今よみがえる観無量寿経 第12回 「禁母縁(1)」
 

るいれつの会(2012年4月16日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)阿闍世の意密の問い


禁父縁から禁母縁へ

 四月になりました。昨年の四月に始めましたので、二年目を迎えたわけです。序分の発起序六縁の中、禁父縁(ごんぶえん)を終えまして、今回は次の禁母縁(ごんもえん)に移ります。
 禁父縁と禁母縁の二つの内容で王舎城の悲劇が描かれます。禁父縁は提婆(だいば)悪計(あっけい)、それを信じる阿闍世、阿闍世によって禁じられる父王、父王を助ける韋提希(いだいけ)、父王の要請を受けて来たる目連(もくれん)、釈尊の命によって来たる富楼那(ふるな)。これらが登場人物でした。
 その中、善導の受けとめの大きな特徴としては、提婆の悪計を丁寧に描き出したこと。これは圧巻でした。また牢の中での父王の行為を描く場面を、韋提希を主語にして描き出したことなどがありました。

 禁母縁に移ると、カメラは次第にアップされ、人物が詳しく描き出されていく感があります。登場人物は、阿闍世(あじゃせ)、守門者、韋提希、月光、耆婆(ぎば)です。阿闍世が中心ですが、その阿闍世によって命を奪われそうになる韋提希にも目が向けられる描写になっています。

 牢中の父王の行為を、父王自身でなく、韋提希を主語にして「・・・せしめた」と表わした善導は、このことによって、この悲劇的事件の中で、阿闍世でも父王でもなく、韋提希がどのようになっていくのかが、この経典が明かそうとする中心の一筋の線であることを、序分の初めから導き出そうとしたのではないかと思われます。

 さて、今「王舎城の悲劇」のところを読んでいるのですが、私たちの思いの中に、観経の全体構造は、簡略化して言えば、王舎城の悲劇が縁になって『観経』の教えが説かれているのだという認識があるかもしれません。悲劇という現実の出来事が縁になって、『観経』の教えが説かれると。それはつまり、「王舎城の悲劇」が序分の内容のすべてという認識です。
 正宗分を生み出す序分は、王舎城の悲劇がその内容となる。即ち、序分の内容は王舎城の悲劇のことだけで十分であるという認識になりやすい。

 私には以前、簡単に言えばこのようなイメージが頭の中にあったのです。ごく大まかに言えばこれでいいのでしょうが、しかし、その認識の仕方は適切ではないように思います。
 実際はどうなのか。序分の中を見てみますと、そのようにはなっていません。教えが説かれるに至るその前の段階である序分が、ただ悲劇だけを内容としているのではないのです。

 これから読む禁母縁で韋提希が閉じ込められることになりますが、その韋提希が「愁憂(しゅうう)」する。韋提希における心の変化。心といっても存在それ自体が「愁憂」という表現で表わされる者になっていきます。道を見失ったのです。歩んでいく道がもう自分にはないと。それまでは何とか考え、(しの)ぎ、(つくろ)ってやってきたけれども、もうこの期に至っては、道が全くなくなってしまった。
 その行きづまりの、自分の力ではどうにもならないという思いが、「愁憂」という表現で表わされています。特にこの「憂」という字がこの状態を象徴しているようですね。

 出口がなくなったことを形の上で象徴的に表わすのが、「(ろう)」に禁じられる、ということでしょう。悲劇にであって遂に道を見失った者は、皆牢に入るのです。悲劇とは「禁」じられること。閉じ込められること。このようになった自己への認識を「愁憂」と表わし、この認識がじつは仏法への縁となる。仏法が「愁憂」を縁として私のところにはたらきかけて来るのです。「禁じられている私」への認識。悲劇は基本的に「禁私縁」と言うべきでしょうか。

 もう一つの問題は、自分の中に起こった愁憂の思いを自分でどうするのかということがあります。隠してしまうのか。わかっていても、それを覆って人にはわからないようにするのか。前回の頻婆娑羅王の場合は、そういう思いがあっても、それでもなお自分でなんとかやっていこうとしたのです。
 しかし、韋提希はもう本当に自分では何ともできないと思って、お釈迦様に向かって「我今愁憂せり」と申し上げたのです。

 この発言が大変大事になってきます。お釈迦様に対して、お釈迦様の(がわ)の教え、即ち仏教を要請したのです。大変なことをしました。しかし、要請する心の中には問題点が沢山ありました。仏教を要請する形で、じつは仏教そのものではなく、人間的慰めを要請したのです。
 しかし内容は何であれ、お釈迦様に向かって要請をしたことが大事であった。要請は何であれ、お釈迦様はこれを受けて韋提希に真に応える。要請があったからこそこれに真に応えようと、教えを説かれるのです。

 そういうことがあって、韋提希が教えを聞く態度をお釈迦様が次第に作り上げ、それが出来てきたところで、初めて正宗分の教えが説き始められます。
 善導はこれを「勅聴許説(ちょくちょうこせつ)」と表現します。「韋提希よ、これまでの歩みで本願の教えを聞く準備がお前の中に確立した。この教えをお前に説く時が来たのだ。大事な教えであるから、しっかりと聞いて行けよ」という意味合いです。
 そこまでが序分なのです。ですから序分もなかなか内容があるのです。王舎城の悲劇だけではありません。悲劇以降の、正宗分に至るまでの内容がなければ、悲劇は仏法と繋がらないのです。

 経典の全体構造は大きく序分・正宗分・流通分です。どこが一番重要な部分なのか。こういう問いも起こりそうですが、じつは、どこもそれぞれに重要なのです。序分がなければ正宗分は説かれません。広範な正宗分は最後の流通分に於いて全体像が明らかにされるのです。

 私たちは、悲劇が起こったことが因縁となって正宗分の教えが説かれるのだと思いやすいかもしれませんが、少し具体的に見れば、韋提希の上には悲劇後の展開があるのです。真に教えを聞いていくことができる韋提希へと変えられていくという展開です。
 今私たちの周りの悲劇の渦中にいる人の前で直ちに仏法を説いて、すぐに受け入れられるでしょうか。非常に起こりにくいことです。悲劇が仏法の縁となるということは、教えを聞くことができる身になるための出発点を与えられているということです。ここで出発し、何らかの歩みをすることによってはじめて仏法を受け入れ、聞くことができる。お釈迦様もこの時点で説くことを許されるのです。

 発起序は六つの内容(六縁)で構成されますが、王舎城の悲劇を表すのはその第一と第二です。まだ第三から第六までの内容があります。そこが韋提希の悲劇からの展開の場面です。そのことをいつも考えながら王舎城の悲劇を見ていく必要があると思います。
 要するに、観経は王舎城の悲劇が大事だからと言って、これに思いを入れすぎないということです。過大視してはいけない。六縁のすべてが大事であり、さらに観経の教え全体が大事なのです。

母に向けて刀を抜く
 では禁母縁の文章を見てみましょう。初めに全体の内容を一通り確認してみます。
 「時に阿闍世、守門の者に問わく。『父の王は今猶(いまなお)存在せりや』と。時に守門人、(もう)して(もう)さく。『大王、国の大夫人、身に麨蜜を塗り、瓔珞(ようらく)に漿を()れ、持用(もち)て王に(たてまつ)る。沙門目連および富楼那、空よりして来り、王の為に説法す。禁制すべからず」と。 (東90 西88 島2-2)

 阿闍世が頻婆娑羅王の閉じ込められている牢に行き、その守門者即ち門番に尋ねるのです。「父の王は今なお存在せりや」と。王は元気でおられるかと。
 守門者が答えます。「大王」これは阿闍世ですね。「阿闍世大王よ、じつは」と言って、じつは国の大夫人である韋提希様が、「身に麨蜜を塗り、瓔珞に漿を盛れ、頻婆娑羅王にたてまつることをずっとなさったのです」と。
 「一方、沙門の目連と富楼那様が、空よりやってきて、頻婆娑羅(びんばさら)王に説法をなさったのです」と。韋提希様と目連・富楼那様が頻婆娑羅王に近づくことを禁止することはとてもできなかったのですと。このように申します。

 この守門者の答えを聞いて、
 「時に阿闍世、此の語を聞き已りて、其の母を怒りて曰く。『我が母は是れ賊なり、賊と伴なればなり。沙門は悪人なり。幻惑の呪術をもって、此の悪王をして多日死せざらしむ。』と。即ち利剣を執り、其の母を害せんと欲す。」
 守門者からこのことを聞きまして、阿闍世は大変怒ったのです。「時に阿闍世、此の語を聞き已りて、其の母を怒りて」いう。「我が母は是れ賊なり」。なぜかと言えば「賊と伴なればなり」と。賊というのは、頻婆娑羅王が賊であって、賊と伴なる存在である韋提希もまた賊であると。

 一方、目連・富楼那については、「沙門は悪人」であると。なぜなら「幻惑の呪術をもって、この悪王をして多日死せざらしむ」。幻惑の呪術というのが仏法のことなのです。しかし、この時点では、呪術と言っています。なぜかと言えば、それによって、頻婆娑羅王が何日たっても死ななかったのです。何か不思議な術を施したに違いないと。そう言って、「即ち利剣を執り、其の母を害せんと欲す」と。鋭い刀を抜いて、自らの母親を殺そうとした。大変なことになりました。

 「時に一臣あり、名づけて月光と曰う。聡明多智なり。及び耆婆(ぎば)と、王の為に作礼し白して言さく。『大王、臣『毘陀論経』に説くを聞く。劫初より已来(このかた)、諸の悪王あり。国位を貪るが故に、其の父を殺害すること一万八千なり。未だ(かつ)て無道に母を害すること有るを聞かず。王今此の殺逆の事を為さば、刹利種(せつりしゅ)を汚さん。臣聞くに忍びず。是れ栴陀羅(せんだら)なり。宜しく(ここ)に住すべからず。』時に二大臣、此の語を説き竟りて、手を以って剣を按じ、卻行して退く。」

 そのように母親をつかまえ、まさに刀でもって殺そうとした時に、「時に一臣あり」。一人の家臣が現れます。「名づけて月光と曰う」。月光という名前の家臣。この人がいわゆる総理大臣というか、そういう人であったようです。大変聡明・多智の者であったと。「及び耆婆と、王の為に」、月光大臣が耆婆大臣を従えて現れ、阿闍世王に対して礼をなし次のように申し上げた。
 阿闍世大王よ、私どもは『毘陀論経』にこういう教えが説かれているのを聞いておりますと。「劫初よりこのかた、もろもろの悪王あり」、遥かな昔から今に至るまで、様々な悪王があって、いずれも国位を貪った。そのために王である自分の父親を殺した。その数が一万八千ほどにもなると。しかし、「未だかつて無道に母を害することあることを聞かず」。しかし、殺す理由のない母親を殺したということは一度もありませんでしたと。

 「王今此の殺逆の事をなさば、刹利種を汚さん」と。刹利種というのはインドのカーストの政治支配階級クシャトリアですね。この階級の名を汚すことになると。歴史に一度も例のない母を殺すということをしては、クシャトリアの階級の名が汚される。私たちはとてもこれは受け入れることはできません。「是れ栴陀羅(せんだら)なり。宜しく此(ここ)に住すべからず」と。
 栴陀羅というのは、クシャトリアとは逆に低い地位ですね。母親を殺すと、まさしく一挙にその低い階級に落ちてしまう。そうなれば、王よ、あなたはもう、このお城にいることはできませんよと。このように言って、月光大臣たちが諫め止めるわけです。

 「時に二大臣、此の語を説き(おわ)りて、手をもって剣を按じ、卻行(きゃっこう)して退く」。そのように申し上げて、大臣たちは自分たちも剣の柄(つか)に手を置き、後ずさりした。なぜこのような態度を取るのか。それは、この諫言を受けて阿闍世王はどのような態度に出るかわからない。「何を言うか」といって自分たちに刀を向けてくるかもしれない。その時の応戦準備の体勢を取っておくわけです。

 「時に阿闍世、驚怖し惶懼(こうく)して、耆婆に告げて言わく。『汝、我がためにせざるや』」と。 阿闍世にはさすがに動揺が起こる。そして耆婆のほうに向かうのです。耆婆は阿闍世とは腹違いの兄弟で兄です。その耆婆に、お前は自分のために何かしてくれないのかと。
 「耆婆、白して言さく。『大王、慎んで母を害する(なか)れ」」と。耆婆もまた月光と同じように、大王よ、どうか母上を殺すことだけはおやめくださいと申しあげる。
 「王この語を聞き懺悔求救し、即ち剣を捨てて、止りて母を害せず。内官に勅語し深宮に閉置して、復た出ださしめず」。
 阿闍世は耆婆の言葉を聞いて、悪かったと思って救いを求め、剣を捨てて母を殺すことはやめた。しかし母は賊である頻婆娑羅を助けたので、母もまた賊となり、家臣に命じて「深宮に閉置」警固の深い牢に閉じ込め、「また出ださしめず」再び出ることのできないような形にしたのです。

守門者への問いが持つ問題
 さて、概略は以上のようなことですが、ここにもいろいろな問題がありそうです。善導大師の『観経疏』を手がかりに尋ねていってみましょう。
 善導は禁母縁を八段に分けます。ざっとみて、その中、第四段目が長いようです。そこは経文もやや長いところですが、二人の大臣が阿闍世を諫めるところです。大事なことが問題にされているところなのでしょう。

 少しずつ見ていきましょう。
 まず第一段目。経文は「時に阿闍世、守門の者に問わく。『父の王は今猶(いまなお)存在せりや』と」。
 これだけの文です。第一段を善導は短く切りました。それに耐える大きな問題があるということでしょうね。
 一段の文章が短くても長くても、文章の途中であっても、そこで一段を切るということは、そこに大事な一塊の問題があることを善導が見出したということでしょう。大事な問題ごとに段落を区切っていくわけです。

 阿闍世が父王の牢にやって来ます。初めてのことですね。やって来て守門者(門番)に問います。「父の王は今なお存在せりや」と。
 そこで、前との繋がり具合を見てみますと、禁父縁の最後はどうだったか。「かくのごとき時の間、三七日を経たり。王、麨蜜を食し聞法を得るが故に、顔色和悦せり」とありました。
 頻婆娑羅を閉じ込めてから三週間たったわけですね。王は、麨蜜を食し、聞法を得て、心身ともに元気。顔色和悦せりという状態であったわけです。こういう状態が三週間続いた。この事実を阿闍世はもちろん知らないのです。

 この間、阿闍世は阿闍世で、自分の思いが当然あったわけです。この思いが何であったかが大事なところですね。結局三週間たって頻婆娑羅の牢を訪ねた。牢の中の様子はまだ見ていない。手前にいる守門者に問うた。「父の王は今なお存在せりや」と。これはなかなかおもしろく大事なところです。
 もしこの阿闍世の発言に疑問というか、問題があるとすれば、どこにあるでしょうか。「父の王は今なお存在せりや」という短い文章ですけれど、私自身、いくつか、おやっと思うところがあります。三つほどあげてみます。

 まず第一は、頻婆娑羅王のことを呼ぶときに、と言っても守門者に告げているのですが、どういう表現で呼ぶか。これは問題のところです。真の親子です。しかし、自分の手で親の王位を奪い、命までも奪って、今は自らが王位に就いている。その頻婆娑羅をどう呼ぶか。ここは守門者に告げる場面ですが、頻婆娑羅と顔を合わせて呼ぶ場面がもしあるとすれば、阿闍世はどう表現したことでしょう。

 阿闍世は「父の王は」と言いました。「父」という言葉を使ったのです。この時は頻婆娑羅を父と思っていたわけですね。
 しかし、どうでしょう。禁父縁の中、「父の王頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き」のところを善導は、「まさしく父の王、子のために幽禁することを明かす。これは闍世、提婆が悪の計りごとを取って、(たちまち)に父子の情を捨つることを明かす。直ちに罔極(もうごく)の恩を失うのみにあらず、逆の響き、これに因って路に満つことを」と表わしていました。

 父親を捕まえたという時点で、もう阿闍世は親子の情を捨てたのだと。もちろんこれは善導の受けとめではありますが。そうだとすれば、父の情を捨てた頻婆娑羅のことを、それ以降何と呼ぶか。もう「お父さん」とは言えない。何と言うでしょう。大変な場面ですね。「おまえ」と呼ぶか、「頻婆娑羅」と呼ぶか。
 それを今は「父の王」と言っているのです。これはどういうことでしょうか。父子の情を捨てたのであれば、こうは呼ばないはず。では善導の先の受けとめが間違っているのか。

 二番目は、「父の王」の「王」です。頻婆娑羅王を廃して、既に自分が王位に就いているのです。その失脚した頻婆娑羅を、阿闍世は自分のほうから「王」と呼んでいる。これはどうでしょうか。結局「父の王」と言えば、牢に閉じ込める前の親子仲睦まじき頃と同じ表現になってしまいます。

 三番目は、「今なお存在せりや」という表現です。存在という表現を使っていますが、「今もなおお元気か」ということでしょう。なぜこのように問うたのでしょうか。
 それは、三七日、三週間を経たのですから、もう頻婆娑羅王は死んでいる。食べ物も何も与えない状態にしているのですから。だいたい一週間で人は死ぬと言われます。それがもう三週間たっている。死んでいることは間違いありません。であるのに、なぜ「生きているか」と問うのか。
 死んでいることは間違いないのだから、「もう死んだか」というのがいちばんふさわしい問いでしょう。しかし、その言葉は決して言わないのです。「死」の言葉は使わないのです。まだ元気かと尋ねた。このあたりが大きな問題のようです。

 要するに、これに親子の問題、いわゆる五逆の問題があるのですね。五逆のうち二つは、父を殺し、母を殺す。「(ことさら)に思うて」父を殺し、母を殺すのです。
 「ことさらに」というのは、故意にということ。殺そうと思って殺すということです。事故ではなく、殺そうと思って殺す。私たちが今あるのは、誰しも父母のご恩のたまものです。その恩田の父と母を殺す五逆。まさしく阿闍世は父親を殺すという五逆をなしたのです。

 ところが五逆とはどこから起こるのかといえば、誹謗正法から起こる。仏法を謗るということ。私を本当に救おうとしている仏様のはたらきを、私自身はこともあろうに謗っていく。仏様を謗る私、それが一番根っこにあって、自分にご恩のある人たちのご恩が受けとめられず、これに反逆していく。では解決の道はどこにあるのか。それは誹謗正法の自己であることに目覚め懺悔していくところに開けるのです。

 今、阿闍世が五逆の罪を犯そうとしている、その心はどのようなものか。五逆の思い。それは全体を言えば、ついに誹謗(ひぼう)正法であったと自覚されていくまでに深まっていく思いです。
 しかし、それはまだ先の話。一人の人が、大変な悪行を犯す。彼の心の中にどういうような葛藤が起こるか。それが阿闍世において今から始まる。その出発点の思い、私はそのような印象を受けます。
 もちろん阿闍世がその後どうなったかは、禁母縁のところまでで阿闍世に関する描写が終わりますから、『観経』では明らかにされません。それは『涅槃経』に出ていましたね。以前も少し見たところです。

迷いの中での態度決定
 そのように疑問点を一応見ておいて、そして善導大師の解釈を見てみましょう。第一段落です。
 「一には「時阿闍世」と云う従り下「由存在耶」と云うに至る已来は、正しく父の音信を問ふことを明かす」(親全68 聖全477 ノート73)

 第一段落は一つの文章だけですが、その趣旨は「正しく父の音信を問うことを明かす」のであると。
 これは意外ですね。意外な阿闍世の態度です。音信を問うというのは、父はどんな具合かを尋ねたというのです。安否を尋ねた。まあ、病気の見舞いに寄ったようなものです。けれども食を絶たしめて三週間たっているのです。父は間違いなく死んでいると心の中では確信している。しかしその思いは外の誰にも表そうとはしません。
 餓死させようとして閉じ込めたことは皆が知っている。しかし、そこに権力がはたらいて、阿闍世王がそれを表立って認めなければ、国民も表立って問題にできないのです。知っていることとそうであることとが異なる事態なのです。

 そこへ、阿闍世が三週間ぶりにやって来て、父は死んだか、と言えば、国民の知っていることが一挙に「事実」になる。そして犯人は自分だということも表明することになる。阿闍世はそれを畏れ避けているわけですね。それで、父は元気かどうか、と言ってやって来るのです。そういう心の二重性というものがある。
 そこで善導は、ここは阿闍世が、自らの責任を認めようとしないあり方をしたのだと断定したのです。父の音信を問うという第三者的な位置に自分を置いて、問題を誤魔化したのだと。

 父の音信を問うには、そのような思いになるまでの阿闍世の心の動きがあったはずで、善導は当然、その心を問題にします。
 「此れ、闍王父を禁ずること日数すでに多し。人の交わり惣じて絶え、水食通ぜずして二七有余なり。命まさに終るべきことを明かす。是の念を作し已わって、即ち宮門に致って守門の者に問わく。『父の王、今は猶存在せりや』」と。

 阿闍世は父を閉じ込め日数がずいぶんとたった。この「日数すでに多し」や次の「二七有余」、経文の「三七日」、この辺りに何かありそうですね。いろいろな数の日が登場します。「日数すでに多し」具体的には「二七有余」、人の交わりをすべて絶たせ、水も食べるものも与えない状態で二週間が過ぎた。「命まさに終わるべき」、もうすでに死んでいることは間違いない。このことを阿闍世は確認しているのです。
 これを確認して、どうでしょう、実際に牢に入って扉を開けてみれば、父親はもう死んでいるのです。その時何と言えばいいか、何を言うべきか、それを考えていたかもしれませんね。
 自分が餓死させたのですが、自分が殺したとは言わない。何と言うでしょうか。「お父さん、どうしたのですか」とでも言うでしょうか。要するに自分の責任にならない言葉を発しないといけない。三週間はそれを考えた期間でもあったのでしょう。

 そのように、阿闍世としては一応の準備万端で牢に近づいた。そして「父の王、今なお存在せりや」と言った。この発言から始まり、牢内に入り父の死体を見て家臣に命令を下し・・・続く展開のそれらの場面ごとに発すべき言葉を阿闍世はよく考えて、その全体の始めの第一言が「父の王、今なお存在せりや」ではなかったのか。「是の念を作し已わって」の確認がそのことを暗示しているように思えます。

 少なくともこの発言は、よく考えられた上での発言でしょう。父親を殺したことを、自分から親子の縁を切ってまでやったのだけれども、それを国民に「いやいや、そうではなかったんだ」、事実はあっても、そうではなかったんだと思わしめようとする。
 親は死んで、この子が殺したのだけれども、この子が今言う「父の王、今なお存在せりや」という言葉に現れているように、父を(おもんばか)って大事にし、父こそ本当の王であるとする優しい気持ちこそが、この子の本当の姿なのだと国民に思わせようとしている。これは、三週間考え抜いた阿闍世の戦略上の発言なのでしょう。

 死んでいるのは間違いないけれども、そこで「父は死んだか」と問えば、「なぜ頻婆娑羅王が死ぬのですか」と問い返され、伏せていた死の問題が一挙に噴き出し、「その死という結果を生じさせたのは阿闍世王、あなたでしょう」ということになります。因果関係が簡単に結びついてしまいますから、「死」という言葉を出さない。
 「生きているか」と問うて、もし「いいえ、王は死んでいますよ」という返事が返ってきた時には、阿闍世は驚かないといけないのです。「どうしてこんなことになったのか」と運命の急展開に言葉を失って驚かないといけない。それが阿闍世の戦略なのでしょう。


(二)苦悶する阿闍世

阿闍世の迷いはどこまでも深く
 ここで善導大師は問答を出します。当然、この言葉を俎上(そじょう)に挙げるわけです。
 「問うて曰く。若し人一餐(いっさん)の飯を食して、限り七日に至りぬれば即ち死す。父の王、三七を経たるを以って計るに、命断ゆべきこと疑なし。闍王何を以ってか直ちに問いて、門家に、『父の王今死し(おわ)れりや』と言わずして、云何(いかん)が疑いを致して、しかも『猶存在せるか』と問えるは、何の意か有るや」(親全68 聖全477 ノート73)
 
 善導はこの問いを「意密の問い」と押さえます。意密の問い。このように問うた阿闍世の心には深いものがある。それを表向きには隠したのです。その深さというのは迷いの深さですね。しかしその深さが大事なのです。その深いところへ釈尊の教えは響き届くのですから。

 問いの文を見てみます。「若し人一餐の飯を食して、限り七日に至りぬれば即ち死す。」人は食事をして、その後七日間何も食べずにいると死んでしまう。大体そういうことでしょうね。善導大師もこの認識です。ここで七日という数字が一つの意味を持ってきます。一七日ですね。
 そういうわけですから、「父の王、三七を経たるを以って計るに、命断ゆべきこと疑なし。」一七日を遥かに超えた三七日もたてば、命が絶えていることは疑いがありません。そうであれば、闍王は直ちに守門の者に、「父の王今死し(おわ)れりや」と言うべきである。
 それを言わずに、「いかんが疑いを致して、しかも『なお存在せるか』と問えるは、何の意か有るや」。生きているかと問うたのは、いったいどのような疑いを起こしてどのような意味をもって問うたのであろうか。こういう善導の問いですね。要するに阿闍世はどのように迷うたのか、ということでしょう。

 さて、阿闍世が父王を閉じ込めたことに関する日数が三通り出ました。経典は三七日たって顔色和悦であったということ。それを受けて善導は、人は食べなければ七日で死ぬということ。さらに、父を禁じて日が随分たち二七日を越えた(有余)ということ。七日、二七日、三七日。この三つの数字の関係はどういうことでしょうか。
 阿闍世の迷いの段階、或いは、迷いの中での心の決着への歩みというものが、この数字の変遷で示されているように思えます。

 食べなくなって七日で死ぬ。七日は普通、人の死ぬ日を示しています。しかし、阿闍世はこの時点では牢に行かなかったのです。まだ生きている可能性があると思ったからでしょうか。では八日目か九日目に行ってもよさそうだけれども、まだ行かない。
 そして二七日たった。即ち、七日の二倍時間がたった。この二倍に意味があるのかもしれません。七日ではまだ牢に近づいては危ない。ではさらにどのくらい時間がたてば安心できるか。一日や二日ではだめ。
 そのときの発想は、プラス一、プラス二のような微妙なものではだめなのです。そのものに「倍する」ほどの大きなものでないといけない。安心するためには、これほど大胆な発想が必要なのでしょう。死すべき標準時間の二倍もたてば大丈夫であろうと思う。

 しかし、実際に二倍の二七日になってみれば、やはりまだ不安である。二倍は整数倍の最も倍率の少ない数です。父王が頑強で精神力も強く、もし二倍の二七日たっても生きておればどうするか。この可能性がないとは言えない。この思いが阿闍世の心に不安を投げかけるのです。

 そこでなおかつ躊躇(ちゅうちょ)します。一日二日と決断できずに日がたつ。二七有余となるのです。そして、阿闍世は三倍でやっと安心する。最低整数倍数の二を超えたという安心感がここに起こるのです。念には念を入れたのです。いくら頑強な者でも人の三倍は生きないであろうと。二倍をも超えた三倍であると。そこで、三倍の三七日たった時に、牢に趣くことがやっとできたのです。
 私はこのように考えてみましたが、いかがでしょうか。阿闍世の不安と躊躇と悪事への入念さは、私自身の心かもしれませんが。

 「七」を基数にしてその一倍、二倍、三倍の数が何らかの意味を持って挙げられているようですが、この「七」の出所を善導は、人は食べなければ七日で死ぬという、その七日の時間を単位にして計算し、経典の三七日もこの考え方で受けとめたのではないかと思います。
 
 時間の問題はありますが、要するに、間違いなく頻婆娑羅は死んだのだと思い、確信をもって阿闍世は牢に行ったということでしょう。慎重の上に慎重を重ねなければ、安心して牢に行けなかった。牢に行って扉を開けて、もし父王がまだ生きていたとすれば、その時父王に何を言うべきか。これも阿闍世は考えたのではないでしょうか。しかし考え出せたのでしょうか。

 ここに五逆の罪の深さがあるように思います。自ら行った行為について、自ら述べる言葉がない。人間のすべてを奪い取ってしまうほどの悪事が五逆なのです。生きている父王に何を言うべきか。この場面は五逆の問題に真正面から向かい合う大きなチャンスの時ですが、しかし、阿闍世は向き合い続けることができなかった。
 そして、向き合わなくても済む、三倍という死すべき絶対の時間のほうを選んだのでしょう。即ち阿闍世は、心の底に未解決の、しかもはじめて出会う、それも自らにおいて最も深い悪の問題を抱えながら、父王の牢に出向いたのです。

阿闍世の意密と釈尊の意密
 善導の答えを見てみましょう。
 「答えて曰く。此れは是れ、闍王意密の問なり。但し万基の主たるを以ってなり。挙動宜しきに随うべからず。父の王は既に是れ天性(こころ)親し。問いて死せりやというべきことなし。恐らくは(とが)当時に在って譏過(きか)を成ぜんことを以って、但だ以んみれば内心に死を標して、口に在りやと問うは、永き悪逆の()()めんと欲するが為なり。」
 
 「父の王は今猶存在せりや」と問うた阿闍世の思いを善導は「意密の問い」と押さえています。阿闍世の問いの内容そのものは、先にありましたように「父の音信を問う」ことでした。しかし、いろいろと申してきましたように、三週間もたって父の音信を問いに来るという、そのような言動をしようと結論を出した阿闍世になるまで、彼は迷い思い続けたのです。
 しかし、根本の問題が未解決のままの思索ですから、やはりそれに沿った答えしか出ません。ただ結局出した答えはこうであったけれども、考えた内容は、阿闍世そのものだったのです。阿闍世とは何者であるかが、ここに明かされている。

 一人の人間における五逆に関わる思索が、他の者に容易に知られることはないでしょう。人は自己自身の最も深い悪業、自己そのものであると言うべき悪業を前にして、いったいどのような思索ができるのか。この三週間が、阿闍世にとっては、その自己と向き合う初めての時だったでしょう。
 そこには心の動きそのものを直接手で振れて、熱くまた冷たく感じ、動じずまた震える心の動きを感じる趣があったでしょう。人間阿闍世の事実が今ここに息づいているのです。
 
 その心の動きは何人にも分からず、阿闍世自身にも不明瞭。ただ一人分かっておられるのは、耆闍崛山に在ますお釈迦様だけなのです。
 「意密」の語は、もちろん善導大師の表現ですが、たとえ阿闍世の心が「密」であろうとも、その「密」がよく分かっておられるお方だけがこれを「密」と表現できるのではないか。
 「密」は、ひそか、こまかい、かくすの意で、阿闍世のこの三週間の思索は、結果としては「父の王は今猶存在せりや」という表現となって現われましたが、本意は深く、それを直接表わすことができず、ゆえにそれは隠してこのように表現をしていく阿闍世の心、正しく「人間=この悲劇的存在なるもの」がここにあるように思います。

 ところで、「意密」の語を善導大師は数回使われます。これ以外に二個所あるようです。しかし、どちらも如来の「意密」であり、如来の意の深さを顕す表現です。少し見てみますと、一つは、序分欣浄縁。もう一つは、正宗分散善義のはじめです。
 欣浄縁のほうは、広く憂悩なきところを求めた韋提希に対して、お釈迦様は光台の一つに絞って諸仏の土を表わしたのはどうしてなのかという問いがまず出されます。
 それに対して、「此れ如来の意密を彰わすなり」と。このような説き方をお釈迦様がなさるには深いお考えがある。あるけれども今それを直ちに表に出して言うのではなく、それを今は隠して、相手に分かり易い表現で表わし、やがて真意を理解してもらおう。このような意味で使われているようです。

 具体的には、浄土の世界を総じて説いてほしいと韋提希から要請されたからといって、そのような説き方をしたのでは彼女にはよく分からず、却って惑いを起こさせるであろうと。
 だから光台における一一の諸仏の世界を彼女によく見せて自分の思いでしっかり判断して結論を出してもらおうとしたのだと。
 このようなお考えを「意密」と押さえて表現しているわけです。この説き方によって、浄土の門が開かれることになった。この目的のためもあって、いよいよ意密であったということでしょうね。

 もう一つの散善義の初めは「三心の教え」のところです。彼の国に生まれようと願う者は三心を発こせと。これが往生の正因になるのだということが散善義の初めに説かれます。正しく目覚めの教えです。
 この三心の教えを説くこと自体が大変に大事なことで、「世尊、機に随って益を顕すこと、意密にして知り難し」と述べ、仏自らが往生の道を問い、それをこのように答えるということがなければ、凡夫はいかにして往生の因がわかるであろうかと。人間存在とは何かをしっかりと把握された上での、お釈迦様の如来としての「自ら」の行為がいかに深いものであるかを明らかにしているところです。

 如来自ら人間の目覚めの教えを説き表わさなければ、いったい誰にそれができるか。人間自身にはできないのです。それができるのが如来。ではなぜそれができるのか。そこにあらゆる者を真に救いとろうと願う如来の真実まごころがある。最も深い真実がここにある。
 本来ならばこのまごころを直接人の前に出して、その通りに受けとめてもらえばいいけれども、人はそれができない。人には真実を真実として受けとめる心がないのです。

 そこで仏は直接まごころを表すのではなく、人間自身に、その不実の心に目覚めてもらうために、そのための教えを説いて、それに沿って歩んでもらうことによって如来のまごころに出遇ってもらおうとした。
 その本意は今は人間の側にはわからない。だからそこは隠して、一番先端の目覚めのための教えである三心の教えを、彼の国に生まれるための教えであるということで説いたのだと。こういうことでしょう。

 阿闍世における「意密」とお釈迦様における「意密」。両者は呼応するものでしょう。心の奥深くに真意を持っており、事情によってそれを直接表には出せない。その者同士が向かい合っているのが仏と人との出遇いの場面でしょう。観経においては直接の呼応の場面は出ませんが、道理として、そう言えるのではないかと思います。
 凡夫の意は迷いによってその思索は深く、仏の意はその智慧によって思索は深い。迷いに沈む凡夫の思索の闇のところへ、智慧に裏付けられた仏の思索が光となってはたらきかけていくのです。

 光は闇を照らし出す。その光が大事であると同時に、照らし出される闇もまた大事。闇は、照らし出されることによって転じ変えなされ、凡夫を仏へとなさしめる転回点となるのです。
 善だけが大事なのではありません。悪もまた大事なのです。その悪を縁にしてはたらきかけ、自らをそこに成就するのが如来だからです。悪を軽んずれば、光を見失うでしょう。悪は如来にとっては宝なのです。

阿闍世の心の葛藤
 答えの文章を見ていきます。
 「万基の主」とは国王のことですね。あらゆるものの基になった。極めて公的な存在となったのです。ですから「挙動宜しきに随うべからず」。
 行動を自分の思いのままにしてはならない。国王の行動はその国の行動となり、国王の発言はその国の意志を表す訳です。個人的な観点に立って軽率に行動してはいけない。ましてや国民から批判されるような言動は、国王として全くふさわしいものではないのです。
 これが国王としてのあり方の一番大枠の基本的なものとなっている。阿闍世もこのことはよく承知しているのです。ではそれに沿う在り方をすればいいではないかということになりますが、ここに問題がある。
 それが父を禁じて殺そうとしたということですね。五逆を犯したのです。この者がいかにして外に向けて国王としての謗りを受けずにやっていけるか。この難問に阿闍世は見事な答えを出そうとする。その心の世界が「意密」なのです。

 この心の世界を構成するいくつかの要素があります。一つは、「父の王は既に天性情深し」ということ。先の禁父縁では、「提婆の悪計を取りて、(たちまち)に父子の情を捨つ」とありました。なるほどこの時は、提婆の巧妙な唆しにあって、父への憤り天にまで達した感があった。
 しかし、そのようなことがあっても、父子の関係であることは生まれた時からのことであり、どんな問題をも超え、どんな関係よりも深いものであり続けたのです。その親子の絆の強さは、あらゆるものに勝る。なんと言ってもこれが真実だということがあるのです。

 もう一つは、その深い関わりを持つ父を自分が幽禁し殺そうとしているということ。韋提希が食べ物を運んだから助かったのであって、そのことをまだ知らない阿闍世にあっては、自分は父を殺した、という思いだったでしょう。ことさらに思うて父を殺した自分であるのです。

 これら相矛盾する二つの要素が阿闍世の深い心の世界の二大要素だったのです。そして、その二つの要素を巧みに絡ませて、その結果、外に向けて素晴らしい王であるとの称讃を得ようとする。その道は何か。この問題に彼は三週間悩んだのです。
 
 その心の葛藤の世界を少しのぞいてみたいと思います。「父の王既に是れ天性情親し、問いて死せりやと言うべきことなし」と。既に死んでいることは間違いないと思って牢へ行ったのですから「死せりや」「死んだか」と言うのが本来。しかし、万基の主たる王が父を殺したことを認める発言をするなどもってのほか。
 それと同時に、そもそも父子の情はあまりにも深いものがある「父の王既に是れ天性情親し」ですね。その父にはいつまでも生きていて欲しいのです。それを簡単に「死んだか」と子どもが言うということは、「あなた、お父さんに早く死んでもらいたいのですか」と言われることにもなる。

 外には万基の主であることがあり、内には厚い父子の情がある。その子が父に対して言えることは、元気で生きて欲しい、長く生きて欲しいという「生」だけであり、「早く死んで欲しい」という「死」の語が出てくる道理はないのです。

 「提婆の悪計を取って」捨てたはずの父子の情でしたが、簡単に捨てられるものではない。「既に是れ天性の情親し」なのです。この父子の情、父王の天性の情の親しさが、阿闍世には嫌というほど思われる。しかし、自分は父を殺した。この事実、この事実を思う思いがあるために、より強く思われる父子の情をどのように受け止めていいか、どこまで考えてもわからないのでしょう。

 大きな流れで見てみましょう。禁父縁の「父を収執する」ところで一端親子の情を捨てた。しかし、いよいよ死んだ親のところへ行く時には、情が少し復活しているようです。やがて全体が復活します。始めは、生まれる時、父が自分を殺そうとした。その証拠が折指ですね。その仕返しをする行為は正当であると自分では思っていた。
 ところが、その正当さを一番の根底にして自分が生きるのではないのだと。親子の関係を結んだところを一番深いものとして生きるのだと。こちらの方が遥かに重要なのだということに気づいたのですね。

 阿闍世が自分の子どもの腫れ物の()みを口で直接吸って出していたのを、側でお母さんの韋提希が見て、「お前がその子ぐらいの頃に、お父さんもお前に同じようなことをしたことがあったよ」ということを阿闍世に話したと言われます。
 それを聞いて阿闍世は翻然として父子の情を復活させた。仕返しだ、正当防衛だという、そのような理屈を遥かに越えて父子の情が復活したのです。そこで「自分が悪かった」と、全身に瘡蓋(かさぶた)が出来、膿みが出て、悪臭を発した。

 そのことが機縁になって、阿闍世の心は「愁苦」し始めます。韋提希の「愁憂」と同じでしょう。そこから六師外道の誘惑を超え、耆婆に導かれ、仏法への躊躇と戦いながら、段々とお釈迦様のところへ行き、最後は、お釈迦様に出遇って懇切丁寧な教えを聞き、遂に無根の信心を得るのです。
 何等根拠が無いのに信心を得た。根が無いのに華が咲いたというわけです。その根拠が無い自分であったということが、親を殺した自分、親に死なせるような目に会わせた自分だという、そのような自覚があるわけですね。

 これは『涅槃経』で説かれていて、親鸞聖人が信巻に引用されていますね。この『涅槃経』の内容を善導は当然知っているでしょうから、阿闍世の生涯の歩みの中で、親子の情が断ち切られたものが段々復活してきて、最後は全面復活するようになる。
 そのような、やがて復活する歩みの最初の段階としてこの父子の情に対する葛藤を位置づけているのかもしれません。阿闍世を見る愛情の籠った善導の眼というか、そういうものを感じますね。

巷に響く悪逆の名
 次の「恐失在当時以成譏過」の読み方ですが、聖教全書では「(とが)、当時に在って以って譏過を成ぜんことを恐るればなり」と読み、親鸞聖人は「恐らくは(とが)当時に在って譏過を成ぜんことを以って」と読んでいます。「恐」の字の直接的な読み方は異なりますが、全体から言って大差はないでしょう。

 聖人の読み方で最後まで見てみますと、「恐らくは失当時に在って譏過を成ぜんことを以って、但だ以んみれば、内心に死を標して口に在りやと問うは、永き悪逆の()()めんと欲するが為なり。」
 少し意訳してみます。「牢中の父王に対して『既に死んだか』などという言葉は失言となり、その時のその言葉が国民からの譏(そし)りを受ける過ちになってしまうであろう。だから、内心は父王が死んでいることははっきりと分かっていたのに、口では『元気でおられるか』と問うたのは、『阿闍世王は悪逆の者であった』という国民の永遠に続く声をなくそうと思ったからではないであろうか。」

 「内心に死を標して」。「標」の文字は以前にも出ましたが、はっきりと掲げるという意味ですね。その「はっきり」さの度合いは相当なものでした。野原で肉親の遺体を焼く、その炎を表します。実に明瞭に炎の意味が分かる。
 今、「内心に死を標す」とは、父を殺してしまったという痛烈な認識が阿闍世の心の内にはっきりとあることを善導は押さえているのです。この痛烈な思いが「ことさらに思うて父を殺す」という「ことさらに」の思いであり、五逆の悪業を犯す核心の心でしょう。

 悪業に対するこの明確な認識は、なんらこれに教えが注がれなければ、内心を食い破ってその者を狂わせるに至るでしょう。しかし、もしこれに大慈悲から起こる真実智慧の教えが注がれれば、砂漠の中なお潤いをもって大きく芽を伸ばす一粒の種子にもなるのです。
 明確な認識が大切です。私たちは誰に出遇い、何をし、自分はどのような人間であるか。これら大きな問題の小さな局面でもいい、明確な認識の一つ一つを持つのが大事なのです。

 明確な認識は充実感をもたらします。曖昧な認識のところには、殺伐な倦怠感が待っている。生きる意欲が起こるのも自己や目標や仕事の内容に明確な認識がなされるからです。逆に私たちの認識の対象となる世界のすべては、私たちによって明確に認識されることを待ち望んでいるでしょう。
 一人の人生も、世界全体の営みも、空しく営まれてはいけない。真の認識の上に立って、生きていることの、全体を推し進めていることの、しっかりとした充実感に立って営まれねばならない。
 阿闍世は今、私は父を殺したという気持ちをはっきりと持ったのです。誰かそばに行って、阿闍世よ、それでいいのだよと言ってあげねばなりません。

 「悪逆の()」これは親鸞聖人も「()」と振り仮名を打っています。いい表現ですね。相手をこうだと呼ぶ声は、それがそのまま相手の名前となるのです。
 主人が奥さんを「おい」と呼ぶ。いつも「おい」と呼ぶ。奥さんが「私は『おい』ではありません!」と言って腹を立てる、ということがよく言われますが、同じことですね。奥さんの名前が、いつの間にか「おい」に変わっているのです。
 もし国民が「人殺し」と阿闍世を呼べば、「人殺し」というのが阿闍世の名になってしまう。人が何を言おうと放っておけばいいというわけにはいかない。呼びかけの言葉が名になるという大事な問題が押さえられています。

 人からどう呼ばれるかがその人の名となる。これはユニークな人間観でもありますね。あなたはどんな人ですかという時に、本人が答えるのでなく、周りの人があなたを生涯にわたってどう呼んできたか、というのを調べれば、面白いことが分かるかもしれません。
 それは直接的な愛称やニックネームというのではなく、「あの人はこんな人だよ」と人々が言った言葉を集めるのです。一見、人の目を気にするようなことにもなるかもしれませんが、生涯の言葉を集積すると、一人の人間像が浮かび上がるかもしれません。

 阿闍世の場合は、初めは折指太子だったのです。なんという強烈な呼び方でしょう。しかしこれは阿闍世一人ではなかった。折指と未生怨は結びついていて、深い怨みを懐いて生まれてきたのが人間であることを象徴していたのですね。そうであれば、私たちもそれぞれ、それなりの表現で人から呼ばれていたのではないかと思います。
 子供の頃から「折指太子」であったものが、人生の後半を「親殺し」と呼ばれて生きる人生とはどのようなものか。「折指太子」として生まれ、「親殺し」として死んでいく、その一生とは。

 阿闍世は実際は親殺しであったけれども、気持ちだけは、親殺しで終わるまいとした。「悪逆の声」が永く、即ち生涯にわたってその最後までこの声で呼ばれ続けることを、阿闍世はさすがに避けようとしたのです。
 しかしその正しい方法を彼は知らない。彼にできたことは、内心の自己の真の心を隠して、表にはそれとは全く異なる、人に受け入れられやすい言葉を吐くという方法だったのです。それが「口に在りやと問うた」ということです。
 誰か彼のそばへ行って、それは南無阿弥陀仏と念仏申すことだよと教えてあげねばなりません。

 ここに悲しい人間の姿があります。ではそれで国民の声を抑えることができたのか。火があるところに必ず煙は出る。悪逆の声を押さえ込むことができると思ったのは自分だけなのでしょう。
 禁父縁では、経文の「父の王頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き」を善導は、「逆の響き、これに因って路に満つ」と受けとめていました。既に悪道の行為は、国民の知るところとなっていたのです。

 実際は、国民はこの間の事情をよく見ている。見えないものまでも見ようとするものです。一人うまくことを進めることができていると思うのも凡夫。その姿をしっかりと見ているぞとわれを忘れて思うのも凡夫。嘘に喜ぶ凡夫の世界の中に、嘘で(しの)ごうとする凡夫が今倒れこもうとしているのです。


(三)行き詰る密意

貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)が悪業を引き起こす

 さて、阿闍世王の「父の王、今なお存在せりや」。この問いに対して守門人はどう答えたか。その答えが何を意味するか。これが次の第二段落です。
 経文は、「時に守門人、白して言さく。『大王、国の大夫人身に麨蜜を塗り瓔珞に漿を盛れ、持用(もち)て王に(たてまつ)る。沙門目連及び富楼那、空よりして来り、王の為に説法す。禁制すべからず。」(東90 西88 島2-2)

 守門人が阿闍世王に申し上げる。「大王よ、じつは国の大夫人であらせられる韋提希様が身に麨蜜を塗り瓔珞に漿を盛れて頻婆娑羅王に差し上げておられるのです。さらにまた、沙門の目連様と富楼那様が空より飛んでこられ、頻婆娑羅王に説法をしておられるのです。どちらもお止めすることができないのです。」
 守門者は事実を申し上げました。そして結論は、制止することができず、私の責任ではないということをはっきり申したわけです。ある意味で堂々の論陣のようです。

 この一段はどのような意味を持ち、話の流れから言ってどのような位置を持つものか。内容そのものは特別に深いものがあるようにも思えません。禁父縁で述べられたままのことです。
 しかし、この次の段落になれば、「時に阿闍世、此の語を聞き已りて其の母を怒りて曰く」と、これまで母に対してはなんとも思わなかった阿闍世が、忽ちの内に母をも賊と見なし、殺そうとするのです。さらに、その韋提希が牢に閉じ込められ、そこからお釈迦様に救いを求め、というふうになって、この経典の主軸の展開へとなっていきます。

 それを思えば、この一段は大事な意味を持っていそうです。阿闍世の、韋提希に対する思いを百八十度変えた理由がここにある。
 変わった姿はどうであったかと言えば、「此の語を聞き已りて其の母を怒りて」とありますように、「怒り」なのですね。瞋恚(しんに)です。阿闍世の心に突如として瞋恚の心が爆発した。これが事態を百八十度暗転させたのです。それほどのものが「瞋恚」であるということです。

 人間の三大煩悩と言われる貪欲・瞋恚・愚痴。この煩悩が人を大きく変える。場合によっては人生全体の進み具合を変えてしまう。驚くべき、恐るべき心です。
 お釈迦様が『大無量寿経』を説かれるときに、本論とでも言うべき如来が衆生を救うことについての教えを説き終えられて、改めて私たちに注意をなさいます。ここが大事な問題のところですね。大変な問題点を持っているがゆえに、説くべき教えの全体を説いたのに、もう一度、それも非常に強く厳しい調子で説かれます。

 それは、阿弥陀の浄土もそこにうまれることのできた人々の姿も、今説いてきたようにとても素晴らしいものである。しかし、いくら自分がそれを説いても、誰もこの世界を求めて歩もうとするものがいない。「往き易くして、人無し」ですね。世間のことにばかりかかずらって、どうして真実の道を求めようとしないのか。

 そもそも人間存在というのは貪欲瞋恚愚痴の三大煩悩の存在である。その者が真実の道を求めないままで終われば、この煩悩によって様々な悪業を引き起こし、苦しみ痛みに満ち、焼かれるような思いで生涯を終わってしまう。これが人間というものなのだ。
 どうして明らかになっている如来本願の道を、力を尽くして求めようとしないのか。お釈迦様の「絶叫」とも思える教えが『大経』には説かれるのです。

 それほどに、貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩は人を、人生を狂わせてしまう。その具体化が、人間の悲劇、即ち王舎城の悲劇を表わす禁父縁と禁母縁のところで示されているのでしょう。禁父縁は提婆の唆しによって王位を奪おうという権力欲、即ち貪欲の煩悩が引き起こした事件でした。
 そして続く禁母縁は、自分に背くことなど何もしないと思っていた母が、じつは自分をまったく超えて父王の味方であったことがわかり、急転直下、母をも賊とみなして殺そうとしたのです。

 人間の悲劇は、貪欲と瞋恚が生み出している。さらに貪欲ゆえの事件が瞋恚の展開を巻き起こしている。煩悩が次なる煩悩を生み出す縁となっているのです。その意味でも、禁父が縁となって禁母を生み出している。貪欲によって起こった禁父が、それでとどまらず縁となって瞋恚を起こし、瞋恚が禁母を生み出す。その禁母が縁となって厭苦縁(えんくえん)でお釈迦様に救いを求めるようになる。

 因縁は無尽の網のように展開します。これが人生ですね。私たちの人生の事実は、私たち自身が思うよりも遥かに深く広く複雑です。その広大無尽の因縁の網の中に在って、私たち自身のほうが理性分別という狭く小さな熱のない考えに囚われ、自己を見失い、人を誤解し、人生の宝を掴むことなく終わろうとしているのではないか。

 禁父縁は貪欲が開き、禁母縁は瞋恚が開く。では愚痴はどうなのか。じつはその貪欲と瞋恚を生み出すのが愚痴なのです。人間の愚かさです。
 真実は自己に有りとし、それゆえに、如来の真実を謗り否定し、無明に生涯牛耳られていく。無明の側から言えば、縁さえあればすぐに貪欲に走り瞋恚に狂う人間存在ほど操りやすい者はないと、高笑いしていることでしょう。

 愚痴の心、即ち自己の愚かさに目覚めず、如来のまごころに目覚めない心は、それゆえに、貪欲となって欲をどこまでも満たそうとし、瞋恚となって邪魔者をどこまでも消し去ろうとする。虚仮不実の愚かな身勝手さがここにあります。これが人間なのです。

 この貪欲と瞋恚という大洪水と大火炎に目を覚ませて、これを縁として愚痴の自己に目覚めていかねばならない。これを表わしたのが「二河白道の譬え」です。水火二河が貪欲瞋恚の私たちの現実。水火二河が王舎城の悲劇です。
 貪欲の水の河が禁父縁、瞋恚の火の河が禁母縁。この水火二河の中間にかかる狭き白道を、一体どのようにして歩んでいくことができるのか。

内は愚、外は賢なる凡夫の姿
 この第二段目の経文を善導は次のように解釈します。
 「正しく門家、事を以って具さに答うることを明かす。」これが第二段全体の要旨です。
 守門者の答えが問題にされます。答えの内容と答え方です。「事を以って」とは事実を以って答えたというわけですね。ある意味で事実を淡々と語ったと。それは韋提希のことと仏弟子のことです。

 事実を語ったということは、いくつか意味がありそうです。まず、事実ではなく、何か道理や自分の主張したいことを語ったというのではないということですね。王に向かって一介の守門者が、道理を説き自分の論を主張することはできない。
 もう一つは、そういうことが事実としてあると答えたわけで、その事実の内容については自分の責任ではないということですね。さらには、その事実の中にあなたに不利なことが起こっていたとしても、それも自分の責任ではないということも含むわけです。
 事実にものを言わせるというやり方は、古往今来、いろいろな場面に於いて、時に優れた術なのです。

 全体をこのように押さえ、さらに善導は守門者の発言を丁寧に読み取っていきます。
 「此れ闍世前に父王在りやと問うに、今次に門家奉答することを明かす。」守門者が申し上げたのは、単に「現状報告」ではない。阿闍世王が「父の王今なお存在せりや」と問うた、その問いに対しての答えであると確認するのです。

 ということは、守門者としても、阿闍世王からこのように問われるとは思ってもみなかったのでしょう。餓死させるべく牢に閉じ込め、何者をも近づけさせなかったのですから。久しぶりにやってこられて問われる言葉として守門者が予想していたのは、「予定通り父王は死んだか」というような言葉だったでしょう。
 ところがその言葉は「父の王今なお存在せりや」であった。この時、守門者は阿闍世王の足下を見たのではないでしょうか。阿闍世王は父王を殺したことに強い不安の心を持ち、自信さえ失っていると。

 王であれば、その言動はまさしく万基の主のものとして尊重される。しかしどうでしょうか。父王を閉じ込め餓死させようとする行為までも、万基の主のものとして直ちに全国民に敬意を持って受け入れられるべきものか。しかも、今王になったばかりの若い阿闍世王の判断が。
 守門者をはじめとする国民も、王に対しては臣民であると同時に人間であることは当然です。人間としての考えと判断を持っている。その上で、王の命令を受けとめるわけです。王の命令であるから受けとめつつも、場合によれば、王よ本当にそうでしょうかということもある。今がその時でしょう。
 
 守門者は、新王として始めての判断であった禁父の行為に、新王自身が自信を失い不安の思いを持っていることを見抜き、新王に対して、理由なき卑屈な態度を取る必要はなく、堂々と自己の、それは即ち国民の考えを述べることができるのだと、この時思ったのでしょう。しかし、当然守門者の立場であることは失ってはいけない。場合によっては首が飛びかねないわけですから。

 そこで守門者は慎重かつ絶妙な弁論を申し上げるのです。まず韋提希が食べ物を運んだ件についてです。「国の大夫人、身に麨蜜を塗り瓔珞に漿をいれ、もちて王にたてまつる。」これが守門者の発言ですね。
 韋提希のことを「国の大夫人」と表現しています。韋提希を権威付けるこれ以上の言葉はありません。これほどの権威あるお方を前にして、私は何もできません。入ることを制することなど、できるものですか。どんな事態も私には責任はありませんということを初めから言っているわけです。

 善導の受けとめは、「正しく夫人、密に王に食を奉る。王既に食を得て、食能く命を延べて多日を()(いえど)も、父の命なお存せること明かす。此れすなわち夫人の意なり。是れ門家の(とが)にはあらず。」
 先ほど見た経文の解釈ですから、当然内容はほぼ同じです。しかし、解釈に当たって善導が付け加えているところがある。文章としては付け加えですが、経文の内容を一歩深めて受けとめた表現ですね。どこが善導が受けとめて強調しようとしているところか。少し意訳してみます。前述の意訳の文と比べてみてください。(23頁下段)

 「大王よ。じつは、国の大夫人であらせられる韋提希様が密かに頻婆娑羅王に食を差し上げておられるのです。王は食を得て、それによって命永らえることができ、いくら日がたってもお元気でおられます。密かに食べ物を運ばれるというのは大夫人様のお考えになったことであり、私ども守門者の落ち度ではございません。」
 元の経文と違っている箇所は、韋提希の行為が「密かに」なされたこと。この行為が韋提希の考えた行為であり、自分たち守門者の過ちではない。この二点ですね。

 韋提希は文字通り密かに食べ物を運んだのです。しかし、それが守門者にははっきりと見られていた。韋提希の密かな行為が守門者に見破られていたということ。その韋提希を、阿闍世は当初なんら警戒していなかったということ。このようなことが問題になりそうです。
 「密か」な行為について、善導は一歩踏み込んで領解を行います。
 「問うて曰く。夫人食を奉るに、身の上に麨を塗りて、衣の下に密かに覆うて、出入往還するに、人見ること得ること無し。何が故ぞ門家、具に夫人の食を奉るのことを顕すや。」
 このように問います。韋提希は食べ物を密かにわからないように身に塗って牢を出入りしたから、誰も見ている人はいないはずなのに、どうして守門者は韋提希が食べ物を運んでいることを具さに知っているのか。

 これに対して、
 「答えて曰く。一切の私密、久しく行ずべからず。縦い巧みに(かた)(かく)せども、事還って彰露(あらわれ)ぬ。父の王、既に禁じられて宮内に在り。夫人日日に往還す。若し密かに麨を持ちて食せんとせずば、王の命、()くることを得るに由無し。今密と言うは、門家に望めて夫人の意を述ぶるなり。夫人、密かに外人に知られずと(おも)えども、其の門家尽く以って之を覚らざらんや。今既に事極めて相隠すに由無し。是れを以って一一に具に王に向かって説く。」

 一切の私的な秘密は、永遠に守り通されるということはないのだと。この「私密」は、聖人の加点本では「和密」となっています。こうなっているのはこの加点本だけのようで、他の諸本は皆「私密」。「和密」も夫婦の間の密という意味合いが出そうですが、今は、「私密」で見ていきます。どんなに私密を巧みに厳重に隠しても、隠せば隠すほど姿を顕してくるものだと。

 「今密と言うは、門家に望めて夫人の意を述ぶるなり」これが面白いところですね。韋提希が食べ物を密かに王に奉ったと経文にあり、「密かに」の行為の主語は韋提希となっているが、じつはこれは守門者がそう言ったのだと。密かに食べ物を運んでいこうというのが韋提希の思いであることを守門者が明らかにしたのだというのです。
 韋提希は、自分では他の誰にも知られずにことを行っていると思っているけれども、守門者は皆知っているのだと。

 ここに、韋提希がどのような存在であるかが象徴的に表わされているように思います。
 禁父縁では、禁じられた主人のところへ、健気に工夫して食べ物を運ぶ、賢婦人の姿が示されています。善導はそれを強調して、父王が牢内でなした行為を、韋提希を主語にして、韋提希が父王になさしめたように表記していました。

 その韋提希に対して、当初阿闍世の思いは次のようであったと善導は言います。禁じられた父王のところへ諸臣は助けに行くかもしれないから厳重に警戒をさせ、「又夫人は身は是れ女人なり。心に異なる計りごと無し。王と宿縁の業重し。親しく近づいて夫妻なり。体は別なれども心同じ。人をして外慮なからしむることを致す。是を以って入りて王と相見ることを得しむ。」
 母親は女性だから、特別なことを考えるということはないのだと。しかし、その母親が父王とは宿縁厚き夫婦であるので、心は一つ。主人のためならば何を考えるかわからない。結局服の下に食べ物を隠して運ぶということを思いついた。しかも夫婦ということで、牢に入って一緒にいることを誰もが疑いにくいものであると。

 父王と韋提希は夫婦であること。夫婦は心を一つにして生きるものであり、一所にいても誰も怪しむことがないものであること。このことを若い阿闍世は念頭に入れていなかったということです。守門者をはじめ国民は、このことはよく分かっている。それが人間というもの、世間というものだと。
 その守門者による「父王にはじつは大夫人がおられて…」という発言は、「阿闍世王よ、あなたはこのことがまだ分かっておられないのですね」ということを意味しているわけです。阿闍世の若さを突いたわけですね。

 と同時に、その賢婦人の「賢」の実態はどうか。韋提希は自分の意識としては、誰もこの私密の行為を知るものはいないはずだと思って毎日やってきた。しかし、実際は守門の者たちはよく知っていたのです。それが今阿闍世に向けて語られる。それによって阿闍世から刃を突きつけられるようになる。これが「賢」の実態です。外は賢にして内は愚なる凡夫の姿が、ここにあります。
 
守門者の攻撃
 次に「沙門目連と言う已下は、正しく二聖の空に(のぼ)って来去すること門路に由らず、日日に往還して、王のために法を説くことを明かす。」とあります。
 門路によらず空に騰って来た。門に至る道を通れば守門者がいて制することはできる。しかし、空からやって来て直接王の所へ行ったのであれば、制することが出来なかったと。こういう表現で世俗を超えた沙門という存在を表わしているわけですね。

 阿闍世は権力で父王から人を遠ざけようとした。その中心は諸臣であった訳です。父王を慕って命に代えてでも助けようとする諸臣さえ制することができれば大丈夫だと思った。そこに阿闍世の若さがあったわけで、二つの存在が眼中になかったのです。一つが夫婦ということ。もう一つが、いわば人間を超えたものと言ってもよい聖者、沙門たちです。
 聞法に縁のない阿闍世にとって、仏の世界は未知の世界。これを眼中に置くことなどできません。ここにも彼の経験の不足があった。これらが皆、王としての力の評価を下げるものであり、阿闍世自身に於いては自信喪失と不安の種になるものだったのです。
 大人である守門者はそこをよくわきまえている。新王に対して失礼のないような表現で、即ち単なる事実報告という形で、実質的には、阿闍世王を攻撃したと言えるでしょう。

 最後に守門者が、いかに自分に責任がないかを申し上げます。
 「大王よ、当に知るべし。夫人の食を進す。先に王の教を受けたまわらず。このゆえに、敢えて遮約せず。二聖は空に乗ず。此れ亦、門制に()らず。」
 なぜ自分が、韋提希と仏弟子達を牢に入れたのかの理由をまとめるわけですね。

 「大王よ、まさに知るべし」と。どう考えても結論はこうでしょうと。大王に対してひれ伏しながら堂々としていますね。「夫人が父王に食を進めることについては、大王からは何の命令も指示も受けてはおりませんでした。ですからとどめることができなかったのです」と。
 阿闍世王の命令は「諸の羣臣を制して一りも往くことを得ざらしむ」だけであったわけです。その時に「韋提希が食べ物を運んだりしたら、それも入れてはいかんぞ」とは言われませんでしたよと。

 この守門者は阿闍世王を尊敬していませんね。まだまだ頻婆娑羅王側の家臣です。人は相手を尊敬していなければ理屈を言うのです。それも長くだらだらと話をする。尊敬をしておれば、十をするのに一を聞けばいいのです。新王と認めていないと同時に、王としての資格を疑っている。そのことを阿闍世自身も感じている。だから、長い答えをさせてしまうのです。
 王の問いに対して家臣がだらだら答え出せば、王は叱るものです。しかし、阿闍世にはそれができない。自らと家臣の主従関係の成立ができていないことを感じている負い目があるのです。

 「二聖、空に乗ず。此れ亦、門制に猶らず。」目連と富楼那の仏弟子が空からやって来た。この仏弟子もまた「門制によらず」。門から入る制限事項に無かったのです。仏弟子も入れてはならんぞと、なぜあの時に言われなかったのですかということですね。言われなかったでしょう。あなたは隙だらけですよ、という感じですね。
 これが守門者の応答です。守門者もかつては頻婆娑羅王を尊敬していて、よき王のもとで本当に皆仕事も充実していて、やりがいもあったということなんでしょう。それが不本意ながらも阿闍世太子がこのような形で王になって。こういうことでしょうね。

 守門者の心は依然として頻婆娑羅王の側にあるようです。それも阿闍世には分かっていた。だからもし、「父王はもう死んだか」と問いかけたならば、この守門者は逆に力を得て皆に言いふらしますよ。やはり新王は頻婆娑羅王を殺そうとしていたのだと。今その証拠を掴んだぞと。ですから守門者にそれを言わせてはいけない。

 阿闍世は本当に牢内の父王に対する第一言を、それは直接には守門者に対する第一言ですが、これを慎重に考えたのです。考えるのに時間がかかった。また死んだことに確信を持てる時間として、「三週間」という日数に、やっと納得できたのでしょう。それが今のこの場面なのです。
 その張り詰めた心から出た問いに対して、父王が生きていたという守門者からの全く意外な答えにより、阿闍世は一挙に、母韋提希に対する瞋恚の鬼と化して、剣を抜き、母を殺そうとするのです。

 母を捕まえ髪を引っ張り刀を突きつける阿闍世。わが子よ助けておくれと懇願する韋提希。阿闍世の暴挙をとめようと現われる月光・耆婆大臣。説得され非を認めて刀を手離す阿闍世。禁母縁のクライマックスは次回読んでいきましょう。

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