今よみがえる観無量寿経 第7回 「化前序(3)」
 

るいれつの会(2011年11月21日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)仏について

化主としての釈尊

 前回に続いて発起序の中の化前序というところを頂戴しています。聖典のはじめのところを読んでみましょう。
 「(かく)の如く我れ聞く。一時、仏、王舎城(おうしゃじょう)耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の中に(ましま)し、大比丘衆(だいびくしゅ)千二百五十人と(とも)なりき。菩薩三万二千あり。文珠師利法王子を上首(じょうしゅ)とせり。」(東89 西87 島2-1)
 この箇所全体を普通は証信序とするのですが、善導大師は、はじめの「是の如く我れ聞く」という、いわゆる信成就と聞成就に相当するところだけをもって証信序にしたわけです。そして残りの「一時」以下を発起序に繰り入れ、化前序と位置づけました。
 つまり、発起序が二重構造になっているわけです。「一時、仏」以下が化前序で、二重構造のいわば下側の位置にあたります。この化前序の内容を、お話の都合上、一口に言って「阿弥陀の本願まします」ということで表現してきました。その阿弥陀の本願まします大地の上で、次の六縁で表される内容が展開するのです。これが上側です。その最初が王舎城の悲劇ですね。人間の上に悲劇が起こる。その悲劇を縁にして、下側の本願の大地から悲劇の者にはたらきがなされていく。発起序はこのような二重構造になっています。
 
 化前序には四つの項目があります。最初の「一時」については前回お話ししました。次に、「仏」という教えの説き主、そして「王舎城耆闍崛山に在し」という教えが説かれる場所、それから「大比丘衆と菩薩」という教えを聞く者。善導大師はこの四つの項目をもって化前序の内容としたわけです。今日は残りの三つについて見ていきたいと思います。

 まず初めに「仏」です。「仏」とは何を意味するのか。この問題が非常に大事であることは言うまでもありません。普通、仏とは何かと言えば、覚者であるとか如来であるとかの答えがなされます。それはそのとおりなのですが、ここで問題とされることは、私自身との関わりです。覚者だと意味を押さえても、それによって私自身と深い関わりを持つことには必ずしもなりません。仏は、私自身と切っても切れない深い関係となって、初めて意味を持つのです。その点に注意しながら「仏」について少し考えてみたいと思います。

 まず善導大師は「仏」について次のように受けとめます。「仏と言うは、此れ即ち化主を標定し、余仏に簡異(けんい)して、独り釈迦を顕す意なり。」(親全48 聖全466 ノート52)これが、ここでの「仏」をあらわす一番的確な表現なのです。仏とは何かということの公式見解のようなものでしょう。「仏」は「化主」であること。そして具体的には他の仏ではなくお釈迦様のことである。この二つのことが、ここで善導が明らかにしたいメッセージです。
 短い表現ですけれど、意味しているところは大変重要なものがあります。「仏」とは「化主」である。人々を教化することができるお方である。教化とは、単に教えることではなく、教えることによって相手を変える。「化」は本来、正反対のものに変えるという意味を持っています。迷える衆生を悟りの者へと変える。この最難事を行うことができるのが化主です。大変な力を持ったお方ですね。

 さらに「仏」を具体化して「余仏に簡異して、独り釈迦を顕す」と。「余仏」とはお釈迦様以外の仏ですね。お釈迦様とそれ以外の諸仏たちは、諸仏という点では同じだけれども、基本的にいちばん大事な点で違っているところがある。その一番大事な点を確保しているのはお釈迦様だけである。「独り釈迦を顕す」と。
 その大事な一点こそ、阿弥陀の本願を説くことを出世本懐としている仏であるということです。すなわち、阿弥陀の本願こそ、迷いの衆生をして悟りの者へ転回させることができるということを表わしています。こういうわけで「仏」とは具体的にはお釈迦様のことを指しているのです。

仏の全体像
 ここで、仏について基本的な全体像を少し確認してみましょう。
仏というのは一番根本は真如。真実そのものです。その存在の姿は私たちには(うかが)えない。不実の次元を生きる私たちには、具体的な形を取らない真実そのものはわかりません。しかし、これが根源の仏です。
 その真如が、私たちを救わんと大悲の心を起こして現れたのが阿弥陀仏です。その具体的な内容は本願であり、真如の真実が私たちを救おうと、願いとなりはたらきとなって現れたものです。本願は願い通りに実行する力を内に含んではたらきかけます。
 驚くべきことですね。真実というものの正体は、私を救おうという願いなのだというわけです。その本願を阿弥陀仏というのです。その願いが具体的に一点に凝縮しまして、「念仏申せ」という本願となる。念仏申す者のところに、真如の真実が成就するのです。

 次に、阿弥陀仏の本願とはどのようなものかを、私たちに正しく伝えてくれる人が必要です。それがここで言うお釈迦様という仏様です。阿弥陀の本願を正しく私たちに伝えてくださる存在は人でなければいけない。人の上に成就するものは、人を通して伝えられなければならない。そういう基本的なあり方を私たちは持っていると思います。
 阿弥陀の本願も、私たちがこれを頂戴するときには、その橋渡しを正しくしてくださる人がなければならない。その人こそがお釈迦様なのです。なぜお釈迦様なのか。ここが大事なところです。その理由となるものが、先に述べるように、お釈迦様の存在の全体を占める「阿弥陀の本願を説くことを出世本懐とする」という願いなのです。お釈迦様の存在意義はこの一点にあります。
 仮にお釈迦様の心を出してみて、その皮を何枚()いでも、あるいはどのように断ち切っても、そこに現われてくるのは本願を伝えたいという願いだけなのです。それがお釈迦様というお方。この出世本懐がこの一人の人に起こったということで、本願が多くの人に伝えられていくことが間違いなく保証されるのです。このお方が誕生するということは、本当に大事なことだったわけです。

 もう一つは諸仏です。諸仏もいろいろと位置づけられますが、この場合の諸仏は、お釈迦様が阿弥陀の本願を説くのを聞き、その本願のはたらきを頂戴し、自ら救われて、お釈迦様が説かれる本願の教えは間違いのない真実のものだということを自らの救いをもって証明し、私たちに勧めてくださる。これが諸仏の姿です。
 その諸仏が私にとって一般的な存在でとどまらずに、私にとっての善知識となることが大切です。諸仏を自分自身の善知識にする。もちろん私のほうがその方を仰いでのことです。その方をわが善知識として戴いて教えを聞いていこうとする。そこまで近づいていかなければいけない。諸仏を遠くに見ているだけでは不十分ということになります。

 およそこの四通りで仏というものが言われていると思います。真如―阿弥陀仏―お釈迦様―諸仏善知識です。この基本に立って、今ここでの「仏」は阿弥陀の本願を私たちに伝えてくださるお釈迦様なのだということですね。
 そういうわけで、「仏」の代表的な表現として「化主」という言葉を使っているわけです。阿弥陀の本願を私たちに伝えてくださるお方。じつにこのことを出世本懐としておられるお方。伝える力を成就しておられるお方。まさに教化の主、化主、すなわちお釈迦様であるのだと。

自覚の宗教
 さて、善導は『観経』の教えを説く仏について、「玄義分」の中で何通りかの確認をします。一つは、『仏説無量寿観経』という経題の「仏説」について。もう一つは、その仏を、教えを説く他の者と比べて「説人の差別」という視点で。「玄義分」というのは『観経疏』の中の一章で、『観経』で説かれている仏教の根本原理を明らかにしたものです。そこで説かれるこの二点について少し見てみましょう。

 はじめに、経題の「仏説」について。「仏と言うは、(すなわ)ち是れ西国の正音なり。此の土には覚と名づく。自覚・覚他・覚行窮満、之を名づけて仏と為す。」(親全7 聖全443 ノート10)「仏」というのはインドの言葉を音写したもので、budh というのが原語です。これをわが中国では「覚」と訳するのだと。その「覚」を用いて仏を表わせば、「自覚・覚他・覚行窮満」これが仏の内容であることになる。まずこのように表わします。
 続いて、「自覚と言うは凡夫に簡異(けんい)す。此れ声聞(しょうもん)は狭劣にして唯自利のみありて()けて利他の大悲無きに由るが故に。」「覚他と言うは二乗に簡異す。此れ菩薩は智有るが故に能く自利し、悲有るが故に能く利他す。常に能く悲智双行して有無に著せざるに由ってなり。」「覚行窮満と言うは菩薩に簡異す。此れ如来は智行已に窮まり、時劫已に満ちて三位を出過せるに由るが故に、名づけて仏と為す。」と述べます。

 仏教は budh の宗教です。「覚」即ち、目覚めの宗教です。ここで「仏」というのは一応人のことを表わしますから、原語はBuddha (仏陀)ということになるでしょう。「目覚めた者」です。この「目覚め」のところに仏教の全てがあると言っていいでしょう。
 一般に、宗教は人を眠らせるものというイメージがぬぐいきれなくあると思います。人間精神の健康さをどこか歪めるものであるという認識です。なるほど、数多くある宗教の中にはそのようなものもあると思います。しかし、それらは初めから宗教と呼べるものではないと言うべきで、本来の宗教は、特に仏教は、人間精神の健康さを取り戻すものなのです。その営みが「覚」で表わされる目覚めです。
 真実に目覚め自己に目覚めること、ここに人間がきっちりと大地に足をつけて、真の自己自身が、真の正しい目標に向かって、真に人間にふさわしい営みをして生涯を生きるということが可能となるのです。目覚めることが私たち人間存在がなすべき最も根本の行為である。このことを仏教は教えるのです。

 「仏」という言葉自体も大きな誤解を受けていると思いますが、原語はbudhであり、目覚めるという意味なのだと分かれば、仏教は仏の教え、即ち、仏(目覚めた人)が説いた教え、我々が仏(目覚めた人)となるための教え、という意味となり、誤解も解消されていくのではないかと思います。

 さて、右の善導の領解を見てみましょう。
 「自覚と言うは凡夫に簡異す」。「自覚」ということが凡夫の問題です。そして私たちは正しく凡夫ですから、私たちの生涯の問題は「自覚」にある。「自覚」するところに、凡夫が凡夫のままで救われて生きる世界が開かれるのです。従って、この「自覚」ということが、ついに凡夫をして「仏」とならしめる、その大きな分かれ目であるということでしょう。「自覚」こそ、仏教の、そして人間の最大の課題なのです。

 この「自覚」はしかし、容易に成し遂げることはできません。そこには幾つもの問題が潜んでいる。「自覚」への道に立ちはだかる難関が幾つもあるのです。それらの難関は、じつは共通の土台から立ち現れています。人間の意識という土台です。「自覚」ということを、人間的意識で自分自身を知ろうとする行為だとしてしまいやすいのです。自分の力で自分に目覚めようとする。それが「自覚」だと思いやすい。
 しかし、自分の力だけで自分に目覚めることが、人間にできるのか。目覚める力を持っているのか。その力を持っているのならば、初めから目覚めているはずであり、人生をこのように迷うことなどないはずです。残念ながら、人は自己自身に目覚める力を持ってはいない。しかし、持っているように思えて、疑うことすらしない。ここに人間の迷い、愚かさがあるのでしょう。

 真の「自覚」のところには智慧と慈悲のはたらきが無尽に備わります。なぜなら、人間における「自覚」の唯一の方法は、如来のはたらきを頂くところにあるからです。自分の力だけで目覚めるのではなく、如来真実のはたらきに照らされ、これを頂いていくところに初めて「自覚」が生まれる。このことを明らかにしたのが仏教なのです。
 もし、自分の力で目覚めようとすれば、少し目覚めたかに見えても、そこには智慧と慈悲のはたらきが不十分であることが露呈します。そのあり方を「声聞(しょうもん)」というのです。「此れ声聞は狭劣にして唯自利のみありて闕けて利他の大悲無きに由るが故に。覚他と言うは二乗に簡異す」。
 「声聞」の生き方は「狭劣」。狭いというのは、本来は広いところを狭く生きているということでしょう。そうさせているのが自分の意識です。自分の思いに何らかの問題点があり、この世界を、人生を、あるがままの広さとして受けとめることができず、自分の思いで敢えて狭いものにしている。従ってその生き方は劣ったものになります。人を真に解放させる教えを聞きながらも、自分の意識を優先させるために、狭劣な生き方になってしまう。
 そこには、自分のことのみに関心が行き、人々の苦を抜こうという大悲の心は起こらず、自己本位な生き方や求め方となってしまいます。この生き方を「二乗」と言います。
「二乗」の一つが声聞です。もう一つは「縁覚」或いは「独覚」と言います。自分で因縁道理を観じて覚ったり、様々な外縁によって覚る。或いは師なくして独自に覚りを開くというあり方です。

 自分の思いで目覚めようとするあり方では、この「利他」の関門を超えることがとても難しくなるのです。しかし、力ある人は努力を重ねていくでしょう。そして、自分のことだけでなく、人々の苦しみにも思いが行き、何とか人々を目覚めさせたいと思うようになるかもしれません。このように、「利他」へも思いが行くのを「菩薩」と言います。
 「此れ菩薩は智有るが故に能く自利し、悲有るが故に能く利他す。常に能く悲智双行して有無に著せざるに由ってなり」。「菩薩」は智慧と慈悲を備え、自らの道を明らかに見据えて歩み、他を悲しむ思いを持ってはたらきかけていきます。その智慧と慈悲のはたらきにおいて、執着はありません。

 この菩薩のあり方は素晴らしいものがあります。しかし、問題は、「窮満」というところにあります。「覚行窮満と言うは菩薩に簡異す。此れ如来は智行已に窮まり、時劫已に満ちて三位を出過せるに由るが故に、名づけて仏と為す」。
 ここに、「仏」と同時に「如来」という言葉が出されます。同じような意味だと思われますが、善導ははっきりと位置づけの違いを示しているのです。いったい何をもって仏と名づけるのか。それは「如来」だから、というのが結論でしょう。如来にしてはじめて「窮満」が成就する。「如来は智行已に『窮』まり、時劫已に『満』ちて」ここに、「窮満」の成就があります。窮まっているのは智慧のはたらきであり、満ちているのは歩まれたその時間です。まさしく真実なるもののはたらきを表しているのです。

 この如来のはたらきを受けて、人ははじめて「仏」となる。その人というのは「凡夫」のことです。「凡夫」以外に人はいません。「凡夫」である私たちは、真に目覚めるという行為に向かって歩む時、大きく立ちはだかるいくつかの関門に出遇わなければならない。第一が、利他が思うようにできないということ。声聞です。第二が、自利・利他がともにできても、「窮満」と言える次元には至らないということ。菩薩です。
 それはなぜなのか。目覚めようとする行為が、人間的意識に基づくものだからです。凡夫が凡夫を肯定し、凡夫のままで真実を求めようとしている。真実は、凡夫であることが翻されなければ出遇うことはできないのです。翻される過程が、「声聞」で代表される二乗であり、「菩薩」なのです。
 「声聞」は利他がないという点が仏として大きく欠落している。この部分が問題にされます。「菩薩」は仏に類似していても、その智慧と慈悲が「窮満」していないという点が問題にされます。仏に対する「欠落」と「類似」の二点で、「凡夫」の人間的歩みの問題点を照射するのです。

 「仏」と名づけられるのは「如来」であるからです。真如の世界から来たったはたらきを存在の全体において受けとめ戴き、これによって初めて「凡夫」であることを超えることができる。そこには「声聞」も「菩薩」も超えられているわけです。「三位」即ち凡夫と声聞と菩薩を「出過せる」ことが、「如来」のはたらきを受けることによってはじめて可能となるのです。
 『観経』は仏説です。その「仏」とは、このように「如来」のはたらきを受けとめたお方。それがお釈迦様なのだと。従ってお釈迦様を「釈迦牟尼如来」と呼ぶのです。成道後、初めて五人の比丘に対して法輪を転ずるとき、お釈迦様は自分を「如来」と呼べと比丘たちに命じます。何という明晰な認識が息づいていることでしょうか。
 「仏」は単なる偉人ではない。自分の思いをもって目覚めた者というのでもない。「仏」とは「如来」のはたらきに目覚めて生きる者のことなのです。従って、その「仏」が説かれた経典の教えは、「如来」のはたらきを頂く姿勢で受けとめるということが根本になるのです。

古今楷定のポイント
 ところで、『観経疏』の最後の跋文(ばつぶん)で、善導が次のように述べているところがあります。「敬って一切有縁の知識等に(もう)す。余、既に是れ生死の凡夫なり。智慧浅短なり。然るに仏教幽微なり。敢えて輒く異解を生ぜず。」(親全218 聖全559 ノート229)
 今、『観経』を全編にわたって解釈した『観経疏』を書き終えるに当たって、善導が一切の人々に自らひれ伏し呼びかける言葉です。私は生死の凡夫である。智慧はまったく浅く短い。一方仏教の世界は幽微で推し量ることなどなんらできない世界である。従って、仏教の教えに触れて、簡単にしかも間違った理解などを生じることはそもそも有り得ないことであると。
 自らの人間的思いの浅短さを自覚せずに、一歩も立ち入ることのできないはずの深遠な超次元の世界に土足で上がりこみ、仏教とはこうなんだと正しく理解した気持ちでいる。もちろんそれはまったくの間違い。これが自らを凡夫であると自覚しない者の仏教に対する態度であるのだと。その大きな間違いを指摘されるのです。もし自らを凡夫であると自覚できれば、人は自分の思いで仏教を理解しようなどとはしない。ただ、如来のはたらきを頂き、教えを蒙るだけなのだと。

 善導は、この『観経疏』を書くことによって「古今を楷定(かいじょう)」しました。古今の誤った『観経』理解を正したのです。その「楷定」の最大のポイントは何か。それは、仏教は「如来」が説かれたものであり、それを人間が人間的な思いのままで理解してはいけないということでしょう。すなわち、凡夫であることの自覚のないままに読んではいけない。「凡夫」の自覚のところに、初めて経典の教えを「如来」の教えとして受けとめることができる、これが正しい読み方だということを顕わしたのです。 

 そこで、経典の教えを「如来」の教えとして頂くということで大切なことが、続く「仏説」の「説」の問題です。「説と言うは口音に陳唱す。また如来機に対して法を説くこと、多種不同なり。漸頓宜しきに随いて隠彰異有り。或いは六根通じて説きたもう。相好もまた然なり。念に応じ縁に随いて皆証益を蒙るなり」。このように善導は述べます。
 説くということが二つの面で述べられているわけです。第一が「口音に陳唱す」。口で述べるということです。教えを説くということは口で述べることだと。当然のことのように思えます。しかし、教えを受けとめる私たちの側からしてみれば、口で説かれたものを聞くことで受けとめるだけでなく、書かれたものを読むことで受けとめることもあるわけです。同じ内容ですから、聞くのも読むのも同じことのように思えますが、じつはずいぶん違いがある。
 口で説かれたその声を聞く場合、そこで起こっていることは、仏が説くのを私たちが聞くということで、「仏から人へ」の方向のところで、教えについての認識が生ずるのです。仏が私たちに教える。私たちのほうから言えば、仏に教えられることによって教えについての認識が生じるのです。この「仏から人へ」の方向は厳然としています。まさしく仏は「化主」としてそこにましますわけです。

 それに対して、書かれたものを読む場合、そこで起こっている認識の生じ方は、私が仏の教えを読むことになるわけで、読む私の意識が教えを理解することになりやすい。教えを押し戴いて頂戴するのではなく、私の意識が教えを対象化して、これは何が書いてあるのかと私の思いで教えを見て判断してしまう。
 もしそうなれば、そこには「仏説」はなく、「私の理解」があるだけのことになります。その理解はもはや仏教ではなく、仏教の言葉を使った私の思いでしかありません。もちろん、その理解は私を救わないのです。

 経典のはじめに「如是我聞」とありました。このように「お聞きして」私は救われましたとなっています。このように「読んで」ではないのです。「如是我読」ではない。仏法はどこまでも口から出た声を聞かねばならない。これが基本です。その上であれば、読むということも位置づけられるでしょう。「読誦(どくじゅ)聖教」と言われますから、私たちの歩みを助ける。大いに読むべしです。しかし、その基盤に、大いに聞くということがなければならない。
 しかもこの説法は、どのような人のどのような機をも相手にできる。どのような人も、仏より、即ち如来のはたらきを受けとめておられるお方から、その声をもって教えを聞き、利益を得ることができるのです。

 もう一つは、「六根(ろっこん)通じて説きたもう。相好もまた然なり」ということです。「六根」は眼耳鼻舌身意で、仏の身体を表わします。また相好も仏のお徳を身体で表わしたものです。仏がそのお身体の全体をもって説かれた、そのお姿を見ることができるということでしょう。仏が教えをもって言わんとするところを見ることができる。教えは聞くところにあり、聞くことによって、それを見ることができる。出遇うことができるのです。

 親鸞聖人は、如来の第十八願の「至心信楽(しんぎょう)欲生我国」の「信楽」を、「信楽というは、如来の本願真実にましますを二心なく深く信じて疑わざれば信楽と申すなり。」(東512 西643 島17-1)と領解されます。諸仏善知識の讃嘆される名号を聞き、迷い深き凡夫と目が覚めていくところに、必ずあなたを救うぞと誓われる如来のまごころに出遇うことができるのです。聞のところに、如来真実に出遇(であ)うことができる。私の人生の上に、今日のこの身の上に如来のまごころを見ることができるのです。

 善導の「仏説」の領解を頂いて見ますと、最も大きく力を持ったものは如来であり、如来の説法、呼びかけを聞くところに、人間の本来のあり方があることが知らされます。親鸞聖人はそれを「頂戴(ちょうだい)」という表現で表わされたのでしょう。聖人はこの言葉に左訓をつけて、「イタダキ イタダク」(坂東本)と受けとめます。私における最も高い位置の(頭の)頂きにおいて教えを戴くのであると。
 その具体的なあり方が「聞く」ということなのでしょう。読むことも大事なことですが、これは聞くことを基盤として、その上でなされるべきことのように思います。そうでないと、前述のように、如来の説いた仏教を、私の思いで読んでしまうことになる。それをもって、これが仏教だと結論を出したとすれば、何と残念なことかということになるでしょう。宝の山に入って、手を虚しくして帰ることになるのです。

善導の仏の領解
 善導大師は『観経』を解釈する中で、仏のことをいろいろな内容で押さえています。以前見た証信序のところに「能説の人」と「能聴の人」というのがありました。「如是の二字は即ち総じて教主を標す。能説の人なり。」「我聞の両字は即ち別して阿難を指す。能聴の人なり。」(親全44 聖全464 ノート48)
 教えを説く者が能説の人、聞く者が能聴の人です。仏は阿弥陀の本願という深い世界を本当に説くことができる。それも少しだけではなく、全部説くことができるのです。方便をも駆使して余すところなく真実を説くことができる。それが能説の人です。

 真実のはたらきである法の世界。この世界から起こされた本願を本当に説き伝えることができる人が現れなければなりません。その人が初めて現れた。それがお釈迦様であったというわけですね。能説の人です。
 そして「如是」は「教主」を指すと。「如是」はそもそも説かれた教えを指しますが、しかし、この教えは説いた人とは別のものではない。それどころか、教えは説いた人そのものである。その人の上に、一般的には歩みが成就して、実際は如来本願来たり成就して、その人が教えとなった。そこまでその人は深まったのです。それが「仏」という存在です。これは証信序の大きな問題でした。

 また仏を「娑婆(しゃば)の化主」と表わす場合があります。少し先のほうですが、第七観の華座観の直前の文についての善導の言葉です。お釈迦様と阿弥陀が向い合って韋提希(いだいけ)を救おうとする非常に大事な場面です。そのお釈迦様を善導は「娑婆の化主」と表わしています。一方、阿弥陀のほうは「安楽の慈尊」ですね。
 娑婆の化主であるお釈迦様が、安楽の慈尊である阿弥陀仏に対して、自分の心を阿弥陀のほうに向け続けて、どうか阿弥陀よ、この韋提希にはたらきかけてほしいと。私はあなたのはたらきのことを教えとして韋提希に説くから。はたらきそのものはあなたなのだから、どうかはたらいて欲しいと。お釈迦様が説かれるその教えの言葉に即して阿弥陀が現れるのです。韋提希が、お釈迦様の本願の教えを聞く、その聞く場に阿弥陀が現れるのです。

 この「娑婆の化主」という表現で大事なところは、「化主」もそうですが、「娑婆」が大事なのですね。お釈迦様が教えを説かれる場所は娑婆なのです。娑婆においてなのですが、一方では、耆闍崛山に在まして、大比丘衆や菩薩を相手に教えを説いていたとある。耆闍崛山は娑婆ではない。ではなぜ、こういう記述があるのかが問題になりますね。そういうところが大事なところです。これは前回、「時」の問題のところで申しました。

 「仏」についていろいろ見てきましたが、もう一つ「玄義分」に説かれるところを見てみましょう。「観経は誰が説いたのか」の問いのもとに次のように述べられます。「説人の差別を弁ずとは、およそ諸経の起説、五種に過ぎず」どのような者が経典を説いているかを見てみると、それは五種類の人があるのだと。「一には仏の説、二には聖弟子の説、三には天仙の説、四には鬼神の説、五には変化の説なり」(親全12 聖全446 ノート15)と、五種を挙げます。

 この分け方は、龍樹の『大智度論』にもとがあるようです。それをいろいろな人が受けとめてきました。善導大師も親鸞聖人も受けとめられました。
 もとの『大智度論』では次のように説かれます。「仏法に五種人の説あり。一には仏自口の説、二には仏弟子の説、三には仙人の説、四には諸天の説、五には化人の説なり」。
 一の「仏自口の説」を善導は「仏説」と言います。仏自口とは仏の金口から出る真実の教えという意味でしょう。それこそが仏説なのだと。二の「仏弟子の説」を善導は「聖弟子の説」と言います。単に「仏弟子」と言えば、凡夫も聖者もいるかもしれない。しかし、その中の聖者の仏弟子ということになります。そうすると、「仏」に限りなく近づくことになります。三以下は今は略しておきます。

 善導はこのように五種を挙げ、続けて「今、この観経は仏の自説なり。」と述べます。阿弥陀の本願を説くことを出世本懐とする仏自らが説いた教えだというのです。それはいかに弟子の中の聖者である聖弟子といえども説けない。いわんや、天仙や鬼神、変化においては説けないのだと。独り仏陀釈尊のみが説くことができる教えなのだということでしょう。

 ところで、親鸞聖人もこの説人の差別の教えを受けとめられます。「(まこと)に知りぬ、聖道の諸教は、在世正法の為にして、全く像末法滅の時機に非ず。已に時を失し機に(そむ)けるなり。浄土真宗は、在世・正法・像・末・法滅、濁悪の群萠、(ひと)しく悲引したまう。是を以って経家に()り師釈を(ひら)きたるに、説人の差別を弁ぜば、凡そ諸経の起説、五種に過ぎず。一は仏説、二は聖弟子の説、三は天仙の説、四は鬼神の説、五は変化の説なり。(しか)れば四種の所説は信用するに足らず。()の三経は則ち大聖の自説なり」とあります。(東357 西413 島12-188)

 浄土真宗と聖道門の教えの違いを明らかにしています。聖道門は在世正法のための教えなのだと。在世はお釈迦様が世に在まし、正法の時代は、お釈迦様が亡くなっても、そのお力がなお目の前に現れるように続いている時期です。
 そういう時であれば、直接お釈迦様にお会いし指導を受けて歩むことができる。また間接的に大変な力を受けることができる。それによって、我が身の煩悩を超えていく聖道の歩みもできるかもしれない。けれども、今はもはやそういう時ではなく、それができる者もいないのです。

 一方浄土真宗は、「在世・正法」はもちろん、「像法・末法・法滅、濁悪の群萠」と言って、浄土真宗はこれらを一つにするのです。いかにお釈迦様が在ましても、またお釈迦様から時間が経って仏法が滅すると言われる時代になっても、どんな時代であろうとも、人間は常に「濁悪の群萠」なのだと。これが浄土真宗の人間観ですね。いつの時代でも人は濁悪の存在なのだというわけです。
 お釈迦様がそばに在ますから、その人が立派な存在だということはない。いくらお釈迦様のそばにいても、その人は濁悪の存在なのです。そのような時の経過がもたらすものを超えて、濁悪の群萌に斉しくはたらきかけて、これを救っていくのが浄土真宗なのだと。その教えを説くのが仏なのだというわけです。こういう位置づけで説人の差別の教えを聖人は出されます。
 そして最後に、「爾れば四種の所説は信用に足らず。斯の三経は則ち大聖の自説なり」と。浄土の三部経は、人間のすべてがそうであるように、濁悪の群萌に向けて如来本願が説かれている教えであるのだと。
 時代を超えて、人間存在を濁悪の群萌だと明らかにし、濁悪の群萌であるがゆえにこの者を真に救う教えが現われ、これを説く者は仏だけであるということです。これは一般論で仏なのですが、具体的には誰のことかと言えば、それがお釈迦様なのだというわけです。

 善導はここで問いを出します。この問答で仏がどのようなものかが決まる問いです。「問うて曰く。仏何れの処にか在まして説き、何れの人の為にか説きたまえる」(親全12 聖全446 ノート15)。仏はどこでだれのために説くのか。説く場所と相手が何かによって、それがどのような教えであり、仏であるのかがわかるのです。
 「答えて曰く。仏は王宮に在まして韋提等の為に説きたまえり」。王宮は娑婆のど真ん中です。悲劇の人間が、その悲劇性を噴出させ顕わにしたその場所です。そして説く相手は、まさしく悲劇に苦しむ凡夫韋提希。この場でこの者に説くべきは阿弥陀の本願しかない。これを説くのがお釈迦様という仏なのです。

 今この『観経』は仏の自説、仏自らが説かれた教えである。自説とは仏自ら説かなければ、何者もこれを説くものはいない。教えを説くということは、ほんとに大事なことで、本願がいかに明らかにされても、それを説く者がいなければ、誰も知る者がいないことになる。説くということは本当に大事なことなのですね。だから仏は自ら説くのです。
 ここは「玄義分」の内容ですから、そもそもこの『観経』でお釈迦様は、何処で誰の為に教えを説かれたのかという、一番基本の視点で問題にしている訳です。それが具体的に説かれるのは、正しくここの化前序のところです。王宮と耆闍の関係が明らかにされていきます。
 そして、もっと具体的になるのが、韋提希のところへお釈迦様がやって来られる場面です。そこで仏とは何かがまた明らかにされていく。何重にも問いが重なって出されているわけです。 

 今「玄義分」のところでは、「答えて曰く。仏は王宮に在まして韋提等の為に説きたまえるなり」このように言われます。場所は王宮。誰の為にか。韋提等の為です。
 これで、仏とは何か、どういう教えを説かれるのか、ということが決まる。王宮とは、誰が住んでいるところか。凡夫が住んでいるのです。耆闍崛山で教えを聞いているような仏弟子達は王宮には住んでいないのです。王宮は娑婆世間を代表する場所です。正しくそこでお釈迦様は教えを説かれるのだと。

 『観経』を根本から間違って理解した浄影寺の慧遠をはじめとする諸師達は、『観経』に関わらず、およそ経典というものは、何処で説くものかというと、もし耆闍崛山と王宮の二つの場所を挙げれば、それは当然耆闍崛山で説くものだという思いなのですね。どうして娑婆の人間の悪業が満ち溢れているところで尊い法が説かれなければならないのか。説かれるのは尊い場所に決まっているではないか。そういう考えなのでしょう。
 この発想は私達にもあるのではないかと思います。あるところでお話の中で「トイレの中でも念仏申しましょう」と言ったら、あるおじいさんが顔色を変えて、「先生、質問」と話の最中に手を挙げられました。「先生、それはおかしい。トイレのような所で念仏申すのはいけんじゃありませんか」と。要するに、失礼に当たるというわけですね。私たちにもこの感覚はどこかにあるかもしれない。仏教は尊いものだから尊い場所に置いておくものだと。トイレの中とかで念仏申したんでは、念仏が汚れそうな感じがする。そういう思いなんですよ。

 それと同じと言っては申し訳ありませんが、経典は耆闍崛山で説かれるべきものだと思っていたわけです。現にここでお釈迦様が一代教を説いたのですから。それを善導大師は、仏が教えを説くのは王宮なのだと。娑婆のど真ん中で説かれるものこそ仏教だと言った。諸師の説を批判する意味が当然あるわけですね。

 もう一つ、誰の為に説いたか。「韋提等の為」ですね。端的に言うと韋提希に説いたということなのですが、正真正銘の凡夫に説いたということです。善導は「実業の凡夫」という表現を使います。韋提希だけではありませんが、登場人物は皆経典の中でいろんな行為をします。それらがあまりにも凡夫的な行為なんですね。父親を殺そうとしたり、牢に閉じ込めたり、入ってはいかんというのを密かに入ったり、入ろうとするのを黙って見逃したり、それを捕まえて殺そうとしたり、正しく凡夫がやるような行為ばかりなのです。
 しかし、諸師はそれがよく分からない。韋提希は凡夫ではない。世の中にいる凡夫のために、「お前、念仏申した方がいいぞ」と、念仏を勧める演技をしているのが韋提希なのだと受けとめたのです。善導はそれを見て、とんでもないと。韋提希こそ正しく凡夫なのだ。経典で、殺したの、(だま)したの、苦しんだのと言っているあの行為は、あれは演技でもなんでもなく本当の行為なのだと。あれをするしかないのが韋提希なのだというわけですね。経典で説かれている通りの人間、凡夫なのですよというわけです。

 その凡夫にお釈迦様は教えを説かれた。それも韋提希一人に説かれたように見えるかもしれませんが、「韋提等」と。韋提希に関わる他の人にも説かれた。五百人の侍女というのが最後になって出てきます。韋提希の周りには沢山の侍女がいる。彼女たちもまた韋提希への説法をそばでずっと聞いていた。韋提希が最後に救われると同時に、彼女達も皆救われたのだと。

 娑婆では、一人の人がいるということは、その人だけがいるということではないのです。家族もいれば知り合いもいる。それらの人たちとの具体的な関わりの中ではじめてその人がいる。ですから娑婆の中で、一人の人をずっと引っ張り挙げたら、何十人、何百人という人が連なってずっと挙がって来るわけです。それが具体的な凡夫の生き方なのです。
 私達は他の人のことを考えずに、自分だけがきれいさっぱり救われればいいんだと思うかもしれません。しかし、人はそのような救われ方はしないのです。いろんな人といろんな関係を持って生きているのですからね。だから、「普く諸々の衆生と共に」という思いも起こってくるわけですね。

 お釈迦様の教えは、耆闍掘山で仏弟子の為に、仏教の専門家の為に説かれるのが仏教ではなくて、そこを基盤にして、王宮という人生の現実の処に来たって、そこにいる凡夫を救う。これがお釈迦様の教えだということを表すわけです。その教えを説くのが「仏」なのです。

 これらが「玄義分」で説かれているところですね。今は化前序ですが、「玄義分」のこの教えが前提になるわけです。「仏」とは何か。全体にわたって何段階も説き方が重ねられていくようです。
 まず「玄義分」の教え。次いでこの「化前序」において。そして実際に韋提希のところにお釈迦様が現れる、両者が出遇う最初の場面。文字通りの最初ではないのですが、王舎城の悲劇が起こってからは最初の出遇い。韋提希のところに現れたお釈迦様はどんな仏なのか。そのように次々と「仏」の姿が明らかにされていく。しかし、当然ですが皆同じです。軌を一にしている。

釈迦牟尼仏
 さて、少し回り道をしてきましたが、「化前序」の文に帰りましょう。「仏と言うは此れ即ち化主を標定し、余仏に簡異す。独り釈迦を顕わす意なり」。(親全48 聖全466 ノート52)本願の教えを以て私達を教化なさる、まさにその仏であり、「余仏に簡異す」他の仏ではないのだと。
 お釈迦様が登場される時に、「余仏に簡異す」他の仏とは違うのだと押さえるところは他にもあります。序分の「厭苦縁(えんくえん)」のところです。「爾時(そのとき)、世尊耆闍崛山に在し、韋提希の心の所念を知り、即ち大目犍連(だいもっけんれん)及び阿難に勅し空よりして来たらしめ、仏耆闍崛山より没し王宮に於いて出でたもう」とあります。
 詳しくは、やがて触れることにしますが、韋提希の心の底の願いを知って、これに応えようとお釈迦様が耆闍崛山からやって来られる。韋提希は、眼前に現れたお釈迦様の正体が何物であるかがわからないのです。お釈迦様は韋提希によって単に「世尊」と呼ばれていますが、韋提希が呼ぶ「世尊」に込められた意味は、お釈迦様の正体には程遠いものがあるのです。

 「釈迦牟尼仏」というのが、お釈迦様の本当の姿を表わす表現です。釈迦牟尼仏とはどういう意味なのか。「牟尼」とは寂静という意味です。涅槃寂静、涅槃の世界です。涅槃の世界は真如の世界ですね。この涅槃寂静の世界におられたお釈迦様が、そこから具体的な仏となって現れた。その行為は、真如が我々のところに来る、正しく如来という行為でもあるわけです。「釈迦牟尼如来」とも言います。涅槃寂静の真実の世界から、韋提希を救う為に現れた、そのお釈迦様なのです。

 この文を善導大師は次のように受けとめます。「釈迦牟尼仏と言うは余仏に簡異す。但し諸仏の名通じて、身相異ならず。今(ことさら)に釈迦を標定して疑いなからしむ」と。ここに「余仏に簡異す」の表現が使われています。他の諸仏ではないのだと。「仏」というのであれば、どの仏も身相は三十二相で同じです。ですから、疑うことがないように、()えて他の仏ではなく、お釈迦様であることを出したのであると。そのお釈迦様こそが、まさに阿弥陀の本願を韋提希に説く化主なのだというわけですね。

 大事なことは、一番根本のところで、真如の真実が私達を救おうと大悲心を起こした。それをいかに具体化して私達に届くようにするか。それがいわば仏様のお仕事ですね。真如の仏が、本願という具体的な内容を持った仏へと姿をとる。その本願に最初に目覚めたお方がお釈迦様ですね。そして本願を人々に説くことを我が出世本懐とするまでの人となられた。
 本願を私に間違いなく伝えてくれるお方が私にとって本当に大事なのです。この方がいなければ本願は誰にも伝わらない。このようにして善導は「仏」を徹底的に明らかにしていきます。「仏」については、ここまでにしておきましょう。


(二)教えが説かれる場所

二つの場所

 次に教えが説かれる場所についてです。経典では、「王舎城耆闍崛山の中に在し」というところです。王宮での教化の前、お釈迦様は耆闍崛山に在し、ここで教えを説いておられたわけです。
 この経文について善導は、「三に、在王舎城より以下は、正しく如来遊化の処を明かす。」と、まずその全体について述べます。如来、即ちお釈迦様が遊化なされる。教えを説き教化されるのです。そのお釈迦様がどこで教えを説かれるかという問題です。それについて二つある。
 「一に、王城・聚落に遊んで、在俗の衆を化せんが為なり。」王城や街中に行って在家、在俗の衆生を教化しようとなさる。これが一つの場所。
 「二に、耆山等の処に遊びたもう。出家の衆を化せんが為なり。」耆闍崛山などで説かれる教化は出家者を教化するためである。このように在家の者と出家の者を教化する場所がそれぞれ違う。そういう問題ですね。
 場所は具体的に王城・聚落と耆闍崛山。王城の方が在家者。耆闍崛山の方が出家者。それぞれを教化するそれぞれの場所。この二つ出されてあるということが大事なところです。

 この二つについての善導の領解を見る前に、一つ気になるところがあります。それは耆闍崛山にいるという「居り方」が「在」という表現で言われていることです。「耆闍崛山の中に在して」と。同じ耆闍崛山で説かれた『大経』を見ますと、「王舎城耆闍崛山の中に住し」(東1 西3 島1-1)とあります。「住」となっています。
 『観経』は「在」。『大経』は「住」。これはどういうことなのか。同じなのか。違うのか。これがどのくらいはっきりとした区別があるものかよく分からないところがありますが、今「在」と「住」は違うという視点で見てみます。
 「住」は「とどまる」と読むように、そこから動かないあり方です。いつもそこに住んでいる。一方「在」は、そこに「ある」。この「在」がどれほど確固としてそこにあるあり方を表現しているかが問題のところです。
 今仮に、そこに身を置いているけれども、そこにしか置かないというのではなく、他の所にも身を置く者が、今はそこにいるという意味で見てみます。即ち、一時的にそこにいるのだということです。滞在という言葉もありますね。

 そうしますと、『大経』を説かれるお釈迦様は、耆闍崛山に住しておられた。ということは『大経』は耆闍崛山だけで説かれる教えなのですね。耆闍崛山は出家者を教化する場所です。お釈迦様は釈迦牟尼如来として韋提希の前に現れます。牟尼の涅槃・寂静の世界から韋提希のところに来たるのです。その寂静の世界を象徴するのが耆闍崛山。寂静の世界から現実の巷に現れた。そういう区別がされるわけです。
 『大経』が最初から最後まで耆闍崛山上で説かれたということは、この経典は教えの原理を表わすということです。原理は、そもそも人間の救済はこのようにしてなされるということを明らかにするわけですから、その全体を耆闍崛山で説くことができます。そういうわけで耆闍崛山に住して『大経』の全体を説かれたのだと。

 それに対して『観経』は、耆闍崛山におられたお釈迦様は、おられたけれども、「住」すというおり方でなく、「在」というおり方であった。耆闍崛山上におられるお釈迦様の外観だけを見ていては、「住」か「在」かわかりません。そこでそれを区別して表わせば、『大経』を説くお釈迦様はここの住人なのです。『観経』を説くお釈迦様はここに滞在中なのです。こういうことになるでしょう。

 では、耆闍崛山に滞在をしているお釈迦様の本当の居り場所はどこなのかと言えば、それが王宮なのです。先ほどのように、「仏何れの処にか在ます」。この問いに対して、「仏、王宮に在ます」と。これも「在」ですが、どこで教えを説くのがお釈迦様の本望かと言えば、王宮で説くことなのだと。苦しんでいる凡夫に説く。こういうわけです。それを表わすために同じ耆闍崛山にいるけれども、「住す」と「在ます」ということで区別している。こういうことが一応言えるかと思います。

 そういうわけで、説く場所を二箇所挙げていますが、二か所で説くという並列的なことではなく、王宮で在家の者に説くのが本望なのです。このように、王舎城で凡夫を相手に説くのが目的のお釈迦様が、今、王舎城での教化をなさるその前の段階の化前序のその時、耆闍崛山で出家の者を相手に教えを説いておられた。それはどういうことかという問題が当然出てきます。
 耆闍崛山での教えは、王宮にいる苦悩の凡夫とは無関係の教えを説かれたのか。そうではありません。在家の苦悩の凡夫を救うための教えを出家の者を相手に説いていたのです。もちろん出家の者のあり方に合わせて。これがお釈迦様の一代教の本当の姿。正体なのです。

 前回読んだところに、化前序の「一時」と王舎城で悲劇が起こった「爾時」が同じ時であるということがありました。同じ時という押さえで、双方に深い関わりがあることを表わすわけですね。
 「下を以って上を形す意なり」。下の王舎城の悲劇がものを生み出す「型」となって、上の耆闍崛山上の教えの具体的内容である「形」を生み出したのだと。それを「(あらわ)す」という表現で示しています。巧みな表現ですね。耆闍崛山上の教えは王舎城での教えと無関係どころか、王舎城の悲劇が元になって説かれた教えなのです。

 下の現実の悲劇が、上の耆闍崛山でのお釈迦様の一代教を決定した。一代教は人間の悲劇とは無縁の内容で説かれた教えではない。それどころか、まさしく悲劇の人間のための教えなのです。
 逆に「上を以って下を形わす」。『観経』がどのような教えなのかということは、上の一代教の教えが決定している。一代教の教えの中心に阿弥陀の本願を説く『大経』があり、その同心円上に方便の教えが数多く展開している。それが一代教。この真実と方便の教えが巧みに一つの教えとして融合され、『観経』の教えとなったのです。
 
 お釈迦様の本当の居り場所は、在家を教化するための娑婆の現実。それを今、王城・聚落とあらわす。そのお釈迦様が具体的に韋提希を教化なさる準備段階、それが教化、化の前、化前ですね。これを化前序として表わすのです。悲劇の人に説く『観経』の全内容が実は一代教なのです。一代教を絞って説いたのが『観経』なのです。『観経』は一代教の要約・帰結ということになります。

観経の誤解
 『観経』という経典がどこか誤解をされている雰囲気があるように思います。やはり「方便」ということばに私たちが惑わされているのだと思います。『大経』は真実の教え、『観経』は方便の教えと言う。その通りなのですが、そこでもう誤解が起こる。方便の意味が分からないのですね。これは仏教用語です。衆生の現実に合わせたところから出発して、真実の世界へ必ず導くことができる教えという意味です。
 それを「方便などたいしたことはない」と世間のことばのようにして使ってはいけない。真実の教えは『大経』だけであり、『観経』はそれよりも数段低い教えなのだという発想になりやすい。一つの経典を真実であると押えれば、他のものはそれより劣るのだと、両者を区別して善悪・優劣をつけ、違ったものと見てしまう。これも人間の虚妄分別の心からくるのでしょうか。

 そんなことはありません。『大経』と『観経』は同じです。それはそうでしょう。これは一代教なのです。一代教の中に『大経』がある。『大経』が真実の教えと言われるのは、阿弥陀の本願を説いたからです。阿弥陀の本願こそが真実を正しく表わしたものなのです。
 一代教の中心部分にこの『大経』があります。他の沢山の経典は、直ちに私たちがこの本願の世界に入るのは難しいですから、私たちの考えを尊重しながら、次第に本願の世界に入ってもらおうという教えです。その教えに触れれば、その教えによって本願の世界まで導かれていく。導く力を持った教え、それが方便の教えなのです。

 この方便の教えを縁にして、中心の真実の教えである『大経』の説く阿弥陀の本願にどうか出遇ってほしい。これが一代教の構造でしょう。この一代教の全体にわたる教えの性格は、悲劇の人間を救う教えであるということです。それを「下を以って上を形わす」と善導は言ったのです。
 その性格を持った一代教が、一つの経典としてまとめられて王舎城で説かれる。それが『観経』です。「上を以って下を形わす」ということです。下を以って形わされた上の教えに因らなければ、下の悲劇は救われません。悲劇の人間のために明らかにされた教えを以ってでないと悲劇の人間は救われないのです。耆闍崛山での教え、即ち一代教が王舎城で説かれなければならない。他の教えでは間に合わないのです。

 こういうわけで、『観経』の教えの中には、中心の『大経』の本願の教えと、本願の世界に至らしめようとする方便の教えとが同時に説かれている。韋提希に方便の教えを勧めて自己に目覚めさせ、真実の世界を受けとめさそうという教えなのです。
 韋提希の思いに合わせて方便の教えが前面に説かれますから、経文の表には方便の教えが登場するのです。出会ってもらいたい真実は、いわばその下に隠されている。やむを得ずなのです。教えが進むにつれて、即ち韋提希が目覚めていくに従って、下の真実が表に顔を彰わしていく。そういうわけで、『観経』は表が方便、下が真実の二重構造の説き方になるのです。
この二重構造を「顕彰(けんしょう)隠密(おんみつ)」の教えと言います。具体的にどのようなものか。読み進めていくうちに次々と出てきますので、ご期待ください。具体的な迷いの衆生に説かれる教えが二重構造を持つところに、その教えが真実であることが証明されると言ってもいいほどなのです。

 前面に方便の教えを持って臨めば、背後にあるのは真実であることは当然と言うべきでしょう。ただ「方便」の度合いと言うか位相というものが一般の方便の教えとは少し異なると言うべきかもしれません。『大経』が真実の教え。『諸経』が方便の教え。そして、この両者を内に含んで一つの経典として立ち上げられたのが『観経』です。
 従って、次のような式になるでしょうか。『大経』+『諸経』=『観経』。つまり、真実+方便=方便。『諸経』も『観経』も方便の教えですが、『諸経』は『大経』に向かわせるための方便の教え。『観経』は、その中に『諸経』と『大経』が収まっている教えです。従って「大方便」と呼ぶべきかもしれません。

 私は、『観経』を「方便の教えだから」と言って低く見る見方の中に、次のような思い方が入っているのではないかと、以前から感じています。それは、『大経』の真実を理想主義的に見る考え方です。それは同時に人間の濁悪さを避けるべきものと見る考え方でもあります。
 如来本願という真実を我が理想として位置づけ、それに向かって行こうとする。その時には、凡夫が出てきてお釈迦様に反発したり、方便の行をすることを勧められたりする『観経』の教えは、その理想の心を傷つけたり邪魔したりすることになって、遠ざけたい教えとして映るのです。そのようなごたごたしたことは避けて、ひたすら『大経』の如来本願真実の世界に向かおうとする。
 この理想主義が『観経』を誤解させ、『大経』一辺倒にさせ、結局「方便」という真実への確かな道を失うことになりますから、『大経』をいくら思慕しても、本願成就には至らないことになる。こういうことが起こりやすいのではないかと思います。

 皆さんもそうだと思いますが、『大経』を読み、また『観経』を読んで、読む私自身の気持ちは同じなのです。同じ気持ちで読むことができる。『大経』は真実だから読んでありがたく、『観経』は方便だからいくら読んでもつまらない、ということはありません。
 『大経』の真実を、虚仮不実の私に沿って説くのが『観経』なのです。だから、『観経』の方便を頂くことが『大経』の真実を頂くことになる。方便の教えによって自己を照らされ知らされ、それによって如来の真実が受けとめられていくのです。

 善導大師も法然上人も親鸞聖人も『観経』は頓教(とんぎょう)であると言われます。頓教というのはこの教えによって直ちに救われるということです。もし『観経』が、いうところの方便の教えであって、一段劣っていて、従ってこれによって直ちに救われることはないのだというのであれば、どうして「頓教」と言えるでしょうか。「漸教(ぜんきょう)」と言わねばならない。
 善導は次のように言います。「問うて曰く。此の経は二蔵の中には何れの蔵に摂し、二教の中には何れの経にか収むる。答えて曰く。今此の『観経』は菩薩の蔵に収む。頓教の摂なり。」(親全11 聖全446 ノート14)小乗の「声聞蔵」ではなく、大乗の「菩薩蔵」であり、聖道門の「漸教」ではなく、浄土門の「頓教」であるのだと。

 法然上人は次のように言われます。「天台・真言皆頓教と名づくと雖も、惑を断ずるが故に猶是れ漸教なり。未だ惑を断ぜず、三界の長迷を出過するが故に、此の経を以って頓中の頓とするなり。」(『漢語灯録』)
 大乗の諸経典は皆自己を頓教という。それは「断惑証理」だからなのだと。なるほど、言われるように惑を断ずることが速やかにできれば、頓教と言えるわけです。しかし、それができない。できなければ漸教と言うしかない訳ですね。いやじつは、永遠に惑を断ずることができなければ漸教であるとも言えない筈ですが。そこへもってきて、この『観経』は如来本願の念仏によって三界を超えることができる。惑のあるままで三界を超えることができる。まさしく凡夫の上に直ちに成就する真の救いの世界ですね。

 このように、『観経』は一段低い教えだという誤解もあるかもしれませんが、そんなことはありません。正しく如来本願の教えを説いているのです。実際に凡夫に説くという実践の場を描いている。これを一段低い教えと見るのは、先にも言ったように、『大経』の真実に自分の力でいけるものと思っている。即ち、自己自身を凡夫とみなしたくないという思いから来ているのかもしれません。
 『観経』は本願を凡夫に説く教え。『大経』は『観経』で説かれるところの本願そのものを説いている教え。その違いです。そういうわけで「遊化の処」が在俗の衆を教化する王城聚落と、出家の衆を教化する耆闍崛山と二つあるということの意味を誤解しないようにしなければなりません。本当に説きたい場所は、王城聚落の方。そのお釈迦様が耆闍崛山でずっと教えを説いておられた。ある意味で準備万端で王宮の事件に向かわれた。こういうことですね。

境界住と依止住
 さて次に善導は、お釈迦様が教化をなさる二つの場所を、在家の衆を教化する処を「境界住」、出家の衆を教化する処を「依止(えじ)住」と表わして、次のように述べます。
 「又在家の者は、五欲を貧求す、相続して是れ常なり。たとい清心を発せども、猶水に画くが如し。但だ縁に隨って普く益し大悲を捨てず。道俗形殊にして共に住するに由無し。此れを境界住と名づく。」(親全48 聖全466 ノート53)
 これは在家の私たちの姿です。常に五欲を貪り続け、清い心を発したかに見えても、それは水に絵を画くようなもので、瞬時に無くなってしまう。そのような在家の凡夫の迷いの行為、これを縁にして仏様の方が大悲の心をもって近づいていく。
 道と俗、出家と在家の者はかたちが異なり、従って住するところが違う。この在家を教化する場所を境界住と言うのだと。王城・聚落など、お釈迦様が教えを説いて教化なさる処です。

 これに対して依止住については、
 「又出家は身を亡じ命を捨て欲を断ち真に帰して、心金剛の若くして円鏡に等同なり。仏地を悕求して即ち自他を弘く益す。若し囂塵(ごうじん)を絶離するに非ざれば、此の徳、証すべきに由なし。此れを依止住と名く。」
 仏道に命を捧げるのが出家です。欲を断ち、真実に帰依していこうとする。その心は金剛の如くである。浄土に生まれることを願って、弘く自利利他の歩みをなす。「囂塵」という珍しい言葉が使われていますが、「(ごう)」は声がかまびすしいことを言います。もとは、祝詞をあげる人がたくさん集まって一斉に声を出す、そのかまびすしさを言います。喧しい。騒がしい。世間の騒がしさですね。
 「塵」はちりのことで、あれやこれやいっぱいある世間の姿を表わしているのでしょう。今皆さんここではお話しを聞くだけでいいですが、家に帰ったら用事がいっぱいあるでしょう。世間とはそういうものですね。そういう世間のあれやこれや雑多なものを絶離し、断ち切って離れていくということでなければ、この出家の者の徳は証することはできない。
 出家の者が世間の真っただ中であれやこれやすれば出家者らしくなくなるのです。それで耆闍崛山にいるというわけです。そのように出家者が山にいて教えを聞いて修行をする耆闍崛山を、境界住に対して依止住という。依止というのはそこに止まるということ。

 そうするとこれがまた面白い。依止住と境界住ということで、この言葉の表現からいきますと、お釈迦様の本拠地はどこでしょうか。それは依止住のほうですね。そこに依って止まるのですから。耆闍崛山が本拠地となります。
 しかし先ほどは、王宮のほうで教化をするのがお釈迦様の本望なのだとありました。「問うて曰く。仏何れの処にか在まして説き、何れの人の為にか説きたまえる。答えて曰く。仏は王宮に在まして韋提等の為に説きたまえり」と。少し違うようです。どういうことになるのでしょうか。

 耆闍崛山を依止住とするということは、お釈迦様の足は耆闍崛山についている。前述のように、韋提希のところに現れたお釈迦様は釈迦牟尼如来なのです。涅槃寂静の世界から韋提希の為に来たった具体的なお方がお釈迦様。その涅槃寂静の世界を表すのが耆闍崛山。その場所で出家者が修行する。お釈迦様はそこに足をつけている。だからこそ雑多な世間の煩悩が蠢いている囂塵の世界にやってくることができる。
 ある意味で本拠地が二つあると言ってもいいでしょう。涅槃寂静が本拠地。出発点の本拠地です。ここを本拠地とするが故に我々のところに来ることができる。我々在家の凡夫のところに来たって教化する。これがお釈迦様の願いなのです。そういう意味での本拠地。それに対して仕事場はここ王舎城ですね。そういう両方の意味があります。
 だから二つ遊化の場所があるというのは、並列的にここもあれば、ここもあるというのではなくて、二つでワンセットなのです。耆闍崛山に立つが故に王宮に来ることができる。王宮に来るためには耆闍崛山に足をつけていなければいけないし、耆闍崛山で得た力を思う存分王舎城で発揮しなければいけない。両処がそれぞれ大事なのです。その二処を自らの居り場所にしているお方がお釈迦様なのです。

 経典の文面は、王舎城耆闍崛山に「在ます」ということであって「住す」ではない。いつまでもいるところではないのです。文字通り教化の前の段階を表わしている。お釈迦様は耆闍崛山をいわば出身地にして、自分の仕事をする場所はここなんだと王舎城に行かれる。その赴かれる動きが如来の「来」の姿ですね。
 もしこれを動かずに、耆闍崛山は素晴らしいところだと言って、じっとしておれば、如来にはなれません。如来になったということは、阿弥陀如来のはたらきに同じて耆闍崛山を出て我々のところへ自ら来られたということです。そこに私たちにとっての大変な御恩があるのです。仏様が仏様ご自身の意思で私たちのところへ来て下さった。そういうことを場所で表そうというわけですね。なかなかの内容があるところですね。


(三)大比丘衆たち

声聞衆の徳

 さて、化前序の最後に、もう一つ「衆」の問題があります。経典では「大比丘衆千二百五十人と(とも)なりき 菩薩三万二千あり 文殊師利法王子を上首と()り。」のところです。耆闍崛山での一代教が説かれるときの、集まった人たちの姿が説かれています。
 経文の意味は難しいことはないようです。しかし、この文に対する善導の領解はとても長く詳しいのです。お釈迦様の会座に集まった者はどのような者か。善導の深い経典と人間の理解が展開します。これによって化前序が次の発起序の六縁を展開させる基盤となっていることがよく分かります。あまり詳しくは触れられませんが、一応の流れを見てみましょう。

 善導はこの箇所を全体として「仏の徒衆を明かす」と押さえ、大きく二つに分けて解説します。「徒衆」とは門徒衆のことです。声聞衆と菩薩衆で表わされます。まず声聞衆について九つの内容で説明し、さらに問答を四回重ねて、声聞衆の理解を深めていきます。次いで菩薩衆については七つの内容で説明し、さらに『大無量寿経』の衆成就の文を要約して菩薩衆を理解していきます。

 初めの声聞衆のところから見ていきましょう。
 「声聞衆の中に就いて、即ち其の九有り。初めに「与」と言うは、仏身、衆を兼ねたり。故に名づけて「与」と為す。二つには惣大。三つには相大。四つには衆大。五つには耆年大。六つには数大、七つには尊宿大。八つには内有実徳大。九つには果証大。」(親全49 聖全466 ノート53)
 耆闍崛山の会座に集まっている千二百五十人の声聞衆について、このように九つの視点で明らかにしていきます。まず初めは「与」についてです。「与大比丘衆千二百五十人倶」(大比丘衆千二百五十人と(とも)なりき)。この「と」に当たるところが、漢文では「与」の文字なのです。誰々と共に、の「と」です。この「与」を善導は「仏身、衆を兼ねたり」と受けとめます。これは基本的なことで大事な受けとめですね。千二百五十人の声聞を仏身が兼ねているのだということですから、声聞とは何であるかの基本のことがまず確認されているわけです。

 仏身が衆を兼ねるとはどういうことでしょうか。「兼」の字は、稲を二束手に持つ形です。二つで一つということですね。従って、仏身が声聞を兼ねるということは、仏身と声聞の二つで一つになるということです。これはどういうことか。
 仏は衆生を救う存在です。その仏がいくらはたらきかけても衆生を救うことができなければ、それは仏とは言えない。衆生を救うことができて初めて仏となることができる。ですから、仏が仏である姿は衆生と共にある姿。衆生をわが身の内に摂めた姿ということになるでしょう。このとき、仏が兼ねると言わずに、仏身が兼ねると言っている。救われた衆生を内に含んで、衆生と共にあるのが本来の仏の姿、身であるということだと思います。

 これを逆に衆生のほうから言えば、迷っていた者が因縁恵まれて仏に遇うことができ、仏のもとで教えを聞き歩むことができることを以って、真の自己に立ち返ることができた、救われたというわけです。それが声聞となったということですね。声聞とは教えを聴聞する者という意味です。
 大乗仏教の時代になって、声聞は自己の悟りを得ることにのみ専念して利他の行を欠いていると批判をされるようになります。先に「自覚・覚他・覚行窮満」のところで出たとおりです。
 この一面はあるのですが、しかし、そもそも人が声聞になるということはとても大事なことであるわけです。この一点はしっかり確認しなければならないでしょう。迷いの底にあって流転空過を繰り返していた者が、因縁恵まれて仏に出遇う。出遇って教えを聞いていく者となる。革命的な変化です。
 教えを聞いてみれば、自分はなんと間違った生き方をしていたかを知らされ、真実の道はここにあるのだと、生まれて始めて真実の光を見る。出遇った喜びと生きようとする意欲が心の底から溢れ、仏に随い教えを聞いて生涯を歩むことを新たな真のわが道として確立し、生まれ変わった者のように生きていく。声聞となることが、迷いから悟りへの分岐点なのです。

 学生時代、先生から教えを聞くことを勧められました。みすぼらしく哀れな者に、先生はただ一言「教えを聞けよ」と仰ってくださったこともあります。その当時よくお聞きした教えは第十八願の、いわゆる本願成就文というものでした。「諸有の衆生、其の名号を聞いて、信心歓喜し、乃至一念せん」。信心歓喜はよき人の教えを聞くところにあるのだと、何度も説いてくださいました。
 それは信心成就の道理を説かれていたのでしょうが、しかし、先生のお心は、如来真実の教えを聞く人になってくれよという、深く熱い願いだったのではないかと今になって思います。それほどに哀れな存在であったのです。一人の若者が、なんら真実に触れず、真実が分からずに生きている。前途は長いのに、真実がない。これほど哀れで悲しむべきことはないかもしれません。その私に、どうか教えを聞いてくれよ。教えを聞く人になってくれよとの悲願ではなかったかと思います。

 教えを聞くということは、ただそれだけのことですから簡単なことのようではあります。しかし、実際に教えの前に立つと、それを聞くのは驚くほどに難しいことを知らされます。これは多くの人が経験されたことでしょう。私の心の底の我の心が長い眠りから覚めて教えを拒否するのです。
 教えが現われるまでは寝ていてもよかった。しかし、現われた今、黙っていてはおられない。猛然と教えに反発します。しかし、遂に我は折れる。そして、「教えを聞く人」とならしめられるのです。なんという有り難いことでしょうか。宝物を宝物と認めることができ、流転空過を超えることができるようになるのです。今耆闍崛山では、誰が声聞となったのでしょうか。それは少し後に出てきます。

「大」とは何か
 次の二番目以降は「大比丘衆」の「大」についての解釈です。声聞の比丘たちを讃嘆する言葉が「大」です。ではどのような意味で「大」なのか。それを八つで表わします。
 最初が「惣大」です。「惣」は「総」です。これ以下の七つはいずれも声聞の「大」なることを讃えています。そこで、七つ全体が「大」であると初めに押える。それが「惣大」です。
 「大」はもと梵語の「摩訶」を訳した言葉です。「摩訶」は大・多・勝の三つの意味を持つ言葉ですから、「大」の語には、他の「多」「勝」の意味もおのずと含まれています。従って声聞の大・多・勝の徳が、具体的に七つの面で讃えられていることになります。

 第一は「相大」です。戒律をしっかり守り、威儀が殊勝であり行の姿も優れている。その姿全体が優れていることをまず挙げます。
 第二は「衆大」です。衆とは大衆の衆というのではなく、「僧伽」を訳した言葉です。出家は一所に集まって争わず和合しますから、僧伽のことを衆というのです。今、千二百五十人の比丘たちが和合している。その姿は素晴らしいものであるということで「衆大」というのです。
 第三は「耆年大」です。耆年とは長老のことです。かつては六十歳を過ぎれば長老と言われていたようです。仏のそばで長年聞法を続けた長老が多いということです。
 第四は「数大」です。じつに千二百五十人の比丘が集まって僧伽を形成している。皆長年の聞法者であり、生活の威儀も美しく優れているのだと。
 第五は「尊宿大」です。徳も年齢も高い。大ベテランの聞法者ですね。そのような人がたくさんいる。
 第六は「内有実徳大」です。内に真実の徳を備えている。相大は外儀の徳でしたが、これは内面の深い精神の徳です。大いなる真実の心を持っていることを讃えています。
 そして第七は「果証大」です。集う千二百五十名は皆阿羅漢果を証している。悟りの世界に至っている。

 これらの声聞比丘たちの徳の讃嘆を見てみますと、まざまざと今私たちが賜っている僧伽を構成する人たちのお顔が浮かんでくるようです。謙虚さの奥に自然に滲み出る深いお徳。何十年という間、聞きに聞き、聞くことに徹した聞法一筋の歩み。高齢の持つ深さに内徳の深さが重なり、そこに真実の言葉とユーモアとベテランの融通無碍さが溶け合い、奇跡のような人が誕生する。その奇跡の人がここにもそこにも沢山おられる。
 時々初めての方が加わって、こんなところは始めて、日本のどこにもないと言われる。ないことはないのでしょうけれど、出会ってみた感動の表現はそうなるのでしょう。仏に出遇い、よき人に出遇い、その人を通して教えを聞き続けることがもたらす深く柔らかく楽しい真実の徳がある。それが大変な激動の人生を生きてこられた長老のお一人お一人のところに、身についたものとして光り輝いている。僧伽というのはほんとにいいものですね。
 私たちが人々に提供できるものがあるとすれば、具体的にはこの僧伽でしょう。僧伽を構成している長老の聞法・念仏者の方々でしょう。この僧伽に出遇ってこの空気を呼吸してほしい。この方々に出遇ってお話を交わしてほしい。こういうことがしきりと思われますね。

声聞はかつて外道であった
 このように集まった声聞の比丘たちの徳を讃嘆し、さらに四つの問答を重ねて、「衆」とは何かを明らかにしていきます。一番目の問いは次の通りです。
 「問うて曰く。一切経の(はじめ)に、皆此等の声聞有って以って猶置とせるは、何の所以か有るや」。
 経典のはじめには、どの経も菩薩たちに先んじて、声聞衆の列記が出されている。この形式でよしとするのはどのような理由があるのか、ということですね。「猶置(ゆち)」というのは、「猶」は「可」の意で、よしとするという意味のようです。どの経典も、そのはじめに声聞衆を挙げることをよしとしているのはどういうことか。こういう問いですね。

 これに対して、驚きの答えが出されます。
 「此れに別意あり。云何が別意なる。此等の声聞、多く是れ外道なり」。
 最初に声聞比丘が列記されるには特別な意味があるのだと。それは、千二百五十人の声聞は、じつは外道だったのだということです。これは驚きですね。
 お釈迦様の会座に出家して集まる者は、先にあったように大きな勝れた深い徳を身に成就されたお方ばかり。そこにはこの世のものとは思われない和合の僧伽が繰り広げられている。そういうわけですから、声聞たちはいかにすぐれたお方であるかと思われます。しかし、彼らは以前は外道だったのです。

 続いて千二百五十人の内訳が示されます。およそ次のような内容です。お釈迦様には「三迦迦葉(かしょう)」と言われるお弟子がいる。長男が優楼頻螺(うるびんら)迦葉。そして那提(なだい)迦葉、伽耶(がや)迦葉。この三兄弟は何れもかつて外道の師であったのです。
 優楼頻螺迦葉が五百人の弟子を持ち、那提迦葉が二百五十人、伽耶迦葉が二百五十人の弟子を持っていた。この三兄弟がお釈迦様の教えを聞くようになり、弟子たちも入門し、これで千人の出家者が誕生したわけです。
 さらに、舎利弗と目連は親友でしたが、彼らもはじめは外道であり、合わせて二百五十人の弟子を持っていた。これらの人を合わせて千二百五十人となるということなのです。

 三迦葉については次のようなことが伝えられています。彼らはお釈迦様が成道なされた伽耶(がや)城の近くにそれぞれ住んでおり、事火(拝化)外道の師で名声を博していたのです。
 お釈迦様は成道の後、鹿野苑(ろくやおん)で安居の会座を終え、王舎城の頻婆娑羅王のところへ行こうとされます。その途中、この三兄弟を教化しようと、優楼頻螺迦葉の家に寄って一夜の宿を請うのです。そこで仏は毒龍を取って鉢の中に入れるなどの神変を現わし、彼らの慢心を打ち砕きます。
 しかし、長男の優楼頻螺迦葉だけは依然と心を改めず、仏に向かって、あなたの現わす神変は私の道の真実には及ばないと言い放ちます。仏は迦葉に向かって、お前はまだ阿羅漢の悟りを開いてもいないし、それに向かおうともしていない。どうしてそのような大我慢を起すのかと(いさ)め、四聖諦の教えを説いて事火の道に勝ること教えます。これを聞いた迦葉は廓然と大悟し、事火の具を河の中に投げ捨て、師弟共に仏の教えに帰依するのです。

 二人の弟は下流にいて事火の道具が流れ来るのを見て驚き、後に長兄の勧めに従って弟子と共に入門するのです。長兄は二人の弟に、世尊は大慈大悲を成じたお方であり、自分は仏法の世界の中に入って出家修道するのだと告げたのです。仏は三人を連れ伽耶山頂に到り、そこにあった事火外道の祭火の跡を指して、貪瞋痴の三毒の煩悩は必ず滅すことを説きます。
 三兄弟の教化を終えて仏は王舎城に入ります。出迎えた家臣は、迦葉と釈尊とどちらが師であるか疑っていたところ、迦葉は神通を現わして空中に昇り、降りて仏足を頂礼し、その徳を讃嘆します。それを見て家臣は、仏の威徳は広大にして世に並ぶもののないことを知ったと言われます。

 舎利弗と目連については、次のようなことが伝えられています。二人は隣村同士でしたが、幼くして交わりを結びました。ある日、大祭に詣でて群衆の雑踏を見、憂悩の情押えがたく、出家学道することを舎利弗は目連と約束します。時に高名なる外道の師があり、舎利弗は両親の許しを得て目連とその門に入り、師の没後、二百五十人の弟子を率いるようになります。
 一日王舎城に托鉢に出かけた時、馬勝(めしょう)比丘に会い、その威儀の端正なのを見て、師はどなたであるかと尋ねます。馬勝は釈迦牟尼仏に師事していること、そして師の教えの勝れていることを説きます。これを聞いた舎利弗は直ちに法眼を得、目連に知らせ、二百五十人の弟子と共に仏門に入るのです。教団において自行と化他に努め、仏の遊化をたすけ、仏の一子羅睺羅(らごら)の師ともなります。

 舎利弗と共に仏門に入った目連も、各地を遊行して仏の教化をたすけます。舎利弗と共に力を合わせて祇園精舎を建立し、提婆がお釈迦様の教化を妨げようとした時、伽耶山に到って教化し、提婆の弟子五百人を悔悟させ、四散させたのです。神通軽挙して十方に飛到するは大目犍連比丘是なり、と讃えられます。
 この目連の活躍を憎み、仏教が盛んなのは彼の力によると考えた外道の者達は、目連が乞食に出た時を襲い、石をもって乱打し、路辺の草中に投げます。骨砕け肉(ただ)れた目連は、しばらくして息を引き取ったのです。これを聞いた阿闍世王は、直ちに外道の者を刑に処し、竹林精舎の門辺に塔を立て弔ったと言われます。

 千二百五十人の大比丘衆を説明するのに、彼らはかつて外道であったということを、善導は『賢愚経』という経典から引用して述べています。三迦葉に関するところです。どうしてこのような受けとめ方をするのか、少し不思議な感じがします。
 しかしよく考えれて見れば、人は皆はじめは外道ではなかったか。仏に背き、責任を他に転嫁し、自己をよしとして(はばか)らない生き方をしてきたのではないのか。そう問われれば、私自身もまさしくその通りでしたと言うしかありません。人はみなそうなのかもしれない。その外道の者が因縁恵まれて仏に出遇い、教えを聞き、生涯仏に随って歩む者となるのです。これが人間の歩みの展開の典型なのでしょう。人は皆この歩みをしていくのだと。

 耆闍崛山で明らかになったこの道理をもって、王舎城の韋提希のところにお釈迦様は至るのです。「韋提希よ、凡夫の韋提希よ、外道の韋提希よ、どうか如来本願の教えによって念仏の道を生涯歩む者となってくれよ。人は皆、はじめは外道なのだ。お前は自分の悲劇の原因が私にあると思って私を憎んでいるようだが、韋提希よ、それでいいんだよ。そこからが出発なんだよ。誰もがここから歩み始めるんだよ」。
 千二百五十人の具体的事実をもって、証明をもって、お釈迦様は韋提希のところに至られるのです。まさしく「化前序」と呼ぶにふさわしい事柄ではないかと思います。

人は皆外道である
 二番目の問いは次のようなものです。
 「問うて曰く。此の衆の中に亦外道ならざる者有り。何が故ぞ惣じて標する」。
 耆闍崛山の会座に集う者は、必ずしも皆外道だった者ばかりではないのではないか。それなのに、総じて外道だったと押えるのはどうしてなのか。こういう問いです。これも納得のいく問いですね。いろんな人がいたはずなのに、なぜ外道ばかりがいたように確認をするのか。この問いで、善導が自分自身の独特な理解の意味を明かしていくわけです。
 これに対する答えは「此の諸の外道は常に世尊に随って相い捨離せず。然るを結集の家、外徳を簡び取る。故に異名有り。是れ外道なる者は多く、非ざる者は少なし」。
 かつて外道であった者たちは、仏門に入り、世尊に付き従って離れようとしないし、世尊も離そうとしない。そのようにして彼らの上に徳が身についていったのでしょう。後の経典を編纂する会議の時、編纂者はこの比丘たちの外の徳、即ち四方に聞こえる徳を彼らの最大の特徴として押え、外道時代の名からそれぞれの徳にふさわしい名へと様々な名がつけられた。それが「異名」です。このように新たな名がつけられた者が多いということは、外道が多いことを表わしているのだと。

 ただ、これは控え目に言っているようにも思えます。なるほど、釈尊の子の羅睺羅や従兄弟の阿難などは外道の道を歩んだということはないでしょう。しかし、外道の師についてその道を進んで歩むということがなくても、人は皆外道の存在なのです。
 たとえば、頻婆娑羅王を殺した阿闍世が、その罪に苦しむ時、六人の外道である家臣がやって来て阿闍世を慰めます。あなたに責任はないという外道的慰めです。この外道の言葉に阿闍世は揺らぎます。完全についてはいかないけれども完全に否定もできない。その時、天より声あって阿闍世に叫びます。
 「願わくは大王、速やかに仏のみもとに(もう)ずべし。仏世尊を除きて余は能く救うこと無けん。(中略)吾は是れ汝が父頻婆娑羅なり。汝今まさに耆婆の所説に随うべし。邪見六臣の言に随うことなかれ」(東258 西276 島12-99)。
 逆害を加えられたその父が、わが子阿闍世のために必死の思いで天より呼びかける。感動の場面ですね。人を救うのは仏だけなのだ。外道の者のことばに騙されてはいけないぞ。仏の所へ行こうと誘う耆婆のことばを信ぜよ、と。

 ここには、右か左かの究極の場面において、外道の言葉に揺らぐ人間の心が表わされているように思います。人間存在の心深くに巣食う外道性です。如来真実のまごころを無視し、自己をよしとして責任を他にかぶせ、真実のほうを見ずに平然と生きる者です。
 「是れ外道なる者は多く、非ざる者は少なし」と、重ねて問う答えの中に改めて外道を強調するところに、人は皆外道であることを言わんとする善導の声を聞く思いがします。

師を持ち続けるということ
 第三の問いは次の通りです。
 「又問うて曰く。未審(いぶかし)。此等の外道、常に仏後に随えるは何の意か有るや」。
 おかしいではないか。これらの外道は既に外道から仏道へ転回をした者だから、いつまでも仏のそばにおらずに、独りになって自分で道を歩めばいいではないか。いつまでも仏に随い続けるには何か意味があるのか。こういう問いですね。

 これに対して善導は二つの観点から答えます。一つは仏の側から、もう一つは外道の側から。
 「仏に就いて解せば、此れ諸の外道、邪風久しく扇ぐこと、是れ一生のみに非ず。真門に入ると雖も気習なお有り。故に如来知覚せしめて外化せざらしむ。畏らくは衆生正見の根芽を損じて悪業増長し、此世後世に果実を収めざることを。此の因縁の為に摂して自ら近づけて外益を(ゆる)さざらしむ」。
 外道の者は、たとえ回心(えしん)して出家し比丘になったと言っても、その外道性なるものは依然と残っているのです。単に一生だけで終るような浅いものではない。そのことを釈尊はよくお知りになり、比丘たちをして簡単に人を教化することをさせなかった。
 それは、教化することによって衆生の正しいものの考え方の芽が出るのをむしろ摘むことにもなり兼ねず、それによっていい結果が何も起こらなくなることを恐れられたのであろうと。だから仏は、比丘たちを、自分から離れて勝手に人を教化することのないようにしたのであると。また、そもそも、会座に列席している者を列記するその最初に比丘たちを挙げるということ自体が、常にお釈迦様のそばにいる者だからという理解もできるでしょう。

 外道の側からは次のように述べます。
 「次に外道について解せば、迦葉等の意、自ら唯曠劫に久しくして生死に沈んで六道に脩還して苦しみ言うべからず。愚痴悪見にして邪風に封執し明師に値わずして永く苦海に流れたり。但し宿縁を以って(たまたま)慈尊に会いたもうことを得ること有って、法沢私無し。我が(ともがら)潤いを蒙って、(つい)で仏の恩徳を思うに、身を砕くの極まり惘然(ぼうぜん)たり。(まのあた)り霊儀に(つか)えて暫くも替わるに由無からしむることを致す」。
 迦葉たちの思いはどうであろう。「私は、果てしなく生死海に沈んで迷いの道を久しく繰り返してきた。真実に背く愚痴悪見をもとにした外道の考え方に閉じ込められ、真実を説くよき師に遇うことなく流転を繰り返してきた。その自分が、どういう因縁であろうか、慈悲深き釈尊にお会いすることができ、このような私にも仏法の世界を賜うことができた。
 僧伽の中に身を置くことによって深い深い仏のご恩を思えば、ただ身を砕いてお応えしなければと思うばかりである。尊いお姿を表わされている世尊のおそばに常におつかえしてご恩を謝し、一時も離れる理由などない身にさせられた。もし離れてしまうならば、また、あの愚痴悪見の外道の悪行に走り、果てしなく生死海をさまよわなければならない身なのだ」こういうことでしょうか。

 先生がよく、このようなお話をされていました。亀井勝一郎が暁烏(あけがらす)(はや)さん宅を訪れ、しばらくお話をして帰ろうとされた。その時暁烏さんが、「亀井さん、あなたは師を持っておられませんね」と。このお話はお聞きするたびに、胸に響きました。亀井勝一郎は暁烏さんに対してどのようにお話しをしたのか。暁烏さんの制止を振り切って、自分の意見を主張したのかもしれません。皆が頂くべき教えを、自分の説として言い張ったのかもしれません。これらは皆、師を持たない者の所業なのです。

 尊いものはすべて頂いたものです。私がつくったのでも、生み出したのでもありません。私の手柄などはないのです。その尊いものはまた、師を通して頂いたのです。師を師として生涯つかえること。師を師とし続けること。ここに、仏法者の道があります。それは即ち「弟子の道」なのです。親鸞聖人は信心念仏に生きる者を「真の仏弟子」と押さえられます。仏道を歩む者の本当のあるべき姿は「弟子」として生きることなのですね。これはとても大事なことです。

 師を持とうとしない人もあるでしょう。一時的にだけ持つ人もあるでしょう。なぜそうなるのか。頭を下げたくないのではないでしょうか。自分が一番になりたいのです。お山のてっぺん我一人と威張っている姿が連想されます。邪見憍慢なのです。真実などはどうでもいい。自分が自分であればいい。そのためには自己を主張し、誰にも頭を下げず、邪魔者は蹴散らして進めばいい。傲岸不遜な生き方です。

 迦葉たち比丘衆は、いつも、自らの外道性を内に凝視していたのです。親鸞聖人が「総序」で言われますように、「(たまたま)行信を得ば、遠く宿縁を慶べ。若しまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、更ってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮すること(なか)れ」(東149 西132 島12-1)このことなのですね。
 信心念仏を頂いて大きな世界に出たからと言って、私自身の外道性はなんら変わらない。師を通し、如来より賜ったものを、「俺が」といって所有した途端、また曠劫を径歴する身なのです。
 師は、単に教えてくださるお方ではない。師は道なのでしょう。師に教えを受け続けるところに道がある。私から師を除けば、もはや道は崩れ落ちているのです。仏法の世界を、師が、この上を歩めと存在のすべてを横たえてくださる。師が仏道であるからこそ、歩むものの姿は「仏弟子」なのです。

三部経は一つである
 四番目の問いは次の通りです。
 「又問うて曰く。これらの尊宿、云何ぞ衆所知識と名づくる」。
 これは比丘衆のお徳を讃えているわけで、特に「衆所知識」のことばを挙げて、衆に知識せらる、即ち、なぜ人々からよく知られ、また知識(師)と仰がれるのか、と問うているのです。ここで不思議なことは「衆所知識」の語は、『観経』にはありません。ただ、「大比丘衆千二百五十人と倶なりき」の文があるだけです。それであるのに、どうしてこの語を持ってきて、比丘衆たちのことを問うのか。

 「衆所知識」の語はじつは『阿弥陀経』にあるのです。「一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)に在して、大比丘衆千二百五十人と倶なりき。皆是れ大阿羅漢にして衆に知識せらる」(東125 西121 島3-1)。『阿弥陀経』の会座に集まった者が「衆に知識せらる」。この言葉を善導はここで使ったのです。
 しかし、それはどういうことでしょうか。別の経典を持ってきて、あたかも『観経』がそうであるように言ってもらっては困るという感じがします。そこが善導の押さえた大事なポイントなのです。

 じつは、この大比丘衆の次に「菩薩三万二千あり」の文が出てきますが、この「菩薩」を解釈するのに、善導はなんと『大無量寿経』の文を引用するのです。それについては次回申し上げることにしますが、要するに善導は、「大比丘衆」を説明するのに『阿弥陀経』の言葉を使い、「菩薩」を説明するのに『大経』の言葉を使っているのです。
 即ち、『阿弥陀経』と『大経』をもって『観経』の序分の心を表わす形になっています。これは面白いことで大事なことです。経は別々の三つなのですが、念仏による救いであるという点で一つの経典なのです。

 この問いに対する答えは次の通りです。
 「徳高きを尊と曰う。耆年なるを宿と曰う。一切の凡聖、彼の内徳、人に過ぐれたることを知り、其の外相、殊異なることを識る」。
 どうして「衆所知識」と言われるのかの問いに対して、まず、「尊宿」の説明をします。これは「尊宿」であることが「衆所知識」と言われる理由だからということです。徳が高く長老であるからだと。先の大比丘衆の「大」の徳を挙げるところで出てきました。「尊宿大」と。
 これをもう少し具体的に答えるのが次の文です。一切の者は、比丘衆の内なる徳がいかに人に勝れたものであるかをよく知っている。同時にその外に現われたお姿がいかに殊勝なものかを識っている。内相の徳を知るを「知」と言い、外徳を知るを「識」と言っています。それは又即ち、尊を知るを「知」と言い、宿を知るを「識」と言うわけです。このようにあらゆる人に内徳外徳共に知られるのを「衆所知識」ということになります。

 では、あらゆる人が知ることができる徳とは何でしょうか。言い換えれば、あらゆる人によって知られるべき徳とは何でしょうか。このことがじつは問題にされているのではないかと思います。それが「尊宿」です。
 いかに外道であったとしても、仏に出遇い、仏のおそばで教えを聞きぬき、同じ聞法の友との間に和合僧・僧伽を賜り、内面深く徳を有し、外にもそれが現われ、歳とともに徳はいよいよ深まり、生涯仏弟子としての道を歩みぬいていく人。この人の上に輝く徳こそ、我らすべての者が知るべき出会うべき徳なのです。その徳が今、耆闍崛山上の会座に集う大比丘衆の上に輝いている。
 お釈迦様は、この会座をもって、この会座成立の道理を持って王舎城の韋提希の前に行かれるのです。外道から大いなる徳の者へ。この人間本来の転回の道筋をもって王舎城に行かれる。韋提希よ、お前もこの道を歩むのだよと。いかに耆闍崛山の会座が、王舎城教化の前の会座の意味を持っているかが知らされます。

 「次の菩薩三万二千あり」のところが残りましたが、これも一山ある教えですので、次回に譲ります。

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