今よみがえる観無量寿経 第11回 「禁父縁(3)」
 

るいれつの会(2012年3月19日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)頻婆娑羅王の仏教


 「るいれつの会」の第Ⅱ期が昨年の四月に始まり、今回で一年たったわけです。十年計画の十分の一ということですね。滑り出しはいかがだったでしょうか。
 私自身は、毎月のお話のほうは三時間ですので、あっという間に過ぎてしまったという感じです。
 お話の後の座談の時間が楽しいですね。皆さんお一人お一人、ご自分の生活の事実や教えの受けとめ等を仰ってくださり、そのご発言をお聞きし受け取らせて頂くという場は、まさに仏法ここにありという感じがし、生きた仏法に出遇わせて頂く思いがして、とてもありがたいことです。
 終了後、毎回録音を書き下ろして頂き、それをもとに校正をします。かなりの部分を書き換え加えたりしますので、校正よりも新たな執筆といったほうがいいかもしれません。これに少々労力を投じ、なんとか原稿が出来上がってということですが、時々時間が取れないこともあり、先送りの状態になっています。この夏は平時より時間が取れますから、挽回しようと思っているところです。
 このサイクルを十年続ければ、お互い得るものがあるに違いないし、将来十年の歩みを振り返る時が来ることを思えば、こんなに嬉しいことはありませんね。

賢夫人韋提希
 さて、『観経』の序分ですが、発起序の六縁の第一、禁父縁(ごんぶえん)を頂いているところです。ここを善導は七つの段落に分けますが、今回は後半の五番目の段落以降を見てまいりましょう。

 王舎大城にいた阿闍世(あじゃせ)太子は、提婆(だいば)の野心に基づく教えに(そそのか)され、父王頻婆娑羅(びんばしゃら)王を捕らえ牢に幽閉し、家臣を誰も近づかせないようにします。ここまでが第三段落です。
 続く第四段落は、「国の大夫人(だいぶにん)韋提希(いだいけ)と名づく。大王を恭敬し、澡浴(そうよく)清浄にして酥蜜(そみつ)をもって(しょう)に和し、用いてその身に塗り、諸の瓔珞の中に葡萄(ぶどう)漿(しょう)()れ、密かに以って王にたてまつる。」という文です。

 ここに韋提希が登場します。「国の大夫人を韋提希と名づく」と、堂々の登場です。しかし、それは単に「国の大夫人」という位だけを表わすのではなく、韋提希が主語になって次のことをなしたことを強調した表現でもあるのです。主人である王を助けるために、「澡浴清浄にして酥蜜をもって麨に和し、用いてその身に塗り、諸の瓔珞の中に葡萄の漿を盛れ」と、深い配慮の上に見事な創意工夫を行います。いわゆる賢夫人(けんぶにん)であることが浮き彫りにされる場面です。

 さて、食べ物を運ぶというこの韋提希の行為を受けて、頻婆娑羅王はどうしたか。これを表わすのが第五段落以降です。
 「爾時(そのとき)、大王麨を食し漿を飲み、水を求め口を(そそ)ぐ。口を漱ぎ(おわ)りて合掌恭敬し、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に向かい(はる)かに世尊を礼して是の言を作さく。『大目犍連(だいもくけんれん)は、是れ()が親友なり。願わくは、慈悲を興して我に八戒を授けたまえ』と。」(東89 西87 島2-1)

 頻婆娑羅王は、韋提希の運んだ麨を食べ、漿を飲み、水を探してきて口を漱いだ。漱ぎおわって耆闍崛山にましますお釈迦様に合掌礼拝し、次のように申し上げた。「大目犍連は私の親友です。どうかお願いですから、目連を(つか)わせて私に八戒を授けてくださいませ。」こういうことですね。

 ここには王の人柄とこの事件への対応がよく表わされているようです。王は阿闍世によって幽禁されても動揺はなかった。かつて自分がこの子に対してなしたことを思えば、覚悟のことだったのでしょう。牢内を今の自分の住処(すみか)として受け入れている落ち着きがあります。
 そのために、韋提希の運んだ食べ物をしっかりと食べ、ここを生きようとするのでしょう。心の支えは耆闍崛山にましますお釈迦様です。世尊を礼して戒律を授けてくれるべく目連を要請するのです。仏教に対してもしっかりとした自分の考えがあるようです。

 さて、善導大師の受けとめを見てみましょう。この第五段落は丁寧です。特に、なぜ八戒を要請したのかという点ですね。ここに頻婆娑羅王の仏教観が表れていると見たからでしょう。まず始めのほうを次のように述べます。
 「『爾時大王食麨』従り下『授我八戒』に至る已来(このかた)は、正しく父の王、禁に因って法を請ずることを明かす。」(親全63 聖全474 ノート68)

 これが第五段落全体の見出しです。捕らえられたことによって「法を請じた」ということを明かす一段であると。問題はどのような法を請じたかということです。これは後に捕らえられる韋提希の場合も同じですが、目の前に仏法はあっても、それをどのような思いで請ずるのか。ここに私たちの大きな問題、あまりにも具体的な問題があります。ここは、教えの中にも、またお互い自分自身の中にも、しっかりと問うて(ただ)していかねばならないものがあると思います。

 続いて、「此れ夫人既に王を見已りて、即ち身の上の酥を(ねぶ)り取りて、麨団(しょうだん)をして王に授与するに、王即ち食することを得つ。麨を食すること既に(おわ)って即ち宮の内に於いて夫人浄水を求め得て王に与えて口を漱がしむ。
 口を浄め竟って虚しく時を引くべからず。朝心寄る所無し。是を以って虔恭合掌して面を廻らして耆闍に向かえて如来に敬を致し、加護を請求することを明かす。此れ身業の敬を明かす。(また)通じて意業有り。『而作是言』と云うより已下、正しく口業の請を明かす。亦通じて意業有り。」

 食べ物の策を廻らせ(ひそ)かに牢に入った韋提希は、心配していた王の顔を見て、直ちに食べ物を与えようとします。肌に塗っていた小麦粉を取って葡萄酒を合わせて団子にし、王に差し上げるのです。しばらくの間、食べ物を口にしていなかったのでしょう。王はやっと腹を満たすことができました。韋提希はどこからか水を得てきて、王に口を漱がせます。

 ここまでの善導の文を見て、お気づきのことと思います。食べ物を食べたり口を漱いだりの行為をする者が、経典と変わっているのです。経典は「爾時、大王麨を食し漿を飲み、水を求め口を漱ぐ」とあって、大王自身が食べ、口を漱ぐという表現です。
 しかし善導の文は、「夫人既に王を見已りて、即ち身の上の酥を(ねぶ)り取りて、麨団をして王に授与するに、王即ち食することを得つ。麨を食すること既に竟って即ち宮の内に於いて夫人浄水を求め得て王に与えて口を漱がしむ」と、韋提希夫人が団子を王に与え、水を探し得て王に口を漱がせているという表現です。

 これは善導は面白いことをしましたね。主語を入れ替えたのです。なぜでしょうか。理由はおそらく、前段落からの、韋提希は「賢夫人」であることを強調するためではないかと思われます。頻婆娑羅王が韋提希と関わる場面を、韋提希が頻婆娑羅王に関わるという形で表現して、さらには韋提希がそうなさしめたという内容の読み替えまでしていく。面白い手法です。
 頻婆娑羅王は王で、しっかりとこの場を受け入れ対処しようとしている。これはこのあと問題にされます。一方、(きさき)の韋提希は韋提希で、自らを律し、賢夫人として主人にはたらきかけ、主人をしっかり護ろうとしている。

 両者の「しっかり」度は、どちらも大事な問題を提供するものですが、王の言動の場面を表わす文章を、王の問題点の指摘を失わずに、さらに韋提希の問題点をもそこで二重に指摘するという手法は、なかなかのものがあると思います。構成力と文筆力がなければ危険なやり方だと思いますが、善導はやりぬいたわけですね。

 そうせずにはおれないものがあったのかもしれません。それは、夫婦が、しかも国の王と后である夫婦が、その生涯をつつがなく送っていく一番もとの力は、自律心であると本人たちは考えているということでしょう。自分で自分をしっかり律し保っていかねば、誰の力が借りられようかと。国の中心となって生きる者の底力は自律心であると。

 これは私たちの場合も同じです。何かことをしようと決めたとき、心の中に起こるのは自律心でしょう。しっかりやって行こう、という気持ちです。たとえば外国を一人で旅行する時など、言葉も文化も習慣も分からず、どんなことが起こるかわからない中を一日一日過ごしていくには、なんといっても、しっかりと場面を踏まえ為すべきことを考える自律心です。しっかりしよう、しっかりしようと自分を奮い立たせるでしょう。

 このように自律心は、様々な場面に於いて非常に大事なものです。これを失えば大変なことになってしまう。しかし、この自律心の中には何があるのか。仏法に対してどのような位置を持っているのがこの自律心なのかという問題です。善導はこの問題を明かそうとするのです。
それを一番明瞭に示す方法は、仏の前に自律心を置いた時です。頻婆娑羅王の自律心は、仏の前で、その正体を見事に現します。そのことについて検討すると同時に、善導は、その頻婆娑羅王の自律心をも自己の支配下に置くほどに韋提希の自律心は大きなものであったことを表わすのです。その方法が主語を変えるということだったのです。

 具体的な主語の変え方は一々の文を見れば一目瞭然です。
 「大王麨を食し漿を飲み」が「夫人、身の上の酥を(ねぶ)り取りて、麨団をして王に授与する」となり、「王、水を求め口を漱ぐ」が「宮の内に於いて夫人浄水を求め得て王に与えて口を漱がしむ」となっています。
 賢夫人韋提希の姿ですが、その度合いを強くして読めば、頻婆娑羅王は自分では何もできず、すべて韋提希にしてもらった、という風にさえ読めるようです。もちろん、そうではありませんが。

 それにしても、口を漱いで仏に向かわせるということなど、韋提希は本当にしっかりした女性ですね。ただ食べ物を与えるだけではない。王の身の上を、心身の両面にわたって考えているのです。食べ物だけではいけないのだ。心の真の健康が大事なのだと。
 この場面は、後に韋提希が禁じられたときには、仏に向かわせた王の(いさぎよ)さは少し姿を消しているようです。人に対しては何をおいても仏に向かわせても、自分が直ちに仏に向かうかどうか。なかなかそうはいかない一面も伺えます。

仏に対して加護を求める
 さて、食べ終わってどうしたのか。
 「口を浄め(おわ)って虚しく時を引くべからず。朝心寄る所無し。是を以って虔恭合掌して(おもて)を廻らして耆闍(ぎしゃ)に向かえて如来に敬を致し、加護を請求することを明かす。此れ身業の敬を明かす。亦通じて意業有り。『而作是言(にさぜごん)』と云うより已下、正しく口業の請を明かす。亦通じて意業有り。」

 口を浄めるのは、当然仏に対する礼儀ですね。食べながらものを言ってはいけない。特に目上の方には。いわんや仏に対しては。仏に向かう時には、様々な礼儀があると思います。今は牢の中にあって非常時ですから口だけを浄めるわけですが、本来は身を浄めるわけでしょう。

 私たちも、たとえば一年で一番大事な仏事である親鸞聖人の報恩講をお勤めする際など、始まる前にいわゆる「沐浴(もくよく)」し身を浄めるわけです。現代的感覚ではあまり大事にされないかもしれません。もちろん本格的に行ずる道場などもあるでしょう。実際に沐浴だけの最低限のこの手続きを経て報恩講に臨むだけでも、やはり気持ちが違う。
 それは、ヒンズー教のように、ガンジス河で沐浴して罪や(けが)れを除くというのではなく、沐浴によって却って自らの罪悪を自覚せしめられる思いがします。
 如来を(そし)り自己に目覚めようとしない者が、今から親鸞聖人の前に進ませていただき、仏法に対するその粉骨砕身のご生涯に遇わせて頂きますということでしょうか。

 頻婆娑羅王も韋提希も、仏を敬う気持ちは十分にあったわけですね。続いて「虚しく時を引くべからず。朝心寄る所無し。」ぐずぐずとここで時間を延ばしていてはいけない。ここは自分のいるべきところではないのだから。こういうことでしょう。
 「朝心」とは珍しい言葉ですが、親鸞聖人はこれに「しばらく」と意味を付しておられます。牢内は自分の長くいるべきところではないから、少しの間でも時間を無駄にすまいと。寄るべき所も時間もないということは、寄るべき何かを求めるということです。

 「是を以って虔恭合掌して面を廻らして耆闍に向かえて如来に敬を致し、加護を請求することを明かす。」
 耆闍崛山のお釈迦様に深く礼を致して、加護を求めたのです。

 以前少し申しましたように、頻婆娑羅王はお釈迦様と深い因縁を持っています。出家するシッダルタを王は励まし、外道の師に仕える王に仏陀は教えを説いて目覚めさせ、その教団に王は沢山の経済的援助をします。王の全生涯をあげての師は正しく仏陀釈尊でしょう。
 そのお釈迦様に深く礼をなし合掌して、現在の自己の加護を求めるのです。求めるべき最高のお方に求めたと言えるでしょう。では、その加護とは具体的に何なのか。お釈迦様に礼をなして頻婆娑羅王は何を求めていたのか。問題はそこです。

 経文は、「合掌恭敬し、耆闍崛山に向かい遥かに世尊を礼して是の言を作さく。『大目犍連は、是れ吾が親友なり。願わくは、慈悲を興して我に八戒を授けたまえ』と。」
 善導大師はこれを受けて、「『大目犍連是吾親友』と言うは、()の二意有り。()だ目連は俗に在っては王の別親なり。既に出家することを得て即ち是れ門師なり。宮閤(くこう)に往来するにすべて障碍(しょうげ)なし。然も俗に在っては親と為し、出家せるを友と名づく故に親友と名づくなり。」

 大目犍連、即ち目連は世間にあっては王の別親、母方の親戚である。また出家して王家の門師となった。出家の仏弟子は数多くいても、そのなか目連師から直接の指導を受けるわけです。
 このような関係にありますから、宮殿への出入りは目連は自由にできた。このように「俗に在っては『親』と為し、出家せるを『友』と名づく」というわけで、「大目犍連は是れ吾が親友なり」というわけです。

 頻婆娑羅王は今、わが子阿闍世の過去の怨みを晴らす行為として幽禁された。これは人生の一大事に違いありません。その王が、韋提希の差し入れによってかろうじて食をつなぎ、そこで仏に向かって加護を請う。その内容は何か。
 これもまた人生の一方の一大事であるべきものです。即ち、仏を請ずべきだということです。

 ところが王は目連を請じたのです。お釈迦様には深く礼を為し、心安い目連に具体的な加護を要請した。これはどういうことでしょうか。
お釈迦様に深く礼を為すほどの仏への思いがあるならば、なぜ仏そのものを要請しないのか。仏は遠くにおられるのではない。おられないのではもちろんない。今その方に礼拝をして、なぜ直接の加護を要請しないのか。なぜ、仏法の世界の相手が釈尊と目連の二重になっているのか。

 これが私たちの大きな問題点でもあります。後の厭苦縁(えんくえん)のところで、今度は主人公の韋提希が正しく頻婆娑羅王と同じく、もっとひどいかもしれませんが、仏を呼んで仏を避け、仏弟子に(なぐさ)めを請う場面が出てきます。
 幽禁された場面でどうあるべきか。王はこれを自分が考えて結論を出すのです。一見それは正しいかのように思えます。自分が責任を持って考えることは正しい。
 問題はその考えの内容です。考え方です。その考え方の中には、仏法は参考にするが、第一にするという原則がないのです。どのようにすべきかと考える基盤の考えそのものに、仏法第一の原理がない。原理はどこまでも「我」の心であるというべきでしょう。
 「我」の心が巧みに仏法を第二に据えて、これでいいはずだと考える。私たちの必死の考えも、結局このようなものかもしれません。結果はうまくいきません。そこで本人は言うでしょう。おかしいな、仏法をも含めて考えたんだけどなと。
 仏法を考える対象にしてはいけない。仏法が主になって私を考えるという位置関係を確保しなければならないのです。人間の理性分別は、どこまでも仏法を考える対象として位置づけるでしょう。仏法によって考えられたくないのです。

八戒を請ずる心
 続いて「『願興慈悲授我八戒』と言うは、此れ父の王、法を敬う(こころ)深くして、人を重くすること己に過ぎることを明かす。若し未だ幽難に逢わずば、仏僧を奉請したてまつるに難しとするに足らず。今既に(とら)われて屈を致すに(よし)無し。是れを以って但だ目連を請じて八戒を受くなり。」

 世尊に対して王が要請したことは、「大目犍連は是れ吾が親友なり。願わくは慈悲を起こして我れに八戒を授けたまえ」ということでした。その「願わくは慈悲を起こして」のところを、善導はこのように受けとめるのです。
 王は法を敬うこころが深い。自分よりも人を重んずる。もし閉じ込められることなど無ければ、仏やお弟子を請ずることはたやすいことである。しかし、今囚われの身となったので、聖衆(しょうじゅ)に来てもらうことができない。そこで、目連だけを呼んで八戒を授けてもらおうとするのだと。

 当然この説明では、なぜ目連なのか。なぜ八戒なのかがもう一つ明らかではありません。そこを問答で確かめるのです。
 「問うて曰く。父の王、遥かに敬うには先ず世尊を礼し、其の戒を受くるに及んで即ち目連を請ずる。即ち何の意か有る。」
 王は牢から遥かに世尊に礼を為したのに、どうして戒を受けようとし目連を請じたのか。つまり、世尊に礼を為したのだから、当然その世尊に加護を請うべきではないかというわけです。

 「答えて曰く。凡聖の極尊なること、仏に過ぎたるはなし。心を傾けて願を発して即ち先ず大師を礼す。或いは是れ小縁なり。是を以って唯だ目連の来たりて授くることを請ず。然るに、王の意は尊ぶこと得戒を存す。即ちこの義(あま)ねし。何ぞ労わしくまげて世尊を屈せんや。」

 その答えは次の通りです。王はこのように考えたのであると。この世で最も尊いお方は世尊である。ですから、心の限りを尽くして世尊大師に礼をするのである。
 しかし、今の自分の置かれている場面は小縁かもしれない。小さな縁に過ぎないのに世尊に来てもらうわけにはいかない。親しい目連に来てもらうとしよう。当家の門師でもあるし。
 また仏弟子として大事なことは戒を受けることである。当然のことだ。であるからわざわざ世尊に来ていただくことはないのだ。

 明らかに、王の考え方には問題があるようです。戒律を自分は尊ぶのだといって、その正当性は誰が証明したのか。自分が思っているだけではないのか。戒律を尊んで、逆に何を避けているのか。何かを避けるために、戒律を尊んでいるのではないのか。
 自分の現状をなぜ「小縁」であると決めて、だから世尊に来てもらうことはないのだとしてしまうのか。縁は仏様のほうから決めること。それをなぜ自分が決め、しかも小縁としてしまうのか。人生の一大事、「大縁」ではないのか。このような問題点が次々と出てきます。

 厭苦縁に至って、今度は幽禁された韋提希が頻婆娑羅王と同じ立場になります。男性的と女性的の違いはありますが、どちらのものの考え方も、いわゆる仏法を避ける人間理性のものの考え方です。頻婆娑羅王と韋提希の言動を比較してみたいとも思いますが、それは厭苦縁が終わってからにしましょう。

 さらに問答が重ねられます。焦点は「八戒」です。
 「問うて曰く。如来の戒法にすでに無量に有り。父の王、唯八戒を請じて余を請ぜざるや。」
 仏が説かれた戒律の法は多くのものがある。その中で、王はなぜ「八戒」を請じて、他の戒を請じなかったのか。

 これに対して答えは、
 「答えて曰く。余の戒はやや寛くして時節長遠なり。おそらくは中間に失念して生死に流転せんことを。其の八戒というは余の仏経の説の如し。在家の人の出家の戒を持つなり。」

 他の戒は数も多く時間が随分とかかる。それをやっていたのでは、おそらく途中で失ってしまい、元の木阿弥になってしまうであろう。それに対して八戒は、仏典がいろいろ説いているように、出家の者の戒であって、それを在家の者がたもとうというのである。
 出家者の戒というのは、煩悩を超えるという要素が込められています。在家の者がたとえ一日一夜であっても、一番の問題点である煩悩を越えた戒をたもつことができれば、王としてはこれ以上、自分を律するものはない。最高の方法ということになります。

 この出家者の煩悩を超える戒を在家の者が守るというところに問題がありそうですね。自らの考え、いわゆる人間理性で考える究極は、やはり迷いを超える、煩悩を超える、覚る、ということでしょう。もちろん自分の理性的思惟を押し通していってのことです。

 頻婆娑羅王は今、本来ならば沢山の聖衆を迎えることができるのだけれど、今はそれができず、目連に来てもらうしかできないのだという。ほんとうにそうでしょうか。
 そのような状況は一部あるにしても、幽禁されたという、ある意味での一大事、限界状況の中で自らの考えを及ばそうとする世界は、やはり、迷いや煩悩を超える在り方をする、ということではないでしょうか。いわゆる理想です。
 理性は理想を追うのです。自らに満足できず、いかばかしかの考えを為すことができるので、結果として理想を追うのです。それが今、八戒となって具体化しているのではないかと思われます。
 頻婆娑羅王は、依然として、自ら考えて決着を図るというあり方に住しています。正しく迷いの姿です。人は仏を前にして、依然と迷う。いや、仏を前にしたからこそ、その迷いの姿が明瞭に浮き上がってくるのでしょう。

 続いて八戒の具体的な内容です。
「此の戒は持心極めて細かなり。極めて急なり。何の意ぞ然るとならば、但だ時節やや(つづ)まって、唯一日一夜に限り、作法して即ち捨つ。云何ぞこの戒の用心行細なりということを知る。戒文の中に(つぶさ)に顕わして云うが如し。
 仏子、今旦より明旦に至って一日一夜、諸仏の如く殺生せず。能持ならんやいなや。
 答えて曰く。能く(たも)てりと。
 第二に又云わく。仏子、今旦より明旦に至って一日一夜、諸仏の偸盗(ちゅうとう)したまわず、淫を行ぜず、妄語せず、飲酒せず、脂粉を身に塗ることを得ず、歌舞を唱伎し、及び往いて観聴することを得ず、高広の大床にのぼることを得ず。」

 八戒は、その内容は以上のようで、とても細かく、しかも朝から翌日の朝までの丸一日限りのものです。王はこの戒律をたもとうとしたのです。このことが、この大事に至っての王の理性分別の心が考え及んだことだったのです。

 繰り返しますが、仏を前にして、その仏を最高のものと仰いで深く礼を為して、そして仏に対して要請することが、仏自身から真実の教えを聞くことではなく、仏を差し置いて自分で考えたことを要請したということ。ここに、限りなく深い人間存在の迷妄があります。それはしかし、ひとり頻婆娑羅王だけではありません。

(二)釈尊の慈悲の心

律することのできない我が心

 第六段落に進みます。
 経文は次の通りです。
 「時に目犍連、鷹隼(おうじゅん)の飛ぶが如く、()く王の(みもと)に至る。日々是の如くして王に八戒を授く。世尊、(また)尊者富楼那(ふるな)を遣わし、王の為に説法せしむ。」(東90 西88 島2-1)

 お釈迦様は頻婆娑羅王の要請を受け、直ちに目連を遣わします。目連は毎日宮殿に通い、八戒を授けたのです。
 一方、世尊はそれだけに留まらず、富楼那尊者を王に遣わし、説法をなさしめました。
 ここにはお釈迦様の智慧が光っています。八戒は必ずしも王を真に救うことにはなりませんが、王のたっての要請であり、この要請のところに王自身がいるわけですから、お釈迦様はこれを拒否しない。
 しかし、自らの応答はこれだけでなく、富楼那を遣わして、仏法を説かせ、王に聞法をさせるのです。富楼那は説法第一と言われたお弟子です。

 善導大師のこの箇所の受けとめは、さすがに一歩踏み込んでいます。先ずこの段落の全体について、「『時大目連』と云う従り下「為王説法」と云うに至る已来は、その父の王の請によって聖法を蒙ることを明かす。」と受けとめています。
 王の請うたことは八戒であったのですが、それがきっかけになってお釈迦様は富楼那を遣わせ説法させた。これによって王は、聖法を蒙ることになったのだと。請じたことと、それによって結局得たものと、そのメリハリをきちんと表わしています。

 具体的な内容については、まず、目連の神通力は鷹隼(ようじゅん)に譬えた以上に速いものであることを述べ、八戒を必要とする王の心、そこに潜む問題を指摘します。
 「『日日如是授王八戒』とは、此れ父の王の命を延べて目連をしてしばしば来たりて戒を受けしむことを致すことを明かす。
 問うて曰く。八戒、既に勝れたりと言うは、一たび受くるに、即ち足んぬ。何ぞ須らく日日にこれを受くべき。」
 目連の授ける戒について問いが出されます。八戒が勝れているというならば、一度これを受けただけで十分なのではないか。どうして毎日受けなければならないのかと。

 これに対して善導は、山はどんなに高くても、海はどんなに深くてもいいようなものである。つまり、戒律も何度受けてもいいのであるということでしょうか。こう答えて最後に、「然も王の意は、既に囚禁せられて、さらに進士を(こうむ)らず。念々の中に人の(よば)い殺さんことを(おそ)る。これが為に昼夜に心を傾けて、仰いで八戒を(たの)む。」このように述べます。

 勝れた戒律を何度も受けるけれど、即ち煩悩を超えしめる出家の戒律を受けるけれど、王の不安は消えないのです。囚禁せられてもはや身動きができない。常に、名を呼ばれて殺されるのではないかと畏れている。この不安の心が消えないために、昼も夜もただ八戒にすがり、八戒を頼りにするしかないのだというのです。

 「昼夜に心を傾けて、仰いで八戒を憑む」この表現は強烈ですね。いかに頻婆娑羅王の八戒を請ずるあり方が間違っているかを表わしている。昼夜に心をかけるとは、いくらかけてもどうにもならないことを既に表わしているわけです。また戒律は「(たの)む」ものではないでしょう。自らを出家の僧の如く煩悩を律して生きるのが、戒律に誓う姿でしょう。

 「(ひょう)」とは、「相よって勢いをなす」という意味です。自ら勢いのない者が、それに依って勢いをもらうわけです。王は自らを律する心が強く、阿闍世によって囚禁されても、動揺はなく、事態を静かに受け入れたわけです。しかし、その強く律しているかに見えた態度の奥に、どうにもならない不安が消えずにある。どうしてなのか。

 わが身を律する心は、わが身全体を律するかに見えて、じつは律しようとする心それ自体をどうにもできなかったのです。自分でやろうとする姿は頼もしいけれど、やろうとする心そのものが持つ問題点は、それによっては克服できない。
 それができると思うところに、いやそのような問題があるとは思わないところに、理性の陥穽(かんせい)がある。理性で何でもできると思うところに、大きな落とし穴があって、人はそこに落ちるのです。そこに、自分を立たしめる戒律に、依存し頼ることになる。自分でできるのだと言い張った者の上に、このようにして悲劇が到来するのです。

奥に潜む信罪福心
 このように「仰いで八戒を(たの)む」行為がなされるのですが、この行為が同時に持っている驚くべき意味を善導は明かします。
 「積善増高にして、来業に資せんことを擬することを望欲す。」
 戒律をたもって、即ち、頻婆娑羅王においては、心の底の不安を消すために戒律に依存しつつ、同時に、その戒律に関わるということをもって、自己自身が善を多く積んだということにしたい。善を多く積んで、どうするかと言えば、「来業に資せん」将来の福を得る因にしようと。これが王の思っていることだというのです。これは驚きですね。

 現在の善の行為を、将来の福の因にしようとする。これを罪福心、或いは信罪福心と言います。この言葉は『大経』に出てきます。『大経』の最後の段落の内容とでも言うべきものです。
 浄土の荘厳と浄土を生きる者の姿を一通り説いたお釈迦様は、敢えて阿難を立たせ、今説いた浄土の世界の中で、「胎生(たいしょう)」の者がいるのが分かったかと問い、「胎生」の教えを説かれるのです。これは既に四十八願の中、第二十願で説かれていたものですが、その大事さを鑑みて、最後にもう一度詳しく説かれます。(東81 西76 島1-71)

 「胎生」の者というのは、仏法に出遇い念仏申しているけれども、真に仏法僧の三宝に出遇うことができない者のことです。この問題は特定の人のものだけではありません。人皆共通の、それも一番深い、従って一番見えにくい私たちの問題なのです。
 仏法を聞いて喜べない。念仏を申して顔が暗い。なぜ人はこうなるのか。その理由は仏智を疑うところにあります。不了仏智と言われます。如来の不可思議なる智慧。真実を成就し、私たちにはたらきかけて私たちを真実にすることができる智慧。これらがまったく分からず、信ずることができない。この真実智慧に、私の全体を挙げて頭を下げることができないのです。
 では、如来の真実智慧を信じないで、何を信じて生きているかといえば、それが「信罪福心」なのです。善を行えば幸福になることができるのだと。自分は善を行うことができる。だから、この教えを極上のものとして受けとめ、これに執着して、生涯、善をしなければならない、善ができるはずだという思いから抜け切れない。
 結局、如来本願という真実のはたらきに全く目を向けず、理解せず、頂くこともしないで終わる。善ができる、善さえすればいいのだという迷心に生涯振り回される。たとえ仏法に出遇っていても、そうなるのだと。

 では、この「胎生」の者は、どうすることによって、この難関を越えることができるのか。それは自らの本罪を()り、深く自ら悔責することによってなのだと説かれます。仏智を疑惑し、仏智を了解しないわが深い無明の心が持つ、如来に対する罪悪性に覚め、私を救うための真実智慧を疑って申し訳ありませんでしたとお詫びをする。懺悔をする。ここに、人は翻って如来の真実智慧を賜り、自己のまわりに仏法僧が満ち溢れていることを知るのです。(東83 西78 島1-73)
 このことをお釈迦様は『大経』の最後で説かれます。これを説かれるお釈迦様のお心はどうでしょうか。
 私たちの歩みにとって、「胎生」は最後の問題というべきものです。仏法に出遇っても、念仏に出遇っても、それを、善をなせば幸福になるのだと、自分の私的幸福ばかりを夢見て、仏法も念仏もその道具として使ってしまう。利用するのです。

 親鸞聖人が、おそらく自己自身の懺悔(さんげ)の言葉として言われた「本願の嘉号を以って(おの)が善根とするが故に信を生ずること能わず。仏智を(さと)らず。彼の因を建立せることを了知すること能わず。故に報土に入ること無し」のお言葉が、「胎生」の自己の罪悪性に覚めた懺悔の言葉でしょう。 (東356 西413 島12-187)

 人は誰でも念仏を利用する。己が善根にしてしまう。己の上に善を立て、これを以って将来の幸福に至ることができると思う。まことに愚かな考えです。この考え方にどこまでも執着するのが人間なのです。
 この「胎生」の問題、信罪福心の問題に徹底的な光を当てたのが『大経』であり、『大経』のこの精神をしかと受けとめたのが、親鸞聖人による浄土真宗なのです。

 『大経』でお釈迦様が、再度最後に「胎生」の問題を丁寧に説かれたように、親鸞聖人もまた『教行信証』の最後の化身土巻に於いて、この問題を丁寧に説かれました。
 これによって、私たちの救いが観念で終わるのでもなく、人生の最後が曖昧(あいまい)に終わるのでもなく、救いが人生に於いて何であるかが明瞭に示されることとなりました。
 「胎生」の自己の限りない自覚、信罪福心の自己の限りない自覚こそが、私たちの救いの姿なのです。この自覚を日一日となさせて頂くことが、救われて生きる一日一日を送ることになるのです。

 善導大師は今、自らの理性によって自己を律していこうとする頻婆娑羅王の歩みの心の底に、律しても律しても突き上げてくる不安の心と、その心のもう一つの正体が、何であれ善をなせば、それが将来の幸福の因になるのだという信罪福心であることを確認したのです。
頻婆娑羅王の言動のどこで確認したのかということにもなりますが、じつは、これ以外に人の心などないということなのかもしれません。

聞法することの意味
 第六段落の後半は「世尊亦尊者富楼那を遣わし、王の為に説法せしむ」です。
 これについての善導の釈は次の通りです。
 「此れ、世尊の慈悲の意重くして王身を愍念したもうことを明かす。忽ちに囚労に遇うて、恐らくは憂悴(うすい)を生ぜんことを。然も富楼那は聖弟子の中に於いて最も能く法を説く。善く方便有って人の心を開発す。此の因縁の為に如来発遣して王の為に法を説かしめて以って憂悩を除く。」(親全67 聖全476 ノート72)

 世尊の慈悲の心がいかに重いか。これが富楼那を遣わした最大の因です。その慈悲は、王の身を哀れみ念ずるのです。仏が衆生を愍念するのは、ある意味で当然のことでしょうが、しかし、仏が一人ひとりの衆生の身を哀れみ念ずるということは、なんと申し訳ないことであるかとも思います。
 さて、釈尊の慈悲の心がどのように頻婆娑羅王を見て、富楼那を遣わすことになったのか。そこが問題です。王は「忽ちに囚労に遇うて、恐らくは憂悴を生ぜんことを」。ここがポイントでしょうね。囚禁の身となって煩い多く、そのため愁憂憔悴、憂いの底に沈んでしまうであろう。これが釈尊の思った王の心の展開です。
 「囚労」の文字に、聖人は「いましめわずらう」と註を付しておられます。閉じ込められた中での苦しみが次第に王を襲い、ついに憂悴してしまうであろうと。

 この憂悴の心は、王自身が請じた八戒で超えることができるのか。戒律を求め受けとめる心が憂悴の心である限り、憂悴の心自体は超えられないのではないか。戒律とともにやはり沈んでしまうのではないかと思えます。
 ということは、戒律を請じて、これを毎日受けても、自己を独立的に立ち上がらせることは難しく、逆に憂悴の心を深めていくであろう。お釈迦様は頻婆娑羅王の命運をこう見られたのですね。

 この点をしっかりと押さえたところに、お釈迦様のお考えは逆に明瞭になります。王に欠けているものは聞法であると。仏法にひれ伏し、説かれる仏法を主として聞いていくことだと。
 王は今、自分の考えを主とし、八戒で自己を律しようとしているが、それはできない。人を律するのは、仏法そのものなのだ。仏法を聞く側に身を置く。このことが決定打なのだとお考えになり、説法第一の富楼那を遣わして王に教えを説かせるのです。

 説法第一とはどういう能力を指すのでしょうか。善導は「善く方便有って人の心を開発す」を挙げます。方便とは、相手に近づいて説くことです。相手の様々な状況を把握し、今のところから歩み始める道を提供する。どんなに元気がなくても、どんなに自信に溢れていても、そこから出発をなさしめる。そして、確実な歩みの道を示して目的地に至らせる。
 確実な歩みとは、自己に目覚める歩みです。歩みが空転してはいけない。自己を、照らされる位置に常に置いて、なお目標に大きく向かって歩む。その歩みをなさしめるのです。

 それは同時に心を次第に開かせていく歩みでもあるでしょう。私を受け入れてくれるところから教えが説かれ、次々と説かれる教えが自己を照らし、本当のものが次第に現われて来る歩みをなさしめられる。それは喜びです。
 真実のものが現れ、それに出遇っていくことが何よりの喜び。真実の如来、真実の自己。両者の真実の関係。宝物に出遇うように自己を開いていくでしょう。富楼那尊者はどのように教えを説かれる方だったのでしょうか。

 聞法は、真の救いを求める私たちの基本姿勢です。しかしこの姿勢がなかなか確立しないかもしれません。それもまた努力でしょう。
 聞法のところには、まず場があります。長い間、多くの人がここで仏法を聞き、如来と自己に出遇った。この畳はその涙を吸っているかもしれない。この壁はその声を聞いているかもしれない。その壁や畳が、今度は私に、君の番だよと呼びかけてくる。かけがえのない場。作れと言ってすぐにはできない場。単なる場が、仏法の僧伽を開く場となる。本当に不思議なことです。

 また聞法のところには、よき師がおられる。そのよき師の背景には、無量の念仏の歴史がある。よき師を得ることは極めて大切なことです。我流も風来坊も、道を究めることは至難でしょう。師を得て、教えられ、示され、導かれなくてはならない。
 よき人の上に、生きてはたらく念仏があるのです。念仏だけを取るのでなく、その人の上で生きている念仏に出遇わねばならない。単に名号ではない。「聞其名号」其の名号、よき人の上で生きている名号を聞くのです。
 仏法の深い海へ尋ね入ろうとすれば、よき人とともに尋ね入らねばならない。よき人の存在意味はとても大きなものがあります。本願成就文が「聞其名号」と、よき人の名号を聞いて、となる理由が、よく分からせて頂ける思いがします。

 聞法のところには、まさしく真実の教えがあります。釈尊によって悟られ、無数の仏法者によって証明され生きられた教えがある。
 教えとはどうしてかくも深いものなのか。何度も何度もため息を吐いてきました。深いことが教えのいのちなのかもしれない。丁寧なのが教えの姿なのかもしれない。深く丁寧な教えが説かれる時、いったいこの世とは何なのか。自己とは何であり、如来とは何なのか。どのように生きるのか。大切な問題に真正面から向かう空気がその一帯を支配するようです。

 聞法のところには、よき友がいる。同行同朋がいる。同朋の世界は、不思議に満ちています。どうしてあなたと私が出遇ったのか。いくら考えても分からない。しかし今ここで、底のない親しさと行く手の遮られない空間を、感謝と願心を持って、共に歩んでいける。不思議な不思議な世界ですね。
 同朋は聞法のご褒美だと言われる。それは、ただ同朋という人を賜っただけでなく、同朋との出遇いを通して、仏法の不思議さをご褒美として頂くということではないのだろうか。不思議というところに、仏法がある。「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて」と。

 頻婆娑羅王はお釈迦様の深い慈悲の心から遣わされた、説法第一の富楼那尊者から説法を聞く。なんと恵まれたお方か。その恵みを与えるのがまたお釈迦様なのでしょうね。
 この聞法が頻婆娑羅王をどのように変えたのか。それははっきりとは分かりにくいところです。しかし、一つヒントがあるのは、少し先の欣浄縁で韋提希が阿弥陀の世界に生まれたいという願いを起こしたところで、お釈迦様は即便微笑され、放った光が頻婆娑羅王の頂きを照らし、阿那含という悟りを開いたとあります。
 韋提希が浄土へ生まれることを願ったことを聞いて悟りをひらく、その伏せられている道筋を聞法が作ったのではないか。そのようにも思えます。

 最後の第七段落です。
 「是の如き時の間、三七日を経たり。王、麨蜜(しょうみつ)を食し聞法を得るが故に、顔色(げんしき)和悦せり」
 こうして三週間がたちました。王は韋提希の運ぶ麨蜜を食べ、一方では聞法を続けたために、おだやかで喜びに満ちていたのです。

 善導の釈を見てみましょう。
 「正しく父の王、食と聞法とに因って多日死せざることを明かす。此れは正しく夫人多時に食を奉って、以って飢渇を除き、二聖又戒法を以って内より(たす)けて、善く王の意を開くことを明かす。食は能く命を延べ、戒法は神を養って苦を失し、憂いを亡じて顔容和悦ならしめることを致す。」(親全67 聖全476 ノート72)

 三週間たったことがどういう意味を持つのか。これは次の禁母縁との関係が深いところですから、次回に譲ります。この善導の解釈には、それほど難しいことは出ていないようです。食べ物と仏法、一応、戒と法ですが、申してきましたように、中心は法、聞法でしょう。この二つによって憂いがなくなる。問題であった憂悴の心が無くなって顔色和悦となる。ここが大事ですね。
 ここのところは厭苦縁の韋提希と少し違うところですが、これもまたそこの所で見てみましょう。

 以上で、序分発起序六縁の第一、禁父縁を終わりたいと思います。次回は第二の禁母縁(ごんもえん)に移ります。王舎城の悲劇の後半部分です。

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