今よみがえる観無量寿経 第17回 「厭苦縁(4)」
 

るいれつの会(2012年10月22日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』



(一)釈迦牟尼仏


人間の姿をもって現われた仏

 前回は、序分の中、厭苦縁(えんくえん)の第三段落の途中まで進んでいました。王宮の牢獄の中で愁憂憔悴する韋提希のところへ、お釈迦様が耆闍崛山(ぎしゃくっせん)の会座を(もっ)して自らやって来られる自来赴請の場面です。
 経文は次のとおりです。
 「時に韋提希、礼し已りて頭を挙ぐるに、世尊を見たてまつる。釈迦牟尼仏、身は紫金色にして百宝蓮華に坐したまえり。目連左に侍し、阿難右に在り。釈梵護世の諸天、虚空の中に在りて普く天華を雨らし、持用(もち)て供養す」(東92 西90 島2-3)
 
 この文を善導は次のように受けとめます。
 「『時韋提礼已挙頭』と言うは、此れ夫人の敬を致すの時を明かす。
 『見仏世尊』と言うは、此れ世尊宮中に已に出でて、夫人をして頭を挙げて即ち見せしむることを致すことを明かす。
 『釈迦牟尼仏』と言うは余仏に簡異す。ただし諸仏のみ名通じて、身相異ならず。今(ことさら)に釈迦を標定して疑い無からしむ。
 『身紫金色』と言うは其の相を顕し定む。
 『坐百宝華』と言うは余座に簡異するなり。
 『目連侍左』等と言うは、此れ更に余の衆なくして、唯二僧有ることを明かす。
 『釈梵護世』と言うは、此れ天王衆等、仏世尊隠れて王宮に顕したもうを見るに、必ず希奇の法を説きたもうべし。我等天人、韋提に因るが故に未聞の益を聴くことを得ん。各本念に乗じて普く空に住臨し、天耳遥かに(さん)して、華を雨ふって供養することを明かす。
 又『釈』と言うは、即ち是れ天帝なり。
 『梵』と言うは、即ち是れ色界の梵王等なり。
 『護世』と言うは、即ち是れ四天王なり。
 『諸天』と言うは、即ち是れ色・欲界等の天衆なり。既に天王の仏辺に来り向かえるを見て、彼の諸の天衆亦王に従って来って、法を聞きて供養す。
(親全79 聖全483 ノート84)

 韋提希の前に現れたお釈迦様はどのようなお方か。これがこの箇所の問題です。このことが問題となるのは、私たちには、目の前に現れた人がどのような人なのか、顔を合わせただけでは必ずしも分からない、という前提があります。特にそれが仏陀であればなおさらのことだと。
 わからないことの理由の一つに、自分の思いで相手を判断してしまうということがある。その自分の思いも、根強いものであれば、相手がどのようなことを言おうとも、自分の思いで解釈し、相手の本心を受けとめないということになります。
 私の前に現れた人が、私を真に救うために、真の教えを説いて全力を投じてはたらきかけてくれる人であるなど、最初の出遇いでどうして分かるものでしょうか。私の強い被害者意識からすれば、私を苦しめているのはこの人ではないかと思ってしまう。私を中心にし、私を優位の側に立たせ、この中心と優位を確保できるように相手を見ていく。私の煩悩の成就のために、相手を私の精神の中での奴隷のように位置づけ、その自己本位の考えで相手の心を無視し自分勝手に決めていくのです。
 
 韋提希はお釈迦様には何度もお会いしていました。主人の頻婆娑羅王は、それまで二度結婚した。ひとりは亡くなり、ひとりは出家した。韋提希が三番目の后なのです。韋提希は主人についてお釈迦様の教えを聞きに行った。お釈迦様が活動される地元の国の王妃として、また大壇越の頻婆娑羅王の后として、お釈迦様を「世尊、世尊」とお呼びして教えを受けていたのです。
「世尊」の言葉は、仏をお呼びする正しい呼び方ですが、実質的に韋提希に於いてはどのような意味であったのか。ここに大きな問題が潜んでいます。しかしこういうことは、何か大きなことが起こらないと表面化するものではないのかもしれません。

 経文は、「時に韋提希、礼し已りて頭を挙ぐるに、世尊を見たてまつる。釈迦牟尼仏、身は紫金色にして…」となっています。韋提希は頭を挙げて「世尊」を見た。それに対して経典は「釈迦牟尼仏、身は紫金色にして…」と、お釈迦様の呼び名を「世尊」から「釈迦牟尼仏」へと変えています。お釈迦様とは何者か、それは韋提希が「世尊」の呼び名で呼んだ時の、その心の中にあるものと違うのだと。お釈迦様の本当のお姿は「釈迦牟尼仏」なのだということです。
 これは、「世尊」と「釈迦牟尼仏」との違いではなく、韋提希が「世尊」という言葉でイメージしているお釈迦様像と「釈迦牟尼仏」との違いを問題にしているのです。人は、もし仏に本当に遇い得ていないのなら、目の前に仏が現れても、それを仏とは受けとめられず、自分のそれまでの思いでその人を決定してしまう。両者の出遇いが成立するためには、この大きな問題があることが提示されています。

 「釈迦牟尼仏」を善導は「余仏に簡異す」、他の仏と異なっていることが大事だと受けとめます。その異なりが大きな意味を持っているわけですね。
 異なりの点は、人間の姿をもって現れた仏ということ。しかもその仏が、紫金色の身の色をし、百宝の蓮華座に坐していたと。
 仏が具体的な人の姿をもって現われることは、歩んでいこうとする私たちにとって、とても大きな意味を持ちます。私たちは人間である以上、人間関係の中を生きます。人間を超えたもの、たとえば自然界やイメージの世界ともある程度は関わりを持ちますが、人間を真に救うものには人間を通して出遇っていくのが極めて順当なところだと思います。これを超えたものとの出遇いによるとすれば、それは万人共通の平等の出遇いは起こりにくいがゆえに、平等の救いもまた起こりにくくなります。
 仏教は、具体的な人を通して、真の救いをなさしめるという方法を確立したわけです。それが諸仏としての人間存在であり、その代表がお釈迦様ですが、これは本当に勝れた方法であったと思わざるを得ません。
 『大経』は上巻で如来浄土の因果を説きます。一口に言って、如来の世界を説く。その如来を説く上巻を終えるにあたって、最後に何が示されるか。それが諸仏なのです。浄土の一面に咲く華から無量の光が放たれ、その光がまた無量の諸仏を生み出します。その諸仏が如来の光を放って教えを説き、それによって無量の衆生を仏の道に立たしめようとするのです。

 ここには、大きく三つの願いが表わされているようです。
 第一は、如来は自ら建立する浄土をして、光を放って諸仏を生み出し、それによって衆生を救い取る、そのような浄土を生み出したいのだと。
 第二は、第一の願いの内容となるものですが、諸仏を誕生させたいということ。
 第三は、これもまたそれを受けて、十方の衆生を仏の道に立たせ救いたい。
 これらは、順に、第十一願、第十七願、第十八願に相当するものだと思います。上巻の帰結はこの三つの願に収まっているようです。
 これを受けて下巻のはじめには、この三つの願成就の姿が示されます。まず第十一願成就。これは、わが建立する浄土は、そこを生きる者をして邪定聚のあり方を翻えさせ、不定聚のあり方を照らし続け、ついに正定聚のあり方をなさしめる力を持ったものとして成就することが示されます。

 邪定聚のあり方とは如来の真実を無視し自己の上にこそ真実ありと思う生き方です。浄土はこの考え方を照らし出して超えさせる。また不定聚とは、如来の上に南無阿弥陀仏という真実ありと認めても、今度はそれを自分の我の幸せ実現のために利用しようという考え方です。このあり方をも照らし出し、照らし続けて限りない転回をなさしめる力を浄土は持つのです。
 私たちの依って立つ大地を、このような力溢れるものたらしめようと願って法蔵菩薩は歩まれた。あらゆる者を照らし転回せしめて正定聚の者にする力を持った世界を建立して、如来は私たちに、どうかこの浄土をあなた方の生きる大地として受けとめて歩んでほしいと願われるのです。

 続いて第十七願成就。浄土を大地にして生きるこの現実世界。この現実の中に、じつに如来の真実に出遇ってそれを生き、その世界を勧めてくださるお方が存在する。しかもその方のほうから私の前に現れ来たって、私に如来浄土、南無阿弥陀仏を勧めてくださるのです。これが諸仏。これが『大経』上巻が最後の帰結として私たちに提供してくださる、如来と私の橋渡しをしてくださる具体的なお方、諸仏なのです。
 正定聚の者たらしめる力を持った場を大地としてそこに立ち、立って歩む現実世界には私に南無阿弥陀仏を勧めてくださる諸仏まします。この世界を如来は私たちに提供してくださる。万全の態勢ですね。この立つ大地と生きる世界を賜って、そこで私自身が如来本願成就の歩みを一歩一歩なさしめられていく。本願成就の歩みを推し進めていくのです。それを表わすのが第十八願成就文です。

 「諸有衆生」迷い深きわが身であったと、ついに自己の実相に目が覚める。これが救いの鍵なのです。その自己への目覚めのところに、初めてよき人諸仏の説かれる南無阿弥陀仏がわが心身に入ってくる。「聞其名号」です。そこに信心歓喜乃至一念という、信心の成就がなさしめられる。
 その信心は願心となって願生浄土、不退転に住する正定聚の歩みがそれによって展開して行く。その歩みは、限りなく自己を照らされ続ける歩みなのです。ここに救いの成就がある。この救いはすべて如来の回向によるものであり、この如来回向を全身に全生涯に於いて頂いていく。ここに人間の本来の姿があるのだと。

 私たちのこの救いはどこからもたらされたものか。それが如来から。如来の回向による。その回向のはたらきかけを私たちに伝えるものは何か。それが諸仏なのです。その諸仏を『大経』下巻は最後に誕生せしめた。そして私たちに与えようとされるのです。如来が私たちに与えようとされるものはいくらでもあります。ただそれらには構造があり、従って与える順序があります。
 まず、先陣を切るのが諸仏なのです。その代表がお釈迦様。時代は流れ流れて、今私の前に立っておられるそのよき人。この方が如来のすべてを背後に持って私の前に現われる。経典で言えば『大経』の上巻すべてを持ってということです。これは大変なこと。これは本当に大変なことで、このことがあるから私たちの歩みが始まり救いが起こるのです。
 一人の人に向けて、如来はその歩みと成果の力すべてをこめて、はたらきかけていく。その時、広大深甚の世界を一点の通路を通して一人へと注ぐのです。その通路が諸仏。諸仏という具体的な人を通して、無量の仏の世界が伝えられていく。形を超えた如来が、私たちと同じ人間の上に現われて、諸仏として、私たちから見れば善知識として現われる。このことができなければ、無量の真実の徳は、誰の上にも至らない。いくら讃えても讃えつくせない諸仏の大切さが思われます。
 もし眼前の諸仏善知識を疎かにすれば、自分で自分の道を塞ぐことになる。人と人との関係は極めてデリケートなものがありますが、その関係の上に真実に出遇う道もまたあるのです。私に於いて諸仏善知識とは何か。教えを聞きぬいて、私における善知識の存在を確かなものにしなければなりません。

身は紫金色
 「余仏に簡異」している二番目の点は、「身は紫金色」ということです。紫金色は阿弥陀の応身の姿を表わすといわれます。詳しくは紫磨金色。磨くことによっていよいよ光る金です。ということは、私たちに向けて磨くことを要請しているとも受け取れるでしょう。
 お釈迦様は王宮に来たって、韋提希の心の底のいのちの願いの要求に応えようとされます。そのためになさることが機に随って定散両門の益を説くということです。いのちの願いを覆っているものに目覚めさせようとするのです。それが自己への目覚めですね。その目覚めを迫ってくる。それが磨くことを要請する。そのような仏としてお釈迦様は韋提希の前に現れたということです。
 私を救う教えを説いてくださる方に、慰めてもらいたい、甘えたい、という思いが私たちには起こるかもしれません。自己を問わずに、救いという答えだけをもらいたいというわけですね。案外根強いものがあるでしょう。 
 しかし、その方の私に対する基本姿勢は「磨け」ということです。厳しいものがありますね。磨くといっても、磨けば錆が落ちて本来の立派な自分が現れるという意味ではない。自力の心、如来を謗る心などが照らされるということです。

 私は、先生にあまり近づくほうではなかったと思います。近づけば何かが始まりそうだった。大小の山がそこに現れて、それを登り始めなければならないようになる、そういう感じがして、あまり近づきたくなかったように思います。それがすなわち照らされたくないという思いの表れであり、善知識に親近しない恩知らずの姿だったわけです。
 師に近づくことは、ある意味で難しい。しかしこの難しさが、私はどういう人間なのかを教えてくれる。仏法を背にし、如来の悲願から逃げようとする私を教えてくれるようです。
 人との触れ合いは、人間が経験する様々な現実の中で、トップクラスのデリケートさを持ったものと言えるでしょう。そのような微妙な場のところに仏法が現われる、このことがじつはとても大事なことだということを知らされてきました。

 よき人の背後に、まさしく私を救う広大深甚な世界がある。その世界を背後に荷って、よき人は私の前に、師と私という人間関係のところに現れてくださった。師と出遇うというなかなか成就できない事実が、私を教え、そのことを通して私を仏法に近づける。私の前に、その方のほうから現れて、私を照らし、私をついに如来の前に導いてくださる。どう表現していいかわからない深い巧みと厚い構造の不可思議がここにあるように思います。
 深い世界には深い道を通って出遇うのでしょう。『大経』上巻の如来の世界が、その最後に諸仏を生み出し、無量の衆生を仏の正道に安立せしめようと願われたことに、驚きと、喜びと、申し訳なさと感謝の思いを禁じえません。

百宝蓮華に坐したまえり
 「余仏に簡異」している三番目の点は、「百宝蓮華に坐したまえり」ということです。現れたお釈迦様が何を座にしておられたかを示し、これによってお釈迦様はどのような存在かを表わすのです。
 百宝の「蓮華」そのものは、法蔵菩薩の願力による歩みを象徴的に表わしています。即ち如来浄土の因の世界。如来浄土はどのような世界かを、どのようにして建立されたかで表わし、その建立の営みを法蔵菩薩の歩みで表現する。
 この法蔵菩薩の歩みによって生み出されたもの、即ち如来浄土の果、これが阿弥陀仏とその浄土です。この関係を蓮華の台とその台に座す者という簡潔な構造で表わします。下の台がその上に坐すものを生み出している。上にあるものは下の台から生み出されている。因果関係があり、根源と具体、真実と方便の関係があります。
 そういうわけで、華座の台には阿弥陀が坐す。これが本来の姿ですね。私たちがお参りするご本尊も、そのような構造になっています。ところが、今韋提希のところへ現れたお釈迦様はどのような台に坐しておられたかと言えば、華座に坐しておられる。即ち、阿弥陀が坐すべきところにお釈迦様が坐しているのです。これはどういうことでしょうか。

 形の上から言って、大きく二つのことが表わされているようです。第一は、お釈迦様の立つ根拠となる根源的世界は法蔵菩薩であるということ。これがお釈迦様が華座に立っているということです。もう一つは、お釈迦様の存在意味は阿弥陀と一つであるということ。華座の上には本来阿弥陀が立つ。その阿弥陀の位置に、阿弥陀とそっくり入れ替わってお釈迦様が立っている。この二つを合せて言えば、お釈迦様は、法蔵菩薩を根源とし、阿弥陀の位置とぴたり重なる所に位置しておられる。こういうことになります。

 法蔵菩薩を根源として現れたお釈迦様は、韋提希に向けてどのような関わり方をするのか。それはずばり、自らが説く教えを通して根源の法蔵菩薩に出遇えよ、ということでしょう。これが韋提希にとっての救いへの歩みの大見取り図になります。
 善導大師はこの経の正宗分が終わった次の一段を「得益分」と呼んで、序分欣浄縁での浄土の阿弥陀のもとに生まれたいという願いが韋提希の出発であり、第七華座観の阿弥陀との出遇いがいわばゴールであることを明かしました。この出発とゴールへの到達をなさしめるのが『観経』挙げての利益であるのだと。
 阿弥陀に出遇うことを華座観と呼ぶところに仏との出遇い方が示されているわけです。華座は法蔵菩薩を表わしますから、華座観はいわば「法蔵菩薩観」です。即ち、欣浄縁のところで出発をして浄土を観ずる歩みをお釈迦様のもとでなし、ついに法蔵菩薩に出遇っていくことによって阿弥陀に遇えるのだと。この歩みが促し、そのための教えを説き、歩ませようと、この目的のためにお釈迦様は耆闍崛山の会座を没し自ら来られたわけです。

 法蔵菩薩に出遇うということは、韋提希が自己に敗れることを意味します。人は何によって自己を支えているのか。それは「思い」です。自己をよしとする思い。自己を最もよきものとみなし、何者にも自己を批判させず、自分の思いをどこまでも主張し他を支配して生きようとする。この「思い」に執着する力は大変なものです。
 韋提希は、目の前に現れたお釈迦様から、やがて教えを聞くようになりますが、その教えをどこで受けとめようとするか。それがこの自己肯定の「思い」です。お釈迦様は、この思いがいかに虚仮不実であるかを韋提希に知らせようとします。
 わが不実の心に目覚めるためには、真実の心に出遇わなければならない。『観経』にはこの大原則が貫かれているようです。「思い」即ち「心」が勝負の場なのです。わが心の正体に目覚めるためには、他のものを持ってきて批判をしてもだめです。心には心を持ってきて、同じ心のところで決着を図らなければなりません。
 韋提希の自己中心の心の前にどのような心を持って来ればいいのか。それは真実の心です。それが法蔵菩薩の真実の心。私を救おうとして真実その者が大悲の願いを起こして真実の心を持って歩まれる。その真実の心に出遇わなければならない。
 それがまことに真実である限り、必ず不実の心を照らし出し、懺悔を起こさせ、真実の心を受けとめさせ、真実の道を歩ませるのです。この真実なるものに出遇うことこそ私たちの救いの道であり、これを説くのが仏教だということですね。

 阿弥陀が立つべき華座にお釈迦様が立っているとはどういうことでしょうか。第一に、今申した法蔵菩薩を根源としているということと、第二に、阿弥陀の本願をわが本願として韋提希の前に現れたということを表わします。阿弥陀の本願を具体的に人生の中で私たちに伝えるのは具体的なお方なのだということですね。
 ここには「願」と「教」との関係があると言えるでしょう。阿弥陀は「願」を説き、お釈迦様は「教え」を説く。阿弥陀の本願を、これをよく受けとめられたお釈迦様が、私たちのために願の趣旨を教えという形式になおして説いてくださる。そこには、願の精神をよく汲んだ分かりやすく取り組み易い教えが工夫され、聞く者の進展の度合いに合せてさらに細かく説き表わされていく。眼前の聴者の全身を見つつ、説者は説くべき教えを或いは熟考し或いは瞬時に決定して語りかけていくのです。

 親鸞聖人は、『大経』と『観経』の関係を、願と教の関係で表わされました。
 「今『大本(大経)』に拠るに、真実方便の願を超発す。亦『観経』には方便真実の教を顕彰す」(東338 西392 島12-171)
 『大経』は真実を説いて、この真実に私たちを出遇わそうと真実の願を説き、その願の中に、私たちの実情に合わせて歩ませようと方便の願を説いて真実の願であることを完結させた。この『願』の世界を説くのが『大経』です。
 『観経』は、『大経』の方便の願の趣旨を受けとめて、これを私たちが具体的に取り組むことができ、また歩み易い教えとして説いた。この方便の教えによって私たちを真実に出遇わそうとするのが『観経』なのだと。

 華座は願を生み出す歩み。そこに立つ阿弥陀は願そのもの。阿弥陀の位置にあえてお釈迦様を置くというのは、お釈迦様の教えが、正しく阿弥陀の願をわが願いとし、阿弥陀の願のとおりに説かれたものであることを表わすのです。韋提希の聞法が進み、やがて韋提希がお釈迦様のご説法を聞く時、そこにはただ説かれた言葉だけがあるのではなく、言葉が指し示す阿弥陀そのものが現れる。「応声即現」と言われます。阿弥陀の本願を説く声に応じて、阿弥陀が現われるということですね。
 言葉は単に符号ではない。そのものをその言葉のところで表わすのです。一人淋しく留守番をする小さな子供が、暗くなっても帰ってこない母親のことを思い続ける。その時、宙に向かって「おかあさん」と自ら言葉を発せば、その言葉のところにお母さんは現われ、お母さんに出会う。だからこそ、押さえていた気持ちが爆発し、涙が溢れるのです。
 耐えようとする子供は、「お母さん」の語を口に出すまいと歯を食いしばるでしょう。言葉は言葉だけではない。言葉が指し示しているそのものが、言葉を発するところに現われるのです。驚くべき言葉の力。言葉はリアルに人間存在を深く動かします。
 韋提希の前に現れたお釈迦様の姿を、「身は紫金色にして百宝蓮華に坐したまえり」と表わす表現は、お釈迦様とは何かをとてもよく表わしているように思えます。

 私たちが仏法に出遇った因縁はそれぞれでしょうが、仏法との出遇いを大きく言えば、よき人との出遇いと言えるでしょう。そのよき人との出遇い方は、その方のほうから私のところに来てくださったと受けとめれば、全体が尽くされるように思えます。
 その方はどこからどのように来られたのか。法蔵菩薩の歩みを根源として、私に阿弥陀の本願を届けようと、本願の「はたらき体」となって、私の前に現れてくださった。なんという大変なことが起こるのかと思わざるを得ません。
 もちろん、そういうことだということは、初めからわかっていたわけではない。私たちは、その人を「よき人」と受けとめるまでに、どのくらいの無視と誤解と反逆を行なったでしょうか。しかもそれを当然のこととして。
 しかしそのお方は、そのような反逆に対して、その全体を包みきるように大きく、対立を超えて温かく、何ごとも発せずに静かに受けとめてくださった。至奥の灼熱の願いは、すべてを頭上で戴くようにひれ伏し飲み込んで、願いの成就に向けて一歩の歩みを踏み出される。
 まことに、耆闍崛山の会座を没して私の前に現れてくださらなかったなら、私にどんな迷いの打破がありえたか。苦悩の解消がなされたか。生きがいの獲得があったでしょうか。

如来の神力転変無方
 善導が『観経疏』を書かれて、その最後に、あえて一文を述べておられます。前回も触れましたが、胸を打つ感動の言葉ですね。
 『観経』の全文にわっての解釈が終り、「総じて観経一部の文義を解し竟りぬ」と、善導は終わりの宣言をします。しかしじつは終わっていない。阿弥陀の本願に出遇い念仏申す身となるために、具体的に最も大事な一点を最後にもう一度押さえ確認するのです。すべてはこの一転から切り開かれるのだと。
 「竊かに以んみれば、真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し。五趣をして斉しく是れを生ぜしめんと欲す。以って勧めて後代に聞かしむ。但し如来神力転変無方なり。隠顕機に随いて王宮に密かに化す。」(親全217 聖全559 ノート229)

 人間として出遇うべきは真宗・真実。しかし、人間自体の力では出遇うことは不可能。「遇い叵く」がそれを表わしています。ではどうすればいいのか。そこによき人の登場があるのです。その方がその方のほうから現われて、迷いの真っ只中にいる私に、私が歩める教えを説いてくださり、ついに真宗真実に出遇わせてくださる。
 「浄土の要逢い難し」。浄土に生まれる方便要門の教えをその方が説こうと現れてくださる。その方に出遇うことは、これもまた難い。しかし、これは不可能ではない。不可能ではないけれども難しい。この難しい問題を、その方自身のほうから提起してくださって、その問題の解決を図らしめて、それによってついに浄土の要門の教えを私に歩ませる。あなたの歩む道の方法的原理はこれだよと、その方自ら問い自らそれを説き明かして、私をその教えに乗ぜしめようとなされる。
 その間、疑いと抵抗と怠慢を繰り返し、その方の真心を踏みにじり、願いと誠意と粘り強さを地に引き摺り下ろし、ただ自己をよしとする思いに執着し続けた私。その抵抗に対しても「如来神力転変無方なり。隠顕機に随いて」の念願と配慮と行動を八面六臂に繰り広げてくださり、私をこの道に立たしめようとしてくださった。

 『大経』上巻最後に、浄土のはたらきは「華光出仏」と諸仏を生み出し、諸仏をして衆生に教えを説かせ、仏の正道に安立せしめようと願われる。その本願のはたらきが、今眼前の諸仏、よき人のところにはたらき、よき人は、その浄土のはたらきによって私に向けてはたらきかけてくださる。
 よき人のはたらきは浄土のはたらき。浄土はこのよき人を生み出したい。私はこのよき人に遇いたい。もし両者の願いが一つになるとき、まことに奇しくも、まことに恵まれて、まことに有り難くも、不可思議なる因縁成就して、如来本願南無阿弥陀仏、あなたを救うぞの本願の真心に出遇うことができるのです。

目連左に侍し、阿難右に在り
 お釈迦様のお姿をこのように表わし、次に「目連左に侍し、阿難右に在り」と、お釈迦様の脇士について述べられます。善導はこれを、「『目連侍左』等と言うは、此れ更に余の衆なくして、唯二僧有ることを明かす」と受けとめます。
 目連と阿難は、韋提希が慰問してほしいと要請した相手です。その要請は「願わくは、目連と尊者阿難を遣わし、我れと相(まみ)えしめたまえ」という言葉でした。前の段で出てきたことですが、慰問が仏法そのものではなく、慰問によっては人は救われきることはできない。従って、お釈迦様は阿難と目連を遣わさずに、本願を説く自分だけが行こうということになりそうです。
 しかし、阿難と目連を遣わすのです。本願を説く自己自身と共に遣わす。慰問者と一緒になって、一つになって韋提希の前に姿を表わしている。この三者一つの光景は、韋提希には理解できなかったでしょう。
 韋提希の思いの中では、お釈迦様に知られない形で、阿難目連とお釈迦様をはっきり分けたのです。来てもらって慰問してほしい阿難目連と、来てもらいたくない真実を説くお釈迦様と。耆闍崛山に向かうことができるのは、この思いをしっかり持つことが担保だったのです。

 ところが眼前に両者が一つになって現れている。しかも、要請しなかったお釈迦様が中央。要請した二人が両脇。それも、「目連と尊者阿難」と韋提希の気持ちの中では上に立てたい阿難が、なぜか下座の右側にいる。命令をして罵ることもできる相手である目連が上座の左側にいる。
 二人が来たこと自体は自分の希望がかなえられているが、二人の左右の位置、そして中央でなく脇士という位置、そしてなによりも、中央に来てほしくない人、要請をしていない人が来ている。この三人一組の光景は、韋提希には到底受けとめられない。しかし、ここに、耆闍崛山を没して自来赴請し、韋提希の前に立ったお釈迦様の、やがて説く教えの内容があるのです。
 脇士は韋提希の要請を受けとめるお釈迦様の心を表わしているでしょう。これが正宗分では、自らの力で浄土を見ることができると考える韋提希の思いを受けとめて説かれる観方便の教えということになるでしょう。左右が韋提希の思いと異なることは、自分の主張を受けとめた教えでも、全てが主張どおりでいいのではない。仏の前で全力を尽くして歩まねばならないという条件があることを暗示しているようです。

 中央のお釈迦様は、阿弥陀の本願そのものを説くことが自分が来た出世の本懐であることを表わしている。阿弥陀の本願に真向きになれ。その根源の法蔵菩薩の歩みに真向きになれ。顔をまっすぐに向けるべき方向は、阿弥陀であり、法蔵菩薩なのだぞと。やがて正宗分に入って第一の教え、日想観を想起させます。お前の向かう方向は何なのかと。お前はどこに向かおうとしているのかと。
 このように、韋提希の眼前に現れたお釈迦様の身の色、立つ座、脇士のあり方が、お釈迦様とは誰なのか。何をなさるためにどこからどのように現れたお方なのかを示しているようです。


(二)諸天の登場

天人とは何者か

 さて、第三段落の最後。諸天の登場です。
 「釈梵護世の諸天、虚空の中に在りて普く天華を雨らし、持用(もち)て供養す」。
 お釈迦様が目連と阿難を従えて、耆闍崛山を没し自ら王宮に来たり現われた。仏の自来赴請ですね。世界をひっくり返すようなこの出来事の中にあって、しかし当の韋提希は、このことの意味が分からない。本当に悲しいことというか、人間の闇がいかに深いかということですね。
 と同時に、その闇深き真実に背く者のために法蔵菩薩の歩みを根拠とし阿弥陀の本願に乗じて、その本願を伝えようと、よき人自らが現われ来る。この事実が厳然としてあるのがまたこの世界なのです。悲しむべき闇の存在を救わんために、真実は極めて具体的なものとなってその人の前に現れる。

 では、現れた来たった具体的真実を、闇の私はどのようにして知ることができるのか。知る力が私の中にあるのか。その力がないからこそ、眼前の真実に対して何をも感ぜず流転を続けるのではないのか。じつは流転を続ける私たちの心の奥底に、一点、真実を感ずる心がある。その心を今、「天人」として表わすのです。お釈迦様の出現を知って、天人たちが喜び迎え、天から華の雨を降らして供養申し上げる。お釈迦様と韋提希との出遇いの場面の奥には、このような事実が展開し始めているのです。

 このことを善導は次のように解釈します。
 「『釈梵護世』と言うは、此れ天王衆等、仏世尊隠れて王宮に顕したもうを見るに、必ず希奇の法を説きたもうべし。我等天人、韋提に因るが故に未聞の益を聴くことを得ん。(おのおの)本念に乗じて普く空に住臨し、天耳遥かに(さん)して、華を雨ふって供養することを明かす。
 又『釈』と言うは、即ち是れ天帝なり。
 『梵』と言うは、即ち是れ色界の梵王等なり。
 『護世』と言うは、即ち是れ四天王なり。
 『諸天』と言うは、即ち是れ色・欲界等の天衆なり。
 既に天王の仏辺に来り向かえるを見て、彼の諸の天衆亦王に従って来って、法を聞きて供養す。」

 「釈梵護世の諸天」とは、「釈」は帝釈天王で欲界の王です。「梵」は色界の王である梵天王。「護世」は四天王。東西南北を護る天の神々。東の持国天、西の広目天、南の増長天、西の多聞天。これらが欲界・色界の諸天です。
 天王の帝釈天は、須弥山の頂上、忉利天の中央に住し、左右には常に天子を従え大威徳を誇っている。四天王たちが天下を回って万民の善悪邪正を察知し帝釈天に告げる。人々が父母に孝順し長老を敬い斎戒布施して貧しき者を救っているようであれば歓喜して快哉をあげ、このようでなければ愁憂して喜ばない。
 人々が善を行ぜず諸天衆に害を与え、阿修羅衆に利を与えようとするのを聞いて愁憂し、阿修羅を征服しようとする。また、仏が菩薩行を修行する時に身を変じてその求道心を試みたが、仏成道の後は梵天王と共に仏教の守護に努めた。このように言われています。インドの民族神が仏教の守り神になったわけですね。

 この「釈梵護世の諸天」が今、お釈迦様と韋提希の出遇いの場面に登場する。そしてお釈迦様を供養すると言うのです。これはいったいどういうことでしょうか。
 天人とは何者か。この経典のこの場面では何者として説かれているのか。これが問題ですね。これに対する大きなヒントとなるのが善導の解釈です。
 まず「『釈梵護世』と言うは、此れ天王衆等、仏世尊隠れて王宮に顕したもうを見るに、必ず希奇の法を説きたもうべし」。天人たちには確信がある。世尊が耆闍の大事な会座を中断して王宮の韋提希一人のためにやって来られたからには、必ず希有にして奇異なる法が説かれるに違いない、と。
 さらに「我等天人、韋提に因るが故に未聞の益を聴くことを得ん。(おのおの)本念に乗じて普く空に住臨し、天耳遥かに(さん)して、華を雨ふって供養することを明かす」。我々は韋提希の世尊への要請を縁にして、未だかつて聞いたことのない真実の教えを聞くことができる。なんという喜びであろうか。我ら天人それぞれが各自の根本の念願を懐いて大空の中でその教えを聞き、しっかりと教えの味を味わい、これを説かれた世尊に華の雨を天より降らせてご供養申し上げよう。このように善導は天人たちの思いを代弁します。

 お釈迦様と韋提希の出遇いの場面に、韋提希は分からなくとも、お釈迦様が説かれる教えの真の意味が分かる者がいた。それが天人たち。では天人とは何者か、ということですね。
 天人とは、お釈迦様と韋提希と、もう一つの別の存在ではない。じつは韋提希の最も深い心の姿を表わす表現なのです。仏に気づかず、仏を謗り、自己を正当化する心の、その心よりもっと深いところにある心です。それは耆闍崛山を没して自来赴請されたお釈迦様のお心がよく分かる心。仏の出世本懐がよくわかり、その教えを讃え、聞きたいと願う心。仏の出世本懐をわが本懐としたい心です。

 お釈迦様は「韋提希の心の所念を知って」王宮にやって来られた。それを善導は「心念の意」と受けとめた。この「意」に相当する心でしょう。仏を避けようとする心は、仏弟子による慰問を要請し、仏そのもののお出ましは断った。その「我」の心のさらに奥深くに一人の人を決定する広大無辺の領域がある。人間のすべての問題の根本的解決の道場とでも言うべき大空間がある。
 ついにその道場に至り帰って人は思うであろう。私は長い間、我の心のままに生きてきた。いやそれは私だけではない。祖先の億々の人たちが皆そうであったに違いない。それらの我による悪業が山と累積されているこの大空間の世界が、私の、そして私たちの生きる道を選ぶ最後の砦なのだ。
 この世界には不思議な力が宿っている。最後の世界が持つ力と言うべきか。それは転回できるということ。悪業の山を宝の山に転じ変えなすことができる。何によってできるのか。真実の力によるのだ。真実が転回せしめる力を持っている。その真実に出遇いたいと願う心が起こるのがこの世界でもあるのだ。
 この世界を最後の道場として戦わねばならない。悪業の大累積の世界が真実を求める願心の世界へと転じられる。この世界が、この領域が、この空間が、私たちの存在の底にある。これを持っているのが人間なのだと。この心の底の世界を今「天人」をもって表わしたのではないでしょうか。

真実の教えに感ずる心
 この場面と軌を一にするものが『大経』にあります。
 「霊禽翼従して道場に往詣し、吉祥感徴して功祚を表章す」(東3 西5 島2-4)
 これは序分の中の衆成就を表わす一文で、衆成就とは『大経』の如来本願の教えを聞いた人は皆このような人になることを表わします。そのモデルとしてお釈迦様のご生涯を表わす八相成道が語られ、今はその一節です。
 ゴータマが六年の苦行を捨て山より降りて河で沐浴し、力を得て人々と共に正覚を得ようと、最後の瞑想の場所である菩提樹下まで歩んでいかれます。そのゴータマの歩みに「霊禽」霊鳥たちが従っていくのです。
 その姿は、あたかもゴータマ自身が大きな鳥となって両翼を広げて歩むように、霊鳥たちが両側に従って進んでいく。ゴータマが行く先で正覚を開くことに霊鳥たちは気づいているようです。まさにこれから正覚を開かんとして力漲り始めることを表わすいい光景ですね。

 菩提樹の下に至ったとき、「吉祥感徴して功祚を表章す」とあるように、吉祥童子という少年が、刈っていた草をゴータマに差し出すのです。どうかこれに坐ってほしいと。童子はゴータマの上にこれから何が起こるかを感じ取っていたのですね。
 「功祚(くそ)」とは仏果、仏のさとりのことです。そのお方がさとりを開こうとするお方であることを感じることができ、草刈を仕事とするその草をもって、さとりの座として差し上げることができる者。本当に素晴らしく、あなたこそ仏成道後の最初の法話を聞くべき者であると讃えたい気持ちが起こります。それが「吉祥」の名で表わされているのでしょうか。

 このようにしてゴータマは正覚を成就します。しかし直ちには説かれない。じつはお釈迦様は、説くべき相手の我ら衆生の本質を見て、この真実の教えは説くことはできないという説法不可能の自覚を持たれるのです。これは大変なことですね。もしここでお釈迦様が説法をしないと決断されていたのなら、私たちに仏法はありません。
 この時、天人が現われるのです。「釈梵祈勧して転法輪を請ず」と。帝釈天や梵天という二大天王が教えを説くことを請うのです。お釈迦様はこの要請を受け入れて教えを説き始められます。天人たちが現われて祈勧しなければ、今私たちに仏法はありません。
 霊禽、吉祥童子、釈梵の天人。これらはいったい何者なのか。これもまた同じ。私たちに共通してある、心の最も深いところでの、いわばいのちの願い。真実に遇いたい。真実に生きたい。そしてわが存在、わが人生、さらに我ら生きとし生けるもの、本当によかったと皆で言いたい。存在の喜び、生の凱歌を挙げたい。この世界を生きることの凱歌の大合唱で満たせたい。この思いを「天人」で表わしているのでしょう。「天人」で表わし得たところに、既に生の勝利がある、ということですね。

 『観経』では、最後にもう一度天人が登場します。王宮での説法を終えたお釈迦様は目連・阿難と共に耆闍崛山へ帰られます。そこで今の王宮での説法を阿難に説かせる。面白い場面ですね。その説法の会座を耆闍会(ぎしゃえ)と言うのです。『観経』は一経の中に、会座が二つある。王宮会と耆闍会。しかしそこで説かれる教えは同じ。とても面白い構成です。
 その耆闍会の聴衆には、「爾時阿難、広く大衆のために如上の事を説くに、無量の諸天及び龍・夜叉、仏の所説を聞きて皆大いに歓喜し、仏を礼して退きぬ」とありますように、大衆と共に諸天・龍・夜叉がいる。耆闍会は、王宮でのお釈迦様の教えを、お釈迦様以外の者でも同じように説いて同じ結果を生ずることを証明するものです。従って耆闍会は、王舎城の説法以降の、無量の会座を象徴していることになります。

 いつどこでどのような会座が開かれようとも、そこで阿弥陀の本願が人々にあわせて説かれるならば、必ずその人々の心の奥底が反応して、これはまさに私のための教えであることを知り、求め続けていくであろうと。
 お釈迦様に代わって阿難が現われ説いても、誰が現われ説いても、人々の心の奥底は必ず反応する。ここに私が聞きたい真実があると。未来の衆生もまた、お釈迦様の自来赴請を目撃したその時の衆生と同じく、わが存在の底で真実に反応するのです。

 
(三)人間の苦とは何か

怨結の情深し

 次に第四段落へ進みましょう。
 「時に韋提希、仏世尊を見たてまつり、自ら瓔珞を断ち、挙身投地し、号泣して仏に向かい(もう)して(もう)さく。『世尊、我れ宿(むかし)何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。世尊、復た何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属(けんぞく)()る』」(東92 西90 島2-4)
 この第四段落が厭苦縁の最後です。ということは、ここで厭苦縁の結論が出る。厭苦縁の結論というのは、「厭苦」の「苦」の正体を明らかにすることです。即ち韋提希にとっての、人間にとっての「苦」とは何なのか。「苦」の因は何なのか。これを明らかにしなければ、「苦」を厭い離れる道筋は見えてはきません。この道筋を示すものが次の欣浄縁となるわけです。
 王舎城の悲劇の中で、息子阿闍世によって牢に閉じ込められ、愁憂の中から耆闍崛山のお釈迦様へ救いを求めた韋提希。彼女にとって「苦」とは何なのか。その「苦」を生み出すものが人間存在の一番の根本問題であるはず。厭い離れ超えられるべき「苦」の因とは何なのか。このことに視点を当てて、最終段落を見てみましょう。

 韋提希は頭を挙げ、眼前に現れたお釈迦様を見上げます。そこで何が起こったのか。韋提希は自分で瓔珞を断ち切り、身を投げ出し、号泣して仏に申し上げるのです。「世尊よ、私はこれまでにどのような罪があって、このような悪い子ができたのでしょうか。また世尊よ、どのような因縁があって、世尊はあの提婆と眷属なのでしょうか」と。
 眼前に現れたお釈迦様を韋提希は正しく受けとめられません。この一段は、では、眼前にお釈迦様に出遇って、韋提希はどのようになったのか。お釈迦様に対する反応、韋提希の心の変化、それらが尽くされて、最後に「世尊よ、私はこれまで・・・」の問いになったわけです。
 最後の「世尊よ」「世尊よ」と重ねて問うこの問いが何を意味するのか。一人の人間の心の変化とその動き方。そこに、人間とはいかなる生き物であるかが表わされている。厭苦縁の最後は、仏の前に於いて始めて明らかになる人間の姿。それこそが「苦」の姿。これが問題にされます。

 この人間の心の姿を深く問い厳しい視線で明らかにしたのが善導です。善導の「仏の前なる人間とは何か」を問う探究心には、驚くべき深さと的確さがあります。観経を別に解釈した諸師たちは、それほどに深く尋ねてはいないようです。仏教をどちらかと言えば仏教学の次元で見たのでしょうか。
 善導は、仏教を、それによって救われるところの人間の、その複雑多様な反仏教的な我の心による受けとめのところで見たのです。仏を前にして、人間の心は必ずこのように動いていくのだ。このような確信が、その解釈から読み取れます。ということは、善導大師ご自身が、道を求めるのに自らの心を様々に動かし、自分の心で、自分という存在のところで、本当に納得のいくまで真実の救いを求めぬいたからでしょう。その感動的で唸るような解釈を、少しなりとも頂いていきましょう。

 善導はこの段落を次のように解釈します。少し長いですが、まず全文をあげてみましょう。
 「四に「時韋提希見世尊」従り下「与提婆共為眷属」に至る已来、正しく夫人頭を挙げて仏を見たてまつって、口言傷歎し、怨結の情深きことを明かす。
 「自絶瓔珞」と言うは、此れ夫人身の荘り瓔珞猶愛して未だ除かず、忽ちに如来を見たてまつって羞ぢ慚ずるに、みづから()くことを明かす。
 問いて曰く。云何ぞ自ら()くや。
 答えて曰く。夫人は乃ち是れ貴中の貴、尊の中の尊なり。身の四威儀に多くの人供給し、著たる所の衣服皆傍人を使う。今既に仏を見たてまつりて恥ぢ愧づる情深くして、鉤帯に依らず、頓に自ら()き却く。故に自絶と云う。
 「挙身投地」と言うは、此れ夫人内心に感結し怨苦堪え難し。是をもって坐従り身を踊じて立し、立従り身を踊して地に投ぐること、此れ乃ち歎き恨み処深くして、更に礼拝威儀を事とせず。
 「蹄泣向仏」と言うは、此れ夫人仏前に婉転して、悶絶し号哭することを明かす。
 「白仏」と言う以下、此れ夫人婉転して涕哭すること(やや)久しくして、少しき惺めて始めて身の威儀を正しくして、合掌して仏に白すことを明かす。「我れ一生()り已来、未だ曾て其の大罪を造らず。未審(いぶかし)、宿業の因縁、何の殃咎あって而も此の児と共に母子()る」と。此れ夫人既に自ら障り深くして宿因を識らず。今児の害を被る。是れ横に来れりと(おも)うて、「願はくは仏の慈悲、我れに径路を示したまえ」ということを明かす。
 「世尊復有何等因縁」と言う已下、此れ夫人仏に向こうて陳べ訴う。
 「我れは是れ凡夫なり。罪惑尽きざれば、斯の悪報有り。是の事甘心す。世尊は曠劫に道を行じて、正習倶に亡じ、衆智朗然として果円かなるを仏と号す。未審(いぶかし)、何の因縁有ってか乃ち提婆と共に眷属としたもうということを明かす。
 此の意に二あり。
 一には夫人怨を子に致すことを明かす。忽ちに父母に於いて(たわ)れて逆心を起す。
 二にはまた恨むらくは提婆、我が闍世を教えて斯の悪計を造らしむ。若し提婆に因らずば、我が児終に此の意無しと云うことを明かす。
 此の因縁の為の故に斯の問を致す。
 又夫人、仏に問いて「与提婆眷属」と云うは、即ち其の二有り。
 一には在家の眷属、二には出家の眷属なり。
 在家と言うは、仏の伯叔に其の四人有り。仏というは即ち是れ白浄王の児、金毘というは白飯王の児、提婆というは斛飯王の児、釈魔男というは是れ甘露飯王の児なり。此れを在家の外眷属と名づく。
 出家の眷属と言うは、仏のために弟子と作る、故に内眷属と名づく。
 上来四句の不同有りと雖も、広く厭苦縁を明かし竟んぬ。」       (親全80 聖全484 ノート86)

 まず、この段落全体を善導は「口言傷歎し、怨結の情深きことを明かす」と押さえます。言葉でもってお釈迦様を深く傷つけた。その韋提希の心は「怨結の情深き」。怨みの感情が結ばれている。怨みは、人間の最も深い感情かもしれません。
 如来真実がわからず、従って救われないとき、人は如来を怨みます。友人の真心が分からず、従って友達となれないとき、人は友を怨みます。仏を怨み、友を怨み、縁あるものを皆怨んで、人は自分を支え保っている。何の温かみも充実感もない行為です。それで自分の何が保たれ、保証されるのか。固く厚い心の扉は依然閉じられたまま。人を怨み世を呪い自己を正当化して、しかし冷たく狭い世界を自暴自棄の中で生きねばならない。なんとも悲しいことですね。
 その怨みが結ばれている。怨みの一本の紐ではない。何本もの怨みの紐が複雑に固く引き締められて結ばれている。どんなに心を集中してほどこうとしても、容易に隙を見せない。これはダメだわいと投げ出すしかない。「怨結の情深し」これが仏の前に顕わになった人間の姿です。
 もし仏の前に立つことがなかったなら、「怨結」の具合は自分自身にさえ分からなかったでしょう。毎日発するあれやこれやの言葉が、なぜ人を喜ばせず、周囲を円滑にせず、自己自身を満足させないのか。いや、そうなっていることさえ気づかず、逆に人を悪く見て攻撃までして自己を正当化する。

 人の心の底には怨みがある。この経は冒頭にこの問題を出していたわけです。「未生怨」です。未だ生まれざる怨み。自分の人生がなぜこうなのか。受けとめられない。なぜそうなったかは、じつは、あなたが生まれる前に深く怨みを飲んで死に、生まれ変わってあなたがあるのだと。もはや、生まれる前の怨みの事実を取り除くことはできない。
 あなたの人生が面白くないその理由は、はるか生まれる前の手の届かないところに行ってしまっている。それほどに絶望的なのが人間存在なのです。もし如来の自来赴請に遇うことがなければ、ということでしょうね。

 善導は、「正しく夫人頭を挙げて仏を見たてまつって、口言傷歎し、怨結の情深きことを明かす」と言っています。韋提希が仏を傷つけるような愚痴を言い、怨結の情を深く持っているのは、一人でいるときではなく、仏を見上げ、仏にお遇いしている時なのです。自らを救う仏が仏のほうから来られて眼前にましますにもかかわらず、韋提希は「口言傷歎し、怨結の情深し」。これはいったいどういうことなのか。この事実をどう受けとめればいいのか。
 この善導のこの段全体の要約の仕方が、厭苦縁の「苦」とは何かの問いに答えたものになっているのです。即ち人間の苦とは、自らを救うお方を前にして、なお、言葉で彼を傷つけ、心の底で彼に対する怨みを固く結んでいること。これ以外にはできないということ。いかに冷静に深く考えても、これ以外にできないということ。このことが人間の「苦」なのです。
 まことに哀れ、仏に背を向ける救われざる存在。なんという悲しいことでしょうか。しかし、このことをしっかりと踏まえて、法蔵菩薩はこの者を真に救おうと、歩みに歩んで、立つべき大地である浄土と、なすべきことの根源である念仏を成就し、私たちに回向しようと願われている。それが、華座を座として現れたお釈迦様の意味するところなのです。
 如来と人間の接点を描き出す厭苦縁は、息を止めて頂戴すべきもののように、最後まで強く迫ってくるようです。そうです。最後が大事ですね。

自ら瓔珞を絶つ
 世尊を見たてまつって韋提希は「自ら瓔珞を断ち、挙身投地し、号泣して仏に向かい」ます。大きな動きが起きていますね。ここから善導の領解はぐっと深まっていきます。
 「『自絶瓔珞』と言うは、此れ夫人身の(かざ)り瓔珞猶愛して未だ除かず、忽ちに如来を見たてまつって羞ぢ慚ずるに、みづから()くことを明かす。
 問いて曰く。云何ぞ自ら()くや。
 答えて曰く。夫人は乃ち是れ貴中の貴、尊の中の尊なり。身の四威儀に多くの人供給し、著たる所の衣服皆傍人を使う。今既に仏を見たてまつりて恥ぢ愧づる情深くして、鉤帯に依らず、頓に自ら()き却く。故に自絶と云う。」
 
 「自絶瓔珞」自ら瓔珞を絶つ。瓔珞は身の飾りです。韋提希夫人は一国の王妃。国王の正妻です。国王に次ぐ高位で大変な権力を持っている。その位と力を象徴するのが瓔珞です。しかしこの瓔珞には何等実体がない。要するに「かざり」なのです。
 ところが韋提希はこの飾りに執着しこれを愛して、その思いで身につけ続けていた。そのことに何等違和感や躊躇を感じてこなかったのです。それが今、思わぬ形でお釈迦様が眼の前に現われ、そこで「羞ぢ慚ずるに」、始めて飾りを身につけることの愚かさを知らされたのです。これは衝撃的なことで、心の大きな変化ですね。

 善導はここで問答を出します。大事な場面なのです。
 「問いて曰く。云何ぞ自ら()くや。
 答えて曰く。夫人は乃ち是れ貴中の貴、尊の中の尊なり。身の四威儀に多くの人供給し、著たる所の衣服皆傍人を使う。今既に仏を見たてまつりて恥ぢ愧づる情深くして、鉤帯に依らず、頓に自ら()き却く。故に自絶と云う。」
 問いは、なぜ自分で絶ち切ったのか、ということです。「絶」を聖人は「ぬく」と読んでいますが、ここでは「たつ」ということにしておきます。
 なぜ自分で引きちぎったのかと言えば、国の后は「貴中の貴、尊中の尊」、これほど尊貴なお方はいない。生活をするのに多くの人を使い、たとえば服の着替えも、自分でせずに使用人が行なう。これほどに何でも人にさせた夫人が、仏の前で大きく恥じて、瓔珞をきちっと取らずに、自分の手で引き裂いた。だから「自絶」と言うのだと。

 瓔珞という飾りは、引き裂いてしまえるように、当然韋提希自身ではありません。意味するところは一国の王妃であるけれども、王妃であることは人間の救いと真の充実になんらの保障もしないのです。しかし韋提希はこれに愛着し執着してきた。今仏にお遇いして、その愚かさに気づき、はじめて恥ずかしく思ったのです。

 韋提希の場合は王妃の瓔珞ですが、私たちが身につけているのは何の瓔珞でしょうか。これは人それぞれ。自分の瓔珞を見つけることが大事でしょう。たとえば学校の教師であり、お寺の住職であれば、その教師や住職であることが正しく瓔珞ですね。教師の実質的能力もないのに、教師であるということで、困難な場を素通りできることもあるでしょう。教師であることを、バッジのように見せたわけです。
 しかし、教師でないものは、その場面を辛苦して乗り越えたかもしれない。それによって本当の力が身についたかもしれない。教師はその場は形の上ではスムーズに行ったけれども、度重なることによって、教師の瓔珞がわが心を締め付けるようになって来るでしょう。
 韋提希も或いはあったかもしれません。人間の生きる真の意味は何なのか。こういう問いがむくむくと湧き出てくる。これは誰も同じことです。しかし韋提希は、この問題を問い尋ねようとした時、自分の瓔珞に眼が行って、いや、自分は一国の王妃、貴中の貴、尊中の尊なのだ。あくせくして生きる意味など考える必要などないのだと、わが瓔珞を撫でたかもしれません。しかしその眼は空ろであったに違いありません。
 「忽ちに如来を見たてまつって羞ぢ慚ずる」私の問題を正射するものに出遇うのは、きまって予想などしていない時です。「忽ち」は凡夫の上にことが起こる時の常套語のようなものですね。

 「『挙身投地』と言うは、此れ夫人内心に感結し怨苦堪え難し。是をもって坐従り身を踊じて立し、立従り身を踊して地に投ぐること、此れ乃ち歎き恨み処深くして、更に礼拝威儀を事とせず。」
 自ら瓔珞を絶つほどの恥ずかしさを感ずれば、もうそこにじっと立っておくことはできない。これまで平然と立っていたというのも、じつは瓔珞の力で立っていたのかもしれません。
 「内心に感結し怨苦堪え難し」これは厳しい表現です。人間というのはこれほどまでに怨み深くして固く結ばれているものだと善導は言い切ったのです。堪え難い怨苦に身も狂うほどの展開です。
 坐っていた韋提希は、踊るようにして立ち上がり、立った身をまた踊るようにして地に投げ出した。自分で自分を受けとめられない。自分の心が自分の身から脱しようとするような行動です。しかし、それはできない。
 「此れ乃ち歎き恨み処深くして、更に礼拝威儀を事とせず」韋提希の中に於いて歎きと恨みの起こっている場所は計り知れないほどに深い。その心に今微かにに光が当てられ、狂わんばかりで何をしていいかがわからず、とても世尊に対する礼拝などできるものではないのです。

惺めた心の先にあるものは
 「『蹄泣向仏』と言うは、此れ夫人仏前に婉転して、悶絶し号哭することを明かす。」聖人は「蹄泣」と記していますが、「号泣」で進めます。ここの経文は、「号泣向仏白言」。読み方は「号泣して仏に向かい(もう)して(もう)さく」となるところです。即ち、この箇所の意味を取ろうとすれば、「号泣向仏白言」をひとまとまりとして取り上げるのが順当でしょう。
 しかし善導は、前後に分けたのです。「号泣向仏」と言うは。そして「白言」を「『白仏』と言う以下」とした。ここも注意が必要です。「白言」を「白仏」にした。「(もう)して(もう)さく」を「仏に(もう)さく」としたのです。
 二つに分けたところに善導の読みの素晴らしさを感じます。分けた前後で韋提希の姿勢はがらりと変わっているのだと見たのです。

 この変化に気づかせたのは、「号泣」の受けとめなのかもしれません。
 「『号泣向仏』と言うは、此れ夫人仏前に婉転して、悶絶し号哭することを明かす。」厭苦縁には「泣く」ことが二回出ます。先の「悲泣」と、この「号泣」です。
 「悲泣雨涙」は、雨がしとしとと降るようにさめざめと泣く。なぜさめざめと泣くのか。愁憂した韋提希は、まだ心が開かれていないのです。世尊にも来てもらおうとしない。自分の思いで仏教を理解し、救われようとしている。その閉じた心で泣いたわけです。
 その韋提希が眼前に現れた世尊に出遇って、一瞬、心の奥まで光に照らされ、閉じていた心が少し開かれ、押さえていた思いの蓋がやや軽くなって、自分の吹っ切れない思いをそれなりに強く外へ噴出させることができたのです。心の底から泣くことができたのです。婉転し悶絶し号哭した。初めての経験です。

 これによって韋提希は変わった。この転換点を善導は見たのです。そして後半は、「『白仏』と言う以下、此れ夫人婉転して涕哭すること(やや)久しくして、少しき惺めて始めて身の威儀を正しくして、合掌して仏に白すことを明かす」。しばらくの間婉転し号泣して、それによって少し惺めてきた。そして始めて身の威儀を正した。そして合掌して仏に申し上げたと言うのです。
 即ち、申し上げたところの「世尊、我れ宿(むかし)何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。世尊、復た何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属為る」の二つの問いは、「自絶瓔珞」し「挙身投地」している韋提希とは違って、その狂ったような韋提希が「惺めて」、惺めたところから仏に申し上げた言葉であると、このように位置づけたのです。

 「号泣向仏白言」を、「号泣向仏」と「白仏」とに分けたところはとても素晴らしい慧眼だと思います。これによって厭苦縁の結論が出る。厭苦の「苦」が明瞭に浮き彫りになるのです。即ち、二つの問いは、
 まず第一に、韋提希の狂ったところから出た言葉ではなく、少し惺めて、正気になったところから出た言葉である。
 第二に、その正気から出た言葉が、仏を口言で傷歎し傷つけ、怨結の情深きところから出た言葉である。この二つを表わしているのです。
 韋提希の狂った状態から出た言葉であれば、どんなにひどくとも、そういう状態だったのだからとなって、あまり問題にはならない。しかし、韋提希は正気であり、その正気で深い怨みの心から仏を傷つける言葉を浴びせたのだとなれば、これは問題は深刻です。
 そして、このように、仏を前にしても人はこのような思いを持ち言動を取らざるを得ないのだということが、人間の「苦」の姿なのだということです。この苦の姿こそ厭われ離れられ乗り越えられていかねばならない。

 では、この二つの問いを起こさせているもとの心、即ち「苦」の因は何であるのか。その「苦」の因がお釈迦様に於いて受けとめられて、続く欣浄縁での歩みの出発となり、『観経』全体にわたって照らされ続ける人間の定散心の心なのです。如来を無視する定散自力の心が「苦」の因である。このことを厭苦縁の最後は明らかにしているのだと善導は見た。それゆえに「厭苦縁」の名もついたのでしょうが。

仏を傷つけざるを得ない存在
 では、この二つの問いをみてみましょう。
 まず第一の問い。「世尊、我れ宿何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。」これについて善導は、「『我れ一生()已来(このかた)、未だ曾て其の大罪を造らず。未審(いぶかし)、宿業の因縁、何の殃咎あって而も此の児と共に母子()る』と。此れ夫人既に自ら障り深くして宿因を識らず。今児の害を被る。是れ横に来れりと(おも)うて、『願はくは仏の慈悲、我れに径路を示したまえ』ということを明かす。」このように述べます。

 自分は生まれてからこの方、大きな罪を作ったことはない。それなのに、何があったというのでしょうか、このような悪い子と親子になるとは。このように経では言っているが、これは、韋提希が深く自己を見ることができないから、こう言うのである。問題を引き起こした原因に気づかないのだ。わが子から害を被ったことも、何か他の理由でと考えている。
 このように韋提希は自分の深いことが分かっていない。しかし、問題はこれで終わるのではないのだ。自分が分からない韋提希は、自分が分かりたいと心の底で思っている。このことが大事。このことがどんなに問題があろうとも、人生の転換点になる。
 そういうところから、第一の問いは「願わくは仏の慈悲、我れに径路を示したまえ」という意味を持つことになるのだと。どうか仏よ。あなたの慈悲の力で、私に、深い私自身の心が分かるようにしてください。こういう要請の一点が今起こったのであると善導は見るのです。このようなところは善導はじつに人間の心を理解していると、感激します。

 第二の問い「世尊、復た何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属為る」について善導は、「『世尊復有何等因縁』と言う已下、此れ夫人仏に向こうて陳べ訴う。」と、韋提希が自分の心の中で思うところを世尊に向けて訴えるのだと。かなり強い調子ですね。その趣旨はと言えば、
 「我れは是れ凡夫なり。罪惑尽きざれば、斯の悪報有り。是の事甘心す。世尊は曠劫に道を行じて、正習倶に亡じ、衆智朗然として果円かなるを仏と号す。未審(いぶかし)、何の因縁有ってか乃ち提婆と共に眷属としたもうということを明かす。」

 私は凡夫です。罪惑が尽きないのでこのような大変なことになりました。凡夫ですから、こうなったことは甘んじて受けます。
 しかし世尊よ、あなたは長い間修行をなさって煩悩もその習気もなくなり、智慧満ちて完全なお方になられた、それで仏というのでしょ。ではどうなんでしょう。おかしいではありませんか。そのような智慧円満の仏様が、どうして、わが子を唆した提婆と眷属なのでしょうか。ありえないことではないでしょうか。こういうふうに韋提希は仏に訴えたわけです。

 これはひどい言葉です。世尊のお心はいかに傷ついたでしょうか。韋提希は、こんなひどい目にあうのは自分は凡夫だから甘んじて受けると言っている。しかし、そのあとの言葉は、じわりじわりと世尊を責め、責め挙げていく感じです。自分の責任をわが子の悪業のせいにし、さらにわが子を唆した提婆のせいにし、そして遂には、提婆と眷属であるという、提婆と因縁の深いお釈迦様の責任にまで持っていく。自分を救う教えを説く者を、自分の責任転嫁の対象として指弾するのです。

 人は一番責めてはいけない人を責めるのです。それが自己の奥底の心を知らない愚かさです。今韋提希はお釈迦様を責める。なんということかと思います。
 しかしこれは、言われてみればわが心のどこかに思い当たるものがあります。一番責めてはいけない人を責めることによって、心のバランスが保たれる経験をしてきたように思います。そしてこの悪業が、人生を真に切り開くための、自己とは何かを知っていく歩みの出発点だと言われる。なんとも深い世界、そしてなんとも申し訳ないことだと思わざるを得ません。

 厭苦縁は仏と人間との出遇いの場であり、大きな岩山のような感じがします。じつに多くの問題が、深くて厳粛な問題が大山のように存在しています。数回に渡ってなんとか読んできました。お付き合い頂き、ありがとうございました。これで厭苦縁を終り、次回からは、仏と人間との出遇いの後半、韋提希の出発が説かれます。今回はこの辺で。

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