今よみがえる観無量寿経 第13回 「禁母縁(2)」
 

るいれつの会(2012年5月21日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一) 瞋怒する阿闍世

我が母は是れ賊なり

 序分禁母縁(ごんもえん)のところを読んでいます。前回はその初めの、阿闍世(あじゃせ)が父王の牢に来て、守門人と問答をするところでした。
 父王を幽禁した阿闍世は三週間たって牢にやってきた。そして守門人に告げるには、「父の王は今なお存在せりや」と。死んでいることが分かっているのに、「存在せりや」と単に安否を尋ねた。ここに、阿闍世の複雑な心境が現れていたわけです。
 これに対して守門人は、国の大夫人が密かに食べ物を運び、又沙門の目連と富楼那(ふるな)が教えを説きにやって来て、どちらも制することができなかったことを申し上げる。これもまた巧みな応答でした。守門人のこの言葉を聞いて阿闍世は怒り、父王を助けた母韋提希(いだいけ)を殺そうとします。それが次の第三段落ですね。そこへ進んでみましょう。

 経文は次のようです。
 「時に阿闍世、此の()を聞き(おわ)りてその母を怒りて曰く。我が母は是れ賊なり。賊と伴なればなり。沙門は悪人なり。幻惑の呪術をもって、此の悪王をして多日死せざらしむと。即ち利剣を執り、其の母を害せんと欲す。」(東90 西88 島2-2)

 密かに食べ物を運んで父王の命を永らえさせた韋提希を「我が母は是れ賊なり」と呼びます。「賊」呼ばわりですね。なぜこのように言うかといえば、「賊と伴なればなり」だからだと。母を単独に賊と押さえずに、賊である父王と伴であるから母もまた賊なのだと、こういう間接的な押さえ方がされています。ここには何かありそうですね。阿闍世にとって、父と母の位置は本来異なるものがあるという感じがします。
 さらに、沙門を悪人だと押さえます。賊ではありません。沙門に対しては認識の違いがあるようです。その沙門が行なったことは、父王を生き永らえさせたということ。その方法が呪術をもってしたのだと。もちろん、呪術ではなく仏法です。しかし、今の阿闍世には仏法がわからず呪術としか思えない。そして、母の韋提希に対して怒りをおこし、剣を抜いて母を殺そうとするのです。

 この一段にも、様々な問題が示されているようです。阿闍世に対する父と母の位置関係。なぜ「賊」というひどい呼び方をするのか。父母と沙門との認識の違い。仏法とは何か。強い怒りの心情。父に加え母をも殺そうとする思い。阿闍世の苦しみは、いよいよのっぴきならない境地に差しかかったようです。

 善導の領解を踏まえながら、これらの問題を考えていきましょう。
 まずこの一段の全体の趣旨を善導は、「正しく世王の瞋怒を明かす。」と確認します。守門人の言葉を聞いて母を殺そうとするに至るのは、阿闍世に起こった瞋怒の心がなさしめているのだと。阿闍世の瞋怒の行為であることを明らかにするのです。

 このことは親鸞聖人も同感であったのでしょう。和讃に
 「阿闍世王は瞋怒(しんぬ)して
  我母是賊としめしてぞ
  無道に母を害せんと
  つるぎをぬきてむかいける」(東485 西569 島11-19)
とうたわれました。

 我が母は賊であると言わせ、罪なき母をも殺そうと剣を抜いて向かわせたのは、阿闍世の瞋怒の心であると。すべてこの瞋怒が起こしたことであると聖人も押さえます。
 そして「瞋怒して」の言葉に「(おもて)にいかるを瞋という、心にいかるを怒という」と註を付されています。「面」は顔に現れたいわば外側の表情でしょう。「心」は体の中で起こっていること。従って、その人の内も外も全体が瞋怒していることを聖人は強調しているのです。
 阿闍世はその存在の全体を挙げて瞋怒した。全体を挙げてと言うべき明確な一点がここには表わされています。それほどに、この場面はただひとえに阿闍世の瞋怒によって起こった嵐のような一幕であったというわけですね。当然その瞋怒の存在阿闍世というところに、彼の深い苦悩と迷いがあるのです。

 「瞋怒」の文字を少し見てみましょう。「瞋」は、右の「眞」は顚死(てんし)の人、即ち行き倒れて死んだ人。左の「目」は無念の怨恨の情を表している目です。なぜ自分はこのような目にあって死なねばならなかったのか。真実にも遇えず、絶対の愛にも触れることなく、なぜこのようにして死んでいかねばならないのかと訴えている。「瞋」は親鸞聖人の言われるように、顔の表情ですね。
 「怒」は、上の「奴」は女を手(又)で捕らえて不自由化させ奴隷にすること。「奴」には「努力」とか、バネ仕掛けで石や矢を射る弓である「()」などにも使われるように、激しく勢いを加えてことをなす意味があります。これに「心」をつけて、「怒」は心の状態を表し、激しく人を責める心情を言います。人を勢いよく責める心を一番深い心情として持っている。これが人間なのですね。

 『論語』に、孔子が顔回をほめて、「怒りを(うつ)さず、過ちを(ふた)たびせず」と、ひとり顔回だけがこれをなしえたと言われます。私たちは顔回のようにはいかない。逆に、「怒髪、冠を衝く」という表現もあり、私たちはこちらのほうでしょうね。阿闍世もまさに、怒りの心が髪を突き立たせ、冠を突き破るほどに母韋提希を怒ったのです。

 では、阿闍世の瞋怒の内容はどのようなものだったのか。経文の具体的な解釈を見てみましょう。
 「此れ闍王、既に門家の分疏を聞き已って、即ち夫人に於いて心に悪怒を起し、口に悪しき(ことば)()ぶることを明す。」(親全70 聖全478 ノート75)

 これが瞋怒の行為の全体の姿です。まず、阿闍世が守門人の分疏を聞きおわって、心に悪怒を起こすと。分疏というのは、分けて通す。「分」は事態がどうなっているかを事実に基づいて分析をする。「疏」は通す。通らないかもしれないところをうまく通すといったニュアンスでしょうか。

 ここには、三つのポイントがあります。
 第一は、守門者が事態を丁寧に分析したということ。
 第二は、その内容を阿闍世王に対して申し上げ、うまく申し上げきって、自分の主張を訴えることができたということ。
 第三は、その分析内容の発言を、阿闍世は最後まで聞いた、聞いてしまったということ。
 人にものを説得する時には、事実はこうであったということが最も功を奏するようです。観念的な理屈や道理より事実のほうが力を持つ。今守門者にとって、大夫人と沙門が牢に入ったということは、ある意味では自らの責任になりかねないことです。そうなると簡単な罰では終わらず、首が飛ぶかもしれない。守門者も真剣なのですね。そこで、自らの責任回避のために使ったのが「事実」なのです。それも大夫人と沙門を二つに分けて丁寧に説明する。丁寧になるほど、事実は力を持ってくる。

 そして最後の結論は、これら両者はなんと言っても大夫人であり沙門であって、自分のような者には制することができないし、阿闍世王からも両者を制せよとは命じられていなかったという、いわば、責任回避のできる殺し文句を言うのです。この結論がありますから、事実を淡々と言え、又これが力を持ってくる。
 もし返事の最初に「両者を制せよとは命じられてはいませんでした」と言えば、いかにも言い訳がましくなり、阿闍世の反応も別のものになっていたかもしれません。王でなくとも、末端の守門者であっても、自らを守る知恵は誰にも劣らないのです。

 守門者は大夫人や沙門のことを阿闍世王に申し上げます。末端の家臣が王に直接長々と申し上げることは普通はありません。守門者も或いは、途中で言を断ち切られると思っていたかもしれません。結論を言え、言い訳はするな、などと言われて。しかし、守門者の言が巧みであったのと、前回ありましたように、阿闍世の心に幾重にも迷いがあったがために、両者の関係において守門者のほうが上であるという奇異な状況が繰り広げられ、守門者の言は結局通ったのです。守門者も意外だったでしょうが、通って見て、しめた、してやったりと思ったことでしょう。
 一家臣の、それも責任を負わなければならない瀬戸際の状況にある家臣の言が、遂に王に通った。逆に王は、この一家臣の長い説明をずっと聞き続けていたのです。このことが王の敗北を意味するでしょう。
 「此の語を聞き(おわ)りて」と、「已る」という文字が使われます。単に終わったのではない。「已」は完了を表します。守門者が言おうとすることを全部黙って聞いてしまったのです。途中で遮らなかったということは、すべての内容を、そうだそうだと聞いていた、聞いてしまったということでしょう。王が受け入れた。この件の責任も、聞き已る間に阿闍世王の側に移ってしまった。守門者が勝ったのです。

 本来、長く言を発するのは王の側です。指示や命令があり、感想があり、相談もあり、それらは悠々と述べられていい。家臣はそれを受けて短く一言の返事で済ますのです。その一言に収めさせるのが王の権威であるけれども、阿闍世にはそれができなかった。そこに、阿闍世の若さと弱さと迷いがあるのです。尋常ならざる姿がここに描かれています。

 阿闍世は守門人の分疏を聞き已りまして「即ち夫人に於いて心に悪怒を起し、口に悪辞を陳ぶることを明す。」親鸞聖人は悪辞を「あしきことば」と読んでいます。ここから善導は具体的な瞋怒の姿を領解してゆきます。人間行動における怒りの分析ということですね。

 瞋怒のすがたは、大きく言って「心に悪怒を起し、口に悪辞を陳ぶる」これが一番もとです。経文の「我が母は是れ賊なり。賊と伴なればなり」ここに、母に対して何を思い、何を言ったかがある。心で何を思うかが一番もとです。これは私たちの内面のこと。思っただけではまだ外に現れない。心で思って、それを外に現わす。「我が母は・・・」と阿闍世は言った。まずその口業を押さえます。

 「()ぶる」とは、左の「阝」は神が降りてくる階段です。右の「東」は袋。中には穀物が入っていて、お供えとして陳列するのです。従って「陳」は、神に向かい自分の気持ちを並べて表わすの意となります。
 阿闍世は心の中に怒りを起こし、その怒りの表現として、言葉を並べて表したと。もっとも相手は韋提希ではありますが。それが「我が母は是れ賊なり。賊と伴なればなり。沙門は悪人なり。幻惑の呪術をもって、此の悪王をして多日死せざらしむ」の言葉ですね。これらの言葉はすべて内なる怒りの心の表現であるわけです。

瞋怒の具体相
 さて瞋怒の言動の具体相はどうか。
 「又、三業の逆を起こす。三業の悪と言うは、父母を(そし)って賊とするを口業の逆と名づく。沙門を罵るを口業の悪と名づけ、剣を執って母を殺するを身業の逆と名づく。身口の為す所、心を以って主と為す。即ち意業の逆と名づく。又、前方便を悪と為し、後の正行を逆と為す。」(親全70 聖全478 ノート75)

 瞋怒の具体相を明かすにおいて、善導はまず、悪業の種類と起こし方の構造を明らかにします。はじめの「三業の逆を起こす。三業の悪と言うは」は親鸞聖人の読み方ですが、少しつなぎ具合が判りにくい感じもします。原文は「起三業逆三業悪」ですので、他の読み方として「三業の逆と三業の悪を起こす」というのがあります。こちらのほうが流れはいいですね。

 要するに、大きく悪業の種類として三つあげられているわけです。分かりやすくするために、二番目と三番目の順を入れ替えてみます。
 1 口業の逆。父母を罵って賊とすること。
 2 身業の逆。剣を執って母を殺すること。
 3 口業の悪。沙門を罵ること。

 そして、これらの身業と口業の逆と悪は、「心を以って主と為す」心の行為が生み出しているものなのだと。それを意業というのです。従って、悪怒を起こすという意業が元にあって、それが身業と口業の上で逆と悪の行為となって表れるというわけです。
 さらに、このことをまとめなおすと、「前方便を悪と為し、後の正行を逆と為す。」心で殺そうと思うことを今前方便と顕して、それが悪である。つまり殺すということを決める心の動き、すなわち準備の段階ですね。そして心が決まると、その心を以って正しく行を起こす。それが後の正行。これを逆という。このような押さえ方もできるわけです。

 善導は、人の上に巻き起こる逆悪の構造を明らかにするのです。まず身業と口業において「逆」と「悪」の行為がある。「逆」は「悪」よりも罪の度合いが重いのです。具体的には、阿闍世が父と母を殺そうとする。父に対しては牢に閉じ込め餓死させることによって。母に対しては剣をもって切ることによって。これらが身業の「逆」です。また、父と母を賊と言って罵る。これは口業の「逆」です。
 これらが「逆」の行為だと言われるのは、身口の奥の意において、殺そうという思いが起こっているからです。殺そうという意業がもとになって、具体的な身業口業が起こっている。これが「逆」の三業です。

 これに対して、「悪」の行為は、奥の意において、殺そうという思いは起こっていません。そこまでは行かないがしかし、悪の意は起こっている。その意業をもとにして、やはり口業と身業が展開するのです。
 ここでは「沙門を罵る」という口業の行為だけが出されていますが、意に悪意があり、口に悪口を吐けば、おのずと身業もそれにふさわしい動きをするということです。たとえばこぶしを握ったり、目を吊り上げたり、時には目を三角にする場合もあるでしょう。これらが「悪」の三業です。

 心に悪怒のいかりを起こし、それがもとになって面に出る。口業や身業に。これが外の瞋り。ですからこの時の阿闍世は、心も怒り、ことばも行動も全部瞋って瞋りそのものだったわけですね。大変な存在です。近くに寄れない。寄れば火傷してしまいそうな。その具体的な姿を善導は三業のところで、それも逆と悪の二種でこのように整理されるのです。

賊の伴
 さて、次に、この場面をさらに詳しく善導は問います。ここをしっかり考えて見ましょう。
 「『我母是賊』と言うより已下は、正しく口に悪の(ことば)を出だすことを明かす。云何ぞ母を罵って賊とする。賊の伴なればなり。ただし闍王、元の心、怨みを父に致す。恨むらくは早く終らざることを。母の乃ち和して(私に)糧を進むるが為の故に、死せざらしむ。是の故に罵しりて、『我が母是れ賊なり、賊の伴なり』となり。」(親全70 聖全75 ノート478)

 どうして阿闍世は、母を罵って「賊」と言ったのか。この問題ですね。この罵りの発言が出るに至る状況を、順番に守門人の答えを聞く場面から確認してみましょう。
 「父の王は今なお存在せりや」の問いに、守門人は阿闍世の弱点を見るわけです。阿闍世王は父を殺すことの覚悟ができていないと。この瞬間、守門人のほうが精神的上位に位置します。形は下位の家臣のそれですが、答えとして申し上げる内容は、要するに阿闍世を責める内容となっているわけです。
 母と沙門が牢に入っていたことで、阿闍世は守門人を罰することをしません。できないのです。それどころか、守門人の分疏を最後まで聞いてしまうことになった。王としての敗北です。そして聞いた内容が母と沙門のことであったわけで、阿闍世は心の底から怒りを起こし、母を殺そうとする。しかし、沙門を殺そうとはしません。そして、「我が母は賊なり、賊と伴なればなり」の言を吐くのです。悪怒の心が悪辞を述べさせたのです。

 ではなぜ、短絡的にも思えるこの展開となったのか。阿闍世にとって韋提希は母親。母親としての韋提希であることが、この時阿闍世に影響しなかったのか。ただ強い怒りが生じて、その勢いで母を殺してしまう、そういう関係でしかなかったのか。ここに親子の問題がじつは深く関わっており、その挙句の結論的行為ということになっているのではないでしょうか。

 親子の問題を少し考えて見ます。それには沙門の問題も関わってくるのですが。まず、大夫人が牢に食べ物を持って入ったことを守門人が阿闍世に告げる趣旨は、「王よ、あなたは夫婦のことが分かっていないのですね」ということがあったわけです。夫婦ですから、妻は夫を見捨てず、必ず助けに行く。当然のことであるのに、王はそのことの対策を講じなかったのです。
 夫婦であることは、余人の立ち入れない世界ですから、守門人もこれを制することができなかった。このことは人は皆分かることです。阿闍世も分かるのですが、しかし、一般の人と分かり方が異なるのです。一組の夫婦であるという見方ではなく、自分の両親であるという事実の前に、阿闍世はこれを制することができない。自分が制することができないことを、守門人に強制させることはできない。そのことを守門人もよく分かっている。勝負は守門人の勝ちということですね。

 韋提希は自らを産み育ててくれた母です。その母が主人を助ける行為をどうして子供が制し止めることができるか。心の底でご恩を感じているのです。
 一方沙門は、迷いを離れて真実を求めるお方。阿闍世の心の底では、じつはその真実をこそ求めたい心がある。韋提希と沙門は、今形の上では父王を生き永らえさせるということをしたけれども、人間存在という最も深いところで、この両者は尊敬こそすれ、傷つけてはいけない方々なのです。心の奥の定かには見えぬ「人間存在」の次元で、阿闍世はブレーキをかけられたのです。

 しかし、だからと言って、父王を助けたこの者たちをただ放っていていいのか。この問いに対する定見を阿闍世は持っていません。真に尊敬すべき親と仏弟子をなぜ尊敬しないのか。それは、尊敬しようと思う心が、まだ観念のところでとどまっているからだと言うべきでしょう。尊敬の心が本物になるには、阿闍世は自己の真の姿を如来真実の前に照らし出されなければならない。真実に照らされて深い懺悔の心を如来の前に打ち出していくところに、ご恩を思う心が確立し、尊敬は本物となるでしょう。

 そこまで行かない阿闍世は、自己の立場が極めて不安定なのです。そして、守門人の言によって心深く怒りが爆発し、目の前のことだけに対応することとなった。瞋怒の心にすべてを支配させたのです。所詮煩悩とはそのような不安定な心の土壌において勢いよくはたらくものですね。瞋怒の心が事態のすべてを支配した。煩悩具足の人間の生き様がここにあります。
 善導はこの一段を「正しく闍王の瞋怒を明かす」と押さえますが、いかに瞋怒が強く大きく、全体を支配したかが思われます。この自縄自縛的行為の行く末はどうなるか。それはこの禁母縁の結論でもあります。そのことは少し先に譲りましょう。

 阿闍世の瞋怒について、もう一歩突っ込んでみましょう。「我が母は是れ賊なり」と言った。母のことを怒りにまかせてこのように言ったのだから、これでもういいようにも思われます。それなのにどうして続けて、「賊と伴なればなり」と言ったのか。
 この二重に表わした表現は、母を大上段から「賊」であると決定付けずに、母が賊であるのは、賊と伴であるからだと、間接的なやや弱い押さえで言われている感じがします。賊である頻婆娑羅と伴でなければ、韋提希は別に悪くはないのだ、といったニュアンスもあります。ここには、父を賊呼ばわりする強い明晰な態度と違って、母には一歩譲って、真正面からの評価を避ける風が見られます。

 そもそも父王が「賊」と呼ばれるのは、かつて、阿闍世が生まれる時に、相師の言を恐れた父王が、妻の韋提希と相談して阿闍世を高楼から産み落として殺そうとさせたことを指すのです。「賊」とはことさらに人を殺す者を言うのです。阿闍世は提婆からはっきりとかつての高楼の件を聞いた。証拠の折指もずっとそのままである。
 因みに、これに対して沙門は賊ではありません。阿闍世を殺そうとは思っていない。ただ頻婆娑羅王に教えを説き心を開かそうとする者です。そのことによって父王が死なずに生き永らえている。ここだけが問題なのです。

 さらに考えれば、生まれる時の高楼のことより以前に、三年の寿命のある仙人を殺してわが子を得ようとした件も含まれるかもしれません。仙人が殺されて自分が生まれ、生まれる時に又殺されそうになった。自分という存在そのものが、殺されるところから生まれ、生まれる時に又殺される。二重の殺人。すなわち絶対的な屈辱を自分に与えたのが父王である。この思いが阿闍世の心の底に、人生の全体を支配する考え方としてあったのではないかと思われます。
 それが未生怨と折指の問題だったわけです。
 息子は父親と仲が悪いものです。その原因が、この二重の殺人ではないでしょうか。二重であることが、絶対的な、どうしようもない重さを持っているのです。

自ら生きる主体的意識
 「云何ぞ母を罵って賊とする。賊の伴なればなり。」このことはこの後に出る「世雄の怒り盛りにして、逆、母に及ぶ」という表現が出てきます。これがポイントをつく表現のように思えますが、しかし、これは後のこととして、「賊の伴」についてもう少し考えて見ます。
 「伴」は基本的に「伴侶」を意味するでしょう。もちろん、伴侶だからと言って、主人が困っていても、関知しない奥さんもあるかもしれませんが、ここの場合は、もともと夫婦であり、従って窮地の夫に食べ物を運ぶ妻、という二重の意味で「伴」と言われているように思えます。要するに「伴」としては立派な韋提希であったわけです。

 父王は自分を母に生ませた者。母は自分を生み、育てた者。この違いが基本的にあります。その父王が自分を生むに際しては、先ほどのように、「二重の殺人」を犯した。父王からすれば、二重の殺人を犯すことによってやっと手に入れることができたわが子なのです。これ以外に子供を得ることはできなかった。しかし子供の阿闍世としては、二重に自分を殺したという点で、とても受け入れられるものではない。

 子供は父母の間に生まれますが、その父母には自ずと位置関係があって、父が生ませるもの、即ち因。母が生まされる者、即ち縁なのです。ですから、生まれる者の一番もとを尋ねるとすれば、それは因の父である。
 自分の誕生、自分という存在、これはいったい何か。このことの答えを一番奥で握っているのが父の存在。その父の生ませる行為が子供として歓迎されるものであれば、問題はありません。しかし、そこには、あろうことか二重の殺人があった。
 ここに人間の実存の深さがこのような巧みな表現で表わされているのでしょう。阿闍世は自己の誕生と存在の一番奥に、父の心を見、その心は、子を得たいがために人を殺し、そうして得た子を自分を守りたいがために殺す。この徹底したエゴイズムを父の心の奥に確認したのです。このエゴイズムが自らの誕生と存在の最深の原点であることを知ったのです。

 父は自分を殺した。殺そうとした。この一点を押さえて、阿闍世は父王を「賊」と呼びます。子が父を「賊」と呼ぶとはなんという悲しいことでしょうか。しかしこれは、だからと言って否定され避けられるべき考え方というのではなく、しっかりと受けとめられ、問われ、乗り越えられていくべき、大きな課題なのです。
 自分という存在は、確かに父と母の間に生まれた。しかし、それだけではない。それだけでは自分は真に誕生しないのです。真に人間として誕生するためには、父と母によるこの生を、自分自身が荷って立たねばならない。単に生まれたから生きるのではなく、生まれるのだ、生きるのだという自らの明確な意思が、誕生の時の主体とならねばなりません。

 この主体的意識は、今、阿闍世にはありません。阿闍世はこの大変な危機的状況の中から、この主体的意識を自らの心の最深の位置に誕生させるための歩みを始めていくのです。
 ここに二つの「心の最深の位置」あります。阿闍世の心と頻婆娑羅王の心と。今、悲劇の現実の渦中にあっては、両者の関係は、エゴイズムと、それを憎み怒る心ですが、人生の展開の荒波の中で、二つの心は違った交差をします。

 父を殺したことを悔い、外道(げどう)六臣の言葉に迷う阿闍世を、耆婆は何度も誘ってお釈迦様のところへ連れて行こうとします。その時、躊躇(ちゅうちょ)する阿闍世に向け、天に声あって叫ぶのです。「願わくは大王。速やかに仏のみもとに(もう)ずべし。仏世尊を除きて余は、能く救うこと無けん。我れ今汝を哀れむが故に、相勧めて導くなり」。
 これを聞いて阿闍世は、恐れを懐き、身を震わせ、何者かと声の正体を尋ねます。声は応えます。「大王、吾はこれ汝が父頻婆娑羅なり。汝今まさに耆婆の諸説に随うべし。邪見六臣の言に随うことなかれ。」

 声の主は名を名のります。単に一般論を告げるのではない。阿闍世よ、お前の怨んだ父であるぞと。しかも告げることは、まさに人間にとって真の道。すなわち「仏世尊を除きて余は、能く救うこと無けん。」まさにこのことなのです。至言です。
 親が子に伝えるのに、又人が人に伝えるのに、これ以上の言葉はありません。人間が発する真実の言葉です。これが父頻婆娑羅の心の一番奥のところで発せられた。あの二重の殺人を犯す徹底したエゴイズムの心のある位置、その位置で、じつはこの言葉が発せられたのです。阿闍世はこのことに気づいたのです。これが父の真の心であったのだと。
 煩悩に満ちたエゴイズムの存在は、その恐るべき心の位置と同じ位置で、仏の教えを聞けよと我が子を哀れむ心を起こすのだと。それが親というものであったのだと。自分はその親の半分しか見ていなかった。なんという愚かな自分であったか。阿闍世は悶絶して地に倒れます。身の瘡はいよいよ増し、悪臭はいかんともしがたい。親とは何であるかを知らなかった阿闍世の後悔の思いは、ここに極限に達するのです。

 頻婆娑羅王のこのまごころを受けて、阿闍世はお釈迦様のところに行き、教えを聞き、信心を得ることになります。無根の信ですね。この信心の獲得において阿闍世は父と母を許し、父と母に詫び、自らは国民とともに新たに生きようという王となったのです。すなわち、願われていた主体性が、ここで確立するのです。

 因みに、この道理を、親鸞聖人は善導大師のお心を受けて、人間の真の誕生はどのようにしてなされるかのところで明かされます。
 「徳号の慈父ましまさずば、能生の因かけなん。光明の悲母ましまさずば、所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしと雖も、信心の業識(ごっしき)に非ずば光明土に到ること無し。真実信の業識、斯れ則ち内因となす。光明名の父母、斯れ則ち外縁となす。内外の因縁和合して、報土の真身を得証す。」(東190 西187 島12-37)
 この教えを構成する道理の原型のようなものを、王舎城悲劇の阿闍世の上に見る思いがします。阿闍世にとっての慈父と悲母は、阿闍世がお釈迦様の教えによって無根の信心を得るとき、はじめてその名のとおりの慈父と悲母となったのです。

 阿闍世の将来のことは、これまでにも申してきました。当然のことですが、人は誰にも生涯があります。時間の変遷により、歩みによって人は変わるのです。阿闍世とはどのような者かを、この王舎城の事件のところだけで描こうとすれば、心痛い作業でしょう。
 しかし、この悲痛な事件を機縁にして、彼は父の真意を知り、仏の教えに出遇い、ついに真実信心を得るに至った。そして、迷惑をかけた国民を救うためには、地獄に堕ちてもかまわないという阿闍世になったのです。
 ここまで来て、はじめて阿闍世という一人の人を描くことができる。どんなに厳しい時機の描写でも、心の底は明るく筆を持つことができるのです。人は、その生涯全体で見られなければなりませんね。

 さて、話を戻しましょう。「云何ぞ母を罵って賊とする。賊と伴なればなり。」見てきましたように、阿闍世にとっての最大の問題は、自己の誕生と存在の一番元であり、その元である父王の心の底に、自らを殺そうとする「賊」の心を阿闍世は見たのです。この「賊」を許せず、牢に閉じ込めたのが禁父縁でした。

 禁母縁は、その「賊」を助け、餓死させずに命を永らえさせた母の存在がクローズアップされます。母韋提希は、阿闍世を生んだ者。愛情を持って育てた者。しかし今、それらのご恩のあることよりも、「賊」である父王を助ける伴侶であることのほうを阿闍世は取ったのです。
 それは愛情というご恩と「賊」を助けたという両者を冷静に天秤にかけて判断したということではない。瞋怒のなせる業だったのです。それほどに、自分を殺そうとした「賊」の存在意味は大きい。
 しかし、それが誕生と存在の根源ですから、無理もないし、その根本の一点から目を放さなかった阿闍世は、ある意味でしっかりしていた。そのしっかりさは自分を苦しめたであろうけれど、後に縁となって、仏法へと繋がっていくのです。

 次に、母親に対する阿闍世の基本的な思いが述べられています。
 「ただし闍王、元の心、怨みを父に致す。恨むらくは早く終らざることを。母の(すなわ)ち和して(私に)糧を進むるが為の故に、死せざらしむ。是の故に罵しりて、『我が母是れ賊なり、賊の伴なり』となり。」
 阿闍世の本心はに、父への怨みがあったのです。母には特別にはなかった。ところが、父王には早く牢内で餓死して欲しかったけれど、母が食べ物を運び助けたためにそうならなかった。それゆえに、我が母は是れ賊なり、賊の伴なればなり」と言ったのだと。

 こういうところに、既に見てきましたように、「母韋提希」を単独に一人の女性として見ており、父王の妻である、伴侶であるという視点を見失っていたのです。ここに阿闍世の若さが露呈している。
 父を殺すという一本道の行為が、途中隙だらけで、結局最後まで行けず、途中で正反対の状態にまでなってしまった。自分の非力の積もった鬱憤(うっぷん)を晴らす心が、瞋怒の心をいよいよ増長させたことは十分に考え得るでしょう。

呪術を説く沙門
 続いて経文の「沙門は悪人なり。幻惑の呪術をもって、此の悪王をして多日死せざらしむと。」
 父王と韋提希の「賊」に対して、沙門は悪人です。沙門は阿闍世王を殺そうとはしていませんから。また、仏法を幻惑の呪術と呼んでいます。人を死なせず生き延びさせる法ですね。これは本当に仏法を知らない者の言ですね。
 なにか、昔の私自身のことを言われているような気もします。なにやら分けのわからないことを言って、それで人が救われるなど、とんでもないことだと思っていました。それ以上のことは恥ずかしくて言えませんが。

 善導の受けとめは次のようです。
 「『沙門悪人』と言う已下は、此れは闍世の母の食を進むるを瞋り、また沙門、王のために来去することを聞きて、更に瞋心(しんしん)を発さしむることを致すことを明かす。故にいかなる呪術有ってか、悪王をして多日死せざらしむという。」(親全71 聖全478 ノート76)

 仏弟子の二人が王のところへやって来て教えを説く。このことの位置づけですね。韋提希が食べ物を運んだことを聞いて瞋りを発する。更にそれに加えて仏弟子までもやってきたことを聞いて、阿闍世の瞋りは倍増、二乗する感じとなった。そういうことを言っているのでしょうね。
 善導の解釈もここは面白い。「沙門は悪人にして」以下の解釈で、内容は沙門に関することだけですから、「闍世、母の食を進むることを瞋り」と母のことなど言わなくてもいいでしょう。これは前の段階のことですからね。
 しかし、敢えて母のことを言うのは、沙門は悪人だという時の阿闍世の心は、ただ沙門に対する思いだけがあるというのではない。母を悪人と言って瞋る、その心が沸騰しているところで沙門のことを聞いたのです。瞋りの上に更に瞋りが起こった。このことを善導は確認したのでしょうね。

 もし父王を助ける母の行為がなく、沙門だけが牢に入ったということであれば、果たして阿闍世の怒りはどれほどであったでしょうか。つまり、怒りはその内に思想を含むということでしょう。単に一対一で反応して怒るというのではない。怒りの中に思想がある。
 どういう思想か。それがずっと申してきましたように、阿闍世自身の誕生と存在を生み出した一番の根源のところに「父のエゴイズム」というものがあったということです。
 父は仙人を殺して子供を得ようとし、その子が生まれる時には、父は自己の身の安全のためにその子を殺そうとした。その究極のエゴイスト、即ち「賊」である父への心の底からの怒り。これが第一の怒りと呼ぶべきものでしょう。
 その父の伴侶であり、死に瀕した父を助けようと画策をした母。これによって父は命永らえる。阿闍世の目的とは逆の事態をもたらした母。「賊」を助けた伴侶である母もまた「賊」であるとみなす。第二の怒りです。両者の間には若干の差があることも見てきたとおりです。

 そして、その母の行為に加えて、沙門もまた牢に入って父王に教えを説き、心を喜ばしめ、命を永らえさせた。沙門が入らなければ、母によって食を得たとしても、心を喜ばしめることはそれほどなかったでしょう。それをなさしめたのは沙門であると。
 餓死さそうとしたものが、精神的にも元気であるということは、阿闍世からしてみて、納得のいかない、大いに腹立たしいことに違いありません。ここに第三に怒りが起こります。

 こうみてくれば、阿闍世の怒りは三者に対して順に起こっていることがわかります。
 第一、 頻婆娑羅王に対して。自らを殺そうとした「賊」であるとして。
 第二、 母韋提希に対して。「賊」の伴としての行為をし、父の命を永らえさせたことについて。
 第三、 沙門に対して。呪術の法を説いて父の命を永らえさえ、元気にさせたことについて。

 怒りの度合いと濃度は順を追うごとに弱く変わってきているのは、既に申してきたことで、お分かりのことと思います。今沙門については「呪術」という表現で仏法のことが言われています。阿闍世は仏法がなんであるかがわかりません。
 その仏法なるものによって父がどうなったかという結果だけを見ると、精神的に元気になった。わが子によって牢に入れられている者を、それでもなお元気にするものとはいったい何ぞ。阿闍世には分からない。「呪術」としか言いようがなかったのですね。
 仏法は全くブラックボックスのようなもので、元気のない者がそのボックスに入って再び出てきた時には、見違えるほどに元気になっている。しかも根本から元気。決して失われない元気さ。これはいったい何なのかと。

 これは私たちも同じで、皆さんも経験があるのではないかと思います。私が若い頃は、こういうことは沢山ありました。八十、九十のお爺さん、お婆さんと一緒に聞法するでしょ。二十代のこっちは何も分かっていない。分かっていないけれど、気持ちは何か分かっているというか、若者のプライドか何かがあって、このお婆さんよりも自分の方が分かっているぞ、という感じですね。
 ところがお話を聞くと、こっちは分からない。ぽかんとしている。お婆さんを見れば頷いている。こっちが分からんところをどんどん頷く。隣に座っているのに、全く別世界。なぜこのお婆さんはこんなに喜んで、なんまんだぶつ、なんまんだぶつと言いながら頷いて、「有難うございます。」と言ったりするのか。講義中ですよ。

 なぜこうなるのか。それは、今そのお話があって聞いているからだということなんですが、それがこっちに分かりませんから、まさにブラックボックスなんですね。聞いていても分からない。反応ができないというのは切ない話です。若い若いと言っても、何の力もないしょぼくれた若者であったわけです。そんなことは何度もありましたね。
 普通世間の人には直ちには分からないのです。仏教とは何なのかということが。私にも全く分かりませんでした。どうして人は「なんまんだぶつ」と言うんだろうか。分かった分量はゼロでした。全く分からなかった。普通仏教というのはそういうものですからね。阿闍世も分からなかったんでしょうね。それで敢えて仏教はこれだと言ったのが「呪術」。この気持ちはなんだか分かる気がします。


(二) 逆、母に及ぶ

出口を失った阿闍世

 第三段落の最後の一文です。
 「即ち利剣を執り、其の母を害せんと欲す」これが経文です。
 阿闍世は怒りのあまり剣を抜いて母を殺そうとします。大変な場面となりました。それほどに阿闍世の瞋怒は強く、母の韋提希の命は風前の灯となったのです。
 善導の解釈は次のとおりです。
 「『即執利剣』と言う已下、此れ世王(せおう)(いか)(さか)りにして、逆、母に及ぶことを明かす。何ぞ其れ痛ましき哉や。(こうべ)()りて剣を()す。身命(たちまち)須臾(しゅゆ)に在り。慈母合掌して身を曲げ頭を(うなだ)れて児の手に就く。夫人(ぶにん)爾時(そのとき)熱き汗(あまね)く流れて心身悶絶す。嗚呼(ああ)、哀れなる哉。怳忽(こうこつ)の間に斯の苦難に逢える。」(親全71 聖全478 ノート76)

 ここは胸を貫かれる場面ですね。この場面全体を善導は、「逆、母に及ぶことを明かす」と確認します。この「及ぶ」の表現が、阿闍世と父と母の間に何があったのかを表わしているように思えます。
 「賊」の思いが父でとどまらず、母にまで至ったのです。その至る動きを押さえて、「何ぞ其れ痛ましき哉や」と、一方は母親に剣を向け、一方はわが子の手をとって許しを請う、痛ましい母と子の悲劇の様相を表わすのです。この場面を読んで、心をわずかでも震わせない人がいるでしょうか。

 親は子を愛するが、子は親を怨む。親の愛と子の怨みはどちらが強いのか。阿闍世は父を怨む。怨むことで自分自身も苦しむわけです。その自分の思いをどこに持って行くか。それは母です。しかしじつはその母が「賊」である父を助けていることを知った時、阿闍世は我が心をどこにも持っていきようがなくなる。加えて守門者には侮蔑(ぶべつ)されるわけです。阿闍世は出口を失いました。
 「お母さん、どうしたらいいんですか」。子の心には深く母を慕い、母に帰る思いがある。その帰る思いが遮断された。どこへ自分の思いをもって行けばいいのか。これは内なる心の叫びです。表立って母親を呼びはしない。
 その深く内なる心であるために、遮断された時の爆発は大きなものがあるのです。もはや正当な理性の行使ではない。内に隠れていた魔の心が、機会到来とばかりに飛び出すのです。それが瞋怒(しんぬ)の心でしょう。

 心の底からの怒りです。心の底から起こってくるものは、重厚で価値のあるもののような思いもしますが、しかし、では心の底に何がある、と問われれば、底なしの沼しかないと言わねばならない。宝の蔵ですとは言えないのです。
 その暗闇の沼から溢れ出るものは、およそ理性を超え統制を失い破壊的に爆発するもの。人間の心はそのように動いてしまう。この経験を持たない人があるでしょうか。その計り知れない過激性を表わす表現が後に出ます。インドの歴史を調べてみると、父親を殺して王位に就いた者は一万八千も例がある。しかし、母親を殺して王位に就いたという例は一つも無いと。

 母に罪はないのです。ですから、父王を禁じた時、警戒は諸臣に対してだけ行わせて、母を警戒せよとは言わなかった。この阿闍世の対応がじつは正しかったのです。母を警戒する者などおりません。
 しかし、その母が父を助けた。この行為をどう判断するか。ここが分かれ目ですね。子に寄せる親の愛と、親に向ける子の怨み。両者の戦いの場です。
 父親との関わりは今は措いて、子である自身を深く愛してきた母を、「父を助けた」ということで、長年にわたる深い愛を、怨みの心が一瞬のうちに超えてしまうのか。それとも思いとどまって、愛の中に引き続き身を置くのか。

 しかし、この問いは熟考などされない。瞬時に爆発する瞋怒の心によって、この問いは木っ端微塵に砕けた。ただあるのは、剣を抜いて母に切りつけようとする阿闍世の姿なのです。
 ここに煩悩具足の存在があります。資料を綿密に検討し理性的に判断して然るべき結論を導き出そうとする観念は、一瞬の内に砕け散るのです。ここに人間があります。このような経験のない人もまた、一人もいないでしょう。

 瞋怒の心が阿闍世の全体を支配します。瞋怒の心が「わが母はこれ賊なり。賊と伴なればなり」と言わしめたのです。「逆」の思いは、自分を殺そうとしたという意味での「賊」である父王への思いであった。しかし、父王を助けた母を、父王の「伴」であったと位置づけ、「賊」の伴である者もまた「賊」であると決めつけた。
 これが事実だったのです。この時に「母の愛」は吹っ飛んだ。父が「賊」であることはいよいよ強固なものとなった。これが阿闍世の上に起こったことです。

 「逆」とは殺すということです。「賊」である父を牢内にて餓死させようとした。父に対して「逆」を行ったわけです。その「逆」の行為を、母を「賊と伴である」と断定したことによって、「愛」を超えて母にまで及ぼすことになった。あってはならないこのことは、瞋怒の煩悩によって瞬時に引き起こされたのです。
 ここに「何ぞ其れ痛ましき哉」の嘆きがあるのでしょう。煩悩によって、人生で一番大切な母を殺してしまうとは。煩悩など、長年注がれたあふれるほどの愛の量の前には、かけらほどのものでしかないとも思えます。
 しかし、煩悩の正体は、逆にあふれる愛をかけらのように蹴散(けち)らし、自らの暴意で一帯を蹂躙(じゅうりん)するのです。愛も踏みにじり、母をも殺す。それも自ら利剣を母の首に向けて。阿闍世は母を失おうとしているのです。なんという痛ましいことでしょうか。

 「何ぞ其れ痛ましき哉や。頭を撮りて剣を擬す。身命(たちまち)に須臾に在り。慈母合掌して身を曲げ頭を低れて児の手に就く。夫人爾時熱き汗遍く流れて心身悶絶す。」
 阿闍世は母韋提希を呼び出します。目の前に連れ出された韋提希は、万事を知ります。阿闍世は韋提希の髪を引っ掴み、剣を抜いて韋提希の首にあてがいます。「擬」の字に親鸞聖人は「アツ」と仮名を打っています。後に「中」を「あつ」と読んでいるところがありますから、「あてる」の意味でしょうか。ただ「あてる」ということでしたら、母の首に剣をあてたということで、それでいいわけです。

 もう一つ、文字の意味から考えれば、そもそも「擬」の右の「疑」は、「人が進退することに迷うて、後ろを顧みて凝然としてたたずむ形」です。そこから「擬」は、「ある行為に出ようとする時の、思いはかる状態をいう語」(『字統』)ということですから、これを踏まえれば、韋提希に剣を突きつけた時の、阿闍世の何らかの思いはからいを表わそうとしていることになります。
 剣をあてたのですが、ただ形の上での行為だけがあったのではなく、そこに剣をあてた者の「思い」があるというわけですね。それはいったい何でしょうか。

 このことについては、善導自身はこれ以上は何も触れていません。強いて言えば、これまで見てきたこと。即ち、父を「賊」と見て逆害を起こし、「賊」の伴であったことで母をも「賊」とみなして逆害を起こそうとする。その一連の自身の思いの展開が凝縮されて剣を握る阿闍世の脳裏を横切ったということでしょうか。
 或いは又、これが本来ではないけれどもやむをえないのだと、荒れ狂う自らの瞋怒の心の嵐の中で一瞬考えたということでしょうか。
 とすれば、いずれにしても、猛烈な瞋怒による行為であるけれども、そこには「思い・考え」というのは一片もないのではないということになります。わずかにあるけれども、瞋怒の嵐の中に蹴散らかされている。又、その「思い・考え」自体が、もともと瞋怒の心のもとでのそれであったわけですから、致し方はありませんね。この理解は、聖人の読み方とは別に、文字そのものの意味から考えてみたことです。
    
 「身命頓に須臾に在り」韋提希の命は、あっという間に、瞬時に無くなってしまう命となった。主人に食べ物を運ぶ時はそれなりによかった。しかし、そのことが発覚して阿闍世の前に連れ出され刀を突きつけられた時、自らの命は、次の瞬間には無くなってもおかしくはない、風前の灯となったのです。
 「須臾」はほんの僅かな時間ですが、この場合は、剣を首に突き刺す、その剣が首までの距離を移動する僅かな時間が「須臾」ということになります。まさにその数センチだけの命となったと。なんという驚きだったでしょう。悲劇的運命への急転直下の展開。どれほど胸を締め付けられ、どれほどわが子に気持ちを訴えたいと願ったことでしょうか。

 「慈母合掌して身を曲げ頭を(うなだ)れて児の手に就く」
 韋提希を「慈母」と表現していますが、これは誰の心を表わしたものでしょうか。韋提希自らは自分をこう言わないでしょう。とすれば阿闍世です。身を曲げ頭をうなだれて自分の手を握り、「アジャセよこらえておくれ、助けておくれ」と哀願する韋提希の上に、阿闍世は「慈母」を見たのでしょう。
 阿闍世もこれまで窮地に陥った時、「お母さん、助けてくれ。どうしたらいいんだ」と何度も訴えた、帰るべき最後の人なのです。
 まさにその人であることは彼の頭は分かっている。しかし、だからと言って剣の手を緩めることはしない。瞋怒の心がそうさせないのです。母は慈母のつもりであった。だから、父王の牢の警戒も、特別に母を対象にはしなかった。信じていたのです。
 それがひっくり返った。「賊」の味方であった。自分を殺そうとした者を助ける者であった。であれば、断じて許すことはできない。その思いがこの場面を作ったのです。

 その慈母が阿闍世の手を取って、こらえてくれと命乞いをしている。「児の手に就く」握っている手は、韋提希にとっては阿闍世王の手ではない。わが子阿闍世の手なのです。それも幼きわが児の手なのです。
 母親にとって、わが子の黄金時代は幼児の頃でしょう。何でも言うことを聞き、手を握り合い、一つの世界を生きていた。眼前のわが子を見ても、母の心の奥には、幼時のその児がいる。母子の深い関係の奥に帰っていこうとする目指す一点は、幼児の頃の関係。そこに確固とした母子関係の姿があった。この思いが、剣を突きつけられた母韋提希の心の中にあふれんばかりにある。阿闍世はわが児なのです。

 一方どうしたことか、阿闍世は「賊」である母から手を握られている。なぜ、握ろうとする「賊」の手を振り払わないのか。手を握られるなど、あってはならないことではないのか。思いが錯綜し乱れた阿闍世の心の中を覗くようです。
 阿闍世よ、お前はどうしたいのか。いやいや、したいことは一つに決まっている。慈母の手をしっかりと握り返すことだよ。こんなことをして悪かったと、これまでの深い愛情と計り知れないご恩を、こんなことで踏みにじってしまって悪かったと。お母さん、もう大丈夫だよと。

 しかし、阿闍世にはそれができない。時は待たない。次の場面は、その利剣で母の首を突くことである。ああ、残された時間は、まさに須臾。その須臾が無情に過ぎれば母を殺すことになる。須臾よ、どうか長く延びてくれ。須臾よ、どうか阿闍世のまごころに気づいて延びてくれ。その時韋提希のからだ全体から、熱き汗がほとばしるように流れ、ついに心身悶絶して倒れたのです。

哀れなる哉、怳忽の間に
 「嗚呼、哀れなる哉。怳忽の間に斯の苦難に逢える」
 最後に善導はこの言葉で第三段落の全体をまとめます。まことに哀れなるかな。なんという哀れなことになってしまったのか。およそこのようなことになろうとは、韋提希は考えてもみなかったでしょう。「怳忽の間に」このような運命になってしまった。自分は何をしていたのだろう。
 「怳忽の間に」というのは、何の予想も準備もしていなくて、気がついたらこうなっていたという意味合いでしょう。そこには、なぜこんなことになってしまったのかという当惑がある。また、なぜこんなことにならねばならないのかという運命への呪いがある。さらに、こうなってしまうとは、自分は何をしていたのだろう、愚かなことであったという自責の念もあるでしょう。

 『観経』を解釈する時、善導大師はいくつかの場面を「怳忽(こうこつ)の間に」あるいは「忽然として」起こったことだと押さえます。「忽」は祝禱(しゅくとう)・盟誓の書を(ひら)く際の極度の緊張・放心の状態をいいます。それを恍惚という。
 「惚」は道の微妙にして容易に知覚し難いことをいいます。何の準備もなく、思いも及ばせなかったところに、しかも大事なことが起こる。気がついたら、こうなっていた。これが人間の特徴なのでしょう。

 たとえば、既に読んだところですが、禁父縁の初めのほうで、阿闍世が「調達悪友の教えに随順」するところがありました。この箇所を善導は押さえて、「正しく闍王、怳忽の間に悪人の誤またるることを信受することを明かす」と述べます。
 「怳忽の間」だから、あっという間なのかといえばそうではなく、実際は随分と長い。提婆が阿闍世を唆す長編ストーリーを善導は観経疏に挿入します。見てきましたように、途中何箇所も阿闍世が確認するような場面はあったのですが、それでもなお、気がついてみれば、自分は何をしていたんだろうということになる。

 ということは、人は普段のほとんどの時は正気で正しくものを考えることができるけれども、何かの拍子で、たまにその時だけ意識が飛んでしまう、というのではなさそうですね。しっかりと考えて間違いないと判断しているその全体が怳忽の間なのではないか。そのようにさえ思えます。
 現に何十年とそれなりに考えてやってきて、そして今、どういう感慨を持つか。「どうして自分はこうなったんだろう」どうもこのせりふが一番ふさわしいような感じがします。

 もう一つ、ずっと後の正宗分散善義に「三心の教え」というのがあり、その中に「二河白道の譬え」が説かれます。『観経』の全体を善導が分かりやすい物語で説いたのです。
 初めに人生とはどのようなところか、私たちの歩みのいわば人生という舞台の説明があります。
 人が真実を得ようと歩んでいけば、必ずそこには、忽然として二河がある。これが人生だということですね。二河は歩む者自身の貪愛の水の河と瞋憎の火の河です。貪欲瞋恚が忽然として現われるのが、道を求める人生というものだということですね。

 さてその人生を、実際に一人の旅人が歩いてみる。どうなるか。案の定、その歩みの途上で、忽然として貪欲瞋恚の二河に出遇い、二進も三進もいかなくなるのです。人生とは何かの説明の時に、あれほど言ったじゃないか。どうしてそれをしっかり弁えておかなかったんだ。こう責められる感じですね。
 自分の中に貪欲瞋恚という大煩悩があって、すべての歩みを破壊してしまう。その貪欲瞋恚には忽然として出遇うものだ。このことをよく弁えて、実際に歩む時には、そういうことのないように。いいね、と。

 しかし、いくらこのように事前学習をしても、つるっとして身に染まないのです。私たちの感覚も意識も思考も、煩悩の手前側にある。遥か彼方の煩悩は、観念では分かっていても、身に沁みてはわからない。忽然として出遇ってみて、お前は何者だ、と叫ぶようなことなのです。
 これが煩悩。煩悩が我がうちのどこにあるか。よく踏まえておかねばならない。あ、いやいや、いくらそうしてもだめだということですね。

 阿闍世の人生は順調であった。まさか、提婆のような者がいて、これに(だま)されるとは思ってもみなかったのです。なぜ騙されたか。提婆は阿闍世の煩悩を利用した。それもまた瞋恚です。一部権力欲の貪欲もあるでしょう。人間は煩悩の存在である。ここに針一本の刺激を加えれば、どんな大人物も春の嵐の花びらのように飛んでいく。このことを知っていたのが提婆です。悪友ですね。
 悲劇は怳忽の間に忽然として起こる。まさに、私たちもまた実感するところですね。以上で第三段落を終わります。なかなか大変なところでした。


(三) 二大臣の諫言

月光の聡明多智

 次に第四段落に進みましょう。経文はやや長いところです。
 「時に一臣有り、名けて月光と曰う。聡明多智なり。及び耆婆と王の為に作禮し(もう)して(もう)さく。『大王、臣、眦陀論経(びだろんぎょう)に説くを聞く。刧初(こうしょ)より已来(このかた)、諸の悪王有り。国位を貪るが故に其の父を殺害すること一萬八千なり。未だ曾て無道に母を害すること有るを聞かず。王今此の殺逆の事を為さば刹利種(せつりしゅ)を汚さん。臣聞くに忍びず。これ栴陀羅(せんだら)なり。宜しく此に住すべからず。』時に二大臣、此の語を説き(おわ)りて手を持って剣を按じ卻行(きゃくぎょう)して退く。」(東90 西88 島2-2)

 阿闍世の剣が今まさに韋提希を突かんとする時、大臣たちがやって来て、阿闍世を(いさ)め、とめます。この場面も、なかなか大事な問題が潜んでいるようです。
 「時に一臣有り」この表現に注意すべきでしょう。まさにその時、一人の大臣があった。名を月光というと。阿闍世の行為をとめるために現れた大臣を「一臣」と押さえます。そして、そのうえで「及び耆婆と王の為に作禮し白して言さく」と。
 じつは大臣は二人やってきた。月光と耆婆です。しかし、「時に二臣有り」とは言わない。二人やってくれば、こう言う筈ですが、言わない。現れた大臣は一人、月光。耆婆はあくまでも「及び」の存在です。これがいったい何を意味するのでしょうか。

 この第四段落の善導の解釈はとても詳しく、ほぼすべての言葉を逐一解釈しています。このようなやり方は『観経疏』全体から見ても珍しいのではないかと思います。一応全体を見て、最後にまとめて考えてみましょう。

 まず初めに、段落全体の趣旨です。
 「『時有一臣名日月光』と云う従り下『卻行而退』に至る已来は、正しく二臣切諌して、(ゆる)さざることを明かす。此れは二臣乃ち是れ国の輔相(ほしょう)、立政の綱紀なり。万国に名を揚げ、八方に昉習(ほうじゅう)することを得んと望む。忽ちに闍王の勃逆(ぼつぎゃく)を起こすを見て、剣を執りてその母を殺せんと欲す。斯の悪事を見るに忍ばずして、遂に耆婆と顔を犯して諌を設くることを明かす。」(親全71 聖全478 ノート76)

 この一段は、二人の大臣が来て阿闍世の行為を許さず、諫言(かんげん)することを明かすところであると。切諌(せっかん)の「切」は、刻み迫る意です。家臣であるけれども、敢えて行為をとどまらせようと阿闍世王に迫る場面だというわけです。
 二人の大臣は「是れ国の輔相、立政の綱紀なり」。月光と耆婆という二人の大臣は、国王をたすけ、自らが政治の綱紀である。「綱」は大きなつな、「紀」は小さなつな。政治の大小あらゆる面を大臣がつかさどる。
 綱紀を握っている大臣が正しい言動を行えば、因が正しくなるわけで、果として国の全体が正しくなる。大臣は重要な職を担っているのです。

 さらに、「万国に名を揚げ」、国の名を四海の万国にむけて高めたい。「八方に昉習することを得んと望む」、昉は(なら)うと同じで、見本として従い真似る。輔佐(ほさ)の大臣の言動は、八方の国の皆が真似をし習い学びたいもの。
 ですから、宰相月光も、この国の名を世界に知らしめ、自らの言動を周囲の国々の人たちが見本として真似るようにしたいのです。政治家としての正しき関心と言えるでしょう。

 その月光大臣が「忽ちに闍王の勃逆を起こすを見て、剣を執りてその母を殺せんと欲す。斯の悪事を見るに忍ばずして、遂に耆婆と顔を犯して諌を設くることを明かす。」
 政治的関心を強く持っていた月光が、阿闍世王が突然に母を殺そうとする事件を起こし、許すことができず、これをとめようと現れた。先の頻婆娑羅王が捕らえられた時には現れなかったのです。
 ということは、頻婆娑羅王の件は月光の考えでは政治の中のことだったというわけでしょう。しかし、母を殺すということになれば、政治の問題を超える。父を殺すことは政治の上ではやむをえないことである。しかし、母を殺すことは、いかによき政治が敷かれていても、それを打ち壊すことになる。この判断が月光大臣に起こったわけですね。

 この時、「耆婆と顔を犯して諌を設くる」と。「顔を犯す」というのは、相手が申しにくい相手でも、その人に向けて敢えて申し上げるのです。それほどの一大事だというわけですね。
 さらに、母を殺すというこの一大事に、月光は耆婆を連れて来ます。一人では来ない。ということは、これは政治の問題を超えて、人の道の問題、さらには宗教の問題であると月光は判断したわけです。ここまでは大まかなまとめですが、これ以後の経文について善導は詳しく検討します。

 「『時』と言うは、まさに闍王、母を殺さんと欲する時に当たれり。『有一大臣』と言うは、其の位を彰わすなり。『月光』と言うは、其の名を彰わすなり。『聡明多智』と言うは、其の徳を顕す。」
 阿闍世が母を殺そうとする時、月光はこれをとめに現われた。頻婆娑羅王のときは現れない。この「時」がなかったわけです。月光と耆婆が現われるのですが、その描写は、月光について経典では「一臣有り、名けて月光と曰う。聡明多智なり」とあり、耆婆については「及び耆婆と」というだけです。大きな違いがありますね。

 今ここでは政治のレベルを前面に出して描写がされています。人間的宗教的な面は大きな問題ですけれども、奥に隠されている。しかし、現われた月光は、政治と宗教の両方でもって阿闍世の前に現れたのです。それを今「聡明多智」と表わしているのでしょう。このあたりは月光大臣の聡明多智さに目を瞠るべきところでしょうね。

 月光の聡明多智とは具体的に何を指しているでしょうか。大きく二つあると思います。
 第一は、一連の悲劇に対して、政治の立場をしっかり押さえたということです。即ち、阿闍世が頻婆娑羅王を捕らえ殺すということは、大変なことに違いないけれども、じつは、政治上は許されることであると判断した。後に出るように、そのようなことは過去に無数の例があったからです。
 同時に、しかし母を殺すことは許してはならないことだと判断した。無道に母を殺して王位に就くとすれば、国威に影響し、刹利種という種族の権威を落とすことになる。大変なことです。これは黙っているわけにはいかない。相手は王と雖も、失礼を押して敢えて諫言し、とめようとしたのです。この判断は素晴らしかった。

 第二は、阿闍世をとめるのに、自分ひとりで行かず、耆婆を連れて行ったということです。月光には政治的な解決は十分できる。しかし、阿闍世に思いとどまらせるには、政治の力だけでは足らない。いわゆる心の力が必要。それには、いかに宰相といえども自分が出るのではなく、耆婆がふさわしい存在だ。月光はこう判断したのですね。

 阿闍世にとって耆婆はどのような存在か。耆婆について善導は次のように述べます。
 「『及与(ぎゅうよ)耆婆』と言うは、耆婆亦是れ父の王の子、奈女(なにょ)の児なり。(たちま)ちに家兄(けきょう)の母に於いて逆を起こすを見て、遂に月光と同じく(いまし)めて。」
 耆婆は頻婆娑羅王の子であり、奈女が生んだ子であると。奈女という女性については、次のような言い伝えがあるようです。毘舎離国に一人の若い出家がいた。一本の奈樹(梨の木)をもらって帰り、自分の庭に植えた。どんどん大きくなって、天を覆うようにはびこってしまった。
 出家がその上に登ってみると、池があり、花が一つ咲いていた。その花の中に非常に美しい童女がいた。その子を連れ帰り養育していた。この子が奈女ですね。その美しさに七つの国の王が童女を欲しがり、どの王のものにするか話し合って決めてほしいと出家は提案した。論議の隙に頻婆娑羅王がこっそりと奈女を自分のものにした。そしてできた子が耆婆であると。

 耆婆が八歳の時に、自分の父は頻婆娑羅王であることを知り、王舎城に到って太子となります。しかし、その二年後、嫡子阿闍世が生まれ、耆婆は城を出て他国へ行き、医学を学びます。帰国後、病を次々と治して名声が天下に響きます。これを知って頻婆娑羅王は、耆婆を釈尊や仏弟子の侍医とし、又この国の大臣にもなったわけです。
 従って、阿闍世よりも十歳年上の義兄ということになります。善導は「家兄の母に於いて逆を起こす」と表現しています。阿闍世を「家兄」としているのは、年齢は耆婆より下であっても、嫡子であるために「兄」と呼んでいるのです。

 続いて、「王の為に作禮し白して言さく」この箇所を、「『為王作礼』と言うは、凡そ大人を諮諌(しかん)せんと欲するの法、(かなら)ず拝を設けて以って身敬を表す。今此の二臣亦しかなり。先ず身敬を設けて、王の心を覚動す。手を(おさ)()を曲げて本意を陳ぶ。」と善導は述べます。

 王に対してしかも諫めるということは大変なこと。まず深く礼をなさねばならない。その礼をなすということが、心乱れている王を落ち着かせ、しっかりとした対応を引き出すことになる。礼には礼を以って応えるのが自然で、相手の礼に誘われて自然に起こる自らの礼の気持ちが、自分自身を落ち着かせ、相手に向かわせることになるのです。
 二人の大臣はこの意味で礼をなし、手は手出しをするようなことをせずにおさめ、身体を曲げて敬意を表わしつつ、しかも自らの本意を述べたのです。本意と言えば、母上を殺すことはおやめ頂きたいという諫言ですね。姿勢は謙虚ですが、申し上げることは厳しい内容。緊迫の場面ですね。

 「又『白言大王』と云うは、此れは月光正しく(ことば)を陳べんと欲することを明かす。闍王、心を開いて聴攬(ちょうらん)せんことを得んと望む。此の因縁の為の故に、(すべか)らく先ず白すべし。」
 「大王に(もう)して(もう)さく」とは、「大王様に申し上げます」ということですね。この言葉を月光が発するのは、自分の本心を開いてどうしても王に申し上げたいことがあるので、王に於かれては心を開いて、私の申し上げることを、私の心の中に手を入れるほどに聞き取ってほしいとお願いをする意味を持っています。
 王に思いとどまらせる最初の時点で失敗すれば大変なことになる。慎重にも慎重を重ねて月光は行動するのです。ここにも聡明多智が現れていますね。

無道に母を害す
 次の文は、月光が阿闍世に申し上げた内容です。少しずつ区切ってみていきましょう。
 「大王、臣、眦陀論経(びだろんきょう)に説くを聞く。刧初(こうしょ)より已来(このかた)、諸の悪王有り。国位を(むさぼ)るが故に其の父を殺害すること一萬八千なり。未だ(かつ)て無道に母を害すること有るを聞かず。」
 父王を殺すことと母を殺すことの違いが述べられます。善導の領解はとても詳しいですね。

 「『臣眦陀論経説』と言うは、此れは、広く古今の書史、歴帝の文記を引くことを明かす。古人の云わく。典に(あつ)からざるは、君子の()ずる所なり。今既に諌事すること軽からず。()に虚言をもって妄説すべけんや。」
 月光大臣は『眦陀論経』という経典を典拠にして申し上げるのです。単に個人の見解ではなく、歴史的にこうなのだと客観的な資料をもって王に迫るのです。
 『眦陀論経』の「眦陀(びだ)」とはVeda(ヴェーダ)の音写です。他には、「吠陀」「韋陀」という音写もあります。古代インドのバラモン教の聖典です。内容は、「広く古今の書史、歴帝の文記を引く」とありますように、神々の讃歌・祭詞・歌詠・呪文などが集められています。

 「關」は「関」と同じで、門にかんぬきをすることです。ここでは「あつい」と読ませて、経典に詳しい、大事にするの意かと思います。王に対して、経典を大事にしないことは「君子の慚ずるところなり」と、経典を論拠として出す際に、受け入れ側の王が経典を大事なものとして受けとめるはずであるという前提を、こうして確保するわけです。経典を出して論じても、俺は知らんぞと言われればそれまでですから。
 これから私(月光)が申し上げることはとても重いことであって、嘘偽りを(みだ)りに申しているのではないのだと。申し上げるに際して、必ずこれを受けとめてもらえるように、準備万端の手続きをするわけですね。

 「『劫初已来』と言うは、其の時を彰わす。『有諸悪王』と言うは、此れは、惣じて非礼暴逆の人を(あら)わすことを明かす。『貪国位故』と言うは、此れは非意に父の坐処を貪奪するなり。『殺害其父』と言うは、此れは既に父に於いて悪を起こすに、久しく留まるべからず。故に須らく命を断つべしと云うことを明かす。『一万八千』と言うは、此れ王今父を殺せること、彼と類同することを明かす。」

 「劫初已来」は天地の開闢以来。大きく来ましたね。この大きな表現は「其の時を彰わす」。この「時」とは王子が王を殺して王位に就く時です。この事件は一度や二度のことではなく、無数にあるということを、劫初以来、天地の開闢以来、およそ人が生まれ国が開かれたその時から、父王を殺すということは行われてきたのだということを強調しているのです。
 諸々の悪王があって、皆非礼暴逆の人であったと。「礼楽征伐、天子より出ず」という言葉があります。礼すなわち社会の秩序も、楽すなわち人心を和らげることも、皆天子から起こることであり、そこに政治の根幹があるのだと。ところが天子は皆、自ら礼に背き人心を乱し、父を殺して王位に就いた者である。なんと暴虐な王たちであろうか。

 「非意に父の坐処を貪奪する」間違った心で父王の王位を貪り奪った。王位を奪うところには強い貪欲の心があったのだと。「父を殺害する」ということは、自ら王位を奪ったあとも、無冠の父を生きさせておくのはいけない、直ちに殺さなければと王たちは皆考えたのだと。
 「一万八千」とは、阿闍世王が今父を殺した、そのように父を殺した者がこれまで一万八千もあるのだと。ただ「多い」と言わず、具体的な数字を挙げて、その圧倒的な数を表わし、結論として父王を殺すことの正当性を認めざるを得ないという説得性を持たそうとしているのでしょう。

 ここまでは父王を殺すことについてです。次は母を殺すことについて。
 「『未曾聞有無道害母』と言うは、此れ(いにしえ)より今に至って父を害して位を取れることは、史籍の良談なり。国を貪して母を(せっ)することは、(すべ)て記せる処無きことを明かす。」

 このように父王を殺して王位に就くことは数多くあって、このことを史籍に記録することが、後の人々にとって、人のあり方を教える見本となり(かがみ)となる。やむをえないことであるけれども、王たちの行動は悪の象徴として後の人の心に刻まれる。
 そしてその王に身命を賭して諫言をした家臣があったという記録もまた、悪王に対して善なる家臣がいたということで、勧善懲悪のストーリーが成り立ち、良き話題、良談となるのだと。悪王たちは、後の人々の中で、良談の主人公として新たな輝きを放つのです。
 しかし、それも、父王を殺しただけであって、国位を貪るために母を殺したという記録は全くないのだと。父と母を殺すことの決定的な意味の違いを鮮明にするのです。

 「若し、劫初より已来を論ぜば、悪王の国を貪ぜん、但だ其の父を殺して慈母を加えず。此れ則ち古を引きて今に異す。大王今国を貪じて父を殺す。父は則ち、位の貪ずべき有り。古に類同せしむべし。母は則ち位として求むべき無し。横に逆害を加う。是を以って将に今、昔に異すなり。」

 ここでは、父王を殺すことについて、過去と現在の在り方が押さえられます。二つの視点です。
 第一は、過去の無数の実例からみて現在の阿闍世の姿はどうであるかという視点です。過去の悪王たちは国位を貪り、王である父を殺しただけであった。慈悲深い母を殺すことなど決してなかった。しかし、現在の阿闍世王はどうであるかと。
 第二の視点は、逆に現在の阿闍世の姿をあげ、過去の王たちとどう違うかという視点です。阿闍世もまた国位を貪るが故に父を殺した。父がまさに王位にあったからである。このことは過去の王たちと同じである。しかし、奪うべき位が何もない母をも殺すということは、無道の行為であり、これは過去の王たちにはなかったことであると。

 父を殺すことは非道であり、母を殺すことは無道なのです。道に非ざることをすることは、悪には違いないが、しいて言えば、悪の中に於いて道理があると言うべきでしょうか。国位を貪るから王位にあるものを殺す。悪の行為ですが道理は成り立つ。この道理感が、「しかたない」という感情を引き起こすのでしょう。
 しかし、無道とは、道無きことを行うことです。道の無いところに、それでも何らかの道があるだろうということはない。道は無いのです。母を殺すことに対して、世界の誰一人として賛同する者はいない。王位を奪おうとする者が、王位に就いていない母を殺す理由など皆無なのです。
 こうして、母を殺すことがいかに無道で重大な悪業かということを明らかにしていきます。その重大さを具体的に表わすのが次の文です。

刹利種を汚す
 「王今此の殺母を為さば、刹利の種を汚してんと言う。『刹利』と言うは、乃ち是れ四姓の高元、王者の種、代々相承す。豈に凡砕に同じからんや。」
 王が母を殺せば刹利種を汚すことになる。インドにはカースト制度がありました。四姓制度といいます。厳然とした身分差別制度で、上から司祭者のブラーフマン、王族のクシャトリア、庶民のヴァイシャ、奴隷のシュードラの四つからなる階級です。政治支配は王族が行いますから、阿闍世も月光もクシャトリアの階級です。刹利種というのはクシャトリアのこと。
 このクシャトリア階級が「四姓の高元」であると。元は首ですね。四姓の一番の中心であり、代々王者の階級である。けっして凡砕と同じではないと。凡砕は凡卑・細石。数の内に入らないような卑しい者です。クシャトリアは大変な階級であることがわかります。四姓制度は古代からのもので、今日では憲法で禁止されていますが、しかし厳然として残っているのが実情のようです。

 「『臣不忍聞』と言うは、王の悪を起こすを見るに、宗親を損辱(そんにく)して悪声流布せん。我の性望(しょうもう)、恥じ()ずること(ところ)なし。」
 経典の「臣聞くに忍びず。これ栴陀羅(せんだら)なり」のところですね。王を諫言(かんげん)する一連の言葉の核心となるところでしょう。「王の悪を起こすを見るに」以下を意訳してみますと、「阿闍世王が母を殺せば、クシャトリアの元祖までも辱めることとなり、悪王阿闍世の名が世に伝えられていくでしょう。このことを思えば、阿闍世王はともかくも、私の人間としての本性はこれを恥ずかしく思い、その愧じの思いはどこへ持っていきようもありません。」と。

 「我の性望、恥じ愧ずること(ところ)なし」この箇所が少し意味が取りにくいですね。「望」は愧じるということ。めったにこの意味では使われないように思いますが、孟子が「望望然として之を去る」などと使っていて、この文の註に「望望然と云うは慙愧の(かおばせ)なり」と記した書物があるようです。「我の性、望にして」と読めばもっとわかりやすいのではないかと思います。
 そこでその「我の性」という表現ですが、今、母を殺そうとして、これを一向に愧じようとしないのが阿闍世。それに対して、これを諫めとめようとする月光は、「王よ、あなたはお愧じにならなくても、私は愧じるしかありません」ということで、月光が自分のことを「我」と言っているわけです。

 「恥じ愧ずること(ところ)なし」この愧じは大きな愧じであり、どこを場にして愧じればいいか、愧じるに適当な場がない、というわけで、場所がないことで逆に愧じの大きさを表わしているわけですね。私たちの普段の発想で言えば、恥ずかしくて入る穴がない、といったところでしょうか。

 ただ、この「望」を親鸞聖人は「ぼう」と同時に「のぞむ」とも読んでいます。「望」の字の右の振り仮名が「ぼう」、左の左訓が「のぞむ」です。この限りでは、聖人は「愧じる」の意で受けとめたかどうかは分かりません。むしろそうでないような感じもします。読み方は「ぼう」であり、意味は「のぞむ」であると。
 では、「望」の意味を「愧じる」でなく「のぞむ」ととった場合は、全体はどのような意味になるか。意訳してみましょう。「我々、すべての者から観望される四姓の最も勝れたる者が、母を殺した者という悪名を流されては、なんという恥ずかしいことか。その愧じの思いはどこへ持っていきようもありません。」こういうことでしょうか。
 「性」は四姓の「姓」に通じ、「望」は、四姓の最高のクシャトリアを人々が目当てにして観望するの意になるでしょう。さてどちらを取りましょうか。

 「『是栴陀羅』と言うは、乃ち是れ四姓の下流なり。此れ乃ち性、匈悪を懐いて仁義を(なら)わず。人の皮を()たりと雖も、行、禽獣に同じ。王は上族に居して押して万基の主を臨む。今既に悪を起こして恩に加う。彼の下流と何ぞ異ならんや。」
 「是れ栴陀羅なり」という言葉は強烈です。月光が発する、いわば殺し文句でしょうね。「栴陀羅」は四姓の中の一つではなく、四姓を下に超えた四姓外の階級です。「四姓之下流」という時の「之」は別体の之の字といわれ、四姓の中の下流ではなく、四姓の外の、しかも四姓に対して下流であることを意味します。カーストの外、アウトカーストですね。

 この栴陀羅の説明が大変な表現でなされています。
 「匈悪を懐いて」悪強にして暴悪。執暴悪人。常に殺を業とすと言われます。そして仁義を全く取り失っている。外見は人の姿であっても、なすことは禽獣と同じであると。
 それに対して王は四姓の中の上なる階級であり、あらゆる者を上から押さえて臨むことができるのである。その階級にある者が、母を殺すという悪事を起こし、恩のある母に加えるとすれば、下流の栴陀羅とどこが違おうか。こういう厳しい諫言ですね。

 クシャトリアは他の階級を支配します。支配されるヴァイシャやシュードラは、支配されてばかりではいい気持ちがせず、クシャトリアに抵抗するでしょう。そこで、四姓の四つの階級のほかに、それらよりも下のものとして栴陀羅が作られたのです。そうなると、ヴァイシャやスードラは、この栴陀羅を支配できます。クシャトリアに支配されても栴陀羅を支配できる。
 これでヴァイシャやシュードラはクシャトリアに抵抗しなくなる。支配される腹いせを栴陀羅に向ければいいわけですから。それで四姓が保たれていく。四姓を成り立たせているのは、じつは最下流の栴陀羅なのです。

 栴陀羅の存在は、クシャトリアにとって絶対になければならないもの。それだけに、栴陀羅に対して申し訳ないという思いは、決して声をあげることはなくとも、クシャトリアの一人ひとりの意識の底に沈殿していると思われます。強固に成り立つ制度の中では、僅かの意識さえ起こす必要のない事柄が、時に稀に強烈にその意識の中で自己を問うことがある。

 今、その栴陀羅に、母を殺せば堕ちていきますぞという月光大臣の発言は、クシャトリアとしては、自ら絶対にそうなってはならないと思わせる発言であり、クシャトリアの元祖に(さかのぼ)って辱めを受けるほどの行為という階級構成の存立の問題を真正面から指摘する発言となるのです。
 そしてそれに加えて、四姓のすべてから虐げられ、畜生の如く扱われる栴陀羅。そのように扱われることが四姓の差別制度を安定的に保ち、クシャトリアに代々の支配階級として階級の上位を保たせる鍵となっているのです。
 栴陀羅は道を歩む時、常に錫杖を持ち、中央は歩かなかった。人が近づけば自ら錫杖(しゃくじょう)を振るい、栴陀羅であることを知らしめたのです。人に囲まれ悪口を言われても、言い返すことは許されていなかったと言われます。

 これほどまでにも非人間化し、これをもって自らを支配階級に置き続けたクシャトリア。長年にわたって虐げ続けてきた上位階級の夥しい傲慢意識を我が胸のうちに集積させ、逆に虐げ続けられてきた下流階級の、上位階級の持つ夥しさを遥かに超える無念と恨みと憤りの大集積の壁を前にして、阿闍世は一人の人間に立ち返ったのではないか。
 月光の諫言をものともせずに跳ね返すということもせず、王に諫言する家臣を一刀の元に切り捨てることもしなかった。月光の言葉は阿闍世の胸を打ったのです。突き刺さったのです。
 その刃を握るのは今、政治家・宰相月光ですが、次第に耆婆に移され、頻婆娑羅王が天から握り、ついに、お釈迦様の慈悲と智慧のまごころによって握られ、如来本願・南無阿弥陀仏の刃となって阿闍世の心奥に届いていくのです。

 父を殺そうとしたこと、それを助けた母を殺そうとしたこと、それを諫めた家臣の言葉を受けたこと、これらすべての現実が阿闍世が仏法に近づき出遇っていく縁となった。人生に展開する現実は、喜ばしいものは人を舞い上がらせ、悲しいものは人を引き摺り下ろすだけのものではない。悲喜交流する生死海にあって、悲喜のいかなる現実も、救いを求めようとする人の歩みと無縁のものはないのです。
 すべての現実が人の根源的願いである救いと密接に関わっている。現実の大海が救われていく場なのです。本来的に救いの縁として人生の現実は存在している。それが人生の大きな意味でしょう。
 生まれてこの人生を生きるということが、既に救いのための道場を賜ったということ。人間は救われるために生まれ生きる。人生の現実は救いの縁となるものとしてある。仏教が発するこのメッセージは、大きく伝えられていかねばならないでしょう。人生のかけがえのなさはこの現実のところに大きく存在しているのです。

 続いて経典では「宜しくここに住すべからず」のところです。栴陀羅と同じ身分になってしまえば、もはやこのお城に王としており続けることはできないと。
 「『不宜住此』と言うは、即ち二義有り。一つには、王今悪を造りて風礼を存せず。京邑(けいゆう)神州に豈に栴陀羅を遣わして主たらしめんや。此れ即ち宮城を擯出する意なり。二つには、国に在りと雖も、我が宗親を損す。()かじ、遠く他方に擯して、永く無聞の地に絶えなん。故に『不宜住此』と言うなり。」

 この城にとどまることはできないと申し上げる意味は二つあるのだと。
 第一は、阿闍世王は母を殺そうとし、万民を教えて礼儀を行うという王としての仕事をなし得ていない。我が国の首都であるこの王舎城にあって、どうしてこのような栴陀羅を主としておれようか。こういうことでお城から排斥しようとしているのだと。
 第二は、たとえお城におり続けても、クシャトリアの元祖を辱めるのであるから、遠く地方の便りも行かないところへ追いやってしまいたい。
 第一は、今ここから排斥したい。第二は、その行く先を問題にして、遠い僻地に追いやりたいと。このような意味で、「宜しくここにとどまるべからず」と言ったのだということです。阿闍世王を排斥するにおいての、今のことから行き先のことまで、全体のイメージが月光にはできていたわけで、そこから阿闍世王に厳しく切諌したのです。聡明多智の一端でしょう。

 続いて経文は、「時に二大臣、此の語を説き竟りて手を以って剣を按じ、卻行して退く」のところですね。第四段落最後の場面です。二大臣は諫言を終わって腰の剣を持ちながら後ずさりします。
 「『時二大臣説此語』と言う已下は、此れは二臣直ちに諌むること切にして語極めて(あら)くして広く古今を引いて王の心開悟することを得ることを明かす。『以手按剣』と言うは、臣自ら手を(おさ)えて、剣に(あつ)るなり。」

 二大臣は阿闍世王に対して顔を犯して厳しく言葉も荒く古今の経典を引用して逃げ道のないようにして王の改心を迫ったのです。「手を以って剣を按ず」とは、退く時に剣の柄を手で押さえながらさがったのだと。この退き方に善導は問題を見出します。何事も最後の場面が大事だということでしょうか。

 「問うて曰く。諌辝(かんじ)麁悪(そあく)にして顔を犯すことを避けざらずして、君臣の義、既に(そむ)けり。何を以ってか身を回して直ちに去らずして、即ち『卻行而退』と言うや。」
 二臣は王への失礼をも省みず荒い言葉で諫言をした。ここに至って君と臣の関係は既に壊れていると思われる。それであれば、身を翻して背を王に向け、直ちに引き下がればいいではないか。そのようにせずに、王に向いたまま後ずさりするという君臣の礼儀を乱さぬ在り方をするのはなぜなのか。
 これに加えれば、礼儀を乱さない在り方をしているのに刀に手をやっているのはなぜか、ということもあるでしょう。こういう問いですね。

 「答えて曰く。麁言(そげん)王に逆うと雖も、母を害するの心、息めんことを望む。又恐らくは瞋毒未だ除かず。剣を()くること、己を危うくせんことを。是を以って剣を()して自ら防いで卻行して退く。」
 荒い言葉で王に逆らうようなことを言ったけれども、礼儀を守って後ずさりしたのは、王に対して、母を殺すことをやめてほしい願いがあったからだと。
 さらに「又」と言って、もう一つの問題が同時にあったわけです。阿闍世の母に対する怒りの心はまだおさまっていないであろう。王の腰に剣が(かか)っている。怒りにまかせて王がその剣を抜いたならどうなるか。その時わが身を守るために、二大臣は自らの剣の柄に手をあてて、いつでも抜けるようにして後ずさりしたのだと。大事な問題で王に諫言する家臣の苦労が反映された姿ですね。


(四) 道を失い不安に震える阿闍世

耆婆とのかかわり

 ここまでが第四段落です。月光と阿闍世、そして耆婆の存在。その関わりがもう少し続きます。最後の第八段落までみてみましょう。

 第五段落。経文は、「時に阿闍世、驚怖惶懼し耆婆に告げて言わく。『汝我が為にせざるや』」
 胸打たれる場面です。月光に強く諫められた阿闍世は、その応答をもはや月光に対してすることはできない。月光の言うとおりですから。そして、それ以上に月光の言葉は自らの心深くに食い入ったのです。もはや政治の次元を超え、道を見失い不安に震える人間の心の救いの次元に至ったのです。
 月光大臣の厳しい諫言に応える相手は耆婆しかいない。十歳年上の、ともに頻婆娑羅王を父に持つたった一人の兄。自ら嫡子として王子となったけれども、自分が生まれるまでは耆婆が王子であった。そして耆婆の背後には何か深い安らぎの大きな世界が見える。
 阿闍世は兄に助けを求めると同時に、その心は兄を頼りにしてその背後の深い世界に向かったのでしょう。しかしこのことは自らの心深きところの、しかも小さな動きであって、阿闍世自身には気づかれない。彼が発した言葉は、「お前は私のために何かしてくれるのではないのか」ということだったのです。

 この箇所を善導は次のように述べます。
 「『時阿闍世驚怖』と云う従り下、『汝不為我耶』と云うに至る已来は、正しく世王、恐れを生ずることを明かす。此れ闍世既に二臣諌辝(かんじ)し麁切なるを見る。又剣を()して去るを見て、恐らくは臣、我れを背きて彼の父の王に向かって更に異計を生ぜんことを明かす。情地をして安からざらしむことを致す。故に惶懼(おうく)と称す。」

 全体として、ここは阿闍世王が恐れを生じた場面であると。二大臣から荒く強い切諌をもらった。さらに二臣が切諌の場を締める最後の行為が、礼儀を失わずに後ずさりはしても、手は剣にかけていたことを阿闍世は見逃さなかった。
 その行為からすれば、二臣は自らに背き、頻婆娑羅王とともに何か企みをしているのかもしれない。自分が城を去った後に頻婆娑羅王と大臣たちが再び政権を確立しようとしているのではないかということも当然考えたでしょう。そう思うと、心安らかになれないものがある。
 「闍世既に二臣諌辝し麁切なるを見る」とあります。二臣の諌辞を阿闍世は聞いたのです。しかしそれを「見る」と表わしている。諌めの言葉が阿闍世の心に強烈に焼きついたことを表わしているでしょう。阿闍世は惶懼(おうく)します。恐れおののくのです。

 「彼既に我れを捨てて誰か為にすと知らず。心に疑って決せず。遂に即ち口に問うて之を(あき)らむ。故に『耆婆汝不為我』と云うなり。『耆婆』と言うは、是れ王の弟なり。古人の曰く。家に衰過有るときは、親にあらざれば救わず。汝既に是れ我が弟なれば、豈に月光に同じからんや。」 
 二臣は自分を捨てて誰かにつこうとしている。それは頻婆娑羅王の可能性が高いが、はっきりとは分からない。このような疑いが出るのです。そこで、この疑問をついに口に出してはっきりさせようとする。その時、切諌した月光には問わずに、そばにいる耆婆に尋ねる。
 その尋ね方は、「耆婆よ。お前たちは自分を捨てて誰か他の者のためにしようとしているかもしれないが、俺のためにしてくれないのか。」ということです。
 この「為」は、助けるとか救うという意味のようにも思えますが、講録では、そうではないと言っています。他の者のためにして自分には何もしてくれないのか。他の者について、自分にはついてくれないのか。といったニュアンスでしょうか。この場面ではそうでしょう。ただ、この尋ね方が入り口になって、前述のように、耆婆の背後の世界へと進んでいくことになるのだと思います。

 耆婆に向けて答えたのは、耆婆は弟だからだと。弟というのは家系上のことで、実際は兄であることは申したとおりです。このような問題を解決するのは「親」だけだと。この場合の「親」は「おや」だけでなく、少し広く取って家族・親族でしょうね。古人の曰くといって、家に問題があるときは、家族でなければ解決できないのだと。耆婆は家族。月光は他人ということですね。

 続いて第六段落。経文は、「耆婆、白して言さく。『大王、慎んで母を害する莫れ』と」ですね。
 「『耆婆白言』と云う従り下、『慎莫害母』と云うに至る已来は、二臣重ねて諌することを明かす。此れは耆婆(まこと)をもって大王に答うことを。若し我等を相とすることを得んと欲わば、願わくは母を害すること勿れ。此れは直ちに諌むること(おわ)んぬ。」

 ここは二臣が重ねて阿闍世を諫めたのだと善導は言います。「慎んで母を害する莫れ」と耆婆は「実」を以って大王に答えたとあります。この直前には「ここにとどまることはできない」と強く言ったのは「実」ではなく、母を害することを思いとどまってもらえさえすれば、それでいいのだと。これが「実」なのだということですね。
 しかし、思いとどまってもらうには、あれだけの強い言葉で諫めるしかなかったわけです。今阿闍世のほうから折れて、耆婆に救いを求めてきたことを受けて、耆婆は本当は思いとどまってくれさえすればいいのだと申し上げたのです。

 これを受けて「王、此の語を聞き、懺悔求救し、即ち剣を捨てて止まりて母を害せず」と経文は述べます。ついに剣を捨てたのです。
 善導はこの第七段を次のように受けとめます。
 「『王聞此語』と云う従り下『止不害母』に至る已来は、正しく闍王諌を受けて、母の残名を(ゆる)すことを明かす。此れは世王既に耆婆が諌を得、心に悔恨を生じて前の所造を愧じて、即ち二臣に向かい、哀れみを求めて命を乞うこと、因って即ち母を放して死の難を()からしめつ、手の中の剣を本の(はこ)に還って(おさ)むることを明かす。」

 阿闍世は母を許しました。耆婆の諫めを受け、後悔し愧じて、二臣に哀れみを求め、剣を元の鞘に収めたのです。
 「母の残名を(ゆる)す」。阿闍世は耆婆より重ねて諫めを受け、母を許すのですが、「残名を放す」というのは、母の残りの命を自由にさせるということです。韋提希は阿闍世を生み、ここまで育て上げてきた。寿命はまだ残っているわけです。
 しかし、この事件によって、命は阿闍世の支配下に置かれ、須臾のものとなった。剣で一突きの、その突き刺されるまでの僅かな時間の命となり、その須臾の後、命絶えていたはずなのです。しかし、諫言を受けて母を許し、これによって残りの寿命が復活し、それを母の自由にさせたのです。

 阿闍世は耆婆の言葉を聞いて「懺悔求救し」とありますが、この懺悔を善導は「心に悔恨を生じて前の所造を愧じて」と表現しています。如来の前に自らの黒悪を表白するまではいきません。「悔恨」後悔の念を持ち所業を愧じたわけです。
 また「求救」と救いを求めたことを善導は、「哀れみを求めて命を乞う」たと受けとめています。「命を乞う」とはどういうことか。二臣は阿闍世の命を奪おうとはしていません。しかし、阿闍世のほうはそれを感じたのです。
 前段の剣の柄を押さえて後ずさりした、この二臣の姿の上に、何かあれば直ちに剣を抜いて命を奪いますよ、という意思表示を感じ取ったのでしょう。もちろんこれは阿闍世の被害意識過剰の面でしょうが。

 最後の第八段落です。「内官に勅語し、深宮に閉置してまた出ださしめず」阿闍世は母韋提希を奥の牢に閉じ込めました。
 「『勅語内官』従り下『不令復出』に至る已来は、其の世王の余瞋、母を禁ずることを明かす。此れは世王、臣の諌を受けて母を放すと雖も、猶余瞋有って外に在らしめず。内官に勅語して深宮に閉じ置いて、更に出して父の王と相い見せしむることなきことを明かす。上来八句の不同有りと雖も、広く禁母の縁を明かし竟んぬ。」

 母を許しても阿闍世には瞋怒の心の残りがある。このまま自由にさせておくと、再び父王と通じる可能性があると見て、これをさせないために深宮に閉じ込めます。これで禁母縁が終わりますが、韋提希が閉じ込められたというこの場面から、次の厭苦縁(えんくえん)が開かれるわけです。

月光と耆婆
 さて、最後に、第四段落以降の禁母縁の課題を少し見てみたいと思います。それは最初に出しました、阿闍世の暴挙をとめるために月光と耆婆の二臣が現われるのですが、その二人の役割が違うようです。
 経典自体も「時に一臣あり。名づけて月光という。聡明多智なり。及び耆婆と王のために」と、二人が並んで登場したと表記していません。明らかに、二人は役割が違う。その点をもう少し検討してみたいと思います。
 初めにいくつか問いを出してみます。

 (1) 月光についての最大の説明を「聡明多智」で表わしているが、具体的に何を指しているのか。
 (2) 月光については「聡明多智」など、説明の表記がいくつかある。しかし、耆婆については何もない。どういうことか。
 (3) 直接の諫言は月光が申し上げたにもかかわらず、阿闍世はなぜ月光でなく耆婆に向けて答えたのか。

 第一の問いについては前述のとおりです。聡明多智の第一は宰相大臣としての出番をはっきり把握していたということです。阿闍世太子が頻婆娑羅王を収執し幽閉し殺そうとする事件が勃発した時、月光はピクリともしなかった。
 子が父を殺す、それも王子が王を殺すということはこの上ない大事件のようではある。しかし、国が国としての力を持って列国の間で生き抜いていく上では、内紛如何よりも、対外的に徳と力のある王の下、その王を敬い堅実に働く国民がいることが何よりも大事。王は、どれほど変わっても基本的にはかまわないのです。対外的に礼を尽くすことができればよい。
 ですから、王子が父王を殺しても、大事件で大変なことではあるが、それで国自体が動揺しなければ何の政治的事件ではないのです。宰相月光としては、頻婆娑羅王に代わって新しい阿闍世王にこれまでどおり尽くしていけばそれで問題はない。月光には、非情なほどに冷徹な政治的知恵があったわけです。

 ところが、王子が、王位とは関わりのない母を殺して王位に就こうとした、このことだけは黙って見ていることはできない。母を殺せば、支配階級クシャトリアの名が汚され、元祖にまで辱めが及び、阿闍世は四姓のさらにその下の、あらゆる人から虐げられ差別される栴陀羅に堕ちてしまう。そうなれば、もはや宮殿に住み続けることはできず、遥か遠くに追いやられなければならない。
 この荒く強い迫る諫言を月光は身を張って阿闍世王に申し上げたのです。父王と母を同じように殺そうとする事件は、しかし聡明な政治家月光からすれば、全く異なった政治的問題であったわけです。この見分けができたということが、聡明多智の第一点でしょう。

 第二点目は、阿闍世のもとへ諫言に行く時に、一人では行かず、耆婆を連れて行ったことです。母を殺せば栴陀羅に堕ちる。その阿闍世を諫め、行動を阻止させ、さらに阿闍世の上に新たな苦しみを生じさせずにこの件を落着させるためには、耆婆が必要であると考えた。とっさにその判断ができるような日常を月光は生きていたわけです。
 ということは、阿闍世の問題は人間の深い迷いから引き起こされたものである。政治的に形の上で思いとどまっても、そこには真の解決はない。真の解決でないにもかかわらず、政治的に解決したから、それでよしとしてしまうのは、真の政治ではないのだ。
 真の政治は、その内に人間的な心の世界を大事にして、その救いが同時に成し遂げられなければならない。人間の心の救いなくして政治はないのだ。月光はこのような信念を持っていることが想像されます。

 月光は耆婆が釈尊の教えを熱心に聞いていることを当然のごとく知っているでしょう。月光は耆婆を連れて行きましたが、それは、釈尊をお連れしたと同じことなのです。一国の宰相が、釈尊と共に、政治的課題のところに走る。ここに真の政治があるのでしょう。
 月光は政治の限界を知っている。その限界を埋めて余りあるものにするのは宗教であることをまた知っているのです。必要のない案件の時は自分だけが行ったでしょう。必要のあるときは仏教関係者を連れて行く。ここに月光の「聡明多智」なることが如実に現れていると思います。

 第二の問いはこれに関連したものです。私たちの生きている場はなんと言っても世間。これが生きる場の前面であり、すべてであるかも分からない。この世間の次元で、人は生活を営み、喜怒哀楽の中で自らの生を送る。
 しかし、生の営みがその次元だけであったならば、我が生を深く充実して生きることは難しい。そこに「真実」なるものがはたらきかけ、それを受けて深い生の満足の中で生きていかねばならない。そこに宗教の、仏教の甚大なる意味があります。
 ところが、人間の世間性からして、世間的に生きることが生きる前面に出て、宗教と真実は、世間の奥に隠れて、容易に姿を表わさない。世間の厚い膜を苦労して経巡ってきた者に、はじめて宗教はその奥ゆかしい本体を表わすのです。如来の知恵と慈悲の大いなる世界を。

 今禁母縁に於いては、出番は月光で象徴される世間の次元。そこで迷いぬくことによって阿闍世は、次第に自己を深めていき、遂に善き友に導かれて仏に出遇うのです。その仏の世界を象徴する耆婆については、今は何の説明もない。それが、阿闍世の耆婆観を表わしているとも言えましょう。
 耆婆の存在意味が次第に分かってくるのは、『涅槃経』に舞台を移さねばならない。そこでは耆婆についての仏法者としての説明が十分になされているはずです。

 第三の問いもこのことの延長上の問題です。阿闍世は瞋恚と貪欲の存在であるけれども、大事なことは問題を内に問う存在であるということです。そこには大変な苦しみが伴うでしょう。それが生まれ出づる苦しみなのです。月光からの諫言に対して、もし月光に対して答えをしていたなら、形の上は解決に至ったかもしれない。しかしそれは世間的次元の解決どまりで、決して人間阿闍世そのものの解決ではない。
 人間阿闍世の解決にまで歩みを進めてほしい、そこにしか真の解決はないのだと願って耆婆を連れて現われた月光なのです。功を奏したというか、果たして阿闍世は耆婆に向かって道を問うた。月光は喜んだでしょう。宗教に詳しくはなくとも、その真髄をつかんでいる者。自らすすんで宗教に触れなくとも、必要な者に宗教を与えることのできる者。ここに真の政治家があるのかもしれません。

親鸞の見る禁母縁
 最後に、この禁母縁についての、親鸞聖人のご領解を少し見てみたいと思います。それは『観経和讃』です。
 直接禁母縁に関わる和讃は三首あるように思います。
 まず一首目は、
 「阿闍世王は瞋怒して
  我母是賊としめしてぞ
  無道に母を害せんと
  つるぎをぬきてむかいける」
 まさにこの通りですね。聖人はキーワードをしっかり押さえておられるようです。瞋怒、賊、無道、剣。

 第二首目は、
 「耆婆月光ねんごろに
  是栴陀羅とはじしめて
  不宜住此と奏してぞ
  闍王の逆心いさめける」
 二臣が阿闍世に諫言する場面です。しかしよく見れば、おかしなところがあります。闍王の逆心を諫めたのは、直接には月光でした。そばにいる耆婆も同意見ではあったでしょうが、月光が強い調子で諫めた。であるのに聖人の記述は、「耆婆月光ねんごろに」と、耆婆の名が先に出されています。

 ここに既に、耆婆の重要性を聖人は指摘しているのでしょう。闍王の逆心を諫める強い調子の諫言でさえ、じつは耆婆が主となって発した言葉なのだと。
 この押さえは当然、耆婆の真の存在意味、即ち仏弟子であり、阿闍世を仏のみもとに連れて行く存在であることを暗示しているようです。仏への歩みの端緒が、今この耆婆をそばに置いた月光の諫言なのだということでしょう。

 もう一首和讃があり、この内容がさらに展開されています。
 「耆婆大臣おさえてぞ
  卻行而退せしめつつ
  闍王つるぎをすてしめて
  韋提をみやに禁じける」
 ここまで来ますと、月光の名はもはやありません。月光が主となって耆婆はそれについて阿闍世を押さえ卻行而退したのですが、それが耆婆だけになっている。「大王、慎んで母を害すること莫れ」という最後の耆婆の言葉が結局阿闍世を動かした中心であるということでしょう。この一点から逆算して記述がなされているようでもあります。
 この耆婆重視の記述を見れば、阿闍世にとって、耆婆の存在が仏のところへご案内する者としていかに重要なものであるかを、親鸞聖人ははっきりと表わそうとされているように思えます。

 さて、これまで、提婆、阿闍世、頻婆娑羅王、韋提希、守門人、月光、耆婆と登場してきて、禁母縁の最後は、韋提希が阿闍世によって閉じ込められるところで終わります。そして次の段階は、閉じ込められた韋提希はどうなるのか。この視点で経典の叙述は進んでいきます。
 そのことは次回からの厭苦縁・欣浄縁のところで見ていきましょう。今回は少し長くなりましたが、これで終わります。

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