今よみがえる観無量寿経 第14回 「厭苦縁(1)」
 

るいれつの会(2012年6月18日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)悲劇・出遇い・歩み ― 発起序の展開


第一の内容=悲劇の現実

 今回から発起序三番目の「厭苦縁(えんくえん)」のところに入っていきます。まだまだ序分のところですが、しかし序分の中、禁父縁(ごんぶえん)禁母縁(ごんもえん)が終わったということで、内容が一段階先へ進んでいくことになります。
 さて、翻って序分発起序はどのような展開をしているのか。これまでもその全体像は見てきたところですが、今、発起序の展開の大きな二番目に移るところですので、もう一度、六縁が二縁ずつ三つの内容で展開する、そのメリハリの利いた展開の姿に注目して、概略を見てみましょう。

 まず初め、禁父縁(ごんぶえん)禁母縁(ごんもえん)の二つで一番目の内容を構成しています。悲劇の現実ですね。いわゆる王舎城の悲劇が描かれます。悲劇の事件といいますか、今日私たちがよく使う言葉で言えば、一つの「現実」が起こったということです。
 私たちが仏法に出遇っていくのは、他ならない私たち自身が置かれている現実が、じつはその大きな因縁になることを王舎城の悲劇は示しているのです。普通私たちは、いやな現実は避けたい、忘れたい。そしてそのような現実を超えたところで仏法を、或いは救いを求めようとしがちです。しかしこれは間違いなのです。
 「私の現実が仏法に出遇う因縁となる」ここに正しい道理があり、このメッセージを強烈に発しているのが王舎城の悲劇という「人間の現実」を構成する禁父縁と禁母縁の内容なのです。

 この経典の中で、韋提希という凡夫が仏様に出遇い、教えを聞いていく。これが大きな流れですが、では韋提希にとって、仏様に出遇うきっかけは何だったのか。そこに悲劇の現実があったのです。生きるか死ぬか、愛する家族の間で凄まじく展開する現実があった。しかし、この現実は韋提希を圧しつぶさず、逆に仏に出遇わせたのです。
 人間の根本の無明の愚痴から起こった貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)の、飲み込み焼き尽くすような非情な煩悩によって生み出された情け容赦のない現実。その中にあって生きる意欲と道を見失ったかにみえた者は、そのような現実であるが故に仏は、これを自らが現われる大きな縁として受けとめ、その現実の真っ只中に至り現われるのです。
 まことに事実は小説より奇なり。如来の事実は、人間の思いを遥かに超えている。あの冷厳で涙を呑む悲劇の現実が、驚くことに仏法に出遇わせる確かな因縁であったとは。

 禁父縁と禁母縁で表わす悲劇の現実、その入り口と出口を見てみましょう。発起序第一段階の最初と最後です。このことの確認が大事になるかと思います。最初は提婆の悪計が因となり、悲劇の発端となったのですね。阿闍世がその悪計を信じ、父の頻婆娑羅(びんばしゃら)王を閉じ込めることになった。これが禁父縁です。
 そして、そこからまた一つ展開がありました。それを助けようとした母親をも阿闍世は閉じ込めてしまう。その母の韋提希のほうに焦点が移っていくのですね。禁母縁です。牢に閉じ込められるということが、この現実の中にあってどうしようもなくなる、道を見失うということを象徴的に表しているのだと思います。韋提希が禁じられる。これがこの悲劇の終わりです。こういう展開です。
 この現実の中にあって韋提希はどうすることもできないようになりました、というところで悲劇が終わるのです。ですから、悲劇の事件、悲劇の現実の中には、人をして立ち上がらせない力、マイナスの力といいますか、そういうものがあるわけですね。

第二の内容=仏と人との出遇い
 では、いったい何が彼女を立ち上がらせるのか。このことが次の段階の問題であって、それは仏様である、仏法である、ということになります。この仏法との出遇い、仏と人との最初の出遇い、これを表わすのが次の段階。それが「厭苦縁(えんくえん)」と「欣浄縁(ごんじょうえん)」です。この二つで一つの内容を構成しているわけですね。「仏と人との出遇い」が第二のテーマであると言えるでしょう。
 ここを今から見ていこうということなのですが、この「厭苦縁」と「欣浄縁」による一まとまりのところも、同じように初めと終わりがあります。そこを簡単に確認してみましょう。初めはこの言葉です。「時に韋提希(いだいけ)、幽閉せられ(おわ)りて愁憂(しゅうう)憔悴(しょうすい)し」。(東91 西89 島2-3)
 この「愁憂憔悴」。それに続いて「遥かに耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に向かい、仏の為に作礼(さらい)して、是の言を()さく」とあって、耆闍崛山におられるお釈迦様にお願いをした。このことが最初です。

 「愁憂」する。「愁憂」とは、道を見失った状態ですね。それまでは何らかの形で自分がとる道があった。自分の中に「この道を行こう」という方向があったのです。もちろんいろんな道ではありました。しかし、どの道も閉ざされたのです。窮地(きゅうち)に陥ると悪知恵まで出して、何とかその状態を脱しようとしますが、それさえできなくなった。
 ある意味で、全部ご破算に返された。それは衝撃的なことですが、「では、本当の私の道は何なのか」という原点・出発点に返らされたという意味もあるでしょう。行き詰まりが、ただ沈んで終わるだけでなく、これまでとは違う道を開くチャンスにもなりうるのです。韋提希は「愁憂」に陥った。本当に道に行き詰った。もうどうしようもないと。この思いは韋提希にとって初めての思いなのです。

 初めてのこの思いが、韋提希に何を意味するのか。この思いをきっかけにしてどのように展開するのか。それは一応二通り考えられます。一つはここで沈んでしまう。もう一つは、このことが仏に出遇う縁となる。
 この二つがありうるけれども、本当の展開は、この現実が仏に出遇う縁となって、仏法を聞いていく韋提希が誕生するのだということを仏教は説くのです。このまま沈んで終わってしまうことは理論的にはありえても、それをなさしめず、仏法のほうに、救いのほうにむけてはたらきかけるのが仏法であり、その仏法が厳然として存在するのだと。

 韋提希は「愁憂憔悴」し、思いを仏のほうへ向けます。耆闍崛山のお釈迦様に「助けてください」と。この思いが起こるのも初めてだったのでしょう。今までは自分の考えで何とか道を見出していけた。しかしそれさえできないようになった。自分が置かれた事実を受けとめ、歩んでいける自分として今あるのかどうか、そこは正直なところがあるのですね。
 韋提希は「もう私は歩めない」と。そこまできて、その思いがまさに自分自身の正直な思いであったがゆえに、「助けてください」と仏に対する要請がでた。そこが一つの大事な転回点ですね。

 「助けてください」の要請を受けて、お釈迦様がやってこられます。しかしそこはなかなか簡単には事態が進まない。「助けてあげよう」「ありがとうございます」というように簡単には進まないのです。助けに来てくれたお釈迦様を、逆に(ののし)るというのが韋提希の態度だったわけです。そういうかたちで、「仏に出遇おうとする人間とは一体どのような存在か」とい問題が、厭苦縁の一段で凝縮して表されているようです。

 そのような描写になるのが自然かもしれません。人と人が今から出遇おうとする場面を描くときに、ただ何日の何時に出会いましただけではおもしろくない。出遇(であ)うこちら側の人間はどんな人間か、そちらの側はどんな人間かと、少し時間を止めて両者のポイントを簡単にでも描き出し、そして出遇わせる。そうすると、出遇いの場面で飛ぶ火花がよく分かるわけです。こういう描写の仕方がよくなされます。
 お釈迦様を罵るのがじつは人間存在であることをまず最初に表します。意外な事実です。その人間存在を救うために現れたのがお釈迦様なのだということですね。だから、韋提希から罵られてもお釈迦様は引き揚げないのです。「罵るお前のために俺は来たのだ」ということですね。人間とは何かの前提が違うのです。そこに仏とは何かが如実に表わされていくのです。

 そのお釈迦様を前にして、韋提希はどう変わるのか。それが次の「欣浄縁」に続いていきます。お釈迦様の言葉より存在そのものから影響を受けて、韋提希の思いが愚痴から願いへと次第に変わっていきます。そして「願わくは仏日、我を教えて清浄業処を観ぜしめたまえ」(東93 西90 島2-4)という言葉を発するまでになるのです。「太陽のような大きなお釈迦様よ。私に、清浄な行為によってできている世界を見せてください。私はそこへ行きます」と。
 その要請を受けて、お釈迦様はいわゆる「光台現国」の教えを説かれます。光の台の中にたくさんの諸仏の国を現したのです。現された諸仏の国を見て、韋提希の上には、そのような諸仏の国を生み出した根源である阿弥陀の世界に、自分もまた生まれたいという願いが起こるのです。
 そして「我、今、極楽世界の阿弥陀仏の(みもと)に生まれんと(ねが)う。唯、願わくは世尊、我に思惟を教え、我に正受を教えたまえ」(東93 西91 島2-5)とお釈迦様に申し上げる。韋提希の全体を挙げての人生の方向が決まるのです。そして、その方向へ向かって歩みを始めようとします。そのために、浄土への「思惟と正受を教えてほしい」と請うのです。

 ここまでが大きな二番目の段階です。この一段にはかなりの進展というか変化があります。現実の中でどうしようもないと言っていた者が、人生を挙げての真の方向を見つけて、具体的一歩を踏み出そうとする。そこまでやってきたのですね。これが 「仏と人との出遇い」をテーマとする第二段階です。

第三の内容=歩みの方法
 最後にもう一つ第三段階がありまして、それが次の「散善顕行縁」と「定善示観縁」です。この二つで構成された一つの内容です。
 ここは名前の付け方が他と随分違いますね。そこが大事なところなのです。第一段階の「禁父縁」「禁母縁」は、阿闍世にとっての父と母が前面に出て、現実の出来事が繰り広げられるのです。本当にこれは生々しい現実です。
 第二段階の「厭苦縁」「欣浄縁」は、その現実の中で苦しむ韋提希の前に仏が現れ、韋提希に心の変化がおこります。「苦しみ」から「浄土」を求めるというように変わっていくのです。

 第三段階の「散善顕行縁」「定善示観縁」は、浄土へ生まれるための方法を請うた韋提希の、その方法についての検討がなされるのです。これが序分の最後の内容です。方法論の検討が曖昧ですと、浄土を願う思いはいくらあっても、実際に歩むことができないで終わってしまう。間違った方法論に立とうとしていないか。これがじつは大きな問題なのです。そういうわけで「浄土へ歩む方法の検討」、これがテーマになっています。

 この第三段階も、同じように、最初の時点と結論となる最終時点の内容が大事なポイントです。最初は、欣浄縁の最後のところで韋提希が浄土を願い、歩み方を問うたことを受けてのお釈迦様の対応が説かれます。
 ここにはおもしろい展開があります。「我、今、極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれんと楽う」と表明し、なぜその次に「唯、願わくは世尊、我に思惟を教え、我に正受を教えたまえ」と要請するのか。その要請の仕方は、浄土に生まれる方法は思惟と正受であることを、そこに生まれてもいない韋提希自身が既に決め、その具体的あり方をお釈迦様に請うているという形なのです。
 浄土に生まれる方法が生まれていない者になぜわかるのか。韋提希に於いては、それは思惟と正受に違いないというのは当然のことなのです。ここに人間存在とは何であるかが露わになっているのです。浄土に生まれる方法を決めることができるのは浄土から来たった仏だけなのです。それを韋提希が決めている。なんということでしょうか。

 「思惟と正受を教えてほしい」とは韋提希の我の心が言わしめているのです。浄土について考える「思惟」によって浄土にうまれる「正受」にいたるわけで、「思惟」が方法です。その「思惟」を韋提希は「自分でできる」という思いがある。「私には浄土まで行ける力があります」ということをお釈迦様に向けて自慢したいのです。しかし、それは思っているだけで、思いはあっても力はない。そのことに気づいていないのです。

 「韋提希」という名前の元はVaidehiで、意味は「思惟」なのです。『観経』の主人公の名前は「思惟」。ここに『観経』作者の深い心が伺えます。韋提希が「思惟」であるということは、我々が「思惟」であるということです。「思惟」はまた私たちの名前でもあるのです。たとえ仏様を眼前に置いてもなお、「自分には考える力があり、これで推し進めていきます」と言い放つのが私たち。仏様に対して自分のプライドを主張する。

 人間は考える生き物であり、いかに考えるかが人間を規定する一番の根本であると、まずこのことを大前提とします。これに加えて、その考えることを正しく力強く推し進めることが自分にはできると思う。
 ではその「考えること」をどのくらいの位置にあるものとみなしているかと言えば、仏様に対しては、そのもとで考えるのでなく、仏様を凌駕(りょうが)して、自分の考えが一番なのだというところに位置づけている。ここに人間の邪見憍慢があり、愚痴迷妄があるのです。

 人が自分を平安に保つことができるのは、心の奥に「自分で正しくできる」という思いがあるからです。その思いを「定散心」「定散自力の心」と言います。しかし、それは思いだけであって、実際にはその力はない。真実は人間の中にはないのです。
 しかもそのことに気づいていない。そのことを気づかせようと来られた仏様に対してでさえ、自己を主張する。なんということか。人間の不実迷妄のありさまは、まさしく言語を絶するものです。なんと傲慢(ごうまん)で愚かで悲しく救いようのない存在であることか。

 こういうところで「欣浄縁」は終わったのです。ですから、これ以降の韋提希は、「私にはできる」という深い自負心をもってお釈迦様から教えを聞くことになります。そのあたりの問題点の特徴を際立たせて表わせば、「私にはできるから、そのやり方をあなた説いてみなさい」といってお釈迦様に説かせるのです。
 教えをひれ伏して頂戴するのではない。仏に説かせ、いいものがあれば、こちらがそれを採用するという形です。まさしく主客転倒ですね。殿様が家臣に「説いてみよ」という。これを私たちは仏様に向けて言っている。そのような根源的顛倒(てんどう)とでも言うべきものが人間にはあるのです。

 韋提希だけではありません。私たちも同じです。「私のこの苦しい問題が解けるというのなら、言ってみなさい、聞いてあげるから」という気持ちで仏法を聞いているのではないか。このあり方はなかなか自覚できないことですが、それほど深く隠れて自己を肯定し、仏を否定し利用しようとしているのでしょう。「聞いてあげよう」。そういう驕慢(きょうまん)な思いで仏法に相対していく。人はここからやっていく。この姿勢が最初にあり、根本にあるのです。

 そのような思いが韋提希にあることの直接的な表記は『観経』にはありません。しかし、その思いがあるからこそお釈迦様はこのように対応されたというところははっきりと説かれます。それでわかるのです。
 その文は、「爾時(そのとき)、世尊、韋提希に告げたまわく。汝、今、知るや否や。阿弥陀仏、此処を去ること遠からず」(東94 西91 島2-5)
 さらに二行ほどあとに「我、今、汝が為に広く衆譬(しゅひ)を説き」と。お釈迦様が、いま韋提希のために、「広く衆譬を説き」とありますが「衆譬を説こう」ということですね。

 「衆譬」はもろもろの譬え。浄土を表すもろもろの譬えです。譬えをもって浄土を教えよう。観ぜしめよう。これが結局、正宗分の定善観十三観の教えを説くということになります。「いまから正宗分を説こう」というのです。その時点ではお釈迦様はそのように思われたのです。

 ところが、その先に、「彼の国に生ぜんと欲せん者は、当に三福(さんぷく)を修すべし。一つには父母に孝養し…」とあります。「衆譬を説こう」と言ったけれども、ここでお釈迦様は、「いやいや、自分が今説いても、この教えを受けとめる韋提希の心の底は定散心だ。このままでは正しく受けとめてもらえない」と判断なさったのです。
 自分にはできるという思いで教えを受けとめる。本当はできないのです。教えは、それを聞いて自分にはできないという事実のところで受けとめることにならなければ、意味を持たないのです。できない自己を知らせる教えですから。それが、できると思うのでは、仏法を聞いたことにならない。

 これでは教えが響かないことをお釈迦様はお気づきになって、説くことはしばらく保留されます。そして韋提希に、定散心の自己であることに少しでも気づいてもらおうとするのです。定散自力の心の自己であることに目覚める、これを「凡夫の自覚」というのです。韋提希に、凡夫の自覚を持ってもらう。これが先決問題だというわけで「三福の行」の教えを説かれるのです。

 「三福の行」というのは福を得る三種の行為です。世間的な善意で行って得るところの福が世福。仏の定めた戒律を守ることによって得る戒福。そして、真の救いを願って大乗の行をおこなって得る行福。全体として、私たちが行うありとあらゆる善の行為であり、それによって得る福を指しています。
 善の行為というのは、当然具体的な行為です。するかしないか。できるかできないか。これらがはっきりわかるものです。ここが善の「行」を出すポイントでしょうね。これを韋提希に示して、さてできるかどうか。
 この教えを前にして、韋提希は初めて「自分はできない存在であった。凡夫であった。心想羸劣(るいれつ)の自分であった」という思いを持ち始めるのです。そういう展開がここでなされます。この散善顕行縁は、『観経』の全体構造を暗示する大変大事な一章です。人間とは何か。その自己自身の真の姿にどうすれば目覚めるか。このことが人間を救う教えの全体構造を決めるのです。

 定散心で聞こうという者が誕生したのが欣浄縁。その者に三福の教えが示されるのが散善顕行縁。その結論が定善示観縁における凡夫の自覚と正しい方法を認識するということです。「仏、韋提希に告げたまわく。『汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして、未だ天眼を得ざれば、遠く見ること能わず。諸仏如来に異の方便あり。汝をして見ることを得しむ』」(東95 西93 島2-6)と。このことが韋提希に明らかになるのです。
 「教えを聞くとは、こういうことだったんですか」と韋提希は心の中で叫んだでしょうね。「私は凡夫であった。心想羸劣であった。浄土へ行ける強い力を持った自分であると思っていたが、まったくそうではなかった。羸劣、弱く劣った者であった。強い力など思いだけであって、事実はまことにお粗末な自分であった」ということを知っていくのです。

 弱く劣った力で浄土へ至るとことはできない。では何によってできるのか。それは「諸仏如来の異の方便」によるのですね。仏様のほうに「異の方便」。「異」は特異、特別。あなたのため、あなたにぴたりと合った教え。
 と言っても「人それぞれの道」というよりも、あなたという人間存在のための教え。人はみんな同じですから、人間存在のためのもの。「あなたのための、あなたにぴったりと合った、具体的な教えがあるのです」ということですね。それを説くことができるのは諸仏だけ。その教えを聞いていくことによって初めて浄土に生まれることができる。それがこれから正宗分で説かれる定善観の教えなのです。

 この道理が韋提希にわかる。それと合わせて、「時に韋提希、仏にもうしてもうさく」。今度は韋提希が逆に申し上げるには、「世尊よ、我がごときは今、仏力をもっての故に彼の国土を見たてまつる」と。自分の力をもってでなく仏力をもって浄土に至るという道理を踏まえているわけですね。
 その上で、「もし仏滅後の衆生らは」と、未来の衆生のために教えを説いてほしいとお釈迦様に要請する。これに応えてお釈迦様は「汝及び衆生」よと、韋提希と未来の衆生に向けて教えを説き始められる。そこから正宗分の教えが説き始められるのです。


(二)序分のテーマは私の課題

現実を仏法の縁として受けとめることができるか

 このように、序分の発起序は大きく三つの内容があり、三段階で局面がガラリ、ガラリと変わっていくのです。その三つがそれぞれ二つずつの内容を持ち、前半から後半へと内容が展開している。とてもよくできた構造です。定規で測ったような展開ですね。

 発起序の全体を表わしてみますと、

 発起序(六縁)
 Ⅰ 悲劇の現実(悲劇の現実は仏法の縁という意味を持つ)
 (1) 禁父縁(悲劇を起こす提婆と阿闍世)
 (2) 禁母縁(悲劇に狂う阿闍世と蒙る韋提希)
 Ⅱ 仏と人との出遇い(真実なる者と不実なる者との出遇いと出発)
 (3) 厭苦縁(道を見失い、仏を怨む人間)
 (4) 欣浄縁(仏によって真実への道を歩みだす)
 Ⅲ 浄土への歩み方(自己を照らされ、仏力によって浄土へ至ることの確認)
 (5) 散善顕行縁(自分の持つ力のお粗末さを知らされる)
 (6) 定善示観縁(仏力によって浄土へ至ることを知らされる)

 そこで、改めて六縁全体の最初と最後を見てみます。どれだけの進展があったかがよくわかるでしょう。最初は提婆が自らの野心のために悪計をはかり、阿闍世を(そそのか)した。ここから始まります。悪意と悪行が満ち溢れる惨憺(さんたん)たる現実の姿が描かれます。
 そこから次第に展開し、さらに展開して、その悲劇の事件に巻き込まれた一人が、仏力を頂いて浄土に生まれていく、その歩みを始めることになる。発起序の初めと終わりとでは、これだけの差というか展開があるのです。これ以上の展開は望めないと言えるほどです。
 
 悲劇を縁にして遂に浄土への出発。これだけの大きな進展と展開をする発起序は大きく三つの内容で説かれていると申しましたが、この三つが同時に、私たちが抱える求道上の三つの問題点を表わしているのではないかと思います。

 第一段階の「悲劇の現実」は、悲劇的な現実を、私は仏法の縁として受けとめることができるだろうか。受けとめているだろうか。こういう問題を提起していると言えるでしょう。人が生きるとは、様々な現実の中に身をおいて生きることです。もしその場が、自分が人から群を抜いてよきものとして称讃を受けるような場であれば、どんなことをしてでもその状況を握り続けようとするでしょう。この現実よ、永遠に去るな、というわけです。
 一方、逆に自分が評判を落とされ、人々のさげすむ眼で覆われた現実の中にあるとき、身の置き所をなくして、早くこの現実よ去れ、となるでしょう。

 要するに、どちらの場合でも、自らの現実に対応したのは私の煩悩であったわけです。そこには極めて明快な構図があります。私にとって善いものは貪り、悪いものは滅ぼす。貪欲と瞋恚です。根本煩悩と言われるものです。
 この貪欲と瞋恚に狂ったのが阿闍世です。阿闍世における煩悩の発動によって王舎城の悲劇は繰り広げられています。私たちもまた、現実に処するに、ただ煩悩によってのみ判断し行動するのか。どうでしょうか。

 いやいや、そう改まって問わなくても、ことが起これば、直ちに煩悩が動き出します。「煩悩具足」とは至言ですね。煩悩が具わり足りている。不足がない。目の前になにかことが起こったのに、それに対して煩悩を起こすのを忘れていた、ということはないのです。必ず煩悩は起こる。たいしたものです。見事なものですね。
 最近元気がありません、と言ったあとで、いやいや煩悩だけは元気ですと訂正しなければいけない。それではあなたは元気なのですね、起こすのは煩悩ばかりですからと、こうなってしまいますね。

 煩悩は具足しているものです。これを具足しないものへ変えようとしてはいけません。変えたところに救いがあるのではない。いかに具足しているかを様々な現実の中で知らせて頂くのです。煩悩は本来具足しているものですが、その具足感が私たちにはない。一から十まで煩悩の私ですとならない。七までは煩悩だけど、残りの三のいいところを今拡大しようとしているところです、といった感じでしょう。

 煩悩が具足している自己であることを知らされていく。言い換えれば、現実に敗れるということが大事です。煩悩を克服できるという思いが、煩悩が消えないという現実に敗れるのです。負けるのです。
 しかし、負けたから、そこに勝ちがあるぞと、その勝ちを確かめようとするのでもありません。負け続けるのです。縁にふれ折にふれて念仏し、申し訳ない私です南無阿弥陀仏と、念仏申してわが悲惨なる現実に負け続けるのです。
 負けて勝てよといって頭を上げるのではない。負けて負けよ。生涯負け続ける。「念々称名常懺悔」なのです。ここに人間本来の姿があるでしょう。わが現実を無視し、如来真実を無視してのっそりと頭を上げるとき、そこには果てしなき後悔の大地が広がっています。

 現実の岸壁の彼方から、如来の真実の呼びかけが聞こえてくる。現実は私たちにとって「宝」なのです。よき現実を煩悩で貪り、悪しき現実を嫌って避け、眼前の現実に真正面から対峙しないとき、人は現実を失うのでなく、自己を失うのです。
 如来の呼びかけは現実から発せられる。その現実を誤魔化せば、如来の呼びかけは失われてしまうのです。如来の呼びかけを聞かずに、人はどうして救われて真の人となっていくことができるでしょうか。
 現実は私たちにこう言っているのではないでしょうか。「俺は、しばらくあんたを苦しめるけれども、これが本音じゃないんだ。本当は仏法に出遇ってもらいたいために、あんたを苦しめるんだよ。最初のうちは、それがあんたにはわからずに、愁憂憔悴して、あんたは泣くかもしれんけど、そのくらいのことは我慢してくれよ」と。

よき人をいただくことができるか
 第二段階が示す求道上の課題は、よき人として現れたお方から、仏法を聞くことができるようになるということです。厭苦縁で韋提希はお釈迦様を、自らを苦しめ道を失わせた張本人だとして罵ります。悲惨な姿です。お釈迦様は真実涅槃の世界から韋提希を救うために現れたお方。しかし韋提希にはお釈迦様のこの正体がわからない。まごころが見えないのです。
 人は、自己をこの世の中心とし最もよきものとして、他に対して君臨します。相手が仏陀世尊であっても、それは同じです。そこに展開する論理は、自己を中心なるものとして開かれる論理だけです。

 もしお釈迦様が韋提希にひれ伏せば、韋提希は満足するでしょう。もちろん、満足したのは煩悩だけですが。自らを救うために現れたお方の正体が、韋提希の目には全く見えない。悲しくも愚かで恐ろしき人間の心が厭苦縁で確認されています。

 この韋提希が、眼前の者を仏陀として受けとめることができるには、何がどうならなければならないのか。これを説くのが欣浄縁です。鍵は何なのか。それは「真実」です。真実が韋提希にはたらく。人は本来、真実に照らされて、真実に向かって生きていく存在なのです。
 どんなに背を向けようとも、それは真実に背を向けたのであって、真実と無縁に生きることはできない。背を向けたことが彼の事実となって、その事実は彼に「次はどうするのか」を問うのです。

 真実は、初めは韋提希のそばにいて沈黙を守るお釈迦様の「存在」の上にはたらきます。存在がものを言うのです。その「もの」は何か。韋提希はお釈迦様の存在から何を受けとめたのか。真実なるもののはたらきを受けとめたのです。人としての本来の方向に立ったのです。
 真実はまた、次にはお釈迦様の教えの中から現れます。光台現国の教えです。沢山の諸仏の世界を現わされ、それを見て、そこに真実来たって、韋提希をして真実の世界を選ばしめるのです。私たちの現実の底に、歩みの底に、如来真実まします。
 発起序は六縁を説く前に化前序を説きました。すべての根底に如来真実の本願のはたらきましまし、その上で人間の現実が繰り広げられ、聞法求道の歩みが展開されていくのだと。その化前序の本願のはたらきが、ここで大きく顔を出し、韋提希に阿弥陀の浄土を選ばせるのです。

 第二段階の課題を解く鍵は、如来真実の力を頂くということです。そのためには、その力を既に頂いて生きているよき人に遇わねばならない。その人の上に、如来真実の力は踊っているのです。その事実に触れなければなりません。観念ではわからない。読書だけでは分からないのです。
 具体的な人に出遇う。如来を証明される人に出遇う。「如来まします。ありがとうございます。南無阿弥陀仏」と言って毎日を生きている人に出遇う。このことがいかに大切なことか。その人の上に、その人をも動かし、私をも動かす如来真実の力がある。遂にこの力に動かされていくのです。

自己をよしとする心をどこまで照らされるか
 第三段階が示す求道上の課題は、自己を照らされて凡夫であることを知らされ、自己の力ではなく仏力によって浄土へ至ることができることを確認することです。私たちは今のままで、ただ教えを聞けば救われるのではありません。教えは、今の私の問題点を深く照らし出すのです。
 今の私が教えを聞いて行きさえすれば救われると思うのは、言葉では表れないけれども、即ち意識には上らないけれども、私自身の持ち前の力によって浄土まで行けると思っているのです。そこに、自己をよしとする、即ち自己に真実ありとする定散自力の心があります。この心が問題なのです。この心を如来真実の光によって照らし出されなければならないのです。

 しかし、この心の根っこには「我」の心がありますから、簡単には照らされません。そもそもはじめはこのような心はないと思っているのが普通でしょう。
 ですから、欣浄縁の最後で、韋提希が阿弥陀の浄土に生まれる方法として「思惟」を自ら挙げ、その具体的な行い方をお釈迦様に尋ねたのだから、あとは教えを聞いて思惟を行っていけばそれでいいではないかと考えてしまいやすいのです。ところがその「思惟」に問題がある。真実の教えを受けとめない思惟なのです。

 経文もその論理で展開されているようです。それが前述のように散善顕行縁におけるお釈迦様のお考えが変わるところです。韋提希に説こうと思ったけれども、韋提希の側にまだ教えを正しく受けとめる準備ができていないことに気づいて、そこで三福の行の教えを説いたのだと。韋提希に自らの「思惟」が根本的にもつ問題点に気づいてほしかったのです。

 発起序の第三段階は、私の印象として、どこか分かりにくく縁遠い箇所に思えます。第一段階の悲劇はよく分かる気がする。第二段階の仏との出遇いも、ある程度分かる。しかし、第三段階になると、名前からして散善顕行縁や定善示観縁であり、内容も、何か一歩踏み込んだ感じで、少しついていけないという感じがします。皆さんはいかがでしょうか。

 この「分かりにくく縁遠く」思わせているものこそ、私の「我」の心ではないかと私は思っています。序分の三つの内容は、段階が進むにつれ、仏との出遇いが近くなっているわけです。それは私の「我」の心からすれば、ありがたくない話で、何とか仏から逃げようとします。
 その方法として、この第三段階の内容、即ち、自己自身の真の姿を照らされ知らされていく内容など、分かりにくいものであり縁遠いものだから、あまり深刻に思わずに適当にしていたほうがいいのだよと、私の「我」の心が私の意識に思わせているのではないかと、私は思っています。「我の戦略」です。
 この「我の戦略」に負けてはいけません。騙すのは提婆だけでなく、私の「我」自体が私を騙そうとしているのです。ですからここはしっかりと押さえなければならないところです。あと数ヶ月すれば、この散善顕行縁と定善示観縁の第三段階に進むことになります。そこでじっくりと読んでいきましょう。

 これで序分が終わり、次は正宗分となります。どんどんと教えを聞き、自己を照らされ、いよいよ深められ、浄土に生まれ、阿弥陀に出遇う。これが正宗分です。これに先立つ序分の発起序は、その名のとおり、正宗分の教えを真に発起させるための、人間の側の進展と展開が、大事な問題点を押さえて、とてもよく整理されて説かれているように思います。
 まだまだ我々はその三分の一が終わったところです。残りの範囲の全貌は今概略したようなことですが、これからもうしばらく時間をかけて少し丁寧に読んでみたいと思っています。


(三)厭苦縁

如来としてのお釈迦様と、それを謗る韋提希

 では、発起序の三番目、「厭苦縁」に進みます。
 はじめに、経文の前半を読んでみましょう。
 「時に韋提希、幽閉せられ(おわ)りて愁憂憔悴し、遥かに耆闍崛山に向ひ仏の為に作禮して是の言を作さく。『如来世尊、在昔(むかし)の時、(つね)に阿難を遣はし来して我を慰問したまひき。我今愁憂せり。世尊は威重にして見ることを得るに由無し。願はくは目連と尊者阿難を(つかわ)し我と相(まみ)えしめたまへ』と。
 是の語を作し巳りて悲泣雨涙し遥に仏に向ひて禮す。未だ頭を擧げざる頃(あいだ)に爾時、世尊耆闍崛山に在し、韋提希の心の所念を知り、即ち大目建連及び阿難に勅し空よりして来らしめ、仏、耆闍崛山より没し王宮に於て出でたまふ。」 (東91 西89 島2-3)

 阿闍世によって幽閉された韋提希は愁憂憔悴します。なす術もなく、生きる道を見失ってしまったのです。そこで韋提希は、遥か耆闍崛山にましますお釈迦様に向かって礼をなし、助けを請うのです。お釈迦様に救いを要請するわけですね。
 韋提希は幽閉の中で、なぜお釈迦様に救いを求めたのか。お釈迦様に向けて心開かせたのは何か。ここに一つ大事な問題がありそうです。

 その要請の言葉は、じつは意外なものでした。もっとも本人にとってはこれが自然なのですが。「お釈迦様はこれまで阿難を遣わして私を慰めてくださいました。私は今愁憂しています。なんとか助けてほしいのです。しかし、お釈迦様はお徳の高いお方でありますから、今の私のためにお出ましいただく理由などありません。その代わりに、お弟子の目連と尊者阿難様を私に遣わして会わせて頂きたいと存じます。」このような要請なのです。
 この要請のどこが「意外」なのか。それは、お釈迦様ご本人に来て頂こうとしなかったことです。どうしてお釈迦様を避けたのか。さらに、要請の具体的内容は「慰問」と表わされています。いわゆる慰めですね。お釈迦様に向けて慰めを要請するというのはどういうことなのか。このあたりがまた問題のようです。

 このようにお願いし、涙を流し、頭を下げ続けます。お釈迦様は耆闍崛山におられ、韋提希のこの要請をお聞きになる。韋提希の心の奥にどのような思いがあるのかをお知りになって、その心の奥の要請に応えようと耆闍崛山を発ち、王宮の韋提希のもとへ行かれるのです。その時、韋提希が要請した目連と阿難には空から行かせ、自らは地に没して行かれます。
 韋提希の心の奥にどのような思いがあったのか。それに応えようとするお釈迦様のお考えはどうなのか。なぜ要請された仏弟子だけを派遣せず、自らも、それも地に没してという形で行かれたのか。ここにも、尋ねるべき問題があるように思えます。

 次に後半を読んでみます。
 「時に韋提希禮し巳りて頭を擧ぐるに、世尊釈迦牟尼仏を見たてまつる。身は紫金色にして百寳蓮華に坐したまえり。目連左に()し阿難右に在り。釈梵護世の諸天虚空の中に在りて普く天華を(あめふ)らし持用(もち)て供養す。
 時に韋提希、仏世尊を見たてまつり、自ら瓔珞を絶ち擧身(こしん)投地し、號泣して仏に向ひ白して言さく。「世尊、我宿(むかし)何の罪ありてか此の悪子を生ぜる。世尊、復何等の因縁有りてか提婆達多と共に眷属(けんぞく)()る。」

 韋提希が頭を挙げてみると、目の前にお釈迦様が来ておられた。目連と阿難を遣わして欲しいとお願いをしたけれども、お釈迦様ご自身が韋提希の真正面に立たれていたのです。韋提希としては遇いたくなかったのですね。お釈迦様を見て韋提希は動転します。面白い場面ですね。
 本当は、お釈迦様こそ出遇うべきお方なのです。ところが韋提希の心はどうなっていたのか。お釈迦様に対する大きな拒絶の心があったのか。予想も期待も思いもしないお方が目の前に突然として現れたものですから、その混乱動揺は大変なものです。しかし、この予想外のところで、韋提希の本心が露わになるのです。
 何事も、想定外のところで本当の姿が顕わになるのです。それを又隠してはいけない。人間の仏に対する思いとは何なのか。ここは出遇いの中の最たる場面ですから、ここに重要な問題が潜んでいるものと思われます。

 韋提希の側はなんら準備も用意もない。お釈迦様によって象徴される出遇うべき真実の前に身が置かれたことになりましたから、その光によって照らされるのです。ここに人間の正体が浮かび上がる。
 では人間の正体とは何か。それがお釈迦様を罵る形で表わされます。「世尊、我れむかし何の罪ありてか此の悪子を生ぜる」と。「世尊よ、自分に一体どういう罪があって阿闍世のような悪い子が生まれたんでしょうか」。
 韋提希は自分に罪はないかと一応は考える。けれども突っ込んでは考えられないのですね。自分の我の心が押し止める。阿闍世がこうなった責任はじつは自分にあるのですからね。それを担おうとせず、お釈迦様の方に向けていくのです。

 「世尊、また何等の因縁ありてか提婆達多と共に眷属たる」と。悪いのは、お釈迦様、あなたですよと指弾している感じです。
 そもそもこの悲劇を起したのは提婆。その提婆とお釈迦様は眷属なのですね。二重の眷属。従兄弟同士であり、教団での師弟関係がある。お釈迦様に二重の束縛を与え、自分がこうなったのはあなたの責任だと主張していく。こういう形でお釈迦様を謗るのです。私を救う教えを説く人を、私に苦を与えた者として謗る。まさしく顛倒の姿がここにあります。これが人間存在なのですね。

 一方、仏の正体とは何か。韋提希のところへ仏の方から現れたのです。この一事に仏とは何かが象徴されています。自ら現れた仏とはどのような存在か。それを釈迦牟尼仏と言います。これがお釈迦様の正式名ですね。お釈迦様の戸籍謄本にはこう書いてあるはずです。釈迦牟尼仏あるいは釈迦牟尼如来ですね。牟尼(Muni)は涅槃の世界。涅槃・如の世界から如来として来たった、お釈迦様というお方。
 仏法を謗る人間存在が救われるのは、涅槃の世界からのはたらきでなければ救われない。涅槃から来られたお釈迦様と、その仏を謗る人間韋提希。大変な事実がここで示されているわけです。

 さて、厭苦縁の概略は大体お分かり頂けたと思います。阿闍世によって牢に閉じ込められた韋提希、その韋提希についての描写がこれから始まっていくのです。
 閉じ込められた韋提希を表わす表現は「愁憂憔悴」の一言です。道を見失った。そこから耆闍崛山にましますお釈迦様に救いを求める。お釈迦様が韋提希の前に現われる。大きな展開のページめくりが、しかしいろいろな問題点をはらみながらなされていきます。

 『観経』全体にわたって説かれていく教えをみれば、この厭苦縁が発信源となって教えが展開しているようです。仏と人とのいわば最初の出遇いの場。ここにどのような問題が潜んでいて明らかになることを待っているのか。この厭苦縁が爆発してそれらの問題を解決すべく、教えが『観経』の隅々まで行き渡る。あたかも『観経』のブラックホールのような位置を持っています。
 仏と人との始めての出会いの場。どのような火花が散り、どのような問題が浮き彫りにされ、何が明らかにされるのか。ブラックホールを覗いて、潜み横たわる問題群の顔を少し見てみたいと思います。

愁憂憔悴
 それでは、始めの方から少しずつ見て参りましょう。善導は厭苦縁を四つの段落に分けています。
 第一段落は、「時に韋提希幽閉せられ已りて愁憂憔悴し」。
 他の段落は何れもやや長いのですが、第一段落だけは短い。これだけで一段を区切るということは、この一文が重要な内容を持っているということでしょう。

 善導の受けとめは次のとおりです。
 「正しく夫人、子の為に幽禁せらるることを明かす。此れ夫人死の難を免ると雖も、更に深宮に閉じおかれて、守当極めて(かた)くして出ずることを得るに由なし。唯念念に憂いを懐くことのみあって、自然に憔悴することを明す。傷歎して曰く。禍いなる哉今日の苦、闍王の喚んで利刃の中間に結ぼおれ、また深宮に置く難に遇()うと」
 (親全76 聖全481 ノート81)

 第一段落の中心テーマは「愁憂憔悴」です。かねて申しますように、阿闍世もまたこの「愁憂」がテーマとなりました。阿闍世の場合は「愁苦」という表現ですね。ポイントは「愁」でしょう。
 外道の大臣がやってきて、「大王、何が故ぞ愁悴して顔容(よろこ)ばざる」「大王、大いに愁苦することなかれ」と申します。父を殺したことを悔い、道を見失った阿闍世の状態を、「愁」という文字をキーにして「愁苦」という表現であらわすのです。

 この「愁」の心の状態がじつは仏法のチャンスなのです。ただ、もしこの状態のまま放っておかれれば、行き詰まったままで終わるかもしれません。大いにその可能性はあるでしょう。ですからここにどのような因縁が加わるか。これが大きな問題となります。
 阿闍世の場合も、韋提希の場合も、仏様の因縁が加わった。そうすると、「愁」の状態にあった者は動き出すのです。逆に、自己をしっかりと持つ者は、もしそれが我の心で強く自己を支えているとすれば、その者に仏の因縁が加わっても、なかなか動こうとしないことになるでしょう。

 その愁憂の状態に、韋提希はどのようにして陥ったのか。ここに人生の深い因縁渦巻く世界が明かされるのです。それが「時に韋提希幽閉せられ已りて愁憂憔悴し」の一言で表わされているのです。
 禁母縁で、阿闍世が瞋怒(しんぬ)のあまり韋提希を殺そうとし、結局牢に閉じ込めた。そのわが子阿闍世の行為によって、親である自分はどうにもならない愁憂の思いに沈んだのだと。

 この経文を善導は、「正しく夫人、子の為に幽禁せらるることを明かす」と、これまた明快な一言で受けとめます。この表現の面白いところは、「子の為に」というところです。
 「夫人、子の為に」というのは、どうも表現が統一されていないですね。韋提希を「夫人」というのであれば、阿闍世を「王」と言わねばならない。「夫人」は王(頻婆娑羅)の后の意味ですから、それに準ずれば、阿闍世も位の名をもって「王」と呼ぶべきです。これで呼び方が釣り合う。
 しかし、「夫人」が「わが子」によって閉じ込められた。王家のそれぞれの位にある者は、位のレベルで問題が起こるだけでなく、じつの親子という肉親のレベルで問題を起こすのです。いかに王であろうと夫人であろうと、人間であり、親子関係を持っている者ですから。人間の悲劇は、親子関係という肉親のレベルに最も深い因があるわけですね。

 禁母縁のところに次のような場面がありました。守門者の答えを聞いて、瞋怒のあまり阿闍世は韋提希に剣を突きつけます。
 「世王の瞋り盛りにして、逆、母に及ぶことを明かす。何ぞそれ痛ましき哉。頭を撮りて剣を()つ。身命頓に須臾にあり。慈母合掌して身を曲げ頭を低れて児の手に就く。夫人その時熱き汗遍く流れて、心神悶絶す。嗚呼、哀れなる哉。怳忽(こうこつ)の間に、この苦難に逢える」(親全71 聖全478 ノート76)

 この文を思い出します。ここでは「児の手」とありました。韋提希にとって阿闍世は、王でも何でもない。わが児(子)なのですね。今「子の為に」とあるのも、善導が述べるから「子」になるけれども、韋提希本人に言わせれば「児」なのかもしれません。自分が産んで育てた可愛い「我が子」なのです。

 その可愛いわが子によって、まさか剣を向けられ閉じ込められるとは思わなかった。自分は何をしていたんだろう。あの子との間に何があったというのだろう。そもそも親子の間に何があるのか。怳忽の間にこの苦難に出遇った韋提希は、親子の問題を考えずにはおられなかったでしょう。しかし、考えても考えても分からない。

 そもそも、子供を生むというのはどういうことか。ひとりの人間を存在せしめる。なんという大きなことか。生み出したその子の人生は、そのもとはと言えば親の責任である。生まれてよかったと言える人生を送らせることができるのか。それができるほどに自分が生きることの意味をよく分かっているのか。どのように生きるかを、すべて子に任せていいのか。
 子の方もまた、親から生まれてくることをどれほど確かに受けとめているのか。生ませられたと思い続けるのか。自分で生まれたと思えるのか。親によって与えられた生をどのように位置づけ意味づけることができるのか。

 生む親も、生まれる子も、どちらもそれぞれに於いて主体性の確立ということが大きな問題となります。それをせずに責任の転嫁に走れば、確実に道から逸れてしまうことになる。
 しっかりとした主体性のあるところには、わが子がどのような道を歩もうとも親は動ぜず、また、親の思いがどのようなものであろうとも、生まれた子は動じない。この問題は主体性の確立が解決するのです。では主体性はどのようにして私たちの上に確立していくのか。これを問い尋ね明かすものこそ仏教なのです。

 次に善導は韋提希の心の状態を記します。
 「此れ夫人、死の難を免ると雖も、更に深宮に閉じおかれて、守当極めて(かた)くして出ずることを得るに由なし。唯念念に憂いを懐くことのみあって、自然に憔悴することを明す。」
 瞋怒する阿闍世によって一旦は首に剣を突きつけられ、須臾の命となったけれども、家臣たちの諫言によって阿闍世は剣を置き、命は助かった。しかし、牢に閉じ込められ、厳重な警戒で、そこから出ることなどできず、あれを憂いこれを心配するごとに、次第に憔悴していった。

 韋提希はこのようであったのだと押さえて善導は、
 「傷歎して曰く。禍いなる哉今日の苦、闍王の喚んで利刃の中間に結ぼおれ、また深宮に置く難に遇()うと」と、自ら嘆きの言葉を発します。
 なんという痛ましいことであろうか。「仇をここへ連れ出せ」という阿闍世の冷たい怒りの言葉の前に、素手素足の母は身を投げ出され、髪を無造作に掴まれ、伸びた首に鋭い剣が突きつけられる。もはやこれまでかと、驚きと言い訳と後悔と覚悟とが怒涛のように瞬時に入り混じる。なんという辛く苦しいことであろうか。

 辛うじてその難を超えたかと思うと、直ちに深宮に閉じ込められ、厳重な警備の下に置かれた。どうしよう、ここから出られない、どうすればいいのか、道がない。あれこれ思えば思うほど、心暗く力が削がれていく。なんということになったのか。善導は、韋提希の運命に同感し、なんと痛ましいことではないかと、この一段を受けとめるのです。

 善導は、対象的に『観経』を読まない。登場する阿闍世も韋提希も提婆も皆自分自身なのでしょう。私たちもまたそうでなければならないですね。有り難い場面に出会えば讃嘆の言葉を発し、「讃じて言わく」という表現が沢山使われます。悲しく痛ましい場面に出会えば、そこで悲嘆の言葉を発します。
 先ほどの「嗚呼、哀れなる哉。怳忽の間に、この苦難に逢える」も、韋提希の運命ではありますが、人間誰もの運命を歎じているのでしょう。

 ここの善導の傷歎の言葉は、もとの漢文で表わせば、
「禍哉今日苦
 遇値闍王喚
 利刃中間結
 復置深宮難」
です。五言四句の形式です。韻も踏んでいます。これは詞(詩餘)と言われる形式で、唐から宋の時代に盛んだった、曲に合わせて歌う詩のようです。とすれば、痛ましいことを嘆く善導の思いもまた、より深く強く歌い上げるものとして伝わってくる感じですね。

 この文面の中、「闍王の喚んで」という表現があります。阿闍世が瞋怒の心のあまり、母親の韋提希を呼ぶということです。簡単に言えば、「韋提希よ、出でよ! 」ということでしょう。具体的にいえば、家臣に命じて、韋提希を自分の部屋から出させ連れて来させたわけです。
 ここで問題になるのは、子が親を自分の言葉で動かすということです。当然そのような、下の者が上の者を呼んで動かす場合もありますが、その際は、分をわきまえた発言の仕方なり声の調子なりに気をつけるものです。無造作に乱暴に言ったりしてはいけない。

 ここでは「よぶ」は「喚」の字が使われていますが、同じ「よぶ」で「呼」の場合、この文字ははじめは神を鳴子の板で音を出して呼ぶ意であり、そこから、王が臣下に指令する意となった文字です。
 呼ぶという行為は、単にこちらから向こうへと機械的に言葉が伝わるのではなく、大きな声をあげて相手を動かすということは、おのずと上の者が下の者に向けてなされる行為であるわけです。今「喚ぶ」にもこの「呼ぶ」のニュアンスがあるのではないかと思います。
 阿闍世は親の韋提希に対して、上から下への無慈悲の物言いをしたのです。「我が母は是れ賊なり」と。子供よ、親に対してなんということを、またなんという言い方をするのか。このような叱正非難が出されて然るべき場面ですね。もちろん阿闍世は王ですから、誰も何も言いはしませんが。

 わが子からこのように言われて、韋提希は愕然とし悲痛の底に突き落とされたことでしょう。喚ばれた瞬間、自分が親でなくなり、阿闍世が子でなくなった。親子の間にこういうことが起こるのか。
 しかし、その韋提希も、厭苦縁の少し先のほうで説かれるところですが、お釈迦様に向かって、同じように上から下への言葉と態度で物申すのです。凡夫の韋提希が、仏であるお釈迦様を悪者扱いにして罵り責任を追及する。
 親子や師弟という、はっきりとした上下関係は、これが保たれるところに両者の間に大切なものが流れる。今、それが一挙に破綻することとなり、ここに人間の悲劇が表わされています。

愁憂の原因
 ここで善導は問いを出します。
 「夫人既に死を免れて宮に入ることを得たり。宜しく訝楽(げらく)すべし。何に因ってか反って更に愁憂する」
 月光と耆婆の(いまし)めによって、阿闍世に殺されることは免れた。それならば「宜しく訝楽すべ」きではないかと。「訝」は人をねぎらい迎える意です。「怪訝(けげん)」という言葉には馴染みがありますが、これは人を迎えるときに、あの人はどのような人かと誰何することから生まれた言葉のようです。人をただ怪しむのではなく、迎えることが前提にあって、その人についてあれこれ思いを馳せるわけですね。

 そこで、人を迎えるという「訝」が「訝楽」という熟語になればどういう意味となるか。殺されることから免れたという事態を喜んで受け入れ迎えるということでしょうか。「ああよかった」と安堵する。そこで牢に入れられはしたけれど、死という最悪の結果は免れたわけだから、事態を受け入れて喜んでもいいのではないか。こういう問いでしょうね。

 しかし、実際の韋提希はどうであったか。
 「更に深宮に閉じおかれて、守当極めて(かた)くして出ずることを得るに由なし。唯念念に憂いを懐くことのみあって、自然に憔悴す」
 牢の警備は非常に固く、出ることなどできない。思うことはいずれも憂いばかりで、次第に憔悴していったのだと。即ち、死を免れた喜びなどなかったわけです。それどころか、ただ憔悴を深めていくばかりであった。いったいこれはどうしてなのか。なぜ韋提希はこうなったのか。これが善導の問いですね。

 「愁憂憔悴」とは、一応の意味は、「愁憂」が心のすがたで、悦びがなく楽しみなく悲しむ様子。「憔悴」は身に現われる形で、力なく衰えた姿です。身も心も、力を失ったのです。
 死を免れたことと牢の中で愁憂憔悴したことを対比して、善導は巧みに、人間には死をも超え、死よりも深い問題があることを表わそうとしているようです。死を免れたことを喜ぶべきではないかという、ある意味で単純な問題設定となっています。しかし問われている内容は、死んでも解決できない人間の深い問題です。
 存在の底に、彼の身と心から、生きる元気を奪ってしまうほどの何かがある。生きようとする力をもって生きるのが人間。それをなさしめないものがある。この根源的問題を解決しなければならないのが人間なのだと。このことを問うているように思えます。

 韋提希という女性はこのような目にあってしまって、いったいこれまで何をしていたのか。このような眼差しは多く私たちにあるでしょう。しかしこれは、すぐさま私たち自身に向けてなされるべき問いでもあるのです。
 「怳忽の間」にこういうことになった。私は何をしていたのか。折りに触れてこのように言わなければならないのが、人生を生きる人間の現実のように思えます。悲しくも哀れな現実ですね。
 一生懸命に注意を払って、毎日毎日生きたつもりでも、まあその日くらいであれば、今日は一日しっかりとやったと思うこともあるでしょう。それが五年十年経てば、何をしていたんだろうとなる。特に大きな出来事、悲劇的なことが起これば、その思いは強い。

 では、遡ってもう一回真剣に生きてみますか。もう一回やっても同じなんですよ。こういう生き方が人間なんでしょう。『観経』の教え全体を二河譬で説かれますが、以前申しましたように、忽然として水火二河に出遇う人生を、やはり案の定、旅人は忽然として驚いて出遇う。
 言ったではないかと問い詰めても、その時は分かっていても、いざ人生の最中になれば、怳忽の間に時は過ぎるのです。自分自身が過ぎると言ってもいい。空過と言うべきでしょうか。

 私の思いは決してそうではない。私はしっかり考えて来たんだという自負がどこかにありますね。またそれを否定すれば、立つ瀬がない。その自負が定散心という心なのです。本当にしっかりとはやれてないんですよ。だけどやったという思いだけがあって、それが自分を縛っている。人に対しても、自分はしっかりやっている、おまえはどうかと、批判的攻撃的になるわけですね。

 さて、韋提希は死を免れたのに喜ばず、どうしていよいよ愁憂していったのかという問いに対して、善導自ら次のように答えます。答えは三つあります。

 「一 夫人既に自ら閉じられて、更に人として食を進めて王に与うるものなし。王又我が難に在るを聞きて、(うた)た更に愁憂せんことを。今既に食無くして憂いを加えば、王の身命、定めて久しからざるべきことを明かす」
(親全77 聖全481 ノート81)

 これが第一の答えです。自分が閉じ込められ、これによって王に食べ物を持って行く者がいなくなる。自分が食べ物を運ばなければ、自分の身に何かあったと王は察し、食べ物がないことも加わって、王の命は長くないことになるであろうと。これはよくわかることですね。
 自分の状態が相手を苦しませ、その相手の状態が自分を苦しませる。出口を持たない流転沈没の人間関係です。
 
 「二 夫人既に囚難を被って、何れの時にか更に如来の(おもて)及び諸の弟子を見たてまつらんということを明かす」
 二番目は、このような囚われの身になってしまい、これまでのようにお釈迦様やお弟子たちにもう会えなくなるのではという思いです。
 韋提希は、仏法に熱心な頻婆娑羅王について多少教えを聞いていたようです。だから仏弟子方も存じ上げている。そのお釈迦様の面、お顔を拝見できないようになる。お弟子たちもそう。このことが韋提希に憂いの心を深めさせたのだと。

 「三 夫人、教を()けて禁じて深宮に在り。内官に守当して水()ること通ぜず。旦夕の間に唯死路を愁うることを明かす」
 三番目は、自分自身の問題です。禁じられて警備がなかなか厳しい。水も漏らさぬ厳重ぶり。もはやどこへ行くこともできず、一日中考えることは、真実がわからないままに死んでいく哀れな自分のこと。本当に道が閉ざされたわけです。

 いずれもよく頷けることです。善導はこれら三つの答えをどこから導き出したのでしょうか。それは経文を押さえてのことでしょう。

 第一の答えは、禁父縁の内容を指しています。頻婆娑羅王のところへ密かに食べ物を運んだわけです。それと仏弟子のはたらきが加わって、王は三週間たっても顔色和悦していた。このことが、自分が囚われたために、丸ごとなくなるのです。
 そこに見えてくるのは、王の命が風前の灯となったということ。愛すべき夫が死んでしまう。それも確実に。張り裂けるほどの思いが襲ったことでしょう。しかし、どうしようもない。

 第二の答えは、じつはこの厭苦縁の少し先に出てくる内容を踏まえています。韋提希は耆闍崛山のお釈迦様に向かって要請します。「如来世尊、昔の時、恒に阿難を遣わし来たして我れを慰問したまいき」と過去のことを申し上げ、次いで、「願わくは目連と尊者阿難を遣わし(あい)(まみ)えしめたまえ」と新たにお願いをします。これまでにもお会いをしていた。それがもうできなくなるのだと。

 ここには一つ問題がありそうです。仏と自分とが出遇うことができるのはどういう時か。このことを決定できるのはいったい誰でしょうか。それは仏なのです。如来たる仏は、如の真実の世界から不実の者を救うためにそこへ至る。そこに仏と人とが出遇うわけです。出遇いは仏の方からなされる。仏が決めるわけです。

 しかし韋提希は、牢に閉じ込められる身となっては、もはや仏に遇えないと思っている。憂いの思いからそのように悲観をするということもあるでしょうが、じつはその奥に、仏との出遇いを自分の思いで決めているということがあるのです。閉じ込められ、愁憂する者にこそ仏は来たる。そのことが韋提希には分かっていないのですね。

 三番目は、直前の禁母縁の最後のところです。「内官に勅語し、深宮に閉置してまた出ださしめず」。閉じ込められたということが、自分のすべてを奪ってしまった。心の芯に徹するほどの無力感ですね。
 しかし、「牢」が韋提希の力を奪ったのではない。韋提希そのものが「牢」だったのです。真実に対して自己をすべて閉じている者。固く閉ざしたその扉を開ける鍵など、既に海の彼方にほうり捨てている。牢の中での愁憂は、韋提希が悲劇的な状況の中で新たに受けた心ではなく、もとからの人間の心の正体だったのです。
 韋提希はそのことにいまだ気づかない。それどころか、この愁憂せざるを得ない苦しみをもたらした者こそお釈迦様であると、仏陀を罵り、責任を追及していくのです。

 今回は、序分全体が大きく三つのテーマで展開する形で構成されていることを確認し、その二番目のテーマである「仏と人との出遇い」を構成する厭苦縁と欣浄縁の、その厭苦縁の初めのところを見ることになりました。次回、この続きを頂いていきましょう。

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