ここが浄土の南無阿弥陀仏
−浄土について−


細川 巌 講述

 私は、ただいまご紹介いただいた田畑先生が院長をしておられる東国東広域病院に、毎年二回、検査を受けるためにまいっておりまして、今年は三月と八月にまいりました。今回、ここへお参りするということは、はじめの予定にはなかったのですが、少し体調をくずして、ただいま入院していろいろ調べてもらっております。その合間がありますから、今回程度のお話しをする時間はとれそうなので、病院の許可を得てまいった次第です。

 しかし、わずかの時間でありますから、とてもまとまった話はできませんが、かねて考えておりますことを、あれこれ申しあげたいと思っております。

浄土真宗の危機的課題
浄土往生は死後のことか
死後の往生説はどこから来たか
浄土とは何か
天親・曇鸞の説かれた浄土
善導の説かれた浄土
浄土、その真実と方便の相
獲と得
往生とはどういうことか
 

人間生活の「二河白道」
東岸から西岸へ
「願生」は無上の生
如来浄土へ進ましめるはたらき
心の転回
心の奥底を超える
浄土はどこにあるのか
あとがき
「あとがき」にそえて

★註…()内数字は、明治書院発行『聖典』の(目次番号/ページ)を示す。

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浄土真宗の危機的課題

 私どもがお育てをこうむっている教えは、親鸞聖人を宗祖と仰いでいる浄土真宗であり、浄土廻向の真実宗教であります。しかし現代の浄土真宗においては、非常にわかりにくくなっている問題、徹底を欠いている問題が多くなりました。その一つに、浄土ということがあります。浄土とは、一体何なのか。浄土についての普通の人の問いは、第一に、「浄土はどこにあるのか」、第二は、「死んでから浄土に往くというが、浄土真宗は死んでからの宗教なのか」、こういうことがよく問われております。しかし、これらの問いに対して明確な答えを聞くことが少なくなりました。も一つ加えると、「念仏申す」ということが明らかでない。「南無阿弥陀仏」ということの意味がはっきりしなくなった。この二つは、現代の浄土真宗の大きな危機的課題であって、何としても明らかにしておかねばならない浄土真宗の根本的な問題だと思うのであります。

 浄土についての問題点は、一つは「往生は死後のことか」、二つめは「浄土はどこにあるのか」、これらの問いに対する答えがはっきりすることがまず大切なことで、親鸞聖人の教えをいただいていく上で、これはぜひはっきりしなければならない問題であります。このことが明らかになるためには、南無阿弥陀仏ということがはっきりしなければならない。しかし今回、浄土と南無阿弥陀仏との両方を申すことは時間的にも困難でありますから、今日は「浄土は死後のことか」ということからまずお話しいたします。

 この問題について、最近非常にはっきりしたことをおっしゃっているのは、星野元豊先生です。この方の『講解教行信証』という書物は、先生が七十才の頃から十年の歳月をかけてようやく完成され、六冊本で法蔵館から出版されました。そして最近、その「補遺篇」というのが出されて、その中にも繰り返し浄土という問題が説かれています。浄土は、この世で信心が開けるとき正定聚に住す、その正定聚の世界が浄土である、浄土は死んでからの世界ではない、こういうことを「証巻」のところで、先生は力いっぱい心をこめて述べられております。

 この「補遺篇」には、既に出された『講解教行信証』六巻本の中で、いろいろとまだ論議が残っているところは後に「別巻」で述べたいと申してきたし、今までその準備もしてきたが、八十才を越してみると思いもかけず急に体力と気力と思考力が衰えて、「別巻」をまとめることができなくなった。そこでやむをえず、今までの原稿を、まだ十分にまとまっていないけれども一応整理して「補遺篇」として出すのである、と断り書きがあります。

 先生は鹿児島の方で、龍谷大学の学長をつとめた、非常に活発な学究的なお方だったが、やっぱり八十を越すとそうなりなさったか、と残念に思いました。この「補遺篇」にも、浄土は死んでからの世界ではない、信心決定して正定聚の位に住する、そこが浄土である、と繰り返し申しておられる。先生がこのことを「別巻」として詳しく言っておきたいと思われていたことがよく分かります。先生は、「浄土はこの人生の逆接的世界である」という言葉を使っておられる。これはちょっとわかりにくい。つまり遠いところにあるんじゃない、この世の迷いが翻されたそこにある、ということを申しておられる。

 先生は宗教哲学のご専攻である。私は浄土真宗の専門の勉強をしたわけでないけれども、私から見ても、先生は宗学という点では多少お弱いところがあるなという感じがします。しかし宗教哲学専攻ですから、非常に論理的で、浄土とか涅槃というものの構造については優れた論を出されている。けれども何とも表現が難しい。わかりにくい。そこで、先生のおっしゃっていることを、私なりに理解し、私の考えを交えて、「浄土について」ということで申したい。ただし、先生の説以外に私の考えがかなり入っているので、その相違点は『講解教行信証』の「証巻」とくらべていただければよいかと思います。

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浄土往生は死後のことか

 まず、「往生浄土は死後のこと」、「浄土は西方十万億土の彼方、どこか遠い所にあって死んでから行くところ」という考え方が、現在の浄土真宗でも非常に多いのではないかと思われる。ずいぶん前になりますけれども、山本晃紹という龍谷大学の先生がおられまして、その書物を、私は学生時代に読みました。先生いわく、浄土真宗の話をしていると、いわゆる目覚めだとか、光明だとか、あるいは廻向とか、そういう話の間は皆よく聞いてくれる、けれども、浄土という話になると、そろそろ帰り支度を始める、往生浄土ということになると、とうとう皆帰ってしまう、と書いてありました。今の若い人の間にも、やはりこの傾向があるのではなかろうかと思うことであります。

 それでは、どこから「浄土は死後のこと」という考え方が出てきたのかと押さえてみると、それはもちろん『観無量寿経』によるもので、浄土宗の考え方ですし親鸞聖人は、そうは申しておられない。聖人は、往生浄土という言葉を、死んでから後に往生するという意味で使われているのではない。死んだらどうなるのかということについては、「信巻」の末に「念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念之夕、大般涅槃を超證す」(明治書院版『聖典』12/92)と言われている。聖人は、死んだら浄土に往くのではない、信心の人は臨終一念の夕、大般涅槃を超証して直ちに如来となるのである、とおっしゃっている、すなわち浄土でなしに涅槃、――浄土と涅槃はどう違うかということもしっかり申さねばならないが、一応ここでは、死んでから往生浄土していくのではないと、涅槃を超証して仏になるのだ、一如真如の世界に還ってそこで仏になるのだ、というのが聖人のおっしゃっていることである、このことを申し上げたい。

 また『末燈抄』には、善導大師の『般舟讃』を引いて、「『信心の人はその心すでに常に浄土に居す』と釈したまへり。『居す』といふは『浄土に信心の人の心つねにゐたり』といふ意(こころ)なり」(21/4)と言われている。このように、聖人の教えを忠実にいただいていったならば、「往生浄土は死後のことである」という教えは出てこないのであります。

 聖人の教えだけではない。覚如上人の『口伝抄』には「不体失往生」ということが出てきます(25/14)。ここにはご承知のように、法然上人の高弟である善恵房證空上人との激しい論争が出ている。證空上人は「体失往生」、すなわち体がなくなって、つまり死んで浄土に往生するのだと言いなすった。『観無量寿経』にもそう出ている。一方、親鸞聖人は「不体失往生」、つまり身体がなくならないうちに、生きておるうちに、往生浄土を遂げるのだと主張しなさった。この両者の言い争いが最後まで平行して決着せず、とうとう源空・法然上人が出て来られて裁決をされた。上人は「どちらも、もっともである、もっともである」と、どちらにも賛成された。門弟たちはあやしんで「どちらが正しいのですか」と重ねて問うたところ、「諸行往生、つまり念仏以外の往生は死んでからの往生である。信心念仏の十八願の往生は即得往生、不体失往生である」と裁決された。それが『口伝抄』に出ている。

 『口伝抄』を書かれた覚如上人は本願寺の第三代目の法主であります。けれども、ご生前の聖人からこの教えを直接聞かれたのではない。第二代の如信上人が聖人から聞かれたことを、覚如上人が聞いて、それを書き遺されたものが『口伝抄』である。したがってその内容は、親鸞聖人がおっしゃったことをかなり正確に書き遺されたものといえる。覚如上人はこのように、往生浄土を現生の事実だと言われ、これが親鸞聖人のお考えであり、また師法然上人の教えである、と述べられております。

 その長男の存覚上人、この人は『浄土真要鈔』を書かれた。そこには、臨終来迎にあらず、平生業成、平生のときに往生浄土の業(ごう)成ぜしむ、臨終の来迎をたのまず、信心決定して正定聚不退となるとき直ちに往生は決まっている、と力説されておる。

 それを受け継がれているのは蓮如上人。蓮如上人の『御文章』を頂戴していくと、浄土真宗の伝承として平生業成である、往生浄土は死んでからのことではない、臨終の来迎をたのまず、と繰り返し言われている。

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死後の往生説はどこから来たか

 それでは浄土真宗の教えに、往生浄土は死んでから、というような説が入ってくるわけがないではないかと思われるかもしれないが、実際に多くの人によって、そのように誤られている事実がある。その原因はどこにあるのか。それについて思われるのは、一つは浄土宗の影響。蓮如上人が第八代の本願寺法主を受け継がれた頃は、「門前雀羅を張る」といわれるほど本願寺は衰え、お参りする人が少なく、門の前には雀とりの網を張っておいたと書かれる程さびれていた。その頃には親鸞聖人の教えはすたれ、浄土真宗の中に浄土宗の影響が強く浸透していた。浄土宗は臨終往年。死ぬときお迎えがくる。底下の凡夫でこの人生を終って、死んでから極楽浄土に往生して幸福になるという、そういう教えが浸透していた。それが後々まで尾を引いてきたのではないか。これが一つ。

 もう一つの原因は『歎異抄』にあるのではないかと思う。『歎異抄』は非常にすぐれた書物で、特に第十章までは「師訓篇」といい、聖人の仰せが述べられているといわれてきた。その第九章に、「名残惜しく思へども、娑婆の縁尽きて力なくして終るときに彼の土へは参るべきなり」(23/4)とある。すなわち、この世が名残惜しいとどれほど思っていても、縁尽きて力なく死んでいく、その時に浄土に往生する、とある。これが親鸞聖人のお言葉として出ていて、特に明治以降、大きな影響を与えたのではないかという感じがする。

 そのほか『歎異抄』には第十四章にも「摂取不捨の願をたのみたてまつらば、いかなる不思議ありて罪業ををかし念仏まをさずしてをはるとも速に往生を遂ぐべし」(23/9)とあって、この世を終って速やかに往生を遂げるという言い方になっているので、ここも誤解の出そうなところである。星野先生も『歎異抄』のこのような表現を問題にして、「別巻」でとりあげたいと述べられていたが、「補遺篇」には遂に触れられなかった。『歎異抄』は弟子の唯円の作で、聖人ご自身の著述ではない。聖人の仰せとして、先の第九章の言葉が述べられているが、聖人の主著である『教行信証』にも、その他の著作にも、このような仰せは出てこない。ただ一箇所、お手紙の中に「浄土にて必ず必ず待ちまゐらせ候ふべし」(21/10)という文がある程度である。

 そこで、第九章のこの言葉を聖人の仰せとして受け取ることができるのかどうか、そこが問題で検討を要するところと思われる。

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浄土とは何か

 一応、以上のことを序論として、浄土真宗の本流、伝承、聖人の教えというものを考えると、死んでから往生するとはいわれてない。ここはひとつ、はっきりとしておきたいことです。現代は『歎異抄』がよく読まれていて、親鸞の教えといえば『歎異抄』と思われているほどです。また『歎異抄』を語る人もたくさんいて、龍谷大学でしたか大谷大学でしたか、『歎異抄の研究』という書物によれば、『歎異抄』の参考書は明治以来百五十冊を越えているという。しかしこれに反して、『教行信証』を読む人は非常に少ない。『教行信証』の参考書は明治以来わずか三冊である。親鸞聖人の教えの中心は『教行信証』であって、これが聖人みずから書かれた書物である。これに対して『歎異抄』は弟子の記録である。どちらが聖人の真意を伝えるものか、どのように考えたらよいのだろうか。

 『教行信証』の第一の解説書は、大正四年に山辺習学・赤沼智善の両先生の共著で『教行信証講義』が出版された。大正四年といえば今から八十年前です。その後、金子先生の著書があるが、これは一字一句を解釈されたものではない。これが昭和十年代の出版です。それから何十年か後にようやく星野元豊先生の『講解教行信証』が出た。これが三冊目である。明治以来百三十年たってもこの程度です。『教行信証』はそれくらい参考書が出ないし、したがって読む人もない。ですから、本当の親鸞聖人の教えを理解している人は非常に少ないといえるのではないか。だから星野元豊先生は『講解教行信証』の終わりに、若い人にぜひ『教行信証』を読んでもらいたい、そしてなんとかして聖人の教えをわかってもらいたい、こう願ってこの書を著したと述べておられる。『歎異抄』だけでは親鸞聖人の真意は決してわからない。これははっきり言っておかねばならないことだと思います。

 そこでまず、浄土とは何なのか。浄土ということは、浄土真宗の伝承としてはどのように言われているのか。浄土については、聖人は『教行信証』の「証巻」と「真仏土巻」に書かれている。それからもう一つ、『唯信抄文意』に善導大師の『法事讃』の言葉を引いて述べられているところがあります。聖人が取り上げられているのは、大体この三つですね。

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天親・曇鸞の説かれた浄土

 聖人は「証巻」に天親菩薩の『浄土論』、実際には曇鸞大師の『浄土論註』を引用して浄土について語られていて、浄土の内容を「近門(ごんもん)」「大会衆門(だいえしゅもん)」「宅門(たくもん)」「屋門(おくもん)」と、四つの世界で出されている(12/133〜134)。こういうお話しは、あまりお聞きにならない方が多いでしょう。だからお聞きづらいかと思いますが、これが親鸞聖人の浄土の考えの根本になっている。

 その浄土にいかにして往生するかというと、第一の門である「近門」に入るには、弥陀を礼拝するとき直ちに入るのである。これを入第一門という。第一門をなぜ「近門」というのかというと、無上菩提に近づくからである。無上菩提とは涅槃である。そこに近づく、それが浄土に入るということである。礼拝弥陀とは如来に頭が下がること、如来ましますとわかること、つまり信心定まるそのときに浄土に入るのであると述べられている。浄土に入るとは、如来を生きる身となることです。それは弥陀を礼拝する。礼拝といっても、ただ頭を下げるのではない。「一心帰命」をいう。阿弥陀如来、すなわち大いなるものの前に頭が下がった。そのときに浄土が開けるのである。決して死んでからではない、これが天親・曇鸞が『浄土論』『浄土論註』に述べておられる往生浄土の第一門である、くりかえすように親鸞聖人は、それを『教行信証』「証巻」に引用しておられる。如来の廻向によって凡愚のわれらが信心定まるとき「即得往生」の身となるのである。

 そして浄土に入った第二門では、弥陀を讃嘆する。讃嘆とは称名念仏。その時に大会の衆となる。大会とは、いわゆる「広大会」と申しまして、弥陀仏の会座であり、そこで弥陀じきじきの説法を聞く一人となるのである。それを入第二門といい、大会衆の門に入るという。それを入正定聚という。

 第三を「宅門(たくもん)」という。そこでは奢摩他(しゃまた)といって、煩悩を滅して、そこから「蓮華蔵世界」に入る。第四門は「屋門(おくもん)」という。そこでは毘婆舎那(びばしゃな)という観を成就して仏と成る。第三、第四の「宅門」「屋門」を涅槃という。

         ┏━ 近門  (入第一門)‥弥陀を礼拝する 一心帰命  ━┓
    ┏━ 報土 ┫                            ┣ 現生正定聚
    ┃    ┗━ 大会衆門(入第二門)‥弥陀を讃嘆し念仏す      ┃
 浄土 ┫                  大会の衆の一人となる    ━┛
    ┃
    ┃    ┏━ 宅門  (入第三門)‥煩悩を滅して蓮華蔵世界に入る━┓
    ┗━ 涅槃 ┫                            ┣ 当生滅土
         ┗━ 屋門  (入第四門)‥観成就して仏となる     ━┛

 したがって天親・曇鸞の浄土は、こちら(宅門・屋門)は涅槃をあらわし、こちらは(近門・大会衆門)は報土をあらわしている。報土とは、弥陀の本願に報いてうち建てられた世界をいう。なぜ報土と涅槃と二つ書いてあるかというと、それは涅槃の徳がそのまま生きて報土となっている。報土は涅槃から生まれて、涅槃を離れない。涅槃と別に報土があるのではない。報土から全く離れて涅槃があるというのではない。涅槃から如来が現れてくださって本願を建て、我々を迎え取る世界が報土。それが普通いう浄土である。ここ(報土)を天親・曇鸞は近門、大会衆門といい、「住正定聚」といわれ、ここを(涅槃)を「阿褥菩提(あのくぼだい)」(無上菩提)、滅度といわれている。

 『正信偈』に「必獲入大会衆数」とあるのは、「獲」は現生でえられる世界、つづいて「得至蓮華蔵世界」とは、「得」は臨終の後にえられる世界である。現生でえられる報土と死後にえられる滅度をあわせて浄土といわれている。そうすると、浄土というのは二重構造といってはおかしいが、その本質は一如涅槃である。我々の世界を遠く超えた真如法性の世界、そこから本願によって建立された世界。弥陀の本願に報いて生まれ出た世界が報土。涅槃と報土のこの二つを合わせて浄土といわれている。その報土は涅槃と離れない。これが天親・曇鸞の述べておられる浄土である。

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善導の説かれた浄土

 次に善導大師の『法事讃』、これを聖人は『唯信抄文意』に引いておられる。「極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生」(20/7)という文である。この「極楽無為涅槃界」という言葉は、親鸞聖人がたいへん好まれた言葉であって、『教行信証』「真仏土巻」にも引いてある。しかし、この言葉には矛盾がある。どうしてか。「極楽」というのは『観無量寿経』や『阿弥陀経』に出てくる浄土である。それは西方浄土といわれ、そこには八功徳水が満ちみちて、百味の飲食がたらふくあって「極楽じゃ、極楽じゃ」というような、人間の欲求を満足させるような感覚的な世界として説かれている。一方「無為涅槃界」といったら、「無為」は為すこと無し、無生無滅。人間の認識を離れて、全く人間の煩悩の世界を超えた真如法性の涅槃界。「心もおよばず、語(ことば)もたえたり」という世界。それが「極楽無為涅槃界」と続いて言われているのは、理解しがたいといわねばならない、しかし親鸞聖人は、善導大師がこのように言われたのを大切にいただかれている。これはどうしたことか。よくよく考えねばならないことです。

 極楽は、表面的には西方浄土と説かれているけれど、一如真如を本質としている。極楽には一如真如の道理がこもっていて、そこに往生してゆくことによって人間を煩悩の世界から解脱させる広い大きな世界である。楽しいとか苦しいとか、幸せだとか不幸だとか、それらを超えた如来の世界が涅槃界であるが、その現れが極楽国であり、西方浄土である。そういうことを言おうとされている。

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浄土、その真実と方便の相

 こちらの方(如来の世界、涅槃界)を法性法身という。法性とは真如法性ともいう。真如法性をなぜ法身、法の身というのかというと、真如法性はただ単に冷たい道理、悟りの世界というのではなしに、はたらきをもっている。そのはたらきを表すために法性法身という。その法性法身からはたらきを現している相(すがた)を方便法身という。

 方便といえば、俗に「嘘も方便」といわれたりするが、それは間違っている。方便とは、もとのサンスクリット語で「ウパーヤ」という。その意味は「到達する」。真如法性の世界が私どもを哀れみ悲しんで私にまで至り届こうとする、そのはたらきを「方便」というのである。だから無為涅槃界からはたらきを発して私に届く相が方便法身であり、具体的には南無一阿弥陀仏である。そしてその世界を『観経』、『阿弥陀経』では極楽国という、そのように真如法性の世界が具体化して、私に届いて、私の上に生きている相を報土といい、それを「法性法身に由(よ)りて方便法身を生ず」(12/127)と申すのであります。

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獲と得

 先に申したように親鸞聖人は、ここ(報土)を現生、こちら(涅槃)を、当生の世界とおっしゃっている。聖人は『正信偈』の天親菩薩の章に、「必獲入大会衆数」と述べられた。信心を獲たならば「必ず大会衆の数に入ることを獲」とある。そして「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」と続いている。これは、「蓮華蔵世界に至ることを得て、即座に真如法性の身を証せしむ」という。ここに「獲」と「得」とを区別して述べられている。聖人は文字の使い分けが厳しく、文字について正確な考えをもっておられる。例えば「『経』に言わく」「経言」といい、「『論』に曰く」「論曰」といって、仏と菩薩とでは「言」と「曰」を使い分け、その他の高僧方がいわれるときには「『釈』に云わく」「釈云」と書いて決して混乱がない。

 「うる」という文字には「獲」と「得」と二つある。「獲」の字は、信心をうるというときには必ず「獲」を使って「獲信」といい、「得信」とはいわない。なぜかというと、「獲の字は因位のときうるを獲といふ」と『自然法爾章』(11/41)に出ている。「因位の時」とは、この世にいてまだ仏に成らない時をいう。つまり迷いの世界にいるのが因位。その時に、必ずこの浄土の入第二門(大会衆門)に入る。それを、「必獲入大会衆数」という。入第二門は必ずこの世で獲るのだと、天親・曇鸞の教えに基づいてあきらかにされている。そして蓮華蔵世界、涅槃に至る時には「得」。「得の字は果位のときにいたりてうることを得といふなり」。それは「臨終一念之夕、大般涅槃を超證す」(12/92)、このように申されている。

 そうすると、浄土真宗というのは、この現生で教えを聞き開いて信心念仏の人になり、心は浄土に往生して、近門、大会衆門に住する。これを「心常に浄土に居す」という。そしてこの身がなくなった臨終一念の夕、大般涅槃を超証して仏となるという、こういう教えなのである。そこをはっきりとしておかなくてはならない。

 問題は、私のようなお粗末な無明煩悩の存在が、たとえ信心念仏の身になろうとも、浄土に往生してゆくなどとはとうてい思えない、浄土に往生するというのはやはり死後ではないか、と思う。これが問題である。それを今から明確にしたい。

 しかしまず、以上のような教えが浄土真宗の教えであって、親鸞聖人はそれを『教行信証』に力説しておられるのである。そこを見失って、『歎異抄』の「名残惜しく思へども娑婆の縁尽きてカなくして終るときに彼の土へは参るべきなり」というようなことになってしまうのでなく、本当の浄土真宗の骨格とは一体何なのかということを、聖人の教えに直入して、現代の我々がしっかり認識し直し、さらにその真意をいただいてゆかねばならない。まず、こういうことを申し上げておきます。

… 休憩 …

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往生とはどういうことか

 先ほどは一応浄土について、弥陀の報土は方便法身の世界であり、この浄土は法性法身の涅槃と続いているということを、天親・曇鸞を通し、善導の文によって述べたことであります。そして報土の往生は現生、涅槃に至るのは死後ということを申しました。

 次に、往生浄土の往生ということについて述べてみたい。「往」は「ゆく」という。『大無量寿経』をいただくと、「必得超絶去 往生安養国(必ず超絶し去りて安養国に往生することを得)」(1/51)とこのように続いている。「往」というときに「超・絶・去」ということがでてくる。「往」は「ゆく」ということであるが、も少し徹底していうと「超える」ということ、そして「絶ちきる」ということ、「去る」、離れるということである。何を越えるのかというと、生死の世界。それを超え絶ちきって、迷いの世界を離れ、娑婆を離れてゆく。このように「超・絶・去」というのを「往」というのである。『大経』からいただくとこのように言うことができよう。では「超・絶・去」とは具体的には何なのか。まず、我々の人間生活、――仏教では、人間生活を「活」と「生」とに分けて「活命(かつみょう)」と「生命(しょうみょう)」という。食べて生きていくのを「活命」という。これを「この世の生き方」という。この世に幸せをもとめて、あるいは政治、経済をはじめ、教育、家庭にいたるまで、いろいろと問題がある。それを適当に解決しながら、この世を幸せに過ごしていこうというのが「活」の世界である。だから、子供は子供なりに、大人は大人なりにいろいろの生きざまがある。若い時はきれいでありたいと願うし、年を取ってくると健康でありたいと願う。そういう生き方を「活」というのである。

 「生」というのは、私の生きている意味、生まれた意義、何のためにこの世に生まれたのだろう、――このまんま死んでよいのか、というのが「生」の問題。この「生」の問題を往生の問題、往生の一大事とか後生の一大事という。浄土真宗が目標とし解決したいと願っているのは、まずこの「生」の問題である。「生」の問題の解決を往生浄土という。このことが明確になるところから本当の人生は始まるのである。

 「生」に対して「活」というのは、この世の生き方であって、いわゆる健康とか、政治経済をもう少しよくする方法とか、あるいは家庭をうまくやっていく方法とか、その他たくさんたくさん生き方がある。しかし、それができたら人間はこれで満足といえるのかというと、そうはならない。私は何のために生まれたのだろうとか、どうやって生きていくことが本当なのだろうというようなことが明確にならないと、何か空しいのではなかろうか。よくわかったことですけれども、だんだん年をとってくると、最後は家内と二人きりになる。私も子供は四人いるけれども、三人は遠くへ行って、近いところにいるのは一人だけである。子供の教育が大事といって育ててきたが、こうなってみると、私の人生は一体何だったんだろうなと考えるようになる。年を取ると、何かポカンと穴があいたような思いの人が多いのではないか。いろいろなことをやってきた、けれども、それらは全て「活」のことばかり、この世のことで一生懸命だった。「活」だけでは、人生に本当に満足することはできない。これを超え離れていく。そこに往生がある。それが本当の人生の充実である。

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人間生活の「二河白道」

 この「生活」ということについてうまくいってあるのは「二河白道」という善導の譬えです。東岸はこの世である。この東岸でいわゆる「群賊・悪獣」に追いかけられ追い回されて、とうとうどうにもならぬものにぶつかった。それを二河という。「火の河」「水の河」にぶつかった。こちらは西の岸、如来の世界、浄土の世界。こちら(東岸)の生活が「活」。普通は「活」だけで一生を終るのである。つまり東岸だけで人生がすんでしまうのである。

 「往」とか「生」とかはどこから始まるかというと、この「火の河」「水の河」を渡って、この東岸を超え離れ絶ち切っていくところから始まる。しかし「活」の世界を離れるといっても、全く現実世界と関係がなくなるということではありません。だが、その世界に頭を突っ込んでどうにもならなくなるのでなしに、それを超えていく。具体的にいえば、それに曳きずり回されないで、も一つ「心は浄土に遊ぶなり」という心の世界をもっている、それを超えるという。

 卵からヒヨコになって殻を出た。それを、殻を超えた、殻を離れた、殼を絶ち切ったという。それを「往」という。だから往生浄土とは東岸を離れることから始まる。信心念仏から往生浄土は始まるのである。信心念仏が出てこないと、往生浄土は始まらないのである。

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東岸(活の世界)から西岸(生の世界)へ ――私自身を問う――

 そこで、この「二河白道」の図をこのように九十度左に回転させると、こちらが東岸で、こちらが西岸、如来浄土。ここは貪欲の「水の河」、瞋恚の「火の河」、そしてその底にあるものを愚痴という。これが貪欲・瞋恚・愚痴の私の心である。

 で、往生とは何なのかというと、それはどこかへ行くということではない。今まで東岸、この人生で生きていくこと、つまり、食べていくこと、幸せであること、健康であること、その他その他、この人生の生きざまを中心に生きていて、自分の心などは問題にしなかった。自分自身などということは顧みなかった。心など誰だって同じようなものをもっている、そんなことを気にしたり考えたりすることは何の役にも立たないことだ、こう思って無視しておった。そういう状態で、つまりわが心はそのままにして、ただ右へ左へと、東の岸の上をあっちへこっちへと、幸せと欲求の満足を求めて右往左往しておった。その者が如来浄土の方へ向かってきたということは、わが心というものを問題にするようになったということ。私自身というもの、私自身の心の内面というものを問題にするようになったところに、「往」が始まる。ここが大きな転回点である。

 だから、どっかへ行くのじゃない。浄土に向かって往生するというのは、どこか遠い所に楽しい楽しい浄土があって、そこに向かって進んで行くのじゃない。そんな所があるのじゃない。問題は私。私の心が問題になって、その心をより深くより深く知ってゆく、その先に、わが心を尋ねてゆくその旅路の果てに、如来浄土があるのである。そこに開けた世界を「近門」「大会衆門」といい、あるいは「極楽無為涅槃界」という。先に申すように、この如来浄土の根源は涅槃である。そこから南無阿弥陀仏が生まれて浄土が建てられた。そして、南無阿弥陀仏は私の心の奥底から私を喚んでいる。これが「二河白道」の譬えである。これは九十度転回させた図から、よくこのことがわかる。善導の、実にすぐれた宗教的な往生浄土の解釈が「二河白道」である。だからこれがはっきりすると、浄土がどこにあるかは問題にならなくなる。

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「願生」は無生の生

 天親菩薩は「願生安楽国」と言われた。「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」。その他「往生安楽国」とか「願生浄土」と言われている。このことについて曇鸞大師が問題を提起しておられる。それは、「生」とは生・老・病・死であり、生きるということがあれば必ず死ぬことがある。いわゆる生滅というように、生とは迷いの世界に生まれることをいっている。それであるのに、天親はなぜ「願生」と言われるのか、これは迷いの世界を求めているといわざるをえないのではないか、と問うている。それに対して、願生の「生」は「無生の生」である、と。「無生の生」とは無生無滅、一如真如、その「無生の生」なのであって、それを天親菩薩は「生」と言われているのである。

 なぜ「無生の生」を「生」というのかというと、「生とは得生者の情ならくのみ」と『論註』に述べられている。浄土は涅槃に直結していて、その本性は無生無滅。どこかに浄土があって、そこに向かって死後の楽しみを求めてゆくというような、そんなことではない。生滅を超えた世界に出るのである。広大無辺、一如真如の世界を生きることをいっている。それをなぜわざわざ「願生安楽国」というのか、「生」といわなくってもいいじゃないか、と曇鸞は問うて、それに自ら答えていられる。それは「生といふは是れ得生者の情ならくのみ」、無生の生を生きる者の心情としては、どうしても願生浄土といわざるをえないのである、と答えておられる。

 今まで「活」の世界に右往左往しておった者が、ひとたびこの如来の世界に超・絶・去・往と「活」の世界を出ることができた。その時、その人の心には「願」といわざるをえない感謝の思いが起こる。それは「願生浄土」というしかないものである。つまり如来の世界、一如の世界に生きる身となると、その人の心には、これは私の心から起こったものではなく、全く私の心ならぬもの、本願の呼びかけから生まれたもの、如来の願心のおかげである、という感謝の心がおこる。だから「願生」というのであるといわれた。曇鸞さんは偉い人ですね。「無生の生」なら「生」といわなくてもいいようなものだが、そうではない。「願生安楽国」、「往生浄土」なのである。善導は「願入」と言われている。そういうふうに言わざるをえないのは、無明の世界を絶ち切り、離れてゆく人の心情なのである。そこに、煩悩の世界でなしに涅槃の世界が、生きる目標となり、越えていく方向となっている。その思いを「願生」という。それが一道に立った者の感情であり、心情なのであると、こう言われたのである。

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如来浄土へ歩ましめるはたらき ――南無阿弥陀仏(諸仏称名の願)――

 話があちこちしましたが、この私が今まで「活」の世界で右往左往しておったのに、どうして自分の心を問題にし、如来浄土の方向に進むようになったのかというと、それは如来浄土の呼びかけによるものである。それを如来本願の働きという。如来本願南無阿弥陀仏。南無は「帰れ」という。阿弥陀仏は「大いなるもの」をいう。「大いなるもの我に帰れ!来れ!」と呼ぶ南無阿弥陀仏が我々にはたらきかけてくださるからこそ、私は初めて私の心の二河というものを超えながら進んでいくことができるようになる。この南無阿弥陀仏を、親鸞聖人は「諸仏称名の願」成就と言われた。

 これはなかなか面倒というか、解りにくい教えですね。『教行信証』の「行巻」の標挙(ひょうこ)に「諸仏称名の願」と書いてあって、次に「大行」ということが述べられている。「大行」とは南無阿弥陀仏である。南無阿弥陀仏は、南無阿弥陀仏という仏があるのではなしに、南無阿弥陀仏は三世十方の諸仏が、「南無阿弥陀仏だ、南無阿弥陀仏だ、この道ひとつ」と教えて下さるその諸仏のお勧めのうえにある。南無阿弥陀は法である。法とははたらき。そのはたらきがこの諸仏の称名を通して我々に届くのである。

 ここのところが解りにくい。諸仏称名とは、具体的にはこの世の善知識の勧め、教えであり、励ましである。南無阿弥陀仏は法である。法は善知識の上まで届いて私にはたらきかけ、私をしてこの道に立たして下さる。南無阿弥陀仏は諸仏の伝承の歴史となり、ついに善知識の教えとなる。これを諸仏称名という。

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心の転回

 往生とは私の心の転回である。心の転回とはどういうことか。鶏が卵を産んだ。その卵の中にあるのは、黄身と白身と胚である。そしてこれが厚い殻に閉じ込められている。この卵は、ただ卵として生きていればいいというものじゃない。卵はヒヨコになるために生きているのである。人間も、人間として生きていればいいというものじゃない。殼を破って大きな世界に出る、それが卵の生まれた理由である。

 卵からヒヨコになるのが、卵の本当に生きる姿である。そうなるのには親鳥が抱いてやって、その殻を通してはたらきかける。熱を与える。この熱が、貪・瞋・痴の心の殻を物ともせずにはたらきかける。殼はあっても邪魔にはならない。親鳥の熱が殻を通して卵にはたらきかけてゆくと、だんだんと目玉ができ、嘴ができ、足が生え、毛並みがそろって、殼の中で卵はヒヨコになる。そしてとうとうこの殻を破って出てくるのである。殻はどうして破れるのかというと、内側からヒヨコが突つく、そこを親鳥が外から突つく、それを何遍か繰り返していくと、殻が破れて生まれるのだそうである。現代では孵卵器の中で成長した卵は、自分の嘴のところにノコギリ状のギザギザができていて、それで突ついて一人で殻を破って生まれてくるようになっているそうですね。このギザギザは殻を出たときになくなるといいます。

 心の転回とは何か。それは親鳥の熱をうけてゆくと、目玉ができ、嘴ができ、足が生え、毛並みがそろってくる。それが転回である。目玉ができるとは、お聖教や本を読む眼ができ、嘴ができるとは、「南無阿弥陀仏」と念仏申すことができ、そして聞法の足ができる。そしてとうとう殻が破れた。そのとき心はこっち(西岸)を向いてくる。それを信心という。信心念仏という。それが廻心である。

 信心は必ず自己を知る。私の心の二河がわかるのである。私の二河がわかったものは、自己の貪欲・瞋恚・愚痴に目覚めて懺悔する。如来にお詫びを申すしかない。これを機の深信という。そして、私をここまで育ててくださった如来のはたらきを知って、そこに大きな感謝が生まれる。これを法の深信という。懺悔と感謝、そこに生まれるものが礼拝である。自己を知り如来を知る者は、頭を下げて如来の前にお礼を申す。南無阿弥陀仏と念仏申す。ただ南無阿弥陀仏である。それを礼拝という。これを近門という。

 それを浄土に入る入第一門というのである。したがって、信心念仏、礼拝から直ちに浄土に入るのである。浄土に入っても、貪欲・瞋恚・愚痴がなくなるのではない。それを超えてゆく。それを絶ち切ってゆく。離れてゆく。具体的にはそれらが「南無阿弥陀仏」になる。すべて念仏の種になるのである。

 貪欲・瞋恚・愚痴の大海が、「これが本当の私」「南無阿弥陀仏」と念仏になってゆく。その時に、その貪欲・瞋恚・愚痴は何も私を障げず、何も私の邪魔にならず、何も私を曳きずり回さないで、私は念仏して進んでゆくそれを超えるというのである。それを絶ち切ったというのである。それを離れたというのである。それを超・絶・去・往という。ここに「往」がある。「往」は超・絶・去・往である。どっかに行くのじゃなしに、わが心をいよいよ尋ねて、それに深く目覚めてゆくということ。いよいよ教えを聞いてゆき、如来の心を深く知っていく。それが「往」なんです。私の貪欲・瞋恚・愚痴がことごとく超・絶・去、南無阿弥陀仏と念仏の内容になっていく道、それを願生道というのである。

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心の奥底を超える

 往生の「生」は、迷いの世界を求めてゆくのではなく「無生の生」である、「無生の生」というのは、たとえば「ここは浄土かいナー」と、そういう思いに執われず、そのような分別を超え離れていく世界。人間の心(理性)はすべてを対象化、実体化するしか考えようがない。これが人間の根本にある大きな障害というべきものですね。実体化するというのは、そういうものがあると思うんです、たとえば、ここに木像の本尊がある。目があり鼻があり、立っていらっしゃる。すると「これが阿弥陀様である」「こういう仏がある」と考える。これが人間の心。これを実体化という。

 そういうものはない。南無阿弥陀仏ははたらきである。光明無量と私を照らして下さるはたらきである。そして寿命無量と私を摂め取って下さるはたらきだから、光明無量・寿命無量、アミタユース・アミターバというのであって、阿弥陀とは法である。はたらきである。「摂取して捨てざれば阿弥陀と名づけたてまつる」のである。阿弥陀とはそういうはたらきであるのに、そういう仏があると考える。浄土というと、如来が私どもを迎えとって下さる広大無辺の、いうならば心の世界ですね。我々を超えた無生の生の世界、広大無辺の世界なのに、そういうものがあると考えるところが、我々の思いですね。それを超える。そういう実体化を離れる。問題にしなくなる。それがもう一つの超・絶・去です。

 また、実体化とともに対象化という問題が私どもの心にはある。対象化というのは、向うの方において、こちらから眺める。「ハー、如来というものがあるのか」というように、向うの方に、如来を私と切り離して考える。これを主観と客観、主体と客体の二分化といい、対象化という。本当の世界はそうではない。如未は私のために私の上に来って、私のために生きて下さって、私になりきっている。私の信心念仏になって下さる。それを遠く向う側において考えることを対象化という。それでは本当の如来の理解は生まれない。たとえば、結婚して何十年もたって、自分のご主人、自分の奥さんを向うにおいてこちらからジロジロと見てごらんなさい。「まー、なんてこれはできの悪い女かなー」「まー、どうしてこんな男と結婚したんだろー」ということになりますよ。これを対象化という。相手を私からかけ離れたもの、向う側にあるものとして考えるとそうなる。しかし、「この人と私とが縁あって一緒に夫婦になって、一生この世かけて添いとげて、願わくば共に浄土まで離れずに往きたい」と、そうなってみなさい、あなた、少々器量がどうであろうと背が低かろうと問題にならない。それを一体化という。一体化というところに南無阿弥陀仏がある。「彼と我とは一つなり、南無阿弥陀仏と一心同体」というところに、往生浄土がある。南無阿弥陀仏が、人間の最後の執われである実体化と対象化を砕いて下さるのです。

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浄土はどこにあるのか

 結論。往生浄土は死んでからではない。浄土は、私の心の殼、すなわち実体化と対象化する固い心の殼が破られて、心の方向が全く変わり、私が私の心を問うようになり、そしてそれが念仏になるところに生まれてくる世界、それを浄土という。そこに私の貪・瞋・痴の心が南無阿弥陀仏と念仏になって、無明の広海が光明の広海となる。無明煩悩の闇が南無阿弥陀仏と念仏の世界になって下さる。それが浄土といわれる心の世界なんですね。

 石見の国は今の島根県、そこに才市同行という方がおられた。この才市同行を世に出したお方は藤秀璻(しゅうすい)先生、これを有名にしたのは鈴木大拙先生と聞いています。その才市同行の言葉に

  才市、浄土はどこか
  ここが浄土の南無阿弥陀仏

とあります。これは実に名言ですね。まさにその通り。「ここが浄土の南無阿弥陀仏」。「ここが浄土の南無阿弥陀仏」となるところを、往生浄土の道に立つというのであります。

 聖人は『教行信証』「信巻」末に、「悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず。真証の証に近くことを快(たのし)まず、恥づべし、傷むべし」(12/93)と懺悔されました。「定聚の数に入ることを喜ばず。真証の証に近くことを快まず」とは、涅槃を証し仏となるべき身と定められて、往生浄土の身となったことをたのしまない現実への悲しみであります。

 しかし『教行信証』の「後序」の終わりには、「慶しき哉、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す」(12/224)と喜ばれました。深い悲しみと深い喜び、この悲喜の情こそ、仏地すなわち浄土を生きる者の心であります。「才市、浄土はどこか。ここが浄土の南無阿弥陀仏」と、深い悲しみと深い喜びとともに念仏申す人になりたいものであります。

(了)

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あとがき

 細川先生には時々、私の勤める東国東広域病院に入院していただき手術後の状態の検査や診療をさせて頂いていました。平成七年十月、体調を崩し自宅で療養をされていましたが途中経過の診察をするということで前から予定していた来院が実現しました。この機会に是非、先生のお話をお聞きしたいという、大分県内にいる有縁の方々の熱意がかない、十一月十四日、杵築市の妙徳寺(住職・伊藤公範先生)で会座が開催されました。

 幸い、先生の体調は当日はよく、本堂いっぱいの参加者と共にお話しを頂くことができました。後で先生が「久しぶりにお話しをすると、元気になるようだ」というお言葉が印象にのこりました。

 製本にあたっては「山を越える会」(細川先生の命名)の藤谷純子さんに文章化していただきました。また、先生から「本にするのであればもう少し付け加えたい」とのご希望をうかがっておりましたので、療養中の先生にご無理をいって懇切丁寧な添削を頂きました。まことに有り難うございました。

 この本が有縁の方々の聞法の一助になれば関係者一同の喜びであります。

平成七年十二月             田畑正久

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「あとがき」にそえて

 細川先生は、十一月十七日に東国東広域病院を退院後、一時的に小康状態を得て自宅で療養され、活動も巌松会館だけにされていました。十二月二十二、二十四日の土曜会には遠来の方々が来られ、持ち前のサービス精神で予定外の講話・座談をなされたとお聞きしました。

 しかし、これが最後の会座となりその後、症状の悪化があり先生は自宅での療養を希望され三日ほど自宅におられましたが、先生の症状は自宅では対応が無理な状態であり、二十八日宗像医師会病院に入院、二十九日には種々の要因を考えて再び東国東広域病院へ転院していただきました。

 振り返り考えてみますと、平成四年の発病、平成五年二月の大手術、平成六年十一月の手術、その後すこしずつ病状の進行があり持ち前の体力(年齢にくらべてだいぶ若い筋力・心肺機能)も予備能力(特に肝臓)を使い果たした状態で今回の入院時は現代の医学では回復が期待できない段階でした。

 痛みに対する鎮痛薬の積極的使用と、回復への微かな希望を持ち治療を行いましたが反応はなく十二月三十、三十一日と傾眠状態が続きました。ご家族の皆様の手厚い看護をうけられましたが、平成八年元旦の未明、状態が急変して午前五時十七分、家族の皆様に看取られ示寂(じじゃく)されました。

 先生の教えを長年いただき、また晩年に医療の面で密に接しさせていただき、私が関心をもって取り組んでいる終末期医療・ターミナルケアの課題は、「死」がどうのこうのではなくまさに「生きる」問題の解決(与えられたいのちを燃え尽くす、無生の生を生きる、生ききる)なのだということを改めて教えて頂きました。

 かえりみますに、先生なくして今日の私はありえませんでした。先生は私にとって善知識であり親でありました。今後は少しでも御恩に報いる歩みをさせて頂きます。どうか我々の歩みを見守って下さい。南無阿弥陀仏。

平成八年一月三日           田畑正久

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