あとがき

 呉市中央図書館において、広島大学仏教青年会主催の「歎異抄講座」が月に一回開かれている。この会は、平成五年の春から、地元の平木俊三氏の肝(きも)いりで始まり、八年を経た。広島大学仏教青年会は、約八〇年の伝統をもつが、この間、福島政雄、金子大榮、白井成允、藤秀璻、細川巌という方々によって、『歎異抄』が講ぜられてきた歴史があり、小生はその一端を、浅学非才を顧(かえり)みず担(にな)わせていただいている。この冊子は、平成一二年五月の呉市における講座でお話したものが元になっている。ちょうど、『歎異抄』第二章・第一段を頂戴している頃、一七歳の少年のバス・ジャック事件があり、少年は東広島市に拘置された。勉強の比較的よくできる、非行歴のない少年による衝撃的な犯罪が連続する中で、事件の背景に想いをめぐらせながら、七五〇年前に起こった関東の僧伽(さんが)の混乱を尋(たず)ねたものの一部である。
 西元宗助先生は、御講演の中で、ある悲惨な少年事件に触れられて「このようなことが起こるとは、一人の沙門(しゃもん)として重大な責任があります。まことに申し訳ございません」とおっしゃって絶句なさった。一切衆生済度の如来の願心が大慈悲である。「大慈悲とは、仏道の正因(しょういん)なり」との教えに遇(お)うた一人の沙門の心底からの痛みの表白であろうか。『歎異抄』に伝えられる関東教団に起こった二つの異義について語る時、忘れてならないのは異義を主張する者の心根(こころね)である。異義を事件として捉えるならば、歴史上の過去の問題でしかない。その本質を、了祥師は一つを「誓名別信計(しょうみょうべっしんけい)の異義」と言い、一つを「専修賢善計(せんしゅうけんぜんけい)の異義」と呼んだ。藤秀璻師は、前を観念派の異義、後を賢善派の異義と呼んだ。
 さらに、小生の師である細川巌先生は、前を知性中心主義、後を理性中心主義と、私どもの心根で問われた。細川先生のこのような表現は、先生が約三十年に亘(わた)って担われた広島市の「歎異抄講座」で、最晩年に話されたものであり、未だ活字にはなっていない。今回、先生の御指南に従って第二章の背景を尋ねつつ、現代の悲劇の本質を推求したものを、活字にして世に問う機会を賜ったことは、憶(おも)えば有り難いことである。
 この冊子の表題は、法蔵館のご関係の皆さんで付けていただいた。そして、鈴木大拙師の「大行」の英訳が思い起こされた。"Tannisho for True Living"の意味とご了解願いたい。
 本書の刊行にご高配くださった法蔵館の西村七兵衛社長と同朋大学の田代俊孝先生、特に池田顕雄氏の編集におけるご尽力に深謝申し上げる。

平成一三年三月一日
松田正典

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