今よみがえる観無量寿経 第15回 「厭苦縁(2)」
 

るいれつの会(2012年7月16日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)仏を前にして、人間とは何か


韋提希の要請

 厭苦縁(えんくえん)の続きです。前回は、はじめの「時に韋提希、幽閉せられ已りて愁憂憔悴し」のところまで頂きました。善導大師が分けた第一段目です。善導は厭苦縁を少し大きく分けた感じで四段に分けています。
 序分発起序の中、厭苦縁と欣浄縁(ごんじょうえん)は大きく言って「仏と人との出遇い」の場面です。その前半の厭苦縁は、人間とは仏に対してどのような態度を取るものか。また仏とは人間に対してどのように関わるものか。その意味で、人間とは何か、仏とは何か。このことを明らかにするとても大事なところです。概論的なことは前回見ましたので、早速第二段目を見てみたいと思います。

 経文は次のとおりです。
 「遥かに耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に向かい、仏の為に作礼して是の言を()さく。『如来世尊、在昔(むかし)の時、恒に阿難を遣わし来たして我れを慰問したまいき。我れ今愁憂せり。世尊は威重(いじゅう)にして見ることを得るに(よし)無し。願わくは目連と尊者阿難を遣わし、我れと相見(あいまみ)えしめたまえり』と。是の語を作し(おわ)りて悲泣雨涙し、遥かに仏に向かいて礼す。未だ頭を挙げざる(あいだ)に」(東91 西89 島2-3)

 阿闍世によって幽囚の身となった韋提希は愁憂憔悴します。その中から耆闍崛山におられる釈尊へ申し上げるのです。ここで既に幾つかの疑問がわきます。「遥かに耆闍崛山に向かい」とありますが、「遥かに」というのは単に地理上の遠い距離という意味でしょうか。この段の終わりにも「遥かに仏に向かいて礼す」と、ここにも「遥かに」があります。
 牢の中で韋提希は釈尊に向かったのですが、牢の中といえば、なかなか厳しい状況に違いないと思います。身も心も力をなくして愁憂している韋提希に、耆闍崛山の釈尊に向かう心が起こったことはどう考えればいいのか。当然なことなのか。偶然なのか。考え抜いてのことなのか。どのような心なのか。

 釈尊に向けて申し上げたことは何か。それは慰問してほしいということです。それも、釈尊はお徳の高いお方だからご遠慮申し上げて、仏弟子を遣わして慰めてほしいという要請です。仏に慰めてもらいたいと。仏様にお願いをするのに「慰問」すなわち慰めを要請するというのはどうでしょうか。
 息子の阿闍世によってこのような目に遭い、夫の王とはもう会えないかもしれないという時に、しかも仏陀釈尊に向かってお願いすべきことは他にあるに違いない。それはずばり、この逆境を真に受けとめ超える道を示してほしいということ。或いはどんなことが起こっても、大丈夫な自分にしてほしいということでしょう。慰めは一時的なの気分の問題でしかないはず。どうして韋提希は慰問を求めたのか。
 またなぜ釈尊に来ていただいて直接お会いし、教えを受けようとしないのか。それをせずに、釈尊に代わる仏弟子を要請する。それも、目連と尊者阿難の二人をと、なぜ具体的な名を挙げるのか。仏弟子をなぜ具体的に指名するのでしょうか。

 「悲泣雨涙」しますが、その涙はどのような意味を持つのか。これは第三段目に「号泣」という泣き方が出てきますが、これとどう違うのか。そしてもう一度「遥かに」が出るわけです。そして「未だ頭を挙げざる(あいだ)に」で第二段目が切られます。しかしここで終わるにしては文章が途中のように思えます。それでもここで切らざるを得ないところに、どのような意味があるのか。いろいろの疑問が湧いてきます。

 善導の解釈を見ながら、これらの問題も含め、少し考えていきましょう。この第二段は、表現は易しいところですが、仏あるいは仏教に対する人間のあり方が非常に深く掘り下げられて、人間を明らかにする仏教の智慧の眼が光るところです。

意に陳ぶるところあり
 善導はこの段の全体をまず次のように述べます。
 「正しく夫人、禁に因って仏を請し、意に()ぶる所有ることを明かす。此れ夫人既に囚禁に在って自身仏辺に到ることを得るに由なし。唯だ単心のみ有りて、面を耆闍に向かへ、遥かに世尊を礼したてまつりて、願はくは仏の慈悲、弟子が愁憂の意を表知したまへといふことを明かす。」(親全77 聖全482 ノート82 聖教電子化研究会

 全体をこのように押さえますが、さらにその中心は「夫人、禁に因って仏を請し、意に陳ぶる所有ることを明かす」です。阿闍世によって牢に禁じられる身となった。その禁じられたことが因になって仏にお願いをしたというわけです。ではと、すぐに疑問が起こりますね。禁じられていない時は仏に請うことはなかったのか。仏に対しては常に教えを請うべきではないのか、と。

 韋提希は主人の頻婆娑羅王に従って釈尊の教えを聞いていた。しかし、それは韋提希のほうから、しかも自分の真の救いは何かと強く求める聞き方ではなったのですね。
 人間とはおかしなものです。眼前に自分を救う教えを間違いなく説かれるお方がおられても、必ずしもそれを要請しない。依然と自分の世界の中に閉じこもっているわけです。手を伸ばせばそこに救いがあるのに、自己をよしとして自己の中に居座ろうとする。真実とはいかに伝わりにくいものか。

 いやいやこれは人の話ではありません。私自身もまさにそうであって、二十代のはじめにやっと教えに出遇うことができましたが、それまでは、どこでどのような縁があったのか。おそらくかなりのものがあったに違いないのですが、全部私の前を素通りしていきました。私がそうさせたのです。その方々の私を思う悲しみの心も、私は何一つ知りません。山のような尊い呼びかけを全部どぶに捨ててしまったようなものです。もし二十代の出遇いがなければ、生涯「どぶ捨て業」で終わっていたかもしれません。

 しかしと言うべきか、偶々(たまたま)の出遇いを得、よき人を賜って、如来本願の教えましますことに始めて気がついたわけです。ということは、無数のどぶ捨て業が意味を持ったのかもしれません。
 真実の教えだからと言って、一言を聞いて直ちに受け入れるというわけにはいかない。何度も触れ何度も聞いて、やっと聞く耳が僅かにできる。なんというわが心か。ことばでは尽くせないほどに愚かでお粗末で罪深くて。

 しかしこの者に如来真実ははたらき続けられた。相手がどのような者であろうとも、真実ははたらき続け、その者の上に自らの真実を成就しようとする。その絶対の愛、絶対の友情、絶対の意志。本当に有り難うございました、申し訳ありませんと、お礼とお詫びを申さざるを得ません。

 阿闍世によって禁じられるまでは、韋提希は幸せであった。優れた王と可愛い子供に囲まれて、その喜びから来る満足感で、生きることの真の意味は本格的には求められなかったのでしょう。
 その韋提希が、可愛い息子に裏切られる形で牢に閉じ込められ、食べ物を運び入れることが発覚し、愛する王を助けることができなくなる。自らも今後の見通しは立たない。愛を失い、過去を閉じられ、未来は開かれず、自らの命も危うくなって抜け殻のような存在と成り果てた。

 その時に韋提希は、耆闍崛山におられるお釈迦様に向かったのです。そして要請をした。その要請を善導は「意に陳ぶる所有り」と押さえられます。なんだか不気味な表現ですね。「陳ぶる」とはどういうことか。
 「陳」の字は、左の「阝」は神が降りてくる梯子。右の「東」はもと(ふくろ)の形で、神へのお供を陳列するの意です。ですから、降りてくる神のことばとは別の、人間の側の心の中にあるものを外に表わす意ということになります。もちろん、人間の心といってもお供えの気持ちですから、この場合は問題はないわけです。

 しかし、お供えなどとは違って、神の心に反する思いを神に対して表わすとすればどうなるか。善導が問題視するのはこのあたりのように思えます。
 即ち韋提希は、耆闍崛山におられるお釈迦様に要請をしたけれども、その心の中には、釈尊のお心に抗して、自分の思いを優先する意識があり、その意識をもとにして述べた、ということです。具体的にはどういうことでしょうか。

 厭苦縁の全体の構造としては、牢の中で愁憂した韋提希がお釈迦様に救いを求め、お釈迦様が耆闍崛山から現れて韋提希の前に立つ、という内容です。しかし、その大きな構造の柱となる一つひとつが問題となっているわけですね。
 要請といっても、単なる、或いは純なる要請ではない。じつは、「お釈迦様、私には言いたいことがある」という、要請という形を取りながら、自分の考えを主張したいという、仏をもなんとも思わない浅ましく不実な人間的な思いがこの一段の中心となっているようです。

 結局目の前に現れたお釈迦様に対して、「我れ宿(むかし)何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。世尊また何等の因縁ありてか提婆達多と共に眷属(けんぞく)たる」と、怨みをぶちまけるのです。世尊よ、どうして私にこのような悪い子が生まれなければならなかったのかと。
 阿闍世が親を牢に閉じ込めるようなことをした理由を問うのに、「世尊よ」とお釈迦様に向かっていうとは、なんという道理を失した行為か、と思いますね。世尊よ、あなたに責任があるのではありませんかと、言っているわけですから。
 また、阿闍世を(そそのか)して悪事をはたらかせた張本人の提婆と世尊との深い関係をあげて、世尊を逃げられないようにするわけです。

 厭苦縁の最後はこのような強烈な「恨み」と「愚痴」で終わります。要請する韋提希の心の奥には、この怨みがあった。この怨みを解消できずに、愁憂の苦しみの底で悶々として世尊を怨んでいたのです。
 それを今、韋提希を真に救う真実智慧の教えを説かれるお釈迦様に向かって、解消できない恨みの心を愚痴という形でぶちまけた。なんということか。人はなんと愚かで自己中心なのか。

 このとき、愁憂の中で、辛うじて自らを支えているものは、この恨みだけだったのでしょう。仏を謗る怨みの心を自らは正当化している。その上、怨んでいるという事実は日々の凡庸な生活感覚の中で忘れ去っている。救い難い存在ですね。
 その怨みを、これを持つことは恥ずかしいことだとして隠すこともせず、自身のためにはるばるやって来られたお釈迦様に向かってぶちまけるとはどういうことか。愚かなるかな人間。お粗末なるかな人間。救いようのない悲しき人間と言うべきですね。

 この「意に()ぶる所有り」こそ、如来真実を前にした我らの浅ましい姿を一言のもとで表わした表現と言うべきでしょう。何を言っているのだ。静まれ。黙せよ。永遠の沈黙をもって如来本願のお心をひたすら頂戴すべきは誰なのか。そのような根源からのお叱りの前に立たされる思いが致します。


(二)悲しみの底にあるもの

仏に向けての自己主張

 この「夫人、禁に因って仏を請し、意に陳ぶる所有り」という第二段全体像の表現について、善導自身は次のように述べます。
 「此れ夫人既に囚禁に在って自身仏辺に到ることを得るに由なし。唯だ単心のみ有りて、面を耆闍に向かへ、遥かに世尊を礼したてまつりて、願はくは仏の慈悲、弟子が愁憂の意を表知したまへといふことを明かす。」

 閉じ込められて韋提希が思ったのは、第一に、もうこうなっては釈尊のおそばには行けない、ということです。しかし、どうでしょうか。仏と人との関係は、人が仏のところへ物理的に行けなくなったら、もう仏には会えないという関係なのでしょうか。
 人のほうから言えばそうであっても、仏のほうからはどうなのか。仏は人がどんな状況の中にあろうとも、それらを障碍とせずに突き進んでその人の心の奥にまで至ろうとしているのです。
 その仏の姿が韋提希には全く考えられていません。確かに、牢に閉じ込められれば、もう誰にも会えないという思いは起こりやすいでしょう。しかし、他の人と仏とは違うのです。
 閉じ込められて誰にも会えなくなった自分を悲しみ、それで終わってはいけない。悲しみの中で思うからといって、全てが正しいものではないのです。胸を痛烈に裂く悲しみの中にあってなお人は、仏を無視し自己をよしとする。この在り方は変えないのです。驚くべきかな我執の心、ですね。

 今、人が泣いてやって来るとします。身の上を伺うと、本当に大変なこと。なんとかその悲しみを和らげてあげたい。そこで、「それはそれは、お気の毒に」と言うのか。それも場面によってはあるかもしれません。しかしそれだけで終わってはいけないのです。
 「身の上のご事情はさぞかし悲しく大変なことだと思いますが、あなたは、真実の教えを聞かれた上でそのように悲しんでおられるのですか」と尋ねなければいけない。教えに出遇った上で悲しんでいるのか。教えを知らずに悲しんでいるのか。同じ涙でも意味するところが違うはずです。

 教えに出遇い、道を尋ねていく中での涙は、自己という存在をより深く照らす智慧と、如来に背く罪深き自己への懺悔とが一つになって光を放っていることでしょう。一方、教えに出遇わないところでの悲しみの涙は、愚痴と怨みで流れ道に迷うかもわかりません。

 人間の歩みは厳粛です。自己の救いの道に立ち、そこで相手にするのは「真実」です。「悲しみ」や「喜び」などの感情ではない。感情は大事ですが、感情が中心ではない。わが身が真実の教えによって照らされるということが肝心。自己の思いをどこか正当化し主張して自分を保つのではなく、真実なる者の「われに帰れ」の呼びかけを全身をもって身に受けとめることが大事なのです。

 仏に向けてわが思いを主張する自己に果たして真実があるのか。その正体はまさしく虚仮不実。それを主張するところに、あっという間に真実を見失ってしまう。もともととってつけたような真実ですから、自己を主張するその瞬間にどこかへ吹っ飛んでしまっているわけです。

 韋提希が思った第二は、「唯だ単心のみ有りて、面を耆闍に向かへ、遥かに世尊を礼したてまつりて、願はくは仏の慈悲、弟子が愁憂の意を表知したまへといふことを明かす」ということです。
 「単心」とはただ一つのことだけを思う心ですね。韋提希の思いはこのこと一つであったと。「願はくは仏の慈悲、弟子が愁憂の意を表知したまへ」。お願いですから、お釈迦様、あなたの弟子である私の心が愁憂に沈んでいることをお知りください。こういうことですね。私の今の思いを知ってもらいたいのだと。

 自分の思いを知ってもらおうとすれば、相手を敬い自らへりくだって、自分の心を開いて申し述べるわけです。相手に分かるように、自分のほうをできるだけ下に置いてよく見えるようにするわけです。
 しかし韋提希は、知ってもらいたいという愁憂の思いの中に、仏陀としてのお釈迦様の教えを下に敷いて、その上を自分が行きたいという思いがある。「お釈迦様、私には言いたいことがあるのです」という心根を持っている。

 しかも自分を「弟子」と位置づけています。師弟の関係が成立するのは、師がその者を弟子と認めた時でしょう。弟子のほうから、自分は弟子だと言ったからといって、弟子になれるのではない。「仏の慈悲」に向かって「弟子が愁憂の意を表知したまへ」とは、どこか韋提希の上に、諂いというか誤魔化しというものを感じます。
 「しっかり歩まないものですからこのようなことになって、お釈迦様、もう私はあなたの弟子とは言えません。申し訳ありません」となぜ言わないのか。自らを責め仏に詫びる心もないままに、自らを弟子と決め付け、愁憂の心は知ってほしいと請い、しかし、その心からの要請は慰問であり、愁憂の心の底には仏への深い怨みの心が蓄えられている。
 決して自己を捨てないのですね。責任を仏の上に持っていくことによって、落ちることを嫌って最後の岩にしがみついているわけです。以上がこの段の全体に関わる善導の領解です。

私が行かなければ仏に遇えない
 さて、経文に沿って頂いてみましょう。
 「如来世尊、在昔(むかし)の時、(つね)に阿難を遣わし来たして我れを慰問したまいき。我れ今愁憂(しゅうう)せり」
 世尊に要請をする内容の前提となるものですね。「世尊はかつてはいつもお弟子の阿難を遣わして私を慰問してくださっていた。私は今愁憂しているのです」ということですね。
 なるほど、慰問というのは必ずしも韋提希のほうからお願いすると限ったものでもないようですね。世尊のほうから阿難をして慰問せしめていたのだと。さてさて、これはどういうことでしょう。

 善導はこの文には二つの意味があると言います。それは第一が、王が禁じられる前の世尊と自分との関わり具合。第二が、王が禁じられて以降の世尊との関わり。つまり王が禁じられる前後で、世尊と自分との関わり方がどのように変わったかということです。

 「一には父の王いまだ禁ぜられざる時は、或いは王及び我が身親しく仏辺に到りぬべし。或いは如来及び諸の弟子をして親しく王の請を受けしめつべし。然も我れ及び王の身(とも)に囚禁に在りて、因縁断絶し、彼此(こころ)(そむ)けりということを明かす。」(親全77 聖全482 ノート82)

 王が禁じられる前は、いわゆる王舎城の悲劇はまだ起こっていなかったわけで、王も自分も親しく世尊の近くに至ることができた。或いは、世尊やお弟子に対して王の要請を受けさせることができた。ところが、王も自分もこのように囚禁の身となり、世尊や仏弟子との関係が断たれ、お互いの心も通じ合わなくなってしまった。こういうことですね。
 本当にこれは私たちが言いそうなことです。聞いていて、なるほどそうでしょうね、と同意したい内容です。しかし、この中に沢山の問題が(ひそ)んでいるようです。

 まず、仏と自分との出会い方が、自分のほうが行くことによってできていると考えている。即ち仏はじっととどまっていて、そこへこちらから行くのだと。それが自由にできたのだと。ということは、その自由が奪われてしまえば、もう仏には会えないということになる。仏に会えるかどうかは自分の足の運び次第だと。

 そうではないことはおわかりでしょう。仏こそ私たちのところへ来られるお方。如来なのです。実際に、愁憂の韋提希のところに世尊はやって来られる。世尊のほうから世尊の意志で世尊の願いを持ってやって来られるところに、私たちの救われる因があるのです。
 韋提希はそのことがまだ分かっていなかったのですね。ということは世尊という「人」には出会っていたけれども、「如来」には出会っていなかったわけです。

 「私が行かなければ仏には遇えない」。この考え方を超えて、「私がどんな状態であろうとも、仏のほうが来てくださっている」。この考え方に確信を持てるようになることは、聞法する私たちの大きな課題です。
 私の先生がよくお話しておられた譬えがあります。赤ん坊がおしめを汚した。そこで赤ん坊は考えた。こういうことではいけない。赤ん坊は何とか頑張って、汚れたおしめを自分で洗おうとしたのだと。

 何が問題なのか。親がいることをこの子は忘れている。あなたは赤ん坊。おしめを汚していいのだ。それがあなたということなのだ。それを自分で洗濯しようなど、どうして考えるのだ。ということですね。
 自分で考えるということは、ある意味で人間にとって非常に大事な行為です。これがなければ大変なことになる。人間は自らの理性を大いに発揮してものを考え生きていかねばならない。そのとおりです。しかし、その理性の中には、大きな問題がある。致命的な問題があるのです。
 それが親を思わないということ。如来を思わないということです。自分のところに、あなたを必ず救うぞと近づきはたらきかかけてくる如来が在ます。そのことがわかるようなものの考え方をしなければならない。それには理性を超えなければならないのです。それを智慧というのでしょう。

 今、厭苦縁(えんくえん)で、韋提希はお釈迦様に要請をした。その内容や惨憺(さんたん)たるものです。要請はこの後も何度かなされます。そのつど純化というか、仏法の理にかなったものへと質が高められていきます。
 はじめは、仏法そのものを、即ち自分自身を救う教えを、救われるべき自分でありながら要請できないのです。もちろん、何が自分を救うかわからないから迷っているわけですね。

 わからなければどうするか。わからないながらも、人は要請します。要請するには、その相手と内容が問題となる。相手は仏様。諸仏。釈尊であり、よき人、善知識です。しかし、誰がその人であるかは必ずしも分からない。だからこそ、その人のほうが私の前に立たれるのです。人の前に立つのは力がいります。しかし、その力を得たからこそ立てる。得れば得るほど立てるのでしょう。

 ですから、仏法が説かれる場がこの地上に沢山あることが大事になってきます。世界に散らばった人たちが、できるだけ物理的にも精神的にも近い距離に仏法在ます具体的な場に出遇って、そこで教えに触れることが本当に望ましい。
 ですから、仏法を聞いて、有り難うございますと言えるようになった人は、世界に散らばって各人のところで、ささやかでもいいから仏法の場を開くことがとても大事になるのです。釈尊の言われた伝道宣言ですね。釈尊は十人弟子ができたところで、一箇所にとどまらず、伝道の旅に出よと説かれたようです。

 釈尊もまた、釈尊のほうから韋提希の前に現れて、それで韋提希は主人と共なる聞法ができていたわけです。しかし韋提希には、自分が聞きに行ったから、自分が会いに行ったから世尊に会えたのだと思っている。これが人間理性の特徴ですね。
 この韋提希に釈尊は、どうか如来の心が分かってくれないかと願い続けられていたのでしょう。だからこそ、王が禁じられたあとの対応をまた別個に考えられたのです。将来へ繋げなければなりませんから。

二つの慰問
 第二は、頻婆娑羅王が禁じられた後のことです。
 「二には父の王、禁在りてより已来、しばしば世尊、阿難を遣はして来らしめて我れを慰問したもうことを(こうむ)ることを明かす。云何が慰問する。父の王囚禁せらるるを見るを以って、仏、恐らくは夫人の憂悩せんことを。是の因縁を以って(ことさら)に慰問するなり。」

 ここは面白いところですね。また間違いやすいところかもしれません。王が禁じられて、韋提希は大きく動揺します。その中から食べ物を密かに運ぶわけで、動揺に負けず、王を助けるためにやるべきことをやりぬいたわけです。なかなかの女性ですね。
 しかし、その動揺の心、心配の思いは、だからと言って晴れることがない。王の囚禁が韋提希にどれほどの精神的打撃を与えているかを、お釈迦様はよくわかっておられたのです。このままでは「憂悩(うのう)」を深めるであろうと。そこで阿難を遣わせて慰問をさせます。お釈迦様が韋提希のことを思って阿難に慰問をさせたのです。

 つまり、この慰問はお釈迦様のお心から発したものなのです。同じ慰問でも、誰がそれをしようとし、或いは要求しようとしたかを考えなければなりません。お釈迦様に於いて慰問とは、いまだ仏法の何たるかがよく分かっていない韋提希を支え助けるための手立てだったのです。
 王の囚禁という一大事件に遭遇して、これをしっかりと受けとめることができず、おそらく憂悩するであろうと思われたお釈迦様は、何とかこれを防ぎ、やがて仏法を真に受けとめる人になってほしいという大きな慈悲の心をおこされ、そこからの具体的な行為が阿難に慰問させるということだったのです。

 それに対して韋提希の場合はどうか。「王が囚禁の最中、お釈迦様は阿難様を遣わして私を慰問してくださった。辛い状況ながらも、この慰問によって、私は何とか耐えることができた。優しい阿難様を遣わして私の辛い思いを丁寧に聞いてくださり、あの慰問は本当によかった。
 今、私自身が閉じ込められることとなって、深い愁憂の思いに沈んでしまった。今こそ、阿難様や目連というお弟子を遣わしてくださり、前にも増して私を慰問してください。そこに私の安らぎも救いもあるのです。」こういうことでしょう。

 つまり韋提希は軽はずみに受けとめたのです。お釈迦様の慰問は、深い慈悲の心から出た慰問だった。しかし韋提希は、その慰問のところだけを受けとめ、それがどこから出た行為なのか、深い淵源は考えることが無かったのです。
 そして、慰問を自らの個人的人間的な安心の道具として位置づけ、それを、こともあろうにお釈迦様ご本人に要求した。大慈悲的慰問を人間的慰問に引き摺り下ろしてしまったのです。

 人間の煩悩と迷いは、どんなに尊い真実のものをも、人間的五濁の沼に引き摺り下ろすのです。宗教の世俗化の問題ですね。如来本願の勅命である南無阿弥陀仏を個人的欲から出た呪文と受けとめ、真実報土の浄土を自らが描いた理想がそうであると受けとめ、如来の本願他力を他人の力だと受けとめる。自分で引き摺り下ろして仏教の存在を無きものとし、会うべき仏教の本体を失い、そのために自己自身の救いを失っていく。自業自得。自分で自分を苦しめるのです。

 われらの世界、この地上は、遥か見渡す限り、真実を引き摺り下ろして苦しんでいる者がのた打ち回っている世界でしょう。真実を引き摺り下ろして金を求め、真実を引き摺り下ろして支配権力を得ようとする。愚かで浅ましく、自ら神となって誰からも罰せられないものと(うそぶ)いている。
 目を覚まそう。お互い目を覚まさなければならない。自己の愚かさに存分に光を当てられ、真実の前に立たなければならない。そのことを訴えているのが、この韋提希の姿なのです。

 慰問をこのように要請する根拠を、韋提希は自らの状態に置いています。「我れ今愁憂せり」。これがその理由なのです。私は今愁憂している。この発言はどれほどの重みがあるのでしょうか。
 王の囚禁後、韋提希の心の具合を心配されたお釈迦様は、韋提希が憂悩してはいけないと思われた。そのために慰問すべく阿難を遣わしたけれども、やはり憂悩は進んでいったのでしょう。それが引き金となって、韋提希自身が囚禁されることによって、愁憂へ深まったと考えられます。
 愁憂は深い人間感情です。その底なしの闇のような感情の中に、韋提希は自己を見たわけです。しかしそれは韋提希の心の変転の過程で、直ちに見ることができたのではないでしょう。

 感情は自己を包む。包まれた者は、目を覆われたように、何が何だかわからず、動揺し混乱し、やがて沈むでしょう。そして、何らかの方法を見つけてその包囲者を跳ね返そうとする。
 感情の問題ですから、その時にはできた思いもする。しかし、根本的解決ではないので、また覆われ包まれるのです。その度合いは次第に強まっていくでしょう。
 そしてまた跳ね返そうとし、この繰り返しの中から、人は自己の置かれた位置が次第にわかってくる。認めることは辛く苦しいことだけれども、私はもう身も心もどうにもならない愁憂の中に置かれている。今愁憂している。これが私なのだ。悲痛な自己認識がここにはあります。

 しかし、再度しかしです。愁憂の悲痛な自己認識の者だから、その者が発する言葉は真実かと言えばそうではないのです。その悲痛な思いの底になお、自己を正当化し、真に正しき如来のはたらきを無きものとする思いがはっきりとある。この大矛盾を本人はなんとも思わない。
 ここに人間の真実を疑う罪の姿があり、涯のない悲しさがあります。耆闍崛山に救いを請う韋提希の姿。愚かで浅ましく悲しい姿。ここに私の姿が描き出されていると思えてなりません。


(三)釈尊を要請しない韋提希

化主を請う姿勢

 これまでの慰問に対するこのような認識から韋提希は、更なる慰問をお釈迦様に要請します。その内容を経典は次のように説きます。
 「世尊は威重(いじゅう)にして見ることを得るに由無し。願わくは目連と尊者阿難を遣わし、我れと相見えしめたまえり」

 世尊はお徳の高いお方ですから、私のようなものがお会いするわけにはいきません。どうか目連と尊者阿難を遣わせて、お会いさせてください。こういうことですね。この一節もまた、仏を前にすることによって浮き彫りになった人間の姿がよく顕われているところです。なぜお釈迦様ご自身に来ていただかないのか。しかしこれもまた身につまされる教え、韋提希だけのことではありませんね。

 この箇所を善導は次のように受けとめます。まず前置きがあり、次に問答があります。
 「『世尊威重無由得見』と言うは、此れ夫人内に自ら卑謙して、仏弟子に帰尊す。穢質の女身、福因尠薄なり。仏徳威高し。(かるがる)しく触るるに由無し。願はくは目連等を遣はして我がために相見しめたまえということを明かす。」

 まず、なぜ世尊でなく仏弟子を請うたのかということについてです。それは韋提希は内に自らを卑しむ心があって、そのために仏弟子のほうを請うたのだと。
 自分は性格も徳もお粗末なものである。それに対して世尊のお徳はこれ以上のものはない。自分のような者が軽々しく世尊に出会うなどあってはならないことだ。こう考えて、目連などを遣わしてくれるようにお願いをしたのだと。
 囚禁の王に密かに食べ物を運ぶあたりなど,そんなにお粗末な人とは思えませんが、韋提希は、いえ自分はお粗末な者ですと言い張るのでしょうね。世尊在ます耆闍崛山に向かってお願いをしておりながら、なぜ耆闍崛山の主である世尊に直々来てもらおうとしないのか。当然このことが問題として残ります。

 そこで善導はこのことを問答で明らかにするのです。
 「問うて曰く、如来は即ち是れ化主なり。時宜を失わざるべし。夫人何を以って三たび致請を加えずして、乃ち目連等を喚ばう。何の意か有るや。」

 如来世尊は正しく化主である。およそ人の真の救いへのはたらきかけである教化は、この世尊がなさることなのだ。もしお願いをすれば、化主である以上、時機を失することなく必ず直ちにやって来られる。それは間違いがない。
 であるのになぜ韋提希は、三度要請をせずに、目連などのお弟子のほうを呼んだのか。そこにはどのようなことが隠されているのか。こういう問いですね。

 化主にこそ教えは要請すべきである。これが大前提です。だからこそ、何度断られてもそれに増してお願いをして来ていただかねばならないのである。それが教化を受けようとする者のあるべき姿勢であるのだと。韋提希は世尊に三度どころか一度もお願いをしませんでした。
 「三たび致請を加える」とは、『法華経』に三止三請という教えがあります。これはお釈迦様が声聞や縁覚とは格段に違う仏の悟りの境地をなかなか弟子たちに説かれないので、舎利弗が代表となってお釈迦様に何度もお願いをしたことを表わすものです。何度断られてもお願いをする。三度断られても四度お願いするというわけです。化主に対しては、これが弟子の取るべき姿勢なのですね。

 韋提希は釈尊を要請せずに、お弟子を要請します。それも自分で「目連と尊者阿難」と二人の名を挙げて要請するのです。釈尊を要請しない理由を、「仏徳威高し。(かるがる)しく触るるに由無し」と挙げて、その徳の高さを強調します。では要請したい二人の仏弟子の徳はどうなのか。この論で行けば、仏弟子には徳がない。あっても自分と釣り合う程度の徳だということになります。

 仏弟子に徳がないことはない。韋提希と同じということもないでしょう。どこかがおかしい。つまり、お釈迦様の徳をあまりにも高いものとしているところが問題なのです。
 もちろん徳は高い。しかしその高い徳は、何のためかと言えば、人々を救うためのもの。今は、韋提希自身を救うための徳の高さなのです。韋提希はその高き徳を一身に受けとめて救われていくべきなのです。韋提希を救うための徳なのです。

 しかし韋提希にしてみれば、自分を救うためにはたらきかけて来る徳の力は、自分の存在の底で自分を生かし保っている「我」の心を照らし破る力を持っているものでもある。そのはたらきをまともに蒙って「我」が破壊されてはいけない。何としでもこの力の及ばないところに身をおいて、しかし、この勝れた力の余韻だけをもらって楽になりたい。こういうことでしょう。

 真実の光にまともに照らされたくはない。しかし、真実のいいところだけを自分の思いで握りたい。真実を利用する心。仏を利用する心。まさにこの心がある。
 人を真に救う如来真実のはたらきを、救われるべきその人が恣意に握って、うまく行ったぞと閉じられた自分の思いの中でほくそ笑む。厳然たる仏法を引き摺り落とす行為です。そしてまた、真実を前にしてもなお決して救われることのない人間の、愚かにも悲しい行為でもあります。

仏弟子を指名する心
 では、あまたいる仏弟子の中で、なぜ目連と尊者阿難の二人なのか。この二人の選択指名のところには、更におぞましい人間の欲望が潜んでいます。
 目連は神通第一の勝れた仏弟子です。お釈迦様も、舎利弗と目連には半座を分かったと言われるほどの人です。ただ、目連は主人の頻婆娑羅王の親戚であった。親戚ともなれば、勢いそこに通用するのは世間の道理でしょう。王妃である韋提希夫人の地位が最も高くなる。しかしそれはあまり表には出さずに、親戚同士の気安さで、王妃と仏弟子が相対するのです。

 韋提希は目連を呼ぶ。「目連よ。私の苦しみを聞いて」と言えるでしょう。目連もそれに応える。気安さの底に王妃の権力が隠れながらも顔を出しているからです。
 この目連が相手ならば、韋提希は自由に自分の悩みを打ち出せる。自由というのは、すべて打ち出せるというのではなく、目連に慰めてもらいやすいように、目連を誘導する形で自分の思いを調節しながら出すことができるということです。このやり取り自体の中に韋提希は慰めという安らかさを得ようとしたのかもしれません。

 一方、尊者阿難。阿難には「尊者」の称号がついています。目連は呼び捨てです。阿難はその顔姿も美しく、いわば女性の味方だったようです。仏教教団ははじめ男性の出家者である比丘だけで構成されていた。これを見て女性も出家したいと願い出たが、許されない。
 その女性有志の気持ちを代弁して阿難がお釈迦様に申し出て許可され、比丘尼が誕生したと伝えられています。女性のために大いに貢献したのです。容貌も実績も兼ね備えているわけ。阿難に尊者をつけないわけにはいきません。

 尊者阿難に来ていただき、自分の悩みを打ち明け、阿難の優しい心の世界の中で安らぎを得ようとしたのかもしれません。ただ一つ、「尊者」阿難と、阿難を奉っておけばすべてがうまくいきそうなのです。これに対して目連には、「目連よ」と呼び捨てにできるような権威を密かに言動ににじませておけばいい。
 片や(へつら)い、片や傲慢(ごうまん)。この諂いと傲慢の二本のハンドルをうまく操縦して、自己の底の「我」に触れられることなく、この愁憂の気持ちを晴らさせればいいのだと。

 この万全の戦略の中に、お釈迦様が入り込んでくれては困る。苦心も水の泡。何とか操縦できないお釈迦様を避け、操縦しやすい仏弟子に来てもらえないか。
 お釈迦様を避ける理由付けも、この二人に来てもらおうとする指名も、元はと言えば韋提希の根底の「我」の心の指令に基づく、ある意味で真剣な戦略的行為なのではないでしょうか。虚仮不実の行為にいのちをかける、まさに「顛倒(てんどう)せる者=人間」ですね。 

小縁
 次に、この問いに対する答えです。
 「答えて曰く。仏徳尊厳なり。小縁を以って敢えて(たやす)く請ぜず。但だ阿難を見て語を伝えて、往いて世尊に白さんと欲う。仏我が意を知りたまえり。復た阿難をして仏の語を伝えて、我れに指授せしめたまえ。斯の義を以っての故に阿難を見んと願う。」

 釈尊を要請せず、仏弟子を要請した韋提希の思いを善導が表わします。
 「仏徳は甚だ尊厳です。その仏様に、私のようなささやかな事情の者がお呼び立てするなど、とんでもないことです。阿難様をお遣わせくださってお会いできれば、私の思いを申し述べ、それを阿難様はお釈迦様にお伝えくださるものと思います。それでお釈迦様に私の心を知っていただける。
 お釈迦様はこれに応えてお言葉を阿難様に託されるでしょうから、それが阿難様を通して私の元に届き、私は教えを受けることができる。どうかそのようにお願いしたいのです。」こういうことですね。

 韋提希は自分の置かれた状況を「小縁」と言っています。取るに足らないことだというわけです。「お徳尊厳の仏様が出向かれるのは、よほどの大きな因縁のあるところであり、私の今の事情など、何もたいしたことはありません。ですからお釈迦様には来て頂かなくていいのです。」こういうことですね。

 「小縁」じつにいいことばですね。どのようにいいかと言えば、仏に対して私たちは自己紹介をするときに、おそらくこの語を用いると思うのです。仏が問われる。「どうかなさいましたか」。私が答える。「いいえ、なにもありません」。両者の関わり方の縮図のようなものですね。なぜ「大変なのです。仏様助けてください」と言わないのか。
 いや人間というのは、そういう単純な構図のもとでは生きていないのです。万事「我」を中心にして生きる。仏法に触れないところで「我」に生き、仏法に触れようとする時に「我」で生き、仏法を聞きながら「我」で生き、ついに「我」の上に仏法を塗って生きようとする。
 「小縁」とは、仏の前に立つ人間の思いを見事に表わした言葉だと思います。

 この言葉は、私自身、身につまされるものがあります。二十代の頃のこと。私は仏法の会座で毎月の例会的に行なわれるものには、ほとんど欠席することがありませんでした。しかし、その時、一度だけ欠席をしたのです。それは私の身の上にかなり大きな問題が起こり、その衝撃でとても会座には行けなかったからです。
 翌月はいつものように参加しました。その帰り道、先生と駅までご一緒に歩く途中、先生が「何かあったかい」と仰った。即座に私は、「いえ、何もありません」と答えた。何もないどころではなかったのです。そう答えた瞬間、私の身体は火が吹くように熱くなり、なんということを言ったのかと思いました。しかし、訂正する気持ちも起こらない。熱いままに凍ってしまったのです。
 先生はおそらく万事を飲み込んでおられたのだと思います。それに対してその後も何も仰いませんでした。私は見事に「小縁です」と言ったのです。韋提希の気持ちが手に取るように分かる思いがします。

 韋提希は、お釈迦様に全く触れたくないのではありません。直接会いたくないのです。従って仲介者を立てるという方法を取ります。私たちのふだんの場合でも、人にお願いをするときに仲介者を立てるというのは気が重くなるものです。済みませんが、このことをあの方にお願いしてもらえないでしょうか、というわけです。それは仲介者にも迷惑をかけることになるし、先方にも失礼に当たる。できるだけ避けようとします。

 しかしここの韋提希には、どうも避けようとする節が感じられません。好んで仲介者を立てているようです。善導の受けとめの文を見る限り、そこには韋提希の描くシナリオが感じられます。自分→阿難→釈尊→阿難→自分。この流れを韋提希は描ききっています。
 そしてこの流れが韋提希における仏法のすべてなのです。なぜなら、自分の問いにお釈迦様は答えてくださったのですから。必要なことは全部そこに答えられていると考えるのが普通でしょう。

 つまり、韋提希は仏法がどのようにして人間に伝わってくるのかを自分で決めているのです。自分はもちろん問いを出す。苦しみを訴える。それを、親しい仏弟子に伝えてもらってお釈迦様の答えをまた伝えてもらう。これが仏教のやり取りなのだと。その考えから韋提希は動こうとしないのです。仏教とは何かを自分で決める韋提希の姿がここにあります。
 その問題点は、釈尊に直接しないということ。利用しやすいお弟子を介しようとすること。自分の心の事実を打ち明けようとしないこと。仏法を自分の考えで決め付けていること。こういうことが挙げられるでしょう。

 自分が筋道を描けば、そのイメージの外にはみ出るものは、なかなかキャッチできません。眼前に仏法そのものが現れても、韋提希は自分の筋書きをもってこれを見ますから、筋書きに合わせたように仏法が改変されて受けとめられてしまう。それで本人は仏法を聞いたつもりになっているわけです。

 後に「未聞の益」ということばが出ます。釈尊が王宮に現われる姿を見て、天人たちが「未聞の益」を得ることができるに違いないと喜んで待つ場面があります。
 「未聞の益」とは、これまでに聞いたことのない教えを聞くことができるということです。なぜ聞いたことがないのか。これまでは我の心のままで聞いていた。だから聞こえない教えがあったのです。
 我の心が照らし破られていく中で聞こえてくる教えは、これまでに聞いたことのない教えなのです。しかし、自分で筋道を描いているなら、その枠の中に入るものだけしか受けとめられず、「未聞の益」は永遠に得ることはできません。

 これがこのまま私たちの問題点を表わしているのです。「親近善知識」から遠ざかることは親鸞聖人が強く仰る、御恩を無視した姿の代表です。よき人に近づかないということは、それに準ずるような人に利用する形で近づくということになりやすい。
 またわが内なる事実を出さないということ。仏法の内容も聞き方も歩み方も、すべて自分が考え、自分の人間的理性でもって仏法のいのちを失わせ、屍のようになった形だけの仏教に触れていこうとする。すべてわが「我」の戦略によるものです。

 本当に悲しい事実がここにあります。人間というのはいかに真実に背を向け、真実から遠く離れて生きようとするものなのでしょうか。虚仮不実の温床の中、自らいかに空しく苦しくとも、誰から何を言われようとも、この「我」の温かさがなんとも言えない。闇はどこまでも深く、魔の声は無尽に響き合っています。

ますます遠ざかる如来
 次に経文は、「是の語を作し已りて悲泣雨涙し、遥かに仏に向かいて礼す。未だ頭を挙げざる(あいだ)に」です。 
 以上のことを申し上げて、韋提希は涙を流して泣き、遥かな仏に向かって頭を下げ続けたのです。

 「悲泣雨涙」とは何を意味するでしょうか。
 「『悲泣雨涙』と言うは、此れ夫人自ら唯し罪重し。仏の加哀を請うるに、敬を致す(こころ)深くして悲涙目に満てり。但だ霊儀を渇仰するを以って、復た(ますます)遥かに礼し、(こうべ)を叩いて須臾(しゅゆ)跱?(じじょ)(足+余)し、未だ挙げざることを明かす。」

 韋提希は自分の罪の重さを感じ、釈尊に哀れみを求めます。釈尊に対する敬いの心深く、請う目には涙があふれます。このようにして釈尊に向け強く要請するのです。しかし、「復た(ますます)遥かに礼し」。このように釈尊に対して思いを向ければ向けるほど、釈尊は遥かに遠ざかるというのです。これは矛盾ですね。

 なぜ釈尊が遥かな存在となるのか。「遥かに」ということばは、厭苦縁の初めにも出ていました。「遥かに耆闍崛山に向かい、仏の為に作礼して是の言を()さく」と。この冒頭の「遥かに」が、厭苦縁での韋提希の姿を象徴しているのでしょう。それがここにも出る。
 いかに外見は釈尊に強く願っても、その心の奥にはこれと相反する心がある。その心が主導権を持って動いて韋提希を生きさせている限り、釈尊との距離は常に遥かなのです。釈尊の前にあって背を向ければ、その距離は遥かに遠く絶対の長さです。これが人間存在の在り方。「仏を遠ざかること遥かな存在=人間」こういうことですね。

 「(こうべ)を叩いて須臾に()じょし」とは、頭を地に叩きつけて礼拝をし、その場で進むかにみえて進まれずの動きをしたということです。この姿は本願を頂いたすがたではありませんね。
 しかし、もうこれ以上のことはできないのでしょう。人間の側から出すべきものは出し尽くしたのでしょう。出し尽くしてなお結論を得ることができない事実をこの姿が表わしているようです。

 今回は厭苦縁第二段のところをやや詳しく時間をかけて見てみました。仏を前にした人間の姿に容赦なく光が当てられています。次回は、厭苦縁の残りと、できれば次の欣浄縁に進みたいと思います。

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