今よみがえる観無量寿経 第10回 「禁父縁(2)」
 

るいれつの会(2012年2月20日)講義録

講師 岡本 英夫先生

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  ≪聖典の引用について≫
     聖典の引用箇所を左の略字で示します。
        東=東本願寺聖典
        西=西本願寺聖典(注釈版)
        島=島地聖典






 ≪善導大師『観経(四帖)疏』の出典について≫
    出典の頁を左の略字で示します。
       親全=『定本親鸞聖人全集 第九巻』
       聖全=『真宗聖教全書第一巻 三経七祖部』
      ノート=『観経疏ノート(深浦倫雄監修)』


(一)五逆の者・阿闍世


「提婆の戦い」が意味するもの

 今回は、発起序六縁のはじめ「禁父縁」の続きです。前回は「爾時(そのとき)、王舎大城に(ひと)りの太子あり。阿闍世(あじゃせ)と名づく。調達(じょうだつ)悪友(あくう)の教えに随順し」のところを読みました。
 提婆が自らの野心を果たすために阿闍世を利用しようとする、いわば「提婆の戦い」は、ある意味でじつに見事なものがありました。野心を果たすことに、即ち、人間的な思いを誰にも邪魔にされずに果たし遂げようとすることに全力を注ぎ、徹底していたわけです。

 この提婆の歩みこそが、じつは私たちの歩みではないか。人間的な思いをもって自分勝手に描いた夢を、自分が考えた方法でどこまでもやり抜こうとする。仏が目の前にいてもこれを誹謗中傷し、真実の仏法を世俗の煩悩の次元でしか受けとめない。ひとり提婆だけではなく、まさしく私たちの姿であると思えます。
 
 しかし、この迷いの現実が、迷いであるから否定されてしまうのではなく、この現実を縁として、如来のはたらきは来たる。提婆の歩みは、じつは如来のはたらきを来たらしめる歩みであったのです。
 経典の「調達悪友の教えに随順し」という短い文章を、提婆の波乱万丈の物語をもって長文の補足をした善導の心を知ってか、親鸞聖人は、「浄邦縁熟して調達闍世をして逆害を興ぜしめ」と、提婆の営みを「浄邦の縁が熟す」歩みとして位置づけられたのです。
 この提婆の歩みがあったからこそ、王舎城の悲劇が起こり、阿闍世が韋提希を幽閉し、その韋提希が釈尊に救いを求め、これに応えて釈尊は万人を救う阿弥陀の本願を説かれたのであると。

 「提婆の戦い」は驚くべきことに、阿弥陀の本願を世に開くための重要な意味を持っていた訳です。まことに、驚きと感動と、仏智の深さ、大慈悲の広大さを思わずにはいられません。仏法は、あらゆる事象を内に含めて、すべてを転じ変えなそうとしている。すべてにはたらきかける真実、真実的世界観とでも言うべき仏法の姿がここに示されているのです。

父王を幽禁する
 さて、提婆の教えに随順した阿闍世は、直ちに行動に移ります。善導大師は「禁父縁」を七つの段落に分けますが、ここからが第三段です。父を捕まえ牢に禁じ、誰も近づかせないようにした、という一段です。

 その次の第四段は、「国の大夫人、韋提希と名づく…」。幽閉された頻婆娑羅王に韋提希夫人が食べ物を運ぶ内容へと展開します。
 第五段は、「その時大王、(しょう)を食し漿(しょう)を飲み…」。運ばれた食べ物を頻婆娑羅はどのようにしたか。頻婆娑羅の側から述べられます。
 第六段は、「時に目犍連(もくけんれん)鷹隼(おうじゅん)の飛ぶが如く…」。頻婆娑羅(びんばしゃら)の要請を受けてのお釈迦様の対応を表わします。
 そして第七段は、「是の如き時の間に三七日を経たり。…」。食べ物と聞法を得た頻婆娑羅王はどうなったかを表わします。

 このように、禁父縁全七段のメリハリをつけた分け方でわかりますように、禁父縁は七つの段落が異なった七つの主語によって成り立っています。
 ①王舎城、②提婆、③阿闍世、④韋提希、⑤頻婆娑羅王、⑥釈尊、⑦全体の結果。

 これを見て感じますことは、禁父縁は、序分の中の、そのまた序分のように思われます。まさしく王舎城の悲劇を表わしているのですが、この悲劇そのものが序分の中心ではない。悲劇の中で愁憂する韋提希(いだいけ)が中心なのです。
 従って第一の禁父縁では、王舎城の悲劇の様子を、関係者の言動を次々とメリハリをつけて述べて足早に展開させ、第二の禁母縁では阿闍世が母の韋提希を閉じ込める場面をやや詳細に説き、そして第三の厭苦縁(えんくえん)で、牢獄の中の韋提希の愁憂憔悴が描かれる。ここから釈尊への要請がなされるというように、韋提希を中心に据えて内容が展開されていくのです。

 では第三段落を見てみましょう。
 経典は「父の王頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置き、諸の群臣を制して(ひと)りも往くことを得ざらしむ」。(東89 西87 島2-1)

 これを善導大師は次のように解釈します。
 まず全体を押さえて、
 「正しく父王、子の為に幽禁することを明かす」。
 父王が子によって幽禁の身になったのだと。「父王」というように、「父」と「王」の二重の表現で表わしているところがポイントでしょう。
 「幽禁」は、「幽」は幽閉、「禁」は禁錮。これまで可愛がり、可愛がられ、大事にし、大事にされた。国民から愛される名君と将来が頼もしい王子との仲睦まじい関係が、一瞬にして正反対のものへと変わったのです。

 子が父の王を捕まえ牢に閉じ込めた。なんということが起こったのか。なんという悲しいことになってしまったのか。誰もとめる者はいない。あの愛すべき人格者の王が、あのまだ子供と言ってもいい王子によって、このような目に合わされるとは。あの王子がこのような大変な事件を起こすとは。宮殿の空気は一変しました。穏やかな春の温かみは吹っ飛び、陽を隠す厳冬の雪嵐に覆われたのです。

 その厳冬の雪嵐の正体とは何なのか。善導は「父の王頻婆娑羅」の表現を鍵にして厳冬の冷たさを生み出すものを明かしていきます。
 「此れは、闍世、提婆が悪の(はかりごと)ごとを取って、(たちまち)に父子の(なさけ)を捨つることを明かすなり。直ちに極まり()きの恩を失うのみにあらず、逆の響き、(これ)に因って(みち)に満つことを」。(親全61 聖全473 ノート66)

 「父の王頻婆娑羅を収執し幽閉して七重の室の内に置」いたということは、阿闍世が提婆の悪計を信じてしまい、これによって、たちまちのうちに父子の情を捨てたことを意味するのであると。
 そしてさらにそこに起こっている二つの事実を確認します。一つは、直ちに「罔極(もうごく)の恩」を失ってしまったこと。もう一つは、「親殺し」の声が巷に溢れるようになったこと。

 父子の情とは天性のもの、天から授かったものです。人はこの天性の情の中を生きる。人はいかに「個の確立」といい「主体性」や「独立」といっても、父子の情、親子の情の外で生きるのではないのです。
 しかし阿闍世は、提婆の悪計を取り、父子の情を捨てた。悪計に(だま)された面はあっても、同時に悪計を自ら「取った」。そして天から与えられたものを人工的に捨てたのです。
 「天」と「人工」はどちらが強いか。それは「天」のほうが強い。従って、いかに阿闍世が父子の情を捨てても、これで事態が最終局面を迎え決着したのではない。真の決着へ向け、歩みはここから始まるのです。

 問題は(そそのか)した提婆にだけあるのではない。これを受けて自ら「父子の情を捨てる」ことをした阿闍世にも問題がある。心の隙があるのです。父子の情の中にあっても、なお父子の間に未解決となっている問題がある。
 その未解決の空間は、強い刺激があれば、どのようにでも動く不安定さをもっている。このことは(だま)そうとする提婆にはよく分かっていたわけですね。それが「未生怨」という心の領域だったわけです。

 人は、特に青年期は自己自身をなかなか受けとめられない。自分がこのような存在であるのは親の責任であると、親を怨むのです。心の揺れやすいこの時期を提婆は待っていたのかもしれません。そして、(そそのか)し、「父子の情を捨てる」ことを阿闍世自らの行為としてなさしめたのです。
 提婆の狙いは阿闍世に王位を奪わせることです。そこには、王と王子という社会的関係があります。この関係の底に、じつは父子の情があるのです。社会的関係を完全に破綻させるためには、そのもとになっている父子の情を破綻させねばならない。

 しかもそれを、阿闍世にとっては、ただ提婆の言に騙された被害者として逆害をおこしてしまったというのでは、阿闍世がどの時点かでそのことに気づけば、思いを転じて攻撃の矛先が提婆に向かうことになるかもしれない。
 そうならしめないために、阿闍世自身の意思によって提婆の言を取るというあり方をなさしめたのです。この方法を保障し実現させるものこそ「未生怨」の思いであった。これが提婆の狙いだったのでしょう。

 「怨み」の思いが爆発し、阿闍世は父の王を捉え閉じ込め餓死させようとします。その行為を司る自分の思いには、かつて自分を殺そうとした父への怨みを返すという、ある意味での正当意識があった。怒りに燃えていても、阿闍世の心の根本は、これは正しいことだという思いによって動じることはなかったのです。
 しかし、じつはこの正当と思われた行為は何をもたらすことになるのか。本人は正当と思っても、そのことによって巻き起こされるものは、取り返しのつかないような重大事なのです。第一が「直ちに罔極(もうごく)の恩を失う」行為であった。正当意識の奥に起こったこのことに、阿闍世は気づかなかったのです。

罔極(もうごく)の恩を失う
 「罔極の恩」は「極まり()きの恩」です。これ以上ない最深の恩。父母の恩を「恩田(おんでん)」と言います。恩の田ということですね。この田に種を蒔くと、田の力によってどんどん大きく成長する。田以外のところではこうはならない。
 存在しなかった者が存在を与えられ、成長せしめられていく。それはひとえに親の力による。そこに広大な恩があるのです。まさしく恩田ですね。この恩田に背くのが五逆の一つの姿です。報いるべきこれほどのご恩に報いず、あろうことか反逆をしていく。驚くべき親不孝、五逆の者阿闍世がここにあります。

 五逆はどこから起こるか。それは誹謗正法から起こるのだと言われます。正法を誹謗する。これが人間存在の最深の悪業なのです。この謗法の自己に目覚めていくところに、はじめて如来の真実の心が受けとめられていく。謗法の自己に目覚めるということが、具体的に自己自身に目覚めるということなのです。
 他にも自己への目覚めの内容がありそうですが、なぜ謗法なのか。それは、この謗法の自己に目覚めるところに真実信心が成就し、そこに正定聚不退の歩みをする者、即ち、救われて生きる者が誕生するからです。目覚めは救いと深く繋がる行為なのです。

 自己に目覚めることによってもなお自らが救われないとすれば、それは、真に目覚めるべきことに目覚めていないことになります。「目覚める」という行為は、それによって彼の上に救いが生じる行為なのです。人間における目覚めはそのような大きな力を持っているのです。

 謗法の自己に目覚めよ。そこに真に自己に目覚め、真実信心の成就がなされていくぞと強く呼びかけるのが第十八願です。
 第十八願には、真実信心を成就するぞと誓ったあとに、「唯除(ゆいじょ)五逆誹謗(ひぼう)正法(しょうぼう)」唯五逆と正法を誹謗する者を除くという言葉があります。「唯だ除くぞ」と強く私たちに注意を喚起して、そこで大事なことを説かれるのです。

 どうか五逆・誹謗正法の自己であることに目覚めて欲しい。これに目覚めるところに、私が回向成就しようとしている真実信心が間違いなく成就するからと如来は願われる。
 そしてさらに、五逆・誹謗正法に目覚めるための皆さんの歩みをなさしめる願いを今から説くからと言って、第十九・二十願が説かれていくのです。父子の情を捨て、牢に閉じ込めて殺そうとする阿闍世において、この時、やがての誹謗正法の自覚への歩みが始まったと言うべきでしょう。驚くべき方向に向かっているようではありますが。

 この『観経』では、阿闍世のその歩みについては述べられていません。これは『涅槃経』に説かれます。ただ、それへの橋渡しと言える一節が次の「禁母縁」に出ます。父王のところへ母の韋提希が秘かに食べ物を運んでいたことが発覚し、阿闍世は母をも自らの刀で殺そうとします。しかし家臣が止める。止められた阿闍世の心は宙をさまよい、止めた家臣のそばにいる耆婆に助けを求めるのです。

 耆婆は阿闍世の異母兄であり、医師であり、釈尊の教えを聞いている者です。絶妙の位置にいるこの耆婆が、愁苦する阿闍世に仏法を勧めるのです。躊躇する阿闍世は、しかしついに釈尊のみもとに至り、丁寧な教えを聞き、誹謗正法の自己に目覚め、如来真実の心を無根の信として得ることになります。これはこれで、阿闍世の大きな歩みがあります。

 「父子の情を捨つ」ことが、じつは「直ちに罔極(もうごく)の恩を失う」ことであった。善導は、「父とは別して親の極まりを顕わす」と確認します。
 「母は至親にして尊にあらず。君は至尊にして親にあらず。父は尊・親の誼を兼ぬ」と言われます。子供にとって、尊をも兼ねた親の極まりの存在、それが父なのです。
 父を牢に入れたことは、父子の情を捨てたことであり、極まりなき恩を失ったことである。そしてそれは同時に、極まりのない親しさをも失ったのです。その親しさというものは「情」の具体的局面の中にあると言えるかもしれません。

「親」
 「親」の文字は、「辛と木と見に従う。辛(はり・針)をうって木を選び、斧で切り出した木を新という。その木で新しく神位・位牌を作り、それを拝することを親という。新しい位牌は父母のものであることが多いから、親は父母の意となるのであろう。」(『字統』)このような意味のようです。

 選ばれた木から父母(親)の位牌を作り、子供が見るわけです。他の人たちも見るでしょうが、最後まで見続けるのが子供なのでしょう。
 そのように相手を思い続けるところに「(した)しさ」があり、親しさの思いを向ける最もふさわしい相手が「(おや)」だということです。父は親しさの極まりである。そこに親があるということですね。

 父子の情を捨てたということは、この極まりのない親しさをも捨てたわけです。そこに、極まりのないご恩を失ったということがある。親しさの世界に身を置くことがご恩を感じて生きていくことなのです。
 その親しさの世界は、子供のほうから言えば、親によって親しまれる世界です。親が子供を親しむ世界ですね。それが元になり基軸となって、子供のほうも親の上にご恩を感じ、親に対する親しさを持つのです。「親」と「恩」は深いつながりを持っています。

 『観経』のずっと先のほう、正宗分定善観の中、第九真身観というところがあります。そこに次のような有名な教えが説かれます。
 「一一の光明、遍く十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」。
 阿弥陀から放たれた光明は全世界を照らし、念仏の衆生を摂取不捨なさるのだと。阿弥陀のはたらきを明快に説き表わした言葉です。

 ところがこれに対して、あらゆる者を照らしているのならば、阿弥陀はあらゆる者を救うはずではないか。なぜ念仏の者だけなのか、という問いが出されます。
 この問いに対して善導は、これには三つのことが問題となっているのだと、三縁ということを挙げます。「親縁」「近縁」「増上縁」です。
 この「親縁」と「父は親の極まり」であるということとが関係があるのではないかと思います。

 「親縁」とは、如来が「親しむ」ことをもって私に至ってくださるということです。如来は文字通り「如」より私に「来」たるのですが、ただ距離が近づくという物理的なことではありません。「来たる」という表現の中身があるのです。それが「親縁」「近縁」、「親しむ」であり「近づく」なのです。この二つのはたらきを受けとめるところに「増上縁」として如来を頂くことができるのだと。

 「一一の光明、遍く十方世界を照らす」のですが、それは単に照らすということではなく、私を救おうとする如来の大悲心から起こされたはたらきを、私がどのように受けとめるかの問題がそこにあるのです。
 大悲の心とは、必ず私を救おうという真実の願いです。如来はこの願いを持ちつつ、この願いに動かされて私に向けて歩む。それが法蔵菩薩の歩みです。

 私という存在はどのようなものであるか。それは真実の心無く、真実を受けとめる心も無く、真実に向かおうという心も無い。この虚仮不実の心の持ち主をどのようにして「真に生きる」存在とならしめるか。法蔵菩薩の五劫の思惟がなされます。
 そして四十八願を明らかにし、私の真の立脚地である浄土を建立する方法と、その浄土に立たしめる方法とを確立するのです。それが本願念仏のはたらきです。

 私を真に救うために法蔵菩薩は歩みに歩んで、救いの方法を求め選んでいく。その歩みの全体が、私を親しむという姿。「たとい身を諸の苦毒の中におくとも、我が行は精進にして、忍んでついに悔いざらん」と、私の上に自己自身を成就しようとして歩まれるその姿。それが私を親しむお姿。
 この歩みのところに、私の救いのもと、即ちご恩があり、それが私を親しむという姿で具体化されている。この自らを親しむ姿に出遇い、これを頂いていくところに、真の阿弥陀に出遇うことができる。ご恩に出遇うことができる。

 もし、自己を親しむ法蔵の歩みに出遇うことができなければ、いかに光明が私を照らしても、私はそれを対象化して看ているが故に、法蔵に出遇うことができず、また念仏の衆生となることができず、摂取不捨されないのであると。
 この如来の「親縁」を頂くことが、第七観の華座観であり、華座観を成就することによって、即ち如来の因位である法蔵菩薩の歩みに出遇うことによって、そしてもう一つ第八観の像観がありますが、この二つの観法が示す私の問題点を超え、これら二つの観を成就することによって、真の阿弥陀、即ち大悲の阿弥陀に出遇うことができる。このような教えが第九真身観に出てきます。

 今阿闍世は、父の情の中にある「自らを親しむ」父の心を捨てたのです。その親しむ心に出遇い続けていくところにご恩に出遇っていくことがあるのに、親しむ心を捨てた。「私のために」というご恩を失ってしまったのです。ご恩を失った者は、真に生きることができません。
 人は真に自己を自己たらしめる根源のものに、それをご恩として出遇い、このものの力を限りなく頂き、このものに感謝し報い応えていく生き方をするところに、一生がはじめて満たされていくのです。

 『涅槃経』では、六師外道の教えに惑い、耆婆(ぎば)が勧めるお釈迦様への道を躊躇(ちゅうちょ)する阿闍世に、天の声が呼びかけます。
 「願わくは大王、速やかに仏のみもとにもうずべし。仏世尊を除きては、能く救うことなけん。我れ今汝を愍れむが故に、相勧めて導くなり」
 阿闍世はこの声を聞いて恐れを懐き、戦慄します。そしてその声は何者かと尋ねる。声の主は答えます。
 「大王よ。(われ)は是れ汝が父頻婆娑羅なり。汝今まさに耆婆の所説に従うべし。邪見六臣の言に随うこと(なか)れ。」
 阿闍世によって殺された頻婆娑羅王が、道に迷う阿闍世のために、声を振り絞り、力の限りを尽くして我が子に呼びかけるのです。悪友を離れ、善友に就き、真実の道を求めていけよ。真実に出遇ってくれよと。
 捨てられた「父子の情」が生き返ろうとします。失われたご恩がよみがえろうとします。どんな時にも、親のほうが声をかける。そこに「ご恩」があるのです。

 ご恩を失った者は、なんとしてでも新たにご恩を見出していかねばならない。この阿闍世の存在そのものが要請する歩みが、先ほど述べた「禁母縁」の中での空ろな眼が耆婆を捉えた、その時から始まるのです。

 阿闍世を利用し唆して逆害を起こさせた提婆は「悪友」。苦しむ阿闍世のそばに寄りそい、釈尊に会うことをしきりと勧める耆婆は「善友」ということになります。
 「善き友」耆婆の背後に「善き師」釈尊がおられる。「善き師」の背後に阿弥陀まします。阿弥陀のはたらきは「善き師」釈尊を経て、具体的な「善き友」耆婆の上に現われ、阿闍世にはたらきかけるのです。「善き友」がいかに大事な存在であるか、ということですね。

 阿闍世をして、これほどに大切な父子の情を捨てさせたものは「殺す」ということです。かつて父が自分を殺そうとした。もし指一本折るだけで奇跡的に助かることがなければ、間違いなく死んでいた。殺されていたということです。
 自らに対して「殺す」という姿勢で臨んでくる者には、自らも「殺す」という姿勢で相対する。人と人とが、親と子が、「殺す」ということで向かい合っているのです。

 私たちは、周囲の人に対して、どのような思いを基本に持って相向かっているでしょうか。五逆の中、父母を殺すところの表現は、「(ことさら)に思うて父母を殺す」となっています。
 「故」という文字は、左の「古」は神を讃える言葉の力を守るという意味であり、右の「(ぼく)」は木の枝を手に持ってものを殴つという意味です。そこで「故」は、「ことさらにその言葉の力を害しようとする行為であるから、事故を意味し、またそのことを正当化する理由を意味する」(『字統』)。
 つまり、害する行為を正当化する気持ちをもって、大事な意味を持つ父母の力を敢えて害しようとする、という意味になるでしょう。

 「古」で表わされる父母の力とは、今ここでは「父子の情」の中にこもる、子を親しもうとする親の恩ということになるでしょう。このかけがえのない恩に害を与えることに正当な理由があると思った上で恩を害する。それが父子の情を捨てるということの持っている意味ということになります。
 恐ろしいことですね。私にとってなくてはならない親の恩を、害し無くし失うことに正当な理由があるのだと、親を殺すのは当然の行為なのだと堂々と言い放っているのです。「故に思う」ここに五逆の姿、そして、仏の大悲の願いをものともしない厚顔無恥の誹謗正法の姿があるのです。

自らの罪を許さない心
 『涅槃経』に説かれる阿闍世の歩みはかなり長いもので、今は詳細は略させて頂きますが、五逆罪を犯した阿闍世が釈尊の教えによって救われていくという劇的な展開を遂げる過程の中にはいくつかのポイントがあるようです。先ほどの耆婆の存在など最たるものでしょう。

 さらには、人間自身の中に、いかに如来真実を謗るという罪悪の身ではあっても、同時にそれを許さない心もある。存在それ自体が葛藤的な性格を持っているのかもしれません。そういう意味でも迷いの存在ですね。
 しかしこの場合は、ただ迷い迷って深みにはまって終わってしまうのではなく、一方では罪に沈もうとし、また一方では罪を超えようとする。その葛藤の中で、なお解決がつかない。解決させる決定的要素が内にないのです。
 この葛藤的存在であることを深く受け入れて、釈尊の教えは次第に展開していくということでしょうか。

 父王を殺したことを罪に思い始めた阿闍世は、身に瘡蓋(かさぶた)ができ、心は愁苦に沈みます。外道の家臣たちは、罪に思うことはないと言って来ますが、気持ちは休まりません。
 その時、耆婆が、罪に思うことはいいことだと、外道と正反対のことを言うのです。罪を作って、重い後悔を持ち、慙愧(ざんき)の心を生ずる。ここに人間の健康な姿があるのだと。天に恥じ地に恥じ、自己に恥じ他に恥じ、この慙愧の心あるのが人間であり、ないのは畜生なのだと。

 恥じる心。愧じる心。罪を犯さざるを得ない人間には、最後に到達すべき慙愧の心がある。自らの思いと力によってなす慙愧の心は、やがて如来のまごころに出遇うところに、我が悪業は、如来の心を踏みにじるところから来ていたことを知らされるのです。阿闍世よ、どうか釈尊に出遇って欲しいと、ここでも又応援したくなります。

 自らのうちに自らの罪を許さない心がある。罪を犯すときには当然のことと思っても、それを許さない心はまた生涯消えないものがある。
 フランスのモーパッサンの小説に次のようなものがあります。

 愛し合う若い夫婦がいます。ある日、大雨の中、外出していた奥さんが濡れて帰ってくる。咳をし始め高熱を発し、一週間ほどして亡くなるのです。あれほどに愛し合い、よき伴侶であった妻が、最後に主人に話しかけた声も聞き取られぬまま、死んでしまった。
 悲しむ主人はある夜、妻の墓場へ行きます。沢山ある墓の一つを見ると、なんと、墓石が動き、土の中から死人が立ち上がり、墓石に刻まれた文字を削り始めた。墓石には男性の名が書かれ、次いで、「家族を愛し、正直で、善良なり。主の平安の内に死す」と刻まれている。死体の男はこの文字を石で削り落とし、新たな言葉を自分の指の骨で刻み始めた。
 「父を冷酷に扱いてその死を早めり。遺産を継がんがためなり。妻をいじめ、子供をいじめ、隣人をだまし、時に盗みをはたらき、みじめに死せり」と。死人はじっとこの文を眺めた。

 主人は驚き、墓を見わたすと、墓という墓すべてが持ち上がり、すべての死人が親族の刻んだ偽りの銘文を消し去って真実の言葉に書き換えていた。主人は妻も墓に書いたに違いないと思い、死人の骸骨をかき分けながら妻の墓のところへ行った。
 妻の墓に主人が書いていた銘文は「愛し、愛され、みまかりぬ」であった。その言葉を消して妻は次のように刻んでいたのを主人は読むのです。「ある日、外出して、愛人を裏切り、冷たき雨に打たれて死せり」。

 『死せる女』という短編です。妻はあの日、別の男と逢っていたわけですね。主人を裏切ったことを、にわかに降り出した大雨に打たれ急ぎ帰る中で妻はどう思ったか。最期の時、主人に何を言おうとしたのか。生涯の中で、妻は言おうとして言えなかった。葛藤の中で終わったのです。
 しかし、存在そのものは躊躇(ちゅうちょ)の続く葛藤的存在という評価をよしとしない。私の真意はこうなのだと、生を貫いた死の次元で自己の真実に徹しようとしたのです。人間の深奥の言葉をこのような表現で表わしたのでしょうか。

 私はこのような存在なのだ。誰に何と言われようとも、これが真実の私なのだ。こう言って石に刻み込むのには勇気が必要です。葛藤的存在は、この最後の勇気を持たないのです。阿闍世もこれからです。
 今は不覚にも提婆の言に従い、父王を幽閉した。これから、母をも閉じ込め、家臣に諫められ、耆婆に救いを求め、わが子への対応の上に父の姿が重なって翻然として罪の自覚を持ち始め、六師外道の責任転嫁の言に迷い、釈尊の教えを聞くべく耆婆の勧めを受け、耆婆に随えとの天からの父の呼びかけを聞き、釈尊の温かい呼びかけを受け、ついに仏のみもとに至って丁寧に教えを聞き、起こるはずもない信心が起こったと、驚きの中で釈尊にお礼を申し上げる。

 この歩みが今から始まるのです。いかにして真実に出遇うかの悪戦苦闘がなされるのです。阿闍世よ、どうかしっかり歩んで欲しい。あなたの歩みがまた私たちの歩みとなるのです。
 私にとっての五逆の行為は何か。閉じ込めたものは何か。諫める者は誰か。そばにいてほしい人は誰か。私を責任転嫁の道にそらすものは誰か。教えを勧めてくれる人は誰か。心から励ましてくれる人は誰か。
 禁父縁のその場に入り込んで、阿闍世よ、どうかしっかり歩んでくれと、願わざるを得ない気持ちです。

逆の響き、(みち)に満つ
 さて、「父王を収執(しゅうしゅう)し幽閉」したことが、「(たちまち)に父子の情を捨てる」ことを意味した。そして「父子の情を捨てる」ということはそこに何が生じているのか。
 一つがこれまで見てきましたように、「罔極(もうごく)の恩を失う」ということでした。
 もう一つあるのだと善導は言います。「逆の響き、(これ)()って(みち)に満つ」ということです。

 父王を収執し幽閉するという行為が、巷に逆の響きとなって満ちわたる。「阿闍世太子は父王を殺す五逆の罪を犯したぞ」「なんという王子か」「自分の父親を閉じ込めるなど」、さらには「人間なのか」という声が、国中に満ちわたることとなったのです。
 阿闍世太子の出生の秘密をそれなりに知った国民は、陰で「折指太子」と呼んでいた。そして心のどこかで、「折指」であることが因になって、さて果はどうなるのだろうかと思っていたかもしれません。太子は「折指」の意味を知らずに生涯を終えるのか、それとも。

 結果として父王を幽閉するという事件が起こり、「やっぱり」と、その運命の約束に驚き、また悲しんだことでしょう。禁父の事件は国民みなの知るところとなり、阿闍世王に向ける国民の声の底には、それが日常の国民同士の会話に於いても、「五逆の者よ」という響きが常に底を流れることとなったのです。
 響きは必ずしも直接的な言葉ではない。しかし、交わされる言葉は、どの言葉も「逆」の響きの上で発せられる。国中に満ち渡る「五逆の者よ」の響きの中で、阿闍世は新たな王に即位し、執政することとなったのです。内には最深のご恩を失い、外には国民を不幸に陥れる。ああ、痛ましきかな、阿闍世。

 しかし、阿闍世は国民を忘れたのではありません。また、如来真実は、この事態に眼を閉じたのでもありません。『涅槃経は』この不幸な現実の行く末を次のように描き出します。
 耆婆の勧めによって釈尊のみもとに至った阿闍世は、丁寧な教えを賜ります。なぜ丁寧なのか。責任転嫁の外道の教えに迷ったその心を、釈尊は一つ一つほどいてゆかれたからです。
 父を殺したことを罪に思い始めた阿闍世に、外道の教えは入らない。しかし、まったく入らないのではなく、入れまいとする阿闍世との戦いがあったのです。彼は問います。父を殺した自分に罪はなく、当然のことだといって済ますことができるのかと。

 じつは、これを当然のことだと思っていたのがこれまでの自分だったのです。罪を感じ始め体中に瘡蓋(かさぶた)ができ、熱を発するまでに後悔し苦しむ中で、「当然だ」という思いを(ひるがえ)され、また自ら翻そうとしてきた。
 その自分に向け、外道たちはこぞって父を殺すのは「当然だ」と言う。悩む必要などないと言う。この言葉が、後悔する阿闍世の思いに拍車をかけ、心は荒々しく掻き乱され、決着点に至ろうと焦りをおこす。
 外道の教えは、否定しつつも阿闍世の心に食い入っていた。そのことをよく知る釈尊は、一つ一つ丁寧に、阿闍世を尊重しつつ、真実を明らかにしてゆかれた。
 阿闍世も、説かれる一つ一つの教えが身に沁みていったことでしょう。やがて大きな展開が、阿闍世の存在全体を覆します。

 「世尊よ、わたしはこれまで、伊蘭の種子を植えると当然のことですが、必ず伊蘭の樹が生ずるのを見てきました。あの悪臭を放つ伊蘭の樹です。未だかつて伊蘭の種子から、香りのいい栴檀の樹が生ずるのを見たことはありません。
 しかし世尊よ、私は今初めて伊蘭の種子から栴檀の樹が生ずるのを見たのです。伊蘭の種子とはこの私自身のことです。栴檀の樹とは私の心の中に生じた無根の信のことです。
 無根と私が申し上げるのは、私はこれまで一度も如来を恭敬することがなく、仏法僧の三宝を信じることはありませんでした。三宝を信じておれば信が生ずる理由ともなったでしょうが、なんら私にそういうことはありませんでした。その私の上に、根のないところから栴檀の花が咲いたのです。」

 このようにして、阿闍世は釈尊の教えによって自らの上に生じた信心を確認します。そして、信心ゆえに生ずる自らの決意を述べるのです。
 「世尊よ。もし私が世尊にお遇いすることがなければ、永遠に大地獄にあって無量の苦しみを受けていたに違いありません。
 私は今、私を救おうとする大悲の仏にお遇いさせて頂き、大きな功徳を賜りました。その真実のお力をもって、我が国の人々の煩悩悪心を打ち破ってゆきたいと思います。」

 釈尊は答えます。
 「大王よ。よくぞその思いを起こされましたね。あなたに人々の悪心を打ち破ることができると、私も思いますよ。」

 阿闍世が申し上げます。
 「世尊よ。私がもし人々の悪心を打ち破ることができるのでしたら、永遠に地獄の底にあってどんな苦悩を受けても、私はそれを苦しみとは致しません。」

 このように申し上げたとき、国民の全てが真実の心を起こし、それによって、阿闍世の罪は遥かに消し去られ、微々たるものとなったのです。このとき阿闍世は耆婆に告げます。
 「耆婆よ。私は生きているこの時にあって真実の身を頂き、無量寿に生きさせて頂くことができた。そして、人々にも真実の心を起こさせることができたぞ」と。

 失った内なる罔極の恩を、如来の真実功徳を頂くということで真に回復し、外には逆の響きを消し去って、洪鐘の大いなる響きに共鳴する真実の響きに生きる国民を誕生させることができたのです。阿闍世は、国民を忘れてはいなかったのです。

頻婆娑羅王を収執す
 次に、「幽閉して七重の室の内に置き、諸の群臣を制して、一りも往くことを得ざらしむ」。
 「七重」という厳重な室の中に父王を閉じ込めます。名君頻婆娑羅を慕う家臣は大勢いたことでしょう。その者たちが命懸けで王を救いに来ることは容易に知れます。
 阿闍世にしても、今頻婆娑羅王を廃して自分が王に即位したばかり。家臣がみな自分の命を奉ずるとは思えない。もし、家臣たちが先王の救済に立ち上がれば、阿闍世はとめることができないという恐れもあったでしょう。

 善導の解釈を見ましょう。
 「『幽閉七重室内』と言うは、所為既に重し、事軽きに非ず。浅く人間(じんかん)に禁じて、全く守護なかるべからず。但だ王の宮閤は(おさ)めて外人を絶えたり。唯群臣のみ有って則ち久しくより(このか)た、承奉せるを以って、若し厳制せずば、恐らくは情通すること有らんと。故に、内外交わりを絶えしめて、閉じて七重の内に()くなり。」(親全62 聖全473 ノート66)
 
 頻婆娑羅王を収執し、七重の室の内に置きます。善導は「収執(しゅうしゅう)」について、「忽ちに王の身を(おお)うを『収』と曰う。既に得て捨てざるを『執』と曰う。故に『収執』と名づくなり。」と確認します。
 なかなか丁寧な解釈ですね。この解釈のところに、阿闍世の父子の情を捨てる思いが具体的な身の行為となって現われているということでしょう。

 「父王はあなたを殺そうとしたのですぞ」という提婆の言を聞くやいなや、「忽ちに」、間髪を入れず阿闍世は収執の行為に移った。「(たちま)ちに」は直ちにという意味と同時に、怳忽(こうこつ)の間にという意味でもあるでしょう。
 これは第二段落の始めのところに一度出ました。そもそも阿闍世が提婆の教えに随順したことの全体を受けて善導は、「闍王、怳忽の間に悪人の誤またるる所を信受す」と。
 この間自分は何を考えていたのだろう、ということですね。その怳忽の間の中にあって、今、忽ちに王を収執した。王の身を押さえて動けないようにし、逃げないように確保したのです。

 子が罔極の恩のある父に、なぜこのようなことをするのか。理由は父が自分を殺そうとしたからだ。なるほど。しかしそれが本当に父を殺そうとする理由になるのか。阿闍世は、ある意味で冷静に理屈を考えたのです。彼なりに理性を発揮したのです。
 その理性に従えば、自分を殺そうとした者に対し、その報復をすることは正当であることになる。理性は、「収執」の行為に対し、なんら間違いはないぞと判断を下します。

 ではなぜ阿闍世は「理性の声」に従ったのでしょうか。理性の声以外に、「ご恩の声」もあります。則ち如来の呼びかけもあり、父の深い心もあるのです。なぜ如来の声を聞かず、理性の声を聞いたのか。それも「忽ち」の内に。

 阿闍世が従ったのは、じつは理性の声ではなかったのでしょう。理性をさらにその奥で動かす「我」の声に従ったのでしょう。「我」は、如来の声を聞いてしまえば自ら壊されてしまいますから、それを避け、「我」の思いに素直に従う「理性の声」を聞けと阿闍世に命じたのです。
 その「我」の声は阿闍世には聞き取れなかった。それは、「忽ち」の、その瞬時に声を発したのです。その瞬時の声に耳済ませることは不可能に近い。多くは、瞬時の「我の声」に従う「理性の声」に耳を傾けるのです。
 結果は「忽ちの内に王を収執す」ることとなりました。ここが悲劇的事件の至りでもあれば、阿闍世の救いへの出発点でもあるのです。「理性の声」に従う阿闍世が、ついに「ご恩の声」に従う者となる。これが、阿闍世のこれからの歩みであるし、私たちの歩みでもあるのです。

 阿闍世が父王に対して為したことはとても軽いものではありません。王宮を挙げての重大事件です。阿闍世からすれば、父王を禁置するのは日常の簡単なところではいけない。いつ誰が来るかわからないわけです。
 では誰が来そうか。父王がこれまでいた宮閤は、奥まっており、当然のこと、外部の者が簡単に入れるものではなかった。しかし、そのような場所にも、群臣は度々入って、王の命令を受けるなどしていた。群臣は王を尊敬し、王は群臣を信頼していたのです。
 従って、若し父王を助けようとするものがあるとすれば、この群臣たちに違いない。群臣を厳しく制しておかねば、恐らくは王を助けに行くであろう。そういうわけで、王から群臣に伝えることができないように、群臣からも王に近づけないように、極めて厳重な七重の牢の内に閉じ込めた。これが善導の解釈です。

 群臣は、若い阿闍世にとっては、年上でもあり、文武にわたるキャリアも豊富で、信頼すべき、また教えを請うべき者たちであったでしょう。自分も群臣も、父王への敬意熱く、父王も皆を愛し大事にしていた。
 しかし、一旦、この事件が起こると、阿闍世は群臣を敵に回さなければならなくなる。厳制したけれども、皆が受け入れてくれるかどうか。群臣たちの力も人格も阿闍世はよく知っている。自分は父王への思いを断ち切ったけれども、群臣たちはそうはしないであろう。どこまでも王を尊敬し、仕え、場合によっては、命をかけてでも王を救いに行くかもしれない。

 その王への忠誠心を思えば、阿闍世は胸が痛んだかもしれない。いや、既に父王に対しては氷のようになっているとすれば、阿闍世の憤りは増幅したことでしょう。彼等にも、尊敬する王への思いを断ち切らせなればならないと。

 阿闍世は、父子の情を捨て、今また、家臣でもありよき先輩でもあった群臣たちともかつてのような情を断ち切らねばならない。そして、鬼のようになって自らを新王として尊敬させ、命に従うものとしなければならない。

 阿闍世は、ひとりになってしまった。そのひとりも、根源のご恩の大地を見失ってしまったひとり。ひとりの寂しさと不安が募る。ご恩を見失ったという、根本の欠けた者が遭遇しなければならない破局。この破局が待ち受けているのではないかという恐怖が襲う。

 今自分がしようとしていることは父王の幽閉。阿闍世にあるのはこれだけなのです。ということは、自分の寂しさと不安と恐怖心を払おうとする行為は、この幽閉の事実において、これに向けて行うしかないのです。
 これらの思いを振り払うためにも、父王を幽閉する自分の行為を正当化するためにも、阿闍世は牢を厳重にする。二重にも三重にも厳重にする。まだ足りない。四重にも五重にも。まだ心が晴れない。六重にも七重にも。…

 阿闍世よ、牢を何重にしても、あなたの心は晴れないのではないか。
 阿闍世よ、何重にもしようとするあなたの心そのものに問題があるのではないのか。


(二)国の大夫人、韋提希
 
韋提希の登場
 第四段落に進みましょう。
 「国の大夫人(だいぶにん)を韋提希と名づく。大王を供養し、澡浴(そうよく)清浄にして酥蜜をもって麨に和し、用いてその身に塗り、諸の瓔珞の中に葡萄の漿を()れ、密かに以って王に(たてまつ)る。」(東89 西87 島2-1)

 国の大夫人である韋提希は、頻婆娑羅王を尊敬し、食べ物を秘かに運びます。まず身を洗い、酥蜜をもって麨に和してその身に塗る。さらに葡萄の汁を瓔珞の中に入れて。牢には門番がいますが、なぜか牢中に入ることができ、王にこれらをたてまつったのです。

 ここに韋提希がはじめて登場します。その姿は、幽禁された主人の王に、健気にも様々に工夫して食べ物を秘かに運ぶというものです。このオープニングの姿がじつは大事で、『観経』で教えを受ける者の原点が象徴されているのです。
 この一段は「禁父縁」と呼ばれます。父を禁ずることが仏法が開かれる縁となった、という意味合いでしょう。しかし、ただ頻婆娑羅王が幽禁されたということだけでは仏法の「縁」にはなりにくい。王を助けようと后の韋提希がこのようにして牢に入るということがあったから、この一段が仏法の「縁」となるのです。

 即ち
 ○ 韋提希が王に食べ物を運ぶ。
 ○ それを食べて王は生き延びる。
 ○ これを知った阿闍世が韋提希を閉じ込める
 ○ 韋提希は釈尊に救いを求める
 ○ 釈尊が来たって本願の教えを説く

 このような展開となるわけで、韋提希が秘かに食べ物を運ぶことがなければ、王の幽禁はそれだけで終わったかもしれません。ここに、韋提希という存在が果たす大きな役割があるのです。それが「凡夫」という存在が根本のところで持つ深い意味なのです。即ち、人間の凡夫性は、本質的に仏法を要請している。仏法に出会わなければ真に救われないのが凡夫だということです。

 善導の釈を見てみましょう。
 まずはじめに「国の大夫人」という表現です。
 「『国大夫人』と言うは、此れ最大なることを明かす。『夫人』と言うは其の位を標す。『韋提』と言うは其の名を顕わすなり。」(親全 聖全473 ノート67)

 「最大」とは何か。「夫人」は王妃を表わします。婦人を呼ぶのに「夫人」というのは、その人を崇敬しているからです。そもそも「夫」は男子の美称で、婦すなわち嫁・妻は夫に因って人と成るというところから、夫人と言われるようです。
 「大」は、王の幾人かの夫人の内の正妃・正室であり、他の者は側室ということになります。耆婆を生んだ奈女という女性も側室です。そういうわけで、「国の大夫人」とは、国の中、女性で最高位にある者。それが韋提希なのです。これを善導は「最大」と表わしています。

 女性の最大・最高者とは何か。これは単に位を問題にしているのではないでしょう。女性の典型。あまりにも女性的な者。「女性」というのは、単に性別を表しているのではなく、人間の問題性を示しているのです。「女性的」なものが人間の問題点であると。それを「女人性」とも言います。人間の問題を象徴する女性的、女人性とは何か。それは「凡夫」であるということです。

 真実に背き、それでいて自ら真実であるかのように思い、愚かな行動を真の行為のように錯覚して自己を正当化する者、これが凡夫です。
 自己を正当化すれば、他を不当に扱い否定していきます。人であろうと、如来であろうと、一挙にばっさりと否定します。そして、愚かで根本から間違っている自分を指して、私が正しいのだと言い張る。まことに始末に終えない存在です。これが、あなたであり、私である、ということなのです。いいえ、私だけはそうではない、と思われますか?

 そういうわけで、私たちは皆「国の大夫人」です。外側の身分のようなものはそれほどでないかもしれませんが、内側のプライドは並々ならぬものがありますね。そのプライドと、如来に頭を下げる行為は、共存できるでしょうか。

 次に「『韋提』と言うは其の名を顕わすなり。」とあります。国の大夫人の名が韋提希だということです。韋提希が名であるということを押さえる意味は、「韋提希」という名の持っている意味を押さえているのでしょう。
 名がまさしく体を顕わし、名に込められている意味は、その人の生き方において重要な意味を持つ。これが文学の手法ですね。

 「韋提希」という名は、「思惟」という意味を持っているようです。これはこれは驚きですね。ドンぴしゃりの意味というべきでしょう。「思惟」はこれまでも多少触れてきましたように、お釈迦様に教えを要請する韋提希の言葉の中に、これがあったのです。
 「我れ今極楽世界の阿弥陀仏のみもとに生まれんと楽う。我に思惟を教えたまえ。我に正受を教えたまえ。」(東93 西91 島2-5)

 阿弥陀の浄土に生まれることを生涯の目的とし、そのために、お釈迦様から浄土の教えを聞いて、自ら思惟して歩みを進めていこうと思った。これが韋提希の出発であったわけです。
 この思惟の歩みが定善観で展開されていきます。そしてついに、自らの思惟には、浄土へ至る力はないことを悟ります。如来に私のための方便の教えがあり、これを説いて頂いて歩むところに、はじめて浄土を正しく見ることができることを知るのです。これが韋提希の大きな目覚めなのですね。

 やがて展開する定善観での大きなうねり。そのしるし、兆しが、既に韋提希が登場する場面で示されている。「韋提希」という名自体がそうなのだということですね。
 そのあたりを強いて意訳すれば、「国の大夫人を思惟という意味を持った韋提希といいます。韋提希はお釈迦様から教えを聞いて、自らの名が象徴しているように、思惟を貫く歩みをしていくのです」といったところでしょうか。

 名については以前、「折指」のところに出てきました。名は単にレッテルではない。名が自分の課題なのです。それぞれの異なる名が、それぞれの人自身の課題なのです。名は異なっても、「課題を持って生きる者」という点で同じなのです。
 私の名の「英夫」は、優れた者という意味のようですが、優れた人間になるのが私の課題なのです。また、「勇」という名の人は、勇ましくなることが課題、「正」という名の人は正しくなることが課題なのです。

 課題は千差万別ですが、課題を持って生きるという点では皆同じです。そしてその異なった課題の一つ一つを、私たちは皆、自分の力でできるものと思ってやっていく。皆に共通するその根底の自負心こそ「我」の心であり、この心を如来真実の光によって照らされていくのです。
 課題を担い、実現できない自己への目覚めのところに、名を通して大きな宝を頂く。これが、名という求道の場を身に頂いて歩む人間の本来のあり方なのです。

 続いて「『恭敬大王』と言うは、此れ夫人既に王の身、禁ぜらるるを見るに、門戸極めて難くして音信(とう)せず。恐らくは王、身命を絶たんことを。」

 韋提希は頻婆娑羅王が幽禁されたことを知ります。その牢は厳重に閉じられ、こちらから連絡をすることができない。このままでは間違いなく、王は命が絶えるであろうと思うのです。
 「音信不通」を聖人は「音信とうせず」と読まれます。こちらから連絡を通すことができないと。なんとかして言葉を向こうへ届けたい韋提希の心を汲んでいるわけですね。
 この状況の中、韋提希は何をすべきか短時間のうちに考えたのだと思われます。

 そして、「遂に、即ち香湯をして滲浴(しんよく)して、身をして清浄ならしめ、即ち酥蜜を取って先ず其の身に塗り、後に乾ける(しょう)を取って始めて酥蜜の上に()く。即ち浄衣を()て之を覆う。外衣の上に在って始めて瓔珞(ようらく)を著る。常の服法の如く、外人をして(あや)しまざらしむ。

 又瓔珞の孔の一つの(はし)を取って、臈を以って之を塞いで、一つの孔の中に葡萄の漿(こんづ)を盛り、()て已わって還って塞ぐに但だ是れ瓔珞なり。(ことごと)く皆(かく)の如くにす。荘厳既に竟わって(よう)やく歩んで宮に入りて王と相見ることを明かす。」(親全62 聖全474 ノート67)

 思案をめぐらせた結果、秘かに食べ物を運ぼうと決心します。その方法は次のようなものです。
 酥蜜と麨を身体に塗り、その上から服を着、葡萄の漿を瓔珞に入れて飾りとする。こうすれば外からは分かるまい。又門番も、私であれば黙って入れるだろう。こういう作戦ですね。

 実践に移します。酥蜜と麨を身体に塗るのですから、先ず身体をきれいにしなければなりません。それも相手は国王ですから、敬いの心を十分に尽くして失礼があってはいけない。
 韋提希は香りを湯に入れて、身を浸し、手を洗い体を洗って清浄にします。「澡」は手を洗う。「浴」は身体を洗う。
 さてその身体に、経典では「酥蜜をもって麨に和し、用いてその身に塗り」とあります。酥蜜を作り、小麦粉に混ぜたものを身体に塗る、ということでしょうか。
 しかし善導は、「酥蜜を取って先ず其の身に塗り、後に乾ける麨を取って始めて酥蜜の上におく」と受けとめます。まず酥蜜を身体に塗る。その上に乾いた小麦粉を振り掛けるのだと。そしてさらにその上に着物を着ることになります。

 なるほど、善導は練ったものを身体に塗っては、その上に着物が着られないではないかということでしょうね。酥蜜というねっとりとしたものを先ず塗って、その上に乾いた小麦粉を振りかければ、ちょうど、卵に浸した魚の上にパン粉をかけてフライにするように、外側からは湿り気はあまり感じないと。ひょっとすれば、善導は実験をしたのかもしれませんね。

 食べ物はこれでよろしい。飲み物はどうするか。瓔珞を使うのです。「瓔珞の孔の一つのはしを取って、臈を以って之を塞ぐ」。瓔珞には華瓔珞と宝瓔珞とあるようです。華瓔珞は、沢山の華を一本の(ひも)で貫いて飾りにしたもの。
 今は宝瓔珞のことですね。瓔珞の飾りのいくつもある壺状の孔の下側の穴を(ろう)で塞ぎ、中に葡萄の漿を注ぎ入れます。一杯になると上の蓋の部分をまた塞ぐ。そうするといつもの瓔珞と何ら変わりません。

 「酥蜜」とは、牛などの乳の汁に蜜を和えたもの。或いは、乳の汁を蜜にしたものとも言われます。いずれにしても高栄養価の食べ物ですね。「麨」は小麦粉。
 「葡萄の漿」は葡萄の汁というのが簡単な理解。葡萄の汁は醗酵してアルコール分が出ますので、一般のアルコール飲料を葡萄の漿と通称したということもあるようです。しかし、今は簡単な理解のほうを採用しましょう。アルコールは又別の機会にゆっくりと。

 「漿」は「こんづ」と読みます。親鸞聖人もそう読んでおられる。「こんづ」とは大体、米汁に水を加えたもので、「濃い水〈こいみづ〉」が訛って「こんづ」となったようです。また、「米汁〈こめじる〉」が訛ったのだとも言われます。
 葡萄で作った汁が葡萄の漿。甘藷で作ったものが甘藷漿。これらは王族のクシャトリアの階層の人が飲んだと言われます。瓔珞は、「瓔」は首に飾るもの。「珞」は身に飾るものです。

 瓔珞に葡萄の漿を注ぐ韋提希の心はどうなのでしょうか。後に、厭苦縁のところに至って、目の前に現れたお釈迦様を前にし、韋提希はこれまで覆っていた自分のヴェールが一気に剥がれるように、気も動転します。その時、「韋提希、仏世尊を見たてまつり、自ら瓔珞を絶ち挙身投地し」ます。瓔珞を自ら断ち切ったのです。

 王妃の象徴である瓔珞を身につける韋提希。しかし、その韋提希も人の子です。長い人生の中には、自分はこれでいいのか。人生は何のためにあるのか。本当はどう生きればいいのか。このような自己と人生に対する問いは何度も起こったことでしょう。誰しもそうです。

 しかし韋提希は、その問いが起こる度に、みずからの瓔珞を見て、自分は一国の王妃なのだ。人生は完全に保障されてある。なのに、何をわざわざ問わなければいけないのだ。何に悩み、何に苦しまねばならないのだ。このままでいいではないか。
 何ときれいな瓔珞であることか。私はこの瓔珞のように見事な人間なのだ。このように思って、人生に対する問いを、それは自己の深きところから出ていた問いであるにもかかわらず、すべて闇に葬ってきたのです。

 なるほど、自分の毎日は保障されて、それなりに満足の日々であった。しかし、あの問いをあの時も失い、この時も失った。その空しさが次第に身体全体に大きな空洞を作っていってしまったのではないのか。王妃の華やかさを一枚剥げば、その下にいったいどんな充実と真実があるというのだ。
 私は失敗した。誰にも言えない。しかし、今世尊を前にして、言うも言わないもない、ただこの瓔珞が恨めしいばかりだ。
 このように思って、瓔珞を自ら絶ち切ったのではないかと思います。これを今断ち切る行為が、初めての主体的な行為であったわけです。

 このことを思いますと、今主人を助けたいばかりに瓔珞に漿を注ぐ韋提希の心は、依然と大きな権力を持ち、その力のもとで何でもできるのだという思いが支配してはいなかったか。その権力の座に安住する意識が、じつは如来の真実を無視する心であることに全く気づかない韋提希ではなかったのか。
 そしてまた、身に食べ物を塗り瓔珞を身につけ、「ようやく歩んで宮に入る」そのゆっくりとした姿は、食べ物と漿が落ちないためでもあるが、自分にはこの歩き方がある、これができるのが王妃という最高の権力を握った自分なのだという、この思いによる歩き方ではなかったのか。
 主人を助けはするが、その行為がどのような心のもとで行われているのか。このあたりの描写は絶妙なものがあるように思えます。

守門者の考え
 ここで善導は問いを出します。
 「問うて曰く。諸の臣、勅を奉けたまわって、王を見ることを許さず。未審(いぶかし)。夫人をば門家制せずして(ほし)きままに入ることを得しむるは、何の意か有るや。」

 群臣たちは阿闍世王の命令を受け、頻婆娑羅王にお会いすることはできない。それであるのに、おかしいではないか。韋提希夫人だけは自由に入ることができた。いったい門番にどのような考えがあったのか。

 これに対して、
 「答えて云わく。諸臣は身異なり。復是れ外人なり。情通あることを恐れば、(いつ)しく重制を加えしむることを致す。又夫人は身は是れ女人なり。心に異なる計りごとなし。王と宿縁の業重し。久しく近づいて夫妻なり。体は別なれども心同じ。人をして外慮なからしむることを致す。是を以って、入りて王と相見ることを致す。」

 門番の考えは、一言で言えば、上司の心を慮ったということでしょう。家臣としては、常に上司のお心に従ったことをしているかが問題なのです。門番には、最高の位置に二人の上司がいます。一人は新たに王になった阿闍世王。もう一人はこれまで王であって長く仕えた頻婆娑羅王です。
 門番の心は次のようなものではなかったでしょうか。
 先ず阿闍世王に対して。
 阿闍世王のお気持ちからすれば、群臣はご自分の身内ではない。従って、どのようなことを考えて王を助けようとするか分からないものがある。だから厳しく制されたのだ。
 一方、韋提希様は阿闍世王の実母であり、国の大夫人でもある。だから群臣に対するように厳しくされるお気持ちはないのではないか。
 次に頻婆娑羅王に対して。
 韋提希様は女性だから、計りごとをするはずはない。また頻婆娑羅王とは別体同心の宿縁の深い夫婦だから、牢に入っても、誰も怪しむものはないであろう。

 従って、もし二人の上司から問われた時には、阿闍世に対しては「韋提希様はあなたの実母ではありませんか。お入れしてもかまわないでしょう」。頻婆娑羅に対しては「韋提希様はあなたとは別体同心のよくよくのご因縁のご夫婦ですから、お入れしたのです」と。
 このように答え、いかに自分が当然のことをしたか。これを正当化し主張することでしょう。その時の「当然さ」の基準は、「肉親」ということ。親子であり夫婦であるということです。人間の一番の弱点でしょうね。

 門番が顕わす人間像は「保身」ということでしょうか。人は、自分の意識のところで理性的にものを言っているようであっても、いざ自分に災難が降りかかりそうな時には、それらを翻して一挙に保身的になるものです。
 今回の震災の事後処理を見ても、電力会社にあっても政府にあっても、ずいぶん沢山の保身の態度を見せ付けられたように思います。災害の原因について、責任をとる行為はどのくらいあったのでしょうか。想定外の自然現象。責任を自然のほうへ持っていこうというのでしょうか。罪はないと阿闍世に説いて慰めようとする外道の考え方がなぜか思い出されます。

 門番の言動については、次の「禁母縁」の始めに、門番が登場して発言する箇所があります。ここは阿闍世の問いに対する門番の応答です。
 今「禁父縁」では、経文には門番は出てきません。にもかかわらず善導が解釈に於いて門番を出すのは、韋提希がいかにして牢に入ることができたかを明かそうとするところに、入れさせないはずの門番が入れたのは、そこにどのような門番の考えがあったのかという視点です。

 ということは、門番はこのように考えるであろうということが、韋提希には分かっていたということでしょう。何も分からずに門に突入することは冒険過ぎます。家臣は常に上司の心を伺って仕事をする。上司の一人である韋提希は、家臣がそのように行動することをよく知っていた。
 しかし、それに気づけば、そんなに窮屈にならずに平等に考えてやっていこうと家臣に言うかといえば、そうではない。この上下関係を利用したのです。

 主人の命を助けようという大事な時に、韋提希は公平平等な大地に立って救済の営みをしようとしたのではないのです。同じ人間でありながら、王家と家臣という社会構造上の違いが当然あるとは言え、ある意味では理不尽な格差の現実。韋提希はこれを利用して人を助けるということをした。ここにも又、真実を知らない愚かな凡夫の姿があると言うべきでしょう。

 そしてその行為が成功するかといえば、そうではない。後の「禁母縁」で、「一切の私(和)密、久しく行ずべからず。たとい、巧みにかたく(かく)せども、事還って彰露す。」と述べられます。(親全69 聖全477 ノート74)

 あらゆる秘密は、どんなにかたく隠していても、必ず明らかになるものだと。「秘密」は、客観的な秘密ではなく、韋提希が思っていた秘密に過ぎない。他者が見れば、目の当たりに明らかであるということですね。ここにもまた、愚かな女人の姿、人間の凡夫性が顕わされているようです。

  (次号へ続く。次号は禁父縁の最後の部分です)

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