっきりと区別するのか。それは、人が自己自身の真の姿を確保するという意味があるのではないかと思います。どんなに内に大乗の菩薩の徳を証することができて大乗の菩薩として生きることができても、それによって完全に菩薩に成りきるのが人間ではないのだということです。

 人間はどこまでも外道性を根本にしている。即ち、仏智疑惑の存在です。如来を無視しているのです。そのことを忘れて、或いは無いことにして、菩薩になったと浮かれてはいけない。頂き難い菩薩の徳をかたじけなくも頂いた者であり、外道性を根本にしている者である。
 内に大乗の徳を頂き、そしてまた内に自らの外道性を凝視する。その者が師を得て、生涯声聞として聞き続けて歩んでいく。これが仏に出会った人間の姿です。
 内に底のない外道性を照らされ、同時に大乗菩薩の徳を賜り、生涯よき師の弟子として教えを聞き続け、聞法継続一貫のところに自己を規定して生きる者。仏教が生み出す人間開放の姿がここにあると言っていいでしょう。

 外道も声聞も菩薩も、一人の人の上に同時に成立するのですが、しかしだからと言って同じようなものとして三者をうやむやにして境界を崩し、最も勝れた菩薩をもって自己とするというのではない。三者をはっきりと区別し、人間存在の在り方を明確にしていくのです。
 このために今、菩薩の徳を声聞とはっきり区別して、これは声聞の位のことではありません、菩薩の位のことですよと、はっきりと菩薩の「位を標す」と位置づけているのではないかと思います。

 次に「果を標す」。これを表わす文が、ⓑ「無量の行願を具して一切功徳の法に安住し、十方に遊歩して権方便を行じ、仏法蔵に入りて彼岸を究竟す。無量の世界に於いて化して等覚を成る。」です。
 この文も『大経』の通りですが、一箇所だけ違うところがあります。最後の「化して等覚を成る」のところです。『大経』では「現成等覚」〈現じて等覚を成ず〉となっています。しかし善導はこれを引用するのに、「化成等覚」〈化して等覚を成ず〉と変えているのです。

 「等覚」とは仏のことですが、「等覚を成ず」といっても、菩薩たちが得るところの果は仏そのものになるのではない。身は菩薩のままで、仏の徳を頂いた者となる。それを「現じて」ではなく「化して」と表現したのです。仏そのものではなく、仏の徳を内に成就する者となる、という意味合いでしょう。
 菩薩と仏をはっきり分けている。『大経』の菩薩を押える時、善導はこのように確認したのです。従って、これに続くⓒの文は、そのような意味で、仏の徳を悟った菩薩という位置づけで解釈していくのです。

 このⓑの文を善導は「果を標す」文だと押さえます。菩薩は因位の者の名です。未だ歩みの途上にある。しかし、その菩薩の上に、至った先の果の徳が成就している。果の徳は仏になるということです。常識的に考えれば不思議なことですが、これが仏教の歩みにおける姿なのです。ここに、凡夫が仏になるという、仏教の真骨頂があると言ってもいいでしょう。

 人はどこまでも不完全な者。その不完全な者の上に、完全さが成就する。だからと言って、俺は完全になった、とは言わない。どこまでも不完全な者ですと頭を下げる。それができるところが完全さなのです。
 完全さは、不完全な者がそれを戴くところに成就する。決して奪い取らない。奪い取って俺を見よとは言わない。私は不完全な者ですと自らに覚め、頭を下げる。そこに始めて完全さを戴くことができる。戴いた完全さは、私の中にあって、私の不完全さを照らし続けるのです。これが仏教ですね。

 ⓑの文を見てみましょう。全体が因と果で構成されています。菩薩の因行が優れていることを顕わすのが「因」です。その因行によって仏の徳を成就するのが「果」です。

 因を表す文は、前半の「無量の行願を具して一切功徳の法を安住し、十方に遊歩して権方便を行ず」です。菩薩たちには無量の行と願が具わっている。行は人々にはたらきかける利他行、願はいわゆる普賢菩薩の十大願です。普賢菩薩の無量の願がこの十願に収まっていると言われます。
 どのようなものか、簡単に見てみましょう。

 ① 常にすべての仏を敬う(礼敬諸仏)
 ② 常にすべての如来の徳を讃える(称讃如来)
 ③ 常にすべての仏に仕え最上の供養をする(広修供養)
 ④ 常に無始以来の悪業を懺悔し浄戒を保つ(懺悔業障)
 ⑤ 常に仏菩薩のあらゆる功徳を随喜する(随喜功徳)
 ⑥ 常にすべての仏に説法を要請する(請転法輪)
 ⑦ 涅槃に入る仏菩薩にとどまることを請う(請仏住世)
 ⑧ 常に仏に随い教化の相を学び取る(常随仏学)
 ⑨ 衆生に応じて種々に仕え供養して恵む(恒順衆生)
 ⑩ 功徳を一切衆生に差し向け仏果を願う(普皆回向)
 菩薩たちはこの行願を身に満足しているというのです。

 次の「一切功徳の法に安住し」。安住とは不退転の意味です。無量の行願、即ち一切の功徳の法が具わっているので不退の者となることができる。この者が「十方に遊歩して権方便を行ず」。これは衆生を教化する姿ですね。無量の功徳を身に具え、十方の様々な人々のところへ行って様々な姿を表わし、教化していく。

 「遊」は自在に行動し移動するという意味ですが、その自在さはどこから来るのか。そもそも「遊」は人間的なものを超える状態を指す語でした。神遊びが原義だとされます。「あそばす」という敬語もそこから来るわけですね。神とともにある状態です。それが最も楽しいことですから、楽しむことを遊ぶというのです。

 今菩薩は無量の行願を具えて、あらゆる人々にはたらきかける。それは如来と共にある行為であり、これほどに充実し深く楽しいことはない。様々な衆生の世界を遊歩するのです。そして「権方便を行ず」。衆生の一人ひとりに合わせて、一人ひとりのための教えを説くのです。
 「応病与薬」という言葉があります。相手の病に応じて薬を与える。その人はどのような者であるかをよく知り、それに合った教えを説く。智慧と慈悲に満たされて、それゆえに方便がなされるのです。

 ここまでで、無量の行願を因とし、果として衆生にはたらきかけるという、菩薩の因と果の全体の姿が表わされています。問題はこの次なのです。
 この無量の行願ゆえに衆生にはたらきかけることができる徳を内に持った菩薩は、それ故にさらに何を自身のところにもたらすことができるのか。この徳全体を大きな因と見た時、この因の徳は仏の位に至る力を持っている。従って、単に菩薩としてのみあるのではなく、菩薩であるところに菩薩を超えた仏の徳が現われるのです。
 菩薩が菩薩にとどまらない。内に仏の徳が成就している菩薩となる。このようにならしめる教えが『大経』で説く阿弥陀の本願の教えなのです。

 このことを表すのが、後半の「仏法蔵に入りて彼岸を究竟す。無量の世界に於いて化して等覚を成る」の文なのです。仏の一切の法、即ち八万四千の法に通達し、菩薩の智慧をもって真如の真理を究め尽くし、あらゆる世界において成仏の姿を現わすのだと。

 八万四千の法と言えばとてつもなく多いものを連想しがちですが、これらの教えは、如来本願の真実一つに導くための教えなのです。無数の人がおり無数の煩悩があれば、それに対応して無数の教えがあって人を真実に導くことができる。従って、仏の一切の法に通達するということは、あらゆる者を救う如来本願が成就した身になるということです。

 そして本願を戴いて歩む者は、必ず滅度涅槃に至らしめられる。広大無辺の真実涅槃の世界に繋がる道を今歩むことができる。まさしく仏の領域を歩むことができるのです。
 同時に、様々な場所へ行き、人々の上に至って、その人々に於いて「化して等覚を成る」。その人その人の内面に至って等覚という仏のさとりを現わす。その人をして仏の目覚めを与えるのです。

 人がその人生において等覚を成ずる姿を「八相成道」で表わします。簡単に見てみましょう。

 ① 降兜率=兜率天から地上に降りる。
 ② 托胎=母親の胎内に宿る。
 ③ 誕生=誕生する。
 ④ 出家=修行のため家を脱出する。
 ⑤ 降魔=修行を妨げる悪魔を打破する。
 ⑥ 成道=さとりを開き仏陀となる。
 ⑦ 転法輪=説法をする。
 ⑧ 入滅=涅槃に入る。

 このような生涯の歩みを送られたのがお釈迦様です。しかし、この歩みはお釈迦様だけにとどまらず、あらゆる人が遂に仏となっていく人間本来の歩みの姿を表しているのです。今菩薩は、無量の世界に至って、あらゆる人の内面において徳となって成立し、遂に人々を仏たらしめようと願いはたらくのです。

 『大経』の菩薩は、菩薩という人格的表現で、『大経』が説く阿弥陀の本願の教えを聞いた者の内面に成立する大乗菩薩の徳・精神を表しています。沢山の菩薩がいる。即ち大乗の徳・精神には沢山のものがある。それらの全てが普賢菩薩で統括されるのです。

 普賢菩薩とは、真如は大悲を起こし遂に本願となって衆生にはたらくという原理のことです。真如が自らを展開するその根本原理は、大悲という慈悲を根底にして展開するのだという、その原理を指しています。その原理そのものが大いなる徳なのです。これを普賢菩薩の徳として表わすのです。

 この普賢菩薩の徳にあらゆる菩薩が(したが)う。即ちあらゆる菩薩は如来本願の教えを受け、自らの上に無量の行願を具して一切の法に立ち、あらゆる人々にはたらきかける。
 この菩薩としての因の姿のところに同時に果の事実があるのだと。即ち仏の教えを通達してあらゆる人々にはたらきかけて仏としていくという仏の歩みが展開されているのだということです。因の菩薩の上に、果の仏の事実がある。これが善導が七つに分けた三番目の「果を標す」ということなのです。

 因が成就するところに既に果が成就している。外道であった者が因縁恵まれて仏に出遇い、教えを生涯かけて聞く声聞となった。その内面には、深く菩薩の精神・徳が息づいている。
 その菩薩は阿弥陀の本願を聞いたがゆえに、歩んでいく因の菩薩であると同時に、果の仏の徳を内に開いた菩薩である。仏の徳を内に証した菩薩。その菩薩の精神・徳をさらに内に証した声聞。二重に内に証しているわけです。

 その声聞は、決して自らを菩薩と名乗らない。ましてや仏とは言わない。自分は生涯のどこまでもよき人につき教えを戴いて歩みぬく声聞であるのだと決している。なぜなのか。
 それは彼はかつて外道であったからです。かつてだけではない。今もまた外道性を根本に持ち、それは生涯変わらない。これが彼の根本の事実なのです。この事実を彼は見失わない。教えを戴き、外道の私であります南無阿弥陀仏と懺悔する。
 その懺悔こそが人間の展開軸であり、懺悔のところに大乗の菩薩の精神が漲る。如来の真実のお心に直面し、これを戴いて有り難うございますとひれ伏し、しっかり頑張ろうと、さながら大乗の菩薩の歩みを展開していく。ここに、仏法の世界に出遇った煩悩成就の凡夫の正しい生き方があるのではないでしょうか。

八相成道の徳
 さて、善導が確認する四番目の「徳を標す」の内容がその次に展開されます。これもまた『大経』の文の抜粋です。

 ⓒ「光明顕曜して普く十方の無量の仏土を照らす。六種に震動して、縁に随って開示す。即ち法輪を転じ、法鼓を叩き、法剣を執りて、法の雷を震い、法雨を雨らして、法施を()べて、常に法音を以って、諸の世間を覚らしめ、邪網を摑裂(かくれつ)し、諸見を消滅す。
 諸の塵労を散じ諸の欲壍(よくぜん)(やぶ)り、青白を顕明して、仏法を光融し、正化を宣流して、衆生を愍傷して、未だ曾て慢恣せず。平等の法を得、無量百千三昧を具足し、一念の頃に於いて周遍せずということ無し。
 群生を荷負して之を愛すること子の如く、一切の善本皆彼岸に度し、悉く諸仏の無量功徳を獲て、智慧開朗にして不可思議なり。」

 全体として「徳を標す」と位置づけられるように、教化の徳、即ち菩薩が八相を現じて成仏をし、衆生を教化する姿を示しています。はじめに「八相成道」の教えの初めの部分が述べられます。
 「光明顕曜して普く十方の無量の仏土を照らす。六種に震動して、縁に随って開示す」。誕生した菩薩が、これから歩んでいくその因位において、「光明顕曜」という仏の相を既に表わすのです。そしてそれを阻もうとする魔を、大地を六種に震動させて恐れさせ、歩みの障りを除こうとします。
 そして魔を伏して成道し、「縁に随って開示す」衆生の機縁に随い、愚痴の闇を照らして智慧を開かせる。それが転法輪の歩みです。
 「即ち法輪を転じ、法鼓を叩き、法剣を執りて、法の雷を震い、法雨を雨らして、法施を演べて、常に法音を以って、諸の世間を覚らしめ」。

 法輪を転ずるという表現は、転輪聖王のお話がもとになっているようです。転輪聖王は世界を統括する王の中の王。彼には七種の重宝がある。その第一が輪宝です。
金でできたこの輪は千の輻を持ち、直径が一丈四尺。岩をも石をも砕き、一切を威伏し、四方の諸王たちは珍宝を持って帰順したと言われます。この輪宝に仏法を譬えたのです。仏の説法は衆生の煩悩を打ち砕く。それゆえに法輪なのだと。

 この転法輪の歩みが菩薩の生涯の歩みとなります。その有様が次に述べられます。「法鼓を叩き」先ず遠くから仏法ましますことを衆生に聞かせるのです。「法剣を執り」衆生の煩悩を断ち切るために剣を抜きます。「法の雷を震い」遠くで太鼓のようになっていた仏法が、今頭の上で雷のように落ちる。

 このことは私の先生がよく言われていたことです。仏法ははじめは遠くの雷のようなもので、自分とは関係のないように思われる。しかし、それがだんだんと近づいてきて、遂に頭の上に落ちるんじゃと。先生はここのところで言われていたのでしょうかね。

 「法雨を雨らし」その雷とともに大雨が降り始め、その雨を吸って菩提心の芽が伸びていくのです。雷に驚いて菩提心の種の殻が破れるのでしょうか。仏法の雷を受けて、菩提心の芽が殻を内から突き破るのでしょうか。「法施を演べ」これは沢山の教えを説くということです。
 このようにして「常に法音を以って、諸の世間を覚らしめ」。様々な教えを説いて衆生の無明の闇を開き覚らしめるのです。そのはたらきが常になされる。この「常」であることが菩薩の在り方をよく示しているでしょう。彼の上には仏の徳が顕われている。常に十方衆生よと呼びかける仏の徳に生かされているのがこの菩薩です。

 以下、転法輪のはたらきが示されます。「邪網を摑裂し、諸見を消滅す」。網は外道の邪見をたとえています。仏法によって外道の邪見を引き裂き破り、諸の自己中心的な考え方を断ち滅ぼす。「諸の塵労を散じ」塵労は衆生の心を汚す五欲の境界。そこで教えが説かれ、塵労は散っていく。
 外の塵労は散らされ、「諸の欲壍を(やぶ)り」内の愛着心もまた打ち破られる。壍は塹壕というように、坑道です。城のまわりに深く掘られた壕。このように愛着の心が自己自身を取り囲んでいる。教えによってこの壕を打ち破り、水を乾かさせるのです。

 「青白を顕明して、仏法を光融し、正化を宣流して」このように仏法を顕わして広く弘通し、仏の教えを遠く流して断つことのないようにする。「衆生を愍傷して、未だ曾て慢恣せず」衆生を哀れんで、法を正しく説く。説く際に、自ら高ぶることをしない。
 「平等の法を得」如来本願のもとでは一切の者は平等に救われます。その道理を深くさとる。これをさとる深い三昧に入って「無量百千三昧を具足し」、この三昧から差別の衆生の世界に向けはたらきを起こす。「一念の頃に於いて周遍せずということ無し」一念に、即ち一時に、即ち差をつけず平等に衆生にはたらきかける。

 「群生を荷負して之を愛すること子の如く」この文はもとは「群生を荷負して之を重擔と為す」とあり、また類似したものとして「諸の衆生において、視ること自己の如くす」という表現もあります。これを善導は「群生を愛すること子の如く」と言った。重擔とは重いものを背に負うことです。背に負うた者はそのことを忘れない。

 「一切の善本皆彼岸に度し」因の行願を深く具え、それによって涅槃の岸に至ることができる。「悉く諸仏の無量功徳を獲て、智慧開朗にして不可思議なり」仏の無量の功徳を得た菩薩の智慧のはたらきは、何人も推し量ることのできない不可思議のものである。
 概略はこのようなことでしょう。菩薩の衆生教化の徳の姿が述べられています。これで、菩薩の徳についての善導の長い解説文は終わりです。

外道・声聞・文殊菩薩・普賢菩薩・仏果
 さて、「化前序」の「衆」の描き方は、『大経』との関係もあって、幾重にも重なる構成を持って描かれます。ここで少し整理をしてみます。幾重にもなる同心円をイメージして考えるとわかり易いでしょう。



 まず、『観経』の「化前序」として、耆闍崛山に千二百五十人の声聞がいる。彼らはかつては外道であった。即ち仏智疑惑の者である。その者が師について教えを聞く者となった。
彼らの内にはじつは大乗の菩薩の膨大な徳・菩薩精神が具わっている。それを菩薩が三万二千人いると表現しているのです。それらの徳は一言で言えば文殊菩薩で象徴される「智慧」です。

 その智慧をもって何をさとるのか。『大経』の菩薩の徳を知るのです。『大経』の菩薩の徳とは、阿弥陀の本願を聞くことによって得ることのできる徳です。これを又沢山の菩薩で表わしている。この無数の菩薩、即ち無数の徳を統括するものは普賢菩薩で象徴される「慈悲」です。

 真如が起こす慈悲。阿弥陀の本願念仏となって展開する慈悲の心です。この本願念仏を戴くところに、生き方はどこまでも因位の姿であっても、そこに同時に果の仏の徳が現われる。人間の最終目標の仏になることが、ここで、内なる仏の徳の成就で言われているのです。
 仏にまで射程距離を持った普賢の徳を文殊の智慧がさとる。その智慧を内に持ったのが声聞・比丘衆なのです。

 外道から出発し、ついに内面深く、仏を証すことができる菩薩の徳を持った比丘・声聞へと人間の歩みは展開する。この歩みが耆闍崛山での釈迦一代教において明らかにされたのです。この歩みの道理を持ってお釈迦様は、王宮で愁憂憔悴する韋提希のところへ行かれるのです。

 その時のお釈迦様の心の中にある思いは次のようなものではないでしょうか。
 「韋提希よ、外道の韋提希よ。われを罵る韋提希よ。どうか阿弥陀の本願の教えを聞いて欲しい。それによって、お前の中には菩薩の智慧が生まれるであろう。その智慧は大悲心によって展開し本願念仏となる真如の道理を明らかに受けとめることができ、仏の広大な世界を生きる者となるであろう。」

 この思いを内に持ち続けて、お釈迦様は韋提希に説き始め、説き続けられたのではないでしょうか。そうだとすれば、耆闍崛山の一代教で明らかにされたこのことは、王舎城での『観経』の説法に対して、正しく「化の前序」と位置づけるのにふさわしいものだと言えるでしょう。如来本願によって人は必ず仏になることができる。この道理を持ってお釈迦様は王宮に赴かれたのです。

 このことは同時に、耆闍崛山での一代教、即ち仏教の教えとはそもそも何を説くものであるかを明らかにしていることになります。
 それは阿弥陀の本願を説くのが仏教であるということです。ただ、外道の私たちに対して、直ちに本願を説いても通用しないでしょう。そこにはお釈迦様の深いお心から顕われる善巧方便の教えが必要とされます。
 お釈迦様は先の『大経』の文のように、文字通り「権方便を行じ」られた。自己をよしとする自力に立った聖道門的な発想。この思いを深く持つ私たちのために、これに照準を合わせて様々に教えを説かれたのです。それが方便の教えです。

 たとえば『法華経』は、「諸仏の智見を開示悟入せよ」と説きます。仏が自らの智慧の世界を私たちに開いてくださる。それは願わしいことですが、その開かれた世界を誰がどうやって知ることができるのか。人間世界のことであるならば、誰でも分かるでしょう。しかし仏の世界がたとえ開かれても、何者もそれを正しく見ることはできない。
ところが、自己をよしとし、能力があると思っている私たちには、それができるように思えるのです。そして仏に向かってできるということを表明する。それを仏はお聞きになって、私たちがどのような存在であるかを明らかになさり、直ちに真実そのものではなく真実に間違いなく至らしめる方便の教えを説かれるのです。

 それが「悟入せよ」の教えです。自ら悟れると思っている者よ、自ら悟っていけよと。その歩みを強く促し、歩んでみて始めて悟ることができないという自覚を持つ時を仏は待たれるのです。
 従って、この方便の教えに忠実に従って悟ろうとする歩みをしなければ、この教えは功を奏しないことになる。だからこそ、仏の前で、仏の教えとしてこの教えを忠実に真正面から受けとめて歩めよと、善導は言うのです。これは後に、この方便の教えを解明する三心の教えのところで出てくる教えです。

化前序のまとめ
 化前序についての善導の領解を見てまいりました。改めて、「一時、仏・・・」以下の内容を王宮での教化の前の序と押さえた善導の着眼に驚かされます。大変な教えだと思います。
 善導はこの箇所を「化前序」と押えることによって、そもそも仏の説いた教えとは何なのかということを顕わそうとしたのではないかと思われます。王舎城での教えとの対比という方法をもって、耆闍崛山での一代教の正体を見極めたのです。そして、両者は同一のものであることを顕わし、『観経』の復権を図ろうとしたのではないでしょうか。

 『観経』は、凡夫が念仏によって救われることを説きます。しかし、聖道の諸師にすれば、そのようなことは受け入れられない。従って、『観経』の念仏を、聖者ではない愚かな凡夫のための教えだと位置づけるのです。
 そうすると、耆闍崛山の教えは聖者のための教え、王舎城の教えは凡夫という特殊な者のための教えとなってしまう。矮小化されてしまうわけです。人間に聖者と凡夫の区別はなく、すべての者が凡夫である。この人間観が表に現われないままで終ってしまうのです。
 善導は、そうではないのだと言います。『観経』の教えこそが仏教の教えなのだと。一代教と『観経』の教えは同じなのだということを、一代教の会座を「王宮での化」の「前序」と位置づけることによって明らかにするのです。両会座は別の教えが説かれる会座ではなく、密接な関わりがあるのだと。。

 善導が明らかにすることは、一代仏教は阿弥陀の本願を説くものであり、王宮での『観経』もまた阿弥陀の本願を説くものであるということです。そして、そもそも仏教というのは、阿弥陀の本願を説くものであることを明らかにしたのです。この一点に尽きるのでしょう。
 このことを善導は四つのポイントで、それぞれ明かします。「時」と「仏」と「処」と「衆」です。このことをこれまで四回にわたって見てきました。最後に、簡単にまとめをしてみたいと思います。

 まず「時」の問題です。王宮で悲劇が起こった時には、お釈迦様は別のところ、即ち耆闍崛山で比丘衆を相手に教えを説かれていた。王宮に行って教えを説かれるのはその後のことで、同時に両方に居ることはできない。従って、時ということで言えば、両者の教えは違うのではないか、という問題でしょう。
 これに対して善導は、「時」は同じ時であると言います。王舎城で事件が起きる時を経典は「(その)時」と表わしている。「その時」とはどの時か。それは「化前序」の「一時」という時を指しているのだと。王宮の事件と耆闍崛山の会座は同じ時に起こっているのだということです。

 王宮の事件のことは、耆闍崛山で開かれている会座に集まったすべての者の中で、お釈迦様だけがご存知であったのです。それが仏であるということですね。そして、じつはその悲劇が起こるのを待っておられたのであると。そこには押えるべき二つの点があります。
 一つは、およそ人を救う仏法とは、悲劇的存在である人間を救うものである。その法を耆闍崛山で比丘たちに説かれていたということ。
 もう一つは、その教えをまさに受けとめるべき凡夫に説く際は、凡夫の側からの何らかの要請を待って説かれなくてはならないということ。その要請が王舎城での具体的な悲劇的事件であったのです。
 この悲劇の中で凡夫韋提希は愁憂憔悴し、もはや生きる道を失った。そしてお釈迦様に、動機は不純ではあっても救いを求めたのです。「洪鐘響くと雖も、必ず扣くを待ちてまさに鳴る」韋提希は初めて無限大の大きさを持つ仏法の鐘を叩いたのです。

 王宮のことを知って、即ちそのような悲劇的事件となって顕われる悲劇性という人間の根本の姿を知って、この人間を救う教えをお釈迦様は耆闍崛山で説いておられた。このことを善導は、「下を以って上を形わす」と絶妙な表現で明らかにしました。
 耆闍崛山の教えが持っている内容(形)は、何をもとにして、そのような内容となったのか。それは、王宮の事件、更にはその事件を起こす人間存在の悲劇性、これら人間の真の姿を「型」として、そこから耆闍崛山の教えの形が生まれたのであると。これが耆闍崛山で説かれた釈迦一代教の教えの正体なのだというわけです。

 お釈迦様は、事件が勃発したという絶好のチャンスを待って、この教えを持って王宮の韋提希のところへ行かれる。そこで説かれる教えは、耆闍崛山で明らかにし、説いておられた教えなのです。「上を以って下を形わす」上の耆闍崛山の教えをもとの「型」にし、それを圧縮編集工夫して、王宮での教えという形をあらわして説いた。これが『観経』の教えだということです。

 ここで、そもそもお釈迦様がご一代をかけて説いた仏教とはどのようなものかが明らかにされていると言えるでしょう。それは、悲劇的存在である人間を救う教えであるということです。悲劇的とは何を指すのか。如来真実の心を踏みにじる仏智疑惑の我々の心です。
 真実を知らず、真実に頭を下げず、真実を求めて生きようとしない存在。正しく悲劇的な存在である。この者を救おうとする教えこそが仏教である。こういうことが明らかにされていると言えるでしょう。

 次に「仏」の問題です。善導は仏を「化主」と押さえ、「独り釈迦を顕わす」と言われます。この仏智疑惑の悲劇的存在を真に救う者は誰か。真に救いへと「教化」できる者は誰か。それは、阿弥陀の本願を説くことを出世本懐としているお釈迦様お一人であると。
 そのお釈迦様は、どこを切っても本願を説きたいという願いに満ちており、どこで誰に説いても本願を説かれる。それは耆闍崛山であっても、世間のど真ん中の王宮であっても何一つ変わらない。そのお釈迦様が、ここで言われている「仏」なのですよと言われているのでしょう。

 三番目は「処」の問題です。善導は、耆闍崛山はお釈迦様にとっては「依止住」であり、王宮は「境界住」であると押えます。「依止住」はいわば本拠地です。そこで、説くべき教えを明らかにし、その全体を作り上げていく。
 しかし、実際に説くのは「依止住」に於いてだけではありません。説くべき場所があれば、そこへ出向いていく。そして、その場をもわが教化の領域だとしていく。
 それを「境界住」と言うのです。王宮もわが境界であるのだと。境涯と言っていいかもしれません。王宮即ち世間を自らの生きる場とするのがお釈迦様なのです。
 従って、王宮は耆闍崛山とは別の場所であるから、別の教えが説かれなければならないということではない。王宮も、阿弥陀の本願を説く仏陀としての必然の活動の場であり、ここを除くと仏陀ではなくなるのだということでしょう。

 そして最後の四番目が今申してきました「衆」の問題です。これは直接教えを聞く「人」を顕わしますから、かなり大きな問題として取り上げられています。
 耆闍崛山の一代教の会座に集まる衆は「大比丘衆千二百五十人」である。大比丘衆たちはかつては外道の者たちだったのです。これが仏智疑惑の者ということでしょう。外道ということで人間の悲劇性を顕わしているのではないかと思います。
 その外道が因縁恵まれてお釈迦様を師とし、生涯そのそばで教えを聞く者となった。お釈迦様もそばから彼らを放さない。「仏身、衆を兼ねたり」と言います。

 比丘衆は声聞をあらわしますが、大乗の立場から批判されるような、自分の救いしか考えない歩みをする者かと言えば、じつはそうではないのです。声聞である比丘衆の内面には「菩薩三万二千あり」と言われるように、大いなる菩薩の精神が漲っている。その菩薩の徳は多面にわたるけれども、一口で言えば智慧のはたらきである。これを「文殊師利法王子を上首とせり」と言うのです。

 この智慧のはたらきで比丘たちは何を知るのかと言えば、『大経』が説く菩薩の徳を知るのであると。『大経』の菩薩とは、『大経』で説く阿弥陀の本願の教えを聞いた者の上に成就する大乗菩薩の精神を象徴しています。この菩薩たちも多数にわたりますが、一口で言えば「普賢菩薩」で集約される。「皆普賢大士の徳に遵い」と言われます。

 普賢の徳とは慈悲の徳です。慈悲の徳とは、根源の真如の世界が私たちを救おうと大悲の心を起こして一貫し、四十八願の阿弥陀となり南無阿弥陀仏となった。その大悲心によって展開される真如の根本原理の世界を普賢菩薩で表わすのです。
 比丘衆は内なる文殊の智慧の力によって、この『大経』の普賢の慈悲の世界を知ることができるのです。即ち、南無阿弥陀仏を知ることができる。この深い内面性が、耆闍崛山に集まっている比丘衆の正体なのです。
 
 以上、「化前序」の内容を見てきました。今言えることは、善導の言われるように、耆闍崛山の一代教は、王宮での悲劇の中の凡夫に対して説かれる教えの、まさしく「教化」の前の序の位置を占めているということです。お釈迦様がご生涯を挙げて明らかにされた教えは、王宮のこの凡夫を救うためのものであったのだと。その教えをご生涯耆闍崛山で説いてこられたのであると。

 教えは一つなのです。相手に比丘と凡夫の違いはあっても、場所に耆闍崛山と王宮の違いはあっても、教えは一つなのです。悲劇的存在である人間を救う教え、即ち真実一如が具体化した阿弥陀の本願の教え。教えはこれだけなのです。お釈迦様は耆闍崛山の一代教の教えをもって、王宮で愁憂する韋提希に説かれたのです。一代教を『観経』として説かれたのです。

 もし『観経』を誤解する者があるならば、どうかこのことを知ってほしいと。『観経』の誤解は、『観経』だけの誤解ではなく、仏教そのものを誤解していることなのだと。このような明快で強烈なメッセージを、善導は「化前序」の領解において発しているように思います。
 これで、四回にわたって見てきました「化前序」の箇所を終わりたいと思います。

 

(二)禁父縁

禁父縁の概略

 発起序の中、以上で化前序を終わりまして、次に、六縁のところに入ります。化前序も大きな山でしたが、六縁もじつに大きな山。ここで大きく深呼吸をして、さて、これからどのくらいかかるでしょうか、二年か三年でしょうか、六縁の教えの山を踏破していきたいと思います。お互い覚悟はいいか、というところですね。

 六縁というのは、
 ① 禁父縁(阿闍世が父を牢に禁ずる)
 ② 禁母縁(助けようとした母をも牢に禁ずる)
 ③ 厭苦縁(牢にあって韋提希は愁憂し助けを求める)
 ④ 欣浄縁(お釈迦様によって阿弥陀の世界を選び取る)
 ⑤ 散善顕行縁(凡夫である自己に覚め始める)
 ⑥ 定善示観縁(仏力によって浄土へ往けることを知る)
この六つの内容です。

 六縁はかなりの内容があります。まだまだ序分なのですが、教えの宝庫と言えるかもしれません。初めに、ごく簡単に文章の量を見てみましょう。一瞥した第一印象というところですね。
 『観経』の文そのものは六つともだいたい同じ分量ですが、これを善導大師が解釈する『観経疏』では、分量の違いが出てきます。さらに、解釈の一例として広瀬先生の本を見てみますと、これにも分量に違いが見えます。

 『観経疏』には禁父縁の箇所が十六頁あります。他は六~十頁なので、ここだけが突出しています。突出の理由は何か。阿闍世の出生の秘密と提婆の奸計です。これが悲劇を生み出していくのです。そのことが詳しく説かれます。善導大師はそこに非常に力を入れたようです。
 人間存在とは何なのか。なぜ提婆に騙され父親を殺すのか。なぜ提婆は大変な思いをして阿闍世を騙し自分の野望を遂げようとするのか。それらの悲劇的なことはどこで真の結論を得るのか。こういう問題が出されているのです。結局最後は、それらが仏法の縁になるということなのです。大掛かりな構造がここにはあります。そういうわけで禁父縁のところは長い。

 もう一つやや長いのは散善顕行縁です。韋提希は浄土までの道のりを、歩み方はお釈迦様から聞き、歩み自体は自分の力で推し進めようとする。しかし、その力は人間にはない。思いだけがある。
 ここに自己自身に目覚めていない韋提希がいます。その韋提希を凡夫であると目覚めさせる三福の教えが説かれる。目覚めという序分の基本テーマに関わるところで少し長いのです。

 一方、広瀬杲先生の『観経四帖疏講義』では、どのくらいの分量で解説されているでしょうか。宗教的・思想的に大事なところはしっかりと押さえられていますから、頁数が増えるわけです。
 それによれば、厭苦縁が二百三十頁で突出しています。他は百頁前後です。ここは愁憂した韋提希がお釈迦様に助けを請い、これに応えてお釈迦様が王宮に来られるところです。両者の出遇いの場面なのです。
 出遇いのところに何が起こるか。飛ぶ火花は何か。凡夫が仏と出会ったところに、また仏が凡夫と出会ったところに、同じ場面ですが、それぞれの側において、それぞれの正体が顕われるのです。
 欣浄縁も百三十頁でやや長いところです。光台現国の教えが説かれ、韋提希が阿弥陀の世界を選び取る。ここも大事な場面です。

 それでは六縁の第一、禁父縁(きんぷえん)から少しずつ見て参りましょう。経文は次の通りです。
 「爾時(そのとき)王舎大城に(ひと)りの太子あり。阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し、父の王頻婆娑羅(びんばしゃら)を収執し幽閉して七重の室の内に置き、諸の群臣を制して、一りも往くことを得ざらしむ。
 国の大夫人を韋提希(いだいけ)と名づく。大王を供敬し、澡浴清淨にして、酥蜜(そみつ)()って(しょう)に和し、用いて其の身に塗り、諸の瓔珞(ようらく)の中に蒲桃(ぶどう)漿(しょう)()れ、密かに以って王に(たてまつ)る。
 爾時(そのとき)大王、麨を食し漿を飲み、水を求め口を(そそ)ぐ。口を漱ぎ畢已(おわ)りて合掌恭敬し、耆闍崛山に向かい、遥かに世尊を礼してこの言を()さく。「大目犍連(だいもくけんれん)はこれ吾が親友なり。願わくは慈悲を興して我に八戒を授けたまえ」と。
 時に目犍連、鷹隼(おうじゅん)の飛ぶが如く疾く王の(みもと)に至る。日日是の如くして、王に八戒を授く。
 世尊、亦尊者富楼那(ふるな)を遣わし、王の為に説法せしむ。かくのごとき時の間三七日を経たり。王、麨蜜を食し聞法を得るが故に、顔色和悦せり。」 (東89 西87 島2-1)

 これが禁父縁です。文章そのものはそれほど難しくはないと思います。「爾時王舎大城に一りの太子あり」。この「爾時(そのとき)」が「化前序」との関係で問題だったわけです。「化前序」での「一時」は、仏が王舎城耆闍崛山の中に在して一代教を説かれた時です。その同じ時にというのが、ここの「爾時」なのですね。耆闍崛山で一代教が説かれているのと同じ時に、王舎城で次のような事件が起こりましたと。大事な一点です。
 「王舎大城に一りの太子あり。阿闍世と名づく」と。この阿闍世が「調達悪友の教えに随順し」、調達(Devadatta)は提婆のことですね。提婆の教えに従って、「父の王、頻婆娑羅を収執し、幽閉して七重の室の内に置」いたと。そして「諸の群臣を制して、一りも往くことを得ざらしむ」。
 阿闍世王子は提婆の言葉に唆され、これに従って、父親である頻婆娑羅王を牢に閉じ込め、厳重な警戒をしたということです。事件の発端ですね。

 阿闍世が生まれてくる因縁があります。出生の秘密です。。それを提婆が阿闍世に暴露して、「あなたの父親はあなたを殺そうとしたのですぞ。その仕返しをするべきではありませんか」と言うわけです。この話に阿闍世は乗ってしまい、父親を牢に閉じ込め、「七重の室」という非常に厳重な番をして、「諸の群臣を制し」た。
 群臣が特に挙げられるのは、頻婆娑羅王は名君で非常に尊敬されており、慕う家臣がたくさんいたわけです。王のために命を投げ出してでも救おうという家臣がいるわけで、力も強いですから、特に群臣を制した。こうして父を禁じたのです。

 国の大夫人である奥様の韋提希が、「大王を供敬し、澡浴清淨にして、酥蜜をもって麨に和し、用いてその身に塗り」と。韋提希は主人の大王を何とか助けようとします。しかし、厳重な警戒が敷かれているので、牢には入れなかったのではないか。おもしろいところですね。
 阿闍世が直接命令を下したのは「群臣を制して」であり、この中には韋提希は含まれていないわけです。これは屁理屈のようなものですが、この屁理屈もまた大事なのです。これは次の禁母縁で出る問題の一つです。
 阿闍世は王に食べ物を与えず餓死させようとしていたのです。そこで韋提希は密かに食べ物を運んでいきます。そこには工夫があります。まず体をきれいに洗い、小麦粉に蜜を入れて混ぜたものを体の上に塗ります。一方、瓔珞の中には蒲桃(葡萄)の汁を入れ、「密かに以って王にたてまつる」ことを毎日のようにやっていたのです。

 大王は、小麦粉の練ったものを食べ、葡萄のジュースを飲んで、「口を漱ぎ已りて、合掌恭敬し、耆闍崛山に向かい、遥かに世尊を礼して」と。牢の壁の少し高いところに窓があり、そこから遥か向こうに耆闍崛山が見えたと言われます。頻婆娑羅はお釈迦様の教えを聞いている者です。お釈迦様まします耆闍崛山に向って合掌恭敬の毎日を送ったのです。
 身体は食べ物をもらい、心はお釈迦様のことを憶い、餓死するどころか、心身ともに健康であったわけです。やがてこのことが発覚した時、阿闍世は大変な怒りを覚えることになります。それも次の禁母縁での展開です。

 頻婆娑羅王はお釈迦様にお願いをします。「大目犍連は、これ吾が親友なり。願わくは慈悲を興して我に八戒を授けたまえ」目連を呼んで私に戒律を授けてくださいと。閉じ込められている状況を戒律を守って乗り越えていこうとしたのですね。「時に目犍連、鷹隼の飛ぶがごとく疾く王の所にいたる」と。お釈迦様の命により、目連は直ちにやって来ます。「日日是の如くして、王に八戒を授く」と。毎日戒律を授かったわけです。

 目連を遣わしたお釈迦様にはもう一つのお考えがありました。「世尊、また尊者富楼那を遣わし、王のために説法せしむ」と。説法第一の富楼那を遣わして王に向けて説法をさせたのです。
 戒律は、これを受けて自分で自分を律する。しかし、お釈迦様は、この状況を本当に超えるには聞法が不可欠であることを思われたのです。王が請わないのに、もう一人の仏弟子富楼那を遣わしたのです。

 「是の如き時の間、三七日を経たり」このようにして三週間経ちました。三週間というのは、もし何も食べず飲まなければ死んでしまうという期間です。しかし実際はどうだったか。「王、麨蜜を食し、聞法を得るが故に、顔色和悦せり」小麦粉を食べジュースを飲んで聞法をする。最高の生活ですね。これによって顔色和悦という状態だったのです。

 ここまでが禁父縁で、続く禁母縁は、頻婆娑羅がそういう状態であるということが阿闍世にわかり、食べ物を差し入れた韋提希を捕まえ、髪をもって引きまわし、刀を抜いて殺そうとします。しかし家臣に諫められ、結局牢に閉じ込めてしまうことになります。これが一応経典のごく概略なのですが、これを善導大師がどのように解釈するのか、見てみたいと思います。

 今経文を読んでおおよその内容を見てみましたが、そこで私たちがこれを解釈するとすれば、どこに重点を置くか。このことを少し考えてみるといいと思います。閉じ込められた頻婆娑羅のために韋提希が食べ物を持っていくところなどは、なかなかおもしろいですね。その辺に重点を置こうということになるかもしれません。いろいろあるでしょう。

 かつて細川巌先生がよく仰っていたことですが、この経典を解釈する善導の的確さや深さがよくわかる方法があるのだと。それはまた、経典そのものがよくわかる方法でもあるのですが。
 それは、善導の理解に先立ち、まず自分で経典を読み、自分なりの解釈をするということです。概略を掴んで、今のようにどこが重点だろうとか。この段落のどこがポイントだろうか、と考えるような作業が大事なのですね。

 経文にはいろいろと説かれています。今見ている小さな一部分の箇所は、何を言おうとしているのか。どこが大事なのか。それを知るためには、その箇所だけを見ていては分からないこともあるでしょう。経典の全体をいつも視野に入れていなければいけない。全体を読み部分を読み、部分を読み全体を読み。そして、全体のテーマと密接に繋がっている一点を見出す。その一番のポイントを探すのです。
 その作業を、間違っていても構わないから自分で少しでもやって、その上で善導の理解の仕方を見てみる。そうすると、善導はまったく自分とは違ったところを押さえていることもある。自分の見方は違っているのかもしれない。なるほどそういうことなのかと。善導の読み方は鋭いなと。そして経典がぐっと近くに見えてくる。そういう読み方を先生はよく勧めてくださいました。

起化の処
 そこで、時間もありませんので、皆さん、そのように各自で読んだとして、次に善導の文を読んでいきます。
 「二に、父を禁ずる縁の中に就いて、即ち其の七有り」といって、禁父縁全体を善導は七つに分けて解釈していくのです。分けるところに、一つ一つの概念の塊があるということですね。七つの内容に分かれるのだと。科段に分けるといいます。
 段落がいくつであろうと構わないと言えばそうかもしれませんが、どこで段落を切るかということが、内容を決定していくわけです。分けることが内容の決定の仕方なのです。分けることによって内容を把握していくのです。

 たとえば二つの内容の塊がある文を一まとまりのものとして押さえてしまうと、ちょっと内容の把握がぼやけるのです。ですから、それを更に二つに分けて内容をきっちりと明瞭に押えていく。その一まとまりの内容がどこからどこまでなのかを見分けていく作業が、経典を読んでいく大事な作業になるわけです。

 その分け方は、単に分析すればいいというのではありません。人間の理性分別は、なんでもものを対象化して分けてしまいます。そしてその考え方に自分で酔い、なかなか間違いに気づかないものです。
 形の上ではきれいに分けられていても、そこに仏法のいのちがかよっていなければ、分けることが逆に仇になります。信心の心をもって分けるとでも言いましょうか。ですから、善導のご指南を受けながら『観経』の内容を分けていくことは、大きな経典の学びになるのです。

 七つに分けたまず第一段落を見てみましょう。
 「一に、『爾時王舎大城』と云う従り以下、惣じて起化の処を明かす。
 此れ往古の百姓、但し城の中に舎を造るに、即ち天火の為に焼かる。若し是れ王家の舎宅には悉く火近づくこと無し。後の時に百姓、共に王に奏すらく。臣等宅を造ればしばしば天火の為に焼かる。但し是れ王の舎のみ悉く火近づくこと無し。何の所以(ゆえ)有ることを知らず。
 王、奏人に告げたまわく。自今以後、卿等(なんじら)宅を造らんの時は、但だ言え、我今王の為に舎を造ると。奏人等各おの王の勅を()けて、帰還(かえ)って舎を造るに、更に焼かれず。此れに因って相い伝えて王舎と名づけたることを明かす。
 『大城』と言うは此の城極めて大にして、居民九億あり。故に『王舎大城』と()うなり。」(親全52 聖全465 ノート57)
 まず第一段落の前半をこのように述べています。これは、「王舎城」という名はどうしてつけられたのか。その名の由来のようですね。

 はじめに「『爾時王舎大城』と云う従り以下、惣じて起化の処を明かす」。これから以降は教化が起こされた場所を顕わすのだと。起化は教化を起こすということですね。お釈迦様が韋提希を教化される、その教化がなされた場所です。これに対して、以前に「起化の時」がありました。「一時」というのが起化の時でしたね。「起化の時」と「起化の処」が明らかにされているわけです。

 ここで一つ大事なことは、「爾時王舎大城より以下は」という表現です。「以下」と言えばずっと先までを指すはずです。「どこどこまでは」という表現ではありません。それがこの文章の特徴です。
 「どこまで」という記述がないということは、以下の全部ということになりますね。全部と言えば、発起序の全体とも取れますし、『観経』の全体とも取れます。教化の場所というのであれば、『観経』全体を指すことになるでしょう。『観経』が説かれた王舎城が起化の場所であるということです。まさしく王舎城を場所として、今から教化が始まっていくのです。そういう位置づけが最初になされているわけです。

 しかし、考えてみれば、もう一つ問題があるようです。王舎城が教化の場所には違いありませんが、まだ教化そのものは始まっていません。これから悲劇の事件が始まるのです。その事件の終わりのところでお釈迦様が来られ、次第に教化が始まっていく。ですから、実際に教化が始まったその時点で、その場所が「起化の処」となるはずです。
 それが今、悲劇が始まる時点で、まだ教化そのものはなされていないのに、王舎城を「起化の処」であると確認するのはどうしてなのか。ここに一つの問題がありそうです。

 悲劇の渦中にあって、騒動し苦しみ悲しんでいる人にとっては、今自分がいるこの場所が、お釈迦様によって教化される、まさにその教化の場所なのだとは、思いもよらないことでしょう。悲劇の中を勝つか負けるか、身の振り方をどうするか。煩悩を存分に出してやっているわけです。

 私たちの家庭でもそうでしょう。喧嘩を起こしてガンガンやっている、その六畳の部屋が王舎城なのです。その時は大騒動している。その同じその場所で、やがていつか二人が向かい合って「南無阿弥陀仏、ごめんなさい」と謝り合う。そのようになるとは夢にも思わずに喧嘩をしているわけですね。

 ということは、現実には、仏法とは無縁のものはないということでしょう。どんな現実も、時間はかかっても、必ず遂にそこで教化がなされていく、そういう現実なのだと。
 その現実がじつは仏法の縁となって、その現実あるがゆえに教化がなされていく。仏法が現実よりも大きいのです。仏法が現実を包んでいるのです。そこでこれを説くときに、その大枠の仏法のほうから、教化のほうから説いていくことになるのでしょう。
 我が家の六畳を来客に紹介する時、喧嘩はいつもそこでしているのですが、「ここは夫婦喧嘩の場所です」とは言わない。「ここは仏様に会える場所です」と言うのです。そこに結論があり、そこに救いがあるのですから。

 「泥棒を捕まえて縄を()う」という諺があります。これでは遅いですね。泥棒に逃げられてしまいます。先に縄を綯って、十分に準備をしておかねばなりません。そうすれば、いつでも泥棒に入ってもらえる。入ったところを捕まえて縄で縛ればいいわけです。
 お釈迦様は耆闍崛山で縄をしっかりと綯われたのです。何十本も何百本も、耆闍崛山には出来上がった縄が満ち溢れていたのです。その時に、悲劇が起こった。悲劇は縄が綯われて準備されている時点で起こったのです。お釈迦様にはお分かりであった。そして待っておられたのです。

 人間は悲劇的な存在。悲劇的とは仏智疑惑ということです。しかし、人間はその悲劇性に気づかない。自己自身がどのような存在であるのかに気づかない。自分自身のことでありながら気づかない。
 これに気づくチャンスは、自らが具体的な悲劇的事件を起こし、その中で遂に道を見失い、仏に対して助けを求める時だと。この時を待って、この時を見失わず、一代教という無数の縄をある意味で一本にして韋提希のところに来たって、この仏智疑惑の悲劇的存在を救う教えを説くのです。
 人間は悲劇的存在であることを明らかに知るが故に、その者を救う縄を作り続けたのが一代教であったわけです。これが耆闍崛山と王宮との関わりで、「化前序」のテーマであったわけですね。

 私たちの人生の土台に、大地の役割をするものとして、如来本願の世界がある。その土台の上で事件は起こるのです。悲劇はそこで起こる。その渦中の人は、本願の上でこのようなことをしているとは、まるで思わないでしょう。しかし、本願からみれば、また見る目がある人から見れば、その悲劇は本当は何なのか、意味するところは何なのか。それを明らかにすることができるのです。この悲劇は、如来の教化の場であると。
 そういうわけで、「王舎大城に一りの太子あり。阿闍世と名づく」ここから「教化の処」を表わす内容となるのです。逆に言えば、「教化の処」で悲劇が起こったということです。これが人間の悲劇の本当の姿であり位置なのだということですね。

 人間の悲劇をこのように位置づけることができたのが仏教です。私自身、初めは自分の人生の哀れさと仏教とは水と油のように別物であるという感じがしていました。誰から教えてもらったのでもない。自分でそう思ったわけです。
 ですから、この哀れな状況、即ち悲劇的状況を抜け出して、何とか仏教の救いに手が届かないかと、そのように、自分の状況と仏教を二つに分けて受けとめていたように思います。
 しかし、次第にその考え方の誤りに気づかされてきました。仏教は、その哀れで悲劇的なわが人生を否定せず、これを縁として、そもそも悲劇的な存在である人間私のために起こされたのであると。悲劇的な存在である私への仏教の側からの入り口は、私自身の具体的な悲劇的状況という場であったのです。

 ということであれば、わが現実は、私自身の救いにとってかけがえのない宝物だということになります。悲劇的現実を至宝に変えるもの。ここに仏教の偉大さがあるように思います。なんという大きな力か、大きなスケールか。大いなる智慧であることか。この智慧をもって私たちを救おうというところに慈悲があるのです。
 如来の起こす大悲心は、このようにわが現実を転じ変え成して、如来のまごころの中を生きる者としてくださる。わが悲劇的現実は如来のまごころの中で起こされていたのです。

 教えを聞き続けていくうちに、まったく思いもしなかった仏教の偉大さを知らされてきました。少なくともこのことだけは、もし仏教に出遇うことがなかったならば、生涯逆立ちをしても知ることがなかったことでしょう。

 その次に「爾時王舎大城に」とあります。なぜ「王舎」と言うのか、その説明がされているようです。 
 「此れ往古の百姓、但し城の中に舎を造るに、即ち天火の為に焼かる」以下の文章ですね。
 「王舎城」というのは「王舎」という名の都市ということです。「城」は邑(むら=都市)の意ですね。ではなぜこの都市には「王舎」という名前がつけられたのか。簡単な意味合いは王の家ということですが、このように名づけるには由来があるのです。

 この街に人々が家を造って住むようになったのですが、その家が次々と火事に遭うというのですね。どうも七件ほどあったようです。しかし、よく見てみると、街の中にある王家の家は火事に遭っていない。不思議なものですね。それで皆が王様の所へ行ってお願いをしたのです。
 なぜそうなるのか理由は分かりませんが、と言って、今のような状況を説明申し上げたのです。それを聞いて王様は、「よしわかった。それならお前達はこれから家を造る時には、名目は王の為に家を造るということでよろしい」と。人々はそのお言葉を頂いて帰って家を造ると、今度はどの家もまったく火事に遭わなかったのだと。こういうことがあって、この街を次第に「王舎」城と呼ぶようになったのだということです。

 なるほど、そういう理由があったのですね。そういうわけで、王舎城の街中の家は全部王家の家だというわけです。善導は、このことだけを言っています。それでどういうことなのですか、と問いたいのですが、その先の説明はありません。
 「王舎城」の名の由来は、龍樹の『大智度論』に三説ありますが、善導の言われるのはその一つに似ています。しかしまったく同じではない。他にも説があり、失われた文献もあるのではないかと言われます。善導の述べたものは、ある程度『大智度論』に依っていますが、少し違う。善導の脚色かもしれません。
 いずれにしても、「王舎」の意味がこのように述べられており、さて、これをどう受けとめればいいのでしょうか。単に歴史的な経緯を述べたに過ぎないのかもしれません。これはよく分からないところです。

 そこで、私の感想を少し申してみたいと思います。
 王は人々の中で一番偉いわけです。従って一国に王は一人でなければなりません。ところが、この都は、結局誰もが自分の家は王の家だという名目で家を建てた。その家に住む者は王であるわけです。即ち、誰もが王になった。誰もが自分は一番えらい者だということになったのです。これが人間の姿、世間の姿なのだと。
 皆が「俺が一番、俺がえらい」と言っている。「俺が、俺が」と言っている人達が集まっているのが王舎城。即ち、家を建てる「名目」という根本のところに「俺が」の心がある。これが人間が持つ根本的な悲劇性です。この悲劇性を根本にして家の集まりという世間が構成されている。
 従って、「王舎城」の名の持つ意味は「悲劇城」ということになって、悲劇的事件が起こるのも当然だということになる。この理解は当たっているかどうかはわかりません。

 次に「大城と言うは、此の城極めて大にして、居民九億なり。故に王舎大城という」とあります。伝えられている書物の中にこのような表現があるようです。舎衛国には十二億の民がおり、王舎城は摩掲陀(マガタ)国の首都ですが、九億の民がいると。
先の説の延長で言えば、「俺が」という人間的な思いが満ち溢れているのが王舎大城だという意味合いになるかもしれません。我らの生きる場所は、悲劇が起こる必然の土壌だということでしょうか。

悲劇の場が起化の処
 次に、「起化の処と言うは、即ち其の二有り。」と、「起化処」の内容を善導は説明します。
 「一に謂く。闍王悪を起こして、即ち父母を禁ずるの縁有り。禁ずるに因って則ち此の娑婆を厭いて、憂え無きの世界に託せんと願う。
 二に則ち、如来請に赴いて光変じて台と為って霊儀を影現す。夫人即ち安楽に生ずることを求む。又、心を傾けて行を請ずるに、仏三福の因を開きたもう。正観は即ち是れ定門なり。更に、九章の益を顕わす。此の因縁の為の故に、起化の処と名づく。」(親全53 聖全469 ノート58)

 「起化の処と言うは、即ち其の二有り。」「起化の処」は王舎城であり、この一ヶ所です。しかし善導は、王舎城を起化の処として示すのに、二つに分けて示すのです。一つのものを二つの側面で表わす。ここに、重要な意味があるように思います。

 第一は、読んでお分かりのように、阿闍世が悪逆を起こして、即ち父母を禁ずるという、禁父縁と禁母縁をあげます。さらに幽閉された韋提希が憂悩無き処を求める厭苦縁から欣浄縁の初めあたりをあげています。この内容で事件の全体が収められています。
 この段階では、先ほど申したように、お釈迦様による教化そのものはまだなされていません。しかし、それでもなお「起化の処」を表わす一部であることが大事な点です。

 もう一つ大事なことは、善導の記述が「闍王悪を起こして、即ち父母を禁ずるの縁有り」とあるように、単に父母を禁じたという押さえではなく、「父母を禁ずるの縁」と、この逆害を「縁」として表わしていることです。「縁」というのは、この逆害の事件を、仏は縁として受けとめ、それゆえに耆闍崛山から王舎城へ赴かれたということです。
 縁とは、わかりやすく言えば「入り口」でしょうか。この事件がなければ仏は王舎城に行けない。この事件を縁とし入り口として、仏は王舎城の韋提希のところに入ることができたのです。待ちに待った縁ということでしょう。

 閉じ込められた韋提希が「憂悩無き処を説きたまえ。」「閻浮提(えんぶだい)濁悪世をば(ねが)わざるなり」と訴えた。憂い悩みの無い世界を教えてください。そこへ行きたいのです。これ以上この現実世界には居りたくないのです、と言って娑婆世界を厭います。「此の娑婆を厭いて、憂い無きの世界に託せんと願う」ということですね。
 これが「起化の処」の第一の押えであるわけです。悲劇的事件に巻き込まれ、行き場を失い、仏に出遇う。そして自己の責任に気づかず、自己をよしとした思いが起こす苦しみの中から現実逃避を願うのです。なんという間違った行為でしょうか。

 悪子阿闍世を持ったのは自らに責任があるのです。しかし韋提希はこれに気づきません。ここに大きな問題があります。その自己肯定の思いが、置かれた事態を受けとめず、苦しむのです。苦しむ資格など無いと言うべきでしょう。
 さらに、それゆえにと言うべきか、現実を逃避して憂悩無き世界を求めるという愚かさの極みと言うべき行為をするのです。このような汚辱濁悪の行為がなされるのが王舎城、即ち世間なのです。
 間違いを正当化して誤魔化し、煩悩をきれいに装って通り易くし、責任を隠して当然の如く要求する。道を外れ、徳を失い、利益のみ求める。道も徳も法も踏みにじって、ただ自己を正当化し、余るほどに得をしようと目を輝かすのが娑婆を生きる人間なのです。今韋提希は、まさにこの人間としてあるのです。

 このような韋提希を、汚辱だからといって避けず、濁悪だからといって捨てず、この状況をこそ、阿弥陀の本願を説いてこの者を真に救おうと、待ちに待った絶好の機会であると受けとめたのがお釈迦様なのです。
 仏教は現実の惨憺たる悲劇を如来の真実を説く縁とするのです。縁としてその者に近づき、方便の教えを工夫し、はたらきにはたらきかけ、歩みに歩ませ、遂にその者を如来の真実の世界を生きる者となさしめる。
 なんという大きな世界でしょうか。なんという深い世界でしょうか。五濁のこの世界の全てが、本願を届けたいという願いに包まれているのです。

光台現国と空中住立
 「起化の処」のもう一つの内容は、実際に行われる起化の姿をあげています。
 「二に則ち、如来請に赴いて光変じて台と為って霊儀を影現す。」
 如来とはお釈迦様ですね。お釈迦様が請に赴いて、韋提希の要請に応えて王舎城へ行かれる。経典では、
 「その時世尊耆闍崛山に在し、韋提希の心の所念を知り 即ち大目犍連及び阿難に勅し空よりして来らしめ、佛、耆闍崛山より没し王宮に於いて出でたもう」(東92 西89 島2-3)
 この場面ですね。

 韋提希は目連と阿難に来てもらって慰めてもらいたいと思っていたけれども、慰めだけでは韋提希は救われない。阿弥陀の本願を聞かないと救われないと。そのことが分かっているお釈迦様は自ら韋提希のところへ行かれるわけです。
 この箇所を善導は次のように解釈します。
 「正しく世尊、自ら来たって請に赴きたもうことを明かす。此れ世尊、耆闍に在ますと雖も、已に夫人の心念の意を知ることを明かす。」(親全79 聖全482 ノート84)

 ここは、化前序でありましたように、耆闍崛山の教えと王宮での教えの関わりが説かれるところですね。経文では「韋提希の心の所念を知り」となっているところを、お釈迦様が知られたのは「夫人の心念の意」であると善導は受けとめます。
 韋提希の心の中にあった一番底の思いを知っていたのがお釈迦様であったわけです。その思いは、真実に会いたい、阿弥陀の本願に会いたいという願いであったということです。
 この韋提希の心の底の要請を受けて、この思いに答える為に、この思いのところに赴いた。これがお釈迦様だったのです。ここのところを、「如来請に赴いて」と表わしているわけですね。

 続いて「光変じて台と為って霊儀を影現す」これは大事な押さえ方をしています。「光変じて台と為って」は欣浄縁の「光台現国」の教えを指しています。そして「霊儀を影現す」は正宗分の第七華座観の教え、即ち、阿弥陀仏が空中に住立して現われる、このことを指しています。
 この「光台現国」と「空中住立」の二つを、王舎城での起化の具体的内容としてあげるのはなぜなのか。

 善導は、正宗分が終った次の一段を「得益分」という名の下に区切ります。
 「是の語を説きたもうの時、韋提希五百の侍女と仏の所説を聞き・・・」の箇所です。(東121 西116 島2-29)

 今までの教えの中で、『観経』がその全体をもって提供する利益はどこにあったのか、という問いが出されます。それは二ヶ所ある。一つは序分欣浄縁の「光台現国」の教えが韋提希をして阿弥陀の世界を選び取らせたということ。
 もう一つは、定善観第七華座観の、「空中住立」の阿弥陀に韋提希を出遇わせた場面。この二つがこの経典の二大利益なのだと、説き終わってお釈迦様自ら述べられるのです。善導はこれを受けて、王宮での起化の最たるものはこの二点であると確認しています。

 「光台現国」の教えから簡単に見てみましょう。
 経文では、
 「その時世尊、眉間の光を放ちたもう。其の光金色にして、遍く十方無量の世界を照らし、還りて仏頂に住し、化して金台と為り、須弥山の如し。十方諸仏の浄妙の国土、皆中において現ず。・・・韋提希をして見しむ。」(東93 西90 島2-4)とあります。

 清浄な行によってつくられている世界を知りたいと願った韋提希に、お釈迦様は、阿弥陀の本願によってつくられた諸仏の世界を表わすのです。眉間より光を放って十方の諸仏の世界を照らし出し、その光がお釈迦様の頭の上に返ってきて金の台となる。その台に諸仏の世界を現わし、韋提希に見せるのです。
 この巧みな方法によって、お釈迦様は韋提希に、阿弥陀の世界を選ばせる。この教えの説き方にはお釈迦様の密意があるのだと言われます。仏だけに分かる深いお心です。
 ここに深いご恩があることを親鸞聖人は「恩徳広大釈迦如来 韋提夫人に勅してぞ 光台現国のその中に 安楽世界を選ばしむ」と和讃を作られました。

 もう一つの教化の姿である華座観の「空中住立」についての経文は次の通りです。
 「是の語を説きたもう時、無量寿仏、空中に住立し、観世音・大勢至、是の二大士、左右に侍立せり。光明熾盛にして具に見るべからず。・・・時に韋提希見たてまつり已わりて接足作礼す。」(東101 西98 島2-11)

 お釈迦様が韋提希と阿難に、今から除苦悩法を説こうと言われます。これが阿弥陀の本願の教えです。その除苦悩法の教えが説かれる言葉に応えて、説かれている阿弥陀そのものが現われるのです。

 善導はこの箇所を次のように解釈します。
 「弥陀声に応じて即ち現じたまえば、往生を証得することを明かす。弥陀空に在まして立ちたまえるは、ただし心を廻らして、正念にして我が国に生まれんと願ずれば、立ちどころに即ち生ずることを得るなり。・・・
 正しく韋提実に是れ垢凡の女質なり。言うべきに足らず。但し以んみれば、聖力冥に加して、彼の仏現じたもう時、稽首を蒙ることを得。斯れ乃ち序には浄国に臨んで、喜歎以って自ら勝ゆること無し。今乃ち正に弥陀を()あげて更に益々心開けて忍を悟る。」(親全136 聖全514 ノート143)

 お釈迦様の阿弥陀を説く声に応えて、阿弥陀が自ら韋提希の前に現われます。韋提希はそこで回心懺悔し、深く頭を下げるのです。
 「光台現国」の教えによって阿弥陀を選んだ時は、嬉しくて嬉しくとどうすることもできないほどであった。そして教えを聞きつつ歩んできた今、正にその阿弥陀にお会いすることが現実のものとなったのです。

 「光台現国」と「空中住立」の二つの教化の場面には、どのような人が登場しているでしょうか。
 まず、「如来請に赴いて」のところは、耆闍崛山よりお釈迦様が現われます。お釈迦様の登場です。
 「光変じて台と為る」は、お釈迦様が十方の諸仏の世界を韋提希に示します。ここには諸仏が登場します。
 そして「霊儀を影現す」は、韋提希の前に阿弥陀が空中に住立して現われます。
 即ち、登場するのは釈尊、諸仏、阿弥陀仏の三者です。この三者が、私たちが生涯にわたって歩んでいく中で、出会うべき方々なのです。

 根源の真如が大悲の心を起こし、それによって阿弥陀の本願が現われた。これを明らかにさとったのが釈尊であり、阿弥陀の本願に生かされ、釈尊の教えを証明し讃嘆する諸仏が数多く出られた。
 阿弥陀とよき師・よき友。この三者が教化の場に、教化する者として現われるのです。この三者にどこまでも深く出会っていくのが、私たちの歩みの内容となるのです。 

教化され照らされる歩み
 次の内容は、視点を変えて、第七華座観で阿弥陀に出遇うことができるまでの、教化を受ける韋提希の歩みについて確認されます。
 「夫人即ち安楽に生ずることを求む。又、心を傾けて行を請ずるに、仏三福の因を開きたもう。正観は即ち是れ定門なり。更に、九章の益を顕わす。」

 「夫人即ち安楽に生ずることを求む。」これは「光台現国」の教化を受けて韋提希の中から起こった願いです。経文は、
 「世尊、是の諸仏の土、復清浄にして皆光明有りと雖も、我れ今極楽世界の阿弥陀仏の(みもと)に生まれんと(ねが)う。」(東93 西91 島2-5)

 諸仏の世界を見せてもらった韋提希は、自ら阿弥陀の浄土に生まれようと願いを起こします。善導はこれを「正しく夫人、別して所求を選ぶことを明かす。此れ弥陀本国四十八願を明かす。」(親全86 聖全487 ノート91)と受けとめます。
 仏の本願が来たって韋提希の上に阿弥陀の世界を選ばせたのであることを明らかにするのです。本願が来たって本願の世界に生まれようとする韋提希が誕生した。ここが教化の具体的な出発点なのです。

 続いて「又、心を傾けて行を請ずるに」阿弥陀の国に生まれるための行を韋提希は心を込めて請うのです。経典では、「ただ願わくは世尊、我れに思惟を教え、我れに正受を教えたまえ」(東93 西91 島2-5)のところです。

 善導はこの箇所を次のように解釈します。「夫人、別行を請求することを明かす。此れ韋提既に得生の処を選んで、還って別行を修して己を励まして心を住めて、必ず往益を望むことを明かす。」と。
 この箇所を「心を傾けて行を請ずるに」と押えているのでしょう。阿弥陀の国に生まれたいと願いを起こし、その行を心を込めてお釈迦様に請う。ここから韋提希の教化を受ける長い歩みが始まります。

 教化は具体的にどのように行われたか。序分の段階で、お釈迦様はまず、韋提希に凡夫であることの自覚を促します。それが「仏、三福の因を開きたもう」です。「三福の因」とは、如来の前で善の行をなさしめて、いかにできないかを知らせる教えです。何が自分にでき、何ができないかを明らかにする。これが自己に目覚める方法なのです。
 ここを曖昧にすると、仏力により、如来の回向によらなければできない往生の歩みを、自分の力でできると間違って思い込んでしまいやすい。そこをはっきりさせようとするのです。

 これはしかし、出発点だけのことではありません。およそ善なる行いは、生涯にわたって自己とは何かを知らされていく舞台なのです。「お前はどのような善ができるのか」。是の問いのもとに、私たちは生涯を歩んでいくのです。
 自己をよしと思う人間はいろいろな善ができると思っている。しかし、じつはそれは幻想であって、本当のわが正体は一生悪を造るだけの存在であることを教える。その舞台は、できると思っている善そのものが舞台なのです。その善が、嘘偽り無き純粋真実の心でできるのか。如来真実の前でそれを証明してみよと。

 この問いかけを、私たちは生涯にわたって受け、限りなく、ただ悪業を造るのみの凡夫であったことに目覚めさせられていく。これが生涯の歩みの根底を貫く姿です。この歩みを継続一貫していくところに求道というものがあるのでしょう。

 従って、正宗分の教えは、その根底に「三福の教え」即ち自己を照らし出す教えが入っている。それが定善十三観の教えです。
 表ては韋提希の要請どおりに、阿弥陀の浄土と阿弥陀そのものに出会わそうという教えが説かれますが、その教えを説きつつ、韋提希に自己への目覚めをなさしめていく。慈悲と智慧に溢れた絶妙な方便の教えが展開されます。それが「正観は即ち是れ定門なり」ということです。

 さらに、正宗分のもう一つの内容である散善三観は、定善観の教えが説かれるその底に一貫して流れる目覚めの教えの部分が詳細に説き明かされます。
 人が自己に目覚め、自覚が深まり、遂に如来の呼びかけを受けとめて南無阿弥陀仏と応えていく。自覚なき者が、じつに如来の第十八願に目覚め、これを成就していく過程が説き明かされます。
 これが「更に、九章の益を顕わす」というところです。「九章」は「九品」のことですね。上品上生から下品下生へ至る目覚めの歩みの歴程です。

 このように、王舎城は起化の処です。悲劇の事件の場が既に起化の処なのです。それは、如来が悲劇の事件を、自らが衆生にはたらきかける縁とするからです。これを縁として教えが説かれる。
 それも韋提希の要請に合わせて方便の形をとりながら、凡夫の目覚め、一生造悪の身であることの目覚めを確実になさしめていき、如来の呼びかけを受けとめる者たらしめていく。この一連の内容をもって、王舎城は起化の処だというわけです。

 王舎城は、世間のど真ん中の、即ち、私たちが毎日生きているこの現実を象徴的に表わしています。そこで私たちが真実を無視し、道から外れ、徳を見失って大小の悪業を重ねる。それを最も重い悪業である五逆の一つの「父を殺す」という悲劇で象徴しているのです。

 私たちの現実は、時と場所で決まります。散々に悲劇的なことをなし、その後も、それゆえに悪業の報いを受けて、暗い顔をし、人を罵る目つきをして生きていかねばならない。人生の全体が悲劇で終ってしまいかねません。
 わが人生に教化の時は来ず、わが人生が教化の場所とならずに、もしそれで生涯を終えることになれば、なんという残念なことでしょうか。
 人生とは教化なのです。真実の教えによってわが身の真の姿に目覚めさせられ、私を救う如来真実に目覚めていく。これが人生であり、人生百年の全てがその時であり、その場なのです。生まれてきたこの我が人生を教化の時と場にできないことほど、空しく悲劇的なことはないかもしれません。
 
教化を起こすのは誰か
 善導は「起化の時」「起化の処」と表わしました。単に「教化の時」「教化の処」ではないのです。細かく言えば、「起化」の「化」が「教化」を指しており、従って「起化」は、「教化を起こす」という意味になるでしょう。
 人間世界は、ただそのままでは教化は起こりません。五濁の世が流転を繰り返し深めていくだけでしょう。教化は誰かが起こさなければ起こらない。誰が起こすのか。誰が教化を起こして、五濁流転の私たちを救うのか。

 それが如来なのです。如来に願いがあって、私たちを教化しようと、教化を起こされたのです。教化は如来によって起こされた。私たちの流転の時は、如来によって教化を受ける時へと変えられるのです。悪業の場は、如来によって教化を受ける場へと転じられるのです。
 私たちの生きる時と場が、如来がその願いによって起こされた教化の時と場へと変えられていく。これが私たちが救いへと向けて歩む姿であり、『観経』はこの時と場の展開の姿を説くのです。

 ここまでが禁父縁の七つに分けられた第一段目です。次回は、第二段目のところを読んでみたいと思います。「ひとりの太子有り、阿闍世と名づく。調達悪友の教えに随順し」というところです。ここは人生の大変なドラマが展開するところで、善導が大いに力を加えたところです。今回はこれで終ります。

ページ頭へ | 「第9回」に進む | 目次に戻る