今よみがえる観無量寿経 第6回 「化前序(2)」
 

るいれつの会(2011年10月17日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』



(一)仏の正意を明かす

化前序の位置づけ

 今回は六回目ですね。五回終わって、予定の百回の二十分の一ということで、まだまだ始まったばかりですね。
 前回は「化前序」に入りました。その初めに、そもそも化前序とは何かというところを見てきたわけです。今回は「化前序」についての善導大師の教えを一つずつ読んでいきたいと思っています。まず『観経』の冒頭の部分をご一緒に読んでみましょう。
 「是の如く我れ聞く。一時、仏、王舎城耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の中に(ましま)し、大比丘衆(だいびくしゅう)千二百五十人と(とも)なりき。菩薩三万二千あり。文殊師利法王子を上首と()り。」(東89 西87 島2-1)

 この箇所について善導大師は非常に独特な受けとめをなさいました。普通はここを六事成就の内容として押さえ、証信序とするところです。しかし善導は、初めの「是の如く我れ聞く」だけをもって証信序とし、その次の「一時」以下を発起序のほうへ移し、さらに、発起序の中の化前序という二重の位置づけをしたのです。
 王舎城において韋提希を教化する前に、お釈迦様は耆闍崛山において非常に重要なことを明らかにされた。この教化の前の出来事が『観経』正宗分の教えを発起させる大きな要素なのだということです。発起の序の一部分を構成するのです。
 具体的には阿弥陀の本願が明らかにされたということです。阿弥陀の本願が悲劇の人間にはたらきかけ、歩ませ、遂に救っていく。あらゆる者を真に救おうとする本願、悲劇の底に沈むしかない人間、この二つのものの二つの事実が経典の教えを引き出す発起の序の内容となるのです。
 悲劇だけでは救いは起こりません。悲劇の人間を救うものが何であるかが明らかにならなければ経典は説き始められないのです。発起序の内容は人間の悲劇を描くことだけではない。迷い苦しむ人間を支える大地となって、人間にはたらきかけ救っていく如来本願まします。このことが厳然として経典の教えを発起させる序の位置を占めているのです。なんと有り難く頼もしいことでしょうか。「化前序」の教えに触れて、もうこれで十分だと思えるほどの感動を私たちは持つことができる。なぜなら、ここに真実のかたちが表われているのですから。

仏の正意を明らかにする
 今、善導の受けとめを「独特な」と申しましたが、しかしこれは適切な表現ではないように思います。証信序と発起序に関する一般的な受けとめ方をベースにして比較すれば、なるほど「独特」ではあります。しかし、だからと言って特異な受けとめ方をしているというのではなく、じつはこれこそが本来の真の受けとめ方だと言うべきなのでしょう。善導大師は、仏説をその通りに、正しく「是の如く」受けとめることができたのです。言うまでもなく、このことはとても大事なことだったのです。
 「善導独明仏正意」善導独り仏の正意を明らかにせりと、親鸞聖人は善導の『観経』理解の正しさを讃えられました。諸師方によってはなすことのできなかった仏の正意の解明を善導は成し遂げたのです。そのことを今ここで表わせば、「化前序」を設けて、如来本願が根底にましますことを先ず経典の最初に顕わしたということでしょう。この経を説かれる釈尊のお心を見事に浮き彫りにしたのです。

 韋提希を救おうと願われるお釈迦様のお心、「仏の正意」はどのようなものか。それは処々に出ていると思います。今その一つとして、正宗分の中の第七華座観の前文を見てみます。韋提希の機が熟してきたのをお釈迦様が確認なさって、いよいよ阿弥陀の本願を説こうとされるところです。
 「(あきら)かに聞け、諦かに聞け。善く之を思念せよ。仏当に汝が為に除苦悩法を分別解説すべし。」(東100 西97 島2-11)
 こう仰って、阿弥陀の本願について説き始められるのです。その時、韋提希を間にして、お釈迦様と阿弥陀にはどのような関わり合いが起こっているのか。そこに「仏(=お釈迦様)の正意」が存在しているように思います。そのお釈迦様と阿弥陀の心を善導は次のように述べるのです。
 「正しく娑婆の化主、物の為の故に想いを西方(とど)むる。安楽の慈尊、(こころ)を知るが故に則ち東域に影臨む。」(親全135 聖全514 ノート143)。

 韋提希を救いたいお釈迦様。しかし、自ら手を出して救おうとはされない。韋提希のためになすべきことは、自らの想いを西方の阿弥陀仏に向け続けるということなのです。悲劇の人間存在を真に救うことができるのは阿弥陀仏である。阿弥陀仏、即ち「真実」だけが人を救うことができるのです。
 お釈迦様ご自身が、まず、阿弥陀の本願という真実なるもののはたらきと、それを生み出した法蔵菩薩の歩みに出遇われ、救われたのです。出遇われたその世界を説いたものが『大無量寿経』であり、正しく「化前序」の中心の内容そのものであったわけです。その阿弥陀に、お釈迦様は自己のすべての想いを向け続けるのです。
 韋提希に寄せる思いとして、これほどに熱い思いはないでしょう。お釈迦様ご自身においては、人間の上に起こる行為として、これほどに真実の行為はないでしょう。人々を救うために自らの思いのすべてを西方の阿弥陀に向け続けられるお釈迦様。ここに、お釈迦様の原点があるように思います。

 これはもちろん、ひとりお釈迦様だけのことではありません。私たちにとっての具体的な「よき人」に於いても同じことなのです。私に救われてもらいたいために、その方もまた、形としては説きに説き、導きに導かれるけれども、その心の底、存在の根底では、阿弥陀に向かって「阿弥陀よ、どうかこの者を救ってください」と心のすべてを尽くして願い続けられている。よき人の原点もまたここにあると言うべきでしょう。
 私たちもまた「仏の正意」に出遇って、そのはたらきかけを受けているのです。私にとってのよき人を思うとき、私のために阿弥陀を念じ続けられたという、そのまごころを思い感謝せずにはいられません。阿弥陀はよき人のそのまごころを受けとめて、私の所へ来たる。よき人の(こころ)を知るが故に、必然の法則として私の前に現れるのです。よき人の至心、まごころ。ここにこそ報いるべきご恩があるのです。

 「仏の正意を明かす」とは、『観経』の教え全体にわたる正しい理解を指すのではありますが、その理解が正しく成り立つためには、根源に阿弥陀ましますことが明らかにならなければならない。お釈迦様が最も深く関わりを持たれ、従って最も説きたかったこと、それが、阿弥陀ましますということでしょう。
 それも、お釈迦様がおられて、その上で阿弥陀を説きたい思いがお釈迦様に起こったというのではなく、「阿弥陀を説きたいお釈迦様」を阿弥陀が生み出したと言うべきなのでしょう。阿弥陀の本願を説くことを出世本懐とする者として、新たに誕生なさったのです。
 本願を説くことを差し置いて、自分が前に出て自説を述べようというのではない。自己を先にし、阿弥陀を後にするのではないのです。阿弥陀を説くところにだけ自己自身が存在し得る。もはや阿弥陀を説く存在、それのみとなった。それを出世本懐と言うのではないでしょうか。
 ここにお釈迦様の原点があることを善導は見たのでしょう。ただ偏えに西方に向かわれるお釈迦様こそが真のお釈迦様なのだと。

想いを西方に住むる
 「物の為の故に想いを西方に住むる」。この強烈とも言える釈尊観は、或いは道綽禅師がモデルになっているのかもしれません。道綽は善導が六年ほどにわたって師事した先生です。善導は若い頃から『観経』に出会っていたけれども、どうしても読めない。そこで道綽を遥か遠方に訪ね、教えを請うのです。道綽にとっても生涯の最後を善導の教化に投じられたわけです。
 善導は『観経』を解釈し、『観経(四帖)疏』を書きます。そして、その最後の跋文に不思議な一文を書き留めるのです。「毎夜夢の中に常に(ひと)りの僧有って来たして玄義を指授す。」(親全219 聖全560 ノート231)

 善導は毎夜夢を見た。その中に一人の僧侶が現れる。そして、『観経』の骨子である「玄義分」の内容を説かれたのだと。「玄義分」は善導が『観経』を解釈する上で、『観経』の根本の考え方を明らかにしたものです。その内容をその僧侶が示したということは、『観経』の読み方そのものを教えたということになります。それはいったい誰なのか。これについて、かつて細川先生は、これは師の道綽ではないかと言われました。
 道綽だとすれば、どのような道綽なのか。この夢は、これもまた道綽の原点を表わしているのかもしれません。善導が師の上に見た師の原点です。これを原点として持つ道綽はどのようなお方なのか。それは、若い善導に『観経』の真の読み方を教えたいという願いに生きる道綽です。自らを前面に出さず、真の理解に基づいた『観経』の教えそのものを前面に出す。ただそれだけを出そうとするのが道綽ではないのか。
 何よりも『観経』の真意の核心的位置に阿弥陀まします。阿弥陀ましますが故に『観経』は存在する。一生造悪の衆生を真に救済するのは阿弥陀である。この『観経』の真意を前面に押し出して、このことを説きたいのが道綽なのです。夢中の一僧の姿が意味するものは、こういうことではないでしょうか。

 お釈迦様は阿弥陀に出遇い、人々を救う本願の阿弥陀であることを、自己の全力をもって私たちに説き、明らかにしようとされた。道綽は、『観経』は阿弥陀が支えているものであることを善導に分かってもらうために、夢の中にまで出て善導に説いた。善導はこれらを受けとめ、人間存在は悲劇の存在であるが故に、その人間の具体的な悲劇に先立って阿弥陀の本願ましますことを「化前序」で表わした。このように言えるのではないでしょうか。

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(二)起化の時を明かす
 
仏の出世本懐
 善導は六事成就の後半の四事成就をもって化前序としたわけです。しかし、この「時」と「主」と「処」と「大衆」の成就というのは、普通の証信序の押さえであれば、「時成就」「主成就」…と表すのですが、化前序として押さえる場合は、もはや六事成就の中の四つの成就ではないのです。四つのことが成就しているには違いないのですが、六事成就的な成就ではない。どんな「時」なのか。「主」とはいったい誰なのか。それは、王宮での教化の前のお釈迦様が、ご一生をかけて一代教を説かれた。そこにおいて問題となる時であり、主であり、処である。そういう視点で四事が受けとめ直されていくのです。

 善導の文を少しずつ見ていってみましょう。まず初めに「一時」について善導は次のように述べます。
 「初めに一時と言うは、正しく起化の時を明かす。仏(まさ)に法を説きたまわんとして先ず時処に託したもう。但だ衆生を開悟すること、因縁に()るを以って、化主、機に臨んで時処を待ちたもう。」(親全47 聖全465 ノート51)まずこのように全体的な受けとめをして、さらに三つに分けて「一時」について考察しています。

 「一時」の全体的な受けとめは「正しく起化の時を明かす」ということです。「起化の時」とはお釈迦様が様々な衆生を教化なさる、その教化が起こる時です。従って直接『観経』での教化を指しているのではありません。『観経』での教化の前における釈迦一代教における教化についてのことと受けとめるべきでしょう。もちろん道理は『観経』においても通じます。
 お釈迦様が一生涯をかけて説かれた教えを釈迦一代教と言います。お釈迦様が仏陀としてこの世に現れて教えを説かれた。それはいったいどういうことかという本質論を問うているのです。

 お釈迦様は阿弥陀の本願に目覚めることによって仏陀として現れた。それが悟りを開かれたということの実質的な内容でしょう。明らかになった阿弥陀の本願を人々に説くことが、ご自分の出世本懐となったのです。阿弥陀の本願は、弘願とも言われますが、十方の衆生を救う本願です。本願そのものは常に弘く十方衆生に向かおうとしています。一人のところでとどまることはない。本願の性格として「とどまる」ということはないのです。
 ですから、本願に目覚め、これを頂いた者は、どこまでも人々に向かう本願に生きる者となる。ただ自分個人のために生きて自分を満たすものを独占しようと思っていた考え方が翻され、大切なものを惜しむことなく人々へ常に向けていく人となるのです。自己中心性が打ち破られる。自己のみを満たそうとしていた貪欲の思いが、人々へ真実を伝えていこうという捨身の思いへと転じられていくのです。
 常に十方の衆生へ向かおうとする阿弥陀の本願に目覚めたお釈迦様は、この本願に生かされ、生かした本願はお釈迦様から改めて発せられて、次なる人のところへ行こうとする。そこに、阿弥陀の本願を説くことを出世本懐とするお釈迦様の姿があるのです。

 これがお釈迦様なのでしょう。阿弥陀の本願を説くことがご自分の出世本懐です。先ほど申しましたように、自分個人の意見を前面に出すのではない。人を救うもの、それだけを前面に出すのです。自分自身は救われた者ですから、個人的なものを出す必要は何もない。
 ものを表現するに当たって大切なことは、人々を救うものを表に出すということです。迷っている者が、迷いの発言をいくらしても、迷いは深まるばかりです。人間は救われるべくして生きている。救われて生きるところに人間の本来の姿がある。その姿を何とかみんなで力を合わせて見出し獲得していこうではないか。これこそが人類共通の願いであるべきなのです。

 阿弥陀の本願を説くところにお釈迦様のいわばアイデンティティーがある。仏陀としてこの世に出られて根本に懐いている願い。何をするためにこの世に現れたのか。それは阿弥陀の本願を説くためなのです。このことが即ち教化ということです。説くと言っても、ただ喋るだけではありません。具体的には人々を阿弥陀の教えによって教化することです。
 となれば、事は簡単ではないでしょう。人間存在一人ひとりは様々に異なります。異なっていて、しかしその奥で共通していることは「無明」の存在ということです。真実に暗い。その暗さは、それ故に真実がほしいという悲しむべき同情を集めるような暗さではなく、真実に背き(そし)る反真実の暗さなのです。

 根本は反真実の無明。それに様々な衣をまとわせ、人は生きていく。 お釈迦様はその一人ひとりに相い向かわれたのです。お釈迦様が菩提樹下で成道なさった後、直ちに教えを説こうとされずに、しばらくの間沈黙を保たれたと言われます。何を考えておられたのか。人々に教えを説こうとして改めて考えてみるに、人間の根本にこの反真実の無明の心があることに改めて気づかれたのです。その人間存在にどのように教えを説くことができるか。場所を変え、即ち何度も考え方を変えて熟考したと言われます。
 その結果はどうであったか。説法不可能の絶望の思いを持たれたのだと。なんということでしょうか。真実に目覚めた者が、真実の教えを説くことができない。説かせない者が人間存在なのです。この絶望に沈んだまま真実の教えを説くことがなかったならば、人類はどうなっていたでしょうか。

 この最大の危機に直面して立ち上がったものこそ、私たちの心の底の願いなのです。真実に出遇いたい、真実を生きたいという人間存在の最奥の願心なのです。それを経典は天人の要請で表現したのでしょう。帝釈天や梵天がお釈迦様に説法を祈願したのだと表わします。
 どのようなお釈迦様が教えを説き、どのような人間が苦心曲折しながら教えを聞いていこうとしているのか。説法不可能の絶望を抱いたお釈迦様が全力をもって説き、真実を心の底で求めている私が迷いながら聞いているのです。

 お釈迦様は阿弥陀の本願を説かれます。全力をもって説かれます。しかしそこには「時処に託す」ということがある。「時」と「処」が具体化することをもって、はじめて教化が起こるというのです。「時」と「処」は私たち人間の生きている様態を表す指標のようなものでしょう。時と処の二点を押さえれば、人の生きる姿が特定化されるのです。
 阿弥陀の本願は説かれなければなりません。説かれなければ、それを聞いて誕生する人も現れません。非常に実践的、生産的なのです。これを説くことによって、教化がなされていく。教化によって大きな変化がそこに起こり、ついに往生の道を歩んでいくこととなる。その教化が起こる「時」なのです。

 視野を広くすれば、人類の歴史の流れの中に阿弥陀の本願を明らかになさった方が誕生した。その事実が持っている意味は、その方が本願の教えを説くことによって人々への教化がなされ、救われる人が生まれる。このことが起こることを意味しているのです。
 教えを受ける私たちにおいて言えば、人類の長い歴史の中で、やっと灯りが点ったというわけです。希望の灯りがやっと点った。あとは教化を受ければいい。そのことがついに人類の歴史の上で、お釈迦様の誕生ということで起こった。それが起化の時なのです。非常に大きなスケールで言われています。
 お釈迦様が一代教を説かれたということは、一言でいえば本願の教えを説かれたということですね。そこに教化が起こるのです。その時を「一時」と表わしている。こう見れば、これは単に『観経』の韋提希に対する教化だけを指しているのではなく、そもそも、韋提希を教化する本願の教え、その本願の教えをお釈迦様が明らかになさったという、そのことが持っている意味を、歴史の中で明らかにしていくのです。
 それが、『観経』の教化の前に何があったのかという、化前序の課題であろうと思います。教化の前に本当に大きなことが明らかにされました。このことを思えば、化前序というものを設けなければいけないという思いが強く起こってきますね。

起化の時
 では具体的に「起化の時」とはどういうことか。
 「仏将に法を説きたまわんとして、先ず時処に託したもう。但だ衆生を開悟すること必ず因縁に藉るを以って、化主、機に臨んで時処を待ちたもう」と。以下三つほど具体的に「一時」の意味が出されますが、この文がその全体を統括するような押さえでしょう。
 お釈迦様の出世の本懐は阿弥陀の本願を説くということ。その出世本懐である法を説く説き方の問題です。説き方と言っても、直接説く内容のこともありますが、今はそれ以前の場面設定・環境設定のようなものです。法を説こうとして「先ず」最初に問題となるのは時と場所なのだと。時と場所に託される。
 法を説くには条件が整わなければならないのです。それが時と処。時と処を無視して法を説くことはできないのです。時と処に託し、寄らねばならない。「因縁に藉る」も「時処を待つ」も同じような意味です。

 時と処が問題なのです。いつ、どこで。どこでというのは、どういう場面で本願の教えを具体的に説くことができるのか、ですね。時と場所が熟してこなければ教えは説けない。いつでもどこでも説くことができるものなのですけれども、だからと言って、ただむやみやたらに説くということではありません。時と処が成立すれば、その時と処の内容がなんであろうとも必ず説くことができるということです。
 若い時であろうと、年配の時であろうと、教えを聞きたいという思いが熟しておれば、その時そこで必ず説かれるわけです。その時と処を問題にされて、その条件が整うのを待たれるのです。ここのところは、なかなか大事なところです。

 そして「ただ衆生を開悟すること」、人々に教えを説いて悟りを開かせることは、「必ず因縁に藉る」のです。「藉る」は借りるという意味です。因縁を借りなければ衆生開悟はできない、仏の側だけではできないということで、「託す」と同じような意味でしょう。因縁が成就しなければ、衆生を教化し開悟することはできない。説く者と聞く者との間で、具体的な何らかの関わり、状況というものがあるのですね。その因縁が熟さなければ、教えは説けないのです。

機―人間の本当の姿
 「化主」は教化の主。お釈迦様ですね。「機に臨んで」の「機」は簡単に言えば人間私たちを指している。私たちの在り方に臨んで。化主は、救われたいと心の底で願っている私たちを前にして、時と処が熟してくるのを待たれるのです。「機」は簡単で的確な説明が難しいことばですが、「人間のほんとうの姿」と先ず言うべきでしょう。
 では、何が人間の本当の姿なのか。これを決めるのが難しいのです。人間の本当の姿を決めることができるものさしは何か。そこが問題なのですね。そのものさしとは「真実」。真実なるものをもってでなければ、人間の本当の姿は決定できないのです。

 真実なるものと言えば、オールマイティで何でもできるものというイメージが強いですが、具体的に言えば、私たちを救おうと願いを起こし、実際に救っていく力を持っているものを真実と言うべきでしょう。この真実を如来の本願として仏教は顕わしたのです。
 「救い」が私たちすべての者の最大の課題なのです。ですから、人間とは何かを明らかにしようとするとき、人を救おうとする場面においてはじめて、人とは何であるかがわかる。救おうという眼でみて、見えたものが、その人の真の姿なのです。そこで見えたその人の姿を「機」というのです。
 それができる眼がまさしく如来の眼ですね。その眼の内容は、慈悲と智慧です。慈悲は人を必ず救おうという願い。智慧は、救われていない私たちの問題点を明らかに見出し照らし出していく。智慧は光で喩えられますが、ただ何でも照らして姿を明らかにするという光ではありません。智慧には慈悲が裏付けられているのです。
 病根を切り開くメスは、ただ切るためだけの道具ではない。病根を治療してこの人を救おうという慈悲の願いが行為となって現れる、その一環としてメスのはたらきが位置づけられているのです。メスは智慧のはたらきですが、慈悲の行為なのです。
 そのように、人を救おうという眼でみてはじめて、人間存在の一番奥のものが見える。一番奥のものが顕わにならないと人の救いはないのです。その奥にあるものは何か。いろいろと表現されますが、その代表は「仏智疑惑」でしょう。仏様の真実の智慧を疑っている。自己をよしとし、如来を疑っている。虚仮不実の自己を肯定し、如来の真実を否定している。この顛倒した姿、これが人間の本当の姿。これを「機」というのです。

 しかし、繰り返しますが、これは、ただ「人間とは何か」とう、いわゆる冷たい問いに対する冷たい答えではない。「仏智疑惑の存在だ」と放り出すように出した答えではないのです。「人間とは何か」の問いを意訳すれば、「人間を救いたいと思うが、その人間とは何が原因で救われない状態であるのか。そこをぜひとも明らかにして救うはたらきの根拠を確立したい」という、慈悲と智慧に立った人間への近づきなのです。
 もし慈悲と智慧のない問いであれば、人間は問われ調べられ分析され、遂に解体されていくかもしれない。細胞の一つ一つがまな板の上に並べられ、これが人間であると宣言されて、ゴミ箱の中に粒々となった細胞の山が放り込まれて一巻の終り。

 もし「人間とは何か」の問いが慈悲と智慧を持たない冷酷な問いであるならば、問われれば問われるほど、人間世界の温度は下がり、氷河に覆われていくことになるでしょう。強大な一国が他国を思い遣らず、自国の利益のみを考えてグローバリズムの名の下に世界を動かそうとし、強欲なエゴイズムが人類同朋を顧みず私腹をいやが上にも肥やそうとし、開発という人間本位の考えで膨大な緑を伐採し砂漠化させて自縄自縛に苦しむ。
 ここには、冷たい問いに対する冷たい答えとしての人間像は登場するでしょうが、必ず救うぞという如来真実の慈悲とそのはたらきである智慧に照らされた「機」という暖かい人間像は登場しないのです。今日、人間がこれほどに問題にされても、なお「機」は登場しない。ここに現代文明の致命的な問題点があると言うべきでしょう。
 「機」を登場させない世界構造。もちろん人間がつくった構造様式です。その人間自体が「機」として押さえられるべきであるのに自ら自己を失っている。自己の真像を見えなくしている。なんという悲劇でしょうか。自己に目覚めよ。己が能を思量せよ。悲願の叫びが聞こえてくるようです。
 問うべきは、人間を向こうに置いて対象的に「人間とは何か」と問うのではなく、自己自身に向かって「私とは何か」と問い、「自己自身に目覚めよ」と迫っていくべきでしょう。私自身に向けて、私の救いという最大課題を求道的に問うことが大切なのです。そのためには、求道の歩みをなさしめる如来の慈悲と智慧の前に立つことが先決必須。それが聞法です。いかに聞法が人の生き方を分ける分岐の意味を持つか。計り知れないものがあります。

 仏教は「機」を明らかにしました。それは「機」の中身だけでなく、先ず「機」という人間観の在り方を作り上げたのです。如来真実の慈悲と智慧によって明かされる人間の真の姿です。「真」であることがそこではじめて言える。明らかになった「機」を軸として人は転回し真に救われていく。だから、「機」のところに人間の真の姿があると言えるのです。
 その「機」が「仏智疑惑」です。なんとも厳粛な事実ではありませんか。ここには、真実を真実と思わない強烈な不実の心があります。これが正しく人間我らの心です。いいのでも悪いのでもありません。よくならなければならないというのでもありません。この事実があることにただひたすら徹しなければならない。この事実の前に立つことが大切なのです。

 さらにここには、私の根本が仏智疑惑であることを諦かに見出した如来の智慧があり、その背後に、この智慧となって現れ、この者を必ず救おうという慈悲がある。如来の大悲心が根源にあるのです。 従って、「仏智疑惑」は放り出されたような概念ではない。このような如来の慈悲と智慧によって見出され、包まれ、はたらきかけられ、遂にこれを軸として転回していく、まことに大切な人間救済の鍵が「仏智疑惑」なのです。
 「仏智疑惑」をただ人間理性で受けとめ解釈してはいけない。ここに「私は仏智疑惑の存在です」と言う者があれば、その人に対する普通の常識的な見方は、仏様の智慧を疑っているのですから、けしからんやつだということになるでしょう。この見方が人間の理性分別による見方なのです。
 そうではありません。「私は仏智疑惑の存在です」と目覚めれば、そこには如来の慈悲と智慧のはたらきを深く頂戴することができている者が誕生している。だからこの自己への目覚めのところに、人間の救いが起こるのです。この仏智疑惑を「機」というのです。
 「機」を説明するには暇がかかります。ぐるーっと回って、やっとたどり着く感じです。何かいい方法はないかといつも思うのですが。簡単に言えば人間の本当の姿。しかしこの「本当」というのがなかなか分かりづらい。そこに既に人間の迷妄があるということでしょう。

時と処を待つ
 このように人間存在を明らかになさって、仏智疑惑の「機」の存在に、「化主」お釈迦様が臨まれ、相い対され、時処を待って教化を始めようとなさる。このときに問題となるのが「時処」です。時と処です。
 時と処と熟し条件が整ってくるのを待って仏様が教えを説かれるということは、私たちの感覚からすればどこかおかしいものを感ずるのではないでしょうか。仏は永遠真実のお方なのだから、いつでもどこでも教えを説かれるのではないかと。条件など超えておられるはずではないのかと。こちらの条件に影響されるのが仏様というのも、何だかおかしいと。これは仏様の永遠性、すなわち「常」ということに関する問題でもあります。

 「常」に三種あることが説かれます。三常と言います。今それをこの場面に即して分かりやすく頂いて見ますと、如来の「常」と衆生の「常」の二場面で受けとめられるでしょう。如来の常を「不断(無間)」で表し「不断常」と表現します。絶えることがない、断絶(=間)がない、ということです。
 水道の蛇口を捻ると水が出続けるというようなもので、二十四時間途切れることがない。まさしく永遠にあるというわけです。何が永遠にあるか。私たちに対する慈悲と智慧のはたらきかけです。それは常に永遠にある、不断常なのです。
 一方、その不断常の如来のはたらきを受けとめる私たちはどうか。同じように不断常になれないのが私たちなのです。不断に如来を念ずることができない。しかし、それではだめかというとそうではない。私たちには私たちの常がある。不断常とは在り方が違うけれども、それでも「常」と言えるものがある。それを相続常というのです。同じ常ですが有り様が異なる。不断の常に対して相続の常。相続とはずっと受け継いで続いていくということです。

 具体的に言えば、南無阿弥陀仏とお念仏申す。その申し方は相続常なのです。念仏申せと私たちに仏様がはたらきかけているのは不断常です。絶えることなく常にはたらきかけている。しかし実際に私たちがお念仏申すのは時々です。十分くらい前に南無阿弥陀仏と言ったと。十分間途切れている。途切れているからと言って永遠に途切れて、もうその先一回も念仏申さないというのではないのです。
 また十五分くらい経ったら南無阿弥陀仏と出る。またしばらく途切れてまた出る。途切れたからもう終わったのかと思えば終わってない、また出る。それが一生涯続くのですから、たいしたものでしょう。ものすごい力です。途切れても大丈夫なのです。途切れることなく続くのも大したものですが、途切れても続くというのも、ものすごい力ですね。不思議な力です。それを相続するというのです。最後まで相続する。これを相続常といいます。
 だからいくら途切れても大丈夫。「考えてみれば、三日間念仏申してなかったな」と思ったその時に申せばいいわけです。「三日申さなかったから、もうずっと申さんぞ」というような、そんな意固地にならずに、その時に申したらそれでいいのです。そのように、如来の常と私たちの常には具体的な在り方に違いがあるのです。

 仏様が時と処を待たれる。不断常の仏様が、私たちの上に条件が整って、その時その処としての花を咲かせるのを待っておられる。何十年もはたらきかけを遮断していた私が、教えに遇って因縁がだんだんと熟してきて、教えを受け入れる時がついに来るのです。その時は、ただ時だけが特異なものとしてあるというのではなく、具体的な処というか状況もまたあるのです。人はどこかを、何らかの状況のところを生きているわけですから。
 その状況が次第に因縁を結んでくる。ただ時だけでは具体的にはっきりしない。処、即ちその人の人生の中での状況がはっきりして、時と処が因縁を結び、いわゆる時期純熟して、その時に仏様がその人に教えを説けば、相手に響くのです。その時と処が熟してくるのを、仏様は待っておられるのです。
 仏様は私たちを待ってくださるお方です。私たちは、自分の人生の中で、ついにその時と処がくれば、そこで教えに出遇ってみて、「仏様を待たせたなあ」と思う。不思議なものですね。待たせているという意識はそれ以前には全くない。仏様への思いなど全くなかった者が、出遇ってみれば、「待たせたなあ」と思うわけです。出遇ってみて、待ってくださっている仏様がわかってくるのです。

衆生の開悟は因縁に藉る
 「衆生開悟すること必ず因縁に藉る」。「因縁に藉る」というその「因縁」は、お互い自分のことを考えてみれば、多少なりとも分かることと思います。自分自身が仏法に出遇うことができたその因縁ですね。
 因縁は私の側の事情を指すとも考えられますが、また、仏が因、衆生が縁であって、両者の出遇いが整うところに、という意味もあると思います。
 因縁のことを私達は時々考えるでしょうが、よく考えるべきことではないかと思います。何でもそうでしょうが、本を読むのでも、一度目はよく分からない。二度三度読んでいくと、これは読み間違いをしていたなということがあるものですね。自分の過去のことを考えても、自分のことであるのによくわからないものです。こういうことが因縁になって自分は仏法に出遇ったのだと思っていても、繰り返し考えてみると、もっと奥にこういうことがあったのだなと、過去の事実が掘り下げられていくように感じることがあります。
 私自身も今までの自分のことを考えて、ベールが二枚か三枚めくられたような気がしています。こうだと思っていたけれどそうではなかったなと。奥にもっと事情があったと。さらに考えるとまだ事情があったというようなことですね。自分のことであるのに、浅くとどまっている。自分自身を浅く生きているということでしょう。

 今一つ例を挙げてみますと、それは何と言っても一番分かり易い例がこの『観経』そのものです。韋提希の上にどのような因縁があったのか。お釈迦様は韋提希を開悟されるのに、どのような因縁に藉られたのか、ということですね。今申していること自体は、韋提希の教化の前の化前序のことで、その例として韋提希への教化を挙げて混乱されるかもしれませんが、まあそこは割り切って考えることにして。
 お釈迦様が藉られた因縁が正しく「六縁」と呼ばれているものです。六つあります。因縁が展開しているわけですね。まずはじめは何と言っても申してきているように教化の前に如来本願ましますことが明かにされたということですね。化前序です。その如来本願の大地の上で因縁が展開していく。如来は因縁を待つ訳です。その因縁が熟していく過程がずっと示されます。
 これは誰の上にも因縁が熟していく展開はあるのです。『観経』を通して自分の因縁の展開を振り返り掘り下げ確認していくことは、とても大事なことだと思われます。結果だけをつかもうとしてはいけない。一般に、成功という結果は失敗の連続という過程あってこそのものなのです。そうすると大事なものは何なのか。成功だけが大事なのか。そうではありません。
 成功をもたらした失敗の数々は、成功と分離区別できないほどに同じように大事なのです。ですから、展開の過程の一場面を新たに掘り下げることができたとき、それあるが故に今があるのだと、今の充実感の中で嬉しさを感ずることができるのです。

展開する因縁
 さて、因縁の展開です。「如来本願まします」その大地の上に王舎城の悲劇が起こります。六縁の一番は禁父縁。阿闍世が父・頻婆娑羅王を幽閉する。韋提希の身に大変なことが起こりました。このことがしかし、因縁の始まりなのです。筆舌に尽くし難いような暗く閉じた悲劇的な出来事が、やがての開神悦体の救いへの因縁の端緒となるのです。世間的な発想ではまったく考えの及ばない展開です。悪を転じて徳と成す本願の力。その力がここから発揮されていきます。

 頻婆娑羅王を助けようと(きさき)の韋提希は密かに食べ物を運ぶ。それが発覚し捕らえられ、牢に入れられる。第二の禁母縁です。阿闍世にとって、産み育ててくれた母も、燃え盛る怨みの炎の前では単なる賊でしかない。なんという仕打ちでしょうか。主人が捕らえられ、自らも同じ目にあう韋提希。一家が信じられない崩壊の態を繰り広げることになります。しかし、この、人生に立つ足を払われ(くう)をさまようような出来事を、如来本願はしっかりと見ているのです。

 この動かぬ現実の中にあって韋提希は愁憂(しゅうう)憔悴(しょうすい)のどん底に沈みます。第三の厭苦縁(えんくえん)です。韋提希の心の底の願いを知って、お釈迦様は韋提希のところへ行かれます。そのお釈迦様に対して韋提希はなんと愚痴をぶちまけるのです。この悲劇の責任は貴方にあるのだと言って。
 この私を救う為に、教えを説こうとやって来られたお釈迦様。そのことがまったく分からずに、愚痴をぶちまけ(ののし)る韋提希。なんという顛倒(てんどう)した姿でしょうか。しかし、だからこそ大地の如来は韋提希に近づくのです。正しく救われなければならない存在。如来から最も遠い韋提希なのですから。
 因縁が熟すためには、韋提希の表面の部分だけが因縁の舞台に出ればいいのではありません。一番奥の心、従って如来を謗り自己を肯定する心こそが表舞台に登場して、そこで展開がなされなければならないのです。表面的で終始すれば流転します。確実なものは生まれ出ない。いわば大掃除が必要なのですね。

 その韋提希をお釈迦様はじっと待たれ、時期来たったと見るや、一つの教えを説かれます。その教えが功を奏して韋提希は阿弥陀の国に生まれたいという願いをはじめて起す。それはその教えを通して如来本願が韋提希に至り、彼女をしてこの願いを起させたのです。如来本願は韋提希に至り始めました。因縁の大きな進展です。
 しかし、ここでまた一つの問題が浮き上がります。問題が暴露したと言うべきでしょう。だがそれは人間すべての問題です。自分の力を肯定し、その力で阿弥陀の国へ行こうとする韋提希だったということです。この韋提希の心を定散心といいます。これ以降、この定散心に向けて如来本願は自ら姿を変え、定散心に届くものとなって韋提希にはたらきかけていくのです。ここが第四の欣浄縁です。

 自ら浄土まで歩む力があると思う韋提希の定散心にお釈迦様は問いかけます。韋提希にとっては生まれて始めてこの心が照らされる時だったでしょう。問われてみて、わずかの善でさえできない自分を知らされるのです。凡夫の自覚がここから始まります。これが第五散善顕行縁です。定散心に向けて本願はお釈迦様の巧みな教えによって届いて行きます。
 凡夫であることに目覚め始めた韋提希は、自らの考えや力を推し進めることによってだけではなく、如来のお力を頂くことによって初めて浄土に遇えることを知ります。目標が開けてきました。道が見えてきました。自己の中に深く存在する定散心をお釈迦様の教えによって照らし出される歩みが今から始まるのです。これが第六定善示観縁です。如来本願はいよいよ本格的にお釈迦様の教えの上ではたらき始める。因縁の展開はかなり進んできました。

 展開は正宗分に舞台を移し、定善観の第六観のところで浄土を見ようとする自己の力の過信に気づきます。これで時機が純熟することになるのです。如来本願は浄土の観法をお釈迦様に説かせて、韋提希をして華の中に包まれている者であることに目覚めさそうとしてきたのです。遂に因縁は熟しました。これを確認なさったお釈迦様は阿弥陀の本願の教えを説かれます。それが第七華座観の前でのことです。お釈迦様によって説かれる本願の教えによって、韋提希は本願そのものに出遇い、信心を得るのです。ここまで因縁は展開していくのです。

 この時機純熟ということが起こらなければ、お釈迦様は本願を説くことができない。説いても相手に聞こえないわけですね。本願の教えは、文字通り本願が説かれます。しかし、説かれる教えは本願であっても、時機純熟ということがなければ本願は聞こえて来ないのです。もちろん聞こえなくても聞き続けることは大事です。そして真に聞こえて来るのは、第六観によって、即ち自己の我の心を照らされることによってなのです。ここに時期純熟があるのです。

 私たち、初めて会座に出て、最初から第十八願の教え。さっぱり分からないでしょう。仏法の中心の教えが丁寧に説かれているのですが、わからない。それは、たとえ一席のお話でも第十八願について触れなければならないとも言われるほどに、十八願は説法の要となるものです。本願そのものは今眼前で説かれているけれども、それが聞こえない。不思議なことではあります。そのことをよく表しているのが二河白道の譬えですね。
 旅人が西に向かって歩みを続け、二河にぶつかる。「どうしようか」となるわけですが、いよいよ最後に善知識の教えが聞こえて来るのです。この二河譬(にがひ)のお話で善知識が登場するのは最後になってです。本当は最初から登場して教えを説いている。その教えを聞いたから旅人は西に向かい真実に向かって出発したのですからね。
 しかし、善知識の説かれる教えの本当のところ、即ち「阿弥陀の本願を聞き受けとめ応えて歩んで行け」ということが分からなかったのです。だから自分の考えで「どうしよう」ともがいたのです。もがくことが大事なのですね。それによって私達の内面というか人間そのものが次第に変わっていく。こうして時機が来るのです。
 そしてこの道を行こうと決断が成った時に、善知識の東岸発遣の声が初めてその声の通りに、説かれている内容の通りに聞こえて来る。その内容が西岸招喚の「汝一心正念にして直ちに来たれ。我れ能く汝を護らん」の呼びかけなのです。
 これが第十八願です。つまり、「第十八願の呼びかけを受けとめて生きていけ」というのが善知識の出発時点からの一貫した教えの趣旨であったわけです。白道に足がかかる時、その時が時機純熟の時ということですね。 

 この歩みを通して韋提希がどのようにして自己と如来に目覚めたのかという視点で、正宗分は後半に散善観という教えを設け、目覚めの歴程を示します。上品上生から下品下生への自覚の歩みと深まりを説いていきます。そしていよいよ自覚が徹底した下品下生のところで、善知識の念仏申せの教えが、初めてそのとおりに聞こえてくるのです。本願の教えをその通りに受け入れられるのですね。
 じつは最初から聞いているのです。聞いているのだけれど、入ってこなかった。我の心のバリアーが強烈にありますからね。しかし、実態は、ただ入るか入らないという白か黒の状態ではない。中間のいわば灰色状態が進むのです。それが因縁の展開する色合いですね。
 旅人にとって、群賊悪獣に出遭って追われたり、二河に行く手を阻まれたり、河の北と南へ走っても果てが見えなかったり、これらが縁になって因縁が熟していったのです。まことに因縁に()って衆生を開悟することができるわけですね。

 こういうわけで、因縁が展開し時機純熟するというのは本当に大事なことです。親鸞聖人は『教行信証』の教巻に、『大無量寿経』が説く如来本願の教えとは何であるかということをまとめられて「時機純熟の真教なり」と押さえられます(東155 西138 島12-5)。如来本願の教えは時機純熟を前提としなければ届かない教えなのだということです。
 人間の状況がどんどん展開していく。その事実のところに阿弥陀の本願がどんどんとはたらいていって歩ませる。因縁の展開をなさしめるのですね。その展開をなさしめる根本の力である如来本願ましますことを表したのが化前序ということで、これは序分だけで終わらない。正宗分まで影響を与えるわけです。
 
 「衆生を開悟すること、必ず因縁に()る」ということを、直接『観経』の例で申したのですが、お互い自分自身のことをよく考えてみることが大切かと思います。人にはなかなか言えないような面も沢山あるでしょうが、もちろんそれは言わなくてもいい。しかしそれは、仏法の中に於いては宝のようなものですからね。
 求道は私の生きた内容のすべてを材料としなければいけない。自分としては気に食わないと言ってそこだけを破り捨ててはいけない。仏様が(ひろ)いに行かれますよ。「おいおいお前、忘れもんだぞ」と。全部必要なのです。すべてを注いだ歩みによって、全てが生かされるのですから。忘れ物があれば、全部は生かされない。そのようにして必ず因縁に藉るのです。
 自分のこれまでの歩みが、根本の大地からはたらいて来るような本願をどのように受けとめて、或いはどのように無視して、どのように知らん顔をして、またどのように感動してここまで来たか。それらを振り返って考えてみるのは大事なことだと思います。

熟していく時と処
 「化主、機に臨んで時処を待ちたもう」ということですが、お釈迦様は最大限第六観のところまで待たれたのですね。時機純熟するまで本当に待たれた。しかし何もせずに待つのではなく、大変な配慮とお考えとはたらきかけをして待たれるのです。時と処が成立するのが因縁が熟すということで、ここまでの間、何段階も様々に待つ在り方が展開しているわけです。待ち続けられたわけですね。
 全体的な視点もありますが、やや微細な場面を一例としてみてみたいと思います。「厭苦縁」から「欣浄縁」のところです。牢に閉じ込められた韋提希のところにお釈迦様が行かれます。「時に韋提希、仏世尊を見たてまつり、自ら瓔珞(ようらく)を絶ち挙身投地し号泣して仏に向い(もう)して(もう)さく」と。そして「世尊、我宿何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。世尊復何等の因縁有りてか提婆達多と眷属(けんぞく)たる」(東92 西90 島2-4)と。
 韋提希は可愛い息子である阿闍世から裏切られたことになった。可愛い子が悪い子になったのです。どうしてこんな悪い子を自分は持たなければいけないのか。自分に問うても責任は無いように思うと。

 しかし何処かに、この子が悪い子になった原因がある筈。韋提希はあろうことか、それをお釈迦様のところへ持っていく。皮肉というか上手い具合に、お釈迦様はこの事件を直接引き起こした提婆のご師匠なのですね。教団の主。提婆は弟子。尚且つ従兄弟同士です。ですから二重の束縛、二重の点で提婆と深い関係にある。そこを韋提希は突くのです。「彼を指導しなければいけない貴方がボヤボヤしているから、私がこんな目になったではありませんか」とお釈迦様に責任を突きつけるわけですね。

 この時の状態を考えれば、とてもまだ時と処は来ていません。この時にお釈迦様が「お前、何をけしからんことを言うか。本願の教えでも聞いておけ」と言って説教してもこれは駄目ですね。腫れ物に触るようなものです。ですから、お釈迦様はしばらくの間何も言葉を発せられない。沈黙の説法と言われます。沈黙。しかし、ただ黙っているのではなく、お釈迦様の沈黙ですから、存在がものを言うわけです。いかに沈黙であっても仏陀の力は周囲に行き渡っていく。
 その在り方で事態が進み、韋提希の心が少しずつ変わっていきます。次のような発言をするまでになります。「唯願はくは仏日、我を教えて清浄業処を観ぜしめたまえ」と。「仏日」、「日」は太陽。太陽は地上で一番大きく大切な存在。その「日」のようにお釈迦様のことを思えるようになった。「太陽のような仏様よ、どうか私に清浄業処を見させて下さい」。このようにお願いをした。

 文面は素晴らしいものがあります。しかしこの要請の直前にじつは「今世尊に向かひて五体投地し求哀懺悔す」とあり、韋提希の要請は言葉通りの要請では無いことが分かります。言ってみれば、ずるい要求です。「五体投地し求哀懺悔す」というのが問題の表現です。哀れみを求めて懺悔したのです。助けて下さいとお願いをして懺悔したのです。
 逆に言えば、助けてくれなければ懺悔はしませんよと。懺悔を条件にして助けをよこせという取引きをしたのです。懺悔は取引きの材料ではありません。助けてくれる、くれないは別にして、お()びすべきだと気づけば無条件に懺悔はなされるべきものなのです。
 まだ自分自身を本当に仏様に向けてお詫びすることができず、取引をしようとする韋提希が今ここの韋提希です。その韋提希が清浄業処を見せてほしいと言った。人間的な発想のところで依然とものを言っているわけです。
 しかし同時に、彼女は「清浄業処」という、本当に大事な表現をここで使った。この事実を方便の智慧あるお釈迦様は、自らのほうに引き寄せるのです。時と処はただ待つのではない。これが熟するために、お釈迦様もお力を加えられるのです。「清浄」の真の姿がわからずに問うている韋提希に対して、お釈迦様は真の「清浄」の姿を説かれるのです。この対応は見事なものだと思います。それが「光台現国」の教えです。

 ここに「隠顕」ということがあります。これは六縁のお話に入ってから詳しく申し上げることになりますが、人間の救いは、当然彼一人でなされるものではなく、仏の力が加わって初めてなされるものです。仏の力を頂くことによって人間の行為の意味が掘り下げられていく。
 仏が人にはたらきかけるということは、迷妄から起こる人間的行為の持つ真の意味を普遍の真実の領域において再検討し、救いの地平における新たな意味として彼に与える行為なのです。私のこの苦の現実は救いのためにこのような意味があったのかと。
 時処は、人間の歩んで熟していく行為と、仏のそれを待つという行為の、二つの行為によって作り上げられていくと言うべきでしょう。如来が因、衆生が縁ということですね。

 韋提希は何が清浄の行為なのかは分かっていません。面白いですね。清浄という言葉を使って清浄を求めたいと言っても、何が清浄かは分かってない。分かっていないから求めたいということもあるでしょうが、しかし、分かっていないものをどうして求めたいと思うのでしょうか。不思議なことです。自分がことばを発して意識するよりも深く、清浄や真実が自己自身の深いところで要請されている。それが人間なのかもしれません。
 本当の清浄業処は阿弥陀の浄土です。法蔵菩薩のはたらきによってできた世界です。ところが韋提希は全くそれは分かっていない。しかし「清浄」という救いのキーワードを彼女は使った。これがきっかけになるのです。この要請に応え、お釈迦様は真の清浄業処、即ち阿弥陀の世界を説かれます。しかし直接阿弥陀の世界を受けとめるところまで韋提希の機は熟していませんから、阿弥陀が生み出したところの諸仏の世界を説くのです。

 諸仏の世界を説いて、諸仏の世界はじつは皆阿弥陀の世界から生まれていることを知らせ、根本の阿弥陀の世界に生まれて行きたいという願いを起こさせるのです。この辺りのところは、どこまでもしぶとい人間的な思いと、どこまでも深い仏のはたらきが絡み合うところで、その中身は随分と解きほぐしていかねばならないところだと思います。
 「時処を待つ」と表現は簡単ですが、実際の内容はとても深く複雑なものがある。しかしその複雑にして深いところを、仏はご自身の力を縦横に発揮されて、時処がある程度整った自分のホームグラウンドで教えの説き方を自在に工夫して説きぬかれる。「光台現国」はまさにそのような教えなのではないかと思われます。

 私達もまた、人によれば、仏とも法とも無かったような者です。その者が仏法に出遇っていくのです。出遇って次第にこの教えを生涯聞いていこうと、大きな世界に向け進んでいくようになる。その最初の出遇いのところを表わすのはなかなか大変です。表わすのも大変ですが、それ以上に当人も大変でしょうね。
 どうしたらいいのだろうか。会座に出るには出たけれど、「どうしたらいいんだろう」と言ってね。「こうしたらいいんですよ」と言っても、その通りにはほとんど伝わらないでしょう。そうであっても、やはり教えを聞いていく中で、本人が試行錯誤し、あれこれ考えてやっていくのが大事なのです。
 今日も分からん、明日も分からん。だから駄目だではなくて、あの「分からん、分からん」というのが歩みなのです。「分からん、分からん」と言わせているのが、化前序の如来本願の世界なのです。そういうことであるということが初めは分かりませんから、自暴自棄になったり、やめようとなったり、また焦ったりするのですね。そういう時は、一人になるとやめてしまうかもしれませんから、周りにやめるなと言う友のいることが大事になってくるのでしょうね。

 お釈迦様は沈黙を保って因縁が熟すのを待たれた。光台現国の教えによって韋提希は阿弥陀の世界に生まれていきたいという願いを起し、これが事実上の生涯の歩みの出発になるわけですから、お釈迦様の韋提希への近づき方も智慧の発揮のしどころであったということでしょうか。
 このようにしてお釈迦様は待たれる。仏様は私を待ってくださるお方なのです。それはほんとに不思議なものですね。このことに私達はいつか気づく時が来る。その時、待ってくださっていたそのお方の具体的な待つ行為は何であったのか。私はそのお方に何をさせたのか。考えてみるべきことでしょう。
 先生は私の上に因縁が熟すのを待ってくださった。様々にはたらきかけてくださりながら待ってくださった。その具体的なお姿、お顔の表情に至るまで、私を待ってくださる姿であり表情であったのです。あの時のあの表情は何であったのか。優しい時もあれば突き放されるような時もあった。丁寧な説明の時もあれば、言葉を発せられない時もあった。教化の事実がそこにあったのです。これらは大事な宝のようなものですね。忘れないようにしましょう。かつてのことは。

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(三)洪鐘(こうしょう)(たた)く者

出遇いの確かさ

 次に進みましょう。これが一応「一時」についての全体的領解ということで、さらに善導は三つほど述べられます。先ず一番目。少し長い文章です。

 「又一時と言うは、或いは日夜十二時、年月四時等に()く。此れ皆是れ如来、機に応じて摂化したもう時なり。処と言うは、彼の所宜に随って如来法を説きたもうこと、或いは山林処に在し、或いは王宮聚落処に在し、或いは広野塚間処に在し、或いは多少人天処に在し、或いは声聞・菩薩処に在し、或いは八部・人・天・王等の処に在し、或いは純凡若多一二処に在し、或いは純聖若多一二処に在す。其の時処に随って、如来の観知増せず減ぜず。縁に随って法を授く。各所資を益す。斯れ乃ち洪鐘響くと(いえど)も、必ず(たた)くを待ちて(まさ)に鳴る。大聖慈を垂れたもう、必ず請いを待ちて当に説くべし。故に一時と名づくなり。」と(親全47 聖全465 ノート51)。

 これはお釈迦様が生涯を挙げて一代教を説かれる時、その説法がなされる時はそのようにして来るのか。このことについて述べられているわけです。
 まず、説法がなされる時というのは具体的な「日夜十二時」や「年月四時」の時であるのだと。春の何月何日何時、夏の何月何日何時というように時がはっきりとしている。ただ漫然として大体その頃というようなものではない。ということは、私たちの生き方のある特定のその時ということです。
 私たちは、いろいろなことに出遇い、いろいろなことを考えて生きている。いつも私の在り方が同じということはないのです。場合によっては苦しみ、問題が解けず、求め悩み尋ねているその時に、教えに出遇うということがある。その時出遇った教えは他の時でもいつでも出遇える教えというのではなく、その時のそのような私の在り方だったからこそ出遇えた教えなのです。又別のことを考え求めている時には別の教えに出遇うことができるかもしれない。

 そのように、出遇う教えは、刻むように進んでいく私の歩みの中でいつ出遇ったものかということははっきりしているということです。これはその時刻を私が覚えているということではありません。その時だからそれに即応する教えに出遇うということです。出遇いには確かさがあるということですね。その出遇いの時は他の時ではなく、まさにその時なのです。
 漠然とした私が漠然とした教えに出遇うのではない。何かについて何らかの考えをして問うている私のそのところで、その問いに即した教えに出遇うことができる。このことをまた「此れ皆是れ如来、機に応じて摂化したもう時なり。」と押さえています。私たちの在り方に応じて教化し、ついに摂取してくださるのだというわけですね。

 その私たちの在り方は大小様々の内容で構成されていますが、一番の基本は生きている場所でしょう。ある場所に身を置いているからこそ、このような問題があり、このようなことを考え、このような問いが出て、となっていくのです。又逆に、このようなことを問い考えている私が身を置いている場所はここだということになります。私たちの求道の在り方を、身を置いている場所で表わすのです。

 その場所が「或いは山林処に在し、或いは王宮聚落処に在し・・・」と表わされているわけです。これらが私たちの生きる場所、生きるあり方であり、さらに生の内容にまで立ち入ることができるでしょう。その様々な生の状況に対して仏は教えを説かれる。そのあり方を「彼の所宜に随って如来法を説きたもう」と表わしています。
 「所宜に随う」。よろしいように随う。一人ひとりにぴったりと随うということですね。私たちの具体的な問いや願いに沿うように教えを説かれる。問いや願いと言っても自分勝手なものということではない。問いのもとには真実とは何かという根本の問題意識があり、具体的な願いのもとには真実に出遇いたいという根源の要求がある。それらがその人その人において、歩みのそれぞれの場面において具体的な問いや願いとなって現われ噴き出す。その問いと願いにぴたりと沿って仏は説法される。従って、その教えは、表面の問いに答えることを入り口として、内面奥の根本の願いに至るのです。

 その問いや願いが様々な形を持って表れることに対し、仏はそれぞれにぴたりと説かれるわけですね。証信序の「如是」についての善導の釈に、「如是と言うは、如来の所説、漸を説くこと漸の如く・・・一切諸法の千差万別なるを説きたもう。如来観知して歴歴了然なることを明かさんと欲す。心に随いて行を起すに、各益すること同じからず。業果法然としてすべて錯失(しゃくしつ)無し」(親全45 聖全464 ノート49)とありました。
 一切諸法は千差万別。仏はその千差万別を一つに収束させずに、千差万別のままを説かれる。そして、益するところもまた一つの利益に収束させず、千差万別の利益をもたらす。
 ここに「彼の所宜に随う」即ち一人ひとりの人間性にぴたりと寄り添い、相手に合わせて説いていく姿があります。それができるということは、驚くべき慈悲と智慧のはたらきだと思います。これは人間にはできない。もはや人間の次元を超えているというか、これが真実なるものの(わざ)なのかと、驚嘆以外にはありません。

 しかも、「其の時処に随って、如来の観知増せず減ぜず。縁に随って法を授く。各所資を益す。」というわけで、いかに様々に異なった者に教えを説いても、その真実であることは「増せず減ぜず」まったく同じであると。各人の生き方において救いのために真に必要とするものを、間違いなく提供するというわけです。
 ここまでくれば、人間理性というものがいかに杓子定規で応用がきかず、硬直して柔軟性が無いものか、思い知らされます。本当に私たちには人を真に救おうという慈悲の心など微塵も無い。どのようにすれば救うことができるかの智慧もまったく無い。そのような慈悲や智慧とは何か別次元のところを生きているような思いさえします。本当の慈悲と智慧が目の前に現われたならば、恥ずかしくて隠れる穴を探して逃げ回ることでしょう。

個性から深奥へ
 私たちの千差万別の在り方そのものは、「山林処、王宮聚落処、広野塚間処、多少人天処、声聞・菩薩処、八部・人・天・王等の処、純凡若多一二処、純聖若多一二処」と、様々に精緻を極めて人間のあり方が示されています。
 王にも、貧しき者にも、都会の者にも、田舎の者にも、道を求める初歩の者にも、歩みが進んだ者にも、凡夫にも、聖者にも、あらゆる者に、あらゆる生き方に、あらゆる問題意識に、慈悲と智慧を背景にしてぴたりと沿って、しかも真実性を失わずに説くことができる。

 たとえばここにAさんとBさんがいるとします。この二人は境遇も現実も問題意識も性格も皆、要するに個性が違う。しかし、表面の個性はいくら違っても、奥底の「人間であること」はまったく同じなのです。この二人に仏は教えを説かれる。その教えは、AにはA向きの、BにはB向きの教えなのです。AもBもそれぞれに行き詰っているとき、仏はAに対しては「しっかり頑張って突き進んでいきなさい」と説き、Bには「あまり深刻に考えずに、ぼちぼちやっていってはどうかね」と説くかもしれない。随分と説き方が違うのです。
 お互いがもらった教えを聞き合って、AがBに、「あんた、いいなあ。ぼちぼちやっていけばいいんだから」と(うらや)ましがる。BはAに「あんた、気の毒だなあ。どんどん頑張らなきゃあいけないんだね」と同情をする。こういうことになるかもしれません。

 それなら、このことをもって仏は二人に対してまったく異なった教えを説いたのかと言えば、そうではないのです。それぞれの異なった個性のところが教えの入り口なのです。仏はそこに向けて教えを説き、AもBも、そこで教えを受けとめる。しかし、教えそのものは、なるほど個性のところからその人の中に入るけれども、個性のところでとどまらず、どんどん奥へ行って、ついにA とBそれぞれの存在の一番奥の「人間そのもの」のところまで進み、そこに至って教えとしてのはたらきをするのです。
 入り口は個性のところ。そこから入って至るところは「人間そのもの」の領域。いかにAとBの個性が違っても、その最奥の領域は同質の世界なのです。仏教の教えの目的地はその最奥の「人間そのもの」の領域です。しかし、だからといって、直ちにその領域から入ろうとはしません。それは道理に反することだからです。入り口はどこまでも表面の個性。目的は奥の領域。そして出口は又表面の個性なのです。

 「出口」というのは、最奥の領域に教えが届き、そこで教化がなされたならば、教化によっていわば生まれ変わった「人間そのもの」が表面の個性に向けて奥から影響を与え、個性を真に輝かせ生かすのです。個性は個性の次元だけでは変わらない。内奥からの新たに生まれ変わった自己自身の力を受けて初めて変わるのです。しかしそれは文字通り変わるというよりも、今の自分のままでよかったのだと言えるようになる。その思いによって個性が変わったということになるのです。

 この表面の個性を仏教は「諸」で表わします。Aにとってなすべき善はAの個性に根ざした善。BにとってはまたBの個性に根ざした善。それらを一括して「諸の功徳」と「諸」の字を使って表わします。
 従って「諸」は二重の意味を持ちます。人それぞれに異なっているものという意味と、もう一つは、その諸の個性から入った教えが各人の最奥の人間そのものの領域にまで至る、その入り口となるということ。二つの内容で方便の意味を持つわけです。至ったところが「仏智疑惑」の存在。これは誰もが同じなのです。人をして仏智疑惑の存在であると自覚せしめるところに真実のはたらきが燦然と輝いています。真実のはたらきの成就がそこにある。
 ではそのはたらきは何によってもたらされたのか。各人の個性を入り口としたからです。他には奥底に至る入り口は無い。直接奥底の領域に攻め入ることはほとんど不可能でしょう。ここに、個性が持つ意味があるのです。ここを通れば必ず奥底に至る。それが「方便」ということです。
 従って「諸」の表面的な意味は各人の個性の違いで、いわゆる「諸々」の意ですが、中心の意味は「方便」ということでしょう。ここをくぐれば必ず目的に至る。表面の個性に合った教えを説くことによって存在の深奥に至る。仏の教えはそのような力を持ったものなのです。

 合同座談というのがあって、先生と一対一で向かい合い信仰座談をする。他の皆は周りを取り囲んで聞いている。大変真剣な求道の場です。その二人のやり取りを聞いていると、ちょうど自分の問題がそこに出されて、あたかも自分自身に言われているような感じがする。まさに私のことだったと。私に向けて言われたような、叱られたような思いがしたと。そこで、座談が終わってその人のところへ行って、自分の代わりに出て問うて頂いたようなことで有り難うとお礼を言ったりする。よくあることです。
 しかし、ある先生はそこを押さえて言われました。「そういうことではいけない。それはその人が出たのであって、似たような問題だったかもしれないが、あなたが出れば、また内容は違うんだ」と。自分が出なければいけない、というわけですよ。
 人の何とかで相撲を取ると言いますが、そうであってはいけない。いかに同じようであっても、それは人の問題。いくら同感し感激してもその人の問題。自分の問題は自分が座談に出て自分の心を振り絞って問わねばならないというわけです。そういうことなのですね。自分が座談に出てみれば、じつはまたガラリと違うのです。

 このように、仏は異なった一人ひとりに向かって、その人に沿った教えを説いてその人なりの歩みをさせ、これによって、すべての者を同じ真実の世界において救っていく。まことに仏にして初めてできるお仕事であると思わざるを得ません。教えが人々に至るその時、「一時」の成就がここにあります。これがお釈迦様が御一生涯にわたって説かれた教え、釈迦一代教における説く「時」の姿なのだということです。

鐘は扣くことによって鳴る
 異なったあらゆる人たちにそれぞれ教えを説いて、即ち「その時処に随って、如来の観知、増ぜず減ぜず」。仏様は観知して、相手の時処をよく知って説かれるその教えは、相手が違うからといって、真実性が増えたり減ったりはしない。この人には八十パーセントくらい真実を発揮できた。この人には六十パーセントくらいしかできなかったというようなことは無い。すべての人に対し、いかに説き方は違っても、真実度百パーセントで説くことができる。これが仏様の説き方なのですね。正しく真実の世界に住しておられる方にしてはじめてできることですね。
 「縁に随って法を授く。各所資を益す。」相手に応じて説いて、本当にその人その人が必要とするところのものを利益として与えていくことができる。それも表面的なところだけのことではありません。根本深層の人間そのもののところにはたらきかけるからこそ、各々の個性として必要な徳や力を与えることができるのです。

 「仏将に法を説きたまわんとして、先ず時処に託したもう。化主、機に臨んで時処を待ちたもう。」先ず私たちの方の条件が整い、時機純熟することを仏様の方が待ってくださるということですね。この順番が大事。仏様の方が待ってくださるのですから後ですね。私たちの方が先。
 しかし、もともとは化前序ということで、如来本願まします方が先ですね。その土台の上に、私たちの現実が展開し待たれている。化前序の本願が一番先にある。その世界の中で私たちの条件が整うのが先。それを本願は待っている。そういう関係にあります。縄を()って泥棒が来るのを待っている。奴さんが入ってきて盗んだところを捕まえる、といった具合ですね。

 この教えと人との先後関係が分かりやすい譬えで示されています。「斯れ乃ち洪鐘響くと(いえど)も、必ず(たた)くを待ちて(まさ)に鳴る。大聖、慈を垂れたもう。必ず請いを待ちて正に説くべし」洪鐘は大きな鐘です。大きな鐘はもちろん大きな音で鳴るわけですが、しかし必ず扣くのを待って鳴る。扣かなければ鳴らない。この関係ですね。
 当たり前のことですが、なかなか面白い。鐘は既にある。しかし私たちが扣かなければ鳴らない。「扣く」ということばで表現しているのが、時処の純熟です。時処が熟さなければ扣くことにならない。その限り、鐘はいくらあっても鳴らないのです。時処が熟し鐘を扣き、それによって洪鐘は鳴る。
 大聖釈尊の慈悲、即ち教えが説かれることは、私たちの時処が熟して教えを請うことによって初めて、それも必ず起こるのだということです。洪鐘は万難を廃し私の要請という一点を注視して待っている。
 この世界に教えが無いのではない。じつは待ちに待ってくださっている。それに気づかない私たちは、自己を(ないがし)ろにし、世を厭い、面白くない、いやだ、疲れた、あいつが悪い、何もしてくれないと、愚痴の限りでふてくされて生きている。まことにまことにお粗末なことです。

 我に帰って自己を問い、道を問い、真実を問い、平和を問い、自分に鞭打って奮い立ち、「我いかにすべきや」と問い尋ねる者となるとき、待っておられた如来はその慈悲の扉を開き、はたらきを遺憾なく発揮してくださるのです。洪鐘は鳴り始めます。はじめは静かに次第に大きく、遂に大音声となって頭の真上で鳴り響くでしょう。
 如来真実の教えはいかに大きなものか。いかに人間の真実を明かし、歩みの道を明示し、人間を本来真実の在り方へ導くことができるものか。鐘は鳴り続け、耳開かれた者は歩みを推し進める。いよいよ確かにいよいよ深くいよいよ大きく。

主体的な要請が意味するもの
 私の側からの要請が持つ意味の一つに、主体性ということがあるように思います。たとえば『大経』では阿難が自ら立ち上がってお釈迦様に問います。その日初めて阿難はお釈迦様の上に光顔巍々とした姿を見たのです。そして問います。「何が故ぞ威神光々たること乃ち(しか)るや」と(東7 西8 島1-6)。
 阿難はそれまでお釈迦様のおそばに長くおりながら、説かれる教えが分からなかったのです。負い目を長く感じていたのでしょう。
 その阿難がその日、これまで見たことのないお釈迦様のお姿を見た。その「見た」という事実は何を意味しているのか。じつはお釈迦様の真のお姿を阿難に見させたものこそ如来本願そのものだったのです。如来本願のはたらきが阿難に来たって阿難の心となり、お釈迦様の上に現れている本願の姿を見させたのです。お釈迦様は阿難の要請に応えて、その如来本願の全貌を説き始めます。阿難の主体的自発的発言が如来本願の教えを開く契機となったのです。

 『観経』にも韋提希の主体的な要請が数多く見られ、その要請を受けて教えが大きく展開していきます。たとえば、「願わくは仏日、我れを教えて清浄業處を観ぜしめたまえ」(東93 西90 島2-4)。この要請を受けてお釈迦様は真の清浄業処を韋提希に選ばせるのです。これが韋提希の出発を導き出すのですから、大きな要請であったわけです。
 また、光台現国の教えによって諸仏の世界を見、次のように要請をします。「世尊、この諸仏の土、(また)清浄にして皆光明有りと雖も、我れ今極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれんと(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教え、我に正受を教えたまえ」(東93 西91 島2-5)。
 阿弥陀の世界を選んで、そこへ至るための思惟と正受を自ら要請した。ここにも大きく韋提希の主体性が顕れています。
 もっとも、ここは単に主体性礼賛で終る箇所ではありません。主体性の奥に潜む人間理性が持つ問題点も同時に顕わされているわけです。誰が「思惟」によって阿弥陀の国に生まれることができると教えたか。まだ誰も教えない。韋提希が自ら、ある意味で勝手に思っていたことだったのです。
 しかし、その問題点を含んだ主体性の発揮が大事。初めから問題点をすべて払い棄てたところの主体性を起すということはありえないのです。自己のすべてを挙げて問うということは、その主体性を起すことが大事であると同時に、その中に自らの問題点もすべて込めて主体性を起している。このことが大事。主体性の起し方がこのようになるというところに、仏法が人間の問題へ近づく手がかりがあると言うべきでしょう。

 私たちの生活の場面でもよく分かることです。学校の授業でも「何々君、どうかい。」と指名されたので立って答えるというのは普通でしょう。しかし、指名をされないのに自分から立ち上がって、「先生、質問があります。」というのはものすごく大事なことですね。そこに主体性が発揮されているからです。自ら立ちあがってものを言うのはよほどのことです。
 『観経』における韋提希の発言の多くは、自分の方に心の変化が起こって、指名を待たずにそれをお釈迦様に申し上げるというケースです。韋提希の心の中に変化が起こって、立ちあがって訴えようとする。主体性をもって動き始めてくるそのタイミングを見失わずにお釈迦様は教えを説かれるのです。
 私たちもお互いよく考えて要請をしなければ、答えは現れない。また要請のないところに答えを並べられても受け入れられない。答えが答えとならないのです。場合によってはいかに尊い答えであっても、ゴミ箱行きになるかもしれません。鐘も扣かないのにガンガン鳴ってはやかましいばかりかもしれない。いかに教えに対し道を求めるということにおいて主体的であることが大切であるかということですね。ただそこにいて聞けば分かるというものではない。分かるかどうかを決めるのは私自身の姿勢によるのです。

我を大きく扣いてほしい
 もう一つ鐘について思いますことは、扣き方と音量との関係です。大きく扣けば大きな音がする。小さく扣けば小さな音がする。不思議だと思われませんか。
 当然のことなのですが、どこか不思議なものを感じます。鐘が生き物のように、相手に応じて音量を変えるわけです。テレビはスイッチを入れると、いつも同じように画面が出ます。スイッチの入れ方によって画面が小さくなったり大きくなったりはしません。いつも出る画面が定規格の大きさの画面なのです。
 では鐘はどうでしょう。定まった音の大きさというのがあるのでしょうか。弱く扣けば小さな音。強く打てば大きな音。音の大きさの種類は無量です。要するに、扣き方によるのです。教えも同じなのです。小さく扣けば小さな教えが返ってくる。大きく扣けば大きく返る。あなたに如来本願の世界が小さく見えるとすれば、それは教えの求め方が小さいからではありませんか。

 下の庭に碑があります。そこには「生命を継ぐ者は、生命を捧げていく」と書かれています。わがいのちを捧げるほどに求めたならば、本願の教えの全てが返って来るのです。なぜなら、こちらがいのちを差し出せば、これがこちらのすべてであり根源ですから、仏法もそのすべてを差し出して答えてくる。いのちはいのちを呼ぶのです。
 仏道が仏道それ自体を投げ出して、いのちを捧げる者のところに現れる。それをもし参考意見程度で求めたとすれば、参考意見程度の教えが返ってくる。腰掛で求めたら、向こうも腰掛でやってくる。教えの大きさは、私の扣き方で決まるのです。

 では洪鐘はどのように扣くのが本来の扣き方なのか。それを示しているのが洪鐘の「洪」なのです。大きな鐘なのです。どこまでも大きな鐘なのです。打ち方によってはどこまでも大きな音が出る。それが仏法というものなのだということで、譬えに「洪鐘」が使われているのでしょう。
 「どうか私を、あなたの最大限の力で大きく扣いてくれ」と洪鐘は呼びかけているのです。「そうすれば私も最大限の音を出すから」と。仏法の鐘を扣くには、須らく大きく扣くべし。小さく叩けば、相手は仏法にはならない。仏法とははじめから大きく叩くべきものなのです。
 大きく扣くとは、私の全体を挙げるということ。生涯の全体を捧げるということ。毎日の生活の基本に据えるということでしょう。これは素晴らしい教えですね。励まされます。大きく扣いていかなければと思わされますね。

 大きく鐘を扣いた方のことを思います。それはたくさんの方がおられるでしょう。私の最も身近な方としては、私の先生のことが思い出されます。先生の仏道上の大きな展開はいろいろおありだったろうと思われますが、その一面を見させてもらいます。
 三十才の頃、九州に帰られ、大学で仏教研究会を始められます。昔の兵隊の官舎の跡の教室で、毎月広告を出してお話しをされた。国立大学の中で宗教活動をされるのですから、大変なことだったのでしょうね。
 校舎が分かれていた大学を統合し、仏教研究会の十数人入る学生寮を私財でつくられた。先生、五十才の頃ですね。そしてまだ力のあるうちに辞めるのだと言われ、六十歳前に退職され、仏法一筋の道を選ばれた。その時の先生のご挨拶に「自分の歩みを遮るものは何もない。晴天の下を進むようなものだ」というお言葉がありました。そのようにしてどんどん命を捧げていかれた。ご自分の人生を選び取っていくということが、仏法の鐘をより強く打つ方向に進まれたということだったのです。
 そして、七十六歳、お亡くなりになる一週間前まで、文字通り倒れられるまで教えを私たちに説きぬかれたのです。先生が扣かれた洪鐘の大きな音を、私たちは耳を澄まして聞かしていただかねばならないでしょう。そばで聞けば鼓膜が破れるほどの大音だと思いますが。

 扣けば扣くほど大きなものが返ってくる。だから扣くことを仏様は待っている。普通宗教と言えば、迷い苦しんでいる者がいるから、仏様が出て行って助けるのが当然だとなりやすい。要請を待っているようでは仏様と言えない、すぐに行って助けなければと。そういう発想も起こりやすいでしょうね。
 それはそうなんですよ。だから最初から準備して待っている。万全の準備をして待っている。あらゆる者を救う如来の本願を成就して待っているのです。その世界の中で、今度はあなたがどうしても救われたいという願いをもって立ち上がる順番なのです。そうすれば、そのタイミングを見逃さずに本願は猛烈とはたらきかけてくる。準備が出来ていないのにはたらきかけても救うことはできない。ただ行けばいいというわけではありません。
 座談会などで、何でもいいから質問することもまた大事です。自分の方から言葉にして言うのが大事。なんでも言って御覧なさい。ずいぶんと違いますから。

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(四)釈迦一代教と王舎城の悲劇

二つの同時の「時」

 「一時」について、さらに二つのことが言われます。これは対になっていますので、一つの文と考えてもいいでしょう。
 「又一時というは、阿闍世正しく逆を起こしし時なり。仏何れの処にか在まして、此の一時に当たって、如来独り二衆とともに彼の耆闍に在ます。此れ即ち下を以って上を(あら)わす意なり。故に一時と曰う。」
 そしてもう一つ。「又一時と言うは、仏二衆とともに、一時の中にして、彼の耆闍に在しまして、即ち阿闍世此の悪逆の因縁を起すことを聞かしめたもう。此れ即ち上を以って下を形わす意なり。故に一時と曰う。」(親全48 聖全466 ノート52)

 耆闍崛山での釈迦一代教が、いかに「化前序」であるか。このことが明瞭になるような、広い視野での大胆な教えの領解がなされます。
 序分における「時」についての善導の着眼は、時が二つ出されているというところでしょう。一つは、「一時、仏、王舎城耆闍崛山の中に在し、大比丘衆千二百五十人とともなりき。菩薩三万二千あり。」この「一時」です。この一時は、仏が耆闍崛山で声聞と菩薩を相手に教えを説いている、その時です。これが釈迦一代教を象徴しているわけです。
 もう一つの「時」は、その次の「爾時(そのとき)、王舎大乗に(ひと)りの太子有り。」この文から始まる王舎城の悲劇、禁父縁・禁母縁の内容を指す「爾時」です。
 一つは耆闍崛山での説法。一つは王宮での悲劇。この異なった内容を指し示す「時」が序分の中で同時に述べられている。これは何を意味するのか。ここが善導の着眼点であろうと思います。

 文中、「上」で表わしているのが「一時」が示す耆闍崛山での仏の説法です。「下」で表わしているのが、「爾時」が示す王宮での悲劇です。この「上」と「下」がどのような関係にあるのか。観経の教えとは何か。釈迦一代教の中で、どのような位置を占めるのか。最も大事な位置づけが、ここで明らかにされます。

耆闍の説法と王宮の悲劇
 先ず、前半の文を見てみましょう。「又一時というは、阿闍世正しく逆を起こしし時なり。仏何れの処にか在まして、此の一時に当たって、如来独り二衆とともに彼の耆闍に在ます。此れ即ち下を以って上を(あら)わす意なり。故に一時と曰う。」
 まず、「下」のほうから説いています。「一時」というのは阿闍世が逆悪を起した時であると。これは「一時」とありますが、経文では「爾時」の時を指しています。阿闍世の逆悪、王舎城の悲劇。まずこれを確認します。名君頻婆娑羅王を中心にして、国は豊かに繁栄していた。王家も王の下、よき后と可愛い子に恵まれ、仲睦まじく過ごされていた。しかし、提婆の悪計のもと、一瞬にして平和は破られ、予想もしない混乱と苦悩が一挙に押し寄せたのです。悲劇です。人間の上に起こった悲劇です。
 しかし、人間そのものがそもそも悲劇的な存在ですから、「悲劇の人間」の上に起こった具体的な悲劇的現象と言うべきでしょうか。起こるべくして起こったことです。これが縁になるのです。人間が「悲劇の存在」ではなく、偶々その上に悲劇が起こったのであれば、その悲劇は如来の「縁」にはならないでしょう。悲劇的存在であるが故に、具体的な表面の悲劇の一つが如来の縁となるのです。一現象としての悲劇は、根源の悲劇性に繋がっているのです。

 王舎城の悲劇が起こって韋提希は閉じ込められ、身心共に道を失って愁憂憔悴する。この大変なことが起こっている時、仏陀釈尊は、いったいどこで何をなさっておられたのか。これが第一の問題です。
 じつは「如来独り二衆とともに彼の耆闍に在ます。」お釈迦様は独り声聞や菩薩の人たちと共に、耆闍崛山に在し、教えを説いておられたのです。「二衆」は「大比丘衆千二百五十人とともなりき。菩薩三万二千あり。」とある、前者の声聞、後者の菩薩を指しているわけです。
 ということはどういうことか。考えようによっては、(ふもと)の王宮で大変な事件が起こっているのに、肝心のお釈迦様は山におられて、悲劇とは関係のない人たちに向けて、おそらく悲劇とは関係のない説教をなさっている、という受けとめ方も有り得るでしょう。
 しかし、そうではないのです。耆闍崛山での教えはどのような教えなのか。それを決定するのが王宮の悲劇なのだと善導は言うのです。そのことを「下を以って上を形わす」と表現しています。

 上の耆闍の説法は下の事件によって決定されるのだと。即ち、あたかも下の事件と関係のないように営まれているように見える上の耆闍の会座は、じつは、下の悲劇の事件を十分に踏まえ、いやそれ以上に、その悲劇に真正面から答えるものとして説かれていたのだということです。
 人間の起こす具体的な悲劇を縁にして、「悲劇の人間」という救われざる存在を、その障害をすべて乗り超えて真に救う教えが山上で説かれている教えの真の内容なのだということです。即ち、釈迦一代教の教えとはこのような教えだということなのです。

 後の文を見てみますと、「又一時と言うは、仏二衆とともに、一時の中にして、彼の耆闍に在しまして、即ち阿闍世此の悪逆の因縁を起すことを聞かしめたもう。此れ即ち上を以って下を形わす意なり。故に一時と曰う。」
 今度は視点を少しずらせて、耆闍崛山で説法をなさっている場面を押さえて説かれます。一時と言うのは、仏が耆闍崛山において、声聞・菩薩の人たちに向けて、教えを説いておられた時であると。しかし、ただ二衆に向けて何らかの教えを説いていたのではなく、「一時の中にして、彼の耆闍に在しまして、即ち阿闍世此の悪逆の因縁を起すことを聞かしめたもう。」と。
 この「一時」が「爾の時」の一時でもあることを表わしています。王宮で事件が起こっていることを聞かれた上で説かれていたのだと。耆闍の説法はそのような説法だというわけです。

 ここで一つ気になるのは、前の文のほうに「如来独り二衆とともに」と、「独り」という言葉が述べられていることです。耆闍崛山には、たくさんの声聞や菩薩がおられた。王宮の事件の情報は、それらの人たち皆に伝えられたのでしょう。しかし、その情報を聞いたのは声聞・菩薩の皆であるけれども、その情報が持っている意味が分かったのはお釈迦様独りであったということなのです。
 王宮の事件に、どのような意味があるのか。声聞や菩薩は分かりません。聞いて、聞き流したのでしょう。大変なことが起こったとは思ったでしょうが。しかしお釈迦様はこのことの持つ意味がはっきりとお分かりであった。「これで阿弥陀の本願の教えを説くことができる」こう思われたのでしょう。
 待っていたことがやっと起こったのです。「悲劇の存在」が、自己を根本から規定している悲劇性から真に開放されるためには、その悲劇性ゆえに起こる具体的な悲劇の事件を縁にするしかないのだと。この道理がお釈迦様にはよくわかっておられたのです。

 このことを親鸞聖人は次のように述べます。「達多闍世の悪逆に縁りて、釈迦微咲(みしょう)の素懐を彰わす」(東331 西382 島12-165)。この事件が起こることをお釈迦様は長い間待っておられたのです。こう言えば薄情なお方、となるかもしれませんが、そうではありません。人生が大きな問題もなく幸せそうに進んでいくならば、人は真の自己がわからず、如来の真実の心にも出遇わないまま、生涯を終わっていくかもしれない。
 その幸せは、じつは表面的なもので、一旦大きな出来事が起こると、一挙に破られて、確かなものを求めてこなかった愚かさが不甲斐なく腹立たしくさえ思われてくるでしょう。我が人生に対してただ泣くしかないことになる。いや泣くこともできず、不徹底でとどまったまま時が推移していくことになるかもしれない。その人生は空過の支配を受けなければならないのです。
 「微咲」は、本来は「微笑」でしょうが、聖人は「咲」の字を使われました。このほほえみは、固いつぼみだったものがやっと開いた、そのような意味を持った喜びのほほえみということでしょう。
 お釈迦様はずっと待っておられたのです。人間の上に起こる具体的な悲劇的事件が、その人が「悲劇の存在」であることに目覚め、また如来の真実に目覚める決定的な縁であることが、お釈迦様には明らかだったのです。苦悩の衆生を捨てず、必ず救おうとする大悲の心ましますことを、よくよくご存知だったのです。

 「下を以って上を(あら)わす」。「形」という文字がとても有効な意味づけで使われています。「形」は「型」によって形成された形態のことを言います。一つのものが何らかの形となるのは、ある型にはめられて、それによって、その影響を強く受けて一つの形を持ったものになるのだと。
 上の耆闍崛山での教えができあがった「形」です。ではこの教えは何を型にしてできたものか。それが下の王宮の事件なのです。王宮の事件という「型」が耆闍崛山の教えの「形」をつくったのです。その「形」を動詞化して、「形わす」と表現したのです。下の王宮の事件が上の耆闍の教えの形をつくった。こういうことになると思います。

 さらに、「上を以って下を形わす」。下の王宮の事件はどのような事件なのか。その形をつくったのが上の耆闍の教えなのです。王宮の事件はあまりにも悲劇的なもので、「王舎城の悲劇」と言えば、ただ悲劇的側面だけが思い浮かぶかもしれません。悲劇的要素によってのみ構成されているもの、ということですね。
 しかし、この事件の本当の姿形はそうではないということなのです。この事件は耆闍の教えがその形をつくっている。耆闍の教えを踏まえなければ、この事件の真相は見えないのです。ただ悲劇だけの内容ではない。そうではなくて、この悲劇を縁として如来がはたらきかけてきており、事件の諸相のところに如来が顔を出している。悲劇と如来と、両方がいるのがこの事件の真相なのです。

 眼あるものがこの悲劇を見れば、これに対し、南無阿弥陀仏と念仏申すしかないでしょう。なぜなら、そこには起こった悲劇の悲惨さと、それ故に来たって救わんとする如来の悲願と、如来の眼に移った悲劇渦中の者の悲しき姿と、如来に願われておりながら、それに目を背けようとする者の姿と、それらが、繰り広げられる悲劇のその一場にあるからです。これが悲劇の真の姿なのです。
 「南無阿弥陀仏、大丈夫だよ、如来がそばにおられるよ」。このように声をかけられるものとして私たちの悲劇的現実はあるの。悲劇に向かってはたらかない如来はない。真実は、真実ならざるものを見て、直ちにはたらきかけ、必ずその者を真実の者にしていくのです。

方便の教え
 序分の中に「時」が二つ出されています。まず「一時」を出して耆闍の説法の様子を述べ、そして「爾時(そのとき)」即ち耆闍で説法があっているその時、王宮で事件があったと。つまり、「一時」と「爾時」は同時なのです。
 しかしそこで、下の王宮の事件が、同時に起こっている上の耆闍の教えを形づくったとすれば、少し疑問が出るかもしれません。
 事件は一度のある時だけのもの。耆闍の一代教はお釈迦様の約五十年に及ぶ全教化です。その一度と五十年がどのようにすれば対応するのか。王舎城の悲劇が五十年間続いたというわけではないでしょう。どういうことなのか。

 耆闍崛山での釈迦一代教は、「悲劇の存在である人間」のために説かれた教えなのです。あの一度の王舎城の悲劇のためだけの教えではない。人間普遍の教えです。その人間というのが「悲劇的存在」。この人間を具体的に表わしたのが王舎城の悲劇なのです。根があれば花が咲くというわけです。
 人間の根本のところに悲劇性がある。如来を誹謗(ひぼう)し仏智を疑惑することが悲劇性の核です。この救われざる存在にはたらきかけて救おうとするのが如来の大悲なのです。そのはたらきかけのきっかけとなるのが具体的な悲劇ですから、上の耆闍の教えが向かっているのは単に王宮の事件一つだけではない。これが象徴し、このように具体化していく源を根源として持っている「悲劇の存在としての人間」に向かっているのです。

 人間存在を悲劇の存在であると明らかにして、その者の為にということを前提にして説かれたのがお釈迦様の一代教です。その一代教には、中心の位置に『大無量寿経』がある。真実を如来本願として説き、真実のはたらきを南無阿弥陀仏として説いた経典です。
 この『大経』の教えの世界に、あらゆる者を導きたい。そして如来本願のはたらきに目覚め、これを受け、願生浄土の歩みをする人として誕生させたい。是れがお釈迦様の願いです。しかし、人々は真実には目を向けず、自己の思いを最もよきものとして、これに執着し、迷いを出ようとしない。まさしく悲劇の存在なのです。

 この者に全力で教えを説かれたのがお釈迦様です。その教えを方便の教えと言います。方便の教えとは、私たちがかねてから持っている自分の考え方で受け入れることが容易な教えのです。同時に、必ず真実の世界に私たちを推し進めてくれる教えです。迷いの私が頷くことができる教え。同時に、真実へ必ず導くことができる教え。大変な力を持っているのが方便の教えなのです。
 この教えをあの人にもこの人にもたくさん説いて、お釈迦様は私たちを歩ませ、真実に導き入れようと力を尽くされました。それは並大抵のことではなかったでしょう。一人ひとりに応じられたのです。人間の迷いの考え方に対応されたのです。
 そしてどうか真実に出遇ってほしいと。『大経』が説く如来本願・南無阿弥陀仏の教えに出遇って、念仏の人となってほしいと。一代教はすべて、そのような願いが込められた教えなのです。一つとして、『悲劇の人間』以外の者に説かれた教えはないでしょう。

 この一代教、即ち『大経』を中心核として無数の方便の経が周りに位置する一代教は、まさしく「悲劇の人間」のための教えです。その人間の上に、今、救いへの縁となりうる悲劇的事件が起こった。お釈迦様は、これは最大のチャンスであり、今こそ自ら行かねばとて、王舎城へ行かれるのです。根本的に「悲劇の人間」のための教えであり、具体的には一現象として起こった悲劇的事件のための教えなのですから。
 そして王舎城で説かれる教えが『観経』なのです。耆闍の一代教は、まさしく『観経』での教化の前序となるもの。そして一代教を圧縮して一つの経典として説かれたものが『観経』であったわけです。教化の前に如来本願が明らかにされており、いざ教化の場において、その如来本願がはたらき、韋提希を救っていくのです。
 一代教が内に持つ真実と方便の教えを一つにした『観経』を、善導大師は『頓教』と押さえます。「今この観経は菩薩蔵に収む。頓教の摂なり。」(玄義分)。さらに「観経・弥陀経等の説は即ち是れ頓教なり。菩提蔵なり」(般舟讃)(東199 西198 島12-45)。
 親鸞聖人は、善導はよく『観経』の真価を明らかにしたと、「善導和尚、義解して曰く。・・・即ち是れ円教の中の円教なり、則ち是れ頓教の中の頓教なり」と讃嘆されます。(入出二門偈)(東466 西550 島15-5)。
 「悲劇の人間」のための教えが、今人間の悲劇を縁にして説かれる。そして必ず悲劇で泣く者をして、大慶喜心の世界へと進ませるのです。
 今回は、善導が位置づけた「化前序」の中、「一時」について善導の文を頂いてみました。

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