人類、業苦のとき大乗仏教に意義

広島大学名誉教授・理学博士  松田 正典

 素粒子物理学者としてノーベル物理学賞の選考委員を三回つとめた理学博士の松田正典広島大学名誉教授(63)=広島県東広島市在住。 今春、 広島大学を定年退官した。 専門分野で世界的業績を残す傍ら、 学生のころから仏教に深く傾倒して、 広島大学仏教青年会 (現・財団法人) を復興。 現在は同仏青副理事長、 仏教伝道協会仏教伝道文化賞の選考委員をつとめ、 くらしき作陽大学で 「地球と人間」 「宗教」 の講座を担当している。 「人はすべてをメリット、 デメリットで計ろうとする。 それは人類が抱えている業苦。 そのカウンターカルチャーとして、 大乗仏教はいよいよ大きな意味を持つ」 と語る松田名誉教授を訪ねた。  (平成14年9月14日の中外日報紙面から)

 素粒子物理学の分野で世界的な研究をされながら、 なぜ仏教なのですか。

 松田 多くの方は不思議に思われますが、 当人にとっては、 全然不思議じゃないんです。
 物理学は、 やればやるほど、 人間としての柔らかな期待や希望が打ち砕かれる学問です。 研究が進めば進むほど、 自尊の念が深く傷つき、 確固たる人間存在の思いが根底から覆されてくる。
 僕にとって仏陀は、 いかなる時、 いかなる場においても、 いよいよ輝く命の尊厳を教えてくれます。
 仏縁のおかげで、 人間としてのアイデンティティーを持ち得たし、 自然科学者としてやっていけたと思います。

 仏教に関心を持たれたきっかけは。

 松田 大学四年生から大学院修士一年生のころ、 ずいぶん落ち込んでいたんですよ。 「不条理の哲学」 の授業を聴き、 人間関係の不条理さと、 確率に支配されたミクロの世界の力学構造とが重なった。 量子力学は、 日常的な生活経験を全く逸脱した力学の世界ですから。
 またナチスのドキュメンタリー映画 「十三階段への道」 を見たこともあり、 一種の不安神経症になりました。
 大学二、 三年生のころは平和運動をやっていました。 僕の母の弟は被爆死し、 父は二次被爆者でした。
 ところが皆は、 アメリカの原爆には反対して、 ソ連の原爆に反対しない。 僕はおかしいと言ったんです。 すると村八分になった。 それも不安神経症の複合原因の一つですね。 それから内へ内へと、 読書、 読書となっていったんです。

 仏教に親しまれるようになって、 不安神経症が解消されましたか。

 松田 自然科学者で『歎異抄』 の講義をされていた細川巌先生 (‖福岡教育大学名誉教授・理学博士、 海底浅土の世界的研究者) にお会いして、 大きく変わりました。
 それまで何人かの宗教者に会いましたが、 「君は正しい」 「一緒に世の中を変えていこう」 とおっしゃった。 それを聞いた途端に失望したんです。 僕は、 自分がおかしいと思って苦しんで道を尋ねているのに、 「自分もそう思う」 と肯定されると、 どうにもならない。
 でも細川先生は、 そうはおっしゃらなかった。

 どう、 おっしゃったんですか。

 松田 先生に自分の思いを説明するのが面倒だから、 日記帳を持って訪ねました。 翌日呼ばれて、 「これは君が書いたのか」 と。 日記については何も言われず 「向こう十年間、 私の仏教の話を聞いてくれるかい?」 と言われました。
 今思うと 「君の苦しみや悲しみはよく分かる。 でも、 やはり道を尋ねないと、 大きな広い世界は見えてこないんだよ」 というまなざしだったと思います。
 不安神経症の学生は、 自分は正しいのになぜ世の中はこうなのか、 という理由のない怒りを持ってしまうんですよね。 オウム真理教に若者がたくさん集まったでしょ。 理由なき怒りがあったと思うんです。
 だから僕は恵まれてますよ。 理由のない怒りを訴えたとき、 「その通りだ」 と言われて、 それはおかしいと直感できた。 その感性は深い伝統文化のおかげだと思う。 「世間虚仮、 唯仏是真」 という仏語がありますが、 若者の怒りは 「世間虚仮、 唯“我”是真」 ですね。 でも大乗仏教の伝統文化の中で育つと、「唯“我”是真」 が不正直だという感性だけは持てる。
 それは浄土真宗だけじゃない。 禅宗だろうと、 大乗仏教ならば、 そういう生活感性は延々と伝承されていると思います。

 幼いころからご両親をはじめ、 浄土真宗の教えを聴かれていたから、 そう思われたと。

 松田 僕はお念仏の声を子守歌にして育ったんです。 祖母が鹿児島県知覧町の隠れ念仏の家の出身で、 祖父は私学校 (西郷隆盛創設) の校長。 それが五人兄弟だった父たちのモチベーションになった。 父の姉は松田藤子と言いまして、 作陽学園 (現・くらしき作陽大学) の創始者です。 浄土真宗を建学精神に、 一族挙げて学校運営に取り組んでいましたよ。

 広島大学の仏青については。

 松田 広大では仏青が途絶えていたんです。 僕が三十歳で講師になり、 自分の研究室がもらえた。 そのころ、 細川先生が 「仏青を復興してくれないか」 と。 僕は 「そんな力はありません」 とお断わりした。 ところが先生は 「三、 四人の学生を集めて読書会を始めてくれたらいいんだ」 と言われた。 それなら自分にもできる。 で、 読書会を始めた。
 しばらくして学生が集まってきた。 すると先生が 「毎月仏教講演会をやろう」 と。 大乗仏教は個人でやるものじゃない、 一切衆生と歩むのが本来の姿だとご指導を受けました。 仏青の復興も細川先生のお導きです。

 仏教に深く関わることで、 ご専門の研究を続けるのが辛くなることはありませんでしたか。

 松田 (即座に) 逆です。 いよいよ研究が面白くなってきた。 研究というのはすさまじい闘争の世界、 阿修羅の世界です。 そのいたたまれなさのゆえに、 かけがえのない出会いが生まれてくる。

 ご講演では仏教のお話とともに、 社会学者のエーリッヒ・フロムについてよく話されますね。

 松田 フロムは、 ヒトラーという人間は憎まずに、 ヒトラーの犯した罪を憎んで研究した。 二十世紀最大の悲劇を徹底的に掘り下げながら、 読み手に暗さを与えない。 フロムには深い人類愛、 人間愛を感じる。 今、 講義で、 二十世紀の科学の素晴らしい展開と悲劇を掘り下げています。 悲劇にはフロムを使うんです。

 科学の素晴らしい展開と悲劇を考えたときに、 科学主義を否定するような発言を聞くことがありますが。

 松田 イギリスの社会学者、 教育者のヤングは、 「メリトクラシー」 という言葉を作った。 メリット、 デメリットで全てを計ることは、 人間の文化の破壊につながると言いました。 科学主義批判は、 広い意味のメリトクラシー批判でしょう。
 しかし単純なメリトクラシー批判、 科学主義批判は観念論にすぎない。 科学主義やメリトクラシーは、 やらざるを得ない。 人間が生きるということの現実です。 だからこそ、 いよいよカウンターカルチャーのかけがえのなさが見えてくる。 日本には、 それが伝承されてきたんです。
 僕は 「アミタクラシー」 という言葉を世界語として提唱したい。 「アミータ」 は計ることができないという意味ですね。
 細川先生と深いご縁があった住岡夜晃先生 (=広島の真宗求道者、 教育者) は 「暗 (やみ) 深くして光弥々輝き 業苦重くして大悲弥々深し」 と言われています。 人類が抱えている 「業苦」 は、 メリトクラシーと言ってもいいと思います。 「大悲」 はアミタクラシーですね。
 大乗仏教を今日的に言えば 「アミタクラシーに生かされつつ、 メリトクラシーを生きる」 と言えると思います。
  (聞き手=萩原典吉)