耳底の言葉

『歎異抄講読(前序について)』細川巌師述 より

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 ()て故親鸞聖人の御物語之趣、耳の底に(とどま)る所(いささ)か之を(しる)す、(ひとえ)に同心行者()不審を散ぜんが為なりと云々(うんぬん)

 「耳の底に留る所」というのは、心の底にとどまる言葉であり、胸底深くきざみこまれたその教で二十九才の時、法然上人のもとに参られてはじめて聞かれた言葉であります。それが感動の言葉である。実に親鸞聖人の迷いを断ち切るような感動の言葉である。今の曽我量深先生の表現をもって言えば、法然上人はまだまだたくさん詳しく言われたのであろう。けれどもその純粋な骨格、永年のうちに洗い流されてしまうようなもの、譬話(たとえばなし)だとかそういうものは全部流れて、あとに残ったものは永遠性をもった純粋なものであります。それを「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよき人の仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」といわれた。それだけが一つ残った。二十九才、法然上人の所に行かれた時に、法然上人はむっつりとしてたった一言「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」しか言わなかった、そういうことではないだろう。たくさん言われたのだろう。しかしただ骨格としてこの純粋な言葉が残った。そしてそれが推求される。一生をかけて推し測り求めて、言葉の本当の意味を問うていかれた。それが耳の底にとどまる所の言葉でしょう。我々に一つの言葉というものが本当に耳の底にとどまるには、そこに現実の中で推求するということが大事です。現実と申しますのは何かというと、先程申しましたように内なる現実、そして外なる現実ですね。そういう現実なしに仏法というものはない。或いはそういうものを離れては、耳の底にとどまる言葉は出てこないのです。また、一生かかってもそういう言葉を持つことは出来ないのです。

 多少横道にそれますが、私は仏法をいただいていく上に大事な問題がいくつかあると思います。その一つは、この現実の中で言葉を推求(すいぐ)していくという問題です。それからもう一つ、私の言葉で言えるということが大事なのであろうと思います。仏教の言葉をそのまま使うということもあるし、人のおっしゃっている言葉をあたかも自分の考えのように言うこともあるんですね。しかしながら最後はやはり自分の言葉で言えなければならんと思います。そのためにはやはり長い推求というものが要るのでございます。たとえば浄土という言葉がある。それを私の言葉で言える、そういうことが最後に必要ですね。親鸞聖人はそれを自分の言葉で言われました。無量光明土という言葉で言われました。『平等覚経』にある必至無量光明土という言葉で言われた。これは非常によく浄土というものをあらわしていますね。経の言葉であっても私の言葉です。そのためには、私においてということを考えてゆく必要がある。たとえば廻向という言葉がある。それは私においてどういう事かというふうに頂いていく、そういうことが大事だと思います。それは推求ということに通ずるものであります。そうするとその純粋な骨格の言葉が私の言葉で言えるようになるのです。それが経にある言葉と同じでもよいのです。こういうことが一つの進展になるんだと思います。

 さて、少しずれましたが、耳の底にとどまるという言葉はまさしく感動の言葉であり、推求されてきた言葉である。それをもう一つ言うならば、これは曽我先生の著書の中に出てきますが、それは念持されてきた言葉であるということです。念持とは憶念奉持ということです。憶念とはどういうことかというと、私がそれを常日頃思うているということである。心の中に思い浮べているということである。そして奉持というのは実行するということである。心に思い、そして生活の中で実行してゆく、そういうことが耳の底にとどまるということになると思うのであります。そして念持というのはまた一面から申しますと、答える、応答する、相応ということですね。言葉というものを頂いた時に、その言葉をただ覚えておくというものではないですね。呼応、相応、応答の生活ですね。それにそう生きて来たというのがその答ですね。答の生活というのが耳の底にとどまる言葉ということになるわけです。我々はただ単に覚えておくというふうに思うんですがそうじゃないんです。そこに答えるということがなければいかんのです。私はこの答えるという所に『歎異抄』が生まれたのだと思います。法然上人の教をいただかれたのが親鸞聖人ですね。そこに耳の底にとどまる言葉というものがあった。「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という言葉ですね。また「浄土宗の人は愚者になりて往生すと候ひしことを確に承り候ひし」という言葉がある。本当に本願の道を歩いて行く人は愚者になって往生するんだと言われた。そういうのは本当に耳の底にとどまるという言葉ですね。それを親鸞聖人は生きなさったわけです。その言葉を頂いていったという生活、その中で初めて言葉というものは胸底深く刻まれ、耳の底にとどまるということになっていくのでございます。我々は耳の底にとどまる言葉を持っているであろうかということになると、考えさせられます。単にあの時こう言われたと覚えているだけでなしに、それが私をささえており、前進せしめておる言葉、したがって何才になってもそれが出て来る言葉、そういうものがなければならないと思うのであります。

 最後に「いささかこれをしるす」。『歎異抄』は短いお聖教でございまして、この最後をみますと、「名づけて『歎異抄』というべし、外見あるべからず」外に見せてはならないと書いてある。これを出版したりたくさんの人が写したりして、これを方々に持ってまわったというのではなしに、限られた場所に閉鎖されていたものと思われます。後に蓮如上人というお方がこれを見出されて、上人が「無宿善の機に於ては左右無(さうな)く之を許さざるもの也」と封印をして、本願寺の倉庫の奥にしまってしまわれた。したがって『歎異抄』というものは、徳川時代に二、三の参考書はありますけれど、ほとんど歎異抄記は見つからない。明治時代になって初めて公開されました。大体六百年沈んでいたのであります。「いささかこれをしるす」という小さな書物に思いのはしを書き連ねたもので、しかも非常に隠された状態で伝えられたのであります。しかしながら今日になりまして『歎異抄』というものは誠に我々の心をうるおして、いわば国民の文化的古典、宗教の書というより精神の書として読まれてくるようになりました。そういうことを考えると大変おもしろいと申しますか、考えなければならないものがある。昔から三里山奥で言ったひとりごとが三年たったら里に出るという言葉がある。三里山奥というと随分の山奥でありましょう。真実の言葉はどのようにかくされようと、どのように「いささかこれをしるす」というように微々たるものでありましょうとも必ず現われてきて、そこに大きな力を発揮するものであります。真実なるものは「外見あるべからず」といって隠されても、時を経て出て来るのである。そこに深い感銘を覚えるのであります。

「いささかこれをしるす」というのは、ただこれは『歎異抄』の著者だけの問題であろうか。我々もまた、もし聞法の果てに耳の底にとどまるところのものがあるならば、いささかこれをしるすというようなことがなければならないのではなかろうか。そういうことを考えるのでございます。

 そこに、先に『歎異抄』の序文の所で申しましたように、我々が帰敬序といいそして発起序という、その帰敬序というのは、深い恩徳というもの、私の依り処というものに深く合掌礼拝するところから始まる。そこから物を書くことが始まる。いささかこれをしるすというのは、ひとえに師恩に報いるということがあるのでございます。この深い先師のお育てを思う時、どうしてもこれをこのままでは放っておけない、どうしても報いなければならない。そしてこれをしるして同心行者の不審を散じなければならないという心、師の教に応答するというものがある。我々はただそれを読ませて頂くだけで、自分自身は何もしないでよいのかということになると、これは深く考えなければならないのではなかろうか。私は、我等もまた「耳の底に留る所、いささかこれをしるす」というものがなければならないのではないかと思うのでございます。それは本を出版して印税をたくさん取って儲けようなどと、そういうことを申しているのでは毛頭ない。売れる売れないというのは全く別問題であります。しかし何か「いささかこれをしるして」報いるものがいるのではないでしょうか。それは色々な形であると思う。いずみ寮というところでは「ひので」という小さな文集を出しているし、私の所属しています会では「光明」という雑誌を出しています。その他方々でたくさんいろいろなものが出ています。このような文集、小冊子などで一番困っているのは原稿が集まらないということ、これが非常に経営困難な理由であります。我々は報告を書いて「いささかこれをしるす」という必要はないのであろうか。いわば答えるというもの、報いるというもの、私の感銘を仏に報告するというもの、そういうものが聞法の段階において必ずいるのだと思うのです。それはたとえ拙ない内容でありお恥しいものであろうとも、まことにそれが報いるものであり、答えるものであり、仏に対する報告書であるというようなものであれば、やはりこの『歎異抄』の言葉に通じるものがあると思います。若い諸君が多いことでございますから申すならば、求道し遂に聞法してゆく果てに、やはり報告書を出す義務があるのではないか、それは、「耳の底にとどまるところ、いささかこれをしるす」というようなものであろう。それは先程申しましたように、もし真実に通じるものがあったなら三里山奥で言ったひとりごとが三年たって里に出るように、あるいは誰か読んでくれる人があるかも知れない。まことに『歎異抄』の著者唯円が書かれたことは、書いて現在までに七百年かかって、世は歎異抄ブームになった。大分遅すぎた、もう少し早ければ「唯円は印税をたくさん貰えたのに惜しいことをした……」しかしそういうことは関係はない。まことに本当の言葉というものは出てくるものでございます。変な話になりましたが、この最後の言葉に非常に心をひかれます。「耳の底にとどまるところ、いささかこれをしるす」その耳の底といいますのは、単におぼえたというものではなく、やはり我々は推求し、実行し、生活をもって体解し、答えてきた、そういうふうなものを何とか記さしていただきたいものである。それだけは残しておくことが報いることであり、答えることであると思う。これは決して私ごと、則ち私的のものではなく、公的なものである。いわゆる報恩というものである。どうか皆さん、私を含めて『歎異抄』というものをいただいていったら、最後には書き残しておきたいと思うものができなければならないと思うのであります。

 私はかつて将棋会の理事をしておられた丸田八段と色々お話を伺う機会があったのですが、その時にプロの棋士とアマの違いについてたずねてみた。プロの方は初級などと申しても素人の四段五段をコロコロ負かすという話でございますから、いったいどこが違うのかと思って聞いてみたのです。すると丸田八段はすぐ返事なさいました。「それはプロというものは、いつも将棋の事を考えておりますので」。いつも考えておるということ、そこが違うのですね。つまり考えておるということは念持ということですね。思うており、それを忘れない。しかもそれだけでなく、推し測り求めているわけです。もう一つ先はどうであろう、こういうふうになったらどうか、そういうのが推求するということなのですね。プロというのはいわば念持あるいは推求というのを持っているのでありまして、その点われわれ素人は、あれやこれや生活上の事を考えて、一貫して将棋ばかりを推求することがない。これが大きな差を生ずる。今は何を推求するのか、それは今の場合言葉です。いわゆる「親鸞聖人の御物語の趣」つまり教を考える。それをもう一つ言い変えると、「それは私において具体的に何か」ということを考えるのだと思います。私というのは色々の時点に立っている。今日という時代、ここという場所、そういう所に私という者があるのです。それはまた社会、職場、家庭等の色々の場によって変って来、或いは昨日と今日とで変って来るのでありますが、その私において果たしてそれは具体的に何かということを考える。そこに念持ということがあり、推求ということがあるわけでございます。そしてそれが心の底に留まってくるわけであります。或いはそこに刻みこまれる。いうなれば耳の底に留まるわけであります。単に記憶力が良くて覚えているというものではありません。それは推求してくるものであります。

 さてまた、いささかこれをしるすということを『歎異抄』の後序でみますと、「耳の底に留る所いささかこれをしるす」というのが「泣く泣く筆を染めてこれをしるす」となっている。この二つは直結しているわけですね。それではなぜ泣く泣く筆を染めてこれをしるすのか。これはですね。耳の底にとどまる親鸞聖人の言葉をしるすということが、唯円にとって非常に深い感動を持つのです。それについて思われるのは『愚禿抄』の言葉であります。それには深い懺悔が出ております親鸞聖人の晩年に書かれた『愚禿抄』を開いてみると、その一番初めにこういう言葉が出ている。「賢者の信を聞いて、愚禿の心をあらわす」賢者というのは何かというと、この場合は親鸞の先生の法然上人ですね。法然上人の信、そのお心というものを聞くというと、色々と自分がおそわった教を思い出し、法然上人が書かれた書物を読み、あるいは色々の記録を見ながら聞く。そしてその所に自分の心というものが明らかになってゆくのである。「……。賢者の信は内は賢にして外は愚也。愚禿が心は内は愚にして外は賢也」という言葉によって『愚禿抄』は初まっているのです。

 外は愚にしてというのは、外見はまことに浅い、或いは庶民的でありみんなにわかりやすい。外は浅く見えながら内は実に深い。外は愚でありながら内は賢である。これにひきかえて私は、愚禿の私は全くそれと反対で、外側はかしこげに深そうに見せかけて内側は全く浅い、おろかである。こういう言葉が『愚禿抄』の初めに出てくるのでございます。それを私は思い出しました。

 賢者の信を聞くのは今は唯円であります。唯円は耳の底にとどまっている故親鸞聖人の御物譜の趣をいささかこれをしるす。その時これを書いていくと、そこに深い深い親鸞聖人のお心というものが拝まれてくる。明らかになってくる。それにひきかえて自分の浅い間違っている有様が出てきまして懺悔が生まれる。それが「泣く泣く筆を染めてこれをしるす」となる。

 すなわち「耳の底にとどまる所いささかこれをしるす」という時に、俺はよく覚えておった、みんなは知らんだろうけれどもわしだけはよく覚えておった。そういう思いは出てこない。そういうものが出てくるならば「泣く泣く筆を染める」ということはできない。「泣く泣く筆を染める」というのは自分が書いた賢者の信に、まことに自己の心は外賢内愚であり、そのよき人の外愚内賢とは全く違っている自分が出てきて、深い懺悔というものを持たされる。これがいわば「泣く泣く筆を染める」ということであろう。「耳の底にとどまるところいささかこれをしるす」というその心持に深い感動というものがあるのであります。

 「耳の底にとどまる所いささかこれをしるす」そこに自らの深い懺悔がある。そこにまた願いがある。深い願いがある。深い願いというところに現実に対する取り組みがある。現実と取り組むとはどんなことか。先ず現実とは何かというと、先に申しまたように現実というものに大体二つある。一つは内なる現実であり、一つは外なる現実である。内なる現実とは自己自身の中の心の内容であります。腹が立ちやすい、すぐに感情に走る、或いは色々の欲望のためにうち負かされる、人の言うことに引きずられる、嫉妬心、そのように色々なものが心の中にある。それは人には言われない、人には見せられないものであるがわが心の中に含まれているのであります。もう一つは外なる現実であります。それは広く世界、政治、社会体制或いは環境、または色々な問題、職場の問題、家庭の問題、愛情の問題、親子の問題、夫婦の問題等があります。そこでそれに取り組むというのはどういうことか。それには取り組まない姿勢を先ず考えてみたい。

 深い対立感、相手がよろしくない、やっつけてしまえというような対立感。或いは競争意識、負けてはならんという気持ち、或いは嫉妬、ねたみ、怒り、或いはへつらい。このようなことは結局向こう側に引きずられているのであって、いわば自分自身を失っているのであって、現実と取り組んでいるものではない。

 今ここに先師の口伝の真信に異なる人がいる。或いは反対のことをいう人がいる。そんな人に対して取り組むというのはどういうことか。先ず取り組まない方を考えますと、対立であり、やっつけてやれであり、色々ある。これではない取り組み方というのはどういうことになるのか。「泣く泣く筆を染めてこれをしるす」。そこにうかがわれるのは、深い悲歎となって出て来るのである。悲しみ歎きとなって出て来るのである。それを言い変えれば痛みであろう。そういう姿になって先ず出てくる。

 これを我々の世界で考えてみますと、大学紛争などというのがありまして、現在多少静かになっていますが解決したのではありません。これについて世の中の人はいいますね。一部の学生が大学の先生をつるしあげて、缶詰にしてワヤワヤ言うておる。団体交渉などといっておる。ああいうものに応じている大学の先生は本当に意気地がない。すぐ機動隊でも入れてわけのわからない学生はつまみ出してしまえ。そうしてすぐ退学処分にして、勉強しようという学生だけでやればいいではないかといいます。それは実にもっともです。もっともですがそれはやはり他人の考えです。自分の所の学生だと思うから最後まで頑張っておるのである。「わけのわからんことを言う」それはこちらにもよくわかっているのである。わかっているのであるが、最後まで機動隊を入れないで何とかそこで解決しようとしているのである。はたから見ればあほらしい、もうちょっと解決の仕方があろうと思われるかも知れんが……。まあそれは学校の話ですが、親子の問題でもそうです。子供のやり方が親の考えと反対である。するとお前のような奴は出ていけということになるが、これは取り組んでいるのだろうか。本当に取り組んだらどうなるのだろうか。本当に取り組んだらやはり悲歎となる。それは深い悲しみ、歎き、痛みである。しかしそれが単に悲歎となれば愚痴でございまして、人間のあわれな姿であります。そうでなしにその中にいわゆる願いを持っている。悲歎から願いが生まれている。どういう願いかというと、「耳の底にとどまる所いささかこれをしるす」どうぞこれを読んで本当の信心というものにたちかえってくれよ。そういう願いがあるからその思いが「泣く泣く筆を染めてこれをしるす」となるのである。

 そこに無責任な立場でなく、傍観者の立場でなく、いわば渦中の人物である。その中におって逃げもせず、かくれもせず、楽観も許されず、悲観も許されない。本当にそれに取り組んでいく姿勢は、その所に深い悲歎、すなわち悲しみ歎きがあって「泣く泣くこれをしるす」ということになるのだと思います。そこに願いがこめられている。その願いがわれわれの心を打つのであります。簡単に、切って捨てよ、わけのわからん奴は追放せよ。そういう勇ましい、しかしながら無責任な言葉と違ってわれわれの心をうつものがある。それが「耳の底にとどまる所いささかこれをしるす」ということであろう。したがってそれが「泣く泣く筆を染めてこれをしるす」ということになるのだと思います。

後  記

 本文は昭和四十九年四月から同九月まで六回にわたって行われた講義を筆記したものである。

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