今よみがえる観無量寿経 第16回 「厭苦縁(3)」
 

るいれつの会(2012年9月17日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』



(一)仏の自来赴請


心念の意を知る

 序分発起序の中、厭苦縁(えんくえん)のところを頂いています。前回は第二段落のところでした。(ろう)に禁じられた韋提希が愁憂憔悴(しょうすい)して心の出口を見失い、遥か耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に在ますお釈迦様へ救いを要請をする一段です。窮地に陥って仏に向かった時に人間の浅ましい姿が顕わになる。仏の正面に立つことを避け、自分の都合にいいように仏法を解釈し、その自己解釈の仏法で救われようとする。正しく自己陶酔の姿がありました。
 人間というのは、真実に背を向け、どこまでも自己を肯定し、自己の殻の中に深く沈み込もうとする。真実に向かっては驚くべき策を労してこれを退け、救いを求めると言いつつ自己をよしとし、その枠の中だけで求めようとする。まさしく救われざる者の姿が、ここに描かれています。

 さて、この韋提希に対して耆闍崛山に在ますお釈迦様はどのような行動をとられるのか。今回はこの問題です。前回は人間存在、今回は仏という存在。両者の対比がこの厭苦縁には見事に描かれているようです。仏とは何なのか。どのように人間を見ているのか。どのように人間と関わるのか。我々が出遇うべき仏とはどのような存在なのか。仏と人間との出遇い。この希有にして、しかも起こらなければならない場面のところで、両者の本質が浮き彫りにされるのです。

 では、第三段落の経文を見てみましょう。
 「爾時、世尊耆闍崛山に在し、韋提希の心の所念を知り、即ち大目犍連及び阿難に勅して、空よりして来らしめ、仏、耆闍崛山より没し、王宮に於いて出でたもう。時に韋提希、礼し已りて頭を挙ぐるに、世尊を見たてまつる。釈迦牟尼仏、身は紫金色にして百宝蓮華に坐したまえり。目連左に侍し、阿難右に在り。釈梵護世の諸天、虚空の中に在りて普く天華を雨らし、持(もち)て供養す」(東92 西89 島2-3)

 韋提希が牢の中で愁憂憔悴し、世尊に対して仏弟子による「慰問」という形で救いを求めた時、世尊は耆闍崛山に在して、その韋提希の心の所念を知り、韋提希が要請したとおりに目連と阿難を遣わして空から行かせ、同時に世尊ご自身も、要請はされていないけれども、耆闍崛山を没して行かれ、王宮に於いて現れ出られた。
 韋提希はそれまで礼拝をしていたが、そこで頭を挙げてみると、目の前に世尊が来ておられる。釈迦牟尼仏は身は紫金色で百宝蓮華に坐しておられた。さらに、目連がその左に持し、阿難が右に持していた。その時、帝釈天や梵天たちが大空の中から華を雨のように降らせてお釈迦様を供養したのである。

 およそ、こういう内容ですね。大きな構図としては、韋提希によって来てほしいと要請されていない世尊が、「韋提希の心の所念を知り」自らの意志で韋提希のところへ行かれたということです。この構図が大切ですね。ここにこそ仏教があると言っていいでしょう。来てほしいと言われないのになぜ行くのか。なぜ仏自ら行くのか。その理由が韋提希の「心の所念を知り」ということです。「心の所念」とは何か。それと仏とはどのような関わりがあるのか。この箇所は仏とは何かを明かす大変重要な場面です。

 善導大師の領解を見ながら考えて見ましょう。まず、前半についてです。
 「『爾時世尊』と云う従り下『天華持用供養』に至る已来、正しく世尊自ら来たって請に赴きたもうことを明かす。此れ世尊耆闍に在ますと雖も、已に夫人の心念の意を知ることを明かす。『勅大目連等従空而来』と言うは、此れ夫人の請に応ずることを明かすなり。『仏従耆闍没』と言うは、此れ夫人宮内の禁約極めて難し。仏若し身を現じて来赴したまわば、恐畏(おそら)くは闍世知聞して更に留難を生ぜんこと。是の因縁を以っての故に、須らく此に没して彼しこに出ずべきことを明かす。」(親全79 聖全483 ノート84)

 お釈迦様が耆闍崛山より韋提希のもとへ行かれたことを、善導は「世尊自ら来たって請に赴きたもう」、すなわち仏の「自来赴請」と受けとめました。これがこの一段の全体テーマです。これはとても大事なキーワードとなるものですね。「自来赴請」という僅か四文字ですが、仏とは何かを明瞭に表わすことばです。ということは、私たち自身において具体的にしっかりと考えるべきテーマを明らかにしている表現とも言えるでしょう。
 
 「自来赴請」。仏は自ら来たり、請に赴く。この「自ら来たる」と「請に赴く」とは矛盾していないでしょうか。「自ら」ということは、韋提希の側からの要請など何もないのに仏が「自ら」赴くということです。もし要請があれば、それに応える形で赴くことになりますから、「自ら」とは言わないはずです。
 また逆に、「請に赴く」ということは、そこに要請があったわけで、それに応える形で仏が赴くのですから、その場合は「自ら」とは言わないはずです。「自ら」であれば「請」はない。「請」があれば「自ら」はない。当然このようになります。それなのに、なぜ「仏自ら請に赴く」が成立するのでしょうか。じつはここにこそ、仏の存在躍如としたものがあるのです。

 「自ら」と「請」が矛盾するのが人間の考え方でしょう。今見たとおりです。しかし、仏においては矛盾はしない。「仏においては」といえば何か特殊な考え方のように思うかもしれませんが、「仏における」考え方こそが真の考え方。この世界の真の姿なのです。真の姿においては、仏は人間の要請が無くても、そこに必ず至る。真実の道理がそこにあります。真実は、真実でない者にはたらきかけ、必ずその者を真実の者とする。この真実のはたらきかけこそが仏、如来なのです。

 しかし、以前次のような言葉が出たのを覚えておられるでしょう。
 「洪鐘響くと雖も、必ず(たた)くを待ちて(まさ)に鳴る」。大きな鐘は大きな音を響かせるに違いないけれども、しかし、叩くことがなければ鳴ることはない。仏法は、さぞかし素晴らしい教えがそこにあるだろうけれど、これを要請しなければ説かれることはないのだと。
 この「洪鐘」の譬えと「自来赴請」の道理とは矛盾しないでしょうか。「洪鐘」は要請が必要。「自来赴請」は要請は不要、というわけですから。
 ここに、人間存在とは何かということ。そして、仏とは何かということ。さらに、両者はどこで出遇うことができるのかということ。これらを解く鍵の一点が示されているのです。それが「心の所念」、善導の表現で言えば「心念の意」なのです。
 
 愁憂憔悴の中、韋提希の心は耆闍崛山のお釈迦様に対して、仏弟子による慰問で救ってほしい旨の要請をしました。これが韋提希の心の姿ですが、しかし、じつはこれだけではなかったのです。この要請をする心の下に、奥にと言うべきか、もう一つの心があった。
 経典は、このあたりを「心の所念」と表現して、心の思いを全体として押さえるような表現をとっています。しかし、この「心の所念」の持つ問題の重要性を見出した善導はこれを「心念の意」と表現しなおした。心で思うこと、即ち「心念」の底にある意。「心念」はこの「意」から起こっているのだと。

 分かりやすい概念で言えば、「心念」を「意識」、「意」を「いのち」と表現し変えてはどうでしょうか。人は心の底に、或いは存在の底に、「いのち」を持って生きている。「いのち」は、ただひたすら真実に生きたいと願う願心そのものです。真に生きたいという「いのちの願い」が人間存在の最奥にある。「いのちの願い」を最奥の心として生きているのが人間存在であると。

 しかし、この願いが様々な煩悩や迷いによって覆われ、一人の人間としては、いのちの願い無き者としての思いに満たされる。この思いを自分の意識として、この意識を自己の主体として私たちは生きていく。迷いに終始し、真実に出遇えない生き方が始まるのです。なんという悲しくも愚かなことでしょうか。

 この心の奥のいのちの胎動をはっきりと認識し、このいのちをこそ自己の主体として生きるところに、人間において真の生が実現することをよく知るお方が仏なのです。従って仏は、私たちの存在の最奥にあるこの「いのち」に向かって、ここに照準を当ててはたらきかけてくる。
 「請に赴く」の「請」は、ただ意識の次元での「慰問」の要請だけでなく、意識の底に満を持して待つ、わが「いのち」の要請だったのです。韋提希は牢の中にあって、仏を要請し続けた。それが、牢中の韋提希の、即ち、道を見失っているあらゆる者の本当の姿。ただ、それが迷いの心に覆われているために、当人には気づかれない。それどころか、「我」の心を根底にした意識をわが心として生き、仏に対してもこの心で要請をするしかない。

 この迷妄の者に向かって、あなたをあなたたらしめる根源は、あなたの存在の最奥にあるいのちの願いなのだと教える者がいるのか。誰かいなければならない。いなければ、そして、その者に出遇わなければ、人は迷妄のままで終わってしまう。誰がいるのか。それはいったい誰なのか。
 人間存在の根源から、叫びとして溢れるこの問いかけ。大地のすべてを挙げて問われる要請。この人と大地の要請に応えて、それは私であると答え現われるのが仏陀釈尊なのです。
 ここに、「仏の自来」がある。仏は仏であるがゆえに自ら現われるのです。私が人々の根源にあるいのちの願いを開放しよう。私が人々をして、真に生きんと願ういのちの存在であることに目覚めさせよう、と。

 仏陀という、この具体的な人がましますことが、如来ましますことであり、法蔵菩薩ましますことであり、真如の真実がわれらを救わんとして立ち上がられたことを明らかにすることなのです。
 われらの出遇うべき真実は、今、天地自然の法則に従い、自らの意志でわれらの前に現れようとしている。真実が来たる。私を目覚めさせようとして真実が来たる。天地を貫く道理に従って。何の矛盾も無く。自然法爾の動きがここにある。
 この自然の動きは、仏を無視しようとする意識の私を包み、私の根源に光を当て、真の私自身、真の私の主体を闇の束縛から解放し、私を本来の私に蘇らせる。真実を求め、真実を賜り、真実に生きんとする「いのち」の私を誕生せしめる。仏が現れなくてはならない。仏に出遇わなくてはならない。

常に仏を念じている韋提希
 釈尊は耆闍崛山に在し、韋提希の心の所念をお知りになった。このことを善導は、「此れ世尊耆闍に在ますと雖も、已に夫人の心念の意を知ることを明かす」と受けとめます。ここに「已に」とあります。釈尊が韋提希の心念の意を知ったのは、韋提希のところに行ってそこで知ったのではなく、耆闍崛山にいる間に知ったのだということですね。
 韋提希自身が知る以前に、釈尊が韋提希の心念の意、即ち、心の底の思いを知っている。人間を真に開く鍵は、心念という意識のところにあるのではなく、その意識の底の「意」のところにある。「意」のところ、即ちいのちそのものが解放されることが人間を開く鍵なのです。仏はこの道理を「已に」知っておられる。

 「已に」は、一応は時間的に過去に完了したことを表わす表現です。韋提希が仏弟子による慰問を要請した。これが韋提希における心念の行為です。この心念の行為が起こされたときには、釈尊はもうすでに、この心念の下に「意」と呼びうるもっと大きき根源的な心があることを知っていたのだと。こういうことでしょう。
 意識の底には必ずいのちの願いがあって、その願いがいのちを覆う迷妄を破って突き出でようとし、辛うじて仏弟子による慰問を請うことをさせた。韋提希の本当の気持ちは、釈尊に来てほしく、牢中にあって釈尊のことをずっと思い続けていたのです。このことは経文からは明確に伺えないかもしれません。しかし、実際はどうであったのか。

 この点について霊暀(えいおう)さんは講録の中で、韋提希は牢の中で常に釈尊を思っていたのだと、善導のことばを引用して述べます。それは『観念法門』という書物です。
 この中に、念仏の行者が得る利益が五つほど挙げられ、その一つが「見仏増上縁」。念仏申す者は仏を見ることができるのだと。このことを証明する経文として善導は、『観経』の厭苦縁を要約して述べるのです。その文は次のとおりです。
 「宮内に在りて常に仏を見たてまつらんと願じて、遥かに耆闍崛山に向かいて悲泣して敬礼す。仏遥かに念を知りて、即ち耆山より没して王宮に出現したもう」(聖全631 浄土真宗聖典・七祖篇621)

 ここに「宮内に在りて常に仏を見たてまつらんと願じ」とあり、善導の受けとめは、牢中の韋提希は仏に会いたいと常に思っていたのだということです。
 経文を見る限り、常にということは出てこないでしょう。むしろ、仏のことは基本的に忘れて愁憂憔悴し、直接仏に会うよりも仏弟子を遣わしてほしいと要請をしている韋提希が前面に出ているようです。それなのに、なぜ善導は「常に」というのか。

 それは、いろいろなことを思う意識の底には、常にいのちの願いがあるということではないでしょうか。意識では、韋提希は愁憂し、仏と会うことを避けた。しかし、その底にあるいのちそのものは仏に会うことを常に願ったのです。いのちの解放は仏のはたらきを受けとめるところになされる。いのちはそのはたらきを受けとめたいのです。
 汝真実の世界に帰れ。真実に帰って真実とともに生きよという真実自身の呼びかけを受けとめたい。そこにいのちがいのちとして蘇り、韋提希という存在の真の主体となって生きることができる。牢中の韋提希の心念の意である心の最奥のいのちと、耆闍崛山上の釈尊の持つ出世の本懐である阿弥陀の本願が、今呼応し始めたのです。

 呼応すべきものであることは釈尊にはすでに明らかだった。それが仏陀であるということです。ですから、韋提希の意識の要請を聞いて、そのそこにあるいのちの願い、即ち心念の意を知ることができたのです。もちろんそれは、対象化して知るのではなく、それに応えるべきものとして知ったのです。

 人の心念の意に触れるものでなければ、人を救えない。心の奥のいのちの願いに触れるものでなければ、人を救えない。それこそが宗教というものです。いのちの願いを知り、これに応え、願いを開かせ実現させることができるもの、それを「真実」というのです。
 真実だけが人を解放し、いのちの願いに生きる者ならしめる。逆に言えば、人はひとりのちっぽけな存在のように見えるけれども、もしこの者を救おうとし、本来の生き方を実現させようとすれば、何を持ってきても間にあわない。ただ一つ、真実だけがそれをなすことができる。
 即ち、真実と一人の人間を天秤ばかりにかければ、なんと両者は釣り合うのです。人は真実だけが救うことができる。人は真実に出遇わなければならない。

 韋提希の心の奥に常に仏を念ずるいのちの願いがあることを知った釈尊は、その願いに応えるために耆闍崛山を没して王宮に赴きます。この動きは、後に定善観の第九真身観に出る「三縁」の中の親縁を連想させます。少しそれを見てみましょう。
 これは、「一々の光明、普く十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず」の経文を受けて、どうして仏の光明は普く照らすのに、ただ念仏者を摂するのかという問いに答えて示されるものです。

 「衆生、行を起こして口に常に仏を称すれば、仏即ち之を聞きたもう。身に常に仏を礼敬すれば、仏即ち之を見たもう。心に常に仏を念ずれば、仏即ち之を知りたもう。衆生仏を憶念すれば、仏亦衆生を憶念したもう。彼此三業相捨離せず。故に親縁と名づく」(親全149 聖全522 ノート157)
 
 仏は、衆生の念仏を無視せずに聞き、礼敬を見とどけ、心に念ずる思いを知ってくださる。このように衆生が仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念するのだと。仏を憶念する衆生の心。この心こそ、衆生のいのち。真に生きたいと願ういのちは、真に生きよと呼び覚ます声を憶念する。その声に出遇って、いのちを覆っているものを取り払い、解放され、生きる主体として自己を表現していきたいのです。
 そのいのちの願いを仏は必ずお知りになって、覆われ閉じられたいのちのところに赴く。いのちの願いに真正面から応えるために赴くのです。衆生の憶念に応える仏の憶念。大悲の願いに乗じて、釈迦牟尼世尊が凡夫韋提希のところにその全体を挙げて、出世本懐の願いを実現しようとしてやってくるのです。

 真身観に出る「親縁」は、直接は阿弥陀と衆生との関わりを表わすものですが、その阿弥陀の親縁の道理に乗じて、その道理を自らの道理として、韋提希のところへ赴く。その「親縁性」とでもいうべき釈尊の衆生に対する根本のあり方が顕われているように思えます。

 韋提希が要請をしないのに仏は現れた。これをもって仏は韋提希にとっての不請の友であると受けとめられます。この場合、「不請」と「友」と二重の在り方を釈尊はしているという意味です。
 「不請」は韋提希の意識の要請に対して、これに答えるのが目的ではないことを表わし、「友」は、心の底のいのちの願いに答えることを表します。その意味で不請の友といえるでしょう。
 しかし、「友」の意味をこのように強く押さえないのならば、釈尊は「不請」の存在というより、むしろ「請」のお方といえるのではないか。韋提希の心の底の願いに真正面から答えたのですから。

 
(二)釈尊の二重の応答

釈尊の深い配慮

 さて、次に、釈尊の現れ方を見てみましょう。
 「韋提希の心の所念を知り、即ち大目犍連及び阿難に勅して、空よりして来らしめ、仏、耆闍崛山より没し、王宮に於いて出でたもう」
 このように、韋提希の要請を受けた釈尊の対応は三段階になっています。
 (1)耆闍崛山で韋提希の心の所念を知る
 (2)目連と阿難に勅して空から行かせる
 (3)自ら耆闍崛山を没し王宮に現れ出でる

 (1) はこれまで見てきたように、釈尊が韋提希の心の底のいのちの願いを見たことを表わします。この認識が、次の応答の行為を生み出すわけです。
 応答は二重になっています。
 (2)目連と阿難を遣わす
 (3)仏自ら赴く
 ここはしっかり押さえておくべきことですね。仏教の教えは、二重の教えであることが、ここで端的に示されているわけです。どのように二重になっているのか。それは、「心念の意」という韋提希の要請のあり方に対して、その「心念」への応答と、「意」への応答との二重の構造をしているのです。
 (2)の目連と阿難を遣わすのが「心念」への応答です。仏弟子を遣わして慰問してほしいという、人間的な「我」の心をもとにした要請に対してです。
 (3)の仏自ら赴くというのが「意」への応答です。これは阿弥陀の本願・南無阿弥陀仏を説いて、根底の「いのちの願い」を満足させるために行かれるのです。しかも、この二重の応答はばらばらではない。巧みに連動しながら二重の教えは説き進められます。 

 では、二重の教えの巧みな説き方とはどのようなものか。それを考えるヒントがこの一段の善導の解釈です。
 「『勅大目連等従空而来』と言うは、此れ夫人の請に応ずることを明かすなり。『仏従耆闍没』と言うは、此れ夫人宮内の禁約極めて難し。仏若し身を現じて来赴したまわば、恐畏(おそら)くは闍世知聞して更に留難を生ぜんこと。是の因縁を以っての故に、須らく此に没して彼しこに出ずべきことを明かす」

 目連と阿難を遣わすのは、韋提希の要請に直接応えさせるためです。空を飛んで王宮に行けば、誰もがそれを見、仏が韋提希の要請に今応じていると分かる。疑問なく納得できる行為です。しかし、釈尊もまた空を飛んでいくとなれば、誰も納得できない。要請されない者がどうして出向くのかと。

 特に納得できない者が阿闍世なのです。かつて、幽閉の父の頻婆娑羅王のところへ釈尊が仏弟子を遣わした。門番はそれを遮るどころか、私の力ではどうにもなりませんでした、頻婆娑羅王の家臣だけを見張れとの仰せでしたからと責任を転嫁されるような形で門番から言われ、苦々しく思っています。
 新たに王になって誰も近づけるなと下した命令を、釈尊は何の許可も無くこれを破って弟子をよこした。阿闍世は仏に対する反感を持っています。
 そこへもし釈尊が空を飛んでいけば、仏に反する阿闍世の思いが韋提希に及び、牢の警備をより厳重にし、二度と仏に会えないようにするかもしれない。そうなれば、韋提希のいのちの開発はなされずに終わる。このように思われて釈尊は姿を隠すという在り方をとって王宮に至ったのだと。

 この場面では、阿闍世は「我」を根底に持つ人間理性の存在として描かれています。人間理性にとっては、その根底にあって理性自身をも否定する力を持ったいのちの願いは、いわば天敵です。いのちの願いに目を覚まさせないようにしなければならない。
 韋提希の意識そのものが既にこの心ですが、韋提希を仇とみなしている阿闍世もまた、仏を無視する人間理性を強固に持つ存在です。この意識を持つ人間同士が触れ合う社会の中では、いのちの目覚めを妨げようとする人間的な思いはもつれ合って相乗的に強くなっていることを顕わしているようです。
 阿闍世によって予想もしない仕打ちを受けた韋提希は、今、いのちの願いの解放のチャンスを迎えて、なお、阿闍世による妨害を受ける立場にあるのです。悲劇は、牢に閉じ込められたことだけでなく、牢を真に出る営みの場面に於いても展開しようとしている。仏を無視する人間理性は、どこまで悲劇を生み出そうとするのでしょうか。

 耆闍崛山を没して王宮に現れるという形で教えを韋提希のところへ届けようとする釈尊は、ここで二人の者から自らの真の姿を隠して現れようとしているのでしょう。一人は韋提希、一人は阿闍世です。当面の人数は二人ですが、しかし、じつは一つの存在。即ち人間理性です。
 仏を謗る人間理性の目から自己を隠さなければ、理性の反撃を受ける。仏には来て頂かなくてよろしいという韋提希の思い。そして、釈尊が来たその報復として、韋提希の警備をより厳重にして仏から遠ざけようという阿闍世の思い。これら二つの思いからの反撃を受ける。だから身を隠さなければならなかった。身を隠して説こうとする教えこそが本願念仏の教えです。これは今の二人には受けとめられないのです。

偶然のであい
 釈尊の王宮への現れ方のところには、深い思いがあり、敢然とした実行があるように思えます。善導は『観経疏』の最後の結嘆の後序にあたるところで、次のようにこの箇所について述べます。
 「竊かに以んみれば、真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し。五趣をして斉しく是れを生ぜしめんと欲す。以って勧めて後代に聞かしむ。但し如来神力転変無方なり。隠顕機に随いて王宮に密かに化す。是に於いて耆闍の聖衆、小智疑を懐く。仏後に山に還りたもうに、委況を()ず。時に阿難、為に王宮の化、定散両門を宣ぶ。異衆之に因って同じく聞きて、奉行して頂戴せずということなし。」(親全217 聖全559 ノート229)

 「如来神力転変無方なり。隠顕機に随いて王宮に密かに化す」ここが直接今の箇所のことですね。釈尊が耆闍崛山から苦悩の凡夫のいる王宮へ現われるその姿は、まさしく「神力転変無方」。機に随って自在に隠れ、自在に現われる。
 そこには、凡夫の心底にあるいのちの願いを開発せしめ、真にその者を救済しようという如来本願の願いに生きる釈尊の姿があります。この本願の力を背景に、転変無方のはたらきをなさった。それが耆闍を没し王宮に出でるという行為です。

 この釈尊の行為があったからこそ、韋提希は遇い叵い真宗の教えに遇うことができ、聞き難い浄土の教えを聞くことができた。いや、それは韋提希だけではない。あらゆる人たちが浄土の真宗に遇う道が開かれたのであると。
 逆に言えば、遇い難い浄土の真宗の教えに、人はどうすれば遇うことができるのか。それは、機に随って或いは隠れ或いは現れる転変無方の行為である仏の自来赴請によるのだということです。仏の自来赴請、即ち「如来」であるところに、「如来」ましますところに、私たちに真の救いがあることを明瞭に表わしています。

 「真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し」とありますが、「遇」も「逢」もどちらも偶然にであう意があります。
 「遇」は「相期せずして会すること、遭遇の意、運命的に時運に会する意、奇遇・千載一遇のように用いる」。
 「逢」は「木の()つ枝に神の降る形」。秀は禾穀の穂が垂れて花が咲いている形です。「〈()〉は降下する足あとの形、〈(ほう)〉は木の()つ枝の形。そこに神の降下する意を示す。〈丰〉を両手で捧げ、神を迎え神に献ずることを〈奉〉といい、その神気にあうことを逢という。」(いずれも『字統』)
 これから見ると、「遇」「逢」ともに偶然のであいを意味しますが、「逢」のほうが、より神的なものにであう意味があるようです。浄土の教えにであうということは、仏の方からの歩みがなければであえない。人間の側からだけではできないわけです。

 では人間のほうは何をするのか。今、神を仏とおきかえて「逢」の字の解釈から見れば、禾穀の穂が垂れて花が咲いている枝を両手で捧げ、仏を迎え仏に献じ、その仏の願いにあうことが「逢」の意となります。
 このことを韋提希の行為のところで見れば、心の底のいのちに満ち溢れた願い(禾穀の穂が垂れて花が咲く枝)を、これこそ自分の本意であると仏に差し向け(両手で捧げ、仏を迎え仏に献じ)、そのいのちの願いを受けとめた仏が韋提希のところへ赴かれた(仏の願いにあう)。このようになるでしょう。まさしくあい難き浄土の教えに逢うことができたのです。

 文字の意味と照らし合わせてみると、韋提希の仏への要請は、経文には表面的な意識の次元での要請が説き表されているけれども、じつはその奥にいのちの願いがあって、それが決定的なはたらきをしていることが分かります。善導が「宮内に在りて常に仏を見たてまつらんと願じて」と表わしたことも、このいのちの願いの決定的重要さをはっきりと見据えていたからなのでしょう。

真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し
 この「真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し」のことばには、もう一つ、観経の教えというか、そもそも人間を真に救う仏教とは何かを決定付けるような、大きな枠組みでの問題が明かされています。それは「叵い」と「難い」の使い分けです。
 「(かた)い」は、可能という意味の「可」を左右対称的に逆さまにした文字で、それに依って意味も逆になり、不可能という意味になります。
 「真宗遇い叵く」すなわち、人が真実の宗教に出遇うことは不可能であると。この意は、人が自らの力だけで真宗に出遇うことは不可能だということです。この一線は絶対に譲れない。
 もしこの一線が乱れてくると、人間が持ち出してくるいろいろな考えや行為が真宗だということになってくる。それはまた分かりやすく魅力があり、手の届きやすいものだから人々に持てはやされる。そしてこれこそが真の宗教だということになり、本物は片隅に追いやられてしまう。これがいつの時代でも展開する人間の愚かな誤まった姿です。
 
 人間存在というのは、自分の理知分別と行動では自らを救えない存在なのです。このことを自らにおいて明らかにすること自体がすでに真実の宗教の内容となる。人間の物を持ち出すような宗教は、決して自らを照らすことを言わないでしょう。自己を超えたくないからです。自己を超えた真実なる者によって自らを否定されたくないからです。
 従って、人間のものの考え方、即ち煩悩を本質とした考えが、時代を超えて限りなく延長していく。それほどに人間の闇は強固で深いのです。

 では「遇い叵く」と言われるように不可能であるならば、どうすればいいのか。そこに登場する者こそは、その不可能な世界の彼方からと言うべきか、真如・真実の世界からのはたらきである如来であり、これに出遇うところに真宗は成立する。ただ如来のところにのみ真実の宗教は成立するのです。
 その如来が、今具体的に応化身としての釈尊なのです。応化身とは、根源の真如法性が阿弥陀仏となって具体化し、その阿弥陀の願いをわが願いとして現れた具体的なお方です。この釈尊に出遇うところに阿弥陀に出遇い、根源の真如法性、真実に出遇うことができる。
 人間は真実に出遇うところに救いが起こる。その真実が、真実のほうから不実の者にはたらきかけてくる。はたらきかけてその者を遂に救いきっていく。そこに真実の真実たる所以があるのです。

 今韋提希は、韋提希の心の底の願いを知って自ら来たる釈尊にお逢いすることができた。そして阿弥陀の浄土に生まれたいと願いを起こし、その教えを釈尊から説いて頂くこととなった。遇い難き浄土の教えに、釈尊の自来赴請の行為によって、その「難さ」が克服できたのです。
 釈尊で代表される仏、或いは諸仏に遇うことは甚だ難しいことです。しかし、これは因縁恵まれて出遇うことができる。出遇って浄土の教えを聞くことができる。そこに「浄土の要逢い難し」という表現が生まれたのでしょう。この「難さ」は「逢う」ことによって克服できるのだと。即ち、釈尊のほうから来たることによって。その釈尊に偶々の因縁で出遇うことによって。その出遇い方が「逢う」ということですね。

 このように見てくれば、浄土の真宗の教えに出遇うことを、善導は二つのものを挙げて明かしているわけですね。「真宗」と「浄土」という表現で区別して表わされている。「真宗」には人間の力では絶対に遇えないのだと。「浄土」の教えは出遇うことは困難だけれども、来たる如に出遇うことによって遇えるのだと。
 これを言い換えれば、阿弥陀と釈迦の二尊のことを言っているのでしょう。人は自らの力で阿弥陀の領域に至ることはできない。しかし、お釈迦様という具体的な仏に出遇うことによって浄土の教えを聞くことができ、阿弥陀に出遇っていけるのだと。
 だから、必ず応化の仏に出遇いなさいと。「一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因無量なりと雖も、善知識を説けば則ち已に摂尽しぬ」(涅槃経)ということであり、金の草鞋(わらじ)を履いても善知識を尋ねていけということなのですね。

諸仏善知識とは何か
 釈迦・弥陀の二尊によって真実の宗教は開かれる。釈迦を代表とする諸仏・善知識に出遇うことの不可欠さがここにあります。諸仏善知識とは何なのか。改めて少し考えて見ましょう。
 『大無量寿経』は上巻で如来浄土について説きます。如来はどのようにして如来となり、浄土を生み出したのか。そしてどのような如来・浄土が誕生したのか。これらを説く感動の教説で満ちています。
 そして上巻の最後に、建立された浄土一面の華から無数の光が放たれ、光がまた無数の諸仏を生み出し、その諸仏が教えを説いて無量の衆生を仏道に立たしめる有様が描かれます。「華光出仏」と言われるこの教えは、諸仏とはどのような存在なのか、どのような位置にあるものかを明らかにしています。

 諸仏とはじつに、如来浄土によって私たちに向けて生み出された者が諸仏であるということです。如来浄土が生み出したお方。このお方に出遇わなくてはなりません。如来浄土が生み出したお方。この位置にある具体的なお方を私たちは人生の中で確保していなくてはならない。
 私の人生の中に、如来浄土が生み出したお方が、はっきりといなければならない。そのような人生を生きて行かねばならないのです。私にとって一人でもその方がいることが、私を支え、絶望から救い、人生を肯定させ、勇気と力と愛を世界に向けて発し続けさせるのです。

 『大経』下巻は、この諸仏善知識との出遇いのところに、如来の本願南無阿弥陀仏の大いなる真実の呼びかけを聞くことができるという、その道理を説き明かします。これが第十八願の成就文ですね。
 如来浄土が生み出したお方は、自ら念仏申して如来の呼びかけに応え、私たちに念仏を勧める。あなたを救おうという真実の願いがあるのだよと。その呼びかけに耳をすまそうではないかと。共にこの教えを聞いて歩んでいこうではないかと。自己を受けとめ願いを受けとめて念仏申そうではないかと。私に向けてこのお勧めをしてくださるお方にお遇いして、お勧めを受けて歩むことが一番大切なことです。

 諸仏善知識を確保しなければならない。これによって二尊教でなければならない真実宗教が成立するのです。この善知識を持たなければどうなるか。超越的な神のようなものに隷属するか、そのようなものを思って観念的になるか、或いは、私の言うことを聞けと人に言って回る人生となるか。いずれにしても、有り難うございますと、大地に頭をつけるようなことにはなりにくいでしょう。

 善知識に出遇うことが大切なのですが、しかし、そのお方を善知識として受けとめることが難しいという問題があります。その人がどのような存在なのか。これを正確に受けとめることは甚だ難しいことですね。
 大小さまざまなことが障害になって、その人の正確な把握を妨げてしまう。いや一番問題なのは、その人を見る自分自身の眼。およそ真の宝を見出せないような眼なのではないか。

 ある哲学者は、人はハエのようなものだと言った。どこへ飛んでいくのかと思えば、宝物へは行かない。汚れたゴミ箱ばかりを飛び回る。
 そういう私が念仏者を見てどう思うか。その人の中の宝を見るより、ゴミを見出そうとするかもしれない。もし一つでも発見すれば、それだけでその人を断罪しかねない。逆に宝を発見すれば、その宝によって自分自身が救われるのに。その大事なものが見えない。驚くべきお粗末さ。これが私たちの実相ではないでしょうか。

 その方を私の善知識と受けとめることは、それ自体が求道の大きな内容です。何よりも教えによって自己自身を照らされるようになることが肝心。そうなってみれば、この世に誰も自分が思うようないわゆる完璧な人はいないことが分かってくる。
 私たちは完璧な人をどこかでイメージし、それと照らし合わせていろいろな人を評価しやすい。そうすれば、ほとんどすべての人が完璧でないという理由で信ずるに値しない人となる。

 そのような考え方の元になっている自分の心を定散心と言うのです。人はいい心を持ちいい行いをしなければならないし、それができるはずだと思っている。自分もそれができると思っている。
 それはしかし、「思い」だけなのです。事実は全くそうではない。「思い」に振り回されている。「思い」でしかないことを事実と思うところに、壮大なる観念性があります。ないことをあると思い込み、相手もそう思い、それで双方が争い合う。観念の地獄ですね。

 自分の事実を知らねばならない。人間の事実とは何なのか。その正しい認識に帰ることができた時、人のものの考え方は変わるのです。
 事実を無視し、思いだけで生きようとする存在。これを心想羸劣(るいれつ)の凡夫と言います。心で大きなことを思っていても、事実は、やせ衰えて力のない羊のようなもの(羸劣)だと。これが自分だったと。ここに立って生きる人へと変わっていくのです。わが事実を事実の如く生きる。自分を上にも見せず下へも下げず、自分のままを生きる。そこに冷たい虚しさを超えた温かい力が湧いてくるのです。自覚が引き起こす力です。

 韋提希はその点どうだったか。お釈迦様に出遇った韋提希は、直ちにお釈迦様をわが善知識と受けとめられたのか。いえいえ、とてもそうではなかったのです。ここは彼女も大いに苦労しました。善知識どころか、自分を苦しめた張本人としてお釈迦さまを罵ったのです。
 ということは、お釈迦様もご苦労なさったわけです。二人の間に師弟関係が確立するまでには、並々ならぬ混乱と苦労がある。これが人間同士の関わりの姿ですね。

 しかし、この大変な状況を乗り越えなければいけない。求道上の大きな課題の一つです。その方こそが如来浄土が私の為に生み出してくださったお方。その方も凡夫。凡夫の上にこそ如来本願は成就する。
 如来が生み出した本願成就の念仏者という位置にあるお方を、わが善知識としていただき、その方をわが人生の中で確保し続けていく。この極めて具体的な生身の人間同士のことが、普遍の真実である如来本願南無阿弥陀仏を頂いていく上で不可欠のことなのです。

なぜ仏は耆闍崛山を没せられたのか
 この結嘆の後序の後半の文は面白いですね。「是に於いて耆闍の聖衆、小智疑を懐く。仏後に山に還りたもうに、委況を()ず。時に阿難、為に王宮の化、定散両門を宣ぶ。異衆之に因って同じく聞きて、奉行して頂戴せずということなし。」
 如来の神力転変無方のはたらき。隠顕機に随いて王宮に密かに化すというご教化。これらのことが耆闍崛山上の聖衆には理解できなかったというのです。
 耆闍崛山上では法華経の会座がひらかれていたと言われます。経文に、「仏、耆闍崛山より没し、王宮に於いて出でたもう」とあります。これを受けて善導は「此に没して彼しこに出ず」と表わしました。法華経が説かれている間、釈尊はただ一人耆闍崛山で起こっていることをお知りになった。

 これは、化前序のところで「一時というは、阿闍世、正しく逆を起こしし時なり。仏何れの処にか在まして、此の一時に当たって、如来独り二衆とともに彼の耆闍に在ます」とありました。(本誌第6号)釈尊は耆闍崛山にましまして、王宮での阿闍世の逆悪をよくご存知であったと。それも、千二百五十人の声聞衆や三万二千の菩薩衆はそのことが分からず、釈尊一人だけに分かったのだと。
 そして釈尊は法華経の会座を中断し、王宮に行った。それが「此に没して彼しこに出ず」ということですね。ここ、耆闍崛山を没したのです。耆闍崛山の法華経の会座は没せられた。そして釈尊は王宮に現われ観経を説いた。釈尊が再び耆闍崛山に帰っても、聖衆たちは誰も、釈尊がなぜこのようなことをしたか分からなかったのだと。「仏、後に山に還りたもうに、委況を()ず」。詳しいことが分からなかった。

 なぜ聖衆たちに釈尊の行為の意味が理解できなかったのか。それを善導は「小智疑を懐く」と表わしています。聖衆の智慧がわからなくさせたのだと。その智慧はいったいどのようなものか。
 それはこの者たちを「聖」衆たらしめているものでしょう。韋提希のように凡夫の自覚を持たず、自らの力に誇りを感じている者。法華経が方便品の中で、仏の知見を開示悟入せよと言われて、自らの力を以って悟入できると思う者。そこに小智があるのでしょう。
 人は皆真実なき凡夫であり、その者に向けて阿弥陀の本願・南無阿弥陀仏のはたらきがかけられ、本願に乗じて生きる者が誕生する。「小智」はそれを理解させない。
 従って、「如来独り二衆とともに彼の耆闍に在ます」すなわち、声聞・菩薩の二衆という聖衆とともにいる釈尊だけが、王舎城の悲劇をしかと受けとめて耆闍崛山にましましたのだということになるのです。

 ここのところを覚如上人は『口伝鈔』の中で次のように述べます。
 「法華において今の浄土教は同味の教なり。法華の説示八箇年中に王宮に五逆発現のあいだ、此の時にあたりて霊鷲山の会座を没して王宮に降臨して他力を説かれし故なり。これらみな海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもって本とせらるる大都なり。」(東668 西901 島25-17)

 王舎城に事件が起こったのを知って、法華経の会座を没し、王宮に現われ、阿弥陀の教えを説いた。これを説くことが、仏がこの世に現れて以来、釈尊に至るまで、あらゆる仏の元意は阿弥陀の教えを説くことであるのだと。
 そうしますと、阿弥陀の教えが説かれるのは、法華経の会座の時を断ち切ってなされるわけです。その「時」は法華経が説かれる時。その同じ時が観経という阿弥陀の教えに与えられた。法華経の時が、法華経にその時を与えることを保留し、観経に時の場を与えたということでしょう。

 「此を没し」というのも、ここを放棄するのではない。法華経の聖衆を待たせて王宮で観経が説かれたということは、ある意味で、ひとつの時の上を、法華経と観経が重なって説かれたと見てもいいのでしょう。
 しかし、その時は、法華経の時の上に観経が説かれたというわけです。そこに、重なって説かれたということで、両教は同味の教と言われ、同時に、法華経の上に説かれたということで、諸仏の、そして釈迦一代の元意は観経、即ち阿弥陀の教えを説くことにあったと言えるのです。

 経文で言えば、法華経の時が「一時、仏、王舎城耆闍崛山に在し・・・」の「一時」。観経の時が「爾時王舎大城に一人の太子あり・・・」の「爾時」ということになります。「一時」の中に「爾時」が生まれ、「爾時」が、土台の「一時」を凌駕したわけです。

宗教的出遇いとは
 「仏の自来赴請」ということについて少し時間をかけていろいろ考えてきました。最後に宗教的出遇いの特徴ということについて見てみましょう。
 王宮の牢に禁じられ愁憂憔悴している韋提希は、仏弟子による救いまでは求めても、釈尊じきじきのお出ましは願いません。一番肝心な釈尊に対しては背を向けています。その韋提希の心の深い願いを知って釈尊は自ら王宮に出向く。このことがいわゆる宗教的出遇いの基本形を示していると言えるでしょう。

 普通の出会いは、出会おうと約束して出会う。これが典型ですね。しかし、宗教的な出遇いは、先に「真宗遇い叵く、浄土の要逢い難し」の言葉遣いを見ても、「遇」や「逢」という偶然性、或いは向こうから来て出遇うというニュアンスの文字が使われるような出遇いです。
 この出遇いの姿をよく表わしたものが「摂取」についての領解です。摂取は文字通り如来が衆生を摂め取り救っていくことを表わしますが、どのようにこの言葉が受けとめられてきたでしょうか。

 親鸞聖人が阿弥陀経の意を表わす和讃として五首つくられた中、第一首目は次のものです。
  十方微塵世界の
  念仏の衆生をみそなわし
  摂取してすてざれば
  阿弥陀となづけたてまつる
 正しく阿弥陀とは何かを表わすものですが、阿弥陀とは「摂取して捨てない」お方であると。では「摂取」とは何か。聖人はこれに註を加えられ、摂取とは「おさめとる。ひとたびとりて、長く捨てぬなり。摂はもののにぐるを追わえ取るなり。摂はおさめとる。取は迎えとる」と述べられます。

 「摂はもののにぐるを追わえ取るなり」これは面白い表現ですね。微妙な表現でもあります。逃げているのを、如来が追いかけてきて、仕方なくつかまってしまったというのではない。如来に背を向けて逃げているのが自己自身であったと、このことに目覚めることの大切さがまず言われています。機の深信の問題です。私とは如来に対してどのような存在であるか、このことに目覚めていくわけです。
 その私を追いかけて摂取しようとする如来のはたらきましますことを知る。これが法の深信ですね。「追いかける」という表現が面白い。
 人が大事なものを忘れて帰って行った場合、こちらが気がついて、これは大変と追いかける。これがなければ大変なことになるぞと追いかける。追いかけるほうは、その忘れたものの重要さがよく分かっていますから、息せき切って追いかける。如来は息せき切って私を追いかけるお方なのです。
 
 蓮如上人も「摂取」について同じように説かれます。ある僧が摂取不捨の道理を知りたいと雲居寺の阿弥陀に誓いを立てた。すると夢の中で、阿弥陀がその人の袖をとらえ、逃げようとしてもしっかりと捉えて離さなかった。夢から覚め、なるほど摂取とはこのことかと思ったというわけです。蓮如上人はこのお話を引用されて御教化くださったということですね。
 
 人が仏から逃げるとはどういうことか。救いを求めるために仏に向かうということはあり得ます。その場合は仏から逃げていないのか。韋提希は牢の中で仏に向かいました。しかし、仏まします耆闍崛山は韋提希の意識の中では「遥かに」遠い所であった。そして仏に向かいつつ、仏のおいでを願わず、仏弟子を、それも名指しで要請した。釈尊に対して、対応を仏弟子を遣わすことに落ち着かせようとしたとも考えられます。
 さらに言えば、次の一段で、目の前に現れたお釈迦様の真の姿も見えず、あまつさえ、自らの責任をお釈迦様の上に追及する始末。これらの言動は、仏に背を向けていることで一貫している。仏に向かう姿を取りながら、強烈に仏に背く韋提希の姿がここにあります。

 宗教的出遇いは、仏の教えと、その教えを受けとめるべき人間存在との出遇いです。教と機が相応する場面です。しかしこの「相応」は、双方が真正面に相向かっての相応ではない。機は直ちには教えを喜ばず受け入れない。はじめは反発し逃げるのです。しかし教えはこれを追いかけ、どこまでも追いかけて、そして捉まえることができる。必ずできる。教と機の間にはこの必然の可能性があるのです。
 捉まえられるところに、真実に背を向け如来を無視し謗る私であったと、如来に対する懺悔の心が起こる。この懺悔の一点で「相応」は起こるのです。そこから喜びが起こり、願心が起こっていく。
 この点から言えば、『観経』は仏に背を向ける韋提希が、それを追いかけるお釈迦様によって、どのように捉えられ、懺悔し、信心歓喜願生の者となっていったか。その歴程と道理を示す経典でもあると言えるでしょう。

耆闍崛山より来たる釈尊
 さて、次の場面はいよいよ釈尊の登場です。「仏の自来赴請」。韋提希を救おうと満身に慈悲の願いを湛え、深く真実に住し方便の智慧をもって、耆闍崛山の会座を没し、釈尊は王宮に現れます。経文は次のとおりです。
 「時に韋提希、礼し已りて頭を挙ぐるに、世尊を見たてまつる。釈迦牟尼仏、身は紫金色にして百宝蓮華に坐したまえり。目連左に侍し、阿難右に在り。釈梵護世の諸天、虚空の中に在りて普く天華を雨らし、持用(もち)て供養す」 

 救いを求めて耆闍崛山に向かい仏に礼拝をしていた韋提希が、頭を挙げたとき、目の前に来てまします世尊と出遇います。そのお姿は、身の色は紫金色、坐してまします座は百宝蓮華。目連と阿難を左右に侍らせておられた。そのとき帝釈天や梵天や護世の天人たちが、天から華の雨を降らせ、釈尊のお出ましを讃え供養したのであると。

 現れたお釈迦様をここでは「釈迦牟尼仏」と表現しています。また身の色や座の様子が明かされている。これらが釈尊とは何者であるかを表しているわけで、大事なところですね。天人とは何か。華の雨を降らすとはどういうことか。面白い表現です。

 善導の受けとめの初めのほうを見てみましょう。
 「『時韋提礼已挙頭』と言うは、此れ夫人の敬を致すの時を明かす。
  『見仏世尊』と言うは、此れ世尊宮中に已に出でて、夫人をして頭を挙げて即ち見せしむることを致すことを明かす。
  『釈迦牟尼仏』と言うは余仏に簡異す。ただし諸仏のみ名通じて、身相異ならず。今(ことさら)に釈迦を標定して疑い無からしむ。
  『身紫金色』と言うは其の相を顕し定む。
  『坐百宝華』と言うは余座に簡異するなり。
  『目連侍左』等と言うは、此れ更に余の衆なくして、唯二僧有ることを明かす。」
  (親全79 聖全483 ノート84)

 「時に韋提希、礼し已りて頭を挙ぐるに」この経文を善導は、「此れ夫人の敬を致すの時を明かす」と受けとめます。場面は、礼拝を終えて頭を挙げる時です。それであるのに善導は、「夫人の敬を致すの時」と押さえます。少しずれている。どういうことでしょうか。

 これは、韋提希が仏を敬礼する時が、同時に仏が王宮に現れ韋提希が出遇う時でもあるのだということでしょう。仏を敬礼する時、仏が現われるのです。
 この道理は、後に華座観のところで出てくるものに通じるでしょう。華座観では「応声即現」という言葉で説かれます。釈尊が今から除苦悩法を説こうと説き始める。その教えの声に即して、教えが指し示している阿弥陀が現われるということです。
 ここでは、韋提希が礼拝して仏を念じている。その念の対象である釈尊が、今念じている韋提希のところに現われるというわけです。礼拝をしていた間に釈尊が現われた。一つの時間に二つのことが同時に起こったのです。
 これが出遇いの方法論の基本的なことのように思えます。先の「親縁」も同じことです。その人に遇いたい時、その人のことを思えば、その思いのところにその人は現れる。

 次は、経文では「見世尊釈迦牟尼仏」のところですが、善導の領解は、「『見仏世尊』と言うは」とあり、その次に「『釈迦牟尼仏』と言うは」となって、二つに分けて解釈しています。そうすると、この経文をどう読めばいいか。
 聖典では三つの聖典とも「世尊釈迦牟尼仏を見たてまつる」となっていますが、これは少なくとも善導の受けとめによる読み方ではありません。もし善導の領解を生かして読むとすれば、「時に韋提希礼し已りて頭を挙ぐるに(挙げ)、世尊を見たてまつる。釈迦牟尼仏、身は紫金色にして百宝蓮華に坐したまえり」このようになると思います。
 韋提希が礼拝を終えて頭を挙げ、そこにおられる世尊を見たてまつった。その世尊は、韋提希が世尊の名で思っているようなお方ではなく、じつは釈迦牟尼仏であった。牟尼(Muni)という涅槃寂静の世界から来たって現れた仏としての釈迦であった。身は紫金色で百宝蓮華に坐しておられたのである。こういう意味合いになるでしょう。

 一人の人を見ても、当然見方によってその人は異なってくるわけです。韋提希はお釈迦様を前から存じ上げていた。頻婆娑羅王について聞法もしていたようです。しかし、お釈迦様とはどのようなお方なのか。教えもよく分からないし、ましてや出世の本懐は何なのか等については理解は及ばない。しかし尊敬できる人物には違いないので、いつも「世尊」とお呼びし、尊敬をしていたわけです。

 「世尊」の語は、仏の呼び方である「仏の十号」の一つです。仏には十の呼び方がある。如来・応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士調御丈夫・天人師・仏・世尊。この中の一つですから、仏を呼ぶ呼び方としては間違いはありません。れっきとした仏の呼称です。

 しかし、この「世尊」という言葉を使うときの韋提希の意識はどうなのか。私のような凡夫に阿弥陀の本願を説くことを出世本懐とされているお方という認識はない。
 呼称は正しいけれども、中身は人間的な尊敬の思いだけなのです。そして今も、頭を挙げて見たてまつった今も、同じ思いでお釈迦様を見上げた。それが「見世尊」でしょう。
 ところが、見上げたお釈迦様は韋提希が「世尊」の名で思っている人間釈迦ではなく、阿弥陀の本願に乗じてやって来られたお方であったということですね。もちろん、そのことには韋提希は気がつかない。目の前に大事な大事なお方が、しかも自分の為に現れて来てくださっているのに、彼女はまったくそのことが分からないのです。
 韋提希の思っているお釈迦様と真のお釈迦様との違いを、メリハリをつけて鮮明にするこの読み方を善導は提案しているのではないかと思います。


(三)仏の力を頂く

仏に出遇わせるための仏の力

 さて、では「見世尊」とは何か。「『見仏世尊』と言うは、此れ世尊宮中に已に出でて、夫人をして頭を挙げて即ち見せしむることを致すことを明かす」このように善導は釈します。
 この文をよく見ると、「『見仏世尊』と言うは」とある。経文の「見世尊」を、善導は「見仏世尊」と読み替えています。
 これは「仏である世尊を見る」ということで、「仏」は次の「釈迦牟尼仏」を表しているものと思われます。韋提希は頭を挙げて仏である世尊、即ち釈迦牟尼仏である世尊を見上げたのだと。そしてその釈迦牟尼仏とは身は紫金色で、となるわけです。その仏である世尊を、韋提希は人間である世尊として見たということですね。

 「『見仏世尊』と言うは、此れ世尊宮中に已に出でて、夫人をして頭を挙げて即ち見せしむることを致すことを明かす。」善導がここで問題にすることは、韋提希が顔を挙げて仏を見ることができたのは、仏自身の力によるのだということです。ただ自分が見上げたから見えたのではなく、世尊が宮中に已に出て、これまでの礼敬の間にわたって力を与え続けて、頭を挙げさせて仏に遇わせたのであると。

 これは何を問題にしているかと言えば、仏は何によって見ることができるかという問題でしょう。仏は、人が見ようと思えばすぐに見ることができるのか。そういうことはあり得ない。
 仏は仏の力によってでしか見ることができない。人間がいくら目を見開いても、見えるものは人間的なものです。それを、自分は仏を見ようと思って見えたものがこれだから、これが仏なのだと主張する。
 ついでに、このように仏を見ることができた自分だから、自分は偉いのだと自慢する。そして、この自分を尊ばない者は信仰心のない者だなどと人を貶める。
 人間は何重にも間違うのです。その元は、自己を知らないところにある。人間は逆立ちしても自らの力で仏を見ることはできないのです。そのことに目覚めなければならない。

 その人間が、仏を真に見ることができる。いったいそれはどうしてなのか。それは仏ご自身が人をしてなさしめるからなのです。
 私たちは仏から二重のはたらきを受け、二重の関わりを持たねばならない。第一は、人は生死海を超えるために、人を超えた仏に遇わねばならないということ。第二は、その仏に遇うという営みを仏がなさしめるということ。
 第一の課題はわかりやすいでしょう。仏に出遇うところに救いがある。しかし、これを達成するために、第二の仏との関わりがなければならないことを人は考えるでしょうか。
 仏に出遇う為に、人は何を考え何をするか。自分の力を最大限に発揮していこうと考える。その最大限の歩みが、自分における最大限の歩みであるがゆえに、必ず仏に遇えるのだと考えるのです。果たしてそうなのか。その根拠はあるのか。

 後に出る「三心釈」の教えの中で善導は、「至誠心」という真実の心を尽くして歩む者の姿を、「身心を苦励して日夜十二時、急に求め頭燃をはらうが如く」すと述べます。
 身も心も自ら鞭打って、昼の十二時間、夜も十二時間、一睡もせずに、頭に燃えついた火を、驚いて猛然たる勢いで消す、そのような勢いで何事をもなし、この大いなる営みをもって浄土に生まれる根拠としようとするのだと。しかし、それは何等の根拠にもならない。そのあわただしい営みの底にある我の心が大騒ぎしただけのことなのだというわけです。
 この営みのところにあるのは、深い如来無視・仏智疑惑の心です。如来を信頼せずに如来の国へ行こうとしている。自らが何者かを知らずに、歩もうとしている。そこには、何らかの歩みをなしたにしても、じつは仏の領域に一歩も近づいていない悲惨な姿があるのです。

 人をして仏に出遇わせるものは、仏自身のお力なのです。そこに深いご恩がある。仮に自分の力で仏に出遇えたとしても、そこには仏への御恩の思いはなく、自らの慢心だけが膨らむでしょう。
 仏への道は一歩たりとも歩めない。これが人間の現実です。内に深く仏への反発の心を懐いているが故に、一歩も進めないのです。なんという存在でしょうか。こういう者を、昔から「罰当たり」と言ってきたのでしょうね。

 仏のお力を頂かねばならない。世尊は威重にして見ることを得るに由無しと言って、仏を避け、堂々と仏弟子を名指しで呼ぶ韋提希。その韋提希の心の最奥にあるいのちの願いに応えるために、釈尊は自ら来たって、韋提希に已にはたらきかけ、頭を挙げさせ、自らに遇わせたのです。
 邪見憍慢の者を救うには、救う者自身が、その者の前にひれ伏さねばならない。寸分の隙間も作らずに、ぴたりと全身を大地につけてひれ伏さねばならない。今がその時なのです。

 私の先生は、随分と仏法を説く旅をなさいました。かなりのハードスケジュールで、そのタフさは、多くの人の驚きでした。しかし、その見方はじつは正しくない。先生が説教の旅をなさったのではなく、私が先生をしてこちらに来させたのです。
 僅かな人数の会座であっても、短い時間の会座であっても、そこに出て聞いてくれる者の為に、先生は、普段から足腰を鍛え、毎日一万歩以上をノルマにして鍛錬なさった。新幹線のホームの階段を上らないといけないからなとにこにこして言われました。
 階段を上る姿をイメージして先生のタフさを賞賛した者は誰か。それは違うのです。そこに視点をおいてはならない。そのように工夫をし、自らを律し、体力を培うのはいったい誰のためなのか。先生が向かう方向の一点に私自身を据えて、そこから先生を見なければならない。先生の歩みは、その向かう一点である私のための歩みであったのです。

 耆闍崛山上の声聞僧達は、なぜお釈迦様が大事な法華経の会座を中断してまで一人のために教えを説きに行かれなければいけないか、その意味が分からなかった。「小智」が邪魔をしたのです。私たちも「小智」ゆえに、人間的理性分別あるがゆえに、仏の行動の意味が分からない。
 今、愁憂する韋提希を真に救うために、仏自身がそこへ行かなくて、他に彼女を救う道がどこにあるのか。釈尊は「威重」でもなんでもない。それは人間的な見方です。釈尊の正体は、「たとい身を諸の苦毒の中におくとも、我が行は精進にして忍びてついに悔いざらん」あなたのためなら伏してどんなことでもするという法蔵菩薩の精神なのです。
 「『見仏世尊』と言うは、此れ世尊宮中に已に出でて、夫人をして頭を挙げて即ち見せしむることを致すことを明かす」善導のこの深い領解には驚かされます。よくぞ領解をしてくださったと、感謝申したい思いです。

 ここまでが、韋提希が世尊に出遇うところです。この次からが、出遇った世尊はどのようなお方なのかが説かれます。ここにもまた深い世界が待っているようです。
 厭苦縁のこのあたり、韋提希の仏への思い、韋提希に向けての仏のはたらきかけ。なかなか重要な場面です。善導の領解も丁寧で深い。もっと先へ進みたいのですが、実際に頂いてみると、その深さにたじたじとしながら。時間だけがあっという間に過ぎた感じです。今回はここまでにさせて頂きます。

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